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≪ 映画と美術を楽しむ ≫ 汗をかくだけでなく、優雅に過ごすのも連休の特権なのでR。映画はシニア料金のため、千円で観られポイントも付くのでR。今回女房と観たのが「わが母の記」。井上靖原作でモデルは彼の実の母。井上靖役が役所広司、母親役が樹木希林、そして三女役を演じるのが話題の宮崎あおいである。主人公の小説家は、長い間自分は母親に捨てられたと誤解し、微妙な心境にあった。 父の死に際してもさほど心は動じなかった。だが、認知症に罹った母の異常な行動が自分への愛によるものだったことを知り、長年の誤解が解けて行く。小説家が自分の家族を小説に登場させることにどんな意味があるのか。食うために文章を書き、そのことで家族のプライバシーが周囲に曝される。井上靖が置かれた家庭環境が意外に思えたし、小説家の一面もこの映画で分かった気がする。 水上勉は長男と離別した。やがて数十年後、偶然成人した長男と邂逅する。何故別れたのかは分からないが、きっと複雑な事情があったのだろう。瀬戸内晴美は家族を捨てて恋に走った。そして小説家になり、晩年近くなってから得度した。恋多き女は尼僧寂聴として生まれ変わり、読経の合間に小説を書く。小説家にとっての家族とは一体何なのだろう。 ブロガーである私もまれに家族を登場させる。だが全ての真実を曝け出すことはない。プライバシーを守ろうとする意識がブレーキをかけるのだ。病気になって初めて原作者は母の愛を知った。だが4歳で別れた時の母の手の微かな感触しか私は覚えていない。連休の映画館は午前中にも関わらず混んでいた。テレビでコマーシャルが流れ、映画の存在を知った人が多かったのではないか。珍しくお年寄り達が多かったのも頷けたのでR。 さて、今日は美術館へ1人で行った。女房は仕事なのでR。「世界遺産ヴェネツィア展」と言う名の通りどちらかと言えば博物館向きのテーマだが、私にとっては面白ければ良いのでR。ヴェネツィアは普通「水の都ベニス」として知られている。シェークスピアの小説である「ベニスの商人」や、「東方見聞録」を書いたマルコポーロの故郷としても有名だ。 ヴェネツィアは共和国だった由。それもナポレオンに滅ぼされるまで1100年もの歴史があったことを初めて知って驚いた。干潟の小島を土木工事で海上都市に変えたことや、海底に打ち込んだ長い杭の上に建物を建てたことはテレビで知っていた。だが海上を制覇して貿易で莫大な富を築き、地中海全体の警備役を務めていたとはねえ。 今回出展されたのは地図や航海図、天体観測器、地球儀、ガレー船の模型、扇子、カットグラスなどの工芸品、貴族の衣類と履物、金銀製の貨幣、古書、各種ゲーム、食器類など157点。同じイタリアでも「ポンペイ」は火山の噴火で滅んだだけに当時の遺物が主だったが、こちらは長い期間使用され、「生きてる資料」の実感があった。 あの港町で生まれたマルコポーロは、父や叔父と一緒に中国やインドまで遥々旅し、20数年後に帰国した。「東方見聞録」は彼が何かの罪で捕えられ、牢獄の中で口述した作品なのだとか。そう聞くと、地中海沿いの遥かな都市が少し近い存在に感じられたのでR。連休中のこんな学びが、老人の想像力を一層膨らますのでR。
2012.04.30
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宮城≪ 家庭菜園の楽しみ ≫ 連休でR。おまけに気温も上がったのでR。こんな時は土いじりが最高。あまり金がかからない上に、頭がすっからかんになってストレス解消にも良い。敷地内もきれいになるし、上手に作ればそのうちに収穫の喜びを味わうことも出来る。こんなありがたい趣味はなかなかない。エネルギーを注げば注ぐほど成果が上がるのだから。 部屋の中に取り込んでいた植木鉢を外に出してからまだ数日。あれから急速に気温が上がり、何度か雨も降った。冬の間寒さに耐えていた植木鉢の植物たちが、すっかり元気を取り戻したように見える。2度目の入院後と手術を終えた後、畑の土を掘った。夏野菜の準備のためだ。その間に庭の草花が一斉に咲き出した。大げさかも知れないが、今我が家は百花繚乱なのである。 さて、連休初日は先ず近所の空き地に行った。元は誰かの庭か畑でイチジクの木が取り残されている。やがて道路工事のために切られてしまう運命。昨年根元から折れてダメになった我が家のイチジクだが、その代用として挿し木するために枝を3本切って来た。うまく根付いたら別な場所に移植する予定。1年以上にも渡るプロジェクト研究なのである。 その後、HCへ出かけた。野菜の苗と種を買うためである。種はキュウリとモロッコインゲンの2種類。これは我が家の夏野菜の定番。次は苗。トマトは桃太郎が12本とジャンボスイートトマトが2本。桃太郎は何度も作ったが、ジャンボは初めて。かなり大きな実のようなので楽しみだ。ミニトマトは2本。これは実が房のようになる種類で、実の数が少ないのが玉にきず。 カラーピーマンは赤が2本と黄色が2本。ナスは米ナス、長ナス共に3本ずつ。ゴーヤも3本だが、今年は1本ずつ種類を変えてみた。「中長ゴーヤ」と言うのはこれまでも作ったことがある。「あばしゴーヤ」と言うには、小太りの実のようだ。そして「白ゴーヤ」は表面が白い色をしている。昨年は1本68円で買えたのが「ゴーヤすだれ」の流行で値上がりし、ジャンボトマト同様1本198円だった。 1本ずつ苗を植え、如雨露で水を撒く。モロッコインゲンは3粒ずつ、キュウリは2粒ずつ種を蒔き、散水。苗と種の費用は全部で3249円。これは全て私の小遣いから。女房は収穫を一部と調理するだけで、一切の世話は私の仕事。夏の草取りや水遣り、その前には支柱を施して倒覆を防ぐ。その本格的な支柱の前に、今日は仮の支柱を立ててやった。 狭い畑だが、工夫次第で十分楽しめる。東の畑には柵沿いにキュウリの種を蒔いた。もちろん根っこは地中に延びるが、畝の幅は15cmもあれば十分。南の畑の柵沿いにはゴーヤ。これも垂直に延びるため、キュウリ同様に蔓が延びる前にネットを張る必要がある。葉が茂ると強い風をまともに受けるため、支柱を特に頑丈にするのが肝要だ。 この後何度かは追肥を施すが、既に発酵鶏糞、野菜用の化学肥料、堆肥があるので夏野菜分のお金はこれ以上かからない。3200円程度で9月初めまで楽しめるのだから、ずいぶん安上がりな趣味なのだ。家庭菜園は趣味と実益の一石二鳥。だから体が言うことを聞かなくなるまで続ける積りなのでR。
2012.04.29
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野口みずきより ハナミズキ チャーシューメンより シクラメン 恥知らずより フユシラズ レバニラより ハナニラ もうすぐ駅に ツキミソウ 父もいるのに ハハコグサ どんなアホでも エーデルワイス オニユリ怖い お母ちゃん 父ちゃんビビって サルスベリ 火星水星 キンモクセイ 眠たい赤ちゃん ムスカリます 言語 ドウダンツツジ つべこべ言わずに オダマキ! 猿でもないのに 珍パンジー 言ってることが バラバラだ オラそんなこと シラネアオイ もっと頭を ヒヤシンス ツバキを吐いてはいけません きれいな花だね スイセンします 妹も美人だけど アネモネ♪ ゴミを捨てたの ダリア!! 死人にクチナシ どうしましょ? ボタンが取れて 青い顔 人をアヤメると 罪が重いよ 毬つき楽しい オオテマリ 車の無い人 カーネーション 頭がなんだか ボケの花 目が疲れて カスミソウ 何の花? いやいやそれは 菜の花よ 俺だけ怒られ シャクナゲ!! 難問もうすぐ トケイソウ マチスの絵を クレマチス 仕事を辞めて フリージャー マーガレット 読んだあの頃懐かしい お盆はいつも キキョウする 甘い口づけ チューリップ あの恋絶対 ワスレナグサ 金メダル取ったら 頭をナデシコ
2012.04.28
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本州に棲むツキノワグマなら、大量にドングリを食べる。また北海道知床半島のヒグマなら、川を遡って来た鮭を捕まえ腹の辺りからムシャムシャ食べる。どちらもしっかりと脂肪を蓄えてから冬眠に入るのだ。メスの熊は冬眠中に何頭かの子熊を産み、乳を与えながら春を待つ。冬眠中は餌も食べないし、ウンチもしないそうだ。そして春になって冬眠から目覚めるといの一番にフキノトウをたくさん食べる由。これで固まっていたウンチが出るそうだ。 ところがニュースになった熊は冬眠をしなかった。秋田県の山中にあるクマ牧場。周囲にはまだ大量の雪が残っていた。ここで飼われていたヒグマは、2日に一回しか餌を与えられていなかったそうだ。餌はリンゴと病院の残飯。いくら熊が雑食だと言っても、これでは腹が減って仕方なかったろう。映像で観たらガリガリの体で立ち上がり、手を叩いて観光客に餌をねだっていた。 あんな姿の熊を見るのは初めて。客の投げた餌を巡って争うクマは、かなり凶暴だった。動物保護団体からは、改善勧告がなされていた由。また地元の警察からは、雪がかなり残っているため運動場へは出さないよう警告されていたようだ。だが、牧場主はそんなことは言われてないと抗弁。どれもこれも後の祭り。運動場の隅に溜まっていた雪の塊を乗り越えて6頭もの熊が逃げ出し、餌を与えに来た老女を襲って喰い殺した。 腹を空かせたヒグマに罪は無い。そんな環境で金もうけのためにクマを飼っていた牧場主こそ問題だ。聞けば経営難で、2人の老女に対する給料も昨年から支払っていなかったとか。彼女達は誰か分からないほどまで喰われ、家族が「DNA鑑定じゃないとダメかも」と話していたのが印象的だった。「秋田内陸ウルトラ」のコースにも「クマ牧場」の案内があるが、まさかあんな悲劇が起きるとは。 先日帰宅途中に川で何やら動物がうごめいている雰囲気。近寄って川の底を覗くと、1匹の老犬が所在なげにうろついていた。この辺りはコンクリートの暗渠でガードレールや金網があるから、散歩中に間違って落ちるような場所でもない。首輪もあるので飼い犬だろうが、動作がどうもおかしい。人間で言えば認知症みたい。ひょっとしたら飼い主が嫌になって、川へ捨てたのではないか。私にはそんな風に感じられた。 帰宅してから町内会の役員に見たままを伝えた。夕方の散歩時にも別な役員に伝え、一緒に現場を見に行った。保健所に連絡して川の中から救い出す必要があると思ってのこと。だが、あのワンちゃんはもう居なかった。誰か近所の人が保健所に連絡したのかも知れない。それにしては周囲の壁が濡れていない。垂直の壁を人の手を借りずに登れるわけはないのだが。 クマも犬も哀れで、悪いのはそれを飼っていた人間。動物達は自分ではどうすることも出来ないのだ。昨年の大震災でも多くのペットが飼い主の手から離れて迷子になった。中には捨てられたペットもいるだろう。そして事故を起こした原発付近では、牛や豚などが無人の街をうろついているそうだ。きっと彼らは餌を見つけるのに必死だろう。我々人間が犯した罪は相当に重い。
2012.04.27
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さて、あなたの予想は当たりましたか~?それとも外れ? ほら、小沢さんの裁判ですよ。政治資金規正法違反の容疑で検察審査会に強制起訴されていた小沢さん。マスコミも世論も「あーでもない、こーでもない」と賑やかだったですね。私は無罪もありだと思っていました。元検事出身の弁護士、郷原さんが「無罪の可能性が高い」と前から言ってましたからね。 結局は「共謀の確たる証拠がない」ということでしょ? これまでの経緯からも、「自分は関わっていない」なんてことを誰も信じてはいないと思うけど、絶対的な証拠が出ないとこういう結果になるのでしょうね。今後検察審査会が控訴するかどうかはまだ分かりませんが、今回の判決を受けて政局が動くのは確実でしょう。でもね、政治には倫理が必要。あれだけ疑問だらけの行動は、道義的にもおかしいですよ。 さて、そんなことより明るい話題を幾つか。ダルビッシュの3勝目は0点で抑えた結果でした。一人だけ「蚊帳の外」だったゴジラ松井が、レイズとマイナー契約を結ぶとの話も嬉しいものでした。これはまだ噂なんですけどね。楽天ファンとしては今季初の3連勝も記しておかないとね。マー君が腰痛で離脱した今、投手陣には踏ん張って欲しいなあ。 明るい話題かは分からないけど、ロンドンオリンピックでのサッカーの初戦が決まりましたね。男子の相手はスペイン。強敵なんて言うもんじゃないですね。胸を借りるなんても言えないでしょう。それでも頑張って欲しいです。女子の初戦の相手はスウェーデン。確かワールドカップでも対戦して勝ってるけど、油断は出来ませんね。 津波で流されたサッカーボールとバレーボールが遥かアラスカに流れ着き、持ち主に返されることになったニュースにはビックリでした。奥さんが日本人で漢字が読めたから分かったし、インターネットでわざわざ検索したみたい。持ち主は両方とも岩手県の高校生でしたが、バレーボールの方は「姓」が書かれてなく、本人からの連絡で分かったんだよね。 佐渡のトキが卵を産み、3匹の雛が孵化したニュースも嬉しいね。トキの学名は「ニッポニカ・ニッポン」って言うんだけど、それだけ昔の日本にはたくさん棲んでいたんだね。「朱鷺色」なんて言葉もあるくらいだから。でも日本産のトキは全滅したんだよ。それで中国から何羽か借りて来て育てたんだ。確かテンだったかに襲われて喰い殺された事件もあったよね。人間が育てた鳥が自然界で生き抜くのは大変だろうけど、何とか頑張って欲しいもんだ。
2012.04.26
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いや~、しばらく会わなかったけど元気だった?俺の方は相変わらずさ。昨日いつもの病院へ行ったんだけど、先日手術した時の様子が分かったよ。先生への手紙を預かって来てね。それで教えてもらったのさ。入院中はほとんど何も言われず不満だったけどね。で、分かったのは手術に要した時間が1時間20分で、不整脈の基になる個所を完全に焼き切ったみたい。つまり手術は大成功だったってことさ。 これでもう不整脈が起きないと嬉しいんだけど、そのうちひょっこり出て来ることがあるらしいからまだ気が抜けないね。そうそう、先生が変なことを言っていた。「糖尿病に注意して欲しいと書かれていますが、何か心当たりがありますか?」だとさ。確かに手術前には血液検査をしたけど、そんなこと一言も言われてないもんなあ。 ただ、M先生にも血糖値が少し高めですねと言われて、検査したことがあった。あの時はしばらく様子をみることになったんだけど、先生はすっかり忘れてしまった感じだね。そうそう、糖尿病と言えば、俳優の渡辺徹が糖尿病で入院したんだってね。子供のころは「渡辺ふとる」とからかわれるほどデブだったみたい。 一転して高校時代はスマートになったけど、俳優になって人気が出、ファンからの差し入れを全部食べていたらしい。それで最大130kgまで太ったと言うからビックリだね。結婚してからは奥さんの榊原郁恵が協力してダイエットに成功したけど、最近は家族に隠れてドカ喰いをしてたんだって。コーラの大びんを1日5本は飲んでたっていうから、糖尿病にもなるわけだ。 入院は確かに辛いけど、健康を取り戻すためだから我慢しないとね。実は俺も昔似たようなことがあった。沖縄に赴任した3年目。女房、長女、次男は内地に帰り、高校3年の長男と俺だけが沖縄に残った。その時のストレスで顎の関節が開かなくなったのさ。夜寝てからも奥歯を噛みしめるため、顎に負担がかかったんだね。当時は怒りっぽい上司がいたからなあ。 それに育ち盛りの長男を飢えさせないよう、毎日必死にメニューを考えた。結局それが栄養の摂り過ぎの原因になったんだね。無性にコーラが飲みたくなって、夜中に買いに行ったこともある。当時のコーラはノンカロリーじゃなかったしね。それに甘く煮た豆の缶詰めを一気に食べたこともある。これも家族と離れて暮らすストレスだったんだろうね。 血糖値が高目なのは、次の転勤先で見つかった。病院で食事療法の指導を受け、走る距離を増やしたら、そのうち自然と治ったよ。女房も食事を考えてくれたしね。ところで不整脈はひとまず落ち着いたんだが、足が痛いため全然走ってないんだよ。 早く走れると嬉しいんだが、痛みの原因はアーチの変形だから、あんまり無理は出来ないね。それでも一応ランニング再開のために、新しいシューズは買ってあるんだ。まあ、焦らずにボチボチ行くよ。じゃあ、君も忙しいだろうけど、健康には十分気をつけてね!!
2012.04.25
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ずいぶん前置きがながくなったが、この本には「琉球処分」前後の数年のことしか書かれていない。それも日本や中国との長い関係、そして緊迫した当時の国際関係などはほとんど抜け落ちている。もっぱら書かれているのは、日本へ帰属するに際して琉球の人達、なかでも政治の中心にあった高官や士族の行動だ。また明治政府から派遣された処分官などの行動も詳しく描かれている。 出来れば日本への帰属を抑えたい琉球側に対し、明治政府の進め方は実務に徹している。当時の琉球では、このことを巡って意見が2つに割れた。一方は長年お世話になった中国との信義を、あくまでも守ろうとする立場。これを頑固党と呼ぶ。彼らはいずれ清国が軍艦に乗って琉球の苦難を救いに来ると信じていたし、実際に中国大陸に渡ってそれを訴えた人達もいた。だが当然のことではあるが、国難の最中にある清国にはそんな余裕がなかった。 一方、近代化路線を進める日本に好感を抱き、その体制下に入ることを受け入れる人達もいた。それが開化党だ。どちらの党派も琉球を愛する心は変わらないのだが、中国につくか日本につくかの相違。両派の妥協案は、返事を出来る限り延ばすこと。この「牛歩戦術」に、政府から派遣された使者が次第に苛立って行く。 廃藩置県が断行された際、琉球王国は「琉球藩」となり、琉球王は「藩王」に任じられた。だが何年経っても交渉が進まなかったことから、ついに明治政府は松田道之を処分官として派遣し、「琉球藩」を沖縄県とし、藩王を華族に列して上京させる。こうして琉球王国は完全に滅び、人々は魂の抜け殻のようになる。 この小説は松田処分官が記した厖大なメモに基づいて書かれている。その貴重な資料が、かつての私の勤務先に所蔵されていたことを、今回初めて知った。そして琉球側の資料は存在しないみたいだ。この差が「琉球処分」だったのではないか。日本と琉球の行動の差は国力の差だけでなく、それまでに乗り越えて来た苦難の相違なのではないか。 新生沖縄県の租税が内地並みになるには、琉球処分からさらに年月を要する。旧支配階級の不満を抑えるための措置だったのだが、小説にはそのことも書かれていない。ただ、琉球人の「心の揺れ」だけは実に良く分かった。 少し前にNHKで「テンペスト」が放送(近々地デジで再放送?)された。幕末期の琉球王国で一人の宦官(実は女性)が大活躍し、国難を救う話だが、実際の沖縄の歴史は島津藩の侵入、日本への帰属、第二次世界大戦下における国内で唯一の地上戦、そしてその後の米軍による統治、民政府誕生、日本への復帰と厳しい道のりを辿った。米軍基地がひしめく現状を嘆き、日本からの「独立」を願う人々も未だに存在する。 北アメリカではかつて原住民のインディアンが白人に追われて土地を奪われ、ハワイ王国がアメリカ合衆国の一州となった。「だから沖縄も我慢すべき」とは言わない。どんな国の歴史にも、語り難い暗部がある。大切なのは本音で話し合うことが出来るかどうか。そしてその前に歴史の真実を知り、今後に役立てる努力を惜しまないことだ。 かつての東北は沖縄と同じ立場に在った。古代には蝦夷の住処として討伐され、中世には平和のシンボルであった平泉が源氏に滅ぼされ、近世・近代では維新戦争で敗れて開発が遅れた。だが新参の沖縄を唯一厚く保護しようとしたのは、東北出身の上杉県令(旧米沢藩)だった。彼には沖縄の苦しみが他人事ではないと思えたのだろう。 偶然の赴任先である沖縄とこれほど長く付き合うとは考えてもいなかったのだが、良きにつけ悪しきにつけ「腐れ縁」となるはず。そして私なりの「沖縄研究」は、死ぬまで続くと思う。そのためにも、この本に出遭えて良かった。
2012.04.24
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2月の入院時に読んだのが吉村昭著「関東大震災」。それを読み終えると「破船」、「海の祭礼」、「ニコライ遭難」と続いた。「破船」は完全な創作だが、他の作品は歴史小説。ここまでが吉村昭の著作。この後「絵で解る琉球王国~歴史と人物~」に続き、今回の入院時に蓮池薫著「半島へ、ふたたび」を読了した。そして10日かかって大城立裕著「小説琉球処分」上下巻を読んだ。 「絵で解る琉球王国」は沖縄の歴史の解説書みたいなものだから楽しく読めたが、それ以外の本はすべて緊張感のある内容。出来ればそれらの本を1冊ずつ紹介したいのだが、今回は「琉球処分」だけにしておこうと思う。沖縄に関心を寄せる私にとってこの本は必読書だったが、沖縄在任中には残念ながら読むことが出来なかった。 昨年11月、偶然那覇市内の書店で手にしたのが下巻。仙台に帰ってから上巻を買い求め、今回ようやく念願達成。沖縄赴任の24年後になってしまったが、案外これで良かったと思う。もし在任中に読んでも、多分本当の意味での理解は出来なかったと思う。私が明治維新前後の近代史に興味を持ってから1年4カ月。その間に読んだ歴史小説が今回かなり理解を助けたと思う。 「琉球処分」とはかつての琉球王国を分解し、近代国家日本の枠組みに入れる政治的作業のこと。日本にとっては当然の措置が、450年もの間夢を見続けていた「琉球王国」の人々には驚き以外の何物でもなかったと思う。17世紀初頭に島津藩の侵入に遭うまで琉球王国は、中国の冊封体制下にあった。つまり名目上の臣下だ。ところが島津藩の支配下になった以降は、中国と島津藩への二重帰属を余儀なくされる。こうして沖縄の長い悲劇が始まった。 幕末期には、欧米の列強がまるで飢えた狼のように東アジアに押し寄せる。最初の餌食になったのがお隣の清国。アヘン戦争を仕掛けられて、英帝国に屈した。日本へもイギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの軍艦がやって来る。日本は辛うじて独立を保ったものの、長い鎖国体制を解き開国するに至った。 列強に追い着くため明治新政府が採ったのが富国強兵策。そして台湾に漂流した琉球人が現地の蛮人に殺された事件を理由に、清国と交渉して琉球を日本の統治下に置く。この間には琉球王国を清と二分する案や、沖縄本島だけを琉球王国として残し、本島以北を日本、以南を清領として分割する案もあった。 前後するが、幕末のころの外国船にとって、琉球は燃料と水を補給する好都合な位置にあった。まかり間違えれば属領になる可能性もあったと思う。日本が生き残り、琉球が滅んだ理由は何だろう。私は教育体制と危機意識の違いだと思っている。日本では武士以外の子弟も寺小屋で学べたし、優秀な者は西洋の技術を学ぶことも出来た。 意外なようだが、鎖国体制化下でも長崎や平戸を通じて西洋の知識、技術が伝わり、中国の情報も入手出来た日本。先進的な各藩ではそれらの知識や技術を積極的に導入し、蒸気機関を作った藩もあったほど。また長州や薩摩は外国船を砲撃して敗れ、先進諸国の強さを身を以て体験し開国へと向かった。だがその前には藩が勤皇派と佐幕派に分かれて殺し合いしたり、官軍と幕府軍が戦って多くの血が流されている。 明治になってからも旧士族の不満が戦乱を呼び、日本人同士の戦いが続いた。ところが琉球処分に際してはほとんど死者が出ず、琉球人同士の殺し合いもなかった。琉球では300年以上も前に武器を廃棄しており、字を読めない士族も多かった。そして平和なこの島は国際情勢に疎く、外国軍に攻められても独自の外交術で何とかなるとの、根拠のない楽観論が横行していた。<続く>
2012.04.23
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猫ひろしのロンドンオリンピック出場に異議が申し立てられたようだ。彼はカンボジアに帰化し、オリンピック標準記録の枠外での出場を狙っているお笑い芸人。ところがカンボジア人のランナーが彼より7分も速い記録を出し、フルマラソンのカンボジア代表資格について、国際スポーツ裁判所に提訴したみたい。 この件については、現地での地雷除去や、ランニングの指導をして来た有森裕子さんが前から反対していた。カンボジアのスポーツはカンボジア人に委ねるべきと考えていたのだろう。私もそう思う。噂だが、彼の帰化に関しては200万円もの寄付があったとも聞く。そこまでしてオリンピックに出るのは邪道。むしろ高名な国際レースで勝負するのが真のアスリートだと思う。 柔道などの古武道が授業科目になるとのニュースに驚いた。古武道を大事にしたいと言う国の考えは分かる。だが柔道は事故の多いスポーツ。柔道の道場でなら専門家の目も行き届き、事故の発生も心配ないだろうが、指導者がほぼ皆無状態の学校教育では、技の前に安全教育すら十分行われない恐れがある。頭部打撲が死亡事故につながることに、文部科学省が気づかない訳はないのだが。 仙台市長が中国からのパンダの借用を申請したことは前にも書いた。ところがこの度、一部の市民団体が反対表明をした。「今は震災復興に全力を注ぐべき」と言うことだろう。私もそれが正しい選択だと思う。借用には毎年1億円(つがいだと2億円?)が必要だし、飼育舎の建設や飼料の確保、飼育担当者の研修など、厖大な経費がかかるはず。今、中国のお世話になるのにも抵抗があるのが本音だ。 尖閣諸島を東京都が買い取るとの都知事の発言は強烈だった。魚釣島、北小島、南小島の所有者は、石原知事と以前からの知り合いとか。驚いたのは、中国政府が350億円で買いたいと所有者に申し出ていたこと。こんなご時世なので個人所有より国の管理下にあった方が良いのは間違いない。 だが、所有者は民主党政権が信用出来ないとの理由で都に売りたい由。都議会の承認もさることながら、買うとなれば予め測量して地価を決める必要があるが、上陸には政府の許可が必要。また都民の生活に直接関係がないのも弱点。果たして都が買えるのだろうか。自国領と主張する中国が何故買おうとするのか。自国の領土なら改めて買う必要などないはず。 いま話題の東京スカイツリーだが、中国語に訳した場合の「天空樹」は既に中国人が自国の商標として登録済みらしい。仕方なく最寄駅近辺では中国語の表記を「東京晴空塔」として案内してる由。政治家の靖国神社参拝には猛烈に反対していながら、その「靖国神社」すら商標登録済みと言う中国人の節操のなさに驚く。 北朝鮮が3世の金正恩体制に移行してまだ日が浅いのに、ミサイルの発射失敗など失政続きで国民には人気がないようだ。近く、地下での核爆発実験を強行するとも伝えられている。今日ある番組で北朝鮮情報に詳しい研究者が発言していたが、「北朝鮮の崩壊はさほど遠くない」そうで、「その後は韓国主導の統一が進むのではないか」とのこと。そんなことがこれから本当に起きるのだろうか。もしそうなって拉致被害者の帰国が実現すれば嬉しいのだが。
2012.04.22
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4月13日(金) 2回目の入院、手術から帰宅すると、「手術数でわかるいい病院全国ランキング」が家にあった。どうやら妻が病院から持ち帰ったようだ。私が受けた「カテーテルアブレーション」(心筋焼灼術)のランキングにK病院の名はなかったが、執刀医O先生が紹介され、今後手術数が増加し上位にランクされるだろうとの論評。 留守中に妻が預かった「ソーラーシステム」関係文書3通に署名捺印し、来宅した工事業者に手渡した。さらに、停電時にソーラーシステムから電気を利用する方法について説明を受ける。入浴前後に動悸を感じて不安になる。体重は66kg。体脂肪率20%。就寝後再び動悸を感じ、真夜中の血圧測定となった。血圧に異常は無いが、脈拍数が40台まで下がっていた。 4月14日(土) 妻は友人と観劇に行った。私は一日中静養に努めた。入院中は休めたはずなのに、右足が痛む。これでは当分ランニングは無理。 4月15日(日) 妻と一緒に近所のスーパーまで買い物へ行く。お向いさんにジャガイモ(男爵)の種イモ25個をもらい、東の畑に植える。我が家の畑にジャガイモを植えるのは初めて。手がかからないので育てるのは楽なはず。妻がクラス会のため近郊の温泉へ1泊で出かけ、翌日まで作り置きのおかずで凌ぐ。 4月16日(月) 退院後の初出勤。カテーテルを用いた手術で軽く済んだとは言え、心臓に手を加えベッドに横たわる日々を過ごしたため疲労感が強い。それでも体を動かすうち、徐々に慣れて来た。午後は近所の公園で愛犬の狂犬病注射を受ける。夕刻、電気工事の業者が来宅し、ソーラーの発電状況が分かる装置を取り付けて行った。 4月17日(火) 今日は早出勤務のため、5時50分に家を出る。この現場はかなりの激務で、今日は病み上がりのため約3分の1を担当しただけで済んだが、来週からは900平米を1人でこなすことになる。勤務後、本部で上司と面会。用件は私の体調の報告と雇用契約の更新。上司も私の健康状態を気遣ってくれていたことが分かって嬉しかった。午後はスポーツショップに足首用のサポーターを買いに行く。ランニングを再開するための準備だったのだが、帰宅後にサイズを間違ったことに気づいた。 4月18日(水) 勤務後、3月まで警備員を勤めていたビルへ寄る。管理室の職員に異動はなかったようだ。清掃担当者の休憩室にお邪魔し、お茶をご馳走になる。皆さん元気で何より。午後はスポーツショップへ足首用のサポーターを返品し、代わりに登山用ズボンを購入。サポーターは既にあるもので代用する予定。この日、仙台でのソメイヨシノ開花宣言が出た。 4月19日(木) 保険会社の担当者に来宅してもらい、入院費用に関する請求手続きを行う。説明では「同じ手術を2カ月間で2度行ったため、手術費は出ないかもしれない」とのこと。この後、必要書類を近所のコンビニでコピーし郵送する。 4月20日(金) この日も早出での重労働。火曜日とは違った業務だが今回は1人で処理し、かなり草臥れた。午後保険会社から「入院費用に加え、手術費用も出る」との連絡あり。大城立裕著「小説琉球処分」の上巻(521P)を早くも読了し、下巻に移る。なかなかの迫力で、読むほどに面白い。 4月21日(土) 前夜は9時に就寝したにも関わらず、今朝の起床は6時過ぎ。結局9時間15分も眠った計算。入院の翌週だったため、特に疲労が激しかったのだと思う。体の痛みが少し薄れた。そしてその後不整脈が出ていないのが何よりも嬉しい。久しぶりに玄関と自室の掃除。
2012.04.21
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≪ さらば同志よ ≫ 4月13日(金)退院日 深夜の地震にも関わらず、4時13分に起床。血圧は137/89/67で、体重は65.4kg。ポンカンを食べ、ベッドの照明を点けて読書。野球マンはまだ深い眠りのままだ。6時に食堂の照明が点くと、そこへ移動して読書を続行。大城立裕著「小説琉球処分」の上巻だが、出て来る地名に馴染みがあり、人物にも興味が湧く。当時の琉球人と日本人(ヤマトンチュ)の心情が痛いほど良く分かる。 6時23分、体温は35.3度で体内酸素量は98%。退院に備え看護師さんが胸の心電図装置を外してくれた。野球マンが起き出し、私の住所を尋ねる。実家から毎年大量に送られて来る名産のネギを、私にくれるようだ。私も彼の氏名と住所をノートに控えた。 8時。最後の朝食を4人揃って食堂で摂る。メニューは焼き魚(鮭)、菜っ葉のお浸し、きんぴら(人参、ゴボウ)、大根の味噌汁。一番年下のノッポマンだけがお握りで、後の3人は茶碗のご飯。最後の最後まで良く分からないシステムだ。ノッポマンは不整脈の薬がないため、服用するのは2種類だけ。退院後はゴルフの練習をしたいと張り切る。 小柄で頭髪の薄いショートマンは狭心症を起こして救急車で入院したせいか、飲む薬は7種類。ドクターによる症状の説明が足らないと、しきりに不安がる。野球マンも救急車で一度運ばれて来たためか、手術の2日後には再び不整脈が出た。飲む薬は8種類。古稀野球の全国大会で投げたかったと言う彼に、「当分無理は出来ないよ」と3人で説得。多分1ケ月検診後再入院、再手術となりそうな気配。 8時40分。ナースステーションでは、勤務交代に伴う引き継ぎで忙しそう。9時10分。病室にメディカルクラークの方が、退院後の再診予約について説明に来た。この女性は外来診察の際に、ドクターの説明をパソコンで入力している人。次回の診察日は連休明けでホルター心電図を装着し、心エコーとレントゲン撮影をする由。退院後の運動についてOドクターの話を聞きたかったが、前回の経験を生かし自分で判断することにした。 9時30分。パジャマから私服に着替えていると、看護師から部屋を退去するよう言われた。次の患者の入院前に、部屋の掃除をするためのようだ。何とまあ回転の速いこと。10時。会計の窓口で入院費用の清算。今回は予め「限度額適用認定証」を提出していたため、約10万円で済んだ。ノッポマンは67万円余。多分この制度を知らなかったのだと思う。 ナースステーションに戻って領収書を見せ、代わりに退院後に服用する薬を受け取る。これで無事無罪放免。Cちゃんと握手してお別れ。「もう2度と9階には来ないからね」と言ったものの、その保証はない。病院の外はすっかり春らしくなり、セーターを着なくても寒くはなかった。駐車場の陰で走友のM黒さんとバッタリ遭遇。お母さんがこの病院に入院中とのこと。人口100万人を超える都会も、案外狭い。 バス停に向かう途中、山形産のリンゴをお土産に購入。バスの座席に落ち着き改めて退院証明書を見ると、「治癒に近い状態」に「丸」が付してあった。前回は「治癒」なのに不整脈が出たが、今回「治癒」でないのに不整脈が再発しなかったら「儲けもの」なのかもしれない。 家に着くと愛犬が盛んに尻尾を振り、体をすり寄せて来た。久しぶりにご主人様と対面し、よほど嬉しかったのだろう。これくらい妻が退院を喜んでくれたらどれだけ嬉しいか。その夜、5日ぶりに風呂で体を洗い、ゆっくりと床に着いた。だがどうも胸の鼓動がおかしい。深夜に飛び起きて血圧を測ると脈拍数が異常。退院したその日に早速不整脈の再発かと暗澹たる気分になったが、翌朝は脈も鎮まっていた。どうやら不整脈とは長い付き合いになりそうだ。<完>
2012.04.20
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≪ 暗転 ≫ 4月12日(木)入院4日目 同じ日に同じ手術を受けた仲間のうち1人はお握りで、2人は普通のご飯。メインの副食はサバの竜田揚げだったようだ。ところが私だけが別メニュー。「ちらし寿司」とは言ってもそぼろ、錦糸卵、鶏肉、絹サヤが入った、ごくささやかなもの。これが2回目の手術で全快したお祝いなら嬉しいのだが。副食はネギのぬた。レタスとキュウリのサラダ。 夕食後、野球マンが麻雀の話をし出した。若い頃にやくざの手ほどきを受けて麻雀を覚え、親分の相手をしたのだとか。勝つと怒られるため少し負ける程度で収めるのが手。勝負が終わると相手をしてくれたお礼に親分が小遣いをくれた由。当時の給料は3万円で家賃は1万円だったが、この「臨時収入」のお陰で10年間は家賃がただになったそうだ。 そんな世界もあるんだと感心したのだが、野球マンは「女房はいないけど、一緒に住んでる女性はいる」とも話す。なるほど、それでガイダンスの際の話が理解出来た。「麻雀するとタバコが吸いたくなるでしょ」と聞くと、今でも40本は吸ってる由。「タバコは心臓に良くないから、止めなくちゃいけないよ」と言うと返事に詰まった。どうやら今日も隠れて一服したようだ。 看護師が手術後の体調に関するアンケート調査を持って部屋を訪問。だが、内容は至って簡単なもの。前回時より確かに改善はされたが、果たしてそんなので役に立つことがあるのか不思議。18時55分。薬剤師が退院後の服薬指導にやって来た。飲む予定の薬剤リストをもらったが、その中に不整脈防止剤がある。 今回は手術後もその薬を飲んでいないのに、何故退院後に飲む必要があるのか疑問に思って質問すると、主治医と相談しますと帰って行った。相談の結果、やはり飲まなくて良くなった。薬を飲むか飲まないかは、手術の成功と関係すると思うのだが、主治医と薬剤師との連絡がちゃんと取れているのかを疑う。 19時45分。若手のドクターが野球マンのところに吹っ飛んで来た。「不整脈が出ているので、それを抑える薬を飲んでもらいます。それで当分様子をみましょう」。有無を言わさず強い調子でそう告げるドクター。思わぬ展開だが、野球マンはどう捉えて良いのか分からない感じ。私に対しては特段の説明はなかった。手術は上手く行ったのか。退院後は何に注意したら良いのか。退院に際してそんなことも説明しないとは摩訶不思議。 それにしても何と生意気な男。ナースステーションには『手術数でわかるいい病院全国ランキング2012」が山積されている。無料で配っているところを見ると、この病院も掲載されているのだろう。だが手術数だけが良い病院の指標になるのだろうか。例え技術は高くても、患者への適切な説明がない病院など論外だと思うのだが。 もう30年以上も前の話だが、4番目の職場に榊原仟(しげる)先生が副学長として就任された。先生は当時東京女子医大の名誉教授で、彼の名を冠した研究所もある。その先生に囲碁の大会で勝った時、彼は気さくに握手してくれた。心臓外科の世界的な権威で、「神の手」と称されていた先生の手はとても暖かく、小さくて柔らかだった。「本当に偉い人は決して威張らない」。それがこれまでの経験に基づく私の実感だ。 20時43分。体温は35度8分で、血圧は137/86/59とほぼ正常値に戻った。21時の消灯と同時に就寝したが、23時51分ごろに少し大きめの地震。今夜一晩眠れば、いよいよ明日は退院だ。<続く>
2012.04.19
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≪ 謎の「連続ちらし寿司事件」 ≫ 4月12日(木)入院第4日目 5時08分、野球マンの咳で目覚める。本人はまだ深い眠りに就いたままだが、咳は不整脈の特徴の一つ。不思議な話だが、私も不整脈が出ていた頃は良く軽い咳が出たものだ。トイレのついでに体重と血圧を測定。体重66.1kg、血圧の1回目が147/102/65で、2回目は150/100/63。規則正しい脈拍で、不整脈は起きていない。 9階食堂の窓から川内、広瀬町方面を望む。柳が少し青みを帯びて来た。電話コーナーから星陵町方面を眺める。こちらはまだ春の兆しが感じられない。部屋に戻って蒸しパンの残りを食べ、お茶を飲む。「半島へ、ふたたび」のあとがきも全て読了。引き続き大城立裕著「小説琉球処分」を読み出す。これは昨年の11月那覇市内の書店で買ったのだが、帰宅後良く見たら下巻。最近ようやく上巻を買ったもの。 上巻の「帯」には、当時の菅総理が「沖縄を理解するために読みたい」云々と書かれているが、多分沖縄の歴史と文化に精通し、かつ幕末から明治維新までの日本の事情が分かっていないと、何が何だかちんぷんかんぷんだろう。私が沖縄を去って20年。ようやく今ごろになってこの小説が何を描こうとしたか分かるような気がする。それほど「日本」と「沖縄」は遠いのだ。 7時15分。145/95/62と血圧は依然として高い。体温36度2分、体内酸素量は98%まで回復。7時20分。2日ぶりのウンチだったが量はまだ少なめ。食堂で新聞を読み、そこで朝食を摂る。ご飯、味噌汁(大根の千切り)、野菜の煮物(人参、玉ネギ、青菜、玉子、鶏肉)、蓮根と人参の煮物、沢庵4切れ。食後に歯磨きと服薬。 9時15分、同じ日に手術を受けた方(以後ショートマンと呼ぶ)から質問。彼は狭心症の手術も受け、不整脈予防剤を服用中のようだが、私の体調や胸の痛み、再発の可能性と不安などをしきりに尋ねる。9時20分。病室に5人のナースが引率されてやって来た。新規採用者と転職者のための研修の由。 9時45分。ひょっこり妻が訪ねて来た。仕事のため手術の当日と翌日に来れなかった彼女だが、やはり気になっていたのだろう。愛犬の様子、ソーラーとオール電化のその後の状況、私の体調、外の天候などを話す。最後に曰く。「一緒に外国旅行に行きたいので、もうウルトラマラソンを走るのは止めてね」。 体調が戻り次第走るつもりだが、最近では足に痛みが生じ、もうこれまでのように無理は出来ない。妻へは返事せず、心の中でどんなランが可能か考えていた。お菓子と果物を置いて妻は帰った。その一部を野球マンにもお裾分け。10時40分トイレ。その後本を読み、ほんの少しだけベッドに横たわる。 11時。野球マンのところに保険会社の女性が訪問。彼は昨年の大震災で家が全壊したため医療費は無料なのだが、保険金を受け取るのが憚られるみたい。「そんなことは気にせず、もらえるものはもらっておいたら」と私。私の方は「治癒」で退院したにも関わらず今回2度目の手術となったが、保険会社がどう判定するか。 12時に昼食。ちらし寿司は初めてのメニュー。だが4人組の中で私だけメニューが違う。これって一体何なのだろう。ちらし寿司にはアナゴ、錦糸卵、人参、絹サヤが入っていた。それに菜っ葉のお浸し、キウイ半分、牛乳200cc。14時。食堂でA看護師による退院後の生活指導。プリント資料をもらったが、説明も資料も常識の範囲で目新しいことはない。 15時30分、来室した看護師が私に体温計を渡す。連続で7度も失敗すると、とうとう彼女は何も記入せずに帰って行った。本来なら彼女が測ると思うのだが、何だか不思議。テレビでは京都で起きた人身事故のニュース。7人ほど亡くなったようだが、私は状況から運転手が「てんかん保有者」と判断。後でやはりそうだと分かった。 16時30分、3日ぶりの風呂。タオルに染まった血が、お湯で濯ぐとようやく落ちた。カテーテルを入れた2か所の傷口は塞がっているが、まだ股の付け根に堅いしこりが残っている。16時50分。野球マンにもらったトマトジュースを飲む。16時58分。血圧は152/103/64と依然として高いまま。18時夕食。今回もまた私だけが「ちらし寿司」。一体どうした風の吹き回しなのか理解出来ない。<続く>
2012.04.18
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≪ 平和な一日 ≫ 4月11日(水)第3日目 この日の朝食は、ご飯、野菜の煮物(人参、玉ネギ、ピーマン、豚肉)、湯豆腐、味噌汁(菜っ葉、ジャガイモ、タマネギ)で、ご飯はいつも通り少なめだ。手術後初めてワーファリン(血栓防止剤)、胃薬、血圧降下剤を服用。前回の手術後には直ぐに不整脈予防剤を飲んだのだが、今回は飲まなくて良いようだ。この後、24時間分の記憶を辿り、ノートに記す。 廊下で新聞売りの呼び声。私は全国紙を買い、野球マンは「スポ日」。1度全国紙を渡したが、彼はスポーツ紙しか読まない。ダルビッシュが5失点ながら大リーグでの初勝利。野球マンは手術直前までテレビで試合を観ていたそうだ。ママさん看護師のKさんが濡れたガーゼで体を拭いてくれた。太めの明るい人だ。 10時15分。点滴装置付きの車椅子に乗り、心電図を撮りに行く。部屋に戻り、それとは違う心電図計を胸に装着。11時15分。オシッコには薄い血が混じり、まだ軽い痛みがある。蒸しパン半分をおやつ代わりに食べ、お茶を飲み、読書。12時ちょうどに昼食。エビピラフとは珍しく、いつもより量も多い。エビ、卵、グリーンピース入り。 副食は三つ葉と白菜のお浸し。それにワンタン、春雨、玉ネギが入ったスープ。寒天、ミカン、黄桃入り杏仁豆腐が嬉しい。そして200ccの牛乳。歯磨き、ひげそりに続いて1時間ほど読書。13時30分から1時間の昼寝。14時30分トイレ。痛みは薄らいだが、依然としてウンチが出ない。前日食べた量が少ないのと、運動不足のためなので心配無用。 14時33分、ポンカン1個を食す。14時40分血圧測定。上が140で下が89。その後、再び読書に勤しむ。外はいつしか雨に変わっている。看護師Sさんが通りかかり、「内緒ですよ」と言ってのど飴をくれた。私は堂々とユベシや蒸しパンやポンカンを食べていたのだが、翌朝の測定で体重が増えていると心配された。 15時50分、ママさん看護師Kさんが慌てて野球マンのところへ飛んで来た。「脈が早くなったため、服用する薬が増える可能性がある」由。後で思えばこれが不整脈再発のサインだったのだが、この時はまだ気づいていない。一方私は体重66.3kg、血圧131/92/65と順調で、不整脈の兆しはない。夕方から看護師が色白美人のSさんに交代。彼女はまだ20代の若さ。 18時15分、点滴装置の抗生物質を追加。18時20分夕食。メニューはご飯、焼き魚(ホッケ)、きんぴら(ゴボウ、人参、糸コン、絹サヤ、マイタケ)、サラダ(キュウリ、春雨、鶏肉)、味噌汁(高野豆腐、もやし)。 19時06分、体温35度9分、血圧140/89/59とまあまあだが、体内酸素量は90%と少なめ。読んでいた蓮池薫著「半島へ、ふたたび」は、あとがきの一部を残して読了。やっとの思いで母国に帰ったかつての拉致被害者が、必死に生きる姿がとても印象的。読むだけの価値はあったと思う。20時50分就寝。23時13分トイレに起きる。こうして第3日の夜も何とか無事に過ぎた。<続く>
2012.04.17
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≪ 手術の記憶と第3日目の朝 ≫ 手術室へ入って以降の約24時間、私は寝たきり状態だった。傷口が広がらないよう仰向けのままでメモも取れない。だから今回分は、後で思い出しながら書いたもの。8時40分。手術室で2本の注射。これは血管を通じて心臓までカテーテルを通すための局部麻酔。そして尿道口から膀胱まで管が差し込まれる。以後トイレに行けず、オシッコは自動的に排出される。 意識が途切れがちになる。前回は前夜の寝不足が効いて完全に眠ったが、今回は所々おぼろげな意識があった。血管にカテーテルが挿入される瞬間も分かった。違和感はあったが強い痛みを感じないのは麻酔のせいだろう。次に目が覚めた時、Oドクターの怒声が聞こえた。どうやら手術中にスタッフを叱っていたようだ。 そして次の記憶は手術後。ドクターは私に手術が終わったことを告げた。だが今回完全に「不整脈の芽」を摘み取れたのかどうかは不明。ドクターの言葉も明瞭ではないが、私の意識がまだ混濁してることもある。こんな状態の患者に結果を告げるのは無理。結局退院するまで、今回の手術に関する説明は無かった。 手術に要した時間が2時間なら10時40分には終了し、11時前に病室へ戻ったことになる。野球マンは2番手で手術中のため部屋にいない。再び心電図計を胸に装着。これは脈の異常をナースステーションでも把握できる優れ物。手術着に隠れて見えないが、傷口を抑えるため腰部はテープでグルグル巻きにされ、浮腫みを防ぐため両足には特殊なストッキングが穿かされているはず。点滴液は生理食塩水から抗生物質に変わり、以後6時間は1時間ごとに検温。 眠っては目覚め、そして再び眠る。相棒が手術から帰ったのには全く気づかなかった。14時過ぎ、看護師さんが小さなバターロールとチーズの小片を届けてくれた。20時間ぶりのささやかな食事だが、食べられることに感謝。食事後も眠る。きっと安心して疲れが出たのだろう。夕方からの担当看護師は再びCちゃん。早速体温、血圧、体内酸素量を測定。 18時。寝たままでの夕食。メニューは食べ易い大きさのお握りが2個、赤魚の煮つけ、菜っ葉が入った味噌汁、そしてホウレン草のお浸し。お握り以外はみなCちゃんが食べさせてくれる。今回は汁が飲み易いよう「散りレンゲ」を持参したのだが、Cちゃんにも好評だった。その後ユベシ2個をペロリ。これは予め売店で買っておいたもの。食後歯間ブラシなどで口内の掃除。 21時消灯。22時、Cちゃんがベッドの角度を幾分変えてくれた。傷口保護のため寝返りが出来ず、背中や腰が痛くなるのだが、これでかなり楽になった。日中に寝たせいか、夜中に何度も目覚める。オシッコが自動的に排出されるため、違和感がないのが有難い。< 4月11日(水)第3日目> 5時15分に目覚める。体を動かせないため、そのままベッドで考え事をして過ごす。野球マンはまだ深い眠りに就いている。7時過ぎ、技官の方が腰部の圧迫ベルトを外しに来てくれた。そしてCちゃんには膀胱から管を抜いてもらう。直ちにトイレに行き、24時間ぶりの放尿。前回同様、薄い血が混じったオシッコ。そしてチリチリとした独特の痛み。部屋に戻ってT字帯(ふんどし)と医療用ストッキングを脱ぎ、久しぶりの着替え。 カテーテルを挿入した脚の付け根に血痕。気持ちが悪いので濡れタオルで拭くと、茶色に変色して落ちなくなった。ベッドの上で腹部と胸部のX線写真撮影。胸部はもちろん心臓のチェックだが、腹部は胃の形状チェック。不整脈手術に伴って胃拡張が生じるケースがあるようだ。血圧130/82、体重66.15kgと安定。回診中のドクターが顔を出す。前回手術時よりずっと体調が良いことを告げた。<続く>
2012.04.16
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≪ 第一夜そして手術室へ ≫ Sさん(以後「野球マン」と呼ぶことにする)はさらに語る。この病院へ最初に来たのは救急車に乗って。胸が苦しくなって行った塩竃市内の病院から、救急車で搬送されたのだとか。その時は腕から何か挿入されたらしいのだが、彼の説明は要領を得ない。震災時の怪我が元で破傷風に罹ったこと、今回の手術にはとても不安があることを切々と訴える。彼は明日私に続き、2番目に手術を受ける予定。 私も最初の入院ではとても不安に感じた。この病院では医師がきちんと説明をしてくれないことも、不安が募った原因だ。いや、医師だけでなく中堅の看護師の態度にも腹が立ち、最初に対応したW主任に怒りを露わにした。私はせっせとノートにメモしていた。それはブログの材料だったのだが、彼女は「後でクレームをつけられる」と勘違いしたのかも知れない。 それが良い方向に向かったのか、今回病院から手渡された書類にはかなり改善された様子が窺えた。師長(かつての婦長)が挨拶に来た。前回より心持ち態度が軟らかくなった感じ。ふ~む、やはりあの後この階(循環器内科及び心臓血管外科の入院病室)で、患者に対する何らかの改善策が検討されたのは確か。最初のレクチャーをW主任でなく、当たりの軟らかいCちゃんに担当させたのも案外その一環だったのかも。 18時15分。病室で夕食。点滴中の患者へは病室まで暖かい食事を届けてくれる。相変わらずご飯の量が少ない。メニューは鶏のひき肉のハンバーグ、インゲンと人参の煮物、野菜サラダ(レタスとミニトマト)、そしてネギの入った味噌汁。「心臓食」は薄味だが、とても美味しい。ところが野球マンは不満みたい。どうやら野菜が大嫌いなようだ。食後に歯磨き。 点滴装置を押しながらトイレに向かう途中、看護師のHさんに遭遇。私を見つけ「どうしたの?」と聞く。「また来たんだよ」と言うと、「あらら、気の毒に」と言った表情で去って行った。彼女には前回の手術を終えた深夜に、面倒をかけていた。20時検温。看護師は夕刻からSさんに交代。彼女にも前回お世話になっている。36度2分と少し高め。睡眠薬を飲んだ野球マンは既にいびきをかいて眠った。 私は読みかけだった蓮池薫著「半島へふたたび」を読み出した。彼はあの拉致被害者。著書は帰国後初めて韓国へ旅した際のレポートだ。24年間も北朝鮮で過ごしただけに彼の感性は鋭く、文章もまるで硬質の陶器を感じさせる。20時50分就寝。野球マンのいびきは気にならないが、向かいの病室で話す女性患者のおしゃべりが煩い。深夜0時Sさんが点滴液の交換に来たのも分かった。<4月10日(火)第2日目> 5時15分に目覚める。手術の前夜だが、今回は良く眠れた感じ。まだ夢の中の野球マンを残し、点滴装置を押しながらトイレと洗顔に向かう。体重は66.15kg。血圧の第1回目が173/108と異常に高い。脈拍は60。2度目も163/117/57。入院してから血圧降下剤を飲んでないこともあるが、一番の原因は手術を目前にして気持ちが高ぶっているためだろう。 部屋に戻って読書していると、どこからか「ラッパ」の音。あれは心臓のバイパス手術を受ける人が、「筒」を吹いて肺活量を増やすトレーニング。6時に3度目の血圧測定。153/97/56。少し下がったものの、依然として数値は高い。6時30分。全ての下着を脱ぎ、T字帯を着用。そしてその上に手術着。 体温35度8分。就寝中は点滴液の量を1時間20ccに減らし、起きたら量を増やすとSさん。なるほど、それで疑問が解けた。7時55分、手術前の最後のトイレ。目の前の廊下を執刀医のOドクターが通り過ぎる。部屋に戻って精神安定剤を2錠服用。前回はこれで熟睡し、手術時の記憶がない。薬が効き出したのかあくびの連発。痛む腰をさすりながらストレッチャーに乗る。いよいよこれから手術に向かう。そして24時間ベッドに寝た切りになるのを、この時はまだ知らない。≪続く≫
2012.04.14
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≪ Cちゃんと不思議な相棒 ≫ レクチャーしてくれたのは看護師のCさん。なかなか利発そうだし感じが良い。だが私が案内されたのは今回もロッカーのない処置室。同室のSさんに先ず挨拶。前回の経験から私はあまり驚かなくなっていた。こんなこともあるかと思って買った新聞を床に敷き、スポーツバックを置く。そして洗面具や筆記用具など必要なものを、限られた空間に配置した。結局4人のうち3人が処置室へ入ったようだ。私のベッドは廊下側のため、外の景色が見えないのがちょっぴり残念。 入院用のパジャマに着替え、患者に変身。不要なものは全てバッグに放り込む。体重67.35kg、身長170.7cm、血圧は138/81で脈拍が63。不整脈は出ていない。採血を済ませた後、Cさんにバスタオルを渡す。明日の手術時に使用するためだ。それがマラソンの参加賞だと知ったCさんが「自分も来月「さくらんぼマラソン」に出る」と言う。種目はハーフだが、全く練習してない由。「ええっ、それで大丈夫なの?」と、思わず独り言。 私はランナーのよしみで親しみを込め、彼女をCちゃんと呼ぶことにした。次は下腹部の剃毛だが、私が家で処理して来たことを告げると、Cちゃんが喜ぶ。ただSさんのが終わった後に「点検」だけは受けた。後で聞いた話だが、剃毛は衛生的な理由からだけではなく、手術時の傷口を保護する「絆創膏」を剥がす際に、体毛が残ったままだと激痛があるためなのだとか。 Sさんも私も入院に必要な検査は既に受けており、初日は幾つかの書類に記入するだけ。暇にまかせ色んな話をする。言葉から関東出身と分かったが、果たしてそうだった。意外なことに彼は元高校球児で、甲子園で準優勝した際のピッチャーだった由。歳は73歳。今でも現役の「古稀野球」選手。来月は全国大会で北海道へ行く予定とか。 さらに驚いたのは彼の人生。自衛官から転職してタンクローリーの運転手となり、1年前の「東日本大震災」では、20tもあるタンクローリーごと津波に巻き込まれ、九死に一生を得たそうだ。たまたま窓が壊れたために脱出出来、水に浸かった車の屋根を伝って逃げたそうだ。偶然キーがついたままの空車に入り込み、ずぶ濡れの体で眠れない夜を過ごした由。 だが付近から聞こえる「助けてくれ~!!」の叫び声が耳に残り、今でも睡眠薬なしには眠れないそうだ。また自分は妾の子で、妻もいないと言う。するとレクチャー時に奥さんが「好きにしたら」と言ったと言うあの言葉は何だったのだろう。ともかく世の中には不思議な人が居るものだ。15時40分。シャワー後、髭を剃り、Cちゃんに心電図計を装着してもらう。明日の手術は私がトップバッターなのだ。≪続く≫
2012.04.14
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≪ 相棒との出会い ≫ 4月9日月曜日の午後1時過ぎ、K病院の9階食堂で私は待っていた。この病院に入院するのは2度目。今回も不整脈の手術をする羽目になったが、別段不節制をした訳ではない。通院しているM医院のドクターからは、「もし体調が悪くなったら救急車を呼んでK病院に行ってください」と言われていた。幸いそんな事態は起こらず、入院の日の午前中まで仕事をしてから駆けつけたのだ。 私はMドクターを信頼していた。だからこそ彼の進言を受け入れ、手術を受ける気になったのだ。そのドクター自身が不整脈の持ち主だったことを、つい最近になって知った。循環器内科の専門家が不整脈の持ち主とは皮肉だが、往々にして人生にはそんなことが生じる。正直言って最初の入院と手術にはビビった。不整脈とは言え、心臓に手を加える不安と恐怖は相当なもの。 手術後まるまる1ヶ月間ランニングを禁止されたことも辛かった。それが執刀医の命令とあらば、患者は受け入れざるを得ない。それなのに1カ月検診を終えたその夜、不整脈を抑える薬を止めた途端に激しい動悸が襲ったのだから、私が受けたショックは並大抵ではなかった。あれから1カ月。前回の手術からほぼ2カ月後、私は再びこの9階病棟へ来た。 誰かが私の名前を呼んだ。人懐っこい笑顔の女性だ。ドクター?それとも看護師さん?どうやら同じ日に不整脈の手術を受ける患者は4人。これから入院と手術のためのレクチャーが始まるようだ。それにしても私以外の人は既にパジャマ姿になっている。私も時間通りに入院手続きを済ませたのに、何故病室へ案内されなかったのだろう。「またか」。前回受けた不快な思い出が蘇る。 レクチャーを受けるのは老齢の男4人。うち2人は奥様が同伴している。担当の女性が一通り説明をしたところで、一番年かさの男が苦情を言い始めた。彼の言い分は、「外来で検査を受けた際に症状を詳しく説明しないのは納得出来ない」由。もっともな意見だが、「それは血管にカテーテルを通す手術に必要なデータを得るためだから仕方がないよ」と私。 納得出来ない雰囲気の彼に代わって、「ただし、手術の同意書に関するドクターの説明はわずか3分間。あれで15以上もある重篤な合併症の危険性を黙って受け入れ、サインしろと言うのは無理だよ」。そう言うと他の3人も頷いた。この辺りは入院経験者の強みで、「押しても良い」ところと「引くべき」ところが分かるのだ。説明役の女性も理解してくれた。 「家族の方は来られないんですか?」の問いかけに、口火を切った最長老らしき男性は「好きにしたらと言うもんで」と答え、私は「仕事の都合で来られません」と返答。だが、いくらなんでも「好きに入院したら」と言う奥さんはいないだろう。「どうも変だな」と思ったその男Xさんが、私と5日間同室の相棒だった。≪続く≫
2012.04.13
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午前中の仕事を終えて一旦帰宅。午後からの入院に備えて、今から病院へ行って来ます。ではでは!!
2012.04.09
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昨日は映画「ポテチ」を観に行った。撮影地が仙台のため、全国に先駆けての上映だったようだ。伊坂幸太郎の小説を映画化した作品を観るのはこれで3作目。最初に観たのが「重力ピエロ」。これは兄弟で完全犯罪を目指す怖い話だった。 原作者の伊坂幸太郎は千葉県の出身。東北大学の法学部を卒業した後はSEとして働いていたようだが、働きながら小説家を目指し夢を実現した。彼は仙台に住んで小説を書き続けている。多分そのせいだろうが、彼の作品は仙台を舞台にするものが多い。「重力ピエロ」には東北大学の理学部や広瀬川の風景が出て来た。 「ゴールデンスレンバー」は総理大臣が訪問先の仙台で狙撃され、1人の青年が犯人にでっち上げられる話。この作品には定禅寺通り、勾当台公園、広瀬川が写った。偶然だが、私はこの撮影現場に出くわした。帰宅ランの途中に定禅寺通りを走っていた時、それらしい装備をしたクルーと出会った。後で考えると、あそこが総理大臣暗殺の現場だったのだ。 そして3作品目の今回は、東北楽天の本拠地であるKスタが出て来る。もちろん名前は違っていて「仙台キングス」なのだが、ユニフォームは楽天のものに酷似している。ところで「ポテチ」とはポテトチップスのこと。偶然のことで出会った男女が塩味とコンソメ味のポテトチップスを間違えて食べる。ストーリーは、その偶然の間違いと深く関係している。 ほろ苦いような、悲しいような、それでいて最後は暖かい涙が流れる。言って見れば「ポテチ」はそんな作品だ。卸町のような場所も出て来たが、圧巻はやはりKスタ。とてもエキストラとは思えない多くのファンが「仙台キングス」を応援する。その臨場感が野球好きにはたまらない。最後はとんでもないどんでん返し。きっと貴方もこの作品を観れば泣けるはず。 不思議な雰囲気を漂わせる青年役の浜田岳だが、先の「ゴールデンスランバー」では作者が彼をイメージしながら小説を書いた由。今回の「ポテチ」でも、この人しかいないと言う名演技だった。ともあれ自分が住む街が映画の舞台となり、見慣れた風景がスクリーンに写るのは感動的。伊坂幸太郎にはますます頑張って小説を書いてもらいたいと願う所以だ。 翌日に入院を控えた今日は、庭の掃除と畑の準備をした。雑草を取り、スコップで土を掘り、堆肥、鶏糞、石灰を撒いて畝を均す。ここまで仕上げておけば、今月末には夏野菜の苗を植え、種を蒔くことが出来るだろう。今畑に残っているのは6株の白菜と100本近い玉ネギの苗だけ。白菜は蕾菜を食べれば終わり、玉ネギは6月に収穫予定。退院後の農作業が楽しみだ。≪ お知らせ ≫ 明日4月9日(月)から13日(金)まで不整脈の再手術のため入院します。この間はブログをお休みします。また、書き込みへのお返事と皆さまのところにお邪魔することが出来ませんので、ご了承くださいませ。では、どなた様も再会の日までさようなら~!!
2012.04.08
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朝起きるなり感じた疲労。今週から6年ぶりに清掃夫としてだけの仕事が始まった。警備員よりかなりの重労働。それでも緊張感があったせいか無理して体を動かし、少し腰を痛めた。うち2回は他のビルでの早出。火曜日は掃除機をかけ、金曜日は事務室内のごみ取りなど。どちらも慣れない仕事で戸惑った。2フロアで900平米あると言う事務室は大変な広さ。職員の出勤が早いため、ウカウカしてられないのだ。 金曜日の朝、指導してくれた若者に言った。「重労働に耐える自信がないので仕事を辞めようと思う」と。私は来週月曜日に入院し、火曜日に手術を受ける予定。今でさえ辛いと感じる労働に、手術後の弱った体で臨むのは不安が大き過ぎる。それで退院後暫くの間は、彼も一緒に勤務してくれることになった。単価が下がった上に重労働ではたまらない。時には本音を吐くのも大切だ。 今朝の散歩は気になっていた場所へ行った。それは新しい道路の建築現場。山を削り、谷を埋めて新しい橋を架ける様子が一望出来た。寒い朝だ。最低気温は0度近いはず。雪も少し舞っている。朝食後は資源回収ごみの整理。それが終わると自室の掃除と玄関などの掃き掃除、そして延びて来たモッコウバラを剪定。少し休んで9時頃から近所の坂道へ走りに行く。 底が堅くて昨年の暮れに足を傷めたシューズを思い切って試す。最近装着しているかかと用のサポーターがクッション代わりになれば、痛まずに走れるかもと考えたのだ。今は不格好で良い。ただゆっくり走れるだけでも十分。9kmに1時間10分ほどかかって帰宅。布団を干してから自転車で街へ出かける。 目的の第1は、今日が初日の映画「ポテチ」を観ること。そして第2はスポーツ店でかかと用のサポーターをもう1個とテーピング用のテープを買うこと。第3が古本屋に立ち寄ることだった。先ず映画のチケットを購入してから昼食。映画の話は明日改めて書くが、伊坂幸太郎原作の小説を映画化した作品はいつもながら面白く、また胸に響くものがあった。 買ったサポーターは左足首用。両足分が揃ったので、左右のバランスが良くなるのを期待。今後長い距離の練習が出来れば、レースへの出場も夢ではない。古本は井上靖の歴史小説を3冊買った。入院の準備はほぼ終了。後は入院当日に筆記用具、洗面具、服用中の薬をバッグに入れるだけ。そして入院当日も午前中は勤務する予定。体を動かしているうちに、疲れも取れて来たようだ。
2012.04.07
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亀田3兄弟の長兄興毅が先日行われたWBA世界バンタム級タイトルマッチで勝利し、4度目の防衛を果たした。判定は3-0の圧勝だったが、試合を観る限り私は負けたと感じていた。相手の手数が優っていたのに対し、亀田にはいつもの切れがなかったからだ。それもそのはず彼は試合前に拳を怪我し、さらに試合中のファイトで骨折したようだ。それにしても世界ランク11位を相手にあの試合ではなあ。何はともあれ、お疲れさん! 開幕3連敗だった我が東北楽天だが、対ソフトバンク戦では勝ち越した。通算2勝4敗の4位。対ロッテ戦で1勝も出来なかったのが実に痛い。それよりもっと悲惨なのが巨人。他のチームが羨む大型補強をしておきながら、目下1勝5敗の最下位とは意外。楽天はチーム打率2割5分7厘で、得失点の差が1点しか違わないのに対し、巨人のチーム打率は2割0分5厘で得失点差が12もある。もちろん借金だ。この数字を見れば、先発投手陣が総崩れなのが分かる。そのうち実力を発揮するのだろうが、とりあえずお疲れさん! 驚いたのが国民新党のクーデター劇。急遽開かれた議員総会で、何と党代表の亀井さんと政調会長の亀井さんを解任してしまった。亀井前代表は政権与党から下野する意志を示していたが、悲願の「郵政民営化法改正案」を何としても今国会で通すため、こんな大騒動になったみたい。一方、民主党も最近きな臭い動きがあった。 小沢グループに所属する議員が消費増税法反対を表明して党の役職や内閣から去る動きがそれ。結局副大臣3人と政務官1人が交代した。「マニフェスト」にないものを推進するのはけしからんとのことだが、既にあんなものは紙くず同然になったと思う。国の財政内容などを十分知らないで作ったものをそのまま使える訳がないし、大震災の発生など状況が大きく変化すれば当然政策が違って来ても良いはず。 答弁や国会での対応が問題になってる田中防衛大臣に関しては、元防衛庁北部方面総監の志方帝京大教授を補佐官として任命することになったようだ。問題なのが鳩山元総理。沖縄の米軍基地問題では完全に信用を失墜した彼だが、この度政府が止めるのを振り切ってイランへ出かける由。国際的な制裁が敷かれている中だと言うのに何を考えているのやら。「あんたなんかイラン!」と言ってやりたい。 最後に明るいニュースを一つ。このたびアメリカで発表された空飛ぶ自動車「トランジション」は主翼が8m、機体の長さが6m、高さが2mの陸空両用航空機で、主翼を折りたたむと最高時速104kmで公道を走れるとか。1機(台)2300万円とお手頃(?)の価格が人気で、既に100機(台)の注文があったそうだ。まあ夢があって楽しいね。お疲れさん!
2012.04.06
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昨日は強風の中を走って帰った。普通の人なら決してしないことでも、少し変わった人種のランナーは平っちゃら。おまけにその恰好で博物館に入る。市立博物館のギャラリーでは、目下震災関係の報道写真展「生きる」が開催中で、所属走友会の仲間Eちゃんのご主人も写真を出品している。会期が間もなく終わるため、今日は帰宅ランの途中に寄ったわけ。 受付に座っている人がいる。確かEちゃんのご主人だ。そこで挨拶をしてから展示スペースへ向かった。アマチュアカメラマンと言っても長年写真を撮り続けて来た方が多いだけに、さすがは狙った対象が明確で、大震災の怖さ、被害の凄さがそのまま観る者に伝わって来る。大震災以前の平和な風景もあれば、震災当日の凄惨な映像や震災後の変わり果てた姿も、ありのままに写し出されている。 今回の震災で印象的だったのは、宮城県南三陸町の防災庁舎からの放送で、必死に避難を呼びかける娘さんの声だった。最近になって、その娘さんの声に混じって「未希ちゃん上がっぺ!」の音声を聞いた。声の主は必死に放送を続ける彼女に、危険だからもう止めて屋上に逃げることを促す、彼女の上司だった。 屋上に逃げたものの。柵を掴んでいた多くの職員が屋上まで押し寄せて来た津波に流され、最後までマイクを放さなかった未希さんも助からなかった。展示された写真にはその屋上の鉄塔にしがみつく一人の男性が写っている。結局助かったのはその人を含め僅かだったはず。 また宮城県女川町にある銀行の支店の遭難の模様が最近の新聞に載った。海の直ぐ傍にある支店の職員も、全員屋上に避難したものの助かったのは1人だけだった由。他の建物が邪魔になって津波が見えにくかったようだが、そこから僅か3分の高台にある建物は、津波の被害を受けなかった。もし早めに逃げていれば助かった命だが、人様の大切なお金を預かる銀行としては逃げ出すわけには行かなかったのだろう。 実は命を落とされた支店の職員は、走友T田さんの元同僚だった。震災後に味わったであろうT田さんの悲しみや苦しみを思い起こす。展示された多くの写真を観ながら、私は様々な感慨に耽っていた。観終わって受付に戻り、Eちゃんのご主人と話す。彼の作品も観させていただいたが、話しているうちに彼と私は同じ高校の同学年と言うことが分かった。これも不思議な縁と言えよう。 最近の報道によれば、今後「南海トラフ」沿いで大地震が発生した際には、これまで考えていたよりさらに巨大な津波が各地を襲う恐れがある由。幾つかのプレートが集合する日本列島だけに、地震や津波から逃れられない運命にあるのだろうが、極力被害を最小に抑える技術の確立が望まれる。博物館を出ると外は雪。大震災の当日も雪が降り、停電で寒さに震えたことを思い出した。
2012.04.05
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真夜中に激しい風の音を聞いた。今朝の散歩では、風と共に細かい雨が吹きつけた。全国に大きな被害をもたらした台風並みの「爆弾低気圧」。中には風速40mを超えた地点もあったようだ。昨日のKスタでは時折雨が降り、コンディションが良くなかったと思う。それに平日のデーゲームとくれば観客はよほどの暇人か、春休み中の学生くらいではなかったのか。珍しく地元テレビ局の放送があり、私はそれを観ていた。 開幕の対千葉ロッテ戦では、無残な3連敗となった楽天。そして1日おいて再びKスタでの3連戦の相手は、昨年の覇者であり今季も3連勝の好スタートを切ったソフトバンク。果たしてどんな戦いが出来るか、不安を感じていたファンが多かったのではないか。その第1の理由は、ローテンションを守れる投手の存在。この日の先発予定は、新人の昨年好成績を収めた塩見だったが、あまり調子は良くないと聞いていたからだ。 それが終わってみれば、昨年のチャンピオンに対し5-0の圧勝。特筆すべきなのが塩見が最後まで投げ、プロ初完封勝ちだったこと。ソフトバンクが放ったのは散発4安打だけだった。この日はベテラン組の高須や鉄兵が初出場し、タイムリーヒットを放った。また、今季初めて先取点を奪ったのも大きかったのではないか。楽天の今季初勝利が、さほど前評判の高くなかった塩見によってもたらされたのが意外だった。 荒天のため、夕方4時から開催予定の選抜高校野球大会は中止となった。またプロ野球も軒並み開催中止された。首都圏では交通網の乱れを心配し、社員に早めの帰宅を促す企業が多かったようだ。宮城県内でも暴風による死者が出たそうだ。今日も暴風警報が発令される中Kスタでは対ソフトバンクの2戦目が行われ、何とか6対5で逃げ切った。これで先発戸村はプロ初勝利、楽天は2勝3敗と少し星を戻した。 さて、今週から新たな仕事が始まった。朝一番からの清掃作業だが、現場ではいろんなことが生じ、担当する業務内容が当初とは違ってしまった。また7時から始まる他のビルでは1時間半の間に延べ300平米ほどの事務室内で掃除機をかけるのだが、これがなかなかの重労働で、パートタイマーの爺さんに務まるような業務量ではなかった。 来週は再入院して再び不整脈の手術を受ける予定だが、退院直後からその業務が出来るか自信が持てない。慣れた職員でも時間通りこなすのが難しい仕事を、何故私に担当させるのか不思議。実際に担当してから意見を言う積りだが、最悪の場合は辞めようと思う。私の近辺もどうやら荒れ模様か。
2012.04.04
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ロッテは3回表にも2得点。これで0対3になった。やはり阪神を戦力外になった下柳の力では抑え切れないのか。ロッテの応援席が勢い立つ。それに比べて楽天の応援席は数でこそ優っているが、声では完全に負け。ほとんど全員が黒のユニフォームを来たロッテファン。各選手の応援歌が実にリズミカルで歯切れが良い。声が良く通るため、選手も奮い立つと思う。 それに引き換え、我が東北楽天の応援歌は概して暗い。語尾が不明瞭だから、何を言ってるのか分からない。球場内のほとんどが楽天ファンのはずなのに、応援がバラバラで烏合の衆状態。個人応援歌のテンポが悪く、フェルナンデスの応援歌は昔の方が良かった。そして怪我をしたのか、松井、岩本、草野、高須など主力選手の姿がないのが淋しい。 チーム力の差は応援にも現れている。ロッテの整然とした応援は見事の一語。タオルを振り、チャンスには例のジャンプ。楽天がようやく1点をもぎ取ったのは内野ゴロの間のもの。そしてチャンステーマを歌ったのはたった1回だけだった。試合内容を示すかのように暗い空。いよいよ前線の通過だ。 黒雲が球場の真上を過る。寒気が凄い。多分気温は5度くらいのはずで、とても野球をするような天気ではない。おまけに雨か雪か分からないものがぱらつき、寒さに震える。7回裏、ようやくジェット風船の出番。この時は楽天の球団歌に合わせてえんじ色の風船を飛ばすのだが、その風船がどうしても膨らますことが出来ない。我ながらこれには驚いた。 不整脈の手術を受け、わずか2か月ほど走らなかっただけで肺活量がすっかり落ちてしまったのだ。ランニングを休めば足の筋肉は衰えるのは知っていたが、まさか心肺機能がここまで低下するとは。悲しいのを通り越して笑うしかなく、風船をリュックに戻した。8回裏、銀次のタイムリーでようやく1点追加。この日のヒットはわずか4本に留まった。 結局楽天はこの日も2対4で負け、3連敗を喫した。当然試合後の白いジェット風船は飛ばせないまま。東北人は感情を表わすのがなかなか出来ないのだが、楽天ファンの落胆と憤りは大きかったと思う。星野監督の怒った顔が目に浮かぶようだ。それに反して喜び歌う1塁側のロッテファン。敵地での開幕3連勝は55年ぶりの快挙だったとか。 冷え切った体で家路に着く。今年初めて本拠地で開幕を迎えたと言うのに、最悪の出だし。何と言ってもエースの田中で初戦を落としたのが大きい。大久保打撃コーチの指導で打撃は良くなったのに、キャンプでの練習が足らなかったのか。それともやはり選手層の薄さがもろに出たのか。今後の巻き返しを期待したいが、前途の厳しさを痛感した初観戦だった。 さてKスタでは、今日から好調のソフトバンクを迎えての3連戦。この時期のデーゲームで、果たしてどれくらいのお客様が入場するのだろう。きっと球場内では閑古鳥が鳴いているのではないか。今日の先発は昨年惜しくも新人賞を逃した塩見。何とか白星を挙げて、弾みをつけて欲しいと願う。頼んだぞ塩見。頑張れ塩見~!!そして、甲子園での決勝はどうなる?
2012.04.03
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傍らには美しい妻が眠っている。起きて鏡の前に立つと、まだ若々しい顔が映る。ふふふっ。俺の体は疲れを知らない。ほくそ笑んで男は髭を撫でた。ところがこれは未明の夢。カーテンを開けると、外は薄く雪が積っていた。4月1日。エイプリルフールの日でもあり、新年度が始まる日でもあり、そして私達が結婚式を挙げた日でもあった。 報道によれば、無職ランナーでロンドンオリンピックへの切符を手にした藤原新と、公務員ランナーの川内が合同練習をしたとか。実業団チームに所属していない異色ランナー同士だけに気が合うだろうし、合同練習は良い刺激になるのではないか。フィギュアスケート世界選手権大会の男子の部では、高橋が銀メダル、若い羽生が銅メダルを獲った。この大会での複数メダル獲得は初の快挙とか。 朝食を終えて新聞を読んだ後、私はいつもの番組も観ずに走りに出た。前日は近所の坂道を4km走った。約2カ月ぶりのランだったが、筋力の衰えは隠しようもない。筋肉痛は残っているものの、骨や靭帯、腱などに痛みがないのが幸い。走れるのは再入院までの1週間しかない。手術をすればまた1カ月はドクターストップになるはずだ。 翌日は久しぶりに山越えの帰宅ランを決行する予定。そのため、今日は6kmを走ろうと、私は決めていた。足に痛みが出ないのは厚目のクッションをシューズに入れたせいもあるが、右足首に巻いたサポーターが、アーチの崩れを補っているのだと思う。これは結構効き目がありそうだ。坂道を3往復した所で、信号のところに誰かが立っているのを発見。 それは後から家を出た妻。私のことを心配し、走りがてら観に来たようだ。さすがにいつも走っている妻は速い。フーフー言いながらついて行ったが、途中で何くそと彼女を抜いた。そこから私は中央分離帯の芝生を走り、先の角から引き返した。妻は手を振りながらそのまま真進。後で聞いたら、山の住宅地を一周したそうだ。 坂道とは言え、6kmに56分もかかった。今はこんなスピードでしか走れないが、それでも嬉しい。帰宅して着替え、コンビニへお握りを買いに行った。今日は今シーズン初めての野球観戦。楽天は開幕2連敗中だが、今日は移籍後初めて投げる下柳が先発。きっとベテランの意地を見せてくれるのではないか。 飲みもの、食べ物を巧妙に隠したリュックを背に、Kスタまでペダルを踏む。心配なのは楽天だけで無い。今日は前線が通過するため、午後は強風と雷雨があるとの予報。雨具、傘、厚めのウインドブレーカーなどは持った。靴も水が入らないものにした。9km先のKスタに着き、マウンテンバイクを雨に濡れない場所にしまう。 「手荷物検査」はいつも通り軽くパス。ただシート(3塁側内野上段)を見つけるのに手間取った。久しぶりに来たせいもあるが、慌てていたのだろう。ようやく自分の席に座り、遅い昼食。お菓子もバナナも食べてエネルギーは補充した。ほとんどが満席だが、バックネット裏と1塁側内野に空席。 フィールド内での親子キャッチボール、両チームへの花束贈呈などいつも通りの行事の後、中学校の合唱部による国歌斉唱と国旗掲揚、始球式と続きいよいよプレーボールだが、ベテラン下柳が早くも初回から点を取られた。これに対し、千葉ロッテのピッチャーはドラフト1位の藤岡。こんな新人にプロの洗礼を浴びせるのが通常なのだが、どうも我が東北楽天の打線は鳴りを潜めてしまったようで悲しい。<続く>
2012.04.02
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朝の連続ドラマ「カーネーション」が昨日で終わった。冒頭の音楽も好きだったが、ストーリーがとても面白かった。何せ世界的なデザイナーの3人娘を育てた母の物語だから、面白くない訳がない。戦前、戦中、戦後にまたがる庶民の暮らしぶりも良く分かったし、岸和田と言う大阪の人々の考え方や生き方も分かったような気がする。多分視聴率の高さも相当なものだったのではないか。 主人公小原糸子の娘時代から壮年期までを演じた尾野真千子の気風の良さはどうだろう。奈良県出身の彼女は関西弁を自由に操り、物語を迫真のものにした。だが晩年の糸子を演じた夏木マリの岸和田弁はどうにもいただけない。やはり話す言葉がニセモノでは、観ている側も白けてしまう。それでも面白かったのは、やはり「小篠綾子」の生涯を実感出来たからだと思う。 明日からは「梅ちゃん先生」と言うのが始まるようだ。まだ戦前の日本では珍しかった女医の話らしい。きっとフィクションだと思うので、「カーネーション」のような現実感は湧かないだろうが、「おひさま」、「カーネーション」と続いた戦前、戦中、戦後の庶民の生き方と暮らしぶりを比較出来て面白いのではないか。 一方、大河ドラマ「平清盛」はさほど評判が良くないみたいで、視聴率はこれまでの最低とか。だが私は案外好きだ。その理由だが、あの暗さが良い。当時の照明はせいぜいかがり火やロウソク程度だろう。まして庶民の家ならその灯火すらなかったと思う。だから、あの画面の暗さは平安時代そのものを映したものと言えよう。 もう一つの暗さは当時の政治。天皇と貴族による堕落した政治は、栄光だけに留まらず陰の部分が多かったのだろう。そして人々の暮らしも怨霊の存在を信じるなど、不安と恐れに溢れていたように思う。それだけ闇が深く、平氏の御曹司である清盛の苦悩も深かったに違いない。北面の武士佐藤義清が恋のもつれから25歳の若さで出家し、西行となって全国を流浪する話にも驚いた。 華やかな貴族の暮らしに比べ、武士の地位は低かった平安時代。これから清盛が平家の繁栄を築き、源氏との抗争を経て滅亡へと突き進む過程が展開されるのだろう。そうして見ると平安末期の「おどろおどろしい」世界も案外面白いし、頼朝が武士の政治を集大成する鎌倉時代への興味も湧く。 金曜日の夜、楽天の試合があまりにもお粗末過ぎてテレビのチャンネルを変えた。BSでやっていたのが1969年制作の映画「御用金」。これは五社英雄監督脚本の作品だが、場面を観て驚いた。何と少し前に読んだ吉村昭の「破船」に状況が良く似ていたのだ。冬の浜辺で火を燃やし、沖行く船をおびき寄せて難破させ、積荷を奪うと言う点がそっくりだったのだ。 ただし浜辺が岬に変わり、塩焼きの火が灯火台に変わり、船が商船から御用船に変わり、積荷が御用金に代わり、漁師が武士に変わっているだけの話。結末はまるきり違うが吉村昭の小説が発表されたのは16年ほど後だけに、あの映画を下敷きにしたのは間違いない。思わぬところで小説で読んだ場面に出くわし、世の中にはこんなこともあるのかなと思った次第。どうやら人間とは想像し、創造する生き物であるらしい。
2012.04.01
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