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今日はよく晴れていて風もなく穏やかな一日です。ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月31日
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最近話題の「ダビンチコード」を見てきました。私は映画はあまり見ませんし、ビデオもしかりです。久しぶりに(JFK以来の)期待をしていたのですが、裏切られてしまいました(笑)最初に小説を読んでから行ったからかもしれませんが、それはJFKも同じです。JFKは何回も見ました。ニューオーリンズの一地方検事が数々の障害、妨害を乗り越えながら大統領暗殺犯に迫って行く話は何度見ても面白いです。まあ、その話はどうでもいいですが(笑)「ダビンチ・コード」は現在のキリスト教の成立の経緯において、捨て去られた部分があったという話です。公開中の映画でありますので興味がある方はご覧ください。ところで真言宗には立川流という流派がかつてありました。その教義は「男女の性交を持って即身成仏を目指し、ドクロを本尊とする。」現在伝えられているところによると恐るべき邪教と言われ、正統派と呼ばれる真言僧によって撲滅運動が起き、書は焼かれ、歴史の闇へと葬り去られました。しかし果たして本当に邪教だったのだろうか?「ダビンチ・コード」を見て思ってしまいました。仏教徒の中では悪人の代名詞ともなっている「ダイバダッタ」も現在ではお釈迦さんの教団と袂を分かった急進派だったという説もあります。歴史は勝者の側から書かれる。本質を見失わないことが信仰において最も大切だと思いました。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月30日
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ずいぶんと間が空いてしまいましたが、久しぶりの雑記帳です。足摺から月山神社へ至る道沿いに竜串と言う名勝があります。一度ご覧あれ。海沿いの道を延々と進んでいき、大月町に入り人里はなれたところにポツンとこの神社があります。御神体は三日月形の石です。拝殿の後ろを少し登ると見ることができます。かつてこの神社の本尊は勢至菩薩だったとも言われています。江戸時代のミニ八十八で見た記憶がありますが、本尊が勢至菩薩のお寺など聞いたことがありません。ぜひ拝見したいものだと思い、当時(十数年前)100歳になるという老神主にその話を聞きましたが、ご存知ないという話でとても残念でした。その方ももう鬼籍に入られてしまったことでしょう。また、この付近には宿がありません、私はとぼとぼ歩いているところを呼び止められ、近くの公民館に泊めてもらいました。高知の人は本当に親切です、また、徳島の人も劣らず親切です。ところで、私がお四国参りの話をして驚かれるのは善根宿を何度もいただいていることです。善根宿とは、一晩の宿をお接待していただく、すなわち泊めてもらうことです。最近の歩きのお遍路さんでは一部にそのような善根宿の情報を集め、ただで泊まることをを期待して行く人もありますが、とんでもないことです。私の場合は同じルートを通ったこともありませんし、日数も全く違います。ですから、あまり同じところで泊まることはありません。私が歩いていた当時、善根宿で有名なTさん宅がありました。そこは遍路道沿いにありましたので知っていましたが、一度も泊めてもらったことがないのは私の誇りです?しかし、何故かとぼとぼとみすぼらしく歩いていたのでしょうか(笑)よく善根宿をいただきました。不思議なことにお遍路さんをいつも泊めているような方ではなく、私を泊めるのがお遍路さんを初めてお接待するという方が多かったのも思い出に残っています。私の知り合いの方などは5回以上歩いてお参りしていますが、一度も善根宿をいただいたことがないと言う人がいます。その方のほうが、私より坊さんらしいと思いますし、不思議な力をお持ちです。どう考えても、泊めて価値があるのはその方の様な気がします(笑)そのあたりなんともいえない仏の後押しを感じます。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月29日
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今回の西国巡拝は15人ぐらいで予定していた。ところが、予想していたほど人が集まらなかった。そこで、決行か中止かを迫られた。参加者からも私が行くか行かないかはっきりしない態度をしていたように見られていたらしく、他のツアーに申し込みした人もいた。結局私も西国はどうしても行ってみたいという思いがあり、赤字もやむなしとみて決行を決意した。今回のツアーの参加者はわずか6名である。興行的には完全な失敗であった。しかし、信仰上は大きな収穫があった。雨の槙尾山である。参加者のうち2名の方は私も少し不安があった。一人は昨年足を骨折して杖をついて歩いている方であり、もう一人の方も、さまざまな障害で何度となく巡拝を欠席されている方である。雨の山道である。杖は使えない。果たして登れるか?二人とも途中、手を引きながら登って行った。雨の中二人ともつかまれるところは掴まってよろよろと登って行く。二人ともどちらかの人が引き返したら、行くのをやめるつもりだったと言う。他の人の助け、励ましを受けながら、最後の石段をようやくの思いで登りきった。あせびっしょりで登った二人を見ながら、私はそのとき何故参加者が6人だったのかわかった。もし15人で来ていたら二人は途中で引き返していたに違いない。辛い思いをして帰ってから寝込む人もいるようである。今回はバスが予算の関係で乗り心地がいまひとつで、格別厳しかったようである。でもまた次回は笑顔で来てくれる。(と思う) コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月28日
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先日お話しましたバトンをリリースします。興味が無い方は粉河寺門前のクスの大木をお楽しみください。まずは四谷さいだあさんから1.お財布はどんなものを使っていますか? 黒い財布です。2.携帯電話はどんなものを使っていますか? 506iです。3.使っている携帯ストラップは? ありません4.手帳は持っていますか? ありません5.バッグはどんなのものを使っていますか? ありません 6.バッグの主な中身は? ???7.持ち歩いていないとダメというのを3つあげましょう! 鍵ぐらいですか。8.これをまわす5人は? ???9.3つ以内の質問を変えてください。 8を欲しいものに変えましょう。次はぢんこωさんとumemomosakurさんからのバトン1.回す人を最初に書いておく(5人) ???2.お名前は? とっていわくです。3.おいくつですか? 確か40歳くらいだったと思います。4.ご職業は? 難しい質問です。5.ご趣味は? 読書6.好きな異性のタイプは? ???7.特技は? ???8.資格、何か持ってますか? ふふふ9.悩みが何かありますか? ふふふ10.お好きな食べ物とお嫌いな食べ物は? ふふふ11.貴女が愛する人へ一言 ふふふ12.回す人5人を指名すると同時に、その人の紹介を簡単にお願いします。 ふふふが気に入ってしまいました。 自由にお持ちください。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月27日
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今日は昨日の好天とはうって変わって、どんよりした空で今にも泣き出しそうです。夕方まで持って欲しいという願いを秘めて、巡拝に向かいます。紀三井寺では懐かしい顔を見かけました。高野山の同期のY君とK君です。「お~何しに来たんや」と失礼なことを言ってしまいました。どうやらここのお寺でお手伝いをしているようです。(汗)粉河寺から槙尾山へ向かう途中に、ついに雨が降り出しました。難所と言われる槙尾山での雨。果たしてみんな行けるのだろうか?不安がよぎる中を登り始めます。雨は強くなり、傘をさしながら、ゆっくりと登っていきます。皆で励ましあいながら、本堂まで雨の中をたどり着きました。汗と雨とで、皆ずぶぬれです。登り始めが2時40分、降りてきたのが5時でした。たった1キロですがとてつもなく長く感じました。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月26日
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今日は西国巡拝に来ています。今朝、集合時間が近づいても来ない人がいたため電話しようとして携帯を忘れたことに気付き取りに帰りました。戻ってくると、人数が予定より増えている!(汗)先月に続き、またもや参加者の人数を間違えてしまいました。普通なら参加者に動揺が走るところですが、さすがに常連さんばかりです。驚きはありませんでした。(笑)フェリーで和歌山に渡り熊野本宮から那智山・青岸渡寺・那智の滝を参拝しました。今日は天気もよく、穏やかな一日でした。那智の滝は水量も多く、神秘的な雰囲気を持っていました。コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月25日
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久しぶりに仏事の話です。昨日は23日ということで、地蔵講がありました。以前にbasugaidoさんから提案いただいた「地蔵講で和讃をしたい」という話を恐る恐る提案してみました。年配の方は物事を変えるのを嫌う方がいらしゃいますので、「もう歳だから変えてもらっては困る」といわれたらどうしようと悩んでいたのですが、意外にも?好意的に皆さん賛成していただきました!そのときに焼香と線香の話が出ました。焼香の回数と線香の本数です。葬式の前に焼香の回数を聞かれたので、「焼香は普通三回です。」と自信を持って言ったところ葬式へ行ったら「真言宗は一回です。」と葬儀屋さんに言われた!と文句を言われたこともあります。一方線香は略式の作法(正式には焼香)なので本数など適当で結構です。と言っています。すると「一本でも二本でも三本でも四本でもいいんですね」といわれたことがあります。さすがに「四本はあまりありません」と言わざるを得ません。(汗)檀家さんがある禅宗寺院を借りて法要を行った時、そこのお寺さんから「禅宗は線香は一本ですが真言宗は何本ですか?」と聞かれたこともあります。結論としては檀那寺に線香・焼香の作法を聞いてどこかで文句を言われたら、「檀那寺からそういわれました。」と言うのがいいかも知れません。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月24日
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とらねこが行き倒れています。今日は朝帰りでした。夜遊びは控えめに! ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月23日
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綜雲さんから真言法について書いて欲しいと言われました。二、三日で記事をアップすると書きましたが、すいません。ずいぶん長い二、三日になってしまいました。早速本題に入ります。真言宗の特徴は法身説法と即身成仏です。法身説法とは大日如来の説法ですなわちこの世界の真理を現しています。この世界の真理とは何か?すなわち六大(地、水、火、風、空、識)によりこの世界ができており、それが四曼(大、三、種字、羯摩)の現われ方をしているということです。六大とは六つの要素ではなく地も水も素粒子のレベルでは変わらないように、このような現われ方をするだけであり、また物質と物質でないものが分かれているわけではありません。20世紀になって素粒子のような小さな世界、また宇宙のような大きな世界のことが少しながら判ってきましたが、これらのことは既に仏典に描かれていました。何故わかったのでしょうか?またわかったことにより新たな謎が生まれて来ています。人間は何故、自分の体を動かせるのでしょうか?当たり前のように思いますが、科学では全く解明されていません。人間とそれを取り巻く空気とは素粒子の密度が違うだけです。自分の体に力を及ぼすことができればその周りの空気、さらにその先にあるさまざまなものに対しても力を及ぼすことができるはずです。何故できないのでしょうか?実は自らの意識を閉ざしているだけなのです。本来人間に限らずこの世にあるすべてのものは繋がっています。分け隔てはありません。自己は他者であり、他者は自己なのです。それを如何にして会得するかというより本来の姿に立ち返るか?それが即身成仏に他なりません。真言宗の成仏にいたる特徴としては三密行と二利勤修が上げられます。三密行とは仏の体(印相)、仏の言葉(真言)、仏の心(観想)によって仏と一体化します。俗に仏の真似をするとも言われていますが、方便に他なりません。その三つを行うことによって自分の意識に深く入っていきます。これによって深い禅定に入り六大四曼の世界を実感していくのです。これが二利勤修の自利です。またこの禅定により自らの意識の目覚めによって、この世のすべてのものと繋がることを実感することによってに他者に利益を与えていきます。これが利他です。大乗経典には他力による成仏も説かれています。他力に因る成仏とはあくまでも方便であり、他力を説くことによって菩提心を目覚めさせ、自力による成仏を目指させるものではないでしょうか? 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月22日
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先日バラスを寄付していただき、自分でならしました。玄関の前が低かったので、10センチぐらい敷き詰めたら、歩くたびに沈みこみ、歩きにくそうです。「悟りの石を渡って彼岸へ」ということで石を拾ってきて並べました。きれいにできたと我ながら感心していましたが・・・悪評です? コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月21日
コメント(32)
現在2つほど筆記依頼が来ています。二つとも本業(仏教系)なのでそちらを書くべきですが、難解なためなかなか進みません(汗)その間にバトンというものが3つも溜まってしまいました。そもそも私はバトンはあまり好きではありません。理由はいくつかあります。1、このブログは布教のために行っているので趣旨に合わない。2、人に回すことを考えると悩んでしまう。3、これが最も重要ですが、正体がわかる(笑)しかし、何故このようなものが出回るのか?それは相手が見えないために少しでも相手のことを知りたいからでしょう。言い換えれば廻す人の思いやりかもしれません。ただ、ほとんどのバトンは「5人に回してください」と書いてあります。理論上は皆がその通りにするとなんと8回で39万人を超えてしまいますのでバトンだらけになってしまいます。実際はそんなことはありません。どこかで止まっているのです。すなわち廻すのを嫌な人が多いということです。ここは改善する必要があります。また質問は作成者が廻した人の知りたいことを書いてあります。万人向けとはいえません。こちらも改善する必要があります。改善策1、押し付けにならないよう、バトンを廻す人は 基本は指定なし。好きな人は自由にお持ちいただく。2、質問を3つ以内で変更できる。今日は遅くなりましたので、後日3つのバトンをまとめて放出します。希望者は申し出てください。(笑)ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月20日
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何でしょう? ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月19日
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足摺では私は一日の歩行記録を作りました。たまたまその日は宿を取ることができず、土佐清水の中心地から西側を回って足摺岬を目指しました。途中に集落もほとんど無く、日が暮れると明かりもなく暗闇の中を歩き続けます。車も通りません、多分スカイラインを通るのでしょう。足摺のすぐ近くまで歩き推定64キロです。荷物は20キログラム程ありましたので、普段はペースは40キロ程度でした。さすがに一日の歩行が50キロを越えると翌日は足が疲れてあまり歩けません。ちなみに帝国陸軍の歩兵は40キログラムの荷物を背負い30キロ~40キロ行軍したといわれています。私が戦前に生まれていたら倒れていました。ところで、以前真念庵のすぐそばでSさんという人が善根宿をしており私も泊めていただいたことがあります。Sさんは定年を過ぎて年金で生活しながら真念庵のすぐそばに家を借りてお接待をしており、私に真念法師の話を詳しく教えてくれました。Sさんは真念法師が四国霊場に対し功績があるにも関わらず全く評価されていないことを嘆いていました。Sさんの夢は各札所に通夜堂を建てることであり、もしそれがかなわないならば真念庵に88の通夜堂を造るという途方もないものでした。残念ながらSさんの夢はかないませんでしたが、いくつかの札所には通夜堂ができたようです。Sさんは今も四国各地を回ってお接待をされています。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月18日
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今日は雨がしとしと降っている中をマスクMさんのところへ行きました。マスクMさんは非常に鋭い舌鋒を持つ方で2度ほど日記の間違いを指摘されています。なんと1度は弘法大師の著作(汗)マスクMさん「お寺で行事しているんですか?」私 「はい」マスクMさん「集まりますか?」私 「いえ(汗)」マスクMさん「そうでしょうね。私のところも集まりません」私 「・・・」(行事は人を集めるためにするわけではありません。)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~私 「お寺で土日に行事したいのですが 法事があるので出来ないのですよ」 マスクMさん「いつもあるんですか?」私 「はい」マスクMさん「だったら行事しなくてもいいんじゃないですか」私 「・・・」(私の我が出ています。別に行事をすることが布教ではありません)今日は朝早かったので何度かあくびをしてしまいました。マスクMさん申し訳ありませんでした。非常に勉強になりました。コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月17日
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出世という言葉は仏教語です。出世間すなわち俗世間から離れることです。ところで、私ももうそろそろ、「今の若い者は」といわれる歳ではなくなってきました。坊主頭のせいか歳より若く見られますがうれしくはありません。私が子供の頃、60歳というと「おじいさん」「おばあさん」でしたが最近はそうでもありません。70、80は当たり前、77歳で亡くなった人を「若い!」といわれ82歳で亡くなった人は「平均寿命より若い!」といわれています。今、生涯学習、生涯現役と言うような考え方が推奨されています。歳をとっても死ぬまで勉強、死ぬまで働く。ちょっと待って下さい!長年にわたって積み重ねてきた経験を若者に還元するのが「年寄り」の勤めではないでしょうか?また、もう老い先短いことを自覚しているからこそ目先の利益にとらわれずに公の利益を考えて中立の立場で裁定ができるのでは?いつまでも若者のように輝いている「熟年」よりも、枯れて仙人のような「年寄り」が見たい!それがすなわち俗世間から離れて出世した人ではないでしょうか?そう私は思います。いかがでしょうか? 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月16日
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一昨日は満月でした。先日「とんぼ玉」さんからのコメントで月の引力が人間にどれ位影響を与えるか計算してあります。(どなたか心得のある方、検算おねがいします)仏教では満月、新月(上弦、下弦)に布薩という懺悔を行います。満月、新月の頃は自然災害、犯罪、事故などが多いとも言われています。そのあたりは経験により、インド人は知っていて布薩という行事を考えたのかも知れません。私は3ヶ月ぶりに護摩を焚きました。諸々の事情によりなかなか焚けませんでしたが、ちょうどmixiというネットワークサービスで満月の日に修行するという提案をしたため思い切って行いました。以前は適当な日に行っていましたが、最近は一日、八日、十五日、二十三日に行っています。おりしも強風の中、炎が動き回ります。しかし、不思議と怖くありません。終った後も普段はぐったりするのですが、さほど疲れませんでした。満月の日には仏教徒は修行するという連帯が支えてくれたのでしょう。 合掌 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月15日
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お寺の境内の片隅に水子地蔵尊が祀ってあります。その一角には、六地蔵もあります。水子地蔵や六地蔵をお参りしても気づかないと思われる奥まったところににひっそりと小さなお地蔵さんがあります。そのお地蔵さんはもともと誰かが水子の供養のために納めたと思われるもので水子が祀ってあるお寺に行けば一体いくらで奉納が勧められているようなものですが、不思議なことがあります。不思議その一お賽銭が多いー大きな水子地蔵や六地蔵よりも何故か賽銭が積み上げられている。不思議その二花が枯れないー水子地蔵や六地蔵さんのお下がりの花しかお供えしませんが、何故か花が枯れません。ひょっとして不思議な力が働いているスポットなのかも知れません。 コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月14日
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前回の謎について、私は39番札所は延光寺ではなく月山、40番札所は観自在寺ではなく篠山だった可能性があると見ています。四国霊場は江戸時代の江戸時代の初期位まではっきりと確定していませんでした。中村市の石見寺というお寺は南路誌によるとかつては四国霊場の札所だったと記されています。40番札所は篠山観世音寺を移したと考えれば寺号の謎も本尊の謎もルートの謎も解けてきます。篠山は現在でも難所でありそれを平城と呼ばれていた現在の観自在寺を札所にという動きがあったと思われます。その時に山の札所であった篠山を海の札所である観自在寺に移すにあたり、海の札所であった月山を山の札所である延光寺に移したものと考えられます。しばらくは両者が札所であった時代が続き、江戸時代の初期に統一されたのではないでしょうか?最古の遍路日記といわれる澄禅大徳の日記(1653年)では、きちんと月山もお参りし、延光寺もお参りしています。江戸初期までは「初めて四国遍路をするものは必ず月山(月山神社)か笹山(笹山観世音寺)を参る慣わしになっている。」ということが元札所を重要視する教えとして伝えられていたのではないでしょうか? 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月13日
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明日は満月です。満月の日には仏道修行をしましょう。また守るべきこともあります。こちらコウユウ~~~~~~~~~~~~~~~~~とらねこがまた行方不明になりました。仏道修行をしているのではないでしょう。普通の猫の2倍くらいあります。目立つはずですが・・・ゆうき~~~~~~~~~~~~~~~~~ご心配おかけしました。とらねこ今朝帰還しました。いつもブログに書くと何故か戻ってきます。どこかで読んでいるのでしょうか? ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月12日
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昨日までの雨は朝のうちに上がりました。雨が上がったことでお墓参りの方も増えるでしょう。ところで、雨降りでもお墓参りをされる方がごくわずかですがいらしゃいます。え~雨降りにお墓参り?以前はそう思っていましたが、よく考えるとお参りする側が大変だと思っているだけでお参りされる側?は関係ありません。(笑)わざわざ雨降りを選んでいく必要はありませんが、命日などにはお参りするのもいいかも知れません。何かいいことがあるかも知れませんよ(笑) コウユウブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月11日
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信仰が厚く人柄もよい方が悪い縁を持っていることは珍しいことではありません。現世でも努力が報われるとは限りませんが、見えない世界でもその効果が目に見えて現われることはあまり無いようにも思えます。一般には目に見えない世界ではせめて公平にという思いがあるために、先祖供養をしたり祈願したりすると効果が現われるように思われているのではないでしょうか?では効果が無いかというとそうではありません。自分が持っている因を消していくよう努力することによって確実に少しずつ積み重なっているものは減っていきます。また、前向きの考え方を持つことによって思わぬ幸運を呼び寄せる効果があります。何かしらの不思議な力の後押しがあると考えている人と自分以外頼るものはないと考えている人ではどちらが幸運を捕まえるでしょう。確実に前者です。話はそれてしまいましたが、殺人を犯す人殺人の被害者になる人いずれもが遠い昔からの因縁によって結果を出していると思います。加害者からも被害者からも受け入れられる意見ではないかも知れませんが、確実にいえることは殺された人も、殺した人も積み重なっている業をまとめて精算したような形になっていることです。気をつけなければならないのは支払いを行っていない我々のほうかもしれません。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月10日
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先日大江戸看板男さんより「輪廻転生」について質問がありました。お答えしようと思っていたのですが、高野山で事件がありましたので、ちょっと書く気になれずに延ばしておりました。出家者という立場からは外部からの影響を受けてそのような感情になることはあるまじきことではありますが、修行が足りないということでご理解ください。~~~~~~~~以下質問~~~~~~~~~~~~~~~山口県光市、母子殺害事件・・仏教でいう「輪廻転生」ということを前提で考えたらどのように解釈したら良いのでしょうか。また、この世の中にはこの出来事は偶然はあっても前世・現世・来世のレベルで考えると必然であったのでしょうか。そしてどのようなわけでこのような痛ましい事件に遭遇するのか、~~~~~~~~以上質問~~~~~~~~~~~~~~~~質問は山口県の母子殺害事件の話でありますが、高野山の事件であっても同じことです。仏前勤行次第の懺悔文には「われ昔よりつくるところのもろもろの悪業・・・」とあります。これは現世だけの話ではなく、それ以前の話をも含んでいます。因果とも言いますが原因があって結果が出来るのです。その原因は遥かに昔に起こったことであっても現在に影響を及ぼすのです。必ずしも悪い影響ばかりでなくよい影響も存在します。しかも、恐ろしいことには、自身の努力があまり影響しないほどに積み重なっているような気がします。よくテレビや本などで先祖供養をしたり、祈願すれば悪縁が消えるような話を聞きますが、私が知っている限りではそんなに簡単なものではありません。明日へ続きます。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月09日
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前回「初めて四国遍路をするものは必ず月山(月山神社)か笹山(笹山観世音寺)を参る慣わしになっている。」というお話をいたしましたが、月山と篠山は寂本の霊場記では札所として扱われています。霊場記の中で札所として扱われているのは九十三カ所です。現在札所でないのは金比羅、州崎の堂、慈眼寺、月山、笹山の五ヶ所です。あと「付」(準札所?)として、取星寺、星谷、吸江寺、仙龍寺が紹介されています。38番札所の足摺から41番札所の三間町へ向かうには中間地点の宿毛は宿毛です。月山神社をお参りすると39番延光寺へは海岸沿いの宿毛からかなり内陸部へ入らなければなりません。また宿毛から三間町へは直線的に進むと篠山を通ることになります。40番観自在寺から道指南には3つのルートが示されています。そのうちの一つは篠山道といって篠山周りのルートです。このルートはなんと地図上では戻るような形になるのです。江戸時代の道は高低があっても直線的に作られています。そのほうが近いからです。車がある今の時代と違ってわざわざ戻ることになるルートを示しているのはなんとも不可解です。さらに、40番札所観自在寺は本尊薬師如来です。仏教についてご存知の方は?と思われるでしょう。観自在寺という名前ならば本尊は通常観音菩薩でなければなりません。観自在寺の脇仏は阿弥陀如来と十一面観音です。これも普通はありません。寺に伝わる縁起からもなぜ観自在寺という名前がついたのかの説明はありません。民俗学の大家である五来重氏が四国遍路の寺という本を書いて八十八の札所について独自の分析をしています。ところが39番、40番は抜け落ちています。謎は深まります。次回に続きます。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月08日
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境内の片隅に小さな花が咲きました。草抜きをて○きする坊さんのおかげでしょうか? ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月07日
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ある僧侶が極楽往生を説いておりました。ある信者さんがやってきて、「親が余命いくばくもないので、極楽へ行かせたいと思います、保証していただけませんか?」というので、極楽行きの保障証を発行したところたいそう評判になり、有料で保障証を発行しておりました。あるときホームレスがやってきて「私にも極楽行きの保障証をください」「お金はありますか」「お金はありません」「ではだめだね」その言葉を聞くとホームレスは悲しそうな顔をしてとぼとぼ帰っていきました。一旦帰ったホームレスですが少したってもう一度やってきました。顔色が変わってうれしそうです。そしてこれでお願いしますと封筒を差し出しました。「どうしたんですか?」「ある方からいただきました」僧侶はその封筒を受け取り保障証を発行してやりました。封筒を開けると一枚の紙切れが出て来てこう書いてありました。「無間地獄行きを保障します」 この話は実話ではありません。素光注)無間地獄ー地獄の最下層、刑期は1劫(芥子粒を7キロ立方メートルの中に100年に一粒ずつ入れて 一杯になるまでの長さ)ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月06日
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リンクしていただいているmikawannkoさんの日記で京都府宮津市が「清めの塩を死者を冒涜することになるとして廃止を呼びかけた」という記事がありました。仏教家としてこの問題に意見を述べたいと思います。まず穢れには死穢と血穢があります。死穢とは亡くなった人に触れることによって生じる穢れであり、血穢は血に触れることによって生じる穢れです。詳しくはこちら。面白いことに死穢についてはその伝染の仕方まで決まっています。今では迷信と思われそうですがそうではありません。伝染病などで死んだ場合実際に感染します。感染するごとに毒性は弱まるといわれていますので、死穢の伝染については統計的なものとも考えられます。殺菌作用のある塩で清めたのも科学的な根拠のないことではありません。浄土真宗では塩による清めを行わないとも言われていますが、ごく最近広まった習慣のようで昔からではないようです。ですから清めの塩は根拠がないとは言い切れません。前述の宮津市では「葬儀に参列した人が塩で清めることの『清め塩』について、市民が何の疑問も持たずに、それが当然と思い込んでいる人たちが多いことから、このような風習にとらわれない生活をとの願いで啓発しているものです。」と言っていますが疑問を持っていないのはどちらでしょう?また死に対する穢れの意識というのは根強く存在します。最近では散骨が広まっていますが、どこかでお骨を撒こうとすると必ず反対が起こります。葬祭場、火葬場を建設しようとすると必ず反対運動が起こります。われわれ僧侶が法服で病院に行くと高野山でもない限り嫌がられます。お骨・骨壷などは漠然と気味が悪いと思われています。これらは確かに差別と関係ないとは言えませんが、行政が「清めの塩の廃止を呼びかけることによって」なくなるものではありません。むしろきちんとした宗教教育を行い、死の儀式である葬式に参加させ、一人一人が死というものにきちんと向き合うようにならなければ「死」に対する気味悪さはなくならないと思いますし差別もなくならないでしょう。いかがでしょうか? 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月05日
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明日は旧暦の4月8日でお釈迦さんの誕生日!つまり「メリシャカ」です。お釈迦さんは誕生日が2回あっていいですね(笑)明日は各地で法要・甘茶供養が行われます。とらねこも興奮して目がまん丸になってます。今日は寝れないかも知れません(笑)ゆうきブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月04日
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徳島では法事のときに壇を作ってお祀りします。その檀は床の間などに十三仏、大師、不動の3幅の軸を掛け、その前にお位牌を出してお供え物を祀ります。つまり普段、仏壇にお祀りしてある状態を表に出してきます。ところが、最近故人の写真を中心に祀っていることがあります。お葬式でも写真を中心に飾りつけがしてあることがあります。確かに法事・葬儀の中心は故人でありますが、その魂を入れているのは位牌です。写真ではありません。普段も仏壇に入れてお祀りするのは位牌です。また、故人の写真によって後ろの仏様が隠れてしまっては意味がありません。写真は檀の横などに置き、檀に上に置かないようにしましょう。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気ブログランキングに登録しています
2006年05月03日
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世間ではゴールデンウイークだそうですが、当院では毎日のように法事が入っています。例年はGWはそれほど忙しくありません。長期休暇は法事より旅行などに使いたいところなのでしょう。普段から皆さんが休んでいる時は忙しいので気になりません。普通の方が仕事している時に休んでます(笑)ところで、先日の法事で「先代はお経がうまかった」という話を聞きました。お経がうまい?そもそもお経にうまい下手があるのだろうか?考えて込んでしまいました。歌ではありませんし、唱え方はあるもの上手下手はありません。以前の法話でもうまい下手など出てきません。私は先代のお経を聞いたことがありませんので、なんともいえませんが声は良かったようです。やはり坊さんは1声、2振り、3姿ですね。ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気ブログランキングに登録しています
2006年05月02日
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前回はこちらです。足摺の38番札所金剛福寺へは手前の下ノ加江、あるいは久百々あたりに荷物を置いて打戻り、三原を抜けて39番延光寺へ向かうのが初心者向きです。ただ、足摺岬付近は観光地であり見るところも多いので、余裕があるなら一泊するのもいいでしょう。また、以布利から岬の東側を行くのが近道ですが、国道に沿って土佐清水の街をぬけ、西側を通る道も捨てがたいものがあります。夕陽がとてもきれいで海沿いの道を通りますので、何度か行く人はぜひ一度挑戦してみてください。38番から39番を抜け40番から41番にいたるルートは遍路研究家にとっては最も注目すべき場所です。何故ならば複数の遍路道が存在するからです。他の場所でも複数の遍路道は存在する場所もありますが、それは近年になって便宜上そうされているだけですが、ここは江戸時代から既に複数の遍路道が存在していました。四国霊場の成立を説く鍵にもなりうると私は見ていますが、不思議なことにあまり注目されていません。かつてこんな話を聞いたことがあります。「初めて四国遍路をするものは必ず月山(月山神社)か笹山(笹山観世音寺)を参る慣わしになっている。」何故こんなことが言われたのでしょうか?次回に続きます。 素光ブログランキングに登録していますクリックにご協力お願いします。 ↓人気blogランキングへ
2006年05月01日
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