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前回で終わりにするつもりでしたが、こんなコメントをいただきました。~~~~~以下コメント~~~~~そもそもあなたは、お遍路がメジャーになっているのに嫉妬しているのではないですか?そして、自身のお遍路に対する想いが何よりも正しいんだと知らないうちになっていませんか?あなたの考えと違う人の意見に耳を貸さない、ただ単に感情論で語っているようにしか思えません。あなたは、よく「お金がある人が野宿をするのが。。。」と、いう発言をされますが、お金がある人が野宿をしてはいけないのですか?経済が衰退していると言いますが、そんな考え方で根本的な問題解決は出来ませんね。経済が衰退していると言いますが、あなたがおっしゃる内容だと、経済ではなくて、観光の衰退ですよね?お遍路のマナーが悪化しているのはわかりますが、その問題と、経済、そして、あなたのお遍路への想いをすべて一緒に考えてしまっては絶対に問題解決は出来ません。観光を活性化させることをメインに考えるなら、世界文化遺産への登録が話されるのは良い事です。今の状況よりも間違いなく経済は良くなるでしょうし。それが、今の世界遺産への登録に拘る理由ですからね。お金が動くから、必死になるんですよ。綺麗事じゃないんです。ただ、あなたが抱いているお遍路からは乖離してしまいそうですが。もっと感情的ではなく客観的にみて訴えてください。(一部読みやすいようにレイアウト変更しました)~~~~~以上コメント~~~~~もう一度私の書いた五本の文章を読みなおしてみました。私の文章は読みにくいのだろうか?そんな感想を持ってしまいました。(*^_^*)まず質問に答えさせていただきます。>そもそもあなたは、お遍路がメジャーになっているのに嫉妬しているのではないですか?お遍路さん自体は別にメジャーになっているわけではないと思いますし、私が嫉妬する理由も判りません。>そして、自身のお遍路に対する想いが何よりも正しいんだと知らないうちになっていませんか?申し訳ないですが「知らないうち」では無く、確信を持って私のお遍路に対する想いは正しいと思っています。私自身はお遍路から真言宗の教えに入り、現在、四国在住の身です。弘法大師に対する想いも四国に対する想いも、お遍路さんに対する想いも他の人には負けません。>あなたは、よく「お金がある人が野宿をするのが。。。」と、いう発言をされますが、お金がある人が野宿をしてはいけないのですか?いえ、「野宿」自体は別にしていただいて問題ありません。ただ、四国で「遍路として野宿する」というのは問題がありますね。それこそ「四国じゃないとダメなんですか?」と言いたいです。四国でどういう人が「遍路として野宿」しているのか?四国の人がどういう想いで「お接待」しているのか?それを考えていただきたいですね。>経済が衰退していると言いますが、あなたがおっしゃる内容だと、経済ではなくて、観光の衰退ですよね?これはちょっと違うようですが、詳しく書いてなかったみたいです。私は四国の経済復興には観光で持って行うことには反対です。四国遍路を世界遺産にすることに異議あり 2こちらにも書いたのですが、観光で落ちるお金など大したことはありません。現在、お遍路さんは年間15万人、仮にそれが10倍、150万人に増えたとしましょう。さらに一人10万円ずつ使うとします。かなり楽観的な予測ですが、それで四国に落ちるお金は1500億円結構な経済効果に見えますが、四国の人口400万人で割ったらわずか37500円です。実際は県外企業が多く参入するでしょうから、実質四国に廻るお金などは、その半分程度でしかありません。一方、私は四国は豊かな自然から生み出される第一次産業それを基盤にした第二次産業を復興して地に足のついた経済対策を考えるべきだと思っています。第一次産業と第二次産業に投資して人口が4万人(1%)増えただけで、生活費250万円×4万で1000億円。景気に左右される観光に頼るより、確実に人間に必要とされる第一次・第二次産業に力を入れるべきではありませんか?>今の状況よりも間違いなく経済は良くなるでしょうし。>それが、今の世界遺産への登録に拘る理由ですからね。>お金が動くから、必死になるんですよ。綺麗事じゃないんです。根拠の無い経済効果に訴えるのはいかがでしょう?実際に根拠のある試算をお伺いしたいものです。申し訳ないですが、四国遍路の世界遺産への推進派から具体的な話は聞いたことありません。合理的な試算を出していただいて、それが実現可能なら聞く耳は持ちますよ(*^_^*)ただ、遍路は明らかに金持ちの観光では無いです。むしろ貧乏人のほうが多いでしょう。遍路に対する個人的な想いを抜きにしても遍路はとても儲かるとは思えません(*^_^*)ご意見お伺いしたいところです。
2013年09月26日
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もう一つだけ書きたいことがあります。シンポジウムでは「四国のお接待文化」というものが繰り返し語られていました。しかし、四国の「お遍路文化」この源流にあるのはなんでしょうか?このシンポジウムではそれが語られていなかったのですが私なりに考えました。私が20年ほど前、四国を巡拝した時、こんなことを言われました。「どこか体が悪いの?」俗に「病弘法欲稲荷」とも言いますが、治らない病気を治すために弘法大師にすがって四国を廻る。それがかつての四国遍路の姿でした。行く当ても無く四国をさまよった人も少なくはありませんでした。しかし、最近はどうでしょう?ある遍路のサイトにこう書かれていました。「歩き遍路はまず体つくりから」実際、四国の人々の見方も変わったようです。「四国遍路は健康でないとできない」日常生活に疲れたら四国へ遍路にやってきて、リフレッシュしてまた日常生活に戻る。そのためには日常で経験しない「歩き遍路」「野宿」「托鉢」あるSNSにはこんな書き込みがありました。「会社で有給休暇を取り、四国を野宿と托鉢で廻りたい」ここまで来るともはや信仰とは全く関係ありません。一方でこんなこともあります。「お接待文化」と言いますがお接待には地域によって差があります。よくお接待をしていただくのは徳島・高知。以外に?冷たいのが愛媛・香川。この差はなんだろう?実は徳島・高知はかつては豊かな土地でした。徳島藩 25万7千石 人口71万4千人通常は人一人が一年に食べる量が「一石」といわれていますから、徳島藩の人口は25万程度のはず。しかし、その三倍近い人口を抱えていたということは余剰人員を養うだけの国力があったということです。土佐藩 20万2千石 人口51万6千人阿波・土佐連合江戸時代の人口を調べると、石高に見合う人口が無い藩も少なくありません。紀州藩 55万5千石 人口 45万8千人福岡藩 52万3千石 人口 38万8千人徳島・高知の人々は他国からやってきた貧しく病んだ人に同情してお接待をしていたのではないか?そう思えてなりません。しかし、今はどうでしょう?徳島・高知はそれほど豊かとはいえない。その証拠に人口がどんどん流出しています。お接待している団体の方は、いずれもお接待費用に苦労されていました。柳水庵でお接待されている方は、電気代などに困り、小銭を貯めてそれでなんとか維持しているようです。日和佐でお接待をされている方も、お遍路さんに何か渡すものを買えないので、自分たちが家にある物を持ち寄ってお接待しているそうです。しかも、お接待をしている人たちは日々高齢化しています。その文化を後世に伝える???伝えるのは文化なのだろうか?様々な疑問を持ったシンポジウムでした。
2013年09月19日
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四国遍路で困ることは「トイレ」と「案内標識」と言われていました。「トイレ」については、確かに公共的な観点からも必要とされるかもしれないと思いながら、一方で、高々年間5000人の歩き遍路のために必要なのかどうか?ある遍路道の喫茶店での話ですが、そこでコーヒーを飲んでいたら若いお遍路さんがやってきて「お手洗いを貸してください」と言っていた。喫茶店のトイレはお遍路さんのためにあるものではない。一方で喫茶店の店主は「善意から」お遍路さんに貸しただけです。お遍路さんもトイレが無くて困っているのかもしれないが喫茶店の経営者もお遍路さんに「トイレだけ」貸すのは気持ちのいいものでは無いようで、ある遍路道沿いの喫茶店で「お遍路さんのトイレお断り」と張り紙を見たことが何度かある。このジレンマを解消するためには別にトイレだけ貸す「飲食店」「商店」「一般民家」などを募集して「有料でお遍路さんにトイレを貸す」システムなどどうだろう?わざわざ作る必要など無いと思うのは私だけではあるまい。「案内標識」については遍路団体の方も多少語られていましたがそもそも案内標識がそれほど必要なのだろうか?武蔵野ではないがお遍路さんは迷うことを恐れてはならない。そもそも、道を間違えることは困ることなのか?道を間違えていることを指摘されたらそれはありがたいことではないか?それ以前に、四国遍路自体は遍路道を歩くのが目的では無く札所でお参りすることが目的ではないか?最終的に札所にたどり着くためのルートは無数にある。「信仰」という観点から見たら、むしろ不便であることは信仰を深めるためにメリットがあってもデメリットは無い。苦難があってこそ、その苦難を乗り切るために信仰が必要なのではないか?また、そこで救いの手が差し伸べられた時、信仰が深まるのではないか?仮にトイレも等間隔に整備され、遍路道の標識も整備され、その通りに歩いたら、そのまま札所につけるようになったらそれは果たして遍路なのか?ただのウオーキングとどう違うのか?こんな下らない事を世界に発信しようとするのか?仮に世界遺産に登録されて全く四国の宗教的価値を理解しない人間が世界から押し寄せたら四国霊場はどうなる?少なくとも四国遍路は聖地です。その宗教的価値を全く理解しない人間に歩いて欲しくない。私はそう思います。皆さんいかがですか?
2013年09月18日
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会場のほとんどの人は四国遍路の世界遺産推進派。その中で、「あえて」世界遺産推進に水を掛けるような質問をするのは勇気が要ります(*^_^*)しかし、会場の中で私が唯一の真言宗関係者(と思われる)これは代表として疑問を主催者側にぶつけて見ねばなるまい。質問しようとすると「なるべく一言でお願いします」と釘を刺された(;一_一)質問1「高野山は世界遺産に登録したが、その結果観光客が押し寄せて 以前は僧侶と観光客がお互いに会釈しながらすれ違うような 習慣があったのが全く失われ観光化した。四国遍路を世界遺産に 登録するにあたって、このような観光化を避けるため にはどうしたらいいか?」質問2「四国の古い遍路道の復旧と称して、現在使われなくなった山道が 新たに切り開かれている。これは環境破壊ではないのか」質問が終わった瞬間。い会場が想像以上に騒然とした雰囲気(@_@;)質問1ではモートンさんに答えていただいたのですが、その過程で、四国遍路のお接待文化は残すべきと考えている人の多くが「四国遍路は世界遺産にすべきでない」と考えているという意外な回答(@_@;)ちなみにモートンさんは講演でも「外国人は観光化した高野山を避ける傾向がある」と言われているので以外にも「四国遍路を世界遺産にする機運を盛り上げるために・・」という主催者の思惑とは裏腹に「四国遍路を世界遺産にする機運を盛り下げた?」(*^_^*)ただ、結論としては「宣伝を考える」というかなり苦しい答えをされたのでかなり意地の悪い質問になったかも(*^_^*)質問2は環境問題を考えている徳島ユニセフ協会の代表者に質問したのですが、意外にも最初は主催者が答え、その後遍路代表の方が答えてくれました。「遍路道自体は昔使われていたものを復旧しただけで、 新たに切り開いたわけではない。」「いえ、遍路道といっても元は生活道路です。使われなくなった 生活道路をわざわざ切り開いて遊びのために使うのはいかがなものか?」「歩きのお遍路さんはゴミを捨てないので環境には影響ない」「何もないところに道が一本通るだけで野生には影響があるのでは?」「その辺りは県の方などに配慮していただいて・・・」こちらももう少しやり取りがあったのですが、押し切った(*^^)v結論から言うと、この二つの質問はかなり影響がありました。この後何人か団体の方がお話をされたんですが「四国遍路を世界遺産に登録を目指す大学の先生」「埋もれていた遍路道を開いて通れるようにした団体の方」などが活動報告されましたが・・・私の質問はスルー(@_@;)報告される予定で来られて、直前に「否定的質問」がされたらあわてるのかも知れませんが、スルーは無いわ(*^_^*)一方で私の発言に触発されて、一般の方も「四国遍路の世界遺産登録は反対」と見解を述べられていたのには感謝いたします。
2013年09月17日
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さて、講演と歩き遍路と遍路のお接待団体の活動紹介が終わった後、意見交換会がありました。主催者側は「四国遍路を世界遺産にする機運を盛り上げるために、こういう活動をしている。こういう提案はどうだろうという意見をお願いします。」と言われておりました。実際、会場でお話をされた団体以外にも多数の遍路関係団体がこられているようでした。その話を聞いていて再び違和感を感じることがありました。「お遍路さんとは歩きのお遍路さんだけのことなのか?」実際、お接待をされている団体の方は、お寺の境内の近くででは無く少し離れた場所で「歩きのお遍路さん」しか通らない道でお接待をされています。招かれていたお遍路さんも「歩き遍路」の団体の方。他にも遍路道を整備したり復興されたりしている団体の方が来られていました。実際、会場での話ではお遍路さんは年間15万人。歩き遍路のお遍路さんはそのうちたった5000人。トイレを等間隔に作って欲しいとか看板を増やしてほしいとか意見があったんですが、たかがか年間5000人の歩きのお遍路さんのために、それが必要なのかどうか?歩きのお遍路さんが5000人だとして、一人40万使うとしても、たかがか20億円。四国4県の県民は400万人なので、せいぜい経済効果が数倍あるとしても一人5000円程度しかない。その程度の経済効果のために力を使うのはいかがなものか?私が20年ほど前、四国を歩いて巡拝した時、歩き遍路は1000人と言われていました。20年の間に歩きのお遍路さんは5倍になったのだが、果たして経済効果はあったのか?実は2~3年前、一人で公共交通機関を使いながら歩いて四国をお参りしました。その時見たものは、あまりにも荒廃した四国の状況。かつて、四国は集落集落には必ず商店がありました。賞味期限切れの商品が売られているのも御愛嬌(*^_^*)商店の扉を開けるのはロシアンルーレットのようなもの。しかし、その商店の多くは既に店を閉めていました。ここに店があったはず。行ってみるともう看板を下ろしている。そんな経験は一度や二度ではありません。商店だけではありません。疲れた足を引きづって、この辺に宿があったはず古ぼけた遍路宿が普通の住宅に姿を変えている。遍路宿も減りました。普通なら時間を経過しても時間が止まったかのように昔の面影をとどめているはずの集落が、明らかに寂れている。一体どうしたことなんだろう?一方でこんなことがありました。かつて私が野宿をした、お堂・バス停や駅舎には「お遍路さんの野宿お断り」の大きな看板が掲げられている。いたるところに、醜いまでに張られた四国遍路の道筋を示すステッカーの数々。このような状況に目をつぶったままで歩き遍路を推進する意図はどこにあるんだろう?疑問を感じざるを得ませんでした。
2013年09月16日
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皆さんお元気ですか。昨日はこんな企画があり、参加してきました。四国遍路を世界遺産に 14日、徳島市でシンポ~~~~~以下引用~~~~徳島県は14日午後1時半から「歩き遍路とお接待文化を考えるシンポジウム」を徳島市の県立総合福祉センターで開く。「四国八十八カ所霊場と遍路道」の世界遺産化への機運を高めるのが狙い。四国遍路で脈々と受け継がれてきたお接待の文化を次代に伝えていくには何が必要かを、お接待する側と歩き遍路双方の立場から意見交換する。シンポジウムは、2016年度の世界遺産登録の暫定リスト入りを目指した機運醸成プロジェクトの一環。企画したNPO法人徳島共生塾一歩会の新開善二理事長は「多くの県民に参加してもらい、世界遺産化への関心を高めてほしい」と話している。徳島新聞 2013/9/13 09:40~~~~~以上引用~~~~一昨日の新聞での記事で見て申し込みをしました。このような企画に参加者は少ないと推測していたら、会場の人の多さにビックリ(@_@;)後から判ったのですが、関係団体に声を掛けていたようで参加者のほとんどは関係団体の関係者だったようです。最初に気になったのは年配者が多いこと。お遍路さんに関心があるのは、年配者しかいないのか?また、最初から主催団体の方が「歩き遍路とお接待文化を考えるシンポジウム」のはずなのに「四国遍路を世界遺産にする機運を盛り上げるために・・」と挨拶をされていたのには違和感を感じました。最初は四国遍路研究者で徳島文理大講師のモートン常慈先生の講演がありました。外国人から見たお接待と四国遍路と外国人との関わりについては非常に面白い話が聞けました。その後、お接待をしている遍路団体と歩きのお遍路さんの団体の関係者の話がありました。お接待をする方が非常に苦労されながら、その活動を続けられていることには頭が下がる思いでした。また遍路団体の方の遍路の体験談も心を打つものがありました。代表の方が「四国遍路の世界遺産化」に商業的な見地からのアプローチに対してけん制されていたのにも共感できました。ただ、話を聞いていて疑問に思ったことがあります。「お遍路さん」「お接待」を皆さん強調されていましたがそのベースになる教えはなんだろう?その根底にある思想こそが最も重要なのではないだろうか?それについて全く語られないまま「お遍路」「お接待」の表面だけを見てそれを文化として捉えるのはどうなんだろう?その思想は「真言宗」の教えではありません。もし、真言宗の教えならば「お遍路さん」から「真言僧」になる人が多くいるはずですが、実際にはほとんどいません。では、「弘法大師信仰」でしょうか?それも違います。お遍路経験者が必ずしも「弘法大師」を信仰しているわけではありません。それ以前に「お遍路」には形が無いです。お遍路さんを指導しているのは誰なんでしょう?真言僧?先達?それとも四国在住者?そのどれもから指導さえ受けていない人が、「お遍路さん」として四国を巡拝している事実。むしろ、誰かから遍路指導を受けた人のほうが少ないでしょう。果たしてこのような形のないものが文化遺産として世界遺産に登録するのが適当なのだろうか?疑問を感じざるを得ません。
2013年09月14日
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