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グロリオサ昨日アメリカ大統領選のテレビ討論があった。ニュースでみる限り共和党のトランプ氏に圧倒されて民主党のバイデン氏はしどろもどろで視聴後の支持率はトランプ氏70%バイデン氏30%でもう勝負あったの感がある。バイデン氏は81歳で高齢だが、今は長命化が進んでおり、81歳でも大統領が務まらないとはかぎらないが、バイデン氏個人については覇気が感ぜられず、78歳のトランプ氏の圧勝だった。このままだと独善的政策を掲げ、人間的にも誠実さの欠けるトランプ氏が大統領に返り咲く公算が大きくなった。アメリカ国民が選ぶことなので他国人がとやかく言っても始まらないが、アメリカ大統領が誰になるかによって世界情勢はがらりと変わる。民主党はバイデンさんが候補なら負ける可能性があるとの危機感に包まれている。ここでバイデンさんに候補を辞退して頂けば若くてトランプさんに対等で戦える候補者を擁立することができると民主党の一部で若手候補者の模索が始まっているが、後継者が中々いないという現実がある。アメリカの将来、世界の将来をきちんと考えている若き候補者を出して、トランプ氏と決戦してもらいたいと願っているが、先行きは厳しいようだ。日本では9月に総裁選があるが、石破茂氏が立候補を宣言した。岸田総裁(首相)が再選目指して立候補するか否かが注目されているが、低い支持率を考えて立候補を断念する可能性が高い。アメリカも日本も真の指導者が欠落しており、理想に燃える若き指導者の出現を切望している。
2024.06.29
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エキナセア(ムラサキバレンギク)、バックに赤い花で提灯のように並んで写っている小さな花があるが、20年位前に三重県の友人に送ってもらったチロリアンランプである。道を歩いたり廊下を歩いていると若者たちが姿勢よく跳ねるように颯爽と歩いている。自分はと見ると腰が曲がり、背中が曲がり、首が前に曲がって、よたよたと歩いている。姿勢をよくして颯爽と歩いてみようと試みたが無理だった。羨ましいと思った。彼ら男女は若々しくはちきれんばかりだ。神々しいようにも見えた。若さと老化の違いだと思うが自らを眺めてみて悲しくなり嘆かわしく思った。昔ならそれが当たり前で、老兵(老人)は消え去るのみ、老人になっても表舞台でちょろちょろしているのは目障りだから早く消えた方がよいと思われていた。しかし近年の長命化によって様相は一変した。老人になっても早く消えた方が良いとは必ずしも思われないようになってきた。体は前曲がりになり、歩くのも躓きそうによたよたしか歩けなくなってしまったが、若者に負けないプロ意識はあるし、世界情勢への関心も若者に劣っているとは思われない。札幌農学校(北大)のクラーク博士は「少年よ大志を抱け」と若者に喝を入れたが、私は自分を含めて老人に喝を入れたい。「老人よ大志を失うな」と訴えたい。老人になると体の自由が利かなくなり、もう何も出来る状態ではない。死を待つだけであると思っている老人は多い。若い時は大志を持っていたかもしれないが今となれば幻みたいなもので、遠い昔のおとぎ話みたいなものだったと思っているかもしれない。そういう老人に告げたい。老人も人間であり、まだ生きている。生きている限り大志は失うなと叫びたい。
2024.06.27
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庭のアジサイの花瓶挿し今日掘りたてのジャガイモ体調が良くなったので本日夕方ジャガイモ掘りをした。本年5月1日に酸素吸入している呼吸困難症の義兄がコーチにきてくれた植えたジャガイモ、スコップで掘り出してみたら大きなジャガイモがコロコロ出てきた。聞くところによると今年はジャガイモは不作とのことだが我が家は義兄のコーチのおかげで今までで最高の出来だった。一つ一つが大きくて妻と二人で歓声をあげながら掘り上げた。隣のアパートの少年が見学していたとのことで妻が分けてやろうと思って入れ物を持ちに行っている間にいなくなっていた。「待っていてね、入れ物を持ってくるから」と言っておけばよかったと悔しがっていた。出来が良かったので誰でもいいから分けてやりたかったのだと思う。夜食にすりつぶしてハムを混ぜたポテトサラダを作ってくれた。バネ指で右手が不自由なので手の込んだ料理は作らないでくれと言ってあるがこのサラダ以外にとんかつも作ってくれたが両方とも食べきれないので余らせた。その夕食の時に私の同級生の奥さんで寝たきりだった時私の病院でお世話した方に逢ってきた話をした。リハビリでなんとか車いすに乗れるくらいになって退院したが今は歩行器を使って歩く練習をしているとのことで、水曜日と日曜日を除く週5日デーサービスに通っているとのことだった。そのデーサービスが楽しくて楽しくて仕方ないとのことだった。この方だけでなくデーサービスが楽しくてたまらないという人は多いという話をしたら、妻は自分の知人のご主人、二人について話してくれた。一人は85歳位でパーキンソン病である。デーサービスに行き始めたが最初は自分が好きなスキーをやる人がいたので話し相手がいたので楽しんでいたようだが、その人がいなくなったらデーサービスに行きたくなくなったとのことである。もう一人の人も83~4の人で脳梗塞後遺症の方である。私の近くにある大学の教授をした人でデーサービスを好ましく思っていなかったとのことである。一方で楽しくてしょうがないという人もいれば、少しも楽しくないという人もいるのだなと思った。最初のパーキンソンの方は社長経験者で後者は教授経験者、どうやらプライドの高い人にはデーサービスはそれほど喜ばれていないのだなと思われた。私の同級生の奥さんの職業は野菜つくりなどの農業で、デーサービスを最高に楽しんでいたが、一律に全ての人にとって楽しい所と思わない方がよいと思った。
2024.06.26
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庭のカシワバアジサイ受け持ち患者さんの顔をみて状態を聞いて歩く仕事は医師の最も重要な仕事である。当院のようなリハビリ病院の場合は朝9時になったら入浴に行ったり、リハビリに行ったりするのでそれ以前に患者さんが病室にいる間に回診しなけれないけないので午前9時までの間は忙しい。回診途中である患者さんが訴えを長々としゃべったり、携帯ラジオが聞こえない、髭剃りが壊れてしまったので修理してもらいたい等を言い出す患者さんがいると、時間が足りなくなって全部の患者さんを回れないこともある。患者さんはそれぞれの苦痛や悩みを抱えているので、回診ではそれを取り除く処置の指示や激励が中心になるが、そのためには医師自身が壮健でなければならない。しかし実際には医師も一人の人間として体調の変化がある。昨日は腹痛の残存症状があり、体調は良くなかった。それでも長年培ってきた職業意識は健在であった。これは医師に限らずすべての職業人が心得ていることだと思うが、体調に関係なく仕事に臨んだら最高の奉仕を心がける事。これは守れたような気がする。でも自分の体は不快な状態だったのでぎりぎり耐えていた。今日は体調がほぼ正常にもどり、回診も順調であった。これが理想だが、いつも体調がいいとは限らない。いつも体調を良くしておこうと思ってもそれは無理である。やはり体調にかかわらず、長年かけて職業意識を積み上げていくことが大切なのだなと思った。
2024.06.25
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庭のストケシア金曜日の夕食後しばらくしてから激しい腹痛が始まって耐えきれない状況になり、横になると少し軽快するのでやっとの思いで風呂に入って二階に上がって寝てしまった。時々このような痛みに襲われるがその後下痢が始まって下痢を出してしまうとその後はよくなるのでいつもと同じ所謂急性胃腸炎かと思ったが下痢がなく、痛いだけであった。土曜日の朝は痛みが止まっていて治ってよかったと思ったが、また夕方頃から痛くなり、夕食は食べられなかった。痛みが尋常ではないので、いつもの急性胃腸炎とは異なり、腸閉塞とか癌とかもっと重い病気かも知れないと思った。もう高齢なので覚悟はしているが、いよいよ最後の時が来たのかもしれないとも思った。明日はピアノのレッスンがあり、2週間後には本番の発表会がある。そのどちらも無理なのかなと思えたが前日寝て起きたら軽快していたので土曜日も何もしないで寝てしまった。日曜日の朝は痛みがなく日中排ガスも排便もあり、これで治ったかなと思ったが月曜日の明け方痛みで目を覚ました。朝食は少し食べられた。出勤する時、妻が「あまり痛いようなら帰ってきなさい」といってくれたが勤めとはそんなものではないのでのんきなことを言っていると思いながら家を出た。幸い激しい痛みはなく、午前中の任務を終え昼食を食べたが殆ど食べられなかった。今昼休みでこれを書いているが、レントゲンでも撮ってもらおうかと考えている。腹痛にしろ、歯痛にしろ、胸痛にしろ痛いのは耐えきれない。適切な検査と痛み止めを考慮していこうと思う。
2024.06.24
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モナルダ(タイマツソウ)私は受験勉強を経験したり、学内での単位進級試験などを経験してきたが大雑把にひとまとめに勉強しようとしていたからあまりうまくいかなかったのではないかと今頃になって気づいた。今ベートーベンの楽曲をピアノで練習しているが、その楽曲全曲をひとまとめにして、つっかえ、つっかえしながら長時間かけてくりかえして練習したが殆ど進展はなかった。あるきっかけ(お告げ)から、少しの小節を繰り返し学習して、それを積み重ねながら進めていく練習方法に切り替えたら、今までよりずっと短い時間で確実に進歩することに気が付いた。人間の脳は大量のものは一度に記憶できないようにできているのだと思った。少しの量ならそれを繰り返し練習すれば身につけることができるが、大風呂敷を広げてその中に全てを詰め込もうとしても無理だったことにやっと気が付いたのである。子供の時から少しずつ勉強して身に着けて、それを積み上げていく勉強法をしていたなら、目指していた世界の指導者(世界大統領)になれたかもしれないと思った。今となっては時すでに遅いかもしれないが、基本的勉強法に気が付いたからには、残された人生、その方法で勉強していこうと思った。
2024.06.21
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ピンクのアジサイ昨日の午後6時半頃自宅2階から写した富士山この頃昼が長くなり夕方6時半でもまだ明るい。朝も4時半ころにはもう明るい。明け方目を覚まし、時計をみたらまだ4時だ。もう少し寝ていようかと思ったが外はもう明るくなりかけている。眠れそうになかったが横になっていたら少しまどろむことができて夢のようなものをみた。今年も7月7日は毎年行われるピアノの発表会がある。1昨年はおもちゃの交響曲を弾いていて途中で詰まってしまって頭が真っ白になり舞台上で往生してしまい、恥ずかしさと所在なさで大変な思いをした。昨年はその前年のような失敗をしてはいけないと思い、一生懸命練習したが中々上手く弾けなくて食欲がなく、眠れなくて辛い思いをした。今年はベートーベンの「月光」を弾くことになっているがもうこんなに日が迫っているのにまだ殆ど弾けない状況で困り切った状況だった。そんな状況でのその明け方のまどろみの中で突然お告げがあった。上手に弾こうと思うな!他人は他人、自分は自分なのだ、自分らしく弾けばいいのだ、間違ってもいい、途中で止まったってもいいのだ!と教えてくれた。そして私は全編弾いて練習しているが、一小節ずつ少しずつ練習しなさいと教えてくれた。そして目を覚ましたら不思議に気が楽になっていた。早く全編弾けるようになろうと思い、全編練習していて日にちが後何日しかないと焦っていたが、一小節ずつ練習するとすごく簡単に身につき、後まだ何日あるではないかと余裕が出てきた。お告げがあったおかげで今は悠々たる気分である。お告げがある前はなぜあんなに緊張して困り果てていたのか分からないくらいだ。後2週間と2日ある。全部上手に弾こうと思わず一小節でも弾ければいいという気持ちで悠々たる気持ちでその日を迎えようと思う。お告げに感謝している。
2024.06.20
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サルビア6時25分からテレビ体操をしているが、それより早めにスイッチを入れると「今日の園芸」や「今日の健康」などの番組を放映しており。最近は認知症に関する番組が続いていた。2回視聴したが1回は認知症カフェのこと、一回は認知症家族の会(介護者の会)のことだった。カフェは全国に8000くらいあるが自治体や病院、篤志家などが主体になって開かれており、患者さん、家族、看護師、医師、役場職員など誰が参加してもよく、原則参加費無料とのことだった。私が以前勤めていた病院でも開催しており、月に1~2回開催し1時間半から2時間くらい菓子などを食べながら患者、介護者、看護婦、役場の保健師などが色々な話をしていた。一般に介護者が大変と思われているが口に出せなくても患者さんも大変だと思う。患者と家族の気晴らしの場所として全国でその数が増えているのはいいことだと思った。私がかって勤めていた病院ではお茶菓子代として参加費150円位を徴収していたが、少しでもお互いの気持ちがほぐれるなら安いものだと思った。認知症家族の会も沢山あるらしい。全国都道府県全てにその支部があり、参加は自由で参加費は無料のようだ。ネットで認知症介護者の会○○県で検索すれば連絡先が分かるはずですとのことだった。一人で苦しまないで、同じような患者を介護する人たちで話し合い、少しでも心を軽くして患者さんに対応していくことで患者、家族の関係が好転した例も数多くあるようだ。講演会なども開催されているのでそれらの会と連絡をとり、苦しんでいるのは自分だけではない、と明るい前向きな気持ちで生きてもらいたいと願う。
2024.06.18
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妻が丹精込めたカサブランカが咲いたお立ち台で泣きじゃくる奥川恭伸昨日の交流戦ヤクルト対オリックスで星稜高校出身でドラフト1位でヤクルトに入った奥川恭伸投手は、2021年に9勝をあげたが、22年には右肘痛で治療に専念、23年には右足首骨折と腰痛で一軍登録なし、そして今年もキャンプ中に怪我をして、一軍は無理だろうと思われていたが昨日遂に一軍登録され、5回を1失点に抑えその後のイニングはは味方の投手が抑えてくれて5対3で勝利して980日ぶりの勝利をつかむことが出来た。それ程素晴らしい出来ではなかったが、要所で点を取られることなく勝ち投手になることが出来てお立ち台での会見中涙が止まらなかった。怪我でずっと一軍登板がなく、辞めようかと思ったことも何度もあった。でも黙々と治療と練習に励み、仲間も色々な形で支えてくれて一勝をあげることができた。この感動は止めようとしても止めることができずに涙は溢れ続けたのだと思う。ヤクルトフアン以外の人には感心のない選手だったかもしれないが、ヤクルトフアンなら全員がその動向を気にしていた。二軍で投げたが打たれた報道が続き、一軍はまだまだと思われていたが、突然出てきていきなり勝利したのだから本人同様涙にくれているフアンも多いと思う。頑張って掴んだ一勝だがそこにくるまでの苦しみを思うと私も泣けてくる。まだ本格的な球が投げられるようになったわけではない。2勝目を目指して精進してもらいたいと思う。
2024.06.15
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チェリーセージ先日猫背についての番組があった。猫背には首が前に曲がっているもの、背中が前に曲がっているもの、腰が曲がっているもの、お腹が前に突き出ているもの等があるとのことだった。出演者の一人が遺伝しますかと聞いていたが遺伝するとの明らかなエビデンスはないとのことだった。曲がってしまった背骨は治すことはできないですか?の質問には脊椎は臼みたいな小さな骨が積み重なったもので真っすぐの一本の骨ではない。一本の骨が曲がってしまったのなら治すことはできないが、臼の様な小さな骨を支えている靭帯や筋肉が猫背の形に骨を並べているのでその気になれば治らないことはない。普段の日常生活での姿勢が悪いことが猫背の原因なので姿勢を正しくすれば治らないことはないとのことだった。基本は人々は座っている時間が多いので座る姿勢を正す必要があるとのことだった。椅子に座ったら姿勢を正して座る姿勢を心がけることが大切とのことだった。道を歩いていてふとウインドガラスに写る自分の姿を見て、あまりに猫背なのに愕然とする。歳を取ったら仕方ないのかと思っていたが、座る時正しい姿勢で座ることを心がけたら治るかもしれないとのことだったので、心がけてみようと思った。
2024.06.13
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バラは結構長い間花を咲かせている。今も咲いている赤いバラと白いバラリハビリ病院に入院してくる患者さんは骨折、中でも大腿骨頸部骨折が多く、その手術後のリハビリ患者さんが多い。自宅、もしくは施設に入っていて転倒して骨折するケースがほとんどで、転倒したら殆どのケースで大腿骨頸部を骨折する。加齢に伴い同部の骨が弱体化してきていることと転倒した時同部に力が加わり易いためと思われる。昔は年齢や体力等様々な条件があり、簡単には手術が出来なかったので寝たきりになり、廃人になってしまうことが多かった。ところが今では90歳以上でも殆ど即座に手術してくれてリハビリ病院に送られてくる。合併症が無い限り3か月もすれば独歩又は杖をつくなり、歩行車を用いて退院していく。手術は殆どが人工骨頭置換術で翌日からもう歩いてよいと指示されることが多い。骨折部に金属棒を入れて骨接合術が行われることもあるが、その場合でも寝たきりにならないように手術後早期にリハビリが開始されている。 骨折しても廃人にならなくて済むありがたい時代になり、医学の進歩をしみじみと感じているが、骨折しないに越したことはない。高齢になると筋力が衰えバランス感覚が鈍くなり、容易に転倒してしまう。布団の上で転んで骨折したり、廊下や居間で何かにつまずいて転倒することもある。高齢になったら壁伝えに歩いたり、何かにつかまりながら歩くようにした方がよいと思われる。
2024.06.12
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キンシバイ(金糸梅):似た花にビョウヤナギがあるがそれは葉のつきかたが立体的で上から見ると十文字のように葉がついている。テレビ体操は毎朝6時25分から6時35分までの10分間だがそれが終わった6時35分からはウイークデーは「みんなのうた」で、土曜日は「基礎英語を学んでみたら世界とつながった」で日曜日は「NHK俳句」でその両者とも楽しみに観ている。俳句は週によって選者が異なり、9日の第2週の日曜日の選者は西山睦先生であった。テーマは「優しい手」で、ゲストは新潟の南青沼産のこしひかりを作っておられる若井新一さんだった。若井さんは八海山からの豊かな水を背景に実に多くの俳句を詠んでいたが、水、土、稲に関する俳句を一句ずつ紹介してくれた。しろがねの水落とし込む植田かな(水)泥舐めるばかりに這って田草取り(土)黄金の波へ乗り出す稲刈り機(稲)その道一筋に生きてきた人の俳句はテクニックでなく、人の心を打つものだと思った。
2024.06.11
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アジサイ、フェアリーアイ交流戦、巨人は前節のロッテとの対戦では9者連続安打や1イニング12安打などセリーグタイ記録をつくり、2勝1敗で勝ち越し、巨人の強さを見せつけ阿部監督は凄いとの印象を持った。その後のオリックス戦は今シーズンオリックスは調子が悪く、明らかに巨人の方が強いので、ロッテ同様一蹴するのではないかと思われていたが、結果は3連敗、そのうちの2敗は相手の新人投手に初勝利を与えたものだった。ロッテを一蹴した巨人は強く、調子の出ていないオリックスなど問題にしないのではないかと思われていたが結果は逆で巨人が苦杯を飲んだ。ロッテ戦で大勝したのでいい気になってしまい油断があったのかも知れない。勝負事は戦ってみないと分からない。人生も同じだと思う。恋愛や就職試験、会社内でのプロジェクトの立ち上げなど、その時の情勢をみると勝敗は決まったように見えることがある。オリックスは明らかに不利と思われていたが、綿密に巨人選手の弱点を研究し、前節打ちまくった巨人打線を沈黙させてしまったのだ。人生の勝負所にいる人は周りの雰囲気に流されないで冷静に当面の問題に取り組んでもらいたいと思う。巨人軍も明日からは気分を入れ替え、思い上がりを捨て、冷静に試合に臨んでもらいたいと思う。
2024.06.10
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ラムズイヤー(子羊の耳)葉が柔らかくフアフアしているのでこのように呼ばれる。この頃毎日のように私の受け持ち患者さんが入院してくる。昨日入院の方は83歳男性でパーキンソン病とレビー小体認知症の患者さんで誤嚥性肺炎後のリハビリ、今日入院は80歳女性でアルツハイマー型認知症で大腿骨頚部骨折後のリハビリ入院だった。お二人とも呼びかけても殆ど反応がないくらい認知症が進んでいて、リハビリといってもやれることは少なく、褥瘡の進行を遅らせ、治せるものなら治してやれるように体位変換等を行ってやるのが精いっぱいの印象であった。昨日入院の人は耐性菌の感染もあり、リハビリの度に感染防御服を着なければならず大変だが早速今日から理学療法士がリハビリを開始してくれていた。合併症のない骨折とか脳卒中の患者さんのリハビリなら所定のリハビリを行えばよいが多くは認知症を合併しており、そちらの方の管理が大変なことが多い。今日入院女性は骨折するまで自宅でご主人が介護しており骨折が治った後もし可能なら再度自宅でご主人で介護できたらと思っているとのことだった。お二人とも認知症が進んで人生の終末期を迎えているように思われるが、お二人のご家族からは少しでも命を長らえてもらいたいというお気持ちが伝わってきた。医師や病院の役割は少しでも患者さんを健康にしてやることだが、それをしてやれそうもない患者さんを受け持った時は辛い。それでも患者さんにとって一番いい状態はあるはずなのでそれを目指して頑張っていきたいと思う。
2024.06.07
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スパティフィラム北大医学部同窓会新聞に医学部長の畠山鎮次さんが今春3月の卒業生114人に対して卒業生に贈る言葉を書いていた。1876年、北大の前身である札幌農学校の開校式で初代教頭ウイリアム・S・クラーク博士は、「長年東洋の国々を暗雲のごとく包んできた因習と身分制度の暴政からの開放は、教育を受けようとする全ての学生たちの胸に高邁なる大志を抱かさずにおかない」と述べ、細かな校則を廃止して、「Be gentle」の一言を校則として学生達の自立心と独立心を目覚めさせ、個の確立を促し、北大の全人教育(知識、感情、志の調和のとれた人を目指す教育)の礎を作って下さった。諸君は大きな夢と高い理想を持ち、自らの資質と能力を最大限に発揮することができる「全人」としてそれぞれの医学、医療分野もしくはその他の分野で活躍されることを祈念すると結んでいた。1876年以後何十万人という卒業生が輩出されてきたが、この全人教育の理念を知っている人は少ないのではないかと思う。畠山さんがクラーク博士のことを持ち出したのはこのような伝統があるので、全人教育に誇りを持ち、医学医療分野で社会に大いに貢献してほしいと言いたかったのだと思う。私も卒業生の端くれなので、夢を持ち、社会に対して責任感を持ち、後輩に対して模範となるような人生を歩まなければと思った。注)Be gentle!はgentlemanの言葉があるので日本語では「紳士たれ」と訳されてきたが、gentleの意味は優しい、親切な、寛大な、などの意味があり、クラークの真意は日本乃至世界の人々に対して心から優しくて親切な人になりなさい、と言いたかったのではないかと思う。
2024.06.06
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ジニア(百日草)野球で9回まで勝っていたのに9回に追いつかれて逆転されたり、延長戦になったりしている試合が続いている。昨日のヤクルト西武戦では3対1で西武が9回裏2アウトまで勝っていたが山田に2塁打を打たれて同点にされ、延長10回に敵失でヤクルトが4対3で勝ってしまった。それまではヤクルトがロッテ戦で2試合連続で9回まで勝っていたのに9回の表に点を入れられ同点で延長12回引き分けになっている。同じころ巨人西武戦で巨人が9回表まで勝っていたのに西武に9回裏に追いつかれ敗れている。野球は9回でそれでも勝負つかない時は延長戦があるが、一般的には、8回まで熱戦が繰り広げられた段階で大差がついていればほぼリードしている方のチームが勝つが、小差でも勝っているチームが有利で負けている方はここまで来てしまったらと諦め気分になることが多い。しかし現実にはそこまできても土壇場の逆転が再三起こっているのである。勝っていた方のチームの応援団(フアン)はそこまできていたのにだらしないと怒り狂う。負けていたチームのフアンは土壇場の逆転劇に狂喜する。人生も同じで何か生涯をかけた仕事で死力をかけて努力したが、ほぼその成就は無理と思える時がくる。ほとんどの人はそこで諦めてしまうが、野球狂いで智慧のある人なら9回の逆転を信じて最後まで諦めないで努力してみる。そうすると思いがけない結果が転がり込んでくるかもしれないのだ。ご高齢の方は自分の年齢を考えて、「もう人生も終わりだな。もうこれからはいいことは何もないだろう」と思っている人が大多数だと思われる。しかしここでも野球狂のご老人なら9回の逆転を考えるかもしれない。思いがけないご縁があって老後を一緒に歩んでくれるご婦人(又は男性)と巡り合えるかもしれない。もう死ぬばかりで何もないと思っていたのに土壇場で念願が叶うこともあるかもしれない。そんなことを考えたら野球狂は単なる狂人ではなく夢をもった狂人ではないかと思えてきた。
2024.06.05
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イトバハルシャギク(糸葉春車菊)今日のラジオ番組「話題のアンテナ・日本全国8時です」の話題はセカンドオピニオンであった。今まで治療を受けている医師がいるけれど別の見立てがあるかもしれないと思って他の医師を受診して意見を聞くことである。アメリカではかなり一般化されているが日本では今見てもらっている医師に失礼になると思ってあまり利用されておらずある調査では19%位の利用にとどまっているとのことだ。現在では何科も細かく専門分化されており、今診てもらっている医師とは別の専門の医師に診てもらいたいと思うこともあるかも知れないが、多くの場合はそれは言いずらいのでそのまま診てもらっていることが多い。そこでそのような患者さん向けにセカンドオピニオン外来を作ったり、オンラインでセカンドオピニオンを引き受けてくれる病院もあるとのことだった。セカンドオピニオンが必要な場合は、手術が必要な場合とか、がん治療でどのような治療法を選ぶかのケースが多いと思う。いま診てもらっている医師が気の回る人なら、必要な場合は、この病気でこの状態ならあの医師が最適だろうと紹介してくれるが、そうでない場合はその医師のおっしゃる通りの治療を受けるか、セカンドオピニオンに意見を聞くことになる。そこで上述のセカンドオピニオン外来とかオンライン外来などを利用することもあるかもしれないが、それらはまだ一般的ではない。要は医師が自分の限界を知っていて、この病態ならあの病院、あの医師がよいと勧めてくれる雅量があれば一番いいのだと思うが、実際にはまだ料簡の狭い医師もいる。病気になったらよく勉強していて料簡の広い医師を選ぶのが良いと思う。
2024.06.04
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千鳥草ドクターズマガジン6月号の主役は札幌医大形成外科教授の四ツ柳 高敏先生だった。函館出身で弘前大学を卒業なさっておられる。大学5年生の時色々な外科の仕事ぶりを見て歩いた。その時何やら白いものを削っている部署があり、何をしているのか?と聞いたら人の耳を作っているのだと教えられて大きな衝撃を受けた。それが形成外科に進んだ動機だという。耳介は誰にでもついていることになっているが、頻度は少ないが小耳症という病気があり、耳が人並みより極端に小さかったりついていなかったりする人がいる。子供時代や思春期の頃そのことでずいぶん悩まれたことと思う。そういう人たちの耳介再建の形成外科手術の大半を担当してきたのが四ツ柳先生なのである。術後の包帯を取った時立派な耳がついているのを見て泣き崩れたお母さんは数知れない。今まで髪の毛で隠さなければならなかったのにその必要がなくなった少年少女達の心を開放してやれる喜びを感じながら今なお完全な耳つくりのために研究を続けているとのことである。元々ミニチュアつくりとか手作業が好きで、自分が好きな道に進めて多くの人に感謝されて四ツ柳先生も幸せだと思う。人にはそれぞれ得意不得意がある。その得意が生かせる職業に就ける人は幸せだと思うが、多くの人は就職して不得手の分野を受け持つことが多いのではないかと思う。四ツ柳先生は好きなことだったので水を得た魚のように寝食を忘れてそれに没頭することができたが、不得手のことをしなければならなくなった時人はどうしたらよいのかと思った。使命感だと思う。使命感さえあれば不得手のことも徐々に身についてくることもある。四ツ柳先生も後輩の指導に当たってはいつもそのことを考えながら指導しているとのことである。皆さんも使命感で頑張りましょう。
2024.06.03
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40年以上毎年庭先で咲いていたザクロの花シャクヤクやボタンは40年ぐらい前に田舎の両親がそれまで住んでいた家を売って甲府に建てた新しい家で一緒に暮らす時にその家で咲いていた花を新しい家の庭に植えたということは妻から聞いていた。これはザクロの花だが先日妻から「これはおじいちゃんが田舎の家から持ってきて植えたものですよ」と教えてくれた。初めて知ったが40年も前の花木が毎年咲いていたのかと思うと不思議な気がした。そしてまた父がわざわざ何故このこの花木を移植したのかも知りたいと思った。特別な理由はなかったのかもしれないが、父が移植した花だと聞いて30年くらい前に亡くなった父のことを思い出した。父は働き者だった。戦時中徴兵を免れた父は徴兵された家の田畑まで額にヘッドライトをつけて寝る間も惜しんで耕した。米俵2俵を積んだリヤカーが河川工事で橋を渡れなくて困っていた時リヤカーごと肩と腕で支えて川を渡らせてやったこともある。腕の筋肉は鉄のように固く、指はこん棒のようにささくれていてたくましかった。その子である私は青白く、力が全くなく、すぐ疲れてしまう意気地なしだった。私は本を読むのが好きで働くのが嫌いだったが、父は反対で本は殆ど読まなくて働くのが好きでそれが趣味のようだった。体力や性格が真反対だったので遺伝子がつながっているのか疑問に思ったこともある。高齢になり腰がくの字に曲がってしまっても重い石を軽々移動させていたが、私の方がずっと若いのに石をもちあげるどころかびくとも動かすことが出来なかった。父は子供は宝物のように思っていて子供が学校にいる時に雨が降ってくると必ず学校に傘を届けてくれた。いくら忙しい時でも子供達に仕事を強制するようなことはなかった。晩年になって家にいるようになったら我々が出かける時は履物を用意してくれて帰ってくるとスリッパを準備してくれた。私がアフリカ奥地の医者になりたいという気持ちをもっていることを知ると「家族を路頭に迷わせるから南方には行くな」とテープに吹き込んだりして何度も反対していた。最終的には妻の反対でアフリカ行きは諦めたが、行くとなったらそれなりに応援してくれたのではないかと思う。最期は自宅で嫁に看病してもらいながら数か月後息を引き取ったが、私自身は何もしてやれず時々後悔の念に駆られることがある。しかし父は自分の身を案ずるような人ではなく、子供が立派に成人すればそれでよいと思っていたので、曲がりなりにも人様のお役に立つ仕事をさせていただいて、孝行していたのかもしれないと思うこともある。
2024.06.01
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