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材料2つの絶品レシピ338大根と豚バラ肉を使ったリーズナブルな料理です。47.豚バラ肉と大根の重ね蒸し煮 材料(4人分)豚バラ薄切り肉 400g大根 1/2本しょうが 30g酒 1/3カップA(酢,だし,しょうゆ 各1/3カップ)作り方1.大根は薄い輪切りにし,ショウガは千切りにする。2.豚肉は7~8cm幅に切る。3.鍋に大根と肉を交互に,ショウガは散らしながら重ね入れて,酒を加える。蓋をして火にかけ,大根がしんなりするまで20分ほど蒸し煮にする。4.Aは混ぜ合わせる。5.器に3を盛り,4のたれを添える。ポイントは大根を薄く切ることです。スライサーを使いました。積み重ねるのにひと手間ですが,その分今まで味わったことのない食感を楽しめます。ヘルシーな感じ。和風なんだけれど,醤油と酢を使ったたれを使うと,一転中華風の味付けになります。さっぱり,あっさりして中華風のたれが食欲をそそるので一気に食べてしまいました。
2009.01.31
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加藤諦三(2004):「気が軽くなる生き方」知的生きかた文庫.自然にふるまうわれわれは自分を他人によく見せようとして,大変な勘違いをしている。われわれは自分を他人によく見せるために,お金も必要なければ名声も必要ない。ことさら並外れた良心も必要なければ,献身も必要ない。それが証拠に,並外れた良心の持ち主でもなければ,たいしてお金もないような普通の人が,仲間同士の間でよく思われているではないか。またそのような人が他人に好感をもたれているではないか。他人によく思われようと,いかにも同情心があるようにふるまう人もいる。みな勘違いである。要するに,”共に生きよう”というする姿勢がありさえすれば,それだけで他人によく思われるものである。他人に自分をよく見せようとする人は,えらくならなければとか,美人でなければとか思うが,肝心の”共に生きよう”という姿勢がないのである。他人と同じであってはダメだと思っている。それが勘違いなのである。他人によく思われるためには,別に立派である必要などない。この世の中を見渡してみれば,あまり立派とは言えない人が,仲間内でよく思われていたりする。他人によく思われるためには,何も他人に尽くす必要はない。人間らしい感情を持っていれば,他人に尽くすことが自分にとって自然だから他人に尽くすまでである。仲間のいる人はみんなそうである。他人によく思ってもらおうとして他人に尽くしている人などいない。立派でなければよく思われない,美人でなければよく思われない,他人の利益にならなければよく思われないと思っている人は,ペットを観察することである。犬は,飼い主にどんな利益をもたらしているだろうか。トイレの世話から散歩,食事まで,あらゆる世話をして,飼い主はその鳴き声のために周囲に気兼ねさえしている。しかし,他人に利益などもたらさなくても,犬はよく思ってもらえるのである。とにかく,ありのままの自分でありさえすれば,良く思ってくれる人はよく思ってくれる。----------------------------どうしても自分に自信がないときは,他人に認めてもらうことで自分の存在価値を見出そうとしてしまいがちです。でも,それは極度に他人に依存した自分であって,自分の本位とはかけ離れているために気持ちが不安定になります。この考えを改めるためには見方を変えるしかない。そういえばこれまで自分は協調性がとても大切だと思って相手の意見を尊重して,自分の意見を抑えるところがありました。自分を抑え過ぎて本音を言えない場面もありました。ただ,相手のしたいことが自分のしたいことでもあったように思います。相手の喜ぶ顔が見られることで,自分も幸せを感じるからです。しかし,相手も相手のしたいことがしたいと思っていたらどうでしょうか。お互いがなんとなく自分の意見を押し込めて結局お互いが自分のしたいことではないことをしてしまう羽目になるかもしれません。つまり極度に自己顕示欲が強くて相手の意見を聞き入れないのも問題ですが,協調性を重視するあまりに相手を尊重しすぎるのも問題です。自分の意見は主張しつつ,うまく折り合いを付けるようにすればいいのだと思います。でも相手とぶつかることが怖い。嫌われて関係が断たれるのが怖い。よく考えれば,ぶつかった挙句壊れた関係はそれぐらいのものだったということだと思います。そうやってぶつかりながらよりよい人間関係を他でつくっていけばいいのだと思います。他人に嫌われたとしても自分本位の行動をする勇気。その行動が単なる身勝手でなく相手のことも考えた行動であったなら,いずれよき理解者は現れるのだと思います。
2009.01.30
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アパートの庭に椿が咲いてました。花の少ない時期にきれいなピンクの花が映えます。椿は1月終わりから春先にかけて咲きます。ちょうど咲き始めの時期ですね。この赤い実も毎年冬になると目立ってます。秋口に小さなバラが咲いていたような気がします。
2009.01.29
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昨日は青学の先生にお会いしてきました。自分の論文を一部献呈しました。先生は国の審議会の委員を複数務められています。そこで「こうあるべき」といった政策的方向性を熱く語っていただけました。自分も方向性では一致していたのですが,基礎的な知識・情報が少なかったためになんとなくぼんやりしていたものがすっきりと明確になりました。非常に有意義な時間でした。自分も将来このような公的政策の枠組みにかかわって今よりベターなものを作りたいと思いました。中立の立場で発言することは企業人には少し難しいかもしれません。学者が完全に中立かどうかは分かりません。しかし,ある特定の企業に所属していると自企業に有利な方向に政策を誘導したいはずです。本当はこうあればなぁと思いつつも現実には発言しにくい環境であったり,実際の行動ではその思いとは違ったことをしなければいけないことも多いと思います。コンサルタントであってもそうです。それが雇用されている従業員にとってふさわしい方向かはわかりません。また商品やサービスの利用者にとってふさわしい方向かは分かりません。資本の論理と住民の生活の論理との相克を明らかにして,後者が優先されるなかで資本が生かされるような方向に政策的議論が深まっていくのが望ましいと思います。
2009.01.28
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街の灯 コレクターズ・エディションチャップリン主演・監督です。1931年公開で効果音や音楽のみが流れます。浮浪者チャップリンは盲目の美女(花売り)に会います。途中,海に飛び込んで自殺しようとする男性を思いとどまらせます。これをきっかけに2人は友人となり,酒を飲み明かします。その友人から金を借りて,少女から花を買います。さらにチャップリンはその友人の車に少女を乗せて彼女の自宅まで送ってあげます。少女はチャップリンを金持ちだと思い込みます。チャップリンが再び少女の家を訪ねると高熱で倒れていました。そこで彼は少女のために働きだします。少女の家を訪れたチャップリンは,自分が貧乏であるにもかかわらず,紳士であるように取り繕います。しかし,家賃滞納の手紙を読んでしまったことから,支払いの約束をします。手軽に金を稼ぐためにボクシングに手を出しますが,負けてしまいます。結局ヨーロッパに渡航していた友人からもらった金を少女に渡して立ち去ります。---------------------------この「街の灯」は泣ける映画の上位にランクされていました。チャップリンを見ていて思い出すのが「寅さん」です。自分は金がなくてもてないのにかかわらず,背伸びをしていいことをしたあとはすっと立ち去ってしまう。おっちょこちょいでいろんなトラブルを起こしてしまうんだけど,人間味にあふれていて憎めないキャラ。寅さんのボストンバッグが,チャップリンではステッキに代わっただけです。主人公がヒーローではなくて,人間臭いから親しみがもててなんだかホッとする気分になるのかも。長年にわたって愛される作品にはそれなりの理由があると思いました。
2009.01.27
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早くも後期の講義とテストがすべて終わりました。手放しで万歳・・・といきたいところですが,まだ採点や追試の依頼が残ってます。延べ500枚もの答案に目を通さなくてはいけないです。1週間はかかりそうです(´д)=з今日は最後のテスト日でした。しかし,またまた風邪をひいてしまって,体調はかなりすぐれなかったです。薬を飲んだけれど,咳止めにしか効果がなかったようで,監督している最中は熱っぽさやだるさと闘ってました。でもなんとか休まずに最後までこなせたのでひとまず安心です。
2009.01.26
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気持ちいい日曜日の朝。新聞を取りに外へ出るといつもいる猫がいました。何か獲物でも狙ってるんでしょうか。鳥は電線で元気に鳴いてました。最大ズームで・・・電柱にも止まってました。朝から得した気分になりました。
2009.01.25
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先日まで雨がしとしと降って寒かったですが,久しぶりに冬の透き通った空が見えました。ベランダにて自宅と隣家との隙間から空を見上げてみました。気温も上がってなぜだか心もウキウキしてきます。雲ももくもく浮かんでました。しかし,明日は一転,再び寒くなるそうです。今年は暖冬といわれてますが,あったかくなるのは特定の日だけで,寒暖の差が激しくなるそうです。逆にタチが悪いですね。体調管理に気をつけて冬を乗り切ろう
2009.01.24
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国立感染症研究所によるインフルエンザ流行レベルマップによると1月5-11日で前週の約2倍に増えたそうです。年末に流行り始めてから慌てて予防接種を受けに行きました。抗体がつくられて効果が出るまで2週間。年明けから効果が発揮されているはずです。100%感染しないとは言い切れないけれど,かなりの予防手段にはなるという思いがあるのでなんとなく安心できました。年明けから知人・友人にインフルエンザにかかったとの知らせをちらほら聞くようになりました。他にも感染しないための取り組み5箇条が中外製薬より紹介されています。1.栄養と休養を十分取る2.人込みを避ける3.適度な温度,湿度を保つ4.外出後の手洗いとうがいの励行5.マスクを着用する1と3はあまり実践できてないです。みなさんもがんばりすぎずにしっかり栄養を取ってください。
2009.01.23
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加藤諦三(2004):「気が軽くなる生き方」知的生きかた文庫.自分をよく見せるための正義世の中の人間が全て,物事に対して「かくあるべし」と思っているわけではない。いわんや他人に対して,常に「あるべき姿」を押し付けているわけではない。ところが他人に会って緊張する人は,眼の前にいる人が,このようなことを自分に押し付けていると錯覚する。そこで,そのような高い理想的基準に自分を合わせようとして無理をする。ところがこの錯覚も,自分の中にある,他人への「かくあるべし」という要求の照り返しであるのかもしれない。他人に対して少しの欠点も許せない人は,他人もまた,自分の少しの欠点も許さないと思いがちである。(中略)対人的に,すぐに不安な緊張に襲われた人にとって必要なのは,実は正義でも理想でもない。必要なのは,人間らしい寛大な温かい気持ちである。人に会うと不安な緊張に襲われ,リラックスできない人は,おそらく,正義感の強い自分は他人に立派に映るであろうといったような錯覚を持っているのではなかろうか。他人にとって自分をよく印象付けるための正義感や同情心は,自分を傷つけるだけである。そして,他人に対して自分をよく印象付けるための正義感や同情心をもつものが,他人の必要に対して極めて鈍感なのである。立派なことを言いながら,子どもの心を理解できない親のなんと多いことか。他人に対して,自分をよく印象付けるための正義感や同情心をもつものは,他人もまた,自分の必要性の身押し付けてくる厳格な父親と同じ人間であると思っているのである。------------------------------とても気骨のあるエネルギッシュな人に会うと緊張してしまいます。どうにかしてその人と近しくなって一緒に何かさせてもらえないだろうかと思って自分をよく印象付けようとするからかな。いつの間にか自分が立派な正義感をもっているということを相手に印象付けようとして,本来の自分とかけ離れてしまうのかもしれません。よく考えれば自分の自信のなさがすべての原因なのかもしれません。相手には相手の土俵があり,その中で個々人が考える正義感があります。自分は相手の土俵の中で無理やり認めてもらおうと努力していたのではないか。これだけは譲れないという自分の軸をもってさえいれば,別に相手の土俵の上で合わせる必要はない。自分の欠点を認めて,相手を尊重した上で,自分がどう振る舞うか。それは相手に媚びるだけではなくて自分がしたいことを自分本位で決めていくことなのだろうと思います。自分のテーマ設定においてはあまりに正義感に縛られると,自分の首を絞めることになりそう。むしろ,人生を費やせる暇つぶしになるような長期的な目標が据えてみるといいのかも。そうすればおのずと数年後にしたい短期的な目標も決まってくるかもしれません。
2009.01.22
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コンタクト・ゾーン(上)コンタクト・ゾーン(下)内容(「BOOK」データベースより)襲撃された楽園。暗転の休日。戦場と化した島に出口はない。“生きろ。何があっても”いま、女たちの戦いがはじまった!まばゆいラグーン、豊かな熱帯雨林に恵まれた島・バヤン。その歴史には、つねに世界の矛盾が集約されていた。異なる価値、異なる秩序がせめぎあう「異文化接触地点」で、あなたは驚くべき光景を目撃する。危機にみちた時代を、全身で学び、生き抜いていくということ―。篠田節子が贈る、スリリングな感動巨編。バカンス先でクーデターが発生して,虐殺をなんとか逃れた3人の女がゲリラの手に落ちた小さな島で生き延びようとします。そこで,ゲリラに参加する兵士たちや現地の村人たちの考えや行動を知ることになります。現代の豊かさを享受した日本女性とさまざまな宗派を名乗る人々との対比が強調されています。昨日の味方は今日の敵。彼らは抑圧されてきた感情が爆発して,政治を牛耳るためには武力による虐殺も辞さない行動に出ます。日本女性は自分たちの危機意識のなさ,異文化が複雑に絡まる状況にショックを受けながらも,伝統的な村に潜んで村の巧妙な生存戦略についていきます。日本人は無宗教の人が多くて,政治的クーデターがなぜ起こったのか実感をもちにくいかもしれません。この本を読むと,フィクションでありながらも,イスラム原理主義やその主導者に反発する集団,政治的リーダーに反抗しようとする者,現状の生活にただ不満を抱える者,そうした状況をうまく切り抜けようとする伝統的な村と,一筋縄ではいかない政治的状況がリアリティをもって描かれています。日本はそうした政治的イデオロギーに関する争いはないので平和といえるかもしれませんが,平和ボケしてしまっているとも感じました。イスラエルとパレスチナの紛争は終わりが見えません。憎しみが憎しみを生んでいく。相互の不信感は増幅されることはあってもなくなることはなさそうです。過激派も若者の間から生まれてきています。軍事行動を止めては繰り返す。みなが平和を願っているはずなのに,ますます和平への道が遠ざかって終結が見えないのはなぜなのだろう。読後にそんなことをつらつら考えさせられます。
2009.01.21
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クリスマスにペアウォッチをお互いに贈りました。しかし,お互いに好きなデザインを選んだのでペアウォッチといってもデザインはかなり違います。いろんな店を見てまわってそれぞれ違う店で買いました。安いものだけどお互いにデザインが気に入りました。ちゃんと日付もわかるようになってます。こういう機会がなかったら時計は買ってませんでした。今まで時計をいくつか買ったことがあるものの長い間し続けることがなかったかも。お仕事で時計をしていくと何となく背筋が伸びて仕事モードになれる気がするので不思議です。大切にしていこうと思います。
2009.01.20
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昨日は三軒茶屋のシンボルであるキャロットタワーの展望台に行ってきました。その前に,「世田谷でみかけた書体」展が3階で開催されていたので見てきました。入場は無料でした。竹下直幸という書体デザイナーさんが撮りためた世田谷区内のさまざまな書体を写真に収めていました。普段見掛けるものでも視点を変えるとこういう見え方になるんですね。おもしろかったのは「等々力駅」のフォントだけが違うことです。東急線の駅名表示は、現在では新ゴに統一されていますが、かつては丸ゴシックだったそうです。「等々力駅」は地下化が目指されたそうですが,渓谷保存のために地元住民の反対にあっていまだに駅舎が古いまま残されたために駅名のフォントも古いまま残されたそうです。これもアートなんだなぁ26階はスカイキャロットという展望フロアになっていて,無料で入ることができます。都心側じゃないのにきれいです。世田谷線が見えました。西太子堂駅前にすれ違う2両編成の路面電車。246号線方面です。ちょうど真ん中に我が家があります。246上の首都高に向けて開放時間を長くして撮りました。ものすごい光線が走ってます。
2009.01.19
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14日に「最強医師が疑問解決!」という番組を見ました。いろんな病気について名医といわれる20人が見解を述べるというものです。爆笑問題が司会だったのでバラエティ寄りでした。ここで,うつ病についてゲストの疑問に答えていました。「早朝覚醒」はうつ病の黄色信号かどうか??この疑問に対して意見が分かれました。ノーと答える医師は,すべてがうつ病だとは限らない。イエスと答える医師は,うつ病の前兆としてほとんどの場合早朝覚醒が起こる。こんな感じで医師によって見解が分かれてしまうので,正解がどれかわからないですが,精神科の女医が最も専門的で慎重な意見を述べていたように感じました。心の問題には医師の対処法や認識における相違がかなりあると思います。20人の中の心療内科の医師が絵による「うつ病」危険度チェックを紹介していました。興味があれば試してみてください。男女40名に行なったテストだそうです。「雨の中の私」を描いてください。結果については以下に文字色を白にして記しますので反転して読んでください。雨からの圧力を受けていた人は,原因となるストレスをためない努力をしましょう。<紹介されていたチェック結果>雨の量はストレス度傘は社会との境界線雨から身を守っている場合はストレスに対処できています。屋内から雨を眺める場合は自己防衛できています。雨に打たれる場合は防衛がされていないのでストレスにさらされています。横殴りの雨は強いストレスを示しています。雨に抑圧されている絵は,うつ病の危険度が高いことを示します。自分の姿を線で描いた場合は,自分の存在を小さく感じているそうです。ちなみに自分も試してみたのでのせておきます。なんとも貧相な絵です。時間がなかったこともあってまったく絵心がなくなっています。。雨を傘でしっかりガードしていたので,ストレスに対処できているかな。雨の数は5本で弱々しいのでストレスをそんなに感じていないということになります。本当かな。こうした絵と無意識下のストレスとの関係はわかりませんが,阪神・淡路大震災にあった子どもが「黒い虹」を描いたことは有名です。自己分析をするためのひとつの助けになるかもしれません。
2009.01.18
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加藤諦三(2004):「気が軽くなる生き方」知的生きかた文庫.あなたは何も期待されていないうつ病の病前性格の人は,他人に尽くそうとする。他人に尽くすことはよいことであるが,彼らは自分を殺して相手に尽くす。相手に尽くすことで受け入れてもらおうとしている。尽くしたいから尽くすのではない。尽くさなければ相手に受け入れてもらえないという感じ方は,どこから出てきたのだろうか?現代ならば,友だちづきあいの中で,それが顕著である。尽くさなければ友だちとして認められないと不安なのである。これは時代を超えて考えられることだ。以前子どもは小さい頃,尽くすことを期待されて生活していた。親はその子に,手伝うことを期待した。女の子なら食事の手伝いを期待された。男の子は庭の掃除を期待された。親がやっていることなら,部屋の掃除であろうが,トイレの掃除であろうが,とにかくすべて手伝うことを期待された。もちろん,家の仕事を手伝うことはよいことである。しかしここでの問題は,手伝わなければ,自分は拒否されるという子どもの感じ方である。親のやっていることを手伝えば,親の言うことをよく聞く素直なよい子になり,親に受け入れてもらえる。しかし手伝わなければ,ものすごく不機嫌な顔をされて,家の中で身の置き場がなくなってしまう。親は手伝わせようとするし,子どもは手伝うまいとする。そこには,”グッドファイト”がある。それならよい。ファイトがあるならよい。しかし,不機嫌な顔をされて,家の中に身の置き場がなくなる子どもは,ファイトがない。そこにあるのは服従依存の関係である。子どもはあまりにも期待され過ぎたのである。親に気に入ってもらうために,親の自分に対する期待にこたえなければならない。しかも,親はいたって幼児的依存心が強い。その期待であるからずっしりと重い。子どもはずっと親の過大な重圧に苦しみながら生きてきたのである。-----------------------親の過大な期待。これほど子どもにとって重荷はないかもしれません。期待を裏切ったとしてもそれが批難されなければまだマシかもしれない。常に親の顔色をうかがってびくびくしながら「いい子」に収まってしまうとその後不満が爆発するかもしれません。他人に会った時なぜか相手の期待にこたえなきゃと思うときがあります。本来はそれよりも自分のしたい願望を軸に据えなければなりません。合言葉は「自分はそれほど期待されていない」と唱え続けることのようです。自分がどう行動しようが他人の評価はそれほど変わるものではない。そういう気持ちを意識して持ち続けて他人に振り回されることなく,自分のしたいことができますように。
2009.01.17
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論文執筆のときにお世話になった方が東京に来る用事のついでに,面会のお誘いをいただきました。同時に初対面の方を2名連れてこられました。1人は業界のコンサルで活動されている若手で自分より3歳年上。もう1人は息子さんで自分より2歳年上です。勉強会を兼ねてホテルのロビーにて,最初にそれぞれの最近の成果を発表しあいました。発表が終わって,今後,定期的に研究会をして,その成果を出版物の形で出せればいいなどの案が出されて意気投合しました。2カ月に1度の割合で東京で同じような勉強会をすることになりました。次回の勉強会に向けて,自分には課題を与えていただきました。最後に近くの居酒屋で飲みながらお互いの状況や今後の方向性について話し合いました。自分は最近は落ち込むこともあって,自信をなくしそうになってました。でも,前向きに目的意識を持ってる方の話を聞き,叱咤激励を受けてエネルギーをいただきました。ここ1年は講義の準備や論文執筆などで家にこもることが多かったのですが,いろんな人と交流することで頭を活性化する必要があるなと思いました。久しぶりに異業種交流ができて,大変な刺激になりました。同年代の社会人と話す機会はあまりなかったのだと感じました。彼らは利潤の追求のなかで社会への効用を最大化することが前提条件としてあります。社会のために役立っても利益の出ないテーマは捨象されます。研究とは正反対とも言える立場でなじみにくいけれど,こういう泥臭い損得勘定の感覚は常にもっていなければと思いました。そして,何よりもこうした出会いがあったことに感謝しています。きっかけは論文の方向性で悩んでいた時に送った1通のメールでした。業界本の著者(面識なし)に直接mixiで問い合わせると,今回お世話になった方の名前と連載されている雑誌名を教えていただき,そこに掲載されていたメールに相談を持ちかけました。インターネットやメールで簡単に本の著者に出会い,それがまた新たな出会いにつながる。やはりこのご時世はインターネットによるリアルな出会いの広がりを活用していくことが重要なのだと感じました。
2009.01.16
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加藤諦三(1995):「偽りの愛・真実の愛」PHP文庫.人間の愛のあり方人間の愛のあり方は2つにわけて考えねばならないような気がする。1つはお互いにうまくいっている時の愛のあり方,そしてもう1つは残念ながら諸般の事情からうまくいかなくなってしまった時の愛のあり方である。いろいろなことから2人がうまくいかなくなってしまったとき,その人たちの相手に対する気持ちが本当であったかどうかということがわかるような気がするのである。誰であったか忘れたが,どこかで女にとって忘れられることは憎まれるより辛いというようなことを言っていた。確かに女にとって忘れられるということは最大の苦しみであろう。そしておそらくそうであろうからこそ,僕は女性が人を愛するということの難しさを感じるのである。もし人が人を本気で愛したら,その相手が幸せであることによって生きていかれるような気がするのである。子どものことを考えるとき,親の気持ちはそうではなかろうか,子どもが自分がいないということによってさびしい気持を味わうかもしれないということが何よりも苦しいのではなかろうか。子どもが幸せであってくれれば,たとえ自分以外の人間を父親と思ってもいい,自分以外の人間を父親と思って自分のことを忘れてしまってもいい。自分のことを忘れても子どもが幸せであってさえくれれば,それで生きていかれるというのが愛ではなかろうか。自分のことを忘れないでさびしがっていると思うとつらくて気がおかしくなりそうになるが,自分のことを忘れてしまったと思うとホッとする。それで子どもはさびしくなく生きていかれるのだから。自分を忘れることで子どもが幸せになれるなら,忘れられることが何よりの心の安らぎになる。愛とはそうしたものではなかろうか。-----------------------愛のあり方とは一つには定まりません。誰との関係を言うかでもまた違ってくると思います。親子か,夫婦か,友人か,恋人か・・・ただ,相手への愛が本物であれば,相手が幸せになることをただ祈ることができるのかもしれません。そのためには,自分のもとを離れてしまうことによる自分のさびしい気持ちすらも受け入れられるのでしょう。愛の仮面をかぶった精神的に未成熟な人もいます。そんな人にだまされることがあるのは,自分を愛することができずにただ他人の愛を求めているからかもしれません。でも,子どもは親の保護なしには生きていけません。自分の都合だけを考えた親に育てられて,抑圧された気持ちが急に爆発してしまうのも当然です。以下は,加藤諦三氏がラジオで「テレフォン人生相談」のときの様子です。やりとりはあまり気分のいいものではないので,気持ちに余裕のある方はご覧ください。明らかに母親の醸し出すオーラが人を寄せ付けない雰囲気を持ってます。世の中を見下して自分の非が認められない未成熟な母親なんだろうなと思います。でも,電話で相談してくるぐらいなので,きっと本人は内面では自分の責任を感じているのにそれが認められないことに葛藤していると思います。テレフォン人生相談 逆ギレおばさん 前半@Youtube(音声のみ)テレフォン人生相談 逆ギレおばさん 後半@Youtube(音声のみ)
2009.01.15
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雨が降った次の日,晴れ渡った空のもと,ベランダからしきりにピーピーと鳴く声が聞こえてきました。住宅密集地にある我が家はベランダと隣家との間がほとんど離れていません。そのわずかな隙間からスズメ?が見えました。ガラス越しに慌てて写真を向けて何枚か撮っているうちにその姿をとらえられました。なかなかかわいい表情してます。こっちに気づかれました。するとさっとその場から逃げてしまいました。どうやら屋根の脇にある雨どいにたまった水で水浴びをしているようでした。写真の上部サッシは家のベランダの雨よけ,下部は隣家の雨どいでスズメは雨どいの中に浸かってます。これまでにも雨上がりにはスズメがやってきて羽を広げて水浴びをしている姿を見たことがありました。
2009.01.14
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昨日は横浜のランドマークタワーの展望フロアに行ってきました。本当は横浜美術館にある「セザンヌ主義」に行くのが目的で,展望フロアと一緒に行けば若干安くなるからついでに行く予定でした。しかし,この日は展望フロア単体での料金が安くなるキャンペーンをやってました。ペア限定だけれど,受付でキーワードを言うと通常1000円が500円に半額に。750m/分という日本最速のエレベータで273mの69階へ。この日は冬晴れでいい眺めでした。海とビル群のコントラストがよかったです。4方向の360度すべて見渡すことができます。3方向の270度分をパノラマにしてみました。ただ,富士山までは見えなかったです。フロア内のカフェで遅めのランチを取りました。続いて横浜美術館の「セザンヌ主義」へ。セザンヌはピカソやゴーギャン,マティス,モディリアーニなどその後の画家に大きな影響を与えた画家だそうです。予備知識もないままに行ったので,説明の意味がわからないところも多々ありました。それでも,セザンヌ自身が人物画,風景画,静物画などとそれらに共鳴した国内外の画家の絵とが比較するように並べられていました。同じような絵のタッチでセザンヌ本人が描いたかと思われるような作品がたくさんありました。そしてピカソが追求したキュビスムもまた,セザンヌの影響を受けたものであると説明されていました。そう言われればそんな気もするし,ピカソの絵には独特の世界観があるなぁとも思いました。たくさんの絵を見ながら,1枚1枚に込められた絵の中に描こうとした本人のエネルギーを感じることができました。絵画は本人の生き様を映したものであり,それをなんとか読み取ろうとするとエネルギーをたくさん使いますが,生きる力を与えられるような気がしてくるから不思議です。
2009.01.13
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モダン・タイムス コレクターズ・エディション名作を見てみました。チャップリンが監督・主演の映画です。白黒でセリフはありません。たまに字幕が出るくらいです。チャーリーは社長がモニター監視する工場で働いています。お昼休みには,自動で食事がとれるという機械を試す実験台にされます。チャーリーはたびたび拘置所に入れられます。街中でいつの間にか共産党のリーダーと間違われて拘置所に入ったのちに出所します。また,チャーリーは正義感が強く,孤児のパン盗みの罪をチャーリーが被ります。パンを盗んだ娘と2人で逃げ出します。お金を稼ぐため,デパートの警備員をしますが,閉店後に商品を物色したためにつかまり,10日後に釈放されます。娘と2人でボロ家で過ごしますが,再び工場で修理をすることにします。すると,ストライキが起きて再び捕まり,1週間後に釈放されます。娘はダンサーとして職を得ます。釈放されたチャーリーはそこでウェイターとして働きます。娘は浮気罪に問われ,指名手配されたことを知って2人で逃げます。---------------------チャーリーはお茶目でいたずら好きなために何回も警察のお世話になります。基本的には喜劇なのでくすくす笑う場面が散りばめられています。しかし,情には厚く,娘のために奔走する姿が感動できます。そして有名なことですが,ストーリー全体が資本主義に対して警鐘を鳴らす内容になっています。歯車やベルトコンベアといった機械のスピードに人間が合わせざるを得ない。その日暮しをする工場労働者の劣悪な労働環境が描かれています。派遣労働者の厳しい雇用環境と状況は同じだと思いました。人間であるのにモノとして扱われず,派遣切りされた人は寮からも追い出されて住まいを失う・・・昔からこういう状況は起こっていたのでしょうが,当時は泣き寝入りをしなくてはならなかったのでしょうか。
2009.01.12
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昨日は彼女の提案で美術館巡りをしてきました。どうやらピカソ展を見に行った時にアートへの興味がさらにわいてきたようです。今回行ったのは,東京ミッドタウンにある21_21 DESIGN SIGHTと,サントリー美術館です。六本木で待ち合わせました。腹ごしらえに六本木駅を降りて東京ミッドタウンに向かう途中にインドカレー屋さんの看板が見えました。この看板にひかれて行った先は,北インド料理の「ジュエル・オブ・インディア」でした。店内で食べるとランチタイムには1000円で4種のカレー(マトン,チキンキーマ,豆,野菜),サラダ,タンドリーチキン(1ピース),ターメリックライス,釜焼きナン,デザートが食べ放題です。かなりお得です。ちなみに今回は600円でテイクアウトしました。好きなカレーを選んで,そこにライスとサラダが付きます。東京ミッドタウンガレリア内のテラスで優雅な気分でカレーをいただきました。豆カレーをオーダーしましたが,辛さはなく,サラサラした感じもなかったです。豆の粒々は見えないほど煮込まれていました。腹ごしらえをした後,21_21 DESIGN SIGHTへ。21_21 DESIGN SIGHTは,日常的な出来事や物事に目を向け,デザインの視点から様々な発見や提案を行っていく場所だそうです。三宅一生・佐藤卓・深沢直人の3デザイナーがディレクターとなり,アソシエイトディレクターの川上典李子とともにテーマ性のある展覧会を企画するほか,訪れる人々がデザインの楽しさに触れたり,新鮮な驚きに満ちたデザイン体験ができる場として,さまざまなプログラムを開催しているそうです。この企画の一つとして,ガーデン内には,21_21Qという日産キューブを改造した車が2台あります。1台は書籍やグッズ,もう1台はパンやコーヒーを売っています。ここのプレミアムコーヒーを飲んで幸せな気分に浸りました。彼女の一番の狙いはここだったみたいです。安藤忠雄氏設計の1FとB1Fからなる建物です。「吉岡徳仁ディレクション―セカンド・ネイチャー」が開催されていました。自然そのものがもつ力に目を向けてアートにつなげようとするコンセプトのようです。映像,木や結晶,コンピュータを使った表現など,現代アートの一端を垣間見ました。東京タワーがきれいに見えました。それにしても,風が強くて寒かった。続いてガレリア3Fにあるサントリー美術館へ。japan(蒔絵)と題して,海外に輸出された蒔絵の数々が展示されていました。平安時代から江戸,明治期に至るまで7つの時代に区分されていました。それぞれの蒔絵は大変技術が高かったです。黒漆に金銀青金などが施されていました。マリー・アントワネットが愛した理由も分かります。ただし,ヨーロッパの人々にとって,インドや中国,日本のものは区別なく東洋のモノであるという輸入品に対する認識があったようです。小さな香道具から箪笥,櫃に至るまできらびやかかつ細かな装飾がされていました。この技術力の高さこそ日本が培ってきた文化や価値観の表れではないかと思いました。展示品を見て日本人であることに少し誇りを持ちました。同時に,こうした伝統的なものづくりの技術がもっと見直されてもいいのではないかと思いました。六本木を出る前にガレリアB1Fにあった「マーブルプレミアムソフト」というアイスクリームを食べました。左が生チョコ,右が濃厚ミルクです。ちょっと値段が高いだけあって,とってもおいしかったです。チョコは文字通り生のよう。ミルクは練乳のように濃厚で口に入れるとすぐに溶けていきます。またまた心もお腹も満足した1日でした。でも,印象に残ったのは2人ともアートよりカレーやアイスクリームでした・・・
2009.01.11
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これまで使っていたデジカメはオリンパス製FE-100でもう3年以上使っていました。400万画素で購入当時は14,800円と安かったです。でも今は1000万画素でも2万円近くで売ってます。価格の下落傾向は最近強まっているようです。実家近くの家電店で安いデジカメがあったので購入しました。というより買ってもらいました。同じオリンパス製の800万画素(FE-360)です。2GBのメモリがついて12,800円でした。並べてみると厚みの違いが一目瞭然です。画面も大きいし,シーン設定も細かくできます。「料理」用に色が鮮やかに見えるようなシーン設定があったのがうれしかったです。また,乾電池から充電池に変わったし,それなりに電池の持ち時間もあるようなので便利になりました。ただ,初心者用のカメラなので,色の補正や明るさ,ピントなどかなりの部分を自動で認識してしまいます。それでうまく撮れればいいんだけれど,なかなかピントや補正がうまくいきません。慣れるまでには少し時間がかかりそうです。以前に使っていたデジカメと親が以前に使っていた500万画素デジカメを東京の質屋さんに売りに行きました。そしたら,400万画素が500円,500万画素が1000円で売れました。正直にいって売れるかどうかわからなかったのでとにかく値段がついてよかったです。かなり古いタイプのものだから画質にこだわらない人の需要があるのかも。それにしても1000万画素が主流になりつつある中でこれほどの中古品を買う人はいるのかどうか。。さっそく学校から夕陽を撮ってみました。
2009.01.10
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加藤諦三(1995):「偽りの愛・真実の愛」PHP文庫.子どもをいつまでも手元に置いておきたい母親母親が子供を教育するというのは,子どもが自分から離れていくための準備をしてやるということなのである。そうでない限り子供は息詰まる生理的不快感と不安の泥沼の中に喘がなければならなくなる。そうでない限り母親は子どもにとって離れてもいられないが,一緒にいるのが最も不愉快でもある人間になっていくのである。子どもが自由になり自分から離れて独立していかれるだけの強さを持たしてやることが,母親の行うべき教育である。いつまでも自分のところを離れたがらないなどということを得意にする母親は最も誤った教育者である。自分を離れて大きく自由の空に羽ばたいていくことを準備してやるのが教育者である。教育とは悲しいさびしい事業であることを忘れてはなるまい。それを子どもの教育というと目を輝かせて満足するような母親が日本に多いことは何とも嘆かわしいことである。--------------------------------過保護の親が子供をダメにしてしまいます。そんな親子関係を家庭教師先で目の当たりにしました。横浜の高級住宅街にBMWを所有している絵にかいたような裕福な家庭でした。男兄弟2人で,歳の離れた小5の弟の勉強を教えました。しかし,弟は母親に溺愛されていました。母親が選んだブランド服を着ておしゃれは必要だと自慢していました。プジョーがとても大好きで,運動ができないほど体が細い女の子のような子どもでした。集中力がなくて,なかなか言うことを聞いてくれませんでした。頻繁に休み時間を取る必要があるために勉強を教えるというよりは,話し相手になるような感じでした。この子は,母親が自立していないためにペット化されているのだと思いました。今後成長しても母親がいなければ何もできないのではないかと思いました。自分の要望はすべて受け入れられてきたので,それが当たり前と思って成長していくのがかわいそうだと思いました。母親を注意したい気持ちでいっぱいでしたが,雇われの身分ではそれもできませんでした。結局,家庭教師は半年間で終わりました。この母親の姿勢は「愛」ではないと思います。母親はその子の人格をも左右してしまって,彼の自由な意思が抑え込まれていました。母親にとって子どもは自分の「モノ」になってました。こんなに素直でいい子が・・・というセリフはよく聞きますが,子どもの心には母親から離れたいのに依存せざるを得ない抑圧された気持ちがくすぶっているのかもしれません。
2009.01.09
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実家でブランデーケーキをいただきました。親戚がお土産として買ってきてくれておいしかったために別の機会に姫路に直接買いに行ったそうです。切り目のない長細いケーキです。ブランデーの味や香りは目立たなくて,チーズのような濃厚な味でした。これはわざわざ買いに行く気持ちも分かりました。彼女へのお土産にも買い置きしてあったので持って帰って渡しました。とても気に入ってくれたようで,逆にパクパク食べすぎて危ないとも言ってました。
2009.01.08
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昨日は新幹線で帰京しました。1週間ほどゆっくり休んでおいしいものもいっぱい食べておかげ様で風邪も直りました。内陸寄りの席(D)がとれたので,富士山が窓から見えました。東京に帰ったら仕事が待ってます。徐々にがんばろう。
2009.01.07
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両親が吉本を見に行こうと誘ってくれていたので3人で見に行ってきました。1/2~5の4日間,神戸国際会館こくさいホールで漫才と新喜劇の二本立てをしてます。なんばだけでなくて,神戸でもやっているとは知りませんでした。最終日の5日は,漫才が桂三枝宮川大助・花子太平サブローチャンバラJrシンクタンク笑い飯新喜劇の出演者は池乃めだかぼんちおさむほんこん吉田ヒロ中條健一中山美保Mrオクレ青野敏行高橋靖子他MCが桂三若でした。生で見る漫才は楽しかったです。客の心をつかみながら笑いを一緒に探そうとする,そんな技をみなもってました。漫才は宮川大助・花子がおもしろかったです。以前にテレビで見たネタでしたが,それでも笑えました。漫談風の落語をした桂三枝もなかなかよかったです。入院した時のいろんな患者さんのエピソードを語るネタでした。どちらも中高年を対象にした奥さんが旦那さんよりも立場が強いということをおもしろく語る点で共通しています。会場の大半を占めるおばちゃんに受けてました。新喜劇は4日間通して同じメンバーで構成されていました。同じネタをやってるはずなのに,なんだかグダグダな場面がありました。特にMrオクレとぼんちおさむ・・・新喜劇でネタをやってるのを初めて見ました。それでも新喜劇をこんなに真剣に見たことはなかったので,細かいボケを楽しみながらみることができました。メンバーの中にオール巨人の娘の南出一葉がいました。自分を含めて彼女が新喜劇にいたことを知らない人が多くて驚いてました。夜には帰ってきて焼肉を食べに行きました。いつもいく近所の「万福」です。三田牛を使っているそうです。肉はいつも新鮮で柔らかいです。まずは塩タンを食べました。さっとあぶる程度で,レモンをかけていただきました。そのあと,ハラミ,レバー(貧血対策),ホルモン,センマイなどをオーダー。レバーやセンマイは生でも食べられるとのことでした。生でも臭みはなくておいしかったです。最後に上ロースを頼みました。脂が乗ってて柔らかかったです。締めにはサービスでブドウのシャーベットがつきました。サイトによると,このデザートサービスは電話かメールで予約した人限定のものらしいです。お腹も心も満たされた1日でした。
2009.01.06
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高校時代の友人と会ってきました。今年はよく会う友人が全員集合するのが難しくて都合が合ったのが自分を含め3人でした。三宮で待ち合わせしてまずは両親と年末に行った居酒屋へ。クーポンや父親がボトルキープしていた黒霧島を飲んだので安く済みました。卒業してから10年が経ちました。それでも断片的な思い出は残っているので,みなが思い出しながら昔話で盛り上がりました。校則の厳しかったことを語り合いましたが,結局はそれを守り通したことが今ではよかったのだという思いは共通していました。そのあとボーリングをしにラウンドワンへ。2ゲームしたら握力がなくなってきました。1ゲーム目は腕慣らしで134が出ました。なかなかの好成績。2ゲーム目はゲーム代をかけて真剣にやりました。そしたらストライクやスペアがおもしろいようにとれて167も出ました。他の2人の戦意を喪失させてしまいました。
2009.01.05
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ウォーリーの年賀状を気合いを入れて描きました。丑や正月とは関係ない絵ですが。色鉛筆を使ってネットの画像を見ながら。うまく描けました。ただ気合いを入れすぎて時間がかかりました。というわけで限定1枚で彼女のもとへ投函しました。喜んでくれたみたいです。
2009.01.04
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昨日は母親の実家に行きました。片道1時間ちょっとの車の運転を任されました。久しぶりだったけどいい練習になりました。2日後はおばあちゃんの86歳の誕生日。親戚が子どもを連れてやってきましたが,ちゃんとケーキを用意してくれてました。ろうそくにつけた火を自分で消せました。ケーキもしっかり食べていて衰えない食欲にびっくりしました。チワワは今年も元気でした。声を出して鳴かずに「クンクン」と言いながら寄ってくるチワワは癒しのパワーがありますね。動き回ってたのでちゃんと撮れた写真は少なかったです。
2009.01.03
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青い空に白い雲。実家に帰るとベランダから空が見渡せるのでついついカメラを向けてしまいます。鳥の形をした雲が浮かんでました。そのまま東の方へ流れていきました。昨日は神戸でも雪がチラチラ降りました。いつも初もうでをしにいく「杉尾神社」という地元の神社に行きましたが,住宅地開発が進んできたために年々参拝者が増えて,今年はとても長い列ができてしまってました。というわけでおみくじだけ引きました。「小吉」:願望は思いのままなりされどやり過ごせば悪し時機を逸してはいけないということですね。夕方から親戚の家でアンコウ鍋を食べて,夜帰る時は寒かったです。
2009.01.02
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紅白も終わりました。そしてあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。みなさまにとって笑顔の絶えない一年になりますように。今年は飛躍の年にしたいなぁ。前日は紅白を見ながら,いらないカレンダーの裏に毛筆で丑の絵を描いてました。牛に見えるかな。
2009.01.01
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