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この楽天ブログも6年ほど続けていることになる。政治や社会問題なども、かなり自分の本心を吐露しているので、僕のことを「小難しい向こう見ずな奴」というような小さな誤解もあるようだが、僕の性格は受け身型、臆病な小心者である。でも、これをつづけてきたおかげでプライベートでも親しく(といっても男女の仲とかはないよ、念のため)お付き合いできている人もかなりの数になる。6年もつきあってまだ合ったこともない人がいるから、かなりオクテということがわかったもらえるだろう。^^;ブログを利用した結婚詐欺疑惑の事件が昨今のマスコミを大々的に賑わしているが、そういう不届きな輩も少数はいるだろうが、長い間日記などを読みあっていればどんな人かはおおよそ検討がつく。僕はリアルで会っても、これは間違ったと思った人はまずいない。もちろん、疎遠になりすぎたり相性があわないなど、期待はずれでリンクをはずした人もいる。そういうところはある程度割り切らないと新しい出会いができないから…。相性が合わないとは、意見が合わないということではない。このブログのコメントの応酬を読んでくれればわかると思うが、僕はむしろ意見の違いは面白がるクセがある。毎日のことだから、ブログ内容は思いついたヒントについてほとんど直感で書いているので、後から読んでみると自分でもムリがあるなぁと思うことがある。そして、それに対しては案の定厳しくコメントを戴く。実は、これが楽しく、ありがたいのでもある。好きでないのは、烏を白とまではいわずとも、灰色の烏もいるくらいの主張に対して「そうですね。わたしもそう思っていました」というような、迎合コメントだ。本人はきっと悪意のない善人なのだろう。だから、僕の主張を(内心はちょっと違うぞと思いながら)受け入れてくれるのだろう。はっきり言って、これは僕にはダメなのだ。よく例えにだすが「鰯の群れ」という言葉がある。先頭の一匹にすべてがついてゆくあれだ。賢い先頭ならいいが、間違うと群れごと一網打尽にされてしまう。先の戦争のときも、そうした集団的熱狂があったから、とことんまで突き進んでしまった。会社にしても組織にしても、周囲にイエスマンしか置かない指導者に未来はない。ときには組織ごと崩壊させることになる。たかがブログだから、仲良くやればいいのだが、たかがの世界であっても人生の幾分かの貴重な時間を割いている以上は、なるべく自分にとって良き友人となれる人とつきあいたい。良き友人とは、ときに耳障りな意見もきちんと言ってくれる人のことだ。まちがって烏を灰色と言ったときに「自分もそう思っていました」などという人はあまり信用できない。ちなみに、これは特定の誰かを指しているのではなく、そういう関係が好きになれない、というだけのことである。と、ちょっと思うところがあって吐露してみたが、僕ののぞむところは大人の雰囲気で、なおかつベタベタしないさっぱりしたつきあいである。この日記も毎日300以上のアクセスがあっても、読むだけでコメントしてくれる人は少ない。耳障りけっこうだから、反応がほしい。今年は茸が不作だが、思いがけずシメジが大量に手に入った。明日はある文芸友だちとデイト(と公言するときには、何もイイことはない)、そしてブログ友だちとのオフ会。きのこ鍋でもつつきながら、逝く秋を楽しもう。励ましのクリックを
2009.10.31
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「地球にやさしい生き方」「地球にやさしい洗剤」「地球にやさしい車」などなど…。 この言葉のすばらしさは、簡明で問題意識も高い、インパクトもある、環境保護のキーワードのようにどんどん使われている。環境を破壊し、なすすべもない地球をいじめ、いためつけてきたわれわれの意識も、ようやくこのレベルに達したのだ。これからは地球へのいたわりや、思いやり、慈愛の心をもとう。それでこそ我々も万物の霊長としての誇りが持てるというものだ。「地球にやさしい君に地球にやさしい贈り物を地球にやさしい車で運ぶ地球にやさしい僕…」これこそ万事に使える。万能言葉だ。これ以上万能に使えるの言葉はない。「待て! そこのカビども」「ヒッ地震だあー イヤ雷か、な何だ?」「オレは地球だ。いいかよく聞け、オレはな、オレの薄皮の上に近頃になって増え始めた妙なカビなど、なくなっても全くかまわんのだ。現にオレは生まれてから何億年もカビなしでのんびり過ごしてきたんだからな」「カビって、あの、私たち人間のことで?」「そうだ、そのお前らが公害たれ流して死のうと核爆発で絶滅しようと、オレは毛ほども感じない。かえってスッキリするかもしれん。現にオレの兄弟達はカビ共なしでキレイな体のまんまだ。そうだ全世界の火山を爆発させて、もとのキレイな惑星に戻ってみるか」「そ、そんなオッソロシーことを。私たちはあなたによかれと」「おいカビ、いかにもオレの運命を握ったみたいな言い草だな。いい気なもんだ。核戦争? やるならやれ。火山爆発の手間が省けるわ。オレの規模からすればお前らは検出不能のカビかホコリだ。そのお前らが恩着せがましくこのオレに。やさしくだと?」「で、で、でも、きびしいよりやさしい方がよろしいのじやなかろうかと…」「まだ言うか。お前らが他のカビ共を巻き添えにしてオレの上から消えたとしても、オレは今まで通りお日さまの周りを悠々と回るだけだ。小ザッパリしたオレにお日さまの光はかえってキモチいいだろう。それに何もなくなってもまた何億年かたてば、どうせ新しいカビが生えるだろう。今のお前達よりマシな奴がな」「わっ、わっ、わたし達がぜぜつめめつ、するんでですか」「そうさ、今までも何回かやったぞ。その時代時代で一番羽振りがよくのさばっているカビ共を、気候を変えたり火山を爆発させたり限石を呼び寄せたりして大絶滅させた。まず二億年ほど前に三葉虫どもをすべて消滅させた。奴らあまりガサゴソ歩き回るのでくすぐったかったのでな。次に白亜紀の終りに陸の恐竜類と海のアンモナイト族を全部殺した」「どどうして一番栄えてる者を消すんで」「あんまり増えすぎるし、飽きるからさ。それに三葉虫や恐竜などは種類を増やしてすべての可能性を試めしてみた。が、ロクなものは出てこなかった。で、すべて消し、残った別の種の中から何か面白いものが出るかと待っていたが、増えてきたのは結局お前達だ」「わっわたし達が?」「あんまり増えすぎたし、少し飽きた」「わっわたし達に?」「そろそろ消そうかと思っている」「わっわっわたし達を?」「いいか問題をすりかえるなよ。お前らは自分で自分の命を縮めるのが怖くて仕方ないんだろう、ならば。「地球に」のかわりに「目分達は」といえ。「やさしく」のかわりに「死にたくない」と言え。互いの顔を見てわめけ、怖ければ悲鳴をあげろ、そして互いの手をしばれ。それでもオレには関係ないがな」これは正夢ではないでしょうねぇ。十年以上も前か、NHKKの番組のテーマ曲で、「青い地球は誰のもの」と何度も何度も繰り返す美しい合唱があった。あの慎ましい問いかけは今どこへ行ってしまったのか。励ましのクリックを
2009.10.30
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小学校の頃を皆さんはどのくらい鮮明に覚えているだろうか。その頃の同級生と話しをすると、僕の記憶とかなり食い違っていることがよくある。当時は、村の小学校は男女合わせても学年二クラスあった。学校は明治時代に建てたままの老朽化したおんぼろ校舎であった。そのおんぼろ学校に、掃きだめに降りたつるのように赴任してきた若くて美しい女の先生が僕たちの担任になった。先生が教室へ人ってくると、リンゴのような赤い頬の田舎娘かゴツイおばちゃんたちしか知らなかった僕たちは、先生の美しさに圧倒された。ある日、国語の授業だったのだろうか先生の授業が始まった。先生は黒板に向かって、「少年よ大志を抱け」と、白いしなやかな手で書いた。先生の文字の美しさもさることながら、「少年よ大志を抱け」という言葉に意味はわからずとも、なにか心を大きく揺すぶられた。「いいですか皆さん、この言葉のように、前向きな気持ちをもって生きましょう」美しい先生の言葉の中には、爽やかな凛々しさが漂っていた。先生は、生徒たちがどうしても授業に乗ってこない時は、即座に授業を中止してみんなに小説を読んでくれた。「赤毛のアン」などとても面白かった。生徒たちは顎を両手で支え、先生の朗読に耳を傾け、先生と生徒の心が一体になった。先生の朗読の声にあわせてたましいがゆるやかに交差するような小宇宙ができあがった。だから、僕は今日の国語の授業にもうれしくて望んでいたのである。ところが、隣席のSがなにかもそもそやっていた。「Sくん、なにをやってるんだ」僕がそっと注意を促すと、「腹が痛いから薬を飲んでいるんだ。Mくん、おめえにもやるぞ」Sはポケットの中から、大きな黒っぽい飴玉をひとつ差し出した。「いらない」と断われば事は済んだのだが、僕の性格からはそれができなかった。友情のバトンのように飴玉を受け取ってしまった。「早く食べちゃえよ。見つかるぞ」たしかに見つかれば叱られる。それなのにSは、自分で罪の押し売りをしたくせに、今度は庇い立てるように机の下から膝を小突いた。バトンタッチしてしまった罰の証拠が手にある。追い詰められた僕は、毒を飲むような思いで大きな飴玉を口の中へ押し込んだ。ところが、飴は思ったよりも固く、口の中でどうしても噛み砕けない。目が眩み涙が出てくる。瞬間先生の目が注がれ、急いで机に顔を伏せた。「Mさん、なにをしているんですか。顔を上げなさい」しかし顔を上げられない。頑固な飴玉は口の中で頑張っている。先生の美しい目が僕を睨んでいるにちがいない。そう思いながら、両手で頭を抱えるように顔を隠していた。「Sさん、Mさんどうしたんですか?」先生は凛とした口調で教壇の上からSに聞いた。「Mくんはさっきから腹が痛いといっているんです」Sはとんでもない答えをした。その間にようやく飴玉を飲み込むことはできたのだが、とてつもないSの答えで、また思いも寄らない余罪ができてしまった。「本当に腹が痛いんですか……」先生の足音が近づいてくる。美しい先生が僕の顔を覗き込んだ。耳元から甘酸っぱく先生の息づかいが伝わってきた。僕の心臓は高鳴り、顔は火照り吐く息も熱かった。そして、恥ずかしさが僕の全身に流れた。先生に心の中まで覗かれてしまったような衝撃にわれにかえった。僕は意地にも先生に抵抗するしかなかった。少年が初めて異性に好意を感じた時の心は複雑なものである。その相手に対しての意志表示は、故意に意地悪や反抗をしたくなるものである。そんな矛盾した行為は、あるいは純粋さの裏返しかも知れない。そのために自分が不利な条件に陥るという考えにもおよばず、敢えて実行してしまうのである。好きな人を守りたいという気持ちの一方で、その人を汚したいという欲望が湧き起こるのも恋であろう。恋とは、矛盾との決闘のようなものである。そういう意味で、もし初恋の芽生えが僕にあったとすれば、無意識であったとしてもその初恋の対象であるかも知れない先生に、自分の本心とは裏腹に、さもさも痛そうな素振りをすることは避けて通れぬことであった。もちろんSに対しての義理立てや自分が犯した罪隠しの演技もあったのだろう。「いてぇ……」と、大げさに表現した。「そんなに痛いの……。困ったわね……」先生は全く困惑しているようであった。「仕方がないわ。養護室へいきましょう」先生は僕を養護室へ連れていこうとする。僕は、「なんとかしろよ!」という流し目をSに送った。Sは目をキョロキョロさせて、「先生、俺がMちゃんの家まで送っていきます」Sは、神聖な授業を自分で蹴散らかしておきながら、今度は良い子ぶった役割を買って出た。「そうぉ、Sさん、送っていってくれる。大丈夫かしら、Mさん……?」かくて僕は、事情はどうあれ、Sの知略と友情に身をまかせざるを得なかった。Sの肩を借りて校門を出た。五月の空は青く穏やかだった。Sは、「Mくん、うまくいったな……」と喜んだ。僕は、うまくいくはいったが、なんとも後味が悪かった。先生を欺いたうえ、Sにも大きな借りができてしまった。きっと僕たちの帰った後は、授業も白けて先生はみんなに小説を読んでいるにちがいない。僕はそこに居たかった。「Mくん、こんなに早く家に帰ってもしょうがねえから、今から山へいくじゃん、山で遊んでから家に帰るぞ……」Sはもうすっかりその気になって走り出していた。余り気乗りがしなかったのだが、早引けした分の時間の埋合わせを、山遊びで過ごすつもりで同意した。緑の木々は二人を快く迎えてくれた。ひととき学校のことを忘れて高い木にのぼって村を見下ろして遊んだ。「Mくん、まだ早いから岩山のてっぺんまで登るじゃん」「うん、登るじゃん……」僕はすでに自然界に戻った動物になっていた。二人が帰途に着いたのは夕暮れが追っていた。家に戻ると、なにやらざわめかしい。母親が家から飛び出してきた。そのうしろには先生もいた。心配して、家まで来てくれていたのだ。仮病は父にもばれて、ひどく叱られた。しかし先生は、僕の嘘を責めるよりも元気であったことの方を喜んでくれた。「あしたはいつものように学校へ来るんですよ。いいですね!」美しいだけではない、なんて心の広い人なのだろうと思った。あくる日、重苦しい孤独な気持ちで学校に行くと、先生は爽やかな笑顔で僕のところに駆けより、両肩に手を置くと「よかった、よく元気になれたわね」と、泣きださんばかりに喜んでくれた。もうそれ以来、この先生にだけは悪いことはできない、裏切れないと固く誓った僕である。ところが、当時の同級だった悪友はいまだに「あの頃のMはほんとうによくイタズラしたよな。先生を困らせてばかりいたゾ」と言い放つ。おいおい、いったいどちらの記憶が正しいのか間違っているのか。なにぶん双方とも、友だちの何人かは名前も忘れるなど記憶の欠落が始まっているような状況で、確認もしようがないのだが…。あれが初恋だったとすれば、いったい何度目の恋心だったのだろうか。励ましのクリックを
2009.10.29
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人の一生の時期ごとにさまざまな呼称があります。胎児から始まり、新生児、乳児、幼児、児童、生徒、学生、青年、成人、社会人、中年、熟年、実年、壮年、前期高齢者、後期高齢者、晩期…(は、なかったか)。細かくはもっとあるのかも知れませんが、思いつくだけでこんなにも区別されて呼ばれます。まるで階段のようなわかれ方ですが、いったい自分はどのへんに入るのだろうかと考えるとはっきりしません。ときには実年くらい、気分としては青年から中年か…、詩を書くときには少年になったり、エッセーでは不良中年になったりと、忙しい。結局、そのときの心しだいで動いているような気がします。そういった意識差は人によってかなり違いがあることでしょう。それにしてもなぜこんなに細かく区分けする必要があるのでしょう。「かつて子どもであったことを忘れてしまった大人たち」などという表現があります。子ども心がわかるわからない、あるいは単に昔が懐かしいというようなときに、ちょっと差別化をしたくて使う場合が多いようです。細かい区分がありすぎるから、そんな表現も生まれるのでしょう。しかし自分は自分、生き方はずっと一本につながっていて、実際には青春から実年までにそれほどの差があるようには思えません。しいて意識の違いを考えると、目の前にDカップEカップの女性がきても鼓動が高くなりて息苦しくなるというようなことがなくなり、逆に年配の女性でも、知的な言葉がこぼれたりすると体温が上がるようになってきたくらいでしょうか。ただ、最近身の回りの友人達がどことなく慌ただしくなってきたことをとみに感じます。先日も親しい友人が亡くなりましたが、そうでなくても病に倒れたり、入院したりとする人がいて気が休まることがありません。この階段でいったら、まだ熟年、実年の人たちで、まだまだ残りの人生を数えるには早すぎる人たちです。無理をするな、急ぐな、ゆっくり生きろ、まだ大人にもなっていないうちに急ぎすぎてはいけない、などといっても気休めにもならないかもしれませんが、しっかり養生して、これから始まる黄昏人生を一緒に楽しもうではありませんか…。励ましのクリックを
2009.10.28
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ある人に「Mさんは意外にクールだな」と言われたことがある。「クール? 僕が?」もう少しクールになりたいと思ったことはあるが、自分ではまったくクールだなどという意識はない。聞いてみると、あれほど親しくしていた人と(未練もないように)別離できるからクールだという。冗談いっちゃあいけない。自分から別れたいと思って縁を切った人など(ごく少数の例外を除いて)ほとんどいない。ただ、来る者は拒まず去る者は追わず、請うてまでつきあいたくないというだけだ。実際には、アッサリ系とみせてどこかで人並みに傷ついている。しかし、この歳になるとベタベタした人間関係はあまりつくりたくない。ところでクールという言葉、おおむね肯定的にとらえられているのではないだろうか。なんのこだわりもなく、決断力が抜群で、ウェツトなところがなく、てきぱきと仕事をこなし、決して、崩れたところを見せないクールな人間。そんな人間がどうかするといるものだ。僕のようないつも優柔不断の人間とくらべ、クールな人間はすこぶる魅力的に見える。しかし、安易にそのような人間に近づくと、手ひどい火傷を負うことにもなりかねない。たしかにクールな人間は物事にくよくよせず、ふっきれているように見える。だが、そのふっきれ方が問題なのだ。ほとんどの場合、クールな人間がクールでいられるのは、物事や他人と深くかかわろうとしないからなのではないか。つまり、クールな人間は自分や他人、そして状況を制御できる範囲内でしか、行動しようとしないということだ。僕はどちらかといえば、オプティミスト(楽観主義者)だと思っている。まあ、一晩寝ればなんとかなる、一晩寝てもダメなものはダメだがいつかは何とかなるに違いないと生きてきた。こういうオプティミストは、ごたごたに巻きこまれることを恐れない。ごたごたに巻きこまれても、なんとかなるさという「楽天性」を持っているからだ。とはいえ、楽天性はへんな自信過剰と混同しやすい。根拠もないのに楽観的になって失敗したことも少なくないのである。真の楽天性は待つことと、耐えることの大切さを知ることで実現されるのである。待つことは、自分や他人を制御しようとすることとは正反対の心の働きである。待つ能力は、また、痛みや孤独を深いところから感じることのできる能力でもあると思っている。そうした能力を持ったときに、初めて、信頼しあうことへの心の扉が開かれる。信頼し合える気持ちもなく、ただ友人として付き合いをつづけていくことって、偽善ではないのかな。本音でつきあえる人以外は、僕にとってそれほど大切な人とは思えないんだな。励ましのクリックを
2009.10.27
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友人と22歳になる友人の娘とで居酒屋に入った。娘が「Mさん(僕のこと)いいもの見せてあげようか、大切なお守り」とサイフからシワクチャの紙幣を取り出した。それは、かなり古い聖徳太子のもので、昔みた記憶のあるものだった。それを見て友人がテレ臭そうに、紙幣のいわれを話してくれた。この娘は、友人の2度目の妻との末っ子である。最初の結婚に失敗し、数年後に一回りも歳下の現在の妻と出逢って恋に落ちた。彼女は成人を迎えたばかりの娘だった。娘が離婚歴のある三十男と結婚するということに娘の両親や親戚は大反対であった。娘を拐かしたのかという非難のなか、駆け落ちにもにた形で、婚姻届けを役所に出しただけ結婚であった。そして2年後、長女が誕生した。形式や世間体を重んじる妻の親族へ、彼は子連れで挨拶まわりをした。どの親戚も冷たい視線で、それでも彼はジッと耐えながら回った。そんな中での最後の一軒、妻のおばあちゃんの家となった。その家は南アルプスがすぐ目の前に見える山村。夫に先立たれ80歳ほどになったおばあちゃんはニコニコと満面の笑顔で出迎えてくれた。家族の反対の中でただ一人、孫娘が選んだ男だから間違いはないと、朝早くからよもぎを摘んで作ったという草餅やら精一杯の手料理を出してもてなしてくれた。ひと口食べるたびにじっとのぞきこみ、友人夫婦の反応に嬉しそうにうなずく、シワクチャな笑顔が菩薩さまのようなやさしい光に包まれているかのような気持ちになり、それまでの地獄のようだった挨拶まわりの辛さが一瞬のうちに消え去ったという。思えば20歳の娘が、両親にとってどれほど大切な存在だったかと…、三十過ぎの離婚歴のある男は拒絶されてあたり前であり、その己の行為を棚に上げて、冷ややかな視線に悪意を覚えた自分こそ、犬畜生に劣る自己中心の人間であり、おばあちゃんのためにも絶対に妻や子を幸せにすると心の中で誓ったという。それから十数年。女の子ばかり三人の子持ちになった友人は、子供たちを連れて90歳を過ぎても野良着に身を包むおばあちゃんを訪ねた。谷川のせせらぎがきこえる軒下で、おばあちゃん自慢の草餅に舌鼓をうち、子供達も一緒に居心地のよい時間を過ごし、帰路についたという。家に着き、おばあちゃんが土産に持たせてくれた手作り野菜などどっさり入れた袋を開けてみると、なかに3通の封筒が入っていた。中におばあちゃん同様にシワクチャな紙幣を伸ばしたものが出てきたという。それはかなり古い聖徳太子の千円札だった。その頃、千円札は夏目漱石になっていたという。きっとおばあちゃんがずっと大切に持っていたものに違いなかった。今の価値ではそれ程の金額ではないが、おばあちゃんがこの紙幣を手に入れた当時は相当の価値があったはずである。そして、それを神棚にでもあげてずっと大切に守ってきたのであろう。それから数年後におばあちゃんは93歳で帰らぬ人となった。しかし、おばあちゃんに貰った千円札はそれぞれ三人の娘のサイフの中で使われず、一生の宝の守り神として眠っているという。僕に見せてくれたのは、そのうちの一枚だったのだ。友人一家は上2人の娘は嫁ぎ、末っ子も彼が略奪したときの妻の歳を超えた。今年から銀行に勤めたばかりの娘に「もういつ嫁ってもいいぞ」と強がりを言って目を細めた。その娘と飲むときに、お前がいたほうが娘もよろこぶからと僕を誘ってくれる。僕も、彼だけよりかわいく成長した彼の娘と一杯やるのを楽しみにしている。励ましのクリックを
2009.10.25
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ネットのなかに「創作広場」という場所があって、そこで人気のある部門は「恋愛小説」。作者はアマチュアの女性が多いが、不倫告白的というか(たぶん経験にもとづく)恋愛場面をふんだんに盛り込んだ作品が多く、そこでの人気は僕のニガテな濡れ場シーンの多さではないかと思っている。いや、ニガテというのは(経験が少なく)書くのがニガテというだけで、読むのはもちろん嫌いではない。作者のレベルにはだいぶ開きがある。これなら僕の個人誌の中で書かれている「恋愛小説」のほうがだいぶ上だ、などと言ってはみても、この世界はそういうレベルの問題ではないようだ。読者はあらすじとしての深みより、作品からお手軽な不倫願望・SEX願望を満たしているのではないだろうか。ところで、「恋愛小説」の恋愛とはなにか。広辞苑(岩波書店)によると、〈男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。〉だという。ちょっと素っ気なさすぎるので新明解国語辞典(三省堂)を開いてみた。〈特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態〉だという。(若干僕が補足しましたが…)というと「恋愛小説」とは、この生殺し(まれに充足)状態を扱ったものであろうか。相手が同性だって宇宙人でもいい、合体抜きもありでしょ。と、ツッコミたくなるのはほどほどにして、ネット小説の感想文を読んでみると面白い。優れていると評価される作品には総じて〈リアルでいい、共感できる、じんわりしみてくる、似たような話が身近に(自分だろうが)……〉といった賛辞が寄せられる。つまり、婦女子であることの多い主人公に、感情移入できるかどうかが重大なポイントで、ほかの要素にはかなり甘い。たとえば、対象相手。合体だけが目的のティーンでも、盆栽いじりをしてる方が恋愛状態よりも何倍も楽しいという老人でもオッケーで、大切なのは主人公の思索と行動が現実として感じられるかどうかだ。それさえクリアできれば、男がどうあろうとも、恋愛状態にワンパターンで突き進むことになる。そうならない男はときに謎として勝手に処理される。(これらを書いている女性たちにとって、主人公を誘わない男はオトコじゃないのだ)もっともここでの読者は、小説世界の成り立ちなどどうでもいいのだ。これだったら作り手も大助かり。遠い親類に手品師がいるとか、金魚がミケを食べてる夢を見たとか、どうでもいい細部に手を加えて、それなりのリアルを演出すればマニアは満足。色ぼけ小説はますます盛んになるわけだ。う~ん、こんなことを書くと書けない奴のヒガミだとしっかり思われるんだろうなぁ。だって、経験してないこと書くのって難しいもん。励ましのクリックを
2009.10.24
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冬物の衣類を出していたら、こんなメモがポケットから出てきました。誰かから渡されたものだと思うのですが、いつ受け取ったのか思いつきません。出所を知っている心当たりのある人がいたら教えてください。返事は0・2秒! 損得勘定する前に、素直な気持ちを持つこと。返事の速さは素直な心の表れ。頼まれごとは試されごと! 何か頼まれたら、絶対断わるな。自分が試されてると思って、全力で人を喜ばす。合言葉は、「あなたの予測をはるかに上回りますよ!」できない理由を言うな! 「でもさぁ、」「そうは言ってもさぁ、」は禁句。『でもでも星人』になるな。できない理由は山程あるが、やらないうちから諦めたらいかん!とにかく動け!動けば変わる! 周りの声や批判はいつでもあるもの。人と比べるのではなく、まず自分が動くこと。動いた分だけ変わっていく。何も変わらないのは動いてないから。自分が動いて周りを巻き込め!励ましのクリックを
2009.10.24
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ここは「す●べブログ」にしないと南風どん&ごろすさんに寂しがられるので、そろそろい自分のペースに戻そう。といっても、マジメが取り得の僕には「す●べ」の●に何がはいるのかよくわからんのだが…。急な来客と昼食を食べる必要があってファミレスにはいると、「いらっしゃいませ! こちらでお召し上がりになりますか。なにになさいますか。○○おひとつ、△△おひとつ、以上でよろしいでしょうか、お会計の方失礼します。ありがとうございました」まことにスムーズで気分がよい。若者の言葉の乱れが気になるとときどき書いているのだが、ちゃんとこのように折り目正しくキチンとした言葉づかいの若い店員さんがいるのだ。次の日、他の似たような店に入ことがある。「いらっしゃいませ、こちらでお召し上がりになりますか。なにになさいますか……」ほら、また気分がよいが、違うチェーンなのに言葉もその順序も同じだ。あまりに同じなのでビックリ…。そこで店員が来た時にいたずら心が起きた。「なにになさいますか?」「ハヤシライスカレー大盛り(この店にはない)」 「ホヘ?」実際には「ホヘ?」ではなく「エ?」だったのだろうが、僕にはその女の子の顔が「ホヘ?」にみえた。快調に飛ばしていた彼女はつんのめったのだ。そして、「ええと、あの、カレーならありますが、ハヤシライスカレーとかあ、おいてないんですけどぅ」と急に地に戻ってしまった。この「マニュアルやぶり」は面白い(^_^)v。かつて外国旅行でさる東欧の国に行ったとき、店員が「なんで店に入ってきた」という感じにムッツリと不きげんで、これが国営商店の「売ってつかわす」のおカミ意識かと思って、とにかく帰国して「いらっしゃいませ!」を聞くと、おおわが国はいい、などと思ってしまったものだ。若い女性が会社で「原因の半分はオマエだよ」「クソ課長のヤツ」、息子が父に「オレじゃねえよ」、少女が仲間に「キノコ食ったんじゃないの」、こんな口汚いテレビ言葉やこれをマネる若者にヘキエキしている身には何とさわやかに響くことか。この「マニュアル語」こそが崩れてゆく美しい日本語の最後の砦かも知れぬ。これがない時の目を覆うばかりの悲惨さを思ってしまう。「もちろん御社が第一希望です。常に業界をりードする積極的な企業姿勢に共感しています。それに私は小さい頃から御社の製品のファンでした。ぜひ御社で働かせて頂き業績を上げたいと思います」入社試験面接マニュアル本にある良い解答の例である。こんなことを臆面もなく言わないと会社は人を取らないのであろうか。それにしても、それまでは教授に「先生、ソレやべえっすよ」などと言ってきたのにいきなり「御社」とか「貴行(貴公ではない、銀行の場合)」とか「積極的な性格で体力にも自信がありまして」などと言うなど、あまりに不自然で学生は実に気の毒だ。しかも、こんなことを一生懸命覚えても、「マニュアル人間は通用しない」などとそのマニュアル本に書いてあったりするのだから…、本当に。そこで「学生時代は3ヶ月インドを放浪してみました」とか「ホノルルマラソンに出て完走しました」などと独自性を売りこもうとすると、他の本に「それ自体がもうマニュアルだ!」などと出ている。面接の時にこう言えるためにインド旅行やホノルルマラソンに参加する学生もいるらしい。かわいそうな学生たち!「重く受け止めさせて頂きます」「事実関係を確認してないのでコメントできません」「十分に検討し善処します」エライ人たちの訳のわからぬこんなマニュアル語もウンザリ、サギ商法や新興宗教の勧誘マニュアルももうたくさん。マニュアル語はあの明るく楽しい「いらっしゃいませ!」だけでいい、からかいがいがあるもの。励ましのクリックを
2009.10.23
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「自分探し」という言葉がある。「私」あるいは「僕」とはなにか? いまの時代、自分が見えにくくなっているということだろう。しかし、いくら自分を分析してみても心は癒されない。分析は基本的に脳内でする作業であり、いくらしてみたところで心を満たしてはくれない。自分とはなにかをつかみたければ、頭で自分を分析するのではなく、自らの感情とつながることを覚えなければならないが、感情でさえ頭で説明しようとする人が増えているようだ。怒りを覚えても、それをストレートに表現しようとせず、言葉で怒っていることを説明しようとする人。相手に不満を感じていても、それを素直に言わずに、二人の性格の違いなどを、とうとうとしゃべりだす人。反対意見をどうどうと言わずに、正義とか、建前という衣に包んで、それとなく自分の感情を伝えようとする人。なぜこんなにも人間は頭でっかちになってしまったのだろう。知性偏重の風潮がそのことに一役買っていることは間違いない。傷つくことへの恐れが、頭の異常発達を引きおこしているふしもある。傷ついてもいいではないか、喜怒哀楽があるから生きているということだ。傷つけあっていこう、癒しあっていこう。それが生きているということだから…。励ましのクリックを
2009.10.22
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新谷弘実という、消化器の内視鏡による診断と手術が専門の外科医による「病気にならない生き方」という本が大ベストセラーになっているという。癌になった経験を持つ友人の薦めで、読んでみた。著者は、内視鏡による手術については世界的権威だということで、その肩書きが脳裏の片隅にあるものだから、書かれている内容についてついつい頷きながら読んでしまうのだが、そのなかにある幾つかにはどことなく違和感を感じてならなかった。例えば「牛乳を飲むとカルシウムの尿中への排出が促進されて、骨粗しょう症の原因になる」というようなことが書いてあった。僕は、医学については専門家ではないので、その内容のどこが本当でどこが間違っているというような論評はできない。しかし、以前読んだ世界一長寿者のことについて書かれた本があるので、それを引っ張り出してきて読んでみた。神話などには数百年も生きた神様のことがでてくるが、これは生身の人間として確認されている世界一の長寿者といわれたシラリ翁(昭和48年9月3日のNHKの報道では168才で死亡したと報道された)のことである。その翁は、シラリ・ババ・ミスリモフという名で、1805年5月23日、ソ連邦コーカサス山脈の中腹(標高1500メートル)にあるバフザブ村に生れた人である。当時のソ連医学者の調査によると、身長は175センチ、体重は62キロ、脈拍70―72、血圧最高210、最低75で、過去160年間一度も医者の世話になったことがないという、医者泣かせの人であったとのこと。その奥さんは3度目の人、夫婦仲は円満で、息子13人、娘10人という子沢山で、その孫子を数えると200人を超えるというから大変なものである。興味深いのは、末の娘がその時34才というから、翁が132才のときの子供ということになり、男の生殖能力の限界を考えるうえでも注目に価する記録であるし、勇気を与えられる。(って、今から子供をつくる気はないが…)翁は、毎朝6時に起床し、1~2時間の散歩をして帰ると、自家製のクミス(乳製品)を飲む。そして、朝食にはパンと馬乳の軽いものをとる。午前中は、リンゴ園での軽労働を行ない、冬には薪割りなど肉体労働をして過す。昼食には、生野菜をたくさん食べ、その後でクミスを飲む。午後は散歩の時間として毎日2~3キロ、孫やひ孫と散歩を楽しむ。夕食には、鳥肉やマトンのような動物性蛋白質をとり、食後にはクミスを忘れず飲む。この食生活に見るように、生野菜や動物性蛋白質をよく摂取し、クミスを忘れずに飲むことが、健康長寿の秘密を解くカギかも知れない。ということは新谷先生の、牛乳やヨーグルトは骨粗鬆症になり寿命を縮めるという説とは矛盾することになる。また、翁の精神生活面を見ると、おおらかで、楽天的な性格の持ち主であったということだ。至極おだやかな精神面を持ち、かんしゃくを起したり、いらいらしたり、他人をうらやんだりしている姿を見たことがないと、村人たちが語っていたそうである。「長寿の秘訣」を質問すると、いつも、何といってもバフザブ村の空気のきれいなこと、水が良いこと。更に大事なことは、骨惜しみしないで働くことだと答え、勤労の喜びに感謝しているといった。ちなみに、クミスは馬乳を発酵させて作るヨーグルトのような飲物で、ドロッとした白色の液体だそうだ。コーカサス地方ではクミスの別名を「生命の泉」と呼び、長寿であるためには不可欠の飲物とされている。シラリ翁が医学的な健康管理の専門知識を身につけていたとは思えないが、その生活が偶然か必然か、体調に合致した良い生活環境、生活習慣作りにつながっていたのであろう。まとめると、その永い寿命を全うした秘訣は、骨惜しみせず肉体労働を継続し、散歩を含め全身運動を続け、神経系統は楽天的におおらかな生き方をこころがけ、100歳を越えてもSEXを怠ることなく(^^;)、常に現役としての機能を保つように心がけることだろう。というようなことが書かれていたが、そこまでして100歳以上も生きることに価値があるのだろうか、などと考えてしまう僕にはとうてい無理なようであるが、よいこの皆さんはどうぞお試しくだされ。励ましのクリックを
2009.10.21
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昨日の日記で皆さんにご心配をお掛けしてしまいました。友人の死が辛く悲しかったことは事実ですが、自分のなかで引きずることはありません。添えた詩も、一時的な気持ちとしてはそれに近いものをもっても、詩の内容はあくまで文芸としての表現上の誇張であって、実際に自分の死などと結びつけて考えていたわけではないことはご承知おきください。気持ちとしては、彼の写真を常に見ることができるような常設の施設がどこかにできないものか模索してみようなどと考えているところです。といっても、「色男金と力は……」といった体ですから、またどなたかに相談してみようと思っています。しかし皆さんの温かいコメントで、誰もが感じる個人的な哀しみを、うなずき、深く悲しんで貰えるということが、自分にとって大きな癒しになることを知りました。哀しみをともに感じて、他人の悲しみに涙することによって浄化されていくものがある、いわば悲しみの共同体とでもいえるものかも知れません。人の心の底に流れている共同体のようなもので、人と人とは結びついていくものだなと思います。「悲しみの共同体」の一員であることを感じ合うことで、お互いの思いはそこに循環するのです。相手のことをわかってやれたり、自分をわかってもらえる。そうした動機づけをくれた皆さんに感謝します。明日から、またしょうもないことでも書いて、「苦笑であったり、喜びの共同体」でもありたいと思います。今朝、夜の明けきらない空を見上げたらオリオン座流星群の流れ星が次々に流れてゆきました。この世には、悲しみも喜びも星の数ほどあって、これが生きるということなのだなと…。励ましのクリックを
2009.10.20
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ちょっと、いや、だいぶ落ち込んでいます。僕はどちらかといえば楽天的な性格ですが、正直まいっています。というのは、友人の山岳カメラマンの中山秀幸さんが47歳という若さで死んでしまったからです。脳腫瘍でしたから世間体的にいえば死んでもあたりまえのことかも知れません。昨年、仕事でボリビアに撮影旅行に行く寸前に腫瘍が発見され、手術を受け、摘出できたと聞いてほっとしていたのです。辛いといわれる、抗がん剤や放射線治療などに耐え、痩せこけた身体ながら今年になって仕事に復帰して、秋には山に行けるかなぁなどと言っていたんです。それが、7月に再発そしてこの16日に死んでしまいました。再発してからも彼は病院に行きませんでした。化学治療をしても見込みないと判断し、残された時間を家族と過ごすことに決めました。奥さんは僕の文芸仲間で、僕の個人誌にも書いていました。文芸どころではなくなり休んでいましたが、底抜けに明るくて前向きな女性です。そのふたりには小学校一年生の男の子と保育園に通う女の子という子どもがいます。どなたからかに勧められた音楽療法とかで、二週間ほど前にお邪魔したときも大きな音で聴いていました。音で治るのか?とは思いましたが、一縷ののぞみをもってやっていることにそんな疑問は言えません。葬式には彼の作品が幾つか飾られていました。このトップの写真も彼が撮影したものです。「山と渓谷社」の来年のカレンダーにも、ダイアリーの表紙にも中山さんの写真が使われています。昨年まではカメラメーカーのニコンのHPにも彼の写真が使われていました。葬式では弔辞を読んできました。弔辞を読むのは今年2度目です。そちらの人も人生の恩人ともいえる大切な人でした。かけがえのない人が僕より先に逝くのはたまりません。どうでもいい僕が生き残って、大切な人たちが先に逝ってしまう。こういうのはほんとうに堪えます。つぎの僕の詩は彼を意識して書いたわけではありません。夢のなかにこんなに静かでさびしい夜にぼくは目覚めてしまった生きるとは死んでゆくこと冷え冷えと 夜がささやくさっきまで鳴いていたコオロギたちがいっせいにどこかに消えてしまったすべてを無言にした秋の夜更けたいせつなひとを またひとり神様は盗んでいったあのひとを返せ あのひとを返せ夢の中で 何度も何度も さけんださけびごえが ぼくを揺り起こした想いでの日々は 盗まれてゆくうつくしい日々は 盗まれてゆくそれは 若き日の母のおもかげ 逞しい父のあこがれ生きのこったぼくはつめたい布団にくるまってからだをまるめた温もりのなかに自分のいのちを抱きながらみにくくなって 生きてゆくさなぎになって 生きてゆくぼくは いつまで耐えてゆけるだろうながいながい夜のしじまの未来という暗闇に眼をこらすそこには 僕の孤独がころがりながら墜ちてゆく醜くみにくく 墜ちてゆく 夢のなかに 墜ちてゆくどこに隠れていたのか コオロギたちが長い夜のしじまにむかって 一斉に鳴きだした励ましのクリックを
2009.10.19
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今日の午前、借りていた本を返そうと図書館に行ってきました。市立図書館の庭を抜けて建物に入ろうとしたときに、5歳くらいだろうか小さな女の子を連れたブラジル人らしい家族がいました。用を足し帰ろうとするときも、その家族はまだその付近のベンチに腰掛けていました。庭の生け垣に囲まれた小春日和のなかで日向ぼっこをしていたのでしょうか。当地もひと頃は日系ブラジル人が大勢いましたが、この不況でずいぶん少なくなりました。この家族は平日の昼間にいるということは、仕事にあぶれているのでしょうか。女の子は垣根の間と両親のあいだを行ったり来たりしながら、くったくなく遊んでいます。その仕草がとても愛らしくて、おもわずそこにたたずみ見つめていると僕の方を向いて、ニコッと笑いかけました。僕は車に、人から貰ったリンゴがあることを思い出しました。車からリンゴをもってきて、女の子に差し出しました。女の子はちょっと躊躇して、ベンチにいた両親のほうを振り向きました。僕はリンゴを両親のところにもっていき、「おいしいと思いますからどうぞ」と押しつけるように手渡しました。父親が「アリガトウゴザイマス」と言って受けとると、自分のズボンでぬぐい、女の子に食べなさいというように持たせました。女の子はひと口囓ると「オイシイ」と微笑み、母親に差し出しました。リンゴを受け取った母親はその上からやはりひと口囓り、女の子に返します。すると女の子はまたひと口囓ると父親に差し出し、父親もひと口囓って女の子に返すのです。たったひとつのリンゴを分け合って食べている姿が微笑ましくて、なんだか胸が熱くなってくるものを感じ、車にのっていた全部のリンゴをもってきて、家族に渡してその場を離れました。ほんとうはここで、経済の調整弁として使われている雇用ということについて語るべきでしょうが、それはここでは空々しく思えてしまいます。社会の大きなうねりのなかで、吹きっさらしに追いやられても、愛情をわかちあって生きらる家族という支えがあるかぎり、この女の子も強く生きてゆくのではないかと願わずにいられませんでした。励ましのクリックを
2009.10.16
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ある工房をやっている知人を訪ねた。そこで修行している若い女性がお茶を運んできて、お相手をしてくれた。お茶をご馳走になりながら、彼女のめりはりのきいた言葉遣いの美しさに目を見張り、一目惚れした。いや、恋情を抱くとかそういうものではなく、彼女の日本語というか人柄に対してである。普通のギャルなら「ええ? そんなア、ママとかもそういってるしィ、がんばれみたいな? ウン」というような会話がでるのだが「イエ、そんなことはございません。母も応援すると申してしてくれております」という感じだ。彼女は、ここでの師弟関係なり自分でなりにこの言葉遣いを「習得」したのだろう。これは「生まれつき」ではないのだ。幼児の頃から日本語で話している僕たちは日本語会話を習うことはない。学校で漢字や文法は習い、また「聞き取り」や「読み取り」も必要だ。最近では皆の前での短いスピーチなども学習課程に入っているようだ。しかし、日本語会話を教えられることはない。必要はないのか?「ゲーセンでェ、会ったらァ、ヤッベェじゃん、けど、ウン、そうかなみたいな」「そうすか、行ったすよ、もうスゲェッすよやっぱ」「保育園の父母会とか出ましたらぁ、役員の番ということでぇ、あれってみんなやるんですかぁ」むろん言葉も会話も世につれ変わっていくものだ。例の「食べれる、見れる」の「ら抜きことば」も今や普通で、これを今更いっても始まらないかも知れない。話し言葉は生きものだし、上から目線で押しつけるようなことはできないし、すべきでもない………のか?例えば、歩き方にもいろいろある。ガニマタで歩く、ドスドスと外またに歩く、背中を丸めショボショボと歩く、どれも個性だ、尊重すべきだ、干渉すべきではない……のか? (自分のことはさておいて)わが子であれば干渉する。堂々とした、あるいは美しい歩き方があることに気づかない、あるいは身についていないのはどうしてもソンであるし、動作としての機能性も欠ける。これは「教育」ではないのか。気づいた上で、自分はどうしてもガニマタで歩きたいというなら、かまうことはないが…。「ことば」の主な機能は「伝える」だろうが、この「伝える」の中で「話す」と「書く」の割合はどのくらいだろうか。日常生活の中で「会話」は「書く」ことの100倍や千倍以上になるだろう。この「千」の方に全く教育がなく、「1」の方だけが教育の対象とされてきたのではないか。漢字の筆順だとかハネだとかは細かく教えるが、会話の言葉遣いやTPOなどは学校で教えない。いや、僕にしてもできていない。外国人が最も苦労するという日本語会話の「尊敬語」「丁寧語」「謙譲語」だってどれがどうだ、とは教科書で習うし試験にも出るが、実際にそれを使いこなしてみる「会話」という授業は皆無なのではないだろうか。それでも教師と生徒という立場なら、ふだんの会話の中でこれらが身に付くはずだ、と思うのだが、実情は生徒の教師への言葉遺いには友達との区別がほとんどないし、教師も注意しない。たまにとってつけたように「です」がつくぐらいだ。かくて、目上、目下の区別もない、時と場合もわきまえない、何をいっているかもわからない、どこで終わったかさえハッキリしない、ダラダラ、ズルズルした「会話」が日本中にはびこることになったのではないか。このように書くと「じゃあ、お前の会話はどうだ」とか「そこまで管理する必要あるのか」という言葉がどこからかでてきそうだ。しかし、正しい日本語を正しく使うだけで、ごく普通の容姿の女性が一段と輝いてみえるのを目の当たりにして、日本語教育に「会話」というカテゴリーをいれるべきではないかと、強く感じたのである。励ましのクリックを
2009.10.15
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昨夜は田中康夫氏との懇親の会があったので、久しぶりに選挙後の様子などを聞いてきた。それと、当地で気になっているダム建設についての見通しなども聞いてきた。長野県は民主党が強く、今回の選挙では5選挙区すべてを独占した。だから希望がもてるかというと、残念ながら期待はしていない。これまでも、単に自民党から出る枠がないから民主党から出馬したという程度の人も多かったし、公共事業なども国の計画を追認するだけというのが実情だった。だから、長野県内のダム建設計画にはむしろ賛成の立場をとってきた。と、ここまで書きと「お前は、とにかくダム反対ありきだから」という人がいるがそうではない。ダムによって電気がつくられ、洪水被害が軽減され、灌漑が進んだという利便性はこれまでも認めており、工事による土建関係への莫大な費用投下により雇用や景気対策にも一定の効果があっただろうことは理解できる。そうしたことにより、視界が開けたと思う山村もあったことだろう。それらをすべて否定するものではない。しかし、とめどもなく上流へ上流へと造り続ける必要があるかと考えると、やはりダムは必要最低限にとどめなければならない。ダムにより湖底に沈む自然はほぼ死の世界となり、そこに延々と繰り広げられていた動植物たちの自然の営みを壊滅させることになる。また、川をたどって行き来していたウナギなどの魚類の生存も脅かすことになる。近年、海岸線の砂浜が減少しているのもダムにより砂の流出が妨げられた結果だ。造らずにすむものはなるべく無くすべきだ。結果として、財政の節約にもなる。そうして浮いた予算で、学校の耐震化工事をすすめたり福祉関係のインフラを充実させたほうがいい、というのは僕らの一般的認識であり、田中氏にも共通している。現在民主党がすすめているのは、マニュフェストに掲げた公約の実現ではあるが、マニュフェストだけなぞればいいというわけではない。マニュフェストに書かれていないものについても、政策、理念に添って実行していかなければならないが、現在の民主党政権のやり方はマニュフェストに載せたものの実行だけに向いているのではないか、政策や理念がともなっていないのではないか、とも。もちろん、田中康夫氏のことだからもっと生々しい話しもたくさん話したが、ここですべてを書くことは控えたい。財界・経団連はもちろん、労働組合や宗教団体しかり、さまざまな圧力団体にひきづられない政党をつくってゆくことが大事ではないかということについては、僕も同感するところだ。あくまでフリーの立場ではあるが、ダム計画については今後も連携を保ってゆきたい。励ましのクリックを
2009.10.15
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「前略。大学に入って一年、私もようやく都会の個独に慣れました。」だいぶ前になるが、大学の「文学部」に入った娘からの手紙の一行。オイオイ、なにか違わないかと思ったものだが、入試などでも「危機一発」や「異句同音」などとともに時折ある誤答らしい。かくいう僕も、鉛筆で文字を書かなくなって漢字をかなり喪失してしまったから、笑えない。しかし手紙を読んだとき、正確には「孤」であるが、「個」という文字のほうが正しいような何か強いものが感じられた。目をつぶって考えてみるとただの「孤―ひとりぼっち」から、家族から離れた「個―ひとり」になっていると感じられる。「ひとりぼっち」から「ひとり」へ。「ぼっち」というさびしさがとれた分だけ強くなっているのだ。「個独」は「個」でありかつ「独」である。「清浄」「温暖」「朋友」などと同じく同義の字を重ねる熟語として、はじめからあったとしても不自然ではない。かつ、「個」は「個人」「個性」、また「独」は「独立」「独自」「独創」であり、「個独」は「独立した個人」、「独自の個性」を表わす、としてもよい。いずれにせよ「孤独」のさびしさとは大ちがいである。とかく日本人は群れたがる。団体旅行もやくざの組も群れているから安心できる。外国では、「強くなくては男じゃない」とおなじく、「群れてなくては日本人ではない」らしいのだ。聖徳太子が「和をもって貴しとなす」といって以来、国の名前が「大和」だったし、どこかの会社にも「和」という額がぶら下がっていたし、わが日本国の大いなる徳目はとにかく「和」なのだ。みんな集まって群れてこそ「和気あいあい」ができるのだ。この「和」というわが国で最大の価値は「群れること」を前提としているのだ。人口過密なる島国の必然的な知恵なのだろうか。だが、いくら安心して群れていても、自分から群れを離れるか、群れを追い出されるかでいつかはひとりになる時がくる。また群れの中にいても、あるいは群れの中にいるつもりでも、少しつきつめれば「ひとり」だとわかる時がある。その時に「孤独」になるか「個独」になるか、これが勝負だと思う。「群れ」に経済的のみならず時問的にも心情的にもすべてを託してしまっている人は、その時「孤独」にならざるを得ないだろう。もうだいぶ昔のことになるが、ある月刊誌でこんなニュースのエピソードを読んだことがある。ゴルバチョフがソ連共産党の書記長になり地方の幹部会に出席したときのことだ。生産はこんなに伸びている、治安はこんなにいい、生活程度はこんなに上っているという良いことづくめの報告が続く途中、彼は何気ない口調で口をはさんだ。「よし分った、もういい。ではこれから本当の数字を聞かせて貰おう」驚きあわてる地方幹部たち、モスクワから随行した人々もとりなすやら耳打ちし合うやらなにやらで右往左往、その中でゴルバチョフだけは静かに座っている。その表情を記事の写真で見たとき、ちょっと鳥肌が立つような興奮を覚えていた。その時彼はすさまじいほど孤独だったにちがいない。しかし彼には力が満ちていた。「個独」だったのだ。そしてその巨大な「個独」はソ連のみならず、世界の枠組みを根底から変える原動力となった。オバマは核廃絶で「個独」に耐えられるだろうか。僕らも「個独」をめざしてもいいし、めざさなければならぬ時があると思った。今のニッポンにはあまりに「個独」な人が少ないのではないか。和して同ぜずならまだしも付和雷同、同して和せずのワイワイ仲間ででき上っていたのがわがニッポンの社会だ。長野県知事だった田中康夫にもこの「個独」を強く感じたものだ。長野県民にとって好くも悪くも「個独」のイメージが彼の政治家としての存在感であった。僕は、ゴルバチョフの個独に通じるものを彼に感じていた。日本の中でこの「個独」とは納豆の中に固い小石が入ったようなもので、排除されるべき存在という風潮がこれまでの日本社会であり、政治だったのかも知れない。しかし歯を食いしばって「孤独」に耐え、より強い精神が安らぐことのできる「個独」をわがものとしなければならない時もあるはずなのだ。民主党が、60年にわたった自民党政治のなかで溜まった膿をさらけだそうとしていることはおおいに良しとしたい。しかし正念場はこれから訪れる歪みとの戦いだろう。とことん切り詰めた予算の中で政治を行ってゆけば、早晩さまざまなところで軋轢を生み、マスコミも国民のなかからも批判の声が湧き起こってくることだろう。ゾンビのような政治勢力も鎌首をもたげてくることだろう。それに迎合せずに「個独」を貫いて、膿を出し切ることができるかどうか、そこに僕は民主党の政治がホンモノか否かを見たいと思う。ところでその後の娘はたくましく生きている。なぜなら娘は「孤独」ではなく「個独」を体験してきているからだ。(親バカと言いたくば言え、笑え)励ましのクリックを
2009.10.13
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台風の後は好天に恵まれ、忙しい日々でした。そんなこんなで、今日はとても眠いのです。ということでいつか聞いた昔話でもつらつらと…。昔々、あるところに、食通で有名なお殿様がいました。その殿様は「食べるために生きているようなもの」と言われるほど、毎日の食事や宴会にこだわっていたのです。そしてある時、「最高の料理を作ってみせた者に、小判100枚をとらせよう」というお触れを出しました。すると、腕自慢の料理人たちが何人も名乗りを上げました。そこで殿様は、それから二ヵ月のあいだ、3日もあけずにその料理を食べてまわったのです。さて、この料理コンクールも終わりに近づいたころ、ひとりの老人が城にやってきてこう言いました。「コンクールのことを聞きおよび、山奥から出てまいりました。私が知っているある宿屋では、陛下がこれまで召しあがったことのないようなおいしい料理を出します。お望みとあれば、この私がご案内いたしましょう」これを聞いて、殿様がじっとしていられるわけがありません。さっそくいそいそと馬にまたがり、この老人に案内させることにしました。ところがおどろいたことに、老人の馬は勢いよく駆けだすと、そのまま全速力でどこまでも走りつづけるではありませんか。なんと半日たっても、歩をゆるめる気配さえ見せません。殿様はこれを必死で追いかけながら、何度も「まだ遠いのか?」と聞きました。すると老人はそのたびに、「どうかご辛抱ください。とにかくすばらしい料理が待っておりますから…」とくりかえすばかりです。殿様はこんなに遠出をしたことはありませんでした。けれども老人はまだ先へ行きます。2頭の馬は平原を突っきり、丘を越え、川の浅瀬をわたり、やがて山道に入りました。「もうすぐでございますぞ!」と老人が言いました。「宿屋はこの山の上にございます。もう少しのご辛抱。よもや後悔なさることはありますまい」さらに何時間か行くと、山の中腹にぽつんと小屋らしきものが見えてきました。王さまも馬を降り、手綱を引きながら山道を登っていかなければなりませんでした。そうしてようやくその小屋にたどりついた時、殿様は汗びっしょりで、文字通りおなかが空いて死にそうになっていました。小屋の壁は荒れはてていましたが、それも気にならないほどおなかがぺこぺこだったのです。「さあ、あと数分のご辛抱ですぞ。すぐかまどに火を入れますから」と老人は言いました。「なんじやと!」殿様は叫びました。「ではおまえが料理するのか? 助手はおらんのか? 皿洗いはどこじゃ!世をだましたのか!」「まあそうおっしゃらずにお待ちください」老人は平然と答えました。「くる途中でキノコを摘みました。これはおすすめですぞ」殿様は開いた□がふさがりませんでした。こんな無礼な話は聞いたこともありません。でも、もうおなかが空きすぎて、それ以上腹をたてる元気もありません。そこへ、釜の吹きこぼれる音をたてるのを聞き、ごはんのいい匂いがただよってくるのをかぎながらじっと待ちました。老人はキノコ入り釜飯を作っていたのです。こうしてようやくきのこご飯にありついた殿様は、もう評価などつけるまでもなく、それがこれまでで最高の料理だと思いました。なぜなら、殿様は生まれてはじめて本当におなかが空いたところに、ご飯を食べたのですから…。誰でもお腹が空いてから食べる料理がいちばん。その山の宿ですが、いずれそんな老人になる日を夢見たヘンクツ男が、客を連れ回しては腹の空くのを待っているとかいないとか。この連休に、みずぼらしい宿にお腹をすかせて訪ねてくださったブログ友だちの方、ありがとう。励ましのクリックを
2009.10.12
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「私を通り過ぎていったオンナたち」というわけではありませんが、知多半島から入った台風18号は信州も貫くように通り過ぎて行きましたが、幸いアルプスら囲まれた地形ゆえ、当地はたいした被害もなくてすみました。しかし、知人の果樹農家は収穫間際の林檎が3割以上も落ちてしまったと嘆いていました。その林檎はジュースに加工しますので、どうぞお買い上げ下さい。* 僕の発行している文芸誌の仲間Kさんは40歳代の女性。川柳を初めて4年ほどになるだろうか、寄せられた作品に触れるとき、いつも胸のどこかに小さな痛みを覚える。彼女は肺がんという病気を抱えている。しかし僕はその病状については一度も聞いたことがない。医師でない僕が聞いたところで的確なアドバイスなどできないし、空々しい励ましの言葉など聞きたくもないだろう。ただ、彼女の作品を大勢の人に読んでいただき、川柳を書くことへの励みにして貰うことはできる。彼女の作品に触発され、生きる苦しみや哀しみを、生きる喜びや楽しみを、書き続けることへの希望へと繋げてゆくことが僕のできる応援だと思っている。ここに採り上げた句はすべてKさんの川柳である。タイトルの句、神様が「ごめん」と彼女に謝りにきたという。「病気をすぐに治してあげれなくて、ごめん」と謝ったとでもいうのだろうか、僕のように何の役にも立てないことをわびたのだろうか。明日も今日でありますようにおつきさま明日は明日、今日とはちがう希望の日でありたい。しかし、彼女は明日も今日のように平穏な日であってほしいとお月様にねがう。それに対して、僕は今日が辛く苦しい一日であったら、明日もおなじ苦しみを味わいたくないと思う。しかし、そんなことでさえ贅沢な言い分かも知れない。苦しみも哀しみもふくめての今が、人間として生きているということだから…。遠くなら見える近くなら聞こえる慰めてくれるのは病室から眺める景色だろうか、それとも手を握ってくれている家族だろうか。わが身におこっている試練、明日への不安に怯えながら、いま自分を慰めてくれるものへ縋る気持ちになるのだろうか。泣きやんでからかあさんがちょっと泣く何んでわたしがこんな目にあわなければならないの、何で、いまなの……。思いきり甘えられるのは肉親だけ。思いきり泣いて、病気を洗い流せたようで、ちょっとだけすっきりした。「しっかりおし!」と私の背中をさすってくれたお母さん、大丈夫私は負けない。ゴメンね、一緒に泣かせてしまって。渡ってはいけない場所に架かる橋橋の向こうには花園があるという。そう信じて何人もの人がその橋を渡ってしまった。そうして、二度と帰ってこなかった。橋の向こうから、たとえ誰がん呼んでも渡ってはいけない。もっともっと、僕を困まらせ続けてほしい。わるいことたくさんたのしいことたくさんいいだろう、わるいことしなさい。たのしいことしなさい。あなたがやることなら、どんなことでも許してあげよう。貸して貸してもっとやさしいひと貸してそんなこと言っても、僕が貸してあげられる人といったらロクでなしばかりだものなぁ。そうだ、いっそ僕…。えっ、僕じゃもっとダメ。じゃあしかたがない、あの人に頼んでみるよ。↓↓↓↓↓↓↓↓励ましのクリックを
2009.10.09
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自分自身を鏡で見て、20代、30代の頃とは人相が変わっていることにようやく気づき始めているのだが、アルバムを持ち出すとそれは歴然としてわかります。当時の若々しい顔は、今見ると青くて頼りなさげで、いうなれば気色さえワルイのです(自分の若さに妬いてどうする。笑)思えば団塊の世代に生まれた我々は、昔でいったらすっかり老人の世代に入っています。この10日には小学校時代の同級会があるというのですが、欠席の返事を出しました。週末には来客があることもひとつの理由ですが、同級会というのはイヤでも年齢を意識せざるを得ないんですね。(こちらから見ると)あの老人たちと実は同じ歳なんだと思い知らされるわけです。(笑)また、田舎の人たちの話題がいつも年よりくさい(笑)。孫の話題、身体のこと、米や野菜の出来具合(そんなもの、農協に行って話せ)といったことばかり。これを読んでいたら言ってあげたいのですが、自分からわざわざ、年よりになりたがっているのではないかと…。僕はいつも、彼らより10歳は若いと思っています。健康診断も済んだばかりだし…。まだ10年は、冒険も恋もできる。(誰だ、笑うのは!)ましてや100歳まで生きようとしたら、気が遠くなる。(爆)それでこの歳になって、姜尚中(カンサンジュン)の『悩む力』などという本を読んでいるのです。(笑)その中で書いてあることですが、姜尚中氏も57歳という歳を意識しているということなんです。漱石が亡くなったのは50歳、ウェーバーは56歳ですから、気づいてみれば、すでに彼らの年を越えてしまっています。私にとって彼らは大先輩であり、どう考えても年下とは思えません。何か軽いショックのようなものを受けたりもします。 そうなのです。彼らは意外と若かったー。彼らの意外な若さに驚くのは私だけではないと思います。それは、いまの人びとの多くが実年齢より低年齢化していることのあらわれでもあります。周囲にもし漱石と同じ50歳の人がいたら、較べてみてください。おそらくその人は漱石のように「達観」などしておらず、「煩悩の塊」であるはずです。 一方で、日本は「超高齢社会」時代を迎えたと言われています。「老人介護問題」や「老いの過ごし方」のノウハウ、あるいは「団塊世代の大量定年」「早期退職と再就職」のことなど、エイジング(老い)に開する話題がかまびすしい今日このごろです。 エイジングとはいったい何なのか。それを考えずして、「いま」という時代は語れません。などと書いています。現代を生きている私たちの「老い」は、百年前の漱石たちの時代の「老い」とは決定的に異質なものになっていると思います。まず、従来イメージされてきた老いと現在の状況を比較してみましょう。「老い」で思い浮かぶのは、肉体の衰えや思考力の低下についてです。これはいまも相変わらずそうだと思います。しかし、食習慣や高度医療、あるいはいろいろな文化的ファクターのせいでしょう、いまのシルバー世代は昔の同じ世代より格段に若くなっています。少し前は60歳定年が当たり前でしたが、いまの60歳は精神的にも肉体的にも隠居するには早すぎます。次に思い浮かぶのは、老人は「分別」する力を持ち、「老成」した賢さを備えているというイメージです。しかし、いまの老人はそういう感じでもありません。また、われわれの世代が10年、20年後に、分別のある賢い老人になっているだろうかと考えると、たぶんそうはなっていないと思います。そして、かつて老人は「枯淡」なものであり、妙な色気を持ってはいけないとされてきました。逸脱すると「年甲斐もない」と軽蔑の目を向けられました。ちなみに漱石は、父が51歳、母が42歳というかなり遅い年齢で生まれた子で、それゆえに「恥」として里子に出された経験を持っています。このことは漱石の心に大きなトラウマを残したのですが、これを見ても、当時の人の考え方がよくわかります。しかし、現代では、かなりの高齢者にも恋愛があり、セックスがあります。「老人の性」はもはや当たり前という時代です。そのように見ていくと、かつて言われていた「老人とは分別があり、老成していて、枯淡な存在である」というイメージは、現代においては、ほとんど崩れつつあると言えるでしょう。「長老」という言葉があるように、従来、老人の知恵というものは社会にとって貴重な存在でした。政治の世界でも、「長老政治」というのはかなり重要な概念でした。しかし、日本にはもう優れた長老は出てこないだろうし、カリスマも出てこないだろうという気がしています。最近の地域作りなどでも力を発揮しているのは、「若者、バカ者、よそ者」だという言葉があり、実際そうだと思います。だから若者よ、これからの時代、頼れるものは自分たちなんだよ。歳をとっているだけで賢いものなどという幻想を抱くのはやめなさい。しかし、老人たちは枯れていないから歳よりだからなんて安心していると、いつ君の恋敵にヘンシンするかわからないよ。ましてや僕だって、10歳は若いんだから……。(笑)励ましのクリックを
2009.10.06
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昨日の記事で「無理心中」を書いたが、これは母親だけに特定したものではなく、父親であってもいえることだ。卑怯な行為で、本人の死についてはどんなに同情すべき点があっても、子を道連れにした時点で大悪人と見なされてしかたがないと僕は思う。と、これまではあまりに常識的な記述だったが、つらつら考えてみるに母親という存在は、人間的道徳観でははかれない部分もあるものだと(確信はないが)思っている。はるか昔の出来事だったが、すぐ近所で飼っていた犬の記憶が甦った。子供の頃、田舎では犬の放し飼いがあたりまえだった。すぐ近くの家で飼っていた犬も、わが家の犬かと思うくらいに遊びにきていた。その犬が、あるときわが家の物置小屋で出産をした。今となっては、産まれたのが何匹だったか忘れてしまったが、どうしたことか、産んだ子の幾つかが死産だった。初めのうちその子をいとおしそうになめていた犬は、いつまでも立ち上がらない子を突然に食ってしまった。文字どおり、母が子をのみこんだのである。それは小さかった僕にはとてもショッキングな出来事だった。あるいは、動物が産褥のものを食べて身体に戻すように、それも犬にとっては自然に添った摂理なのかも知れない。人間の母親は、肉体的に子をのみこんだりしないけれど、精神的な意味では、あらゆるものをのみこもうとする母という本能の否定的側面が存在するものかも知れない。このように書くと、人間と動物を一緒にして考えるとはなにごとかとお叱りを受けるかも知れないが、牛や山羊など草食動物でさえ、産褥のものを食べてしまう光景と何度か出会ってくると、はたして人間の記憶のなかにはそうしたDNAはないのかと考えてしまうのである。あるいは、母親のもつ「愛」とは、存在は人知を越えたところにあって存在するものだろうか。励ましのクリックを
2009.10.05
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千葉市緑区で7歳女児が首を刺され、母親はマンションから飛び降り自殺したという事件があった。それほど大きく扱われないが、親子の無理心中がいまだ跡を絶たない。哀れだ、不幸な家庭だ、他に解決策がなかったものか、報道の各論調はいつもこんな所だ。かなり分析的な論評でも社会のゆがみから生まれた悲劇、あたりでとどまっている。ちょっとおかしくはないか。心中とはたがいの合意のうえで死を選ぶというもので、殺された子供たちは死ぬことを納得して死んでいったのだろうか。これらの報道は「親が子を殺した殺人事件」という側面がスッポリ抜けているのではないだろうか。あとで親が自殺したとしても、それはひとりの(時に何人もの)命を奪うという罪を軽減するものではない。同じ殺人でも自分に害をなす者や憎むべき相手ではなく、自分を最も信頼しているはずの者を殺すのだから、その罪は一層重いのではないか。子は親の待ち物か所有物のような意識がどこかにあるのではないか。あくまで子は一個の独立した人格であり、親が行き詰まったからといって、子の可能性に満ちた長い前途を断つ理由になっていいはずがない。残した子が心配だといっても、それは身勝手というものだ。今の日本なら何とか生きてゆくすべはあるだろうし、親が居なくては残った子が不利というのも親の勝手な思い上がりというべきだろう。もっとつきつめれば、自分一人で死ぬのが恐くて、手軽なところから道連れを求めた身勝手者といえるのではないか。さて、この恐るべき殺人の犯罪性を薄めてみせているのが「無理心中」という言葉ではないだろうか。この「殺人」のイメージを、年のいかない少年や少女を殺すという冷酷無残な実態から「同情すべき哀れな事件」に変えてしまうのが、この言葉ではないか。「言霊」とは言葉のもつ霊妙な働きをいうが、この「無理心中」は、悪しき言霊を宿している。「心中」は複数の者が「合意」の上で共に自殺することだから、「無理」が付けば「心中」ではなく、この言葉自体が成立しないはずだ。「子殺し」を「親子ともどもの悲劇」に、「殺人者」を「悲劇の主人公」にすり替えている。時には子を「見捨てずに道連れに」して、共に死出の旅に出る、という美化にさえなってしまう。この言葉が何のチェックも受けずにこれまで放置されてきているおかげで、行き詰まった親の選択肢の中に「無理心中」が大きな位置を占め、「殺人」を希釈し「道連れ」という誘いをかける。結果、無理心中が跡を絶たないのだ。近年多くの言葉が「言葉狩り」にあい、一時の同和関係の飽くなき追求などからは全く消す必要のないものまで自主規制で消されているが、まずマスコミから抹殺すべきはこの語だと思う。この言葉の野放しによって、おそらく死ぬ必要の無かった何人もの子どもがその命を絶たれたことだろう。「無理心中」を「殺人」「実子殺人」などに替えるべきだ。死者にむち打つつもりはないが、悪しき言霊の習慣を断ち切るべきであろう。励ましのクリックを
2009.10.04
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次々回のオリンピックの開催地がブラジルのリオディジャネイロに決まって、大喜びするサポーターたちの様子が報じられていましたが、大胆ですね。半裸の男女が抱き合って強烈なキスを交わしているところなどもありました。日本人が同じことをしても、あれほどの明るい絵にはならないでしょう。たかがキス、されどキス。そこで今日はキスについて書いてみます。「口づけ=キス」については以前にも書いたテーマですが、リクエストが多いと思いますので(笑)。僕はこのテーマのときには、いつも黒井千次の『春の道標』のなかの一節を引き合いに出します。 明史は、唐突にりんごに囓りついた。ばしっと鳴って厚い皮が破れ、酸っぱい味が口を走った。「こっちから囓ったから……。」 彼は反対を向けてためらいがちにりんごを差し出した。いらない、と断られたら全部ひとりで食べねばならぬ、と考えながら。「ううん。そっちがいい。」 薄暗がりの中にぼんやり白く見える明史の囓り跡に口を重ねてりんごを噛む栞を感じた。顔を伏せて彼女のりんごを噛む音を彼は聴こうとした。 舞台の上を動く人物の足音が邪魔だった。彼は黙って手を出した。まだいくらも食べられていないりんごが返ってくる。彼女が新しく囓ったと思われる場所に深く歯をたてた。まるで彼女を食べているみたいだった。胸が激しく鳴ってりんごを呑みこむのが苦しかった。「少し、ちょうだい……。」栞の手がおずむずと伸びてくる。「全部、食べないで……。」 明史はその手にりんごをのせながら囁いた。自分の声はりんごの匂いがしてりんごの味がするに違いない、と思った。 彼女の口と同じ匂いで同じ味だ、と思った。いかがでしたでしょうか。もっと濃厚なキスシーンを期待していた皆さんには物足りなかったかも知れませんが、僕には今でもこんなキスともいえないキスがいいなぁと思うところがあります。10代頃の恋の清冽なエロスを映し出していると感じます。戦後間もないころ、今井正監督の映画『また、逢ふ日まで』で、岡田英次と久我美子がガラス越しのキッスをして大変な評判になったといいます。いまでは、そんなキスは単なる挨拶程度にしか受け止められないでしょう。今昔の感しきりです。少し古い話ですが、10年ほど前、男女高校生はキスをどう受けとめているかという調査があると教師をしている友人から聞きました。うろ覚えですが、高三になると、男子は2人に1人、女子は5人に2人が体験者という数字が出ていました。おそらく今ではもっと高い数値で、男女とも3人に2人くらいの確率にはなるでしょう。また、そのときの男女交際の許容度調査でも、「キス」の支持率は高く、男子80%、女子75%を示しています。興味深い点は、「キス」で高率を示した女子でも、さすがに「SEX」となると支持率は20%とダウンし、男子の40%との差を大きく広げていることです。女子のこの「キス」願望は、どこからくるのでしょうか。女の子は、ほとんどの人が、キスを性的なものより美しいものとか、おおげさにいえば神秘的なものに感じているのではないでしょうか。おたがいの愛を確かめ合う儀式のようなものに……。映画のキスシーンにしびれて憧れるってこともあるように…。「少女マンガの感化も大きいのかも知れません。現在は知りませんが、昔ガールフレンドに見せて貰っていた頃は、ハッピーエンドはキスで終わっていました。女の子は、好きな相手にはちょっとふれてみたい、そういう感情でキスに憧れるのだと思っているのでしょうか。しかし男の人にとっては、次に進むための第一段階にすぎないわけです。唇と唇が触れるということは、もっと深いところで触れあいたいという助走でしかないわけです。そういうことで、最初の『春の道標』に戻りますが、リンゴの歯形に自分の歯形を重ねるという行為が、すでにもっと深いところで触れあいたいという助走のスイッチを入れたということにほかならないのです。こうして、わけ知り顔で書けるようになるまであの時代からン十年も要したわけですから、僕も奥手といおうか…。励ましのクリックを
2009.10.03
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「ランチとかとかもできるかなとか思って…」はともかく、「親とかに行ってみたらといわれてとりあえずそうかなみたいな」とかいうので続きがあるのかと思って聞いていると、ない。話の区切りはついたらしいが何をいったのかよく分からない。日曜日などに若者たちが釣りや食事などをしに来てくれるので、お客さんだから笑顔では答えるのだが…。状況から判断するとどうやら「親にいわれて来てみようと思いました」といっているらしい。が、「親とか」では親を特定できず「そうかな」は「とりあえず」や「みたいな」まで付けているので「違うかな」の仮の姿かも知れない。不安になる。不安といらだちがミックスされて結局ニヤニヤ笑い、ナルホドなどといってしまう。これではならじともうひと押し。「すると親以外にもそう言う人がいるわけだな」「いえ、父とかひとりです」「……ナルホド」要するにすべてがあいまいだ。断言していない。自信がないからこうなる。軟弱だ。近頃の青少年の若ボケぶりがこの言葉だけでも分かるような。仕事は?「一応、学生やってます」。みたいなもある。「綺麗らしい、みたいな」。なんかも「なんかマジありえないんすけど」とか……。考えてみるとこの若ボケどもの言葉は、大人たちの常用ボカシ語の正統な後継者かも知れないとも思う。「どちらまで?」「ちょっとそこまで」「いずれそのうち」から「前向きに善処」「可及的すみやかに」「厳粛に受けとめます」等々…、会話をスムーズに運ぶのから実体のない約束まで、日本人は言葉の「ボカシ」の名人である。これまでは国のエライ人たちは率先して駆使してきたではないか。その大人たちが青少年のボカシ語に文句をつける資格などあるはずがない。しかしだ、だからフランスにいるbonbonusさんに「文化人類学に日本人は総合的に見て劣化してきています」などと断言されてしまうのでもあるのだが…。いや、むしろ(とひらき直り)ディベートではないが、こちら側から正当づけてみると、この「ボカシ語」はわが国独特の洗練された文化のひとつではなかろうかとも言える。奥床しく言葉の内容を包みこんで相手に渡す。いかにも上品ではないか。などというと、またどこかのご隠居に「そんな国際的非常識を後生大事にするから世界に負ける」などと叱責されそうだが、ここは日本で日本語で考えているからと…。ともかく、受け取る方も、そのボンヤリしたかたまりの中から敏感に核心をつきとめるわけで、いわば雲のようなものでできたボールで殿上人がフワリフワリと蹴鞠に興じていると思えばよいわけだ。殊勝なことに若者たちはこの雅びな日本の伝統を受継いでいるのだ。すばらしいではないか。とはいえ、「オジサントカご飯たべれます?」などと聞かれると「おれはオジサントカではない。只のオジサンだ。天上天下唯我独尊なのだ!」とか、とりあえずわけの分からぬ逆上をしてしまうみたいなカンジで……。ふぅ。励ましのクリックを
2009.10.02
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僕は今まで文芸のなかで、川柳という分野をおもにやっていました。いや、過去形にするにはまだ早いとは思いますが、川柳以外にもいろいろ気が多いものですから、結局あぶはちとらずでどれも中途半端な体たらくです。しかし、いろいろ手を染めてみると、どれも唯我独尊なところがあるなと見えてきます。NHKでよく趣味の講座みたいな番組がありますが、そういった番組を少し意識的に見ていますと、この国の文化のスタイルというものが見えてくるような気がします。たとえば「木彫入門」というのがありました。「今週は木彫をアレンジして、電気スタンドを作ってみましょう」というように、その道の先生が、胴体がメルヘンチックな人形になっていて、その上に電球がついてるようなのの作り方を延々説明するわけです。番組には必ず生徒がいて、「先生、この辺のカーブの具合は、こんなものでいいでしょうか」「いや、もうちょっと丸いほうがいいですね」なんてやるわけです。その「もっと丸いほうがいいという」理由は何かというと、それ、単に先生の好みなんじゃないかと思うのです。「俳句人門」などもかなり大胆で、応募作の字句を講師がどんどん替えてしまったりして、結果、句想まで変わってしまうことさえあり、けっこうあきれます。川柳でも本なんかの添削教室で、先生という人がけっこう大胆に添削し、まったくつまらない平凡な作品になっていることがよくあります。ここだけの話しですが、川柳は初めて5年くらいでピークを迎え、10年20年もたつと、たいていの人は枯渇してしまっているものなんです。ええ、ごく一部の達人はベツです。そういう人は先生にはならないんですね。まあ応募するほうもそれで納得しているんだから、どうでもいいんだけれど、いずれにしろ講師絶対の世界です。講師が言ったとおりに作らせる。基礎的な部分では最低限必要なものがあります。しかし、どこまでそのやり方を大胆に押し進めてゆくのに便利な、「すべては模倣から始まる」という言い方があります。この世界、最初は真似して覚えてゆく部分も確かにありますが、その講師たちが言っているのはそういうことではない。彼らが意識している、していないにかかわらず、言葉を換えれば模倣というのは自分を守るための手段なのです。模倣されている限り、自分が抜かれることはとりあえずないわけです。講師優位を保つ、なかなかいい言い回しなのです。それをさらに押し進めたのが、茶道・華道です。柔道も同じ「道」ですけれど、これはいかに先生に権威があっても、生徒のほうが独創性に富んだいいものができる場合があります。しかし、権威というものがそれが先生のものより優れているとは認めがたいのです。先生が死ぬ頃になって、ようやく「お前は師を超えた」などと重々しく言って、権威の延命をはかろうとしたりするものなのです。こんなこと言ってしまって、気をわるくする人もいるかな。フォローではないけれど、あんただけは立派!素晴らしい!誰も真似をしないもの。励ましのクリックを
2009.10.01
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