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昨日「お寺のバトン?」というタイトルにしたところ、少し誤解されてしまいましたので改めて説明させていただきます。これはバトンではありませんし、私が誰かに回すことはありません。ただ、一般的にまわっているバトンのようだったので、そう名づけただけです。誤解を与えて申し訳ありませんでした。昨日の続きです。7.お寺さんは結婚していいのですか。いいとすれば何故ですか?8.お坊さんの力で、死んだ人を自由にできるのですか?9.供養とか布施とかいいますが、どういう意味ですか?10.お宅とのつきあいをやめたい時は、 どのような手続きがいりますか?7、南伝仏教・大乗仏教の戒律ではいけないことになっています(不淫)。密教の三摩耶戒には規定がありません。日本ではもともと戒律があまり守られない状態で仏教が伝わってきています。現在でも南伝仏教をはじめ他の仏教国から批判の種にされています。この問題に関しても本来はもう少し議論されてもよかったかと思います。とはいえ、明治以降妻帯が認められるようになってもすぐには一般的になりませんでした。まだ戦前は寺院は豊かで貧しい家庭の子弟を預かり小僧として教育しながら雑務をさせていました。しかし戦後農地解放により、そのような余裕はなくなってしまいました。したがって寺院の住職の留守を預かる意味もあって妻帯が進んだと思います。妻帯自体についてはそれほど問題があるとは思えません。むしろ、協力者としてのメリットがあるように思われます。結婚自体よりも寺院のあり方のほうが問題になると思います。8、ちょっと適当でない質問のようです。亡くなった方をどうすることはできません。葬式における僧侶の役割についてはこちら9、布施は昨日書いたように施すことです。僧侶が法を説くのは法施といいます。また、人に微笑みかけるのを和顔施といいます。供養とは寺院・僧侶・先祖などにお供えすることです。10、基本的に手続きなどいりません。そう伝えれば住む話ではないでしょうか?上記は個人的見解です。ご意見いただけたら幸いです。コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月31日
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お寺のバトン?を見つけました!ある在家おぼうさん(製作者ー住職)のページから拾ってきました。このようなことをお寺に聞いてそのお寺を判断して欲しいということです。1.お布施の使い道を教えてください(できれば書面を要求する)。2.今日のお経について、何が説いてあるか教えてください。3.死んだ人はどうなっているのですか?4.お墓は絶対に必要ですか?5.お仏壇は絶対に必要ですか。6.人間は肉体と魂の二つに分けられるのですか。7.お寺さんは結婚していいのですか。いいとすれば何故ですか?8.お坊さんの力で、死んだ人を自由にできるのですか?9.供養とか布施とかいいますが、どういう意味ですか?10.お宅とのつきあいをやめたい時は、 どのような手続きがいりますか?私も聞かれる前に答えておきます。(笑)回答1、お布施は与えること・施すことですから渡す側も行(物の執着から離れる)になることです。その使い道を聞くということは、このバトン?の作者がお寺のお金の使い道に不審感をもっているということです。仏教に限らず宗教はまず相手を信頼することからはじまります。そうである以上、信頼できないお寺には宗教行事を頼まないというのが普通です。あまりおすすめできない質問です。2、真言宗は理趣経というお経を唱えます。理趣経については誤解されやすい部分がありますので直接お寺さんから聞いてください。3、どうもなっていません。仏教では他の世界に四十九日で生まれ変わるといわれています。しかし個人的にはどうか?というのが本音です。六大から生まれたものが六大に帰るような気がします。4、5、お墓・お仏壇とも必ずしも必要ではありません。6、肉体と魂に分けられるというのは仏教的な考え方ではありません。その二つは交じり合っていると思います。続きは明日します。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月30日
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久しぶりの雑記帳です。前回はこちら室戸は台風銀座とも呼ばれ最御崎寺までの海沿いの家は要塞のように壁で囲まれています。24番札所最御崎寺から下って少しいくと室戸の町に入ります。25番札所津照寺はすぐです。23番から24番までが長かっただけに少しあっけない感じがします。この津照寺は階段が急でいつも上から誰か落ちてこないかひやひやです。25番から26番金剛頂寺まではすぐです。この金剛頂寺が本来の室戸の札所ではないか?と私は考えています。室戸岬(金剛頂寺)足摺岬(金剛福寺)の二つがその昔の修行道場だったのではないでしょうか?ところで、室戸には2つの番外霊場があります。24番奥の院といわれる四十寺と26番奥の院といわれる池山神社です。四十寺はかつて最御崎寺がここにあったとも言われています。山中の無住のお寺です。今の時期なら行けますが、もう少し暖かくなると草が生い茂りいくことができません。池山神社は案内のない山道を約4キロ入っていきます。途中枝分かれも何箇所かあります。不案内の山中でよく行けたものだと思います。不思議なことに歩き遍路それも野宿(私の場合はテントなしで、寝袋だけでした)をしていると眠っている野性がよみがえるのでしょうか?どんどん神経が研ぎ澄まされていき、朝起きたら天候もわかりますし、方向感覚がよくなってきます。適当に進むと目指している方向に進みます。池山神社は山中を歩いていると目の前の林が開けて大きな湿地の中に神社の社が出現します。思わず「おお~」と声を上げたくなります。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月29日
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今日ご飯を食べられたら感謝しましょう!今日寝るところがあったら感謝しましょう!そして、もし明日・・・目が覚めたら生きていることに感謝しましょう! ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月28日
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先日の地蔵講でお話した法話です。haseusagi062029141さんからもどのような話か聞きたいと言うことでしたのでお話します。そもそも何故お経をお唱えするか?もともと仏教では説法ということが重視されています。読んで字の如く仏「法」を説くことです。ですから何かの機会につけ法を説いていました。ところがそれがいつしか読経に変わったといわれています。何故でしょうか?お経は「如是我聞」(このように私は聞いている)というはじまり方をします。(全部ではありません)お経はお釈迦さんあるいは大日如来の説法を聞いたものなのです。自分でお経を読むわけですが、一方耳でそれを聞いています。すなわち、お経を唱えるということは、お釈迦さんまたは大日如来の説法を聞くことなのです。また、般若経典(空を説いています)ではお経を読むことの功徳が書いてあると言われています。般若心経には「よく一切の苦を除く」とありますし理趣経にも読むことの功徳が説いてあります。そのようなことを頭に入れながらお経を読んでください。というような話でした。コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月27日
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一昨日は四国巡拝に出かけました。よく晴れた空、絶好の巡拝日和です。一昨年3月よりはじめた四国霊場巡拝もようやく終わりを迎えようとしています。少しはだ寒く風もあるようです。体調も少し悪いようなので帽子と呼ばれるマフラーのようなものを首に巻いています。86番志度寺を済ませ、87番長尾寺へそして別格20霊場大瀧寺へ向かいます。大瀧寺へは長尾から脇町へ抜けるR193から登っていくのが普通です。ところがバスの運転手さんは香川の方に聞いたそうで道の駅「しおのえ」のあたりから登るというのです。ところがトンでもない道でした。普通車でも通るのがやっとの道幅を大型バスで登っていきます。ガードレールがないところがほとんどで、落石もあります。両側から覆いかぶさる枝を払いのけるようにして進んでいきます。バスが小刻みに揺れるたびに不安が広がります。「帰りもこの道ですか?」「大丈夫ですか?」と聞かれましたので「大丈夫です。保険掛けてありますから」と答えますが、何の保障にもなっていません。「ドライバーさんが○○さんでなかったらこの道は進めません」と言った途端難所に差し掛かり、バスは止まりました。ガードレールはなく、路肩もどこまで安全かわかりません。ぎりぎりで通れるかどうか、ゆっくり進みます。少しすすんでは止まります。一瞬「四国の遍路のバスあと一ヵ寺を残して谷底へ転落!」という見出しを思い浮かべてしまいました。(笑)何とか乗り切り大瀧寺へ着いた時は皆ほっとしていました。帰りは通常の道を難なく下り88番札所へお参りして結願しました。四国巡拝は有り難いことを改めて実感した日でした。お礼参りに三ヶ所の寺社をお参りしましたが、水主神社のいのり杉、与田寺のムク、白鳥神社のクスノキその三本の大木が春の日差しでまぶしく見えました。5月から徳島発西国三十三観音霊場巡拝を企画しています。参加者募集中です。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月26日
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先日お彼岸特集と題して弘法大師伝説、即身成仏とは、霊の正体はを書きました。想像以上にたくさんの反響がありまして驚きました。誤解されている所もありますので改めて私の見解を述べさせていただきます。私は見えない世界を無条件に肯定しているわけではありません。意外に思われるかも知れませんが、一般的な見えない世界に特に霊の仕業、先祖のたたりなどには慎重に対応をしてます。よくそのようなことを自分から言われる方もありますが、それこそ怪しい宗教団体の餌食になります。一方そのようなものは全くないという見方に対しては反論します。そういいきれるほど人間はこの世界を知っているわけではありません。人間が生きていること自体が不思議なことなのです。つまり、見えない世界を無条件に肯定したり否定したりしているわけではないのです。仏教的な言葉を借りれば中道と言うことになるでしょう。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月25日
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今日は徳島もよく晴れていました。とらねこもお彼岸の仏道修行の成果でしょうか?ついに立ち上がりました。 ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月24日
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今日は恒例の地蔵講の日です。いつもながら準備にバタバタします。今日ふとお経を信者さんと唱えながら考えました。当院は本尊様はお地蔵さんです。唱えするお経は般若心経、観音経偈、理趣経偈、舎利礼文そういえば、お地蔵さんのお経がない!延命地蔵経・地蔵本願経というお経もありますが、習ったことがありません!(汗)ところでいつもながら法話は困ります。いつも同じような話が多いという鋭い指摘もありましたので(月によって変えていましたが)お経を唱えている時まで考えていました。何を話すか決まらないまま話はじめたら思いつきました(笑)その内容は「お経を唱えることは説法を聞くことと同じ」この話はまたの機会に コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月23日
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一昨日の奥の院の廟での話ですが、何故観賢僧正に見えて弟子に見えなかったか?人間の目はカメラのように物をそのまま映しているものではないようです。目で見たものを脳で映像処理してそれを見ているそうです。これは同じ場面であっても見ている人によって光景が違っていると言うことです。よく見えないものは信じないと言う人がいますが、この言い方は現在では全く非科学的なのです。逆に言えば何らかの空間の変化を捉えて映像化できるということです。人間が死んだ場合に普通なら、構成している物質は分解されます。しかし意識の部分はどうでしょう?完全には意識と肉体には分けることができません。それでも人間(生き物)をそうさせている意識の部分が残ってしまったら、その部分が逆に空間に何らかの影響を与えることが考えられます。当然その変化を人間の眼が捉える可能性もあります。これが霊といわれるものの正体ではないでしょうか。あるいはそれが長年にわたって残ったとしたら前世として捉えられる可能性もあります。これは私の体験から導いた仮説です。私は霊は見えません。しかし何らかの見えないものの存在を感じています。人間は死んだら終わりではありません。その先があるのです。だからこそ即身成仏が必要なのです。 お大師さんは私たちに即身成仏への道筋という遺産を残してくれました。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月22日
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昨日はお大師さん(弘法大師ー空海)の入定の話をしました。入定には一つ誤解があります。お大師さんが奥の院で即身仏(ミイラ)になっていると言うような俗説が流布していることです。この説についてはこちらをご覧ください。お大師さんは即身仏ではなく即身成仏されています。その即身成仏とは何か、一言で言えば生死を越えることです。人間の生死については現代でもはっきり解っていないことが多いようです。確かに生物がどのような過程を経て生まれてくるかは解っているようですが、何故意識を持つかは判っていません。また生物は意識を持っていますが体を完全にコントロールしているわけではありません。 心臓を止めてみるということは無理です。自律神経による部分は個人の意識と関係ないようです。真言宗には六大・四曼の説があります。この説によれば、生物は個々の素粒子によってできているだけでなく、意識をも含めた状態で存在しています。また人間は自分の体などと言いますが実は自分と他人はつながっています。それどころか宇宙(それ以上あるかも知れませんが)のすべてのものとつながっています。人間は自分の肉体にとらわれていますが、宇宙と一体化していることを感じる事ができれば宇宙すべてが自分なのです。すなわち死ぬことはありません。お大師さんは即身成仏されました。お大師さん(空海)の肉体は滅びましたがそれは六大の世界に帰っただけです。お大師さんは宇宙そのものなのです。ですから昨日の話のようにお大師さんが姿を持って現われることもあるわけです。続きます。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月21日
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大江戸看板男さんより質問いただきました。~~~~~~~~以下質問~~~~~~~~~~~~~~~>オーラの色を言ったり、ゲストの守護霊と会話したり、前世を言い当てたりといったやりとりをしています。>結構霊感が強い方がいらっしゃって、霊が見えるかたを数多く知ってます。そしてその内容も嘘を私に言っているとは思えないようなことばかり・・・>いずれにしても、人間死んでハイおしまいって思っている方がたくさんいるとは思いますが、いかがお考えになりますでしょうか。~~~~~~~~~以上質問~~~~~~~~~~~~~~大変興味深い質問でした。真言宗の教えの核心部分にもつながる部分です。紙面の関係上?一部質問をカットしております。全文お読みになりたい方はこちらこの話についてはまずお大師さん(弘法大師ー空海)の入定伝説を話さなければなりません。ちょうど明日は新暦の御影供(お大師さんの命日)です。各地でお大師さんを慕う法要が行われます。弘法大師伝説は全国に3000あるといわれています。お大師さんが高野山の奥の院にいらっしゃって、人々を救っているというのです。驚くことに、この伝説は現在も増え続けています。お大師さんに助けられたと言う話は時折耳にします。そんな馬鹿な!と言われそうです。しかし、現在でも毎日欠かさず奥の院のお大師さんに食事が届けられ一年に一度衣替えがあります。何故そんなことがされているのか?この話は約1100年前にさかのぼります。弘法大師の諡号(おくりな)を奏上した観賢というお坊さんがいます。この方が弟子を伴なって弘法大師号を送られた報告に高野山の奥の院に行き開かずの廟所を開けて中へ入りました。するとお大師さんが生前そのままの姿で座っておられぼろぼろの衣に髪は伸び放題、見かねた観賢僧正はお大師さんの衣を替え、髪をそったと言われています。ちなみに連れて行った弟子にはお大師さんが見えなかったそうです。この話を皆さんはどう思われますか?続きます。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月20日
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今日は日曜日ですので法事が入っていました。いつもは法事の前に法事で何をしているか説明してから読経に入りますが、昨日からお彼岸に入っていますので、特別に終わった後に法話をしてみました。先日の記事のような話をして、彼岸(悟りの世界)へ渡るためには六波羅密を実践しなければなりません。その六波羅蜜とはまず1、布施(ダーナ)-恵み施すこと。 のちに施す人(後援者)が檀那と呼ばれました。2、持戒(シーラ)-戒を守ること。3、精進(ウ"ィリーヤ)-努力して仏道に励むこと。4、禅定(ディヤーナ)ー内観・瞑想をすること。 禅は音写です。5、智慧(プランジャニャー)ー悟りにいたるための智慧。 これを完成するために他の五つの波羅蜜を???4つしかない!一つ足りません。一生懸命思い出そうとしましたがどうしても思い出せません。やむを得ずません。あわてずに「実はもう一つあるんですが忘れてしまいました。興味がある方は調べてください」とまとめました。帰ってから急いで調べてみると思い出せなかった後の一つは忍辱(にんにく:クシャンティ)-耐え忍ぶこと。侮辱されても、軽蔑されても耐えることです。気が短くかっとなりやすい私に最も欠けている部分でした。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月19日
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甲浦から少しいくと野根に入り東洋大師(野根大師)があります。かつては遍路宿であったとも言われています。この野根から室戸の佐喜浜までが飛び石・はね石といわれる難所でした。現在は見通しのいい道路となっています。ほとんど民家がない場所が10キロ以上続きます。室戸市に入ってすぐに入木という小さな集落があります。ここに仏海上人の庵があります。仏海上人は地蔵尊を3千体!刻んだと言われており、ここで即身仏と成られています。ここまで来ると目指す室戸岬はすぐです。室戸岬には御蔵洞という岩窟があります。ここでお大師さんが虚空蔵菩薩求聞持法を修された時、明星が現れてお大師さんの口に飛び込んだと言われています。またお大師さんの「空海」という名前はこの室戸岬の海と空からつけられたといわれています。ぜひお参りしたいところです。この御蔵洞のすぐ脇から少し登ると24番札所最御崎寺です。この最御崎寺は東寺と呼ばれ、26番札所の金剛頂寺が西寺と呼ばれています。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月18日
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つい3日前に雪が積もったと思ったら一転して、今日は暖かな春の陽気となりました。明日からお彼岸です。とらねこもお寺の居候です。お彼岸にせめて仏道修行しようと合掌しながらお経を唱えようとしているのでしょうか? ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月17日
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今年は明後日(18日)からお彼岸です。お彼岸は先祖供養の行事になっており、仏壇を祀りお墓をお参りしますが本来はそのような行事ではありません。彼岸とは此岸に対する言葉です。此岸(迷いの世界)から彼岸(悟りの世界)へ渡ることを意味しています。日本で親しまれているお経に般若心経があります。この般若心経は正式には「摩訶般若波羅蜜多心経」といいます。この「波羅蜜多」というのが到彼岸と訳されています。つまりは悟りを得るための修行をすることが彼岸なのです。では何故この時期にするのか?お彼岸の中日は春分(秋は秋分)にあたります。この日に太陽は真東から登り、真西に沈みます。現代でも「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように季節の変わり目にあたっています。昔の人はこの季節の変わり目の不思議な日に修行をすると悟りを得られると思ったのではないでしょうか?ですから春分の日をはさんで前後3日ずつを彼岸として修行期間としたような気がします。根拠がないといえばそうなりますが、いい機会です。お経を読むのもよし写経をするのもよし。何か仏道修行をしてください。おすすめの修行は「弘法大師(空海)の秘宝を追え」を読む? コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月16日
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海南から海部を過ぎ、宍喰に入ります。宍喰には温泉もあります。宍喰からすぐに甲浦に入りますがここは高知県で、鉄道もここで行き止まりです。ここでちょっと神社参拝についてお話したいと思います。四国遍路は神仏両参りといわれていますので、私は神社も積極的にお参りしました。よく札所だけしかお参りしない人がいます。以前申し上げたようにこれはいけません。 何故神社にお参りするか?その理由ですが一つには四国の人たちに感謝していただきたいのです。四国人である私が感謝せいというのはトンでもないと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、そうではありません。四国霊場を生み育ててきたのは紛れもなく四国の人間です。それも長年にわたって維持してきたのです。現在でも遍路という歩いて参拝できる形が残っているのは、弘法大師・真念法師と言う父親があっても四国の人たちが母親となって守ってこなければ、西国・坂東の霊場のように歩いてお参りする形は遥か昔に消滅していたことでしょう。ですから四国の人たちには感謝の念を送って欲しいのです。その具体的な現れが土地の氏神を祀る神社への参拝なのです。有名な神社に自分の願いを掛けるのではなく、無名の神社に感謝のお参りをして欲しいと思います。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月15日
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昨日の記事で書いたように今日はお釈迦さんの命日です。涅槃法要が行われたので行って来ました。奇しくも記事が200本になりました。いつも訪問してくださる皆様のお力添えがあっての賜物です。宗教系のページにも関わらず、コメント・書き込みをたくさん入れてくださり本当にありがとうございました。いつも励みになっています。これからもよろしくお願い致します。ところで今日は朝起きたら写真のような雪です。終日降ったり止んだりを繰り返していました。寒いの寒くないの(どっちだ!)涅槃法要は四座講式と言って四座にわたって講式(文章に節がついたもの)を中心にした法要を行います。涅槃(お釈迦さんの入滅)羅漢(お釈迦さんの弟子)遺跡(お釈迦さんの遺跡)舎利(お釈迦さんのお骨)を讃嘆するわけです。真言宗の法要は通常、密立(密教の法要)でありますが、この涅槃法要は顕立(顕教の法要)で講式は明恵上人(華厳宗)の作といわれています。伽陀という独特の節回しの声明が多用されますので、真言宗の法要の中でも美しい法要といえます。今日は仏様を讃嘆する漢文に節が付いた声明の頭(最初の独唱)があたっていましたが、練習をあまりしていなかったので間違えてしまいました。(ごめんなさい)昨日は6時から8時半ぐらいまで、今日は11時から1時、2時から3時半くらいまで法要でした。その1時間くらい前から集会(しゅえ)後にお斎があります。ずっと正座していたので足が棒のようになってしまいました!コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月14日
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明日は旧の2月15日でお釈迦さんの命日です。今日の宵から明日にかけて涅槃法要が行われます。涅槃法要はお釈迦さんを追慕し、恩徳に報いるために行います。何故お釈迦さんは亡くなられたか?チュンダという鍛冶屋がお釈迦さんに食事を供養しました。その食事が「きのこ」なのですがそれが当たったようです。病が起こって赤い血を吐いたとあります。普通ならチュンダを責めるところでしょうが、お釈迦さんはそうしませんでした。それどころか、弟子にこう語ります。「師(お釈迦さん)はチュンダの食事によって亡くなった、チュンダには利益がなく功徳もない。」そう言ってチュンダを後悔させるものがでて来るだろう。その時は言いなさい「師はチュンダの食事によって亡くなった、チュンダには利益があり功徳がある。そう師から聞きました」何で利益・功徳があるんだろう?そう思いたくなりますが・・・最後にお釈迦さんはこう述べられました。「与うるものに功徳は増し、心を正しく整えるものに うらみは積まれず・・・」 コウユウ徳島は名東の地蔵院で涅槃法要が行われます。今日 午後6時 明日 午前11時 ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月13日
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鯖大師を過ぎると海南です。ここにはかつて重要な番外霊場?がありました。海部の大師堂のちに弘法寺といわれたところです。ここには江戸初期に「遍路札所の日記の板」というものが売られていたようです。この話は澄禅大徳の四国遍路日記(現存する最古の遍路日記)にでてきます。澄禅大徳は江戸時代の梵字の大家として知られています。この人が遍路日記を書いているのは意外です。余談ですがこの日記には江戸初期の札所の惨状が描かれていて面白い?です。ボロボロで住む人がいない札所があり、住んでいるのが得体の知れない坊主?だったり、 お参りしていたら寄付を言われたり、当時の高僧である澄禅大徳が必死になって川渡しを懇願するところなどなど、最後に道のりは488里、河が488瀬、坂が488坂と書いていることからして相当苦労された様子です。同時代あるいは少し後に遍路をしていた真念法師はこの現状を何とかしようと四国霊場の整備に掛かられたのではないでしょうか?先ほどの「遍路札所の日記の板」は、現存する最古のルートブックである真念法師の道指南より古いものと思われます。現在「海部の大師堂」はA寺となっています。訪問しましたが「遍路札所の日記の板」の話は全くわかりませんでした。ある遍路研究者の方ともお話しましたが「もし出てきたら大変だ!」といわれています。お持ちの方がおいででしたらぜひご連絡を。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月12日
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以前お寺にはねずみが住んでいて、お供えなどは言うに及ばず、いろいろなものがかじられていました。しばらくして猫が天井裏に上がるようになると自然とねずみはいなくなりました。ところが今度は猫が住み着いて天井裏でおしっこなどをするようになったため、天井への入り口を塞いでしまいました。それが昨年の5月のことです。あれから10ヶ月。一週間ぐらい前に夜寝ていると天井裏を走るモノがいたような気がしました。気のせいかとも思いましたが、朝起きて台所へ行くとゴミ箱からゴミが散らかっており、置いてあった落花生の殻が荒らされていました。ねずみが復活してしまいました!さらに今日は暖かいので蚊が発生?むむむ・・・殺生するわけにはいかないので困った~禅宗のお坊さんの話で夜に竹やぶに入り座禅を組んで蚊に血を供養したという話があります。私は蚊に強く刺されても1時間もすればハレが引いてしまいます。でもちょっと真似できません!ちなみに高野山の専修学院では香取線香も殺虫剤も禁止されています。もう少しするとゴキブリが現れ、ムカデも上がってきます。楽しい時期がやってきます! コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月11日
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日和佐を出ると次の24番札所最御崎寺まで80キロ以上あり普通に進んで2泊3日です。この間には番外霊場がいくつかあります。まずは鯖大師です。お大師さんが鯖を積んだ馬子に鯖を所望しますが呉れなかったので、「大坂や八坂坂中鯖一つ大師にくれで馬の腹病む」と一句詠むと馬が倒れて苦しみはじめました。困った馬子が鯖を一つ差し出すと「大坂や八坂坂中鯖一つ大師にくれて馬の腹止む」とお大師さんは一句読み、貰った鯖を海に返してやりました。詳しくは鯖大師に宿坊があります。泊まって住職から直接聞いてください。ところで江戸時代の真念法師の遍路道指南には「おふ坂や八坂の中鯖一つ行基にくれで駒ぞ腹病む」「おふ坂や八坂の中鯖一つ行基にくれて駒ぞ腹止む」と行基菩薩の話になっています。もともとはお大師さんの話ではなかったものがお大師さんの伝説へと変わって行ったことが解る実例です。また鯖はもともと生飯(さばと読みます)のことではないかとも言われています。生飯(さば)と言うのは自分の食事の一部を餓鬼などの鬼神に供養することです。また峠には手向けの神という神様がいて、その神様に何か供養すると無事に通行できるといわれていました。そこで生飯(さば)を供養していたのが、魚の鯖に変わってしまったと言う説です。鯖大師の辺りはかつては八坂八浜といって大変な難所だったといわれていました。そこを安全に通ることを願って生飯(さば)供養をしていたのが、鯖大師のはじまりかもしれません。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月10日
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先日nazuna3027さんより以下の質問がありました。質問>葬式仏教が民俗信仰の代弁をしている事はそうですが、>では真言宗は仏教ではないのですか。>どうもよくわかりません。>葬儀の際の僧侶と信者(死者)の関係を教えてください。これに対して葬式における真言宗の役割という記事を書きました。すると再度以下のような質問がありましたのでお答えしたいと思います。質問>生者が死者を左右できるという考えは仏説にはないと>思えますがいかがでしょう。>別にお説きになっている中陰思想も仏説ではないことは>明らかになっていると思われますが…?確かにご指摘の通りです。仏典には無いかも知れません。しかし、仏教はインドにおいても、部派仏教と大乗仏教・後期密教では全く違う教えではないかと思われるぐらい違います。さらに仏教は中国を通って日本に伝えられました。当然中国で加えられた教えもあり、日本で独自の発達を遂げた思想もあります。華厳、律、唯識(法相宗)は中国で発達し、日本に輸入されました。また密教、禅、浄土、天台は中国よりも日本においてさらに進化を遂げ現在に至っています。インドでのオリジナルの教えに比べてすぐれた部分もあり、残念ながら忘れられてしまった部分もあるでしょう。しかし全体的には進歩していると思います。現在の仏教に対してご意見がおありなことはよく分かりますが仏典に無いからといってその考え方を否定することはいかがなものかと思います。実際に日本の仏教から後から加えられた部分を捨て去ってしまったとしたら、空気の抜けた風船のようになってしまい、原始仏教から後退している部分のみが目立ちます。日本の仏教は約1500年の歴史を持っています。上記の質問が仏説にないとしても何の問題もありません、もはや一つの教えとして認めるべきでないかと思いますがいかがでしょうか? 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月09日
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昨日の問題について書かせていただきます。Aについて答えは2と3です。間違えて私は1と3を選んでしまいました(汗)解説する資格はありませんが(笑)させていただきます。お釈迦さんは最初の説法で四諦八正道を説かれました。まず「愛欲にふけること」と「苦行に体をさいなむこと」はこの二つから離れること(してはならない)を説かれました。これが中道です。そして中道とは八つの正しい道です。(八正道)そして人生が苦に満ちていること(四苦八苦)それを見極め悟りへの道筋を説いた(四諦)詳しくはて○きですが、下の慶次2000さん、またはヒロ伊藤さんの記事を参考にしてください。中道四諦八正道四苦八苦Bは答え3となっていますが異議あります!そもそも善いこととは誰が決めるのでしょうか?人間が決めるのでは時代・場所によって違います。最近の例でもアスベストなどは私の子供の頃は問題にされていませんでした。今頃になって騒がれてもと思っている人も多いでしょう。火葬なども日本では普通ですが海外では問題になる国が多くあります。ですから善いことというのは極めてあいまいです。原始仏教でも布薩という行事があり、自分が罪を半月毎に告白していました。大乗仏教になって自分は遠い昔(前世を含める)からたくさんの罪を知らず知らずのうちにあるいは意識して造ってきています。その罪に対して仏様の前で懺悔(さんげー濁りません、キリスト教は「ざ」んげです)します。さらに真言宗で葬式・法事などで唱えられる理趣経には「ありとあらゆる世界の生き物をすべて殺してもこの経典を読んだり聞いたりしたら地獄に落ちない(罪が消える)で完全な悟りが得られる」とあります。私は1を選びました。お釈迦さんが善いことをしなさいとすすめたと仏典にあるのは事実でしょうが、3が正しいとはいえないような気がします。皆さんはどう思われますか? ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月08日
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先日仏教力テストという本を買いました。仏教についての問題集?のようなものです。試しにやったところ21問連続正解!1問間違えてもう一度21問連続正解!そしてまた間違えました。間違えた問題は次の通りA,ブッダが最初の説法で話した内容に該当するものを二つ選びなさい。1、慈悲 2、中道 3、四聖諦 4、修行 5、出家B,私たちのようにさとりを得ていない者にとって「因果応報}の連鎖を絶つことは困難です。ならばどうしなさいとブッダはすすめたでしょう。1、悪事をなしたと思ったら懺悔しなさい。その悪い行為は消えます。2、考えてもきりのないことだから自由に生きなさい。3、後で悔いることのないように善いことをしなさい。とらねこは前世の報いによって猫に生まれています。とらねこの仏教力は如何ほどでしょうか? ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月07日
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2度目の断食はもっと大きな失敗をしてしまいました。断食は入る時はそれほど難しくありません。また断食中はそれほど何か食べたいとも思いません。終わったら何か食べようとは思いますが、実際には食欲があるわけではありません。大事なのは断食を終えて普通の食事に戻す時です。断食をすると胃腸の調子がよくなるので食欲が出てきます。終わったとたん食欲に任せて食べてしまうと最悪の場合死に至ります。私の場合断食を終えてから道場にいたときは出される食事以外食べませんでしたが、終わって帰りの列車の中でいろいろなものを食べてしまい、断食の効果がなくなってしまいました。(笑)断食ではありませんが、私の知っている行者さんは行中食事を制限していたのを終わったとたんいろいろなものを食べてしまい亡くなりました。ですから戻す時は気をつけなければなりません。3度目の断食では山越えをしていましたが、登る時は本当に苦しかったです。呼吸に併せながら一歩一歩登っていくのがやっとでした。断食を終えて少しだけ食料を口にすると不思議なことが起きました。体が羽根のように軽くなったのです。山登りなど飛ぶように登れます。食べる量は一食分を三度に分けて食べていましたから、栄養的には全く不足しているのですが、不思議と空腹を感じるわけでもなく、いわゆるガス欠にもなりませんでした。仙人は霞を食べて生きているとも言いますが、ちょうどそんな感じです。この不思議な感覚は食べる量が徐々に増えていくと共に失われてしまい、以前の重いからだに戻ってしまいました。貴重な体験だったと思います。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月06日
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先日四国遍路の雑記帳で断食をした話を書きましたので、断食について書きたいと思います。かつて私が居候していた椿堂の老住職からこう聞いたことがあります。「人間が六道の中で経験できる世界は唯一餓鬼道だけだ!」その後、修羅道、地獄道に落ちていると思われる人を見ました。しかし自分の意思で経験できるのは餓鬼道以外はありません。私は3度ほど断食を経験しております。うち最初の2度は韮崎にある道場で行っています。そこは特定の宗教とは関係ないところです。20歳の頃アトピー性皮膚炎がひどかったため体質改善のために行きました。最初に3日ぐらいかけてだんだん食事を減らしていき、そして断食に入るのです。断食にはいると頭が重くなり、妙な臭いがしてきます。水をたくさん飲んで老廃物を出していきます。何日か経つと宿便という黒い便が出ます。最初の断食は一週間です。体がだるいのでほとんどごろごろしていました。すると1週間経って食事を取り外へ出たときに歩けないのです。筋肉までが衰えたのでしょうか?道場からわずか100メートル歩いただけで、恐ろしく遠くまで来たようで道場まで帰り着けないかと思い、やっとの思いで帰りつけた記憶があります(本当)そこで、少しずつ食事を増やしながら、毎日歩く距離を伸ばしていった記憶があります。よく、山中で遭難した人が2~3日たっただけで衰弱しきって立てないで担架で運ばれています。睡眠不足もあるようですが、食事を取らないで動かないでいると歩けなくなってしまうのです。注意しましょう。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月05日
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昨日はひな祭りです。信者さんが食べられるお雛さまを持ってきてくれました。(本当に感謝)ぢんさんのところにも芸術的な食べられるお雛様があります。訪問しても貰えませんのであしからず。ところで、ひな祭りと関係ありませんが、法事は故人が亡くなってから6日目に初七日、13日目に二七日・・・48日目に満中陰(四十九日)・・・というように行います。何故かご存知ですか?亡くなった瞬間に実は非の打ち所のない善人は天界へ、極悪人は地獄へと決まります。しかしそれ以外の人は7日ごとに審判を受けます。その審判は生前の行いについて下されますので、亡くなった方は良いことを積み重ねることができません。そこで故人に変わって功徳を積みそれを故人に振り向けるのが法事なのです。したがって7日目には審判が行われますので、その前(6日目)に初七日を行うのです。年忌法要になると多少事情が違ってきますが、2年目に三回忌、6年目に七回忌・・・32年目に33回忌、49年目に50回忌辺りで祀り上げです。 私は善人ですから「裁きは必要ない」という方は法事はいりません(笑) コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月04日
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22番の平等寺は平地にあるお寺です。ここから新野の町をかすめて抜けると月夜お水庵があります。ここには弘法大師のお水伝説と逆さ杉があります。逆さ杉というのは根っこが上にあって逆さまに生えている杉ではありません。杉で杖を作ると根元が太いので上、先が細くて下になります。そのまま地面に突き刺すと普通に生えている状態とは逆になります。それで根がつき芽を出したので逆さ杉というのです。実際にそんなことがあるのかどうかは知りませんが、種類によってはあると聞いたこともあります。事実はともかく杉の大木がありますのでお参りして功徳をいただいてください。月夜お水庵から少し行くと国道55号に出ます。室戸96キロと書いてあるのを見てびっくり、室戸には24番札所がありますからそんな先まで歩くのか?と思うと気が重くなります。ここから日和佐までは国道を歩きます。排ガス、暑さなどに悩まされるよりはバスまたは鉄道を使うほうがいいかも知れません。23番薬王寺は厄除けのお寺として有名です。ここより約6キロ奥に玉厨子山という奥の院があります。以前は上り口がよく分からず、近くに犬が放し飼いにしてあるので、必死の思いで登った記憶があります。今はどうでしょう?情報をお待ちしております。玉厨子山は車では登れません。上り口から約一キロ山道を歩きます。無住のお寺ですが、建物はしっかりしております。ここには即身仏(ミイラ)として「テッカン」さん?という方がお堂の下に眠っておられます。遊び半分でいくのは止めて下さい。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月03日
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nazuna3027さんより質問がありましたのでお答えします。以下質問>葬式仏教が民俗信仰の代弁をしている事はそうですが、では真言宗は仏教ではないのですか。どうもよくわかりません。葬儀の際の僧侶と信者(死者)の関係を教えてください。以上質問お答えします。真言宗は仏教です。教義については難解になるため体系的に説明しておりません。真言宗が何故、葬式・法事に関わったかについてはフリーページ葬式仏教を考えるを参照してください。真言宗では葬儀の際、引導作法を行います。一言で申し上げると故人を真言僧にする作法です。亡くなった方を坊さんにしてもらっても仕方がないと思われるかもしれませんがそうではありません。私も実際に葬儀の導師をするまでは形だけのものと考えておりました。ところが導師をしている間、様々な問いかけのようなものがあるのです。その人の魂(適切な表現ではありませんが)の状態によってこちらが影響を受けるようです。法事でも同じですが葬儀の場合には特に大きな影響がでます。とても苦しい状態に追い込まれることもありますし、とても気分が良いこともあります。最初は私の体調かとも思いましたが、そうではないようです。お葬式が終わると元に戻ります。導師といっても私が故人を導く立場ではありませんが、故人の死後の世界に関わっていると私は確信しています。だからはっきり言ってお葬式は怖いです。このあたりは六大・四曼の世界で真言宗の分野ではないかと思っています。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月02日
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昨日は信者さんと四国巡拝に行ってきました。最初は81番白峰寺。天気は良いのですが寒くて氷が張っていました。写真は元気良く階段を登っていく参拝者です。続いて82番根来寺も寒くて日が当たっている時は暖かいのですが、日が陰るとすぐに寒くなってきます。83番の一宮寺ではお接待といって交通安全のローソクを立ててくれました。(感謝)隣の田村神社もお参りしようと山門を出たところ、山門から出てすぐに神社へ入れるはずと思いながら見回すが神社の入り口が無い???100メートルほど迂回して神社にお参りします。後でよく見るとちょうど山門のある前の壁だけ新しいことからすると最近壁を作ったようです。理由をご存知の方はお知らせください。屋島寺、州崎寺(真念法師のお墓のある寺)をお参りしてから八栗寺へ向かう。少し暖かくなってきました。八栗寺は本尊様が聖観音です?聖天さんが祀ってあるので「本来は本尊さんは十一面観音でなければいけません」「本尊が聖観音ではおかしい!」と納経所の前で大声で解説?してしまいました(汗)もう一度十善戒(不悪口ー悪口を言わない)を受ける必要があるようです。(汗) コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年03月01日
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