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意見交換をするときには、表現方法や、態度に注意が必要かと思います。ある時に、ある場所で行政側との打合せがありました。ある70才代半ばの男性が意見を言いました。感情丸出しで、意見を言います。あるご婦人方(推定60歳半ば)も、感情的に意見を述べていました。行政側の職員さんが、黙って意見を聴いています。ポイントは、2つあるかと思います。意見を言う側にも、問題があります。言い方や、態度そして表情もあるかと思います。行政側の職員さんにも問題があります。聴き方が悪い。腕組みをしながら意見を聴く。うなづくとか、相手の目を観るべきである。目を外す。この過去の私も、同じ態度でした。反省をしても、また同じ結果になり感情的になります。故羽富 正三が言います。「いいか、としあき。感情的になったら、もう負けだよ。いいか、言い方や、態度は、柔らかく、柔らかく、静かに、丁寧にしゃべるんだぞ。」と教えて頂きました。丁寧に丁寧に、説明する。感情を害さない。おちついて、落ち着いて、話しをする。「いいか、としあき。 言い方は、柔らかくても、内容は、深く 細かく細かく説明をする。」行政が得意なことと苦手なことがある。それを約10年以上かけて、自分の特技化していく。相手の懐に入る。慎重に、慎重に、対応する。
2019.02.28
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私は、私が実践していることが、100%正しいとは、思っておりません。日々、実践。実践の繰り返し。悩みながら、悩みながら、常に前向きに考えております。昭和62年に、転職をして小売業の道へ。そして、ムコ養子として、後継者になりました。数多くの失敗を繰り返してきました。その都度、どこに原因があるのか?自分なりに、考えています。気づいた点は、何事も、バランス、バランスバランス感覚が大切だと言うことです。
2019.02.25
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人口減少で、過去のビジネスモデルが通用しなくなった。大量仕入れ、大量販売のやり方は、もう中小零細の会社には、通用しないと思う。レッドオーシャンの道は、道で行きたい人は、そちらへどうぞ。ブルーオーシャンの道は、楽(らく)ではない。 でも、愉しいと思う。実は、明日の勉強会に5名の人が、名乗り上げてきました。でも、でも、怖いので一人だけに絞り込んでビジネスモデルをお互いに、シェアーをし合います。本や、コンサルタントや、大学教授の話しではなく生の経営者の人と話し合います。「はとみさん、2月24日の地域密着型CSV手法経営に、参加したいです。」と言われましたが、個人情報も出てきますので、1対1で2人で、勉強会を行います。時間的に余裕が出てきたら、はとみさんのCSV手法経営をしたい。・・・・・・と数多くの人が、いいます。OODAの時代です。これを実践しております。OODAとPDCA理論とは、異なります。時間軸を基に、常に、アジャイルな動きをするのが、OODA理論です。賞味期限が切れた過去の延長線上での背略ではなく未来志向のビジネスモデルを全スタッフで、検討していきます。もちろん、私が、一番失敗も多いです。気づきを頂く。それをスグ、手を打つ。
2019.02.23
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あくまでも、あくまでも、自分の出来る範囲内で、行動しております。総労働時間の10%から20%地域活性化の時間や、ボランティアに、費やしております。地域密着型CSV手法経営をしているおかげで、従業員が、育っています。平均勤務年数も、20年を超えています。40年勤務、30年勤務、20年勤務。10年勤務者のスタッフが、この私に言います。「転職が、10回以上ありました。 もう、10年か?・・・と思いました。」と言う情勢が、今年24年勤務を迎えます。家庭環境も、時代によって変わります。住んでいる地域も変わります。あくまでも、あくまでも、無理しない。たまたま、弊社が借りている駐車場が、元映画館の跡地。しかも、常総市は、フィルム・コミッション日本一。撮影の場所に適した街に、たまたま住んでいるだけ。古い、汚いのではなく、歴史、伝統がある。・・・・・・と市主催のセミナーに出席して気づいた。では、どうすれば、良いか?行動しながら、微調整する。宝来館という映画館を一夜限りの復活。たった約2時間のために、約10か月かけて、準備をする。今年は、第6回を秋ごろ予定しています。昨年の10月から、動いています。ここでは、書けないいろいろなことが、ありました。まだ、最終ツメがまとまっていません。微調整、微調整。すると、新聞記者さんや、TV関係者さんが、応援してくれます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「社長、テレビ観たわよ~」「孫が、社長だぁ~、ばーちゃんと一緒に行ったお店の社長さんだ」「いい顔で、出てたね。」「映画に、注目したんだね~。素晴らしいアイデアだね」「今度は、何を考えていますか?」「私の街のイベントも考えてね。」などなど。 数多くのお言葉を頂きました。 CSV型手法経営を行っています。CSV型手法経営の考え方として、 地域の問題を企業が取り上げて、解決する中で、ビジネスを行う。 この考え方もCVV型手法経営の1つだと考えています。
2019.02.22
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大量仕入れ、大量販売を否定しております。1店舗、1店舗取扱い商品構成を変えています。それが、ロコレディ流です。各店仕入れ比率は、約80%です。微調整するのが、幹部スタッフと私の仕事です。ワクワク、愉しく、どキューン。ロコレディでは、地域密着型と女性スタッフが働きやすい環境を整えております。http://www.rocolady.co.jp/kouken
2019.02.21
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無駄だと思ったことが、実は、無駄ではなかった。 そんなことが、多いことに、気づきました。 学校を卒業して、38年。 学校の教育と、実践社会と、どこが、違うか?????? それは、体験ということです。 体験には、2種類あります。 成功体験と失敗体験。 実は、この失敗体験から、数多くのことを私は、学びました。 失敗や、無駄なこと。 ・・・・・実は、コレが一番の利益につながると考えたのです。 平成23年3月11日の震災の被害。 つくばの竜巻被害。そして、平成27年9月の鬼怒川氾濫水害被害。被害の3本の矢です。(笑) もう、頭がクラクラしていた自分自身が、懐かしいです。 振り返ると、その嫌な体験が、実は、・・・・・・・・・・。 無駄を無駄と思わず、投資と考える。失敗は、次へのステップ。 なぜ、なぜ弊社だけが、こんなに被害を受けるのか?そうではなく、「どうしたら、今後良いか?」と考えるようになりました。水害被害のおかげで、今がある。そういう考えを持つように考えました。まだまだ、未熟者です。まだまだ、自分が弱い部分もあります。この懐かシネマイベントからも、数多くのことを学んでいます。常日頃からの人間関係。「人にフォーカス」の時代ですね。生まれも、育ちも名古屋。茨城県常総市に住んでもう、33年目になります。
2019.02.11
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東京スタイルさんの元営業マンとして、ブログを書きます。あくまでも、あくまでも、個人的な見解ですので、その部分をご理解を頂きたいと思います。当時昭和57年頃から昭和62年ごろの東京スタイルさんは、自己資本比率75%の超優良企業でした。経常利益高は、約80億~100億毎年、毎年あったと記憶しております。新宿営業センターに勤務していました。地方百貨店を担当していました。食堂で、都内担当の営業マンが、食事をしていると役員から、怒鳴られていました。「得意先へ、行け。売場をよく、観ろ!」と言われていました。私は、地方担当だったので、土曜日、日曜日、祝日は、デパート周り、大型量販店を回っていました。毎週、毎週水曜日が休み。月末の水曜日は、休めませんでした。月に、2、3日間の休みでした。きつかった。もう体育会系の雰囲気の会社でした。その東京スタイルさんが、サンエー・インターナショナルさんと合併。もう、その時は、東京スタイルさんには、いませんでしたので状況は、わかりませんが、社風が明らかに異なる雰囲気同志が、うまくいくのか?そう、思いました。故 羽富 正三語録より「いいか、としあき。 会社は、継続することが、最終あるべき姿だ。 変化しながら、会社を成長させる。 でもなぁ~、人間は、過去のやり方や、今の自分を対比させて 物事を考える。 時代を読むクセがある。時代の変化を感じ取る。それが、大事だ。その流れを読むには、常に、常に、アンテナを張れ。社長は、遊んでいた方が、良い。・・・・・・というコンサルタントの先生もいる。休んでいても、旅行先でも、会社のことを考える。意識が、無意識になった時、仕事をしていても、疲れない時が、出てきたらそれが、肌感覚だ。」と教えてくれました。庇(ひさし)を貸して母屋を取られたように見える東京スタイルさんの名前が無くなるのは、寂しいです。東京スタイルさんは、百貨店中心の卸しアパレルメーカーでした。私は、私は、ついていた。ラッキーだった。地方のデパートや、大型量販店の担当で買取条件のお店を担当していました。専門店販売部には、新入社員の1年間だけでした。東京スタイルさんには、感謝の気持ちでいっぱいです。名前が無くなるのは、寂しい。でも、でも、私の心には、永遠に「東京スタイル」という名前が輝きます。
2019.02.07
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私は、昭和62年の秋に、小売業に転身しました。 それまでは、大手のアパレルメーカーにいました。東京スタイルさんで、お世話になりました。体育会系の会社でした。その東京スタイルという名前が、無くなる。・・・・・とある人かた、聞きました。残念です。残念です。私の青春でした。朝から、夜遅くまで、働いて、働いて働きぬいていました。愛着が、あります。東京スタイルさんでは、 B to B(法人と法人の取引関係)の仕事でした。 大学生時代は、まったくと言って言いほど、 アパレル関係には、興味は、まったくありませんでした。 ファッション関係の本を読んだこともありませんでした。 でも、アパレル関係の仕事をはじめると、その仕事の面白さに気づいてきました。 メーカーに入社して、3年が経ち 転職を考えるようになりました。 「おい~、とし坊~。お前は、どちらかと言うと小売店向きかも??????」と同期の営業マンに言われるように なりました。 デパートの売り出しには、いつも、でかけて販売の手伝いをしていました。 いろいろな悩みを持ちながら、「小売業の転身を考えるようになりました。」 そして、故羽富 正三(はとみ しょうぞう)との出愛(であい)で人生が、変わりました。 ロコレディに入社して、「職場の女性との接し方に悩む、悩む、悩む」 あれでもない、これでもない。 本も、読みますが、答えは、出ませんでした。 日々、実践。 そこから、オーダー・メイド型雇用人事制度を開発していきました。 働きやすい環境を作りながら、人間関係を作る。 職場の女性を活かすには、どうしたら良いか??????? 毎日、考えています。 今もなお、考えています。 日々、進化しながらオーダー・メイド型雇用人事制度を考えてきました。 これからも、進化させていきます。 ある定年退職した女性(現在は、77才)が言います。「ロコレディさんで、30年間お世話になった。 本当に、良かった。」と何度も、何度も、言われました。 今も、お客様として、ご来店頂いています。 これは、故羽富 正三の宝だと思います。 100%完ぺきではありません。 次のステップを考えています。 100年継続できる会社をめざしています、 (昭和26年 7月27日創業です。) ありがとうございます、お客様。
2019.02.06
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故羽富 正三は、私の義父になります。養子縁組を平成元年に行いました。「ムコも、30年やっていれば、本当の息子以上だ。」と先日ばぁ~さんに、言われた。ありがたいことです。小売業に転職して、いろいろなことがあった。これから先も、小売業に徹する?状況判断になります。人にフォーカスの時代であることは、間違いないと思います。「いいか、としあき 行動すれば、結果が出る。 しゃべれば、人は、何かを言う。 批判もされる。 今までは、過去の延長線で考えれば、良かった。 でも、これからの時代は、違うぞ。」と言われたことがあります。私のことが、嫌いな人もいる。私のことが、好きな人もいる。人から、注意を受ければ、素直に反省をしどうして、そうなったのか???気づくまで、考える。打たれて、結構。どうぞ、打ってください。・・・・・・とマンガの「巨人の星」から学びました。変化を恐れない。変化をどう読むか?クレジット売上げが、ここ1,2年急に伸びてきている。現金売上げが少なくなっている。その対応も、考えなければいけない。「いいか、としあき。 悩んだら、悩んだら、ここに、私がいたら、何と言うか? それを想像しろ!。 そうすれば、必ず。答えは、見つかる。損とか、徳では判断するな! 人が、喜ぶことを考えろ。」ときつくきつく指導を受けました。「いいか、あなたに、出会えて、良かった。」と言われる人間関係を育むこと。」と言われ続けました。まとめ「非難されても、いつも一歩前に出る。 すべて、行動から始まる。」
2019.02.02
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私の大学生時代は、貧乏学生でした。高校3年生の時に、「大学は、東京へ行くことを決心しました。」と父親に言うと、「授業料は、出してやるが、生活費は自分でやれよ。」と言われました。そこで、考えたのが、新聞配達のアルバイトです。奨学金をもらいながら、新聞配達をしていました。毎朝、3時半起きでした。夕刊も、集金も、新規開拓もやっていました。新聞拡張 学生チャンピオンにもなったことがあります。大学2年生には、無返済奨学金を大学からもらうことになり今度は、ビラ配りや、デパートの清掃や、都議会議員の事務所にアルバイトをして、生活費や、授業料を稼いでいました。大学3年生のときに、父親は、ガンに侵されました。51才という若さで、亡くなりました。ビラ配りも、アルバイト学生の中で、NO1になりました。相手の目線や、歩き方を分析して受け取りやすいように、配りました。また、清掃のアルバイトでは、ワックス掛けの学生部のトップになりました。今でも、ワックス掛けは、得意です。サイエンス(科学)することで、いかにきれいに、いかに、相手が感じよくビラを受け取ってくれるか?それを考えて、アルバイトをしていました。都議会議員の先生には、「おい、学生。 オレの事務所で働かないか?」と言われて、3年間お世話になりました。電話の受け取り方や、手の振り方や、声のかけ方を学びました。故田中 角栄先生が、演説会に来るときは、物凄く緊張しました。捨て看板の立て方も、気をくばりました。常に、相手がどう思うか?そればかりを考えていました。分析する。どうすれば、良いか?常に、常に考える。
2019.02.01
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