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高1の時の次女の広島派遣団の作文です。
https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/200810230001/
https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/200812270000/
https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/201501210004/
親バカですが、広島で被爆体験を聴いたり見たりして感じたことを、よく考えて書いてると思います。良かったら、読んでみて下さいね。
入間市も、子ども達の広島派遣団事業をやっていたのに、今はやってないとのこと。残念です、、、

「広島に着いて路面電車を降りてすぐ目に入ったのは原爆ドームでした。むき出しになった鉄骨と崩れた建物が核兵器の威力を感じさせました。でも、本当の意味でそう感じたのはこの三日間の経験を経てからでした。
広島平和記念資料館で分厚いコンクリートに爆風によって吹き飛ばされたガラス片がささった跡をみて、今田さんが「もし、このコンクリートが自分の身体だったらどう思う?」
とおっしゃった時、ただ(すごいな)としか思っていなかった自分に気付かされました。
実際の原爆ドームを目の当たりにしたのにも関わらず、一九四五年(昭和二十年)八月六日午前八時十五分にあったことを他人事のように思っていたのです。それから、私は自分自身に「もし自分だったらどう感じるだろう。
どう思うだろう、」と問いかけるようにしました。すると、さっき見たコンクリートの傷跡から身震いをしてしまうような恐ろしさを感じました。想像しただけでもこんなに辛いのにどんなに痛かったのでしょうか。
私は実際に広島に来るまで勘違いをしていたことが四つありました。
一つ目は約十四万人の被爆者は一瞬にして亡くなったのだと思っていたことです。でも実際は七万人でした。死亡者の多数が放射後によるの急性障害だったそうです。また当時の建物はほとんどが木造で爆風や熱線によって爆壊した建物の下敷きになって亡くなった人や火事で逃げ遅れて亡くなった人も多くいました。
二つ目は建物内は放射能の被害にあわないと思っていたことです。放射線はコンクリートや水、薄い金属でも遮断はできないそうです。だから体に傷はなくても放射線は体内の細胞を壊し、白血痢やガンの発生率が高くなり。被爆者の身体を今もなお侵し続けていま
す。
三つ目は、亡くなった人だけが辛かったのだと思っていたことです。原爆は人や物に大きな被害を与えるだけでなく心や生活までも壊しました。生き残った人も被爆者であるがために様々な差別を受けてきたのです。結婚するときに被爆者だからといって反対された人もいたそうです。だから被爆者であることを誰にも打ち明けられなかった人は数多くいるでしょう。それはどんなに辛いことなのでしょうか。私は死んでしまいたくなるような苦しみだったに違いないと思います。
四つ目は平和が当たり前だと思っていたことです。今、平和といえる穏やかな毎日を私は過ごしています。でも、確かに今日も核兵器を持っている国があります。戦争は遠いむかしのどこかのだれかの話ではなく、私達に関わることなのです。
今でも戦争やテロが起こっています。だからこそ私達は平和を願いその思いを伝えていくべきだと思います。誰も人を殺すことを望んではいません。私は広島で戦争の恐ろしさと愚かさを学び、人の痛みを知りました。また、心の底から平和を願う人達に出会いました。そして、その願いを受けいできました。
だから、今度は私達がこの願いをたくさんの人に伝えていきたいです。この三日間でこんなにも強く平和を願っている人達に出会えたことは私の一生の財産です。そしてその願いが叶うことが私の願いです。」
https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/202509270011/
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