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インドカレーを自宅でもつくるときがあります。まず鶏肉を炒めます。人参,ジャガイモ,玉ねぎを炒めます。にんにく,バター,ガラムマサラ,ナツメグ,カレーパウダーを入れます。水を加えて,コンソメを1個とかします。あとはぐつぐつ煮るだけ。卵も加えました。辛さが足りないので唐辛子も加えて。ガラムマサラの粉パウダーを買えば,クミンやナツメグなどの香辛料が一通りブレンドされていて味を調えるのに便利です。暑いときには辛い物を食べて新陳代謝を促進しましょう。
2011.07.31
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実家から桃が届きました。結構傷むのが早いみたいで,あわてて食べることになりました。いい感じに熟していてほんのりした甘み。おいしくいただきました。
2011.07.30
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毎朝のささやかな幸せ。タンブラーに入れて飲むアイスコーヒータンブラーは韓国で買った自分へのお土産。スタバの店頭でわざわざ買いました。でついでにタンブラーを買うときに中にアイスコーヒーを入れてもらいました。側面にはハングルが書いてあるけれど昔の文字のようで現代では使わないものもあるみたい。
2011.07.29
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【送料無料】ルポ貧困大国アメリカ価格:735円(税込、送料別)【内容情報】(「BOOK」データベースより)貧困層は最貧困層へ、中流の人々も尋常ならざるペースで貧困層へと転落していく。急激に進む社会の二極化の足元で何が起きているのか。追いやられる人々の肉声を通して、その現状を報告する。弱者を食いものにし一部の富者が潤ってゆくという世界構造の中で、それでもあきらめず、この流れに抵抗しようとする人々の「新しい戦略」とは何か。【著者情報】(「BOOK」データベースより)堤未果(ツツミミカ)東京生まれ。ニューヨーク州立大学国際関係論学科学士号取得。ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士号取得。国連婦人開発基金(UNIFEM)、アムネスティ・インターナショナル・NY支局員を経て、米国野村證券に勤務中、9・11同時多発テロに遭遇、以後ジャーナリストとして活躍。現在はNY-東京間を行き来しながら執筆、講演活動を行っている。2006年『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命-なぜあの国にまだ希望があるのか』(海鳴社)で黒田清・日本ジャーナリスト会議新人賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)ショッキングな内容が多かったです。新自由主義のもと民営化を進めるとこうも格差が拡大するのかというのが率直な感想。医療についても,教育についても,戦争についても。戦争については「戦争ビジネス」という語があるくらいです。アメリカは徴兵制を敷かなくても兵士が集まる仕組みになっています。政府がただ格差を拡大する政策をとりさえすれば,兵士は集まるのです。アメリカン・ドリームというのは過去のものという感じがします。機会の平等が成功者と失敗者を分け,その子ども世代には教育,医療,住宅,雇用などあらゆる機会の不平等を生みます。医療についても,保険会社が医療サービスの質を決める権限を有したために保険料が急増したうえ,貧困者やリスクの高い患者を排除する逆選択が行われています。オバマ政権により実現した医療制度改革法ですが,これとて本当にこれらを実現するために巨額が投じられるのか。アメリカ自体がデフォルトの可能性をはらんでいるのに,財政支出をする余裕などなさそうな気がします。財政難であっても効率化していいところとそうでないところは分野によってあるはずです。「住民の生活の論理」を踏まえない市場原理は短期的に効率的に見えるし,グローバル競争に強いかもしれない。けれど,格差を拡大し,ひいては国を滅ぼすことにもつながるのではなかろうか。
2011.07.28
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夏といえばゴーヤー。ゴーヤーチャンプルをつくってもらいました。テレビ朝日でゴーヤーの特集をやってました。ゴーヤーの原産地はインド。インドではゴーヤーの中身ごと使うそうです。しっかり揚げれば甘みがあり,中の種はパリパリ。ドライカレーの具になり,脂肪燃焼を助けます。ゴーヤーは15世紀に沖縄に伝わりました。クーグァ(苦瓜)→ゴーヤーになりました。チャンプルーは豆腐やランチョンミートとともに炒めた後,卵と絡めてゴーヤーを蒸す感じに。ゴーヤーひとつとっても食べ方が違うのがおもしろいです。
2011.07.27
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土用の丑の日が終わってなかなかウナギが安くならないなぁと思っていたら,スーパーにうな重弁当が残ってました。安く買えました。○○産でした。産地は聞かないでくださいね。でもおいしかったです。これで暑い夏を乗り切ろう。
2011.07.26
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雪谷大塚の夏祭り。雪谷太鼓を小学生のみんなでたたいていました。先週に引き続いて二度目です。たたいている人に同じ人がいました。腹に響く太鼓が心地よかったです。小さい子どもたちが地元の祭りに積極的にかかわっていくと,それが地元愛につながっていくんだろうなぁと感じます。そして駅前の通りは小中学生や家族連れのすごい人だかり。商店街がある町にはたった数時間でもこうした賑わいができるんだな。
2011.07.25
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ブレードランナー3価格:2,100円(税込、送料別)【内容情報】(「BOOK」データベースより)「きみが鍵なのだ、デッカード」ブリーフケースのなかから声が囁いた。きみがレプリカント反乱成功の鍵を握っているのだと…21世紀、地球を巡る巨大な軌道スタジオ、アウター・ハリウッド。忠実に再現されたLAのセットのなか、デッカードは自分の伝記映画の撮影に雇われていた。かつてブレードランナーとして逃亡レプリカントと演じた数々の死闘は、いまや都市伝説と化していたのだ。が、撮影現場に謎の刺客が放った銃声が鳴り響き、凶弾に倒れたかつての僚友からひとつのブリーフケースを手渡されたとき、デッカードは再び巨大な陰謀の渦中へと巻き込まれていった。時を同じくして、火星移民居留地でデッカードの帰りを待ち続けるサラのもとを、二人組みの謎の密使「親衛隊」が訪れていた。そして、いまだ彼女から造り出されたレプリカント、死せるレイチェルに思いを馳せ続けるデッカードへの愛憎を胸に、サラもまた一路、陰謀渦巻く地球へと向かっていった。小説版の第3弾。ブレードランナーの映画版のイメージを大事にしつつ,スケールはどんどん大きくなってきます。レプリカントについて,またそれらを製造したタイレル社の噂が飛び交う中,人間とレプリカントを区別する判断基準がなくなっていきます。何よりも,デッカード自身が人間なのか,レプリカントなのか。登場人物がデッカードにいろんな噂を投げつけてきます。読者もそれらに振り回されてどれが本当の情報なのかわからずに混乱するかも知れません。最後にはどんでん返しがありますが,最後の最後まで真実が明らかにされないサスペンスになっています。それにしても長編すぎて読むのに時間がかかりました。
2011.07.24
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石川台にあるアジア料理・インドカレー ハヌマン (HANUMAN)へ行ってきました。ランチタイムに行くとサラダやドリンクもついて700~800円台とリーズナブルでした。エビレタスチャーハンセットにチキンカレーセットをオーダー。ナンプラーをかけるとさらにおいしかったです。ナンは食べ放題でした。もちもちナンをいくらでも食べられるって幸せ。なんかわが妹のブログと内容が似てきて・・・兄妹なのかなと感じます。経営者はネパール人さんでした。ここら辺はネパール人さんがたくさん住んでいるとのことですが,その理由は定かではありません。こないだ行ったラシカも同じネパール人さんの経営でした。もしかしたら同郷ネットワークが根付いているのかも。
2011.07.23
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最後の講義では,学問としての地理学の重要性を訴えます。その前に,第1回目で話した抽象的な内容を改めて伝えます。すると今回の具体的な講義の内容を踏まえ,どうやって現代的課題と向き合おうとしているのかがなんとなく俯瞰できます。グローバル経済化が進展している現代,どうしても市場原理による企業の行動・資本の論理が幅を利かせてしまいます。その一方で利益が出る地域では過当競争,条件不利地域では必要なサービスが行き届かなくなります。しかし,そこにも少ないながらも生活する人々がいます。これがいわゆる地域格差です。この地域格差を是正するためには,資本の論理と住民の生活の論理とのバランスをとる必要があります。ときには市場原理を少し抑えたり,公平配分に振り向けたりするための規制や政策が求められます。この地域にとって必要な政策(地域的公正)を考えるのが,地理学の政策科学としての意義だと考えています。さらに,地理学の有効性を以下のようにまとめました。○現実に起こったことを当事者へのヒアリング等観察から明らかにし,法則定立を目指す(実証主義)○地理的現象をさまざまな視点からみる(複眼的思考)○専門分化しすぎたある方法論に特化することなく,分野横断的に考察する(学際的=interdisciplinary)○それを解決するためにどうすればいいかを考える (地域的公正=territorial justiceの基準)○「産業の立地」は地域のあり方を決める大きな要素であり,経済や社会の動きと密接な関係がある。(地域差=regional differenceか地域格差=regional disparityか)そして就職を控える4年生にはグローバルに考え,ローカルに行動できる人間になるように,これからも学びを続ける学生には,バイトでもサークルでもボランティアでも,視野を広げて考え方の違う人と会うよう積極的に行動するように伝えます。教育の根本はよく生きるとは何かを伝えることにあると思っています。この講義を通じて,人がよりよく生きる,そして他人がみな幸せになれるためにすべきことは何かをみなで考えるきっかけになればと思っています。そのことがほんの少しでも伝わればいいなと思います。
2011.07.22
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高校とは違って積極的な授業への姿勢が求められます。しかし,これまで受け身で授業を受けてきた学生にとって大学は高校の延長にすぎません。そもそも受験を推薦やAO入試で,担当の教員からの勧めなんかで入ってくる学生も多いようです。偏差値が低いとさらに自分の学力に自信がなく,卑屈になっているような気がします。さらに行動の仕方も友人と常に一緒で主体性がないケースが多いです。その場合はゼミや講義も友人に誘われて受講します。すべてが受け身の態度となるので,積極的な態度に切り替わることなく卒業することもできます。これでは社会に出た後に困りそうです。一方で大人として選択の自由を謳歌するものの,ついて回る責任をできるだけ回避しようとします。ゼミではできるだけ主体的な態度で臨むよう仕向けています。まず高校と大学ではどれほど学生生活や社会との関わりが違っているか。しかし,受け身の学生はそもそも講義やゼミの出席率が悪いので困ったことです。
2011.07.20
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【送料無料】これから論文を書く若者のために大改訂増補版価格:2,730円(税込、送料別)【目次】(「BOOK」データベースより)第1部 論文を書く前に(研究を始める前に/なぜ、論文を発表するのか ほか)/第2部 論文書きの歌:執筆開始から掲載決定まで(前奏 ズチャチャチャ ズチャチャチャ/構想練ったら雑誌を決めよう必ずあそこに載っけるぞ ほか)/第3部 論文を書き上げるために(効率の良い執筆作業/なかなか論文を書けない若者のために ほか)/第4部 わかりやすく、面白い論文を書こう(誰のために書くのか/わかりやすい論文を書こう ほか)/付録の部 論文の審査過程(学術雑誌の編集に関わる人たち/論文の審査過程)【著者情報】(「BOOK」データベースより)酒井聡樹(サカイサトキ)1960年10月25日生まれ。1989年3月東京大学大学院理学系研究科植物学専門課程博士課程修了。東北大学大学院生命科学研究科・助教授・理学博士。専門分野は進化生態学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)これまで論文を書いてきましたが,改めて読んでみました。研究を始める前として,まず論文とは何かについて記されています。論文とは,以下の3つを兼ね備えた文書のことです。1.未解決の問題に取り組んでいる。2.その問題の解決を多くの人が望んでいる。3.その問題の解決に,何らかの新しい貢献をしている。多くの人に基準はないし,すでに多くの人が興味を持っていることである必要はない。誰も興味を持っていない問題であってもその重要性に気づいていないだけの問題もある。とにかくイントロダクションを書いてみて,現在進行中の研究に論文として価値があるのかを問うてみるのがいいと提案します。というわけで今イントロダクションを書いています。
2011.07.19
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横浜巡検に行ってきました。2大学の合同にしました。今日は気温は高かったものの,台風が近づいていたこともあって日は陰ってちょうど歩くにはよかったです。まずは横浜都市発展記念館へ。事前に学芸員さんに説明をお願いしました。30分程度で非常に簡潔で分かりやすい説明でした。ここでは,関東大震災から戦後すぐまでの横浜の町の歴史が学べます。その後1階の閲覧コーナーをお借りして,自分が作成したレジュメを説明しました。港湾都市横浜の位置づけの変化が中心です。記念館を後にしてからは日本大通りを県庁を見ながら通ります。日本大通りと横浜スタジアムについては慶応大火(1866年)と絡めて説明。(ここでジャック,クイーン,キングの説明)横浜開港資料館(玉楠の木を説明)開港広場(日米和親条約や下水道についても説明)英一番館やシルク博物館(生糸の輸出や三溪園についても説明)象の鼻パークと大桟橋(神奈川台場,横浜マリンタワーとホテルニューグランド,ランドマークタワーの説明)山下公園(インドの水塔,産業貿易ホールの説明)氷川丸に水の守護神中華街(牌楼門,チャイナセンター80,関帝廟,媽祖廟,バリアフリー,山下町公園も説明)最後に中華街の大世界で感想文を書いてもらって印象に残ったことを聞きました。打ち上げと暑気払いを兼ねてそのあとは中華料理を食べました。考えてみれば盛りだくさんでした。巡検コースとしては短いかもしれないけれど,その中でも説明すべきことはたくさんあって,横浜の歴史が垣間見られます。少人数だったけどかえってよかったかも。
2011.07.18
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昨日は,お祭りのムードに酔いながらも露店の焼きそばには目もくれず,インドカレー「ラシカ」のカレーをテイクアウトしました。そもそも外出したのは暑くて辛いカレーが食べたくなったからでした。最初は店内で食べるつもりだったけれど,ディナータイムでは若干高めなのでテイクアウトにしました。バターチキンカレーと野菜カレーをナンで注文しました。中辛でオーダーしたもののちょっと甘かったです。次は辛口にチャレンジしてみよう。経営はネパール人さんです。ウィキによるとネパールの食文化はインド料理と中華料理・チベット料理が融合されたもの,だそうです。カレーはライスで食べることが多いようです。在日ネパール国大使館によると,ネパール料理は地域ごとに異なる数多くの種類があるようです。しかし,ほとんどのネパール人はダル(レンズ豆のスープ),バート(ご飯),タルカリ(野菜のおかず)を食していて,これにアチャールと呼ばれる発酵させた一種の漬物がしばしば添えられるとのことです。
2011.07.17
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たまたま石川台の商店街で盆踊りに遭遇しました。小さい子が夜店の売り子をやったり太鼓をたたいててエネルギーをもらいました。ゆきがや音頭,すっきり音頭なるものがあるようで,フォークダンスみたいなのも踊ってました。初めて知りました。かき氷機は古いタイプで風情がありました。
2011.07.16
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栗原はるみキッチンより手羽先から揚げとラビゴットソース材料 4人分手羽先(手羽中)…12本しょうがのすりおろし(絞り汁)…大さじ1/2 にんにくのすりおろし…小さじ1しょうゆ…大さじ1塩…小さじ1/2こしょう…少々卵…1/2個薄力粉…大さじ2片栗粉…大さじ2ラビゴットソース4人分【材料】トマト…1個(100g)ピーマンみじん切り…1個分玉ねぎみじん切り…大さじ3イタリアンパセリ…2~3枝スープ (湯 大さじ2・顆粒コンソメ 小さじ1/2)白ワインビネガー…大さじ2オリーブ油…大さじ1塩・こしょう…各少々タバスコ…少々魚や肉料理に使える万能ソースです。手羽中に切り込みを入れる。にんいくすりおろし,しょうがのしぼりじる,しょうゆ,塩,こしょうを入れてもみ込みます。衣のサクサク感とジューシーさを出すために,卵を入れた後,薄力粉,小麦粉でまぶして揚げます。ラビゴットソースピーマンと玉ねぎをみじん切りに。調味料はコンソメスープを入れてビネガーによる酸味を抑えます。オリーブオイル,トマト,白ワインビネガー,タバスコ,パセリを入れて,先ほどの野菜を入れて混ぜます。----------------------------------さっぱりしておいしかったです。野菜もたっぷり入っていて栄養バランスもいい。おもてなしにもいいかと思いました。
2011.07.15
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時論・公論でDMATの活動を振り返っていました。DMATは外科中心の重症者の救命を2~3日にかけて行います。その後医療救護班が内科中心で引き継いでいきます。この活動は今も続いています。医師会JMAT,日本赤十字社,全国の病院組織・医療団体などです。およそ2400チーム,1万1500人を派遣しましたが,司令塔をどうするかが課題となりました。最後に災害医療体制時の情報共有のあり方です。救急医療情報システムなどはありますが,入力作業が追い付きませんでした。宮城県は予算不足からこのシステムから脱退していました。2日間の入力が被災三県で病院全体で25%にとどまりました。被災地の状況を一番把握していたのは自衛隊でした。情報の共有化が進んでいったものの,消防,医療,警察などとの被災地情報の共有が課題になっています。阪神淡路大震災時でも課題になりました。しかし,その体制は今回でも脆弱であることが明らかになりました。これからどのような体制づくりを進めていくのか,大きな研究テーマです。
2011.07.14
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本日はゼミ親睦会の2回目。中国に留学しているゼミ生が一時帰国しました。ゼミに合わせて来てもらいました。お土産ももってきてくれました。中国での生活,ウェブの違い,お金,料理など日本との違いがわかっておもしろかったです。ゼミ生にとっても刺激になったようです。夜は親睦会を兼ねて夕飯を彼と一緒にとろうと思いました。しかし,都合が悪く結局ゼミ生のうち希望者たちと食事をとることになりました。参加者は3人でした。駅前にあるインドカレー屋さんにしました。普段のゼミでは聞けないプライベートのことが聞けてよかったです。普段何を考えているのか聞けました。ゼミとは本来こうあるべきです。しかし,90分授業で20人相手にしているとなかなかこうした濃い話し合いはできないものです。ましてや現在行っている講義内容はパソコン演習です。個人のスキルアップが目的なのでコミュニケーションがとりづらい環境です。また機会があったら親睦会を開こうと思いました。
2011.07.13
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マイタウンニュース(地元広報誌)にこんな記事がありました。中原街道は近くてよく通るので気になります。私たちが何気なく「中原街道」と呼んでいるその名の由来をご存知ですか?最初からクイズみたいで恐縮ですが,終点は現在の神奈川県の「平塚市」で,昔「中原」と呼んでいました。つまり,「平塚市」の旧名が,「中原街道」の由来なんです。武蔵国と相模国を結ぶ,街道としてかなり古い道で,日蓮上人も歩いたと思われる古道です。1590年徳川家康が江戸入りした際にも,この道を使ったとのこと。江戸幕府により東海道が整備されるまでは江戸城。虎ノ門を起点に戸越,馬込,鵜の木,沼部,丸子渡しから川崎に,そして平塚市(中原)までのお江戸のメインロードでして,平塚から東海道につながります。その後,品川,川崎,東神奈川,保土ヶ谷,戸塚,平塚を通る東海道がメインとなりましたが,東海道は頻繁に大名行列が通るため,のんきに歩いていられません。その煩わしさを嫌う庶民や商人は気楽で最短距離の「中原街道」をもっぱら愛用していたようです。--------------------------------ちなみに有名な赤穂浪士も表の東海道を避けて,中原街道から江戸入りしたそうです。田園調布本町の「桜坂」は,旧中原街道の名残をそのまま残す数少ない場所だそうです。桜坂は別の意味で今は有名になってますが,それ以前から結構由緒ある場所だったんですね。
2011.07.12
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今日は日本大通り~中華街まで散策してきました。来週補講で行う横浜巡検の予行演習です。日本大通りには横浜都市発展記念館があります。ここの1階にリファレンスデスクがあるので,資料探しに使いました。次に日本大通りからキングの神奈川県庁脇を通ってシルクセンターへ。生糸の輸出拠点として横浜港は発展しました。絹を使ったお土産コーナーがありました。さらに象の鼻地区からみなとみらい方面を眺めた後,山下公園へ。猛暑の中休日なのに人影はまばらでした。最後に中華街へ向かいました。メインストリートを通った後,関帝廟をみて再び戻ってきました。横浜大世界でタピオカ入りのマンゴージュースを飲んで一休み。夕方からは相方のご両親と合流して興福楼(こうふくろう)で食事をしました。日曜の夜なのに空いてました。広東料理をメインにバイキングでいただきました。どれもおいしかったですがオススメは水餃子です。横浜満喫の1日。しかし暑かった。
2011.07.10
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◆現品限り◆【中古】【洋画DVD】ジョンQ 最後の決断/デンゼル・ワシントン/Ld876〔レンタル落...価格:680円(税込、送料別)病気で倒れた息子のために移植手術が必要なことを告げられたジョン夫妻。しかし,保険会社では25万ドルという高額な医療費をカバーできず,さらに移植手術の待機リストの名簿に登録するだけで7.5万ドルが必要だと病院から言われます。そこでモノを売ったり,寄付を募ったりしてお金をかき集めます。しかし到底必要な額は集まりません。そこでジョンは病院を乗っ取る強硬手段に出ます。HMOの保険に入っていて,コスト削減のために健診での精密検査を受けさせなかったことがわかります。ジョンは警察に名簿に載せることを要求します。院長はジョンの妻に名簿リストに載せることを約束します。ジョンの妻はジョンと電話で話します。しかしその間に狙撃手に撃たれてしまいます。ジョンは命を落とさずになんとか狙撃手を人質にして息子を手術台に連れてきます。新しい心臓が必要になったため,ジョン自身が自殺した後の心臓を提供しようとします。そこにたまたまドナーが現れ助かります。その後の裁判でジョンは有罪になります。------------------------------根底には保険制度システムのゆがみがあります。強硬な手段に訴えることでしか息子の命を守ることができない。それほど,現在の医療保険体制が矛盾に満ちていることが示されています。
2011.07.09
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今回は久しぶりの勉強会でした。総勢20名ほどの前での講演のサポートをしました。外資系メーカーの関心の高さがうかがえました。それだけ国内市場は特殊な慣習があり,それらを本部に伝えるのは難しいということなのでしょう。なぜここまで複雑な制度になってしまったのか。明治時代にドイツから医学が導入された時の導入のされ方にゆがみがあって,それが現在の制度的矛盾につながっていそうです。さらに当初の制度をつぎはぎ的に改正していったことも問題を複雑にしています。
2011.07.08
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過去に自分の講義を受講した学生たちが飲み会に誘ってくれました。品川の居酒屋さんです。半期しか受けたことのない学生もいましたが,講義が終わった後も話をする機会を設けてくれてありがたいことです。教職の授業のためみな教員の卵です。教育実習時の苦労話。海外への旅行話。これから行う巡検の話題。自身の講義や研究の話。いずれもおもしろい話でした。みないろいろ貴重な経験をしていました。やる気のある学生たちに囲まれて自分を慕ってくれるだけで自分がやってきたことは間違っていなかったと確認できました。人類みな兄弟,そして教育がとても重要だと伝えました。これらをまた教え子に伝えていってくれればと思います。
2011.07.08
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第一次世界大戦中,国内では物資不足が続いてペトログラードで反乱がおこりました。3月(2月)革命です。ソヴィエト(評議会)が臨時政府を樹立。ソヴィエトは戦争継続の立場でした。自由主義の立憲民主党が支え,連合国との約束を守る立場です。一方,ボリシェビキ(急進的マルクス主義)を率いる社会主義者レーニンは講和を訴えます。「すべての権力をソヴィエトへ」がスローガンになりました。ボリシェビキが臨時政府を倒す11月(10月)革命がおこりました。帝政時代のロシアでは戦局の悪化で兵士の士気が低下し,兵器生産のため国内経済のバランスが破たんしてしまいます。鉄道輸送は兵器輸送が優先されました。都市では食糧が不足します。こうした大きな困難に直面して,皇帝と国会が分裂してしまい,皇帝への政治的信頼が低下します。ソヴィエト政権の主な政策はドイツとの単独講和による平和の獲得,地主の土地や帝室領の無償没収,都市への食糧供給,労働者による工場管理,そして帝国内の全民族の自決です。この社会革命は成功します。反植民地の民主化運動を刺激します。レーニンの社会主義観は世界戦争をなくすための資本主義の打倒。戦時経済体制と革命権力によって社会主義を構築できるとしました。シベリアなど各地では反革命軍がいました。10以上の連合軍の国々からウラジオストクの港に軍隊派遣されました。しかし,シベリア打倒の目標は達成されませんでした。これに対してソヴィエト政府は徹底的な戦争体制にします。連合軍のこうした動きの背景には,ドイツ軍へのけん制があります。ソ連だけが戦争から抜け出てしまうとドイツがフランスに戦力を振り向けてしまいます。この時代の政治的思惑と戦争行動・国内政治体制は非常に興味深いものがあります。現代のグローバル企業の進出に際しても,出身国によって進出地域に差があることと多少影響していそうに感じます。
2011.07.06
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横浜市による平成 22 年 横浜市観光入込客数(延数)についてを見ています。(開港 150 周年に伴う集客効果)が1052万人とありますが,どうやって集計したんでしょう。かなり気になります。とにかくも2010年度はY150がなくなった反動で観光客が落ち込んでいます。その影響を差し引いても2008年度の水準を下回っています。観光地としての生き残り策の方向性はいろいろあると思いますが,横浜の場合は国内外からどれだけの観光客を呼び込むかが課題です。都市再開発に相当な投資をしているはずなのでそれに見合う国際都市としての魅力度アップの取り組みを継続することが求められます。
2011.07.05
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土曜日の昼,新しく届いた液晶テレビと既存のBD機器、CATV機器と接続する方法がわからずずっと格闘。今ようやく以前の状態にまでリカバーできました。最後のハードルは有線ルーターとCATVモデムとをつなげる方法です。最初にモデムから伸ばした有線LANをWANポートに接続してMACアドレスを認識させてから,それぞれのPCにLANポートより接続しないといけないということを知りました。アナログなつなぎ方なのでほとんどの方は無意味な情報…現在の状況・・・BSがアナログでしか映らない。デジタル画質で映すためにはCATVにHDMIケーブル接続口がないため,D端子ケーブルがいるようですが,詳細不明。それからレグザリンクができない。そのためにいちいちビデオの方を立ち上げないといけません。さらに再生専用TVのリモコンとビデオのリモコンと,BS録画の場合はCATVリモコンと3つを併用しないといけません。だんだん頭が混乱してきます。
2011.07.04
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観光で行った場所をご紹介。まずはCOEX地下2階にある「キムチ博物館」いろんな種類のキムチを紹介しています。試食コーナーもあり。3000ウォンでしたがそれほどのものでもなかったかも。地下鉄で東大門に行きました。こちらが広蔵市場です。狭い公設市場にそれぞれの売り場が1畳あるかないかというようなところにいろんなものが売られていました。お菓子の山,化粧品の山,靴の山・・・・それから飲食のコーナーでは,キムチ鍋,惣菜,チヂミのようなものを売る店とそれぞれに1~2人の地元客がお昼ご飯を食べていました。暑かったので鮮魚のお店に入りました。おばあさんがケースに入ってる貝や魚すべて載せたセットで10000ウォンだといいます。日本語は少しだけ通じました。英語はあんまり通じませんでした。湯引きしたアナゴはサービスだそうです。それにレタス,のり,みそだれ2種,しょうゆが出てきました。レタスにのりを載せて魚を挟んでたれをつけて巻いて食べてと実践してみせてくれました。魚の盛り合わせがドドーンときました。なかなかおいしかったです。鮮度についてはいまいちな感じもしました。このおばあさん,年齢を聴いたら76歳でした。look so youngと言ったら喜んでました。次に韓国人のお友達にオススメされた鍾路区(チョンノグ)に向かいました。昌徳宮(チャンドックン)は世界遺産です。朝鮮王朝第3代太宗によって1405年に建設されたそうです。次に北村(ブッチョン)へ。ここは昌徳宮と景福宮(キョンボックン)両宮殿の間にある地域と言う理由から朝鮮時代の高級官僚が沢山住んでいたそうです。坂道が多くて大変でした。周辺にはブティックやカフェが並んでました。最後に景福宮(キョンボックン)へ。1395年に建てられた李王朝最初の王宮だそうです。一番手前の正門・光化門では兵士たちが行進してました。記念写真を一緒にとることもできます。たくさん歩いて疲れましたが歴史に触れるいい観光になりました。
2011.07.03
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とりあえず韓国から帰国してきました。第一目標である無事帰国を果たせました。海外の研究者と交流もできました。同僚と再会したり,おいしいものを食べて,観光もそれなりにできました。充実した4日間でした。たまには外に出てグローバルな刺激を受けないといけないと感じました。東大門の西端にある広蔵市場(????:クァンジャンシジャン)で食べた刺身定食とても美味でした。湯引きアナゴの皮を韓国のりとレタスに乗せて食べるとこ。
2011.07.01
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