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今日は四国巡拝に行き洲崎寺にある真念法師のお墓にお参りしてきました。申し訳ありませんがコメントのお返事は明日させていただきます。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月28日
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すいません。コメントを入れていただいた方には大変申し訳ありませんが昨日の続きがあります。長くなったので途中で切ってしまいましたが、都合が悪かったようです(汗)以下続きです。また行に入る時は肉・魚・卵など動物性のものを絶ちます。これは中国の道教の影響を受けているといわれています。現実に動物性のものを絶つと霊的な力が高まるような気がします。現在は食事についてそれほど制限しているわけではありませんが、護摩の前などは肉も魚も食べません。また、にんにくなど臭いの強いものは食べません。また行に限らず仏様に向かうときは空腹時のほうがいいようです。>では香辛料はどうなのでしょう?制限があるわけではありませんが個人的に取りません。>乳製品はいかがですか?乳製品についてはおしゃかさんが「スジャータ」という娘から「サルピス」という乳粥を貰ったことから動物性でも乳製品は良いとされています。「サルピス」はカルピスの語源です。>もちろんアルコール類はダメなのでしょうね。アルコールはいけません。仏教徒は僧侶に限らず一般信者もだめです。本来はハライ罪といって教団追放になります。日本ではもともと戒律というものがなじまない風土ですから、あまり破戒ということが問題になっていません。しかし弘法大師は塩酒といって塩を肴に少しだけ体を温めるために飲むのはのは良いといわれました。だから真言宗は飲んでも良い?というのですが天台宗(禅・浄土・日蓮)の見解をお伺いしたいものです。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月27日
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ぴくまるぴーちゃんさんからリクエストがありましたので、数珠をアップにしてみました。左2つが星月菩提樹、右が水晶です。星月菩提樹は使い込んでいくと色が変わります。左はあまり使っていないもの、真ん中は使い込んだものです。 コウユウぢん3112さんから質問がありましたのでお答えします。>制限のある食べ物とは真言宗の僧侶総ての方に当てはまるのですか?仏教の戒律では何を食べてはいけないと制限があるわけではありません。ですから宗教上の理由といっても決められているのは「お酒」だけです。後は個人がどこまで制限するか?ということになります。一番厳しいのは木食といって五穀(といっても穀物全般)を絶つことです。穀物を絶つので、木の実、山菜、芋などを取るのですが、それだけでは栄養が不足するので「そば」で栄養を補うようです。私も虚空蔵求聞持法のときは木食でした。即身仏(ミイラ)になるためには必要といわれています。理由は解りません。ちなみに戦国時代に高野山が陥落したときに使者となって秀吉の下に出向いたのが応其上人ですが、この人はこの木食行をしていたので木食応其と呼ばれていました。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月26日
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今日は日当たりもよくとらねこも表で日向ぼっこをしていました。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月25日
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ちょうど5年前の1月2日より私は日内山奥の院で虚空蔵菩薩求聞持法に入りました。虚空蔵菩薩求聞持法はお大師さんが何度も修行して高知の室戸岬で明星が口に飛び込んだという修法です。私が僧侶になったきっかけはこの「求聞持法」をしてみたいというものでした。ところが真言宗ではこの「求聞持法」は僧侶にならないとさせてくれませんので僧侶になった次第であります。昼でも薄暗い部屋(お堂)で一日二回6~7時間、合計12~13時間にわたって虚空蔵菩薩に向かって真言を唱え続けることを53日。ようやく今日で終わりという朝のことです。まだ夜が明けるはるか前、東の空に向かいお堂の縁で明星拝(明星を拝む)をしているとふいにあたりが明るい光に包まれました。空を見上げると北から南にかけてなんともいえない光の珠が色を変えながら頭上を通り過ぎていき、しばらく飛ぶと燃え尽きたように消えました。北側は山ですから花火ではありません。隕石の様でもありますが、それにしては低空(推定10メートルぐらいか)でゆっくりでした。これが世に言う明星か?幻覚ではなく確かに今でもまぶたに浮かびます。私は明星に出会った興奮のうちに最後の行を追え、奥の院の山主さんにそのことを話しました。すると山主さんの答えは「○○君も見たの?私も「求聞持法」をした時見たんですよ。それはね・・・昔この山で修行していた行者さんの霊が現われるんだよ」と真顔で言われ、びっくり仰天してしまいました。いい思い出になりました 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月24日
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今日は大覚寺門跡の晋山式があり、京都まで出向きました。大覚寺門跡に就任される新開真堂猊下は徳島の出身であり、事相(行・作法)教相(教学)に詳しく、いくつかの著作があります。私は自坊が近いこともあって何かとおしえていただきました。3年ほど春の涅槃会、秋の十夜法会の前に声明(仏教音楽)を一対一で教えていただきましたが、その割には上達しませんでした。(汗)10時から大覚寺の五大堂(五大明王を祀る)で式が始まります。晋山式に出席するのは初めてなので、さぞかし立派な式典かと思いましたが、讃が一つだけで般若心経3巻に諸真言という簡単な次第でした。しかし真言宗各本山の管長が十数名、それ以外に末寺から数十名の僧侶によるお経は壮観でした。11時前には終わり、京都駅ビルのホテルに移動して12時半からの披露宴です。こちらは500名を超す大宴会場での宴席です。朝早く食事を取りましたので、お腹が減ってきました。さあ、食べようと待ち構えているのに、まず「横笛の演奏」続いて、仁和寺管長の祝辞、前門跡の祝辞、華道代表の挨拶と続きます。よっしゃ終わった!と思ったら、花束贈呈!さあ乾杯の音頭を大覚寺総代の○○さんに・・・。「やったー」と思ったら乾杯の前に挨拶がありました。ようやく食べれるようになったのは1時15分でしたが、食事が出てくるのが遅い!500人を超えるとなかなかスムーズには行かないようです。晋山式に出席して餓鬼道に落ちてしまいました(笑)コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月23日
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今日はお焚き上げをしました。通常は年末に行うのですが、去年は年末に突発的な出来事があり延び延びになっていました。外で火を焚くわけですから、あまり乾燥しているしている時、風が強い時ははやりにくいのです。当院はあまり立ち木がないのですが、となりの神社は木が多く当院にも張り出しています。その神木に飛び火して神殿炎上となると笑って済ますわけにもいきません。雨が降りそうな前日などが最適なのですがそういう日に限って忙しいのです。ところで、このところお炊き上げの依頼が多くなっています。檀家、信者でない人まで当院にお焚き上げの依頼をされます。以前にお札の処分はという記事を書きましたが、同じように檀信徒の方にも案内したところ、お焚き上げが減るかと思いきや逆に増えてしまいました(笑)原因は以前には適当に捨てていた塔婆などをお焚き上げに持ってこられるようになったからと思われます。お焚き上げの場合のお札・塔婆・位牌などは必ず紙に包んでください。できればきれいな白い紙に包むのがベストです。当院では供養をした後、発遣(魂抜き)をして般若心経を唱えながら火入れをします。燃えている間はお経を唱え続けます。約1時間半ぐらいかかりました。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月22日
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ぴくまるぴーちゃんさんのリクエストにお答えして数珠を公開します。一番上が法事用「星月菩提樹尺六、メノウ、房つき」二番目が葬式用「水晶尺六」一番下が普段に使う「天竺菩提樹尺二」ちょっと写真が鮮明でないのですが、畳の幅と比べて大きさがわかりますか?他に法要用2本(水晶・茶水晶と沈香)法事用1本(星月菩提樹)外出用2本(梅と杉)行用2本(カヤ2本)持っています。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月21日
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21番札所大龍寺から22番札所平等寺へ向かうには2つのルートがあります。一つは車のくねくね道を降りる道、もう一つは南の舎心の先の道を降りて中山薬師にいたる道です。22番へ行く前に一度は行ってみたいのが黒滝寺です。ここにもお大師さんの伝説があります。その伝説とは「昔、竜王山という山に、大きな暴れ竜が住んでいて、麓の村人たちを苦しめていました。それを聞きつけて弘法大使が駆けつけ、悪魔退散の祈願をし、暴れ竜を封じこめました。」というものです。一方12番札所焼山寺の伝説は「山に住みつく毒蛇が時々村にあらわれて村人をおそっていることを聞きました。大師が山に入ると、大蛇は大変怒って全山を火の海にしてこれをはばみました。 大師はおそれすに手で印を結び、 火の中を登って行くと、大きな毒蛇があらわれて大師の 行手をさえぎりました。その時、 虚空蔵菩薩が姿をあらわし、大蛇を岩屋の中に封じ込めました」2つの伝説は似てないでしょうか?焼山寺から山を下っていくと建治寺(ここも阿国大瀧嶽と主張しています)があります。位置関係からすると丁度黒滝寺と太龍寺にぴったりです。同じような伝説が2つあるということはどちらかが後から創られたのではないでしょうか?黒滝寺は大龍寺の奥の院と言われ「三滝、七淵、五剣山」といわれる行場があります。歩くと大龍寺から2泊3日の距離にありますが、行くだけの価値はあります。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月20日
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今日の法事で数珠を出したところ、「すごい数珠ですね~」と言われてしまいました。実は尺六という親玉から中球までが約48センチのもの(普通の数珠は男性用尺二ー36センチ)です。数珠はもともと数を数えるためのものですから、大きさは関係ありません。むしろ大きいと数えにくいのですが(笑)、僧侶は1振り(坊さん振り)2声(お経声)3姿(格好)と俗に言われています。見せるのもお布施?と考え大きな数珠を使っています。初めて言われたのでうれしかったです(笑)また先日修理に出した数珠が帰ってきました。何ヶ月かかるか分からないといわれていたのですが比較的早く戻ってきました。まだ真新しい白い房が素人っぽくてイヤですが、しばらく使っているうちにまた適当に汚れてくるでしょう。数珠は梅・かやなどですとしっかりしたものが3000円位~4000円位で買えます。ところが通し替えをすると4000円以上かかってしまいます。通し替えをするよりも買い換えたほうが良いと考える方もいらしゃるでしょうがそういうものではありません。数珠は長く使っているほど価値があります。私の持っている数珠はいくつか人から譲られたものがありますが最も古いものは40~50年ぐらいは経っており、最初の持ち主は法華経系の祈祷師さんで私が4人目の持ち主です。もったいないという精神からも長く使いたいものです。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月19日
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となりのトトロを見ました。この猫はネコバスそっくりです。違うところは、足が4本しかないところと、お腹の横に窓がないところと、大きさが小さいところです。夜は眼も光ります。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月18日
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太龍寺は弘法大師の「三教指帰」に出てくる阿国大瀧嶽と言われています。大きな杉の木立に囲まれた静かな場所です。徳島には他に2ヶ所「阿国大瀧嶽」を主張する場所があります。最も有力なのがここです。ここには南の舎心と北の舎心があります。南の舎心は弘法大師が修行した場所といわれ、弘法大師像があります。舎心はもともと捨身だったとも言われています。どちらも大きな岩の上で断崖ですから捨身のほうが本当でしょう。また求聞持堂があります。本堂のすぐ隣ですから読経はお静かに(笑)ここにはかつて奥の院である龍王の窟という洞窟がありました。弘法大師が求聞持法をしたとしたらここだったのではないかと思われます。戦前までは存在していましたが、現在はありません。驚くべきことにセメント会社に売られてしまい失われてしまいました!貴重な霊場であっただけに残念極まりありません。素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月17日
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私が四国遍路5度の中で最も苦しいと思ったところがこの20番札所鶴林寺への登り道です。登山道を知っている方は何で?と不思議がるでしょう。標高500メートルあまり、取り立てて難所と呼ばれる旧坂や、危ないところもありません。小学生の遠足にでも使えそうです。仏の世界にも地獄があり、地獄にも仏の世界がある。それを実感しました。私が経験したのは無謀にも台風が接近中での登山でした。下の勝浦川沿いの道は強風で進むのさえ困難です。まだ時間が早いので登山道に入りましたが、道に迷ってしまいます。風によって木々はざわめき、いつ枝が折れて飛んでくるとも木が折れて倒れてくるとも分からない中を登っていきます。無事たどり着けるのだろうか?途中で戻ることも考えましたが、戻るのも危険なところまで上がっていました。カッパを着ているためサウナのような熱さで汗がだらだら流れます。ようやくお寺が見えたときは本当にほっとしました。まだ午前中でしたが、その日は泊めて貰いました。翌日太龍寺への登山道では何本かの木が倒れていました。よく無事だったと思います。仏の加護もあったのでしょう。途中で私が追い抜いていったお遍路さんは登らず鶴林寺の麓の宿に泊まったそうです。ところで鶴林というのはお釈迦さんの涅槃のことです。娑羅樹はお釈迦さんの涅槃と同時に鶴のように白くなったといわれています。ここから、太龍寺までは下って上り2時間ぐらいです。鶴林寺であった車で回るお遍路さんよりも太龍寺に早く着いたことがあります。この二つの札所はとても霊気の高い場所です。ゆっくりお参りしましょう。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月16日
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昨日檀家さんよりバラス(砂利)を寄付していただきました。境内のでこぼこが目に付いたのでしょうか?「休みの日に来てならします」と言って頂きましたが申し訳ないので、2日間かけて自分で境内に敷き詰めました。しかし寄付していただくということは、その人がうちの境内で気になることがあったからでしょう。ひょっとしたら敷き詰めまでお願いしたほうが良かったかも?ちょっと反省しました。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月15日
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星の岩屋では10日ぐらい断食したでしょうか?ふともう一度四国巡拝に出たくなり、1週間ぐらいかけて体調を整えました。その間に不思議な体験がありました。近くに仏陀石というところがあります。物珍しさに試しに行って見ました。するとそこでいきなり天から何かが降ってきて「かさ」に落ちました。驚いてあたりを見回しましたが、何も落ちていません。いったい何だったのでしょうか?そこを守る何かが私の心を見透かして咎めたとしか考えられませんでした。星の岩屋から20番札所鶴林寺まではすぐです。しかし余裕があれば慈眼寺へ行きたいです。20番札所の奥の院と言われ霊場記にも載っています。途中に灌頂の滝と呼ばれる徳島最大の滝があります。納経所から本堂までは少し登りますが穴禅定と呼ばれる行場(鍾乳洞)があります。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月14日
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19番の立江寺から22番の平等寺までは不思議な?番外霊場が並んで?います。まず注目すべきは取星寺と星谷寺(星の岩屋)です。どちらも19番の奥の院と称しているが、遍礼霊場記にも載せてある由緒正しい番外霊場です。空に悪星がでた時にお大師さんが星の岩屋で祈願したところ取星寺に落ちたと言う説があるが定かではありません。星の岩屋は丁度、鶴林寺から勝浦川をはさんだ対岸の山の中腹にあります。本堂への石段の脇には鳥居杉があり、本堂脇には岩屈そこを抜けると滝の裏に出ます。滝を裏から見るので「うらみの滝」とも言います。クスノキにお不動さんが彫ってあります。すなわち「生木不動」です。ここにはとても思い出があります。10年以上前に修行させてもらったことがあるのです。下の星谷寺(下寺)で住職さんに「修行させてください」というと快く承諾してもらいました。断食をしながら毎朝夕、心経を50巻ずつ唱え、山を超え中腹の中津峰まで毎日行きました。70キロ以上あった体重が54キロまで減っていきました。素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月13日
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バシ9119さんの記事「僧侶が労働者?」を読んで思うところを書きたいと思います。以前から職業を書くときどうしようかと悩んでいます。「職業」が僧侶というのはどうも?よく、「休日は何をしているんですか?」と聞かれると悩んでしまいます。お寺に休日はありませんし、(友引は葬式がないだけです)それ以前に営業時間が決まっているわけではありませんので、起きている時間が営業時間?ということになります。本尊さんは年中無休24時間営業ですから、(空き時間があるはずがない)こっちもそれに従わざるを得ません。僧侶は「趣味」ですと言いたいところです。(実際そういったこともあります。)しかし、それによって生活しているのは事実ですし、お寺は「サービス業」という意見もあります。このたび善光寺の僧侶・職員が個人加入の労働組合に加入して寺院内に分会を作ったということである。詳しい記事はこちら善光寺の状況はよくわかりませんが、記事を見る限りでは僧侶といっても修行僧ではなく役僧ですし、職員も含まれていることから考えると労働者と見たほうがいいと思われます。役僧は休みもありますし、労働時間も善光寺のような大きなお寺では決められているはずです。私のいた高野山のお寺では社会保険にも加入できました。行っている仕事が違うだけでサラリーマンと変わりません。高野山でも私のいたお寺ではそれなりの給与を貰っていましたが、修行と称してそうでないお寺も多いようです。寺院が信者さんに施しを与える気持ちで運営されていれば、役僧も職員も給与が安くても我慢してくれると思いますが、営業が前面に出ていると、自分たちにも還元して欲しいという要求が出てくるのは止むを得ないのではないでしょうか? 戦後の農地解放で寺院は多くの土地を失いました。修行や勉強をしているだけでは生活できません。営業活動をしなければ維持できなくなっています。そのひずみが出てきたかたちだと思います。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月12日
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ぢん3112さんよりバトンがまわってきました。無条件バトンとありますが有条件なのでは?1)無条件でトキメク○○な3人 ??? 2)無条件で嫌いな○○なもの3つ ???3)無条件でお金をかけられる○○を数個 ???というよりお金がありません(笑)4)無条件で好きな○○を3つ 弘法大師ー当然ですね 日本 -日本の国が好きです 祭り -祭り自体よりも騒いだりする雰囲気(血沸き肉踊るような) が好きです。ハレの状態ですか。 5)無条件でバトンを受け取らせる5人(何人でも可) とりあえず2度バトンを廻されたぴくまるぴーちゃんさんにはおねがいし ます。希望者があれば申し出てください。無条件にされると難しいですね。期待にはお答えできませんが、申しわけありません。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月11日
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2月15日は「お涅槃」です。お釈迦様の命日と言われていますので、各地の寺院で法要が予定されています。高野山でも法要が催されます。とらねこもお釈迦様を意識しているのか?「涅槃釈迦像」のマネをしています。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月10日
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今日は私の誕生日です。普段の年は忘れていて、そういえば誕生日を過ぎている。と気づくこともしばしばです。今年はぢんさんが昨日誕生日ということでさすがに思い出しました(笑)とんちで有名な一休さんはアニメでは可愛らしい小僧さんです。ところが、実際の一休さんは破戒僧としても有名で酒を飲み、肉を喰らい、森という若い女性との愛欲生活などを詩にしています。その一休さんはお正月に皆が年を取ることを祝っている中を、骸骨を棒の先に付け歩き回ったといわれています。「年を取ることは必ずしもめでたいことではない。少しずつ死に近づいている。」それを言いたかったといわれています。私の生家の地区には4つの小字があり、さらにその小字が6つの班に分かれています。私の班には同級生が2人いました。中学生までは良く遊んでいましたが、高校になり一人りは外へ出ました。高校を卒業して私も東京へ出ました。30過ぎた頃一人がこの世を去り、もう一人も先日亡くなりました。ちなみに今年の誕生日は私の父も迎えていない歳です。つまり同級生の二人も私の父も迎えなかった歳まで私は生きてしまいました。平均寿命の「半分」を少し超えたところですが、不思議な縁を感じます。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月09日
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私は今までに身内の葬式を数回経験しております。僧侶としてはそれを遥かに上回る数の葬式に立ち会いました。いずれの遺体で在ってもそれを傷つけようと思ったことはありません。たとえその体内に千金値の宝があろうとも取り出したいとは思いません。僧侶としてはあるまじきことではありますが、思い出すだけで腹が立つ人間が亡くなって、その遺体を前にしたことがあります。言いたいことは山ほどあったのですが、不思議とそんな気持ちは消えていきました。遺体には何故かそのような尊厳があります。完全に死に至った遺体ですらそうなのです。まして、まだ温かく動いている肉体を切って中から臓器を取り出すことができるのでしょうか?自分はそれによって助かるかも知れない。でも臓器を取り出された人は確実に死ぬのです。人間の寿命はいつ何時、どのような理由によって終わりを告げるのか判りません。また明日という約束をしても明日があるという保障などどこにもありません。余命何ヶ月と宣告されたら、本人は何故、衝撃を受けるのか?自分が明日も明後日も、来年も再来年も生きていると思っているからです。考え方を変えれば、余命を宣告されたほうが充実した日々を送れます。風景までが今までと違って見えるのです。寝たきりになったらゆっくり考えましょう。世間のことに煩わされることなく仏になるための修行ができるのです。仏教者は喜んで手を差し伸べてくれるでしょう。仏教が嫌いならば別の宗教でもかまわないし、宗教が嫌いなら社会に対して寝たきりの人がどう関わっていけるかを考えるのはどうでしょう。障害を持っていない人は障害をもっている人の気持ちを考えられません。だから障害を持っている人でなければ障害者のことは考えられないことが多いのです。だからすべての人は死ぬ瞬間まで生きる意味があるのです。終わり 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あとがき昨日まで臓器移植について書いてきました。いろいろなご意見ありがとうございました。私もたくさんの方にご意見いただきこの記事を書いてよかったと思っております。まことに勝手ながらタイトルを変更しました、最近(というより元からですが)過激なタイトルによって目を引くというような手法を取っていましたが、大変姑息と思い反省しております。
2006年02月08日
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昨日の続きです。最近某ホテルが本来障害者のために使われるべきスペースを改造して別の用途に使っていたことが問題となっています。また最近は駐車場には車椅子用のスペースが設けられています。当然入り口に近いところに設けられていますが、明らかに障害者でない方がしばしば使用しているのを見受けます。何故でしょう?また、点字ブロックの上に平気で駐輪・駐車しています。私はこれらのことを非難するために書いたのではありません。障害を持つ方に生きる権利はあるのでしょうか?当然あります。当たり前だろうといわれるかも知れません。しかしもし五体満足の方が障害を持ったときどう思うでしょうか?最近はガンも告知されるようになり、余命数ヶ月といわれることも珍しくありません。私の知り合いの方もそう宣告されました。あと、数ヶ月しか生きられない人に生きる権利はあるのでしょうか?当然あるでしょう。でも自分が宣告を受けたらどう思うでしょう?臓器移植を必要とする方も同じです。同じように生きる権利があるのです。自分が臓器移植を受ける立場に立ったら?自分が当事者になるのと傍から見ているのでは全く違います。同じ状況におかれてもとてつもなく苦しむ人と楽しめる人がいます。次回は最終回です 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月07日
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先日慶次2000さんの脳死についての記事に「勝手に仏教界代表」として書き込みをしたところ、私の意見をぜひ記事にして欲しいと言われましたので、及ばずながら書きたいと思います。バシ9119さんのコメントに対する答えにもなると思います。まず脳死とは何か?まず、生きているということはさまざまな器官がおのおのの役割を果たして活動している状態でしょう。このバランスが崩れるのが病気の状態であり、コントロールできない状態になり各器官が活動を次第に停止してすべての器官が活動していない状態が死んでいる状態です。問題は完全に生きている、または完全に死んでいるという状態はわかりやすいのですが、その間の状態が問題になります。かつては心臓を停止した状態を死としていましたが、最近ではすべての活動を脳がつかさどるということで、脳が死んでいる状態を持って脳死とする考え方がでてきたようです。その背景には臓器移植の問題があるようです。人間が死に至っても、臓器は死んでいないものがあります。その臓器が臓器に障害を持つ人に移植できるならばその人は救われるということです。しかし考えていただきたいのです。人間はまだ生死に対して全くといっていいほど科学的な回答を持っていないのです。その証拠に死を伸ばすことはできても、死んでいる人をよみがえらせることは科学にはできません。死ぬ理由が判らないのです。逆に生まれることも同じです。受胎ということも科学的にはわかりますが、どの時点で一個の意識を持つのかも判っていません。脳死にしても心臓死にしても意識は本当にないのでしょうか。その時点で臓器を取り出すことによってその人が耐え難い苦痛を受けていないと誰が言えるでしょう。このことについては臨死体験談もありません。つづく 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月06日
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先日ギャオス777さんからも質問されましたが、今日も法事で「坊さんは正座で足がしびれないのですか」と聞かれてしまいました。以前私の親にも「坊主なのに足がしびれるのか?」といわれたことがあります。当然しびれます(笑)慣れません!足が痛くなるかどうかは、多少慣れの部分もありますが、しびれはどうしようもありません。特に僧侶が座る座布団はふかふかのものが用意してあります。これが曲者で、痛くならないのでしびれているかどうか判らないのです。以前お葬式の脇として読経したことがあります。そのときの布団がふわふわでお葬式が終わった後、立ち上がって礼拝をするのですが、皆が立ち上がったとき立ち上がれず、独りだけ座ったままで礼拝したことがあります(汗)窮屈な姿勢はしびれやすいので楽な姿勢にしたほうがいいでしょう。ジーンズなどタイトな服装はしびれやすいです。また、少しずつ足を崩して、血流を止めたままにしないことです。しびれるのは生理的なものですからあまり気にしないほうがいいと思います。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月05日
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一日遅れの話です。月曜日の話の種にもしてください。節分はもともと陰陽道から来ています。節分に限らず日本の年中行事は陰陽道から来ているものが多いです。まずは初詣。今は適当な寺社にお参りしていますが、もともとは、その年の恵方(良い方角)または障りのある方角でない寺社にお参りするものでありました。巻き寿司を食べるよりは効果がありそうです。屠蘇、七草粥、どんと焼きもそうです。節分は「ついな」といい邪霊や悪鬼を追い払う行事であります。もともとは12月の大晦日に邪気払いのために行われていましたが、後に年が明けた節分の夜の行事とされるようになりました。注)現在では新暦を使っていますので分かりづらいかも知れませんが、旧暦では1月29日が正月、また節分はその名の通り季節を分ける節目(旧暦では12月までが冬、1月からが春)とされていました。また節分を迎えて人は歳を重ねていきましたので、自分の星回りにあたる星を祀り除災招福を願いました。これが星祭りです。年回りが悪い方は気をつけてください。素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月04日
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昨日病院に行きにくい理由ということでブログに書いたところ、ちょっと気になる書き込みがありましたのでそれにお答えしたいと思います。まず第一に少し誤解があるようです。ブログに書いたように医者や病院を否定しているわけではありません。病院で直るものについては医者にかかることを勧めています。しかし仏教が心の領域を扱うものだという主張には疑問を感じます。心だけの問題を扱うならば私はその道の専門家に任せます。仏教は心の問題を扱うだけのものではありませんし、心と体は不可分のものと私は考えております。さまざまな科学を駆使してもどうにもならない問題にこそ仏教が真価を発揮すると思っております。また、宗教は自然科学を始めとする学問の分野から独立したものではなくと不可分なものと考えております。特に生と死の問題に関して新たな生命を作り出すこと、臓器移植、死の判定などはいずれも科学の分野ではなくなっています。教義に反しているからといって学問を捻じ曲げるようなことが、かつては行われていたことは事実です。それについては気をつけるべき問題ではあります。しかしながら、仏教の教義でも解脱というのは心の持ち方というような軽いものではなく、心と体を含めたものであると私は考えております。そして最後に申し上げたいことは、加持祈祷を依頼される方の中には「ちょっと風邪を引いた」とか「腹痛で拝んで欲しい」というような人はいません。もっと深刻な悩みで、どうしようもない場合に来られます。祈祷はわが身に降りかかる可能性もあることなので、安易に行っている訳ではありません。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月03日
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昨日さくらんぼのハハさんから「お坊さんは病院で見かけることはあまりないような気がしますが、読経や規則正しい生活が体にいいんでしょうかねぇ。」と言われましたが、早速病院に行ってしまいました。少なくとも他の僧侶の方は知りませんが、「密教僧」としては病院にいくのはとても恥ずかしいことです。なんとなくお医者さんから「拝んで直したらどうですか?」と言われそうですし、そう言われなくても、心の中で「祈祷で直せずに病院に来るとは、このインチキ坊主め!」と思われるに違いない?(聞いてみましたがそうは思わないようです。)私は護摩を初めとする祈祷によって病気を治した?という実績?もあります。だからとても病院に行きにくいのです。真言宗の教えでは病院にいくこと自体が否定されているわけではありません。(当たり前ですが)しかし六大・四曼という考え方からは病気は祈祷によって直せるはずと考えられます。だから病気になったらとりあえず「拝んで直す」と考えてしまいます。面倒なことを考えずに、病院にいって直る病気ならば、行って直してもらえばいいようなものですが、今度は「坊主のクセに不節制をしていて病気になった」と思われそうで、やはり行きにくいです。ちょっと調子が悪くなるともう寿命か?と思うこの頃です。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月02日
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徳島市内を抜けてさらに南へ向かいます。すると大きな川を渡り、小松島市に入ります。かつては和歌山からフェリーが着いて賑わいを見せていましたが、明石海峡大橋と鳴門大橋ができると、フェリーの利用客も減りフェリー自体が徳島に移されてしまいました。国道から山手の旧道に入ってしばらく歩くと右側にこんもりした山があります。これが旗山で義経が屋島へ向かうときにここから上陸したといわれています。右の山を少し登ると18番恩山寺です。ここの門前には「ちば」という民宿がありました。本来は四国遍路は肉・生魚は食べてはならないとされていますが、故あってここでは食べました。ひょっとしたら最後の晩餐になったかも知れない食事でした。ここから立江寺までは焼く10キロです。途中にお京塚といういわれのある場所があります。また、川を渡って立江寺に向かうのですが、渡らずにそのまま進むとかつて立江寺があった場所があります。現在でもお寺があります。現在の立江寺は街中にありますが、その昔火災にあって全焼した時に現在の場所に移ったといわれています。こちらはもともとの札所の雰囲気を持っています。ぜひ立ち寄ってみましょう。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年02月01日
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