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♪ 新しき記録を生みて老若の意地見せつけし益荒男二人 白鵬と結びで対戦した朝青龍が上手投げで倒され4連敗を喫し、横綱・朝青龍の最強神話が完全崩壊した。今年の最後を飾る大相撲九州場所千秋楽、12回目の優勝と年間最多勝の新記録を樹立した横綱白鵬に本割で6連敗。同一年で同じ横綱同士の対戦で6連敗は史上ワースト記録。完全に主役にの入れ替わりを見せつけた白鵬は、角聖とうたわれた大横綱・双葉山と並ぶ12回目の優勝を決め、2005年に横綱・朝青龍が作った年間記録を塗り替える年間最多勝86勝の大偉業を達成した。朝青龍が引退でもすれば、大関以下ふがいない力士ばかりが目につく中で、今後、記録は相当延びることが予想される。記録だけしか話題に上らないようなことになれば、観客の興味も半減して益々人気が落ちていくことは自明のこと。魁皇は幕内通産最多勝807勝にあと一つ及ばなかったものの、千秋楽に勝って09年の6場所すべて8勝7敗という珍しい記録を残した。満身創痍のような体で地元の声援を受けてかろうじて勝ち越した魁皇が、幕内通産最多勝を記録するのは間違いないでしょう。そうしてその後に引退ということになりそうです。昨日は、さまざまなスポーツでドラマがありましたね。ボクシングでは、亀田興毅が判定で内藤大助に勝ってWBCフライ級チャンピオンとなった。親父と別れて真摯な元の姿に戻った彼は、試合後に勝った王者に「いい試合ができた」と感謝の言葉を忘れなかった。スピードスケートでは、出場32選手中、唯一の中学生が前日の500メートルに続いて1000メートルでも2位に食い込んだ。まだ15歳のスーパー中学生。来年は間違いなく優勝するでしょう。ゴルフでは、女子では横峯さくらが先にホールアウトして諸見里のバーディーパットを待ち、それを外した結果逆転優勝し史上最高額の賞金女王に輝いた。男子では、小田孔明が21アンダーの好スコアでこの大会初の連覇を果たした。二位の石川遼は、この大会での史上最年少での賞金王を逃し、最終戦に持ち越しとなった。競馬では、ジャパンカップで一番人気のウォッカが、日本の牝馬としてこの大会初の優勝馬となった。G1 競争7勝目となり、ディープインパクトと並ぶ最多勝となった。レース後鼻出血していたことがわかり、規定により一か月の出走停止で有馬記念には出られなくなった。
2009.11.30
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♪ 曇天の空をバックにジョウビタキ今朝も日課の立哨の影 今日は朝から厚い雲に覆われて、空はどんよりと静まり返っていて草や木もなんだか物憂げな感じです。今朝もジョウビタキが日課の立哨をしていました。物干し竿の上でカッカッと短く鳴き、パッパッと忙しく向きを変えながら縄張りの庭を見回します。朝と夕方に必ずやってきて、写真に撮ろうとカメラを取りに行く間に、サッといなくなってしまいます。今朝もその姿を捉えることはできませんでした。向こうの柿の木にはメジロがたくさんやってきて、右へ左へと楽しげに飛び回っています。追掛けっこをしているのもいたりして、きびきびした姿に命の喜びみたいなものが伝わってきます。集団でえさ場に移動するメジロがいると思えば、ジョウビタキのように単独で縄張りを張っているような小鳥もいて自然界も様々ですね。◆人間社会はというと、族議員やら官僚やらが寄ってたかって喰い散らかした血税の無残な姿を、昨日までの仕分け作業で随分と明らかになって来ましたね。まだまだほんの一部でしょうが、自分らのために湯水の如く垂れ流してきた血税や、いくらでも出てくる無駄に浪費されてきた予算の数々。この根本的な使い方を変えない限りこの悪癖は直らないでしょう。使い切ることが大前提で、事業や項目を削減することがマイナス査定になるという悪習や前年比並み以上が絶対条件の予算編成。信じれれないようなことが、地方自治も含めて長い間当たり前のように行われてきました。それがここへ来てやっと是正される運びとなってきた。今回のことをきっかけにして、一市民もジョウビタキのように一人ひとりが”監視する意識”とその仕組みを作る必要があるようです。
2009.11.29
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♪ 不器用の男の意地のここまでものし上がりきて永ちゃんコール 同じ年齢の男の生きざまをこの目で確かめようと、この年になって初めて矢沢永吉のコンサートへ行ってきた。開演を待っている間、あちらこちらで「永ーちゃん」コール。白スーツの男が、手を突き上げて「永ーちゃん」の声を上げ、それに応えて2拍の手拍子が起こる。独特の雰囲気だ。いつもより暖かい日なのに暖房が入って会場のガイシホールはむせ返るよう。矢沢も汗だくで「サマーコンサートの様だ」と呆れていた。2時間のコンサートで声も衰えることなく20曲以上を歌いあげ、2年ぶりのツアーで健在ぶりを見せつけた。バラード以外は曲調がほとんど同じで、恐ろしくワンパターンな感じ。矢沢のロック魂そのものを不器用にぶっつけていくばかりの舞台に、少々物足りなさを感じてしまった。バラードはさすがに上手いので、バラード歌手といってもいいぐらい。声の質も歌の味もロックには向いていないんじゃないかとさえ思える。魂そのものはロックかも知れないが、彼の本当にやるべき事とは違う気が観ている間ずっとしていた。しゃべりも下手で真面目さと几帳面さが匂う、ロックなのにロックでないものを感じた夜でした。
2009.11.28
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♪ さくらぎの夢見のときを迎えなばひーらりほらりと服ぬぎゆきぬ 近所の一軒家。庭の一角がオープンになっていて一本のしだれ桜が植えられている。そこの独り身のおうなは、この時期、そのぬぎ捨ててゆく枯れ葉を静々と掃き集めるのが毎朝の日課となっている。人の行き交う場所で絢爛の春を楽しませてくれる枝垂れ桜。すべての虚飾を打ち棄てるように一糸まとわぬ姿となって、来年のその日まで眠りにつく準備をしているところです。来る日も来る日もその女あるじの黙々とした清掃作業はつづく。その静かな作業は満ち足りた気分に裏打ちされて、楽しんでさえいるように見える。いつくしみの心が木に伝わって、それに応えるように来年もまたあの美しい花を咲かせてくれることでしょう。
2009.11.27
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♪ スウィーツを好む人等のアイロニーうつ病の影忍び寄るらん 甘いもの好きの人はそうでない人に比べて鬱になる傾向が強いという。糖には多幸感を感じさせる作用があるらしい。砂糖や単純炭水化物の摂取で、急激に血糖値が上昇し、それを下げる為にインシュリンが大量に分泌し、今度は血糖値が下がりすぎ これを上げる為に、アドレナリン・ノルアドレナリンが出て…、と正常でない血糖値の推移が起こることで、「低血糖症」などの 症状が起こることがあるそうです。砂糖を摂取すると、これの代謝に 大量のビタミン・ミネラルが使われる為、栄養不足になる恐れもあるそうです。正常な代謝ができなくなり、必要な生成物ができなかったり、過剰に存在することになり、それが鬱の遠因になるらしい。疲れや症状を回復させようと 甘いものをよく摂っているという生活が鬱に結びつくなんて、皮肉な話ですね。
2009.11.26
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♪ わかれじの男子「じゃあネ」の言葉ありて 応えて女子の「じゃあナ」と返し 別れ際の高校生の言葉は男女が入れ替わっていて、今時の風潮をよく表わして可笑しかった。異性に対する無意識のあこがれがあって、お互いが近づこうとする潜在意識が働いてそんな言葉使いになるのかも知れない。最近、日本でも性同一性障害を訴える人が増えているそうですが、それは何を意味しているのでしょうか。隠れていたものが表に出てきたものなのか、それとも実際に増加傾向にあるということなのか。第三の性の台頭も見逃せず、男と女という単純な区分けのできない多様性をますます見せるようになってきた現代社会。過去の男女の区別が厳然とあった時代に比べれば、非常に生きやすい時代であることは確かですね。服装ばかりでなく生き方や言葉使いまでも男女の区別がなくなっていくというのは、良いことなのか悪いことなのかよく分かりません。「異性」というものの存在がより近いものとなれば、当然差別化することはできなくなります。外見や仕草、ましてや言動までも区別がなくなるとなると、それは果たして幸せなことなのでしょうか?男と女の間には暗くて深い河があると言われ続けてきましたが、その河も浅い小さな川になりつつあるようです。未知の存在であるがゆえに胸がときめくというもの。異性だということだけでお互いに存在価値があったものが、中間があるとなると話はややこしくなるね。そういう「多様性である」ということが、「豊である」ということに繋がるのかも知れないのですが・・・・・。
2009.11.25
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♪ 出来の悪い息子を持った心境でこの小春日にリカバリーせり 二度目となるPCの再セットアップ。シャットダウンが出来なくなり、強制終了ばかりしていては何時か壊れてしまう。ビスタにしてからロクなことがなく、使いづらくてほとほと厭になった。かと言ってウィンドウズ7に乗り換えるのも癪だし。マイクロソフトよ、何でこんな使いにくいOSを作ったんだぃ。ちっとも有り難くない余分な機能ばかりで、Meよりよっぽど使いにくい。多少不便でも自分で何とかする余地が有った方が愛着も湧くし、やってやろうという意欲も出るというもの。何もかも自動でできるようにした結果、重くて使いづらく、融通の利かない頑固親父のような、頭でっかちの馬鹿息子PCになった。漢字の変換もおかしいし、やたら何やらの確認画面がでてきて邪魔をする。文句ばっかりつける癖に言うことを聞かない馬鹿息子だ。勘当したいくらいだ。嗚呼、うんざりだ!
2009.11.24
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♪ せわしげにメジロ飛び交う枝々に 柿は主を待ちぼうけして 今は主のいない庭に柿は今年もたくさんの実を付けて、小鳥の格好のえさ場になっています。主がいないと言っても管理はされていて剪定もしてあり、この富有柿は良く実を付けます。いつもならモズがギャ-ギャー喧しく飛び交って喰い散らしていくのですが、何故か今年は一度も姿を見せていません。ヒヨドリも、まだ他にえさ場があるのか、やって来る気配が有りません。ヒヨとの争奪戦がないので、メジロは喜々として熟した柿の恩恵にあずかっています。身体が小さいメジロ達にとって、当分の間、朝食と夕食にこのごちそうが楽しめるという訳です。南天屋敷と言ってもいいほどナンテンの木がたくさん生えていて、たわわに赤い実を付けています。ヒヨドリが食べにくるのは周りのエサがなくなる真冬になってからでしょうか。 最近は野良猫(どこかで餌をやっているらしい)が増えて、地面に下りて採餌する鳥は全く見かけなくなってしまいました。北海道に住む人たちのブログにはたくさんの鳥が登場しますが、この辺りにはそんなに珍しい鳥はやってきません。それでも昔(2~30年前)は、結構いろんな鳥がやってきていたものですが、最近はめっきりそれも見られなくなってしまいました。ノジコ、ヒレンジャク、シメ、コゲラ、トラツグミ、ウグイスなど、この庭でたまに観られたものですが今では全く見られなくなりました。自然界の生き物が豊かであることで、どれだけ人間の心が癒され情緒に奥深さと安定がもたらされるか、失ってから気づくというのでは情けない気がしますね。
2009.11.23
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♪ 大樽に水満ちゆきぬこの国の老いゆく見ゆる妙心寺展 今、名古屋市博物館で京都の古刹「妙心寺」展が明日(23日)まで開かれています。臨済宗妙心寺派大本山妙心寺は建武4年(1337)に、花園法皇(はなぞのほうおう:1297~1348)が自らの離宮を改めて禅寺としたことに始まる京都の名刹(めいさつ)です。重要文化財 花園法皇像 南北朝時代 妙心寺蔵開山(かいさん)に迎えられた関山慧玄(かんざんえげん:1277~1360、謚号(しごう)・無相大師(むそうだいし))は、行跡を形にして後世に残すことを嫌い語録や頂相(肖像画)を作らせませんでした。その門流が歴代祖師の画像を掲げるときには、関山は「一円相」つまり「○」一字で表されていたことが伝えられています。私も禅宗には強く心惹かれるものが有り、この「一円相」の単純明快な形が禅の究極の姿として心の内奥に浮遊しています。講演会も充実しているせいか連日、観光バスの団体客や一般の入場者が驚くほど大勢訪れていて駐車場も満杯の状態が続いています。どれくらいの仏教信者が信心からそれらを拝観に来ているのか分りませんが、中高年の趣味の一つとしてのお寺巡りに準じた行動のようにも思えます。歳をとってゆく中で自然にそういうものへの関心が深くなっていくのは良く分かります。”年をとったらそういうものへ関心を持つことは当たり前のこと”として慣習的にそういうモードに入っていくのかも知れませんね。このところの博物館はお寺関係の展示が多く、その都度、大勢の中高年の方が参観に訪れます。実際はどうなのか分かりませんが、以前より増してそういう展示が増えているように感じます。まぎれもない高齢化社会になりつつあるのを、この博物館の来場者を見るたびに感じさせられます。ミュージアム・ショップも大勢の人で賑わっていて、梵字のハンカチやハガキの販売も好評のようです。欠品になっていた2種類のシルク・ストールも、遅まきながら納入しておきました。
2009.11.22
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♪ 杉玉を掲げることもないままに日本をめぐるヌーボーワイン 今年はかなり安いものも出回ったらしい18日解禁のボージョレ・ヌーボ。出来は良かったと報道にありましたが、味の方はどうだったのでしょうか?私はワインが好きですが、このボージョレ・ヌーボはまだ飲んだことが有りません。テーブル・ワインが習慣になっているならまだしも、そういう飲み方に慣れていない向きにはチョと物足りないんじゃないでしょうか。どうせ飲むならフルボディーのしっかりしたものを飲みたいと思っているので、ヌーボー・ワインは手が出せないでいます。安いからと言ってプラ・ボトルのワインなんか飲みたくない。現地でも品位が下がるので認められないということで、来年はもう出回らないらしいね。ヨーロッパではフランスをはじめワインの消費量が極端に落ち込んでいるというニュースが随分前に報道されていました。ボージョレ・ヌーボの輸入量はフランスからのものの約半分が日本向けだというから驚きです。フランス・ワイナリーは日本に足を向けて寝られない。本当の味を見分ける能力は世界一の味覚を持っている日本人に勝るものは無いと思いますが、ボージョレ・ヌーボに関しては別物と見えて、味の事をとやかく言うのをあまり聞いたことがない。とに角、新しもの好きの国民性はお祭りが大好きで、神輿を担いで騒ぐのが好きなんですね日本人は。人がやることがやりたいという不和雷同型協調性とでも言うのか、皆と同じことをしていることに喜びを感じるという特異な民族だ。飽きっぽいところもある日本人ですが、ボージョレ・ヌーボはまだ飽きないと見える。普段ビールしか飲まない人が飲んだりしているこの現象はまだまだ当分続くのでしょう。どんどんワインの値段が下がっていて、昔と比べると本当に買いやすい有難い時代ですね。フランスの赤ワインが大好きですが、格付けワインでも千円代で買えますから貧乏人はヒジョーに助かります。
2009.11.21
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♪ 真夜中に吾のふとんに愛猫の二匹来りて眠る艱難 猫に好かれるのも善し悪しですね。昨夜、真夜中に帰った若猫と居座っている老い猫が、ほぼ同時に私の布団に乗ってきた。若猫が4キロ、老い猫が6.5キロある。合計10.5キロの重しを抱えて寝ているようなもので、これじゃぁまるで中世の拷問そのものだ。初めのうちは私の身体を避けて寝ているものの、寝返りを打ったりしているうちにいつしか真ん中あたりに移動している。こうなるともうどうにもならない。自分の身の置き所も定まらず、腰は曲がったままだし寝返りもままならない。重しを抱えて、腰を”し”の字に曲げて寝ている姿を想像してみてください。何故に奴らは私の布団に乗って来るのか。そんなに好かれているとも思えないんだが・・・・・。毎日のことではないのがせめてもの救いで、こんな日が三日も続けば腰痛になるのは間違いないでしょう。猫は不思議な習性があって、寝る場所を時々替える。住人を気遣ってか、あっちで寝たりこっちで寝たりと、添い寝の相手を順番に変えているフシがある。二匹が同時に私のところへ来たのは昨夜が初めてかもしれない。暑からず寒からずの今の季節だからこそ、布団の上が丁度いいのでしょう。若猫は真夜に帰ったハナは布団の中に潜り込んできたものの、暑くなって何時の間にか出てきたらしい。老い猫は最近ずっと家にいる。喰っちゃぁ寝ては大量のウンチをして、また喰っちゃぁ寝るの繰り返し。その内フラッと居なくなるかも知れないけれど、最近はさすがに老いたので喧嘩する気力も萎えているような感じもある。出掛けることがめっきり減ったが、食欲だけはちっとも衰えない。最近体重が増えてるような気がする。巷のコーギー見たいになっちまうぞ。若猫の方は反対に、毎夜毎夜に出て行って明け方か夜中に帰って来る。最近は夜中じゅう外に居ることが多くなった。”猫の顔見せ”に云ってるのかもしれない。この二つのパターンは栄枯盛衰そのもを見ているようで、何だか身につまされるなぁ。
2009.11.20
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♪ 天からの贈り物だと知る紅葉上から燃えて下り来たれり タイワンフウの紅葉は澄んだ赤がとてもきれいで大好きな木のひとつです。その燃えるような赤い紅葉が、この東海地方でもいよいよ始まったようです。街路樹として植えられているこの木は上の方から赤くなり始めます。それも東側のどうやら朝日が当たる方から色づいてくるようです。上から赤い色が下りてくるというのは、まるで天のはからいのように感じますね。やがて全身を真っ赤に染めて初冬の空を彩ってくれます。そうそう、トウカエデも同じ仲間なのでしょうか、こちらも同じ時期に本当にきれいな紅葉を見せてくれますね。冬を前にして絢爛のフィナーレを演出する木々たち。いいですねぇ~秋って!
2009.11.19
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♪ なかなかに治らぬ傷に苛立ちて事業仕分けの成り行きに観入り 政権交代の変化が最も如実に現れているのが、行政刷新会議の「事業仕分け」です。公開で行われているというところに意味が有り、ニュースでその情景を垣間見ることが出来て胸のすく思いをしている人も多いでしょう。今まで自民党がやってきたことが如何にいい加減で国民を愚弄してきたか、そのやり取りで暴露されていきます。大ナタを振るってバッサバッサと切り捨てるのを観ていると、勧善懲悪の時代劇を観ているような気分になってきます。しかし、これだけが今の民主党の取り得と言ってもいいもので、これもそのまま実行されるわけではなくただ方向性を示したものにしか過ぎないということに不安が残ります。とは言うものの、これだけ見応えがある政治と行政のやり取りはありませんから、会議を全て生中継してほしいと思ったりします。中高年を中心にかなり視聴率は上がると思いますよね。この「事業仕分け」の内容が確実に実現・実行されなければ日本に未来は無いでしょう。総理が政治資金の問題で足元がぐらついているような状態でどこまで頑張れるのか未知数ですが、国民はじっと待つしかないのです。◆それにしても、先日すっ転んだ時の傷がまだ治らない。かなりひどくアスファルトで擦りむいたようで、右手のくるぶしの上が赤くなったまま、ようやく瘡蓋が出来てきたところ。バンドエイドなどは張らずに自然に治るのに任せていますが、歳をとると傷が治りにくくて困ります。今のような財政危機をもたらしたのは、膏薬をべたべた貼るような施策を続けてきて、その病巣を取り除かなければ絶対治らないことが分っていても、それをして来なかったことに原因がある。あらゆる成人病的症状が全身に出ているこの国を、健全な元の状態へ戻すことは並大抵のことではないでしょう。壊疽になった足は切り捨てなければなりません。そこから血は流れるでしょうが、そこまで放っておいた患者(国民)にも責任があるのですから、傷口が塞がって瘡蓋が出来るまでジッと待つしかありません。健康で健全な国にすることを最優先に、メタボ体質からの脱却が先決と頑張っているんですから、「友愛」なんて抽象的なことを言ってないで、本格的に国を挙げての体質改善を断固やり通してほしいものですね。
2009.11.18
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♪ 幼子に受けているらしアニメーション逆なでされる気分で眺め 通っている歯科医院の各席のTVモニターに、最近変わったアニメが流されている。どうにも違和感があって、観ていて感性を逆なでされるような何とも言えない気分になってくる。外国のものかと思って、聞いてみたら日本のものだという。先生曰く、子供に人気のアニメで、このところ子供の患者が多いので意識して流しているんだとか。で、気になってネットで調べてみたら意外や意外。結構巷では流行っているらしくちょっと驚いた。短編アニメのウサビッチ、舞台は1961年ソビエト連邦時代のロシア。「ロシアの監獄で快適な収監生活を満喫中のウサギ、キレネンコとプーチン。時には看守とのイザコザから、ゆるくて楽しい毎日が意外な方向へ発展したり・・・。リズミカルな展開にドタバタ満載!トラブルはテンコ盛り!」登場するウサギの表情がいかにもキモいし、笑いのツボというかテンポが全く合わなくて観ていて少し苛ついたりもする。突飛な笑いの中に独特のシュールさがあって、いちいち”間”を取ってするオーバーアクションが子供の感性を刺激するのだろうか。音声は出していないので余計にその仕草に目が行く。子供はまあ良いとして大人がこれに反応するとなると、どうしてもその感性を疑ってしまう。創っているのはカナバングラフィックス代表で監督の富岡聡。氏はCMやPVを多数手がけていてCG・メディア関連の賞を受賞したりしているらしい。ロシアを舞台にしたシュールなドタバタコメディーという、今までにない発想の短編アニメ。この背景にあるものは・・・・。もう少し見てみないとわからない。先生が、DVDを”貸してあげましょうか”と言ってくれたが、絶対見ないと思ってお断りして帰ってきた。う~ん、やっぱり見たくないなぁ。これは・・・
2009.11.17
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♪ ゆくりなく空に数多の鴉いてコンクラーベなど始まりそうな 昨日の夕方、夥しい鴉がひと処に集まって総会でも開いているような場面に行き会った。こんなにたくさんの鴉が集まっているのをあまり見たことがない。頭のいい鴉ですから”烏合の衆”とは訳が違います。何やら厳粛な会議でもあって、遠くからその代表者が一堂に会したという風情です。何年かに一度の重要な会のような感じもあり鳴いて騒ぐ者もほとんどいない。その印象は不穏という感じよりもやくざの総会のようなちょっと緊張した感じです。赤ならぬ黒装束の集まりというのはやはり穏やかな感じはしません。コンクラーベでも始まりそうな、何か特別なことがありそうな雰囲気とでも言ったらいいのか、非常に興味深い夕暮れ前のひと時でした。「Conclave」とはバチカンの「鍵を掛けられた部屋」にこもって新しい教皇を決めるという、映画「天使と悪魔」でおなじみのあの儀式です。2005年5月にローマ法王であるヨハネ・パウロ2世が亡くなられ、ベネディクト16世(ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿)が選出された。鴉たちの新しいドンは果たして無事に決まったのでしょうか・・・・・集まってから既にある程度の時間が経過しているらしく、間もなく会は分散を始め四方へと飛び去っていくところでした。集団から離れた一羽が大声で鳴きながら頭上を飛んで行った。やがて夕日は落ちて静かな晩秋の里に戻っていった。
2009.11.16
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♪ 是々非々で今を切り取る女子高生(JK)の 浮世にものを生みだしてゆき女子高生をモニターにして彼女等の生の声を、新しい商品の開発に生かしてことが案外多いのだそうです。時代を見抜き、何が受けるかを一瞬に判断してしまう。食品商社が発売前の約50種類のお菓子を食べてもらったところ、女子高生たちがつけた順位と、発売後の売上実績の順位の比べたら、的中率が98%だったという。NTTのキャラクター電報、資生堂の初代コンビニコスメ、バンダイナムコゲームスの15機種になる歴代のプリクラなど。彼女たちの声を反映したものだそうです。こうした「女子高生マーケティング」の草分け「ブームプランニング」社長中村泰子さんは、「流行と口コミに敏感。少ないお小遣いで楽しみたいから商品選びはシビア。大企業の幹部を相手に『絶対買わない』などとハッキリ言える。最強のメンバー」だと言う。 朝日新聞「be on Saturday」より 東京の女子高生は流行に敏感で、おしゃれで、元気よくしゃべる。物事の本質をパッと捉えてエッジを立てて単純化するのがうまい。それで流行語が生まれていくんだと言われると、なるほどといたく納得したわけです。自分に娘はいないし女子高生との接点は全くないのでその生態は皆目わからないが、確かに言葉のセンスは光るものがある。彼女等の詠むケイタイ短歌なんてすごくしゃれていて、気持ちの表現がうまいなぁと感心してしまう。最近の「JK(女子高生)気質」は低年齢化してきていて、20年前の女子高生のノリを中学2,3年が持っているらしい。
2009.11.15
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♪ 時を超えジャンルを越えて本の森 彷徨う魂(たま)とまみえべきなり 丸善が試みる新しい本の陳列は、今までと全く違う発想で見る側の心を刺激する。松岡正剛氏が丸善とタイアップしてプロデュースした、丸の内本店の中の書店にオープンした「松丸本舗」。シーズンテーマ01「日本が変わる」。昭和をテーマにジャンルを超えた様々な本をランダムに並べる、女優や歌舞伎俳優の蔵書をそっくりそのまま並べるコーナーなどなど新しい試みがいっぱい。この試みは面白いですね。何となく本が読みたいけど何を読んだらいいか迷っている人や、本好きにとっても新しい出会いが意外な方向から入って来るという楽しみがある。単純に並べるだけではなくその見せ方にも工夫がされている。細かく仕切って段差を設け、横に平積みしたり、扉を付けたりと如何にも何かありそうな気配を醸し出している。人がどんな本を読んでいるかってけっこう興味ありますし、全く関連のない本が隣にあったりで、本のイメージが予想を越えて広がっていく。発見の楽しみがそこには溢れています。
2009.11.14
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♪ 待つという時間の重さ思いつつ待たせることの意味を思いぬ 昨夜は、新そばを食べようと名古屋にある知り合いの店「谷屋」で長男と待ち合わせ。渋滞の時間にかかり、大幅に遅れることとなった。先に着いた彼は40分ほど待ったらしい。ケイタイを持っていれば途中で遅れることを伝えることが出来ただろうが、私はそれを持っていない。持っていないのを知っている以上、いつ来るかわからないのをジッと待っているしかない。その40分間、息子は何を考えて蕎麦屋の椅子に座っていたのだろうか。イライラして腹を立てていたのか、あるいは店の設えやスタッフや客の様子を観察したりしていたのか。時間というのは思い一つでその中身はどうにでも変わって来るもの。自己を見つめる機会となったかもしれないし、仕事の懸案事項に思いを巡らせていたのかもしれない。私だったらこれ幸いと、短歌の一つも捻ってやろうとあれこれ言葉を巡らせて退屈するということはないんじゃないかな。待たせることを良いとは思わないが、どうしてもそれを回避できない場合は、じたばたせずに”相手にその状況を預けてしまう”方がいいと思う。思いがけずポッと手に入ったエアポケットのような時間を、何を考えてどう過ごすのかは本人の自由だ。息子はどうしていたのか興味があり、聞いてみたいと思ったが聞きもらした。◆二合の冷酒をチビチビやりながらいつも以上に饒舌になった私を前に、無口な息子はただ相槌を打つばかり。新そばの「鴨ざる」を「十割そば」で食べましたが、折角の新そばの風味を味わうには「ざるそば」でストレートに味わった方が良かったかなと少し反省。鴨のつゆそのものは大変うまかった。夜メニューの鴨鍋なんか、知人も言ってるようにお勧めらしいよ。人気の店なので、売り切れの段階で店じまいになってしまうので、早めに行かないと喰い損なってしまう。手打そば処「谷屋」は堀川添いで名古屋城の近くにある綿屋の倉庫だった戦前の建物を改築して営業しています。「下手の美」を意識し、建てた「人」の気持ちを尊重して長らく建っていた姿・形を残し、色々な装飾を付け加えずシンプルなデザインにしてある、センスが良く居心地のいいお店です。因みに、明るいグリーンの暖簾が外と内に掛けてありますが、変わり織りの麻布に私が染めたものです。
2009.11.13
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♪ しもつきに涙流して雨の神 あやめる人の多きをなげき 11月のこの時期に大雨が降ることは大変珍しいことで、昨日の雨には何かしら考えさせられました。最近、殺人事件がやたら多すぎると思うんです。毎日のようにニュースになるので空恐ろしくなってくる。殺人の認知件数は、過去10年間大きな変化はなく、平成16年中は1,419件(前年比33件(2.3%)減)で年間1400件以上の殺人事件が起こっているらしい。1日平均3.9件にもなり未成年が犯人だと顔写真や名前が保護されて被害者の名前さえ報道されず、ニュースになるのはごく一部に過ぎないのだそうです。少年犯罪データベースドアに、「その逃走者を指名手配し公開捜査せよ」と題した参考になる記述がありました。知らされない殺人事件はかなりの数あるんですね。青少年の犯罪は大変大きな問題であるはずなのに、その事を知らされないというのはもっと重大な問題ではないでしょうか?以前にも書きましたが、何の逡巡もなく人を殺すアニメ(名探偵コナンなど)が大手を振って放映されているとういことに、もっと目を向ける必要があると思います。子どもの間にこういうものを見て育てば、人を殺すことに大した抵抗を感じない人間に育つであろうことぐらい想像がつくはずですが・・・・。様々な問題のある現代の人間社会にあって、子どもに悪を刷り込んでいるようなものです。希薄な人間関係、自己中心的、想像力の欠如、幼稚化、偏った価値観、道徳心のなさ、忍耐力の欠如、非社交的な生き方、様々な愛情の欠落、自立心のなさ、などなど複数の要因が絡み合っている中、シャワーのようにそれを浴びながら子ども達は生きています。こんな様々な要因が積み重なっている中で育ち、自分の思うようにならない事に対して取る結論が、安易な”殺人”だとしたら・・・・・今後、この国はどうなって行くのでしょうか。
2009.11.12
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♪ いにしえのおもかげいろやみやびなる みやこにゆめのぱすてるとなり 京都ならではの素敵なニュースをNHKで観て、感動してしまいました。京都には様々な色のイメージがありますが、その京都に溢れている色について研究し、論文にまとめた女子高生がいます。それが「京都文化ベンチャー・コンペティション」で文化ビジネスアイデア部門の「知事賞最優秀賞」を受賞することになりました。京都府立嵯峨野高校・京都こすもす科 人文芸術系統 3年生の井上友希子さん。京都文化論を学ぶ中でまとめた研究をもとに、「感情を豊かな彩りのパレットの中から表現できる子に! ~京色(きょういろ)で未来を描こう~」と題して応募したもので、源氏物語に登場する色が最初のきっかけだったそうです。井上さんの提案をもとに京都の伝統的な色彩を18色のセットにした「京色パステル」が試作されました。そして論文のタイトルそのままに、京都市立芸術大学准教授 小池一範先生による小学校での特別授業が実現しました。 「旬感☆きょうと府」 京都文化ベンチャーコンペティション発動!京色で未来を描こう-京色パステル- 放送を動画で見られます。なかなかいいですね「京色パステル」。それぞれのパステルに付けてある色名が、如何にも京都を思わせる雅な名前でとても洒落ていてます。まだ試作の段階だそうですが、今後は商品化して京都のみやげものとしても売り出していくそうでしう。これはいけると思いました。まず「京色パステル」というネーミングに惹かれます。そしてそれぞれに付けられた色名に惹かれます。これを机の上に置いて眺めているだけで、雅な都を夢想できるし、厳選されただけに色そのものが発する色香がなんとも魅力的です。色の配置もあえて揃えず、ランダムに構成することでいっそう各色が引き立つように工夫されています。ヒット商品になることは間違いないでしょう。この女子高生・井上友希子さんはなかなかの切れものですね。
2009.11.11
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♪ 夕暮れの坂の途中に本屋ありてもう上がらない古きシャッター大型店の進出でついに店じまいしてしまった、そこそこに歴史のあった星野書店さん。家から近い事もあって時々利用していたのに、今は古びたシャッターが下りたままだ。大店法の廃止で大型店が郊外に沢山出来て、死んでいった味のある個人経営の店は少なくない。大型店は肉食獣、小型店は草食獣と言った人がいる。大型店は郊外へどんどん進出して弱肉強食そのままの生態をもって個人の店を食いつぶしていった。小型店は地元に根を下ろして来客をじっと持っている草食系そのものだ。米国の「外圧」によって大店法が廃止になったという経緯から考えても、如何にもアメリカの弱肉強食的なやり方が日本を食い物にしているといってもいい。「日本トイザらス」の進出問題や、コダック社と富士フイルム社の「日米フィルム紛争」を経て、大店法にWTO違反の「疑い」があるということから、1998年(平成10年)の第142国会において、大型店を規制する考え方から転換し、大型店と地域社会との融和の促進を図ることを目的とし、店舗面積等の量的な調整は行わない「大規模小売店舗立地法」(大店立地法)が成立し、この新法により「大店法」は廃止されることとなった。同時に、中心市街地の空洞化を食い止めるため、新たに「中心市街地活性化法」が制定され、都市計画の面からも規制を強化しようと、「都市計画法」が一部改正された。これら三つの立法は相互に関連しているので、第142国会では、大規模小売店舗立地法、中心市街地活性化法と改正都市計画法の3法が、まとめて「まちづくり3法」と呼ばれた。これら3法のうち、中心市街地活性化法と改正都市計画法は速やかに施行された。一方、大規模小売店舗立地法は、大型店進出に対する中心市街地の体力が強化されるのを待つ必要があるとして、2年後の2000年6月に施行されており、この時点で大規模小売店舗法も廃止された。 ウィキペディア(Wikipedia)より岡田克也(民主党)は、当時通産官僚として大店法改正案の内容を知る立場にあり、イオンと通産省が、岡田克也を媒介として「大店立地法」という情報で繋がってても不思議じゃない構図があったという。イオン(旧ジャスコ)は、改正前から郊外地をターゲットに、誰もが出遅れた大規模な店舗展開をできる準備をし、その結果、それまで業界での双頭の一つダイエーを押し遣るほどの力を得たのだそうです。 ○岡田克也のプロフィール 1976年 4月 通商産業省入省。 1986年 4月 兼職禁止規定(国家公務員法103条)に気づいて、岡田興産の 取締役辞任 1988年 7月 大臣官房企画官を最後に通商産業省を退職。衆議院選挙に 三重県から出馬を表明。(当時、時効は解けていない) 1988年 9月 岡田興産の代表取締役就任 1989年 4月 学説上の国家公務員法違反の公訴時効成立 1990年 1月 衆議院解散 1990年 2月 衆議院議員選挙に初当選。自民党政治改革を実現する若手 議員の会の中心メンバーとして政治改革の実現に奔走。 1990年 4月 岡田興産の代表取締役辞任 庶民としては、政治と言うものは複雑に絡み合っていて、一筋縄ではいかないなかなか厄介なものだと思うしかないのか。
2009.11.10
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♪ 弟と会えば軽口次々と飛ばし合ってる似たもの夫婦年に一二度しか会うこともない弟夫婦ですが、たまに夫婦で会えば何故かよく気が合って、冗談が行き交って笑いが絶えない。何時ものことながら難しい話など一切出ず、初めから最後まで軽口のオンパレードとなる。歳の離れた両夫婦で、お互いの関係性が似ている部分が有るのかもしれないが、それがどういうものかは良く分からない。夫婦間の距離が両方とも適度にあって、変な慣れ合いや主従関係のような絶対的なしがらみみたいなものを感じさせないところがいい。対等ではないにしても、相手の立場を理解して引くところは引き、抑えるるところは抑え、それでいて自然体でいられるという絶妙な関係が出来ているのだと思う。夫婦ほど不思議なものは無いと思う。全く知らない者同士が同じ屋根の下に暮らし、価値観をともにして生きて行くというのは、努力なしではありえない事です。紆余曲折を重ねながら諦める部分は諦めて、お互いの思いをすり合わせて”世界で唯一無二の関係!を作り上げていく。”自分と同じ価値観の人間なんてこの世には存在しない”ということを肝に銘じていれば、瑣末なことの行き違いは何とかなっていくものです。吾らも結婚30年を過ぎました。長いようで短いような30年でしたが、まだ当分この関係は続きます。相手に求めすぎない事、相手を裏切らない事、この二つを忘れなければ良い関係は続くでしょう。男と女、夫と妻、父と母は性差を除いて対等であるべきだと思います。どちらかがリードすることが有っても、お互いの立場はあくまでも対等であるべきだと思っています。ポール・マッカートニーは白人と有色人種を黒鍵と白鍵になぞらえて歌ったけど、男と女も同じことですね。 「Ebony And Ivory」 Paul McCartney . Stevie Wonder (1982) words & music by Paul McCartney translation by Miya Juryou Ebony and ivory Live together in perfect harmony Side by side on my piano keyboard Oh Lord why don't we? エボニー(黒鍵)そしてアイボリー(白鍵) 共に暮らしてるんだ 完璧なハーモニーで 横に並んでるよピアノのキーボード(鍵盤)で おお、神よ なぜ違うの? 僕たち We all know That people are the same wherever you go There is good and bad in everyone We learn to live when we learn to give each other What we need to survive Together alive 僕らがみんな知ってる事 それは人間はまったく同じ どこへ行こうと 良し悪しはあるさ 誰にだって 僕らは生き方を学ぶ その時僕らは学ぶ 与え合うことを 生き残るために必要なのは 共に生きる事さ (以下、繰り返し)
2009.11.09
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♪ 字の癖が父に似たるを忌みし日や今朝も謹厳に日ののぼりこし 今は亡き親父は、末端まで力の入った角ばった字を書いていた。その特徴的な字に自分の字が似てきたことに気づいて、敢えて違う書き方をしていた若き日。謹厳実直のモデルの様な親父に反発して、何かと議論を吹っかけていったあの頃を、最近ふと思い出したりする。明治・大正・昭和と激動の時代を生きて、何も言わずに逝った親父は、透徹した目で世を見据え、国を思い家族を守ってきた。不平・不満を聞いたことがなく、曲がったことが嫌いで道理の通らないものへは意義を唱えることもあった。しかし、総じて物静かな人で、母親にはかなり手こずらせたが親父に怒られたという記憶がない。一度も殴られたことがないので、それを言ったら「殴る必要のあることをしなかったからだ」との返事が返ってきた。”放任”という無責任の様でその実、”自分で責任を取る生き方”を求めた明治の男。弁護士を目指すもその夢を果たせなかったことで、その夢を子どもに強いる様なこともなかった。親父のA型の血を引いたのは5人兄弟の中で自分だけだ。今、自分も親父と同じ価値観で生きているような気がする。親父が生きたあの頃と変わらないだろ朝日が、今朝も、明け空を赤く染めていた。
2009.11.08
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♪ つまずきてこけた道路の真ん中に夕日は吾を消し去りにけり ちょっと慌てていた夕暮れ時。片側2車線の広い道路を、靴下を履いたまま鼻緒のあるぞうりを突っ掛けて小走りに渡っていた。夕日に見とれて足元が疎かだった。センターラインを跨ごうとしたその刹那、あろうことか発光用のブロックに蹴躓いて、すってんころりん、無残な姿に突っ伏してそのまま右へ一回転。車の往来は少ない道路なので、幸い対向車も来ず大事には至らなかった。慌ててぞうりを突っ掛け直し、道路を渡り切って見てみると、履いていたトレパンは破れ、手と膝がひどくすりむけている。投かんしようと右手に持っていたいた手紙も一応は無事だった。この年になってこんな派手に道路の真ん中でひっくり返るなんて、その事がショックでちょっと恥ずかしい。転んだ瞬間は誰かに見られただろう。”あまりに夕日が美しかったので”なんて言い訳にもならん。けど、この頃の日没の特徴で直ぐに暗くなり、闇にまぎれてどうにか手紙を投かんし、びっこ引き引き帰ってきた。そう、躓いてでんぐり返るなんて久し振りの体験だ。あちこち痛いが、何だか新鮮な気分がしないでもない。この先もうこんなことはないだろう。年寄りがヘタに転ぶと骨折する恐れがある。転ぶわけにはいかないのだ。アラ還での最後の体験として、よ~く記憶にとどめておくとしよう。おお痛!!
2009.11.07
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♪ 去り際に真っ赤に燃えて後じさりスーッと消えて闇を置いてき 昨日の夕焼けは本当に美しかったですね。”おおっ!”と思っているうちに見る見る落ちて、あっという間に姿を消した。その姿が後じさりしているようで、「悪いけど帰らしてもらいます」って急いで逃げ帰っていくように見えた。真っ赤な残像を網膜に残したままあっという間に沈んで、真っ暗な中に一瞬取り残されたような感覚になった。名古屋地方では16時55分にはもう陽は落ちてしまう。昼の時間が10.5時間しかない。陽が沈んでからも空が明るい「薄明」の時間は夏至のころが29.3分と一番長く、春分と秋分のころが24.9分と一番短いのだそうです。”秋の日はつるべ落とし”と短いことをことさら強調しますが、”春の日は・・・”と言わないのは何故でしょうね。空が澄んでいる分、明暗の差を強く感じるのかもしれない。赤い照明をパチッと消したように瞬時に真っ暗な世界へ切り替わる、この季節の夕日は切れがいい。
2009.11.06
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♪ 木々の葉の散りゆき空の広がりてひたぶるに書を読まんと欲す 秋冷の候、ますます光は明らめき、空はいよいよ深まっていく。こんな日は、ひがなひたすらに本を読んでいたいと思う。 秋の日の ヰ゛ィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。 鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。 げにわれは うらぶれて こゝかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな。 ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896 フランス詩人) 『サチュルニアン詩集(Po?mes saturniens)』「落葉~Chanson d'automne~」 訳:上田敏(1874-1916 文学者)『海潮音』より環状線に乗って一日中本を読むというのも悪くない。しかし、名古屋にあるのは地下鉄の環状線だけだ。電車の揺れに任せて、この秋の陽をうらうらと浴びながら、と言う訳にはいかないのが残念だ。この短日に、地下鉄の環状線にひがな乗り続けていれば、陽の落ちたことにも気づかずに昼と夜の区別もつかないまま時間は止ったような錯覚に陥るでしょう。世間から隔離されたような状況の中で、周りの人々だけが入れ替わっていく。うん、そういうのも悪くない。勿論、耳には栓をして音を完全に遮断する。そうしてただひたすら本に没頭するんだ。腹が減ればパンでもかじり、のどが乾けばお茶を飲み、気分を変えたければ反対回りに乗り換えて・・・・。む? おしっこがしたくなったらどうする?改札を出ないとトイレは無いのが普通だから、これには困る。仕方がない、これも気分転換だと思って、もう一度初乗りの切符を買って仕切り直しとしよう。
2009.11.05
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♪ モンゴルの歌曲に心震わさる祖先がそこに居並んでいる 昨夜のオユンナのコンサート。歌はもちろん良かったのですが、モンゴル国立民族歌舞団(大空のメロディ)の音楽を聴けるとは思いませんでした。この連中はすごかった。連中と呼ぶのは失礼なほどのハイレベルなメンバーで、モンゴル国立芸術大学の教授を含む精鋭5人と歌姫による民族音楽の最高峰。横笛の名手によるノン・ブレス奏法や4オクターブは出ているかと思うホーミーの超絶技巧。日本の民謡のルーツともなる歌を歌う、これまた素晴らしいとしか形容できない歌声の女性歌手。これらはユネスコの無形文化の世界遺産に認定(又は認定予定)されているというほどのものです。40年前からモンゴルで歌われている、ヒロシマがテーマの歌「折鶴」をモンゴル語で歌うオユンナ。洋琴に似た多弦楽器と、木管楽器のもとになった角で出来た(音はクラリネットに近い)リード楽器、馬頭琴と横笛、それにバス馬頭琴 横笛でのノン・ブレス奏法というのをは初めてです。この歌手の歌声は人間業とは思えない。メロディーは日本民謡そっくり。 右がベースの馬頭琴 ホーミーの全ての発声法をマスターしている彼の声は超の付く美しさ。あまりの素晴らしさにただただ聴き入り、聴きほれるばかりでした。国の伝統的な価値観から来るものなのか、全員の体格のいい事に感心します。モンゴル相撲でもやれるかと思うほど鍛えあげられいる。そうでなければ、全国平均海抜が1580mもあるあの広大な高原を背景としたモンゴルでは通用しないのでしょう。弦楽器は何故か二弦ばかりで、ギターと同じ伴奏楽器も(後から出てきた)二弦だった。たった二弦で悠久の音楽を奏でる二胡と同じだ。二弦しか必要としなかったというところが凄いと思う。赤ん坊のお尻にある蒙古斑。(黒人にも見られるが色が黒いので目立たない。)発生率はモンゴル人の幼児で95%、他の東アジア人の幼児で80%、ヒスパニック系の幼児で40~50%、インド・ヨーロッパ語族の幼児で1~10%と言われているまた、日本の民謡と全く同じメロディーの歌がモンゴルにもあるそうで、民謡のベースになっているものはモンゴルの歌の中にあるらしい。そう、日本の祖先は遠くモンゴルに繋がっているのだ・・・。
2009.11.04
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♪ 冬型の気圧配置になる夕べ歌のかけらの浮かんでは消え 本格的な冬の予行練習のような寒さが日本列島を覆ってきました。11/3 PM 3:00日曜日の山行が中止となって、今朝、私を除いた3人が代替の登山にと藤原岳に行っている。せっかく買った登山服を早く着てみたくて、どうしても来春までは待てなかった。一度も行きもしないうちから大枚6万円も注ぎ込むという気の入りようだ。そりゃあ行かないわけにはいかないわ。この初冬の寒さの中、北西の風が吹きつけて山は真冬の様相を呈しているに違いない。まぁごっつい奴らですから何も問題はないと思いますが、無事に帰って来る事を願っています。私の今日はというと、知人の才媛が久々に開く個展を観て、そのアトラクションの「オユンナ」のコンサートを聴くという、これまた楽しい予定が有ります。ニットデザイナーでありながら陶芸も書も絵もこなすという才女です。オユンナの歌も好きで、その声はモンゴルの雄大な平原に育まれた豊潤で無垢な心を想像させてくれます。「 Wish-ねがい」愛知県人権週間のイメージキャラクターとして、長男のアンダ君と
2009.11.03
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♪ 革命の起こりて惑う産業のジュラ紀は遠き思い出とならむ ジュラ紀の遺産である化石燃料の余禄を残して、自動車業界は電気自動車にシフトしようとしています。ガソリン車と比較して構造が単純な電気自動車の時代になり、スモールハンドレットと言われる「百社単位」のベンチャー企業あるいは異業種からの参入企業が生まれると予想されている。中国の農村部で「電気自動車ブーム」が起きていて、町工場が雨後のタケノコのように生まれ、今まで自動車と縁のなかった層が新たな市場として活気づいているという。アメリカでもシリコンバレーのIT企業を中心に世界のイニシアティブを握ろうという動きが進んでいるらしい。たった4秒で時速100キロメートルに達する。テスラ ロードスター前2輪+後駆動1輪の3輪電動車 スイス「21世紀の産業革命」といわれる、このエンジンからモーターに取って替わる自動車の大変革は産業界にパラダイム変換を余儀なくしている。部品の数が三分に二に減り構造が簡単で、モーターさえ有れば誰でも作れるという訳だ。部品数だけ下請けの中小メーカーがあるわけで、それが必要なくなるということは産業界にとって大変なこと。急速に進むであろうこの産業革命は、有り余ったそれらがどういう方向へ収斂されていくのかで社会そのもの形が決まっていく。と言うより、社会が必要としないものは淘汰され本当に必要なもの以外は受け入れられない。シンプル思考が益々進むと予想されます。心の充足のために金を使う時代に入って、必然的に健康や美容などの人間の身体にかかわるものが主流になって行くのでしょうか。
2009.11.02
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♪ 先ず受けてそののち伝ふべきものと今知りしなり十三夜月 薄々気がついてはいた自分の悪い癖を、かみさんに指摘されて今更ながら反省している。人の意見を無視する癖が有ると。そんな気はないのだけれど、相手の言った事に対して受け答えが拙いということ。相手が言った事に対してちゃんとしたリアクションをせずに、自分の言いたい事を先に言ってしまうので、相手は無視されたと思ってしまうらしい。相手の言う事を聞いているようで聞いていないのかも知れない。あの態度は拙かったと後から思った事も何度かあって、指摘されてハッとした。聞き上手だと自負している自分にとって、これは大きなマイナスだ。その解決策は、とりあえず相手の言った事を「オウム返し」に言うことだと思う。「・・・は○○なんだよ」と言ってきたら、「へぇ、○○なの」と先ず受ける、それから自分の言いたい事を言うようにする。これがまだるっこいと感じてすぐ先へ話を進めたがるのがいけないんだ。階段の踊り場で足を休める感覚といったらいいのかな。自分にとってこれは結構練習が必要のようだ。いつもこの事を意識していないと直ぐには出来そうにない。しかし、これが自覚できたことで何か”良いものを手に入れた”という心境ではあります。◆朝日新聞に連載中の「勝間和代の人生を変えるコトバ」に、批判精神の持ち主は自己顕示欲の強い人であるという意味の記事があった。「批判は認められたい欲求の裏返しである」という。相手の行動を批判するのは「自分の知識を相手にわからせたい」という承認欲求の裏返しなのだというのです。若いころから辛辣だと言われていた事もあって、この事にも思い当たるところがある。いつも、何に対しても批判しないではいられない。これは”自分を認めてもらいたい”ということの現れだと最近気付いているのです。自信のある人は他人をやたら批判したりはしないものです。それをしなくなれれば「好々爺」として、穏やかな日々を送れるようになるのでしょうね。受け入れること。それが自分にとって”決してマイナスにはならない”ということを素直に受け入れる。最近は、それが少しは分かってきた。そう、そう思えることで心が軽~くなっていく。今、そんな感じがしています。
2009.11.01
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