全32件 (32件中 1-32件目)
1
社交不安障害の人のコミュニケーションについて考えてみました。社交不安障害の人は基本的に、相手から発せられるメッセージを「相手は自分に対してネガティブな評価を下すものだ」というフィルターを通して受け取ります。こういう先入観を持っていると、相手からのメッセージを正確に把握していないことが多い。また、自分への自信のなさや厳しさから、自分の言いたいことを伝えていないことが多い。たとえば、自分の気持ちを言葉で伝えずに、ため息をついたりにらみつけたりする。これだけでは自分の気持ちは相手には伝わりません。次に言葉は使っていても、直接的な言い方をしないで、嫌味を言ったり、遠回しな物言いをしたりしてしまうことがあります。また、自分の社交不安障害を隠すために、あえて理屈っぽいコミュニケーションをする人もいます。さらに難しいのは、攻撃的、拒絶的な態度をとる人です。本音を知られることの恥ずかしさへの恐怖から、相手が自分の内面を決して見ることができないように防御してしまうのです。はっきりした言い方をしなくても、他人は自分の必要としていることや自分の気持ちは分かっているはずだと思い込んでいる人もいます。阿吽の呼吸で相手が自分の気持ちを察してくれることを求めているのです。誰でも基本的には自分のことで精いっぱいですので無理な相談です。相手の言いたいことは分かっているという思い込みに陥っています。相手をよく観察しないで、ちょっとした態度や言葉ですぐに悲観的な考えをとってしまうのです。きちんと相手に向き合いコミュニケーションをとらないとはっきりしたことは分かりません。また間違って判断することになります。社交不安障害の人は相手と向き合うということが、自分を非難されるという怖れから向き合うこと自体を避ける傾向があります。怒りや不快を表現しないで沈黙してしまうパターンもよくあります。どうせ相手に向き合っても言い負かされてしまう。そしていつも気まずい思いをしてしまう。それだったら、最初から我慢したり耐えたりするほうが、気が楽だという考えです。社交不安障害の人はもともとそういうコミュニケーションが体にしみこんでいます。改善するためには、他の人からサポートを受ける必要があります。集談会などの仲間に協力を得て、具体的な事例を出し合って事前準備を行うのです。たとえば自分が社交不安障害になって、母親がいろいろとアドバイスや指示をしたとします。すぐにイライラして反発するのでは芸がありません。そういう時に母親に受け入れてもらえるような言葉を先輩などに聞いてみることです。「アドバイスが必要な時は自分からお母さんに相談する。それまではそばで見守ってほしい」こんな表現ができれば、母親を傷つけることもなく、自分の気持ちを母親に伝えることができるのではないでしょうか。(対人関係療法でなおす双極性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.31
コメント(0)
水島広子氏は「対人関係療法でなおす社交不安障害」(創元社)の中で、相手との人間関係の中に「境界を設定する」ことを提案されている。これは自分の問題なのか、相手側の問題なのかという境界線をはっきりとさせていくということです。満足のいく人間関係においては、境界線がしっかりと引かれて、お互いの「敷地」を尊重し合うことができている。しかし、自分が決めるべき事なのに相手が決めてしまう。つまり相手が自分の敷地に入っていることも多い。あるいは、本来相手の問題なのに、まるで自分の責任であるかのように感じて気を使ってしまう。相手の敷地に自分が入り込んでいる。このように勝手にお互いの敷地に入り込むと摩擦を起こしストレスとなります。これは中国が海洋資源の獲得を狙って海洋進出を企てているようなものです。周辺諸国から猛反発にあっています。このままでいけば日本海も中国の領海だと言いかねないようなものです。このようにお互いの敷地に不用意に踏み込むことは後々大きな紛争に発展する可能性があります。幼い子供がお出かけするときにいつまでもテレビを見ているとします。お母さんは「いつまでもグズグスしてないで、早く服を着替えて準備をしなさい。連れて行きませんよ。あんたはいつもこうなんだから、イヤになっちゃう」と言ったとします。これはお母さんが思っているように子どもが素直に行動してくれないからイライラしているのです。自分の不快な感情を子どもにストレートに掃き出しているのです。自分の不快感をスッキリと解消しようとしているのです。母親は子どもに自分からすすんでさっさと用意してもらいたいと思っているのでが、思うように行動してくれないから相手の敷地に入り込んで無理矢理行動することを迫っているのです。一種の脅迫行為です。反発心の強い子だったら駄々をこねて喧嘩になります。こういう場合は、「お母さんは早く準備してくれるとうれしいんだけどなあ。もう出かけないと電車に間に合わないよ。それともお留守番していてくれるかな。」と言ってみればどうでしょうか。そのあとどのような行動を選ぶかは子どもが決めることです。子どもの敷地に親が子どもの了解もなしに入り込むことは差し控えないといけません。社交不安障害で悩んでいる人は、相手が敷地に断りもなく入り込んできたのに、見て見ぬふりをしてしまうことが多々あります。理不尽な要求に対して我慢したり、たいしたことではないと耐えたりすることです。相手が自由に自分の敷地に入り込むことを許してしまうとストレスがたまります。また相手は自分の敷地なのに、相手の敷地のように思ってしまい、ますます縦横無人に入り込むようになります。親分、子分のような関係になってしまいます。そんな一方的な人間関係がいつまでも続くことは考えづらいことです。いつか火山の爆発のように大噴火をおこします。森田理論学習の中ではこのような人間関係を「不即不離」と言います。これは人間関係の極意です。べたべたとくっつかない。そうかといって全く離れているわけではない。絶えず気にはかけているのだが、深入りはしない。私メッセージの手法を使って自分の感情、気持ち、希望は相手に伝えていく。それを受けて相手がどう発言するか、どう行動するかは、相手の気持ち、意思を尊重するのである。決して自分の「かくあるべし」を押し付けない。すると自分のストレスがたまらないし、相手と対立関係になるということが避けられるのである。そういう人間関係の在り方を森田理論で学んで身につけたいものです。
2015.08.30
コメント(0)
私は以前訪問販売の仕事をしていたことがある。断られてばかりで、自尊心が傷つき、次第に仕事をさぼるようになった。私は人に対する怯えが強く、一人で訪問営業の仕事することは困難を極めた。しだいに仕事に行けなくなり、さぼってばかりであった。上司の要求は会社の成長、発展を考えれば同然の要求である。会社に勤めるということは、売り上げをあげて会社に貢献する役割を果たすことを求められている。しかし、私は、病気のためにその要求に応えることができなかった。役割をめぐる不一致が起きていたのである。もともと負けず嫌いで、実績を上げて評価をされたいという気持ちは強かったが、気持とは反対に体がついてゆかなかった。勤務先では当然営業ノルマを達成することが求められた。ノルマ以下の仕事しかしないので、当然同僚からは低実績の自分を見て軽蔑していたように思う。さらにノルマを達成できない自分を上司ははげしく非難した。私はジレンマの中で苦しんでいた。ここで私のなすべき役割はなんであったのか。今考えることは、対人恐怖症、回避性人格障害を病気として認めて治療することだったのである。あるいは私はそういう病気にかかっていることを上司に打ち明けて、打開策を見つけることだったのである。しかし私は何ら手を打つことなくノルマ以下の仕事をイヤイヤ続けていた。仕事ができない自分を、性格や資質の問題にしてしまい、自責感、罪悪感、自己否定感に陥っていた。精神科やカウンセラーの援助を受けていればと悔やまれてならない。その仕事をしていた期間は私の人生の中の空白の期間である。さらに上司に相談していれば事態はもっと変わっていたと思う。たとえ仕事が合わないと言って転職を勧められたとしても、9年間も悶々として仕事にしがみついていることはなかった。その方が私の長い人生の中で見ればよかったのである。私は病気を認めず嫌々ながらも、ずるずると仕事を続けていた。その結果、最後には得意先に行くこともできなくなり、会社の中で身の置き場がなくなっていった。最後退職するときは最悪であった。みじめなものであった。石を投げられるような感じで、追い出されてしまった。もし早めに病気として認めて、会社を休んで治療に専念していたらどんなによかっただろうと思う。でも当時はそんなことは思いもよらなかったのである。また困難に出会うとすぐに逃げてしまうという悩みを上司に相談して、仕事のやり方、部署変更をしてもらっていたらよかったのではないかと思う。私のような対人恐怖症、回避性人格障害、新型うつ病、気分変調性障害を持っている人は他人の温かい援助が欠かせない。孤立してしまうことは、すぐに挫折と結びつく。もし仮に訪問営業を2人のチームを組んで行っていたら、仕事をさぼることはなかったのではないかと思う。もう一人が牽制となって安易に逃げることはなかったはずだ。一人で対人恐怖を抱えて訪問営業の仕事をしていたというのはやり方がいかにも悪かった。お客様の断りの言葉を一人で受け止めて、自責感でがんじがらめになっていたのである。断りはお客さんも必要ないという理由があって断っている。それなのに私は自分のことを拒否された。バカにされたと受け取っていたのである。自尊心が粉々に砕かれる。もし仮に2人で受け止めることができたらそんなに痛手として受けとることはなかったであろう。きっとつぶれることはなかったと思う。訪問営業というのはどこの会社でも一人で行うという暗黙の了解がある。一人で社外に出るということは、自己統制力のない人はつい安易な方向に流されやすい。つい楽をしてしまう。イヤになればさぼってしまうのである。そこで最近の営業は携帯電話で居場所を監視されているとも聞く。でもがんじがらめに管理されての仕事は苦痛以外のなにものでもない。私の場合2人での営業が許されていたら低実績で帰社することはなかったであろうと思う。人に支えてもらうことで、一人では困難な仕事ができた可能性がある。会社の中で居場所を確保することができていたのではないかと思う。会社の中でそういう仕事のやり方の提案を行い、自分の果たすべき役割を明確にして、上司の期待する役割とのすり合わせをきちんと行っていれば、転職しないですんだのではないか。対人恐怖があっても、すぐに逃げたりしないで、ある程度の営業成績を上げることができたのではないかと思う。自分の役割を果たし、人の協力を得て仕事に取り組むということを、全く考えていなかったことが人生の敗北につながったと思う。(対人関係療法でなおす双極性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.29
コメント(0)
うつ病などの精神療法に「人間関係療法」というのがある。うつ病だけでなく、双極性障害、社交不安障害、気分変調性障害などにも応用されている。私には対人恐怖症、回避性人格障害があるのでとても関心がある。アメリカでは認知行動療法と双璧をなす精神療法らしい。この考え方はうつ病等の病気が対人関係を悪化させている。また対人関係のまずさが、益々うつ病等を悪化させている。つまり相互に作用しあって悪循環を招いているというのである。精神交互作用とでもいうべき悪循環を、人間関係を改善していくことによって断ち切ろうというのである。現在進行中の対人関係と症状や気持の関連性に注目していく。そして対人関係の問題を改善し、対人関係機能、社会機能をよくする。変質してしまった対人関係を回復していくのである。日本での第一人者は水島広子氏である。ホームページもある。具体的には次の4つの領域のうち1つか2つを選んで治療していく。1、 悲哀(重要な人の死を十分に悲しめていない)2、 役割をめぐる不一致(重要な人との不一致)3、 役割の変化(生活の変化にうまく適応できていない)4、 対人関係の欠如(親しい関係がない)取り組む前提として、うつ病や双極性障害、社交不安障害、気分変調性障害、対人恐怖症、回避性人格障害などを病気としてしっかりと認識することだという。決して性格、資質、親や先生の育て方の問題に矮小化などにしてはならない。性格や資質の問題にしてしまうと、自責感、罪悪感、自己否定感がでてくる。病気だと自覚すると、前向きに治療に向かえるようになる。ここが肝心なところだと言われる。私はこの4つの領域の中では特に2番目に注目している。役割をめぐる不一致である。これは自分が相手にこうしてもらいたいと望んでいることと、相手が自分に対してこうしてもらいたいと願っていることが一致していない。すれ違いがあるというのである。人間関係ではしょっちゅう起こりえることである。これを役割期待のずれが起きているという。そのことでゆきづまり、絶望感や無力感をもたらしているのである。そのすれ違いを少なくしていこうという考え方である。これは森田でいう、自分の頭で考えたことと現実がミスマッチを起こして、葛藤や苦悩で苦しむことになるという「思想の矛盾」の考え方と同じことのように思える。森田では「かくあるべし」的思考をやめて、事実を受け入れて事実に服従していくことを学んでいる。人間関係療法では、その解決の糸口として人間関係に注目しているところに独創性がある。明日は具体例について説明したい。(対人関係療法でなおす双極性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.28
コメント(0)
プロ野球の世界で走攻守のすべてが超一流というのはあまりいない。現在ではヤクルトの山田選手やソフトバンクの柳田選手はそうである。3割、30本塁打、30盗塁、ダイヤモンドグラブ賞の候補である。あるいは三冠王が狙える選手である。でもほとんどの選手は球を遠くに飛ばす力はあるが、足が遅い。守備範囲が狭い。遠投できない。守備はうまいが、打力が振るわない。バントもうまくない。足は速いが、打てない。などと長所短所を備えている。でもそれでもプロ野球選手とて何年も飯を食っていける。それは一つだけでも人よりすぐれた能力があるからだ。ここぞという時に、チームの勝利に貢献できる能力があるからだ。反対に3拍子揃っている選手がいる。そのレベルが普通の選手並みであるとすると1軍に呼ばれることは少ない。まして1軍に定着できる可能性は少ない。落合元中日監督は守って勝つ野球を目指されていた。そんな中で茂本英智選手と岩崎達郎選手の守備力を高く評価されていた。打力は1割台か2割台前半の選手だった。でも守備がすぐれていたため1軍に帯同させて使ってきた。茂本選手は2004年ダイヤモンドグラブ賞を獲得している。特に遠投力に優れており、本塁から110m先の右翼ポールまで到達する力を持っていた。岩崎選手は2010年144試合のうち78試合に出場している。しかし打席は85打席、打率は1割8分3厘だった。それでも井端、荒木選手の控えとして重宝していた。他球団からトレードを申込まれても絶対に出せない選手であったという。年俸をあげて期待と感謝を表明しておられたという。こういう人たちはスーパーサブという。華やかなスポットライトを浴びることはほとんどない。しかし自分の得意なところを磨いてチームに貢献する姿は多くの人の共感を呼ぶ。自分の長所を磨きプロという厳しい世界で生き残ることに成功した人である。私たちもこの姿勢に学んで長所に光を当てたい。幸い私たちは神経質性格を持っており、すぐれた長所をいくつか、もともと持っているのである。長所を伸ばして、短所が自然に引っ込んで目立たなくなっていたという状況を作り出したいものである。ちなみに茂本選手は現在中日のコーチ、岩崎選手は楽天イーグルスに移籍して活躍されている。(采配 落合博満 ダイヤモンド社参照)
2015.08.27
コメント(0)
落合元中日監督は、指導者は選手の欠点を長所に変える目をもって新人に接していくそうだ。ピッチャーでいうとシュート回転の球を投げる選手は嫌われる。右投手なら外角を狙った球が真ん中に寄ってしまう。つまり勝負球が甘くなってしまうのだ。原因としては、指の長さ、太さ、腕の振り方、投球のフォームの癖等様々ある。自分のためにならない欠点や悪い癖は治してやるのが指導者の役割だ。でも指の長さや太さは天性のものでどうにもならない。また、どこか一つ欠点を治そうとすると、肝心の長所まで消してしまうことがよくある。投球フォームを変える。するとシュート回転しなくなったとする。でも欠点は無くなったが、威圧感がなくなる。相手にとって球筋がよく分かるようになることがある。するとコントロールはよくなったが打ち込まれることが多くなる。つまり欠点を修正したおかげで、長所も消えていって並みのピッチャーになったのである。こういう場合は発想を変えるのがよい。真ん中から内角にシュート回転する球は打つのが難しい。外角には変化球を投げる。しいて外角にストレートを投げるときはボール気味に投げる。最初からボールを意識していく。何球かはボールからストライクになるような投球を心掛ける。そのためには針の穴を通すようなコントロールを磨くことだ。欠点を逆手にとって、さらに磨きをかけるのである。考えてみればカープの黒田投手はストレートを投げることはほとんどない。ツーシームを多投する。フロントドア、バックドアと言って、ストライクからボールになる、あるいはボールからストライクになる球に磨きをかけて活路を開いている選手もいるのである。私たちは欠点に目がいきがちであるが、欠点の裏には長所が隠れている。コインの裏と表の関係にあるのである。短所の中に隠れている長所に光をあてて磨きあげる。この態度が欠かせないようだ。(采配 落合博満 ダイヤモンド社参照)
2015.08.26
コメント(0)
森田療法の対象になる人は、自分独自の不安にとらわれて、苦しいので取り除こうとやりくりを始める。そのうち生活が後退してくる。日常生活に支障が出てくる。それとともに憂うつな気分が強まり、毎日生きていくのがつらい。最終的には蟻地獄に落ち込んだようになり、抜け道にめどが立たなくなる。というのが代表的な悩みだと思います。私はさらに神経質周辺の障害を自分と比較するなどして、分析することが欠かせないように考えています。その方が自分の現状をより深く認識することができる。自分の状況がより深く自覚できれば、対策も広がる。その際私自身が有効だと思うのは、回避性人格障害、自己愛性人格障害、新型うつ病(慢性うつ)、気分変調性障害などである。人格障害には境界性人格障害、依存性人格障害、強迫性人格障害など他にもいろいろある。対人恐怖の私のような場合には、回避性人格障害、自己愛性人格障害が特に強いようである。回避性人格障害は、もともと対人的に予期不安を抱えおり、問題に直面した場合、立ち向かってなんとか打開しようというのではなくすぐに逃げるという行動をとる。私の場合ほぼ80パーセントぐらいは逃げるのである。逃げたときは一瞬楽になるが、そのあと後悔の念が続き、自責感で悩むのである。森田療法の場合は、一般的には逃げるのではなく、その不安を取り除こうとしてやりくりをすると言われる。私の場合は、不安を解消するためにやりくりすることよりも、逃げる方法を選択してしまうので、極めて消極的な態度なのである。その点純粋な森田神経症とは違うのではないかと思う。自己愛性人格障害は、人の気持ちを思いやるという共感の気持ちを持つことができない。自己中心的で、プライドがとても高い。人と仲良く付き合いたいという気持ちはそれほど強いわけではない。それよりも、いつも人から一目置かれて、高評価されることを願っている。うぬぼれが強いのである。そのために人に役に立つことをするわけでもない。無条件に受け入れてもらい、ちやほやされることを願っている。逆に、自分を無視したり、非難したり、拒否したり、否定されることは我慢ができない。けんかを吹っ掛けたり、近づかないようにする。新型うつ病(慢性うつ)、気分変調性障害は、対人的に予期不安が続き、いつも憂うつで気が晴れないのである。本来の大うつ病、双極性障害1型の人のような、内因的なうつ症状とは違う。心因性のうつ状態という面の方が強いのである。人間関係や適応障害のようなストレスに対応することができなくなって、うつ状態になっているのである。私はうつ状態でつらいけれども、世間に理解があるうつ病を公言して、会社を休職してしまおうなどということは考えたことはない。またお酒、趣味、気分転換の方法をいくつか身につけており、大うつ病に発展することは考えづらい。つまり仕事や対人関係等のストレスが高まるとうつ状態に陥ってしまう。それはそれでつらい状態である。それで精神科に行って抗不安薬をもらってきて飲んでいたのである。だからストレスの耐性をつけて、ストレスの解消を進めればうつ状態はかなり軽減されていただろうと思う。また小さいころから困難な場面から逃避してきたので、社会体験が不足してきた。ノウハウを身につけないで大人になってきたので、対応方法が全く分からず右往左往しているのである。私はそういう人間だったのである。これらは森田周辺の学習の中ではっきりしてきた。ここまで分析ができたところで、どうすればよいのかということである。回避するという傾向が強いので、少しだけ改善する必要がある。まず職業選びには注意が必要である。耐性力がないので、営業等の対人関係がもろに出てくるところはすぐに挫折する。仕事はすべて対人関係が絡んでいるが、希薄な職業というのはいくらでもある。職業は確か2万種類ぐらいあるそうだ。その中からこれはと思う職業はきっと見つかるはずだと思う。好奇心が強いのであるから一人でいろいろと創意工夫して努力できるような仕事を探せばよいのである。一つのことを10年もコツコツと続けていけばその道の専門性はかなり高まる。そういう自信になるものを1つでも持っていると人間的に余裕が出てくる。人から無視されたりしても、それが後ろ盾となってパニックになることは少なくなるのである。また抑うつ状態はそういう生活の中で出てくるものである。そのからくりを森田理論学習によって自覚することが極めて重要である。神経質者が「生まれてきてよかった」と思えるような生き方をしようと思うならば、是非とも森田理論学習をして身につけることが必要である。
2015.08.25
コメント(0)
先生はA君が教室から出て行ったあと、クラスメイトに、なんとかA君と仲よくしてほしいと思って話し合いをしました。先生 誰か、A君を迎えに行ってあげてよ。B君 いやだよ。いつものことなんだもの。それより早く授業を始めようよ。先生 A君は何か思ったんだと思うよ。自分のことを、軽蔑した目で見るとか。B君はA君の気持ちは理解できた。B君 分かんないけど、でもどうすればいいの。自分から出て行ったんだから。先生 それでいいの。B君 それでいいよ。言っても分からない人だから。先生 本当にそれでいいの。A君が抜けて、それでも6年1組と言えるのかな。みんなそれでいい。だれかA君のことは私に任せてという人はいないの。B君 だって、何か教えてあげようとするとすぐに怒っちゃうんだよ。いつもそうなんだ。自分たちはちゃんとやっているのに。だからみんなもう関わりたくないんだ。先生 でもA君出ていっちゃってそれでいいの。C君 一生懸命やってきたよ。今までもずっと。かってにすればいいんだよ。B君 先生はどちらの味方なんですか。A君の味方なんですか。それってひいきじゃないんですか。全員 先生はA君をひいきしていると思います。クラスは収拾がつかなくなりました。先生はみんながA君を受け入れてくれてなんとかクラスをまとめあげようとしましたが、火に油を注ぐようになりました。子どもたちは家に帰って母親に不平不満をぶちまけました。母親たちはお互いに連絡をとって臨時保護者会を開き担任と学校を糾弾するということにまで発展しました。先生の真面目で真摯な態度は敬服ものです。でもやり方は問題がありました。ではどう対応すればよかったのでしょうか。うまく展開した例です。B君 僕はなにも悪いことはしていない。担任 そうだよね。B君はなにも悪いことはしていないよ。B君 僕たちはA君が暴れてもいつも我慢してきたんだ。担任 ありがうね。我慢してきてくれたよね。どんなふうに我慢してくれたの。B君 殴られても殴られっぱなしになったしさ。こっちも殴りたくても抑えてさ。言いたいことも我慢してきたんだ。担任 言い返したいことや、殴り返したいときに我慢してくれていたんだね。ありがとう。B君以外にも多くの人の気持ちを聞いて、その気持ちを肯定して受け入れました。担任はみんなにA君を受け入れて欲しいとは言っていません。クラスメイトのA君に対する気持ちを吐き出させています。Cさんは「もうこれ以上我慢できません」と訴えました。担任は「どんなふうに我慢させられているか教えてくれる」とCさんの不満を引き出しました。それぞれの子どもが、言いたいことを言っても、担任にネガティブな感情は否定されません。かつ、自分たちの努力や工夫が承認されたことで、満足し、落ち着きを取り戻しました。このような対話がなされると、発言しない子どもも、同じように自分の感情を承認された気持ちを体験することができるので、クラス全体が、担任への信頼を深めていくことになるのです。担任はA君に対しても、クラスメイトに対してもそれぞれの思いや気持ちを吐き出させて、その思いや気持ちに沿った言葉を投げかけて受容するということが大変大きな意味を持っています。私たちは「かくあるべし」的思考が強い。また、先入観や決めつけ、ネガティブな行動をとりやすい特徴があります。傾聴、共感、受容が大切だと集談会では言われます。どんなに相手に非があると思っても、まずは相手の思いや気持ち、湧きあがってきた感情を思いやってみる。そんな気持ちで相手の話を聴いてみる。十分に吐き出させる。相手になり代わってその感情を表現してみる。そして相手の感情を受け入れていく。このことを実践するだけで自分の不安のとらわれに対する取り組みはかなり変わってくるものと思います。つまり自分の不安もある程度受け入れることができるようになるのです。(怒りをコントロールできない子の理解と援助 大河原美以 金子書房参照して一部引用)
2015.08.24
コメント(0)
もしあなたが小学6年生の担任だったとします。A君という問題児がいます。A君は、教室で自分のできないことにぶつかったり、注意されたりすると、ささいなことでパニックになり、きれてしまいます。きれると目つきも悪くなり、あたりかまわず物を投げたり、隣の子を殴ったりします。暴力を使うことは絶対にいけないことだと言ってきましたが全く効き目がありません。こういう子どもが一人でもいると、授業の進行の妨げになります。放っておくと、学級崩壊になりかねません。校長先生や同僚から担任の責任として冷ややかな目で見られます。また父兄からの学級運営のやり方に対する批判もあります。こんな子供がいたとしたらどう対応すればよいのでしょうか。「怒りをコントロールできない子の理解と援助」という本の中にこんな話が紹介されていました。まず一般的な先生の例です。A君が、突然きれて授業中に友達のノートを破りました。先生 どうして友達のノートを破ったりしたの。いつも少しくらいイライラしても、乱暴はいけないっていつも教えてるよね。友達に謝らないといけませんよ。謝りなさい。A君 知らないよ。そんなこと。(といって激しく抵抗する)これは普通一般的な対応でしょう。この先生は「どうして、こんなことをしたの」とA君に尋ねて、自分が納得する答えを求めます。A君は先生を満足させる応答をすることができません。だからさらに自分を責められます。先生は被害に遭った子どもの気持ちを訴えることを通して、A君が自分のしたことを反省するように求めています。しかし、自分で処理しきれないネガティブな感情でいっぱいの状態にあるA君にとって、友達の感情についての話はほとんど意味をなしません。A君が興奮すると、先生もA君の態度に巻き込まれて、共に興奮してしまいます。言葉で「落ち着きなさい」といっても、態度で先生の興奮が伝わるために、A君は落ち着くことができません。先生の指導は、A君を心配している思いが伝わらないいらだちから、「このままでは、みんなにもっと嫌われちゃうでしょ」といって、A君の不安状態を強化してしまう対応をしてしまっているのです。これに対してスクールカウンセラー(SC)がこう対応しました。SC 教室でイヤなことがあったんだって。身体がドキドキしちゃってるね。A君 わかんない、わかんない。SC そういうとき覚えてないことってよくあることなんだよ。覚えてなくても大丈夫だよ。A君 え! いいの。(不思議そうにSCの顔を見る)SC うん。覚えてないもんだよ。どこまで覚えているか教えてくれる。A君 友達がジロジロ自分を見てた。俺が答えようとしてたのに、どうせできないじゃんって目で見てた。「お前バカじゃないの」って誰かが言った。後は真っ白。覚えてない。SC そうか。「お前バカじゃないの」って聞こえたんだ。A君 オレ、バカじゃない。それなのに。(しだいに興奮してくる)SC そうだよね。それなのに、そう言われるから、すごく腹が立ったんだよね。すごく悲しかったんだよね。A君 うん。そんなんだ。SCはA君の行動の奥にあるネガティブな感情を見つけて言葉に置き換えて返しています。A君は冷静に返答していることに注意してください。A君は、きれるときは「むかつく」としか表現しないけれども、その下には「不安」「悲しみ」の感情がふつふつと湧きあがっていたのです。A君が身体で安心を感じることが大切なのであり、そして、怒りのもとにある感情を、身体感覚を通して言葉にして共感してあげることが重要な援助になるのです。(怒りをコントロールできない子の理解と援助 大河原美以 金子書房参照して引用)
2015.08.23
コメント(0)
大阪府高槻市の駐車場で、寝屋川市立中木田中学1年の平田奈津美さん(13)が遺体で見つかった。同じく星野凌斗君(12)も遺体で見つかった。防犯カメラの解析の結果早期の犯人検挙につながった。残忍な事件である。犯人に対しては許せない気持ちが強い。でも私は一つの疑問が頭から離れない。平田さんは夜中から夜明けにかけて寝屋川駅前の商店街を動き回っている。そして雨が降るのに野宿をするつもりだったという。小さいテントを持ち歩いていたという。過去にも何回も野宿をしていたようである。ということは家に居づらい理由があったのではないだろうか。家にいるよりも真夜中野外で過ごす方がよほど気が楽だという気持ちがあったのではないか。まだあどけなさの残る子どもである。かわいそうでならない。しかし、こういう子どもの予備軍は大勢いるのではないか。高槻の事件は氷山の一角ではないのか。現代は、子どもが親の対応によってまともに育たないケースはどんどん増えているのではないか。このブログでも子どもと親の触れ合いについてはたびたび投稿してきた。乳幼児の母親とのスキンシップ。しつけの心構え。幼児期からの子どものネガティブな感情の対応方法。過保護、過干渉、放任がいかに子どもの心の発達に悪影響を与えていることか。等などである。子どもを育てようとする人は、人を育て教育していくための訓練を受ける必要があるのではないか。検定試験制度を設けて、合格者のみに子育ての資格を付与する等のてあてをとる必要があるのではないか。さらに子育ての情報交換や原理原則を学ぶ自助グループ活動を全国に広める必要があるのではないか。子どもを持つ親は税金を支払うのと同じように、それを強制的に義務付ける必要があるのではないか。精神疾患、パーソナリティ障害、アダルトチルドレンなど精神的トラウマを背負ってしまうと、その子どもは一生重荷を背負わされるのである。その苦労は身にしみて感じている。反対に子育てが順調に進むとこんなに楽しいことはないのである。子どもも親もどちらにとってもプラスとなるのである。
2015.08.22
コメント(2)
定型うつ病と非定型うつ病(新型うつ病)は、同じような病気に思われているが大きく異なります。ですから明確に区別しておいた方がよいと思う。治療方法、対応方法が大きく異なるからである。その特徴は次のように分けられます。定型うつ病・物事に興味や関心が持てない。何もやる気が起こらない。・早朝から午前中にかけて気分が落ち込み、夕方ごろから比較的元気になる。・自己犠牲的な献身的態度が目立つ。自分が苦しいのに周りの人のことを思いやる。・自分がいたらないから病気になった。自責的で罪悪感を持つ。・自分の発言に控えめで慎重である。できませんとはなかなか言わない。・仕事熱心で物事を頼まれるとノーと言えない。極度の過労に至る。・自ら休職に関する診断書を求めない。傷病手当の申請もしない。・定型うつの人は、周囲の人は励ましてはいけない。休養が必要。・不眠、食欲低下がみられる。・薬物療法が効果的である。・病識は比較的強い・性格は几帳面、生真面目、責任感が強い、仕事熱心、規律正しさ、秩序を重んじる。非定型うつ病(新型うつ病)・病気の最中でも好きなことは積極的になれる。嫌いなことはやる気が出ない。・夕方から夜間にかけて調子を崩すことが多い。突然、感情のコントロールができなくなる。・自己保身が強く、よくいい訳をする。自己愛的傾向がみられる。・他罰的傾向が強い。他人を責めたり、非難する。・他人の些細な一言にひどく傷つく。自分のつらい気持ちを分かってもらいたいという気持ちが強い。・人に頼まれても、自分の都合で簡単に断ることができる。つらいとすぐに逃避する。・自ら休職に関する診断書を求める。傷病手当金の申請を請求する。会社や学校を休もうとする。・時には背中を軽く押す程度の励ましが必要になることもある。・過食、過眠がみられたり、さまざまなものに対する依存度が増す。・薬物療法があまり効かない。精神療法が必要である。・病識が薄い。・パニック発作を伴うことがある。過去の心的外傷体験がフラッシュバックする。・性格は、強迫傾向が強く、全般に不安が強い。ネガティブ思考をする。人と比較して優越感、劣等感を持ちやすい。神経が繊細で、神経質である。人の思惑を気にする。イヤなことがあると逃避する。他罰的で人の批判をよくする。責任回避傾向がある。定型うつ病の人は精神科にかかられているので、集談会に参加されることは少ない。非定型うつ病の方は集談会によくお見えになる。非定型うつ病の患者さんは、「自分の好きなことはできるけれども、嫌いなことはできない」という、一見すると「わがまま」「気まぐれ」のように見える言動をとることが多いため、周囲の人から理解されにくい側面を持っています。しかしながら、非定型うつ病の患者さんには、独特の「心の傷つきやすさ」や「捉われの強さ」があり、例え定型うつ病の患者さんより頑張りのレベルが劣ったとしても、「もうこれ以上頑張れない」という気持ちは同じなのです。そのことを周囲の人が理解してあげないと、患者さんは自分の性格を全否定されたと思いこみ、最悪のパターンに落ち込んでしまうのです。定型うつ病の患者さんが、実際にうつ症状でもがき苦しんでいることに変わりはありません。集談会においでになる方はこんな人が多いのではないでしょうか。非定型うつ病のいろんな療法・薬物療法・光療法―これは、患者さんを室内光の200倍(2500ルクス)の光に暴露させるものです。毎日、夜明け前の2から3時間、光に暴露させて、内因性のペースメーカー(体内時計)を再調整させます。精神療法として、認知行動療法、内観療法、対人関係療法、森田療法、マインドフルネス認知療法等があります。周囲の人にお手伝いして頂きたいこと・病気を理解し、周囲がまず安定していることが大切です。・一進一退を繰り返すので気長に構えましょう。・話をよく聞いてあげてください。・患者さんに「拒絶された」感じを与えないように気をつけましょう。・夕方から夜にかけての「寂しい感じ」は要注意です。・不安、うつ発作、自殺企図、希死念慮には注意しましょう。・少しの励ましは効果的です。・なるべく休職させない方がいいです。・ほめてあげることも大切です。・一日の生活リズムを崩さないようにしてください。・昼寝は絶対にさせないでください。・家の外での約束事をするようにしてください。・有酸素運動をするように勧めてください。・近づきすぎない距離を保つようにしてください。・その日の課題を達成させてあげてください。・認知行動療法のお手伝いをしてあげてください。・日記に書いてもらいましょう。・リラクゼーション、ヨガ、瞑想等を勧めてあげてください。・インターネットやEメールはなるべくやらせないで、過食や依存症にも注意してください。・できるだけ1人にさせないでください。(「非定型うつ病」が分かる本 福西勇夫 法研より引用)
2015.08.22
コメント(0)
30代の男性社員Fさんは、最近移動してきた上司から、よく休むことについて注意されました。気分変調性障害を持つFさんは、疲れがたまると有給休暇をとる、というパターンを作ってから職場適応がずっとよくなっていました。以前の上司は調子の悪いFさんへの理解があったのですが、新しい上司は事情も分からず、ただ「休みすぎる」と感じたようです。新しい上司は「今どき、誰でもうつ病だ。もっとしっかり健康管理しないとだめだ」と言い放ちました。以前のFさんは、気分変調性障害という病気を認めていませんでした。そのため仕事の能率が悪かったのです。でも精神科にかかり、気分変調性障害は病気であると認識しました。自分の性格や資質で片付くような問題ではない。治療を受けたり、考え方、行動パターンを変えて会社に適応できるようになったのです。前上司はそのことをよく分かってくれていたのです。Fさんは現在の上司の理解を得ることは難しいと考えて、「上司に巻き込まれないようにすること」を心がけるようにしました。気分変調性障害の人は自分の心身の状態が悪くても、上司からきつく指導されれば、それに巻き込まれてしまうことがあります。Fさんの場合は自分を見失うことなく自己主張ができています。素晴らしいことです。部下に理解のない上司はすべての面で部下を思いやることのない人です。そういう人は管理職としての資質に欠ける人です。組織としてまとまって目標を達成することが難しくなると思います。いずれじり貧となり管理職から外されることになるでしょう。それまでの辛抱です。そういう上司はどこの会社にもいます。まともに対応しないことも一つの方法です。それとチームとして仕事に取り組んでいる場合、一人抜けると誰かがその仕事をしなければなりません。誰もいない場合は他の同僚に負荷がかかります。他の同僚も同じように有給休暇をとっていれば特段問題は起きません。自分だけが時々有給をとっている場合は他の同僚から不平不満が出てきます。これは無視できません。有給休暇はある程度とることが義務つけられています。全員がとれるように計画を立てておくのが上司の役目だと思います。Fさんの場合はランダムに取得することになるでしょう。他の人の場合は計画取得になるかもしれません。また上司の役割はアクシデントに備えて仕事が滞らないようにすることです。仕事の分担を組み変えて流れを止めないこと。あるいは緊急対応として自分が現場に入ることなどです。そういう余裕を持った人員配置が必要なのです。よく有給をとる人を戦力外とみなして、最初から除外していくのでは組織として成り立ちません。非常識の域です。公平にとれるようにすることが肝心だと思います。しかし普通の会社は、最低の人数で、サービス残業して、目標達成できるようなシビアな職場が多いことも事実です。そんな中で、気分変調性障害の人はどう対応したらよいのか。まず休む時はなるべく早く伝えることです。それと上司や同僚に気分変調性障害は病気であることをおりにふれて説明することです。治療が必要であること。通院や薬物治療を行っていること。現在の状況。病気と仕事の能率の関係性こと。エネルギーを充電するための定期的な休養が必要であること。Fさんの場合は、前上司から現上司への申し送りが不十分でした。また、新上司は就任時個別の面談があるはずです。その時に現在の状況については十分理解してもらうことです。それでも理解を示さないというのは上司の方に問題があるのだと思います。
2015.08.21
コメント(0)
気分変調性障害の例5です。Eさんは職場で管理職に昇進しました。自分の仕事ぶりが認められて昇進を果たしたのです。部下が何人もいて課をまとめて成果を上げることを求められました。今まで自分の仕事は頑張ってなんとかこなしてきましたが、その仕事を部下に分担して自分は別の仕事をしなくてはならなくなったのです。自分の仕事は部下の教育、仕事の進捗状況の把握、問題点の抽出、仕事の改善、上司や関連部署への報告、連絡や交渉等です。Eさんは気分変調性障害で、きちんと仕事をしない部下に不満を感じても、それを注意することができません。自分が部下の代わりに手をつけてしまう。その方が気が楽なのです。その結果休日出勤、深夜まで残業するようになりました。また定期的な所内会議も手をつけることができなくなりました。上司から「もっと仕事を部下に任せなさい」と指導されましたが、自分の指導力不足を指摘されたと思い、自分を責めていました。すべては自分の指導力不足と考えていたEさんは、部下に仕事を振り分けることができずに、自分の一人で苦しんでいました。気分変調性障害の人は、人にものを依頼するということができません。断られた時の不快感に耐えられないのです。なにごとも悲観的、ネガティブに考えて、罪悪感で苦しんでいます。考えることが極端で大げさに考えるようになります。そして孤立してきます。それはそういう病気になっているのです。Eさんの場合は放置しておくと、大うつ病の発症につながることは目に見えています。自分の能力、性格、資質の問題として放置しておくとますます窮地に追い込まれます。病気にかかっているという認識を持つことが大切です。病気を治すということを優先しなければなりません。すぐに精神科を受診することです。気分変調性障害の人は、それは逃避であると自分を責めます。これはまずいいことです。管理職である自分が抜ければ、会社に多大な迷惑がかかる。また、精神的におかしくなって仕事ができなくなったと部下や上司、周囲から軽蔑の眼で見られる。これはどんなにかつらい事と思います。しかし今決断しないと悪循環が続きます。そして突然、人事異動で左遷や降格を命じられたりすることになります。その方がもっと傷つくと思います。私もそういう経験がありましたが、幸いなことに、それでも会社は、安易に退職を迫ることはありません。ラインから外れると格段に精神的に楽になります。また水を得た魚のように生き生きとしてきます。管理職いうのは、自分のことよりも、部下のことを意の一番に考えることができる人です。気分変調性障害に陥ると自己防衛的になりますので、基本的に管理職の仕事はちょっと無理ではないかと考えています。どちらかというと専門職の方があっている。現実的には難しい面がありますが、そういう意識を持っておくことは大切だと思います。
2015.08.20
コメント(2)
それではさらに次の気分変調性障害で苦しんでいる人の例です。主婦のDさんは、しばしば二重うつ病を繰返しています。娘の学校のPTAの役員を毎年やらされるので、負担が重いのです。そして、DさんのことをPTAのベテランだと思っている人たちは、本来Dさんの仕事でもないものまでDさんに頼ってやらせようとするのだそうです。ほかの役員はどうなのかと聞くと、ほとんどが、一年だけやって交代するそうです。なぜDさんが毎年役を引き受けているのかというと、はっきりと「やりたくない」という意思表示をしていなかったのです。例えばこんな感じです。他の親 今年もDさん、お願いできますか。Dさん あの、私は毎年本当にできが悪いので、今年はもっとおできになる方に代わっていただいた方がよいと思います。他の親 そんなことはありませんよ。毎年きちんと仕事をしていただいて、みんな頼りにしているんですよ。是非今年も引き受けてください。Dさん 困ります。今年こそ大失敗をしてみなさんにご迷惑をおかけしてしまうと思います。他の親 そんなことはないから大丈夫ですよ。是非引き受けてください。Dさんは、本当は断りたくて仕方がないのです。でもDさんの態度が優柔不断なために、他の親には真意が伝わっていないのです。他の親たちの気持ちは、「Dさんは、本当は名誉職としてのPTA役員を引き受けたいのだ。一旦は奥ゆかしく断っているのだろう。だから、もう少し強く依頼すれば引き受けてくれるはずだ。それは結果的にDさんが望んでいることなのだ。」それぐらいの軽い気持ちでいるのです。Dさんは気分変調性障害ですから、「今年は役を代わってもらいたい」ということは難しいのです。自分の気持ちを表現することで、相手を怒らせたり、拒絶されたりすることが恐ろしいのです。また自分の意見を言うことは「わがまま」であると思っている。自分が周りの人に配慮できない人間みられることにかなり抵抗があるのです。かなり困った状況にあっても、「他の人も忙しいから」「自分が抜けるとみんなが困るから」と思ってしまう。また子分のように扱われたり、虐待されていても、「相手も余裕のない時だから」「相手は私以外に頼れる人もないのだから」等と自分に言い聞かせる傾向にあります。これでは永遠に断ることはできません。そこでどう断ったらよいのか水島医師と考えてみました。最終的には次のようになりました。「皆さまにご迷惑をかけないように本当は引き受けられたらよいと思いますが、何年も実力以上の仕事を続けてきたので少々疲れております。今年は勘弁していただけませんか。」自分の気持ちをしっかりと盛り込みました。「もしもこんなことを言われたら」ということも考えて用意しました。「そう言っていただけるのは光栄ですが、ごめんなさい、今年はどうしてもできません」ここまで言えれば自分の気持ちがしっかりと相手に伝わります。本番ではなんとかいうことができたそうです。慰留はなく、長年の献身的な活動に感謝されたそうです。ここで重要なのは、気分変調性障害の人は、自分のネガティブな正直な気持ちを相手に伝えられないということです。相手の不機嫌な反応を予測してその感情に耐えられないのです。森田でいう予期不安です。そのことが自分を苦しめているのです。そういう時は身近で相談に乗ってくれる人に相談することです。私たちの場合は、集談会に集まる仲間です。具体的な問題を話し、どう対応すればよいのか意見を聞いてみることです。それも何人もの人に聞いてみるのです。それを整理して、事前に用意して、練習してみることです。行き当たりばったりでは、自分の気持ちは相手に伝えることはできないでしょう。なんでもないことのようですが、対人関係療法というのは具体的に少しずつ進めていかなくてはなりません。まさに行きつ戻りつの繰り返しです。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.19
コメント(0)
それではさらに気分変調性障害で苦しんでいる人の例で見てみましょう。Cさんの恋人は、デートのときに、Cさんの希望も聞かずに自分の行きたいところに連れ歩きます。Cさんの体調がかなり悪いときでも徹夜の強行軍などをするので、Cさんはデートのあとの数日間、仕事を休まなければならないこともあります。Cさんはそんな自分を「デートに行けて仕事に行けないなんて、自己管理の悪さにすぎず、社会では認められないこと」と責めていました。彼からの誘いを無理だと感じても、はっきりと自分の意思を伝えられない自分を責めていました。さらに疲れ果てて仕事に行かれられない自分を責め、益々自責の悪循環にはまり込んでしまいました。健康な人は無理なことは無理とはっきり意思表示をすることが当たり前になっています。ところが気分変調性障害(慢性うつ)に苦しんでいる人は、その後の人間関係の悪化を恐れて明確に意思表示をすることができないのです。さらに悪いことに、相手の無理な要求であっても、「その期待にこたえられない自分が悪い」と感じてしまうのです。はっきりと意思表示しない自分を責めているのです。森田でいう自己内省性がマイナスに出ているのです。Cさんは精神科医の水島広子医師の治療で、自分は気分変調性障害(慢性うつ)にかかっていることと、自責的特徴を理解されました。そして、主治医からの伝言という形で彼に伝えることにしました。彼のように、どうしてはっきりと意思表明をしないのだろうと考えている人にとって、それが気分変調性障害という病気であると理路整然と説明されれば意外に納得するものなのです。反対に、病気の人は相手に余計な気を遣わせるのではないかと心配する人が多いのですが、実際はその反対です。相手の性格や資質の問題だと考えている限り、余計な気を使ったり、不要な疑念を抱いたりするものなのです。水島氏によると「病気ということでしたら納得できます」といってくれた人は多いそうです。だからといってCさんから彼にはっきりと意思を伝えることができません。そこで彼から「今日の体調はどう」と聞いてもらうことにしたそうです。体調は10段階に分けました。0は「全く無理はできない」10は「かなり無理をしても大丈夫」それをメールでしたら伝えられるということになったそうです。普通の人から見るとまどろっこしかもしれません。気分変調性障害の人にとってはそこが出発点です。そして少しずつステップアップしてゆくことが大切です。何しろ放っておくとすぐに罪悪感、自責感が出てくることを自覚しないといけません。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.18
コメント(0)
私たちにはうれしい、楽しい、ワクワクする、気持ちがよいという感情があります。また、不安である。腹が立つ、悔しい、悲しい、恥ずかしい、嫉妬心等の感情もあります。これらの様々な感情がランダムに次から次へと湧き起ってきます。森田理論で学習しているように、本来はその時々に湧きあがってくる感情に身をゆだねて、その時の感情そのものになって生きてゆけばよいのだと思います。それがはからいのない自然な生き方となります。ところが、普通は不安、腹が立つ、悔しい、悲しい、恥ずかしい、嫉妬心等の感情はネガティブ、不快な感情としてない方がよい、存在してはならないものと考えています。でも次から次へと湧き起ってきて、いつもそれらと闘って敗北しているような状態です。苦しいので、なんとか解消するために次のようなさまざまな手段をとります。1、 抑圧。不安や葛藤の原因となる欲求や動機を無意識の領域に押しやろうとする。2、 投射。自分がある人が嫌いだとすると、その人も自分のことが嫌いであるに違いないと勝手に思い込ませようとする。3、 転移。お父さんからいつも叱られていると、そのストレスを学校に行って弱い子をいじめて発散しようとする。4、 反動形成 本当はある異性が好きなんだけれども、行動としては意地悪ばっかりをしてしまう。5、 否認。受け入れられなくなると、そんな事実はなかったのだと否定する。6、 合理化。どうしても欲しいものをたいしたものではないと思いこもうとする。自分の持っているものを本当の価値よりも数段価値があるように思いこませようとする。7、 逃避。事実を観察することをしないで、すぐに回避しようとする。8、 補償。つらいことが目をそらして、自分の好きなことをすることで苦しみを回避しようとする。9、 知性化。失恋したとき理性であきらめるように納得させようとする。10、 攻撃。相手を攻撃することで、不安等を解消させようとすること。これらはすべてはからいです。はからいは不安や恐怖等を解消するものではなく、どんどん増悪していくものだということは、森田理論学習で学習した通りです。私たちはなぜあるがままの感情をよい感情とか悪い感情とかに区分けをしてしまうのでしょうか。これは親の教育が多分に影響していると思います。親だけではなく学校でも、社会においてもそういう方向で教育されて、自分たちの思考パターンとしてしっかりと固定されてしまっています。親は子供に対して、子供の不快な感情を受け入れて受容しようとしていない。不快な感情に対して、叱ったり、非難したり、否定したりしている。すると子どもは、不快な感情を親の前で出してはいけないのだと受け取ってしまう。不安である。腹が立つ、悔しい、悲しい、恥ずかしい、嫉妬心等は表面上隠してしまう。表面上はそんな感情は湧き起っていないかのような態度をとる。自分の気持ちを偽っているのである。これは不快な感情を乖離させて表面上取り繕っているのです。でも無意識の部分では不平不満、ストレスはどんどんと蓄積されている。精神的に大変不健康な状態なのです。それが何かのきっかけで火山の噴火のように出てしまうのである。次にどうして悪い感情を抑圧したり、排除しようとするのでしょうか。これは不安や恐怖があると自分が押しつぶされてしまう。なにもできなくなってダメになってしまう。怒りがあって腹を立てると、人間関係が壊れてしまう。暴力を振るうようになるかもしれない。そうなると社会から排除されて生きていけなくなってしまう。悲しみに打ちひしがれてしまうと、生きる力がなくなってしまう。人に顔向けのできないような失態をしてしまうと、みんなから無能力者とみなされて、日蔭者としてしか生きていく道がなくなってしまう。実際にそうなったわけではないのですが、頭の中で勝手に悪い方に想像し、考えていることは絶対に間違いないと思っている。事実を重視しないで、観念遊びをしているようなものなのです。その結果、ネガティブ、不快な感情を抑えつけたり、無くしてしまおうとする。その行為は計り知れない悪影響をもたらしていることに後で気づかされることになるのです。
2015.08.17
コメント(0)
SSRIについて考えてみたい。選択的セロトニン再取り込み阻害剤である。 一般名フルボキサミン 商品名デプロメール、ルボックス 一般名パロキセチン 商品名パキシル 一般名サートラリン 商品名ジェイゾロフト 一般名エスシタロプラム 商品名レクサプロ SSRIによって脳内のセロトニンが増え、その結果うつ病が治るという仕組みは、確かに明快で分かりやすい。でもSSRIがセロトニンを新たに作り出しているのではない。またセロトニンを作り出す手助けをしているのでもない。伝達の役目を終えたセロトニンがシナプスに収納されてしまうのを阻害しているだけなのである。シナプスとシナプスの間にできるだけ長くとどまらせて、その結果不安や憂うつ等の感情を抑えようという薬なのである。このことはよくよく理解しておく必要がある。セロトニンの絶対量が不足気味であるという状況は何ら変わりがない。つまり対症療法の薬なのだ。根本的治療薬では決してない。しかもこの薬はかっての3環系抗うつ薬、4環系抗うつ薬に比べて格段に高価である。売れば売るほど儲かる薬なのである。それでもうつ病の人は藁をもつかむような心境だと思う。効き目があればまだよい。でも決して副作用が全くない夢のような抗うつ薬ではない。SSRIを過大評価してはならない。それどころか、これらの薬が効かない。また、重大な副作用があることが明らかにされている。衝動性、イライラ、興奮、暴力性、自殺願望、先天性奇形児、薬への依存性などである。それなのに、どうしてセロトニンを身体の中で作りだすことを優先しないのだろう。対症療法で対応することは無知の人をだますようなものだ。元々セロトニンは、95パーセントが腸内で作られている。腸内細菌の力を借りてその前駆体がつくられている。それを腸の神経細胞が脳に送り活用しているのだ。その仕組みをまず理解してみよう。口から摂取したタンパク質は、胃の中でカルシュウム、ビタミンC、消化酵素などによって分解されてアミノ酸になる。その中のトリプトファンというアミノ酸がビタミンM(葉酸)、鉄、ビタミンB3(ナイアシン)、ビタミンB6の力を借りてセロトニンとなるのである。この中でビタミンB群、ビタミンM(葉酸)の産生に腸内細菌が大きく関わっていることを見逃してはならない。その他ドーパミン、メラトニン、ノルアドレナリン、GABA等の神経伝達物質も腸内で腸内細菌の力を借りて作られている。この仕組みを理解すれば、精神疾患は小手先の対症療法で解決するものではない。食生活のバランスをとることはもちろんであるが、腸内細菌の棲みやすい腸内環境を整えることに尽きるのである。セロトニンをいかに作り出すか、根本的なところから取り組まないといけないのである。(こころの免疫学 藤田紘一郎 新潮社参照)
2015.08.16
コメント(2)
気分変調性障害を持つ女性社員Bさんは、会社の同僚が雑用をBさんばかりに押し付けてくることに不満を持っていました。同世代の同僚にすぎない彼女は、上司でもないくせに、コピー取りや食器洗いをBさんに命じてくるのです。彼女は万事に「上から目線」で、Bさんのことをバカにしたような言動もよくとっていました。Bさんは、自分の不満を感じてはいましたが、決して彼女には逆らわず、事態は変わらずに続いていました。面接の中で、このパターンをなんとか変えたいという希望を持っていました。会社では基本的にはコピーは自分でとる。食器洗いは順番を決めて交代制にするのが常識的なところではないでしょうか。この例は同僚がBさんを自分の分身のように自由に取り扱っています。当然Bさんには不平不満がつのります。その同僚は、いろんな雑用を他の人に命じることはありません。Bさんひとりに命じてくるのです。Bさんはなにもいいかえさないイエスマンなので命じやすいのです。一方Bさんには対人関係で波風を立てたくないという気持ちがあります。コピー取りや食器洗いは大騒ぎするほどのことでもないし、そんなことでお互いに気まずい思いをするのは大人げないのではないかと思っているのです。また自分の気持ちを正直に出すと、同僚が怒ってしまって、自分が傷ついたり、他の人に悪口を言われるのではないかとびくびくしているのです。自分が手を離せないほどの仕事をしていても、相手の意向に答えることを優先しているのです。これは気分変調性障害を持っておられるので、自分の気持ちとは裏腹に、相手との摩擦を回避するために自然にそう行動してしまうのです。そういうふうに自己内省的に自分を責めてしまうというのが特徴的に出ているのです。どうしたらよいのでしょうか。そんな対応をされたら、断ってしてしまえというのは、気分変調性障害の人には無理な話です。Bさんの気持ちはなんでしょう。本来自分のやるべき雑用を子分のように押し付けないでほしい。私はあなたの雑用係ではないのだ。コピーは自分でやってほしい。食器洗いは交代制にしてほしい。自分が忙しいときは、自分の仕事を優先したい。余裕があれば手伝ってあげるが、普通は目一杯の仕事があるので難しい。また自分だけではなく、他の人にも頼んでほしい。同僚とは対等な立場で仕事をしたい。とにかくこき使うことだけはやめてもらいたい等だと思います。交代制の提案については、話しやすい他の同僚に相談することはできないでしょうか。そして普通の会社では業務会議があります。その時に同僚から議題として提案してもらうことはできないでしょうか。それも難しければ、上司に相談するということも考えられます。上司から提案をしてもらうのです。自分が直接動かなくても、打開策はあるのではないでしょうか。ストレスを感じながら、安易に引き受けていると、不平不満がたまりいずれ爆発する可能性があります。また、Bさんは断って相手と対立関係になるということを恐れているわけです。これは「あなたメッセージ」の発信をするからそうなるのです。相手を拒否したり、否定する発言です。そういう場合は「私メッセージ」で自分の気持ちを相手に伝えるということを取り入れてみてはいかがでしょうか。これは直接相手を拒否したり、否定していることではないのです。自分の気持ちや意向を言葉に出すということなのです。「今この仕事で手いっぱいなの」「今は手が離せないの」「私今の仕事でパニくっているの。イライラしているのよ」これはオブラートに包んで相手の依頼を断っているのです。こんなことは日常生活でよくあると思います。催し物への参加を勧められた。飲み会に誘われた。カラオケに誘われた。物を買うように説得された。役を引き受けるように勧められた。等など。こういう場合は「私メッセージ」発信で対応するとよいのです。気分変調性障害の人は自分のイヤだという気持ちをどう相手に伝えるか。あらかじめ考えておくことが有効です。とっさには思いつかないと思います。相手の反応が気になって、すぐに拒否する、断ることができないのですから自分の気持ちの伝え方を普段からいくつか考えておく。これを是非お勧めします。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.15
コメント(0)
それでは気分変調性障害で苦しんでいる人の例で見てみましょう。Aさんは、自分はいつも人の中で浮いてしまうと悩んでいる人です。最近始めたアルバイトでも、他の人たちは親しそうに話しているのですが、Aさんだけはとめこめないのです。別にいじめられているわけではなく、感じよく挨拶をしてくれるので、どう見てもAさん側の問題のようでした。Aさんは、自分はやはり人間としてどこか欠けているのだ、と思っていました。Aさんと周りのやり取りについてよく聞いてみると、Aさんから周りへの働きかけは、堅苦しい挨拶をするだけということが分かりました。それ以外の状況では、話しかけることはおろか、微笑みかけることすらほとんどしていないのです。また、ほかの人たちが話しているときにも、Aさんは決して近寄らず、興味がありそうな顔もしていないことが分かりました。Aさんは気分変調性障害で苦しんでいる人です。そういう病気を持ちながらアルバイトをはじめられたのです。その前向きな姿勢は評価できると思います。初めての仕事、初めての人間関係の中でいろいろと気苦労は多いことと思います。常に抑うつ気分がありますので、症状のない人から比べるとつらい事と思います。採用の時、気分変調性障害に理解があればよいのですが、それを言うと不採用になることがありますので公言するのは難しいかもしれません。そんな時に役に立つのは森田です。私は症状がきついときは月給鳥という鳥になったつもりで、会社に行っていました。とにかく仕事をある程度こなして、生活費を稼いでくること。これだけに焦点をあてていました。これは先輩からのアドバイスでした。気が楽になりました。そして集談会でアドバイスされた事に素直にくり組んできました。特に小さい仕事をていねいにやるということでした。そのうち雑仕事がしだいにうまくできるようになりました。宴会などの幹事もできるようになりました。すると不思議なことに対人的な悩みよりも、仕事の出来具合が気になるようになりました。Aさんの場合、無理は禁物です。何しろ気分変調性障害という病気を抱えているのですから。これは最初によく自覚しておいてほしいと思います。ぼちぼちとやってください。Aさんはアルバイトを始めたばかりですから、他の仕事仲間は自分の悩みのことは全く気がついていないと思います。そういう時を利用して、できるだけ早めに仕事を覚えるようにしたら如何でしょうか。きっと良い方向に向かうと思います。その上でAさんの対人関係について考えてみましょう。Aさんは、「自分はやはり人間としてどこか欠けているのだ」とおっしゃっています。これは気分変調性障害の人の特徴的な考え方です。気分変調性障害は、水島広子さんがおっしゃられているように病気です。病気が治れば、そんなに自己否定するようなことは考えなくなると思います。自分は心配性でイライラすることも多いが、これは感受性が豊かであるということでもある。そういう個性を持っている人間なのだと思えるようになるでしょう。対人緊張が強いというのは、自分の考え方が片寄っている、認識の誤りがあるということだと思います。それを少し緩めてやることが有効です。森田理論学習では仲間とともにそのことに取り組んでいます。Aさんのような悩みは私にもあります。人がおもしろそうな話をしているところに入っていって、「何様のつもり」と思われるようなことがあってはいけない。また過去の自分のミスや失敗、自分の弱みを取り上げてからかわれたり、バカにされるようなことがあってはならないと自己防衛的に構えているのです。仮に雑談の輪に入ろうとしても、何も面白い話ができるわけでもないと思っているのです。これは雑談恐怖症です。雑談恐怖症は、自分が非難されるということをひどく恐れているのです。また、雑談の場でその場を取り仕切りたいという自己中心的な面もあります。このような状況の中でAさんは、仕事仲間にどんなことを期待しているのでしょうか。多分「自分から話しかけなくても、自分は、本当は人と親しく話をしたがっている。でもうまくできないという自分の状況を気づいてくれて、気を使って仲間に加えてもらいたい」と思っているのではないでしょうか。これは虫のよい話です。一度でも自分の気持ちを、相手に伝えておけば実現可能ですが、一度も伝えたことがありません。相手に超能力でもない限り、実現不可能な要望です。気分変調性障害の人は、自分の意見や希望を堂々ということなど「とんでもない」と思っているのです。自分の内面を明かせば、自分の欠点や弱みが筒抜けになってしまう。また拒否されたり、無視されたり、否定されると大きな傷を負ってしまいます。自分が何かを言うことで波風を立てることを恐れていますし、そもそも自分の意見や希望を言うことは「わがまま」なことだと思っています。Aさんの気分変調性障害を治し、対人緊張を軽くするためにはどんなことに取り組めばよいのでしょうか。薬物療法も必要かもしれません。これは精神科医に相談してみてください。考え方の誤りや偏りは、カウンセラーや自助グループの学習の中で修正していくことが必要です。水島広子さんの対人関係療法、認知療法、論理療法、森田理論学習などが有効となるでしょう。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.14
コメント(0)
まず気分変調性障害(慢性うつ病)に陥った人はどういう考え方をしているか。その特徴を見てみよう。大うつ病になった人とよく似ている。・まず自分が悪くなくても自分を責めてしまう。罪悪感を抱いてしまう。例えば職場でものがなくなったと騒いでいる時に、自分は何もしていないのに自分が疑われているように感じていたたまれなくなる。自分に責任がなくても、罪の意識を持ってしまう。・完全、完璧主義に陥っている。「失敗してはならない」「すべての人に受け入れられなければならない」「仕事で間違い、失敗、ミスはなってはならない」などという考え方をしていると、ミスや失敗のたびに落ち込むことになる。自分に一つでも欠点があると、自分のすべてがダメで、生きている価値や資格がないと思っている。自分自身が嫌になり、自己否定感が強い。・自分の欠点は最大に取り扱い、他人の欠点はたいしたことがないと過小評価する。この程度のことで圧倒される自分は未熟である。こんなことは誰でも乗り越えていることだ。こんなミスや失敗は他の人はしない。何なく乗り越えられるように見せなければならない。ネガティブな先入観で判断したり、確たる証拠がないのに悲観的な決めつけが多い。・ちょっとした失敗でもものすごく深刻にとらえてしまう。とるに足らないことが会社をやめるかどうか。生きるか死ぬかというような問題にしてしまう。・目の前のことに手をつけないで、「人はなぜ生きているか」「生きる目的は何か」等の哲学的な問題を考える傾向がある。・自分の気持ちを表現することができない。相手を怒らせたり、拒絶されたりすることが恐ろしいのである。また自分の意見を言うことは「わがまま」であると思っている。ものごとがうまく進まないのは、自分が発信している情報が少ないという自覚がない。・波風を立てることを恐れているのである。自分に厳しく、相手に甘い。自分がかなり困った状況にあっても、「他の人も忙しいから」「自分が抜けるとみんなが困るから」といって休暇や休職の診断書を提出しない。また子分のように扱われたり、虐待されていても、「相手も余裕のない時だから」「相手は私以外に頼れる人もないのだから」等と自分に言い聞かせている。水島氏は、こういう考え方は気分変調性障害という病気にかかっているから出てきているのだ。だから自分を責める必要はない。病気が治ればまともな考え方ができるようになる。さらに対人的な対応法を信頼できる医師やカウンセラーの協力を得ながら身につけていけばよいと言われています。病気であると思うと自分を責めることがなくなり、回復への第一歩を踏み出すことができのだと言われています。反対に安易に自分の性格の問題、資質の問題に矮小化してしまうと益々泥沼にはまり込んでしまう。これだけはなんとしても避けなければいけない。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.13
コメント(0)
集談会では抑うつで苦しいという方はたくさんおられる。大うつ病ほどではないが、慢性的なうつ状態が思春期前後から始まり現在に至るまで持続している。生活はなんとか維持されているが、精神的には不安におびえて、一日中憂鬱である。これは抑うつ神経症といわれるものだと思う。これに関しては、アメリカの精神医学会のDSM-4-TRによると、気分変調性障害に分類されている。その特徴は、1、 憂うつな気分がほとんど1日中存在し、少なくとも2年間続いている。憂うつな気分がない日があっても、憂うつな気分がある日のほうが多い。2、 憂うつな気分の時には、次の3つ以上が存在すること。・低い自尊心または自信、または自分が不適切であるという感じ・悲観主義、絶望、または希望のなさ・全般的な興味または喜びの喪失・社会的引きこもり・慢性の倦怠感または疲労感・罪悪感、過去のことをくよくよ考える・イライラしているという主観的感覚、または過度の怒り・低下した活動性、効率、または生産性・集中力低下、記憶力低下、または決断困難に反映される思考困難この気分変調性障害には抗うつ剤がある程度効くことは確かめられている。これは気分変調性障害が内因性の原因によるものだということである。ノルアドレナリンやセロトニン等の神経伝達物質のバランスの回復の結果、症状が改善するのでしょう。ただ約半数の人には効果があるが、半数近くの人には効果が確認できないそうだ。なぜか。それは適応障害の原因となっているストレス等が絡んでいるのではないかと思う。脳の神経伝達物質というよりは、心理的、身体的ストレス等が抑うつ感を発生させているのだ。気分変調性障害は心因性の原因が含まれているということである。ストレス等が原因とすると、気分変調性障害は病気というよりも、環境や人間関係、本人の資質、性格等の影響が強いように思われる。また、認識の誤りが強くて、物事を悲観的、ネガティブに受け止めてしまうその受け止め方を変えていかないと解決にはならないような気がする。つまり薬物療法と併用して、精神療法が必要だということである。精神科医水島広子氏は、それでも気分変調性障害は病気であると言われる。病気であると認めることが何よりも大切である。認めないと症状を長引かせ、克服できないと言われる。私はこの考え方は一理あると思う。私は今まで、慢性うつは薬の効き目が少ないのであるから、病気という面は少ない。本人の性格、資質の問題が大半であると思ってきた。そう思うと、自分を責めてしまうのだ。苦しみを深めてしまうのだ。水島氏の見解を聞いて認識の間違いがあることに気がついた。病気のために物事を悲観的、ネガティブに受け止めてしまうのだ。だから自分は気分変調性障害という病気になっていることをまずもって認めてしまう。白旗をあげるのである。抑うつ状態におけるネガティブな行動は自分の責任ではなくなる。病気のために引き起こされていたのだということが分かる。自己否定する必要はなくなる。自分を責めない分落ち着いてくる。冷静になってくる。会社の人にも、家族にも自分は気分変調性障害という病気になっていることを理解してもらう。すると思いもかけない解決の糸口が見えてくるのである。水島氏は病気であると認めることのメリットを次のように説明されている。気分変調性障害の人は、あらゆることを「自分をいじめるような形で」捉えることが多い。すべて「自分のせい」としてとらえています。他人に対して不満を感じる時でさえ、「でもそんな事態を招いた私が悪い」「これくらいのことを我慢できない私が悪い」というふうに捉えるのです。ですから気分変調性障害が「病気のせい」なのか「本人の資質」のせいなのかを明確にすることは、ことのほか重要です。苦しんでいるのは自業自得だと思う場合と、苦しい症状を呈する病気にかかっているにすぎないと思う場合では、症状の重さは同じであっても、受け取るストレスに大きな違いが生じます。そのうえで症状を治すための「人間関係療法」について説明されている。これについては明日以降説明してみたい。(対人関係療法でなおす気分変調性障害 水島広子 創元社参照)
2015.08.12
コメント(0)
森岡正博氏の「無痛文明論」という本がある。「無痛文明論」とは、苦しみとつらさのない文明論のことである。たとえ苦しみやつらさがあったとしても、そこからどこまでも目をそらしてゆく仕組みが、社会のすみずみにまで張りめぐらせている文明のことである。われわれは、そこで快適さや快楽を得るが、それとひきかえに、「よろこび」を奪われ、自分を内側から破って自己変容する可能性を閉ざされてゆく。その先にあるものは、何か。その先にあるのは快楽と眠りに満ちた、生きながらの死の世界だ。すべての人々が表面上はにこにこ笑いながも、心の奥底では絶望して、かつその絶望からも用意周到に目をそらし続けていくような世界だ。(無痛文明論 森岡正博 トランスビュー)卵を産む鶏を思い出してみてほしい。水や餌は十分に与えられている。飢え死にするようなことはない。そのかわり自由な行動は許されない。一羽ずつ狭いケージの中に入れられている。身動きは不自由だ。そこでたくさんの卵を産むことを要求される。命だけ保証されて、人間のために生きているだけの生活である。卵を産まなくなればすぐに廃鶏として処分される。ブロイラー、豚、肉牛にしても同じような状況だ。食べ物は十分というよりも無理矢理食べさせられている。ある程度の大きさになれば確実に命を奪われる。これと同じような現象が人間にも起きているというのがこの本の主題である。人類が目指している方向は、しんどいこと、わずらわしいこと、苦痛等を無くして、便利で快楽に満ち溢れた世界である。わずかな不安、不快もすべて摘み取られる。今実現不可能なことでも将来的にはすべてを人間のコントロール下に置こうとするような社会である。森岡氏はこの方向を「無痛文明」として痛烈に批判されている。これは基本的には森田理論で学んだ事と同じことだと思う。森田は不安、恐怖、不快感を排除すべきものではないという。その存在はありがたいものだという。それは欲望が暴走しないように制御機能を担っているからだ。欲望の暴走を許さないためにも不安等の役割を認識して、活用しないといけないという。つまり不安と欲望はバランスをとることが何よりも大切なのだ。排除しては文明そのものの衰退につながる。また、問題や課題を持っているということは、感情が発生して気づきが発生する。さらに感情が高まり、やる気や意欲が出てくる。それに従って行動すれば、たとえ大変な道であっても、今まさに生きているという実感を持つことができる。いくらでも進歩発展があり、生きがいにつながる。これが人間の生きる方向ではないのか。これに関連して、以前の投稿を再録します。オタンダのある地方に毎年渡り鳥が飛来していました。慈悲深い地元の人々は餌付けを始めました。最初のころは用心深かった渡り鳥は、しだいに人間になついてきました。そのうち、飛び立たずにそのまま、その地で1年間を過ごす鳥がでてきました。つまり渡り鳥が渡り鳥でなくなったのです。そのうち、餌の食べ過ぎでぶくぶく太り飛び立つことさえ出来なくなったということです。渡り鳥は、自分自身で渡り鳥としての生きるプロセスを踏んでいるからこそ渡り鳥として生きてゆくことができたのです。餌を獲ることを忘れ、飛ぶことを忘れた渡り鳥はもはや元に戻ることは出来ません。人間に依存してゆく生き方は、最初のうちは、どんなに楽ができてゆとりができることかと思ったことでしょう。しかし、最後には人間を癒し、みせものとしてしか生きるすべはなくなってしまいました。その役割を果たさなければ見捨てられる運命にあります。もし人間が、経済力にものをいわせて、日常茶飯事のすべてを両親や他人に依存して、趣味三昧、テレビ漬け、そして刹那的な快楽ばかりを追い求める生活を続けていたとしたらどうなるでしょう。この渡り鳥のようになるかもしれません。精神的に不安定になって、精神疾患を発症してしまいます。人間に生まれたからには、苦しくて辛くても人間らしく生きていかなくてはなりません。それは、問題や気づき、課題や目標に対して頭を使って考え、よりよい方向に改善してゆくことです。そういった生活、言い換えれば、問題等のストックをたくさん持って、常にそれらの課題や問題等に真剣に取組んでいるかどうかが、人間として活き活きといきていけるかどうかの分岐点となります。その中でも人間の一番基本的で、最も大切なのが、日常茶飯事、雑事にたいしてていねいに取組むことだと思います。
2015.08.11
コメント(0)
小学1年生の先生の話です。30人以上のクラスになると、もう大変で、こっちのけんかを仲裁している間にあっちでけんかが始まります。ところが、授業参観とか運動会とか、保護者が参観においでになるときは、見違えるほどに、立派になるんですよ。どうしてこんなにちゃんとできるのに、保護者がいないときには、できないんだろうと不思議に思っています。また、家庭訪問をしたときに、おうちでまだまだ甘えん坊で、学校でちゃんとやれているか心配ですと、おっしゃるお母さんのお子さんは、私から見ると、学校ではちゃんとやっているお子さんだったりするのです。逆に、お子さんのことを、うちの子はしっかりしているので全く心配していないんです。とお話になるご家庭のお子さんが、学校で養護教諭にべったり甘えたり、すぐにかっとしたり、赤ちゃんみたいになっちゃったりするということがあります。この現象をどうとらえるのか。学校ではやりたい放題。家では親に柔順に従うペットのような子どもの姿です。これは反対ではないではないか。本来は親の前ではやりたい放題。学校ではちゃんとしているのが子どもの心の発達から見ると正常なのではないでしょうか。どうしてこんなちぐはぐな子どもが増えてきたのでしょうか。これは親の接し方に問題があると思います。親が子どものネガティブ行動に対してどう対応しているのか。その原因となるネガティブな感情に対してどう対応しているのか。普通は叱責、否定、強制、脅迫、人格否定等が多いのではないかと思います。子どもは親の力の前にはとても弱い存在です。もし親から見捨てられると生きては行けなくなります。だから自分の身体から湧き出る強い生のエネルギーを知らず知らずのうちに抑え込んでいくようになります。親の指示、命令に合わせることを学んでいくのです。そう対応していかないと生きていけないのだと感じてしまうからです。そうなると自分のほとばしるエネルギーの発揮は抑えつけられて、消化不良になります。本来家庭はいろんなストレスを解消して癒される場所です。家庭で心身をリフレッシュして、エネルギーをため込んで再スタートをきる前線基地のようなところです。家庭が基地の役目を果たしていないと大変なことになります。心も体も休まることがない。家庭にいてもいつも不安で怯えているような状態です。たとえれば、自分が戦争に行って前線で戦っています。自分の方が不利な戦況で、一旦撤退した方がよいような場面があったとします。少しずつ後退を余儀なくされました。ところが後ろから上官がさがってはいけない。もっと前に出て闘えと叱咤激励しているようなものです。それでも、後退する人に、その後ろから鉄砲を撃ち放して威嚇しているようなものです。自分の味方、分身を脅しているのです。そのような状況におかれるとたまったものではありません。心のよりどころを無くした人間は弱いものです。生きていく力が急にしぼんでしまいます。体調不良に陥ります。心身症のような状態になります。神経伝達物質のバランスが崩れます。容易に精神状態が不安定になります。最悪神経症や精神疾患で苦しむようになります。そうならないためには、子どものネガティブな感情をしっかりと受け入れて、安心感を持たせなければならないのだと思います。(ちゃんと泣ける子に育てよう 大河原美以 河出書房出版社参照)
2015.08.10
コメント(0)
私の症状は対人恐怖症である。人の思惑が気になる。特に人から非難される。からかわれる。無視される。能力のない奴だと思われる。弱点や欠点を指摘される。等が耐えられないのである。我慢できなくなってすぐに逃げてしまう。そのあとで罪悪感、自己嫌悪で苦しんできた。でも簡単に対人恐怖症という言葉だけでは、悩みの中身がよく分からないような気がする。そこで森田以外のことを調べてみた。すると私には典型的な回避性パーソナリティ障害があてはまつた。これがぴったりと合う。私には人に対する恐れが常に存在しており、他人の言動に怯えながら生活しているのである。集談会などで、対人恐怖症の人は、本当は人と仲よくしたいのだと言われるが、私にはそのような傾向は希薄である。私のような対人恐怖は人を思いやる気持ちは少ない。むしろ人から賞賛を浴びたい。目立ちたがりなのである。プライドが高い。すべての面で人の上を行きたい気持ちが強い。欠点や弱みを指摘されたくないという気持ちがとても強いのだ。その分、対人関係で躓くと、すべてがダメになったような気がしてしまい、すべてを回避してしまうのだ。アメリカの精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアルにその特徴を7項目挙げられているが、7つすべてが完全に一致している。ちなみに4つがあてはまれば回避性パーソナリティ障害だとみなされるという。回避するとその時は一時的に楽になるが、その原因となった不安や恐怖は処理されないのでずっと心に残り自分を苦しめるのである。その他解離性人格障害にまでは至っていないが、解離手法により心の安定を求めている。解離とは不安や恐怖、不快な感情があると、そのイヤな感情を切り離しなかったものとして処理する心の仕組みである。私にはストレス耐性が弱く、自然に解離の手法を使って心の危機を回避してきた。あなたは人の話をよく聞いていないと言われることがある。イヤな話は素通りしてしてしまい、記憶として処理しようという気がないのである。話をしていても時々ボーとしているのはそのことだと思う。でも解離手法は困った問題に発展する。不全型PTSD(軽い心的外傷後ストレス障害)は、この解離手法を使って記憶を分断しているのである。すると軽度なトラウマ(心的外傷)となって、軽いフラッシュバックで苦しむようになるのである。例えば仕事などで単純な些細なミスをすると、以前のミスをして上司に叱られ、同僚に冷ややかな目で軽蔑されたときの状況がありありと再現されてしまう。現実にはミスの内容も周りの状況も全く違うにもかかわらず、気が動転してパニックに陥ってしまう。そしてミスや失敗を恐れるあまりしだいに仕事に身が入らなくなるのである。仕事をすることが苦しくて仕方がないのである。次に見捨てられ不安が原因と言われる、境界性人格障害(ボーダーライン)の傾向も一部ある。そのため退行現象が起きる。退行現象とは、言動が実際の年齢よりも幼くなる現象である。例えば大きくなっても夜尿症、幼稚なおしゃべり、指しゃぶり等をする。これは新しく兄弟等が生まれて、自分が以前ほどかわいがってもらえなくなるときに起きる。親を困らせて自分に気を引こうとしているのだが、反対に叱られたり叩かれたりする。ますます見捨てられ感がつのり孤独感が増していく。生きていくためには何か仕事をしないといけないが、対人関係のある仕事は予期不安があって身体が受け付けなくなってしまうのである。私はこのような状態でがんじがらめになっているのである。では次にどうしたら楽な生き方ができるようになるかということだ。親を恨んでみたところで何の足しにもならない。それよりも森田理論を使ってどう改善していくのか。少しでも社会適応して、楽しい人生に変えていくのかである。私のやり方は4つの手方を使って生活していくことだった。これは以前に説明している。実践・行動手法、欲望と不安のバランス手法、認識や認知の片寄りの修正手法、不安や不快などの感情の受容手法である。なんとか社会生活を全うしてきたのは、これらの森田理論を学び、活用してきたからである。どれか一つというのではなく、それらの総合力で改善してきた。その中でも最近特に力を入れているのは、不安や不快などの感情の受容手法である。相手の不安や不快な感情を察してあげて、温かい言葉をかける。あるいは静かに寄り添ってあげる。これがひいては自分の不安や不快な感情を受け入れることにつながるのではないかと考えているのである。
2015.08.09
コメント(0)
子どもを育てるにあたっては、子どもの育て方を学習する必要があるのではないでしょうか。その中でも最も大切なことは、子どもの感情を育てるということだと思います。大河原美以さんの本に「ちゃんと泣ける子に育てよう」という本があります。この本の副題には「親には子どもの感情を育てる義務がある」とあります。幼い子供たちの感情の発達は、確かに危機的な状況にあると言えます。そしてその危機は、決して他人事ではなく、一生懸命よい子に育てたいと思って、ごくふつうに子育てをしている親子関係のなかにも起こっているのです。思いやりのある子、やさしい子に育ってほしいと願えば願うほど、子どもたちは感情をコントロールできない子に育ってしまう。それが今の時代の子育ての現実なのです。この本は、わが子をよい子に育てたいと願っているお母さん、お父さんに、どうしても読んでいただきたくて書きました。もしかしたら、つらくなってしまうかもしれません。でも子どもたちのために、どうしても今、知ってほしいのです。片言の言葉を覚え始めたころから、子どもは親を困らせることばかりします。ごはんをきちんと座って食べられない。食事の時飲物をこぼす。スーパーへ行くたびにものをねだって泣くわめく子もいます。障子を破る。家のものを手あたりしだいつつく。そして壊す。家の中を走り回る。大声をだして泣く。思春期ではさらにエスカレートしてきます。困ったことばかり続くと、どうしても叱責したり、叩いたりするようになります。なんとかして、力で親に従うように抑圧しようとします。親が不快感に耐えられないということもあります。さらに我慢できる子どもになってもらいたいという気持ちもあります。でも考えてみてください。子どもは足りないところがあるのが当たり前です。親に迷惑をかけるのが当たり前です。まだ脳の発達が不十分ですから、欲望をコントロールできる状態ではないのです。それを叱りつけたりしては逆効果となるのではないでしょうか。そんなに困るのなら少し工夫をしてみたらいかがでしょうか。例えば食卓の床には、こぼしてもいいようにビニールシートを敷いておく。買い物に行く前にはきちんと、今日はおもちゃやお菓子は買わないと約束しておく。壊されたら困るものは、目に見えないところに片づけておく。その他人の迷惑になることは対策を立てておく。その上で子どもの好奇心、「生きる力」を見守っていく態度が大切だと思います。できるだけ子どもには自由にさせてあげたいものです。親はイライラハラハラするでしょうが、今一歩我慢しなければなりません。この本によると、小さいときに周りの気持ちを察することができる子どもは、20歳を過ぎたときにやさしい思いやりのある子には育たないとあります。つまり自分の素直な気持ちを我慢して、親の機嫌を見てコントロールしてきた子どもです。そんな子どもは成長して家庭内暴力、学校でいじめなどに加わるようになるかもしれません。では親が一番力を入れることはなにか。それは目を覆いたくなるようなわがままな態度を改めさせることではありません。子どもの体の中を突き抜けていくなんともいえない不快な感情をよく見てあげることです。その行動のもとになった感情を察して、言葉に置き換えてあげることです。不快な感情が言葉と結びつくことによって、絡み合った糸がほぐれてくるのです。子どもは自分の身体感覚にあった言葉がけをしてもらうと、不快な感情は不思議なくらいぱたっとおさまり落ち着いてくるものなのです。これを「感情の社会化」といいます。感情の社会化が行われると、他人への思いやりや共感の気持ちが共有化できるようになるのです。考えてみれば、森田理論も同じことを言っています。不安や恐怖等の感情は自然現象であって人間の意志の自由はない。自然現象に対して人間のとるべき態度は、謙虚に受け入れて服従していくことである。我々は「感情の社会化」という段階から卒業できていないのかもしれません。でも今からでも遅くはないと思います。親、兄弟、配偶者、子ども、友達、会社の同僚等の人たちに対して、ネガティブな感情を受容と共感の態度で受け止めてあげようではありませんか。この実践に取り組む方が、早く自分の不安や恐怖の感情に振り回されなくなると思います。早く森田本来の生き方に近づくのではないかと思っています。
2015.08.08
コメント(0)
幼児虐待をする人がいます。逮捕された親が言うことはいじめるつもりはなかった。しつけのつもりだった。しつけのつもりで暴力を加えたり、食事を与えなかったり、監禁したというのです。それが行き過ぎたので反省しているというのです。子どもをしつけるとは何でしょうか。子供が健康で社会に適応してすくすくと育つために、いろんな必要事項を教えて習慣化させていくことを言うのではないでしょうか。例えば、睡眠時間、食事、歯磨き、排泄、生活リズムを教え込む。体を清潔にすること。衣類、おもちゃ、絵本等の整理整頓を教える。交通ルールを教える。社会習慣、社会のルールを教える。約束を守る。ものを大切にする。お金の使い方を教える。家庭の中での役割について教える。やってはいけないことを教える。命にかかわる危険について教える。やさしく思いやりのある子に育てる。好奇心があり意欲的な子どもに育てる。等でしょうか。親が子供をしつけるときに、子どもの反発にあいます。自分の今やりたい事としつけが衝突すると必ず駄々をこねてきます。ネガティブな感情を表出させてしまうことが多々あります。子どもはもともと我慢できない子、耐えることができない子なのですが、それが親としては許せないのです。叱責したり、叩いたりして親に従わせようとします。それは親が不快な気分を味わうことになるからです。また子どもが大人になってもわがままになってしまうのではないかと思ってしまうのです。さらに学校の先生に「お宅の子どもさんだけですよ。きちんと出来ないのは」といわれると自分が否定されたように感じるのです。またおじいちゃんおばあちゃんに「もっときちんとしつけなければ。私たちはきちんとしつけてましたよ」といわれるとプレッシャを感じるのです。その結果、わが子につい腹が立ってしまい叱責したり人格否定してしまうのです。ここで大事なことは子どもが駄々をこねている時に子どもの気持ちを思いやるということです。腹が立つ、悔しい、憎らしい、嫉妬した、不安だ、恐ろしい、むしゃくしゃする、イライラする、寂しい、どうしても欲しい等の感情を受けとめてやるということです。子どもの気持ちを子どもになり代わって言葉に出すということです。通常低学年の子どもは、自分の感情がなんなのかを学んでいる最中なので、すごく腹が立つ、悔しい等の言葉かけをしてもらわないと、自分の体の中を流れている不快な感情を安全に抱えることが習得できなくなってしまうのです。通常しつけにはこのことが抜け落ちてしまうのが大問題です。子どもの感情を受け入れることができて、しつけの段階に進みます。子どもがいくら駄々をこねても親は安易に妥協しないでしつけをしていくということです。ここで子どもを甘やかせて過保護にさせてはいけません。断固としてしつけをしていかなくてはなりません。前段階がきちんとできていれば、そんなに子育ては難しくありません。その時は反発していても親が自分のことを理解してくれているという感覚はとても得難いことなのです。(ちゃんと泣ける子に育てよう 大河原美以 河出書房出版社参照)
2015.08.07
コメント(0)
私たちは不快な感情が湧き起った時、闘うか、逃げるか、うずくまってしまうかします。うずくまるというのは、恐ろしさのあまり身動きできなくなってしまうのです。不快な感情と向き合うということをしなくなります。そのときの注意は自分の身体の震え、動悸、心の胸騒ぎ、不安や恐怖に向かいます。その時のことは心的外傷として記憶されます。いわゆるトラウマのことです。普通記憶というのは、認知、感情、身体感覚、視覚、聴覚がセットになって記憶されています。例えば学校でいじめにあったとします。まずいじめを受けたと認知します。その時の感情は、恐ろしかった、悲しかった、つらかった、腹が立った等です。身体感覚としては、学校へ行こうとすると体が震える。腹が痛くなる等です。視覚としては、自分を見てにやにや笑っている友達、無視している顔がありました。聴覚とは自分をいじめる子どもの声、くすくす笑う取り巻きの声、チャイムの音、机を動かす音などです。これらの記憶がセットになって記憶中枢の海馬で処理されて、大脳新皮質に貯蔵されます。しばらく経つと記憶の多くは消去されて忘れ去られてしまいます。トラウマの場合の記憶方法はこれとは異なります。認知、感情、身体感覚、視覚、聴覚がまとまることなく個別に切り離されて別々に記憶されてしまうのです。このことを解離といいます。これは人間が心の危機を乗り越えていくために、自然に身に付けた防衛の仕組みです。これがあるおかげで、不快な感情が無かったことにすることができるのです。解離させることによって生き延びることが可能になるのです。ところがこのバラバラな記憶というものは、現在という時間のなかで自由にさまようことになります。すると、何らかの引き金によって、バラバラな記憶がリアルによみがえってくるのです。このことをフラッシュバックといいます。現実にはいじめはないのに、友達の雑談での笑い声などを聞くと、いじめられていた時の状況がありありと再現されてしまうのです。そして何度も容易にパニック状態が引き起こされてしまうのです。トラウマを経験された事のない人は信じられないかもしれません。神経症との関係では不安神経症というのがあります。発狂恐怖、孤独恐怖、高所恐怖、閉所恐怖、心臓発作恐怖、乗り物恐怖、広場恐怖等のパニック発作は解離現象と関係があるかもしれません。また神経症ではよく予期不安ということが言われます。これも現実には不測の事態が引き起こされていないのにもかかわらず、以前経験した精神の混乱状態が間違いなく引き起こされると思っているのです。これも解離の結果自然に湧き起こってくるのかもしれません。トラウマはどう対処していくといいのか。これはトラウマが引き金となってパニック状態が起きたときがチャンスです。その時にバラバラに記憶されている記憶を再統合させてやればよいのです。その時に必要なことは、その時のつらいネガティブな感情を受け止めて共感して受け入れてくれる第3者なのです。安心感を与えて癒してくれる言葉がけなのです。つまり相手のネガティブな感情を思いやり、寄り添ってくれる人の力が欠かせないということです。(ちゃんと泣ける子に育てよう 大河原美以 河出書房新社参照)
2015.08.06
コメント(0)
赤ちゃんは身体が不快な状態にさらされると泣き叫びます。すると親が飛んできてミルクを与えたりおむつを替えたりしてくれます。赤ちゃんは不快な状態が解消されて安心します。その繰り返しの中で、赤ちゃんは人間の心が成長していく上で最も重要な感情を獲得してゆきます。それは「安心感・安全感」という感情です。親の大きな包容力のなかで「自分は生きていていいのだ」という感覚を身につけていくのです。未熟で生まれてきた人間は多かれ少なかれそういう過程を経ているのです。ところが幼児期になると様相が一変します。子どもが自分の不快な感情に基づいて、怒ったり、泣いたり、ふくれたり、すねたり、暴れたり、暴言を吐いたりするようになるからです。するとほとんどの親は叱ります。たたいたりする親もします。「いい加減に我慢しなさい」と言い含める親もいます。この対応は乳児期の包容力のある対応とは全く異なります。子どものネガティブな行動や現象を見て、しつけと称して批判をしたり、修正させようとしています。元々子どものネガティブな行動には、その原因となる感情が湧き起ったはずです。腹が立つ、悔しい、憎らしい、嫉妬した、不安だ、恐ろしい、むしゃくしゃする、イライラする、寂しい、どうしても欲しい等です。子どもの体の中を突き抜けていくこの不快な感情を受け止めていくということは、その後の子どもの心の成長にとってとても大切です。ネガティブな行動面を見て我慢強い子に育てよう。きちんとしつけをしようと考えることは極めて短絡的な考え方です。例えば、自分の遊んでいるおもちゃを友達が勝手に横取りしたとします。普通の子は泣き叫びます。そして親に取り返してくれとせがみます。その時親がどういう態度で子どもに接するか。「そんなことでわんわん泣かないの」「少し我慢してれば、また遊べるようになるから」「こっちのおもちゃも面白いよ」このような対応はどうでしょうか。別になんの問題もないようです。実はこの対応は大いに問題があります。この時の子どもの感情は、悔しい、腹が立つ、憎らしいといったものです。なんともいえない不快感が体の中を駆け巡っています。その感情を親が認めて受け入れるということが大切なのです。「おもちゃをとられて悔しかったんだね。怒っているんだね」これは泣き叫ぶ子どもから、どんな感情が湧いているのかを推察して、子どもにこれは悔しさ、怒りという強い感情が自分の体の中に流れているんだよ。この感情は台風などの自然現象だからどうすることもできないんだよ。こういう気持ちは誰でも経験している事なんだよ。と暗に教えていることになるのです。これが積み重なると子どもは健やかに成長してゆけると思います。この不快な感情を親に受け止めてもらうと子どもは「安心感・安全感」を獲得することになります。神経症のように一つの不安や恐怖にとらわれ続けるということはありません。子どもの体の中を流れている不快な感情をきちんと受け止めるということは、感情と言葉が一致するということです。悔しい、腹が立つという身体感覚と言葉が一致するということです。子どもは自分の身体感覚にあった言葉がけを養育者にしてもらうと、不快な感情はぱたっとおさまったり落ち着きを取り戻すというものなのです。ここで例えば、叱りつけられるということは、自分の身体感覚のなんともいえないイライラはおいてきぼりになるということです。親に言われれば小さいうちは素直に従うでしょうが、不快な感情が行き場を無くして放置されてしまうのです。その感情が絶えず徘徊を始めるのです。不快な感覚と言葉が不一致のままに取り残されるので、モヤモヤ、イライラはいつまでも解消することはできないのです。その感情はいつまでも心の中に残るということになるのです。そういうふうに育てられた子供が精神的に疾患を起こして苦しむようになるということは容易に想像できます。
2015.08.05
コメント(0)
「生の欲望の発揮」と言われると壮大な目標をイメージする人がいる。向上発展の欲望と結びつけて考えられるのではないかと思う。もっと幅広く考えてみる必要があるのではなかろうか。グラッサーという人は次の5つに分類しています。1、 生存や安全の欲求 生命を維持したい、安全を確保したい。子孫を残したいという欲求です。生きるために必要な食欲、性欲、睡眠欲、排泄欲などはすべてこれに入ります。この欲求はいちばん基本的なもので、ここから日常茶飯事を丁寧にする。規則正しい生活をするなどの実践が出てきます。これも生の欲望の発揮です。2、 社会的所属の欲求 温かい人間関係を築きたい欲求です。愛し、愛されたいという欲求です。家族の中にいたり、友人と話したりしていると気分がよいのは、この欲求が満たされているからです。3、 向上発展の欲求 自分の能力を高めたいとか、人に認められたいといった欲求です。勉強をしたり、体を鍛えたり、地位の向上を望むのはこの欲求を満たすためです。4、 楽しみたいという欲求 経済的に豊かになると娯楽や趣味、レジャー、旅行、スポーツなどを楽しみたいという欲求を追及するようになります。5、 自由を求める欲求 自分の意志で行動したいという欲求です。人は束縛されることを嫌います。また自分には「生の欲望」に当たるものは何もないという人もいます。そんな方はこんなふうに考えてみたらいかがでしょうか。1、 もし神様が3つだけ願いを叶えてくれるとしたらどんなことを希望しますか。2、 いつかやってみたい趣味はなんですか。3、 もし20代、30代に戻れるとしたらどんなことをしてみたいですか。4、 あなたのあこがれの人は誰ですか。どんなところにひかれますか。5、 一度は行ってみたい場所はどこですか。6、 身につけたいスキルや技術はどんなものがありますか。7、 余命3年だとすると何をしますか。8、 3年後、5年後、10年後どんなになっていたらよいと思いますか。9、 社会や自分の身の回りの人とどんな人間関係を築きたいですか。10、 あなたが人生で譲れないものはなんですか。こんなところから自分の欲望が発見できるかもしれません
2015.08.04
コメント(2)
私たちは、腸内細菌はよくないものと考えてはいないだろうか。特に大腸菌のようなものはなければいいのにと思ってしまいます。人間の腸内には約3万種、1000兆個の細菌が住み着いていると聞くと唖然としてしまう。無菌状態だったらもっと元気になるような気がする。でもそれは間違いだ。現実には腸内細菌の助けがないと私たちは健康に生きてはいけないのだ。まず食物繊維を分解してくれるのは腸内細菌です。私たちが自力で消化できるのはデンプンやグリコーゲンだけだそうです。腸内細菌が分解してくれるからこそ栄養分として体内に吸収できるのです。つぎに腸内細菌が十分にないとビタミンKの不足という事態が引き起こされます。ビタミンKは血液凝固作用があります。これがないと出血が止まらなくなるのです。これは腸内細菌によって供給されているのだそうです。また腸が正常な形状を保つためにも腸内細菌が重要な役割を果たしていることが分かっています。腸内細菌のないマウスを観察すると、盲腸が大きく膨れたような状態になり、放置すると死んでしまうのだそうです。さらにセロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン、GABA等の神経伝達物質は腸の中で作られています。たんぱく質を材料にして腸内細菌が作り出したビタミンが加わることによって作り出されているのです。腸の中で腸内細菌の働きを借りてその前駆体は造られているのです。脳はそれを使って最終の組み立てをしているようなものです。またセロトニンの90%は腸にあります。脳にあるのはたったの2%です。腸は腸内細菌とセットになって消化、免疫等体の健康維持はもちろんのこと、メンタルにかかわる神経伝達物質の製造にもかかわっているのです。ですから腸内細菌を排除するのではなく、上手にバランスをとって共生するということが基本にならないといけません。そういう意味では内因性精神疾患を抱える人は腸の働きがよくない。さらに食事のバランスの崩れが、腸内細菌のバランスの崩れに及んでいるのかもしれません。
2015.08.03
コメント(0)
また、森田で神経症を治すことには限界がある。だから「森田療法に依拠するだけでは思うように回復しないのなら、必要に応じて他の資源にも依拠してみることが、正当な選択肢として承認されやすくなるでしょう」とある。私も、森田に限界を感じ内観療法、認知行動療法等に向かったことがあった。しかし現在は違う。他の療法をあさるよりも、もっと森田を深耕する立場に立っている。その理由を説明しよう。その前に「森田療法」という言葉は神経症を治療するという医療的意味合いが深い言葉である。「森田理論学習」というのは、もっと広い意味合いがある。つまり神経質者としての生き方にかかわる部分を問題にしているのである。症状というのは、人生観が変わったので副次的に剥がれおちてきたというのが正しい見方であると考えています。その上で、この記事で取り上げられている療法は認知行動療法である。認知行動療法は、行動療法と認知療法を組み合わせてある。ここでいう行動療法は、不安を10段階ぐらいの階層に分けて、取り組みやすいものからはじめて、順次難しいものができるようにサポートしていく方法である。これは曝露療法と言われている。そして不安を取り去り最終的に社会に適応させていく。森田はそんなことはいっていない。ところが奥が深いのは森田理論の方である。森田理論で行動療法に関することはどんなことを言っているのか。日常茶飯事、雑事の徹底。規則正しい生活の回復。好奇心の発揮。一人一芸のすすめ。ものそのものになりきる。物の性を尽くす。自然に服従して、境遇に柔順になる。無所住心。変化への対応。などである。これも事細かに説明されている。即効性は認知行動療法かもしれないが、広い視点で見ると森田の方にひかれる。認知療法であるが、ベックが開発されたものを見ると目を見張るものが確かにある。でも森田理論のなかにも同様のことをいっている。劣等感的差別観、部分的弱点の絶対視、防衛単純化、劣等感的投射、「かくあるべし」的思考、手段の自己目的化等です。森田専門用語で分かりづらいのが問題ですが、認知療法とかなり重複している。私はこの部分は森田理論だけでは不十分であると考えています。そういう意味では、認知療法の考え方を取り入れて、学習の一分野として独立すべきであると考えています。認知行動療法のほかに、神経症の克服に効果があると考えられているものはどんなものがあるか。たくさんある。代表的なものをあげると、薬物療法、ピア・カウンセリング、ヘルスカウンセリング、来談者中心療法、精神分析、論理療法、内観療法、家族療法、意味療法等ではなかろうか。森田との関係はどうか。集談会はピア・カウンセリングによく似た手法である。ヘルスカウンセリング、来談者中心療法、論理療法、意味療法等はすでに森田理論の学習自体の中に取り込んでいる。内観療法は森田理論の中にまだ取り入れてはいない。一週間の内観療法を行った人は、自己中心性が打破できている。これを日常内観として取り入れればさらに改善が望める。家族療法は、症状の成り立ちは家族関係のなかで生まれているという前提に立っている。森田を深めていくとどうしても親の教育、しつけの問題を考えざるを得ない。他の主だった療法はほぼ森田理論の学習のなかで取り入れていることである。簡単に説明すると来談者中心療法は、共感と受容の態度の養成のことである。論理療法は認知の誤りの修正手法である。意味療法はより深く生きる意味を考えていく手法である。精神分析は無意識に抑圧されている不安をあぶり出して無くしていく手法ですが、私はあまり乗り気にはなれない療法である。こうしてみると、主だったものはすべて森田理論学習に取り込まれているということである。問題としては、森田理論を神経症の回復、神経質者の人生観の確立に寄与するまで深耕しているかということである。私は森田理論学習によって、まちがいなく神経質者の人生観の確立はできるという立場に立っている。
2015.08.02
コメント(5)
今月号の生活の発見誌に「社会学から見た生活の発見会」という記事がある。その中に、「発見会に集う方々の中には、森田療法のおかげでかなり前進できたものの、ある地点から前にはどうしても進めない、という方々も間違いなく存在するはずです」というのがある。これについて考えてみたい。これは私が体験したことである。また多くの人が経験していることであると思う。では森田理論には神経症を克服する力はないのかということになる。これは認識の間違いであると考えている。そもそも神経症の克服をどう考えているのかという問題から説明しないとならない。私はその人に応じて4つの段階があると考えている。1、 神経症の苦しみは横において、行動実践によって、生活、仕事、勉強、家事、育児がなんとかこなせるようになってきた。あるいはものそのものになって創意工夫できるようになった。これも初歩的ではあるが神経症を克服したと言えるのである。森田先生の入院療法にしてもこの段階で全治として退院させておられました。2、 神経症は多くの認識の誤りがあります。それらを自覚して修正していくことが重要です。その最たるものは「かくあるべし」的思考方法をとるということです。すると自分の考えている事と現実のミスマッチが起きます。これが神経症発症の原因の一つとなっています。そのことを森田理論学習でしっかりと理解する。そして、観念ではなく事実や物事に視点を置いた生活ができるようになる。これが第2段階の治り方です。第1と第2段階はかなり大きな壁があります。一人では克服困難と思われます。また短期間で克服することは難しいところです。でも粘りつよく取り組めば克服可能です。3、 森田先生が大学卒業と言われている治り方が第3番目です。物事を自分勝手に価値判断しないということです。よいとか悪いとか、正しいとか間違いだとか、苦しいとか楽だとかという価値評価の拘泥を超越して生活する段階です。自然と調和して、自然の動きと同化して淡々と生きていく段階です。順調に2の段階をつき進めていくとこの段階に入ってゆきます。例えば人前に出ればあがる。それはよくないことだ。精神を鍛えて、人前でも物おじしない堂々とした人間にならなくてはいけない。等と普通は考えます。森田の学習が進むと、人前であがるというのは自然現象である。自然現象はどうすることもできないものである。あがるということをやりくりしてはいけない。そのまま受け入れて、事実に服従しなければならないというように考えることができます。ところが心の中では依然として、これが良いとか悪いとかの是非善悪の価値判断をしているのです。これでは本当の意味で事実本位を体得していることではありません。感情の事実を受け入れるということは奥が深いのです。4、 神経質者は元々強い「生の欲望」を持っていますから、不安というブレーキを活用しながら、自分に備わった能力をどこまでも活かし、境遇に柔順になり、自らの運命を切り開いてゆくようになります。これが第4の最終段階です。この段階では、症状を治すということを通り越して、神経質者としてよりよい生き方を目指してゆくことになります。以上のように、神経症の克服は4つのステップがあります。どのステップを目標とするのかはあなたの選択に任せられます。一般的には1の段階で完治とみなされることが多いように思います。でも依然として生きづらさが気になるという人は、それ以上のステップを目標にする必要があると考えます。肝心なことは、必ずしも神経症で苦しんでいる人すべてが第4ステップを目指す必要はないということです。第1ステップで社会に適応できればOKと考えている人は、もうすでに完治ですから森田から離れてしまってもかまわないということです。問題点としては、この記事にあるように、森田理論学習がその各ステップに見合う学習内容を準備しているのかという点です。例えば、認識の誤りについては、どういう誤りを犯しやすいのか。その中身はどうなっているのか。特に「かくあるべし」的思考方法から、事実本位の生活態度に転換するにはどうしたらよいのか。どうアプローチして解消していくのか、明確な指針がなくてはなりません。個人で気づくことは至難ですので、学習ツールを提供して自分のものにしてもらうことが先決だと思います。ですから第2ステップ以降は学習プログラムが整備されていないということが問題です。想像してみてください。第2、第3、第4の学習目標が誰にもわかるような形で整備されているとすると、自分の進むべき方向はしっかりと見えてきます。たとえ大きな壁が立ちふさがっていようとも、それを乗り越えて自分のものにしようとする人は格段に増えてくるものと思います。
2015.08.01
コメント(0)
全32件 (32件中 1-32件目)
1


