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喜ぶ者がいる一方で悲しむ者がいる。特に勝負を争うスポーツの場合は、より一層明暗が際立つ。女子バレーボールはセット数の差で、ロンドンオリンピックへの出場権を手にした。ランクから言ってタイより上位になると思われたのに、タイもキューバに勝つほど強くなっていたのには驚いた。確かホッケーも出場権を得たが、ハンドボールの40数年ぶりの参加はならなかった。 オリンピックとの関係は不明だが、クルム伊達公子は全仏の1回戦に敗れた。確か41歳のはずだが、その飽くなき挑戦心に敬意を表したい。女子レスリング国別対抗でロシアを破って日本が優勝した。最初の4人が連続して勝ち、簡単に優勝を決めた。だが吉田沙保里は負けた。新しい攻撃の形を模索している最中のようだが、一瞬のためらいが負けにつながった。「親子」で戦っている浜口京子は、ロンドン後の引退を決めたようだ。 海の向こうでは新たな動きがあった。大リーグレンジャーズのダルビッシュはリーグトップの7勝目を挙げた。試合後は女装して他の2人と共に歌を歌ったとか。これは新人を迎えるチームの伝統儀式。こうして外国での暮らしに馴染むのは良いことだ。さらに素晴らしいニュースも飛び込んで来た。3Aダーラムにいたゴジラ松井が、相次ぐ主力選手の故障で急遽大リーグのレイズに昇格したのだ。 上がったばかりの試合で松井はいきなり2ランホームランを打ったようだ。3Aでの成績は2割にも達せず、ホームランも打てなかった松井だが、大リーグ生活10年目の経験は本物だった。チームの監督はもとより、これまで所属していたヤンキースなどの関係者も絶賛していた由。第2戦はベンチスタートの代打になったようだが、これからも頑張って欲しいと願う。 さて、昨夜は楽天対巨人の試合にしびれた。何と巨人の先発杉内が、9回2アウトまで1人も塁に出さない完全試合。最後の1人も2ストライクを取りながらの4ボール。大記録はついえたが、ノーヒットノーランは達成した。これまで田中と投げ合って勝ったことはない。無論去年まで所属していたソフトバンクでの話だが、0勝4敗と相性が悪かった。それで密かに闘志を燃やしていたようだ。 一方の田中は約1カ月ぶりの1軍出場。今年は体調が悪く、開幕戦から黒星スタートだった。その間に新人を含め、これまで力を発揮出来なかった投手の活躍で貯金まで作るほどの好調さ。だが相棒の嶋捕手や抑えのラズナー、松井稼、鉄平などが故障中。だからこそ復活が望まれたのだが、高橋由伸の一振りに敗れた。負けはしたが、彼のことだ。きっと復活するに違いない。 昨夜は雲峰師匠の掲示板を通じて「人生の楽園」の映像を観た。街道を歩くことに魅せられた1人のランナーの話だ。「塩の道」や「東海道品川宿」などの話で、画面には雲峰師匠、Sパパ、ちっちさんの姿もあった。元はウルトラマラソンの物凄い経歴を持った(今でもトランスヨーロッパに出る超一流の現役選手もいるが)選手が、色々調べながらテクテク街道を歩く姿に感銘を受けた。 私は昨年4つのレースを欠場した。今年も既に3つが欠場で、近く行われるレースも欠場の予定だ。原因は不整脈に伴う体調不良と足の痛み。2度の手術を受けたが治らない。目下頻脈を抑える薬を飲んでいるが、まだ体に馴染まないようだ。まるで200kmのレースを走り終えたような感じ。フラフラして目が回り、このまま死ぬのではないかと思う時もあるほど。それでも体が落ち着いたら歩いたり自転車に乗って出かけている。 走友のレースぶりをネットを通じて観ている。今年初めて行われた富士山のトレイルレースや野辺山のレースなどがそうだ。もうウルトラを走ることはとても無理だが、今は歩いたり自転車に乗ることがレースだと、自分に言い聞かせている。イタリアのセリエAで八百長事件が起きたようだ。今季優勝したチームの監督も捜査の対象とか。神聖なスポーツにインチキが罷り通るとはゆゆしきこと。たとえ勝っても負けても正々堂々と戦うのがスポーツマンであるべきなのに。≪ 今月のラン&ウォーク ≫ ラン:2回12km ウォーク:210km(自転車の距離の40%分を含む) 月間合計:222km 年間累計:948km うちラン:242km これまでの累計:79093km 地球2周まで残り923km
2012.05.31
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お向いさんが立派な山ウドをくれた。今までウドを植えていた畑が護岸工事で潰されるため、急遽抜いたものとか。酢味噌和えにして食べたが、お向いさんの切ない気持ちは良く分かる。妻が畑から抜いた玉ネギをポテトサラダに入れ、葉っぱは翌日の味噌汁の実になった。昨年の秋に植えた苗が、ようやく食べられるまでに成長したのだ。 買った苗は100本。そのうちダメになったのが5本として、収穫は95個か。今回は追肥を重ねた割には、トウが立つのが少ない。そして厳しかったこの冬をよくも乗り越えたものだ。6月半ばまではそのままの状態にしておき、その後全て抜いて陰干しする予定。 白ゴーヤの苗がダメになった。どうやら虫に食われたようで葉っぱに穴が開き、蔓も無くなっている。これではもう育つのは無理。後はあばしゴーヤともう一種類のゴーヤに頑張ってもらうしかない。花壇のユリの葉が直線的に切られている。丸い糞が残っていたので、これも虫が食ったようだ。だが、いくら探しても幼虫はいない。何だか不思議な感じだ。 ジャガイモの葉が茂って来た。男爵の小さな種イモを15個もらって植えたのだが、そのうち発芽したのが11株ほど。あんな小さな芋が立派な葉を茂らすことに驚く。塀の際に播いたキュウリが発芽しているが、今ではジャガイモの葉が邪魔。茎をそれぞれ2本ほどに間引きした上、紐で縛ろうと思う。 先日ようやくユズのつぼみを見つけた。まだ小さいのだが、古い葉がついた枝にしか見当たらない。イチジクだと剪定後に延びた新しい枝にも実をつけるのだが、どうやらユズの場合は違うようだ。厳しい冬の寒さでほとんどの葉が落ち、心配していたユズ。僅かに残った葉の近くに、小さくて可愛い蕾が12個ほど。今年はとても少ない分、ひょっとして大きく実るかも知れない。新しい葉や枝も出たので安心だ。 モロッコインゲンの蔓が伸び出した。だがまだ支柱を捉え切れないで空中をさまよっている蔓が多い。そんなのを見つけるたびに、支柱に巻き付けてやっている。適当に雨が降るせいか順調な生育ぶりで、収穫が楽しみだ。トマト、ミニトマト、ナスに花が咲き出した。ミニトマトやナスは、花が咲いたら必ず実が実る。そんな野菜を観るだけで楽しい。これは作った者しか味わえない喜びだろう。 ところでこの時期に茂るのは雑草だけではない。畑のあちこちから芽を吹き出しているのはカボチャ。そして中にはサクランボやトマトやジャガイモの小さな芽もある。それらは撒いた堆肥に混じっていたもの。我家の裏庭には3基のコンポスト容器があって、生ゴミや愛犬のウンチを原料にして堆肥を作っている。その中に混じっていた種が成長するのだ。そしてジャガイモが「皮」からの発芽なのにはビックリ。 時には植えた覚えのない木が育つこともある。白い花を咲かすハナズオウは2mほどの高さになった。これは多分鳥の糞に混じっていた種から育ったのだと思う。裏庭に小さなルピナスが生えていたが、きっとこれもそうだろう。地味なネズミモチは抜いた。カボチャの芽は全て抜くが、トマトは玉ネギの収穫後の畝に移植する予定。そして裏庭の1本の樹木。これはサクランボじゃないかと密かに楽しみにしているのだが。
2012.05.30
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なぜ私の広辞苑に「一病息災」が載ってないのか考えた。この言葉の原義は「無病息災」。病気をせずに健康で長生きするのが本来の意味だ。それが「軽い病気ならより健康に注意するため長生き出来る」意味で、一病息災のような造語が出来たのだろう。私の広辞苑は昭和48年印刷の第2版。40年前にはまだ普遍的でないため、収録されなかったのだと思う。 さて、気温が上がると目につくのが雑草。雨上がりの後ならなおさらだ。それほど広くない我が家の庭だが、これからの季節は雑草との戦いになる。カラスノエンドウ、タンポポ、ハハオコグサ、ツユクサ、ハコベなどは簡単に抜けるし、手間もかからない。ところが厄介なのがオオバコ、ドクダミ、ヨモギ、スギナ、そして名前も知らないイネ科の雑草だ。 オオバコは良く見かける草で、葉の占める割合が大きい。これは踏まれても強く、刈っても地中に根が残り、種が自然と周囲に散らばって繁殖する。石川県に勤務した当時、白山に登ったことがある。昔からの信仰の山で、車は途中までしか入れないため歩いて登るしかないのだが、その登山道がオオバコで埋まっていたのには驚いた。 点々と続くオオバコの群落は、きっと登山靴の裏についた種が落ちて繁殖したのだと思う。他の草なら育たないような場所でも生き続ける生命力は物凄い。人文科学、社会科学の分野が得意な出版社に「勁草書房」と言うのがあるが、社章は何とこのオオバコ。「勁草」は強い草の意味。多分厳しい出版界で生き延びるために、敢えてこのような命名をしたのではないか。 ドクダミ、スギナ、ヨモギの共通点は根が地中深く延びること。このため上の方だけちょん切っても、またそのうちに生えて来る厄介者。近所に老夫婦が住む家があるが、高齢に伴う障害のため庭が荒れ放題で、家の周囲がスギナで覆われるほど。年に2回草刈りを頼んでいるようだが、きれいになるのは草刈りの直後だけ。半月後にはまた元通りになるから恐ろしい。 除草作業が面倒なためコンクリートで固めたり、石を敷き詰める家もあるが、私はまだまだ頑張る積り。そう言えば小笠原諸島へ渡るフェリーの乗船定員が近く減員されるみたいだ。世界遺産に登録されるほどの貴重な自然を、観光客がもたらす外来植物から守るのが目的のようだ。日本の雑草の大半は、小学校しか出ていない牧野富太郎博士の命名とか。それで東大の助教授になったのだから大変な偉業だ。
2012.05.29
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今日は病院に行った。かかりつけの内科医で循環器病が専門の個人医。まだ働いている頃は時間の節約のためバスに乗ったのだが、今はたっぷり時間があるから山の上まで歩く。10時前なのに、結構待合室に人がいる。これは初めてのことだが、手術を受けた専門病院だと6時間以上待たされることに比べたら大したことはない。 心臓が落ち着いた頃を見計らって血圧測定。上が101で下が74。脈拍数は120で結構きつい運動をしている状態。体調を受付の人に伝えると、少し早めに処置室に入るよう促された。ベッドに横たわり先ず心電図の検査。その結果を観て、今度はモニター心電図をつけながら点滴注射。薬剤は生理食塩水と鼓動を抑えるためのもの。それらが終わると廊下で待機。 やがて名前を呼ばれて診察室へ。心電図と点滴で心臓の動きを確認したM先生が丁寧に説明してくれた。結果は2回目の手術の時と似たような波形が現れている由。2度も手術をしたのに再びこの症状が出たことを、先生も深刻に受け止めているようだ。2度の手術で不整脈が発生する回路を遮断したのだが、また別の回路が新しく出来て、「環状頻脈」とかいう微弱な不整脈が出ている由。 3回目の手術をするかどうかは専門病院の判断に委ねることにして、当分薬で対応することになった。処方されたのは1回目の手術後に服用し、副作用が全く出ない相性の良いもの。診察を受けている間に外は暗くなり、雨も降り出していた。薬局で処方箋を出すと、「また飲むようになったのですか」と薬剤師。彼女達も職業柄患者の容体が気になるのだろう。「2回手術を受けたんだけど、また不整脈が出たんだよ」と言うと、気の毒そうな顔に変わった。 雷鳴の中をバス停まで急ぐ。大粒の雨だ。アパートの軒先で雨を避けながらバスを待つ。案外早く来たバスに乗り込んで終点まで。そこから家まで走る。さほど濡れずに済み、着替えるほどではない。「お父さんどこへ行ってたの」と妻ののんびりした声。「病院」と一言だけ告げて私は黙った。「どんな状態だったの」。妻の質問にも暫く無言。2回の手術で完治したと思ったのだが、そうは問屋が卸さなかった。少し間を置いて、事実を告げる。それ以上彼女は何も問わなかった。 昼食後は自室で休息。そのうちに眠くなり、布団を敷いて眠る。やはり脈拍が乱れた夜から、眠りが浅くなっていたのだろう。1時間半ほど眠ると、朝と間違えた。いつの間にか雨は止んでいた。愛犬といつものように夕方の散歩。途中すれ違った人に挨拶され、思わず「お早うございます」と言った後で間違いに気づいたが、時既に遅し。まあ、今さら恥ずかしがる歳ではない。 また付き合うようになった不整脈だが、自分では「一病息災」と思いたい。こうなったらとことん付き合って長生きし、後は「ケ・セラセラ」だ。ところで「一病息災」が「広辞苑」に載ってないのが不思議。ネットではちゃんと調べられるのにだ。まあ、世の中にはいろんなことが起きる。そして「なるように」しかならない。「良いじゃないの幸せならば」。これは昔流行した相良直美の歌である。
2012.05.28
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裏庭のフキを取って茹でる。そして茹で上がったあとは冷たい水に漬け、皮を剥いておく。これは妻がタケノコなどと一緒に煮ものにした。アシタバは茹でて、冷やし中華の具にする。これは香りがあってなかなか美味い。畑の草を抜き、ミニトマトに支柱を施し、トマトの脇芽を摘む。クリーニングに出していた作業服を現場に返した。これで今月分の給料が振り込まれたら、会社との関係はきれいさっぱりお終いになる。 愛犬と山の上の農協に行き、玄米10kgを7分搗きに精米する。待ったのは10分程度か。店のポスターによれば精米によって約10容量が少なくなる由。つまり米は9kgだけで、1kgの糠(ぬか)が出来るわけ。それでも白米よりは栄養価が高いのだろう。雨の中、リュックに入った9kgの米を背負って帰宅。 晴れれば愛犬を拭いた8枚のタオルを水洗いして干す。これは雑巾代わりだから、結構汚れている。布団を干したり、洗濯ものを取り込むのも私の仕事。生協家庭班への配達ものを取りに行くのも私の仕事。これはリュックを背負って行く。持ち帰った品物は、冷凍庫、冷蔵庫、台所などにそれぞれ仕分けする。自分の洗濯ものは当然自分でタンスに片付ける。 町内会の老人クラブがバス停前に花壇を作り始めた。そこは我が班が草取りをする場所。行きがかり上、土を入れる時に少しだけ手伝った。2トン車1台分で8千円とか。私は土を均しただけだったが、先ほど通ったら既に花が植えられていた。だがスペースの3分の2がまだ空白。結構花を植えないといけないが、かかった費用の大部分は市から支給される由。 今日は妻と一緒に野草園へ行った。裏道を通って行くのは初めてで、ほとんど知らない町。昨年の大震災で石垣が崩れたり、家屋が倒壊した町内もあった。山の上にある野草園は市の施設で、65歳以上の市民は無料。カントウヨメナ、イチゲ、トチノキ、アヤメ、コマクサ、ヤマオダマキ、ササユリなどたくさんの花を観ることが出来た。クマガイソウは花の残骸だけ観察できた。 実は金曜日の夜から、どうも心臓の調子がおかしい。120もある脈拍数が異常なのは確か。今日は血圧がさらに凄く、上が90台まで下がった。不整脈が再発したようだが、こうなると激しい運動はとても無理。ところで今日のタイトルだが、これは「普通の爺さんへのプロジェクト」。自分では少しも願っていないのに、どんどん普通の爺さんになってしまう。どうやらアンチエイジングの戦いに敗れつつあるようだ。う~む。
2012.05.27
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「サンデー毎日」となった爺さんは暇な上、さほどお金もない。そんな時に役に立つのが自転車だ。昨日は愛用のマウンテンバイクに乗って、多賀城市の「東北歴史博物館」へ行った。往復40kmにはなるから良い運動だ。体も鍛えられるし、精神的な刺激も受ける。以前は中世から近世の街道を通って行ったのだが、今回は国道沿いに行ってみた。案の定何箇所かで迷ったが、それもまた勉強のうち。 館のHPによれば、目下開催している特別展は「神々への祈り」。サブタイトルが、~神の若がえりとこころの再生~となっている。これは東日本大震災の復興祈念を兼ねた企画のようだ。構成は伊勢神宮(三重)、加茂御祖神社(下鴨神社=京都)、出雲大社(島根)、そして塩竃神社(宮城)の4社。特別展は900円だが、前にもらった割引券とシルバー割引が効いて700円で入れた。 伊勢神宮はご存知の通り「皇室御用達」の神社で、下宮、内宮がそれぞれ20年ごとに遷宮する(建て変える)ことで有名。「お伊勢さん」の名で親しまれ、江戸時代には「伊勢参り」の名目で庶民も旅することを許された。出品は伊達綱宗が奉納した神刀や、信長、秀吉、家康の朱印状、棟札、おかげ参り風俗屏風、神宮撤下御装束神宝など。境内の厳かな雰囲気を思い出した。 下鴨神社は平安京鎮守のために建てられた神社で、古代豪族加茂氏の氏神でもある。境内を散策した覚えはあるのだが、社殿の記憶がない。出品は古神宝須賀利御太刀(すがりは蜂の古名)、後陽成天皇宸筆の神号(神社の扁額)、御陰祭(葵祭)行列絵巻など。確か葵祭は古代の装束で京都御所から出発し、途中この神社に立ち寄ってから上加茂神社へと向かったはず。 出雲大社は縁結びで知られ、旧暦10月には全国から八百万の神が集うため神無月(出雲では神有月)と呼ばれることで知られている。古代から中世にかけての社殿の高さは16丈(48m)あったと言い伝えられていたが、実際に巨大な材木3本を括った柱が地中から発掘されている。出品は後醍醐天皇の綸旨、遷宮儀式注進状、秀頼奉納の太刀、徳川家奉納の御櫛笥など。 塩竃神社は奥州一之宮で、古代には国府多賀城を守護する神でもあった。神社の傍には小社釜神社があるが、これは古代から製塩に携わった証し。後世伊達家の手厚い保護を受ける。出品は鎌倉時代の太刀、江戸時代の棟札、藩主伊達吉村が奉納した太刀などで、いずれも重要文化財。立派な神輿(おみこし)が1基置かれていたが、重量に比べて担ぐ棒が極端に短い。 さて、私はこれまで各地の神社を観た。これは参拝と言うより学術的な好奇心のため。南から主なものを挙げると、波の上宮、普天間宮(沖縄)、青島神社(宮崎)、宇佐神宮(大分)、宗像大社、太宰府天満宮(福岡)、大山祇神社(愛媛)、金刀比羅宮(香川)、大麻比古神社(徳島)、厳島神社(広島)、吉備津神社、吉備津彦神社(岡山)、出雲大社(島根)、春日大社(奈良)、八坂神社、平安神宮、下鴨神社(京都)。 熱田神宮(愛知)、気多大社、白山神社(石川)、湯島天神、明治神宮(東京)、筑波山神社、鹿島神宮(茨城)、日光東照宮(栃木)、塩竃神社、大崎八幡宮(宮城)、北海道神宮など。この他にもたくさんあるはずだが今は思い出せない。これから行ってみたい神社は諏訪大社(長野)、石清水八幡(京都)、熊野大社(和歌山)くらいか。立派な社も良いのだが、原始神道を思い起こす沖縄の御嶽のシンプルさが心に沁みるのは何故だろう。 最後に質問。日本の神様を数える単位は何か? もちろん人間と違うので「人」ではない。答えは「柱」。北方アジア系民族共通の神話に、神が高い山に降り立つことがある。日向の高千穂へ天孫降臨があったとの日本神話もその流れを汲むもの。神が憑依するものはやがて山上から高い木となり、さらに太い柱に変化したと思われる。諏訪大社の御柱祭は、きっとその名残だろう。私が諏訪の勇壮な祭りと、荘厳な社を見たいと思う理由はそこにある。
2012.05.25
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不思議なポスターだった。阿部寛がギリシャ彫刻になり切っている。その上、映画はイタリア人にも大いに受けたと言う。それにしてもタイトル「テルマエ・ロマエ」の不思議な響き。こうして私は何も知らぬまま、話題の映画を観たのだった。 ネタをバラしちゃいけないが、阿部が扮するルシウスは古代ローマの浴場設計技師。仕事上の悩みで苦しんでいるうちに、現代の日本にタイムスリップして浴場建設の大いなるヒントを得るという話だ。阿部もそうだが主要なローマ人役になる俳優は、いわゆる「顔が濃い」人ばかり。ローマ皇帝ハドリアヌスが市川正親、彼の後継者と目されたケイオニウスが北村一輝。そしてアントニヌスに宍戸開。 これに対してルシウスが「平たい顔族」と呼ぶ日本人の代表が笹野高史。ルシウスを助ける派遣職員で漫画家志望の女性役に上戸彩。ストーリーは詳述しないが、まあはちゃめちゃな映画。そして大いに笑える。だが、画面にはきっと驚くはず。古代ローマの壮大なセットが組まれているのだ。種明かしをすれば、それは他の映画を製作するために作ったものだそうだ。それが本当に古代ローマに帰ったかのように感じる出来栄えなのだ。 原作はコミック誌の漫画らしい。作者はヤマザキセリと言う人気漫画家で、テレビでもアニメ化されたのだとか。そちらの方面には全く疎い私だが、映画は上出来で現代イタリア人の喝采を浴びたのも頷ける。何せ漫画家ヤマザキセリの夫はイタリア人なのだ。それも「古代ローマお宅」なのだとか。だからあり得ない話が、「本物チック」に見えるのかも知れない。 ところでタイトルの「テルマエ・ロマエ」はラテン語でローマの浴場の意味。漫画家志望の上戸彩がルシウスと意思を通じあうため必死にラテン語を勉強するのも面白かった。だがラテン語は話言葉としては死んだ言語。例えば Acta Anatomica Japonica。これは「日本解剖学雑誌」の意味だが、今では学術用語として残っているだけなのだ。そして生物の学名は全てラテン語表記がルールになっている。 ともあれ漫画の映画化も悪くはない。ほとんど漫画を読まない私でも映画なら「時間の節約」になるし、かつ面白く楽しく観られるからだ。「カムイ伝」、「のだめカンタービレ」、「三丁目の夕日」などを観たが、漫画の雰囲気も残っている感じだ。先日テレビで映画「三丁目の夕日」の古いバージョンの再放送を観たが、あれでようやく話が繋がった。懐かしい時代が、まざまざと目に浮かぶ。「映画って本当に良いですねえ」。そう言ってたあの人も懐かしい。
2012.05.25
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昨日は天気予報が外れ、寒い一日だった。風が吹き抜けるKスタはさらに寒い。それでも前夜に比べればマシか。篠つく雨の中で2回表まで強行したゲームも、結局は雨天のためノーゲームとなった。1対3で負けていたから、楽天にとってはラッキーだったと思う。私はセパ交流戦の楽天対中日戦のチケットを買っていた。まだ仕事をしていた時のこと。だから疲れる火曜日を外し、水曜日の第2戦にしていたのだ。 結局はそれが幸いした。仕事も辞めて何の心配もなく野球を観戦出来る幸せ。おまけに晴れて、雨の心配はない。なぜ対中日戦を選んだかと言えば、やはり昨年まで楽天に居た山崎を見たいから。彼は7年前に戦力外になって、新球団の楽天に来た。それがチームを支える中心選手になったのだ。星野監督の引退勧告を振り切ってまで現役に拘った山崎。その勇姿を一目見たいファンは多いと思う。 私が最初に観た4月初旬のゲームは下柳で負け、月末のゲームはヒメネスで引き分けた。だから今シーズンはまだKスタで楽天が勝った試合を観てないのだ。そして今回が初ナイター。北国仙台では夜は冷える。それで過去2回はデーゲームを選んだ。この日の先発は今年3年目の辛島。今シーズン初めて先発で勝利し、目下1勝1敗。その彼は初回から投球に苦心してる様子だった。 後で知ったのだが、ブルペンでの調子は悪かったそうだ。そのために低目の変化球を多投した由。なるほどそれであんな投球だったのか。それでも何とかピンチを凌いだのは立派。このところ好調なわが楽天。借金を返しただけでなく、貯金3で3位まで上がった。勝因は投打のバランスが良いこと。特に先発がなかなか崩れず、中継ぎと抑えも絶好調。田中とラズナーが不在でこの順位とは驚きだ。 5回表まで0対0の緊迫したゲーム。山崎が打席に立つごとに、場内から暖かい声援が飛んだ。彼の願いは仙台で「恩返し」のホームランを打つことだが、ヒット1本に終わった。5回裏、2つのエラーで直前の試合を混戦させた枡田が、中田賢から今季1号を放った。ライト席に突き刺さる見事なライナーだった。 楽天は7回、8回にも追加点。特に代打内村のスクイズバントは見事だった。大事を取って辛島から小山、ハウザーとつなぎ、最後は新守護神青山が抑え、4対0の完封勝利。辛島が2勝目を挙げ、小山、ハウザーにホールドポイントがついた。だが私は凱歌も聞かずにKスタを後にした。それほど寒かったのだ。 この日、私はジェット風船を飛ばした。前の2回ではどうしても膨らまなかった風船が、3回目でようやく膨らませたのだ。きっと肺活量が少し回復したのだと思う。7回裏にはエンジ色の、そして勝利した9回には白の風船が球場の空に舞った。家路を急ぐ私の後から、青いユニフォーム姿の男が自転車で抜いて行った。数少ない中日ファンのようだ。負けて悔しいだろうが、今はセリーグ首位の中日より、パリーグ3位の楽天の方が勢いがあるのだよ。ムフフ。今日もヒメネスで連勝だ~!!
2012.05.24
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やはりあの日のことを記しておこう。今週の月曜日、現場に顔を出した日のことだ。もう仕事は辞めたので、金環食を観、新聞を読み終えてからゆっくりバス停へ向かった。だが腹が痛む。体調もだが精神状態も良くないのだろう。現場に顔を出すと驚く同僚達。金曜日に休んだのは知ってたが、そのまま退職したことは全然伝わってなかったのだ。 皆に退職に至った事情を話し、作業服と靴をリュックにしまう。顔を出した若い責任者から、本部へ行って欲しいとの要請。皆に別れの挨拶をし、本部のあるビルへ向かった。上司と会談し、正式な退職願を提出する。最後に業務と自分の体調について話したが、現場の状況をほとんど把握してないことに驚く。彼はこの程度の人物だったのか。やはり辞めて正解だった。 事務室には3月までお世話になった上司もいたが、挨拶はしなかった。彼も複雑な心境のはず。9年間お世話になった会社だが、パート職員は単なる「道具」に過ぎないことを再認識した。彼ら正職員はいかに社内で有利な立場に立ち、いち早く出世するかの勝負。そのためには上司にゴマを擦り、先輩をも出し抜くような「戦い」の日々なのだろう。私にとって会社は人間観察の良い機会だった。 帰宅すると急に気が楽になった。重荷が取れたのだ。翌朝は足に痛みが無いことを確認して近所の坂道へ走りに行った。半月ぶりのラン。2度に亘る不整脈の手術と足の痛み、それに仕事の疲れもあって最近はほとんど走れなかった。その間に体力、筋力、心肺機能がすっかり衰えてしまった。それでもようやく走る気になったのが嬉しい。わずか5kmをノロノロ走って、その日は終わった。 翌日は映画を観に行った。「どこへ行くの」と聞かれて、とっさに古本屋と答えた。妻はまだ仕事を続けている身。少しは遠慮する気持ちが私の中にある。退職願を出した24時間後には、のんびり映画を観られる幸せ。そこで出遭った驚くべき事実については書かないことにする。そして映画の感想は改めて記したい。 しかし、いざ「サンデー毎日」となると、一日が実に長い。私には色んな趣味があるけれど、それでも暇を持て余す。これからの課題は、どう時間を有効に活用するかだろう。あれほど疲れ切った表情に少し生気が戻った。だが肩の痛みはまだ残っている。そして指の爪が歪んでいることに初めて気づいた。これは体調不全の証拠。やはり相当無理をしていたのだと思う。 今月末に最後の給料が振り込まれる。額はこれまでの最低で3万8千円。その僅かなお金のために、私の健康が損なわれたのだ。仕事を辞めれば社会とのつながりが薄れる。そしてブログのカテゴリー「仕事」は、過去形の話になるだろう。今週末洗った作業服を現場に返せば、会社とは完全にオサラバ。今は健康を取り戻すのが私の仕事だ。あばよ~!!
2012.05.23
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大相撲より ハナズオウ ピッチャー ケイトウばかりです 手綱(たづな)とナズナは大違い コマクサ道草似てるかな? 一期一会か ハクサンイチゲ 白菜 悪妻 ガクアジサイ ヒナゲシ 毒消し 腹痛し ノギク エゾギク 誰に聞く 聞いても返事が 梨の花 サギソウ 悪そう 騙しそう 目出度い席には ミズヒキソウ 岸壁の母待つ マイヅルソウ 下品じゃないの 女郎花(オミナエシ) ヤマユリ クロユリ ユニクロの マツバボタンが取れちゃった 山でばったり クマガイソウ びっくり驚く マムシグサ 煙草一服 スイトピー 気持ちすっきり サツキ晴れ ヴィオラが響く音楽堂 月下美人がたたずんで ヒトリシズカに聞いてます キク人居ないと もったいない 甘いおハギにゃ 渋いお茶 マツヨイグサで 酔っ払う ベコニア にやにや ほくそ笑み 聖人顔の クンシラン ヤマブキ色の 大判が センリョウ箱に どっさりこ 越後屋 にこにこ ハギ頭 この恩ケシて忘れません 貴方に惚れて アイリスよ 不倫じゃないの ニリンソウ ミヤコワスレの 逃避行 危険な山にも ノボタンよ 北風ピープー フキノトウ セキチク シナチク ラーメン党 二人で食べる マンジュシャゲ 美味しそうだね アカマンマ 食欲もりもり アツモリソウ ヒーヒー悲鳴は ヒイラギよ ざらざらゼラゼラ ゼラニウム ちんちん芸当 チングルマ 駆け足 逃げ足 ハヤチネソウ もしもし コスモス 訛(なま)ってる ショウジョウバカマで かしこまり ホトケノザにて 祈っても 心乱れる ザゼンソウ ホテイアオイの 太鼓腹 タイツリソウな 恵比寿さん コブシ振り上げ 毘沙門さん 恋をヒメユリ 弁天さん 福禄寿には フクジュソウ 訛り懐かし 東北は 春夏秋冬 花盛り 今日は気晴らしに、連休前に作った花の名冗句(ジョーク)を載せてみました。
2012.05.22
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大相撲夏場所は何から何まで異例ずくめだった。先ず十一日目まで1敗で優勝候補のダントツだった稀勢里がまさかの失速で千秋楽を迎えたこと。横綱白鵬が左手人差し指の骨折で同じく4敗したことが混乱を招く元になった。一時は3敗力士3人に4敗力士3人を加えた6人による優勝決定戦の可能性すら出て来たのだ。 ところが千秋楽に大関琴欧州が突然の休場。これで4敗力士の優勝はなくなり、逆に他の3敗力士2人が負ければ、不戦勝の栃煌山が優勝する可能性すら出て来た。それにしてもなぜ旭天鵬は本割の土俵上で、戦う前から目に涙を浮かべていたのだろう。一時は引退まで考えた彼は親方の定年で、場所前に所属の部屋を移ったばかり。 彼は引退して現在モンゴルの国会議員を務めている旭鷲山などと共に、モンゴル初の大相撲力士を目指して20年前に来日した。生魚などの食生活が合わず、入門早々にモンゴルへ逃げ帰ったこともあるようだ。そんな自分が優勝を争う晴れ舞台に上がるのが信じられなかったのだろうか。そして相撲そのものも、相手の足が一瞬早く土俵を割ったことによるきわどい勝利だった。これで優勝決定戦進出が決まった。 もう1人の3敗力士は、今場所ずっと先頭に立ち続けた稀勢里。だが彼は千秋楽もプレッシャーに打ち克つことが出来ず、4敗に終わった。こうして史上初の平幕同士による幕の内優勝決定戦となった。誰が見ても不戦勝だった栃煌山が有利。25歳の彼に対して、既に力を使い果たした旭天鵬は37歳8カ月。この決定戦でもうっすらと涙を浮かべていた。 ところが勝負は分からないもの。何と12歳以上も年上の旭天鵬が、上手い相撲で若い栃煌山をはたき込んだ。久々の日本人力士優勝は今場所もならなかった。37歳8カ月での優勝は、これまでの最年長記録を塗り替えた由。元大島親方(元大関旭国)も現在所属している友綱親方(元関脇魁輝)も感無量だったようだ。 優勝パレードでは、横綱白鵬が優勝旗を持って車に乗り込んでくれた由。同じ一門で、しかもモンゴルの大先輩の優勝は、自分の優勝よりも嬉しかったそうだ。38歳近い年齢で、まだ幕の内上位に居続けること自体が信じがたい。今場所はほとんど役力士と当たっていないラッキーさはあるものの、稽古で鍛え上げた強さは本物だったのだろう。 日本名は大島親方の本名をもらった太田勝。もちろん奥様は日本人で、子供も授かっている。その幼子の目に、父の優勝はどう映ったのだろう。友綱親方からは、後5年は土俵に上がれと言われたそうだ。頑張れ、旭天鵬。そして初優勝、本当におめでとう。 さて、今朝は金環食で日本中が沸いた。私も観測用の眼鏡を買おうとしたが既に売り切れだった。仕方なくサングラスを2つ重ねて観た。眩しかったが、何とか欠けて行く太陽が観られた。私が金環日食に近いものを初めて観たのは、確か56年前の松山でのこと。当時は「下敷き」や、煤をつけたガラスを透して観るようにとの指導があった。とても危険な観察だが、当時はそんな程度の認識だった。 仙台ではその時間が近づくにつれて空が暗くなり、気温が低くなった。やはり普通とは違う不思議な雰囲気。ソーラーの発電量は0.1kwまで下がった。これは雨の日と同じ最低量。ソーラーパネルも晴れとは違うと、ちゃんと認識したようだ。テレビでは一日中、この話題で持ちきりだった。日本で観測できる次の金環食は300年先とか。ちょっと私には無理みたいだ。
2012.05.21
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柿の若葉が芽吹いて来たその柔らかな葉を美しいと思う剪定が厳し過ぎたとの心配をよそに再び芽吹いた柿の若葉柚子の若葉も芽吹いて来た今年の冬は極寒でほとんど葉が落ちた柚子妻は再び芽吹くかを心配していたが私は復活を信じていた甘柿も柚子もこの地が北限とか彼らはその厳しさと戦いつつ昨年はたくさんの実をつけ私と妻を楽しませてくれた私はつい先日仕事を辞めた火曜日と金曜日は4時10分それ以外の平日は4時30分にセットする目覚まし時計を仕事のために使うことはもうないだろう50年も働き続けた体は草臥れ果て33年も走り続けた足は壊れてしまったそれでも少し休めばまた元気を取り戻すと思う豊後梅は小さな青い実を幾つか見せモッコウバラは垣根で薫っているゴーヤは蔓の先端を失ったが多分そのうち脇芽が延びるはずこの星で幾つかの命が生まれやがて幾つかの命が天に還る人はそれを運命と呼ぶのだろうが私は私に与えられた「時間」を楽しむ雨が上がり空はあくまでも青く心地良い風が吹く5月私は復活に向かって歩み出す
2012.05.20
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早朝から私が電話をかけていたのを聞いて、妻が起き出して来た。昨日の朝の話だ。私の体調が悪かったことを妻も知っていたので、直ぐに状況を察したようだ。血圧計で測ると上が180近い。疲労だけでなく血圧も上がっていたのだ。多分責任者に緊急電話をかけた時は、200ほどになっていたと思う。 午前中は静養に努め、自室で本を読んだ。今読んでいるのは司馬遼太郎著「北のまほろば」。連休のころ訪れた弘前城付近の石場家でたまたま耳にした本。「街道をゆくシリーズ」の第41巻だ。読み終えたら感想を述べたいが、石場家のお婆ちゃんも出て来た。どうやら茶目っ気たっぷりな人だったようだ。 昼食後はまだ片づけてなかったコタツに電源を入れ、少し眠った。これでかなり疲れが取れたかも知れない。雨の中バスで循環器内科に向かう。途中の坂が息苦しい。こんな短い坂でも動悸がするとは、かなり体力が落ちてる証拠。個人病院は結構混んでいて、診察まで若干待たされた。自動の血圧計で測定すると、上が140台。朝よりはかなり下がったが、まだ高目。 診察室でM医師に体調を話す。その前に入院していた病院から届いた手術の結果について、ドクターから説明。やはり今回の手術で完全に不整脈は治まったようだ。診察でも不整脈は出ていない。疲労の原因が糖尿病でないかを確認するため、血糖値を測定。食後の経過時間を考慮しても、特に血糖値に異常はなかった。と言うことは、勤務による疲労しか考えられない。 薬局でいつもの血圧降下剤をもらって帰宅。ドクターの説明では、これはもっとも弱い種類らしい。夕方、今後のことを聞こうと責任者に電話。たまたま上司も傍に居て、直接話をした。その結果、月末を待たずにこの日で退職することになった。パートタイマーの出勤簿は18日が整理の区切りなのだ。私の体調が悪いことは分かってくれた。きっと上司も申し訳ないとの思いがあったはず。これで何とか円満退職出来そうだ。 この会社に勤めてまる9年。前職が41年間の勤務だったため、半世紀を働き続けたことになる。前職の辞職も心身の不調によるもの。そして今の仕事はハローワークでようやく見つけたもの。還暦世代への求人はろくなものしかなかった。だが当時勤務状況が不安定だった息子の就職に、ひょっとして将来役立つことがあるかもと思って選んだビル管理会社だった。 人生の半分以上を働き、晴れて無罪、いや無職の身になる。来週の月曜日は先ず「金環日食」を観てからゆっくり現場に行くつもり。私物の片付けと仲間への挨拶と「退職願い」を出すためだ。仕事を辞めればブログのネタが一つ減るが、私に読まれるのを待ってる本もある。そして出来ればランニングを再開出来る「足」を、何とか取り戻したいのだが。
2012.05.18
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今日は早出の日。4時過ぎに起きて愛犬と散歩し、朝食を摂ろうとしたが食べられなかった。肉や魚がダメなのだ。無理やり納豆と生卵でご飯をかき込む。果物を食べ、血圧降下剤も飲んだが、体が言うことを聞かない。こんな体調で仕事をすることは危険。休むしかないと判断し、責任者へ電話連絡。だが5時半では早いのか、電話に出ない。オーマイガー!!暫くしてからもう一度電話した。寝惚け眼で起きて来た彼へ、事情を告げ、緊急に休むことを伝えた。 体調不良の原因は激しい疲労感。これはかなり前から続いていて、話もしたくない状態だった。責任者の彼にも窮状を訴えた。疲労の原因は4月から始めた火曜と金曜の早出。これが激務で、とても68歳の爺さんがする仕事ではないのだ。それでも会社の方針なので我慢した。その中で、私なりの改善方法も訴えたのだが、聞いてもらえなかった。 今日は管理職と会談の日。そこで今月末で辞職したいと願い出る予定だった。そこへも行けぬほどの疲労。我慢の限界はとうに過ぎていた。ウルトラマラソンをして来た私には、自分の体の限界が分かる。それで「SOS」のサインを出したのだが、ちゃんと受け止めてもらえなかったのだ。 この会社に入って9年。勤務時間数が短くなり、給料の単価が下がり、仕事の内容がきつくなった。わずかの手当てで激務をこなすことが馬鹿馬鹿しくもなっていた。3月まで同じ業務だった人が、上手く立ち回って楽な仕事をしてることも心が折れた原因だ。辞めるためには何らかの手続きがいるが、果たして今後どうなるか。中途半端な最後になるのを、自分でも潔しとはしないのだが。 さて、2度の入院と手術に関する保険会社の手続きを終え、保険金が振り込まれた。これは案外早かった。最初の入院に関する「限度額適用認定」関係の還付金は、振り込みまで後1カ月ほどかかりそう。結局退院から4カ月後だ。この2つを加えると、支払った額より多く戻されるが、これは外来分と諸経費で相殺される見込み。それでも日本の健康保険制度はありがたい存在。 ブロバイダーの変更から半年が過ぎたため、光テレビの分を解約することにした。これは初めから観ていないのだが、契約上止むを得なかった。今月中に書類が届き、来月から料金がさらに安くなるのが嬉しい。また自宅の建築から15年が経過し、「15年点検」と言うのを受けた。屋根、床下、外壁、基礎部分などどこにも異常がなかったようだ。 次は「20年点検」とか。どうやらリフォームでも利益を上げようとする魂胆のようだ。今回我が家が「ソーラーシステム」と「オール電化」に変わっていたことに驚いていた点検の担当者。住宅メーカーとは金額と工期が折り合わなかったのだ。請け負った業者からは関係書類が全て返って来た。個人情報保護のためだ。これだけ責任を持って処理してくれるとは嬉しい。個人経営の小企業も捨てたものではない。
2012.05.18
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ブログ友が送ってくれた本が届いた。第1陣が司馬遼太郎著「竜馬がゆく」全8巻。私はこれで十分だと思ったのだが、折角なので残りの本も戴くことにした。そして第2陣として届いたのが58冊。その内容は、山岡荘八著「徳川家康」全26巻、吉川英治著「新平家物語」全16巻、同「三国志」全8巻、同「私本太平記」全8巻。合計66冊の歴史小説はまさに圧巻そのもの。 ブログ友は少しずつ本を整理をしている模様。出来れば図書館に寄贈したかったようだが、ハードカバーでないため保存は不可能。そのため誰か引き取ってくれる人を探していた。そこで最近司馬遼太郎の歴史小説を読み出した私が名乗りを上げた訳。「竜馬がゆく」はテレビドラマ化され、私も観た。その原作を読んでみたいと思ったのだ。 私は長年日本の古代史や考古学関係などの専門書を中心に読んで来た。歴史小説の面白さに目覚めたのは、つい2年半ほど前。その大部分は古本屋で購入したもので、現在30冊ほど未読のものがある。それらと合わせれば100冊の本が、出番を待ってる訳だ。果たしてそれらにどんなドラマが秘められているのか、考えれば考えるほどワクワクする。 このブログ友と知り合ったのは3年以上前のこと。あるブログへのコメントを見たのがきっかけだったと思う。落ち着いた雰囲気のデザインと言い、文学的なタイトルと言い、その人のブログには全く浮ついたところがない。誠実な人柄が表れた文章、そして向上心を感じさせる内容のブログを、これまで3年以上見せていただいた。 今回初めて本当の名前を知り、住所を知り、書かれた文字も拝見した。すべてが予想した通りのものだった。丁寧に梱包された段ボール箱や、パッキング材代わりに詰められた新聞からも、その人の知性や人柄を感じた。ブログはネットを通じての、いわば「虚」の世界だが、今回は現実そのもの。これだけの本を、一体どんな気持ちで読まれたのだろう。 丁寧に扱われたことは本を観れば分かる。そして本当は手放したくなかったはず。そんな愛書家の心理は自分でも良く分かる。ブログ友の折角の好意を無にしないよう、そして著者の想いを感じながら、残された人生の友として読みたいと思う。 「私たち良く似てますね」。たまにこんなことをブログに書き込む人がいる。「どこが?」と私は問いたい。確かに日本人で楽天ブログのユーザーであるのは共通だが、訪ねてみるとそれ以外に似てる部分は少ない。その人の真意は自分のブログへの誘導みたいだ。また同じ文章を多くのブロガーに、一斉に送りつける人もいる。しかもブログの内容とは全く関係のない文章をだ。 これも我田引水の類。失礼な書き込みには返事しないのが私の主義だ。そして世に媚びず、自分の生き方と信念を守り、人に不快感を与えず、知性と向上心を感じるブログ、それが私の理想。私はそんなブログを訪れるのが楽しみだ。そして「虚」の世界が、時として「実」に変わる不思議さ。それを「縁」と言うのかも知れないが、これだからこそ人生は面白い。
2012.05.17
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「仙台国際ハーフマラソン」の翌日は病院に行った。不整脈手術の1カ月検診だった。2月に最初の手術を受けたのだが、1カ月検診の夜、薬を止めた途端に不整脈が起きた。あれはショックだった。気を取り直して2回目の手術を受けたのが4月半ば。今回も1カ月検診に先立って検査を受けた。胸部と腹部のレントゲン写真撮影、血液検査、24時間にわたるホルター心電図がそれ。 病院の駐車場まで行くと、「野球マン」がいた。彼は同じ日に手術を受け、同室だった仲間。体調は良いとのこと。70歳を過ぎた今でも「古稀野球」の常連だが、さすがに決まっていた全国大会へは出場しなかった由。この日は結果を聞くだけと思っていたのだが、心エコー撮影と心電図を撮った。予約しているのに、待ち時間が長い。 その間に「ショートマン」が来た。彼も同じ日に手術を受けた仲間で、奥様同伴だった。手術後も鼓動が安定しないと心配する彼。不整脈防止の薬を服用しているのにその体調では、再手術の恐れがありそうだ。「ゴルフマン」は後から来て先に帰った。何も不都合なことが起きず、1回の手術で不整脈が完全に治まったのだろう。 「野球マン」も私より早めに帰った。手術の2日後に不整脈が出た彼も、どうやら大丈夫だったようで笑顔だった。私が診察室へ入ったのは来院の5時間半後。結果はOK。全く心配がないそうだ。念のためドクターに血糖値のことを確認したが、血液検査には含まれてない由。するとM崎医師への「手紙」は、やはり転記ミスがあったのだろう。「ワーファリンも胃薬も止めましょう。これで納豆も食べられますよ」。 長い1年間だった。ようやく不整脈ともお別れだ。だが油断は禁物。不整脈は何かの拍子にひょっこり顔を出すことがあるらしい。帰宅して妻に診断の結果を話し、その日の夕食では1年ぶりに納豆を食べた。夜、四国に住む娘から電話。妻が検診結果を知らせたのだろう。「これで走れるね」と娘。「足が痛くて走れないんだよ」と私。 不整脈は治まったものの、足が痛むのでは日常生活にも不便。次はこれを何とかしたいのだが、目下どんな方法があるのかを思案中。そして深い疲労感に関しても何とかする必要がある。もう無理は出来ない身。そろそろ重労働からも卒業の時期かも知れない。「また遊びに来てね」と長女。四国に行く前に、東京で暮らす長男、次男の様子が気がかり。「親業」に卒業の2文字は無さそうだ。
2012.05.16
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レース後F田さんが私のところにやって来て言った。「応援ありがとう」。「まだまだ走れるじゃない」と私。「走れるね」。嬉しそうな彼は、数年前まではエリートレース「仙台ハーフ」の常連選手だった。だが1時間35分の参加資格が取れなくなり、以後は断念せざるを得なかったのだ。そして、彼を中心に結成されたのが「仙台ハーフ走り隊」。 これは「仙台ハーフ」をエリートレースから、より多くの人が参加出来る市民レースへの転進を訴えるもの。仲間と働きかけて市長に陳情し、仲間の市議が議会で提案するなどの努力が実り、今回が初めての市民マラソン開催となったのだ。だが、2月に宮城UMCの新年会があった際、彼はこんなことを話した。「自分はマラソンを止めようと思う」とU海さんに話した時、「まだ走れるんでしょ」と言われた由。 県内ウルトラマラソンの愛好団体である宮城UMCを立ち上げたU海さんは、目下闘病中。走りたくても走れない身なのだ。だからこそ走ろうと思えば走れるF田さんがレースに出ないのは、もったいないとの想いだったのだろう。その言葉で再び走る気力を取り戻し、今回は見事時間内でゴールしたF田さん。思うように走れない私だが、懸命に走る仲間の姿を見て、「何か」を感じた。 それにしても私が最初に応援していた6.5km地点で歩いていたランナーの多いこと。あれでは最初の関門である市役所前(7.7km地点)でリタイヤ扱いだろう。21km余のレースに出るのだから、せめて15kmは走れるくらいの練習をして欲しいもの。「仙台市の中心部を自分の足で走りたい」との思いは分かるが、レースを軽く考えるのはどうかと思う。 完走したランナーは、ゴール後に特製のバスタオルをもらう。そのバスタオルを肩にかけたランナーの姿を横目で見ながら、私は家路についた。3時間もの間大声を上げたせいか、腹はペコペコ。昼食後は愛犬のシャンプーに取り掛かる。妻が準備をして私の帰りを待っていたのだ。すっかり臭くなった愛犬を抱っこして風呂場へ。妻は暴れる愛犬を宥めながら、いつも通り上手にシャンプーをする。 夕方、四国の長女から妻に荷物が届いた。母の日のプレゼントは香川のお菓子と、青い色の服。それを見て、私は自転車に飛び乗った。買って来たのは少し値段が下がった鉢植えのカーネーション。それにマグロの刺身。そして愛犬用にはダニとノミを防止するシャンプーの詰め替え用。東京の長男と次男からは電話があったそうだ。夕食の食卓にマグロの刺身が載ったのは言うまでもない。 さて、東日本大震災を忘れないため、東京から仙台までランナーたちが駅伝でつないだニュースが今日の新聞に載った。約360kmの遥かなる旅だ。そのメンバーの1人に、同じ走友会に所属するS村さんの名前があった。彼は日本百名山を踏破する山男だが、100kmレースや山岳レースも完走する強者。ランニングを通じて社会にアピール出来るとは素晴らしいことだ。
2012.05.15
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「2012仙台国際ハーフマラソン」は、市民マラソンに衣替えして最初の大会。これまでは「国際」の名が示す通りエリート大会で、制限タイムも1時間40分程度と厳しかった。それが2時間半までに緩和され、参加人数も1万人までに拡大された。私も参加したい一心で、昨年のうちにエントリーを済ませたのだった。だがその後、不整脈のため2度手術をし、足の痛みもあって出走は見合わせた。 落ち込む気持ちを奮い起こそうと、敢えて走友達の応援に行くことをブログに書いた。問題はどこで応援するか。コースがこれまでと丸きり変わり見当がつかない。それでも西公園の立町陸橋が良いだろうと判断。そこはまだ6.5km地点だが、市役所前で折り返すため復路の9km地点でもある。「1粒で2度美味しい」とはこのこと。同じ個所で2度応援出来る可能性があるからだ。 家を出る寸前、手作りの旗を用意した。出来るだけ目立つように、オレンジの蛍光色のユニフォームを竹の先に付ける。これは宮城UMCのもので、仲間なら一目瞭然だろう。時間が迫ったため、マウンテンバイクでの山越えで向かう。陸橋の下に自転車を置き、陸橋の上に陣取ったまでは良かった。やがてパトカーを先頭に、トップグループがやって来た。 「陸橋の上で応援しないでください」。何とパトカーから思いがけない放送。仕方なく階段の途中まで下りた。トップと2位はギタウ(富士通)とジョロゲ(小森)か。3位が公務員ランナーの川内。ロンドンオリンピック代表の藤原は日本人の集団に紛れているようだ。結局藤原は17km付近の坂を利用して川内を抜き、2位でゴールしたようだ。 仲間のトップはAさん(南)、次いでS水さん(南)、I村さん(住)、M川さん(南)、O友さん(南)、S木さん(古)、Aさん(明)、S荘さん(住)、M黒さん(宮)、Cちゃん(住)、M仙人(南)、F田さん(鉄)、S藤さん(た)、A山さん(鉄)、K村さん(塩)、Eちゃん(南)。宮城UMCの長老O原さんは早くも歩いていた。最後に「Aさ~ん」と私の名前を呼んだ女性は誰だったのか謎。 もう折り返して来たランナーが多く、陸橋の反対側(9km地点)での応援を諦め、広瀬通りを直進してゴール地点に向かった。応援でごった返しているKスタへの大通りは避け、裏通りを急ぐ。Kスタのトイレ前に自転車を止め、陸上競技場の入口へ。トラックへの曲がり角へ無理やり入り、「シャツの旗」を振る。 もう仲間の何人かは帰って来たようで、私が見つけたのはS水さん、I村さん、Aさん(市)、G藤さん(市)、Aさん(明)、K野さん(南)、Dさん(南)、K合さん(宮)、S原さん(南)、M仙人、F田さん、UMC群馬支部2人、S藤さん、A谷さん(住)。ゴールでの制限タイム2時間30分を過ぎてもランナーの群れが続く。それらは16km地点の最後の関門を制限前に通過した人達だろう。女性が一人目の前で倒れ、暫く後で担架が運ばれて来た。ゴール寸前での事故だった。 長老O原さんは苦しそうに歩いてのゴール。6.5kmでも歩いていたが、良く最後まで頑張り、ここまで辿り着いたと思う。彼は確か76歳のはず。また私が見つけられなかった走友も多かったと思う。1万人規模なのと視力が悪いため、顔が良く確認出来ないのだ。そして一瞬のうちに走り去るから判断が難しい。 ともあれ今年のレースは終わった。だが来年の大会に出られるかは不明。出るためには仕事を辞めて足を治すしかないが、果たして治療が可能かは分からない。それでも最善は尽くしたいと思う。たかがランニング。されどランニング。33年間も走り続けて来た想いは、まだ完全に消えてはいない。
2012.05.14
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今日は「仙台国際ハーフマラソン」の日。本来ならたくさんの仲間が走るレースのことを書くべきだと思うのだが、まだ書いてない気になることを、この際書いておこうと思う。その第一は先日大きな被害を出した「竜巻」のこと。正確に言えば、竜巻で被害を受けたあの集落のことだ。あそこは旧筑波郡北条町。筑波山の麓の町で、筑波山に登る時は必ず通るところなのだ。 今は学園都市と合併して「つくば市」になっているが、あの町は筑波山神社の門前町で、街道沿いの静かな町だった。私は自転車の前後に幼い子供2人を乗せて、20km先の筑波山に行ったこともある。まだ30代だったころの話だ。そしてあの町にあった印刷屋さんを訪ねたこともある。仕事の関係で頼んだ印刷が間に合わず、手伝いに行ったのだ。あそこであんな大きな被害が出たとは驚ろきだ。 猫ひろしのオリンピック出場がダメになったようだ。よその国の人を巻き込んでの騒動はやはり感心しない。例えオリンピック出場にかける気持ちが真摯でも、自己責任だけで済まないからだ。女子ボクシングでの出場を狙っていたしずちゃんの方もピンチらしい。次の試合で決まる出場枠が8人ではなく、たった1人になったため。そこで優勝するしかないが、なかなか前途は厳しそうだ。 俳優の香川照之が歌舞伎役者として再出発する話は聞いていたが、先日浅草で「お練り」があった由。つまりこれは襲名挨拶を兼ねた顔見世みたいな行事だろうか。彼が襲名するのは市川中車。きっと由緒ある名前なのだろう。一緒に歌舞伎デビューを果たす息子の話によれば、「パパは緊張して眠れず、お酒をのんでばかり」とか。道理で顔色が悪かったはず。何とか頑張って欲しいと祈っている。 このところ調子が良いわが東北楽天。昨夜も勝って4連勝。とうとう「借金」がなくなった。これは昨年の5月以来の由。大リーグに行った岩隈、故障中の田中とラズナーを欠いた中で、良く頑張っていると思う。率いる星野の監督としての通算勝ち星が千勝に達した。投手出身としては初めての快挙とか。昨夜も勝ったので1001勝。つまり名前(仙一)と同じ勝利数に達したのである。先ずはめでたい。 昨日は気になっていた畑仕事をした。つまり野菜の苗に本格的な支柱を施したのだ。これがなかなかの手間。今回の対象はトマト、モロッコインゲン、ゴーヤ、キュウリだけだが、ネット張りも含めて4時間はかかった。これで風の被害を受けることもないだろう。残されたナスやミニトマトは、まだ仮の支柱で十分。後は挿し木したイチジクが根付くかどうか。農作業は収穫が楽しみ。野菜たちは正直だ。
2012.05.13
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連休中に映画を観た。「わが母の記」は妻と一緒に観たが、「ももへの手紙」は1人で。これはアニメ。妻に聞いても多分興味を示さないと思ったのだ。私が映画を観るポイントは「予告編」の印象。その時のわずかな時間で、観たいか観たくないかを判断する。もう1つのポイントは映画好きのブロガーの評価。良い映画とのコメントがあれば、判断の参考になる。 私は特にアニメに興味があるわけではないが、良いものは観たい。前回観たアニメは「コクリコ坂から」だった。悪くはなかったが、「絵」が稚拙だと感じた。その点、「もも」は違った。「絵」がしっかりしているし、ストーリーにも共感が持てた。テーマは家族愛。登場人物(?)がちょっと奇抜だが、違和感はなかった。 「しまなみ海道」が走る瀬戸内海の島々は懐かしかった。私はかつての宇高連絡船をはじめ、尾道~今治航路、堀江~仁方航路、松山~広島航路、松山~柳井航路など、四国と中国地方を結ぶ航路に何度も乗っている。それに「しまなみ海道」は100kmレースで走った。だから嵐の夜に今治までバイクで突っ走る個所では、レースの模様が蘇った。 連休中には床屋へも行った。ポイントが溜まって今回はタダ。髪を短めに切って走り易くなったのに、肝心のレースには今回も参加出来ない。さて、最近町内でちょっとした騒動があった。ある時、パトカーが3台も来たのだ。後日その家の方に聞いたら、変な電話がかかって来たらしい。「俺はやくざだ。警察に連絡したらとんでもないことになる。黙って言うことを聞け」。 新たな手口の「オレオレ詐欺」と直感し、もう1台の電話で110番に通報したと彼女。雰囲気を察した「賊」は慌てて電話を切ったそうだ。ご主人が長らく外国出張中なので、心細かったはず。幸いそれ以降、変な電話はかかって来ない由。また別な日、子供会用に集めているリサイクル資源を、勝手に持って行った業者がいたそうだ。 今中国では古紙もアルミ缶も、高値で売れるようだ。特に日本のリサイクル資源は、ちゃんと仕分けしてあるため重宝されている由。実は私が先月出したリサイクル資源が、夕方には収集場所から消えていた。引き取り前日に出した私が悪いのだが、これまでそんなことはなかった。困ったことだ。 町内会も構成員が高齢化し、役員の大部分は70歳を超えている。先日の日曜日は町内会の草刈りの日。この頃はなんだかとても疲れてしまう。それでもバス停前に、花壇を作ろうと張り切っている役員の人達。町内会の仕事は体力的にあと10年も持たないのではないか。これまでそんなことを1度も感じたことはなかったのだが。
2012.05.12
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連休前後の関心の一つは、走友達の動向だった。前にも書いたが、この期間中は距離の長いウルトラレースが各地で開催されている。それらに参加した走友の結果はどうだったのかが、どうしても気になっていたのだ。私は携帯電話もないし、それを行使して連絡を取り合うこともない。結局はブログやネットを通じて消息を知るためかなり時間を要するが、「やきもき」するのもまた「恒例行事」なのだ。 「さくら道ネイチャーラン」に出場したりゅうたさんは、残念ながら165km辺りでリタイアしたようだ。名古屋から金沢までの250kmのレースだが、彼はこれまで30時間以内で完走している。今回は仕事の関係であまり長距離の練習が出来なかったのだと思う。HPも簡単なブログに変わっていたからだ。奥さんのおさるちゃんと幼い息子も応援に行った由。パパの勇姿が2人の目にどう映ったか。 距離270kmの方の「さくら道」がなくなったため、今年は自分一人でそのコースを辿る「一人さくら道」を試みた走友が何人かいたようだ。滋賀のOさんは、もう何年もこのコースを1人で走り、それを文章に残している。千葉のぼくし~さんは直前に台湾に行き、帰国した直後の「一人さくら道」だったようだ。星峰さんはコースの途中で災難に遭った由。フルコースではなかったようだが、3人とも旅を楽しまれたのではないか。 東京から新潟までの「川の道」520kmに挑戦したのがK彦さん。前回は思わぬトラブルでリタイアとなったが、今回は見事完走した。私は開催団体のHPで毎日のように確認していたのだが、なかなか最新情報が載らずに心配だった。彼の肉刺(まめ)だらけの足は、銀のねこさんのブログで観た。ゴールの少し手前で、新潟の走友達が私設エイドを開いて待っていた由。彼女はそこからゴールまで伴走しようと思っていたようだ。 「走る落語家」三遊亭楽松師匠も見事ゴール。彼のブログには携帯から投稿した最新情報が載るため、それも手掛かりになった。だが彼のゴールは新潟ではない。再び520kmを走ってスタート地点まで往復するのだ。帰路は飲酒運転の犠牲になったウルトラランナーを偲び、「飲酒運転撲滅」を訴える一人旅。何と言う心の強さ。何と言う心の広さ。同じ人間とは思えない行動力に脱帽だ。 「萩往還」250kmに挑戦したT田さんは体調不良で途中リタイヤとなったようだ。一度は完踏したものの、昨年も東日本大震災の影響で練習不足となり、リタイヤだった。今回で萩往還は最後と、彼のレポートにある。食べたものを全て吐く体調の中でもゴールを目指し、写真を撮り続ける「戦場カメラマン」。その写真を今回も送ってくれた。彼はそんな優しい男だ。 同じレースに宮城UMC仲間のK藤さんも挑戦したようだ。彼女の結果は定かではない。ただ、T田さんのレポートによれば、立派なレースだった由。もしリタイヤしたとしても多分200km近くまでは行ったはず。何故なら206kmの「佐渡島一周」を何度も走破してるからだ。何を感じながら彼女は暗い夜道を走り続けたのだろう。不安と戦いながらの挑戦に敬意を表したい。 さて、私は今日「仙台国際ハーフ」の受付に行った。制限タイムが大幅に緩和され、喜び勇んで初参加のエントリーをしたのだが、残念ながら足の痛みには勝てなかった。今回は参加賞をもらうためだけの受付。多分10kmは行けるだろうが、無理をすれば主催者に迷惑をかけてしまう。折角2度の不整脈手術を受けて臨んだのだが、来年再び参加出来るかは分からない。当日は大勢の走友達を応援出来る場所を見つけ、大声でエールを送りたいと思う。
2012.05.11
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≪ 弘前城さくら紀行ー4 ≫ 「北のまほろば」には石場家のお婆さんが登場するらしい。「お婆さんはお元気なんですか」と尋ねると、「もう亡くなりました」との返事。教えてくれたのはお孫さんみたい。本当に残念そうな口ぶりに、深い家族愛を感じた。50巻にものぼる司馬の「街道をゆくシリーズ」は、30年ほど前の著作なので、亡くなっていてもおかしくない年齢だ。 同じシリーズの「陸奥の道」によれば、青森県東部の八戸南部藩と、西部の弘前藩とは仲が悪かったようだ。元々津軽の支配者は安東氏。戦国時代には南部の支配下となったが、南部の支族である大浦氏が最終的に手中に収め、以後津軽氏を名乗る。明治には両藩不仲の影響で県庁を中間の青森に置いた由。弘前藩は最大10万石だったが実質上は4万6千石。それにしては城郭が巨大過ぎる。 石場家を辞し、濠沿いに集合場所の「津軽藩ねぷた村」まで戻る。その街角に花木。「お父さん、リンゴの木だよ」と妻。なるほど白い花は紛れもなくリンゴ。きっと観光客へのアピールのため、わざわざ街中に植えたのだろう。弘前城、岩木山と共に、リンゴもまた津軽地方の人々の心の拠り所なのかも知れない。「りんご追分」など、美空ひばりの名曲が幾つもある。 ああ津軽 林檎も城を向きて咲く (ねぷた村) 有名なねぶた祭りだが、青森では「nebuta」と発音し、ここ弘前では「neputa」と半濁音。やはりそれぞれに「こだわり」があるようだ。この「ねぷた村」で暫し買い物。名物の「ニシン寿司」や「タケノコ寿司」、リンゴなどを買った。リュックがずっしりと重たい。 帰りのバスは連休の洗礼を受けた。ちょうどUターンの真っ只中だったのか、岩手県の前沢SAを先頭に約30kmの渋滞。結局仙台に着いたのは10時を過ぎていた。ところが乗って来た自転車がない。どうやら「始末」されたようだ。幸いにも付近を捜したら見つかった。11時から愛犬の散歩を済ませ、風呂に入る。ああ疲れた! 石場家で買った日本酒を飲んで寝ようとしたのだが、急に一句浮かんだ。それをきっかけに起き出し、弘前城の地図を眺めながらヘボ俳句作りに没頭した。季語もヘチマもない自己流の俳句。それでも20句ほど書き留めてようやく床に就いた時は、既に1時を廻っていた。探していた「北のまほろば」を自室の片隅で発見したのは、それからさらに4日後のことだったのでR。<完>
2012.05.10
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≪ 弘前城さくら紀行ー3 ≫ 通称「桜のトンネル」は凄い混雑。狭い道を大勢の人達が北へ南へ歩を進める。その中には黒人や金髪の女性など外国人も。それだけ弘前城の桜が有名な証しみたいなものだ。陽気な彼らはソフトクリームを食べながらはしゃいでいる。そして西濠には何艘ものボート。桜の木の下を漕ぐ気分はどんなものだろう。 外(と)つ国の人和みたり 花の径(みち) (桜のトンネル) ボート漕ぐ お濠に添ひし花の列 (西濠) 春陽橋の辺りで桜が途切れ、岩木山の麓が見えた。中腹から上は黒い雲に隠れている。弘前城と共に岩木山は、津軽の人にとって誇るべき宝物と聞いたことがある。ずんぐりした山容で標高は1625mあり、地元では親しみを込めて「お岩木山」と呼ばれるが、「津軽富士」の別名もある。津軽出身の作家、太宰治も幼少のころから万感の思いでこの山を見続けたはず。 春憂の 雲垂れ込めて 津軽富士 (桜のトンネル) 春急ぐ 太宰の嘆き 知らぬ気に (桜のトンネル) 波祢橋は赤く塗られた小さな太鼓橋。そこを渡って再び北の廓に入る。ここと本丸が有料ゾーンだが、チケットを見せれば何度でも通行出来るシステム。観光客が何か黒いものを齧りながら歩いている。真っ黒の不思議な物体は、どうやら売店で売ってるコンニャクのようだ。そして特売中のリンゴを今回も味見する。 花見客 黒き蒟蒻喰らひつつ (北の廓) 北の廓 花散る下の 林檎売り (北の廓) 東口から出ようとして、廓の奥に木製の展望台のようなものを発見。あれは何だろう。むくむくと好奇心が芽生え、どうしても観たくなる。説明板によれば、階段の左側は玄米を保存した「籾蔵」の跡で、階段を登った土手の上は「子(ね)の櫓」跡らしい。ここは花火の不始末で消失したとあり、基礎の石組が残っていた。それを藪椿の花が静かに見守っている。 焼け落ちし 櫓の跡や 藪椿 (子の櫓跡) 賀田橋を渡って四の丸へ。右手には広大なグラウンド。前に来た時はその周囲も走った。これだけの空間が城内にあるとは不思議。昔は馬場だったのだろうか。直進すれば北門(亀甲門)だが、大変な人混みで自由が効かない。焼き鳥を焼く香ばしい匂いや、賑やかな呼び込みの声。両側にずらりと売店が連なり、その中に「お化け屋敷」やオートバイの曲乗りの小屋が並ぶ。それが喧騒の源だろうか。おまけに足が痛んで来た。悲しいかな、歩きで足が痛むようでは、レース復帰はとても無理。 匂い 声 雑踏 酔客 城の春 (四の丸) 痛む足 引き擦りて見ゆ 花の城 (四の丸) ようやく雑踏から抜け出し、北門へ出た。他の4つの城門が太平の世になってから築造されたのに対し、この最大の門は他の城から移設され、唯一実戦の痕跡が有るらしい。堂々たる風格はそのせいか。昔はこちら側が追手門(大手門と同義で正門)だったようだ。北端の濠に架かる亀甲橋を渡ると城外。その正面に由緒ありげな古民家があった。 濠端の 民家ゆかしき 五月風 (石場家住宅) 江戸時代は津軽藩内のわら工品や荒物雑貨を商っていた豪商、石場家住宅がそれ。重要文化財だが、今も酒や煙草を扱い、人も居住している。元々の部分は1700年代の建物で、修繕に1億円ほどの経費を要したと言う。中に入るとかなりの広さ。「通り庭」と呼ばれる土間やかまども残り、板の間には囲炉裏があった。その上には屋根裏部屋もありそうだ。黒光りした太い柱が見事。 表の店に戻ると、利き酒のコーナー。意地汚なく各種の日本酒を飲ませてもらった。「ただ酒」だけでもどうかと思い直し、地酒の「ワンカップ」を購入。壁に作家司馬遼太郎の名刺が飾られていた。住所は東大阪市。彼の自宅だ。「どうしたの?」と聞いたら、「街道シリーズ」で取材に来たらしい。「北のまほろば」として出版された由。私はまだ読んでないが、急に親しみが湧いて来た。 葉桜や 作家の名刺 ぽつねんと (石場家住宅) <続く>
2012.05.09
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≪ 弘前城さくら紀行ー3 ≫ 左手に東内門が見える。堂々たる構えの門だ。その門を潜って外へ出ると左右に濠が見える。中濠と言うらしい。弘前城は東側から順に、外濠、中濠、内濠と三重の濠に囲まれている。そして本丸の西側には蓮池と西濠。その中濠に散った桜の花弁が列を連ねている。いわゆる「花いかだ」だ。桜は散ってもまだ絵になる。 花筏 浮かびし濠の深きこと (中濠) 水が濁っていて濠の深さは分からないが、石垣が高いため濠が深く感じられるのだろう。再び東方門から二の丸に戻る。「日本一古いソメイヨシノだってよ」と妻。なるほど与力番所横に曰くあり気な古木。植えられたのは明治15年(1882年)と言うから今年で130歳。寿命を既に50年ほど越えている。上部は朽ち果て、脇から数本の枝が延びた姿には妖気が漂う。 番所在り 世紀を超へし 桜かな (二の丸 与力番所) 本丸方向に進むと珍しく白い色の桜。その花も散りかけだ。さらに行くと、右手の濠の上に三重の小さな天守閣が見え出す。本来の天守閣は五重の立派なものだったようだが落雷で消失し、その跡に城内の櫓を移設した由。大きな城には似つかわしくない可愛い天守閣は、見ていても微笑ましい。 行く春や 白き桜も 散り初めし (二の丸) 花陰に 櫓と紛ふ 天守かな (本丸) 下乗橋を渡って本丸へ向かうと、何やら列が出来ている。どうやら天守閣を見学するための順番待ちみたい。30分から1時間待ちとのこと。残念だが外から見るだけにする。 人混みの 枝垂れ桜や 天守閣 (本丸) 鷹丘橋を渡って北の廓へ。瓦屋根の大きな建物は明治期になってから建てられた武徳殿。即売のリンゴを齧りながら東口を出、再び二の丸を南下する。2度目は土の道を行った。降り積もる桜の花弁。花の絨毯を踏みしめる。 花弁(はなびら)の 踏まれし果てや 泥濘(どろ)の色 (二の丸) 東南隅の辰巳櫓を仰ぎ、南内門から一旦外へ出て杉の大橋を見る。再び戻って南の廓を経由し、桜のトンネルへ向かう。蓮池と西濠の間の狭い堤。両側には桜の並木が続き、西濠の土手にも桜。弘前城には2600本の桜が植えられているようだが、その数の物凄さに圧倒される。 桜樹も二千六百 弘前城 (桜のトンネル) <続く>
2012.05.08
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≪ 弘前城さくら紀行ー2 ≫ 仙台駅から乗るはずの人が乗らないと添乗員が会社へ電話している。バスは13分遅れで次の集合地点へ向かった。だが添乗員が座席を廻ると、どうやらその人も乗っていたようだ。これは単なるチェックミス。本来なら人数を数えれば分かると思うのだが、どうも何かがおかしい。高速道路に入ってからも、添乗員は弘前城の桜の話を一切しない。「ははあ」。私は何かを予感していた。 妻は初めてだが、私は弘前城の桜を前に見たことがある。会議が弘前で開かれた時にホテルから走り、城内を一周しながら桜を見たのだ。人口の割には城が大きく、桜の本数が多いのに驚いたものだ。例え今回が「外れ」でも、一度見てるだけマシと思うしかない。そして、眺望に変化があり、歴史がある平泉では俳句は作れたが、今回の弘前では無理だと諦めていた。 ついでながら私がこれまで走った中で、桜を楽しめたマラソンは「長野」と「熊谷」だった。「長野マラソン」のコースは千曲川に沿い、有名な川中島の古戦場近くに桜がまとまって咲いている。この周辺には桃畑と菜の花も多い。ピンクと黄色の春の色を満喫し、遠くには雪を戴いた中央アルプスを望める最高のコースだった。 また「熊谷」は、正式名が「熊谷さくらマラソン」と言うだけあって、桜が見もの。荒川の土手に沿って桜並木があり、ランナーはその花の下を走ることになる。これだけ桜を身近に感じるレースは珍しいと思う。「かすみがうら」も4月だが桜は既に散り、22km付近の民家の梨の花くらいしか印象にない。 バスは一路東北道を北上する。宮城県内はまだ天気が良い方。大雨で氾濫が心配された大和町の吉田川も、流れはかなり落ち着いていた。山は今新緑に包まれ、芽吹きの微妙な色合いが美しい。この季節ならではのものだ。帰宅してから作った俳句を文章に添える。 東北道 バス新緑を追ひかけて 岩手県に入ると雲が広がり、やがてポツリポツリと雨がフロントガラスに当たり出す。退屈なので新聞を読む。北上、花巻を過ぎ、さらに盛岡を過ぎると岩手山が見えて来る。標高2038mの秀麗な山は、見る方向によって様々に形を変える。西根IC辺りでは、新緑の山の上に突き出る真っ白い山容が、目に飛び込んで来た。岩手を代表する名山で通称岩手富士。 山笑ふ 中に真白き 岩手富士 安代JCTで八戸道と分岐。バスは幾つかのトンネルを抜けて秋田へ向かう。県境付近から道はどんどん下る。鹿角など山間の街を抜け、さらにトンネルを潜るとようやく青森県だ。かつて三内丸山遺跡を観に行く際にこの辺りの温泉に泊り、ダムまで走ったことがある。11時半。配られた弁当を食べる。弁当屋は一流だが、内容はどうしようもないほど粗末。コンビニ弁当でもこんなケチなものはない。 弘前が近づくと、添乗員はようやく弘前城の桜について説明を始めた。堀端の桜は既に散ったが、城内の枝垂れ桜や八重桜はちょうど見ごろ。またお堀に浮かぶ桜の花びらが見事とのこと。その他駐車場と有料ゾーンの観覧チケット、見るべきポイントなどの説明あり。不必要な荷物はバスに置き、これから3時間の自由時間となる。添乗員がチケットを買う間、私がツアーの旗を持った。 城内は大変な人ごみ。狭い通路にたくさんの出店が並んでいる。今日が桜祭りの最終日。道理で観光客が多い訳だ。迷子にならないよう妻が私に着いて来る。最初の角を左折し、二の丸方向へ歩く。城内には5つの城門と3つの隅櫓があるが、全て築城当時の物で重要文化財の由。最初の丑寅(うしとら)櫓が左手に見える。 花の下 人往き交ひし 古城かな (二の丸) <続く>
2012.05.07
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≪ 弘前城さくら紀行ー1 ≫ 東北の春は一気に色んな花が咲くから忙しいのでR。きっと人間と同様に、植物達も春を待ちわびていたのでR。梅が咲いたと思ったら、桜や桃も追いかけるように咲く。福島県に三春町というのがあるが、三つの春とは「梅」「桜」「桃」のことらしい。それはともかく、我が女房殿は中でも桜が好きで、春になると桜を観に行かないと落ち着かないようだ。それにお相伴するのも私の勤めなのでR。 さて転勤族だった私は、全国各地で桜を愛でた。沖縄の桜は台湾原産の「緋寒桜」。これが1月には咲き出す。濃いピンク色の花で下向きに咲くのだが、とても長持ちして1カ月ほど咲き続ける。だから2月の「沖縄マラソン」のころもまだ見られる。本土の「彼岸桜」と区別するため「寒緋桜」と言い換えているが、可憐な花である。 四国の松山勤務時代は松山城へ何度か登った。天守閣のある山頂に、梅や桜がたくさん植えられていて、その季節になると大勢の人が押し掛けるのでR。城も名城だが、花も素晴らしい。そして俳句の街だけに、各所に「俳句用のポスト」が置いてある。一句ひねったら、それをポストに投句するシステムだ。「春や昔 十五万石の城下かな」。高浜虚子の句だったと思う。 大阪勤務時代は良く妻と京都へ出かけた。神社仏閣など、桜の名所がたくさんある。初めて緑色の花の桜を見たのは確か醍醐寺だったろうか。あれには驚いた。また奈良の吉野は古来からの桜の名所。前千本、中千本、奥千本と、全山を覆う桜には圧倒された。千年にも亘って作られた景観は、日本人の精神構造を垣間見る想いだった。 帰郷後は、専ら東北の桜を観に出かけている。山形県の「東置賜桜回廊バスツアー」では、1200年以上もの古木の桜を何箇所かで観た。現在主流のソメイヨシノは江戸時代に作られた品種で、寿命は80年程度と言われている。1200年以上も前の桜は確か「江戸彼岸」とか呼ばれていたように思う。奈良時代に人々はどんな想いで桜を植えたのだろう。 福島市の花見山は、桜をはじめとする各種の花が咲き乱れ、文字通り「花だらけの山」。数十年前に1人の植木屋さんが自分の山に桜を植えたことがきっかけとのこと。その後賛同者が増え、今では周囲の山々にまで花が拡がった。北海道富良野のシバザクラはやや平板だが、こちらは立体的な壮観さ。千変万化の花の色は目を奪う。 岩手県の平泉も良かった。まだ世界文化遺産の登録前だったが、この地に極楽浄土を再現しようとした奥州藤原氏4代の栄華が偲ばれた。西行法師が平安時代に訪れて詠んだ歌碑が建っていた。それに触発された訳ではないが、この旅で私は30幾つかの俳句を作った。義経が討ち死にした高殿の八重桜など、東北の古代史と共に印象に残った。 さて、今回の「弘前城のさくらツアー」は、1カ月ほど前に申し込んだ。桜の場合、ツアーの日程に合わせて咲くとは限らず、開花が天候に強く左右されるから難しい。「桜前線情報」を頻繁にチェックしたのは当然だが、今回は前線通過に伴う強風と大雨で、予想が覆された。現地の天気はどうか。それより何より、桜はまだ残っているのだろうか。あまり期待もせずに私は観光バスに乗ったのでR。<続く>
2012.05.06
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これからバス旅行に出かけます。行き先は青森の弘前城。桜の名所なのですが、今回の低気圧通過と大雨で、すっかり無残な姿になったのではないでしょうか。おまけに現地は雨模様。気を取り直して行って来ますね~。帰宅は夜遅くになるため、今日のブログの更新はこれでお終いです。では、では~!!
2012.05.05
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≪ 語感を楽しむ ≫ 昨日からの大雨で、宮城県内では7000人に避難勧告が出されたみたいだ。長距離レースに参加した走友達もこの悪天候で苦戦したのではないか。さて、私は雨でも退屈しない。本も読めるし、文章も書ける。少し前の「花の名織り込みジョーク」が意外に面白かったので、第2弾を考えてみたのでR。そして花の名前が分かりさえすれば、もっと作れると思うのでR。 ガンモドキよりウメモドキ 道路工事か ヤブコウジ 姥桜より シバザクラ 太股 ハナモモ 色っぽい シラン シュンラン 酒乱気味 ヒマワリ 夜回り 朝帰り レンギョウ 残業くたびれて 部屋のスミレで あくびする タンポポ 湯たんぽ 春が来た リンリン スズラン 朝の風 ヤグルマ くるくる 風車 針がグルグル トケイソウ ガーベラ 靴べら 臭う足 イチハツ 臭い屁 スカシユリ あわてて冷や汗 カキツバタ ハスに構えた 良い男 それに見とれる 虞美人草 愛のアカシア サザンカの宿 お金は リラで払います エビネ シャコバは 寿司ネタで マロニエ 生煮え 食えないよ ウメ~料理で 腹いっぱい 代金支払う キンセンカ お金が少し アマリリス アリババ 重馬場 サツキ賞 テッポウユリは 飛び道具 羊はメ~だが ツツジは無言 ヒトリシズカに 咲いてます 鳴いて血を吐く ホトトギス アサガオ横向き 知らん顔 お前さっさと ユキヤナギ 俺はかっかと イカリソウ そんなのざらだよ ニチニチソウ 立派な名前を シュウメイギク それをひがんだ ヒガンバナ カワラナデシコ 変わらずに アシビに 西日が当たったよ 東北良いとこ 一度はおいで ネエちゃんきれいだ 花盛り 今回は出来るだけ五七調に整え、しかも「物語性」を出して見たのですが、出来栄えはどうだべ? なお、明日はバス旅行のため朝から出かけ、帰宅は夜遅くなります。行き先は ヒ・ミ・ツ
2012.05.04
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≪ 山菜採り ≫ 連休中の楽しみの一つが山菜採りでR。今年も早速探しに出かけた。愛犬との朝の散歩を利用するのでR。ところが何だか様子がおかしい。いつもの場所にいつもの「獲物」が見当たらないのでR。ある土手のタラの芽。これは1本残らず切り倒されていた。多分昨年の大震災後、防災対策の一環として「整備」されてしまったのだろう。お~の~!! 仕方なく次の場所に移動。あるマンションの土手にフキが生えている。ところが冬が厳しかったせいか、今年はまだ小さいのでR。それでも何がしか収穫を持ち帰るのが私の方針。小さなフキを15本ばかり切り取った。次の移動先は山ウドのある土手。ところが何とここでも1本の山ウドすら見当たらない。あれほど立派なウドが獲れた「秘密基地」も、整備されてしまったのだ。お~の~!! ガックリ来て家路を急ぐ途中、ある土手にニョッキリ生えているものを発見。実に見事なワラビが私を見て微笑んだのである。これは採って欲しいと訴えている。そう確信して9本のワラビを切ったのでR。フキは我が家のも加えた。その夜、フキとワラビの煮物が食卓に上った。春の味に混じって、ちょっぴりセシウム臭がしたのは気のせいだろうか。 ランニングの途中に河原で「ニガナ」を見つけ、何本か手折った。少し苦味があるので勝手にそう呼んでいる。これは昼食のソバに入れて食べた。別な場所にフキがまだ残っているのを確認。ここも工事でかつての群落が消えた。なお、我が家にはニラ、アシタバ、ミツバ、ハナワサビ、山椒などが生えており、随時採って食べている。≪ 自転車 ≫ 我が家の公用車は自転車なのでR。女房は電動アシスト付きで、私のはマウンテンバイク。私が連休期間中に出かけたのは運転免許センター、Kスタ、美術館、映画館、買い物など。これで80kmは走ったはず。さほど負担をかけず脚の筋肉と心肺機能を鍛えられるし、ほとんどパンクしないマウンテンバイクはとても重宝。天気が良ければ遠出する予定だったが、悪天候に勝てないのが唯一の弱点なのでR。≪ 読書 ≫ わが暮らしは晴耕雨読そのものでR。晴れれば畑や庭の世話、雨が降ればパソコンで日記を書いたり、本を読むのが日常。目下読んでいるのは司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズ第5巻の『モンゴル紀行』。彼がモンゴル語専攻であることは知っていた。モンゴルは井上靖の『蒼き狼』の舞台だが、この紀行文でどう扱うか見もの。 司馬の著書には結構過ちがあると聞く。『馬上少年過ぐ』では伊達政宗の生母が最上へ逃げ帰ったままと記されていたが、実際は再び仙台へ帰って晩年を過ごしている。また『故郷忘じがたく候』では薩摩焼作家を先祖伝来の朝鮮名しかないように記しているが、実際は日本名を持っている。それでも文化勲章作家の著書を通じ、歴史観や文明観や人生観を学べるのが嬉しい。この雨で、かなり読めると期待しているのでR。≪ 家事 ≫ 連休前に急に気温が上がったのでR。このため暑がりの私は、冬ものから春ものに着替えたのでR。布団も分厚い冬用から少し薄いものに変える予定。コタツ布団はまだ片づけてないが、電源は入れなくても良くなった。生地の薄いパジャマが寝心地が良い。雨天でソーラーは発電しないと思いきや、わずか0.1kwだが動いている。それを見て「頑張ってるね」と女房が喜ぶのでR。私は雨が止んだら床屋に行く積り。ポイントが溜り今回は無料なのでR。ワハハ。
2012.05.03
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≪ ランニングは人生の相棒 ≫ 連休はランナーにとって嬉しい季節なのでR。何しろ時間はたっぷりあるので、天気さえ良ければ走りに出かけてしまうのがランナーという種族なのでR。この時期は距離の長いレースに多くの走友が参加している。連休前の「さくら道ネーチャーラン」(250km)、そして連休に入ってから520kmの「川の道」や250kmの「萩往還」などがそうだ。 ところが残念ながら吾輩は走れない。不整脈は2度の手術で大人しくなったが、アンヨが痛いのだ。どれくらい痛いかと言うと、痛まないのは右足が空中に浮いている時だけという厳しさ。着地がダメで、歩くだけでもアンヨが悲鳴を上げていた。これではカモシカと呼ばれたかつての名選手もどうすることも出来ない。ハハハ。これは全くの嘘で、タダの鈍足爺が正しい姿。 ところが天祐(天の助け)はあるもので、4月29日(日)の朝目覚めたらアンヨが痛まない。これは嬉しい。早速走ろう。新聞に載っていた両足のアーチを保護するテーピングを施し、右のアンヨにサポーターを着け、シューズの中には軟らかいインソールを入れ、万全の態勢で走りに出かけた爺であった。 向かった先は近所の公園。朝の6時前だと言うのに、もうブルーシートを持った人が繰り出している。ここは桜の名所。寒さが厳しかった今年は桜の開花が遅れたのだ。芝生の広場を越えて公園を遠回りに一周する。ソメイヨシノはおろか、しだれ桜、八重桜も見事。ここは20種類以上の桜が植えられている。そしてブナ林の一角には咲き遅れたカタクリも。 可憐なタチツボスミレの群落を過ぎ、杉林の小道から再び芝生の広場へ。若干舗装した道はあるが、大部分は芝生と土の道なので、壊れかかった足には優しい。1周約800mを10周する予定だったが、疲れを感じ7周で切り上げた。往復10km程度に1時間30分以上もかかったが、退院後初めてのランはこんなもの。帰宅すると新しいシューズが泥んこ。芝生が朝露で濡れていたのだ。 午後は新しく出来たスポーツ店に行った。開店記念バーゲンで何か安売りしてないかを確かめるためだったが、ほとんどが定価。女房だけ安価のランニングシューズを買い、私は別の店へ行き、予約していたシューズを受け取った。併せて足首用サポーターも購入。翌日はそのシューズとサポーターを試すためのランニングとなった。 向かったのは11kmの川沿いのコース。私を追い抜いて行った小父さんが途中で止まった。シューズはサッカニー製。底は割と薄いが、服装を見れば素人。走る距離とペースがまだつかめておらず、きっと息が続かなくなったのだろう。久しぶりのこのコース。春の小川に沿って走るのは実に爽快。前日よりはペースが上がったがまだまだの状態だ。 2回の試走で心肺機能には問題ないことが判明。問題はアンヨの痛みが出るかどうかだけ。じっくり鍛え直して調整が上手く行けば、短い距離のレースに出られる可能性が見えた気がする。走友達の活躍が眩しいが、ここは焦らずマイペースで行こう。そんな訳で体調をチェックしながら、走る機会を虎視眈々と狙っている爺なのでR。< 4月のラン&ウォーク > ラン回数:7回 ラン距離:57km ウォーク:137km 月間合計:194km 年間ラン距離:230km 年間合計:726km これまでの累計:78871km
2012.05.02
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≪ 熱烈プロ野球応援 ≫ プロ野球観戦も連休中の大いなる楽しみなのでR。この頃になると仙台はすっかり暖かく、ナイターでもデーゲームでも風邪を引く心配がないのでR。心配と言えばわが東北楽天のエース、田中マー君が腰を痛めて2軍で調整していることだが、まあ心配しても彼の復帰が早まるわけではないので、心配しないことにしているのでR。 日本ハムやソフトバンク、ロッテが好調で、4位以下の3チームはすべて借金生活のパリーグ。だが楽天は最下位でないだけマシ。借金もわずかだが、圧倒的な差での勝利が少ないのが淋しいのでR。この連休中に私はたった1枚だけチケットを買った。もう1カ月も前のことなので当日の先発が誰になるかは分からないが、私の都合を優先するので仕方がないのでR。 私が愛車に跨ってKスタへ行ったのは、4月28日土曜日。ゴールデンウイークの初日である。デーゲームなのだが、天気は良かった。昼食を家で食べたため、弁当をリュックの底に隠す必要はなかったが、お飲み物と若干のつまみはそっと忍ばせた。3塁側内野上段席は見晴らしが良く、得した気分になるのでR。 さて楽天の先発はヒメネス。対する日ハムは「持ってる王子」斉藤だ。おまけに稲葉は2千本安打まで後1本に迫って仙台に乗りこんで来た。これは拙いね。その予想が1回表に現実のものになった。何と稲葉が最初の打席でヒットを放った。おまけに先制点付きなのだから堪らない。それでも仙台のファンは優しいね。温かい拍手で彼の偉業を称えたのだから。 楽天からは、ショートの松井稼がチームを代表して稲葉に花束を贈呈。彼は稲葉よりも2歳ほど若いが、日米通算で2千本安打を達成した「先輩」なのだ。この「虎の子」の1点を、王子斉藤がノラリクラリの「こんにゃく投法」で交わしにかかった。速球一本では、いくら楽天の選手でも楽々打ってボールが天に届くのだ。これがホントの楽天パワー。 楽天ファンが大いに湧いたのは何回だったっけ? ともかくヒットと相手のミスで、一挙3点を奪ったのだ。青ざめる斉藤王子。だが、さすがは日ハム。打つべき時にはちゃんと打つ。栗山は新人監督ながら、選手を信じる姿勢が良い。のびのび野球で、選手も元気。一方投手出身の星野は短気の上、先発ピッャーをあまり信用しない感じ。中継ぎが点を取られ同点延長へ。 結局試合は10回の表裏で時間切れになり、3対3の引き分けになった。折角勝てた試合を1つ損した気分になった。それより何より隣の席の女性が、試合中にずっと下を向いてスマホだかに興じていたのだ。そして試合の途中にさっさと帰って行った。隣の爺さんが酒臭い息を吐いて大声を上げるので嫌になったのか、あるいは彼氏とのデートが決まって帰ったのか、その辺は不明なのでR。 ついでながら翌日29日(日)は武田勝に0対4で完封負けを喫し、翌々日は2対1で接戦をものにし、塩見がチーム最多の3勝目を挙げた。王者日ハムを相手に1勝1敗1引き分けは立派。借金3は結構善戦している方だろう。かくして連休の応援はまだまだ続くのでR。そして勝っても負けても焼酎の水割り1杯で酔っ払う、安上がりの爺なのでR。
2012.05.01
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