全24件 (24件中 1-24件目)
1

タモリやMrマリックに代表されるタレントは常にサングラスを掛けている。どうかするとそれに習って、サングラスを常用しておられるニイさんがおられる。スキーや車に乗る時は紫外線よけとしてわかるが、レストランや寿司屋でなぜしているのが僕にはよく理解できない。山荘付近も紫外線は強いかもしれないが、せっかくの新緑は裸眼で見てほしい。大概、サングラスの傍らには見てくれの良いレディがついておられるのだが、ニイさんはサングラスをしたまま食事をしている。もっとも一人だけでサングラスでの食事にはあまりお目にかからない。いうまでもないが、料理の味は、味覚や嗅覚だけでなく視覚もおおいに関係する。いったいサングラスをして馬刺しの赤みはどんな色になるのだろう。タマゴの黄なんかウンチ色になってしまうのではないだろうか、と他人事ながら心配になる。サングラスのニイチャンがいるとついつい観察してしまう。食事中に注意深くしているとレディが立った留守などにかならずといっていいくらい一度は外し、おしぼりで顔を拭ったりするものだ。もちろん素顔を拝見する「チラッ!」。どうかするとサングラスがもったいないような大人しい顔もあるが、大多数は間抜けな顔が多い、これが…。食事の後、その見てくれの良いレディとどんなことになるのかは知らないが、きっとどこか煮詰まればサングラスを外すことになるだろう。せっかく、ムードが盛り上がってきたときに、サングラスを外してあの顔にレディが吹き出してしまったら、せっかくの演出が台無しになるのではないかと、心配になるというのはいらぬお節介かな。それにしても、そんなところばかり見ている僕ももっとまぬけかもしれないな。 棲む土地を追われもぐらのサングラス サングラスかけて兄上舞いもどる蝶クリック!
2009.04.29
コメント(14)

まもなく五月というのに空気が冷えている。今は三日月で、信州も冬空のように星がきれいだ。子どもが小さかった頃は、庭に連れ出して夜空を眺めるってこともよくあった。あの星をプレゼントするから大事にとっておくように…、なんてオトナにだったらキザの言葉も子どもには言えたっけ…。流星群の来たときには雪のパラつくなかを星空をもとめて車を走らせたこともある。親も子どもも、月や星、そして蛍と、ひかるものが大好きだった。それからン十年、僕は酔って帰ると、いまだに家の庭で星空をながめるのがクセになっているが、独りだ。月や星以外のひかるもののはトンと縁がないが、月光浴のひとときはつかのまの至福の時間となる。明日からゴールデンウィークとやらで、信州も賑やかになることだろう。山荘も受け入れ準備がほぼととのった。わが家まずしき一家揃って星を見る蝶クリック!
2009.04.28
コメント(10)

勇造コンサートに娘さんと参加したきむちゃんは、流木アートが高じて今では火鉢など木工製品まで手がけているが、これが最近始めたとは思えない見事な作品ばかりだ。これなどはもう尊敬するしかないが、凝り性が高じて、ブランドものの小道具や小物に凝る男をみかけるようになってきた。「これがヴィトンのバッグ。こっちがグッチ。それにカルチェのライター、傘と帽子はほらバーバリ」なんて得意顔でやられるとぶん殴りたくなるが、実際には「それはそれは、さすがだね」などともちあげてはやる。内心は(さすが軽薄だね)と言っているわけだが…。それにしても、本人は一流メーカー品をお供に連れて悦に入っているつもりだろうが、それらに自分の足りない部分を補ってもらっているに過ぎないのではないか。友人にいわせると「小道具に凝る男ほど、自分の大道具(?)に自信がない奴だ」といいきるのだが、一理あるような気がする。かといって物入れはボケットで十分、傘は濡れなきゃいいという僕などは、つまらない男と思っているだろうか。小道具のうち男のネックレスとブレスレット、指輪などで、日本人の男で真っ裸になってこれ等のアクセサリーが似合う男というのもまず無いのではないか。例えば僕の貧相な、あるいは太りすぎた腹や胸、短い腕などを、わざわざひかりもので花をそえても、貧相がいっそう際だつだけではないか(ドボン!)。あれは背が高く、筋肉質でたくましいアポロンの神々の流れをくむ西洋の男たちがつけるにふさわしい飾りもので、そのかわりといっちゃなんだが、日本人には日本人にしか似合わない晒し木綿のふんどしとか、はちまきってものがある(日の丸はちまきはゴメンだけれどね)。友人に北原永くんという太鼓打ちがいる。まあ、美男子とはいえないが、頭にきりりとあの晒しのはちまきを巻きつけてみるとなんともさまになり、色気さえ感じる。なにも高倉健や北島三郎でなくても、男っぽくて日本男子ここにありみたいな感じにはなるのだから不思議である。では、指輪も晒しも似合わない男は一体どうすればよいのかというと、ハルナ愛の世界でも目指せばいいのだろうが、不細工なアスパラ缶みたいな男に惚れる女はいないだろうなぁ。とにかく、男はブランドモノや飾り物などなくても存在感を示せなかったら、タダの生き物でしかないのだ。(後ろから石つぶてが飛んできそう)蝶クリック!
2009.04.27
コメント(4)

昨晩は主催した「豊田勇造コンサート」があり、久々に堪能した。おなじみの『花の都ペシャワール』から一気に勇造ブルースの世界に引き入れられる。勇造さんは、ブルースハープというのだろうかハーモニカを吹きながらギターを弾き、唄う。そこからつぎつぎに歌われる曲はどれもが真剣勝負といったソウルフルな演奏。ギターとギターのボディを叩いて打楽器するミュージシャンは何人か見てはいるけれど、これほど自在に使いこなしている人は豊田勇造しかしらない。音に出会ったことは無かったと思う。とにかく、スゴイ。凄かった。彼のコンサートは今回で3回目になるが、聴くほどに味わい深く感じるのはなぜだろう。ただ、このコンサートを企画していつも苦労するのは、この人の魅力をどう伝えるかということ。僕は、員数あわせのために聴きたくもないのに引っぱってくるようなことはしたくない。あくまでも「聴いて良かった。来て良かった」と言ってもらえるコンサートにしたい。と、武士は食わねど…を気取っていると、20人そこそこということになってしまう。案の定ではあったが、どの人も楽しげに聴き、コンサートが終わった後も十数人がすぐに帰らずに夜遅くまで歌声懇親会となった。僕は、参加してくれたきむちゃんの半生記を聞きながら酌み交わすうちに朝の4時。もうすぐ夜も明けるかという頃になって、バタンキュー。このブログにも時々コメントするなおぞうさんはこのところ山荘に頻繁に出没しては、川や森に向かってギターを鳴らし大声で唄っている。その彼がこの後行われる4ヵ所のコンサートの追っかけとして同行するという。今日は、上諏訪駅前でのライブにも出演ということで、朝方6時頃まで練習をしていた。豊田勇造さんのコンサートをしていて思うのは、単なる音楽を聴くということだけでなく、人と人との魂のふれあいという側面が大きいような気がする。僕に勇造さんを紹介してくれたのは徳島のお医者さんDr.悠々さんだが、僕も勇造さんを紹介したことにより、一緒に京都の6時間60曲ライブに行きたいという熱心なファンができた。これも、歌が良かったということもあるが、豊田勇造という魂に魅せられたということのような気がする。蝶クリック!
2009.04.25
コメント(2)

草なぎ事件はあまりにも不思議な事件だ。泥酔していたとはいえ、普通だったら保護処分。留置するとても軽犯罪程度のことで、送検してまでとどめ置く必要があるのだろうか。逮捕してしまったから、やむおえず犯罪立件にもちこもうとしているのだろうか。ということで、これからは僕も人前では脱がないことにしよう。などと言ったら、文章なんて書けなくなる。逮捕されるのを覚悟で、これからも脱ぎますよ。小学校3年生頃だった。近くに仲の良かった女の子の家があった。春には、田んぼのれんげの中で花の蜜を吸ったり、ママゴトに興じたりして楽しかった。父親同士が友人だったこともあり、家族ぐるみのつきあいだったがその頃、女の子の父親は長いあいだ結核で伏せっていた。夏になったら父親の病状がいっそう悪化したということで、女の子の家に遊びに行くことを禁じられた。その初秋、とうとうその父親は亡くなった。葬式を終えてから数日後、父の後についてひさしぶりに少女の家を訪れた。女の子はゴザを持ち出して庭の花桃の木のあたりに敷き、ふたりぶんのカルピスを運んできた。春の日和が心地よかった。「○○ちゃん、ちょっと来なさい。」母親が家の中から少女を呼んだ。僕は女の子が家に上がった隙に、女の子のコップに自分の口をつけて舐めてみた。うす甘い感覚が身体いっぱいにひろがり「ドキン、ドキン」と鼓動が高まるのを感じた。母親から渡されたお菓子をもって戻ってきた女の子が花桃の花を皿に盛り、ママゴトのように「はい、ご飯ですよ」と、僕に差しだした。そのように病気のお父さんに食事をはこんでいたのだろうか、僕はおずおずとそれを受けとった。女の子は、僕が舐めたコップだとは知らずに、カルピスを飲んでいる。うしろめたい歓びにわけのわからない興奮があった。そのとき、人の気配がして振り向くと、父と女の子の母親が並んで縁側から僕らのほうを見ていた。僕は悪いことをしているのを見つけられたような気がして、その場に皿ごと花びらを投げ捨て、逃げるように家に走り帰った。しばらくすると、女の子の家族はそこを引き払い、母親の実家へと引っ越して行った。数年前の春、数十年ぶりにそのときの女の子だった人と花桃のある公園で再会した。いまでも当時の面影が少し残っていたものの、お互いに白髪混じりの年になっていて、あの頃の甘酸っぱい感情はすっかり消えていた。花桃の咲く季節になるとあのときの光景が浮かんでくる。幼かった女の子の姿は今でもくっきりと思い出せるのだが、数年前に再会した人の姿は、春霞のようにとぎれとぎれにぼんやりとしか浮かんでこない。裸になれたかな…。む今日は、山荘で豊田勇造さんのコンサートがあります。これから、その準備に行きます。
2009.04.24
コメント(8)

草なぎ剛が人事不省状態のまま素っ裸になり深夜の公園で騒いでいて逮捕されたという事件。詳細はわからないが、僕には瞬間的に尾崎豊が死んだ事件がオーバーラップして浮かんだ。尾崎豊は覚醒剤を使っていて、結果的に覚醒剤の多量摂取による急性中毒が引き起こした肺水腫により死んだということになっているが、報道によるように草なぎ剛が逮捕時の状態を覚えていないほどだったというと、なんらかの薬物中毒が重なったのではないかという疑いも感じられるが、できれば外れていて欲しいものだ。彼は、堀越高等学校を埼玉の実家から3年間無遅刻無欠席の皆勤で卒業しており、全コースにおいて学業優秀、品行方正だったという。いわゆる草食系の爽やかなイメージで売られてきたが、その重圧に押しつぶされたということだろうか。ところで酒の上の愚行ということでは僕も青春時代に経験がある。一度は会社の同僚とデパート屋上のビアガーデンで、ビールの大ジョッキを一気飲みして、死ぬかと思うほど苦しい思いをしたことがある。二度目は居酒屋で、日本酒を飲み過ぎて、一緒に飲んでいた相手の前でゲロをしてしまった。三度目は、旅行の列車内でウイスキー大瓶を8分目ほど飲んだところで、気を失ったこと。こうした経験を積んで、今では品行方正(?)、酒を飲んでもに呑まれない定量を心得るようになった。草なぎほどのタレントになれば、仕事のスケジュールをこなすのに目一杯で、メンタルコントロールの面がおろそかになっていたのかも知れない。それにしてもワイセツブツ陳列罪というが、誰もが似たようなものはもっているが、ワイセツブツ所持罪というものにはかからないのだろうか。なにか隠し持っているほうが、タチが悪いような気がしないでもないが…。蝶クリック!
2009.04.23
コメント(14)

インターネットが発達して、ちょっとした知識はグーグルなどで手軽に手に入るようになった。それは便利で僕も重宝しているが、知識として学ぶことと体験から学ぶことの違いをちゃんと意識していないと、これはアブナイ道具だとも思う。例えば「走る」ことは、科学的につきとめた理想的なホームというものがあって、それは知識として学ぶことができる。しかし、いくら理想のホームの知識を手に入れても「トレーニング」という体験をしっかりしなければいいランナーにはなれない。ということは誰にでもわかることだが、これはあらゆることに当てはまる。人の生き方もしかり、いくら人と上手につきあう方法や一流大学で学問を積んでも、実体験で経験しなかったら一流の人間とはなり得ないのではないだろうか。ノーベル賞を受けた方々の弁を聞いていてもそう思う。どなたもたいがい数え切れないほどの失敗(体験)を「経験」して画期的な成果に結びついている。そして、「常識外れ」や「変人」だったことが、輝かしい栄誉につながっている。既成観念や既成知識にたよっていてはだめなのだ。アンチョコな知識でなんでも一直線に手に入れてしまうと、「常識外れ」な結論は得にくくなる。社会生活においてもそうだ。社会の仕組みは実に不条理に満ちている。教えられた教訓やマニュアルどおりにいかないことのほうがむしろ普通だ。さまざまな困難や理不尽な出来事とであい、悔しいおもいやつらい体験を重ね、失敗を経験にしているから、突発的な出来事にも対処しやすくなる。 鳥の雛がいったん巣から飛び立つと様々な危険が待ち受けているように、ひとつの失敗がときに命取りにつながることもある。しかし、それを怖れて籠のなかで一生暮らすのが幸せなのか、大人になるまで籠の中で育てて、突然自立をもとめて本当に飛び立つことができるのか、子育てでもこのところを考えてみるべきではないだろうか。ところで、先頃自分の個人誌で「官能的小説」に挑戦してみたのだが、どうもリアリティーに欠ける。ところが仲間は、とてもナマナマしい原稿を寄せている。この面では、体験の差が歴然としている。僕は生きるうえでの失敗は誰にも負けないほど重ねてきたが、異性関係だけは、仲間たちの足下にもおいつかないようだ。いずれ、艶っぽい文章を書くようになりたいと期待して……。蝶クリック!
2009.04.22
コメント(10)

伊那北駅近くの I 医院、いつ行っても患者が少ない。しかし、僕は大風邪を引いたときは、ここを訪ねて注射を打ってもらう。なにしろ待っている患者が少なくて、すぐに診てもらえる。待合室に病人が少ないということは、感染させられる確率も低い。「患者が少ないからヤブに違いない」という風評をどこかで聞いたが、僕はそれが不思議でならなかった。なぜなら、どんな場合でも的確に診断してくれて、大概すぐに治ってしまう。もっとも、僕の病気は動物病院に行っても治ってしまう程度だから、あんまり参考にはならないかも知れないが…。しかしある日、院長に話しを伺ってなるほどどとナットクした。「僕はね、ほっとけ医者なんだよ。僕のところにくる患者さんの大部分は家で静かに寝ていれば治ってしまうくらいの病人。このくらい長く医者をやっていると、呼吸と顔を見ただけでどの程度の病気かわかる。だから、早く家に帰って寝なさいって、ほっといてあげるんだ。それで今まで誤診とされたことは一度もない。でも、患者は不安なんだね、だから他の病院を回って、何とか病名をつけてもらうとようやく納得する。ときには、待合室から病気をもらってきてしまうことだってあるんだよ。僕が、大丈夫っていったら寝ているのが一番なんだがねー」僕も風邪がひどいときは「お願いだから注射を打ってください」と懇願する。するとうれしそうに太い注射器をもってきて、身体がギュッと熱くなるようなイターイ注射をしてくれる。勤めているナースたちも変わっている。「先生、給料は少なくてもいいからなるべく仕事をしないでください」と、高齢となった院長にあまり仕事をさせたがらない。自分たちでテキパキとこなしてしまうようだ。「近くのお歳よりから、センセイ、ワシが生きているあいだは死なないでくれ、と言われたけれど僕だって楽になりたいからねー」と、大笑いされた。当地の公立病院はいつも混んでいるが、身近な家庭医という存在を信頼し、もっと活用すべきではないだろうか。どんな医師も、長くおつきあいをしているとその患者の状態やクセを把握しているから、大病院にできない適切なアドバイスや治療をしやすい。それに、医者だって、患者さんに長くお得意様でいてもらうには、ほどほどに病気になりながら長生きをしてもらうに超したことはない。だからそう簡単に死なせるようなことはない、…と思う。蝶クリック!
2009.04.21
コメント(13)

世の亭主族は妻をどのように呼ぶのだろうか。「○子(名前)」「君」「ママ」「カアちゃん」「奥さん」「オバサン」「オイ」……。あまり色気のある呼び方はないような気がする。女性たちの夫の呼び方のほうが多様で面白い。オーソドックスに「夫」とか「主人」という人より、「亭主」「うちの」「同居人」「連れ合い」「宿六」「愛人」「旦那」「良人」「お父さん」「パパ」「ダーリン」etc…、そして、「粗大(ゴミ)」まで、いろいろあるものだ。オーソドックスに呼べないのは、たぶんにテレもあるのだろう。最近は日本語の使い方もよく言えば多様化、悪く言えばいい加減になってきて、本来なら誤用とおもわれる使い方が目につく。その一つに「私は○○な人なの」というのがある。「人」という言葉には軽い敬意が含まれているので、本来は自分に使うのはおかしい。「あの男」「あの女」という言い方には軽度の見下げた態度がふくまれていることから考えれば「あの人」には、軽い敬意が含まれていることになる。「主人」は最大の敬意ではあるが、女性にとってこんな屈辱的な呼称はいつから始まったのだろう。妻が夫を「うちの人」と呼ぶか、「うちの亭主」あるいは「うちの」というのか、呼び方で夫のその家の中での序列がなんとなく想像できる。ところで「あの方」という言い方は通常は敬語であるが、いつぞや、わが家人が「あの方は、ああいう人ですから…」とため息をついたという。「あの方」とは僕のことらしい……。蝶クリック!
2009.04.20
コメント(8)

takaneさんほか、区切りのいいご訪問ありがとう。お礼にチュ!食べられます5月10日には「山野草を食べる会」があり、山荘付近にある植物を摘んできてさまざまな料理にして食する。これはもう3年目になるが、某総合病院の料理長や栄養士、それに腕自慢のおばさんたちが目の前で腕前をみせてくれる。自分のところでやりながら、わが山荘も随分とノウハウを授けていただいている。一応僕が食べられる植物の案内をすることになっている。信用できないと思ったら食べないことだ。食中毒ということではきのこで当たる人が多いが、きのこの食毒性は先祖の人体実験によって知りえたことである。何でもそうだが、最初に食べた人はエライと思う。後世の人たちのためにすすんで人体実験をしてくれたのである。だから「まず最初に食べた人」とはすなわち、「食における冒険家」ということであり、エベレスト山頂を征服した人とか、南極大陸を横断した人とかに匹敵する偉さではないだろうか。こちらは立派に人類に貢献している。もっとも、こういうとすべてについてそうかも知れない。外国ではあまり食べないようだが、たとえば「たこ」。僕たちは「たこ」をよく食べる。寿し屋に行けば「たこ」を注文するし、酢のものにした「たこ」も、「たこ焼き」に入った「たこ」は関西では欠かせないし、「たこ」の足を焼いても食べる。だが、あんなにグロテスクな生き物をいったいどんな人が最初に食べたのだろうか。こんな会話があったのではないだろうか。「おまえ、あれ食ったのか?」「ああ、食ったよ」「だっておまえ、あれは、あんなグロテスクだぜ」「いけないのか?」「いや、いけなかないよ、だけどぬるぬるでどこかエロチックではないか」「スケベなやつだな、ぬるぬるはきらいないのか?」「だってさあ、あれを食うってのは、やっぱちょっとエッチだよな」なんてねちねちご託を述べる人にくらべて「まず最初に食べた人」の堂々とした潔さはどあだろう。誰よりも先に「たこ」を食べたことの誇りにみちている。そして、その自信に溢れた口ぶりに誰もが納得し、じやあ試しに食べてみるかと、それをロにしたのだろう。二番目以降に食べた者らは「たこ」を最初に食べる勇気のなかった小心ぶりを笑わねばならない。そして、我々はここで、「まず最初に食べた人」の、もうひとつの側面も知らなければならない。「まず最初に食べた人」に与えられるのは「栄光」ばかりではない。そこには、「犠牲」もあったわけだ。つまり、「まず最初に食べてひどい目にあった人たち」でもある。「どうだった?」「ダメダメ、すげえにがいの」といった程度なら笑ってもいられるが、たとえば、「ふぐ」の場合はそうはいかない。誰かがそれを食べて死んだのである。そのことによって初めて、「ふぐは危ない」とわかるが、「ふぐ」には特別な事情もあった。死んだ者が死ぬ間際に言い残した言葉が状況を複雑にしている。「く、くるしいけど、とても美味かった……」だから、危ないけれど恐る恐る食べ始めたのだろう。このことひとつとっても、「まず最初に食べた人」の偉大さがわかる。しかし彼らは歴史に名前を残さなかった。たしか『たこ八郎』という名前はあったが、彼が死んだのもたしか水死でね食中毒ではなかった。こうして僕らは、あたりまえのようにきのこもたこやふぐも食べている。とりも食べる。牛も食べる。信州では蜂の子、川虫、ときにはイモリだって食べている。食べてないのは人ぐらいだ。ときどきおいしそうな女の子がいるのだが…。なんだかまわりくどくなったが、したがって先人の努力によって食べられるようになった山菜を旬のときに食べない手はない。皆さん、僕を信用して「山野草を食べる会」に参加しましょう。そして、もしも、万一に中毒で殉死された人がいたら、その人こそ真の冒険者として後世まで語り継ぐため、毎年この会を続けようではありませんか。なんだかナ~って思った人、殉死は冗談だよ。おっと、そのまえに「勇造コンサート」が…蝶クリック!
2009.04.19
コメント(4)

山荘の脇を流れる川は中央アルプスの雪溶水や伏流水を集めて下る小黒川という清流だ。ときどきその小黒川添いや山荘からつづく小径を探検している。山野草が咲き始めていて、先日はカタクリの群生地を発見した。まるでカタクリの花畑のように一面に咲いている。山荘の小径は、二輪草が一面に咲いていてこれも童話の世界のような心地よさをみせている。きままにバイクで走ったり、歩いて登ったりするのだが、途中の小さな支流にふと興味を感じて、道を逸れてその川の行く先に入ってみた。すこし行くと川の両側に小路があり、小路に沿って可憐な草花が紫や白い花をつけ、周辺の黄緑と絶妙なコントラストとなっていた。そこに佇むと、川の瀬音がよくきこえ、じっとその音に耳を澄ませてみた。懐かしい調べに身体が心地よかった。先日、伊那市から小黒川添いに中央アルプスの途中まで登ったのだが、遠く下の方からきこえて来る川の瀬音をきいていると疲れも忘れ、汗も心地よかった。森林の中では川音に代わって小鳥のさえずりがつづくのだが、視界の開ける途中で腰を下ろすと、また瀬音がきこえて来る。僕はやさしい水の音に聴き入った。ときどき僕は、不思議に水の音にとらえられて、寺の庭に流れ込む水音にひかれ、半時間も耳を傾けてみたり、そうかと思うと雨音に聴き入っている自分に、ふと気づいたりすることがある。一体、水の音に何を感じていたのかは記憶にない。ただ水の音は、疲れた心をやさしく包んでくれることは確かなようだ。自然が生む音はどうしてこんなに耳にやさしく響くのだろうか。水に限らず風も雨も雪も、いや、雷、野分、凩といった音までがときに懐かしく心地よい。自然はこうして人間から年輪を重ねることの憂鬱を忘れさせてくれるものかも知れない。蝶クリック!
2009.04.18
コメント(9)

最近、こんな記事が駆け巡っている。北野誠というタレントに関心があるわけではないが、いったい彼がどのような「不適切」な発言をして、タレント生命を無くそうとしているのか、「松竹芸能」というプロダクションがーに責任の類がおよんだのか気になって、調べてみた。北野誠さん不適切発言:松竹芸能が音事協退会 タレントの北野誠さん(50)の不適切な発言問題で、北野さんが所属する松竹芸能と番組を放送した朝日放送が、日本音楽事業者協会(音事協)に退会届を提出し、受理されていたことが15日、分かった。音事協は芸能プロダクション約100社が加盟、賛助会員として放送局など約40社が名を連ねる業界団体。北野さんについて松竹芸能は13日、ラジオ番組やイベントで不適切な発言があったとして無期限の謹慎処分にしたと発表。レギュラー番組は放送局と調整し、すべて降板させるという。北野誠さん:不適切発言で無期限の謹慎に 松竹芸能は13日、所属タレントの北野誠さん(50)を無期限の謹慎処分にしたと発表した。 同社によると、ラジオ番組やイベントで不適切な発言があったためとしているが、具体的な内容は明らかにしていない。関係する役員らも懲戒処分にしたとしている。今後、北野さんの出演しているテレビ、ラジオ5本のレギュラー番組については、放送局と調整したうえで降板させる予定。その問題発言というのが、あるサイトに紹介されていた。北野「派遣社員って今何人いるのかい?」アナ「ちょっと分からないですね」北野「結構いるんだろ?やっぱりね、今の与党はおかしいよ、絶対! 首相が漢字すら読めない事態だもの」北野「それにもう一つの与党は宗教で政治献金を収集して 『大勝利、大勝利』って教祖様が世界行脚している写真を載せている でしょ?有名な新聞に・・・」アナ「それはちょっと・・・」北野「お金で幸せを掴もうなんてダメ、宗教がそれをしているんだもの 笑っちゃうよ」アナ「ここで宗教の話はしないほうがいいかと・・・」北野「何がちょっとなの?」北野「あと、蟹工船って読んだことあるでしょ?アナウンサーなら」アナ「はい、学生時代に読みました 暗い話ですよね」ここで突然CMが流れて、その後…アナ「先程、不適切な発言がありましたことを心よりお詫び申し上げます」北野「何?俺が不適切な発言をしたって言うの?俺が赤旗を読んでいるからってその宣伝なんてしてねぇぞ!」アナ「それじゃありません」北野「そうかそうか」北野誠は、以前に歌手の山本リンダのヌード写真集に対して、「こんな100箇所以上の整形手術をしたやつの写真集なんて見たくもない」とラジオで発言し、謝罪会見をさせられたこともあり、その後遺症もとりざたされているが、真偽のほどはわからない。これらの発言は品のあるいい回しとはいえないが、これもこのタレントの持ち味で無視すればすむ程度の話ではないだろうか。これらは巷間では噂されているたぐいのことで、誹謗中傷にあたるのだろうか。これは該当S宗教団体からの圧力があったというより、放送局側とプロダクションの過剰な自主規制ではないかと思うが、こんなゴミのような問題で上へ下への大騒動をすること事態が、大問題だと思う。北野誠のブログは閉鎖され、無期限謹慎、実質上の芸能界追放ということらしいが、この程度で島流しになるんだったら、いまのニッポンは江戸時代とかわらない。北野誠は朝のニュース番組のコメンティーターとしても出ていたが、言論人が自分の考えを自由に発言できず、マスコミが規制をかけだしたら、それは言論の死に等しい。これは、特定の宗教団体や政党だけの問題ではない。タレントや言論人が公共の電波を使って自分の見解をのべることを、その蛇口の部分で規制するとこは、結局国民を言論操作するに等しいことで、かの問題発言よりはるかに深刻な問題を抱えていると思う。このように言うと、「では、何を喋ってもいいのか」というムキもあると思うが、よほどの発言でないかぎり、その程度はリスナーが判断することで、あまりにヒドイと思えば、視聴者に見放されたり淘汰されていくのが、彼らの宿命である。ある許容範囲で応えてゆくのが民主主義国家の美徳とやらではなかったか。例えばAVビデオなどには、人間の尊厳を極端に無視したかの映像もあるが、それでも「ビデ倫」を通り、表現の自由とやらに守られている。それにくらべて、ニッポンマスコミ界の「倫理」とやらは笑うに笑えないほどお寒いといえる。蝶クリック!
2009.04.17
コメント(10)

ごぶさたしてしまいました。ブログを再開します。その昔、息子が彼女から貰ったというドラえもん人形を譲り受けて持っています。ドラえもんは、いわゆる物質文明に毒された子どもたちの夢の代表のようなものです。遠くに行きたいと思えば「どこでもドア」を開き、欲しいものは「ポケット」から好きなように取りだすことができます。空を飛びたいと思えば「タケコプター」を出して、好きなところに移動できます。最近の人々を「勝ち組・負け組」に色分けしたがる風潮も、あるいは「ドラえもん」のアンチョコさが影響しているのではないかと感じられます。ドラえもんを観て育った子どもたちが、欲しいものが何でも安易に手に入るという錯覚で、結果だけを求めるようになる。いわゆる一頃のホリエモン指向。もちろんなり得ようがないわけですが、結果までのプロセスの大切さを意識するクセが抜けていないから、結果としていつまでも夢を夢見てドラえもんのポケットが天から降ってくるのではないかと夢想してしまう。そのまま30歳、40歳になって愕然とする。このところの不況で希望の職どころか、定職につきにくい人が増えているようですが、これはドラえもんのポケットの世界から、現実に戻るための機会にはなるのかも知れません。しかし、このところの政治が選挙を意識して、ドラえもんのポケットを語りはじめています。ぼくには、バラマキ、お手盛りの後の増税がより心配になります。ドラえもんのポケットは、永遠に遠くに置くべき焦点としてあるべきだと思っています。例えば、宇宙へ「行く」ことより「行きたいなぁ」というところに意義を感じるべきなのです。「○○ができる」ことより「○○をしたいなぁ」と思っているいるところに生きてゆくパワーが生まれます。たとえば恋愛だって、結果をやすやすと得られたら、こんなつまらないものはないでしょう。何とか好意を寄せている人に気に入られたい、振り向かせたいと思っているから、日々自分を磨くわけです。結果を得られなくても、磨いた自分はのこる。僕にとってのドラポケは、現在は山荘でしょうか。動けば動くほど、目標が遠くの方に移動して行きます。それでも、目標があればまっすぐに歩けるものなんです。それにしても最近、親しい人に大きな病気があったりして気がめいります。いろいろ言っても、健康がいちばんの目標かなぁ。蝶クリック!
2009.04.16
コメント(12)

信州は花盛りです。先週末から、花を訪ねて文芸仲間やお客様が続いて山荘に見えてくれましたのでブログを休んでおりました。今日もこれから詩のグループと…。ということで、溜まった仕事からまだ手を離せませんのでとりあえず花便りをお届けします。蝶クリック!
2009.04.14
コメント(16)

アリスたちのパーティー昨日は、東京上野の「東京都立美術館」で「日仏現代美術展」。桜吹雪の上野は、「阿修羅展」「ルーブル美術館展」など観たい展示がいっぱいあり、目移り、目移り、ついでに公園内でパフォーマンスをしている若い女性にも…。前日にカメラなどを車に用意して、早朝4時半に起床。すると、妻がバス停まで送るという。うっかり妻の車に乗り込んで向かったので、バス停で「ああぁぁぁカメラが~」ということで、カメラをもたずに乗り込むこころ細さ。目にしてきたものは、ぼくの記憶のなかにあり、ここではお見せすることはできません。「日仏現代美術展」では、久しぶりにアリスちゃんと再開。実は、このコとは一夜をともにしたことがあります。3年ほど前に妻ととむぼ宅を訪ねた折りに、アトリエに泊めていただいたのですが、そこにはアリスやら、不可思議な生き物たちさまざまな姿でゴロゴロと無造作に(とみえるゾ)転がったり立ったりしていて、階段には制作途中の生首も…、その真ん中に寝たのです。トイレにも行かずに朝まで過ごしました。ちなみにアリスちゃんは身長約150センチ。さすが首都の美術館、「都立美術館」のなかでは幾つもの展覧会が同時に行われていて、見学できました。徹夜の仕事とやらで遅れてきたとむぼ氏やら友人とやら、どこかのプロディサー氏とやらとも来ていてご挨拶。後はとむぼ氏と上野の花見と屋台の居酒屋で、グチをチビチビと聞きながしながらビールの旨いこと。ということで、昨晩は夜中の帰宅となり、ブログ更新もままなりませんでした。アリスちゃん蝶クリック!
2009.04.10
コメント(10)

言葉や文字は自分の意志を相手に伝えるための機能として発明され、発展してきたわけです。それがさらに発展して、愛情を伝えるコミュニケーションの一方法として、日本語で言えば、和歌・相聞歌へと発展し、現在ではコミュニケーションという枠を超えた表現手段として、広く拡張性をもってきています。文字も単なる伝達だけでなく、様々な書体となり、その形を芸術までに高めてたのが書道となりました。単なる伝達としての機能だけであれば、形の美にまで固執する必要はなかったはずです。常日頃から思うに、文化とは人間が動物としての本能的機能をつかさどる古い脳から、本能以外の感情を取得したところから発生しています。単に“種の継続”“生きる”ということだけが目的であったら不要なことがらです。音楽や美術などの芸術も、無くても生きるだけだったら無用です。グローバルな社会となり、いたるところで激しい競争社会にさらされています。他社より1円でも安いものを、自社の競争力を高めようと考えたら、究極まで効率化に向かわざるを得ません。困ったことに、野放図な箱物行政に明け暮れてきた自治体にまで、効率化せざるを得ない波が押し寄せてきて、その矛先は直接の利益を生みにくい福祉につきつけられています。福祉といっても何が何でも大きく、手厚くすればよいとは思いません。しかし、絶対に削ってはならない部分もあるのです。それが、憲法に謳われる基本的人権にある「生存権」です。たぶんこれを読んでいる方たちはそんな深刻な状態を経験したことがないので実感がわかないでしょう。しかし、特別養護老人ホームなどホスピス的役割に近いところも、公営から切り離されて、民営化への移行が強まっています。当市でも、公営だった老人ホームが民営に移管されました。何度も繰り返してきたことですが、ムダなものにこそ文化がある。お年寄りがムダだといっているのではありません。ある種の人々がムダだと思っているものにこそ、文化が宿っているといいたいのです。まあ、これも文芸事などというムダゴトにうつつをぬかしている男のいいわけみたいなものですが…。明日は、上野小林とむぼさんの「日仏現代美術展」に行ってきます蝶クリック!
2009.04.08
コメント(7)

「わかっている」人が「わからない」子どもに教えるという構造が、学校教育ということになっていますが、もしかしたらそれは間違っているのではないかと思っています。こんな僕でも、川柳や文芸などやっていると、人から教えてくれといわれることがあります。しかし、自慢ではないけれど僕だってほとんどわかっていないのです。いつももっともらしく書いたり、語っているのはほんの断片か一部だけなのです。もし本当にわかったと思えるときがきたら、それはもう人間としてお終いのときだと思っています。たぶん、これでいくらかわかったなどと思わぬうちに臨終を迎えるでしょう。学校の教師にも知人が何人かいますが、正直にいってよくこれだけモノを知らなくて教育をやっているなと思うことがあります。それでも教師をやっていられるのは、知恵や知識を教えているのではなく、技術を教えているからでしょう。方程式など定理や公式など技術は、断定的に教えることができるでしょう。しかし、本当に知りたいことは、もっと不可思議なもの、興味のわくものではないかと思うのです。たとえば、自分好みの異性を見てドキッとする、あの人が横ぎっただけでドキッとする、四六時中あいつのこと考えてるこの気分。そういうわけのわからない不思議な感じや、わけのわからない感じ、相手のことをもっと知りたい気分、一般的にはそういう気分になったときにはじめて、本質的なものが身についてゆくのではないかと思います。もちろん、異性ばかりではなく、文学でも芸術でも、歴史などでも、なにか知りたくなって心のもやもやや、体のもやもやが意識され、「わかりたいな」と思ったときに身についてくるのではないでしょうか。そういう学びたい、知りたいという、その人の必然ができてきたときに、はじめて「教育」というものが、現象としては成り立つのだろうと思います。そのときに教師として必要な人は「わかっている」(ような)人ではなく、現役でやっている人、今でも「わかろうとしている人」だと思います。「自分もここまでしかわからないけれど、つぎはここらあたりが問題なんだよね」と問題を、立場を超えて共有できる人。そのことをいまだにそれなりにやってる人間、音楽やってる人間、絵やってる人間、文芸やってる人間、そして人生やってる人間が、学びたいと思った人の教材になると思います。実は、僕も人並みに十何年か学校に行っていたけれど、技術的なこと以外に教室で教わったことはほとんど身についていないのです。いま人生で役立っているかなと思うことは、学校から離れて学んだことばかりです。まして誰もが感心をもつ男女間のことなど、いけない(といわれた)雑誌や映画、悪い先輩や友達から盗みとったことばかりで、学校ではほとんど教わってこなかったのですから…。蝶クリック!
2009.04.07
コメント(4)

日だまりのなかに可愛い子供がいた。昔は他人の子どもを見てもあまり可愛いと感じたことがなかったが、最近はどの子どもを見ても可愛いと感じることが多くなった。中・高校生の女の子も、街で見かける若い女性も容姿端麗な人が多くなったような気がする。僕の子供の頃、田舎だったせいか美人といえば母親ぐらいで(笑)数えるほどしか見かけなかったような気がする。ある人にいわせると、これも食品に含まれるホルモンの影響だという。ホルモンが美形をつくる?最近は女の子の初潮年齢が早くなって、小学校低学年からみられるそうだ。僕の小学生の頃は、男女一緒に裸で身体測定をした。しかし、胸のふっくらした女子がいた記憶はない。中学生になって、プールでボール投げなどに興ずる女子の脇にうっすらとした若毛を盗み見て、興奮したぐらいだ。小魚より、ハンバーガーや肉を好む現代っ子たちは早く色気づいてしまう、いわゆる発情も早く、大人びるのも早いという説がある。養鶏や養豚などでは餌にホルモンが混入されていて、早く卵を産ませたり成長を早めたりしているともいう。それを食べる子どもたちが、肉体的に早く成熟するというが、僕は成長しないなぁ。それもそのはず、すでに成長の止まった大人には効果はないが、成人病を早めることに繋がっているという。いや、成人病は子供世代にまで降り始めているらしい。野菜をしっかり食べましょう、と言いたいが野菜も中国野菜の残留農薬が問題になったように、すべて安全とはいえない。しかし、食べないわけにはいかない。今年は庭先の畑で、有機栽培で野菜を作ってみようか。それにしても、最近は金肥を使う畑はあまり見たことがない。使ってみたいが、これは近所からは公害になるのだろうか。蝶クリック!
2009.04.06
コメント(13)

半藤一利の『昭和史 〈戦後篇〉 』を読んだのは2年ほど前になる。現在は網野善彦の『「日本」とは何か』をかみ直しながら読んでいる。実は、これは僕も参加している読書グループと友人仲間の今回のテーマなのだ。『昭和史』は、昭和天皇が、いかに戦争終結に大きな役割を果たしたかに書かれているが、これはどうなんだろう。昭和という時代はどことなく鬱陶しい重い空気を感ずるが、著者はその昭和史の教訓としてつぎの5つを挙げている。 第1に、「国民的熱狂をつくってはいけない」。 第2に、「危機において、日本人は抽象的な観念論を好み、具体的な方法論に目をつぶる」。 第3に、「官僚的秀才による小集団エリート主義の弊害」。 第4に、「国際社会のなかの日本の位置を客観的に把握しない」。 第5に、「事が起こったとき、すぐに成果を求める対症療法的な発想を取る」。ついても、歴史の読み方は難しいものだ。以前に、映画「硫黄島からの手紙」で、栗林忠道中将の名将ぶりが異常に注目されていた。個人としても軍人としても栗林忠道は優れた人であったろうけれど、硫黄島での戦いが日本にとって良い規範とばかりするのはどうかと思う。日本軍は守備兵力20,933名のうち20,129名(軍属82名を含む)が戦死した。それだけの死者をだしても粘った結果、敗戦への決断が遅れ、広島・長崎、そして東京をはじめ多くの都市で非戦闘員の膨大な命が失われることになった。これは硫黄島での戦いがねばりづよく見事であったという喧伝が、あるいは当時の軍部で美化され、本土での徹底抗戦の口実につかわれた結果ともとれるのではないだろうか。歴史は、どのような角度から光をあててみるかによって、その評価は変わってくるものと思う。いたずらに、美化も卑下も過ぎたるは及ばずがごとし、と…。北朝鮮の人工衛星(?)がちゃんと軌道に乗ったという。電卓もロクにないい国がロケットの軌道計算をきちんとできるとはたいしたものだ。願わくば、人工衛星のかわりに核弾頭など載せようなどとバカなことだけは考えないで欲しい。もう、戦争で外交をやろうなどという時代ではないんだよ、とちゃんと教えてやって欲しいものだ。蝶クリック!
2009.04.05
コメント(8)

昨夜は事務所で溜まった仕事をしていたら、見計らったように友人からお誘いの電話です。気だてのいいママさんのいる店に行くから付き合えというのです。彼はひとりでは行きたがらない。まあ、たいがいそういうものだが…、いえ、こちらの話。彼にとって気だてが良くても、僕にはただの集金人にしか見えない。といっても、誘いを自分から断ったことがないという、優柔不断友だち思いの僕ですから行くことにしました。その店に行く前に、ふたりとも腹が空いていたので居酒屋さんでつまみをとって軽く一杯。ガラス戸越しに中を覗くと客は少ない。いつも定番の、カウンターの角。店に入るといつも同じあたりの席に座るクセは誰もが同じでは…。酒やらおつまみやら注文し、店内を見渡していると音楽が聞こえてきました。「♪わたしがぁー、もっと愛せれば、あなたを引き止められたのにぃー、もう、迷えない、戻れない、さだめ道」なんだか、古くさい演歌のようです。足のあたりがスースーする感じで、早く酔ってしまおうと思いました。熱爛のトックリを何回か傾けてホロ酔いとなって、やっと演歌の世界に追いついてきた感じです。「♪俺の肩に手を置いて、別れましょうかと囁いた、あの夜の一言が、本気だとは、そりゃないぜ」……そりゃないぜ、ですか。曲を知っていればロずさみたくもなるのでしょうが、あいにく知らない歌ばかり。カウンターの近くの店員が店のテレビを見上げて、テレビの事件番組に見いっててます。店主と言えば見て見ぬふりをして僕に話しかけてきます。ここのオヤジさんは気のいい人でもうずいぶん長いつきあいですが、ちょっと話しがくどくて、ちょっと閉口気味なのです。演歌に半分、話半分で聞いています。「♪海の見えるホテルで、あなたを待つ、いけない女が身をまかせ、ガラスに息をかけて、バカネとかいたー」はいお待ちどーさま、とイカ焼きが乗った皿がやってきました。焼き鳥アラカルト、肉ジャガ、カニクリームコロッケ、アサリのバタ焼き、やっこ、そしてシシャモ。ありゃりゃ、いつの間にこんなに注文してしまったのか、食えるかなー。オヤジさんに「ぶっそーな世の中ですねー」とテレビを指さしながら話しかけると、「えっ……オアイソ?」。慌てて手を振りお酒を追加しました。こんなに並んでいるのにオアイソはないでしょう。オヤジさんも耳が遠くなってきたようです。「恋して恋して疲れはて……」知ってるような知らないような歌が続きます。歌手の名前もたどりつけそうでたどりつきません。友人といえば、さあ戦闘準備OKという表情でつぎの店に行く準備をはじめています。えっ、気だてのいいママさんの店のことですか。行ったんですが、もうすっかり酔っぱらってしまったらしくあまり覚えていません。友人が、「コイツがつきあえっていうから…」となにやら、コイツって誰のことだ。こんなバカバカしい夜も、庶民にはたまにはいいんです。蝶クリック!
2009.04.04
コメント(6)

当地でもホロホロ桜が咲き出した。桜といえば、文学にもなにかと関わりが深いが皆さんはどんな作品を思い出すだろうか。西行の、 願わくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月の頃を思い出す人も多いかも知れない。梶井基次郎の短編「桜の樹の下には」のテーマフレーズとして「桜の樹の下には、死体が埋まっている」というものがある。これも、物語を知らない人にも、桜とその妖艶さをイメージさせるかも知れない。もうひとり、坂口安吾にも「桜の森の満開の下」という小説がある。満開になったとき、その下を通る旅人はみな気がふれるという桜の森の近くに住み着いた1人の残忍な山賊が、8番目に奪った魔性の美女に翻弄されるという説話小説だ。これには、孤独、欲望、愛憎、芸術など、さまざまな寓意が含まれている。桜、サクラ、さくら……、この花ほど人にさまざまな感慨を抱かせる花はない。蝶クリックを!
2009.04.03
コメント(12)

だいぶ前になるが地元の新聞に、いじめをについてのある男の子の体験例が掲載されていた。いじめに対して毅然と立ち向かったために克服できたという内容の記事だった。まずはおおよその内容を紹介してから、思うところを書いてみたい。 *その子は約半年間、クラスの友だちから口を聞いてもらえなかった。掃除の時、母親が作ってくれたぞうきんをクラスのボス的存在の子に三階の窓から投げ捨てられ、腹を立て殴りかかったからだ。それまで親しくしていた友だちが、急によそよそしくなった。話しかけてもすぐ立ち去る。友だちは、勉強も運動もできるボスの指令に従っていようだ。集団の中で、人と話ができないことはつらい。さみしくて、何度もボスに謝ってしまおうと思ったという。しかし、体調が悪い時にぞうきんを縫ってくれた母を思い浮かべると、どうしてもできない。その子は決意した。友だちなんかいらない。だから自分から話しかけもしない。親にも先生にも言わない。一人だけで、ボスヘの徹底抗戦を貫こうと思った。登下校も休み時間も一人ぼっちだったが、話し合いの場ではボスと正反対のことを言った。スポーツでも、身を挺してボスの動きを止めた。そのうち楽しくなってきた。陰ではボスの悪口を言いつつ従う友だちと違い、自分は堂々としていられる。そんな姿を見ていた友だちは、その子の言い分をわかると言って一人、二人と話しかけるようになった。半年後、その子は孤独から解放され、同時に真の友だちを得た。いまだに各地で起きる子どもの自殺。今のいじめは複雑で陰湿で深刻のようだ。僕の少年時代にも経験があるが、いじめていたという自覚がなくても、しらずに相手を傷つけていることもある。傷つける側は鈍感になりやすいものだ。でも、いじめる側も一人だと弱い。今、いじめられている子どもたち。死ぬことより、どんな形でもいいから、生きてやることを考えようではないか。ちょっと乱暴な意見かも知れないが、いじめにもきちんと立ち向かい乗り越えることができれば、それは得難い社会勉強として大人になったとき立派に役だってゆくのではないかとも思う。他人に対する思いやりの気持ちであったり、上司や社会での不条理に立ち向かう耐性であったり…。他人の気持ちになって考えることができやすいのではないだろうか。世の中で、異端の才能を発揮している人には、いじめを体験してきている人が少なくない。その体験を生かすためには、まず生きていなければだめだ。生きていれば、つらかったぶんを埋め合わせて余りあるときが必ずおとずれるものだと思うし、そう信じている。むしろ、いじめた側の記憶に心の傷としてのこり、自分の子どもがまた同じ修羅を歩ませることになりはしないかと、心配がのこる。ただ、誰にでもできることではないし、相手によっては無益な抵抗になるかも知れない。手に負えないと思ったときには、先生でもいいし父親でもいい、まずは信頼できると思う大人に相談してみることだ。蝶クリックを!
2009.04.02
コメント(12)

以前、ある弁護士事務所で偶然に夫婦の離婚調停の場に出くわしたことがある。子どもの親権をめぐって、両親が泣きわめきながら相手をなじり罵倒し合っていて、ふたりの間でオロオロとベソをかく子どもが可愛そうでならなかった。少なくとも、この子どもができた時点では互いに愛し合って、お互いのアバタもエクボのように良くみえたに違いない。弁護士は、そんなふたりをやるだけやらしたあと、淡々と法律論に則って財産分与や親権を調整し、けして安くない弁護士費用を請求していた。仕切りひとつ離れた場所でそれとなく見ていた僕は、弁護士とはなにか火事場泥棒のようでもあり、因果な商売だとも感じていたのだが、冷静公平に裁く第三者がいてこそまとまる話しだから、しかたがない。ところで先日の夜、運転中の車にぶっけられる事故に遭遇した。ある書店の駐車場に入ろうとしているときに、側の小道から飛び出してきた車が後部ドア付近にぶつかり、そのショックで後部タイヤもパンクしてしまった。こちらはセンターラインのある優先道路。相手はその3分の1ほどの停止線のある道から飛び出したので過失は歴然、平身低頭で謝ってくれた。警察の事情聴取でも側面衝突ということで、事情を聞かれたのはもっぱら相手だけであった。相手運転手も自分が誤認して飛び出してしまったことを認めている。ところが相手の保険会社が出てきてから事情が違った。僕の車が動いていて、こちらにも幾分かの非があるから双方の保険会社で交渉したいというのだ。あれあれと思ったが、双方の車が動いていればどちらにも非があるというのが原則だということなのだ。書店に入ろうとしていたところだから徐行していたかも知れない。入り口に車があるのを認めたから、停まった瞬間だったのかも知れない。正直に言って、はっきりとは覚えていなかったので、警察にはこちらも歩行者程度の速度で走っていたかも知れないとは答えた。えっ、どうしてという驚きで、その付近の記憶があいまいなのだ。どうやら、僕の1:9くらいの過失割合が相場のようだが、ではどうやったら事故を避けられたのかというと、その瞬間にそこを通らないくらいしか思い当たらない。まあ、これも第三者が公平に判断することだからしかたがないが、なんとなく釈然としない。怪我がなかっただけ幸いんと思うしかないんだろうなぁ。自分のことになると、かように客観とはいかないものだ。蝶クリックを!
2009.04.02
コメント(16)

70年以上も前の話し、東北地方などで冷害による飢饉にみまわれたとき、娘の身売りが続出したという。戦前を生きた鶴彬という川柳人が書いた作品 凶作の村から村へ娘買ひ 売り値のよい娘のきれいさを羨まれてる ざん壕で読む妹を売る手紙 修身にない孝行で淫売婦など、その頃の様子を告発した作品がのこされている。当時女衒(ぜげん)と呼ばれる人買いがいて、主に公的認可を受けた遊郭での遊女見習いにさせるために少女を買い取った。彼らに見初められるのは見た目の良い、器量よしの子供だった。有名な童謡『はないちもんめ』も女衒と娘を売る両親との駆け引きを歌った歌ともいわれている。この女衒に買い取られなかった少女でも身を売られることはあった。奉公という名目で宿場の売春婦(飯盛り女・酌婦など)として売られたり、妾奉公にでたり、あるいは製糸工女として働き、身体を壊し解雇された者は夜鷹という私娼となって、わずかな路銭を稼いだりもした。それら庶民の苦しみを川柳によって告発しつづけたため、ついには治安維持法で検挙され拷問のすえ29歳で獄中死(赤痢菌を打たれたといわれている)した鶴彬の生涯を描いた映画鶴彬―こころの軌跡―が完成して、上映がはじまった。このブログのBBSに書き込んでくれた池上リョウマさんはその映画で主役の鶴彬役を演じている。暗黒の時代のドラマでフロレタリアアートという古めかしいテーマを扱っているゆえに、必ずしもこころを浮き立てさせる内容ではないかも知れないが、魂を揺さぶられる内容だという川柳仲間からの報告もあった。お近くで上映される機会があったら映画館に足を運んでみていただきたい。蝶クリックを!
2009.04.01
コメント(10)
全24件 (24件中 1-24件目)
1
![]()
![]()
