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≪ 「獲らぬ狸」の夢 ≫ 今月の初めから再開したランニングだが、新調した医療用インソールの調子は悪くない。と言うより、何の違和感も感じないのが不思議なくらい。そして昨年は底が堅いと感じていたシューズも、今ではそんな風には感じなくなった。少し足の状態が良くなったのかも知れない。 変形した偏平足の両足にとって、今さら「青竹踏み」や「貝殻踏み」などをしても効果があるのか疑問だったが、これが案外足の裏を強化する効果が強いように感じている。青竹もシャコ貝も踏めば痛い。だがそれを続けているうちに足の裏が刺激され、体調も良くなって来たようだ。足の裏には多くの「ツボ」があり、内臓と何らかの形で繋がっていると聞いたことがある。 それでもまだぎこちない走りであることに変わりはない。多分走る筋肉が戻るには、今年いっぱいかかるのではないか。今は無理せずゆっくり走って、徐々に距離を伸ばそうと思う。そのうちフォームが安定し、力強さが戻って来ると信じている。 世の中には「獲らぬ狸の皮算用」と言う言葉がある。また、「来年のことを話すと鬼が笑う」とも。まだリハビリ中の身で来年のことを話すのは少々早過ぎるかも知れないが、それくらいの夢は許してほしい。来年出たいレース、来年走りたいマラニック(一人旅)、そして、いつか走ってみたい土地。そんな風に私の胸の中で、夢が広がっている。 だが、「出たいレース」と「出られるレース」は違うのが常識。条件やレベルが自分の実力と違い過ぎれば、出られないレースがあるからだ。さらにエントリーを済ませても、実際に走れるかどうかは分からない。エントリーがかなり早くから始まるのに対し、レースまでの間に「タイムラグ」があるため、その間の怪我や体調不全で出られなくなることがあるためだ。昨年の私は止むなく4つのレースをキャンセルしたが、当然エントリー料金は戻って来ない。 そんなことを想定しながら来年のレースを考えた結果が以下のもの。(2月)「いわきサンシャインマラソン」:福島県フル、「東京マラソン」:フル=抽選待ち、(3月)「京都マラソン」:フル=抽選待ち、(5月)「仙台国際ハーフ」、「仙台鉄人会5時間走」、(6月)「みちのくラン」:マラニック約30km、(8月)「薬莱山とお足」:マラニック約55km、(9月)「磐梯高原・猪苗代湖マラソン」:福島県60km、(10月)「弘前・白神アップルマラソン」:青森フル、(12月)「NAHAマラソン」:沖縄フル。 また一人旅の峠越えマラニックで考えているのは次のとおり。1)JR気仙沼駅~JR一関駅(岩手県)約50km。2)自宅~丸森町大沢峠~JR相馬駅(福島県)63.5km。3)JR古川駅~鍋越峠(母袋トンネル)~JR大石田駅(山形県)62.5km。どこもそんな厳しい峠ではないはず。この他にも走りたい峠はあるが、多分今の体調では無理だと思う。 この他、自転車で行く歴史の旅や、登りたい山も幾つかある。また、そのうちに国内で走りたいレースや一人旅マラニックの候補地も多い。さらには、走りたい外国のレースや観光旅行などなど。夢は次第に広がって行くのだが、全ては体調と懐具合次第。健康であればランニングほど面白いものはない。ランニング万歳。人生万歳。<完>< 8月のラン&ウォーク > ウォーク:100km ラン回数:19回 ラン距離:221km 月間合計:321km 年間累計:1509km うちラン:463km これまでの累計:79654km <地球2周走破まで残り362km> 注)1回当たり20km以下の自転車は、その40%の距離をウォークに、また20km以上の自転車は距離の40%相当分をランに加算してあります。(「ランナーズ」の消費エネルギー換算に基づく)
2012.08.31
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≪ レース その魅力と魔力 ≫ 練習が日常的なものであるのに対して、レースは非日常的なものと言えるだろう。「なぜレースに出るのか」と聞かれたら、「それは楽しいから」と答えるランナーが多いと思う。レース独特の雰囲気による気持ちの高ぶりや、走り終えた後の達成感は練習では得られない。走友との再会、沿道の応援、苦しんだ後のゴール。それらの全てが大きな喜びに変わる。 レースへのエントリー料金も、案外馬鹿にならない。100kmレースの場合は1万5千円前後が相場だろう。これに対してフルマラソンは5千円前後のものが多いように思う。だが最近のランニングブームを反映して、高いエントリー料金を徴収するレースが増えて来た。「東京マラソン」は1万円だし、「京都マラソン」はさらにその上を行って1万2千円。それでも抽選に当たらないほどの人気ぶりなのだ。 高いエントリー料金を払う代わり、ランナーはレースでの「安全」を保障される。レース中の飲みものや食べ物、リタイヤした時の収容バスに、怪我をした際の手当など、1人で走る場合とはかなり環境が違う。だからこそランナーが安心して走れる。それでも危険性が全くないかと言えば、そうでもない。体調管理はランナー自身の問題だし、何が起こるか分からないのがレースだからだ。 私の初フルは今から23年前の45歳の時。走ったのは当時赴任していた沖縄の「NAHAマラソン」。12月のレースにも関わらず、気温は26度もあった。そんな暑さの中で42kmも走るのは初めての体験。「高温下での長時間走の実験」が私の初フルだった。結果は37km地点で猛烈な痙攣が起き、10分以上道端で倒れていた。そしてゴール後も繰り返す痙攣に苦しんだ。 原因は大量の発汗に伴うミネラル分の喪失。これによって体内のイオンバランスが崩れ、痙攣を引き起こす。フルマラソンを走るランナーなら誰でも知ってる常識が、この時の私にはまだ備わっていなかった。5時間22分29秒のワースト記録。それが私のほろ苦いデビュー戦だった。 熱中症の典型が2006年の「奥武蔵」(距離75km)。涼しい仙台から猛暑の埼玉へ移動し、体が高温に対応出来なかったのが原因だった。フラフラ状態で標高千mの山に登り、そこから下った。レース中に膝痛が出たのが1996年の「和歌山城ー高野山往復」(距離110km)。こちらはレース前に500回のスクワットをやったのが原因だ。高野山からの下り坂で骨折したランナーを見た。コースの厳しさを知る地元ランナーは出場しないと聞いた。道に迷った場合は自分でゴール地点に戻るのがルールで、膝の痛みに耐えながら走った最初のレースだった。 2008年の「立山登山マラニック」(距離65km、高低差3003m)では、雨中難所の八郎坂で20回ほど倒れ、左足が腱鞘炎になった。この回から制限が1時間短縮されたのと、勤務による疲労で無理をしたのが原因だった。それでも収容バスに乗らず、標高2450mの室堂ASまで自力で走った。この年はゴールの雄山頂上(標高3003m)で遭難騒ぎが起きたほどの悪天候だった。 2006年の「佐渡島一周」(距離206km)では、レース中に幻覚を初体験した。道路工事のポールがピョンピョン飛び跳ねたり、木材の年輪がサルの顔に見えた。2晩寝ないで走り歩くため、疲労の極限でそんな現象が出るのだ。翌年の「佐渡島」では幻聴の初体験。今度は波の音が人間の声に聞こえた。2009年の同レースではゴール目前で同じ場所を3度往復した。極度の疲労で距離感が狂い、パニックに陥ったのだ。 レース中に物が二重に見えたり、ゴール後目の前が真っ白になったこともある。舌が痺れたり、味覚がおかしくなったり、吐き気がしたりするのも、大量の発汗での体調悪化が原因で、水分の補給、塩分(ミネラル分)の補給が大切なのはこのためだ。特に夏場のウルトラマラソンは要注意で、今では「アスリートソルト」などを携行している。 フルマラソンでのリタイヤは3度。「NAHA」(沖縄)と「青島太平洋」(宮崎)では中間地点でレースを止めた。NAHAは疲労骨折の後遺症が心配だったためであり、青島は体調不良だった。「吉備路」(岡山)は32km地点で離脱。原因は岡山の悪友が前夜飲ませた70度の酒。確か沖縄県与那国島の泡盛「ドナン」だったように記憶している。酒が原因でのリタイヤはこの時が最初で最後だった。 暴風雨の中でのレース(八丈島一周:62km)など冒険談も多いが、これくらいにして置く。最近では加齢による走力の低下と、不整脈による体調不良でのリタイヤが増えた。ランナーとしては残念だが、誰も歳には勝てない。今年は2度の不整脈手術を行った上に、腱鞘炎と足底筋膜炎までが発症して、全く走れなくなった。それがゆっくりとでも再び走れるようになったのは、奇跡と言えるだろう。 今は来年のレース復活に向けてリハビリの最中。かつてのスピードとフォームを取り戻すのは困難だが、たとえどんな走りであってもレースに出られるだけで嬉しい。もちろん制限時間内でのゴールを目指すが、途中リタイヤでも悔いはない。果たしてどこまで復帰出来るか楽しみだ。神様が再び走る機会を私に与えてくれたことに、心から感謝している。<続く>
2012.08.30
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≪ 一人旅 ≫ 1人で長距離のマラニックを目指したのはいつごろからだったろう。自宅から秋保大滝、二口峠を越えて、山形県の山寺駅まで抜けるコースを初めて走ったのは、多分10年くらい前だと思う。1人旅は淋しいし、時には身の危険を伴うこともあるが、冒険心を満たす意味では最高の実践ではないか。先ず度胸がつくし、ウルトラの練習にはうってつけなのだ。 昨日「ランニングノート」のことを書いたのは、その一人旅のことを確認するためだった。二口峠越えを除けば、最初の旅は「佐渡島一周」の練習で、夜間走の実験をした時。平成18年の8月に自宅からJR石巻駅まで走った。距離は60km。朝方JR矢本駅付近で腹痛が起きたのには参ったが、徹夜で10時間ほど走れ、夜間走の気分を味わった。 その続き、石巻駅から気仙沼駅までを走ったのは、平成20年の5月。距離は90kmで、中間地点の南三陸町志津川の民宿で一泊した。この海沿いのコースは昨年の「東日本大震災」で大きな被害を受けた。今でもあの時の光景が目に浮かぶ。特に70名以上の児童が犠牲になった石巻市の大川小学校のことが忘れられない。 「沖縄本島単独一周」には4年の歳月を要した。自分にとっては生死をかけた大冒険。大好きな沖縄を自分の足だけで一周する。それもたった1人でだ。平成20年7月には、西海岸を北上するコースを取った。距離は140km。那覇に着いたその日のうちに島の南端、国営摩文仁平和祈念公園をスタートして、那覇へ。夕方でも33度あり、とても危険な状態だった。 翌日は那覇市から名護市まで、国道58号線に沿って北上し、最終日は島の北端辺戸岬から名護市へ逆走した。辺戸岬は交通機関がない辺鄙な地。おまけに7月の沖縄は33度の猛暑で、地面は40度を遥かに越えている。沖縄の友人からは「自殺行為」と呆れられたが、朝夕の涼しい時だけ走って、日中は歩き通した。それでも熱中症で、何度か意識を失いかけた。 翌年は最大の難関、東海岸の縦断に挑んだ。距離は150kmだが、これを2日間で走り抜く。スタート地点の辺戸岬までは、名護市から友人の車に乗せてもらった。いわゆるヤンバル(山原)の東海岸は全くの過疎地。特に北部は集落が数km毎に点在するだけ。中でも楚州(そす)は戸数5戸しかなかった。アップダウンがきつく、危険なハブも生息している。これに咬まれたら、30分以内に病院に行かないと死んでしまうが、病院などどこにもないのだ。 氏名、生年月日、自宅の住所と電話、血液型などを記したボードを、リュックに着けた。万が一の時の連絡用だが、これが発見された時は死んでいる。走り出して間もなく路上で死んだハブを発見。11月末だったが、まだハブが冬眠してないことが分かり、ビクビクしながら夜間走を続けた。ハブは夜間に行動するので、気が気ではなかった。アスファルトの「ひび」までがハブに見えたものだ。 初日は75km先の超高級リゾートホテルがゴール。1泊7万2千円だったと思う。2日で縦断するためには、そこに泊るしかなかったのだ。平成22年はNAHAマラソン10回完走を祝って、島の南部知念半島を一周した。そして昨年は北部の本部半島を一周。屋我地島から古宇利島を経由し、ワルミ大橋を渡って今帰仁村へ出、海洋博記念公園前を通って名護市への63km。 この年は不整脈が起きて体調が悪く、この一人旅でも途中3度ほど休んだ。こうして4年がかりの大冒険が終わった。走った総計は428km。恐らく沖縄本島を単独で一周したのは私しかいないはず。これとは別の企画で、「峠越え」も始めた。これもなかなかの冒険で、ゴールした後の達成感が凄いのだ。 平成22年は、自宅~笹谷峠~JR山形駅(63km)、自宅~二口峠~JR山寺駅(52km)、自宅~蔵王エコーライン~蔵王温泉(74km)の3度。そして平成23年は、自宅~関山トンネル~JR天童駅(62.5km)、自宅~白石市~JR福島駅(81km)、JR白石駅~金山峠~JR上山駅(63km)の3度。エコーライン越えの累積高低差は2500mを越えたはずだ。 これまでのゴールは、全て隣の県。来年は再びこの厳しくも楽しい峠越えに挑戦したいと思っている。ルートの候補は既に幾つか検討済み。リュックを背負い、水と食料を自分で確保する必要がある峠越えでは、天候の変化と体調の変化に十分注意しなければならない。場所によってはクマに遭遇することもあるはず。さてさて、来年が待ち遠しい。それまでに十分鍛えておかないとね。<続く>
2012.08.29
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≪ 拘ることと拘らないこと ≫ どうやら私の推察は間違っていたようだ。昨日書いた女性ランナーと、あれから直ぐに会ったのだが、年齢も彼女のランナーとしての経験も、先日途中から戻ったと感じた理由も、全て違っていたようだ。例によって愛犬マックスと散歩している時に、彼女は前方から現れた。同じ女性かと確かめるために顔を見ると、彼女は軽く会釈した。それで私も「お早うございます」と挨拶した。 私は30歳に近い20代の女性だと感じていてのだが、まじまじと顔を観たのは今回が初めて。どうやら50歳に近い40代のようだ。ランナーは得てして若い印象を受けるもの。いや、実際走っていると気持ちも体も若返る。それに加えて服装によっても受ける印象が違うのだ。ランシャツ、ランパン姿の私を見れば、実際は70近いのに、多分50代に見えるのではないか。 そして初心者だと思ったのは彼女のスピード。ゆっくりゆっくり走る姿は、とてもたくさん走った人には見えなかったのだ。だが走り去る背中を見たら、彼女が着ていたのはどこかの大会の「フィニッシャーTシャツ」。つまりレース経験者であることが確認出来た。どこのレースか分からないが、「フィニッシャー」と銘打つのは、決して短い距離の大会ではないはず。 彼女は間もなく戻って、私を追い越して行った。その時間から推定すると、どうやら先日折り返した信号のある交差点から引き返したみたい。とすると、あの時私と会ったために戻ったのではなく、あそこがいつもの折り返し点なのかも知れない。あの先は登り坂だから走るのが大変。いやいや、勝手な推論はもう止めることにしよう。今後お互いに走っている時に、そのうち言葉を交わす時が来るはずだ。 先日、あることを調べようとして過去のランニングノートを探した。ところが、昨年のを除いて、どこにも見当たらない。どうやらもう必要ないと判断し、処分してしまったようだ。そして、そのことすら忘れていたのだ。これまで走った距離の累計は控えているし、42.195km以上をレースで走った記録は残しているので、自分として不都合はないのだが、まさかランニングノートの殆んどを捨てたとはねえ。 レースでもらった完走証や完走メダルの類も、私はほとんど捨ててしまう。残っているのは、「NAHA」と「伊豆大島ウルトラ」でもらったガラス製のメダルの一部だけ。これはきれいだから記念に取って置いた。何故捨てるかと言えば、ランナー本人には「宝物」でも、家人にとってはタダの「がらくた」に過ぎないからだ。そんなものが大量にあれば、死んだ際に処分するのが大変だと思ってのこと。 多くのレースを走った、あるいは完走したと言う想いは、自分の胸の中にあるだけで良いと私は思う。最初の頃は、出たレースの要綱まで全部ファイルしていたのだが、ある時に思い切って捨てたら意外にスッキリし、それ以来ゴミに出すことにしている。金属のメダルも「燃えるゴミ」に混ぜて捨てる。残るのはフルマラソン以上のタイムだけ。まあ何と言う清々しさだろう。 参加賞のTシャツはよほど酷いデザインでない限りは残し、木綿のものや好きでないデザインのものは妻にやる。最近のTシャツは即乾性の機能が高く、秋から春にかけての練習に向いているし、「色もの」の中で、紺系統は農作業にちょうど良い。たとえ野菜の青い汁が付着しても、汚れが目立たないから貴重。トマトの葉などは良く擦れるが、白いシャツだと緑の色が消えなくなるのだ。 それならランナーとして拘るものが何もないかと聞かれたらどうだろう。ないことはない。それは「出来るだけ長い間ランニングを続けたい」と言うことが一番だ。42km以上のレース完走も後6回で100回になるし、地球2周走破の達成も今年中には実現するだろう。47都道府県でのランニングも9年前には達成したので、今ではそれほど拘るものは少なくなった。 再び走れるようになった今、これから「何をしたいか」については明日以降改めて記すことにしたい。さて今日もひとっ走りして来るか~!!
2012.08.28
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≪ 失意の時も ≫ まだ走れなかった頃、近所の坂道を愛犬と散歩してる時に出会うお嬢さんがいた。歳の頃は20代の終わりくらいの若い人。こちらは犬を連れた冴えない爺さんなので、彼女も気にすることはなかった。ところが私が走れるようになって、ランシャツ、ランパンスタイルで坂道に現れると、事情が変わった。ある日信号のところから引き返し、それ以来姿が見えなくなってしまったのだ。 恐らく彼女はヨボヨボの犬を連れた爺さんと、本格的な格好で走る爺さんが同一人物とは認識してなかったのだろう。散歩中の爺さんなら自分が走っている姿を観られても構わないが、ランナーらしい人に見られるのは嫌だったのだと思う。初心者の彼女が、何故そこまで気にする必要があったのか分からない。微妙な乙女心と言うやつだろうか。 昨日の日曜日、妻は早朝から絵の仲間と写生会へ行った。長距離練習のチャンスだったが、体が言うことを聞かなかった。連日の暑さ、寝不足、ランニングの疲れ。体調の悪さの原因はそんなものだろう。こんな時、私は無理をしないことにしている。走って走れないことはないが、無理をするとろくなことがないことを、長年の経験で知ってるからだ。 8月の最終日曜は「北海道マラソン」がある日。走友会のS田夫妻や、古川組の数人がレースに出ているはず。涼しい北海道でも8月は暑い。まして「北海道マラソン」は12時スタートだ。夏のフルマラソンで、走友達がどれだけ苦戦したのかが気になる。私が出たのは制限が4時間のエリートマラソンだった頃。札幌の街を颯爽と駆け抜けた積りだが、実際は5km毎の関門との戦いだった。 一方「トランスヨーロッパ」は昨日が8日目。Sパパのレースは順調だ。確か3日目だかにWさんとKさんの2人がタイムが間に合わず、リタイヤ扱いになったようだ。70歳を過ぎているお二人には、時間設定が少し厳しかったのだろう。それ以降はステージランナーとして走り続けておられるみたい。その後さらに日本人選手2人が脱落した模様だが、何とか順調にレースを続けて欲しいと願う。 門さんのツイッター、旅がらすさん、コノちゃんのブログで、毎日のレースの雰囲気が伝わって来る。既にデンマークを過ぎドイツ領に入った。コノちゃんは3足のシューズを持参したが、足に合うのが1足しかなくて困っている模様。一方の旅がらすさんはまるで旅を楽しむような紀行文で、余裕すら感じられる。 出国前のお2人のブログには、共に家庭菜園のことが書かれていた。70日間も留守にするため、育てている野菜のことが心配だったのだろう。そんな中でもコノちゃんは仲間達と「広島~長崎ピースラン」を走り、旅がらすさんは体調管理と出国準備にあたふたされていた。超長距離を走る彼らの心境を、書かれた文章から推察する作業が当分続く。 午前中から午後にかけて休養したせいか、体調が戻った。早速ランシャツ、ランパンに着替えて走りに行く。3時過ぎの最も暑い時間帯なので、普通のロードは無理。そこで向かったのが「治山の森」と呼ばれる近所の山。大部分は原生林のため日中でも涼しい。だが当然アップダウンが厳しく、トレイルコースそのものなのだ。 ここは失職中の一時期に走ったところ。ハローワークで職を探しながら走るのは、とても不思議な気分だった。あの頃妻からはなじられ通しだった。私が定年の1年前に無断で辞めたことが、彼女の怒りを買ったのだ。その頃の私達の「業界」は大改革が進行中で、中間管理職は特に厳しい立場に立たされていた。職場の人間関係は最悪で、私も心身の衰弱が激しかった。 大騒動にはなったが、やはりあの時に辞めて正解。その1年以内に同僚や後輩が現職で5人も亡くなったのだ。多分死因は異常なストレスだと思う。あの失意の時に走った同じコースを、9年後の今再び走る。あの時のように速くはないが、何の悩みもなくのんびり走れるのが嬉しい。照る日、曇る日。人生には色んな日があるが、ランニングもまた然り。頑張って走っていれば、そのうち苦しみから解放される日が必ず来るんだよね。
2012.08.27
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≪ ランニング再び ≫ 最近の私の生活パターンは以下のようなものである。起床後ブログ → 10km程度のランニング → 体操 → 愛犬との散歩 → 畑へ水やり(収穫) → 水シャワー → 朝食 → 新聞 → 休息・読書・エクササイズ → 昼食 → 休息・読書・エクササイズ → 愛犬との散歩 → 庭への散水 → 水シャワー → 夕食 → ナイターを観(聞き)ながらのエクササイズ → 就寝。 3週間前までは全く走れなかった。2度に亘る不整脈手術の後遺症で目まいがあったのと、右足に痛みがあったせいだ。これまで足を傷めたことが何度かあったが、今回の症状はかなり深刻で、もう走るのは絶対無理と諦めたほど。だからブログへ自分のランニングのことを書くこともないと思っていた。もちろんテーマによっては書けないこともないのだが。 例えば走友達の活躍やランニングに関する一般論としてだ。そして自分の過去のレースや、ランニングの思い出についても。ただし、過去の思い出だけしか書かない、元ランナーにはなりたくなかった。私はこれまで94回の長距離レースを走っている。そのうち約半分がフルマラソンでの完走。そして残りの約半分がウルトラマラソンの記録。ただしそれには42km以上走ってのリタイヤも幾つか含まれているが。 その記録を、私の墓碑銘代わりにブログに載せようとしたこともあった。もちろん私は生きているのだが、ランナーとしては死んだ、つまりそれ以上レースに出ることはないと考え、記念碑として残したいと思ったのだ。100回ではなく94回と言う中途半端な数字も、私に相応しいのではないか。自嘲ではなく、私は心底そう感じていた。 それが何の悪戯か、私は再び走れるようになった。ただし思うように走れなかった半年間のうちに、走るための筋肉がすっかり落ちてしまっていた。これが戻るには後数カ月はかかるだろう。今はまるでロボットのような動きしか出来ない。初めて出た100kmレースの99km地点のような感じ。つまり自分の脚であって、自分の脚でない感覚と言えば分かるだろうか。 たとえそんな拙い走りであっても、ただ走れるだけで嬉しい。ランナーとしての復活を目指し、来年は幾つかのレースに出場したいと願っている。既に「東京マラソン」と「京都マラソン」は仮エントリーを済ませた。どちらも人気大会だけに、当選するのは困難だろう。これまで「東京」は6連敗だし、「京都」も外れている。 だが再びレースに出たいとの強い想いが、きっと私のリハビリを助けてくれるはず。2つのマラニックを含め、今10のレースへの出場を頭の中で思い描いているが、それだけでも嬉しく思える。94回で終わっている自分の記録を少なくても100回まで延ばし、後数百kmに迫った地球2周走破を、何としても今年中に達成すること。そんな目的も、私を奮い立たせると思う。 今回の整骨院での施療は5回で終わり、それ以降あの若い先生には会っていない。私があの後薬莱山まで自転車で往復したことや、再び走り出したことを知れば、きっと驚くと思う。それほどあの頃の私はコンディションが最悪の状態だった。果たして彼にその後の報告をする日が来るだろうか。早く報告したい気もするが、したくない気持ちもある。何故なら彼の整骨院を訪れるのは、私が怪我をした時に限られるからだ。<続く>
2012.08.26
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お盆のころ朝窓を開けると、異臭を感じたことが何度かあった。きっと近所の人が花火をしたのだろう。この頃に毎年近くの公園で夏祭りが開かれる。夏休み中の子供達を楽しませる企画が幾つかあるようだが、これは隣の町内会の恒例行事。父兄のバザーやちょっとした売店、花火大会に盆踊りなどが行われているようで、時々盆踊りの曲が風に乗って聞こえて来る。 裏の駐車場で若者達がバーベキューをするのもこんな時。きっとお盆で帰省した人が、夏祭りの夜に昔を懐かしんで集まって来るのだろう。9時頃までなら我慢も出来るのだが、10時を過ぎてまで騒いでいると、さすがに寝られない。早朝出勤の仕事をしていた昨年までは、これが寝不足の原因になってとても辛かった。そこで今年は若者達に注意した。彼らは素直に従い、9時前には解散した。 バス停前の花壇がきれいだ。これは我が町内会メンバーの苦心作。バス停前の空き地は、毎月の草刈りで苦労をする場所なのだが、少しでも草刈りの面積が減るよう、老人会のメンバーがその一部を花壇にしたのだ。今花壇にはヒマワリ、コスモス、百日草、グラジオラス、サルビア、マリーゴールドなどの花が咲き乱れている。水は近くの川から汲み上げているが、このところの日照りで水量も少なくなって来たのが心配。 家庭菜園で収穫したゴーヤをご近所に配った。予めゴーヤを食べる家を確かめておいた。昨年配った時、奥の部屋から「あら、またゴーヤ?」という声が聞こえたと妻が話していたからだ。お返しに立派な桃、枝豆、中国製のチョコレート菓子をいただいた。お返しを期待していた訳ではないので、何だか申し訳ない気持ち。妻が最近ゴーヤジュースを作った。材料はゴーヤの他にバナナと蜂蜜と牛乳。これが案外美味しくて飲み易い。これなら我が家だけで、十分ゴーヤを消費出来そうだ。 近所の空き地に建設中だった大型介護老人保険施設が明日開院する。事業内容は短期入所(100床)、通所リハビリ、居宅介護支援の3つでかなり本格的な施設のようだ。敷地内にはたくさんの木が植えられ、小川に沿った道も幅6mの道路に整備されつつある。もう昔の面影はどこにもない。近所の方が、ここのスタッフとして転職したようだ。 厚生労働省の発表によれば、認知症高齢者の数が飛躍的に増加している由。2003年当時の予測を遥かに上回って、305万人に達したそうだ。これは65歳以上の人口の10%に相当する由。つまり10人に1人の割合で認知症になる訳。新たな予測では、さらにこの割合が増大するそうだ。近い将来、ひょっとして我が家でも裏の老人施設のお世話になる時が来るかも知れないねえ。
2012.08.25
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甲子園での熱闘が終わった。またしても勝ったのは大阪桐蔭。スコアは3対0だが、内容的には圧勝だった。光星学院は春の選抜に続いて桐蔭に敗れ、東北に優勝旗を持ちかえる悲願は達成出来なかった。光星の天久選手は沖縄県石垣島出身。弱い心に打ち克つべく、敢えて北国の青森から日本一を目指そうと考えた由。準優勝ではあったが、島の家族達は「良く頑張った」と、彼の帰郷を待ちわびていると思う。 映画「The Gray ~凍える太陽~」を観た。アラスカで飛行機事故に遭って助かった8人が、厳しい寒さと戦いながら何とか生き延びようとする話だ。新田次郎の「アラスカ物語」を思い出したが、こちらは船での遭難。宮城県出身の日本人フランク安田が、最後には飢餓に苦しむエスキモーを率いて、500kmも先の地に移動し、新しい町を作る実話だ。 どちらの話にも獰猛なオオカミが出現する。「アラスカ物語」では確か2種類のオオカミがいたと思うが、エスキモー達の知恵で、彼らの餌食にならずに済んだ。ところが「凍える太陽」に出て来るオオカミは体重が70kg以上もある巨大なもの。8人の仲間は次々に彼らに食い殺されて行く。最後に残った1人が雪原で観たのは、優しい家族の幻影だった。 「薬莱山とお足マラニック」があった夜、関西から戻った妻から何通かの手紙を受け取った。それは旅先で預かった2人の孫からのもの。いつものように「ワンワンじいちゃんへ」と書かれた他愛もない内容だが、小学6年生の孫娘が別便で書いた手紙は、それらとは全く違って具体的だった。 書かれていたのは古墳に関すること。私も四国の孫に、古墳に関する手紙と3冊の本を事前に送っていた。古墳の調査は夏休みの「自由研究」の課題だが、孫の手紙で間違いに気づいた。私が例として上げた「前方後方墳」は、「双方中円墳」が正しかった。その形の古墳を知らない私に対し、彼女はその古墳を実際に観ている。真実の厳しさを幼い孫から教わった形だが、私にとっては却って嬉しい出来ごとでもあった。 お盆には我家のと妻方の2か所の墓参りをした。妻方の墓石は昨年の大震災で倒れ、大きな傷が残ったままだ。我家の方は墓石が倒れることはなかったが、花立ての金属が腐って底が抜けていた。やがて私もそこへ入る。そんなことへの抵抗感は、ほとんど無くなった。別の日に兄宅を訪れた、父母の位牌に線香を上げるためだが、兄はデーサービスで留守だった。 義姉に自家製の野菜やお中元代わりのお土産を手渡す。私が作った完熟の立派なトマトに、彼女は驚いていた。私が2度不整脈手術を受けたことは、九州に住む弟から電話で聞いた由。そして義姉が病気の原因を正しく言い当てたのには驚いた。彼女も8年ほど前に、同じ手術を受けたそうだ。兄の長い病気で相当に苦労を重ねて来た義姉。良くここまで頑張ってくれたと、心から感謝している。 お盆休みで帰省していた長男が東京へ帰った。交通事故の影響で、まだ本調子ではないようだ。折角の休暇も部屋に閉じこもってゲームに興じている息子。少しは成長したかと期待していたのだが、相変わらずだ。それでも何とか1人で生きて行けるのがありがたい。次男も含め、早く家庭をと願っているが、親の夢に終わりそうなのが淋しい。再び妻と2人の暮らしに戻った。まだまだ厳しい残暑が続きそうだ。
2012.08.24
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連日30度以上の猛暑が続いている仙台。昨年も暑かったが、今年もなかなか負けてはいない。このところ朝夕の2回畑に水を撒いているが、朝に撒いても夕方にはカラカラに乾いてしまう。先日、久しぶりに農作業をした。ナスとピーマンを1つの畝にまとめ、トマトの苗も1つの畝にまとめた。残った苗の実はかなり減り、しかも小さい。 勿体ない気もするが、キュウリとミニトマトは始末した。残せばもう少し実るのだが、数は少ないはず。それに今は秋冬野菜の準備が必要な時期なのだ。残したトマト、ナス、ピーマンもせいぜい後1週間待つだけ。その後は全部抜いて始末する必要がある。モロッコインゲンの後には、白菜の種を蒔いた。これが一番早く芽が出た。 ジャガイモの後には春菊の、駄目トマト(これは昨年の種から自然に発芽したもの)とキュウリの後には大根の種を蒔いた。それらも無事発芽している。今月末から来月初めにかけて蒔くのが、チヂミ菜と小カブ。そして10月半ばには玉ネギの苗を植える予定。その頃、ゴーヤは姿を消しているだろう。 支柱やネットも半分以上が片付いた。今年の夏野菜はおおむね好調だった。完熟で立派なトマトは多分150個以上取れたはず。モロッコインゲンは500本以上取れて、最後の最後は豆ご飯にもなった。ミニトマトも苗は2本だけだが大豊作で、そのうちかなりの数が夏バテ中の愛犬の胃の中に消えた。 キュウリは虫に食われたのと、ジャガイモに邪魔されて世話が行き届かなかったせいか、収穫は100本以下だったのではないか。それでも大部分は古漬けと冷やし中華の具やサラダになり、食欲増進に寄与してくれた。長ナスはあまり取れなかったが、ベイナスは上手に出来、焼きナスになって食卓に良く登場した。 シソは3本だけ残して始末。これはまだ葉も立派で役立つし、最後には来年用の種を取る。ミョウガは昨年移植したせいか、収穫は20個ほどだが、まだ取れそう。アシタバもまだ若い枝が出て来ているが、そろそろ花芽が出そうな時期。三つ葉は既に葉が堅くて食べられず、目下種が出来つつある。 3本植えたゴーヤのうち成功したのは2本。そのうち白ゴーヤは実が少ないから、実質は1本で頑張った計算。こちらは暑さが続き、水と肥料があればまだまだ実りそうだ。苦味の少ない白ゴーヤは、サラダや天ぷらになった。あばしゴーヤは定番のゴーヤチャンプルーとして大活躍中。収穫したうち何本かはご近所に配ったし、3本でちょうど良かったのかも知れない。ともかく頑張ってくれた夏野菜たちには、心から感謝している。 夏の農作業は汗をかくし、暑くて日に焼けるし、蚊に食われて痒い。寝不足の身での草取り作業などは地獄そのものに感じるほど。それでもやり続けるのは、収穫の喜びがあるからだろう。これはやった人にしか味わえない愉悦なのかも知れない。苦労の後のご褒美と言う訳だ。 始末された苗の残骸は、裏庭に積まれている。今後、これにトマト14本、ナス6本、ピーマン4本、ゴーヤ3本の残骸が加われば結構高い山になるが、それもやがては腐って土に還り、再び畑や庭の土として使われる。生ごみと愛犬のウンチが原料の「特製堆肥」も同様に、我が家では全てがリサイクルの対象。だから翌年の畑からはカボチャ、トマト、サクランボ、柿など色んな芽が出、これが結構面白いのだ。 手をかければかけるほど、期待に応えてくれるのが野菜で、彼らは決して期待を裏切らない。もし失敗するとすれば、それは人間の知恵が足らないせいだ。例えば野菜には連作障害が出る。同じ場所で同じ種類の野菜を作り続けると、病気になることがあるのだ。土の中に病気のウイルスが残っているせいだろう。そしてジャガイモは殺菌した種イモじゃないと腐ってしまう。 これまで私が作った野菜は、多分50種類以上にはなるはず。そして家庭菜園の経験も30年以上。私にとってはランニングに続く長い歴史のある趣味になった。3人の子供にもこれだけの手間をかけていればもっと立派に成長したのかも知れないが、どうやら全てが上手く行くとは限らないようだ。だからこそ人生は面白い。山あり、谷ありの我が人生に悔いはない。
2012.08.23
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夜中に目が覚めてブログを読むと、何人かの人が書き込みをしてくれていた。これだけ私のことを心配してくれる人がいたことに驚くとともに、改めてとても有難い気持ちになった。今日は別な話題を書こうと決めていたのだが、これだけの気持ちを寄せていただいた以上、やはりランニングと障害に関する話題に触れない訳には行かないだろう。 昨日ブログにコメントを書き込んで下さった8人の方のうち、現実の私を知っている人は3人だけ。後の5人はネットを通じての友人なのだ。そんな方が心から心配してくれたこと、そして喜んでくれたことは、私の生涯の宝だと感じている。「どん底」に落ちた時に手を差し伸べてくれた人こそが本当の友人。そして、そんな方々に感謝する気持ちを失ってはいけないとも。 私がまだ走れないでいる頃、妻は朝起きると走りに行くことがあった。それを観て、羨ましいとも、悔しいとも感じたことはない。まして「嫉妬」などはなおさらだ。私はそれまでに十分走って来たし、妻はまだ初心者。健康維持のためにランニングをするのは、むしろ良いことだと思っていた。それに私にはランニングに代わる多くの趣味があった。 家庭菜園、歴史研究、読書、自転車、プロ野球東北楽天の応援、映画鑑賞などなどだ。30数年続けて来たランニングが最大の趣味だが、それを補完する他の楽しみを、私は見つけることが出来ていたのだ。また、「諦める」ことは人生の修行のうちと考えてもいた。ありのままの自分を受け入れる、そんな心境だった。ただし、これまでに聞いた幾つかの意見をどう解釈し、どう行動すべきなのか。 「心拍数が110以上になる運動はしないように」。不整脈手術を執刀したドクターの注意だが、これは果たして手術直後の数カ月間だけの話だろうか。それとも一生守るべきルールなのか。ハートレートモニター(心拍計)でも胸につけていない限り守れないと思うのだが、実際はどうなのだろう。運動中に胸が苦しいことはないのだが、6か月検診の際にでも尋ねてみようと思う。 「筋膜炎はアーチの崩れが原因だから、足に負担をかけぬように体重を減らすのが重要。ランニングは止めて、自転車に乗るように」。これは整形外科の院長の話で良く理解出来るのだが、出来ればこれからもランニングを続けたいのがランナーの本音。そのために今回医療用インソールを新調したんだもんね。さてその辺をどう調整するかが今後の課題だね。 「変形している左右の第5中足骨(舟状骨)は疲労骨折し易い個所」。これは整骨院の院長の指摘。なるほどやはりそうか。私の舟状骨は既に変形している。これを医療用インソールで補正しない限り、疲労骨折や筋膜炎や腱鞘炎が発生する危険性が高いのだろう。それはこれまでの11年間で生じた自分自身のランニング障害でも実証されると思う。 「シリコン製の医療用インソールは、堅い(痛い)と感じても、最低1ヶ月間は我慢して使用してください。自分勝手に加工してはダメです」。これは義肢製作所のスタッフの話。なるほど、前のは堅いと感じて削ったりしたもんね。それがアーチを補正出来なくて痛みが出た原因かもね。今回作ったインソールがそんなに堅いと感じないのは、「青竹踏み」などで足底を鍛えたせいだろうが、今後走る距離を伸ばした時にどうなるかな。 私の両足には、ランニング障害の長い歴史がある。だからこそ大事に付き合わないと、これから向かう老後の生活に支障を来たす恐れもあるのだ。ただ「走りたい、走りたい」だけでなく、痛み発生の原理をちゃんと理解しておかないと、後で悔やむ可能性が高いのだ。中高年にとってランニングは魅力に溢れたスポーツだけど、その危険性についても十分理解しておかないとね。 そんなことを感じながらも、私は来年出場したいレースのリストを作った。出たいレースは10もあるんだよね。ビックリでしょ?そしてずいぶん気が早いでしょ?まだ十分に走れないのにねえ。でもそれがランナーの夢。出たい、走りたいレースがあればこそ、苦しいリハビリにも耐えられる。多くの友情に感謝♪ ドクター達の指導に感謝♪ そして夢を与えてくれるランニングに感謝♪
2012.08.22
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つい2週間前まで、私は読書三昧の日を過ごしていた。不整脈手術の後遺症で軽いめまいがしていたし、右足の底部には筋膜炎の痛みがあったため、運動など出来る状態ではなかったのだ。それが「薬莱山とお足マラニック」に出ると決めてから、体調が飛躍的に改善された。マラニックの前に行ったのは、2回の早歩きと整骨院での5回の施療。そして1週間の「エクササイズ」だった。 わずかそれだけで、110kmの道のりをマウンテンバイクで往復することが出来た。きっとどうしても参加したいと言う強い気持ちが、そこまで復活させたのだと思う。人間の潜在能力の凄さを知った思いだ。そして今では不格好ながらランニングも再開している。歩いても何もしなくても痛かった私の右足。だから走ることは不可能と、私はすっかり諦めていたのだ。 それが何故再び走れるようになったのだろう。とても不思議だが、幾つか原因として考えられることがある。第1は痛みがある時に全く走らなかったこと。これは筋膜炎の場合、とても重要なことだと私は認識している。痛みがありながらつい走ってしまうと、いつまで経っても治らないのがこの病気だ。第2は整骨院での施療が痛みを和らげたこと。これは嬉しい誤算だった。 そして、自己流のエクササイズも案外効果があった。衰えた筋力の向上に役だち、体調を整える効果もあった。特に「貝殻踏み」と「青竹踏み」は足底部を刺激し、強化につながっているように感じる。それもこれも、「何とか復活したい」と言う強い気持ちがもたらした「奇跡」だったように思う。 7月の東京見物で巣鴨の「とげ抜き地蔵」に行った時、私は見よう見真似で「洗い観音」の足に水をかけた。自分の悪い個所に水をかけると、その個所が治ると信じられている「洗い観音」。私はそんな迷信は信じない方だが、ブログ友のよっちゃんさんやherenさんは、「きっと治る」と信じてくれていた。私は総合病院で手術でも受けない限りは治らないと思っていたのだが、その決断すら出来なかったのだ。 昨日は走らなかった。前日の18km走が利いて、すっかり草臥れたのだ。早歩きも含め、この2週間で走った距離は76km。自転車(走行距離の40%相当)は66km。そしてウォーク(1回20km以下の自転車の40%相当分も含む)が48kmで、合計190km。1日平均13.6kmの運動量だから疲れても当然。その前は老犬との散歩しかしてなかったことを思えば雲泥の差だ。 体調がまだ思わしくなかった頃、自分がしたい夢を幾つか書き出したことがある。登山、トレイルラン、長距離のランニング練習、自転車での旅などがそうだ。体調と体力が戻りつつある今、それらは決して夢ではなくなった。そして夢の続きである「東京マラソン」、「仙台国際ハーフマラソン」への出場も、今後のトレーニング次第では、実現出来るかも知れない。私にとってはまさに奇跡。実に有難く、嬉しいことだ。 昨日は整形外科で新しいインソールを受け取った。これまでのものより素材が軟らかく感じた。これを装着して走ったら、果たしてどんな感じかとても楽しみだ。病院に向かう途中、走友会のD堂長老に会った。山の地図を売っている店が見つからずガッカリしていた時だ。だが登山にも造詣が深いD氏は、それを売ってる書店を知っていた。氏に聞いた店を後で訪ね、蔵王山と不忘山の地図を買うことが出来た。これは9月の初めに妻と縦走する予定。 「奇跡」のお陰で、今後の展望も開けそうな気がする。だが油断は禁物。老化は決して待ってはくれず、突然色んな現象を引き起こすことがあるからだ。規則正しい生活を送るのが第一。それを肝に銘じてこれからの日々を過ごしたいと思う。「トランスヨーロッパ」出場中の日本人18選手は、第1日目、第2日目とも全員完走のようで嬉しい。健康に注意して、見事スペインの港町にゴールして欲しい。
2012.08.21
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先日北九州市で起きた訴訟は、東日本大震災の被災者にとって実に悲しい出来事だった。折角瓦礫受け容れを決定した北九州市の措置を、問題ありとして同市民が提訴した件だ。放射性汚染はないとの検査結果が出ているにも関わらず、一般市民の方はなぜ受け入れを拒否するのだろう。これがもし逆の立場なら、彼らはきっと悲しんだはず。 そんな折、コメディアンの間寛平ちゃんが被災地支援のために、わざわざ走りに来たことを知った。スタート地点は岩手県の山田町でゴールは福島県のいわき市。いずれも太平洋の沿岸にあり、大きな被害を受けた市町村だ。ヨットと自分の脚で地球を一周した彼にとって、今回の440kmはさほど困難ではないはず。だが、彼の励ましがどれだけ被災者の心を明るくするか測り知れない。 宮城県内では、名取市から岩沼市までの2.5kmを、予め希望した一般市民の方と一緒に走ったそうだ。これは一昨日の話だが、彼の「被災地応援マラソン」はまだまだ続く。頑張れ、寛平ちゃん!!私は15年前の「泉州国際市民マラソン」(フル)で、偶然彼を見かけたことがある。必死で走る私の脇を、彼は得意のギャグを飛ばしながら、アッと言う間に追い抜いて行ったのだ。 昨日の早朝ブログを書こうとしたら、メンテナンス中で書き込むことが出来なかった。それを良いことに早速走りに行った。先日の「薬莱山とお足マラニック」で110kmをマウンテンバイクで往復した後も、25km~30kmの距離を2度自転車で走った。我が家と妻方の墓参りだが、天気が良かったせいか一層日焼けが進んだ。 青白かった顔が、アスリートのように逞しく変わったのにはビックリ。そして7種類の「エクササイズ」を、新たに3つ増やした。かかとフレイズとスクワットと青竹踏みだ。青竹は近所の方にお願いして入手した。突起があるシャコ貝を踏むのとは違った感触で、足の裏を鍛えている実感が凄くある。 トレーニングの場所も変えた。5km→7km(2回)→8km→10km(2回)と徐々に距離を伸ばした近所の坂道での早歩きを目出度く卒業し、少し遠出することにしたのだ。坂道往復は直ぐ家に帰れて便利なのだが、単調なのも事実。そこから飛び出すには少々勇気が要った。先ず向かったのは川沿いの11kmのコース。ここはまだ愛犬が元気だった頃に一緒に走った場所だ。 景色が違えば気分も変わる。黄色く色づいて来た田圃。清らかに流れる川の水。そして黒い羽根のトンボ。だが相変わらず脚がもつれて思うように動けない。自分では走っている積りなのだが、他人から見ればもがきながら歩いているとしか見えないだろう。土手の上ではどんどん若者に追い抜かれ、おまけに大きな肉刺(まめ)が出来た。 昨日は隣の市の山の上へ向かった。ここは昨年の秋以来で18kmのコース。多少冒険だが、疲れたら歩けば良いだけの話。ヨタヨタしてるのは走るための筋肉が落ちたせいで、筋肉が戻れば少しは足が上がるはず。だが、それまでにどれだけの日数を要するか。山の上からの景色は素晴らしく、「またここまで来られて良かった」と嬉しかった。 心臓は特段苦しくない。不整脈手術の執刀医には「心拍数を110以上に上げないよう」注意されているが、スピードが出ないため、全然その恐れはないのだ。3時間近くかかって帰宅すると、いつの間にかソファーで横になっていた。この日も巨大な肉刺(まめ)発生。私の足はどうやら「距離の感覚」を忘れてしまったようだ。今日は整形外科で新しい医療用インソールを受け取る。試行錯誤が当分続きそうだ。
2012.08.20
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何日か前に富山のテラさんのブログを拝見したら、知り合いの方が何人かTJARに出場していると書かれていた。TJARとはTrans Japan Alps Raceの略で、富山の海岸から北アルプス、中央アルプス、南アルプスを経て、静岡の海岸まで達する415kmの山岳レースらしい。コースも厳しいが制限時間も厳しくて、容易にはゴール出来ないようだ。 そんな過酷なレースがあるとは初耳。これは面白そうだと思って、早速TJARのHPを観た。このレースは2年に1度の開催で、2012年は8月12日(日)から8月18日(土)までが会期。ただし19日(日)が予備日となっている。スタート地点は富山県魚津市の早月川河口で、ゴールは静岡県焼津市の大浜海岸。18人の出場選手の現在地は、GPSで確認する由。 昨日の夕方の段階で、18人中5人が見事ゴールしていた。選手は全て自力でゴールへ向かい、途中は野宿かテントで休むのが原則。チェックポイント(関門)は全部で5つ。幾ら登山の経験があり、どんな健脚の持ち主でも、夜通し難コースを走り、また歩き続けるのは容易ではないと思う。リタイヤした選手も多く、中には高地で低体温症になった選手もいたようだ。恐るべきTJAR。日本にもこんなレースがあったのだ。 さて、今日8月19日(日)は、「トランスヨーロッパ・フットレース2012」が始まる日。この日世界中から集まった55人の選手達は、バルト海沿岸デンマークの北端スカーイェンをスタートし、地中海沿岸スペインのレ・リネアまでの4176kmを64日間かけて走り抜く。1日平均の走行距離は65.2km。まだ暑いヨーロッパ大陸で苦戦する選手達の姿が目に浮かぶ。 18人の日本人選手のほとんどは60歳を超えている。私が知ってる選手はSパパとニセコさんの2人だけだが、他の選手も国内では有名なウルトラランナーで、名前くらいは知っている。このうちコノちゃんと、旅がらすさんの2人が毎日走りながらブログを公開していて、レースの模様が分かるのが嬉しい。 今回は日本人選手に、強力な助っ人が現れた。大阪の門さんだ。彼はプロの鍼灸師。自らもウルトラマラソンランナーだけに、選手達の健康管理や心理状態については最も良き理解者と言えるだろう。走る仲間のケアをするのが夢。彼は鍼灸師になる前、HPにそう書いていた。11年前の4月。私は金沢の兼六園「佐藤桜」の前で彼を待っていた。「ネーチャーラン」のゴールの時だった。 走友T田さんが残暑見舞いをくれた。写真には「萩往還」のスタートで、気合を入れている彼の姿が写っている。今年前半のレースとして、彼は「サロマ」ほか6つのウルトラレース、「勝田」ほか3つのフルマラソン、そして「仙台国際ハーフ」と合計で12のレースに出たとある。途中リタイヤとなった「萩往還」250kmだが、残念ながら今回で「卒業」する予定とか。 そして8月からの後半戦では、「秋田内陸」など5つのウルトラマラソンと、「大阪マラソン」など3つのフルマラソンに参加する予定とある。彼とは先日の「薬莱山とお足マラニック」で、思いがけない対面を果たしたばかり。飲み過ぎと走り過ぎによる故障には十分に注意して、人生を満喫して欲しいと願う。ありがとう大勢の走友達。君らの活躍が、私に勇気をもたらしてくれるのだ。
2012.08.19
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≪ 復活に向けて ≫ まだ温泉から戻らない人もいるようだけど、今日は参加者全員に会うことが出来た。そろそろ失礼することにしよう。C一さん、元気そうで良かったね。520kmの「川の道」で肉刺が潰れたK彦さんの足裏は、きれいに治っていた。今年は11月に変更された「佐渡島一周」だが、寒さを心配していたK藤さん頑張ってね!!挨拶もそこそこに、私は大勢の仲間に別れを告げた。 建物の外に出て軽く体を動かしていると、2階の部屋から仲間達の笑いさざめく声が聞こえた。きっと1人1人の挨拶に、共感しているのだろう。マウンテンバイクに跨ろうとした時、1台のロードレーサーが到着した。本格的なサイクリスト。どこのバイク野郎かと訝しく思った時、その男はサングラスを外した。 伝説のドライバー、古川のフランケンこと黒ちゃんだった。今日は用事があってランニングに参加出来ず、自転車で来た由。何と言う格好良さ。バイク用のヘルメットが決まっている。「今2階で懇親会の最中だよ」。「気をつけて帰ってください」。短い挨拶を交わし、薬師の湯を後にした。往路苦しんだ登り坂を、まっしぐらに下る。直接国道へは向かわず、薬莱山神社の里宮を通った。 さようなら2012薬莱山とお足。これから自宅までの1人旅だ。逆方向だと、風景が違って見える。迷子にならないよう、事故に遭わないよう、細心の注意を払う。色麻町の田圃道は、意外とアップダウンがあってきつかった。再び国道457号線に出て色麻の歩道を走っている時、微かに変な音が聞こえた。 自転車から降りて、タイヤを調べる。じっくり点検すると、タイヤの厚い部分に1本のネジ釘が刺さっていた。たまたま厚い部分だったから助かったが、溝の薄い部分なら間違いなくパンクしたはず。そしてあのまま乗り続けていたら、深く刺さって同じ結果になったと思う。危ない危ない。自転車の旅も楽しくて良いのだが、もし不便な場所でパンクしたら、歩いて帰るしかないのだ。 ゾッとしながら再び走り出した後で、大変なことを思い出した。何と、折角抜いたネジ釘を、元の場所に置いて来たのだ。もう場所は分からない。来年来る時が危ないなあ。それまでに無くなっていれば良いけど。やはり疲労で、正しい判断が出来なかったのだ。大衡村の道路工事現場では、一方通行でかなり待たされた。 大和町までの途中、何度か雨がパラつき、七つ森は雲に隠れていた。富谷町でお徳用のカルピスソーダを購入。この日使ったお金は、会費も入れてわずか1695円で済んだ。往復110kmも走った割には、ビックリの対費用効果。東北道への地下道で初めて休憩し、O形さんにいただいたバナナの他、ハイチュウと「2分間チャージ」を口にする。これは短時間で塩分を補給できる優れ物だ。 将監台の坂道も登れた。台原の坂道では電動アシスト付き自転車に抜かれたため、追いかけて抜き返した。俺もまだ若いとほくそ笑んだ瞬間、左足が痙攣。やはり急激な運動で、脚に無理がかかっていたのだ。それらを除けば往復共ほぼ一定のペースでペダルを漕ぎ、良いトレーニングが出来たと思う。 自転車のロングライドは、四国の松山から鳴門まで、片道220kmを往復したのがこれまでの最長。次いで大阪の高槻から京都府の舞鶴市往復の200km。これは往復で6つの峠越えがきつかった。松山から石鎚山往復は160kmほどだが、標高1549mの土小屋まで登った。それがバイクでの最高到達地点。いずれも軽いロードレーサーで、年齢もまだ50台だった。 あの頃に比べたら体力は衰えたが、俺もまだまだ捨てたもんじゃない。今回のマウンテンバイク110kmはそれらに次ぐ長さだが、わずか10日間ほどのトレーニングで良くここまで体調が回復したもの。無事帰れたことで、復活への自信につながったような気がする。帰宅後洗濯物を片づけ、シャワーを浴びてから裏庭へ行った。 愛犬は静かに横たわっていた。私が帰って来たことが分かったのか、彼は目を開けてヨロヨロと立ち上がった。その鼻が土で汚れていた。きっと暑さで苦しみ、そこらじゅうを掘って体を冷やせる場所を探したのだろう。良く頑張ったねマックス。お父さんも頑張ったよ。それから1匹と1人は、夕方の散歩に出かけ、妻が関西から帰宅したのは、8時近くなってからだった。 数日後、Kazuさんがブログにコメントしてくれた。薬莱山での私を観て、「復活」を確信したそうだ。私はT田さんに無理にお願いし、写真をプリントしてもらった。笑顔の私と多少ビックリ顔のT田さん。それは「亡霊騒動」の直後に撮ったもの。そしてkazuさんとのツーショットは、2人とも満面の笑顔。本当に私が復活出来るかどうかは、今後のトレーニング次第。仲間の期待に応えるためにも、何とか頑張ろうと心に誓った私だった。<完>
2012.08.18
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≪ 亡霊騒ぎ ≫ 脱衣所に戻り、バイク用のシャツとパンツに着替える。バイク用のパンツの尻にはクッションが入っており、帰路の旅を少しは助けるはず。足には赤く擦れた痕があった。偏平足用のサポーターを、直接足に着けたのが悪かったようだ。 S水さんは既に到着していた。長町駅前を5時にスタートしたようだが、あの時間で富谷まで来、この時間にゴールするとは、大変なスピードの持ち主だ。おんちゃん達がいつ追い着かれるかビビっていたのも頷ける。 お茶を買って大広間へ行く。ここでゆっくりと寛ぎ、用意したお握りとお菓子を食べた。擦れた足にはバンドエイドを施し、テーピングをする。帰路はサポーターは着けず、このままで行く積り。座布団を枕代わりにし、暫し横になる。畳の感触が良かったのか、それとも疲れていたのか、いつの間にか私は眠っていたようだ。この間わずか2、3分だが、それがとても気持ち良いのだ。 ロビーでT田さんを見つけた。気づかれないように近づき、思い切りハグする。一瞬誰だと思った彼が、私の顔を観て「亡霊か!」と驚く。全く考えてなかった人物がいきなり目の前に現れたせいか、彼の脳は直ぐに「本物の私」と判断出来なかったのだろう。実は2年前、彼に驚かされたことがあった。伊豆大島ウルトラを走ろうとして東京の桟橋で待っていた時に、突然彼が現れたのだ。 彼は私をビックリさせようと、自分の参加を隠していた由。今回はその「お返し」なのだ。「そう言えば「ハプニングがあるかも」と書いていたね」と彼。私のブログの熱心な読者で彼らの仲間kazuさんへのコメントに、確かそう書いたかも知れない。コメントまで全部読む人はなかなかいないが、T田さんは少ない例外だ。。 缶ビールをおごると言う彼に、「小さいので良いよ」と返事。彼ら古川組は薬莱山へ向かう途中にも、既に缶ビールを飲んでいるはず。彼が撮って送ってくれた写真には、飛び切りの笑顔の2人が写っていた。こんな笑顔はいつ以来だろう。2度の手術を受け激務に苦しんだ今年の4月、鏡の中の私には「死相」が現れていた。U海さんと会ったことを話すと、とても残念がる彼。 「私が来たことはkazuさんには内緒にしてて」と頼む。後で会ったKazuさんの驚きも大変なものだった。2人と飲んだビールは実に美味かった。「やっぱりここへ来て良かった」と健康であることの喜びを実感。だが、H多さんは畳に横になったまま。久しぶりの長距離ランにすっかり草臥れ果ててしまったのだろう。良く頑張ったね、H多さん。 O形さんからいただいたバナナは、帰路の大事なエネルギー源として持ち帰った。M会長としっかり握手。彼はオレンジのシャツと帽子の自転車に乗った男が私とは気づかなかった由。誰にも今回の「冒険」を話していないので当然だ。お世話役のKさんには、早めに挨拶して帰りたいことを告げた。猛暑に耐えながら留守番している愛犬のために、夕方までには帰る必要があったのだ。 M会長の挨拶に続き、私は自分の想いを話した。病気のこと、現在の体調のこと、この薬莱山に賭ける気持ち、そして今後への期待。最後に「来年はウルトラに復帰します」とは言ったが、あれは勢いから出た言葉。夢ではあっても、決して現実とはならないことを自分でも良く知っている。U海さんと会ったことは黙っていた。多分「三婆」の誰かが話すはず。この日、U海さんからは「完走祝い」の金一封をいただいた由。難病と闘う彼の気持ちを想う。頑張れ~っ、U海さ~ん!!<続く>
2012.08.17
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≪ 懐かしい顔、涙の顔 ≫ それにしても何故おんちゃんがウルトラを走るようになったのだろう。ゴール後に聞いたら、昨年初めて走った「秋田内陸」では、62km地点でリタイヤしたもののとても楽しく、それ以来すっかりはまってしまった由。なるほどねえ。そうそう、住吉台のCちゃんがDさん達の少し前を走っていたことを書き忘れていた。 道は徐々に下り、鳴瀬川に架かる旭橋を渡る。もう最後の町、加美町だ。国道の角のコンビニに寄り、アイス最中、お握り2個、「つまみ」を買う。外でアイス最中を食べている時にS原さんが通っていった。結構速いスピードだ。自転車で追いかけた時は、かなり前へ行っていた。前方から逆走して来る赤いシャツのランナーは、同じ走友会のM井さん。彼は前週「奥武蔵」を走ったばかり。「後5kmです」。確かにそうなのだが、私のゴールは60km先にある。 残り4kmくらいで、今度はS山さんが逆走して来た。彼はかなりのスピードランナーで、仲間のO友さんと一緒に55kmを走ってゴールし、今はクールダウンの積りで走っているのだろう。多分65km以上走ることになるはず。恐るべき青年だ。いよいよ国道347号線を左折して薬莱山への道に入る。 水沼橋の向こうに3人のランナーが見えた。一番後ろの人は歩いているが、前の2人は元気良く坂を走って登っている。最後の難関の登り坂。ここまで来れば薬師の湯はもう直ぐなのだ。こんな登りは自転車ではきつい。一番小さなギアにしても苦しい。歩いていたのはH多さん。最近はほとんど練習をしていない由。それでもこの「薬莱山とお足」へ、仲間と一緒に参加するのが自分への励みになる由。 話ながら坂を登る道の横に、1台の車が停まった。窓から顔を出したのは、この会の事務局長を長い間勤めてくれたU海さん。彼は目下闘病中の身。きっと仲間の顔が見たくなり、奥様の運転でわざわざ応援に来てくれたのだろう。案外元気そうな顔。私が彼と会ったのは彼が病気になった年だから、5年ぶりくらいのはず。最後に飲んだあの店は、今では名前が変わっている。 思いがけない再会だった。H多さんは泣いていた。私は彼女の手に、そっと手を重ねた。U海さんも感極っていた。U海さんと別れた後、彼女はゴールまで走ろうとしたが、もうそんな力は残ってなかった。ゴールの薬師の湯に着いたのが9時47分。家を出てから4時間12分後だ。マウンテンバイクを日影に停め、私は体操をした。長時間のロングライドで固まった体をほぐすのだ。 駐車場のU海さんの車の前で、K村さん、H多さん、K藤さんの3人がU海さんと泣きながら話していた。あのまま引き返そうとしたU海さんを、奥様が「折角だから仲間と会って行ったら」と宥めて戻った由。U海さんは私が不調なことも知っていた。今年の文集にT田さんが書いた文章を読んだ由。久しぶりに仲間と会って話せたせいか、U海さんは安らかな顔で帰って行った。 K村さんはまだ泣いていた。「鬼の目にも涙」だ。最近は思うように走れなくなったと言う同学年の彼女。私が不整脈で走れなくなった時に彼女は言った。「Aちゃんは不整脈に負けてる」と。その厳しくも熱いエールを、私は今でも良く覚えている。「人はいつか走れなくなる時が必ず来るんだよ」。それは自分の体験に基づく実感なのだが、果たして彼女はどう受け止めたのだろう。 K藤さんが幹事役のKさんに連絡してくれたお陰で、飛び入り参加の私も名簿に名前を追加して入場出来た。早速温泉へ向かう。大浴場、水風呂、露天風呂、サウナ、そして再び水風呂。冷たい水が筋肉の火照りを癒してくれた。1年ぶりの薬莱山。無謀な冒険だったかも知れないが、何とかここまで辿り着くことが出来た。無事ゴールした仲間が続々温泉へやって来る。<続く>
2012.08.16
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≪仲間達の勇姿≫ 一番後の人が女性ランナーだと直ぐに分かった。すらりと伸びた長い脚、ちらっと見えた横顔は、「K野姉妹」の妹さんのようだ。10年以上も前からの顔見知りだが、まだ一度も話したことはない。ここはまだ半分も来ていない地点。この時間帯にここでは遅過ぎないか。そんな心配が一瞬過った。前の2人はサングラスのため表情が分からないが、多分仙台明走会の若い人のはず。 彼らに自転車で参加した理由を簡単に話し、エールを送って前進。後でこの2人は「たんぽぽ走友会」のSさんとOさんだと分かった。暫く行くとまたまたランナー発見。何と同じ走友会のS水さんだ。私は東京勤務の彼がわざわざ走りに来たことに、彼は私が自転車で来たことに互いに驚いた。握手をして別れたが、彼のスピードに驚くのはゴール後の話。そして8月から新潟勤務に変わったこともその時に知った。 大和町の手前で女性ランナー発見。太白お母さんランナーズのOさんだった。確か彼女は私と年齢がまあまあ近いはず。その割に走力はほとんど落ちていないのが凄い。これまでのレースでも、彼女に何度追い抜かれたことか。声をかけて抜いて行く。大衡村への分岐点手前で最初のサポート車発見。住吉台走友会のA谷さんだった。Oさんと一緒にここで給水した。冷たいスポーツドリンクが喉に沁みる。あまりの美味しさに、ついお代りをする。たっぷり水分を補い前進。 ここで国道4号線から別れて、国道457号線へ入る。今までの広い国道と違って歩道は狭く、かつ未整備のため特に自転車は要注意の個所だ。間もなく仙台鉄人会のTさん発見。彼女はここまで18km走った由。ゴールまでの残りは多分まだ20kmはあるはずだ。その前方にT脇さんがいた。彼女は同じ走友会所属で、元気な姿が嬉しい。仲間の参加状況などを彼女から聞けた。 緩やかな坂の途中に4人組を発見。同じ走友会のDさんは私の姿を観て「自転車で来たのか」とつぶやく。後の3人は住吉台の両S木さんとFさん。彼らは相当のスピードランナーだが、ここで会うとは意外。ランニングと自転車とではスピードが違うため、どうやら距離と時間に関する私の感覚が狂っているのだろう。 ここから当分の間、走っている仲間はいなかった。坂を登って色麻町に入ると、要所に「薬師の湯」の看板が見え出す。看板に書かれた距離数がランナーの助けになる。自衛隊演習場方面に左折し、直ちに右折する。ここから約8kmは田圃の中の一本道。コンビニも自販機もないランナー泣かせの難所で、両手にペットボトルを持って走るのがこれまでの常だった。 だがやはり自転車は楽。いつもならゴールまでに500ccのペットボトルが10本空になるのが、今日はまだ1本目。大汗かきの私ですら、さほど汗をかかないのだ。空は曇って栗駒山は見えないが、いつもより走りやすい気温。通行する車も少なく安全な道を、マウンテンバイクで快調に飛ばす。「風に吹かれて~♪」のあのメロディーが、ついつい口から飛び出る。 加美町が近くなったころ、逆走して来たランナー発見。最初に会ったKさんのお母さん。自称「K野姉妹」の「お姉さん」だ。彼女からゴールまでの間にいる仲間の情報を聞き、逆にお嬢さんの状況を伝えた。間もなく歩道を悠々と走るS原さん発見。彼は同じ走友会所属で年齢も近い。存在感があり実力者の彼から、今後の参加予定レースなどを聞いた。 さらに前進すると、2人のランナー発見。同じ走友会所属の「おんちゃん」ことT野さんと、先日結婚したばかりのHさん。2人ともフルマラソンを3時間以内で走るサブスリーランナーだが、雰囲気は実にゆったりしたもの。Hさんは奥様とランニングを通じて結ばれ、新婚旅行は「ホノルルマラソン」に行く予定とか。夢があって良いねえ若者は。<続く>
2012.08.15
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「薬莱山へは自転車で行きたいんだけど。ただし雨ならダメと言う条件で」。走友会の幹事役であるKさんにそう申し出たのは、Hさんの結婚式の時だった。だがKさんは「分かった」とは言わなかった。「車で薬莱山に行って、向こうから逆走したら」。私の体調を心配しての提案だったのだろうが、それは無理なのだ。第一私はまだ走ることが出来ないし、車で行けば何のトレーニングにもならないからだ。 申し込みの締め切り日まで、ついにKさんへはメールしなかった。自分でも自転車で往復する自信がなかったのだ。老犬との朝夕の散歩以外はほとんど運動らしいことはしておらず、しかも肩に痛みがあった。マウンテンバイクの場合は、肩に相当の衝撃が加わる。ずっと前傾姿勢を保つ必要があるからだ。それに例え自転車でも、果たして真夏の暑さの中で110kmを往復する体力が今の自分にあるだろうか。 「ひょっとして死ぬかも知れない」。正直そんな思いが胸に過った。だが無事帰宅するために自分がやれるのは何か、それを考えるのが先決だ。先ず体力を少しでも向上させるために考えたのが、速歩きや体操など7つのエクササイズ。そして肩の痛みを和らげるため、整骨院へ行った。整骨院の先生は若いのだが腕は確か。だが私が不整脈で2度手術をし、右足が筋膜炎であることを告げると、彼の表情は曇った。 「薬莱山とお足」は、県内のウルトラマラソン愛好者団体「宮城UMC」の合同練習会で、毎年8月に開催される恒例行事。各走友会ごとにスタート場所と時間を決め、12時までに薬莱山の中腹にある「薬師の湯」に到着するのが唯一のルール。我が走友会は3時に仙台市体育館をスタートするのがこれまでの恒例だった。それを今回は自転車でと思ったのだ。どんな形であれ今の自分に出来そうな冒険は、これしかないのだ。 私はこれまで9年連続で完走していたのが誇りだった。そして自転車で走るのは初めてではなく、最初の参加の際にコース確認のため、やはりマウンテンバイクで往復したことがある。さて、必死のエクササイズと整骨院での施療が効いて、体調は飛躍的に良くなった。だが自転車で行くことは誰にも告げなかった。妻はその日、関西方面から帰宅する予定。問題は暑さに弱い愛犬を、日中どこに繋ぐかだ。 出発時間は5時と決めた。途中の休憩や給水を入れて、片道に約5時間はかかると計算。出来るだけ早めに山に着いて体を休め、帰路の体力を養おうと考えたのだ。当日の朝は4時前に目が覚め、先ずブログに「大冒険」に旅立つことを宣言。愛犬との散歩はまだ暗い中だった。帰宅後餌と水を与え、涼しそうな裏庭の樹陰に彼を繋いだ。 バケツには1日分の水。そして首には保冷剤。それで何とか猛暑に耐えてもらうしかない。頑張れマックス。俺も1日頑張るからね!!朝食は予め何を食べるかメモしていた。だが愛犬の世話に思いのほか時間がかかり、朝食を終えてマウンテンバイクでスタートしたのが5時35分。よほど慌てていたのか、血圧降下剤を飲むのをすっかり忘れていた。 既に空は明るく、ペダルを漕ぐと風が爽やかだ。約半年間運動らしい運動をしていない私だが、この大冒険を無事に終えるため、細心の注意を払う必要がある。その緊張感が私の全身を包んでいた。荷物はハンドルに結わえつけた。これは少しでも汗をかかないための工夫。両足には偏平足用のサポーターを装着した。上は宮城UMCの半袖シャツで、下はハーフタイツ。帽子は宮城UMCのオレンジ色のもの。このオレンジの蛍光色が、仲間としての連帯感を高めるはず。そして首には冷却用の布。 ボトルキーパーには、スポーツドリンクにアスリートソルトとサプリメントを加えたペットボトル。赤信号で停まった時に、これで随時給水するのだ。最初の難関は泉区の将監坂。自転車はトンネルを通れず、階段を押して登るしかない。東北道の地下通路を潜り富谷町へ。ここまでに1時間15分ほどかかっている。田圃道の先に、3人のランナーが走りながら北へ向かうのが見えた。あれは一体誰なのだろう。自転車から仲間の姿を観るととても興奮することを、今回初めて知った。<続く>
2012.08.14
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風が吹いてる~♪ いきものがかりが歌うあの爽やかな歌声を、この夏何度耳にしたことだろう。ロンドンオリンピックは今日閉幕した。長い長い2週間。暑さや眠気と戦った2週間でもあった。IOC選手代表委員に当選した日本の室伏選手が、その後当選無効となったと聞いた。どんなことが違反行為と認定されたのかは分からないが、とても残念な気持ちだ。 JOCは何ら違反していないと話しているが、どんなことが違反行為に当たるかを室伏選手に良く伝えてなかったのではないかと思えてならない。彼は今後、IOCではなくJOCのための尽力したいとのコメントを発表したようだ。 今大会で驚いた一つは女子バトミントンダブルスの4組が、「無気力試合」と見なされて出場を停止されたこと。彼女達はいずれも世界ランクが上位の選手ばかりだ。どうしたら自分が有利になるか、どうしたら相手に楽に勝てるかを考えるのは競技の常だろうが、特にスポーツマンとしての潔さを求められるオリンピックには相応しくない行為と認定されたのだろう。 女子バトミントンシングルスで、日本の佐藤冴香選手は試合中に靭帯を断裂した。ジャンピングスマッシュを決めた着地の時だ。激痛に苦しみながらも試合を続行しようとした彼女を、監督が無理に止めた。とても試合を続けられるような状態ではなかったのだ。彼女は仙台出身。高校はバトミントンの実力校ではなかったが、ライバル達の技術を試合を通じて「盗み」、見事オリンピック出場を実現した彼女にとって、残念な結果だったと思う。 最終日の男子マラソンで、日本選手は中本選手の6位が最高位だった。タイムは平凡でも、後半追い上げて入賞したのは立派。「無職ランナー」として注目された藤原選手は、今朝の新聞で45位に終わったことを知った。タイムが振るわなかったことを考えると、どこか故障していたのだろう。オリンピックで最大の力を発揮することが、いかに困難かを知らされた出来ごとだ。 さて、最後の最後に男子ボクシングミドル級で、村田選手が見事金メダルを獲った。彼は一旦引退しながら、母校の後輩の不祥事がきっかけで競技に復帰。今回も「僕は絶対負けない」との気持ちでリングに上がった由。また男子レスリングフリースタイル66kg級では、米満選手が金メダルを獲得。相手は体調が悪かったようだが、「そんなの関係ね~!!」。それらを含め、メダル獲得数は過去最高となったようだ。 なでしこの元キャプテン澤選手は日本代表を「卒業」する気でいたようだが、サッカー界の大先輩三浦カズ選手の助言を受け、今後も日本代表に残ることを決断したようだ。今回のロンドンで無得点だったこと。アメリカのワンバック選手ともう一度戦いたいことが決断の決め手だった由。その強い心に、改めて敬意を表したい。 ロンドンでメダルを獲った選手、獲れなかった選手。勝った選手、そして一度も勝てなかった選手。ニュースに出た選手、全く活躍が分からなかった選手。松山勤務時代の走友もその中の1人。彼は今回が4度目のオリンピックだったが、どんな結果だったのか確認出来ていない。ともあれオリンピックは終わった。恐らくは選手1人1人に、それぞれのドラマがあったことと思う。選手の皆さん、感動をありがとう!! 今朝私は約10kmを歩いた。半年間ほとんど走れなかったことで筋肉が衰え、ヨレヨレの1時間45分だった。無様だが、これが私のオリンピック。競う相手は一番の理解者でもある自分自身。そしてゴールも自分で決めるのだ。風が吹いてる~♪ 心にあの爽やかな歌を刻みながら、これからも険しく遥かな道を歩き続けたい。
2012.08.13
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昨夜は良く眠れなかった。楽天が接戦で負けたためでも、オリンピック観戦のためでもない。理由は前日マウンテンバイクで110km走ったこと。私にとっては実に久しぶりの本格的な運動で、このために脳が興奮状態なのだと思う。これは200kmを超える距離のウルトラマラソン(私は206kmの「佐渡島一周」を3回完走)を走り終えた後の現象と大変良く似ている。 眠れないまま完走記を書くのがこれまでの常だったが、今回のレポートはもう少し後にしたい。その理由はまだロンドンオリンピックが開催中だからだ。やはりここはオリンピックに敬意を表する必要がある。まだ残された種目は幾つかあるが、今の時点での私の印象を述べてみたい。 メダル獲得数が全てではないが、韓国が獲得した金メダル13個(8月11日現在)で、これは第5位に当たる由。国の大きさ(人口の多さ)に比べたら大変な数。そして北朝鮮も金4個で17位と健闘している。日本は金が5個で13位(獲得メダル総数は36個で6位)だから、両国の数字は異常とも言えようか。これは政治的に対立している両国とも、オリンピックが国威発揚の場となってるためと思える。それとも日本が少な過ぎるのだろうか。 国際的な競技の場で「君が代」を聞き、「日の丸」が揚がるのを観るのは嬉しい。さすがにこんな時に国歌や国旗に「ケチ」をつける人はいないはず。政治的な信条がどうあれ、自国の国歌を聞き、自国の国旗を観て感激するのは当然の心情だと思う。 女子バレーが3位決定戦で韓国を破った。この種目でのメダル獲得は28年ぶりの快挙だった由。逆に男子サッカーは3位決定戦で韓国に0対2で完敗した。ブラジルに負けた韓国。そしてメキシコに敗れた日本。日本を破ったメキシコが初優勝したのも凄い。日本は優勝候補だったスペインを破ったのに、韓国には勝てなかった。 日本に勝った韓国の朴選手が、試合後に「独島(竹島)は韓国のもの」と書かれたプラカードを掲げたそうだ。その直前に韓国大統領が竹島に渡ったことと無縁ではないだろう。IOCでは早速この問題の調査に乗り出すそうだ。のっけから政治的な話題になったが、オリンピックと言えども、純粋なスポーツの祭典ではないことを物語る例だ。そして今後ドーピング問題などが生じる恐れはないのだろうか。 レベルが高いために自国では代表になれず、他国に帰化した中国の卓球選手が目立った。参加資格問題はクリヤーされているのだろうが、どこか腑に落ちない。男子マラソンの猫ひろしもカンボジア代表に選ばれなくて良かったと思う。日本の男子柔道は惨敗だった。いまさらルールが悪いとか、きれいな「一本柔道」を目指すべきと言っても仕方がないと私は思う。 国際的なスポーツになった以上、国際的なルールで戦うしか道はないからだ。かつてスキーのジャンプで日本人選手達が大活躍した時、世界は日本人選手に不利になるようルールを「改正」した。日本にとっては「改悪」だったのだが、柔道もそれに似ているのではないか。 女子サッカーのなでしこは良くやったと思う。銀メダルに終わったが、あの試合でもしドイツ人審判がアメリカ選手の「ハンド」を取って日本にPKを与えていたら状況は変わっていたと思う。試合の翌日にドイツの新聞が、ドイツ人の審判がミスしたことを厳しく追及していたそうだ。世の中には偶然と「たら話」はたくさんあるが、なでしこの銀メダルの陰にもこんな「たら話」があったのだ。 日本チームのキャプテンを勤めたやり投げの村上選手は、予選で敗退した。さぞ悲しい思いをしただろう。1回戦で敗れた女子レスリングの浜口選手もしかり。誰だって負けて嬉しいはずがない。このオリンピックを目指して4年間じっと苦しい練習に耐えて来たのだから。女子レスリングの伊調馨選手はロンドンで練習中に靭帯の部分断裂を起こしながら試合を続けて金メダルを獲った。 同じく女子レスリングの小原選手は、国内の試合で吉田沙保里選手に勝てなくて2度引退し、うつ病になりながらも復帰したそうだ。小原選手、吉田選手共に今回は見事金メダルを獲った。特に伊調選手と吉田選手はオリンピック3連覇と言うのが凄い。吉田選手は外国人選手に技を研究されて負けてことを踏み台にしての前進だった。 卓球の福原愛選手は肘痛と戦いながらの団体戦銀メダル。この後今年一杯は休養する由。ハンマー投げの室伏選手は37歳での銅メダル獲得。確か3大会連続でのメダルだったはず。男子陸上400m☓4リレーでは、アメリカのミッチェル選手がレース中に骨折しながらも仲間にバトンを渡した。結果は2位だが、本人にとっては金メダルと同じくらいの価値があるはず。 村上選手が行けなかったやり投げの決勝に進んだのが、イギリス人を父に持つディーン元気選手。まだ現役の大学生だ。日本選手にも世代交代の波が打ち寄せている。今日行われる男子マラソンはどうなるか。さてスポーツの神髄は、メダル云々よりもどれだけ自分が努力したかだと思う。例え結果はどうあれ、正々堂々と帰国して欲しい。選手のみなさん、たくさんの勇気をありがとう。そして長い間、本当にお疲れ様でした。 ≪今回は大変な長文になりましたことをお詫びします。≫
2012.08.12
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本日の行き先は宮城県北部の薬莱山でした。毎年8月に宮城UMC(ウルトラマラソンの同好会)の練習会があり、これまでは片道55kmを走るのが常でした。(9年連続完走)でも、今年は2度に亘る不整脈の手術と足の故障で走ることが出来ないため、誰にも告げず自転車で参加することにしたのです。往復で10時間以上はペダルを踏むため、体調が心配でした。 最近はほとんど運動をしておらず、果たして110kmもの距離は無謀かと思ったのですが、何とか夕刻に帰宅出来ました。また山上の温泉では大勢のウルトラ仲間と久しぶりに再会出来ました。詳しいレポートは明日以降に、改めて記したいと思っています。皆さま本当にお世話になりました。心から感謝しています。
2012.08.11
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現在4時過ぎ。テレビでは男子サッカーの日本対韓国戦を実況放送中です。外はまだ真っ暗ですが、これから愛犬との散歩と朝食を済ませてから、私は大冒険の旅へ出発する予定です。夕方には無事帰宅したいです。行き先はどこかって? それはヒ・ミ・ツ♪ 帰宅してからのお楽しみです。無事帰宅を祈っててくださいね~!!ではでは。
2012.08.11
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なでしことアメリカとの決勝戦を観ながらブログを書いている。前半が終わって0-1のビハインドだが、後半はどうなるか。これから書くのは昨日の話である。 この朝、妻が関西方面に出かけた。四国の孫娘があるコンクールに出るため、それを観に行くのだ。2月のコンクールでは東京に行った。私はいつも老犬マックスと留守番だ。起床後の最初の仕事はマックスとの散歩。帰宅後、彼に餌をやり、自分も朝食を済ます。おかずは冷蔵庫の中にたくさんある中から選ぶ。言って見れば、私は冷蔵庫の整理係みたいなものだ。 食後は妻の分も含めて食器を洗い、圧力釜からご飯を、鍋からカレーを容器に空けて冷蔵庫内に保管。釜と鍋には水を満たしておく。新聞を読んだ後は庭に出て農作業。庭に放つと愛犬は自主的にミニトマトを「収穫」する。いつもやっているため、自由に食べても良いと思っているのだろう。彼と一緒に過ごせるのは後2年くらいなもの。せめてこんなことくらいは大目に見て上げたい。 最初の作業はモロッコインゲンの支柱外し。丹念にビニール紐を切り、抜いた支柱を片づける。その後は雑草を抜き、通行の邪魔になる花などを束ね、トマトとナスの不要な枝や葉を切り落とす。枝を切るとナスは新しい芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶ性質があるためだ。その後空いた畝を耕し、発酵鶏糞と石灰を梳き込み、散水。翌日ここには白菜の種を蒔く予定。 東側の畑のジャガイモを掘った後に畝を作り、同様に鶏糞と石灰を梳き込む。ここにも白菜の種を蒔く予定。作業後、整骨院で治療。5回の治療で足や肩の感じが良くなり、体調が向上した。参考までに先生に医療用インソールと偏平足用のサポーターを見せた。昼食は冷やし中華。食器と釜や鍋を洗い、カレー鍋の水は積んである草に。シンクが汚れず、堆肥になるのも速いからだ。 午後はふとんを干し、HCへ発酵鶏糞と大根の種を買いに行く。白菜、春菊、ちぢみ菜、小カブの種は昨年の残りを使う予定。帰宅後はコンポスト容器の移動と堆肥の始末。抜いた雑草や野菜の残骸を積んで置く場所を変更するためだ。夕刻、干した布団を取り込み、愛犬と2回目の散歩。その後シャワーを浴びて夕食の用意。食後の片づけまで、ずっと休みなしの作業だった。 その後、足をアイシングしながらパソコンを開く。この日もらった残暑見舞いのお礼を、走友のHPに書きこむ。この友人は、毎年富士山頂のポストに暑中見舞いの葉書を投函する面白い人。楽天対オリックスの試合をテレビで観戦し、その後ラジオに切り替えて実況放送を聞く。楽天は2連勝。新人の釜田はこれで4勝目。1ページも本を読まなかったのは何カ月ぶりだろう。 オリンピックでは、女子レスリング55kg級の吉田が見事金メダルをゲット。なでしこは目下1対2と苦戦中だが、まだ時間はある。最後まで頑張れなでしこ、頑張れニッポン!!
2012.08.10
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夜半の大雨のせいか、翌朝はすっかり涼しくなった。あれほど激しかった愛犬の息遣いが、昨日は一日中静かだった。深夜中テレビを観続けたため調子は良くなかったが、歩いて病院へ向かった。そこは12年前に左足の疲労骨折で治療を受けたところ。その売店に偏平足を保護する特殊なサポーターを売っていることを思い出したのだ。 医療用なので今でも取り扱っているはず。そうは思ったものの、本当にあるのかどうか。優しそうな小母さんに聞くと、縦型と横型があるらしい。見本を観ると、かつて私が使用したのは縦型の方だ。袋の中には左右の1足分、つまり2個入っているのに気づかず、2袋を買って帰った。家に帰って早速装着してみる。クッションがポリウレタン製のためか、感触がとても足に優しい。そしてこの最大の利点は、室内でも使用出来ることだ。 これで医療用インソールは、目下製作中の物を含めて3種類揃うことになる。足首用のサポーターも大中小の3種類。目下所有しているランニングシューズは4種類。底の堅さに若干の差はあるが、いずれも練習用で底は厚い。そして4Eかワイドタイプの幅広のもの。これだと医療用インソールや足首用のサポーターを装着したままでも履ける。それらをどう組み合わせてトレーニングするか考えるのも楽しみだ。 フランス製のトレッキングシューズは重量があり、底がガッチリしているため、近所の森や山でのトレーニングには最適だ。足の痛みさえ取れれば、こんな風にトレーニングのメニューが広がる。午前中妻の姉へ採りたてのトマトを届け、午後は生協の配達品を取りに行く。我が家の完熟トマトはとても甘く、どこへ上げても極めて好評だ。 眠くても昼寝はせず、仙台育英の試合を観た。この日から甲子園での高校野球が始まったのだ。相手は優勝したこともある佐賀北だったが、何と大差での勝利。そしてその夜はわが東北楽天も久しぶりに勝った。これがオールスター後の初めての白星。結局愛犬はこの日一日外に居た。涼しくて過ごし易かったが、今日からまた猛暑復活だ。 ブログの途中でオリンピックで2つの金メダルを獲ったニュースを知った。女子レスリングの小原選手と伊調選手。やはり女子は強い。金メダル4個のうち3個が女子選手によるもの。さて今日から妻は関西方面に出かけ、私とマックスが留守番になる。時間がたっぷりあるし、どうやら良いトレーニングが出来そうだ。
2012.08.09
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愛犬とを散歩を早めに済ませ、私はランパン、ランシャツ姿に着替えた。朝実行出来なかった速歩きを夕方にしようと思ったのだ。涼しい朝は気持ちが良いが、暑さの残る夕方の練習も貴重。本格的に体を動かせば、これまで使ってなかった部位の筋肉や靭帯が悲鳴を上げる。そして運動によって発汗作用が高まる。暫く忘れていた運動の勘をゆっくり時間をかけて取り戻す。 首には保冷用の「帯」を巻き、手にはスポーツドリンクが入ったペットボトルを持つ。脱水状態にならないための用心だが、汗かきの私にとってどうしても給水は欠かせない作業。「実験の場」は近所の坂道。歯医者の診察室からも見えるだろうし、電気屋さんも気づいたはず。ノロノロとぶ恰好な姿だが、今はそんなことを気にする暇はない。1時間15分ほどかけて7km余りを歩く。 この日、ネットから「東京マラソン」への出場を申し込んだ。過去の全回とも申し込みをしたが落選を続け、まだ一度も走ってない「東京マラソン」。足の調子が悪い今回は申し込んでも仕方ないとこれまで考えていたのだが、申し込むだけでもしようと言う気になったのだ。今回初めて過去の参加状況を記入する欄があった。公平な選定になるとことを、心から願っている。 過去2年間のベストタイムだが、昨年2月の「いわきサンシャイン」では4時間19分17秒で走れていた。わずか1年6か月前のことだ。そして今回の予想タイムには、5時間30分30秒と記入。第一当選が困難な上、もし選ばれても42kmの長距離を、今の私が走り切るのは奇跡に近いことなのだ。 昨夜は夜半に目が覚めた。仕方なく起き出し、あることを考えついた。それは総合病院の売店で、「偏平足用サポーター」を買うことだ。12年ほど前左足を疲労骨折した際に、その病院の医師から装着を勧められたサポーターは堅さがちょうど良く、走るにも好都合だった覚えがある。今は例えどんなものでも、復帰の役に立てたい気持ち。 ロンドンの女子バレーは中国とフルセットの末に勝ち、ベスト4に入った。激しい攻防だった。女子卓球団体の決勝も中国が相手。愛ちゃん、佳純ちゃんが善戦したものの敗れ、銀メダルに終わった。しかしバレーも卓球も、日本は格段に力をつけたと感じた。きっと今回のオリンピックでも、成長した部分があったのではないか。そして美しさの点では、日本は中国に圧勝していた。 一方期待された男子サッカーはメキシコに敗れ、韓国との3位決定戦に廻ることになった。日本はメキシコに研究され尽くしていたようだ。メキシコの攻撃には勢いがあり、守りも鉄壁だった。一方の日本は初めから動きを封じられ、思うような攻撃が出来ないまま終わった。それでも世界のベスト4は立派。体調を整え、気持ちを切り替えて、銅メダルを狙って欲しい。 さて今日からは甲子園で夏の高校野球が始まり、郷土代表の仙台育英も第3試合に出場する。勝負事は全て過酷だが、全精神力を傾けて勝利に向かって欲しい。楽天は昨夜も勝てなかった。借金は5でパリーグの5位。星野監督の来季の続投が昨日決まった由。私の前途もさほど明るくはないが、それでも今の自分にやれることを探し、挑戦してみたいと思っている。
2012.08.08
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昨日は朝から2つの病院をかけ持ちした。最初は歩いて整骨院へ。2ヶ月半全く走らなかった(走れなかった)ことと、強烈な指圧のお陰で右足底部の痛みがほとんど感じないようになっていた。指圧で炎症が治まることはないとは思うのだが、4日間の施術で体調が劇的に改善されたのは事実。保険が利いて1回500円は安いもの。 次にバスで中心街の整形外科へ向かう。少し手前のバス停で降り、一番町を歩く。アーケード街は豪華な七夕飾りで溢れ、その下を大勢の観光客が驚いた様子で歩いている。江戸時代から続く仙台の伝統行事である七夕だが、中には電気で動く「仕掛け物」もある。わずか300mほどだが、観光客気分を味わった。途中のコンビニでお握りとサンドイッチを購入。 待合室には既に既に50人ほどの先客がいた。いつもは3人いるドクターが、この日は院長1人だけで診療に当たるようだ。受付に診察券と保険証を出し、係の人に症状を話す。この日の最大の目標は新しくインソールを作り直すこと。以前に作ったものは走るためにかなり手を加え、本来の機能が半減したせいで痛みが出たのではと考えたのだ。 ここに至るまでに、私はかなり悩んだ。このまま痛みに耐えて老後を過ごすのも覚悟したほど。2度の手術と投薬で、今のところ不整脈は治まっている。もし足の痛みさえなければ、ちょっとした運動が出来るのではないか。だが昨年3月の診察でランニングの禁止を勧告されたことが、通院を迷った原因だった。 午前中は2時間半待ち。その間に外は激しい雷雨となった。傘の心配をしたが、全くの杞憂だった。午後も4時間ほど待つうちに、すっかり雨が上がったためだ。待合室でお握りとサンドイッチを食べ、本も140ページほど読むことが出来た。院長へはこれまでの症状を話し、インソールを新調したいと言うと、直ぐに了承された。 話によれば横に出っ張った骨は種子骨ではなく、第5中足骨(舟状骨)がアーチの崩れで変形した結果。だから痛み止めの注射は一時的な効果しかなく、インソールによる補正が最適の由。次に処置室で専門業者によるインソールの型取り作業。ここでインソールを作るのは今回で3回目だが、担当者は若い人に変わっていた。 今回は足の補正を第一に考え、一切加工しないことにした。私のレース経歴を聞いて驚く業者。足の変形もそれが原因と納得。骨の出っ張りはアーチが潰れてX脚になったためと言う。足首の細さは陸上選手と似てる由。出来上がりは2週間先。定価は6万円ちょっとだが、これまでの経緯があるため改めて電話する由。今回も保険は利き、かつ残りの7割分も国保から補助されるようで有難い。 帰宅後、疲労と頭痛に苦しみながら、愛犬との散歩、夕食、そして遅いブログの公開。長時間のエアコンで、すっかり体調が狂ったのだろう。9時過ぎに就寝したものの、12時過ぎには目が覚めた。そのまま起きて、なでしことフランスの準決勝を観る。凄い戦いだった。さすがに2大会連続銀メダルのフランスは強かった。 それでも日本は2回のチャンスをことごとく物にし、フランスは折角のチャンスを決め切れずに1点だけに留まった。タイムアウトまでハラハラドキドキの展開だったが、何とか最後まで頑張り続け、宿敵アメリカとの決勝戦に進出した。そんな訳で、今朝もエクササイズの「速歩」はこなしていないが、体調はさほど悪くもない。なでしこ同様、私もまだ一縷の望みを失ってはいない。
2012.08.07
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エクササイズの効果が早速現れた。1つ目が便通が良くなったこと。元々良かったのだが、仕事と運動を止めてから、前ほどでは無くなっていたのだ。このところ弱った老犬マックスも、何とか散歩が出来ているせいか、排泄だけはきちんと機能している。やはり体を動かさないと、出るものも出ないのだろう。 効果の2つ目は疲労による熟睡。今朝は珍しく5時半まで眠り、速歩きも出来ずブログも書くことが出来なかった。昨夜激しい息遣いだったマックスが、今朝窓を開けたらピクともしない。これは来るべきものが来たかと覚悟したのだが、彼も暑さと疲れで熟睡していたようで、近づくと立ち上がって尻尾を振った。 効果の3つ目は腹が減ること。数日前まではダイエットをしていたにも関わらず、空腹感がなかった。やはり腹が減らないと食べても美味しくないのだ。初日のエクササイズで出来なかった「ぶら下がり」は塀の柵を使った。ちょうど良い高さだったが、まだ握力がないせいか直ぐに落ちた。そして初回の速歩きでは5kmを歩くことが出来た。かかった時間は53分ほど。それでも大汗をかいた。 畑の収穫、水やり、水シャワーを済ませて朝食。その後は連続3時間ほどをかけて、町内会の草刈りと自宅の草取りなど。またまた大汗をかき、2度目の水シャワーを浴びた。早朝からの速歩と暑い中での作業のせいか、疲れが出て暫しまどろむ。起きた後、マックスの首に巻いた保冷剤から思いつき、右足に保冷剤を当ててみた。冷たくて気持ちが良いだけでなく、炎症を防ぐ効果もあるだろう。 夕食後は大河ドラマ「平清盛」をBSで。昨夜の視聴率は過去最低の7.8%だったそうだ。シナリオが独りよがりでストーリーが分かり難い上、ロンドンオリンピックも重なればこんな結果になるのも当然だろう。この日は女子マラソンを楽しみにしていたのだが、民放のせいかスタートまでずいぶん引っ張られ嫌になった。 おまけに肝心のところで長いコマーシャルが頻繁に入る。これでは気持ちが盛り上がらない。期待して観ていた日本選手もどんどん後退し、予想通り上位はアフリカ勢の独占となった。コースの景色は最高で楽しめた。だが先頭グループと差が付くと、日本選手はあまり画面に映らなくなる。これも興味が半減した理由だ。 ゴール間近でロシアの選手が追い上げたのは、立派と言うしかない。身体能力に加えて精神力がタフじゃないと、ああは行かないだろう。世界と大きな差がついた原因は何か。日本陸連もその辺を反省して欲しい。ハンマー投げ、女子卓球団体、男子フェンシング団体、水泳の男女メドレリレー、バドミントン女子ダブルスなどが頑張って、この日もたくさんのメダルを獲得出来た。 37歳の室伏は銅メダルに終わったが、3大会連続のメダル獲得は立派の一語。そして期待された水泳の北島が最後の最後メドレリレーで、仲間と一緒に銀メダルを獲れたのが嬉しい。どんな選手でもいつかは力が衰えて競技から離れる時が来る。室伏も北島も金こそ獲れなかったが、金に等しい価値があると私は思う。それに比べてわが楽天は、残念ながらエース田中でも勝てなかった。 日中の疲れが出たのか、女子マラソンの最後は眠っていたようだ。韓国歴史ドラマ「王女の男」も観たのは最後の5分だけ。この日読んだ「新平家物語」は120ページほどか。まだまだオリンピックの熱戦も、猛暑も続く。暑さに負けず、何とかこの夏を乗り切りたいものだ。
2012.08.06
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マックスの体に水をかけ、ブラシで洗った。昨日のことだ。日中は玄関に入れ、夜は庭に出していた我が家の愛犬。だが外も暑いようで、しきりに土を掘って体を横たえる。その方が涼しくなることを本能的に知ってるのだ。翌朝そのまま玄関に入れると、玄関が汚れると妻。そこで水が好きな彼を、バケツに汲んだ水で洗ってみたのだ。 白ゴーヤをゴーヤチャンプルーにした。普通のゴーヤとは全然違うと妻。苦みが少ないせいで、美味しさも栄養も乏しく感じるのだろう。またまたモロッコインゲンの豆ご飯が出た。完熟に近い莢から豆を取り出して作ったと妻。来年はわざと莢を取らず、豆を作るため最後まで残して見たらとも言う。不味いものは全然食べない彼女だが、これは美味いと感じたのだろう。 オリンピックが始まってから、テレビには各種目の解説者が出ることが増えた。元スポーツ選手の解説者がきれいなことに驚く。例えば女子サッカーの大竹さんや川上直子さんなど。元々美人だったのだろうが、現役を離れてから色は白くなり、化粧、服装、髪形が変わって、すっかり美人に変身。女子体操の田中選手は、引退後テレビに引っ張りだこになるとのもっぱらの評判だ。 Sパパに返事を書いた。使った葉書は過去の「佐渡島一周」参加時にもらって来た無料の物。これなら3年ほど会ってない彼の印象にも残るはず。壮行会へは出られなかった代わりに心を込めて、「トランスヨーロッパ」での健康と活躍を祈った。出国前に葉書を出せて良かった。何の力もない私だが、「ただ」の葉書が少しでもレースの励みになれれば嬉しい。 整骨院に3日通って治療を受けたせいか、足裏の痛みが少し薄らいだように感じる。痛みの原因がアーチの異常であるだけに、整骨院で何が出来るかさほど期待はしてなかったのだが、先生のマッサージが効果を表したのだと思う。夜男子サッカーの試合を観ながら、今の私にも出来る「エクササイズ」を考えてみた。 1)体操 2)ストレッチ体操。これは簡単。3)タオルギャザリング。これは足の指でタオルをつかむ運動だが、真似だけでも良い。4)腹筋。回数や形に捉われる必要はない。5)ぶら下がり。専用の機械がないので、塀を利用しようと思う。6)速歩。これは涼しい早朝が良いだろう。これからはブログではなく、この速歩を朝一番の仕事にしようと思う。愛犬との散歩はその後だ。 7)貝殻踏み。これは青竹がないための便宜的措置。貝は沖縄赴任時に自分で採った小型(長径12cm程度)のシャコ貝。貝が堅く、しかも突起があるため、足底には強烈な刺激になるはず。強い痛みを感じないよう、直接踏むのではなくタオルなどを被せることにした。メニューを考えただけでなく、速歩とぶら下がり以外は早速実行してみた。これは良い。今さらの感はあるが、きっと足の強化とダイエットに役立つはず。 男子サッカーは見事にエジプトを3-0で下した。相手はレッドカードで退場者を出した上に負傷者まで出て、最後は9人での戦いになった。そんなことはお構いなしに日本は強かったし、技術力も勝っていた。これでベスト4。果たしてメキシコオリンピック以来のメダルが獲れるかどうか。心配なのは最初にゴールを決めた永井選手の怪我だが、どうやら次の準決勝戦にも出られそうで嬉しい。 今日は注目の女子マラソンがある。果たしてどんなレースが展開されるか楽しみだ。気分転換にブログの背景を夏向きのに替えてみたがどうだろう。「新平家物語」は第9巻に突入した。さて、この後は初めての速歩に出かけ、朝食後は町内会の草刈りがある。連日の寝不足だが、疲れたら昼寝でカバーしようと思う。今日も暑い一日になりそうだ。ふ~っ。
2012.08.05
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接骨院へ行った。肩関節の可動域は広いものの、筋肉が堅くなってるらしい。そこで考えた。ひょっとして寝ながらテレビを観てる時に、左手で顎を支えていることも悪いのではないかと。それを今日先生に話したら、本来は大した負担でないことも、悪くなれば痛みの元になると言う。そして私の体をマッサージしながら、このまま運動しないのではもったいないとも。 昨日は歯科医にも行った。取れた金属は後1回で入れられるとドクター。いつもながら優しくて丁寧な対応だ。その彼が私に言う。「筋肉が落ちてませんね」。半ズボンのため、脚が丸見えなのだ。だが自分ではそうは思わない。あれほど堅かった尻の肉が、今ではポニョポニョなのだ。 待ち時間に「新平家物語」を読んでいた私に、先生の奥さんが話しかけて来る。奥さんも先生同様に優しい人。ランニングについても詳しいし、歴史や文学にも造詣が深い。きっと色んな分野に関心があるのだろう。お子さん2人が、私の10番目の職場の学生であることも聞いているが、まさか歯科医で歴史談義をするとは予想外。 Sパパからの葉書が届いた。間もなく「トランスヨーロッパ・フットレース」へ旅立つ挨拶だった。彼が参加した6月の「みちのくラン」。その夜の懇親会は、多分彼の壮行会にもなったと思う。あの頃はめまい続きで私は参加せず、彼にも会えなかった。ネットを通じて密かに応援する積りでいたのだが、まさか私にまで葉書をくれるとは考えてもいなかった。 彼は私と同い年。「トランスヨーロッパ」は過去2回とも完走している。今回はデンマークの最北端をスタートし、スペインの最南端がゴールの4176km。それを64日間で走り抜く。1日平均の走行距離は65.2km。こんな過酷なレースは今回で終わり、後はのんびり国内の旧街道を歩いて廻りたいとある。さらに、「過去2回一緒に走り、その後がんで亡くなったHさんの想いと共に走って来たい」とも。 Sパパを知ったのは、彼が主催した「奥の細道ウォーク」が最初で、その後「佐渡島一周」や「八丈島一周」などでもお会いした。八丈島の温泉で彼の分厚い足を見た時に、「この頑丈な足で広いヨーロッパを走り抜いたのか」と思ったものだ。私より少し若いHさんとも佐渡や八丈島で一緒に走ったことがあるが、日本でも有数の伝説を持つウルトラランナーだった。 私など想像も出来ない長距離レースに挑戦するSパパが、最後まで元気で走り通すことが出来るよう、早速同行するコノちゃんと旅がらすさんのブログをお気に入りに登録した。この2人は、長距離を走りながら毎日ブログを更新すると言う離れ業を、前回のトランスヨーロッパで披露している。彼らのブログを読めば、Sパパの毎日の様子も分かるはずだ。 さて8月1日から「NAHAマラソン」のネットによる申し込みが始まることは知っていたが、申し込みはしなかった。沖縄へはここ6年連続で行っていた。「NAHA」を走らない年も、「沖縄本島単独一周」を4年がかりで走ったからだ。だが、今の体調でのNAHA参加は無理。残念だが、またいつか挑戦出来るのを夢として、胸にしまっておこう。昨日来続いていた耳鳴りが、ようやく治まった。 目覚まし時計の世話になり、深夜放送されたなでしこ対ブラジルの準々決勝を観た。2大会連続銀メダルの強敵を相手に、2対0での快勝だった。次はフランス戦。直前の親善試合では0対2で敗れているだけに、ここはきっちり借りを返して決勝戦に進んで欲しい。楽天は昨夜も負け、とうとう泥沼の7連敗。オールスター後は1勝も挙げていない。頑張れSパパ!!頑張れニッポン!!頑張れ楽天!!
2012.08.04
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寝る前に濃いコーヒーを飲んだのが悪かったのだろう。夜中に目が覚め、テニスの錦織の試合を観た。再び眠ったが3時過ぎに目が覚め、女子バトミントンダブルスの試合を観た。いずれもライブだった。前日の朝、食卓に豆ご飯が出た。最後に収穫したインゲンの中に、完熟したものがあった。莢(さや)は堅くて食べられないが、豆がもったいないと思って取って置いた。それを使って妻は豆ご飯を作ったのだ。少し塩味がし、なかなかの味だった。 少し前に散ったばかりなのにバラが咲いた。ピンク、朱色、そして深紅。だが、花は小さくて少ない。ひょっとして連日の散水が、開花をもたらしたのだろうか。トマトも大きなものが採れ出した。ミニトマトは1日で10個ほどを愛犬に与えている、きっと彼の体調維持には有効だろうと思ってのこと。その彼を玄関に入れず、裏の柿の木の下につないだ。妻は玄関が汚れるのが嫌なのだ。 久しぶりに整骨院へ行った。4月から1カ月半ほど働いた現場の仕事が過酷で、その時に肩を傷めたのだ。仕事を辞めたら治るかと思ったのに、いつまでも痛みが引かない。若い先生だが腕は良い。機械による物理療法も気持ち良かった。先生が言うには関節を伸ばすと良いらしいが、残念ながら家に「ぶら下がり健康器」はない。少し通院して治療を受けるつもり。右足足底の筋膜炎についても意見を聞いた。 レイズの松井は結局自由契約になった。練習が出来ない環境で技術を維持するのはなかなか困難。大きなピンチだが、松井にまだ選択の余地はあるのだろうか。テニスの錦織がベスト8に残ったのは88年ぶりのことらしい。だが準決勝では善戦しながらも、アルゼンチンの選手に敗れた。女子のバトミントンダブルスでは無気力試合をしたとして、韓国2組、中国1組(世界ランク1位)、インドネシア1組が出場停止となった。 元々は中国の2組が決勝まで当たらないようにするために、わざと相手に負けようとしたのが原因。このため1次予選で負けた4カ国が復活し、日本の垣岩、藤井組が復活したカナダに接戦の末に勝利、決勝戦に進んだ。なでしこの2位狙いについて、FIFAは故意とは見なさないと判定した模様。当然のことだが、やはりオリンピックはフェアじゃないといけないことを、改めて思い知らされた気がする。 男子ボクシングバンタム級2回戦で敗れた清水選手は訴えが実って逆転勝利。相手から6度もダウンを奪っており、うち3回は有効と認められたのだ。後日この審判は、オリンピックから追放されたそうだ。水泳女子200m平泳ぎの鈴木、男子200m背泳の入江の銀メダル獲得のニュースが、ブログを書いている途中に飛び込んで来た。ガンバレ~日本!! 夕方の散歩で愛犬が転んだ。こんなことは初めてで驚く。老化で足腰が弱っているところに連日の猛暑。きっと彼の体にはかなりの負担になったのだと思う。夜は玄関に入れ、首に保冷剤を巻いた。「老老介護だね」と妻。後はどれくらい彼の体力が持つかが問題。さて、歴史に関する私の想いを日常のメモと一緒に書こうとする試みだが、オリンピック関係のことなど、書きたい内容が多い場合はどうも無理のようだ。歴史の話だけ別にすることも検討してみたい。
2012.08.03
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疲れていた。そして目と頭が痛かった。前日本を読み過ぎたのと、オリンピックで興奮したせいだ。昨日のミッションの第1はレースのカーテンを外し、洗濯後は再び取り付ける仕事。これは3日ほどかかった。面倒くさがりの私にとってはあまりやりたくない仕事だが、じっと我慢。布団干し、洗濯ものの取り込みと自分のものの始末はいつものこと。厳しい暑さのせいで、午前中には完全に乾いていた。 午後から用足し。生協の受け取り、銀行、床屋、買い物の後、整骨院に行くが午前中で閉院していた。暫く行ってなかったうえ診察券も失くしたので、いつ開院なのか分からなかったのだ。今日改めて行くつもり。帰宅後、カンカン照りの中で農作業。枯れ始めたモロッコインゲンを全て除去。この夏もたくさんの実をつけたことに感謝しつつ、鋏で蔓をちょん切る。最後の収穫は30本ほど。 ついで塀の外に伸びたゴーヤの蔓を、敷地の中に戻す。成長が著しいことに驚く。やはりインゲンの陰になって良く見えなかったのだ。宝石のような白ゴーヤ1個を収穫。その後庭と畑の草取りをしながら、キュウリ、ナス、トマト、ミニトマトを収穫。作業の最後に発酵鶏糞と化学肥料を追肥し、夕方散水する。 夜は極力目を休め、ラジオで楽天の試合を聞いていた。0対2となったところでスイッチを切る。結局この日も敗れて5位に転落したことを今日になって知った。最近では珍しく10時前に就寝。3時過ぎに目が覚めてテレビを点けると、男子体操個人総合で、内村選手が金メダルを獲り、田中選手が6位になっていた。 卓球の石川佳純選手は3位に入れなかったようだ。でも世界の4位は凄いこと。今回の結果に本人は自信をつけたようだ。男子サッカーの予選最終戦はドロー。この結果1位通過で、決勝トーナメントの初戦の相手はエジプトに決まった由。これは勝てそうな予感がする。出来るだけ勝ち上がって欲しい。柔道は男子は銅メダルを獲れたものの、女子は3位決定戦で敗れたようだ。 さて、今日から歴史について感じたことを、少し付け加えたい。初回は少し前にテレビで観たエジプト考古学の話。早稲田大学の吉村作治名誉教授が、最近の発掘の結果を特別番組で紹介してくれたのだ。クフ王のピラミッド周辺の地中に大きな空洞があることを、彼はかなり前に電波発信装置で探り当てていた。そしてそこに「太陽の船」を収めてあることも予言していた。 どうしたら中の遺物を損なわずに取り出せるか。その対策のために彼は20年間も待ったのだ。そして今回、ついに発掘の全貌が明らかになった。彼の推理通り、中から2つ目の「太陽の船」の残骸が出たのだ。正式に言えば1艘は太陽神が乗る船で、もう1艘は王が乗る船。復元された船はかなり大きく、立派なものだった。王の船は太陽の船を追って、再生への旅を続けるためのものとか。 ピラミッドの内側へも入った。これまでも「世界ふしぎ発見」で何度かピラミッド内側の映像を観たが、今回はさらに詳しく、「重力の間」や「斜路」などの構造が良く分かった。私自身は十分に好奇心が満たされたことで、実際にエジプトを訪れたような気になった。先日「インカ展」で観たマチュピチュ遺跡もそうだが、空想の旅は安上がりで良い。<続く>
2012.08.02
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白ゴーヤの実が実った。白ゴーヤの実を観るのは初めてのこと。たった1個だけだが、宝石のように眩くて食べるのが勿体ない感じだ。ムクゲが咲き出した。我家のムクゲは白い花で、少しピンクがかっている。背が少し伸びた感じで、あと数年後にはかなり大きな木になりそうだ。 暑さ対策用に、靴下は穿かないことにした。そして散歩の時は、サンダルに麦わら帽子を着用。着ているものは半ズボンにランニングシャツか半袖Tシャツなので、これで68歳の爺さんとは思えないだろう。宮崎の弟からお中元が届く。開けて見たら有名な菓子店のゼリーだった。これは冷やして食べたら美味しそうだ。 妻は月末で忙しそう。今日は通常の仕事のほかに、まとめた書類を事務所に提出する日。昼食もそこそこに、暑い日差しの中を出かけて行った。読書は『新平家物語』の7巻を105ページ分と、8巻の95ページ分。合わせて200ページを読破。専門書ではなく読み物、その上に面白いため、どんどん進むのだ。暑さに耐えながらの読書は、修行と思えば良い。 夜、四国の孫から電話。前日に送った「古墳関係」の本と手紙が届いた由。その早さに驚く。そして孫が喜んでいたことにもビックリ。いくら写真や図が多いと言っても、中身は専門的なものなのだ。既に図書館からも本を借りて来て読んでいるらしい。「本人が望むなら本を上げても良い」と、娘には伝えた。単なる夏休みの宿題に留まるか。それとも人生の大いなる目標となるか。私にとっても大変嬉しい今回の騒動だった。 オリンピック関係で観たのは、卓球と柔道。愛ちゃんは世界チャンピオンに負けてベスト8に留まったが、佳純ちゃんの方は勝ってベスト4になった。これは日本選手としては初めてのことらしい。かつての日本は卓球王国だったこともあるが、オリンピックでは勝てなかったのだろうか。柔道は男女ともに準決勝で敗れたようだが、果たして銅メダルは獲れたのだろうか。 体操男子団体の結果にはビックリ。最初の判定では4位。それが演技への妥当な評価じゃないとクレームをつけた結果点数が変わり、逆転の銀メダルとなった。「金じゃないと2位も4位も同じ」と内村選手。そんなものだろうか。女子サッカーはまたしてもドローで1勝2分けで、予選2位での通過。これは佐々木監督の指示だったようだ。実力は決勝トーナメントで見せてもらおう。 この日にあった「事件」は3つ。1つ目は日中の水分補給で、梅ジュースと間違えて梅酒を飲んだこと。2つ目は夕方の散歩で、マックスが他の犬に咬まれたこと。相手は若い柴犬で、リードを持っていたのは子供。3つ目は水シャワー後に着替えようとしたら、下着の上下共べったりと乾いた洗剤がついていたこと。片方だけならまだ分かるけど、上下とも揃ってとは何たる偶然だろう。≪7月のウォーク≫ 月間:110km 年間計:1188km(うちラン:242km) これまでの累計:79333km 地球2周まで残り683km 右足底部に継続的な痛みがあり、ここ2か月半ほど全く走っていない。走れそうな感じの日もあるが、ドクターの指示を守り無理はしないことにしている。
2012.08.01
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