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勝ちましたね。初戦は大勝。第2戦目は接戦になったらどうか、勝ちを意識したら逆に崩れないか、などなど心配しましたが、伝統校習志野との綱を渡るようなゲームを、集中力を切らさずに守りきって見事な逆転。とても初陣とは思えない勝利です。明日は準々決勝で早実と対戦です。ワセダの名に飲み込まれることなく、自分を忘れずに伸び伸びプレーをして欲しいです。創設25年の若い学校。宮城の公立高校が、超伝統校の早実の胸を借りるわけで、とても意識せずにはいられないでしょう。一旦崩れれば、もう抑えようがないのではないか、と宮城県民の多くが心配していると思います。しかし、(失礼ですが)負けても良いんです。むしろ立派に負けようではないか。大事なことは、こんな大舞台を与えられた幸運をよく噛みしめ、2時間に全力を集中し、よそ行きではなく自分たちの普段の野球を演じきることです。自分たち以上の野球はできません。自分たちの野球を最高に出し切ることです。敵は身中にあり。失いものはない。結果はやってみなければわかりません。それが野球ですから、勝つ可能性だって十分あります。七ヶ浜や仙台や大和町や、私たちに身近な中学校から利府高に集い全国を目指した宮城の球児達が、ハツラツ初心を忘れず、甲子園名門の伝統校と互角に対戦する。何と素晴らしいことではないですか。さて実は私、昨日は家族と富谷町内の大型店をまわり、さらに利府のジャスコにまで足を伸ばしました。ちょうど9回裏のサヨナラ劇。ジャスコ店内のテレビで見ました。えっ、何、勝ったか。○○あいつ、打ったらしいぞ、との声。利府高校の学生でしょうか。館内放送もあって、さながら町を挙げての祝勝ムードでした。■関連する過去の日記 快挙の利府高 今日も伸び伸び行こう(09年3月29日)
2009.03.30
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一昨日のことになりましたが、センバツでは利府高校が初戦を快勝。春夏通して初の甲子園で、立派な初勝利です。公立高校が私学を押しのけて甲子園に出場したという、宮城県としての視点もあるし、スポーツ科学科を有する利府高校の歴史に新たな一ページを開くという見方もあるでしょう。いろいろあって良いのですが、まずは目の前の試合に臨んで力を出し切り、勝利を手にした生徒達をほめたいと思います。ところで、このような時に、相手の地元はどう報じたか、をなるべく見るようにしています。一種のバランス感覚というか。今回の相手は、掛川西でした。静岡新聞では、おおむね次のような論調です。----------ずば抜けた選手がいない中、考える野球で出場を果たした。しかし、利府打線が速いカウントから打ってきたので、バッテリーの迷いを招いた。打線も同様で、予想外の場合の対処ができなかった。----------う~ん、残念でしたね。掛西は、秋の東海大会で中京大中京と決勝を争ったチーム。地元静岡県の期待も大きかったと思う。明治34年県立掛川中として開校、戦後学制改革で県立掛川第一高、昭和24年掛川西高と改称し男女共学。甲子園は夏5度、センバツ3度出場。静岡県の高校をみわたすと、進学実績を有する私学が少なく、公立優位の状況。浜松北、静岡、韮山、清水東などの著名高も公立だ(ちなみに当然ながら男女共学)。掛川西(地元では掛西と呼ばれるようだ)も十指に入る伝統進学校だろう。地元としては、古豪復活という報道が基調で、OBたちの歓喜の様子が報じられている。(同校のサイトに、記事の切り抜きが出ていて、大変面白いです。)毎日新聞社の社長も同校出身で、先月には同校の体育館で講演もした。何だか、大敗が残念な気持ちにもなってしまいますが、気持ちを切り替えて、掛川西高のためにも、利府には大いに活躍してもらいましょう。初戦の快勝が、多感な高校生にどう影響するか、考え出すとキリがないのですが、良い方向に考えましょう。自分たちの野球をすることができた。今日も伸び伸びプレーしよう。勝つと思うな。思えば負けよ。いつもの野球をするだけのことです。さて、相手は習志野。市立高校です。33年ぶり3度目のセンバツ出場。夏には優勝2回という、まさに古豪中の古豪。21世紀枠の県立の新参者が、胸を借りるという構図でしょう。それだけに、楽しみも増します。失うものはないのですから。頑張れ利府高。ちなみに、利府町役場サイトによると、午後2時から役場でPVだそうです。大いに盛り上がることでしょう。
2009.03.29
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本州一広い町の岩泉町は、日本三大鍾乳洞の1つ龍泉洞、日本最長の安家洞など、100を越える洞窟を有する。龍泉洞は、昔は水の湧き出す底知れぬ穴として恐れられていたが、昭和初期から30年代にかけて、地元の青年等が探険し、現在のような観光地になった。地底湖は水深120メートル、透明度は40メートルを越えるという。以前は清水川と呼ばれる清流に船を浮かべて見学していたが現在は通路が設置されている。(参考:小島ほか『ニッポン地下観光ガイド』アスペクト、2008年。なお同書に紹介されている東北関係分は、他に、青函トンネル記念館(外ヶ浜町)と入水鍾乳洞(田村市)だ。)水は日本の名水百選(昭和)に、また洞窟は日本の地質百選に選ばれている。ところで、地質百選とは、地質学的にみた貴重な自然資源を民間団体が選定したもの(07年)で、東北関係では、----------恐山の金鉱床、仏ヶ浦(青森)、龍泉洞(岩手)、唐桑半島、松島(宮城)、蔵王火山(宮城・山形)、尾去沢鉱山、男鹿一ノ目潟、鳥海山(秋田)、磐梯山(福島)----------とされており、ナルホド頷けるものだ。10年前に一度訪れた。岩手県北部にはまだまだ「行き足りない」思いが残る。高速1000円もフル活用して、足を伸ばしてみるか。
2009.03.28
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北朝鮮が弾道ミサイル発射準備を進めていると見られる中、これを迎撃するPAC3(地対空誘導弾パトリオット)を、浜松基地から移送し、秋田、岩手に配備するようだ。大型特殊車両が通行するとの通知が、航空自衛隊から両県になされているが、詳しいルートや配備場所は知らされていないという。岩手県に対しては、大型トレーラーなど22台を、浜松市から滝沢村の陸上自衛隊岩手駐屯地まで通行させるという通知を出していたようだ。男鹿市に対しては、26日から来月末までの期間に通行し、車両の行き先は男鹿市男鹿中の航空自衛隊加茂分屯基地とする通知があったようだ。いずれも関係者の話として断片的な報道。通行目的は訓練とされているだけ。25日に仙台で行われた会議では、PAC3配備や被害想定などは話がなかったとされている。PAC3は現在、浜松など国内6か所に配備。上記の報道からは、秋田、岩手県内にPAC3を移動させるためではないかと見られている。自治体関係者も、情報収集に努める、という言い方だ。実際の計画は知らされているが、情報管理は自衛隊に任せてくれ、と口封じされているのかも知れない。通行や配備に伴う混乱を避け、また外交上の配慮から、明らかにできない事情はあろうが、国民が心配するのも当然であり、配備場所や通行日時は明示しても良いのではないだろうか。素人考え。このことの是非については、よくわかりません。ちなみに、北朝鮮のミサイルは、来月4日から8日の間に「人工衛星」発射を予告しているもの。ロケットの1段目が秋田沖の日本海に、2段目が太平洋に落下するとされる。そのため、日本の領土内に誤って落下する可能性があるというものだ。
2009.03.27
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試合は残念でした。みぞれ混じりの悪天候でも、頑張ったのですが。画像は開始直前の宮城スタジアム。冬に逆戻りした気温零度の夜空に、光がこぼれておりました。
2009.03.26
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先日記して気になっていた。かつて根白石と仙台城下を結ぶ唯一の道であった中山道とは、実際にはどのルートだったのか。青葉区中山団地のバス通りなのだろうか。■関連する過去の記事 中山道のむかし(09年3月23日)中山小学校の公式サイトに「中山道(旧根白石街道)」がマップで出ている。とても親切。そして、その街道のルートだが、中山商店街通り(バス通り)ではなく、やや西側になるようだ。我が家にある昭和50年代の仙台市の地図を開いてみる。まだ北環状道も全通せず、仙台市域(泉市や宮城町と合併前)分は中山、西勝山(第三勝山団地)、川平、などと町名が付けられて道路網ができている。市域の外には、中山吉成団地、伊勢吉成団地が造成され、それぞれバス路線が書かれている他は、中山ゴルフ場を含めてまだまだ未開発だ。北山駅(まだ地図にはないが)あたりから、中山二丁目を経て、同三丁目と四丁目の境目あたりを北上して、尚絅女学院や電力研究所の西側を経て、中山吉成団地とゴルフ場の間を抜けていく道が、旧街道なのだろう。東北自動車道をクロスしたあたりから、もう点線になっている。往時は相当に寂しい山道だったのだろう。ところで、中山ニュータウン小史を。仙台都市総合研究機構の2002年レポートから。----------昭和39 年にはじまった中山ニュータウン開発は仙台の郊外住宅団地の草分け的存在の一つ。宅地造成が始まった当時は、梅田川の源流に祭られた中山鳥滝不動尊への参道と、道すがらに多少民家がある程度の閑散とした里山の風情を有する丘陵地域。昭和40 年代中葉までに中山本通りを中心に商店街が形成され、公務員住宅、東北電力社宅等の給与住宅を含めた一大住宅団地が形成された。元々丘陵の尾根沿いを走る中山本通り沿いに商店街が形成され、東北電力総合研究所等の若干の事業所が点在する他は本通りを中心に東西に広がる。住宅は分譲の戸建住宅が中心であるが、国家公務員住宅、公団住宅及び東北電力他一般企業の社宅を含めた給与住宅も多い。昭和42 年に尚絅女学院短期大学が中山四丁目本通り沿いに移転してくると、学生向けの賃貸の集合住宅(アパート)も目立つようになった。元来、中山地区は丘陵の東南斜面を造成したために勾配がきつく、中山本通りを含め南北に走る2~3の幹線道路を除き道路幅は狭い。市内でも初期の住宅団地で、開発後40 年近く経ており、鶴ヶ谷ほどではないものの戸建住宅居住者を中心に高齢化が着実に進行し、第二世代以降への世代交替は必ずしも進んでいない。近年は戸建住宅が相続等で売りに出ることも多く見られるようになり、更地となって月極の駐車場や資材置き場になっている所も目立ってきた。平成元年に尚絅女学院短大が名取市ゆりが丘に移転すると、賃貸アパートは空室が目立つようになり、中山地区のここ10 年の人口動態の推移を見ると若年層の減少と高齢者層の増加が目立ち、地域全体の人口も若干減少傾向にあった。しかし近年、尚絅女学院短大跡地に大型の分譲マンションが建設され、比較的若い世代の住民が入居してきたことで、そうした傾向に歯止めがかかってきている。----------
2009.03.25
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昨夜も記しましたが、一場はやっぱり新天地の活躍が良いのかも知れません。楽天で活躍できなかったことをわびる本人のコメントが新聞に出ていますが、初年度に、経緯あって入団、ろくに練習もできない中で先発不足もあって、登板を強要されたのは、不幸でした。東北魂を忘れずに、頑張れ一場。そして、その初年度に、年間を通じて先発をただひとり守り通したのが、岩隈。本当に、岩隈がいなかったらイーグルスはどうなっていたのでしょう。その岩隈が、今日は世界の最高峰をめざします。イーグルスのエースが、世界最高水準のピッチングを披露するのです。ワクワクします。おそらく、今日本の隅々までWBCで盛り上がっているでしょう。オリンピックの各種目も良いのですが、やっぱり野球は格が違います。どんな田舎のオッサンでも、野球なら熱心に見ているはず。その世界最高の舞台に、エース岩隈。イーグルスの、東北の誇りです。
2009.03.24
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う~んトレードか。一場。惜しい気持ちが残るのですが、でも新天地で活躍できそうな気もするので本人にとっては良い機会かも知れません。楽天の初年度のあの9月の初勝利を一緒に味わった我が家族としては、是非楽天で一緒に成長して欲しかったのですが。仕方ないのでしょうか。こうなった以上は、ヤクルトで心機一転頑張って欲しいです。素質は超一流。本当はKスタで開花を待っていたのですが、本人にとっては、転機も必要だったのかも知れません。頑張れ一場。応援しますよ。いつまでも。子ども達もファンですから。あの一場の初勝利。フルスタの歓喜の嵐は忘れない。セ・リーグに移るのも本人のためと思いましょう。これを転機に躍進を期待します。一場頑張れ。いつまでも応援するぞ。関連する過去の日記 野球応援子供達も大喜び 楽天快勝 一場おめでとう (2005年9月3日)
2009.03.24
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中山道は根白石村と仙台城下を結ぶ唯一の道だった。実沢の二ノ関から早坂で急坂を登り、判場を過ぎると降り坂となり、中山を通って、羽黒神社前から北山に達する。早坂下に道祖神があり、通行者の安全を守っているが、御神体は石製の陽根。(木村孝文『根白石・七北田の史跡を訪ねて 仙台・泉の散歩手帖』宝文堂、1998年)手元の地図で見ると、北中山団地の北側、七北田川と萱場川の合流するあたりに、「道祖神」のバス停がある。根白石村から仙台を目指す中山道とは、現在で言えば、北中山団地を貫通し、聖和学園短大、中山の観音様を経由して青葉区の中山バス通りに至る道なのだと思われる。
2009.03.23
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青森県内には、地元に支えられた元気な私鉄がある。■お国自慢 青森県の私鉄(08年4月13日)ところで、最近廃止された私鉄線では、南部縦貫鉄道と大畑線だ。大畑線は、大湊線下北駅から分かれ、太平洋岸の大畑駅まで。津軽半島の三厩駅よりも高緯度にあり、本州最北端の駅だった。85年に国鉄から地元の下北交通に引き継がれたが、01年3月いっぱいで廃止。むつ市の市街図にはルートが残っているし、同市の太平洋岸に目を転じると、鉄道敷跡が随所に残っているようだ。南部縦貫鉄道は東北本線の野辺地と七戸を結んでいた。20.9kmのローカル私鉄。東北本線からはずれた陸羽街道沿いの市町村を抜けて、三戸(現在は青い森鉄道)まで結ぶ計画だったが、結局七戸で建設が終わった。起点は当初東北本線の千曳だったが、東北本線の複線電化に向けて線路付け替えが行われ(1968年)、千曳が孤立したことから、廃止となる本線の旧線を借り受ける形で野辺地に連絡、生きながらえた。しかし97年5月に運行休止、02年に廃止された。(参考:佐々倉実・松本典久『ぐるっと日本3000キロ ゆったり鉄道の旅2東北』山と渓谷社、2006年)レールバスが使用されており、この本に収められた八甲田を背景に走る姿は美しい。往時の栗原を思い出す。旧陸羽街道沿いに開通させる構想ということだから、南から見れば、三戸-五戸-三本木(十和田)-七戸-天間林-野辺地 というルートだったのだろう。東北本線が八戸側に敷設されたことからすれば、沿線地の悲願だったのだろうか。開通していれば、青森までの最短ルートになって主動脈となったのではないか、とも思われるが、山岳部が多かった事情もあるのかも知れない。縦貫鉄道の構想実現に先だち、十和田(三本木)は、十和田鉄道(現在の十和田観光鉄道)で本線の三沢と接続した(1922年)。また、五戸は1930年に八戸と結ばれた(五戸電鉄。後の南部鉄道で1969年廃止)。北部の七戸町も何とか鉄路を引きたいと考えたものと思う。七戸が本線の千曳との間で開通するのは、1962年とかなり遅い時期である。南部縦貫鉄道は自治体出資の第三セクターで、資金難から開通までに時間がかかったようだ。
2009.03.21
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先日記事にしたが、山形県における台湾からの観光客誘客戦略について若干調べてみた。■関連する過去の記事 山形県の海外観光客が7万人突破(09年3月17日) 東北を訪れる国際観光客 (08年8月29日)----------昨年8月、台湾の旅行代理店が初めてフラワー長井線での遊覧を組み込み、第1陣の一行27人が車窓からの田園風景を楽しんだ。このツアーは、日本の原風景や文化に触れる企画で、東北地方を4泊5日で巡る。長井線での小旅行は、車窓からの魅力的な風景に加え、人気の方言ガイド朝倉さんが、視察業務で乗り合わせた旅行代理店社員の目に留まり、組み込まれることになった。この日の一行は、高畠町でブドウ狩りの後、長井線に乗り込み、車内では、朝倉さん手作りの中国語の案内板を指さして説明。「言葉は通じなくても、分かってもらえたんじゃないかな」と朝倉さん。観光客は、乗り合わせた地元の人と話をしたり、楽しそうに写真を撮ったりしながら約20分間、にぎやかにローカル電車の旅を満喫。(8月13日の山形新聞の記事から当ジャーナルまとめ)山形県内で、シンガポール超人気女優(ルイ・オンさん)演じるテレビドラマのロケが行われる。ロケ隊は福島県を経て県内入り、1月8日からフラワー長井線、天童温泉、銀山温泉、最上川舟下り、湯野浜温泉などで撮影の予定。長井線は「スウィングガールズ」など多くの映画やテレビドラマのロケ地となったが、海外からのロケは初。山形鉄道としても、乗客数減少に歯止めをかけようと観光客誘致に力を入れており、08年8月からは台湾の団体客も定期的に利用、その数は12月末までに900人を超えている。台湾の観光客のお目当ての多くは、「おしん」の古里というもの。山形鉄道では、ドラマ効果でシンガポールからの団体観光客にも期待している。(12月29日の山形新聞の記事から同上)県庄内総合支庁によると、ここ数年、中韓台など東アジア地域から庄内を訪れる観光客が増加傾向。庄内地方に07年度海外から訪れた観光客は1万502人。うち8割はドラマ「おしん」が大ヒットした台湾から観光客が占めた。庄内観光コンベンション協会は、海外観光客の受入れ態勢整備の一環として、07年度から2カ年事業で、外国語観光ボランティアガイドの育成に取り組んでいる。庄内地方在住の中韓出身者を対象に、母国語による観光案内のノウハウを学ぶ「外国語観光ボランティアガイド育成研修会」が1月21日には鶴岡市内で、22日は酒田市内で開かれた。(09年1月24日荘内日報記事より同上)----------ところで、山形県公式サイトによると、外客誘致法に基づく外客来訪促進計画があり、この計画によって、国際観光推進機構(JNTO)による重点的な海外での宣伝が行われ、また、観光振興のための民間活動の支援や、ホテルの税制特例が適用されるのだそうだ。エッそんな制度、当ジャーナルは知りませんでした。外客誘致法、正確には、外国人観光客の来訪地域の整備等の促進による国際観光の振興に関する法律(平成9年)というそうだが、これに基づくこの外客来訪促進計画は、実は、栃木、福島、山形、宮城の4県にまたがる。昨年3月に一部変更について大臣の同意を得たそうだ。宮城県のサイトにも、出ていた。区域は79市町村。宮城県の場合は、仙台市を中心に、松島、蔵王をカバーしている。大崎市が入っているのは、鳴子が念頭か。観光ルートも示されている。そして、この外客来訪促進計画とは、JNTOのサイトによると、全国に16あるようだ。これによると、多様な地域への外国人観光客の来訪を促進するため、優れた観光資源を有する地域と宿泊拠点からなる地域をネットワーク化し、訪日外国人旅行者(外国人観光客)が3~5泊程度できる観光ルートを備えた広域的な地域が「外客来訪促進地域」で、「国際観光テーマ地区」と通称されている、とのこと。結局、全国すべての都道府県が、この16地区に組み込まれているもののようだ。
2009.03.19
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イーグルスではないのですが、巨人の木村正がオープン戦でリリーフ登板。2回を零封。内容はわかりませんが、是非一軍に上がって活躍して欲しい。岩手出身の選手として、がんばれ。
2009.03.18
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山形県を海外から訪れた観光客が、昨年は70,085人と、初めて7万人台に。前年より5515人の増。県の調査。この不景気の中、台湾からの観光客が4万6千人と、全体の3分の2を占めており、現地の旅行雑誌会社の情報発信活動による伸びと見られているそうだ。この辺の事情、調べる価値がありそうで。後ほど。■関連する過去の記事 東北を訪れる国際観光客 (08年8月29日)
2009.03.17
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8歳の子は、新潟県をカンガルーのようだ、という。あ、それは良い発想だと思って地図を眺めると、たしかに、東を向いて立ち上がったカンガルーに見えなくもない。しかし、3歳上の姉によれば、カンガルーは愛知県だよ。新潟は恐竜でしょう、と言う。なるほど、愛知県こそ、西を向いて、やや屈んだ姿勢のカンガルーに見える。渥美半島が足、知多半島が腕、長野県方向に尻尾を伸ばしている。見れば見るほど、そう見える。たぶん、愛知県は一般に言われていることで、姉はそれを何かで読んだ。妹の方は、姉の話を聞きかじって自分で探したのか、単に間違って覚えたのか、そんなところだろう。さて、東北の都道府県で言うと、やっぱり山形県の「びっくりした横顔」ではないだろうか。モアイ像、という人もいるかも知れない。鶴岡市が鼻と口だ。東北で、定説となっている県の「姿」としては、何があるだろうか。福島県は今でも「うつくしま」を名乗るようだが、あれは以前から実は不思議だった。ある知人によると、企業や自治体のCIがブームだった頃、ある高名なコピーライターに依頼して作ったキャッチフレーズだが、どうも県土の形がオーストラリア大陸に似ているからだ、と聞いたことがある。この口の悪い知人は、某作者とは「北海道、デッカイドー」で当たった人間で、そのノリで作ったが、福島県内では「いつくしま、広島?」などとバカにされているから、定着しないよ、と喝破していた。今では、多分「島」というモチーフは全く意識されず、美しい自然と歴史と人情の福島、という感覚で定着しつつある、というところだろうか。県民が支持しているのであれば、結構なことでしょう。自治体のキャッチフレーズを作って売りこむ、という発想は、おそらく東北では宮城県が一番苦手だ。なにせ、自分たちは特定のコレが売りだ、と決めつけられない県民性だから。仙台は何でも東北の雄。農業も畜産も水産も全国トップレベル。などという意識だし、実際のところ岩手(宮澤賢治)や福島(野口英世)のような、県民誰もが代表と認知できる世界級の文化人が居ないから、結局決められないように思う。
2009.03.16
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前回の記事で、市名は重複を避けるよう調整されるルールについて記した。(伊達市が打ち破った先例(09年3月14日))その時に気になっていたのが、会津若松市だ。今は北九州市の一部となった旧若松市との関係から重複回避だったのだろうと予想したものの、これだけ由緒ある都市だけに、九州の若松市より後に成立するはずもないとも考え直し、記事に記載は止めて、心の中に保留していた。そこで、今回整理します。■会津若松市(市の公式サイトから) 明治32年 市制施行「若松市」 福島県最初の市である。人口30,488人 大正6年 若松駅を会津若松駅と改称 昭和26年 町北村を合併 昭和30年 7村を編入合併。「会津若松市」と改称■旧若松市 明治22年、若松村が誕生、同24年町制施行 明治39年 石峰村と合併し、(新設)若松町 大正3年 市制施行「若松市」 昭和6年 島郷村を編入 昭和38年 小倉、八幡、門司、戸畑の各市と合併。北九州市(若松区)となる 従って、大正に九州の若松市が成立した時点で、既に会津の若松市が存在していたことになる。昭和30年の会津若松市スタートで、併存は終わることになるが、おそらく重複の回避を配慮したよりも、会津の大同合併という意識で主体的に会津の名を冠したのではないかと思われる。なお、旧自治省の例のルールを明記した次官通達が出るのはこの後であるが、もともとそのような指導がされていたのだろう。ところで、北九州市の方だ。私は、20年ほど前に、あるクイズで北九州市誕生のもととなった5つの市をスラスラ答えて驚かれたことがあるが(自慢でスミマセン)、東北人でもそれくらい判ります、でももし「いわき市」新設の際の対象市町村を挙げよ、と言われたらどうしようもなかったデス。■関連する過去の記事(いわき市誕生の経緯) いわき市の誇りは永遠に(07年4月26日)北九州市は、旧五大市に次ぐ政令指定都市の地位を、県内の福岡より先に獲得している。昭和30年代の北九州。40年代には、札幌、川崎、福岡。50年代の広島。だいたい10年置きに指定都市が誕生しているから、そんな感覚の記憶として、高校生の頃から、北九州市を構成した旧5市の名前もついでに知っていたわけだ。その後、昭和60年代に仙台が指定(施行は平成元年)、平成に入って千葉市と続くが、その後はもうよく順番も判らない。岡山市も来月から施行だそうで、随分増えたものだ。さて北九州市だが、市名の決定に際しては、「西京市」が住民公募の第一位だったそうだ。いかにも、九州初の指定都市、近代の日本を牽引した工業地域の再興などの意気が込められた名称だと思うが、結局は公募第二位の現名称となった。北九州工業地帯の名称などが定着していた背景があるのだろう。ひるがえって、会津若松。上記の歴史で見ると、大正6年に「会津若松駅」改称した経緯がある。北九州の若松駅は明治20年代に設置されており、会津の若松駅は明治32年の開業(岩越鉄道)だから、やや遅れている。推測だが、旧国鉄は全国的に同一名称の駅が重複しては料金計算などで支障があるから、旧国名を冠するなどの対応を進める方針とし、岩越鉄道国有化(磐越西線)の後に、先に開業した若松駅(九州)は存続させ、こちらを大正6年に会津若松駅と改称したのではないだろうか。昭和30年の会津若松市の誕生には、会津の連帯意識があったとは思うが、背景の一つとして、会津若松駅の呼称が定着していたことがあったのかも知れない。だとすれば、その意味では、重複調整ルールで九州側が優先された結果だ、と言えなくもない。
2009.03.15
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かつては市の名称は全国規模でみて重複しないように指導されていた。例えば、陸前高田市は、新潟県の高田市(現在は上越市か)があるためと思われる。東北以外でもこの調整に基づく市名はかなり多い。東松山市、大阪狭山市、などが多分そうだと思う。よく、旧国鉄の駅名はそうだった。全国を見渡して同名があると料金計算に支障があるのだろうから、一応合理性はある。旧国名を冠して、陸前原町、陸前山下。また、二戸駅は、かつては北福岡駅と呼ばれていたように思う。駅名はともかく、公の市名という、それこそ自治で決めるべき基本中の基本にまで、全国的調整が入るというのは、考えてみれば日本ならではかも知れない。しかも、法律に根拠があるでもなし、旧自治省の指導による程度の話だ。それでも、一応みんな従ってきたのだから、まさに日本人の空気の文化なのかも知れない。ずっとそうしているのだから、その秩序を守ることが自然だ、と。近年では茨城県の鹿嶋市が話題になった。あの時に、(1)市名は重複させないルールがあること、(2)その根拠は単なる行政指導であることを知った国民も多いだろう。私は、(1)の点だけは、小学校の頃から地図帳を開いて気が付いていたが。鹿嶋市の一件の際には、私はこう思った。まず、自治の基本なのだから自由に考えるべきである。支障はさほどないし、法理論的に考えても、呼称が重複することの支障が、自治の論理を上回るとは到底思えない。だから、国の指導は行きすぎであることは明白。地元が了承するなら格別として、地元が鹿島市としたいのに、敢えてストップさせるとすれば、そんな行政指導はあり得ない。ただ、実態を考えれば、合併などと言う大事業は、住民の意識もさることながら、決定権を握る首長や町村議会議員の調整に時間と労力を掛けて、やっとのことで漕ぎ着けるものだ。指導ないし仲介している県の立場からしても、最後に市名で、しかも国の指導に逆らう形で決裂しては困る。法理論的におかしいと指導に反旗を翻しても、何にもならない、合併をまとめることが先決、というのが実感だろう。そんなことも、これまで重複市名がなかった背景かも知れない。ともかく、鹿嶋市は「嶋」の一字を変えることで何とか決着した。音が同一でも表記が異なる事例は従来もあったからだ。泉市(現在は仙台市)、和泉市、出水市など。前置きばかり長くなったが、福島の伊達市は、この調整ルールを堂々打ち破った形の第一号である。もっとも国と大ケンカしたようでもない。伊達郡の5町が2006年の市制施行の際に、郡名をもって市名としたものだが、「調整相手」の北海道伊達市から異議がなかったため、総務省も容認したものだ。既存の市から異存がなければ認める、と総務省も指導を後退させていたのである。だとすれば、何のためのルールなのか。国民の混乱を避けるためだったのではないか。既存市の利益を守る為だったのか。などなど疑問は尽きないが、兎にも角にも、伊達市は立派に誕生した。ちなみに、岩手県宮古市は、沖縄の宮古島市誕生の際に、一旦新市名とされた「宮古市」に強行に抗議したという。北海道伊達市が異議を唱えなかった事情も複雑で、実際には同市も合併で新市名に変更する予定があったが、この変更に住民が反対して、結局市名を継続することになったものだ。当初は、伊達郡側も、北海道伊達市に遠慮して新市名は別な候補を考えていたが、北海道伊達市の合併の動きにおいて、新市名を伊達市としない申し合わせができたので、遠慮無く市名を伊達市にすることとしたようだ。ところで、北海道の伊達市の名は明治初年、仙台藩の伊達邦成が開拓を始めたことに因む。福島の伊達郡は言うまでもなく伊達家の故地である。東北の長い歴史で結ばれた両地だから、争うこともなかっただろう。■参考 宇田川勝司『クイズで楽しもう ビックリ!意外 日本地理』思草社、2007年なお、この本によると、同一名称の市としては伊達市は第2号で、実は東京と広島の府中市が先例である。ともに昭和29年に市制を施行したが、広島県の府中市が一日だけ早く、ルール上は東京都の府中市の方が市名を変える、ということになったはず。しかし、人口規模でも上回る同市は一歩も引かず、結局例外的に同名のペアが誕生した、ということだそうです。
2009.03.14
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今朝の庭のスズメたちです。春です。
2009.03.13
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朝日新聞(11日)によると、白石城の来場者が激増中だという。今年度(昨年4月から今年2月末まで)の入場者が、前年度比の1万4千人増で、7万6898人。この入場者数は、県指定文化財の片倉家中武家屋敷・旧小関家と合わせたもので、市が95年に天守閣を復元した直後は10万人を超えていたが、近年は6万人台に減っていた。今年度は8万人台が確実で、売店やレストランの売上げも、約6千万円で、前年度から1600万円もアップ。タイの化粧品会社の慰安旅行160名が来場したそうで、写真が載っていた。ゲームソフトの片倉小十郎人気や仙台・宮城デスティネーションキャンペーンの効果とみられるが、何にせよ人が集まると言うことは、ありがたいことだ。木造建築による完全復元天守として、日本最大級なのだそうだ。高さ16.7メートル。現在の建築基準法では13メートルを超える木造建築は禁じられているが、同法38条の大臣特別認定により実現。城郭建築では初めてのことだそうだ。(白石市観光パンフから)自然と味に恵まれた城下町のシンボル。一国一城令によっても破却を免れた由緒ある城だ。列藩同盟の歴史を物語る白石城。■関連する過去の記事 輪王寺宮と東北(2006年04月08日)
2009.03.12
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青森県の津軽半島龍飛崎の国道339号は階段国道として有名だが、さらに通行が困難な国道。一部が登山道になっている国道が、つい最近まで現存していた。いわき市と新潟市を結ぶ国道289号だ。白河市を通り西に向かうと、甲子(かし)温泉から先は自動車交通不能区間。甲子峠を越えて下郷町側はまた舗装道路で自動車は通行できる。峠は、幅が1メートルの登山道路しかないのだが、国道の位置づけがされている。自動車交通不能区間を持つ国道は珍しいことではない。点線国道と呼ばれるもので、峠にさしかかる箇所にみられ、新道が建設または構想中というパターンだ。また、海上国道と呼ばれる例もあり、鹿児島市から那覇市に至る国道58号は全長858kmだが、大半は海の上だ。しかしながら、登山道が国道とされているのは、289号が唯一だったそうだ。(宇田川勝司『クイズで楽しもう ビックリ!意外 日本地理』草思社、2007年 を参考。ただし、甲子道路開通前の記述。)昨年(2008年)9月、甲子道路(甲子トンネル)が開通し、自動車交通不能区間は解消された。これにより、福島県南から、南会津地方に車で移動するのが飛躍的に便利になったそうだ。この甲子トンネルは、4345mで福島県最長のトンネル。青函トンネル(54km)や新幹線の八甲田トンネル(26km)には及ばないが、道路トンネルでは東北トップクラスではないか。笹谷 3,411(上り)新仙人 4,485鬼首 3,527東北中央道の栗子トンネルが8,975mで完成すれば、東北で最長となるようだ。
2009.03.11
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市内の道路は次第に便利なようにつけらえられたが、最も大きな変化は、明治20年の鉄道開通の時であった。元来、停車場は宮城野の北西端にできる予定であった。しかるにこれを、市の中心に近づけんとして今の場所に引き込んだ。仙台市内で最も代表的な長い通りは、城から榴岡に至る東西に通ずる道と、東照宮から宮町・東六番丁・清水小路を南下する道であった。この東に駅を定めれば良かったのに、宮町・清水小路線を切って、その中間に駅を置いたものだから、仙台の発展計画は、線路によって分断され、東への発展が遅れ、仙台は東と西に二分される結果となった。駅周辺の道路は大いに影響を受け、駅前や新伝馬町は大いに発展したが、大正年間、鉄道踏切が閉ざされると、明治以来繁昌した名掛町東部・二十人町などはさびれた。----------佐々久監修『仙台の散策 歴史と文学をたずねて』宝文堂、1974年郷土史の大先達である佐々先生が、仙台駅をわざわざ西に引っ張ってきたのは、仙台の町を分断して発展を阻害した下策であったという趣旨のことを記しておられることは、以前にも記事にした。上に引用した文章が、佐々先生の筆かどうかはわからないが、このような見方をしておられたのだと推察する。政宗が開き、以後累代にわたり市街地を伸ばし、維新で市中の武士が帰農し町がさびれても、なお、第二師団、第二高校などが設置され、近代として再興される仙台を考えたときに、明治半ばの東北本線による東西の分断がマイナスに映るのだろう。仙台駅が市の中央に存在することを前提にしか発想できない私たちからすれば、仙台400年の大局を弁えた見方なのかもしれない。たしかに、宮城野(例えば現在の貨物駅)が停車場だったならば、榴岡から二十人町、名掛丁、大手町までが長大なメインストリートになって、仙台の従来からの幹線である南北の通りがクロスすることで、名古屋や札幌のように、十分な市街地の面的な広がりが実現できたのかも知れない。都市構造の面でも、旧市街地は三方が山だから、都市の中心(交通の玄関口)をもっと東の宮城野の側に据えることが得策だった、とも言えそうでもある。いずれにしても、現時点ではどうしようもない話ではあるが、西側停車場反対の立場にたって、発想してみた。■関連する過去の記事 仙台駅の位置について(その4)(07年8月16日) 仙台駅の位置について・続々(06年7月15日) 仙台駅のはなし・続(06年7月11日) 仙台駅のはなし(06年7月10日) 宮城県内の東北本線のルートの話(05年11月27日)
2009.03.10
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ベガルタの開幕戦は気迫ある素晴らしい勝利。それに、山形は歴史的大勝。スゴイですね。さてイーグルスは一場投手の先発でしたが、どうもピリッとしません。野村監督の酷評は毎回とはいえ、投げさせているのはチームとしての期待の証拠ですが。気にしすぎての四球が多いようです。やはり治っていない、という感じか。ところで今日のWBCの1位決定の対韓国戦は岩隈が先発。ビシッとやってもらいましょう。世界最高水準の防御率で、イーグルスの水準の高さを見せつけてくれ。頼みマス、選手会長。そう言えば、かつての会長礒部さんも最近ヒットが出ています。
2009.03.09
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5日から、早いところでは支給している。4日に記したように、国策としては愚策であっても、決められた以上は誠実に従うのが当然だし、むしろこれを機に地域の活性化や自治体のアピールをする姿勢があっても、当然良い。たしかに、小沢遼子さんが批判したように、滑稽ではある。どこかの村で「のし袋」を受け取って喜んでいる、それにマスコミがカメラ担いでワンサカ押しかける。騒ぎ立てるメディアをたしなめる小沢さんの意見は率直にわかるが、これを逆手に取ったPRもアリだろう。最初に書いたように、国策の内容如何と、地方の対応のあり方の批判とは、位相が別だ。とは良いながら、やっぱり私も地方側の制度の受け止め方について、気になる点は大いにある。問題は、今回の給付を賑賑しく演出するのはそれで良いが、だからといって地方や庶民を重視した国政だなどと有り難がったり、よもや、国の地方自治重視の姿勢だなどとばかり、地方自立の真の道を探る努力を怠けることはあってはならない。賑賑しく演出する首長は、その3倍の意気込みで国政の地方軽視を指摘しなければならない。それこそが、大局を弁えたバランス感覚だと思う。そのような視点で、今回の定額給付金「騒動」を考えてみる。1 麻生政権と地方対策麻生政権は、総理の決断で地方交付税を1兆円別枠で措置したと大いに宣伝した。またそれとは別に地域活性化のための大型の交付金を措置。しかし、交付税は総額で増えているわけではないし、地域活性化交付金も地方重視の看板を掲げながら、内実は地方のガスを抜く巧妙な換骨奪胎のやり口だ。まず、地方交付税問題は、とにもかくにも1兆円は総理サイドの発案だろう。そして、これが官僚の世界でコロがされて、結局のところ1兆円は措置はされたが、相当に色を付けられた。地域の雇用のためなどに使え、というのだ。本来地方交付税は一般財源であり、地方が要望してきたのは、構造的な財源不足の解消なのだから、現下の課題の対応として色づけするのでは回答にならない。それでも、ともかく成果を出したと言えるから与党の政治家は顔が立つ。実際には今回も総枠で交付税を絞っているから、この色の付いた別枠を2年間後に没収することが明白なだけで、構造的な意味で地方に前進は何もない。さらに、このように「色を付け」ておくと、国はやることはやった、あとは勝手に他に流用する地方が悪い、だから地方には任せられない、などという論法を後で言いやすくなる。教材費や図書費もそうだが、まったく財務省の勝ちだ。このような巧妙な手口が、もう1つの地域活性化交付金にも言える。内閣府に一括予算計上して、あとは地方の計画策定をまって、各省に予算を付け替えるという手法もあまり聞いたことがないが、与党が打ち出した大型の生活対策の内実を各省で考えるよりも、手間が省けて良い、という本音もあっただろう。地方に自由に任せるのだから、地域活性化という美名も冠することができる。あとは、例によって、効果がないとか使い方が悪ければ批判は地方に転嫁できる。そして、地方重視の美名に恐らく与党の政治家達はすっかり騙されて、有り難がるのだろう。全く官僚主導の情けない国政の構図が浮かび上がる。2 定額給付金について定額給付金が公明党の党勢発揚政策であったとしても、その発想をどう料理して政策として鋳造するかは、官僚の主導によるだろう。私は、定額給付金についても、基本的には上記1と同様の発想で処理されたと想像している。現実問題で考えると、定額現金給付などという手法は、地方行政に過大なコストがかかってしまい、通常の発想では出てこない施策だ。しかし、財務省などは考えたのだろう。手間を労するのは市町村だ。コスト分は補填すればいいだけ。何より、政治家が喜ぶ。そして、ここがポイントなのだが、このように地方自治体を主体に据える施策に構成すれば、自治体(首長)が競い合うことになる。政策の愚策という本質はどこかにかき消され、あの自治体はこうだがこっちはどうだ、式の議論に堕し、そのうち報道もされなくなる。あわよくば何かミスでもあれば、だから地方には任せられないデショ、財界の皆さん、と言えるのだ。これが上記と同じだ、と思う所以だ。実際、昨日今日の報道でも、定額給付金による消費を見込んで、どこかの温泉場で誘致をさかんにやっていたが、マスコミ報道はそう言う方に流れる。どこの町は誘致に熱心だとか、どこの市は給付も遅い、などの議論がしばらく続くのだろう。まったくウンザリだが、このように、本質はかき消されるのだ。財務省や各省は、自分が給付するのなら絶対にやらない。あるいは、高コストで一括民間事業者に丸投げだろう。各省の施策もそうだが、道路特定財源を使った高コストの無駄な委託事業、最近では我が家にも来たねんきん特別便の受託事業など、どこまで委託する側が責任感とコスト意識を持っているのかわからない。地方にやらせるならば、地方重視の美名に政治家もコロッと騙され、各省もラクで、財務省には損がない。挙げ句の果てに愚策の本質は突かれない。地方を組み込むには、訳があるのだ。古代ローマは、分割して統治することを旨として、多民族から成る広範な版図を維持した。今の日本の政治行政もそうだ。ちょっと昔だが、ふるさと1億円を見よ。果たして、三位一体の議論の頃には、財務省は地方無駄遣いのキャンペーンに使ったではないか。近くは「ふるさと納税」。全く意味不明の制度だが、結局は国が自身を基本的に痛めることなく、地方の枠の中で頑張れば寄附が増えるでしょう、頑張らなければそれまでだ、という図式そのものだ。この本質問題を、マスコミがなぜ正当に指摘することがほとんどないのか、本当に不思議に思っている。地味なテーマだということと、恐らくは霞ヶ関の政策決定の核心部分には、おそれおおくて入り込みたくないのだろうか。政治主導の決定ならいくらでも叩く。しかし、官僚の世界には何故かマスコミは入っていかないものだ。3 小括何か暗くなってしまい恐縮だが、このように問題の本質は何も変わっていない。変えるなら、政権交代時がチャンスだが、民主党の認識も相当おぼつかない。天下り問題などを突くよりも、もっと構造的で、もっと地方自治にとって本質的に恩恵を受ける事柄なのだが、一体地方の声をどう聞いているのだろうか、と言いたくなる。政権交代に期待できないのなら、やはり地方志向の一部政治家や、ある程度フリーな立場の財界人などに発言を高めてもらうしかないのか。地方自治体の首長たちも、今回の騒動で頭を冷やして欲しいと思う。日本で一番先に支給する、それは何度も言うが、それはそれで良い。しかし、TVでクローズアップされるその瞬間に、その3倍の勢いで日本の中央集権の実態と、地方の悲しさをしっかりと訴えるくらいの意気が欲しい。与えられた中で、自分の動ける幅を探す。地域の名望家から選ばれる首長に、衛星から眺めた地球を見て発言せよ、というのは酷だというなら、それこそ日本の行政は未来永劫変わることがない。市町村合併は悪だった、などと恨み言も聞く。しかし、こういう人たちはどう未来を考えているのだろうか。これからの30年は、今までの30年とは全く違う方向に行くだろう。高齢化や集落消滅などの深刻な問題もある。地方が、与えられた地方のままで良いのか。財源問題をはじめとして地方の窮状を改めるとするなら、中央による地方軽視のデザインを批判し改めていかなければならない。国が地方の真の声に応えるならいいだろう。しかしそうでない以上、改める方策ということを考えていかねばならない。そうした意味で、今の地方行政においては、自らを考えることと国のあり方を考えることは一直線上にある連結した問題なのだ。
2009.03.08
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編集長はただいま足と腰が痛い状態です。もう1時間以上前のことですが、一番町で全力疾走したもので。一番町四丁目で開催しているという、東北の味のフェアをのぞいてみようと、編集長は歩いておりました。新装成った三越の近くでのこと。たぶん三越のものだと思いますが、フーセンをもった親子連れとすれ違いました。どこかのお父さんが、ベビーカーの他に、もうひとり抱っこしていたようでした。あるいは、カートの子をこの時は抱き上げていたのかも知れません。と、その直後、オレンジ色のフーセンがフワリと舞い上がりました。子どもの手を離れたようです。上空に飛んでいくのか、と思いきや、ビル風の影響か地上に降りてきそうな気配も。フーセンは、親子とは逆の方向に、つまり私が歩いていく方向に向けて漂っていきます。ここは決断。30年前なら50メートル6秒台の健脚で走る走る。何とか舞い上がらずに上空2.5メートルくらいに浮いていたフウセンの細い糸をつかむ。朝は強い風だったが、少し収まっていたのが幸いだったか。それから後も結構、辛い。彼方に離れた親子連れまで、再び6秒台の健脚で走って戻る。運良く信号待ちで止まっていたので、渡すことができた。たぶん、抱っこされた子どもの手から糸がスルッと抜けたのだろう。細い糸だ。結んでおかないと、子どもの握力では持ちきれない。2歳くらいか。もっと大きい子なら、飛んだよ、とか声に出すのだろうが、たぶん、自分から離れていくオレンジのフーセンをただ眺めるしかなかった、という状況だろう。そこに、どこかのオジサンが急に走り出して、今度は息せき切らして戻ってきて、フーセンが戻ってくる光景を、この子は抱っこされながら眺めていたと思われます。お父さんは背後で起こった出来事を知るよしもなく、それでも編集長には御礼の言葉を頂きました。いえ、勝手な行動ですので。それが編集長の三越、いや足腰の痛い理由でした。さて、それはどうでも良いのですが、その足腰、いや三越の辺りから商店街に出店が出ていて、「東北の魅力 彩発見フェア」が行われていました。私は、試食が楽しみなのですが、今日は編集部員(子ども達)が居ない単独行動なので、最低限に控えました。先日記事で見た、はたけなか製麺の「あかもくうどん」と「サラダでうきうきパスタ」の出店もあって、これは実は試食したかったのですが、並んでいたので断念。もちろん白石温麺も並んでいました。他にも、他県の食材を活かした楽しい出店がたくさんありました。田村市の竹炭商品の店では、竹炭の飴があって、面白かった。
2009.03.07
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東北の先月は、降雪量が平年より60%も少なかったそうだ。太平洋側では65%も少なく、日本海川では50%あまり少ない。寒気が南下せず、冬型の気圧配置が少なかったため。気温も高く、福島市が平年より1.8高い(平均3.6)、仙台市が1.5高い(平均3.2)。平年より1度以上高い。6割雪が減った。そう言われると、実感と合う。もっとも平年とは、過去30年間平均を指すと思う(たぶん)ので、期間中の暖冬傾向を考慮すれば、30年前の時点と比べればもっと降雪量も減っているのかも知れない。本当に雪が減った。
2009.03.07
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OP戦だから勝敗は別、とは良いながらも一昨日の勝利でまずはホッと。打線がつながったようですから。そして昨日は競り負け。内容を見ていませんが、片山とラズナーが、まずまず、でしょうか。明日はJ2が開幕。野球ではWBCで田中も活躍、といよいよ球春です。頑張れイーグルス。オープン戦を夜のニュースで見て、注目の選手や球界の話題などが伝えられるこの時期。ああ、春だな、と思うのであります。
2009.03.06
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随分久しぶりに聴いた。日本のマーチを集めたCDに収められていた。ブルー・インパルス(青い衝撃)。カッコ閉じまで正式題名だと思う。作曲者の斎藤高順さんは、航空自衛隊航空音楽隊の隊長で、隊長就任前の1970年に委嘱を受けてこの華麗な楽曲を作った。言うまでもなく、航空自衛隊の花形アクロバット・チーム(戦技研究班)のための音楽である。あまり知識がないので正確なところはわからないが、陸自や海自に比べて相当遅れていた航空自衛隊の音楽隊の名声を高めたのが、芸大出身の斎藤さんであり、その象徴がこの曲だと思う。ところで、CDの解説を読んでいて、アッと思った。ボサノバのリズムを用いたユニークな楽曲、とあるからだ。確かに言われればそうだ。重厚なドイツ海軍の行進曲でも、華麗なフランス陸軍のマーチでもない。軽快で、明るく、優美で、そして日本らしい名曲だ。私はこれこそ空自音楽隊がアイデンティティを獲得し、それ象徴するものだと思っている。浜松の青い空に、陽を受けてきらめく機体が弧を描く。美しく、伸びやかに、そして機敏に飛び交う様子が目に見えるようだ。20数年ぶりに聴いたと思う。ボサノバだったのか、と書いたが、忘れてしまっただけで当時も実は知っていたのかも知れない。何しろ昔だ。自由で伸びやかで、一生懸命だった。自分たちも。心が打ち震える。私には、何といっても大切な一曲なのだ。
2009.03.05
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今日、ではなかった、もう昨日ですが、関連法案が成立したので、定額給付金の支給が制度上も正式決定。全国で一番早い支給を西目屋村がめざすそうです。明日、ではなく今日の正午には現金支給ができるように準備をしていたようです政策としての定額給付金には、いろいろ言いたいことがあるが、公の施策として決定した以上は、役所として法の執行をすることは当然だし、住民の方々には堂々と受給していただくことは当然です。規模の小さな村だからできるとは言え、全国に先駆けて支給を目指すという意気込みは、定額給付金の政策としての是非や景気対策の効果論はさておいて、それはそれで結構なことだと思います。537世帯だそうで、既に2日から申請受付を開始していたとのこと。私自身は、定額給付金制度は政策的にも政治的にも賛成はしません。しかし、決まった以上は当然いただきますし、各市町村は誠実に執行すべきと思います。そして、それをダシに(良い意味で)、一番の給付を目指すという姿勢も、自治体の努力の一形態として、とりあえず評価できると思っています。
2009.03.04
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東北で初めて、多額の預金を持つ富裕層専門の銀行店舗が、3日仙台にオープンする。三菱東京UFJ銀行は県内にある2つの支店内に、1千万円程度の預金がある客を専門に扱う新しい店舗を開設し、専門スタッフが資産運用の相談に応じる。大量退職を迎える団塊の世代の資産運用で顧客を増やす狙いがあるのだそうだ。あまり良くわからないが、私には縁がないことは、まずは確かなようだ。おそらく日本の銀行は、従来は表面上はどんな客も平等に扱う建前だっただろう。入り口から区分けして、おそらくはハイグレードな仕様のカウンターなのだろうが、人を差別するかのような業態を堂々設けるのは、あまり無かったように思う。もっとも銀行の実態は経済力で相手を差別化してきたのは、当然であり、それが銀行業の道理だ。一応、表面的には皆さん平等、みなさまの富士銀行(古い)とか言ってきた訳だ。仙台もこれで名実ともに最先端の格差社会に突入、という訳か。学生時代、青葉通りを歩くと、ビルの壁に赤い鳩(?)が数羽取り付けられているのが三菱銀行仙台支店だった。これも古い話デス。あの建物の中にできるのだろうか。
2009.03.03
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年の暮れに花巻温泉を訪れた。帰り足で、賢治の詩碑や羅須地人協会なども巡った。実は新幹線とバスの交通も一緒パックされたツアーだったので、観光地巡りも家族でバスに揺られて、楽なものだった。年が明けて、多少の花巻の余韻があったのか、仕事をしながら、ふと「雨ニモマケズ」を思い出した時があった。みんなにデクノボウと呼ばれほめられもせず苦にもされず俺の仕事も、そんなものかも知れない。そう思いながら、手を休めて、全文を暗唱してみた。小学生の頃はしっかり覚えていたのだが、所々覚束ない。子どもの頃は、「一日に味噌と...」「野原の松の林の陰の...」の前後関係をよく間違ったような記憶もあるが。ところで、私は心の中で読み返した詩の中で、ハッとさせられる箇所があった。あらゆる事を自分を勘定に入れずによく見聞きし、分かりそして忘れず私には、これが亡くなった父親の言葉そのものに聞こえてきたからだ。父は、言葉に出して子の私に何か説示や教訓を述べることなどは、ほとんどなかった。だが、人の話は良く聞け、相手の話の中に本当の意味を知ることだ、などと諭していたように思う。はっきり言われたのではないが、そんな気がしている。子から見れば、家庭人で、兼業農家の一生涯を精一杯におくったのが、親の姿であり、世の中や人生に及ぶような考えや信念など、父親についてイメージしたこともなかった。自分には学がない、と語ってもいた。しかし、生きて仕事をしながら得ること学ぶこと、子に伝えたいこともあったはずだ。「よく見聞きし、分かり...」 この一節が父の肉声で聞こえてくる。父は、たぶん若い時分には向学や出世の志があったと思う。家庭の事情で高校にも行かないが、相当に無念の思いが内心あっただろう。温厚で謙抑的な父親であったが、若い頃は相当に短気な面もあったようだ。それでも、生き続けて何かを得ながら、自分を律しながら、六十数年暮らしてきたのである。人生の重みを備えた言葉として、「人の話は良く聴け」と、そんな風に私には重く響いてくる。年末に私は、花巻の賢治詩碑の前に立ち、賢治の生涯に思いを馳せていた。子どもの頃は雨ニモマケズを、それこそ文字通りに、表面的にしか読めなかったのだろう。当たり前だ。何か聖人君子の言葉のようにさえ感じていた。だが、当然だが賢治も生身の人間だ。生家を離れ、ある意味で好き放題ができて、それでも最後は生家に戻って最期を迎えた。生前は理解者も多いわけではなく、まして文学の社会的評価も少なかった。花巻の町では、金持ちの道楽のように見られていた面もあったのではないだろうか。決して天から降りてきた君子ではない。雨ニモマケズの詩には、世の中を啓蒙するなどという意識は微塵もなく、自分はこうなりたい、なれないけど、かくありたい、という猛烈な自己省察が感じられる。親に頼りながら反発し、世の中に受容されているのか弾かれているのか、そして自分の人生はどうなるのか、煩悶する生身の人間の姿だ。そうか、父親も、あるいは宮澤賢治を愛読したのかも知れない。もちろん父は、裕福な生まれの賢治とは全く異なるし、時代も異なる。しかし、強引に結びつけるようだが、賢治と同じこの雪深い北上平野に生まれ、精一杯生きた。私には、賢治の生き様、そして父親の声が、妙に一緒になっていつまでも残っている。一人の人間としての賢治の生き様に思いを致していたとき、偶然ではあるが、佐藤竜一さんの本を手にした。佐藤竜一『宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死』集英社新書、2008年郷土の歴史を私たちに伝えてくれる佐藤さんの作だ。作家としての成果という観点ではなく、一生涯を生き抜いた生身の男として、失敗や自己省察を経て、それこそオロオロ歩くセールスマンの賢治の姿。そうか。笑って、泣いて、悩んで、人に喜ばれて、人に嫌がられて。賢治もわが父も、私につながる、生きた人間だった。
2009.03.02
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昨日から熱を出していた下の子がインフルエンザだという。昨夜からタミフルを飲むことに。かなり気になるが、かかりつけのお医者様の処方だから、従うしかない。妻が子どもから目を離さず脇に居る役目。お陰で編集長が洗濯やら朝ご飯やら何かと命令されるのは、致し方ないとして、やっぱり気になるのは8歳の子の行動だ。明け方から壁を手か足でコンコンと小突いているようで、音が聞こえてくる。さては、自傷行為に及ぶのか。考えすぎだとは思うが、一連の報道もあったので。朝に様子を見ると、素っ気ないいつもの様子ではあるが。そもそもタミフルについて、厚生労働省はどこまで説明を果たしたのだろう。また、今回も補正予算で全国都道府県に薬剤の備蓄をさせるというが、どこまでが本当なのかと思っている衛生行政関係者も少なくないだろう。むろん、パンデミックと言われればできるだけの対応をしなければならないと真剣に考えているだろうし、体制づくりは必要だ。だが、学術的な判断は黙って国に任せろ、と言わんばかりに、何をやれ、金を出せ、という方式の厚生労働省体質の、何が改まったのか。我々は業界との癒着による幾つかの許されない事件を記憶している。新型インフルエンザの脅威をことさら喧伝する中に、またぞろこの役所の体質にもとづく挙動が隠れていないか、そう思うのはむしろ自然だ。イザというときに、頼りにされるのは現場の従事者、保健所や自治体の衛生行政担当者の人たちだ。最前線の真摯な取組を支えるためにも、行政の透明化、という言葉が最も求められるのが、今の厚生労働省だろう。間違いなく。
2009.03.01
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