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♪ いざないのメールの先に笑顔あり宵にゆられて酔漢弛緩 夕べは、いつもの一品持ち寄りで、この日にしか会えない人ばかりが10人前後集まる飲兵衛の宴があった。この日は、1年に一度リトミックのお婆ちゃんたちが発表会で着るTシャツを自分の手で絞り染めする特別な日でもあった。ほとんどの方が80を過ぎておられるというのにとても元気で、リトミックの効果なんでしょうか溌剌としています。新作の絞り染めにも大変意欲的で、説明するのも待たずに作業を始める人もいてこの日を楽しみにしておられた様子が分かります。色も”きれいで舞台映えする色がいい”ということで若草色に決まりました。簡単に”結び染め”で済ませる人、熱心に”縫い絞り”をされる人と技法も様々。染色の容器を覗き込んで、出来栄えのほどをワクワクしながら待っています。一色染めて、最後に濃いめの色で裾にぼかしのアクセント。2時間ほどかかって、最後に絞りを解いて完成です。この即興の絞り染め体験は、非日常のいい思い出になったことでしょう。発表会の日も待ち遠しいね。★飛んで帰って、持ち寄りの一品を買い、宴も終盤の午後4時ごろに会場のアトリエへ。入れ違いに帰る人あり、居残るメンバーはすでに悦楽の中。大きな声で迎え入れてくれた。11時から始まって、5時間も飲んでりゃそりゃ酔うワ。いつも静かで奥様然としているF夫人は、多弁で快活で少し下品で人が変ったようだ。H氏は「お元気ですか、どうもどうも」を繰り返す。少し時間が経つとまた同じことを言ってくるので、こっちも酔っ払い気分に合わせて「あれ、Hさん居たの?」なんて言ってみる。色気と笑顔で迎えてくれたR嬢の骨折り(自分が飲みたいばっかりに)のお陰で、今宵も楽しい夜がゆく。楽しい時は、あっという間の流れ星。この日は夜中まで居残って飲む事もなく、8時過ぎには皆さんと一緒に帰る。そんなこんなで夜は更けて、やにわにかみさんの肩を抱いたら「何やってんの!!」と一喝された。嗚・呼 ~
2009.09.30
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♪ むら雲に射して光のおぼろ月出でてすさ野に道を照らさむ 三人の立候補者が立った野党・自民党総裁選挙が終了し、新しい体制での端緒に着いた。痛烈に党を批判し”腐ったリンゴ・老人は去れ!”と息巻いた河野氏はあえなく撃沈し、”みんなで仲良く”と訴えた谷垣氏が当選した。選挙で勝ちあがってきた以上無視もできない長老議員を抱え、若手議員の突き上げを覚悟しての党運営はさぞ大変な事でしょう。麻生氏が、何もできずにウロウロしたばかりのこの党内構造を維持したまま、改革が出来るはずもない。地方党員の半分も投票しなかったことから見ても、自民党への失望感は大変大きいものがある。当然ながら河野氏に投票した1/3の支持票が、党を見限っての党離れも進むでしょう。風雲むら雲五里霧中。有象無象は下野しても、居残る妖怪は老獪で手強い。まるで他人事のように敗因を語り、”挙党体制で一致団結を”と口をそろえる苔の生えた党内生物。惨敗の責任も取らず、失ったものを悔み無い物ねだりを引きずる輩。それらとは一線を画して新生の党を目指す若手議員との確執はずっと続くでしょう。河野、西村両候補の処遇も焦点で、谷垣氏は記者会見で「2人の活躍の場を当然つくらないといけない」と言う。本来なら河野氏は即脱党すべきだし、そのまま何らかのポストへ迎えるというのも、依然として自民党体質から脱却できない証しだ。”みんなで仲良く”おいしいものを食べてきた長年の悪癖が凋落の原因にもかかわらず、それでしか再出発できないこの不幸。重苦しい閉そく感から逃れられず、皆が鬱の字一色になる。官僚任せの楽ちん政治は、今や昔の自民党。民社党がシャドウ・キャビネットを実際の政府へと本気で作り上げてきたようなことが、金持ちのボンボンのような生活をしてきた”先生たち”においそれと出来るはずもない。全くの一から出直しをするために、腐ったリンゴをどうするか。相変わらずの派閥抗争をやっているようでは未来もない。足腰が弱り、分裂の危機を孕んだ自民党は、果たして蘇ることが出来るのか。いっそのこと解党して、新しい党を旗揚げした方が早いと思うのは私だけでしょうか。
2009.09.29
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♪ ぶつかりて一期に賭ける益荒男のジャズや極みてガチンコ勝負 昨日の大相撲千秋楽・横綱決戦は大いに見応えがあった。(逆に言うと他に見応えのあるような対戦は皆無だった。)本割で朝青龍を土俵に這わせて星を並べた白鳳が、果たして連勝して優勝決定戦を制するのかどうか・・・TV画面では相撲を見ながら、音声の方は音量を上げてジャズを聴いていた。これがなかなか良かったのです。掛けていたのはビル・エバンスのオリジナル・トリオとジェレミー・スタイグのコラボレーション「What's New」。本割を終えた両者の控室での様子が映る。決定戦までの表情を追いながら、ジャズは佳境へと入って行く。曲は「AUTUMN LEAVES」。ピアノトリオとフルートの共演だ。このセッションの異色なのはフルートのジェレミー・スタイグ。事故で顔半分の筋肉の自由を失い、唇の半分が動かない。それで独自のマウスピースの付いたフルートで演奏する。唇が不自由なことで、舌のコントロールによる鋭く突きぬける音や、ほとんど息漏れのような音や呻くような声までを加え、まったくユニークな音楽世界を創り出す。A面最後の曲はエンディングに向かって、これぞジャズの醍醐味といえる即興の交感バトルを繰り広げていく。素早い立ち合いで前まわしを掴み、猛然と攻めたてる朝青龍。必死でこらえる白鳳。画面と音が競演して絡み合い、初めてのそしてたった一度の時間を、ギュッと凝縮して次々と重ね合わせていくような絶対的瞬間の連続。相撲とジャズが濃密に絡み合った即興のドラマがこれほどピッタリと重なって盛り上がるとは・・・・右前みつも引いて一気呵成に攻めたて、最後にすく投げ決めた瞬間にドンピシャで曲も終わった。何という偶然・・・・。起こり得る全てのものは、初めてと偶然の綾成せる業。まさしく一期(いちご)の二度とない出来事。ジャズも相撲もその一瞬に情熱を賭け、相手に負けじと応戦し自分を出し切っていくところは同じだ。次に起こることを瞬時に予想し、最善の道を探りながらその未知の一瞬間一瞬間に全勢力を注ぎ込んでいく。格闘技にヘタな解説など無い方がいい。ちょっと貴重な記憶に残る夕べとなった。
2009.09.28
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♪ 真夜中のしじまに秋のかげひいてさまよい倦みしねこかえりきぬお彼岸も過ぎ、連日の夏日となった暑さもやっと治まり、日に日に秋めいてくることでしょうね。様々な冠を付けて呼ばれる秋。一年の中で最も人の心を情緒的にする季節ですが、それは脳内ホルモンのなせる技のようです。性格や精神状態を決定する3種の“脳内ホルモン”があります。その3つと「ドーパミン」「アドレナリン」「セロトニン」。人間の行動意欲はこれら3種の脳内ホルモンがどう分泌されているかで決まるんだとか。○ドーパミン…人が『行動を起こそう』と動き出すために必要な脳内ホルモン。これが不足すると物覚えが悪くなったり、忘れっぽくなったり、万事がゆっくりになって反応が鈍くなり、集中力や注意力も失われ、無力感、無気力になったりします。パーキンソン病の原因物質でもある。逆に多すぎると幻覚やパラノイア(精神分裂病の陽性症状)が起こったり、発話や運動をコントロールできなくなって、変な恥ずかしいことを思わずやったり口走ったりする。物依存もドーパミンに関係しているらしい。○アドレナリン…ドーパミンによって促された行動意欲を高めるアクセルのような働きをする脳内ホルモン。交感神経系を興奮させ、体が力をだす態勢をととのえるように作用する。この物質が多い人ほど積極的でパワフル。過剰に多く分泌されると感情の起伏が激しくなりイライラしたりする。○セロトニン…車でいうならブレーキの役割をする脳内ホルモン。感情をセーブし、行動を起こす前にじっくりと思考を巡らすといった作用をする物質。これが過剰になると頭痛、めまい、嘔吐、昏睡病などセロトニン症候群と言われるものが起こったりします。逆に少な過ぎると鬱状態、情緒不安定になりやすくなる。寝ている間はあまり作られなず、朝の太陽の光に刺激され目覚めと共に分泌が促進されるらしい。感情や情動に関係しているだけでなく、食欲、睡眠、生殖、運動、体温、心臓、呼吸、消化、排尿など実に多くの身体の機能などにも密接に関係しているといわれ、体内のセロトニンの90%が消化管にあり、8%が血小板の中に、脳内にあるのは僅か2%なんだそうです。秋はこれらの分泌のバランスが変わり、精神的な変化として感傷的になったりします。特にセロトニンの変化が大きいらしい。気分は日照時間に影響されるという。「温帯では,明るく晴れた日々に幸福と活気を感じ,長い夜が続く冬には気分と活力がなえるものである」らしい。これは,求愛,摂食,エネルギー・バランス,睡眠などの機能調節に関与している「脳内セロトニン値」の変動と関係があると考えられています。どうやら秋から冬にかけての日照時間の減少がホルモンのバランスを変え、鬱的な、メランコリックな気分にさせるようです。
2009.09.27
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♪ 風をはみエレキを生ます風車一秒ごとに鈍き音立て 久し振りにマリンパークへ行ってみた。平日で人影も少なく広々とした人工島に、風力発電のタワーの偉容が際立って見える。タワーの高さが65メートル、羽根の最高到達点が約91メートルの風車850kwを2基で構成。出力規模は計1700キロワットで、年間発電量は一般家庭約830世帯分に相当する。事業費は約4億5000万円で、2005年に完成したもの。 真下に行ってみると、3枚の羽が風を切る鈍い音が1秒ごとにシュッ シュッ シュッと聞こえる。風に合わせて向きを変えることが出来、その時の風向きも良く分かる。南側からの風向きの時は、中部空港へ着陸に向かう飛行機が低空で飛んで行くのも見える。のどかで平和な昼下がりだ。この日はリハビリのために、退院後初めてのジョギングをしようと決めていた。このマリンパークから家までは7キロほどあり、走って帰ることに・・・。体に出来るだけ負担をかけない走り方として、スロージョギングを試してみる。通常、安静時の乳酸の値は1.0~2.0で、ジョギングのスピードを乳酸が2.0を超えないペースで走ること。基準は「走りながら話し続けられる」というのを維持すること。マラソンのトップレベルの選手も普段から行っているスロージョギングは、トレーニングの基本中の基本だそうだ。(1)歩幅を小さく、(2)音を小さく、の2つを守って走ることで、足への負担は30%も減少するらしい。まだまだ気も体も若い(つもり)なので、NHK「ためしてガッテン」で観た『脳いきいきダイエット 超らくジョギング革命!』のような走りはさすがにじれったいので、それを意識して走ってみたという感じ。結果は、ほぼ7キロを完走できたが、あまりに久し振りなので遠い遠い気がして、走っている間に飽きてきたのがちょっと問題だな。本来の「速筋」を使わず「遅筋」だけで走るというのは出来ていないので、筋肉への負担はあり、後日筋肉痛が出るかもしれない。3日前に風呂にも入れ、頭も洗えるようになり、やっと通常の生活に戻れたという嬉しさ。快晴の秋空の下で久し振りの汗をかき、快い疲労感に浸って健康の喜びを実感した一日でした。
2009.09.26
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♪ 泣きもせず笑いもせずに井の中を一歩も出ない自己顕示欲 本も読まず、自己を見つめる事もなく苦手なものを遠ざけて、感動も挫折も知らずに生きている。人が笑えば気に入らず人が悲しめばざまあみろと、己の心の空洞を満たす素材は他人の不幸。何をすればいいのか何をしなければいけないのかを考えようとはせず、ただ自分の存在を認めてほしいばっかりに不平・反論を並べ立てる。人の心の痛みや悲しみにはまったく思いが至らず、ただ自分の満たされぬ心を知ってほしい気持ちばかりが先行する。それが分らぬ輩には敵対意識が増すばかり。自立などとは程遠く甘えの中の自己欺瞞。都合の悪い事柄には眼をそらし、自己主張だけは怠らない。1960年から70年代に活躍した寺山修司。現代の青年達は「淡々として、平和で無事に生きてきわめて健康で、しかし友人も自己認識もなく(不安も恍惚感もなく)生きている」のだ。「こんな時代の青年たちを、どうして私たちは仲間だと思うことが出来るだろうか?」「希望」という病気に罹るために、「冷淡な健康よりは、やさしい病弱さを」と。寺山は言う。「目を醒まして、歌え・・・ドラマには終わりがあるが、人生には終わりがないのです」青年が罹る病気にも罹ったという意識もなく(意識さえ持たず)、淡々と仕事に身を任せて気がつけば定年。仕事に逃げて自己をだまし続け、自分の居場所を仕事そのものの中にしか見出せない。仕事がなくなることへの不安と焦燥感に苛まれ、それから逃れるために唯一時間をつぶせる釣行という名の逃避行。それでもなを生きねばならない身を持て余し、家族のために働いた、自分を殺して働いたと、ただそれだけが勲章の日々。そんな私に誰がした、誰のおかげで生きてこられた誰のお陰で大きくなった、と自己犠牲を標榜する。夢もなく希望も無く生きる意味も見いだせないまま、家族はどんどん前へ行く。取り残されていく疎外感。無い無い尽くしのこの自分、誰もわかってくれないこの不幸。自分はこの世で一番に不幸な存在であると、ただただ悲嘆に暮れる毎日が過ぎてゆく。これから先、まだまだ長い人生を無目的に生きることは、地獄に落ちるも同然の辛くて悲しいこと。青春時代に、「挫折と虚無と無頼と浪費」を体験せずに過ごしてきたクソまじめ人間に訪れた、人生の最後の空しい試練。始めよければ終わり良し、終わりよければ全て良し。如何に終わりを有意義に楽しいものにしていくか、そのことだけを考えて人の非難を顧みずただ生き抜いていく覚悟があるか。あなたに残されたものは「人はどこから来て、どこへ向かうのか」ではなく、「自分とは一体何なのか」を問い続けること。生きてきて良かったと思うための、自分自身の心に灯る「光明」を探すことだ。
2009.09.25
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♪ ひんやりと朝の便座に秋のきてウィークタイズとつぶやいてみる "weak ties"という言葉は、先日のNHK「クローズアップ現代」で初めて知った。東京大学社会科学研究所が「希望学」というものの研究を始め、現代社会の中でいかにすれば「希望を持ち得るか」ということがテーマだった。希望を科学する研究ですね。「ウィークタイズ」とは、ゆるく結んだネクタイのように、ゆるい繋がり---たまにしか会わないが適度の緊張感を持って互いに信頼感を持つもの同士の関係。それが、生きていく上で重要なのだというようなことだったと思う。米国の社会学者マーク・グラノヴェター(Mark.Granovetter)が、企業と労働者のジョブマッチング・メカニズムを明らかにするための実証研究をもとに、『strength of weak ties』という論文で示した仮説。1970年に行った米国ボストン郊外のニュートン市居住のホワイトカラー層を対象に行った求職者の転職情報満足度に関する調査結果から、求職者自身の所属組織を含む「強い紐帯のネットワーク」から得られた情報よりも「弱い紐帯のネットワーク」から得られる情報のほうが重要なものが多く得られ、満足度も高いことがわかった。普段考えていることがこういう形で社会の中で学問として研究されていることに驚く。日本人はどちらかというと、反対の意味の「ストロングタイズ」の同じ職場や同じ学校の関係の、強い結びつきでの付き合いが基盤になっている。どこへ行くのも何をするのもいつも同じ仲間。同じ価値観や同じ目的意識の関係なので、新しい価値観の醸成や思いがけない自分の発見や新しい世界も広がっていかない。私はそんな関係が嫌で、会社務めをしていた時期も喫茶店に入ってただ黙って漫画を読むような関係を避けていた。出来るだけ一緒に飲みに行くことを避け、自分の世界をつくるように心掛けていた。そういう体験は交友の幅を広げ、知らない世界を知ったりいい出会いの機会にも巡り合った。私はよく「顔が広い」と言われることがあるけれど、知っているそれらの人々はみんなこの「ウィークタイズ」の関係ばかりです。本当にたまにしか会わないけれどこちらに大事な人だという意識があるから,、その関係はそう簡単に消えたりすることもない。また、「淡交」という言葉も好きで、君子ではないが「淡い水のような関係」が、人との付き合いを長続きさせる秘訣だとも考えている。この言葉は若いころは嫌いでしたが、ある年齢に達してからは自然に受け入れられるようになった。相手を信頼し、その上であまり近づきすぎない事。適度な距離を置くことでいつも新鮮な関係でいられる。1年2年振りに会って話し込んだりする。いつの間にか暗くなっているのに電気を点けるのも忘れ、知らずに2時間も経っていたなんてこともある。そんなことがたまにあるという、今の生活がとても楽しい。
2009.09.24
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♪ チェホフやマルクスすでになかりしも切なき夢のなかりなりけり ♪ 世の中は歴史とともに進歩してゆくものならず自死累々と混沌とした時代は過去の遺物かと思いきや、時代はエンドレスに繰り返すものらしい。没落そしてどん底。希望を持ち、夢を持ってしか人間は生きられない。人生は、希望と言う名の提灯を下げて暗い道を照らしながら、手探りで歩いて行くようなもの。その提灯も強風にかき消されれば目指すべき方向も見失う。新しい政治によって提灯に灯が入れられた今、希望の道が開けたように見える。何も無いところに新しい思想は生まれ得ず、過去を否定することからそれらは出発するもの。そして、この現実世界に新しい思想と言えるべきものは果たしてあるのでしょうか。眼の前にあるものに対応しているだけでは未来の展望は生まれ得ない。新しい思想というものがあって、芸術という反社会的な力を孕んだ運動とが交錯することで、それががモーメントとなって世の中は変わっていくもの。それがまだ見えないのはその機がまだ熟していないからなのか・・・・・。社会主義の崩壊後、資本主義も袋小路に入ってしまっている今、希望の光をかざす事が出来るのは何なのでしょうか。その種は日本にあるような気がしてなりませんが、それが表に出てくるまでにはまだまだ時間が必要でしょう。イチローがアメリカが失っていた野球の本来の姿を本場で見せつけています。彼のような日本人の魂が世界を大きく変えていく力を持っていて、それが発揮される時代がすぐそこまで来ているように思います。日本人は潜在的に優れたものを持っている民族であることをもっともっと自覚し、表に出していくべきだと思います。
2009.09.23
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♪ 里山にマルバルコウの花咲きぬ自分の花を咲かせし白州 リハビリを兼ねて、毎日10キロのウォーキングをしています。里山を歩いていると、秋の序幕の小さなドラマが展開されているのに出会います。マルバルコウの花が咲き、カリヤスやススキが穂を揺らし、ひっつき虫の類も盛んに花を付けています。マルバルコウの花が遠慮がちに、しかし可憐な花を付けていました。丸葉瑠紅(草)と書き、ヒルガオ科の一年草の帰化植物。2cmほどの小さいながらも朱色のかわいい花を付ける。熱帯アメリカ原産地で繁殖力は意外と強いらしく、農家にとっては強害種とされているらしい。トウモロコシなどのにからみついて収量を減らし、枝分かれした蔓が合わさって、収穫作業がスムーズにできなくなるという。意外な側面を持っているんだね。◆若い日を悶々と過ごし、イギリスのケンブリッジに留学した白州次郎。太平洋戦争前の日本にあって、自分を必要とする社会ではない事に苛立つ。人間の良心を説き、有り余る情熱をぶつけるものの受け入れられず、田舎に引っ込んで農業をやっていく決心をする。昨日の夜から3日連続で放映が始まったNHKドラマスペシャル「カントリージェントルマンへの道~昭和を駆けた伝説の男の生涯」。敗戦時にGHQと堂々と渡り合った反骨と気骨の男。アメリカ軍に「従順ならざる唯一の日本人」と恐れられ、戦後の日本復興に尽力した。その夫人はかの有名な評論家・白州正子さん。この男にこの妻ありだ。国際感覚と正義をもって、敗戦時の日本の礎を築くのに大きな功績を残した、この時代の日本人としては類まれなスケールと行動の人。諦めずしぶとく自説を通し、決して自己顕示や権力欲などを求めない姿が、マルバルコウのイメージと重なる。強烈な個性を持ってしぶとく相手に絡みつき、目立つのを良しとせず、正論を曲げない。確固たるその生き方その存在感は燦然と光を放っている。いい役者を揃え、このドラマへのNHKの意気込みのほどがうかがえる。第二話は、今夜の午後10時から~ お楽しみに・・・・・。
2009.09.22
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♪ ネコと吾(わ)の眼薬おなじ場所にあり 知らずに射して猫眼となりぬ 冷蔵庫のドアの内がわ上段に、いろんな薬が入れてある。私の二種類の眼薬は色違いのビニール袋に入っていて、一つのがオレンジ色をしている。二つの袋を同時につかんで取り出す癖で、この日もいつもの様にそうしていた。いざ射そうとして気がついた。袋に「アンリ」と書いてある。ん?何だこれ・・・・・・。いつもと同じようにやっていて今日気がついた。アンリの眼薬があるってことに。ってことは、ずっとそれを射していたのか?いや、そんなはずはないだろう。うむぅ~、そうかも知れない。ちょっと自信がなくなってきた。これは何かの陰謀だ。わざと間違えるようにしてあったのだ。すぐにかみさんを呼んで詰問する。* 何で紛らわしい猫の眼薬と俺の眼薬を同じ所へ置いておくのか!・・・* 気がつかない方がおかしいんだワ!* オレがこういう風に間違ったりすることが良くあるのを知ってるだろう!* 名前だって書いてあるし、色だって違うでしょう!良く見れば袋の色は少し違っていて、オレンジよりも黄色に近い。* それに気が付かないのが俺なんだから、紛らわしい事は最初からせんどいてほしいワ!* そんなこと言ったって・・・・* ったくもう、配慮というものがないんだから。常識だろうに、そんなことー。かくして、私の眼は猫目になったのであります。キャットフードをみると食べたくなって・・・・・
2009.09.21
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♪ 伊勢湾に遠く花火の上がりたり月なき夜の無窮の空に ♪ 無月なる歩道に葛のつるのびておぼつかなしき歩を進めゆき 夕べ、対岸にある長嶋温泉で今シーズン最後の花火が上がっていました。高潮防潮堤から見るそれは、台風の余波の強い風を受けて痛々し気に見えました。まるで夏に最後の別れを告げる葬送のうたげのように。強風の中、望遠での撮影はさすがに手ぶれで・・・シルバーウィークとか変な名前の付いた連休の初日、かの遊園地では大勢の家族連れが見上げていたことでしょう。海釣りのメッカでもあるこの防潮堤(知多堤)にも、強風の割には沢山の人々が釣りをしていました。新月であるこの日は月のない真っ暗な夜で、大潮の丁度潮どまりの時間帯。外灯に照らされた波は、強風で大きくうねって不気味に光っていました。この時期、メバルの電気浮きでの流し釣りなんかが面白いんでしょうが、メバル凪と言うくらい静かな海でないと無理だ。セイゴを狙うにしてもこう波が高くては当りも取れないだろうに・・・・大型連休とあって釣り人を見込んで、ラーメンの屋台が出ています。この夜は波浪注意報が出ていただけあって、いつもよりは少ないようでさすがに屋台に人影はありませんでした。今日からの三日間、日中は晴天にも恵まれそうなので、多くの家族連れでにぎわう事でしょう。この知多堤まで家から4キロ弱。途中の道には蔓延った葛のつるが伸びて、暗いので良く見えないためやけに歩きにくい。片目が不自由な身で夜道を歩くのは、知ってる道だから歩けるようなものの、ちょっと不安なエトランゼ気分。堤防の長さは1.3Kmほどもあり、中間地点のトイレのあるところまで行った。入院・療養でずっと運動不足のままなので、往復約8キロ歩いたら結構疲れてしまった。こんなことではいけないなぁ。どこへも行けない連休だ、明日から毎日10キロほど歩くとしようか。
2009.09.20
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♪ 眼科医の予後の保証のうれしさに窓の景色の輝きにけり退院してからの検査に、一日おきに通っている。前回はガスの抜けが悪く視力も出ていなかった。そして今回。ガスは半分以上抜けたのに、どうしたことか視力が捗々しくない。視力検査の結果はひどいものだった。データを見た先生も一瞬首をかしげ、困った顔をした。何だかいやな空気。このまま視力が回復しなかったらどうしよう。念のために網膜の断層写真を撮って、前回のものと比べてみることに。撮影して暫く待たされる。ここまで訪院してからすでに2時間近く待たされている。待ちくたびれて、頭の中は停止状態。左目だけで周りを見回してみても、やっぱり良く見えない。手術する前よりも状態は悪い。不安な気持ちは募るばかりだ。再び呼ばれて診察室へ。助手と先生がPC画面をテキパキとタッチ操作し、術前・術後の画像を表示する。覗きこんだ先生に安堵の表情。一緒になって覗きこむ。きれいに治っている。素人目にもはっきりと見て取れる。「大丈夫、視力は戻って来るでしょう。少し時間はかかるかもしれないが、見えるようになって来るでしょう。」引いていた血の気が戻るように、心がパーっと明るくなった。信頼している名医にこう言われればもう安心。嬉しかった。本当に嬉しかった。回復を早めるための飲み薬を処方してもらい、次回の検査予定などを打ち合わせ。安堵と喜びの言葉とともにお世話になったお礼を、力を込めてお伝えして退室。会計を待とうとしたところで、また看護師に呼ばれる。ん?先生、眼の奥を見るのを忘れた、と。先生もかなり動揺があったのか、うっかりして肝心の診察をわすれたようだった。この日の帰り、車内から見る風景がいつもと違って見えた。いつもは見えていないものが見えているような感覚。そして、それらがなんだか輝いているように見える。晴れ晴れとして、腹の中にあった重りが消えたような、ふわっとした軽~い気分。帰ってからは何にもしないでいる、ただそれだけで心がやわやわと浮いている感じがしていた。
2009.09.19
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♪ 朝露に枝を広げて萩の花ほろほろ咲きて秋はきにけり 今朝は朝露がおりていました。いよいよ暑さにも別れを告げて”暑さ寒さも彼岸まで”のことば通り、季節は本格的な秋へと移りつつあります。庭の萩も立派になって可憐な花を付けています。植えた翌年からこんなに立派に育つとは思ってもみなかった。脇役のつもりで植えたのに、これでは主役のヒメシャラがかすんでしまう。★いよいよ鳩山内閣も発足し、新しい日本丸が未知の大海原に出航しました。国民にとっては有難いことが目白押しのマニフェスト。実行に向けて”民”を核とした透明な施策で、是非とも実現してほしいものです。大きな柱の”脱・官僚”を、腹をくくって身を挺して実現していってほしい。やると決めたらやれるものです。夢や希望では覚束ないが、決めてしまえば粛々と計画を実行するだけだ。その意思は固そうですから、結束して立ち向かえばそんなに難しいことではないでしょう。何しろ初めてのことですから、当然知らない事や準備不足・経験不足からくる失敗もあるでしょう。それを隠さず表に出して国民に説明したうえで、善処していくことが重要。それが出来る勇気と実行力に期待したい。”宇宙人”の異名をとる鳩山首相。世界でもなにかと注目されている”幸夫人”。二人三脚で、「新しい時代に相応しい日本」に、「生まれ変わる政治」を期待しましょう。
2009.09.18
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♪ 四つ五つ今朝のたよりのマコロンの浮いて沈んで流れゆきたり飲み続けてきた薬のせいか、今朝の便(たより)はマコロンのようにコロコロとしたハードなやつだった。かなり強情で”切れた”かと思うほど難儀だったねェ。難産の大変さのほんの一かけらが分かったような気がしたョ。薬害(ちょっとオーバー)をもたらしたその薬も昨日で終了し、晴れて「抜糸」となり眼帯も取れた。一応はまともな素顔に戻ることが出来、そこいらを歩き回るのも気兼ねなく出来るようになった。★病院の帰りに時間があったので、知り合いの額縁屋さんへ写真額を注文に立ち寄る。そこの84歳のお母さん、もっと上のお父さんもちっとも変りなく、相変わらずの健在ぶりで立ち働いているのには驚いた。旅行に行きたいと毎日うずうずしているらしく、周りもあきれて「化けもん」呼ばわり。 裏の川には有名な白鳥・・糸に繋がったダミー・・が泳ぐ・・・久し振りのこととて、ついつい話し込んで気が付いたらあっという間に2時間経過。抜糸がすんで眼帯が取れたことの解放感か、何時になく饒舌な私だった。で、ブログの話題が出たところでスタッフでもある息子殿が展開しているという「額縁買ってチョー」というブログの話。これが過激の書き放題。額縁の宣伝はそっちのけで、異論・対論・Objection(筑紫哲也みたいになってきた)な展開・・・・。おヒマの方は覗いてみて・・・・★眼はしかし、手術時に入れたガスが未だ半分ほどしか抜けておらず、視力は全く戻っていない。ガスが抜けた分だけ体液が上がって来ていて、瞳のすれすれのところまできて揺れている。見かけはまともでも実際は片目のジャック状態で、不自由なのには変わりがない。途中になっている読みたい本も読めないのがつらい。ブログやメールも片目でキーを打つため、指がずれたりしてけっこう時間がかかる。願わくは、今週中に「完治」といきたいところ。多分、大丈夫・・・・。
2009.09.17
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♪ もう一人見おろす人の内にありて非凡の主は才を語らず やっぱり「イチロー」に触れずに過ぎていくことはできません。新人から9年連続200本安打達成、おめでとう。108年ぶりという。大リーグ史上に次々と記録を塗り替えていく、なを衰えを見せない35歳。「50歳で惜しまれながら辞めるのが夢」と言って憚らない。「僕は天才ではありません。なぜなら自分がどうしてヒットを打てるか説明できるからです。」「驚かれているうちはまだ。驚かれないようになりたい。」「現役のうちは過去を懐しんではいけません。」「すばらしい評価でも最悪の評価でも、評価は周囲がするものであって、自分自身が出した結果でも、示した方針でもない。自分の姿だけは絶対に見失ってはいけないと思っているんです」「調子が悪くて、50%の力しか出せないのなら、50%の十割を出そうと努力する。そうすれば、光は見えてくると思いますね」「野球は趣味か、仕事かと聞かれれば、僕の場合はバリバリ趣味です。新しいことをどんどん追求していくのが、楽しいからやっている。お金をもらうことが一番目なら、もっと先に進もうとは思わない」「第三者の評価を意識した生き方はしたくない。自分が納得した生き方をしたい」「自分が打った安打数よりはるかに多くの悔しさを味わってきました」「決して、人が求める理想を求めない。人が笑ってほしいときに笑わない。自分が笑いたいから笑う」「勝てなきゃ意味がないって言う人がいますけれど、ぼくには大きな意味があります。逆にチームが勝ったから自分が打てなくても嬉しいなんて言っている人はアマチュアですよ」「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道だと感じている」自分にとって、満足できるための基準は?「少なくとも誰かに勝った時ではない。自分が定めたものを達成した時に出てくるものです」「ぼくの中のスランプの定義というのは、”感覚をつかんでいないこと”です。結果が出ていないことを、ぼくはスランプとは言わないですから。」「今は、自分のやっていることは、理由があることでなくてはいけないと思っているし、自分の行動の意味を、必ず説明できる自信もあります。」「自分は、今、ここにいる。でも、自分のナナメ上にはもうひとり自分がいて、その目で、自分がしっかりと地に足がついているかどうか、ちゃんと見ていなければいけない。」「そのうち自分を”彼”なんて言い出すかもしれない。」 と、チームメイトの城島が言っている。
2009.09.16
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♪ 成長の時過ぎ去りて乗る舟のチェスに漆やローカルの旅 日本文化に深い英知を認め、チェスに漆を施したアメリカのスーパーデザイナーがいる。その人の名は「アレクサンダー・ゲルマン」。2001年にはニューヨーク近代美術館が選ぶ、「あらゆるメディアにおいて、世界で最も影響力のある現代のアーティスト」の一人に選出される。伝統を持たない若いアメリカからすると、日本にある伝統とメンタリティーは非常に魅力だという。漆の魅力を伝えるのに、自分の身近なチェスを使うことで、手に触てその光沢や軽さを感じてもらうもらおうと考える。チェスに漆「まるで宝石を見ているかのよう」に、エレガントな気品と、光を受けて艶やかに輝く・・・。日本の文化には”引き算の哲学”があるという。建築の「間」という感覚は欧米にはなく、それは「ゼロ」か「何もない」ものとして映る。創造の本質は引き算であり、バランスが崩れる一歩前の均衡が、最大限のエネルギーを発するという。大理石から彫像が生まれるように。それはあらゆる創造的プロセスの中にある。詩作、振付、そしてビジネスにも。何かを得るためには何かを捨てる選択をする。日本には「間」を大切にする文化が確かにあった。間合いを測る、間合いを取る、間を持たせる、伝統芸能の間、絵画における間。欧米化することでそれらがどんどん失われつつあることは悲しい事に違いない。そして彼は、近い将来、ローカルな文化、多様性や違いの共存が重要になると。これまで除外さていた「文化」を組み込んだ時代設計がされる。そうなると、伝統文化を継承し現代に適応させる優れた能力を持つ日本は、重要な役割を果たすことになるはずだ、と言う。グローバルからローカルへ。その地域に元々あった技術や蓄積された様々な伝統的産業や業が、独自の発想を持って発信されていく。今、まさしく日本の社会は地方から発信する時代となりつつあるような気がします。無いものを求める発想から、今あるものを掘り起こし、新しい発想で再構築することで十分世界に通用するものを日本は持っている。根無し草のアメリカが突っ走って求めてきたものと同じものを、日本が追い求める必要などないのだ。スピードを緩め、自己のアイデンチティーを見つめなおして、本来の日本人らしさを追求していけば、世界で十分通用するはずなのだから・・・
2009.09.15
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♪ ひょうきんな顔して新芽食い荒らすお前らちょっと仲良過ぎない? 知らないうちに悲惨な状態になっていた菊の苗。柔らかい新芽を食い荒らされてる。犯人は誰だ。よく見ると、いたいた、あいつらだ。いつも一緒にいる仲のいい、あのノミの夫婦だ。小さいオスがメスの背中に乗っている姿をよく見かける。そう、オンブバッタという名のけったいな顔をしたやつだ。とんがった顔の先っぽに眼が付いているショウリョウバッタを小さくしたようなやつ。交尾する時はどのバッタのオスも背中に乗るが、こいつは交尾が終わってもずっと乗っかったままだ。このオスはちっちゃい体のくせに独占欲が強いのか、他のオスにメスを襲われないようにそうしているらしい。いつまでも背中に乗られて束縛されっぱなしのメスの心境はどうなんだ?どうも、まんざら嫌がっている風でも無いのかな・・・・・・。メスを奪おうともう一匹のオスが隙をうかがっている新芽を食い荒らされて、頭にきて踏みつぶしてやろうかと思うが、芋虫・毛虫と違ってなかなかそれが出来ない。ひょうきんなこの顔と仲良し夫婦というイメージが邪魔をするのか、それをさせない雰囲気がある。ノミの夫婦というところもそのことに寄与しているような気もするなぁ。
2009.09.14
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♪ 日に四度の点眼のほかすることのなくて秋日のうらめしきかな 今日も快晴。爽やかな風が吹き渡っています。野山は秋の化粧を始めるころとなり、少しづつ色づいてきていることでしょうね。眼帯をして養生中の身では運動もできず、どこへも行けずただうろうろと家の中を歩き回っているだけ。久しぶりにJAZZのLPをゆっくり聞いたりしています。今まで気づかなかった演奏に出会ったりして、それはそれで楽しい。やはり50年代から60年代の中頃までのジャズはいいね。生きることへの切実な情熱と挑戦と挫折とがジャズという音楽の絶対的存在を訴えてきます。しかし、そのうち外があまりに気持ちがいいので、そんなことをしているのがもったいないような気がしてきます。そして、いつの間にかレコードを聞くのをやめている。そして今度はどこの山を登ろうかとか、自然の風景にまた思いを巡らしたりしている今日この頃の私です。
2009.09.13
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♪ 水やりを危惧して五日過ぎし日の今日の雨降り慈雨となりしも 動物や昆虫には関心の強いかみさんは、植物にはあまり関心を示さない。入院中に庭木の水やりを頼んでおいたが、連日のカラッとした天気のニュースを聞くたびに心配していた。以前にも不在の時に、掛けたつもりで掛かってない鉢があったりして困ったことがあるので気が気ではないのです。大した庭ではないですが、その気で水やりをしようと思えばバケツに3~4杯は要る。このところずっと晴天続きで、関心の薄い彼女にとって毎日の水やりは結構大変だっただろうと思う。それでやっと今日になって待望の雨が降り、大地も植物も一息ついていることでしょう。退院して迎える我が家の朝。しっとりと雨にぬれて喜んでいる植物たちの姿をのんびり眺めているのも悪くない。宮城野萩も待望の花を付けた。ビックリするほど大きく枝をひろげ、狭い庭が余計に狭くなった。
2009.09.12
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♪ お迎えを待つひとときの嬉しさの底にただよふセンチメンタル やっと退院の日を迎えるが、一抹のさみしさを感じるのは何故だろう。たった4日とはいえ毎日顔を合わせる看護師や先生、同じ日に入院・手術した仲間との別れがそういう気持ちにさせるのだろうか。過酷な戦場で苦労をともにしてきた戦友との別れなどから比べれば、月とイシガメぐらいの違いはある。それでもやはり戦友のような感覚がちょっとはあるのだろう。それぞれが皆顔も価値観も違う個性を持ち、波長の合う人も合わない人も自分の世界を持って生きている。そんな人達とたった5日間の、短いながら同じ空間を共有したという事実は、体の中に間違いなく刻まれている。何事も経験に勝るものはなく、人との出会いも同じことが言える。袖触れ合うも多生の縁というように、縁によって出会い、言葉を交わすことが出来たということは貴重なことだ。60何億人が存在する地球上で、言葉を交わすことが出来る人なんて極ごくわずかでしかない。ましてや全く知らない者同士が、同じ屋根の下で4日間過ごす機会などそうは訪れない。若いころに山小屋に泊まったことがある。その時、ランプ一つを頼りにその夜を共有したという得も言われぬ感動(言葉で言うと大げさになる)が今でも心の奥底に残っている。この時は、日帰りのつもりだったのが計画が甘く、止むなく山小屋に避難したというのっぴ切らない事情があって、そんなことが影響しているのかもしれないが・・・。知らない人との予期せぬ出会いや、或る時間や状況を共有するということにある種の喜びを感じるのは何故だろう。求めている何かがそういうものの中に潜在していて、無意識の行動によって顕在化されるということなのだろうか。出会いを求めて生きている人間。本当に求めているものは何なのだろう。自分も含めて、いったいどこに行きたいのだろうか。
2009.09.11
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♪ やることのなくてひと日の過ぎてゆく 陽を見ぬままのベッドの上で ♪ 沈黙の時は止まりて情動の扉を閉ざす午後の病室 入院も4日目ともなると迷路のような病室にも慣れ、退屈が足元から上って来るようになる。初め足首あたりに留まっていたものが、徐々に上へと上って来てこの頃には頭の先まで占領している。お茶をすすり(中待合に行けば入れたての煎茶・ほうじ茶・白湯がいつでも飲めるようになっている)、ラジオを聞き、短歌をひねったり日記を付けたりするが、直ぐにそれも飽きてくる。すべて俯き姿勢が基本なので疲れてしまうということもあり、集中力は全くと言っていいほどなく、同じ状態を続けることが出来ない。たまに横向きになって”短歌はメタファーだ”などと考えていると、いつの間にかうつらうつらしている。そしてすぐに時間を持て余し、普段よりもトイレに行く回数が増えたりする。どうせならと、プッシュアップなどして見る。あまり力むようなことはまずいのでソロリソロリと20回ほど。ついでに腹筋、スクワットなどもやっちまうことにする。総合病院のように動けるエリアはないので、院内を散歩するわけにもいかない。歩きたい思いが募るってくるが、オリの中の熊の心境となって陽のあたる表通りを夢想するしかない。アイケア名古屋は街中の眼科ということで土日が休みとなり、月曜日入院の金曜日退院というシステムが出来上がっている。週単位で完結するドラマのように、新しい患者に入れ替わるというのは、そこで働くスタッフにとっては新鮮なことだろう。どんなに嫌な患者でも金曜日には出ていくし、次はどんな人が入って来るのか・・・。尤も、高齢者が多くて若い入院患者は少ないらしい。60歳の私がしきりに若い若いと言われたぐらいだから想像がつくというもの。今、どこの病院の何科へ行っても、本当に高齢者が目立つね。あと一日で退院だと思うと、悪い環境にも馴染んできたこの体がちょっと愛おしい。とは言っても、やっぱり退院は嬉しいのだ。
2009.09.10
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♪ いつか観た潜水艦の生活を思いて過ごす窓なき病室 都会の一等地のビルの一角にある「アイケア名古屋」には入院ができる設備が整っています。病室は3部屋あって合計5人まで収容できる。ビル内に医療施設が巧妙に設えてあり、当然、窓というものがなく人工の光で賄われている。入院当初は迷路のように感じた病室も、慣れてくると合理的に配置されていることが分かってきた。狭い空間を最大限に生かして配置され、移動距離も少ないためすべての行動を短時間にこなすことが出来る。一番驚いたのが手術室。意外に広い。部屋が二重構造になっていて、手前の部屋にはベッドがいくつか並んでいて中待合のようになっている。幾つもの手術を短時間にこなすためのようで、常時2名の医師が交代でオペをしているらしい。その中待合から硝子張りのドアを経て、オペのための部屋へ入って手術を受けることとなる。ここで私は、拡大鏡でのデリケートな手術を受け、一部癒着もあったらしい網膜の中心部分に残っていた硝子体を取り除いてもらったわけだ。1時間の手術の後、3人部屋の左端のベッドに運ばれて1時間の”うつ伏せ”の安静を強いられる。これが一番つらい。その後は俯きで過ごすようにとの指示。眼球にガスを注入してあるため、ガス圧が網膜に効果的に働くようにするためだ。ガスは2週間ほどで自然に抜けていき、体液が充満して硝子体の代わりをするという。なんだか不思議な感じがする。窓のない人工の光の中で過ごす入院生活は、初めはかなり辛いものだった。カーテンで仕切られ、眼が使えないために隣のベッドの住人の顔を見ることもできず、話をする気にもならない。たった4日の入院だけど、この環境で耐えられるのは4日が限度かな。
2009.09.09
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♪ 駅前のビルに名医の眼科あり手術うけむと入院をせり♪ ひと言が身も心にも沁み入りて灯り点せむナース麗し ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥以前の網膜剥離の後遺症のようなもので、網膜に硝子体の一部が残っている。それが網膜を引っ張っていて、像が歪むために視力が落ちている。その硝子体の一部を取り除くための手術をすることになり、4泊5日の入院たなった。これで五度目となる眼の手術。過去に、左右の眼に網膜はく離の手術を受け、その手術の影響から来る白内障の手術をこれも両方の眼に受けている。さすがに慣れたとはいえ、眼にメスを入れるというのはあまり好い気分のものではない。局部麻酔のため術中の声は聞こえるわけで、先生のつぶやきがそのまま耳に入って来る。幸い予定通りに事は進んだらしく、トラブルもなく無事に1時間ほどで終了となった。今回は、酸素マスクを装着してくれたので息がスムーズにでき、ストレスも無く済んでずいぶん楽だった。前回の網膜剥離の手術の時は、顔が布で覆われていて口が塞がれているままの長時間の手術だったのでかなり苦しい思いをした。酸素マスクは有難かったねぇ。あなたももし、そんな機会があったら是非希望して装着してもらえるようお願いした方がいい。手には鈴の輪を持たされ、何か訴えることがあったら前もって鳴らすようにと言われる。これも理に叶っていて、心理的にも安心感を与える効果があるように思う。大変行き届いていて、駅近くのビルの一角にある街の眼科というイメージからかけ離れています。その眼科の名は「アイケア名古屋」。名古屋駅のすぐ近くにあります。院長の安藤文隆先生は名大医学部出身で、教授も務められ、1985年11月から国立名古屋病院眼科医長を務められました。勤務中は評判が評判を呼び、予約がなかなか取れないことで有名な先生だったそうです。海外で特に有名で硝子体の手術と網膜生理の権威で、日本でも数本の指に入る名医である安藤先生は、現在74歳。2001年4月「アイケア名古屋」をオープン以来、多くの患者の眼を救ってこられました。穏やかの話しぶりと偉ぶったところのない人柄は、まさに名医の名に相応しい。信頼できる先生と、そこに働く看護師たちの気遣いが相まって、弱気になっている患者の心に安心と希望を与えてくれます。
2009.09.08
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♪ ストールを飾りて呼ばむ秋風の茶房にいまだ夏いすわりぬ ぶり返した残暑がかなり厳しい今日この頃。昨日は名古屋で34度を記録しました。今、東海市の「茶房じゅん」という喫茶ギャラりで作品を展示・販売しています。タイトルは「久游とあれやこれやとストール」展。会期は9月4日(金)~15日(火)。当初の予定が2週間早まったこともあって、秋冬のアイテムを展示してこの暑さはさすがにちょっと場違いな感じ。朝晩は秋の使者がさまよい、曇りがちで涼しい日が続いたころには丁度いいのかなと思っていたのに・・・・・この店はいわば隠れ家的な存在と言ったらいいのか、非常に場所が分かりにくいところにある。壁面や店内の一部に作品が飾れるようになっていて、知る人ぞ知るギャラリー喫茶で予約して2年以上待たないと順番が回ってこない。この形態の店としては業界のさきがけで、オープン時からのファンも多い。美大で学んだ娘さんの絵を飾ればいいかという簡単な動機で、壁面に絵を飾り始めたのがきっかけだとか。周りに民家はなく、隣接する畑には果樹が植わっていたりする。草花が好きなオーナーの趣味らしく珍しい花がそこここに咲いていたりして、落ち着いた感じの喫茶店です。また、オーナーがサバサバしていて、いいんです。自宅での「ホームギャラリー」をしばらくしていないので満を持した常連さんが、初日・二日目におっとり刀でやって来てくれました。その方たちは80/2の細番手で織った軽くて光沢のある最高級のTシャツがお目当てだ。一品モノの手作りなので非常に人気があり、自分でも価値はあると思っている。時期も時期だけに、Tシャツの半袖のものに限って今回は半額で提供だ。 ストール・ショール・スカーフ類はこの暑さの中、さすがに出足が悪そうだ。メンズのスタンドカラーシャツがどこにもないオリジナルで、超お勧めのアイテムです。三面大黒天のハンカチや梵字ハガキも置いてあります。2週間の会期の間に雨でも降って、涼しくなってくれるといいんだが・・・・
2009.09.07
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♪ 秋めきし夜はカプチーノ虫の音の甘く切なくしみとおりゆくいろいろな虫の音が聞かれるようになりました。ひんやりと澄んだ空気に、透き通るような虫の音は儚い恋の弦楽のソナタ。あくまでもストイックに控えめに鳴く声は、日本人の繊細な感性に共感を呼び起こして止みません。日本にはおよそ60種類いるという鳴く虫。その声を音符にあらわした記事を見つけました。虫の音の採譜です。ずいぶん前の婦人雑誌に掲載されていたものです。満月の今宵、喧騒から離れて、草原で開かれている音楽会にしばし耳を傾けてみませんか。日本人に最も愛されていている代表的な虫。毎年自宅で飼い続けて楽しんでいる方も多いようです。ガラスの鈴を鳴らしたような澄んだ声を聞くと、日本人に生まれてよかったなぁと思いますね。よわよわしく儚げな声で鳴くこの虫の名は、「邯鄲の夢」という中国の故事に由来しているそうです。主人公が夢の中でこの世の栄枯盛衰を見て人生のはかなさを思ったという話・・・・。よほど注意して聞かないと聞きとることは難しい。蟋蟀には多くの種類があるそうです。「おかめ」のような平べったい顔をしているところからついた名前なんだとか。この蟋蟀の鳴き方は3種類あるそうですが、聞き分けるのは素人には難しいらしい。単調で抑揚のない声に、もう少し色を付けてょと言いたくなります。昔、松風の身に滲みわたる澄んだ音色から松虫と呼ばれるようになったのだとか。虫の音を聞き分けて楽しむという習慣は、延喜の時代(927)に始まったのだそうです。騒音の全くないその時代は、今よりもはるかに大きくハッキリと虫の音を聞くことが出来たでしょうね。
2009.09.06
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♪ 玄関に数多のゴーヤうずくまる小恐竜の重なるごとし 緑に光るイボイボの体に手足を付ければ、まるでカンブリア紀に走り回っていた小恐竜のようなゴーヤ。 雨で遅れた収穫の時期を取り戻すように、ここへきて沢山の実を付けたらしく大量のゴーヤが届いた。 私一人しか食べないこの家で、ゴーヤは台所のテーブルを占領して異彩を放っている。 はてさてどうする。この苦くて特異な野菜を好んで食べる人はそうは多くない。 それに、日陰を作るエコ植物として人気があり、その実の姿の面白さも手伝ってあちこちで栽培されている。 都会の人なら欲しい人がいるかもしれないと思い、当ってみた。 「何それ」という人、「自分は好きだが、かみさんが嫌いで料理してくれない」人、「母親が好きだから喜ぶと思う」人、「女房が野菜好きで関心がありそう」という人、「苦みがいいんだがね~」と喜ぶ人、「よく知らないが貰って行く」人、等など様々な反応が返ってきた。 家用に一本残して、どうにか全部を捌くことができた。 息子に聞くと、「食べる、作って。」と意外な返事が返ってきた。 ゴーヤチャンプルー。豚肉でなくシメジなどのきのこ類と一緒に料理しても美味かった。少し若い小ぶりのものの方が苦みが少ないし、量も多くないので食べやすい。 栄養価は高く、夏バテには効くんじゃないかな。 前夜から、のどがヒリヒリして唾を飲み込むのも痛かったのが、お茶のうがいとゴーヤを食べたお陰でか、発熱にまで至らずに済んだ。 今流行の風邪は、のどに来るらしく高熱もでる。 罹れば一週間の加療は避けられない。 やれやれだ~。
2009.09.05
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♪ かなへびは蛇なのと聞くオーナーの民芸品売る古民家の奥 日本にいる2種の在来のトカゲのひとつは”カナヘビ(ニホンカナヘビ)”という名をもっている。 ニホントカゲのように光沢はなく、いかにもかわいらしいところから愛蛇(かなへび)という名がついたという説がある。 しっぽが長く(全体の2/3)、危険が迫ると自分で切って逃げたりする。切った尻尾はしばらくクネクネと動いて敵を欺いている。 最近はトカゲとカナヘビが同じエリアに共存している様子を見たことがない気がする。もともと生息環境が違うのかも知れないが、子供の時は両方ともよく目にしていた記憶がある。 愛嬌があって、ニホントカゲよりも親しみを感じるためか、地方や年代によっていろんな名前があるらしい。 ペロちゃん、カガミッチョ・カガメッチョ・カナゲッチョ・カナチョロ・カナメッチョ・カナンチョ・カネチョロ・カマゲッチョ・カラメッチョ・チョロカゲ・トカゲなどなど。 栃木県などでは逆にニホントカゲをカナヘビ、ニホンカナヘビをトカゲと呼ぶらしいのでややこしい。 自分で飼ったことはないが、飼育は難しくなく白い小さな卵を沢山産んでかわいいもんだそうです。 捕まえると小さな口で噛みついてきたりして、ホントかわいいんですよね。 光沢のあるニホントカゲはちょっと不気味な感じがあり、警戒心が強い上すばしっこくて、愛嬌があるとは言えない。 幼体は体色が黒や暗褐色で尾が青く、神秘的な姿は何故こんなに美しいい必要があるのかと思うほどです。
2009.09.04
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♪ 名人の手塩に掛けし垂涎の赤き梅干美(う)まし宝石 この欄でも間接的ラブコールを送っていた、あの待望の梅干が先日届きました。期待に違わぬ出来で、さすがは名人と思わず手をたたきました。ほんと嬉しくて雲にも上る気持ちです。ありがとう。本物の味を知ってしまった以上、もう市販のまがい物など絶対に口にできません。何種類もの添加物を使って工場で大量生産される漬けものは、本来の保存食からかけ離れたものになっています。減塩が理由で保存のために防腐剤を加えるなんて、と思いますがこれは仕方がないのか・・・。しかし、甘味料やら着色料、カツオエキスやら酸味料などを加えて作るものなど、もはや”漬けもの”でもなんでもありません。甘いタクワンて何ですか。甘味料入り梅干ってなんですか。買う人がいるから商売が成り立つわけで、世の中、グルメだのとか言ってる割に味覚音痴の人が存外多いのではないでしょうか。生まれてこのかた本物の味を知らないままで過ごしてきた、ということが背後にあるのでしょうが・・・。意外なものに糖類が添加されていて、知らず知らずに摂取させられているというのも問題ですね。子供には甘いものが必要ですが、意識して与える必要がないほど様々なものに糖類が使われています。糖質ゼロの飲み物も多くはなってきましたが、知らずに摂らされている多くのモノの罪は重い。ブルガリアでは子供の肥満の問題を解決するため、9月から小中高校の食堂や売店で高カロリーのスナック類や甘い清涼飲料水の販売が禁止になりました。子供のころからの食生活が重要なのは言うまでもありませんが、親が無関心では食育もなりません。文明とは、”本物”をなくすということではないはずです。より進化すべきものが、却って悪い方向へ向かうというのでは情けない。
2009.09.03
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♪ 衰えはただ使わぬにありぬべしいじめて戻る気力体力 8月23日に山登りをしてしこたま筋肉を虐め抜いたお陰で、昨夜の久しぶりのジョギングも頗る快調だった。後半にある大小五つの上り坂も難なくクリアして、息が切れることもなかった。ついこの間まで体力が落ちて、気力まで落ち込んでいたのに5年ぐらい若返った気分だ。つくづく思う、使うことの大切さ。使わなければどんどん衰えていく。それは筋肉だけではなく、頭も同じことなのでしょう。クイズ番組が好きでよく見るのですが、体力が落ちているときは頭の働きも悪い。集中力も体力に比例するそうですから、体力が衰えて持久力がなくなれば気力がなくなるのも当然か。暑さもどうやら峠を越えそうで、何をするにも快適な日々がやって来ます。一年で最も充実した時期、山海は豊穣で芳醇なものたちで溢れます。金よりも暇が欲しい、そんな気のする季節です。スポーツ、読書、旅行に吟行。魚、茸に果物三昧。釣りに登山に紅葉、行楽。秋の山歩きは格別です。暑からず寒からず、夏ほどの賑わいもなく静かで、雄大な自然とゆったりと対峙できます。空気は澄んで、稜線が青空をバックにくっきりと際立ち、ナナカマドが真っ赤に色づき・・・・嗚呼、また行きて~な~
2009.09.02
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♪ 目覚めれば消え去る夢や成すことの はかりごつれば成りしものなり 夢を持て、夢を語れと人の言う。しかし待てよの響きあり。夢は消え去る定めにて 儚きことと文字のいう。夢かうつつか現かゆめか。持てざるよりも 持てる世の幸せ気分夢気分。咲けば薔薇色夢の花、やがて散りゆく定めなり。真実望むことあらば、予定を立てて計画の実行あれば必ずや 叶うものとて思うべし。夢を言葉に乗せたれば、己に深く刻まれて、人に伝わば諸々の援助得らるるものならむ。とうとうたらりとうたらり 額に汗も厭わずに、前だけ向いて進むべし。結果を残す先人の 共に通ずる点ありぬ。諦めざらぬ情熱と 決めた計画実現へ、ただ行動のありぬべし。ゆめゆめ夢で終わらせず、やるぞと決めて着々と 一歩一歩を、いざ行かむとす。
2009.09.01
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