日本語の将来 著者: 梅棹 忠夫
日本語にローマ字が向いているか?私は、笑止千万と言いたい。いくら知の巨人とはいえ、 未だにローマ字論をぶつなんて信じられない。
著者のローマ字論は、結局英語などアルファベットで表記される言語は、タイプライターにより容易に書くことができるという発想から来ている。
そこで、まず、かなカナライターとか言うのを考えたはずだ。それでも26文字のアルファベットと比べたら、50字もあるカナかなは、かなり、面倒だったろう。そこで、ローマ字表記せよというのだが、試しに、著者が書いた、巻末のローマ字文を読もうとしたのだが、とても煩雑で読む気にもなれなかった。 結局、日本語は、漢字かな交じり文にしくはない。 だから、速読もできると言うこと。漢字を見ながら、イメージできると言うこと、その長所を考えたら、とてもじゃないが、 ローマ字文による日本語なんて反吐がでる。
ローマ字表記は、速読者の敵だ。ハングル文字のみになった朝鮮は、もう、学術論文を書けないほど疲弊しているという。 つまり、漢字による表記がなくなった分、日本で言えば、橋も箸もみんなはしになってしまったから、意味が取りにくい というわけだ。それが、かなカナから更にローマ字になって、 なんて表記することになるんだよ。 何でこんな馬鹿馬鹿しいことに真面目になるんだよ、知の巨人が。
ところで、この文章、私は、パソコンで打っているのだが、なんとローマ字うちなのである。つまり、 著者がほしがっていた日本語タイプライターの出現が、パソコン以前のワードプロセッサーによって実現したのである。ここにいたって、日本語のローマ字表記などと言うものは、一切不要になってしまったのだ。
ここのところを捉えて著者は、パソコンにおいては、ローマ字うちの方が多いと言うことを不思議に感じるなどと表現しているけれど、実は、ローマ字うちというのは、26あるアルファベットの内、使う必要のない文字もあって、非常に合理的なのである。だから、いちいち「たていすかんなにらせ」などという配列を覚えようなどと言う気にならないのだよ、 梅棹先生。なーんにも不思議でないのだ。