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「スプーンは私をかわいがるのがとてもうまい。ただし、それは私の体を、であって、心では決して、ない」 ・『ベッドタイムアイズ』「私は、かつて晩年を迎えたことがある。」 ・『晩年の子供』「涙は虫眼鏡の役目をはたして彼の爪を拡大させる。」 ・『2・4・7』山田詠美の書き出しの1行である。書店での立ち読みで、この書き出しに釣られてつい買ってしまった本が幾冊かあるが、「最初の一行さえ出てくれば、あとは書き上げられるという確信があるという。だから、本当に書きたくなる一行が発酵するのをじっと待つ」というほど、“一行”へのこだわりは強いが、実際に僕らも川柳をやっていると言うと「そこで一句!」と、座興のように求められることがあるが、実際のところたった一行の快心作を得るためにどれほど苦労をしていることか…。川柳の一行にくらべたらこんな文書のラクなこと…。山田の文体のたしかさ、表現力の豊かさや言語感覚の鋭さといった、優れた作品に備わるあらゆる要素が、書き出しのわずか数行に凝縮されている。作家としてのこうした素地は、天賦のものといっていいだろう。山田の作家経歴だけを見ると、順風一帆な人生を歩んできているかように見えるが、この間、数多くの紆余曲折があったようだ。明治大学に入学して、18歳から親元を離れ一人暮らしを始めるのだが、学費や生活費の仕送りも断り、アルバイトで生計を立てている。大学では漫画研究会に所属していたが、すでに在学中から本名の山田双葉名で作品を発表。大学を3年で中退し、漫画家として独り立ちしている。しかし、「絵が下手で、自分の才能に限界を感じたことや、編集者の注文に嫌気がさして」3年足らずで絵筆を投げる。その後、漫画家時代からはじめていたホステスやヌードモデルの仕事に就く。やがて、一人息子を抱える米黒人兵と同居。『ベッド タイム アイズ』の印象とも重なり、当時の経歴や私生活がセンセーショナルに報じられた。山田にとって、この時期の体験がその後の価値観や小説に及ぼした影響は小さくはない、という。「大学を中退したことで、逆に余りあるものを学んできた。風俗関係の女性たちと接することができたこともその一つ。世の中から偏見をもたれている人たちのありのままの姿を目の当たりにしてきたことで、かえって偏見のもつつまらなさや、本当に公平なものは何かを知った気がする」という。人の価値を地位や権力、財力で判断しないで、「心のあり方で決める」という姿勢は、自身の生き方にも、また小説にも色濃く反映されている。山田は、「18歳のときから全部、自分の判断で生きてきたけれど、どれも本当にやりたいことではなかった。山田は、小さいころから〈小説を書くべき私〉というのがわかっていて、でも、どうやってそれに近づいていけばいいのかわからない焦燥感に駆られた」という日日を送ったという。小説を書くべき“私”を意識していて、実はすでに19歳のときから、小説の執筆に手を染めていたのだ。「最初の10枚ぐらい書いては破り捨て、の繰り返し。まだまだ書き出しに自信がもてなかった」ところに目に入ったのが、作家・宇野千代がある雑誌に語った文章作法。「毎日それを読みながら作品を書き進め」、6年がかりで書き上げた小説が、応募総数653編の中から選考委員全員一致で選ばれた冒頭の一行の書き出しの『ベッド タイム アイズ』だった。時に26歳、作家・山田詠美が誕生した。「本当に書かなければ、という使命感をもったのは、ある男の子が事故で死んでしまったときから」という。応募する3年前のことだった。「自分がかかわった人間や出来事をただ記憶に留めるだけでなく、何か、の形に焼きつけておかなければ」という思いが、小さいころからの密かな願望とあいまって、作家の道を選び取らせたということだ。僕たちも、ブログにこうして書き留めておくのも「何か、の形に焼きつける」という作業でもあろう。蝶クリックを!
2009.02.28
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僕は文芸を趣味にしているが、もちろんプロではない。好きなことをしてお金を貰えるとなれば、それは理想でもあるが当然のことながら世間はそんなに甘くはない。だからせっせと言葉を浪費しながら遊んでいるわけだ。ということで、文章と言うことについてはよく考えることがある。文章はいうなれば“伝達の道具”だから、書いていることが伝わらなければ道具としての役割を果たさないことになる。ところが、僕の書いている短詩(一般的には川柳)は、わからないと言われることがしばしばある。ということは、かならずしも“伝達の道具”になっていない、ということになるのだろうか。ここからが言いたいことなのだが、“伝達”とは意味を伝えることと、感覚を伝えることがある。例えば、男と女が愛を伝えあおうとするときには、意味で伝えるより感覚で伝えたほうがより確かになる場合がある。何のために唇を重ねるのかなどと説明してしまったら興ざめで、そうしたいからだけでいいわけだ。動物などはよりはっきりしている。相手として良しと認めれば、動作や匂いなど全身の感覚を使って求愛する。人間のように言葉はもたずとも、感覚としての伝達は言葉にまさるのであろう。文章は普通の場合は「読む相手」を前提としている。個人的な日記は、自分で読むだけでだれにも見せないのが原則だが、ブログは見られるのを意識しながら書くことになる。学生のレポートには先生という読者が、社員の報告書や審議書は担当上司、役人や政治家は国民とか有権者という読者を意識して書くことが多い。文章には、ことごとく「読者」がいる。書くときには、いささかは読む人のことを考えなければならないわけだ。読者にたいして、どんな心づかいをしなければならないのか。ひとことでいえば“わかりやすさ”である。明快さである。書き手だけにわかって、それを読む第三者にはさっぱり意味のつうじない文章は自己満足の文章ではあっても、自己表現の文章とはいえない、と思う。「表現者」の名にふさわしいものであるためには、読者にわかる文章がつくられなければならないのである。では、わかりやすい言葉、とはなんだろう。それは、誰もが知っていて、意味解釈の揺れはばの少ない言葉のことである。われわれが使うことのできる日本語のボキャブラリーは何万という数があるが、何万もの言葉のなかには、あまり一般的に通用しないものが多い。そういう言葉はできるだけ避けたほうがいいと僕は思う。難しい言葉、とくに、他人があまり知っていそうもない言葉を、自分だけが知っていることを誇示するのは、一種の中学生的レベルの思考で、大人にあっては少しも褒められるべきことではない。誰にでもわかる日本語という考え方は、かつて土居光知が考えた「基礎語」にある。土居は難しい日本語、とりわけ漢語まじりで、大衆にわかりにくい日本語を、やさしく、わかりやすい日本語につくりなおすために、千百語のボキャブラリーをえらんでそれを「基礎語」と名づけた。彼はこんなふうにいう。「基礎語の目的は国民学校(小学校)の教育を受けたすべての日本人に理解されるやうな文体を以て知識を伝へ得る新らしい文体を作りあげることにあります」「日本語には今迄このやうな文体がなかったために国民の指導者がラジオで、国民全体にお話しをしても国民の一部にしか理解されませず、お役人が農業をする人々に大切なことを知らせようとされても、村の数人にしか意味が伝へられず、隣組みの回覧板の文章がむづかしくて、組の頭が後から説明しなければならぬやうな状態でありますが、基礎語ができあがれば、このやうな不便利はなくなると思ひます」千百ほどの言葉で、ほんとうに満足に文章が書けるものか、とわれわれは疑いたくなるが論より証拠、引用した土居の文章は、「回覧板」という名詞をのぞいて、ことごとく基礎語によって書かれていた。千百の基礎語は、シソーラス方式でえらばれたという。たとえば、その〈感覚〉の項には、つぎの十四語がえらばれている。感覚 暖い 暑い 甘い 荒い 痛い かゆい 寒い 涼しい するどい なめらか にがい にぶい 柔らかもちろん、感覚語としては、このほかにもわれわれはたくさんの言葉を知っているし、じっさいにそれらの言葉を使って生活している。現実には新造語はどんどん増えているし、「基礎語」以外の言葉も使うであろう。いや、使わなければ十分な自己表現ができないこともしばしばである。「基礎語」の観念は、けっして禁止的、あるいは制限的なものではない。これ以外の言葉を使ってもかまわないのである。ただ、心がけるべきことは、基礎語表にのっているような語群を核にして文章を書くことなのだ、と思う。蝶クリックを!
2009.02.27
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「林住期」という言葉を知らせることになったのは、五木寛之の書いた本からだろう。人間生活のなかではしばしば四分法でわけて考えることがある。季節の移り変わりは、春・夏・秋・冬。方角は、東・西・南・北に分ける。ものごとの進み具合を、起・承・転・結という。四分法というのはいかにも自然な区切りである。そのように、人生をかりに百年と考えてこれを四つに分けてみると、まず第一期にあたるのが、生まれてからの25年間だ。さらにそのあと25年生きて50歳。ここまでを前半生と考えて、それに続く25年が第3期となる。50歳から75歳までの時期だ。そこから最後の25年が始まる。百年生きる、などと大袈裟に考えなくてもよい。まあ、85年の人生と覚悟するあたりが現実的だろうから、最後の第4期は、およそおまけの部分とでも受けとめておけばよいということになる。おまけは、各人各様、長くも短くも自由である。古代インドで「四住期」という考えかたがうまれ、人びとのあいだに広がった。紀元前二世紀から、紀元後二世紀あたりのことであるとされている。これは人生を四つの時期に区切って、それぞれの生きかたを示唆する興味ぶかい思想だ。それを「学生期」、「家住期」、「林住期」、「遊行期」と呼ぶということだ。そうして、その「林住期」が人生でもっとも大切で充実した時期であると五木寛之は言っている。もちろんそれが「大切で充実」しているかどうかは、「学生期」、「家住期」をいかに生きてきたかにかかっているわけだから、それ以前が大切でないということではない。いま僕はまさにこの「林住期」を生きている。言われてみると、年代なりの出来事がありそれなりに楽しんではきたが、「林住期」という年代に入ってみて、ようやく自然との会話が楽しめるようになってきたような気がする。若い頃、盆栽や山野草に興じる人たちを、どこか寂しくさえない年代として見ていたが、いざ自分がそこに立ってみると、なかなか味わい深い年代だと感じる。60歳、70歳になるごとに、その年代なりの味わいと出会うことができるのだろう。屋久島の縄文杉の写真をみても、縄文以来数千年の春夏秋冬を生き抜いてきた老木の姿に、年齢を重ねなければでてこない美しさがあると思った。そして、その老木の美しさをきわだてるものが影である。自然は人の年齢を映す鏡でもある。幼い頃、影踏み遊びや月の夜道で、影はあれほど強く心にありながら、その後すっかり忘れていた影法師への関心が、この年代の僕に再び戻ってきたのも、思えばごく自然のことで、同じ頃に樹々や花々、風や雲、月や雪などが、急に深く語りかけてきたのと、同様な心の動きなのだろう。それはある意味で老いを代償に、この歳だからこそ許され、年輪を重ねるもののみが味わい知りうる、特権ともいえよう。一昨年の正月、九十歳になる恩師から墨絵入りの年賀状が届いた。一筆で一気に描いた自画像にも似たその絵には、薄墨で影法師が描かれていて、「影も薄くなり 賀状もこれでおしまい」と添え書きしてあった。そして昨年年の暮、訃報と接することになった。長いその役目を終えたその影法師は、ほの淋しく美しく僕の記憶に焼き付いている。生きるということは、どれだけ自分の影をその人の歩みとして焼き付けることができるか、だと僕は思った。「林住期」は、その影がもっとも強く焼き付く季節であるとも思っている。蝶クリックを!
2009.02.26
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このところの天竜川で大がかりな護岸工事が続いていて、魚はもちろん水生動物が心配だ。天竜川は下流ほど水がきれいになるという、一般の常識とは逆になる不思議な川。というのは水源の諏訪湖が汚れていて、下流に流れるにしたがって浄化されたり、きれいな支流が流れ込むためという事情があるからだ。その諏訪湖も最近は周辺の下水道が整備され、きれいな湖水に戻りつつあるようだ。ときどき、天竜川に流れ込む幾つかの支流にそって車やバイクで走ってみる。途中の小さな支流添いの道にふと興味を感じては、道を逸れて上流を探検してみる。すこし行くと川の両側に小路があり、小路に沿って家々の裏庭があって、生活のたたずまいを濃くしている。家のまだらなところまで入ると、川の瀬音がよくきこえ、じっとその音に耳を澄ませてみたりする。いつ聴いても懐かしい調べがして、疲れた身体にも心地よい。先日、伊那市から小黒川添いに中央アルプスの途中まで登ったのだが、そのへんは残雪に埋まり、その遠く下の方からきこえて来る川の瀬音をきいていると疲れも忘れ、頬に心地よかった。森林の中では川音に代わって小鳥のさえずりが聞こえるのだが、視界の開ける途中で腰を下ろすと、また瀬音がきこえて来る。僕は初春のやさしい水の音に聴き入ったのである。その頃僕は、不思議に水の音にとらえられていて、寺の庭に流れ込む水音にひかれ、半時間も耳を傾けてみたり、そうかと思うと、雨音に聴き入っている自分に、ふと気付いたりすることがある。一体、水の音に何を感じているのかは記憶にない。ただ水の音は、疲れた心をやさしく包んでくれるような気がするのは確かなようだ。自然が生む音はどうしてこんなに耳にやさしく響くのだろうか。水に限らず風も雨も雪も、いや、雷、野分、凩といった音までがときに懐かしく心地よい。自然はこうして人間から年輪を重ねることの憂鬱を忘れさせてくれるものかも知れない。蝶クリックを!
2009.02.25
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便利すぎない場所にこそ文化が息づきやすい、とは僕の持論のようにたびたび書いてきた。ただし不便だから必ず文化度が高まるというわけではない。僻地を嘆くばかりで、いたずらに都会化を急ぎ、長い間培った地域の自然景観やコミュニティーを無視した開発を地域興しの切り札のように考えたり、寄らば大樹の陰の合併を目指す思考では文化は衰退するばかりだろう。残念ながらわが地域にもまだそんな思考から抜け出せない輩が跋扈していて、先祖返りのような抵抗を繰り返している。長野県の南端、愛知県境を接する地域のお年寄りに、地域の文化をお尋ねしたことがある。まあせっかく来たんだから今夜は泊まってゆっくりしていったらどうかと言われ、ついずるずるとお世話になった。一杯飲みながらの炉端で、お年寄り夫婦に一緒になったなれそめをお聴きした。すると、その老人いわく「夜這いよ」と事も無げに言った。もちろん、僕は民俗学的興味から、いっそう根掘り葉掘りお聴きすることになる。おばあさんがその仕組みを詳しく解説してくれた。それは一種のお見合いのようなものだったという。昔は、村内を男女が堂々とデートするということがなく、カップリングをし向ける手法として、夜這いという未婚の女性の家を訪ねる“制度”が村落の共同体の中で、きわめて重要な生活のシステムだったということだ。性に対する情報も少ない時代、そのことを教えるために宗教行事も利用して、村の若者達に体験をさせる巫女役もいたということだ。巫女“役”というとおり、その大切な役割は神さまから許された長老達の妻、つまり年配の嬶(かかさま)たちが努めたようだ。嬶たちは、村の神社にこもり御詠歌を詠う。そのなかで、初めての若者達が一人づつ犠牲、もとえ、性のこころえ(技法?)というものを伝授される。これら一連の儀式のあとは般若心経を唱え、ふたたび御詠歌を詠ってお開きになったという。その神聖(?)な儀式を経た若者が、晴れて長老達の暗黙のうちに指名される娘のもとへの夜這いが許されるのだという。娘にも、その日のことが親からそれとなく告げられ、嫌なら戸締まりをしっかりして寝る。OKであれば、忍び込みやすくして交際が成立するのだという。その結果として、双方が気に入れば婚約が整い、気に入らなければ再度の夜這いが行われる。ちなみに、くだんの老人によると4度目の相手が今の妻だという。う~ん、うらやましいような…。夜這いというのは村落共同体がひとつのまとまりをもって生き延びていくための知恵として存在していたのであろう。さすが、昭和となった戦後ではすっかり廃れてしまったようだが…。その晩、聴き出した“夜這い”制度のこもごもは、なんだかとてもワクワクして、ほかにもお聴きした貴重なお話のあらかたを忘れてしまったなぁ。蝶クリックを!
2009.02.24
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セクハラは不当な行為であり、「告発してもいいもの」であるという意識が最近では根付きました。それと同時に、無意識のうちにセクハラどころか痴漢のえん罪を受けてしまう事件も報じられています。モラル・ハラスメントは、不当な行為(身ぶり、言葉、態度、行動)を繰り返し、人の尊厳を傷つけ、心身に損傷を与え、心身を危険にさらしたり社会の雰囲気を悪化させる行為です。モラル・ハラスメントという言葉には、倫理に反して精神的な暴力をふるう、という意味があります。男性優位・性差別者は、相手が女性の場合は、「女性である」ことを理由に、ひわいな言葉を口にする、性的に屈従させるようなことを言う、わざと相手の性的な魅力をたたえるなどでしょうか。相手が男性の場合は、「性に関する自己像」をゆるがす攻撃が行われます。「お前は男じゃない、おかま、ホモ…」こういった言葉はとりわけ個性的な男性に向けられます。自分とは違うタイプの人間を認められない心の弱さが原因であり、差別にきわめて近いものです。どこまで露骨に言えば相手が拒否するか?と、男はセクハラを、相手の自分に対する性的な寛容さをさぐる手段とすることがあります。「いいお尻しているねえ、安産型だねえ」の本当の意味は「君を口説けばエッチできるかなあ?」であったりします。だからこそ、女性は生理的に受け付けない人からセクハラをされると、強い嫌悪感を抱くのです。世の中には、自立して自由に生きたいという女性と、大変な思いをするよりは家庭で安定した生活を送りたいという女性がいます。男性優位の日本社会では、依存による安定生活に価値を置く女性が多数を占めています。女性の無意識の依存欲求をアメリカのある心理学者は、シンデレラ・コンプレックスと名づけました。男性は女性の「考え方や行動」を束縛しようとする傾向があります。男性は、女性の考え方や行動が自分と一緒になって欲しいという意向を強く持っています。意識を共有したいという願いがありますが、同時に相手と自分が完全に一つになることを願っているとも見られます。女性は男性の「時間」を束縛しようとする傾向があります。物事への結論や解決には関心が低いことが多く、ただ男性と同時に存在していたいと願うことから、特定の男性だけを想い、しかも自分だけに向いていて欲しいと考える傾向があります。この束縛の違いは、太古の狩猟生活時代に、グループを作って狩りをする夫と、子供を育てながら、食料を持ってくる夫を待つ妻、という関係が染みついたことから生まれたと考えられますが、いかがでしょう。蝶クリックを!
2009.02.23
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僕は教訓めいた話しは好きではありませんが、といいつつ小咄をひとつ。 むかしむかし、ある村に賢者が住んでいた。村人たちはなにか心配ごとがあるたびに彼のところに行ってお伺いをたてていた。ある日、村の農夫が大あわてで彼のところにやってきた。「賢者さんよ、大変だ、前けてくれ。うちの雄牛が死んじまって、畑を耕す手助けがなくなっちまった。こんな最悪なことがほかにあるかい?」賢者は答えた。「そうかもしれない、そうじやないかもしれない」農夫は村に引き返し、賢者の頭がおかしくなったと村人たちにふれまわった。こんな最悪なことが起きたのに、なぜ賢者はわからないんだろう?その翌日、農夫の畑のそばに一頭の若くてたくましい野生の馬が現れた。農夫はその馬をつかまえて雄牛のかわりにしようと思いたった。馬をつかまえ、農夫は有頂天になった。畑仕事がこんなに楽になるとは、彼は賢者のところに謝りにいった。「賢者さんよ、あんたは正しかった。雄牛が死んだのは最悪のことじゃなかった。あれは天の恵みが姿を変えただけだったんだ。雄牛が死んだからこそ新しい馬が手に入ったんだからな」賢者は、また言った。「そうかもしれない、そうじゃないかもしれない」またかよ、と農夫は思った。こんどこそ賢者は気がくるったにちがいない。だが、その農夫はなにが起きるのか知るよしもなかった。数日後、農夫の息子がその馬に乗っていて振り落とされた。息子は足を骨折して畑仕事が手伝えなくなった。農夫はまた賢者のところに行った。「あの馬をつかまえたのは最高のことじゃないって、なぜわかってたんだ。あんたの言ったとおりだったよ。わしの息子はケガをして畑仕事を手伝えなくなっちまった。こんどこそ最悪なことが起きたんだよ。あんたもそうだと認めないわけにはいかんだろう」だが賢者は穏やかな顔で見つめ、同情のこもった口調で答えた。「そうかもしれない、そうじやないかもしれない」賢者があまりに無知なことに腹をたてた農夫は、地団駄を踏んで村に引き返した。翌日、ふいに火ぶたがきられた戦争のために健康な男を一人残らず徴兵しようと、軍隊が村にやってきた。農夫の息子は骨折していたので徴兵をまぬかれた。ほかの若者はみんな戦死するかも知れない運命なのに彼は命が助かった。 人生、いつ何がおきるのか誰もが知るよしもない。落ち着いていろいろな可能性を考えていれば、やがてさまざまな巡り合わせがやってくる。これから何が起こるのかは、何事も「そうかもしれない、そうじやないかもしれない」しかし、自分や、そしてあなたがここに存在していることは、地球にとって…。「そうかもしれない、そうじやないかもしれない」なんて…。蝶クリックを!
2009.02.22
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春 の 水雪解の水が川幅いっぱいに流れている豊かにたゆたいながら頬と頬とをよせあって冬のあいだ遠い山の頂であるいは谷間でじっと黙って考えていた夜明けのように今は本流に沿って飛沫をあげるおとなしくしろよ とヨセフに似た波が岸辺まで押しかえしてくるこの嬉戯 笑い濡れたひとみをあげてこの世という時間の通路をそっとかいまみる水の妖精それは遠い日の初恋に似たためらいがちな合図岸辺の葦が静かに手をふる思い出の最後のああ 春の水が流れている流れている (伊沢幸平・詩) 偶然開いた本のなかにあった詩に目がとまった。伊沢幸平という作者に遠い記憶が蘇ってきた。僕が高校時代に教わった現代国語の教師だ。僕の母校は信州の山深い中にあったが、疎開したまま住み着いた学者や芸術家、文学者が母校の教師になって、生涯を送る人が多かった。その頃は、まるでありがたみは感じなかったが、卒業後数十年してからこれらの方々に師事できた幸運を感じている。先日は、とくに親しくしていただいた国語教師が亡くなったばかりで、寂しく思っていたが、こうして作品で出会えるのがうれしい。こんなところにものを書き残すという意味があるのかな。伊沢幸平明治42(1910)年~昭和51(1976)年。詩人、評論家。上伊那郡富県村(現伊那市)生まれ。東洋大学文学部卒。小林秀雄に師事。創元社に勤め、哲学書出版に携わるかたわら詩作、評論執筆、読書の生活を送る。昭和20年伊那市に疎開。戦後は鉱山会社経営、『伊那タイムス』勤務ののち、昭和26年高校の国語科教師となる。伊那中学(現伊那北高校)在学中にすでに三種の同人誌を発行しているが、同人雑誌好きは生涯かわらず、関係した同人誌は10指に余る。『信濃毎日新聞』等にも評論、詩作を発表。著書には評論集『机上滴々』(昭和27)旧美篤村史『みすず-その歴史と自然』(昭和36)歴史編執筆。詩集『途上』(昭和42)があり、没後友人知己の手で『伊沢幸平集』(昭和52)が編集、刊行された。「春の水」は寒さ厳しい伊那谷に訪れた春の喜びを、幸平の詩に時に見られる突飛な比喩を用いず、素直に歌いあげている。詩集『途上』に収められた。蝶クリックを!
2009.02.21
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今年は暖冬傾向で推移し、一度も雪かきをせずに過ごせるかと思ったら、昨夜来から雪が降り、しっかり積もった。しかししめった重い雪だから、すぐに溶けるだろう。わが家の玄関先に庭師の知人から譲ってもらった日本石楠花が植えられていた。専門家が植えたものだから、翌年からは見事な花が咲き眼を楽しませてくれた。その後も、毎年六月になると美しく花が開き楽しんでいたのであるが、気のせいか年ごとに花の色が褪せてゆくのを感じた。当家の標高は約650米。土目ということもあろうが、花に適した標高差が花色をすこしずつ変えてしまったのだろうか。そのうちに枯れてきた。何故だろうと思案にくれているうちに、その原因が眼の前に飛び込んできた。僕を追いかけてきたわが家の飼い猫、その石楠花の下を掘り、用足しを始めたのである。きっと毎日、そこをトイレにしていたのだろう。僕たち人間も違った自然環境の中で生きていれば、肉体的にも精神的にも今とは違う色調に染められるのだろう。『ロマン主義』という本だったか、その作者はたしか女性だったが失念したが、「ドイツ人は大自然のきびしさに養われたから生真面目になり、愛情と快活さに餓え、なによりも家と心情の内部を求めようとする。かまどの火の傍らがいちばん心の安らぎを感じる」という意味のことを書き、「またドイツ人は、家のみならず自然そのものとも離れがたく結びついている。暖炉のかたわらで、彼等は過ぎ去った日々を思い、やがて来る春の息吹が冬を追い払うのを待ちあぐねている」とも…。今年は暖冬で、ここ信州の伊那地方も日中は気温が10度近くにもなる。しだいに長くなってゆく昼、それに応じて早くなるあけぼのの訪れ、少しなま暖かくなった宵の光、零下10度以下にもなる日を超えたから感じる、春の予感にみちた日々…。そうしたものが、冬の自然を乗り越えるたびに少しずつ人々の風土性をつくるということは、たしかにあるのだろう。ドイツというとベートベンやブラームスをはじめ、きら星のごとく作曲家など芸術家が思い浮かぶ。十九世紀の浪漫主義運動は、自己表現、自己の内面表出を特徴としたと思うが、ドイツの自然が彼らの作風をつくりあげるのにどんな影響を与えてきたのだろうか。春の予感を感じる季節になると、さまざまな感情が去来してきて、何かを書かずにいられない気持ちにもなってくる。と思っているのと、本来やらなければならない仕事がだんだん遅れ遅れになってゆく。啓蟄にはまだ遠いが、何かが蠢き出す季節なのかもしらん。蝶クリックを!
2009.02.20
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以前に書いたが大腸癌の手術をした友人がいる。手術も大過なく終わって、今はほとんど回復して見かけ上は以前と変わらなくなった。元気なときには“俺はいつ死んでもいい”と公言してはばからなかった男が、入院中に自分の娘から付き添って貰っているときに、まだ死ぬわけにはいかない、と何度も思ったそうである。大腸の一部分を切り取ったため、食も細く酒量も格段に落ちて、外に出歩くのも億劫のようである。しかし、手術前とくらべ表情は明るい。明るいのにはわけがある。自宅の風呂では寒いので、昼間は近くの温泉施設にでかけている。そこで、以前によく行った飲み屋のご主人Yさんと出会うそうである。じつはそのYさんも癌が見つかり、昨年の11月に手術をしている。そのため、戦友のような気分で「互いにがんばろうな」と励まし合っているという。Yさんは、友人より発見が遅れ、進行が3段階目というところまで来ていたため、だいぶ大きく切除したが転移の疑いもあるということで、抗癌剤を服用している。抗癌剤は副作用が強くて、髪の毛が抜けたり虚脱感があって、とても辛いとのことであった。そのため、友人に「早く見つかってよかったな。オレもせめてもう1ヶ月早かったら良かったけれど…」と、羨ましがるそうである。友人は“いつ死んでもいい”と公言していたくせに、術後の体調がどうのこうのとグチっているのであるが、このときばかりは何だか嬉しそうに語る。人間の幸福ってなんだろう、と考えることがよくある。今の友人からすれば“生きている”ことが幸福であり“普通に飯を食って普通にウンチができる”つまり現状でいること以上の幸せはないのだろう。では、曲がりなりにも五体満足な僕は幸せなんだろうか、と思う。“幸せ”だとはなかなか実感できないのである。聞きかじりだが、仏教に 有れば有ることで苦しみ、無ければ無いことを苦しむ。 有れば有ることで憂え、無ければ無いことを憂う。 親・兄弟・妻子・田畑・財宝・金・名誉・地位など、 それは一切に通ずる。ゆえに憂いはある者も無い者も同じなのだ。…という言葉があるが、一時のライブドアのホリエモンや村上ファンドなどの事件を見ていても感じる。一市井人が、百年、千年生きても稼げないかも知れない金を、一時期に一気に手に入れた彼らが、果たして何倍もの“幸せ”を味わっているのだろうか。瞬間的にはそう感じたときがあったかも知れないが、そのぶんの落差による悲哀も味わったことだろう。この世では誰もが天文学的な確立のなかで生かされている。宇宙での地球の生成から始まって、植物から動物へ、動物から人類への変転、そして今の自分につながるまでの気の遠くなるような経過と離合集散を繰り返して今があるのであるから、たんに父親の精子の何億分の1が母親の卵子に命中しただけの偶然ではないのである。だから、この世にあるすべてのものは奇跡のような確率の中で存在している。人が動植物を可愛がったり、あるいは困ったり苦しんでいる人に何らかの手助けをしてあげようとしたり、目標の階段を一歩でも上ることができたとき幸福感を感じるのは、奇跡のようにこの世に生かされているというDNAの生き残りの歓びを無意識のうちに感じるからではないだろうか。まことに俗まみれな発想かも知れないが、多くの場合、幸福は自分より不幸の存在を身近に確かめることができたとき、あるいは不幸な自分が一歩階段を上ることが出来たときに感じるものである。単に金儲けや、地位や名声を得られたとしても、それは他人がうらやむだけで、当の本人にとっては、いっそう幸福という目標が遠くにあるのを確認できただけなのかも知れない。虹は、どこまでいってもその根本に立つことは出来ない。いま幸福になりたかったら、もういちど身近な薄暗闇を見回すことだろう。自分より寂しく不幸な人はいくらでもいる。それらの人に少し手を差し出すだけで、少なくとも今よりは幸福感を味わうことはできる。こんなことを書くと、奴は坊さんにでもなるのかなと思われるかも知らん。蝶クリックを!
2009.02.19
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不思議 私は不思議でたまらない、 黒い雲からふる雨が、 銀にひかつてゐることが。 私は不思議でたまらない、 青い桑の葉食べてゐる、 蠶が白くなることが。 私は不思議でたまらない、 たれもいぢらぬ夕顔が、 ひとりでぱらりと開くのが。 私は不思議でたまらない、 誰にきいても笑つてて、 あたりまへだ、といふことが。 金子みすゞ 僕は不思議でたまらない、 これほどヘンテコな政治家が、 日本のトップにいることが。 僕は不思議でたまらない、 ヤクザでさえも跡継ぎは 自分の子供は避けるのに、 僕は不思議でたまらない、 お国の大事なお仕事を、 親から子、爺から孫へとひきついで 僕は不思議でたまらない、 政治を家業にできるのが、 議員歳費でお蔵や財産築くのが。 僕は不思議でたまらない、 それでもせっせと担いでは お馬鹿ボンボン国会に送るのが 僕は不思議でたまらない、 百年一度の危機ならば 命をかけて民のため 政治をやろうとなぜならぬ 僕は不思議でたまらない。 日本の政治も経済もガラガラと壊れている感じさえする。麻生首相が漢字を読み間違えたのだとか、中川氏の酔っぱらい記者会見だとか、そんな目くそ鼻くその話はもうどうでもいい。これほどまでに日本中から悲痛な叫びがあがっているときに、政治の混迷をつづけていて何になる。世界発の不況と混迷をのりきるために、国会も官僚も知恵を絞って、日本の進路を誤りないように定めてゆかねばならないというのに、茫然自失と自信を失ってしまっているようにみえる。世界不況の火付け役のアメリカからクリントン国務長官が来日しているが、世界的混乱の張本人のあの自信に満ちた姿とくらべて、なんと頼りなさげなわが選良たち。駄目だったら変わればいいではないか。自民党はさっさと政権を明け渡し、心機一転出直したらいい。正しくリーダーシップを発揮できる政権が日本を根本からつくり直せばいい。それもダメだったら引きずり降ろせばいい。こんな混迷なときだからこそ、人々が自信をもてる、ここに暮らして良かったと思える日本に思い切りつくり直すチャンスではないだろうか。国民は地元のとか、目先のとか、小さな我執を捨てて、50年、100年先を見据えて政治家を送り出して欲しい。蝶クリックを!
2009.02.18
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伊那と木曽の間に横たわっている中央アルプスにトンネルが開き、木曽が身近になった。木曽地方はどこも山の中で、小さな日だまりのように田舎の風情が残っていて落ち着く。ある日、雨上がりの木曽に出かけたときのこと。横にいた連れが突然思い出したように、さっきの骨董屋さんのおばあちゃん、とってもかわいかったよ、という。おばあちゃんが「こんなものしかなくて」といって、お盆にいろんな色のおはじきをいっぱいのせて、はずかしそうに持って来たと言った。そういえば、道の途中に骨董やらガラクタやらの店があり、覗いてきた。古い古伊万里らしきの焼き物などを、上品な老主人にみせて貰っている間に、連れは奥から出たり入ったりしている小柄なおばあさんと、しきりに何か話しをしているようだった。亡くなった母にちょっと似ているなと思いながら、ガラクタに夢中で二人が何を話しているのか気にもとめなかった。惚けの症状については、亡くなった母で経験している。「老人はこわいぞ 呆けの武器を持つ」という100歳近くになる川柳作家の句があるが、このおばあちゃんも立派な武器をもっているようだった。惚けの時って、自分たちにはうかがい知れぬ暗い闇の中に一人ぽつんといるようなものなのだろうか。それとも、だだっ広いお花畑の真ん中に迷い込んだようなものだろうか。とにかく早く惚けた者勝ちだから…、などと冗談ともつかぬホンネを話し合ったことがある。「同じ惚けるなら、あのおばあちゃんのようにかわいく惚けたいね。」と連れがいった。きっと若い頃から客が来ると、お茶を入れたりして懸命に客をもてなしてきたのだろう。脳のどこかが衰えてきても、大切な心のやさしさはすこしもそこなわれていない。いやもっと深まっているのかも知れない。戸棚を探しても何もないので、そこにあったおはじきをお盆に盛り上げてもってくるおばあさんの姿を想像し、ちょっとたまらない気持ちになった。おばあさんにお礼の電話をかけたい衝動にかられたが、それはご主人にとってやはり鬱陶しいことだろうと思い、思いとどまった。われわれもいずれは迎える老後という世界。どんな老境が2人を待ち受けているのだろうか。生き伸びるかぎり避けてとおれない老後を、楽しくかわいく過ごすことができるだろうか。僕はきっとどこかにいるような、ひねくれ者のガンコジジイになって、みんなの顰蹙を買いながら過ごすのであろう…、ボケればつまらないことに煩うこともなくなるだろうがオムツを替えて貰うことを想像すると、ちょっと鬱陶しい。明日のことを思いわずらうな。明日のことは明日自身が思いわずらうであろう。一日の苦労はその日一日だけで充分である。いつか、宗教を生業とする知人が言った言葉が思い浮かび、僕はそれ以上思い煩うことをやめた。蝶クリックを!
2009.02.16
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私と小鳥と鈴と私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のやうに、地面(じべた)を速くは走れない。私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のやうに、たくさんな唄は知らないよ。鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。金子みすヾの周辺のことをボツボツ書いています。彼女の詩を読んだり生きざまを読み書きしていると、初恋の人と街中ですれ違ったときのように胸がチクチク痛んだりします。今書いているものは、僕の出している個人誌のためのものですからブログには載せませんが、バレンタインチョコのお礼に少しだけおすそわけしましょう。お魚海の魚はかはいそうお米は人に作られる、牛は牧場で飼はれてる、鯉もお池で麩を貰ふ。けれども海のお魚はなんにも世話にならないしいたづら一つしないのにかうして私に食べられる。ほんとに魚はかはいさう。金子テル(みすヾ)は幼い頃から、礼儀正しくて誰にでもやさしい笑顔の少女だったといいます。しかし、決して人と争わない性格のなかに秘めるものは、いろいろとものに感じたり、あらゆるものを深く考えてみる心をもっていたのでしょう。彼女の心の奥深くにふつふつと湧き上がる、生きることの根源的なさびしさのようなものが、詩の中に浮かび上がっています。蝶クリックを!
2009.02.15
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僕らの子供時代は路地や近くの山の中が遊び場だった。近隣地域の隅々まで何がどこにあるのかを知っていた。甘柿の木、トマトやスイカ畑、アケビの成る場所も知っていて、こっそりしっけいすることもあり、これを隣の果実は蜜の味という。路地で子供たちの隠れん坊遊びなどを見掛けなくなってから久しい。集団で遊ぶときにはチャンバラゴッコも定番だった。猿飛佐助や霧隠才蔵などという忍者に憧れた。中学だか高校時代に山田風太郎の『くの一忍法帳』がベストセラーになり、映画にもなった。こっそり観に行ったということは今で言う18Kの映倫にはかかっていなかったのだろう。あらすじも覚えている。関ヶ原の合戦を制し、日本の覇者となった徳川家康。政略婚で秀頼に嫁がせた孫の千姫を奪い返したのはいいが、千姫は夫を攻め滅ぼした家康に心を閉ざしてしまう。そして真田幸村の計略により、千姫の侍女として仕える5人の女忍者には千姫の夫、豊臣秀頼の子を宿らせていた。「その方ら5人、必ず秀頼様の子を産み、徳川にたたりをなせ!」孫娘可愛さと豊臣の亡霊に悩ませられる家康、苦悶の末に服部半蔵配下の忍者に命ずる。「お千には気取られず、5人のくの一を討て!」ということで、ここに豪華絢爛な忍法合戦が展開されることになる。最近では、郵政選挙で当時の小泉将軍の放ったくの一刺客が騒がせたが、これも強者どもの夢の跡となりつつある。路上であそぶ子供たちが消えた原因は、道という路に自動車が走り込んだことも、パソコンやゲームソフト、最近ではケータイがあらわれ、遊戯の種類の体系が変化したことにもよるが、そればかりではないだろう。かつて路地は、家の内部と出口人口を境にして、すぐに連続している親しい外の世界であった。路地は人々が多目的に使う共同の空間でもあった。共同空間では米やミソの貸し借りも気軽に行われたことだろう。その路地も自動車の普及とともに法律で縛られてゆき、やがて大人たちの交流もそして、路地からは、子供たちが創意工夫してきたゲームも消えていった。自動車が国の経済を引っ張ってきたのだから、時代の趨勢としてはしかたがなかったともいえる。しかし、便利効率社会に疑いもなくひた走ったあいだに失ったものも少なくない。僕のつたない経験だが、日本のなかでいい文化が残っていると思える地域は、道路事情が悪い、一見不便な地域に多いように思う。たとえば岐阜の郡上八幡などの町々、伊那谷最南部地域、木曽地方…。もちろん全国にはそのような地域が細々と残っているはずだ。不便な場所ほど人々が隣近所助け合いながら、さまざまな文化を伝承させている。ブルトーザーで切り開かれ、大きな国道がドカーンと走っている付近にめぼしい文化は、まずない。土建政治が路地の隅々まで舗装道路を広げてきた結果、日本中から多数の小さな文化が奪われ、子どもの遊び場が無くなり、国債残高を膨らませながらいびつな“発展”をつづけてきた。今、日本は100年に一度の危機だというが、これは今までの拡大膨張路線を根底から見直すいい機会ではないだろうか。蝶クリックを!
2009.02.14
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他人の不幸は蜜の味 ねたみ感じる脳機能解明 ねたみや他人の不幸を喜ぶ感情をつかさどる脳の部位を、放射線医学総合研究所などの研究チームが明らかにした。ねたみを感じる部位の活動が高い人ほど、「他人の不幸は蜜の味」と感じやすいことも実験で確認できた。13日付の米科学誌サイエンスに発表した。ねたみなどの複雑な感情をつかさどる脳の仕組みは、ほとんど分かっていなかった。放医研の高橋英彦・主任研究員(精神医学)らは、被験者が主人公となり、自分より成績や所有物が優れた人が登場するシナリオを用意。大学生19人に読んでもらい、ねたみの強さを自己評価してもらうと同時に機能的MRI(磁気共鳴画像化装置)で脳の活動部位を調べた。その結果、ねたみを感じる際には、肉体的な痛みを感じる前頭葉の「前部帯状回」の活動が活発になった。また、自分より優れた人が不幸に見舞われるシナリオでは、報酬を得たときに心地よいと感じる「線状体」という部位が活性化した。前部帯状回の反応が強い人ほど、線状体の反応が強かった。そうか、前頭葉の「前部帯状回」の活動に原因があったのか。中学生時代の同級生が訪ねてきた。昔から、スポーツマンそしてひょうきんな男で、仕事に対してバイタリティーがあるが何をやっても成功しないという憎めない男。(それじゃ、まるでお前のことじゃないかって?^^;)雑談かと思いきや、急に真顔になって、「息子のことで相談があるのだが…」。聞くと、30歳にもなるのにニートだという。大学を出てから数年勤めた会社で挫折して以来で、最近では何か気に障ることがあるとキレて暴力を振るいかねない状態だという。この息子とは小さい頃に数回会ったことがあるが、溌剌としていていい子という印象だった。彼も一緒に飲んだときに、こんな親なのにいい大学に入ってくれた、と手放しで喜んでいたこともあった。最近はこんな青年が多いような気がする。ニートになるには、それぞれの理由があろう。しかし、そのうちの多くがあるパターンにたどりつく。まずは、本人の意識(甘え)の問題。つぎに育つ家庭環境。そして大きくは社会的環境。社会的要因としては、今これを恨んでみても友人の息子にとって何の解決にもならない。根掘り葉掘り家庭状況を聞くうちに、やっぱりお定まりのコースが見えてきた。“家庭を省みない父親と反動で子供一途の母親”“本人の甘え”については、家庭や学校・社会の環境が大きい。たとえば、勉強さえまじめにやっていればその他は二の次という雰囲気。親も教師も友達感覚。これでは、人との距離感がつかめない。そのうえ個室でのテレビ、PCゲームなど…。昨今はゲーム脳という、ゲーム漬けだった人への脳機能障害が明らかになっているが、これとテレビは確実に自堕落的性格をつくりあげる。というような一般論は彼の息子は、手遅れ。どのようなアドバイスをしたのかは、ここでは書ききれないが、・遠回りでも、まず自分たち両親の生活を正すこと。・子供にやってほしいことは、まず自分が行動でやってみせること。・必ず復帰すると信じて、おおらかに接してあげること。などなどだが、なんと自分のことを棚に上げて…、と近くで聞いている妻の目が…。だから僕の得意技は“反面教師”だといっているじゃあないか。蝶クリックを!
2009.02.13
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東山魁夷という画家のことを調べていて、つぎのようなエピソードと出会いました。少年の頃、須磨の海で泳いでいて、大きな土用波に巻きこまれたことがある。私は一瞬、どうなるかと恐怖を感じたが、その強力な波の力に対し、あばれないで身をまかせていた。思いがけず、ぽかっと頭が波間に浮びあがった。私が沈着だったからではない。どうしてよいかわからないから、なんにも出来なかったのである。あの時、私が力のかぎりあばれていたら、かえって溺れていたのかもしれない。 東山魁夷 東山魁夷は終戦近くに召集を受け、いよいよ本土決戦となったら爆弾を抱えて敵陣へ飛び込むという自爆攻撃の特訓を受けていました。その合間に、訓練の一環としての命令により熊本城へと走らされます。いつ出撃命令が出てもふしぎではない情況のなかで、自らの命を投げ出すことを覚悟していましたが、目の前に現れた静かな熊本城とそれに調和する風景に、魁夷の心に今までになかった感動が忽然と湧きあがったといいます。「……どうしてこれを描かなかったのだろうか。今はもう絵を描くという望みはおろか、生きる希望も無く、死をまっているだけというのに……」汗と埃にまみれて、泣きながら走り続けました。広島長崎に新型爆弾が落とされ、いよいよ自爆攻撃という命令が出る寸前に終戦となり、再び絵筆を手にすることができるかと思いました。しかしそのときには全ての肉親を失い、絶望のどん底に遭遇しています。どん底と絶望の果てにであった諦観、そしてすべてあるがままをうつす静かな心境になったときに、ようやく描くことができたのが「残照」という作品でした。戦争のさなかに開眼した魁夷の目は、自然の息吹を確かに捉えることができるようになったのです。東山魁夷は1999年に亡くなっていますが、長野県は生前に画伯より、700余点の作品と関係図書数百冊の寄贈を受け、信濃美術館に併設して東山魁夷館を開館しています。蝶クリックを!
2009.02.12
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半世紀あまりを生花ひとすじに生きてきた人の、半世紀の仕事をまとめた本をつくっている。生花にはさまざまな流派があるが、結局のところはいかにその花のもっている自然の美しさをひきだすかだろうな、とその人の活けた写真を眺めながら編集にいそしんでいる。といいながら、参考のために開いた本に書いてあった青山俊薫さんの言葉が気になった。青山俊薫さんなどと気軽に書いているが有名な尼さんだ。5歳のときに長野県塩尻市のお寺に仏門に入ってからずっと仏教に使えてきた人で、いまは愛知県にお住まいとのこと。鬼は私 仏も私 青山俊薫その人の顔を見ただけでうれしくなってしまう人がいる。その人がそこにいるというだけで、心がやすらかになる人がいる。その人が部屋に人ってきたというだけで、イライラした気分になってしまう人がいる。その人が仲間に加わったと間いただけで、みんなを暗い気分にする人がいる。ちょっと待って! それは私のこと。私の中にも同じ思いが動いている。あっという間に仏さまも飛び出せば、鬼も飛び出す。私の中の仏が相手の中から仏をひっぱり出し、私の中の鬼が相手の中の鬼をひっぱり出しているだけ。「福は内、鬼は外」なんて、他人事みたいに叫んでいるけれど、それは私のことだったんだ。冷たい雪の中で静かにほほえんでいる節分草を見ていると、そのことに気づく。蝶クリックを!
2009.02.11
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リラックスしたい場合は風呂が一番だろう。もちろん1人でぬるめの湯につかるのであり、複数が一緒ではリラックスできないのはいうまでもない。10年以上も使ってきた風呂のボイラーいよいよ寿命となり、知り合いの設備屋さんに何とか安くと泣きついたら、中古ではあったが営業用24時間風呂を取り付けてくれた。しかも、改築の旅館からの下取り品だから工事費だけでいいという。この設備屋さんは、風呂桶代金だけで山荘に岩風呂もつくってくれた。それを機会に、お客様はつれてきてくれる。年何回となく自社の宴会でもつかってくれるという大恩人である。ということで、昨夜は音楽を聴きながらのんびりと風呂に浸かった。音楽といってもカセットデッキから風呂場の防水スピーカーまで線をひっぱってきてあるだけであるが…。目をつむり、ぬる目のお湯に浸かっていると、時間がそのときだけゆっくりと流れてくるような気がしてさまざまな感情が脳裏をよぎる。母の胎内でもこのように羊水に包まれ浮かんでいたのだろうと思ったり、きっと今、自分の脳内をα波が流れているのだろうと感じたりする。聞きかじりだが、フランス語では母の中に海があるというが、漢字では海の中に母があるから、やはり人も海から生まれたのだろう。僕たちが母の胎内から生まれて来るように、アメーバーから人類まで地球上のすべての生物は、海の中で35億年という長い年月を過ごしてきたという。生物が陸にのぼるようになったのは、およそ4億年前だという。海こそがあらゆる生物の故郷なのだろう。海も母の胎内も、ともに水に満たされていることを思えば、僕たちは今もなお、羊水の記憶だけでなく、海の記憶をも体内のどこかにもっているのに違いない。そう思って風呂のぬる目のお湯の中にいると、ゆったりと安らかな気分になれるのはよ~く納得できる。以前、何かのCDで母の胎内の音というのを聞いたことがある。ザザーとかズーンズーンとか浜辺の波打ち際にいるような、とても懐かしいものを感じた。きっと男の体内でも集音マイクをつければ、音が聞こえるのだろうが、どんな音になるのだろう。母親の胎内のようなやすらぎを得られないような気がする。などとうつらうつら考えているうちに、お湯の中で眠ってしまったらしい。ドンドン! とドアを叩く音がしてわれにかえった。どうやら家人に長風呂だったので湯舟に沈んでいるのではないかと、心配されたようだ。蝶クリックを!
2009.02.10
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あまり認めたくはないのだが、人生も半ばを過ぎたころから脳細胞が日々死滅してゆくのを実感する。しかし、記憶力が悪かったのは小学校のときからで、自分が興味をもつ教科以外はメモリーがサボタージュを起こして働かなかった。忘れ物は常習で、大事な会合を忘れて欠席したこともある。そんなことから、母の晩年を思い出している。母は48歳のときに脳溢血で倒れ、以後20年近くをリハビリと闘病の生活だった。僕ら兄弟は家を出て都会で働いていたため、父と二人暮らしのときだった。倒れた当初は病気の行く末を悲観して、このまま死なせて欲しいと父に泣きついたそうだ。父母がそのような状態でいることにいたたまれず、東京にいた僕は故郷に帰って生活することにきめた。子供のころかわいがってくれた母のことを捨ててはおけなかった。ところが、生家は山深い田舎だったので、家から15キロほどの距離にある現在の町で仕事を始めることにした。もう30年も前のことである。母はリハビリを重ね、歩行や農作業など問題なくこなせるようになったが、記憶障害は徐々に進行していった。物忘れがとてもひどくなっていったのである。それまでの母は本も良く読んでいたし、僕の手紙の文法の誤りなども指摘してくれたほどだから、田舎の主婦としてはレベルも高かったように思う(親バカ?)。バスもロクに走っていなかった頃、家から30キロも離れた女学校に通った母だ。発症から20年、薄紙を剥がすように快復するというが、母の病気は薄紙を重ねるように徐々に進行していった。こういう病気だからしかたがないが、後のほうになると厨のガスの火を消し忘れたり、サイフも持たずにバスに乗ったりと相当危なくなった。ガスではもう少しで火事になりかねないこともあって、父はやむなく近くの特別養護老人ホームに預かってもらうことにした。僕は週末になると、子供たちを連れて施設に訪れた。母は、幼い孫たちとリハビリ室で遊ぶのを心待ちにしていた。車いすに乗せて、外に散歩にでると僕ら兄弟の幼い頃の話を懐かしむようによくした。気づいたのは、病気がすすんで身の回りのことも不自由になってきた母が、驚くほど鮮明に昔の記憶を語ってくれたことである。僕が高校時代に、こっそりガールフレンドたちとキャンプに行ったのを見ぬフリをしていたこととか、僕がこっそり布団の下に隠してあった大人の絵本のことなどまで覚えていた。そして、母の語る記憶が、中学生時代から小学生、幼児期へと下がってゆき、自分の幼い頃の話に遡るころには、相当に痴呆(認知症)がすすんでいた。不思議なことに、病状がすすむにしたがって古い記憶へとさかのぼっていったのである。最後には、それもおぼろとなり、子供と孫の名前の区別さえつかなくなり、しばらくしてから亡くなった。母が亡くなってから、図書館で調べ物をしていたときに、偶然に井上靖の『月の光』という作品を見つけて、釘付けになった。作者が母の介護をする様子を書いた内容であった。そこでは、枯葉の軽さにも等しい肉体と毀れた頭をもった老母の生態から、作者が何を発見していくのかが克明に記されていた。「母は消しゴムで己が歩んだ人生を消してゆく。消しゴムは老いである」(「花の下」)という事であり、また「母はどうやら自分が歩んできた長い人生を、70代、60代、50代というように、歩んできた方向と逆に消し始めている」(「月の光」)というくだりである。作者は、老母が老いという消しゴムで、己が人生を歩んだ方向と逆に消し始めているのに気づき、しかもそれが母親だけを見舞った特異な現象でない事を発見した。例えば義母は、亡くなるすこし前からだんだん子供になって行き、死ぬ2、3日前にはとうとう本当の赤ちゃんのようになってしまった。お乳のつもりで指をくわえてちゅうちゅうと吸うのである。しかし、70代、60代、50代、40代と、自分が歩んできた長い人生を逆に消して行くとすれば、すべてを消し去ったあとに一体何が待っているか、作者は科学者のような冷厳な目と詩人の哀しい心で、そこには死だけが残っていると、老母をじっと見守るのである。というような内容だったが、それは僕が母との会話のなかで感じていた感情そのものだった。僕も不思議に思っていながら、形にできなかったことを井上靖は文章で表現していた。僕も気のせいか成人してからの子供たちのことより、育てていた頃の記憶のほうが鮮明に残っている。今日、図書館から借りて、返し忘れていた本の期日が過ぎ、催促の電話があったという。そうだ、それでこの日記を書こうとおもったのだ。やっぱり始まっているのか…、認知症。蝶クリックを! ホントに今や別人ですな。
2009.02.09
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どんな政治体制でもすべて良い、あるいはすべて悪いなどということはない。また、持てる者と弱者の不均衡についても、ある程度はしかたがないことだ。どんな世界でも運の強い者とそうでない者ができてしまうのはしかたがないし、不条理を完全に無くすことなど“千年河清を待つ”に等しきものだろう。最近、福祉国家スエーデンの体制がひきあいに出され語られている。スエーデンは福祉大国であるが、消費税は25パーセントである。(ただし、生活必需品は別)注目すべきは、この数字に対する国民の支持率が非常に高いことである。なぜか、税金の使い方での透明度が高く、例えば教育や育児、医療などはほとんど税金で賄われている。育児休暇なども、妻のみならず夫も1年近くとることができる。仮に失業しても、貰っていた給料の8割ほどが保障され、国が職業訓練などをほどこして社会復帰を促している。就業率も男女とも高く、国会など議員比率もほぼ半々である。そんな社会主義的な国家体制にかかわらず、世界における競争力も日本より高い。日本でも、消費税を福祉税にというような言い方がされ、欧米とくらべ安すぎると近年度での税率アップがもくろまれている。しかし、消費税が高い国は福祉などそれなりの社会基盤を整えたうえ、しかも国民の強い信頼のうえで高税率にしてきているのである。とどめなき土建政治や第三セクター、グリンピアや簡保などの施設などムダ使いを繰り返してきての大借金を、福祉の名のもとに税金で補填しようなどという欺瞞が払拭されないかぎり、消費税上げなど絶対に認められるべきではない。不公正があるのはしかたがないにしても、放置していいということではない。できるかぎり正す努力をするのが政治の役割である。それをせずに増税だけいってもまったく説得力がないのである。国が本当に土建から福祉への転換を図ろうとしているかどうかを示す具体的な一例をあげてみよう。30年ほど前に、僕の生まれた村の上流、南アルプス国立公園内に電源開発・灌漑・治水を目的に、諏訪湖の3倍ほどの水量規模のダムが計画されて、着工準備中に“脱・ダム宣言”などで工事は凍結され、近年国交省でも、電源も灌漑も、治水も危急ではないとようやく中止の方針を打ち出していた。しかし、地元の首長などの強い要求と地元選出議員の働きかけで、国土交通省が再度、着工調査の継続を約束したと、最近この二世議員が手柄話として披露した。くだんのダム計画のことは、このブログでも何度かとりあげてきた。僕も何十回となく現地に出かけているが、今となっては不要なダムと断言できる。ダム推進関係者は、「国は住民の危険を放置するのか!」というが、万一の洪水が予想される場所には一軒も家がないのである。必要とされているのは、2000億円という公共工事による地域経済への潤い効果と雇用なのだと、ダム関係者ですら公然とつぶやいている。この不況を救うのは田舎のニューディールというのである。このバカバカしさについては語るにおちる。たしかに、このダムの調査目的でこれまで国は地域に巨額の金を落とし、村はとても垢抜けた施設がや道路が整備された。地域の文化行事やネイチャー団体にまで国交省は補助金をだしてくれた。首長としては、いまさらいらないとは言えないと漏れ聞こえてくる。たまたま身近にあるものだけでも、こんなばかな税金の使い方がされ、有権者はそれを受け入れてきた。日本では、公約とは守られないことがあたりまえのような意識が、国民にも政治家にも染みついている。税金は好き勝手に使わせるために納めているわけではない。適正に公平に使うという信頼の元にあるというのが税制の建前である。としたら、公約を守らないことは犯罪に等しく、しかも重罪である。なぜ、こんな重罪人たちが裁かれることもなく、世間を闊歩できるのであろうか。なんと甘くやさしい国民なのであろうか。国会の解散時にはマニフェストを点検検証して、公約違反者はただちに検挙すべきだし、悪質な政党は解散させるべきである。蝶クリックを!
2009.02.08
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知人に、高校生時代から熱心に社会活動をつづけていた女性がいる。30歳ほどになるが、美人で性格もよく、少し控えめで優しい。そして芯もある人だったから、彼女の周囲には志を同じくするような若者が集まり、リーダーにも推されたりした。なぜこんないい娘が彼氏もつくらず結婚せずに、仕事と社会活動だけで満足しているんだろう。言い寄ってくる男も少なくないだろうに…、と不思議だった。もうだいぶ前になるがある行事の後、二次会に誘った。話の成り行きで、いい相手を紹介するから結婚する気がないのか、家庭の事情なども聞いてみた。ところが彼女の話を聞いて慄然とした。彼女の母親は彼女の中学時代に病死していて、父親はいわゆる軽い心的障がい者だった。そのうえ兄は発達障害、いわゆる知恵遅れだった。母親は、夫のDVや息子の病気を苦しみながらの死だったという。彼女は母親が死んだ中学生時代から、家族の食事や洗濯などの家事をしていて、高校もバイトなどで補って通ってきたという。兄は養護施設に預かってもらっていたが、週末に帰ってくる。帰ると父親とささいなことで喧嘩をしたりするので、休みには一層大変なのだという。だから、外に出て仲間と社会活動をしているときがいちばん息抜きにもなり、心が安まるのだという。これでは結婚どころではないのだろう。それだったら、父親もそれなりの施設に預かって貰うなり抜本的な対処法が必要ではないか、それでないと自分の未来も犠牲になってしまうのではないか、とも言ってみた。しかし、父親にはまだ60代というプライドがあり、世間様の世話になりたくないという。役所に相談もしてみたが、程度が軽すぎるからもっと大変になったら相談に来るようにと断られたという。実は彼女にも過去に恋人がいたことを知っている。しかし彼女から、家庭の事情があるからどうしても別れてくれと切り出された、とその元彼からは聞いていた。そのことを彼女は「これ以上巻き添えにして、不幸な人を増やしたくないから…」というようなことを語ったという。しかし、そんな家庭の事情をもっていても、勤務のあいだに時間をつくっては社会的活動やボランティアにいそしむ彼女に、「家だけでも大変なのに、そんなに無理せずに自分の時間は自分のために使った方がいいんじゃないか」と進言したこともあった。彼女は「本当は自分のためにこれをやっているの。こうして外に出てみると、苦しいのは自分だけではないんだなぁってことがわかって、すこし元気になれるの。それに私がお世話したことは回り回って、自分にも返ってくるかも知れないんだから、自己満足のためですよね」と、明るく笑った。こんな逼迫した時代になると息苦しいことばかりだ。どこにいっても経済の不透明を語って、社会や政治の無策・脆弱を語る人ばかりだ。僕にしても、こんなふうにけなげに生きている人々に、ささやかな光さえも与えられない社会福祉の貧困には、怒りを覚える。しかし政治がすべての人を救うことなどできないことは、誰でもわかっていることだ。彼女は、自分の状況を他に転嫁しようとはせず、痛々しいほどにけなげだ。そう、まずは自分自身の手で切り開こうという気持ちになれなかったら、いくら嘆いても誰も助けてはくれないだろう。選挙が近づいたということもあり、町中に笑顔のポスターが張り巡らされている。配られるパンフにはどれも明るい未来を約束してくれる言葉に満ちている。本当にこれらの言葉通りの社会ができればなんといいだろう。しかし、今現在どん底で必至にもがいている人々を救えない政治が、明日になれば救えるのだろうか。日本の政治のシステムを変えない限り、どの政党が政権をとろうとどんな枠組みになろうと、ただちに明るい未来が開けるなどとはまったく思えない。まずは国民が信頼できる政治システムをつくるためには、今の仕組みを思い切って変えてみるしかないだろう。個人だけの努力には限界がある。このところしばらく、その彼女の顔を見ることもなくなった。あれほど熱心に生き甲斐としてきた社会活動にも顔を出さなくなった。その理由をある人づてに聞いた。それによると、彼女もだいぶ痩せて、人と会うのを億劫がるようになり、心療内科にも通っているという。今ではリストラに怯えながら、勤務先と家との往復だけの毎日だという。一人だけでがんばり過ぎるなよ。無理だったら声を出して誰にでも支えをもとめなよ、といいたいのだが…。蝶クリックを!
2009.02.07
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突然見知らぬ人から句集が送られてきて、鑑賞文を書いて欲しいと依頼を受けた。知った人から本を送られることは少なくないが、書いてといわれると困惑する。親しめる内容なら楽しんでも書けるが、送られてくるものの半分くらいは正直にいうと困惑ものなのだ。川柳や俳句などの文芸にかかわらず美術や音楽など芸術も、純粋に作品として中味を鑑賞評価すればよいのだろうが、作者をとりまく環境や背景を知ることでより鑑賞が深まることもある。一概に決めつけることはできないが、文芸や芸術活動は作者の置かれている環境が作品に影響を与える。鑑賞をするようにといってきた人とは一面識もないから、そうした背景は想像するしかない。わかるのは、地域と性別だけだ。しかし、送られてきた数百句を通読するとおおよその人物像は浮いてくる。まだJRが国鉄で、貨物列車としての役割を果たしていた頃、事務所近くのローカル駅は飯田線一の貨物の集積場所だった。トラックに貨物輸送を奪われて使われなくなった線路がそのまま残り、ときどきその線路上を散歩する。もう3年ほど前になるが、廃線同様になった線路の敷石のあいだに咲く菫(すみれ)を見つけた。普段は草花を採取する習慣はないのだが、その姿があまりに清楚で鮮やかに美しく可憐だったので一目惚れして、周囲の石をとりのぞいて持ち帰り、庭の片隅に植えた。その菫は根付き、毎年春先に花を咲かせてくれるのだが、どうも線路上に咲いていた頃と美しさが違うような気がする。石ころの隙間に根付いていた頃とちがって、肥土に移したので、草丈も花も大きくなったが、線路上にあったときの色の鮮やかさがない。可憐だった姿もどこかだらしなく締まりがない。僕にふつふつとある疑念がわいてきた。もしかしたらあの可憐さは、人の眼に触れさせて移植を促すための花としての所作だったのではないだろうか。このように、置かれた環境に適応して、姿や性質が変わってゆくのだろう。生きのびる厳しさを失った花なりの、現在の姿なのかも知れない。話が逸れてしまったが、鑑賞を引き受けた人の作品、始めは欠伸を堪えながら読んでいたが、読み進むうちにその人の人物像が浮かび上がってきてのめり込んでしまった。特別に整った優れた作品というわけではないが、個性がうかがえる。いきなり送りつけて、書けとはちょっと我が儘だとおもうが、それも許すか…。蝶クリックを!
2009.02.06
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血液型がA型だから神経質で几帳面。O型だからおおらかでずぼら。などというような分類をかなり本気に信じている人もいるようだが、A型だから、B型だからという区分けはひとつのジョークのネタようなもので、何かヘマをしたときに笑ってすませるためのショックアブソーバーのようなものだと思った方がいい。本当に血液型で性格が決まったら、保険会社も血液型ごとに掛け金の額を変えてくるだろう。「あなたは○型だから、保険料が2割増しになります」とか「残念ですが、○型の人は契約をお断りします」などと…。また、お国柄の人種を皮肉った小咄もよくある。・米国では、法律で禁止されていないことは全て許されている。・ドイツでは、法律で許されていないことは全て禁止されている。・ロシアでは、法律で許されていても全てが禁止されている。・フランスでは、法律で禁止されていても全てが許されている。・日本では、法律で禁止するものには全て抜け穴がつくられる。これも血液型同様、迷信のようなものだがむしろ血液型よりあたっているかも知れない。では、“男とは”とか“女とは”ということになるとどうだろう。男にもおんなの腐ったのも、女より色っぽいのもいる。女にも男っぽいのも、オヤジっぽいのもいる。“男だから”とか“女だから”というのは、性差の役割分担や既成社会の都合にあわせた区別でしかないとも思う。相手の足りないものを埋めあいたいのが、男と女。それだって誰でもいいというわけではない、好みにはさまざまあって、それが個人差というわけだから…。言えることは、相手の足りないところを貶しあってばかりいても、なんのトクにもなならいということだろう。う~ん、月並みな締めくくりになってしまったかな。蝶クリックを!
2009.02.05
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僕ははじめての街を訪れると、賑やかな観光スポットよりその地域の人が暮らしている生活の匂いがする町並みをブラリと散歩するのが好きだ。明るく賑やかな通りから、ちょっと小路に入ると、そこにこんもりとした木立ちのなかに、ひっそりとした佇まいの旧家などに出合うことがある。そんな時ふっとそこに入って行きたい衝動にかられるのだが、以前からこの奇妙な心の動きがどうしておこるのか不思議でならなかった。もし、本当に入ったなら家宅不法侵入になってしまうだろうが、その中にはなぜかかつて知った人がいるような気がしてならないのだ。最近、ふっとその理由がわかったような気がした。明るく賑やかな街を歩いているとどうも疲れる。そんなときに、その場所やその家の佇まいが、疲れを癒やす丁度程よい暗さと閑けさをもっているのであろう。そのような場所が、成長の過程ですぎた記憶に染みついているのではないだろうか。僕をひきつけるこの空間は、なにか遠く幽暗な領域を連想させるものがあり、あるいはもっと親しげな深い謎を含んでいるように思う。仮りに物に影の全くない光だけの世界とか風景とかを想像してみよう。人は光によって生きる活力を得、影によって憩い、ほのかな灯りのなかで愛し合ったり、夜闇の中で眠り、毎日こうして光と影の織りなす変化の賜を意識することなく生きている。もし僕たちが、影のまったくない光だけの世界に投げ込まれたとしたら、おそらく三日もせずに平穏な精神を失っすることであろう。その世界は、僕に死の存在しない世界を連想させるのではないだろうか。人がもし影のない世界に恐怖を感じるとしたら、その恐怖心は、死のない世界への恐怖心と連なるのではないだろうか。僕たちの眼に、この世が光の世界として映るなら、あの世は影の世界、闇の世界として映る筈だ。光への願望とともに、生き物に共通のこの影の部分への衝動、願望は、死後の世界と何らかの関連をもたないか。勿論このような、不知の領域に立ち入る方法を僕たちがもつはずもなく、明暗のほどよく繰り返されるこの世界に住んでいるから、こうして安堵して生きている。よく、眠れないという人がいる。僕も心配事を抱えているときは夜中に目がさめてしまうことがある。が、不眠も永遠に続くものではなく、ムリに意識しなければかならず眠りは訪れる。人並みにこのまま死にたいと思うほどの焦燥感に襲われることだってある。しかしどのような不幸や哀しみも、ムリに逆らおうとしなければ、いずれ薄まり忘れるときがくると思うようにしている。光の明暗も、人生の明暗も、どこかですり替わるときがあるから生きるって面白い。昨夜、先輩の酔っぱらいから呼び出され、うんざりするほど彼の哲学を聞かされた。今日はなんとなく哲学的モードに…。蝶クリックを!
2009.02.04
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「ふれあい」とともにさかんに使われる言葉「出あい」。「○○あい」の「あい」がいいのだろうか、それにしても使われる。旅行、パーテイ、専門学校やカルチヤーセンター、自治体のコミユニテイセンター、むろん結婚相談所、集団見合から、行政にまで伝播しているようだ。もっとも僕もこのブログを「出会い系サイト」などと(半分テレで)揶揄することもあるが、この出会い系で親しくさせて貰っている方々は大切にしたい人ばかりだ。それはそれとして、様々な商行為や行政でつかわれるこの「出あい」という言葉。これは必ず、望ましい良いことであり、そのイメージは「発見」「未知との遭遇」また「おどろき」「ロマン」などであるようだ。考えてみてもこれは2、30年以前にはほとんど使われない言葉だった。「出あいがしらにゴッツンコ」などはあったが、これは今の「出あいの旅」などとはニュアンスがまったくちがう。もっと昔、江戸時代の「出あい」はもっぱら男女の密会やランデブーの意に使われたようだ。「出あい茶屋」はソレ目あての男女が目指す場所であったし、「出あい宿」もソレ目当てであった。今の「未知との遭遇」とちがって、なじみの男女がしめし合わせて落ち合う「既知との遭遇」というニュアンスだ。今、江戸時代の「ソレ」の意味が健在だとしたらどうだろう。「出あいの旅」、「出あいのつどい」「出あいの会」、「出あいのパーテイ」…どれもアヤシげでいやらしいではないか。このように、理屈っぽく考えるほどのことではないが、お膳立ての「出あい」とは本来アヤシゲなうさんくささが漂うし、アンチョコすぎるような気がする。「出あい」という言葉にふさわしい場合は、予期せぬ出来事、思いもよらぬ人と、あっと驚くハプニングが待ち受けといるような状態が希求されるのだ。逆に言えば、旅行会社のチラシのパックの旅に乗ってでかける、決まりきったエスカレーターに乗るような「出あい」など、まったく表層の形に触れてくるだけで、ドキドキするハプリングなどとは無縁なものだと思う。計画されセットされた「出あい」などではなく、本当のナマの「出あい」こそ待っているものだ。そんな「出あい」を大切にしたい。蝶クリックを!
2009.02.03
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僕は友人は多いほうだと思う。そのなかで心を許せる親友のようなつきあいは約10人、文芸を通じて20人ほど、ポン友が約10~20人くらいといったところだろうか。さて、単なる友人はともかく、親友とはどのへんからを言うのだろう。例えば思いつくまま列記してみると、・互いの個人的な秘密を打ち明けあえる仲。・なんでも相談でき、いざという時には自分のために骨を折ってくれる、あるいは骨を折れる人。・離れていても心が通い合う人。・損得抜きでつきあえる人。・家族ぐるみでつき合いのできる人。などなど、いろいろのパターンが考えられると思う。僕が親友としての条件にしているのは、・“互いの思想・哲学”を尊重しあえ、深入り過ぎずにつきあえる人。思想や哲学が同じでなくてもいい、むしろ違った方が面白いともいえる。しかし“尊重しあえる”“節度をもてる”ことが大切だ。これまでの体験から、ズブズブの関係は、何かのはずみで反目したばあい決定的に傷つけ合ってしまうことが多い。これは互いを尊重しあえないことと同義で、相手に深入りし過ぎることゆえの弊害だろう。このように分析してみると、僕にとって「親友」とは、とことんベッタリしない関係ということになる。ところで、どこかのコマーシャルにも“友達のような家族”というフレーズがあったが、最近は“友達のような○○”という関係が多すぎると感じる。○○に入るのは、父や母だったり、先生だったり。親子や師弟のフレンドリーな関係は、一見好ましい典型のように感じるが、このフレンドリーさは成長過程の子供に、間違った認識を植え付けやすく好ましくないと思っている。親子は親子、師弟は師弟という、ある種無条件の序列は一時期経験しておいたほうが、大人になってからの人間関係での経験につながるのではないかと思う。親子関係・師弟関係はある面で不条理の押しつけでもある。なぜ父親(あるいは母親)が家庭行事などでいつも上座にいるのか、母親(父親)がサイフを握っているのかなど、それぞれの家庭のなかのルールは、社会のルールとは別に存在する。必ずしもそれが合理的な理由とはならないことがある。しかし、そんな小さな不条理を受け入れる、あるいは心のなかで反発する気持ちが、やがて社会で出会う大きな不条理に対しての免疫ともなる。ただし、子供が一人前になったときには、家庭での不条理な関係は解消すべきだ。でないと、子供に小遣いをねだったりできなくなるから…。蝶クリックを!
2009.02.02
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諏訪中央病院の鎌田實さんが書いた『がんばらない』はベストセラーになったが、この「がんばらない」ということを実践するのはむずかしい。何言ってるんだ、ぜんぜんがんばりが足りないじゃないかと周囲からは言われそうだが、つい頑張ってしまうし、他人にも強要してしまう。大方の日本人はそんな性格をもっているから、逆説的な「がんばらない」がヒットしたのだと思う。これは、誰かのために働いてきた歴史が長いからだろうと思う。お上に「こんなに汗水たらして働いてるんですよ」と見せなくてはならなかった歴史が長く続いてきたからだろうと…。もし自分のために働くという単純な行為がそのまま行われていたら、努力はけっして評価の対象にはならなかっただろうし、「努力」なんて墨で書いて貼る必要もなかったと思う。生まれつき車椅子に乗っている女の子が書いた文章を読んだことがある。「わたしははじめっからこれだし、これに慣れてるし、これ以外味わったことがないから、十分普通に暮らしている。なのに、会う人ごとにみんなが『がんばってね』と言う。もうやめてよ。それさえやめてくれたら、明るいのに。いったい何をがんばるの?」というような意見、感想文だった。なにげなく「がんばろうね」などと言ってしまい、どれほど人を子供を傷つけてきたんだろう。まあ、頑張ってくれたおかげで子供たちが洋服などプレゼントしてくれるんですが…。ありがとう。…これならいいかな。蝶クリック!
2009.02.01
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