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昨日の仙台の気温は21度ほどになったようだ。畑の白菜を結んでいたひもを解き、外の枯葉を取った。食べるには少々貧弱だったために残したのだが、これからは伸びた茎が美味しい季節。つまり「つぼみ菜」を育てるのだ。甲子園の高校野球は大阪桐蔭と高崎健康福祉が勝ってベスト4に残り、応援していた鳴門は残念ながら高崎に1対9の惨敗だった。 夜の楽しみはプロ野球。3月の仙台でのナイターはさぞ寒いと思うのだが、昨夜は案外暖かったかも。この夜、楽天の田中、日ハムの斉藤は共に開幕初先発。多分6年目の田中は勝利し、2年目の斉藤は負けると読んでいた。だが結果は逆になった。「持てる男」斉藤はダルビッシュが抜けた後の球団を「背負う男」として、見事開幕初勝利を挙げた。それも完投とは立派。 これに反して東北のファンの期待を一身に集めていた田中は5失点で負け投手。散々の出来で6回には降板したようだ。失策も4つあり、あまりの「惨状」に途中でテレビを消した。楽天もこれまでチームを支えていた岩隈が抜けた。開幕直前に結婚したばかりの田中が初の開幕投手を任されたが、きっとかなり肩に力が入ったのだろう。失点しても直ぐに軌道修正できる彼が、味方の失策もあってズルズル深みにはまった。 シーズン前の順位予想では4人の評論家が楽天を6位とし、5位、2位がそれぞれ1人ずつ。評価が低かったのは、さしたる補強をしなかったこと、主力選手が怪我をしたこと、岩隈が抜けた後の投手陣が手薄なことなどが理由のようだ。初戦からの黒星は順位予想を思い出させた。だが田中の自責点が2点に留まり、ヒットを12本放ったのが救いか。 今日は前線の通過で荒れ模様との予報。午前中の早い時間帯から雨が降り、暴風警報も発令。だが雨が降り出したのは昼前からで、それもごく弱いものだった。私は思い切って走りに行った。走ったのは2月3日以来だから、ほぼ2カ月ぶりのこと。ドクターストップはかかっていたが、再手術が決まった今は不整脈が出ても問題はない。 それに試してみたいことがあった。どれだけ筋力が落ちたかを確認することもそうだが、右足底の痛みをカバーするために最近では左の脹脛まで痛んでいた。昔使用していたくるぶし用のサポーターを装着した感じが良いので、これを着けて走ったらどうかと言うことだ。心配する妻を説き伏せ、家を出る。 速く走れないのは当然だが、痛みが出ないのが嬉しい。そしてゆっくりゆっくり坂道を往復する。4kmを40分だから1kmに10分もかかるスローペース。それでも走れるのが嬉しく、気持ちが良い。前日Kさんから「みちのくラン」の案内があった。6月末まで私が走れるようになるかは分からないが、30kmのコースに挑戦したい気持ちが強い。 5月中旬の「仙台国際ハーフ」と6月初旬の「いわて銀河」はまだ無理が出来ないはず。当面は「みちのくラン」を復活への足がかりに出来れば嬉しい。今日は4kmゆっくりランが出来たことで、少し希望が湧いた。 テレビでは楽天対ロッテの第2戦が放送されている。今日もしょっぱなにエラーがらみで2点を先取され、その後追い着いた楽天だが再び2点のビハインド。きっと今季もハラハラドキドキの1年になるだろう。そして私は明日がKスタでの初観戦。果たしてどんな試合展開になるか楽しみだ。≪ 3月のラン&ウォーク ≫ ラン:1回4km ウォーク:150km 月間合計:154km 年間走行距離:173km 年間合計:532km これまでの累計:78677km
2012.03.31
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「この4カ月、仕事のことを懇切丁寧に教えていただきありがとうございます。いつも身近にいるように感じました」。朝一番に連絡ノートを見ると、遅番の同僚がそんなことを書いていた。いつもよりも丁寧な字。しかもこれほどかしこまった文章は初めて目にした。今日は第1現場での最終勤務。だから彼の文章を見るのもこれが最後だ。 先日来月から勤務する新しい職場を見学に行き、ユーザーへの対応に憤りを感じたらしく、自分がそこでの勤務に慣れたら、徐々に改善したいとも記されていた。いかにも正義感の強い彼らしい内容。例え躓いても自分の信念に基づいて行動したら良いと思う。たった4ヶ月間だけの付き合いだったが、心から信頼出来る仲間だった。 お掃除を担当しているSさんが私にクッキーを届けてくれた。先月私が無事に退院した際はハグする約束になっていたのだが、それを守れなかった代わりらしい。73歳の可愛い老婆の気持ちが嬉しい。いつもどおり屋上から巡回。ここから雪を戴いた山々を眺められるのも今日が最後だ。 各階を巡回しながら感慨が過り、一瞬ウルウル。何の経験もないままスタートし、たった1人で良く頑張った6年間だった。8階のリフレッシュコーナーでタバコを吸ってる職員の方に挨拶。どこのテナントの人だかも知らないのだが、いつも静かに紫煙をくゆらせていた彼。一瞬驚いたようだが、丁寧に挨拶を返してくれた。 事務室に戻ってノートに記す。「6年間大変お世話になりました。お世話いただいた全ての人に感謝しています。本当にありがとうございます」。だが今日の午後に我が社の物品は全て持ち運ばれ、この文章を誰かが読む保証はない。この6年間左腰にベルトで固定していたキーカードを、係長を通じて返却。いつもあったものが無くなるのは、不思議な感触だ。 玄関での立哨時にも数人の方に今日が最後の勤務であることを告げた。だが警備員の爺さんがある日突然別な人に変わっても、誰も不思議には思わないだろう。来週から4月。重役を送り迎えしていた個人タクシーの運転手さん達は、その仕事が無くなるそうだ。ヤク○トの小母ちゃんに別れの挨拶。 勤務を終え、管理室の責任者とお掃除の小母ちゃん達に挨拶してビルを出る。人生とは多くの出会いと別れを繰り返すもの。まさに「万物は流転する」だ。今日は着替えないまま第2現場へ出向き、仲間達に最初で最後の警備服姿を見せる。この現場が来週からの新職場。そして週2回は早出して他のビルでの清掃を担当する。 帰宅後、近所のクリーニング店に警備服一式を持って行った。冬の制服1着。夏の制服4着。ズボン2本。制帽2個。ネクタイ1本。防寒着1着。これらをクリーニングする。そしてベルト1本、警笛1個と合わせて会社に返却する。これは犯罪防止のためなので、失くしたら大変だ。こうして6年間の警備員生活は無事終了した。今夜はプロ野球の開幕戦でも観て、のんびりするか。
2012.03.30
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鶴竜の笑顔を初めて見た。大関昇進が決まって安心したのだろう。使者への口上がまた良い。「お客様に喜んでもらえるような相撲を取りたい」。いかにも誠実さが分かる言葉。これからも精進を重ねて欲しいと思う。甲子園では鳴門がまたまた延長サヨナラ勝ちを収めた。2試合連続のサヨナラ勝ちとは凄い強運だ。そしてアスレチックス対マリナーズの大リーグ公式戦が東京ドームで始まった。 今朝はさほど寒さを感じなかった。そして5時だと言うのに、空が少し明るかった。春の訪れを感じる朝は嬉しい。厳しかった冬とようやく別れられそうだ。クリスマスローズが咲き始めた。赤い色系のがまだ1株だけだが、他の株もたくさんの蕾が膨らんでいる。スイセンの蕾も目立っている。咲き出した花は他に、ヒイラギナンテン、サザンカ、沈丁花、フユシラズなど。フキノトウも開いている。 妻は昨夜遅く東京から帰って来た。妻の布団を敷き、風呂を沸かしておいた。翌麻のためにご飯を炊き、味噌汁も作った。だが彼女はどうやら冷や飯を温めて食べたようだ。今朝は早くから洗濯。その合間に少しだけ話す。残念ながら孫娘は発表会で選に漏れたようだ。それでも四国から上京して、勉強にはなったと思う。 孫娘達から私宛の手紙をもらった。2人ともとてもしっかりした字だ。みんなで撮った「プリクラ」は、どうやら妻が誤って捨ててしまったようだ。東京では3日間とも強行軍で疲れたと妻。それでもディズ○ーランドへは行ったそうだ。初日は次男が予約した店で夕食を共にした由。彼は腰を傷めているようで心配。その次男が私の上京を心待ちにしている由。私が手術することも、妻は教えたようだ。 今朝は第1現場の屋上から山を眺めた。遥か奥羽山脈には真っ白な雪。この雄大な景色とも明日限りでお別れ。ロッカーとトレイ中の私物を片づけ、明日必要なものだけを残す。社内の資料は第2現場のロッカーへ移す。そして来週から始まる新しい仕事の打ち合わせ。今の体力で果たして務まるかどうかは分からないが、多分慣れれば大丈夫なはず。 帰宅すると芝生に繋いでいた愛犬がいない。彼はガレージで横たわっていた。あまりの日差しに暑がり、妻が移動させたようだ。干していた布団がフカフカ。そしてしっかり乾いた洗濯ものが気持ち良い。あれほど疲れたと言っていた妻は、久しぶりにランニングに行ったようで、シューズが玄関にあった。待ちに待った春だ。そして来週からは新たな仕事が始まる。
2012.03.29
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ゆっくりだったがグラグラっと来た。これは大きいと思ったが、揺れは間もなく治まった。時間は昨夜の8時過ぎ。テレビの字幕を見ると、震源地は岩手県沖で、最高値は岩手県と宮城県北部で震度5弱。宮城県中部は震度3程度だった。間もなく電話が鳴る。東京に行っている妻からだ。ちょうど山手線に乗ってたようだが、多分車内の電光ニュースで知ったのだと思う。 震源地と震度を聞かれたので、テレビで知ったことを教えた。家でも何の被害がないことを伝えると、彼女は安心した様子で電話を切った。孫娘の発表会がどうだったのかは聞かずじまいのまま。昨年の大震災以来、彼女は地震に関して少し神経過敏になっている。だが私は案外平気で、あの程度なら何とも思わない。 今朝の出勤時、バスの中であることを思い出した。それは前日に書いたブログの文章。確か「飛ぶ鳥跡を濁さず」と書いたが、「たつ鳥」の間違いであることに突然気づいたのだ。それにしても「たつ鳥」の「たつ」は立つだったか、それとも発つだったかと考える。意味から言って「経つ」と言うことはあり得ない。やはり「立つ」だろうと結論を出す。 赤瀬川原平流に言えば、このところすっかり「老人力」がついた私。昨日の業務引き継ぎ時にも、人の名前とタクシーの名前が直ぐに出て来ないで困った。それを教えることになると自覚はしていたのだが、多分思い出すと過信していたのだ。それもまた老人力の為せる業。ひょこっと忘れるかと思えば、何気なく思い出すことの連続。まさかこう言うのを「まだらボケ」とは言わないのだろうが。 特に忘れ易いのが人名で、どうでも良い人の場合は簡単に忘れる。ところが決して忘れない人名もあるのが摩訶不思議。歳を取ると脳細胞は1日に何億と死んで行くらしいが、変なことだけは覚えている。例えば「飛鳥(とぶとり)の明日香」。飛ぶ鳥は明日香の枕詞だが、やがて「飛鳥」自体が「あすか」と呼ばれるようになる。 これは「日下(ひのもと)の草加」も同様で、「日下」自体がやがて「くさか」と呼ばれるようになる。日本語の難解でかつ面白いところだ。それにしてもなぜ「立つ鳥」とすべきところを「飛ぶ鳥」と書いたのか。ひょっとしたら「飛ぶ鳥を落とす」勢いと混同していたのかも知れない。混同もまた老人力が熟成して来た何よりの証拠だ。 少し前、テレビのバラエティーショーか何かで、クイズが出た。アフリカの国名を、時計回りに答えて行くのがその内容だが、何と漫画家のやくみつる氏が全ての国名を正しい順番で答えた。氏の凄さはそれに留まらず、その国の中で国境線が未確定な個所まで指摘すると言う完璧さ。あの様子ではまだ老人力は育ってないようだ。それに反して「やくみつる」の名前を思い出すのに一苦労した私は、そうとう老人力に満ち溢れていると言えよう。エッヘン。 今日は第1現場のテナントのある方に別れの挨拶をした。ここで勤務をするのは後3日。ひょっとしたらそれまでに顔を合わせないかも知れないからだ。経験が全くないままで始まったこのビルでの警備。6年間の思い出は私にとって貴重なものとして残るだろう。そしてこの後現場を変わっても、私はますます老人力を磨いて行こうと決意している。<付記>昨日の間違った文章は既に訂正済みです。念のため。でも今日もまた同じ過ちを犯しました。「飛ぶ鳥の勢い」ではなく、「飛ぶ鳥を落とす勢い」でしたね。書いてから2時間後に気づき、こちらも訂正しておきました。なんだかなあ!?
2012.03.28
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猫ひろしがカンボジアのマラソン代表に決まった。本人が頑張った結果なので立派という意見もある一方で、カンボジアの人に申し訳ないとの意見もある。それでも走り始めてから4年であのタイムを出し、例外措置でもオリンピックに出られるのは凄いと思う。 大リーグマリナーズの一員として来日していた岩隈が、対巨人戦でメッタ打ちにされた。4回投げて6失点では言い訳も出来ないだろう。彼が初めて大リーグを目指したのは2年前。あの時も契約寸前まで行ったのに、年俸が低いと言う理由で取り止めた。もし彼があの時行っていれば、楽天球団には15億円ほどが支払われ、選手の強化につながったと思う。「勝手な男は勝手に生きろ」って感じ。 イチローは相変わらずマリナーズの中心選手として活躍し、この度日本へも来た。だがゴジラ松井にはどの球団からもオファーがない。既にシーズンが始まっているのに、所属が決まらなければ野球は出来ない。きっと心の中では焦っていることだろう。日本に戻ればまだまだ大スターの彼。早く帰属が決まることをかつての一ファンとして願っている。 さて、昨夜のこと。ドカドカドカと何かが揺れた。また地震?と思ったのだが、そうではない。それは驚くほど大きい心臓の鼓動だった。不整脈がまた起きたのだ。不安が胸を過る。不整脈が起きるのも困るが、起きないのも困る。私は4月に不整脈の再手術を受ける予定。だから不整脈が起きないと、その不正な電気信号がどこから発生しているか探すことが出来ないのだ。 そんなこともあって、今朝はいつもよりかなり早く目覚めた。愛犬との散歩と朝食。それが済むと早めの出勤。少し遠くのバス停まで歩き、バスと地下鉄を使ってどれだけ早く職場に着くことが出来るかを確認するためだ。一番早いバスは6時6分。だが4分遅れで着いた。冬は10分遅れの日もあったと停留所で待っていた人の話。始発の場所が結構遠いようだ。 地下鉄との乗り継ぎも良く、案外スムーズで、6時40分には職場に着いた。いつもより25分も早い。これなら4月から他のビルでの7時からの勤務にも間に合うだろう。最初に気になっていた「引き継ぎのノート」を読む。4月から新しい職場へ変わる遅番の同僚が、面接でどんなことになったかを知るためだ。新職場での待遇や勤務体制がこと細かく記されていた。 彼も大変だが、私の方はもっと大変。今日は4月以降このビルで警備を担当する他社の方への引き継ぎがある。大元の管理会社、下請けの管理会社、他の警備会社、我が社の責任者が顔を揃え、いつものように巡回業務からスタートした。それが終わると、鍵の授受、書類への記帳、立哨の実際などを逐一指導する。 本来ならば我々の仕事を奪ったライバル会社なので引き継ぎなどしたくない気分だが、「立つ鳥跡を濁さず」を肝に銘じて親切に教えた。我が社の上司も安心して会社へ戻った。管理会社の若者がそっと名刺を1枚私にくれた。このビルの警備を立ち上げた6年前からずっと一緒だった彼。立場は違うけれど、いわば苦楽を共にした仲間だった。勤務の関係で彼と会えるのは今日が最後。その彼も、まだ4月の人事が発表されていない。 人間は社会的な動物。外で働いている男は特に社会情勢の変化をまともに受ける。混沌とした情勢の中で自分がどう働き、どう生きるか不安が付きまとう。特に日本人は、人一倍不安を感じやすい民族らしい。環境が変わり、体調の不安が残る中で、どうしたら一番楽に働けるか。4月からはそれを目指そうと思う。そして頑張ってもダメな場合は、また考え直せば良い。
2012.03.27
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大相撲春場所の千秋楽。優勝がかかった一番で鶴竜は敗れた。結びの一番では横綱の白鵬が勝って2敗同士の優勝決定戦になった。こうなると場数を踏んでいる横綱の方が圧倒的に有利。それに先場所は優勝を逃しているため、2場所連続で賜杯を手に出来ないのでは横綱のプライドが許さないだろう。やはり白鵬の強さと上手さが優り、22回目の優勝を決めた。 これで優勝回数は尊敬する貴乃花と並んだ。鶴竜のお父さんが日本に来ていたようだが、残念ながらお父さんに賜杯を見せることは叶わなかったものの、大関昇進の切符を手にしたのは立派。大関と初優勝のかかる今場所は、きっと緊張の連続だったに違いない。来場所の大関は6人体勢になるが、粗製乱造にならないよう、切磋琢磨して欲しいものだ。 昨夜床に就いて間もなく家が大きく揺れた。慌ててテレビを点けると震度4の模様。そのまま眠ったが、明け方にも弱い地震があった。今朝は珍しく早起きの妻。愛犬との散歩から帰った時には朝食の用意が出来ていた。いつもは私だけの食事だが、今日、彼女は東京へ向かう。 四国に住む孫娘がピアノだか歌かで入賞し、東京で発表会があるようだ。それを機会に長女、2人の孫娘、東京にいる次男で会い、発表会の翌日にはディ○ニーランドへも行くのだとか。3日間の交通費や宿泊費などの全ては、妻が負担するらしい。まあ可愛い孫や子供と会えるのだから、いくらお金がかかっても嬉しいのだろう。そんな訳で、私は今日から3日間1人暮らしになる。 今日は職場で新たな展開があった。4月から勤務する先の上司と初めて話した結果、これまでに聞いていた条件がまるきり変わってしまったのだ。火曜日と金曜日は別なビルで7時から勤務。勤務時間は2時間半。時間給の単価も下がるみたいだ。あれあれ?と思ったが、この歳でまだ仕事が出来るのは幸運と考えることにしよう。 心配していた同僚の異動先もようやく決定した。何とそれは私がかなり前にお願いしてみた別の事業所。彼も勤務場所、勤務時間、勤務条件がまるきり変わることになる。2人にとっては厳しい現実だが、そのまま受け入れるしかない。早速来週7時から勤務する現場を確認し、明日は他社の人に現場の引き継ぎをする予定。 激動の今日は天候も急変。朝は気持ち良く晴れていたのが強風となり、午後は一時吹雪になった。ソーラーのパネルは昨日中に全て屋根に乗った。まだ電源は繋がっていないため利用は出来ないが、工事代金の残額は今日支払う予定。プロ野球のオープン戦は昨日で全て終了し、来週末には公式試合が始まる。またメジャーリーグが2チーム来日し、練習試合と公式戦が幾つか行われる予定。 昨日のテレビで観たら、野村名誉監督の順位予想によれば、東北楽天はパリーグで5位。これは他チームに比較して、補強が十分でなかったことが大きな理由。まあ、それが妥当な評価だろう。「予想が5位だと星野監督も逆にやりやすいと思うよ」。名誉監督はあっさり言った。余計なプレッシャーを感じなければ、思わぬ展開もあるかもね。
2012.03.26
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朝早くから「運転免許センター」へ行って来ました。何しろ片道20km先まで自転車で行くんです。天気予報では正午から雨。更新受付は日曜日の場合、8時半から9時半までの1時間となっているため、家を出たのが7時10分でした。泉区の八乙女山まで北上し、そこから裏道を通って市名坂へ。この辺はかつての七北田村。かなり淋しい所でしたもんね。 免許センターへ着いたのは8時20分ごろ。1時間10分もの間ペダルを漕いだため、結構汗をかきました。まだ時間前なのに、もう大勢の人が並んでいました。私も一時人波にもまれていたのですが、係員に聞くと、免許返上は別の窓口とか。その窓口へ行くとそこではなく、別な事務所で受付は10時半とのこと。結局ベンチで2時間本を読んでいました。 時間になって担当者に返上を申し出ると、免許の取消だけ受付し、経歴証明書の発行は4月以降にした方が良いとの話。3月中だと5カ月しか有効じゃないけど、4月以降は法律改正で半永久的になる由。もう一度来るのは大変でも、その方が好都合ですものね。最後に「免許が無くなったけど何で帰るのですか」と聞かれ、「自転車です」と答えると、さすがに驚いていました。 クリームパンを食べ、お茶を飲んで、帰路は国道4号線を通りました。これがなかなかの大仕事。風が向かい風なんですよね。カーブしているためきっと遠回りにもなったでしょう。でも運動になって良いし、市営野球場やTG中学校や高校などの場所も分かりました。遠見塚周辺では練習中のM黒さんと遭遇。髪が茶色から黒に変わっていました。 へとへとになって帰宅すると、屋根の上でソーラー工事をしているみたい。きっと業者の大将が3回も延長して申し訳ないと思ったのでしょう。昼食はカレーそば。IHクッキングの場合、確かに食品の中は熱いのですが、直ぐに冷めてしまう感じがします。変な表現ですが、きっと食品を温めるのではなく、熱しているんでしょうね。お風呂も直ぐに冷める気がします。 午後から顔を出した業者へ、求められていた書類が全て揃ったことと、残額は明日の夕方に支払うことを告げると、とても嬉しそう。やはり中小企業には運転資金が必要ですものね。さて、今日のオープン戦は、目下楽天がリード中。星野監督の古巣である中日に2連敗中だったので、せめて一矢報いて欲しいです。 そして第一の注目は、大相撲春場所の千秋楽。関脇の鶴竜が勝てば、初優勝と大関昇進の両手に花。彼の父親はモンゴルの大学教授。モンゴル相撲の経験もなく、日本の相撲部屋に飛び込んで来た時は体重が65kgしかなく、親方は床山(力士のまげを結う係)にしようと思ったほど。それが4カ月後には体重を20kg増やしたそうです。 人知れない努力を重ねた鶴竜は、相当の遠回りをしたのでしょう。でもそれが結果的には良かったと思います。大関当確を決めた後も、あそこまで気持ちを保つことは困難。彼は日本人よりも日本人らしい精神の持ち主です。きっと大関になっても精進を怠らないでしょう。ニコリともしない寡黙な彼が、優勝を決めてほほ笑むのを見たいものです。
2012.03.25
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朝起きると雪が積っていた。この冬何度目の雪だろう。愛犬との散歩を終え、朝食の準備。妻はまだ眠っている。よほど疲れているのだろう。それにこのところ風邪気味だった。あり合わせのおかずとスープと生卵。卵かけご飯も久しぶりだ。やがて気温が上がり、7cmほどあった雪が融け出した。 テレビを点ける。甲子園では鳴門と洲本の戦いだ。大鳴門橋で繋がっている鳴門と淡路島。県こそ違え、場所は直ぐ近く。私は鳴門市で5年ちょっと勤務したことがある。長女が入学したのが鳴門高校で、次男の少年野球仲間が同校に進学し、甲子園に出たこともあった。そんな縁から鳴門を応援していたのだが、延長10回裏にサヨナラ勝ちだった。 今日3月24日は私の誕生日。だから3と24は大好きな数字。歳は68歳。もう若くはないが、自分ではそれほど歳を取ったとは思っていない。昨年は大震災があり、誕生日の喜びも感じる暇はなかった。そして今年は昨年と違う理由で心が重い。不整脈の2回目の手術を控えていることもあるが、体が思うように動かないのだ。 不整脈のためドクターストップを食らって2月3日以来、全く走っていない。そして昨年の暮れには、整形外科でもドクターストップを食らった。こちらは足の不調だ。もう50日近く走ってないので足の調子が戻りそうなものだが、歩いているだけでも足が痛む。整形外科のドクターは走るのを止め、スポーツを続けるなら足に負担がかからない自転車に切り替えなさいと言う。きっとそんな年齢になったのだろう。 先日「本当はこわい家庭の医学」を観てビックリ。「きゅうくつ病」と言うのが私の症状と丸きり同じだったからだ。これは眼球が大きくなり過ぎたのが原因で視点がずれ、ものが二重に見えるらしい。それが不思議なことに片眼をつぶると、はっきり見える。私の場合はまれにダブらないこともあるが、車を運転するにはとても危険だ。 明日は免許(と言っても私は原付だけしか持っておらず、それももう14年ほど乗っていないのだが)の書き換えに行く予定だが、免許は返す積り。ただし「身分証明書」代わりのものをもらおうと思う。歳を取ると誕生日の感激も薄れる。それでもまだまだやりたいことが多く、出来るだけ健康に過ごしたいと願っている。 国立がんセンターの分析では、以下の5項目の実践でがんのリスクがかなり減るらしい。1つ目が禁煙。出来れば受動喫煙も防ぐ方が良い。2つ目が節酒。決して禁酒ではないのがミソ。3つ目が減塩。塩分の取り過ぎが悪いのは高血圧だけではないようだ。4つ目が適度の運動。そして5つ目が体重を適切に維持すること。 項目を1つ実践するごとにリスクが1割減るため、5項目全てを実践すれば理屈ではリスクが半減することになる。がんは日本人の死因のトップだから、それらを守ればある意味で長命を保証されることにもつながる。私の場合1、2は大丈夫。3は目下心がけている途中で、4と5も結構自信がある。 喫煙が心臓に悪いのは言うまでもないが、強いストレスも好ましくはない。これからの人生は極力のんびり過ごしたいと思う。そして心の張りを保つためにも趣味は大事。幸い私には多くの趣味があり、それも体を動かすものがほとんど。早く不整脈を退治し、「歩ける足」をさえ残しておけば、余生も案外楽しめるのではないか。 出来れば女房と仲良く過ごしたい。一緒に歩き、旅行するのも悪くないし、適当な山に登るのも良いだろう。花壇や庭で花と樹木を育て、畑では野菜を育てるのは楽しい作業。喧嘩をしても後に残らない程度で済ますよう努力したい。夕食のメインは刺身で、プラス薄い焼酎の水割りが1杯。なんとささやかな誕生祝いなのだろう。
2012.03.24
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しずちゃんが負けた。あのお笑いのしずちゃんだ。所はモンゴルのウランバートル。女子ボクシングのミドル級1回戦で、韓国の選手に1回RSCでの敗戦。要するにKOされたのだが、しずちゃん自身は倒れたとは思ってないようだ。ロンドンオリンピックに出るためには5月の世界選手権でベスト8に入る必要があるとか。しずちゃんにとって世界はなかなか厳しそうだ。 大相撲大阪場所の十二日目。連続優勝を狙っていた大関把瑠都が負けた。これで3敗目を喫したことになり、横綱昇進への道は断たれた。力任せの相撲で横綱になるのは無理。やはり心技体が揃わないとね。1敗は横綱白鵬と関脇の鶴竜。そして2敗で追うのが大関日馬富士。3人ともモンゴル出身だ。鶴竜は今場所13勝すれば大関に昇進する可能性が高い。本人のやる気は尋常ではない。将来は横綱になる器と私はにらんでいる。 第1現場は来週で終りだが、気になるのがお世話になった責任者のこと。どうやら彼は会社の中で浮いているようだ。何事にも積極的に取り組み、業績も上々。頑張って業務上必要な資格も数多く取っている。だが異端児として村八分扱いみたい。派閥に入らず忘年会にも出ず、有給休暇はしっかり使う。仕事はしっかりこなしているのだから何も後ろ指を指される言われはないのだが、日本の社会は構造的にそんな存在を許さないのだろう。 現役時代、私はゴマすりが出来なかった。皆は全国人事を握る女帝にこぞって挨拶をしに行ったようだが、私はそんな裏事情も知らず、ご機嫌取りに出向くこともなかった。結局地方廻りをさせられ、後輩にも抜かれたのにはそんな背景があったのだろう。それもまた良し。出世に乗り遅れたのは悔しいが、尊敬する気持ちのない相手に頭を下げなくて良かったと思う。 良く観る番組の一つに「そこまで言って委員会」と言うのがあるが、先日出演者の中に面白い人がいた。元自衛官で、今は沖縄の大学で教鞭を執っている。イントネーションを聞くと沖縄出身のようだ。その彼が曰く。「沖縄のある地区では、国が基地を返還しようとすると反対する。莫大な借地料が入らなくなるためだ」。 また曰く。「かつての米軍統治時代、良くなったことがたくさんある。マラリアの撲滅がその代表だ」。曰く。「沖縄のマスコミが基地反対を唱えるのは県民感情を害したくないためだけ」。曰く。「私が大学の授業でこんな話をすると、直ぐに大学当局にストップさせられる」。少数意見だろうが、沖縄県民の中にはこんな人もいる。 そう言えば少し前に「沖縄はタカリの名人。取るものだけ取って約束を果たさない」と発言し、役職を解かれたアメリカの高官がいた。あれもまんざら間違っていないと思う。今沖縄では別格扱いの振興策が進行中。私が赴任した24年前の面影はほとんど無くなった。確かに基地が多過ぎて県民が困っているのは分かる。 だが平和維持のためにも最低限の防衛力は必要だし、中国の侵出を抑えるためにも出来れば先島列島に自衛隊の基地が欲しいところ。このままでは尖閣諸島が中国に奪われる恐れが大だ。日本のマスコミは過去の戦争で軍部の片棒を担いだ苦い思い出を引きずっているのだろうが、やはり真実を伝えるのが任務。異端児になるのを恐れてはいけないと思う。中途半端な平和論では何も解決しない。
2012.03.23
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昨日、風の中帰宅を急いだ。自宅付近まで来て屋根を観た。いつも通りで何の変化もない。「ああ、やっぱりね」。今日も同様に強風が吹き荒れていた。自宅の傍まで来たら、屋根の上に何本かの金具が取り付けられていた。それはソーラーのパネルを固定するためのもの。「やっぱりね」今日も頷いた私だった。 近所の業者から電話があったのは一昨日の夜。天気が悪いので翌日に予定していたソーラーの工事を延期させてほしいとのこと。「ああ良いですよ」と私はあっさり承諾した。明後日ではどうかと言うので、妻に予定を聞いた。午前中は自宅にいると言う。それで話は決まったと思ったのだが、私が自室に戻った後で、妻は業者に電話をした由。 「明日の天気は悪くないし、これまでも1度延期している。一日でも早く工事を完了させてソーラーの恩恵に与りたい」と言うのが彼女の言い分。私も天気のことは知っていた。だが夜中に電話して来るのは急な用件が入ったのだろう。天候に左右される仕事だし、他の現場で何か困った事態が生じたか、「ギルド」の仲間に不都合が生じたのだろう。 それにこんな時は「貸し」を作っておいた方が良い。3月中に工事が終了するのは確実だし、延期も3回までなら許して上げよう。それが男である私の考え方だった。「明日は風も強そうだからね」。だが妻は私の言葉には反応しない。翌日業者の姿が見えなかったのは、私の出勤後に強風を理由に断りの電話を入れたのだと推察。誰もいない屋根を見上げて出たのが「やっぱりね」。 そして今日の「やっぱりね」も予想されたこと。こんな強風下では危険で作業が進まないはず。工事を延期してもらったため無理して来たものの、多分困っているはず。案の定、午後から親方が顔を出し、恐る恐る再延期を申し出た。私は簡単に良いですよと答えたが、妻は引き下がらない。だが、正式にソーラーが使用出来るのは来月の13日からと電力会社から通知があったことを知ると渋々了承した。 強風注意報の発令中に高所で作業すれば死亡事故に繋がる。男ならそれを第一に考える。屋根の上には「命綱」を固定する場所もないし、パネルを背負って梯子を登れば風に煽られるはず。再延期の代わりに業者は洗面所下の鉄管に結露予防の断熱材を巻き、故障していたクローゼットのスイッチを無料で取り換えてくれた。これが「貸し」の成果だ。 業者はさらに夜間電力が使用出来るメーターを取り付けた。私達は夜間電力の時間帯に洗濯し、エアコンをつけるなどして得した気分になっていたのだが、どうやら勘違いしていたようだ。それにソーラー設置と同時に電力が使用出来ると思っていたのも勘違い。これは電力会社との連携(電力売買)が成立後とのこと。「オール電化」と「ソーラーシステム」の仕組みを十分に理解してなかったのだ。 さて、昨日の甲子園に轟いた石巻工業阿部主将の選手宣誓は立派だった。高校生とは思えない心のこもった言葉は、前日にその原稿を読んだ監督が泣いたほど。テレビを観ていた地元の人も泣いていた。そして全国に感動が伝わった。残念ながら今日は強豪の相手に敗れたが、全力を上げて戦った選手達の姿は尊かった。甲子園に爽やかな風が吹いた日だった。
2012.03.22
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3月某日。愛犬を動物病院に連れて行く。この時期に行うのは5種混合ワクチン。まだ幼犬の頃、彼はこの病院で手術を受けた。軟式テニスのボールを誤って飲み込んだ時だ。そのせいか他の病院へは寄りつかないのに、この病院では喜んで診察台に上がる。今後の彼の予定は4月に近所の公園で狂犬病の注射、そして5月にこの病院でフィラリアの薬をもらう。 3月某日。コーヒーメーカーのコードと間違って抜いてしまった。それは妻が使用していたパン焼き器のもの。紛らわしい場所でパンを焼くのが悪い。そうは思ったものの帰宅した妻にそのことを告げて詫びた。パン焼き器の中を覗き込み嘆く彼女。暫くするとパンの匂い。どうやらレンジで焼き直し、何とかパンの恰好がついたみたい。私は麺類、妻はパン。これが我が家の昼食だ。 3月某日。近所の道路に信号がついた。ずいぶん長い工事だったが、新しい道路の舗装が終わったのだ。だがその先は行き止まり。墓地の移転はほぼ終わったが、崖を削って橋と繋ぎ、国道まで道路が延びるのは当分先の感じ。近所で建築中だった老人施設のうち1か所は既に工事が終わり、もう1か所は内装や環境整備などにまだ時間がかかりそう。 3月某日。電車を乗り継いで妻と墓参りに行く。時間帯のせいで接続が悪く、少し遠い駅から久しぶりに墓地まで歩いた。ここでも新しい道路とトンネルが完成したが、まだ開通はしていない。墓地は大勢の墓参り客で賑わっていた。そして日蔭には雪。やはり北部の山手は気温が低いのだろう。父母と姉が眠る墓に花と線香を手向け手を合わせる。帰りは墓地の最寄駅で電車に。 3月某日。珍しく日差しが出て暖かい。久しぶりに愛犬を放ち、庭の草取りをする。この冬は厳しく、畑の土は霜柱のせいで盛り上がった。白菜は枯れた感じだが、中はまだ生きている。そのうち気温が上がれば菜花の茎が伸びる。それが茹でるととても美味。取った雑草はバケツで3杯ほど。裏庭のフキノトウが少し膨らみ出した。 堅い蕾のままだったサザンカが、ようやく咲き出した。本来は晩秋に咲く花だが、この辺りでは椿の少し前に咲く。クリスマスローズの蕾も膨らんで来た。来週にはプロ野球が始まると言うのに、まだ雪がちらつく仙台では強風が吹き荒れる。今日から甲子園で高校選抜野球大会が始まった。体調不良と伝えられていた石巻工業の阿部主将は、ちゃんと選手宣誓が出来ただろうか。頑張れ、被災地の球児達~!!
2012.03.21
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オール電化とソーラーシステム導入の契約を交わす間に、シャワートイレの調子が悪くなった。購入した近所の電気屋さんに来てもらったところ、基盤がダメになった由。購入後12年。メーカーには部品が残ってないとのことで、新しいカタログを置いて行った。 この電気屋さんは高い商品をを押しつけるのが常。そのくせアフターサービスが悪く、「いつまでも故障しないと電気屋は困るんですよ」などと平気で言う。妻は怒ってオール電化の業者さんを呼び、最終的にはトイレと同じメーカーのものを安価で設置してもらった。不便な日が10日ほど続いたが、やはりシャワートイレは気持ち良い。 オール電化の工事も先日終えた。前日のうちに室外機の基礎工事を行い、当日はガスの供給停止後に電源工事を行い、給湯の室外機、IH調理台、新しいエアコンを設置した。IH調理台は至極好調で、妻は直ぐに使い方を覚えた。省エネ型のエアコンもなかなかのもの。問題はお風呂。我家は2人暮らしのため、毎日大量にお湯を使うことはほとんどない。 ところが「エコキュート」の利点は、大量のお湯を安く作ること。このため大量の水を捨てなくて済む使い方を工夫する必要がある。電気代がかさむようだと折角オール電化にした甲斐がないとの妻の考えだ。水と電気代の双方を極力節約する方法が少しずつ分かって来た感じ。古いシャワートイレは壊してゴミに出し、今朝は鍋やフライパンなど大量の調理器具を燃えないゴミとして出した。 雨で延びた「ソーラーシステム」の工事は明日。天気も悪くないので、多分決行されると思う。最終的な「電力の売買」までにはもう少し時間がかかるようだが、発電した電力をそのまま自宅用として使うのは可能。いよいよ我が家のエネルギー革命が始まる。週末の「15年点検」後は住宅メーカーへの依存度が減るのではないか。今後は塗装工事もリーズナブルな価格の業者に発注しようと思う。
2012.03.20
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庭を庭らしくするための苦労や、畑を畑らしくする苦労は何度かブログにも書いた。枯らした樹木は多分15本ほどはあると思う。裏庭には堆肥を作るための容器が、今でも3個並んでいる。「原料」は生ゴミと愛犬のウンチだからタダ。家庭菜園で作った野菜、庭の果樹に実る果物は新鮮で美味しいし、美しい季節の花々を愛でるのは楽しい。 さて、本題の家の話に戻そう。最初の異変は建ててから7年目くらいにあった地震。確か震度は5くらいだったと思うが、洗面所の「棚」が吹っ飛んだ。前面が鏡になったヤツだ。他に被害がないのに何故棚だけが落下したのか。住宅メーカーに連絡すると、取り付けミスだと分かった。「桟」が入ってないボードに直接固定したため強度が弱かったのだ。もちろん新品をちゃんと桟が入った場所に固定させた。 建ててから10年目には、屋根と外壁の塗装工事を行った。これは住宅メーカーの言う通りにした。監督はメーカーがしてくれるため、安心して任せられると判断してのことだ。後で聞いたら、6割程度の経費で同じレベルの塗装工事が出来るらしい。悪徳業者に捕まるよりはマシと思ったのだが、これもまた勉強のうち。 それから暫くして、居間の扉を大き目のものに取り換えた。壁を切り取り、照明のスイッチを移動する程度のリフォームだが結構時間と経費がかかった。さて建築後15年も経てば、いろんな不都合が出て来る。玄関扉のシリンダー錠が緩んだり、洗面所の物入れの床が一部腐ったりしたのがそれ。錠は使用を繰り返したことによるネジの緩みが原因で、洗面所の床はパイプの結露が原因だった。 15年点検の今年は、住宅メーカーが「オール電化」を勧めた。メーカーは建てるだけでなく、リフォームも良い商売になる。工事は下請けに出すが、「諸経費」の名目で費用の1割を住宅メーカーの取り分としているようだ。「いつまでもあると思うな親と金」の通りで、年金暮らしの我々にとって出費は出来るだけ少ない方が助かる。 そんな訳で今回は最初から「見積もり合わせ」をすると、メーカーに伝えた。これには担当者も慌ててようで、急いで価格表を持って来た。だが、Dさんが紹介してくれた近所の業者を呼んで話を聞くと、色んな「からくり」があることを知った。メーカー提示の商品は、量販店向けのレベルの低いものなのだとか。それに故障した際のフォーロー体制が良くない。 小さな業者は資金繰りの面が心配。事務所を確かめに行くと、果たして小じんまりした建物だった。あれで水回り、電気、リフォーム、塗装など幅広い業務が出来るのだろうか。その疑問を社長にぶつけると、信頼出来る仲間がいて、お互いに仕事を廻している由。つまり各業種の親方が集まってギルドを結成している訳だ。なるほど、それなら安く上がるかも知れない。あとは彼を信用するかどうかがだけだ。<続く>
2012.03.19
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我が家を建ててから、今月末でまる15年になる。来週の土曜日24日(これは私の誕生日でもあるのだが)に住宅メーカーの15年点検を受ける予定だ。確かそれが最後の点検になるはず。屋根に登って屋根の状態を調べ、床下に潜って床下の状態を調査するようだ。基本的には今の住まいに不満はない。設計時に十分知恵を絞ったためだ。 そもそも家を建てようと思ったのは、松山勤務当時のことだった。幾つかのモデルハウスを観て、気に入った住宅メーカーもあった。だが予算の点で折り合わない。そのうちに起きたのが「阪神淡路大震災」。住宅メーカーの中には建てる場所を聞いて現地調査を行い、それに見合った住宅案を提示した会社もあったが、最終的には地震に強い構造かどうかが決め手になった。 仮契約は松山だったが、本契約は転勤先の大阪。たまたまメーカーの本社が大阪だったが、近くの支社で細部を打ち合わせた。将来住まうべき家族の人数、建物の向きと玄関の位置などを熟慮してタイプを選び、それをさらに手直しした。設計変更が可能なプランは少々価格は高くなっても、格段に住み心地が違うのだ。 クロスの色などを一部屋毎に選ぶのは大変だったが、逆に楽しみでもあった。家の様子を空想出来るからだ。ただし、実際の建築に際しては、思わぬ障害もあった。土地の基盤が弱いとの判定で、急遽地盤強化工事を行ったことなどだ。家を建てるのは故郷の仙台。大阪とは遠く離れているため、観に行くことも難しい。地鎮祭は妻の父親に代理で出てもらい、上棟式は行わなかった。 次の転勤先は東北を希望した。出来れば自宅から通勤出来るのが理想。本来人事に注文をつけると「出世」に響くのだが、それも止むを得ない。勤務地はやはり仙台ではなく山形になった。次善ではあったが、長距離路線バスで1時間なので通える範囲だ。残された問題は家が転勤までに建つかどうか。現地の工事の進捗状況を本社に訴え、何とか引っ越しまでに間に合わせてもらった。 建築とそれに関連する経費のうち6分の1は所属団体から低利で借りた。毎月決められた額を給与から支払い、残額は退職金で清算する仕組み。残りの6分の5は貯金などから支払った。これは妻が長年の「財テク」で蓄えたもので、バブル期にはかなり高配当のものがあった由。お金に頓着しない私だが、こんな時はとても妻に頭が上がらない。<続く>
2012.03.17
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男子サッカーU23チームがアジア予選のグループ1位になって、ロンドンオリンピックへの出場権を手にしました。これで5回連続の出場だそうです。オリンピック本番では23歳以上の選手も加わり、強力なメンバーで臨んで欲しいです。一方、ブラジルでのワールドカップ出場を目指すザックジャパンは、これからもまだ戦いが続きます。こちらも本戦目指して頑張って欲しいですね。 一方、なでしこリーグで優勝したINAC神戸チームは、韓国内で優勝したチームとアジア女王をかけて戦いました。結果は3-0の圧勝。なかでも高校生ながらポルトガルへ派遣された京川が、INACの選手として出場し、ヘディングで2得点したのはさすがでしたね。そしてなでしこジャパンは世界ランク3位を維持したそうです。頼もしいですね。 間もなく甲子園で始まる選抜野球ですが、21世紀枠で出場する石巻工業の阿部主将が、何と「選手宣誓」を引き当てました。きっと被災地代表チームとして、何らかのメッセージを発することを期待されたのでしょう。初戦の相手は鹿児島の神村学園。なかなかの強豪ですが、何とか良い試合をして欲しいです。そして石巻市内の2つの高校がブラスバンドとチアリーディングで友情応援をするとか。嬉しいですね。 プロ野球のオープン戦も終盤になりましたが、我が東北楽天の成績が振いません。おまけに期待の岩村選手が肉離れで開幕絶望。困ったもんです。巨人の「契約金違反」疑惑も困った問題です。少し前の疑惑ですが、朝日新聞がスクープした内容があまりにも強烈で、巨人軍の体質が浮き彫りになった感じです。今後朝日と読売の全面対決に発展するかどうか。 日本がもたもたしているうちに、北朝鮮は「人工衛星」と偽った長距離ミサイル発射を予告しました。また中国は尖閣諸島周辺へ海軍の艦船を派遣し、巡回に当たらせたようです。「尖閣は絶対に日本から奪う」と言っているようですが、このまま黙っていて良いんですかね。しっかりしてよ、日本政府。ちゃんと態度で示さないと、舐められるよ~!!
2012.03.17
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心臓がドカドカいってます。こうなると気分が悪くて何も出来ません。今日はいつもの循環器内科に行って来ました。前回2日分だけもらった薬が昨日の昼で切れたのですが、昨日は休診日。今日は再び心電図を撮ったら、別の波形が出て来ました。 前回のは激しいピークのような波形でしたが、今回のはてっぺんが平らな波が4つ現れます。これも不整脈の一種で、心臓内で電気信号がグルグル廻っているのだそうです。この時は比較的体は楽で、とても助かります。激しさと静かさが突然繰り返すので、どうにもなりません。先ほど30時間ぶりに薬を飲んだら、少し楽になって来ました。 多分来週の月曜日には手術を受けた病院で精密検査を受けることになるでしょう。執刀医への手紙も預かりましたので、後はいつ入院して再手術を受けるかを決めるだけだと思います。今日はこれくらいにして書くのを止めます。ブログ友の所へもお邪魔出来ませんのでご了承くださいませ~。ではね!
2012.03.16
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先週の土曜日にあった「八丈島一周」の参加者はわずか9名だったようだ。原因は荒天で飛行機が引き返したため。雲峰師匠も引き返した1人だったようだ。私は4年前の第1回に参加したが、あの時も危なく引き返す寸前だった。猛烈な風雨の中でのレースはそれまで経験したことのないもので、風速30mもあったのではないか。島の人に聞いたら、3月は強風の日が多いらしい。 同日に行われた「小豆島100kmマラソン」の様子も分かって来た。長い間膝の不調に苦しんでいた香川の走友TANさんが見事完走したようだ。本人は最後の100kmになると言っておられたが、これでまた自信が戻ったのではないか。T田さんが投稿した宮城UMCの掲示板によれば、県内からは6人の参加があった由。 私は小豆島では「タートルマラソン」(フル)と「オリーブマラソン」(ハーフ)を走っているが、T田さんの完走記に知ってる個所が出て来て懐かしかった。映画「二十四の瞳」のロケ地になった小学校や、醤油の臭いがする道路などだ。6人の仲間は紅葉の名所である寒霞渓などの厳しいコースを、元気に駆け抜けたようで嬉しい。またT田さんからは600枚以上撮った中から選りすぐりの写真をたくさん送ってもらった。 日曜日の「名古屋ウイメンズ」では、M子さんがまたまた自己新記録を達成したようだ。レース前はさほど調子が良くなかったようなのに、彼女はいざ本番になると強い人だ。レースも含め、ご主人と一緒にいろいろ楽しんだようで何より。同日の「京都」では、新潟の「銀のねこ」さんが快走した模様。少し前に神戸の実家に帰り、練習した成果が出たようだ。ともあれ走友の消息が少し分かって良かった。 話は変わるが、退院後の1カ月検診で腹部のレントゲン写真を撮られた。執刀医に何故か尋ねたら、不整脈の手術後に「胃拡張」になることがあるためらしい。「同意書にあったでしょ?」と言われたが、16ほどもある後遺症の可能性の全てを理解した患者はいないと思う。ましてほとんど説明もなく、わずか5分ほどで同意書に署名させられたのだから。 手術後に飲み始めた「不整脈抑止剤」は良かった。嫌な副作用は全く出ず、1カ月近く快適に過ごせた。それまでに飲んだ薬とは大違いで、あのまま薬を服用し続ける選択もあったのかも知れない。だが執刀医は不整脈が出たら何度でも手術をすれば良いと考えており、「もしダメでも手術前に戻るだけで、それより悪くなることはないですから」などと言う。 今日は職場の上司に再入院、再手術の可能性が高いこと、4月からの異動先の所長にもその旨伝えて欲しいことを話した。そして帰宅後は区役所に行き、「限度額適用認定証」をもらった。保険証を見せるだけの簡単な手続きで、入院時の領収書、運転免許証、印鑑も持参したが全く不要。これで次回の入院費用はかなり少ない支払いで済む。不整脈とはどうやら長い付き合いになりそうだ。
2012.03.15
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大阪府高槻市に住む109歳の老婆がこのたび虫垂炎の手術に成功したようだ。大西アイさんがその人。腹膜炎も併発していたため手術となった模様だが、高齢の身体に負担をかけないよう、手術時間は25分で終えた由。この年齢での手術成功は極めて珍しいみたい。手術後のアイさんの言葉「海老フライが食べたい」にはビックリ。相当生命力が強い人なのだろう。 少し前に肥満度に関する調査結果が発表された。男子の肥満度ナンバーワンは沖縄県。かつて沖縄県は男女とも長寿の県として有名だった。女子は今でも長命なのだが、男子の結果は驚くべきもの。だが「なんくるないさ~!」(どうってことないよ)と、のんびりした返事が返って来そうだ。昔は貧しかったがストレスがなかったため、長生きだった沖縄。だが、戦後豊かになってから栄養の摂り過ぎになった。 沖縄の弁当にはAランチやBランチと呼ばれるものがある。いずれも油で揚げたものや炒め物のおかずが多い。暑い沖縄では食べ物が直ぐに傷むため、どうしてもそのようなおかずになるのだが、1食当たり1500キロカロリーはあるように思う。土地で採れた野菜を中心にした食事なら太ることもないのだろうが、ストレス発散のためにも、つい食べてしまうのだろう。沖縄の新しい「闇」だ。 全国の死亡率について過日発表があった。最も死亡率が高いのは青森県だそうだ。これは塩分の摂り過ぎが原因で、高血圧や脳出血につながる。ただしリンゴの産地である津軽地方では死亡率が低いらしい。きっとカリウムが多いリンゴを良く食べるため、塩分を体外に排出するからだろう。 かつては秋田県が男女共死亡率が全国一だった。だが、その後塩分控え目の生活改善運動を起こして、汚名を返上したようだ。死亡率の低い県は男女共長野県が1位。公立病院による生活改善運動が功を奏し、特に農村部でその傾向が顕著だと聞いている。そして長野もリンゴの生産地なのは偶然だろうか。 2月に入院した病院での食事はとても薄味だったが、それでも食べられた。あれ以降、自宅でも極力薄味を心がけている。だが、なぜ不整脈が再発したのか。執刀医が私の場合の再発率は70%と話していた。普通の人の再発率が20~40%だと言うのにだ。どうやらその理由は不整脈を起こしていた期間の長さと関係するようだ。 超長距離を走るウルトラマラソンが、身体に過度の負担をかけるスポーツであることは間違いない。レースでは大量の汗をかき、水分が失われる。さらに身体に重要なミネラル分も、発汗によってかなりの量が失われる。そのことが体内のイオンバランスを崩す。不整脈にとって一番の敵は「脱水症状」なのだとか。 1カ月検診の結果に基づき、ドクターは不整脈抑制剤の服用中止を決めた。再び不整脈が起きたのはその夜だから、因果関係は明白。それまで薬で抑えられて来た不整脈の原因となる別の「電気信号」がゾンビのように蘇ったのだ。まさに劇的な変化。覚悟はしていたものの残念の一語。2回目の手術を受けた同室の「いびき男」の落ち着きぶりは見事だった。再入院に当たって、私も見習わねばと思う。
2012.03.14
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日曜日の夜、布団の中に潜り込んで、韓国の歴史ドラマ「トンイ」を観ようとしたら、画面に「放送してません」の文字。仕方なく居間のテレビを観ようとしたのだが、やはりダメだった。番組欄にはちゃんと載っていたはずなのにどうしたわけか。翌日、現場で仲間に聞いたら普通に観られたようで、あらすじを教えてくれた。あの時間帯は我が家の辺りで雪が降っていたので、原因はそれかも知れない。 仕事を終えてから病院に行った。1カ月検診を終え、会計の窓口で支払おうと待っていたら、「手術の時に一緒だった人ですか?」と問いかけて来た人がいた。「手術は不安。タバコが吸いたい」と向かいの病室で弱音を吐いていた「ビビリマン」だった。今日の措置を聞くと全く同じ状態で、今夜から不整脈の薬を止める由。「心配ですね」と今回もまたビビっていた。 帰宅すると愛犬がいない。繋がれた場所には濡れた段ボールと敷きものが残され、愛犬は玄関に入っていた。少し雨に濡れたようだ。あれほど「出かける時はガレージにつなげ」と言っていたのに、妻はタカをくくっていたようだ。前回も妻の不注意でずぶ濡れになった愛犬。その再現だったため、腹が立ち、強い口調で妻に文句を言った。 その深夜、心臓の調子がどうもおかしいのに気づいた。あまりにも脈が早過ぎるのだ。「やはり薬を止めたせいか」と暗澹たる気持ちになったが、いつの間にか眠った。朝の散歩を終えてから、血圧を測定した。脈拍が110以上もある。これは異常事態だ。そそくさと朝食を作って食べ、職場へ向かった。帰宅後の血圧測定では、さらに脈拍数が上がった。 強い動悸を感じたため、急遽いつもの循環器内科へ向かった。1カ月検診の結果を手渡す必要があったし、この異常事態にどう対処するかを先ずはドクターに相談したいと思ったのだ。病院内で測った脈拍は140を超えている。その結果を看護師に伝えると、診療時間前にも関わらずドクターは診察室に私を呼んだ。事情を説明すると、直ちに心電図を撮って欲しいと指示。結果は最も恐れていた不整脈の再発だった。今度は「心房細動」ではなく「心房粗動」との由。 ドクターから総合病院の主治医宛てに電話し、指示を受けた。取り敢えず脈拍を抑える薬を3日分処方し、来週の月曜日に再び総合病院に行くことになった。主治医は「やはり出ましたか」と言ってたそうだ。いつ入院して手術を受けられるか微妙な所。4月から新しい仕事が始まるのだが、着任早々休暇を取れるかどうか。でもそんな悠長なことを言ってる暇はないはず。 私にとっては再び厳しい日々になるが、取り敢えず愛犬を連れて「ホワイトデー」のお返しを買いに行った。妻にはまだ今回の事態について話してないが、彼女は果たしてどんな風に受け止めるだろうか。
2012.03.13
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昨日のテレビで、世界中の人々が「東日本大震災」の犠牲者を悼み、被災者の安寧を祈ってくれたことを知った。心の傷はなかなか癒えないと思うけど、ありがたいことだ。そして被災者の方々が少しでも元気になり、前に向かって進める日が早く来るのを祈りたい。 さて、先週末の土曜日は「小豆島ウルトラ遠足」があった。主催者のHPによれば出走者552人、完走者461人で、完走率は83.5%だった由。宮城県内の走友が何人か参加したはずだが、結果はどうだったのだろう。また香川の走友TANさんは、今回が最後の100km挑戦と聞いた。膝痛と戦いながら、どこまで進めたか気がかりだ。 昨日の日曜日は大きなレースが2つあった。ロンドンオリンピック代表選手の選考レースである「名古屋ウイメンズマラソン」は正午のスタートと勘違いしたため、テレビを点けた時はトップグループが34km付近まで来ていた。そこから優勝したマヨロワ(ロシア)がスルスルと抜け出したが、日本選手は追う力が無かった。 ダイハツの中里と第一生命の尾崎との一騎打ちが見ものだった。終始リードしていた中里だが、残り1km付近でスパートした尾崎について行けなかった。それでも3位(日本人2位)は立派。4位の渋井(三井住友海上)もレースを終えてからも悪びれず、一旦は引き離された野口みずき(シスメックス)が長いブランクがあったにも関わらず6位に食い込んだのは立派と言えよう。 レース後、野口は42.195kmを走り切れたことで自信を持ったのか、「このまま引退はしない」と表明したようだ。我が走友会からもM子さんが出場したが、どんな走りが出来たのだろう。「京都マラソン」も名古屋同様にこの日が新生第1回大会だった。こちらにも参加した走友がいると思うが、無事完走したと思う。 昨日の結果を踏まえて、今日日本陸連がロンドンオリンピックマラソン代表選手を発表した。男子は無職ランナーの藤原。彼は東京マラソンで好成績を収めた。佐川急便の山本と安川電機の中本は、先日の「びわ湖」の好タイムが決め手。やはり選考基準はタイムを重視したのではないか。補欠は旭化成の堀端で、公務員ランナー川内は、残念ながら選に漏れたようだ。 女子は大阪マラソンで断トツの成績だった重友(天満屋)。ダイハツの木崎は「横浜」での優勝が決め手となり、尾崎(第一生命)は名古屋の力走ぶりを買われたのだろう。補欠はホクレンのベテラン選手である赤羽。男女6人の選手が、全員初代表なのも新鮮で良い。今後調整を重ね、8月のロンドンでは颯爽と走って欲しいと思う。 さて私は今日病院に行って来た。手術後の1カ月検診だったが、不整脈の再発は見られない由。このため不整脈を抑える薬の服用は中止し、1カ月後に次回の検診。その間、通院している病院でホルター心電図を撮り、その結果を持参せよとの指示だった。一番聞きたかった「ランニングの練習開始」については今回もゴーサインが出なかった。 不整脈が出てないのは嬉しいけれど、練習が出来ないのは悲しい。まる2か月走らなければ、既にエントリーしているレースへの出場はとても無理。これからどうやって自分の気持ちをコントロールするかが難しい。それでもこれが現在の自分に与えられた試練なので、耐えるしかない。この冬も厳しく長かったが、春もまた私にとっては長くなりそうだ。
2012.03.12
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死者19131名、行方不明者1694名、避難生活者34万人余、うち仮設住宅住まいの人11万人余、被災者中家族が離れ離れになっている人3割、被災者中仕事を失ったままの人4割=6万5千人、岩手宮城福島3県の被災商工業者のうち休業中か廃業を決めたのは22%、宮城県内の全壊家屋8万4千戸、同じく半壊家屋13万9千戸、宮城県内の瓦礫処理率6.8%、瓦礫処理残量18年分。 「東日本大震災」から1年。テレビでは各社が特別番組を放送している。だが、あれから一体何がどのように変わったのか。復興の足取りは相変わらず遅く、被災者の心の傷は癒されていない。いや、災害救助や捜索に当たった自衛隊隊員の中にも、被災地で遭遇した生々しい場面によってPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ隊員が20%近く存在すると言う。 先日我が家を訪れた生命保険の小母ちゃんも、あの震災でパニック障害に罹ったそうだ。妻も一時精神状態が正常とは言いかねたし、妻の姉はさらに重い症状を呈した。私の不整脈発症もその影響を多分に受けている。幸いにして我が家ではさしたる被害もなかったが、被災者の多くは今でも今後の生活をどう切り開くか、見通しが立たないのではないか。 大津波による福島原発事故発生時、アメリカ政府はいち早く日本政府から情報を提供してもらい、自国民を原発の圏内80kmから退避させた。もちろん4基の原発のうち3基がメルトダウンを起こしたことも把握していたようだ。それだけ危機管理が徹底していたのに、わが国では事故処理もお粗末だったし、危機管理も全く出来てなかった。 あれから1年。各地では様々な動きがあった。岩手県の陸前高田市では、流木のカエデでバイオリンを作ったそうだ。東京のある市では、宮城県石巻市の工場から流失した泥だらけの缶詰の汚れを洗い、「希望の缶詰」として市民に販売してチャリティーに協力した。美談のある一方、福島から「疎開」した児童が転校先でいじめに遭ったり、汚染度の低い瓦礫の受け入れを拒む傾向も強い。 日本で大震災が起きたことを知ったコロンビア大学名誉教授のドナルド・キーン氏は、直ちに日本への移住を決意した。長年の日本文化研究が認められ、2008年に文化勲章を受章した同氏は急遽来日し、3.11を前にこのたび日本国籍を取得した。氏の「日本を深く愛する」気持ちがそうさせた由。「鬼怒鳴門」(きん・どなるど)それが自ら選んだ「新しい名前」とか。 私が所属する走友会の仲間Eちゃんの夫君が、今月末から来月上旬にかけて写真展を開催する。場所は仙台市博物館のギャラリー。テーマはこの1年撮り貯めた被災地の風景だ。生々しい映像を観るのは辛いが、これは亡くなった方々や未だに行方不明のままの方々への鎮魂でもある。そして「あの日」をいつまでも忘れず、心に刻みたいと思う。
2012.03.11
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昨日のこと、研修会場へ向かう横断歩道で信号が点滅し出した。これはいけないと思わず小走りになったまでは良かったのだが、その後が良くない。何と十数メートル走っただけで、心臓がバクバク波打ったのだ。退院後、バス停まで急いだことが何度もあったが、これほど脈拍が速くなったとはない。ほぼ1カ月走らなかったために心機能が衰えたのか、それとも不整脈が再発したのか。 気がかりの2つ目は、研修からの帰路バス停が見つからなかったこと。いつも朝降りるバス停の道を隔てた向かい側にあると思っていたのだが、見つからないうちに乗ろうとしていたバスが走りさってしまった。暗がりのため見にくかったのは間違いないが、きっとバス停の位置を正確に覚えてなかったのだと思う。 折角の機会なので第1現場のビルに寄った。その時間帯はちょうど遅番の同僚が立哨している。前から気になっていたのが、我が社がそのビルから撤退する理由を彼が知らないこと。立哨中の姿を見て、すっかりこの仕事に習熟したことが分かった。その彼に、5つほどの原因と背景を話した。疑問がすっかり解けたようで、やはり立ち寄って正解だった。 気がかりの4つ目は愛犬のこと。この日午後は一時雨になるとの予報だったが、妻が庭につないだまま仕事に行って濡れることを恐れていた。老犬である上に長時間氷雨に当たったら、いくら寒さに強い種類でも体調を崩すこともある。家に着くと愛犬は既に玄関に入れられていたが、庭の段ボールとバスタオルが濡れたまま。やはり私が心配した通りだった。 妻に聞くとまだ散歩に行っていない由。慌てて着替えし、雨の中を散歩に行った。初めは玄関から出るのを嫌がっていたのだが、どうやら生理現象には勝てなかったようで、我慢していたウンチとオシッコをたくさんした。いつもよりかなり遅い夕食を済ませブログを書く。研修の疲れがドッと出、どのブログへも訪問出来ず入浴後すぐに眠った。 土曜日の今日はリサイクルゴミの取りまとめ。それから業者の人に来てもらい、シャワートイレの品定めと発注。そしてソーラーとオール電化の工事日程を確認し、内金を支払った。シャワートイレも含め工事は来週中に行う予定。問題はソーラー化に関して申請した国の補助金がいつ認可されるかだが、これは夕方に書留で届き、気がかりな点がほとんど解決した。 午前中は映画「おかえり、はやぶさ」を観に行った。震災復興応援興行で土日の2日だけ無料なのを知ってたが、チケットが取れるかどうかが問題。幸いにして一番前の席が開いており、窮屈な姿勢だったが楽しめた。「はやぶさ 遥かなる帰還」は山根一眞原作の科学的な映画だったが、こちらは極めて娯楽的。 主な出演者は三浦友和、藤原竜也、大杉漣、中村梅雀、田中直樹(ココリコ)、カンニング竹山、宮崎美子、杏。脚本はラブコメディーが得意と言う金子ありさで、やはり「それなり」の内容だった。それでも3D版をただで観られたので良しとすべきか。「はやぶさ」の映画化は3作品あるが、これでそのうちの2つを観たことになる。
2012.03.10
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アルザスロレーヌ地方はフランス領、ドイツ領となることを繰り返した。1871年の普仏戦争(ドイツのプロイセン王国対フランスの戦い)の敗戦で、フランスはこの地方を明け渡すことになる。ある日学校に遅刻した少年が教室に入ると、いつもは煩い先生が穏やかに彼を招き入れた。 そして「明日からこの地方の学校ではドイツ語でしか教えてはならなくなる。今日がフランス語で行う最後の授業だが母国語を忘れない限り祖国は心の中にある」と話した。その時ドイツ兵が吹き鳴らすラッパの音がし、先生は口を閉ざす。恐ろしくてフランス語を話せなくなったのだ。彼は黒板にフランス万歳と書き、皆は教室に別れを告げた。ドーデーの短編小説「最後の授業」は、確かこんな内容ではなかったか。 私は今日、「最後の授業」ならぬ警備員としての最後の研修を受けた。来月から清掃員に変わるのだが、今月末までは警備員としての資格を有する。そのために半年に1度「現任教育」を受ける必要があるのだ。研修センターに着くと同時に、教育担当の部課長にこれまでお世話になったお礼を述べた。私が今の会社に入ってから警備員として勤務したのは6年間だった。 それ以前の現場が入札で敗れ、警備員として現在の現場で再出発することになったのだ。この間に4回応募した「警備員論文」は入賞が3回、入選が1回。また2回応募した「安全標語」は、1回が入賞で1回が入選だった。何も知らずに配属された業務だが、本当に良い経験が出来たと思う。そして今日受けた「最後の研修項目」も相変わらず多彩だった。 大原則である「警備業法」の基本理念、礼式の実技、言葉づかい、国旗の取り扱い、出入管理、不審者への対応に関するグループ討論と発表、火災への対応と実技、震災時の救出法、防御法の実技などを資料やビデオを交えて教授された。まる8時間の「缶詰め」でも疲労を感じないのは、緊張感があるからだろう。最後に挨拶をして会場を後にした。 警備員仲間との会話から他の現場の実態を知り、仲間の多彩な経歴を知り、業界の現状や会社の意向を知ることが出来たのは有益だった。警備員としての6年間は緊張の連続と言いたいところだが、最近は初心を忘れ「たかを括って」いた点もあったと反省。自らの行動が契約先や会社に迷惑をかけることにもつながる業務は気を抜けないと、最後の研修でも再認識させられた。 この任務を離れたら直ちに警備服などをクリーニングに出し、会社に返納する。これはもちろん悪用されないためで、警備服の着用による「信用」を逆手に取る犯罪も可能だからだ。今月は残り20日あまりだが、実際に勤務する日はさらに少ない。最後まで気を緩めずに勤務したい。本当に安心するのはその後。4月からは新たな視点で安全に注意しようと思う。
2012.03.09
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昨夜ポルトガルであった「アルガルベ杯」の決勝戦で、わが「なでしこジャパン」は惜しくも準優勝に終わった。相手はワールドカップで快勝したドイツ。自国で開催した大会で敗れ、ロンドンオリンピックへの出場権を逃した悔しさを、今大会にぶつけたようだ。一方のなでしこは、澤が体調を崩してゲームに出られず、佐々木監督は宮間をキャプテンに指名した。 前半のうちにドイツに2点のビハインド。その厳しい状況を撥ね飛ばして2対2に追い着き、その後2-3と引き離されても再び追い着いたのは、気持ちで負けていなかったからだろう。最後はロスタイム寸前に相手の巧妙なシュートが決まって敗れはしたが、ワールドカップの優勝に続く、今大会の準優勝は立派。さすが世界ランク3位は伊達じゃない。 昨日は我が東北楽天が西武を相手に、オープン戦初勝利を挙げたようだ。スコアは1対0の僅差。練習試合でも僅差での敗戦が多かったが、星野監督がキャンプ後に「ともかく勝ち癖を付けるのが大事」の話が、ようやく半歩前進した感じ。一方大リーグでは、レンジャーズのダルビッシュが今朝(日本時間)のオープン戦で初登板。2回を無失点に抑え、上々の滑り出しを見せた。 さて、私は一昨日から昨日にかけて、「ホルター心電図」の装置を胸に装着していた。これは来週月曜日にある、退院後の1カ月検診に先立ってのもので、同じ日には「心エコー検査」も行った。「ホルター心電図」は、丸一日分の心臓の動きを調べ、同時に「行動記録表」に示された「項目」を何時何分に行ったか、チェックすることが求められる。 主な記入事項は、就寝と起床、トイレ、食事、服薬、仕事、運動、階段、交通機関での移動などであり、特記すべき症状として、動悸、息切れ、めまい、胸痛が上げられている。これをその都度漏れなく記入して行くのだから神経を使う。もちろん入浴は禁止。幸い24時間内に特記すべき症状はなかった。 目下ドクターストップ中のため強度の運動はしていないが、私の場合は体を動かす仕事なのでそれが脈拍にどう影響したか。また積極的にウォーキングをしており、装着期間中もかなり歩いた。それでも多分不整脈は出ていないと思うのだが、果たして来週の月曜日(12日)にはどんな結果になるか。 退院後2通のレース案内が届いた。1つは5月下旬の「仙台鉄人会レース」で、これは毎年10時間走に出ていた。また開催時期が9月に変わった「磐梯高原猪苗代湖マラソン」は、これまで100kmの部に出場していた。先ずは検診の結果待ちだが、例えドクターから「ゴーサイン」が出ても、走る筋力を取り戻すのは容易ではないと思う。 既にエントリー済みの「仙台国際ハーフ」(5月)と初めて50kmの部にエントリーした「いわて銀河」(6月)。当然それらも検診結果とトレーニング次第だし、不整脈が再発すれば2度目の手術を受けることになる。そんな訳で今年のランニングは目下「五里霧中」状態。地球2周到達まで残り1461km(本日現在)だが、今年中の達成がなるかどうかは、全て「心臓と足」の回復にかかっている。お~い頼むぞ~。俺の心臓と足~!!
2012.03.08
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昨日に続きど素人の政治評論ですが、暫くお付き合い願います。昨日東シナ海のガス田開発に触れましたが、早速中国側で新たな反応があったようです。中国が開発中のガス田「日本名:白樺」については日中間で共同開発することが決まっていますが、中国軍部の高官がこの決議には反対であることを表明しました。政府が決めたのを軍部が覆すとは、とても信じがたいことです。 そもそも中国は日中間の国境を、それぞれの中間点とすると言う日本側の主張を認めてないのです。中国海軍の強化は近辺諸国にとって脅威であり、領土や領海を広めようとする動きが実際にあります。出来れば沖縄も自国の領土と主張し、東シナ海から太平洋へと進出する考えのようです。 一方、沖縄の普天間基地が東海岸の辺野古へ移転する話がこじれ、普天間基地の固定化に伴う整備不良も問題になって来ました。これも街中にある基地としては、とても危険な話です。また沖縄に駐屯する海兵隊の一部を、辺野古移転とは切り離して海外に移転する話が進んでいます。長年犠牲になって来た沖縄県民にとって基地は不要な存在でしょうが、中国はそれらの状況も「織り込み済み」でしょうね。 橋下大阪市長も沖縄の米軍基地を海外に移転させる考えです。ただし、それを主張する際は、先ず沖縄に説明に行きたいとも話しているようです。首相公選や道州制への移行など、いわゆる「維新八策」が国民的な話題になっていますが、同市長のブレーンである堺屋太一氏によれば、「首相公選制」はグループの「思想」であり、直ちに実現すると考えている訳ではないそうです。 河村名古屋市長の「南京虐殺はなかった」との発言にも驚きました。南京市と同市は「姉妹都市」になっているようですが、そこから訪問して来た相手に対する発言としては、礼を欠いたのではないかと思います。「南京虐殺」はアメリカが広島、長崎に原爆を落としたことに対する国際的な非難を避けるため、国策として宣伝したと聞きます。 中国政府がそれを利用し、日本軍の蛮行を宣伝するための博物館を国内各地に建設したのは、比較的新しいことのように思います。自国の民族政策を隠ぺいし、「長安門事件」などから民衆の目をそらす効果が「南京虐殺」にはあったのでしょう。この過激な「歴史教育」が日本に対する偏見に繋がっているのも見逃せません。 さて、「橋下人気」にビビったのか、つい最近野田総理と自民党党首が「密談」したことが明らかになりました。きっと、それだけ国内の政情が不安定なのでしょう。間もなく「東日本大震災」から1年を迎え、そして「復興庁」も発足したのに、どうも復興の足取りが遅いと感じるのは私だけでないでしょう。 かの橋下氏は、「不可能を可能にするのが政治」とも話しています。長年政治家を勤めて来た諸氏に、聞かせてやりたい言葉です。時限的とは言え、国家公務員の給与の7%減額を法律で決めておきながら、自らの改革は二の次では国民の信頼を失うでしょう。こんな混沌とした時代だからこそ、未来への指標を明示してくれる強いリーダーが必要と思うのですが。
2012.03.07
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果たして6ヶ国協議への前提となるかは分かりませんが、先日アメリカと北朝鮮との間で協議が持たれました。アメリカとしては「北」が核保有への道を進むのだけは何としても阻止したいだろうし、一方の「北」は新体制になって初めて迎えるこの機会に、飢えた自国民への食料援助を何としても実現したいと言う思惑があったのでしょう。 アメリカはこれまでも交わした「約束」を反故にしっ放しの「北」へ、ある程度の量の栄養補助材の提供に留める旨伝えたようです。もし麦や米を提供しても、果たして末端の国民まで配られるか不明だからです。日本も拉致問題担当の大臣を置いていますが、何時になったら進展が見られるのでしょうね。近くて遠い国。それが北朝鮮ではないでしょうか。 アメリカの経済もなかなか立ち直れませんが、ヨーロッパの不況はさらにその上を行くようです。果たして「ユーロ」はいつまで持ち堪えれるのか疑問ですね。このところ少し陰りが見えたとは言え、中国の勢いはまだまだ止まりません。「強い中国」を象徴するように、軍事費の伸び方は異常なほどです。2012年度の国防費は前年度の11%増と報道されていますが、実態は違うようです。 軍高官の話によれば、2011年度の予算は政府発表の1.7倍だそうですが、本当はその3倍との説もあるほどで、公表された数字には「防衛に関する研究経費」は含まれていないそうです。先日日本が尖閣諸島の無人島4か所に「名前」を付けたら、中国は直ちに30もの無人島に中国名を付けて公表しました。「境界線」付近の海底油田では「火」が燃えているみたいで、日本との共同開発などは、既に「絵に描いた餅」になっているように思います。 ロシアではプーチンさんがまたまた次期の大統領に選ばれました。これまでも大統領を2期、首相を1期勤めているので、大変な長期政権ですね。長年の独裁による「腐敗」も多いようで、国民には少なからず不満が鬱積しているのでしょう。その彼が、日本との間で生じている「国境問題」に早急に決着を付けたいとつい最近話した由。日本としては望むところでしょうね。 「北方4島」がそっくり帰って来るのか、それとも歯舞、色丹の2島に留まるのか。外交、特に国境問題に関しては、原則を曲げて妥協した方が「負け」みたいですね。尖閣は我が国固有の領土なので「国境問題」はないとの考えで良いでしょうが、「竹島」と「北方4島」は何とか取り戻したいものです。それには絶えず国際世論に訴えるしかないのですが、日本はそれを怠っているように思えてなりません。
2012.03.06
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昨日の「びわ湖毎日マラソン」ですが、氷雨降る中での激闘は凄かったですね。優勝はサミュエル・ドウングでしたが、日本人のトップ争いが熾烈でした。37kmまでは堀端(旭化成)がかなりリード。ところが寒さで痙攣し、失速。中本(安川電機)が一躍トップに躍り出ました。そのまま皇子山陸上競技場まで来たのですが、ここで何と一般参加の山本亮(佐川急便)がトラック内で中本を抜いてゴールに飛び込むと言う大番狂わせ。 タイムは2時間08分44秒。それまでの自己記録を3分以上縮めての4位は立派なもの。多分ロンドンオリンピックの切符を手にするのではないでしょうか。中本にとって不運だったのは、山本が1万メートルで国内4位の実績を持つスピードランナーだったこと。そして注目の堀端はスペシャルドリンクを取れなかったことと、アームカバーを着用してなかったことが敗因でしょうか。 今日の仙台はこの冬一番の大雪となり、積雪は17cmに達したようです。第1現場でも玄関先を雪かきし、第2現場では雨に変わる中、本格的な雪かきをしました。お陰でびしょ濡れです。帰宅してからは自宅の雪かき。これは出勤後の積雪が多かったためです。そんな訳で、今日は3度も雪かきをする羽目になり、とても疲れました。 さて、1991年にイタリア北部の氷河で発見された5300年前のミイラ「アイスマン」の素性が最近明らかになりました。「ネーチャー」に発表された論文によれば、彼の身長は160cm、血液型はO型、瞳の色は茶色、襲撃されたのか鏃(やじり)が刺さっていたそうです。さらに心疾患にかかりやすい易い体質であることやダニが媒介する皮膚病のライム病に罹っていたことも判明した由。 ダニの次はノミの話。フランスと中国の古生物学者が「ネーチャー」に発表した論文によれば、1億5千万年前に専ら恐竜の血を吸っていたノミの化石が見つかった由。体長はメスが2cmほどでオスが1.5cmの「ノミの夫婦」で、ジャンプは出来なかったようです。恐竜絶滅後は哺乳類や鳥類を吸血の対象とせざるを得なくなったため、今日のように体が小さくなったとか。不思議ですね。 古い洞窟画と言えばスペインのアルタミラ(1万8千年~1万年前)やフランスのラスコー(1万5千年前)が有名ですが、アメリカ大陸として最古の岩絵がブラジル中部の遺跡で見つかったそうです。こちらは1万2千年~1万年前のもので、大きさは縦が30cm、横が20cm。頭はアルファベットのC(シー)の字みたいで、手は3本指。男性のシンボルがあるそうです。やはり人類の繁栄を願って描かれたのでしょうか。 最後は花の話題できれいに締めましょう。ロシアのチームがシベリアの凍土の化石から発見したのは約3万年前のナデシコの仲間。これを最新技術で生き返らせ、見事咲かせるのに成功したそうです。花は白くて素朴なもの。マンモスが生きていた時代にも咲いていたことになります。科学の力で蘇ったナデシコは、とても生命力に溢れた花でした。
2012.03.05
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雛祭りの昨日、夕食は「散らし寿司」だった。最近我が家では「七分搗き米」を配達してもらっている。色は黒いが栄養がありそうだ。妻が言うには、これだと散らし寿司が作り難いので、白米の5kg袋を買って来たそうだ。そのせいか、酸っぱさと甘さが混じった散らし寿司はとても美味しく、その彩に春の訪れを感じた。 この朝、妻が物凄い剣幕で怒鳴る声が聞こえた。洗濯を始める積りだったのに、私が最後においたズボンが余分だと言うのだ。その声を2階の自室で聞きながら、私は何が起こったのだろうと考えた。もしも洗濯ものが多いのなら、その分を次回に回せば良いだけの話。何故あそこまで怒るのかが、不思議だった。 妻が言うには、未明はっきりとした夢を見たそうだ。孫の1人が川に落ち、必死になって助けようとしたが、通りかかる人は誰も気にしてなかった由。それで半狂乱になって飛び起きたのだが夢と現実がごちゃ混ぜになって、ついあんな大声を出したと言うのだ。 一方、私は腰が痛かった。数日前、朝の散歩から帰り、愛犬に餌を与えようとして玄関先の階段で転んだのだ。なぜ転んだのか自分では良く分からないが、餌の半分が飛び散った。階段が低かったのと、上手く「受身」が出来たのか、大した怪我もなく済んだのが幸いだった。 4月から清掃を担当するビルは15階建て。地下も2階まである。その階段を後向きに下りる作業が必ず起きる。階段の掃き拭きは後ろ向きでの作業なのだ。だから危険を避けるためには1段の高さと奥行きを体に覚え込ませる必要がある。若くない自分が注意すべきことが、これまで以上に増えるのは間違いない。 さて、「ひな祭りの歌」を作ったサトウハチローは、自分の子供がこの歌を歌うと、途端に機嫌が悪くなったそうだ。その理由は歌詞に幾つかの過ちがあったこと。一つ目は「お内裏さまにお雛さま 二人ならんですまし顔」の部分。男雛と女雛を合わせて「内裏雛」と言うのが正しいようだ。二つ目は「少しお酒を召されたか 赤いお顔の右大臣」。赤い顔の人物は左大臣が正しい由。 『「お内裏さまとお雛さま」の表現はおかしいよ』と先日妻に話したばかりだが、その理由は「お内裏さま」も「お雛さま」の一人のはずだから。私の疑問はこの日の朝刊で解決されたが、高名な詩人にも時には間違うことがあると知って逆に親しめた。まして凡人の我々の場合、誤解や勘違いや物忘れなどを過剰に恐れる必要はないのかも知れない。
2012.03.04
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東北楽天のチケットを買いました。4月1日(日)の対ロッテ戦と、4月28日(土)の対日ハム戦です。会社の観戦チケットにも応募しています。6月6日(水)セパ交流戦の対阪神戦ですが、こちらは当たるかどうかは分かりません。今年の開幕試合は3月30日(金)にKスタで始まります。仙台での開幕は初めてですが、ナイターなので相当寒いと思います。 3月、4月の一般前売り開始は2月25日(土)でしたが、ロッテとの初戦と第2戦のチケットは2日間で完売したようです。それだけ東北のファンも開幕を待ちわびているのでしょうね。初戦はファンなら誰でも観たい試合。それも沢村賞投手の田中マー君が先発なのは確実なので、さらに人気が高いのでしょう。ファンクラブに入会してないと、こんな「プラチナチケット」は入手出来ないと諦めています。 沖縄・久米島でのキャンプも無事終了し、若干の練習試合を経て1カ月ぶりにKスタに選手が帰って来たのが先月末。寒い東北の空の下、それでも選手達は本拠地で練習出来て嬉しかったようです。その時、ピッチャーの小山はアンダーシャツが半袖だったとか。3月末のナイターを意識し、寒さに慣らしておこうとのベテランの心意気でした。 今日は長崎で横浜を相手のデーゲームが開催されますが、楽天の先発予定はマー君とか。横浜の中畑新監督は日本一のピッチャーを相手に、打線がどこまで通じるか楽しみにしていると聞きました。私もその結果を楽しみにしている1人です。アメリカテキサスに渡ったダルビッシュの評判が良いようですね。一方未だに入団の誘いがないのがゴジラ松井。厳しいですが、これがプロの世界なのでしょう。諦めずに頑張って欲しいと願っています。 過日の「東京マラソン」での走友の結果が少し分かりました。我が走友会から参加した3人のうち、不調だとブログに記していたM子さんが、何と3時間35分台での自己ベストを出したそうです。これも努力の結果ですね。そしてK野さんは何とメイド姿でレースを楽しんだとか。膝がまだ不調のようですが、初めての仮装にすっかりハマった感じです。 東京支部の皆さんが、コースの所々で走友会の横断幕を持って応援してくれたのも嬉しいことです。S村さんも十分に実力を発揮したと思います。そして前夜の懇親会も楽しかったようです。K野さんのブログでそれらの写真を観ましたが、最初はメイドさんが誰なのか分かりませんでした。古川組のkazuさんも4時間ちょっとでのゴールだった由。忙しい中、良く頑張りましたね。 沖縄の走友らんふぉさんのブログを観たら、「東京マラソン」と同じ日に、「西表やまねこマラソン」に出たようです。距離は23kmですから、別大ランナーであるらんふぉさんにとっては物足らなかったと思いますが、その分西表の大自然を十分に楽しんだ様子が写真から伝わって来ます。天然記念物の西表ヤマネコなどで知られる西表島。魅力溢れるその島を、いつかは訪れたいと願っている私です。 先日タンスを整理していたら、10年以上前の故障中に使用した「サポーター」が出て来ました。もう必要ないと判断し、奥の方に押し込めていたんですね。膝用とくるぶし用の2種類があり、どちらもまだ使えそうな感じです。ドクターストップが解けたら、心臓と足の調子を見ながら少しずつ走ってみたいと思っています。手術後の1カ月検診まで後10日。私の春はいつ来るのかなあ。
2012.03.03
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仙台育英の駅伝の主力選手10名が、愛知県の豊川高校へ集団転校したニュースには驚いたものだが、その後高校体育連盟の裁定があり、これは震災特例とは認めず大量移籍と判定されたようだ。その理由は、仙台育英が暮れの全国高校駅伝大会に支障なく出場していたことだった由。 確かに震災前とは練習環境が大きく変わったろうし、監督の辞任という事態も選手にとってはショックだったと思う。だが、他校へ転校までする必要性があったのかどうか。この結果豊川高校へ転校した選手は、半年間試合に出場することが出来なくなった。 今月下旬から始まる「選抜高校野球大会」に、宮城県の一高校が21世紀枠で出場する。初出場の石巻工業高校がそれだ。同校は大地震による津波で被害を受けた。また実家が津波に流されるなどの被害に遭った選手もいたようだ。グラウンドは使えず、道具を失い、練習も不自由な中で彼らはボランティア活動にも従事し、県大会では好成績を収めた。 果たしてどちらが高校生らしいか比較するのは酷かも知れないが、厳しい環境の中で頑張った石巻工業を誉めてやりたい。何しろ父兄が被災者のため、甲子園に行くための旅費や練習道具を揃えるための寄付金募集も容易ではないようだ。甲子園での戦いは決して楽なものではないだろうが、これまで逆境に打ち克って来た精神で、何とか1勝を目指して欲しいと願う。 仙台の女子高に常盤木(ときわぎ)学園と言うのがある。音楽科があるのも珍しいのだが、同校は女子サッカーの古豪であり名門校でもある。なでしこジャパンにも3人のOGが選ばれたほど。このたび現役の高校生で初めてなでしこジャパンに選ばれたのが京川舞選手。彼女は卒業後、澤選手などが所属するINAC神戸への入部が決まっているが、急遽ポルトガルへ派遣された。 佐々木監督に実力を認められ、同地で開催中のアルガルベ杯大会へ出場するためだ。初戦のノルウエー戦では途中出場した。これが彼女にとって初めての国際試合。結果は2対1で日本が勝った。そして今夜の第2戦はデンマークが相手だが、京川は先発出場が予定されている。先のワールドカップでは見事優勝したが、若い力でさらなる「底上げ」を図る監督は偉いね。 一方残念だったのがザックジャパン。ワールドカップのアジア3次予選でウズベキスタンに敗れ、C組2位となり、最終予選でも不利な組み合わせになる可能性がある。まさかランキング30位の日本が、77位のウズベキスタンにアウエーとホームで2連敗するとは思わなかった。6月からの最終予選では何とか体勢を立て直して、是非ブラジルへ行って欲しいものだ。 原発事故への対処で苦労している南相馬市長が、先日の東京マラソンで完走した。確か56歳だったと思うが、「福島は負けない!」との信念からランニングを再開し、本番ではサブフォー(4時間以内)での完走を目指していた。結果は4時間9分ほどでのゴールと聞いた。おふざけの芸能人などよりはよほど真剣な取り組み。大震災に負けず、一日も早い復興を祈りたい。
2012.03.02
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今日から3月。仙台では急に暖かくなった。長く厳しかった冬とお別れするのはまだ少し早いようで、当分は三寒四温を繰り返すのだろう。和室の「仙台たんす」の上には雛飾り。そして玄関にはシンビジウムと菜の花。ピンクと黄色の組み合わせは、春の到来が近いのを感じさせる。 雛人形は妻の亡き母が、初めての外孫だった長女の誕生を祝って送ってくれたもの。飾るとかなり場所を取るが私の転勤に伴い、東京、筑波、鳴門、沖縄、松山、大阪、そして仙台と、一緒に旅をした。今は内裏様、お雛様、三人官女とぼんぼりなどのセットだけを飾っている。 2月の入院に対する保険金は、生命保険会社へ請求した1週間後に振り込まれた。前回保険金をもらった医療行為は、今の保険に切り替えた翌日。早朝に鼻から大量の出血を見、救急車で大学病院に運ばれたのだが、保険会社は怪しんで根掘り葉掘り尋ね、病院にも真偽のほどを確認したようだ。後で聞くと契約成立翌日の請求は、支社では初めてのケースだったとか。 あの時はたかが1万5千円の保険金をもらうのに、わざわざ5千円もする診断書を取った。今回は提出する資料が多かった割には、支払いがスムースだった。その金額を告げると、妻は驚いていた。最新医学の恩恵を受けた上に、入院に要した金額の4分の1以上が返って来るのだからありがたい。さらに「限度額適用認定」が確実なため、3ヶ月後にはかなりの金額が返戻されると思う。 一方工事関係の進捗状況だが、契約の翌日に印鑑証明を取った他、S社が屋根に上って実測をした。そしてその翌日には、電力会社への工事申請書と国への補助金申請書を書いて提出した。住宅メーカーの話によれば、ソーラーシステムは今月末までが電力を高く売れる期間らしく、工事は4月以降になると言っていた。 ところがS社の話で、3月中に申請すれば来年度に工事がずれても売電金額は変わらないことが分かった。そしてソーラーシステム導入に伴う補助金は、仙台の場合現在国からしか下りないが、震災前までは県からも市からも別途下りた由。一方、安い夜間電力を利用する「エコキュート」の方も、原発が停止した今は状況が変わり、電力会社にとって「足かせ」になってるようだ。 S社との話し合いで工事料金の半分を前金で渡すことになった。ソーラーシステムが高額のため、予め材料を確保する必要があるのだ。後は正確な図面と正式の契約書を取り交わし、電力会社から許可が下り次第工事に入る予定。そして私の警備員としての仕事も残り30日、休日等を差し引けば実質後20日で終わることになる。最後の日まで心を引き締めて勤務したい。
2012.03.01
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