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レンタルDVDで『Dear フランキー』という映画を見ました。(ネタばれ注意) 映画の舞台はスコットランドのとある港町。そこに9歳のフランキーとその母、祖母が引っ越してくるというところから始まります。父親はどうしたかって? そう、そこが問題でして、実はフランキーの父親はDV野郎で、フランキーとその母はこの暴力オヤジから逃れ、行方をくらますために、引っ越しを繰り返しているんです。 だけど母親はそんな父親の真実を隠すため、フランキーには彼が船乗りで、世界の海を経巡っている、というふうな作り話をしているわけ。で、その作り話をフランキーに信じ込ませるために、父親からの手紙と偽って自分でフランキーに手紙を出している。で、フランキーはフランキーで、喜んで父親に返事を出す。そういう形で、父と息子ならぬ、母と息子は文通を続けているんです。 もちろん、母親としては父親のふりをしてフランキーと文通することに多少の罪悪感を抱いてはいるのですが、どうしてもやめられない。なぜなら、それがフランキーと親しく言葉を交わし、彼が今どんなことを感じ、考えているのかを知る唯一の方法だったから。小さい時父親からの暴力を受けたことが原因で、フランキーは耳が聞こえなくなり、それゆえ静かに魚の図鑑を見たり、魚の絵を描いたりすることが好きな寡黙な少年になっていたんですね。 ところが、母と息子の静かな生活に、突然、困った事態が出来します。というのは、彼らが暮らすことになったこの港町に、フランキーの父親が乗っている(ことになっている)大型船が寄港することになってしまったんですな。ついに父親に会えるのだと思って、船が着くのを不安を交えながらも心待ちにしているフランキーを前に、今までの文通はすべて嘘だったのだと白状することもためらわれる母親は、切羽詰まって、一計を案じることになる。お金で人を雇い、一日だけフランキーの父親を演じてもらおうというわけです。 で、友人のつてで紹介され、雇われた一人の男性が、フランキーの父親のふりをしてフランキーの前に現れることになる。 ここで初めて実物の父親を見たフランキーの反応がね、泣かせるんだ・・・。しばらく遠巻きにじっと見ていたかと思うと、がしっと彼に抱きついて離れなくなってしまう。その可愛さたるや。 で、一日だけという約束でフランキーはこの偽の父親と時間を過ごすんですけど、その様子がほんとにいじらしくて。喜びがフランキーの一挙手一投足から溢れ出すかのよう。 たとえばね、男がフランキーに「水切り」のコツを教え、平らな石の方が水切りをするにはいいんだよと、自ら探しだした平らな石をフランキーに渡すのですが、フランキーは父親と一日しか会えないとわかっているものだから、その石を投げることができず、それをこっそりポケットにしまうんです。そういうフランキーの行動の切ないこと、切ないこと。 で、こんな調子ですから、最初はアルバイトのつもりで父親役を演じることになった男も、次第に情にほだされ、フランキーのことが可愛くてならなくなってくるんですな。そしてまた、フランキーの母親のこともだんだん深く知るようになり、彼女に対しても惹かれていく。 しかし、状況はシンデレラみたいなもので、約束の時間がくれば男は去り、疑似家族のお芝居はおしまいということになる。たった一日二日のきらめくような幸せの時間を過ごした後、父親役の男も、なんだか別れがたいような、切ない思いを抱きながら、フランキーとその母と別れていくんですね。この別離のシーンがまたとてもいい。 そしてその後、フランキーの本当の父親、すなわちDVの男がいまや死病に取りつかれ、余命いくばくもないということが発覚。フランキーの母親は最期に一目、元夫と面会するものの、これも後味の悪いものとなってしまいます。しかし、結局この男は間もなく死に、これによってついにフランキー母子の生活を脅かす存在はいなくなるわけ。 そこでフランキーの母親は、フランキーに父親が死んだことを知らせ、これをもってフランキーとの文通も終わらせようとする。いつまでも彼をだまし続けることもできませんから。 しかし、フランキーは実はちゃんと知っていたんです。この前会った人が、本当の父親ではなかったことを。賢い子ですから、どこかの時点で、そのことに気づいていたんですな。 で、本当はどこかに生きているはずの、あの偽物の父親に、今度は息子としてではなく、友達として手紙を書き始める。それを受け取った母親は、フランキーがあの男を受け入れたことを知り、また自分自身の彼への思いも、もはや妨げるものがなくなったことを知る。 ここでハリウッド映画ですと、フランキー母子とあの偽父との再会のシーンか何かで締めくくるのでしょうが、この映画は違います。フランキーと母親が、港の桟橋か何かで仲睦まじく座っているシーンで終わるわけ。だけど、その二人のほのぼのとした幸福そうな様子から、観客は、「きっとこの二人は、いつかまたあの男と再会できるんだろうな」と想像することができる。そういう、とっても心休まるラストシーンでこの映画は幕を閉じます。 ま、そんな感じの映画です。 さて、『Dear フランキー』という映画に対する私の印象批評ですが・・・ 「84点」でーす! 合格! とにかくね、フランキーがいいんですわ。もう本当にいとしい子なんだ、これが。でまた、父親役を務める俳優もね、とてもいい。そして声高ではないものの、行き届いた演出が心憎い。なんだか見終わった後、気分のいい映画ですわ。 ということで、この映画、小品の佳作として、教授のおすすめ! です。まだご覧になっていない方は、レンタルDVD屋さんにGo!
April 30, 2009
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今日はいよいよ本格的なゴールデンウィークの初日ということになるのかしら? ところが今日の私は自宅に釘付け。と言いますのも、懸案だった2台の新しいパソコンをネットに接続する作業を一気にやっちまう予定だったので。もちろん、機械音痴の私にそんな大それたことができるはずもなく、旧知の業者さんに来てもらった、という意味なんですが。 で、その業者さんは朝10時前にいらっしゃるというので、当然、お昼前にはすべての作業が済むだろうと思っていたところ、接続作業が意外に難航しまして、お昼を過ぎた時点ではもともと無線LANが構築されていた古いパソコンすらネット接続できなくなるという危機的状況が出来していたという・・・。 で、仕方なく業者さんと私と家内でテーブルを囲み、電話で注文した寿司を食べるというヘンなシチュエーションに突入! ま、この業者さんとは長い付き合いですし、今、パソコンの販売・設定なんかを請け負う業者の不景気の度合なんかを伺って、結構面白かったですけどね。 で、午後も作業が続けられたのですが、どういうわけかどうしても無線LANの設定がうまくいかない。ついには新たにルーターを買わなきゃどうしようもないということになり、業者さんと私で機器を買いに近くの家電量販店まで走る、というような事態にもなりまして。それでようやく新旧3台のパソコンの無線LAN設定が終了したのは午後6時。完全に一日仕事ですよ。やれやれ~! でも、御蔭さんで我が家でモバイルで使えるパソコンが3台揃ったわけですから、便利、便利! 何だか第二のモバイル元年という感じでございます。 というわけで、本当は今日は他にもやらなきゃいかんことが沢山あったのですけど、そちらは延期ということにして、しばらく3台のパソコンで遊ぶことにしましょうかね。
April 29, 2009
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突然ですが、今、英米文学関連の学会で一番ホットな話題って何か、ご存じ? 「翻訳」です。もうね、あちこちの学会で「翻訳」をめぐるシンポジウムやってます。私が多少なりとも関わっているのだけで、今年二つありますから。 ま、「翻訳」ないし「翻訳論」ってのは、いわばインフルエンザみたいなもので、何年かに一度とは言いませんが、四半世紀単位で流行するような気がする。で、今はその流行期なんでしょう。私くらいの年齢ですと「おお、アレがまた来たか」という感じがします。なんか懐かしいというか、ホッとしますね。前の流行の時はまだ世の「英文科」ってところも盛んでしたから、私の通っていた大学の先生でもやたらに翻訳を手がける方が随分いらっしゃいましたし。「あの先生は、研究しないで翻訳ばっかだもんな」なんて、ちょっと批判的なことを口走ったりもしたもんですが。 それはともかく、先週末の学会でもやはり「アメリカ文学と翻訳」なるシンポジウムが組まれましてね。実際に今、翻訳を手がけている講師の先生方がそれぞれ現場の話をして下さったので、これは結構面白かったです。 で、その講師の先生のお一人がおっしゃっていたのですけど、「翻訳」というキーワードで時代を切ると、「1970年代末」ってのが一つの転換期だったんですって。つまりね、それ以前は、「大学」が翻訳者の養成所としての役割を果たしていたようなところがあったと。ところがこの頃から、ということはつまり「共通一次世代以降」ということですが、大学生の学力(語学力)がガタンと落ち始める。で、それと軌を一にするように民間企業としての「翻訳学校」が次々と設立されはじめ、やがて大学に取って代わってこの種の翻訳学校が翻訳者の養成を担うようになってきた、と。 一方、その頃、アメリカでは大学に「創作科」が作られるようになり、ここを卒業した連中がちょいと気の利いた軽い短編なんかを盛んに書き始めたわけ。で、日米のこの社会事情が呼応して、「前回」の翻訳ブームが生じたのではないかと。 が、そうやっていわば「時代の波に乗って」登場してきたひよっ子翻訳家たちも、翻訳の現場に立ち続ける以上、翻訳をめぐるありとあらゆる困難に直面せざるを得ず、その中で、自分なりの翻訳哲学なりノウハウなりを(試行錯誤しつつ、また常に迷いつつ)身につけてきた、と。 で、今回のシンポジウムでは、それぞれの講師がそういう苦労話をして下さったわけですけど、たとえば翻訳をやる上で常に起こり得る障害の一つは、「訳せないものをどう訳すか」という問題なんですって。 「訳せない」といっても色々な意味合いがあります。文章が難しくて何言っているかわからないというのも勿論あるわけですが、それ以外にも日本にないもの、あまり普及してないものがアメリカの小説の中に出てきた場合にどう訳すか、という問題がある。料理名とか、そんなのでも結構苦労するんだそうですね。「ジンジャーブレッド」なんて、アチラでは誰でも知っているものでも、日本語に訳すとなると「しょうがパン」とやるべきか、「しょうがクッキー」とすべきか、結構悩むでしょうし。 また訳語の選択における時代性というのも大きな問題で、たとえば今だったら「イケメン」と訳すのが一番ぴったりだとしても、果たして20年後に「イケメン」という言葉がどのように受け取られるかなんて分かったもんじゃない。 あと、演劇の翻訳なんかだと、観客は耳からしか情報が入ってこないですから、訳文の選択も大変だそうで、しかもあまりそれを気にし過ぎるとつい「七五調」になったりしてしまって、翻訳劇なのに新国劇みたいになってしまったりする。その辺のさじ加減も難しいそうです。 でもやっぱり翻訳家が一番悩むのは、自分の翻訳が本当に原作の内容・雰囲気を忠実に伝えているかどうかということで、これはもうとにかく愛を持って原作に接し、とことん自分なりに味わい尽くし、原作自体が発する声に耳を傾けることでしか突破できない、と。講師の先生方は皆、異口同音におっしゃってましたなあ。 しかし、こういう「翻訳がらみ」のシンポジウムってのは、私は割と好きですね。とにかく、現場の本音が聞けるわけですから。実際に苦労していることですから、聞いていて「そりゃ、そうだろうなあ」と共感できますもんね。 ということで、先週末の翻訳シンポジウム、ワタクシは楽しく拝聴しておったのでございまーす。ま、楽しいとはいえ、人の苦労だから楽しいので、さて、自分で何か翻訳する気があるかというと、なかなかそういう勇気が出ませんけどね!
April 28, 2009
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いや~、お寒うございますなあ。今日はコートが欲しかった。 さて、昨日書き損なった学会の話題の続きなんですが、その学会の特別講演で聞いたお話しについて少々。 特別講演の講師を勤められたのはS先生。東京大学の有名な先生ですな。 で、そのS先生のご研究ですが、先生は明治以来英語の達人と目された日本人、例えば岡倉天心だとか新渡戸稲造だとか、はたまた鈴木大拙だとか、そういった方々が、ロクな語学教材もない時代にどうやって英語を習得したのかということを調べ上げたわけ。で、その結果、先に名前を挙げたような方たちというのは、きちんとした英文法の知識と膨大な英文の読み書きによって、超一流の英語力を付けていったという事実が明らかになった、と。であるからして、伝統的な日本の英語教授法、すなわち「文法をしっかりやり、英文を味読・精読する」という方法が、決して的外れなものではない、とS先生は喝破するんです。先生が今日のいわゆる実用重視・英会話中心の英語教育に異を唱えるようになる、その根拠でもあります。 で、今回のS先生のお話もこの路線に沿ったもので、要するに「英語で書かれた文学作品ってのは、(使いようによっては)恰好の英語教材になり得るのだから、それを排除する必要はまったくない」という主旨のお話しでありました。 そもそも日本の(昭和の、あるいは戦後の)英語教育界の不毛というのは、「文法・文学中心の教養英語派」と「会話中心の実用英語派」が敵対する図式から生じたものだ、というのがS先生のお考えなんです。つまり、実用英語派の人たちは「今更シェイクスピアなんて読んで、英語がうまくなるものか」と罵り、一方「教養英語派」は「挨拶が出来て、自己紹介が出来て、道案内が出来るようになるだけの実用英語のどこが実用なんじゃ!」と揶揄する、そういう二項対立はあまりにも不毛ではないか、というわけ。互いに互いを否定しあうのではなく、互いに相手のいいところをとればいいではないか、と。 例えば実用英語派の人たちは、「英語で小説なんか読んだって、それで英語の実力がつくわけではない」と言うけれど、本当にそうか? とS先生は疑義をはさまれるんです。英語の小説、それも最良の部類のものの中には、英語教材として非常に優れたものもある、と。実際、小説というのは、登場人物なり語り手なりが、ある状況を説明するという場面が頻出するわけですけど、それこそまさに日常、我々がやっていることではないか。昨日どこどこへ行って何をした、とか、誰々に会ってこんな話をした、というようなことを報告することはよくあるわけですけど、そういう時の話法の勉強として、英語の小説はすごくいい手本ではないのか。 だからこそ、英語の教員、とりわけ「文学上がり」の教員は、自信をもって自分たちの愛読する英語の小説を、英語の授業の素材として使うべし。ま、S先生は我々「英米文学研究者兼英語教育者」に対して、そういうエールを送って下さったわけですよ。 ま、私、ここまでは割と共感をもって先生のお話を伺っておったわけですよ。なるほど、と。しかーし、ここから先がね、あまり共感できなかった・・・。 上のような趣旨のお話をして下さった後、S先生は「自分だったら、例えばこんな風な授業をする」と言って、アメリカ小説の傑作、フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』を題材に、大学の英語の授業プランを提示して下さったのですが、これが私からすれば疑問手でして。 S先生の授業プランの骨子は3つあります。まずは「英作文」。『グレート・ギャッツビー』の冒頭、語り手の青年が「まだ自分が若い生意気盛りな時、親父からあるアドバイスを受けたのだが、これが今だに自分の心に残っている。親父曰く、「人を批判したくなった時は、その人はお前ほど恵まれた境遇に育ったわけではないことを思い出せ」と。だから僕は人を批判しない」というような内容のセリフを言うところがあるんです。で、S先生はこの一節を使って英作文の課題が出せるではないか、とおっしゃるわけ。つまり、「僕は( )の時、( )から( )のようなアドバイスを受け、これが今だに僕の心にある」という一文を学生に示し、括弧の部分を各自自由に英作文させろ、というわけですな。大枠のパターンだけ示して、個々の内容は自由に作文させる指導法です。 そして二つ目。今度は『グレート・ギャッツビー』の中から複数の登場人物が会話をしているシーンを抜き出し、その台詞を学生に割り当てて寸劇をやらせる、というのですな。つまり「ロール・プレイング」により、シチュエーションに合った発話を勉強させると。で、後でこの作品の映画バージョン(ロバート・レッドフォードの主演した奴)を見せ、映画ではこんな風に描かれてますよ、というのを見せる。 三つ目。今度はディクテーションですね。スクリプトを穴あきにし、映画版を見せながら台詞を聴きとらせ、穴埋めさせる、と。で、ここまで述べたような3つの活動をさせれば、1時間の授業は埋まるだろうというわけです。 さて、このS先生の具体的な授業シミュレーションを拝聴していたワタクシ。ま、はっきり言いまして、これがそんなに目からウロコの授業方法だとは思えませんでした(爆!)。 まず最初の英作文についてですが、これね、東大の学生を相手に授業するから通用するハナシでありまして、日本にはとんでもなく学力の低い大学生というのが沢山いる。そういう連中に、「はい、何でもいいから、ここに当てはまるような英語を言ってみて(書いてみて)」といって、すぐに答えが返ってくるとは思えないんです。返ってくるようにさせるにはどうしたらいいか、ということこそが問題なのでありまして。また逆に、この授業法をやっていて、仮に学生から「私はこれこれこういうことが言いたいのですが、言い方がよく分からないので、どういえば良いか教えて下さい」と質問されて、どんな場合でも即答できる英語教師がどの位いるか。もしそこで「いや~、それは僕にも難しいな・・・」などと答えたら、もうその段階でおしまいでしょう。そう考えると、この教え方を採用するにはまだまだ教師の側のインフラ整備ができていないのではないかと言わざるを得ない。 次にロール・プレイングですが、こういうのが効果を発揮するのは20人くらいで授業をやる場合なのではないかと。東大ではいざ知らず、一般の大学では50人とか60人とかを一度に教えなくてはならない場合が多々ある。そんな大人数のクラスでいちいち「誰がどのセリフを担当する」なんてことを決めていたら、それだけで15分は掛かるでしょう。そんな間の抜けた授業、実際には出来たもんじゃないですよ。 そして最後、ディクテーションですが、ディクテーションが出来るということは、文学作品ではなく、映画作品を扱っている場合なのであって、「映画はいい英語教材だ」というのなら分かりますけど、それがすなわち「文学作品はいい英語教材だ」というのと同意と見なすことは出来ないでしょう。それに、映画作品を使ってディクテーションをさせるような教材であれば市販のテキストが既にいくらでもあって、別に新味のある話ではない。 ま、S先生が提案された英語の教え方は、どう贔屓目に見ても恣意的かつ行き当たりばったりのやり方なのであって、それをやったからといって学生の英語の実力が着実につくことが保証できるという種類のものではない、と私は思います。厳しい言い方ですが、これは文学を専攻する英語の先生が、いかに英語の授業を(世間から後ろ指さされることなく)こなすか、のノウハウに過ぎないのではないかと。 私としては、どんなに厳しくてもいいから「この順番で勉強をすると、英語の遣い手になれる」という道のりを、S先生のような英語教育研究者に示してもらいたいと思うんですね。「英語が話せるようになるには、まず始めに以下に示す英単語1万語を暗記しなさい」というのであれば、その1万語を示して欲しい。そうすれば、英語が話せない人も諦めがつくと思うんですね。「私はその1万語が覚えられなかったから、覚える努力をしなかったから、英語ができないんだ」と。その一方、最初の関門を通過した人には、「次はこれをやる」ということを示して欲しい。そしてそれが終わったら次はこれだ、と言って欲しい。そういう道筋を示して欲しいんです。ピアノのレッスンだって、それがあるではないですか。まずバイエル、次にブルグミュラー、それが終わったら次はツェルニー100番、ツェルニー30番、ソナチネアルバムI、ソナチネアルバムII、ソナタ・・・という具合に。 というわけで、S先生のおっしゃること自体は全般的に分かるのですが、「文学作品はいい英語教材だ」というだけでは、「どうすれば英語ができるようになるか」という当たり前の問いにはまったく答えたことになってないような気がする。少なくとも、ワタクシには、ね。 とまあ、ワタクシは学会でS先生のお話しを伺いながら、そんなことを思っていたのですが、読者諸賢のお考えや如何に?
April 27, 2009
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今日は学会がありまして、そいつに参加してきました。 で、今日はそこで拝聴してきた話のことを書こうと思ってさっきまで延々書いていたんですが・・・ 何かの拍子に、全文、消してしまいました~・・・。 もう、あまりのことに今日はもう書く気が失せましたので、今日書いていた内容についてはまた明日のココロだ~! でも、何も書かないのもアレなので、今日耳にした驚くべき話を一つ。 大型書店で「ジュンク堂書店」というのがあるではないですか。あれの名前の由来ってご存じですか? あれ、社長さんだか創業者さんのお名前から来ているんですってね! その方のお名前が「クドウ・ジュン」さんなのだそうで、それをひっくり返して「ジュン・クドウ → ジュンク堂」となったのだとか。ちらっと耳にした話なのでそれが本当の話かどうかは確認してませんが、話としては面白いですね。サントリーが「鳥居さん」からとられた、とか、「石橋」を逆にしてブリヂストンになったのとちょっと似てますな。 そういえば私が小学校6年生の頃、ピアノ発表会に出ることになったのですが、同じ位の年頃の連中が「月光ソナタ」なんかを弾くというのに、私は未熟だったので「花とみつばち」という子供向けみたいな曲しか弾くものがなく、それではあまりにカッコ悪いということになり、「花とみつばち」を逆さに読み、「チバツミトナハ」という曲名に変えて弾くことがほぼ決まりかけたことがありましたっけ。 ま、最終的には曲名を勝手に変更するのはまずいということになり、私も奮起して『美しき蒼きドナウ』を弾いたんですけどね。 本当は英語教育に関する高尚な話を書くはずが、くだらない話になってしまってスミマセン。 今日、書きかけた学会関連の話は、また明日以降書きますので、ちょっと待ってて下さいね~! それでは、お休みなさーい!
April 26, 2009
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プジョー306からアルファ156に乗り換えてほぼ1ヶ月。その間、何度か長距離も乗り、大分アルファというものが分かってきた今日この頃。この辺で一つ、アルファ156の何たるかを検証しておきましょうか。 ひと月乗ってみて、まず感じたのは、「イタリア車ってのは、どこか少し抜けているところがある」ということでした(爆!)。 中でも一番、あれ? と思ったのは、トランクに照明がついていないこと。今日日、日本車でトランクに照明がついてないクルマなんて無いだろうと思うのですが、アルファ156にはついてない。これはね、結構不便ですよ。夜とか、トランクから何かものを取り出そうとする時なんか、ものすごく不便。真っ暗で何も見えない・・・。そんな時、私はケータイのライトを使って何とかしてますが、それにしてもちょっとね・・・。 後、運転席左のアームレストが干渉するため、シートベルトがしにくいとか、インフォメーション・ディスプレイの操作に必要な「決定ボタン」が、予想外のとんでもないところに付いているとか、「何故?」と思うことは結構あります。 運転面に関して言いますと、「セレスピード」というシーケンシャル・ギアボックスの癖というのか、出だしの1速の繋がり、及び1速から2速への繋がりの制御が、やはりいま一つよろしくない。それを越えてしまうと、後はバッチリなんですけど、出だしだけはどうしてもギクシャクしますね。後、トルコン式ATと違って「クリープ」がないので、車庫入れなどが若干難しくなります。また、ちょっとした上り坂での坂道発進で一瞬後ずさりするため、後ろのクルマがビビるのが分かる。 また、セレスピードは5速なんですが、このギア比が少しローギアード過ぎます。例えば5速3000回転で、時速は110キロ。4速ATだったプジョー306では、4速3000回転で120キロまで行きましたから、プジョー4速のトップギアより、アルファ5速のトップギアの方がローギアードであることが分かる。高速道路をトップギアで走っていて、まだ上にギアがもう一枚くらいあるのではないかしら、という錯覚に陥ったのは一度や二度ではありません。勿論、これは騒音の面でも不利に働くわけで、実際、アルファ156は決して静かなクルマではありません。エンジン音もさほどいいわけではないし。 さらに、乗り心地に関して言いますと、これは明らかに硬過ぎですね。路面の凹凸をかなり明確に拾います。また高速でカーブを曲がる時など、路面にギャップがあると、その凹凸をサスペンションがいなしきれず、車体が吹っ飛ぶのが感じられる。柔らかく粘り強い接地感という点では、アルファはプジョーの足元にも及びません。 ・・・と、アルファ156のマイナス面を色々あげつらって来ましたが、この辺のことに関してはプジョー306があまりにも良いクルマだったこともあって、どうしても厳しい採点にならざるを得ませんなあ。 さて、今度はアルファ156の美点を挙げて行きましょう。 まず、予想外だったのは、このクルマが案外、燃費がいいこと。これだけローギアードであるにも関わらず燃費がいいのは、何だか不思議な気もしますが、おそらくトルコン式ATと違ってセレスピードはマニュアルシフトと同様、エンジンとギアがダイレクトにつながっているので、無駄がないんでしょうね。一般道中心に走っても、リッター10キロ近く行きます。高速道路中心なら13キロというところ。よくアルファのこのクラスのクルマの燃費について、リッター当たり6~7キロ、などと報告している記事を目にしますが、それはないですね。ま、それでもハイオク仕様なのが玉にきずですが。 走りに関して言いますと、先に述べた「出だし」の部分を除けば、セレスピードの変速はなかなか快適です。3速→4速→5速へのシフトアップは実にスムーズですし、面白い。またシフトダウンでエンジンブレーキを効かす時など、音からしてめちゃくちゃカッコいい! またエンジンは低速からトルクがあり、4速・5速でも結構粘ります。 でも走りに関して一番瞠目させられるのは、ハンドリングですね。これはね、「お見事」の一語。なだらかなカーブをなぞるにしても、直角の角を曲がるにしても、高速でレーンチェンジするにしても、ものすごく滑らかに、思った通りに、安定して曲がってくれる。クルマ自体が曲がることを喜んでいるのがよく分かるんです。プジョー306がいかにもFF的な、直進性を好むハンドリング特性を持っていたのに対し、アルファ156はFFなのにFRのような曲がり方をすると言えば分かり易いかしら。 というわけで、色々マイナス面はあるとはいえ、やはり運転していて面白いクルマではありますね。マイナス面、プラス面の両面を含め、運転操作・運転感覚がいちいち特殊なので、常に「今、アルファを運転している」という意識を持たせられるのが煩わしくも面白い、というのが正確なところでしょうか。 しかし、それらをすべてひっくるめて吹き飛ばしてしまうのが、アルファ156のエクステリア・デザインの美しさ。これはね、ワルター・ダ・シルバ一世一代の傑作。結局、アルファロメオというのは、簡単に言えば「一般庶民にも買えるフェラーリ」みたいなもんですからね。そいつに乗れるんだから、ごたごた言うんじゃねえ! というのが、おそらくアルファ側の言い分でしょう。そのお言葉の前に、ワタクシもまたひれ伏すしかない。 すべての面でよく出来ていた優等生のプジョー306と比べると、アルファ156には欠点も多く、確かに万人におすすめ出来るクルマではありません。が、クルマ好きの誇りにかけて、私はこのクルマとトコトン付き合い、乗りこなして見せましょう! そう、まずは左足ブレーキの練習から!
April 25, 2009
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先日、チャック・マンジョーネの『フィール・ソー・グッド』(正しくは『フィールズ・ソー・グッド』だと思いますが、何故か日本ではこう呼ばれているという・・・)なるアルバムを買って、それが昨日届いたので、昨日・今日とずっと聴いていたのですが、これがなかなか良くてね。 このアルバム、広く言えばジャズであって、ジャズの解説書などで推薦してあることが多いですが、限定すればジャズと言うよりはフュージョンですね。1977年の作品。ちなみに、チャック・マンジョーネはジャズ・トランペッターとしてキャリアをスタートさせたものの、その後「フリューゲル・ホルン」という楽器を吹くようになり、それで大成功を納めています。この『フィール・ソー・グッド』というアルバムは、そんなマンジョーネのフリューゲル・ホルンでの代表作ですね。トランペットとはまた味わいの異なる繊細な高音の美しさたるや見事なもので、さすが名手という感じがします。フリューゲル・ホルンでここまで高音を出すのは難しいのだそうですよ。 で、アルバムは標題にもなっている「フィール・ソー・グッド」という9分を越える長い曲で始まるのですけど、この曲、皆さんご存じ? いや、聴けば絶対に「あー、これ聴いたことある!」と思うはず。それほど有名な曲ですから。むしろ私が驚いたのは、この有名な曲のオリジナルがチャック・マンジョーネのこの作品だった、ということです。私も寡聞にして知りませんでしたが、この曲はマンジョーネが作曲していたんですね! でね、この曲を聴くでしょ。そうすると、何と驚くなかれ、目の前に1970年代が広がるんです。ぶぁーっとね。走馬灯のように。その感覚は、例えば1972年に出たチック・コリアの『リターン・トゥー・フォーエヴァー』というアルバムでも味わえますが、私の印象では、『フィール・ソー・グッド』はそれ以上。まさにタイムマシンですよ。一瞬のうちに、自分が1970年代に戻ったような気になる。 で、思ったのですが、1970年代というのは、結局「フュージョンの時代」だったのではないかと。だって、これが一番、1970年代のすべてを彷彿とさせるんだもの。喚起力という点で、フュージョンこそが1970年代をもっとも雄弁に語るような気がする。実際、あの時代は色々な対立する価値の融合が図られようとしていた時代だったのではないでしょうか。音楽の面で言ったって、「ジャズ」と「ロック」の融合から「フュージョン」が生まれたばかりでなく、「フォーク」と「ロック」、「ロック」と「クラシック」なんて組み合わせもあった。ベートーベンをロックで表現した「運命'75」なんて曲もありましたしね。 しかし、1970年代か~。それはまさに私が小学生から中学生に至るまでの時間だったなあ。周囲の刺激を、赤ん坊が母乳を飲むように、すべて吸い取っていた時代。「何は良い、何は悪い」という方向性のあるバイアスもなく、何でもかんでも摂取していた時代。日曜日と夏休みが光り輝いていた時代。自転車が唯一の移動手段だった時代。ビートルズの余韻を聴きながら、むしろカーペンターズに洋楽を教わり、オリビア・ニュートン・ジョンさえもステキだと思っていた時代。映画『ロッキー』や『サタデーナイト・フィーバー』がリアルタイムの話だった時代。 すべての価値観が融合し、核爆発していた時代、それが私にとっての1970年代であり、フュージョンでありましたよ・・・。 それらすべてが、『フィール・ソー・グッド』という一枚のCDで蘇るんだもの。音楽ってのはすごいもんです。 ということで、ひょっとしたら同世代の人にしか分からない部分もあるかも知れませんが、それとは別に、ジャズに興味がある人もそうでない人も、チャック・マンジョーネのフリューゲル・ホルンの美しさは分かるはず。彼の傑作アルバム『フィール・ソー・グッド』、教授の熱烈おすすめ!です。これこれ! ↓フィール・ソー・グッド / チャック・マンジョーネ
April 24, 2009
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何だか、昨日・今日と芸能方面から驚くようなニュースが飛び込んで来ますね。 まずは清水由貴子さんの自殺。そういえば最近見かけなかったなと思いますが、それにしても私なんかの世代からすればよっぽど名の通った芸能人なのであって、その方がそれほどまでに苦労人であって、そんなにまで疲弊しきっておられたのかと思うと、気の毒でなりません。 報道によると、看護疲れもさることながら、同世代のお仲間が皆結婚されている中、どうして自分は、という思いもあったようですが、清水由貴子さんのように真面目で、明るくて、あどけない童顔にいつも笑顔を絶やさないような人に惚れる男が一人もいなかったんですかねえ・・・。それとも、そういう人はいたけれど、ご母堂様のこと等を考えて清水さん自ら身を引いてしまわれたのか。 もっと幸せであってもいいような人が、あんなに寂しい亡くなられ方をしたかと思うと、こちらまで寂しくなりますなあ。悩みを相談できる人とか、彼女の日常のことをよく知る人の中で、一歩踏み込んでおせっかいを焼いてあげる人とか、いなかったんですかね。 そして、今日は今日で世間の耳目を驚かせた草なぎクンのあの事件。 ま、あのグループの中でも私は特に彼に対して好感を持っておりまして、例えば『ぷっすま』におけるユースケ・サンタマリア氏との絶妙のコンビぶりに毎回腹を抱えていただけに、その彼が、まあ、身から出た錆とはいえ、こんなことになってしまって気の毒でなりません。「公然猥褻罪で逮捕」だなんて、一生、ついて回る汚点ではないですか・・・。 しかし、そもそも今回の件ってのは、「逮捕」に値するほどのことなんですかねえ・・・。酔った勢いで未成年と淫行とか、そういうのであれば言語道断、確かに猥褻罪で逮捕も止むなしというところですが、彼の場合はただ泥酔して人気の無い公園で裸になって一人で騒いでただけでしょ? ま、付近の住民にとっては迷惑至極でしょうから、彼らが警察に通報するのは分かります。だけど駆けつけた警察官も、彼が「あの」草なぎクンであると分かったら、とりあえず交番へでもしょッ引いて行って、きつい説教の一つもして、事務所の誰かに身元引き取りに来させる位にしておけばいいものを。事には軽重というものがあるでしょうに・・・。 しかも、報道によると警察は家宅捜索までやったというではないですか。どうなんですか、それ。警察ってのは、酔っぱらいを捕まえる度に、いちいち家宅捜索をやるんですかね? 片や殺人事件なんかが次々に時効になっている時に、ですよ。酔っぱらいの家宅捜索なんかやっている間に、他にやるべきことがあるんじゃないの? と言いたくなりますわ。 それにしても、彼はどうしてあんなふるまいに及んだんですかね・・・。人気商売ですから、やっぱり日頃から色々ストレスがあったのでしょうか。また直前まで一緒に飲んでいた人がいたのなら、泥酔している彼をせめて家まで送り届けるとか、そういう配慮はなかったんですかねえ。 清水由貴子さんにしても、草なぎクンにしてもそうですけど、芸能界ってのも、案外寂しいところなのかも知れませんなあ。 芸能界の寂しい皆さん。何か辛いことがあったら、不肖・釈迦楽、相談に乗るよ。名前からして、「釈迦のココロで楽」にしてあげるんだから。
April 23, 2009
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レンタルDVDで『アイ・アム・レジェンド』を見ました。ウィル・スミス主演のSF映画です。(以下、ネタばれ注意) 時は近未来。ガンの特効薬として「麻疹ウィルス」を元に遺伝子操作で作られた新型ウィルスが、その副作用として人間(動物)を兇暴化させてしまうことが発覚。しかし時すでに遅く、あっという間に全世界規模で蔓延したこの病気により人類の大半は死亡、ウィルスに冒されながら生き残った連中も、その大半は兇暴なゾンビと化し、先天的に免疫のあるごくごくわずかな人間だけが、まともな人間として生き残ったという設定です。 で、ウィル・スミス扮するロバート・ネヴィル博士は、その免疫のある人間の一人で、広いニューヨークにたった一人隠れ住み、このウィルスを治癒する血清の開発に取り組んでいる、と。 もちろん、彼はゾンビから見たら恰好のエサであるわけですが、ゾンビは太陽光線の紫外線に弱いので、昼間は外に出てこないわけ。だから博士は昼間は安心して外を出歩けるんですな。なにせニューヨークの街がすべて彼一人のものですから、昼間は食べ物やガソリンなど、生活に必要なものを荒れ果てたお店からかっぱらってくる、と。もちろん、他の人類は死滅してますから、かっぱらったって誰からも文句を言われるわけもなく。 だけど、夜になるとニューヨークはゾンビのうろつく危険な街になってしまうので、博士は鉄の扉ですべての窓を覆った隠れ家に、愛犬サムとひそかに籠るしかない。昼と夜で、そういう激しいギャップを抱えながら、彼はここ数年、ずっと生活してきたわけですよ。 で、そんな中、失敗の上に失敗を重ねてきた彼の研究がついに実を結び、ひょっとしたらこのウィルスに対する治療薬になり得るかもしれない薬の開発に成功する、と。さて、動物実験では吉と出たこの薬、果たして人間にも通用するものなのか、通用するとして、飢えて襲ってくるゾンビたちの歯牙にかかることなく、それを広めることができるのか。ネヴィル博士の運命や如何に! ・・・ってな話です。 で、この映画に対する私の私的評価ですが・・・ 69点でーす! 残念! 惜しいところで不合格の採点が出ましたっ! まあね。所詮、ゾンビ映画ですよ、ゾンビ映画。「話せば分かる」が通用しないどころか、死をも恐れず、ただひたすら動物的に襲ってくる大勢の連中に囲まれて、僕どうしよう、というゾンビ映画のワンパターンが恥ずかしげもなく使われている映画ですからね・・・。全体的な評価としては、ま、こんなもんでしょ。 しかーし! それじゃこの映画は100%面白くないかというと、実はそうでもない。この映画を見ていると、この種の映画の魅力について、色々と考えさせられるところがあるんです。つまりね、「世界の中に俺一人」というシチュエーションの魅力を、この映画はよく理解してるな、と思わせられるところがあるんですね。 『アイ・アム・レジェンド』の他に、例えば『28日後』にしても、あるいは『バイオハザード』だっていいんですけど、ふと気がつくと見慣れた大都市から人が一人もいなくなって、自分だけ一人ぼっちになってしまった、というシチュエーションが映画の中で描かれるケースがよくある。で、このシチュエーションというのは、実に人間のある種の願望を表してはいないかと思うんです。 皆さんだって、こういうシチュエーションを夢見た経験が一度や二度、ありませぬか? 本来人が沢山いるべきところなのに、人っ子一人おらず、いるのは自分だけという、不気味な、しかしある意味爽快なシチュエーションを。 だって、ほかに誰もいないんですもん。何をやってもいい。誰からも怒られることがない。誰からも止められない。デパートで買い物をしようったって、他に客もいなければ店員もいないのだから、好きなだけ選んで、そのまま支払いもせず出てきてしまったって構わない。ディズニーランドに行ったって、行列に並ぶ必要もなく、すべての遊具が自分のためだけに動いている。そういう圧倒的な自由の持つ魅力。もちろん、自分の他に誰もいなければ寂しいことは寂しいでしょうが、それ以前に、今まで経験したことのないこの種の自由を一度味わってみたいという願望は、きっと誰しも一度は持ったことがあるのではないかと思うんです。 例えば、『浦島太郎』のような昔話だって、そういう側面はないでしょうか。自分ではいつも通りのつもりなのに、ふと気がつくと自分のことを知っている人が誰もいない。すべてのしがらみが、いつの間にか消えている。おそらく浦島太郎もまた、「この世に俺しかいない」という感覚を味わったのではないか。そう考えると、こういう昔話のレベルでも、「世界の中に俺一人」というシチュエーションへの人間の願望が顕れているような気がする。 結局、『アイ・アム・レジェンド』的な映画の魅力ってのは、そういう人間の持つ基本的な願望に根ざしているところにあるんじゃないでしょうかね。 で、そういう観点から言いますとね、『アイ・アム・レジェンド』という映画は、ネヴィル教授が誰もいないニューヨークの街でたった一人で生活するその日常を、かなりの時間を割いて延々と描いているという点において、他の同種の映画よりはよっぽど面白いな、と思うわけですよ。例えばネヴィル博士がニューヨークの港に停泊した航空母艦に艦載された戦闘機の尾翼の上から、ニューヨークの街に向かって打ちっぱなしのゴルフをするシーンがあるんですけど、そういう「他に誰一人いないから、こういうことができる」という一つ一つのシーンの積み重ねが、かなり面白いわけ。前半の1時間ほどはそんなシーンばかりですもんね。 というわけで、ワタクシもまた、一日だけでいいから「世界の中に俺一人」という状況をちょっとだけ味わってみたいと思っている人間の一人として、『アイ・アム・レジェンド』という映画をほんの少しだけ評価しているのであります。読者諸賢のお考えや如何に?
April 22, 2009
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さて、昨日の続きを。 二日目の朝、小鳥たちの鳴き声に起こされ、宿のベランダの餌台に群がる小鳥たちと一緒においしい朝食をとる幸せ。これだよなあ、これが人間の暮らしってもんじゃないの? で、お世話になったベルクコットのオーナー夫妻に別れを告げ、我ら夫婦は蓼科を後にし、「エコーライン」を使って小淵沢までひとっ走り。途中、京都造詣芸術大学附属の「康曜美術館」に寄ろうと思ったのですが、生憎、休館日。仕方なくそのまま小淵沢へ。 で、小淵沢でとりあえずランチということになり、前から気になっていた「メーラレン」という北欧料理の店へ。すべてコース料理ですが、1680円のランチを選ぶとまずはニシンのマリネ、マスタードソースが口取りに。北欧料理の定番ですね。そしてトマト系のスープとサラダの後、メイン登場。肉料理・魚料理が選べますが、今回は肉料理を選び、これまた北欧料理の定番であるミートボールが登場。これ、甘いジャムをちょっと添えて食べるのですけど、なかなかおいしいものです。それから一緒に出てくるライ麦パン、これがまた美味。ま、料理の量が北欧サイズというか、すごいボリュームで出てくるので、さすがの私も少し残してしまいましたが、全体的な味としてはまあまあ合格点というところでしょうか。一度お試しあれ。 満腹になった我らが次に向かったのは、ホテル・リゾナーレに附属するショッピング・モール。ここ、20位のお店が連なるモールなんですが、それぞれのお店がセレクトショップのようで、他ではあまり見かけないものも売っていたりして、流して歩くには面白いところなんです。で、今まで何度も訪れたところなのですが、今回、なんとこのモールにブック・カフェがあるのを発見! いや、もともとあったお店なんでしょうが、ちょっと奥まったところにあったので、今まで気がつかなかったんですな。で、中に入ってみると、音楽・美術・インテリアなど、趣味方面の本の品揃えがばっちりで、いや~、これは2時間くらい遊べそうです。ま、今日のところは我慢してそこまで粘りませんでしたが、次回、ここへ来る時はもっと時間の余裕を見ておきたいな、と。 さて、リゾナーレでのウィンドウ・ショッピングを楽しんだ後、ジャムの店「とりはた」へ向かい、ここでしこたまジャムを仕入れてから、次にこのブログでもおなじみの「月の手工房」さんに寄って、有吉さんの作る陶器と奥様のあいざわゆみさんの作るガラス工芸作品を見ながら、ひとしきりおしゃべりを楽しみます。やはり同年代のアーチストの作るものというのは感覚が合うもので、お二人の作品のどれもが欲しいものばかり。結局、有吉さんの陶器の大皿と、あいざわさんのガラスのピンブローチをゲット! 可愛いドラゴンちゃんが描かれたピンブローチは、ネクタイピンとしても使えそう。 で、お二人の工房を後にした我らは、午後のお茶をしに「ギャラリー折々」へ。で、案の定いらしたここの主、アーチストの本杉琉さんにお目にかかって、これまたひとしきりおしゃべりを。本杉さんは最近、早大教授の細川英雄さんが書かれた『土間犬ものがたり 八ヶ岳南麓、薪ストーブのある暮らしから』という本に挿絵を提供されたのですが、どういうきっかけで細川さんと知り合いになったのか、というような話を伺って興味津々。一方、本杉さんの方も、私がなんでアルファロメオに乗っているのか興味津々で、双方、そのあたりの近況を報告しつつ、本杉さん自ら淹れて下さったおいしいコーヒーをいただきながら、楽しいひと時を過ごさせていただきました。 さてさて、大分日も傾いてきたところで、我らは折々をお暇することにし、今日の最後のイベントとして、八ヶ岳アウトレットで少々お買い物を。家内は対して獲物がありませんでしたが、私はコーチの店で黒い小さな名刺入れをゲット。こういうの、ちょっと欲しかったんですよね~。そしてこの後、吉例に従って「カントリー・キッチン」というお店で美味なるステーキ丼をいただき、これを持って今回の八ヶ岳ツアーのすべてが終了。ズームライン・中央道と通って帰宅の途につきました。もちろん帰りもETC割引が効きますから、高速代は1000円なり。 ということで、先週末の八ヶ岳ツアー、強行軍ではありましたが、自然とアートとショッピングとグルメと、それぞれ存分に楽しむことが出来て、大満足でありました。やっぱり、将来的にはこちらに定住するしかないな。などと決意を新たにしつつ、旅行記を終わりたいと思いマース。それでは皆様、また明日!
April 21, 2009
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ひゃー、旅行から帰ってきました~。どこに行ったかって、そりゃ、私の将来の住処、八ヶ岳に決まってるじゃないすか! 何せ今や土日祝日なら八ヶ岳まで中央道を使って1000円ポッキリですからね。行くしかない。 というわけで、土曜日は昼前に家を出て一路八ヶ岳へ・・・と言いたいところですが、途中、園原インターで下り、昼神温泉方面へ。実は今、このあたりは「花桃」の盛りでね。そいつをちょっと見ていこうというわけ。 でもその前に腹ごしらえ。昼神温泉の周辺には「おんびら」「末廣」という二軒の蕎麦の名店があると聞いていたので、そのどちらかで昼食をとろうと思っていたのです。で、とりあえず「おんびら」の方を覗くともう駐車場はクルマで一杯。ということで、今回は「末廣」で蕎麦をいただくことに。注文したのは「辛味大根のぶっかけ」という蕎麦ですが、ま、腰のある蕎麦にピリリと辛い大根おろしがアクセントとなって、なかなかおいしいものでしたね。ま、私の好みから言うと、もう少し蕎麦が細めであるともっと良かったのですが。あと、ちょっと冷水で締め過ぎかなあ・・・。 で、末廣の蕎麦を楽しんだ後、肝心の花桃見物です。花桃ってのは、白いのと赤いの、それにピンクのがあるのですが、不思議なことに一本の木に白・赤・ピンクの三色の花が咲くものもあるんです。あれは一体、どういうことになっているのやら。でも、何せ一本の木に色々な色の花が咲くわけですから、何だか妙に華やかで、それが一斉に咲いていると極彩色の絵巻のようでございます。一見の価値はありますぞ~。 さて、蕎麦と花桃を堪能した私と家内は、再び中央道に戻り、一期に岡谷まで向い、そこから一般道を使って和田峠へ。そしてそこから霧ヶ峰方面を目指して真紅のアルファを飛ばします。たおやかな霧ヶ峰の連なりを眺めながら、なだらかなワインディング・ロードを走っていると、日頃のストレスもどこかに飛んで行きますなあ・・・ と思ったら! 突然、目の前に巨大なものが飛び出してきたっ! なんと、大きな大きな野生の鹿でした。急ブレーキをかけて辛うじて止まりましたが、危うく衝突するところだった・・・。おいおい、一昔前のボルボのCFみたいじゃないか。おどかすなよ・・・。ひゅー、それにしても危なかったぜ。 さて、気を取り直しまして、車山を通過、白樺湖から大門街道を抜けて蓼科へ。今日は蓼科で一泊です。宿は馴染みのベルクコット。ここは料理もうまいし、薪ストーブがあって、炎を見ながらの寛ぎが味わえるんですよね。しかも夜も更けてくると、近くに住むらしい野生動物が宿の近くに出没するのを見ることが出来る。今回も黄テンと穴熊、それにタヌキを見ることが出来ましたよ~。 ちなみにベルクコットには、各部屋に今は懐かしい「テレビデオ」が備えつけてあるのを知っていたので、食後、持参したビデオで『ネバーランド』を観賞。ジョニー・デップ主演で、『ピーター・パン』の作者として知られるJ・M・バリの生涯を描いたこの映画、感動の大作というほどではないですが、まあまあの佳作ってところですかね。ま、肺病(?)で若死にするヒロインを演じたケイト・ウィンスレットの顔色が実に良くて、とても瀕死の人に見えなかったところがちょっと興ざめでしたが・・・。 ということで、初日は終了~。翌日は小淵沢へ向かうことになるのですけど、この続きはまた明日のココロだ~!
April 20, 2009
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我が家のDVDプレーヤー(兼VHSプレーヤー)が壊れたのが1年ほど前。それ以来、ずっとほっぽらかしてあったもので、その間、レンタル・ビデオ屋さんにも行ってなかったんですけど、ようやくそれを直したこともあり、久し振りに何か借りてくるか、ということになりまして。 で、夕食後、のこのこと家の近くにあるレンタル屋さんに行ったのですけど、ほぼ1年の間、ご無沙汰していた間に、大きな変化がっ! ビデオ(VHS)が一つも置いてない・・・。がーん! 以前であれば、ちょっと古目の作品なんかでVHSのレンタルもあったのに、今日、久し振りに行ってみたら、VHSが店内から完全に一掃されておりました~・・・って、そんなの皆さん、とっくにご存じ? いや~、ついにVHSが無くなる日が来ましたか。 まあね、確かにスペース効率という面から見ても、劣化の面から見ても、そりゃあDVDの方がVHSより優れておりましょう。が、何て言うの、その「人間味」から言うと、VHSの方が好きなんだけどなあ。VHSは、要するにカセット・テープからの類推で、何となく映像が映し出される原理みたいなものが理解できる感じ(あくまでも「感じ」ですけど・・・)がありますでしょ? DVDは、わけ分からんですもんね。 それにね、大学の授業で使うとなると、DVDよりVHSの方が遥かに使い易いんですよね~。「前回はここまで見た」というのがすぐ分かりますから。 しかし、ソフトが無くなれば、当然ハードの方もじり貧になるわけで、今、家にあるVHSの山、あれ、今のうちにDVDに移し替えないと、いずれ見れなくなるんでしょうなあ。面倒臭いなあ。 ほんと、記憶媒体ってのは、不安定なものですよね。今、フロッピーディスクなんて、もう読めないですもんね。カセットテープも、もうだめ。とすると、DVDだっていつまでもつやら・・・。 さて、話は変わりますが、私、明日からちょいと小旅行に出掛けます。また帰って来たら、その報告などをしますので、お楽しみに! それでは、皆様もよい週末をお過ごし下さいませませ。
April 17, 2009
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今、我が家のあるマンションは大規模補修工事の真っ最中。あちこちに工事関係の仮設塀などが出来ているのですが、その塀に張られたシートに変な綴りの英語を発見!これこれ! ↓ 「Safty」とは何ぞや? ま、多分、「Safety」のつもりで書いたのでしょうけどね。それにしてもこのシート、あちこちの現場で使うのだろうと思いますが、それだったらもう少し慎重に作れば良いのに・・・。 と思いながら大学に行くと、廊下に何やら見慣れぬポスターが・・・。ナニナニ、「SCS(=すいがら・Cleanning・Smokers)」とな? これこれ! ↓ これ、タバコの吸いがらをポイ捨てしないように呼びかけたポスターなんでしょうけど、「Cleanning」ってのはどうよ。なぜ「n」がダブル? それを言うなら「cleaning」でしょ? このポスター、うちの学生が作ったんでしょ? あーん、恥ずかしいなあ。大学生にもなって「クリーニング」もまともに綴れないのかよっ! 工事現場のシートを笑えないじゃないか・・・。 ま、外国の方たちだって、変な綴りの漢字をTシャツなんかにプリントしているんですから、おあいことと言えばおあいこなんですけど、それにしても英単語を公の場所に書く時はちょっと辞書引きましょ。そのための辞書なんすから・・・。
April 16, 2009
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妙に覚えられない単語ってないですか? 私の場合、英単語にもそういうのが幾つかあって、その時は覚えるのですが、しばらくするとまた忘れて辞書を引き直す。でまた次の機会にその単語が出てくると、やっぱり忘れていて、結局また辞書を引き直す。そういうのを何度も繰り返してしまうわけ。 で、英単語ならまだしも、私の場合、日常語にもそういう「覚えられない単語」ってのが幾つもある。 その一つが「タコライス」です。今日、タコライス食べたんですけどね。 例えば「今日のご飯はタコライスよ!」と家内が言うのを聞く度に、まず頭の中に思い浮かぶのは、タコのぶつ切りが入ったチャーハンみたいなもの。で、その都度「いやいや、タコライスの中にタコは入っていないんだ」というところまでは思い出すのですが、そこから先のイメージが湧いてこないわけ。タコライスって、どんなんだっけ? で、ウーンと考えた末に毎回出てくるのが、ご飯の上にハンバーグと目玉焼きが乗ったもの。そうそう、確かそんなんだったよなあ・・・。 それは、「ロコモコ」! そうだ! それはロコモコだ。・・・じゃ、タコライスって何だっけ? で、仕方がないので家内に聞いて、ジャンバラヤ風のスパイシーなピラフの上にレタスの千切りとトマトの荒微塵が乗ったものだ、ということが判明する、と。で、「タコライスのタコは、タコスのタコよ!」と毎回教えてもらって、なるほど、そうだった、そうだった、と納得する。で、実際食べると、うまい。 だけど、またしばらくすると忘れるんだよな~、コレガ・・・。ま、我が家の場合、タコライスが食卓に上る頻度って、半年に一回あるかないかですからね。ちょうど忘れた頃に次のタコライスがやってくるんだ。 ということで、どういうわけかいつまで経っても「タコライス」が覚えられないワタクシなのでありました、とさ。きっと次も「タコライス→タコは入っていない→ハンバーグと目玉焼き→それはロコモコ→じゃ、タコライスってどんなんだっけ→タコスのタコ!→そうだった、そうだった→おいしいなあ」を繰り返すことでございましょう・・・。
April 15, 2009
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先日、今年度最初の授業として、こういうテキストを使って、こんな具合に授業を進めて行くよという説明をし、じゃ、本格的な授業は来週から、ということにして早めに切り上げた時のこと。 教室を後にしかけた私のところにきりりとした顔立ちの女子学生がつかつかと近づいて曰く、「今から3年ほど前、オープンキャンパスの時にお話しをして下さったのは先生ですか?」ですと。 うーん、3年前・・・。ちょっと前なら覚えちゃいるが、3年前だとちと分からねえなあ。(あんた、あの子の何なのさ)。 と、その学生、さらに問うて曰く、「その時、映画『キングコング』の話をちょっとして下さったのですが・・・」。 あ、それならワタクシだ。得意の持ちネタだもん。で、それが何か? 「その時のお話しがすごく面白くて、この大学に入ることを決意しました。その先生の授業を取ることが出来てとても嬉しいです!」 な、何と! そんな可愛いことを言ってくれるイイコちゃんが居たのね! 教師冥利に尽きる~! ところが、ところが。今日、授業を終えて研究室に戻ると、先日の学生とは別の女子学生が私を待ち構えているではありませんか。あー、君ね、『キングコング』の話をしたのはわ・た・し! すると彼女曰く、「あのー、先日、先生の授業で履修票を提出したのですが、数えてみたら2つほど授業を取り過ぎていることが分かりまして。で、やっぱり先生の授業は取らないことにしたので、履修票を返していただけませんか」ですと! ぶぁーか! この大学で一番面白い授業を取らずに他の授業取ってどうすんだよっ! 切るなら他の授業を切れ! ・・・と喉元まで出かかりましたけど、そこは私もぐっと堪えて、笑顔で対応しました・・・。後でちょっと泣いちゃったけど・・・。 ま、私の影響でこの大学に来る奴もおり、私を見限って他の授業を取る奴もおり。それが世の中ということでございましょう。 ということで、嬉しいような、悲しいような、年度のはじめなのでございます。やれ、やれ・・・。
April 14, 2009
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今日は数年前に卒業した私のゼミ生のNさん、いや、今はご結婚されてSさんが同期の友達2人を連れて大学に遊びに来てくれました。わーい! ま、本来ならどこかレストランにでも繰り出して、皆でご馳走でも食べながらじっくり話を聞きたいところですが、残念ながら今日はばっちり授業のある日なので、そういうわけにも行かず。代わりに皆でお弁当を買ってきて、昼休みの空き教室でそいつを食べながらのトークとなりました。同僚の先生も3人、我々の仲間に加わりましたので、教員4人、卒業生3人、総勢7人のお弁当パーティーです。 Sさんは、結局、大学に遊びに来るのは卒業以来だったのかな? っていうか、私も直接会うのは何年ぶりだろう・・・? でも年賀状のやりとりや、このブログ上でのやりとりもあるので、実際に会ってもブランクが感じられず、まるで昨日まで私のゼミに居たような感じです。もっとも、Sさんは既に小さなお嬢ちゃんのお母さん、そしてもうすぐ二人目のお嬢さんが生まれるというところなんですけどね! ちなみに、これから生まれようとしているお嬢さんのためにSさんが選んだ名前というのが、私の好きな女性名だったのでビックリ。Sさん、さすが我が弟子、いい趣味してるね! しっかし、ゼミにいた頃からSさんはしっかりしていて、何にしても安心して見ていられるタイプでしたけど、それはやっぱり今も変わっていませんでしたなあ。ご結婚されて5年目、しっかりと家庭を築きつつ、子育てが一段落したらもう一度社会に出てみたいというような希望もあるとのこと。物事をしっかり考えて行動する芯の強い女性ですから、その希望は必ずや実現することでありましょう。Sさん、応援してるよ、頑張ってね! 一方、一緒にくっついてきたAさんはというと、これは相変わらず波瀾の多い人生を歩んでおるようで・・・。学生時代、インドに一人旅し、法定伝染病の腸チフスをお土産に帰国、治療のために隔離された経験すらある彼女。非常に有能な社会人ですが、プライベートで男運が悪過ぎ! ここでは書けないような妙な性癖の男とばっかり付き合って、いかん、いかん! 話としては面白いけど、世の中にはもっといい男がいるでしょうに。でも、彼女の場合、自ら危ない方向に走っていきそうな性格なので、まだまだこの先も波瀾万丈っぽいな・・・。 そしてもう一人のYさん、こちらも税関関係のお仕事を立派にこなす有能社会人ですけど、燃えるような恋愛の末にゴールインを迎えるような相手に出会っていないのが悩みのタネといったところのようで。ま、決してこういうケースは少なくないんですよね。三拍子揃っているのに、何故か決定的な出会いがないというケース。でも大丈夫よ、Yさん。必ずあなたにぴったりの人がどこかにいるんだから。それでも不安なら、いいよ、また大学に遊びにいらっしゃい。何せ私は大学内の地下組織、「愛の最高裁」の判事なんだから。いつでも相談に乗るよ~。 ということで、三者三様の卒業後の人生ですけど、面白いもんですなあ。でも、それぞれ異なるから面白いんだよね。SさんもAさんもYさんも、また大学に遊びに来て、近況を知らせて下さいな。僕は君たちの人生に興味津々だよ! そしてOG三人が帰った後、今年度初めてのゼミがありました。今年のメンバーは7人。例年以上の大人数ですけど、なかなかノリのいい連中のようで、出だしは好調。また顔と名前が一致したばかりですが、これから一年間、彼女らの成長がまた楽しみです。 今日は可愛い可愛い卒業生たちと、これから私の可愛いゼミ生になる学生たちの両方に会って、何だか柄にもなく「センセイ」っぽい感じになっているワタクシなのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
April 13, 2009
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さっき映画の予告編を見ていたら、ピザを人づてに注文するシーンがあって、頼まれた人が「トッピングは何にする?」と尋ねたわけ。それに対してジュリア・ロバーツが「なんでもいいわ、適当にそっちで選んでおいて」という意味のセリフを言うんですが、それがカッコよかった。 彼女は「Surprise me.」と言ったんです。直訳すれば「私を驚かせて」ですけど、なるほど、「選択はそっちに任す」という意味になりますね。いつか、自分自身がこういう場面に遭遇した時、「サプライズ・ミー!」と言ってみようかな。 それはさておき、今日は何だか久し振りに日曜日らしい日曜日となりました。 まず朝は朝寝坊。そしてのんびり新聞なんか読んでいるうちに昼になったので、昨日の夕食の残りの「牛スジ肉のシチュー」を温め、これをドライ・トマト入りのパンとブルーチーズ、それに赤ワインと共に食し、食後はペーパー・フィルターで淹れたコーヒーで〆。昼間に飲む赤ワインは効きます。 で、ほろ酔い気分になりながらも午後は仕事で原稿書き。 夕方のお茶は「芳光」の和菓子にほうじ茶。 で、少々テレビなんかも見たりして、夕食後は再び原稿書き。 で、深夜のお茶をして今に至る、みたいな。 もっともこの間、勤務先大学に就職したばかりの頃にお世話になった大先輩が亡くなった報せがあったり、タクシーの運転手をしている友人から、このところの不況でまるで稼げないので、GW恒例のバーベQには参加できない旨の連絡が入ったり、ちょっと考えさせられることもありましたが、それも軽い春愁として通り過ぎて行きました。 ということで、今日は何だかのんびりした一日を楽しんだワタクシだったのでした。皆様の週末は如何でしたかな?
April 12, 2009
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本ブログをお読みの皆様、「ループタイ」って、どうです? どんな印象をお持ちですか? 「定年を迎えたじいさんのお出かけ用」? いや~、ワタクシ、実はループタイというものに昔から非常に興味がありまして。でも人に聞くと「えー、だってあれは年寄り臭いじゃん」と言われるんですよね~。家内もそう言いますし。 確かに、大学時代、結構年配の教授でループタイがお好きな方がいらっしゃいましたが・・・。世間的には、そういうイメージなんでしょうなあ・・・。 だ・け・ど。あれ、別に若い人(といって、私ももはやそう若くはないですが)がしたって別にいいと思うんですけどね。どうなんざんしょ。 ちなみに私が「あの人のループタイ姿はカッコよかった」と思うのは、クリント・イーストウッドです。『ダーティー・ハリー』のどれかで、彼がループタイ姿で登場するんですけど、それがカッコよくてね。だから、私としてはループタイに「じいさん臭い」といった偏見はないんですな。 第一、あれはきっと涼しいと思うんですよね、首回りが。逆に、一般のネクタイというのは、いわば襟巻きみたいなものですから、いくら絹製といっても真夏に首に巻けば暑いのは当たり前。 ということで、渋る家内を尻目に楽天市場を探していたら、おっと、それなりに若向けのループタイが売っているではありませんかっ! これこれ! ↓ メール便送料無料■最安値に挑戦!コインループタイ♪ループタイ揃えてます【エリザベス女王... メール便送料無料■クレストループタイ♪ループタイ揃えてます【クレストボタンループタイ/ブ... ということで、試みに買ってみた、と。(え~、マジ?!) さてさて、この野心的(?)な試みが吉と出るか凶と出るか。ちょっと楽しみな私なのでありました、とさ!
April 11, 2009
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何だか急に暖かくなりましたなあ。暖かいどころか、暑いくらい。 そーいや学生の頃、アメリカ人の英語の先生が「日本人は何かというと『日本には四季があって・・・』と自慢するけれど、そんなの嘘っぱちだ。日本にあるのは4ヶ月間の冬と8ヶ月間の夏だけだ」とやたらに憤慨していて、何言ってるの、このおっさん、と思っていましたけれど、最近、彼の言っていたことは正しかった、と思えるようになりました。「寒い」の後にいきなり「暑い」が続きますもんね。 さて、それはさておき、今日は静岡にいる友人のKさんが名古屋に来るというので、夜、名古屋の駅近くで会い、夕食を共にしました。 Kさんは腕利きの脳外科医。なんでそんな業種の人と友達になったかといいますと、10年ほど前にロスアンゼルスのUCLAで在外研究していた時、彼もロスの有名なシーダース・サイナイという病院に勉強に来ていて、借りていたアパートも近かったこともあり、すっかり意気投合してしまったんですな。当時は彼も奥さんと二人きりでしたから、私と家内も合わせて4人でよく遊んだものです。 その後、日本に帰ってからも連絡を取り合い、家族ぐるみでの付き合いが今も続いているのですが、そんなKさんが今度学会発表のために単身名古屋に来るというので、それじゃあ景気つけに一緒に飯でも食おうということになった次第。 で、こちらとしても名古屋の味でおもてなしをしようと思い、今回は有名な「世界の山ちゃん」という店で手羽先のから揚げを堪能してもらおうとしたのですが・・・ 金曜日の夜だからなのか、あるいはこの時期、新歓コンパなどもあるのでしょうか、世界の山ちゃんはどの店舗も予約で一杯。仕方なく、名古屋駅周辺の目ぼしい店を当たってみたのですが、どこも予約が取れず。あーん、せっかくKさんが来るのに~。 で、店の確保に失敗した私。名古屋駅前、JRタカシマヤのレストラン街に行けばどこかに入れるだろうと腹をくくり、予約も何もなしでKさんを出迎えたという。 で、レストラン街をうろうろしていたところ、「ビストロ&ビアカフェ カンカル」というお店がちょっと良さそうだったので、そこに入ることに。 そしたら、それが大正解。この店、いいわ。気に入っちゃった! まずね、ビアカフェを名乗るだけにビールの種類が豊富。世界中の珍しいビールが飲めるので、何を飲むかを選ぶだけでも楽しくなってきます。 でまた料理がね。珍しい料理が沢山あって、しかもどれも旨い! 今日は「ウサギのパテのパイ包み」みたいなのと、「ネギのキッシュ」、それに「ムール貝のボルドー風」に、「クスクス&チキン」、そして「エンダイブのグラタン」、そして最後にエスプレッソとベルギー・ワッフルのアイスクリーム乗せを頼みましたがどれもすごくおいしかった。特に「チキン&クスクス」は絶品。私、クスクスって、何だかパサパサして特に好きでもないのですが、ここのはスープに浸されたクスクスが実においしくて、次もこれを注文しよう!と思うほどのものでした。 しかも我々のテーブルを担当してくれたウェイトレスさんがとても感じのいい人だったせいか、Kさんはこの店がすっかり気に入ってしまい、隙を見ては彼女に話しかけようとし、私を指して「この人がこの店を近々歓送迎会に使うって言ってますよ」などといい加減なことを言って面白がっていました(コラッ!)。というわけで、名古屋JRタカシマヤ12階にあります「カンカル」、教授の熱烈おすすめ!です。 で、カンカルの料理とビールを楽しみながらお互いの近況を報告しあったのですが、何せKさんはドクターですから、病院や医局をめぐる様々な事情の話題が面白くて、爆笑に次ぐ爆笑。難手術を引き受け、莫大なお金を受け取り、アウディR8に乗って去っていくブラックジャックのような売れっ子外科医の儲かり具合とか、テレビなどで取り上げられて神様扱いされている某脳外科医の手腕の実態とか、ここではあからさまに書けないようなことも含め、興味津々のお話しを聞かせてもらいました。ま、神の手を持つ外科医について言えば、その人が悪いというよりは、テレビの取り上げ方・持ち上げ方が悪いのですけどね。 さらに、患者を不条理に怒鳴りつける人間失格の医者だの、医局では医者より偉い看護婦さんたちにまつわる仰天の話だの、色々聞きましたけど、医療の世界にも困った奴がいるものですなあ。 そんな中、我らがKさんは、同じ人間としての目線で病に冒された人を治すことを目指して頑張っているんだから、友人として誇らしく思います。ま、医者の本道を歩んでいるのですから、きれいな女の人を見るとすぐ声をかけたがるくらいのことは、目をつぶりましょう。 というわけで、久し振りに遠方の友を迎え、いい店を発見し、楽しいひと時を過ごすことができたのでした。Kさん、明日の学会発表頑張ってね~、と祈りつつ、今日も、いい日だ!
April 10, 2009
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今日は何の日、ふっふ~! 今日はね、ワタクシの誕生日。皆様、おめでとうと言って下さいな。 ということで、今朝はあちらこちらからお祝いのメールやら、電話やら、プレゼントが届き、また大学では同僚のK教授(兄貴)にランチを奢っていただきまして、感謝、感謝でございます。 ま、既に「アラフォー」と名乗ることもできない年齢となってしまいましたが、気分的には14歳の時とあまり変わらない感じでおりまして、客観的に言えば堂々「おっさん」のカテゴリーだと人から言われても、何のことやらさっぱりってところです。 ほんとに、私は歳をとっているのだろうか? この調子だと、喜寿くらいになっても「火の舞い」(←発火したドラゴンを両手に持ちながら猛烈な勢いで舞い踊るワタクシの特技)とかやってそうですけど、それが何か? ま、真紅のアルファロメオも買っちゃったし、これからまだまだぶっ飛ばしていくよ! 本ブログ読者の皆様、しっかりシートベルトして、ついて来てね~!
April 9, 2009
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スタッフルームに新聞記事のコピーがこれ見よがしに貼り出してあったので、なんじゃこりゃ、と思って見たら、国立大学法人評価委員会(野依良治委員長)による全国86の国立大学の評価結果でありました。 6年ほど前、国立大学が「大学法人」になった際に、それぞれの大学が「中期目標・中期計画」とやらを立てさせられたのですが、それが達成できたかどうかが審査され、その結果、研究・教育・業務運営・財務内容などの諸項目について「たいへんよくできました」「よくできました」「ふつうです」「もっとがんばりましょう」的な評価を受けたのが公表されたんですな。 で、我が勤務先大学のお成績は、と見ると・・・うーん、大体どの項目も「おおむね良好」か・・・。「不十分」と言われなかっただけよかった、よかった。 じゃ、他の大学は、と見ると、まあ同じようなもんです。 でもじっくり見ていくと疑問点も少々。 例えば東大とか、そういうところでは「研究」なんて項目は「たいへんよくできました」かなあ、と思うと、そうでもない。また名古屋大学みたいにここ数年、ノーベル賞に絡んだ人材を輩出したところこそ高評価だろうと思うと、やっぱりそうでもない。どちらも「良好である」止まりの評価です。京大に至っては、教育研究の学業成果の分野で「期待される水準を下回る」とされた学部・研究科が7つもあったと。 はあ? これ、どういうこと? って、そう思うでしょ? ま、からくりはこういうことなんです。今回の件というのは、各大学が自分で中期目標立てて、それを自己評価したものを提出して審査を受けているので、やたらに高邁な中期目標を最初に立ててしまった大学は、6年経ってもその目標が達成できませんでした、と報告せざるをえないので、それで審査評価が下がるんですな。逆に、適当な目標立てておいて、「当初の目標よりさらに高い目標をクリアしました」的な自己申告をすれば、「よくできました」の評価がもらえる、と。そういうシステムなんですよ。だから、ある意味、「よくできました」と「もっとがんばりましょう」の差は、要領よくやった大学とそうでない大学の差でもあるんです。 っつーことはですね、要するに実際の大学の実力と、国立大学法人評価委員会の審査結果はぜんぜんリンクしてないってことですよ。 ま、今回の評価を受けて、評価委員会に猛烈抗議した大学が22校もあったようですが、その気持ちは分かるね。 ・・・と自分で納得したところで、ワタクシも段々腹が立ってきました。 今回の審査を受けるまで、実はものすごい労力とお金が掛かっているんです。中期目標を立てるだけでも、委員会を立ち上げて、ものすごい苦労をしている。で、その目標を達成したかどうかを申告するためのデータ集めにもものすごい労力が掛かっています。さらに、その膨大なデータを整理して報告書にまとめるのにもものすごい時間と労力が掛かっています。で、それを評価委員会に審査してもらうために、審査料として数百万単位のお金を支払っているわけ。 それで出た結果を見ると、大半の大学が「おおむね良好」とかいうアバウトな判定ですよ。しかも、実際の大学の実力とはまるで無関係の。 もう、馬鹿としかいいようがない・・・。こんなことのために我々大学教員が費やした膨大な労力を研究に振り向けていれば、よほど世のため人のためになったであろうに。 ま、文科省とか、その手下たちがやってることなんて、こういうレベルなんですわ。本当に馬鹿丸出し。 っていうか、文科省も、暇なんだろうな。暇だけど、なんかやらなきゃ自分たちの存在意義が無くなるので、わざと人を困らせるようなことをするんでしょう。 とにかく、上が馬鹿だと現場が困る。そういうことが大学でも起こっているということを、強く訴えたいと思うのであります。
April 8, 2009
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今日は新学年初日。朝から新入生ガイダンスに在校生ガイダンス、加えて大学院のガイダンスまで目白押し。それに加えて会議だ、委員会だと過密スケジュールで死にかけました。は~、疲れた・・・。 しかーし! 疲れることがあれば疲れの吹き飛ぶこともあり。 一つは注文していたデルのモバイル・パソコンが届いたこと。「アイスブルー」という色を選んだのですが、なかなかいい色ですっかり気に入りました。一通りセッティングもしましたが、XPなのでパワーの割には起動も早いし、セカンド・マシンとしてはまずまずの使い心地かと。 でももっと嬉しかったのは、申請していた科研費が取れたこと。採択率20%ということで、取れるかどうか心配していたのですが、あっさり取れちゃった! ま、ワタクシが取れなかったら、誰が取れるんだ? というところもありますが・・・などと言ってみたりして。 ということで、今年の夏休みはアメリカで過ごすことになりそうです~。わっはっは! わざわざモバイル用の軽いパソコンを買っておいたのも、実はアメリカ行きを想定してのことでありまして、バッチリもくろみが当たったという感じですな。 とまあ、そういう嬉しいニュースがあったもので、今日は疲れても文句はいいません。声を大にして「今日も、いい日だ!」と叫んでおきましょう。
April 7, 2009
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先日箱根をドライブした際、芦ノ湖畔にある「玉村豊男ライフアートミュージアム」に立ち寄った時に、玉村さんの近著『里山ビジネス』(集英社新書)を買ったんですが、今日、それを読了しました。 この本、玉村さんが長野県にある里山に「ヴィラデスト・ガーデンファーム・アンド・ワイナリー」を開いた時の苦労話を本にしたものなんですけど、ま、ちょっとその辺、興味があったのでね。 で、読んでみると、やっぱり素人がワイナリーを作るというのは相当なもんですな。 だいたい、日本ではワイン(=酒)を作ることへの規制がものすごく厳しく、最低でも年間6千リットルのワインを作る設備がないと許可が下りないんですって。で、それだけの設備を作るとなると、これまた膨大な費用が掛かる。つまり、なるべく個人に勝手に酒類を作らせないように制度が出来ているんですな。 だからまず葡萄を育て、数年経ってまともな実をつけるまで待ち、ワインを作り、しばらく寝かせて熟成させ、それでようやく売り出す、なんて悠長なことをやる人間はほとんどいないわけ。となると日本国内でワイン用の葡萄を作る意味もないわけで、日本の酒造メーカーがワインを作るにしても、結局は海外から葡萄ジュースを、それも濃縮の安い奴を買ってきて、それをてっとり早くワインに加工するところが多いんですって。これでは安かろう悪かろうのワインしか出来ないのも当然です。 で、そういう悪条件が色々あるにも関わらず、玉村さんは自分で葡萄を育てることからワイン作りにチャレンジしてみた、と。それは何故か。 そういうのをやってみたかったから。そういうことですな。 ビジネスという面から言えば、危険極まりない発想です。だけど、実際やってみたら何とか初年度から黒字になった。 結局、やりたいことをやる、難しくとも工夫してやる、そういう強い意志というか、やること自体を楽しむ気持ちがあれば、どんなことでも何とかなる、そういうもんだ、ということを玉村さんは言いたいようです。 もちろん、その過程では失敗も随分あったようで、予想外にお客さんが来てしまって対応できなかったということもあるし、これはうまく行くだろうと予想したことがそうでもなかったこともある。またお金がかかることも多くて、たとえば井戸を掘れば700万円もかかるし、浄化槽を設置すれば2000万円もかかる。だけど、それでもどうにかこうにか今では従業員数十名の規模でヴィラデストは運営されているのですから大したものですよね。 で、そういうことをやっているうちに、玉村さんは色々なことを学んでいくわけですな。地元の農家の人から学ぶこともあるし、従業員として雇っている若い人たちとの付き合いの中から学ぶこともある。商売の難しさも、当然、身をもって知ることになる。そういうのを全部ひっくるめて、彼は「里山ビジネス」という言葉を思いつくんです。人間が自然と如何に折り合いをつけながら永続する関係を保っていくか、という智恵を含んだビジネスのやり方、という意味で。 ま、この本はそんなようなことが書いてあるわけですわ。 もちろん、そうは言っても、玉村さんと同じようなことが誰にも出来るかというと、出来そうもないですけど、理念として、あるいは他人の経験として、面白い部分がありますので、興味のある方はぜひ。玉村さんの『里山ビジネス』、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓里山ビジネス
April 6, 2009
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ひゃー、日曜日、名古屋に戻って参りました~。ETC割引もあって、高速代わずかに1350円。いいですねえ、この制度。永遠に続いてもらいたいもんですわ。 で、名古屋の自宅マンションに着いてみたら、あーら、もう半分くらいは足場に覆われているではありませんか。そう、我がマンションではこの春から改修工事が始まるのでした。これから半年間というもの、外壁の塗装だとか、そういうことで工事の人が出入りをすることになるのだそうで、しばらくの間は窓を開けっぱなしにすることも出来ず、不自由しそうです。やれやれ。 で、そんなことを思いながら寝たせいか、変な夢を見ました。 夢の中で私は工事現場にいるんです。新校舎の建設が始まったので、その途中見学会が開かれた、という設定です。 で、どういうわけか中学校時代の友達と途中まで出来上がった校舎の上階に上がってみると、気のせいか何だか足元がグラグラする。で、ひょいっと見ると、あらま、この校舎、竹を編んだ土台に泥を塗って作ってあるだけじゃないですか。こんなんで高層の校舎作って大丈夫なの? で、泥を塗っていた職人さんにそのことを尋ねると、「あー、まあ、大丈夫なんじゃないすか? 泥って乾くと結構堅くなるんですよ。それに、この工法だとこれだけの建物でも300万円で出来るんです」ですって?! ひゃー。それ、まずいじゃないですか。で、身の危険を感じだワタクシ、みんなと一緒に建物から脱出しようとするのですが、なにせ沢山の人と一緒に上ったので、脱いだ靴がごっちゃになって、どれが自分の靴か分からない。あーん、俺の靴はどれだ~、なんて探しているうち、他の人はどんどん脱出してしまうんです。で、靴はどうでもいいから逃げようと思い、とりあえずその辺の人たちと一緒に階段を下ろうとするのですが、その人たちはどういうわけか、階段を下りるどころか逆に上がっていく。 え? みんな、下りるんじゃないの? と思いながらも、後ろの人に押されるように屋上まで上ったところで、何故か軍服を着た人の号令で整列させられてしまった。 なんと場面が変わって、ワタクシはこのグラグラする建設途中の建物を使った北朝鮮の軍事訓練に参加させられてしまったのでした。 で、上官曰く、「これからロープを使った降下訓練を行うが、既に夜になってしまったので、夜が明けるまでここで待機! いずれ味噌汁の差し入れがあるはずなので、それを待つように」とのこと。 で、あーん、味噌汁なんかいらないから、階段で下りたいよ~! と思ったところで目が覚めました。 ま、マンションの足場と、北のミサイルのニュースなんかがワタクシのいかれた脳の中でごっちゃになった夢でございましょう。 は~、変な夢!
April 5, 2009
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明日は名古屋に戻る日。ということで、今日は大学時代からの恩師S先生のお宅を訪問し、ご挨拶に行って参りました。昨日箱根で買ってきた地酒を手土産に。 S先生、今年で確か83歳になられたと思いますが、まだまだお元気。今でも週一回、都内に出向いてギリシャ語聖書の購読会とアメリカ小説の読書会を主宰されているとのこと。頭が下がります。 ところで、S先生、つい先日、私宛てに手紙を出して下さったそうで、多分、今頃名古屋の自宅に届いている頃なのでしょうが、とある学会誌に掲載された私の書評に目を留められ、それを読んでの感想を書いて下さったのだとか。 私の書いた書評というのは、丹羽隆昭さんとおっしゃる方の書かれた『クルマが語る人間模様』という本についてのものだったのですが、アメリカ文学を代表するような7つの小説を、その中に登場するクルマを視点にして解き明かしたこの本の内容に、S先生は非常に興味を持たれた、とのこと。 つまり、長年アメリカ文学を読んできたのに、その中に登場するクルマに目をつけたことなどない、とおっしゃるんですね。それだけに、そういう側面に目を付けられた丹羽さんという方は、なんと面白い発想をするんだろうと、素直にびっくりされていたわけ。 うーん、私はS先生のこういうところが好きなんですよね~。実力から言っても、人間性から言っても、アメリカ文学会の重鎮ともあろうS先生にして、ご自身より遥かに年の若い学者さんたちの業績をちゃんと評価し、素直に認められ、またご自身でも興味を持たれるというところが。自分が知らないことを知っている人は皆、自分にとっては先生だ、という実に素朴な感覚がS先生にはある。 かつて私の結婚披露宴の席でS先生のことをちらっと見かけた私の同僚は、畑違いゆえにS先生のことは露ほども知らないのに、「あの先生は一体どなた? まるで巨木のような人だね!」と言っていましたが、巨木だけが持ちうる素朴さを、確かにS先生はお持ちですなあ。 で、そういう素朴な先生とお話していると、こちらまで劣等感やら、その裏返しの虚勢やら、そういう諸々の汚いものが一枚一枚はがされていくようで、私もまた飾らぬ本音が言えるようになる。S先生とお話しした後は、なんだか私まで少しいい人間になったような気がします。「清談」という言葉がありますが、先生にお目にかかる度に私の脳裏に閃く言葉がこれです。 ということで、別に何と言うこともない雑談をした3時間でしたが、いつものことながら、実にいい気分で過ごすことが出来たのでした。 で、帰り際、私の新しいアルファをお見せし、ほんの10分ほどでしたが、先生を乗っけて先生のご自宅周辺を一周するドライブをしました。9年前、プジョーを買った時にも先生を乗っけてしばしの花見をしましたので、新しいアルファの時も同じようにしたかったんです。先生のご自宅は神代植物公園の近くにありますので、ここをクルマで一周するだけでも結構いい花見になりました。先生も喜ばれていたようですし。 さてさて、そんなこんなで私の春休みもだいぶ終わりに近づいてきました。明日はまたETC割引の恩恵を受けながら、名古屋に戻ります。そろそろ私も新学期モードに入らないといけませんね。それでは、皆さん、お休みなさーい。
April 4, 2009
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今日は両親を連れて箱根まで軽くドライブし、例によって箱根湿性花園を訪れ、今が盛りのカタクリと水芭蕉を見てきました。 まずはカタクリの花。 カタクリの紫って、ほんと、キレイですなあ。花びらがそっくり返ったように咲く、その花の形もなんだか可愛らしい。カタクリという位ですから、本来、この花の根っこからとったでんぷんが「カタクリ粉」なんだと思いますけど、花だけ見るととても繊細で、でんぷんなんか取れそうもないような感じです。 さてお次は水芭蕉。 水芭蕉と言えば初夏の尾瀬、というイメージがありますが、尾瀬と比べると気候温暖な箱根では、今時分が水芭蕉の最盛期。まだ若干緑の乏しい高原の湿原の中にぽつぽつと白い花(と言っても、実際は花ではなく苞ですが・・・)を咲かせる水芭蕉は、箱根に春を告げる妖精のようです。 というわけで、別に何をするというのでもなく、ただ春の草花を愛でたり、高原の新鮮な空気を吸ってきただけですけど、やはりちょっと日常を離れてこういうところに来ると、気分が変わっていいですね。もうすぐ私の春休みも終わりに近づいておりますが、新学期の慌ただしさが来る前に一息ついたような感じになりました。今日も、いい日だ!
April 3, 2009
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今日は家の近くにある薬師池公園というところまで行ってきました。父が桜の写真を撮りたいと言うもので。ま、桜はまだせいぜい7分咲きというところですが、せっかちな父としては気が気でないのでしょう。 しかし、写真好きの人間と一緒に散歩するというのはなかなか厄介なものでありまして、なんとなれば、やれ、どの場所から撮るか考えるだの、シャッターチャンスを待つだのと、やたらに時間がかかる。これに付き合っていると、この花冷えの中、こちらが風邪を引いてしまいます。 ということで、写真は父に任せ、私と母は同じ薬師池公園内にある「町田市フォトサロン」で開催されていた無料の写真展を覗くことにしました。今日はここで「能ヶ谷フォトサークル」という市民グループの写真展をやっているということでしたので。 で、展示を見ていると、皆さん素人ながら結構上手に写真を撮るものですなあ。さすが、先生について写真を習っていらっしゃる方たちなので、構図ひとつとってもアートになっています。 ということで、感心しながら展示されている写真を一枚、また一枚と見ていったのですが・・・ ん? この写真を撮った方のお名前は「F村雄一」さんとおっしゃる・・・。だったら、私が小学生の頃、国語を教えて下さった先生と同じ名前ではないですか。 そこで、まさかとは思いながら、その場にいらした能ヶ谷フォトサークルのメンバーの方に「このF村さんとおっしゃる方は、ひょっとして学校の先生ではありませんか?」と尋ねると、その通りだとのこと。それなら間違いありません。私が国語を習ったそのF村先生その人でしょう。 ひゃー! 懐かしい! 小学校卒業以来とすると、かれこれ30年以上ぶりですか・・・。とすると、先生もとっくに定年退職されて、70歳くらいにはなられているのでしょう。 で、先の方曰く、今日はこれからF村先生もこちらの会場に来られるとのこと。それならぜひ一目でもお会いして行きましょうか。 ということで、一旦会場を出、薬師池公園を小一時間ほどぶらぶら散歩してから、写真を撮り終えて満足した父も一緒に再びフォトサロンに向かうと、あらま! 懐かしいF村先生がいらっしゃるではありませんか! で、先生も飛び出して来られると、私とがっちり握手して下さって、三十数年ぶりの邂逅を懐かしんで下さいました。そして、現在、名古屋にある大学で教鞭を執っていることなど、簡単に私の近況を報告すると、「あの釈クンが立派になって・・・」と先生も嬉しそう。 一方、F村先生はと言いますと、私が子供の頃は痩せてガリガリ、頬がこけた背の高い先生というイメージでしたが、その頃と比べるとずっと恰幅がよくなられておりました。しかし、むしろ今くらいの方が貫録が出ていい感じです。前からハンサムな先生でしたが、72歳になられた今は、より円満なイメージも加わりましたね。 私が通った小学校では、6年生になると国語の時間に「自叙伝」というのを書かされます。自分が生まれた時から12歳になるまでのことを子供なりに振り返るわけですが、原稿用紙で100枚を超すようなものを書くのですから、小学生としては大変な作業。しかもただ書くだけではなく、これに自分でデザインした表紙を付け、きちんと製本までするんです。小学校6年生の国語の課題として、なかなか優れたものでしょう? 出来上がった「自叙伝」は、宝物になりますしね。もちろん私だって、今でもその時の自叙伝は保存していますが、この自叙伝を書く作業を指導して下さったのが、今日お会いしたF村先生だった、と。だから、そういう意味でも、思い出深い先生なんですね。 そのF村先生、7年前に定年を迎えられ、その後しばらくしてからご友人の方の勧めもあって市の市民講座などで写真の撮り方を習い、趣味として写真を撮るようになられたとのこと。今では3つのサークルに所属しているので、それぞれのサークルの月例会やら、展覧会への出品などで結構忙しくしておられるのだそうです。しかも、今まではフィルム・カメラで撮ってこられたようですが、さすがに時代の波に押され、つい最近、デジタル一眼を購入されたとのことで、今はその使い方の習熟に四苦八苦されていると、楽しそうに話して下さいました。 あー、それにしても懐かしい。私が小学生だった頃の先生方の中にはもう既に鬼籍に入られた方も多いというのに、その頃の古き善き時代の雰囲気を持っていらっしゃるF村先生がまだこんなに若々しく、お元気だったとは。それも、普段名古屋にいる私が、たまたま今日、この会場に足を向けたことで、先生と三十数年ぶりにお会いできたんですからね~。ほとんど、奇跡みたいなもんですわ。 ということで、今日は父のカメラ散歩に付き合ったおかげで、本当に懐かしい再会を体験することができたのでありました。今日は、本当にいい日だ!
April 2, 2009
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ちょっと前に新聞の広告欄で見かけた『寺山修司のいる風景』(中公文庫)という本、寺山さんのお母さんが書かれた寺山さんの一種の伝記と聞いて、ぜひ読んでみたいと思っていたのですが、どういうわけかどの本屋さんでも売ってなくて、今日、ようやく町田の有隣堂で買い求めることができました。それも平積み最後の一冊。よほど売れているのでしょうか。 で、そいつをさっき読み終わったのですが、寺山修司が生まれた時から、どんな幼少期を過ごしたのか、少年時代はどんな少年で、長じてからはどんな青年になったのか、そういうことが母親の視点から愛情深く綴られていて、なかなか面白かったです。 特に、夫を戦争で亡くしてから、細腕一つで寺山さんの学費を捻出すべく、幽霊のような姿になるまで働いたというはつさんの苦労、そしてその苦労に応えるように優しくも有能な青年に育っていく修司の姿など、ますます寺山修司という人に対して好感が湧くような感じ。 そして早稲田大学在学中から詩や演劇の方面での活躍が始った寺山修司から「一緒に住もう」と言い出され、長年の苦労がついに実ったと思う母親・はつさんの誇らしげな喜びが綴られているあたりは、良かったですねえ、と思わず読んでいるこちらも頬が緩んでしまうほど。 しかし、その喜びもつかの間、修司の結婚を機に、妻と母のどちらを選ぶかという問題に直面した修司が、母ではなく妻を選んだところから、二人の間に亀裂が入り・・・ということになるのですが、それでも母を捨て切れない修司が、母との関係修復のために時折見せる優しさに、はつさんも満足するようになっていく。ま、所詮、母親と息子なんてそういつまでも一緒にいられるわけもないので、このあたりが修司なりに精いっぱい母親に見せた感謝と信愛の情というところなのでしょう。 が、そこで一旦和解した二人の関係はもう一度途切れることになる。無論、修司の突然の死によって。本書は、「二日したら帰るよ」と言ったまま永遠に旅立った息子の帰りをいまだ待ち望む母によって書かれた息子・寺山修司へのラブレターなのであります。 というわけで、それなりに感銘を受けつつ本書を読み終わったワタクシなのでありますが・・・。 どうもね・・・。様子がおかしい・・・。 本書を読んだ後、ちょこちょこっと調べたのですが、どうもこの寺山はつさんという人と寺山修司との関係は、この本に描かれているような牧歌的なものでは必ずしもないようなんですな。 本書にも遠まわしに描かれているように、一方で寺山修司は、愛情の裏返しなんだかどうなんだか、自分の母親を冒とくするような言説を盛んに作品に盛り込むんだそうですね。その点、通常の意味で「優しい孝行息子」とはとても言えないようなところがあった。他方、寺山はつさんの方も、女手一つで息子を育てるためもあったのかも知れませんが、表沙汰にできないようなこともしてきたようなところもあるらしく・・・。で、嫁・姑のいさかいに端を発した修司とはつさんの反目とやらも、常軌を逸した種類のものだったらしい・・・。要するにこの母と子の壮絶な関係というのは、とても綺麗事ではなかったようなんですな。その辺のことは、この本を読んだだけでは、とても想像できませんが。 つまり、どうも『寺山修司のいる風景』というのは、真実のある一面、きれいな方の一面だけを描いているようなところがあるらしいんです。だから、この本を読んで、ああ、寺山修司って優しい人だったんだな、はつさんもいい息子を持ったな、という読後感を抱くのは、ある意味、危険なことなのではないかと。 そういう意味で、この本の評価は、多分、寺山修司と母・はつさんの関係を第三者の目から描いている本、たとえば田中未知さんの『寺山修司と生きて』などを読んだ後で、あらためて下すべきなんじゃないかと思うのであります。私も早速、この本を注文しましたが。 ま、そうは言っても、たとえば本当に幼かった時の寺山修司が、どんな時にどんなことを言ったりやったりしたかということは、母親であるはつさんしか書けないことでしょうから、本書を読む意味というのはもちろんあるわけで、そういう点では十分おススメしますけれど、この本を読んだだけで、寺山修司とはつさんとの関係がすべてわかるというものでもないらしい、ということは、自戒の意味も込めまして、記しておきたいと思います。 寺山修司という人は、そういう意味でも、一筋縄ではいかない人なんですな。これこれ! ↓ 寺山修司のいる風景寺山修司と生きて
April 1, 2009
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