俺は堺に育った、俺は道休の息子だ
陣内を斬って船小屋に入って来たのは、道休の周りをうろついていた気違いの老人が、めくら船の黒白斎と名乗ると道休は思い出したようです。「裏切り者目」と鋭く目を光らせ近づく黒白斎に「どうしょうというのじゃ」と道休がいうと、「めくら船から鹿門様をお迎えに来たのじゃ」と答える黒白斎、鹿門は何も知らない、というと、
黒白斎「わしから申上げよう、あなた様は壺屋道休の息子ではござりませんとな」
道休は必死で
道休「待て、今となっては、鹿門はわしの命だ、鹿門だけは連れて逃げんでくれ。
わしは、殿の子を・・・」
黒百斎「さらって逃げたのだ」
と、道休の言葉をさえぎると、それは真実とは違う、殿を殺したのは右衛門太夫で、道休はそそのかされて殿を殺害するが、断末魔で苦しむ磯野丹後守の顔が忘れられず、右衛門太夫の手から若君鹿門様をさらって育てていたのでした。
「鹿門を奪わないでくれ」と頼んでも、財宝と共に奪って逃げた丹後守の遺児、鹿門を迎えに来たと、道休のいうことに承知をしない黒白斎に、我慢がきなくなった道休が小刀を抜きかかっていきます。村上水軍の乗組員たちに道休が取り押えられているところにやって来た鹿門は「海賊待てっ」と振り払い道休を助けに、するとひざまずき「 鹿門様
」という黒白斎に、鹿門は、
鹿門「おやじに指一本触れてみろ、・・・ 俺が相手だ
」
黒白斎「なにを仰せられます、あなた様は、 壺屋道休の息子ではござりません
」
鹿門「 なに
」
道休 「
嘘だ
。・・・こやつのいうことを 聞くでないぞ
」
鹿門は、黒白斎から 実の父親のことを聞かされます
。江州佐和山城主でのちに八幡船の旗頭、磯野丹後守の世継ぎだと、聞かされます。 呆然とする鹿門
。
道休は、黒白斎達が交易に出ている間に、めくら船を奪った右衛門太夫を手引した裏切り者、 まことのめくら船の頭領は鹿門だ
、と・・・ 海へ出てほしいという黒白斎と引き留める道休の板ばさみになり
鹿門は道休を見たあと少し考え、
鹿門「・・・俺は堺に育った、 俺は道休の息子だ
。・・・ 海賊などまっぴらだ
」
きっぱりと断り、小静が待っている船に急ぎ行こうとします。
「 そんなことを信じると思うか
」と止める黒白斎達を振り切り行こうとしたとき、港の方に火の手があがるのを見て、 みんなが驚きます
。
火をかけ騒ぎの中淡路丸を出帆させるために道休が支持をした時刻がきていたのでした。父や兄を待ってとすがる小静に、長崎屋は役人に捕まってはと、淡路丸を出帆させたのです。警備の軍兵達の矢が淡路丸に向かって矢を放ちます。矢は小静にも向かっていき、道休は淡路丸を追って矢が飛ぶ桟橋をかけていきます。道休を追って桟橋に行こうとする 鹿門を引き止める黒白斎達
、だが、矢が道休を射倒したとき、 鹿門は狂ったようになり
、 倒れている道休の傍にいきます
。
「 お父つぁん
、 お父つぁん
」と呼びかける鹿門に、道休は最後の力を振り絞って、「鹿門、・・・わしは・・・わしは・・・ わしは
・・・ そなたに
・・・・・ そなたに
・・・・・」と、あとはいえず 道休はこときれてしまいます
。
その様子に、黒白斎達が、鹿門を心配してかけより、道休から引き離そうとしますが、 気が狂ったようになっている鹿門
に困惑した黒白斎達は、 仕方なく鹿門を失神させて運んで行くのです
。
続きます
。
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