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ついに今年も最後の日を迎えた。今日は大晦日。私にとっては波乱万丈の年だったが、読者の皆様にはどんな年だったのだろう。29日の夕方、東京の次男が帰省した。東北新幹線で3時間、立ちっ放しだった由。おまけに仕事で腰痛を患っていた。私もこの暮れ、腰を傷めていた。強風と寒い日が続き、走らずに読書を続けていたのだが、その時の姿勢が良くなかったようだ。 明日は新年を迎えるこの日、ブログ友の皆様には大変お世話になったことを心から感謝し、さらに健康で良いお年を迎えられるようお祈りしたい。この年末、腰痛に苦しみながら「言葉遊び」をしていた。季語もルールも知らないへぼ俳句作りの結果生まれたのが、以下の句。一興としてご笑覧いただければ幸いである。 ≪ 玄冬風景/歳末 ≫ 大根抜き 冬至の畑に埋めけり 凍へたる畑にも 玄冬の光かな 凍へ:こごえ 玄冬:ふゆ 干柿を食ひて 過ぎにし年想ふ 灯油売るタンクローリー 雪こんこん 腰痛を堪へて 暮の読書かな 堪へ:こらえ 手袋の指凍らせて ブログ書く 寒風に ガラス窓拭く やもめかな 塵全て 掃き清めたり 年の暮 塵:ちり 塵捨てて この一年を過去とせし 山茶花に 歳末の雨 やはらかく 歳末や 味見のなます 酢が足りず 薄味の松前漬や 妻の暮 松前漬けは昆布などの入った正月料理 凛として 葉牡丹 雪を載せて立つ 腰痛の次男帰省す 年の暮 数々の悪夢を捨てて 晦日かな 一年を無事過ごしたり 大晦日 不機嫌を流し給ふや 暮の雨 食卓にナメタ三切れ 年越祭 ナメタガレイは仙台地方の年越魚 大晦日 歌合戦も観飽きたり 除夜の鐘 愚音我音と 聴こへけり ぐおんがおん(擬音)
2012.12.31
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積み上げた堆肥の山に、時々スズメが来ている。全国的にスズメの数が減っているようだが、この周囲にはまだ棲みついてみたいだ。コンポスト容器の周辺に、小さな穴が開いていることがあった。これは多分ドブネズミが侵入したのだと思う。何度か穴を掘って中へ入ろうとしたようだが、まだ小さいため深い穴は掘れなかったようだ。あれから数カ月。最近では穴を見かけないのは、きっと諦めたのだろう。 積み上げた山は、主に家庭菜園の残骸。つまりトマトやゴーヤなどの蔓や、引き抜いた雑草なのだ。そしてコンポスト容器に入っているのは生ごみ。こちらは時々土を入れて、腐敗や発酵を促す。気温の高い季節なら、2か月もしないうちに堆肥になる。それを容器からスコップで取り出し、干して置けば立派な堆肥へと変身するのだ。 スズメはその堆肥に混じった「何か」を食べに来ているようだ。畑にはヒヨドリや山鳩も来て、野菜や庭に落ちた雑草の種、堆肥に混じった「何か」を啄ばんでいる。「何か」は多分干からびた野菜の残骸だろう。時には堆肥に混じった種から、グレープフルーツ、サクランボ、柿などが発芽することがある。トマトやカボチャなどは大量に発芽する。 愛犬マックスがまだ生きていた頃、彼を庭に放つとしきりに何かを探している。それらは魚の骨や、鶏の骨であることが多かった。私が傍に居れば食べても良いかと指示を待ち、私が居なければさっさと食べるようだ。それが彼の楽しみでもあった。また時には苗から直接ミニトマトを食べることもあった。それくらい野菜も好きだったのだ。 裏庭にコンポスト容器が3個もあるくらいだから、我が家では良く野菜や果物を食べる。それに魚も同様で、魚を食べない日はないほど。時々安い魚を大量に買い、腹を開いて一夜干しにする。アジ、サバ、カマスなどは特に干し魚に向いていて、干せば一段と味わいが増す。その内臓や食べ残しの骨が、立派な堆肥の原料になるのだ。そして土に戻って野菜を育てる。 買う食料品も、夫婦2人暮らしにしては多い方だろう。それも野菜や果物や魚類がほとんど。お茶も良く飲む。野菜、果物、茶類はがんを予防する働きがあるそうだ。葉物野菜などに多く含まれるフラボノイドはがん化の最初の段階で正常な遺伝子の発がんを抑え、緑茶のカテキン、トマトのリコピンはがん細胞へ変化する過程で抑える効果が高いそうだ。 がん化の最後の段階で働くのが昆布やワカメに含まれるフコキサンチン。実は我が家は海藻も大好き。まあ豆類も良く食べるし、イモ類も食べる。そしてご飯は限りなく玄米に近い。結局はあらゆるものを多彩に、バランス良く食べるのが体に良いし、健康の秘訣のようだ。そのお陰で私は快食快便。ほとんど便秘になったことがない。先日の妻との忘年会も、ヘルシーな和食膳にした。老い先短い年寄りにも、食と健康は大切な要素。振り返れば今年一年、良く食べたものだ。
2012.12.30
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12月21日(金) 10月にご主人を亡くされたKさんが長女が住む東京へ転居された。これで我が班は9軒に減った。町内の過疎化と高齢化がこれからも続くだろう。自室の掃除。 12月22日(土) 妻は山形の温泉へ一泊旅行へ行った。この間に年賀状を書き上げて投函。暮れの大仕事の1つが無事終わって安心。洗濯もの取り込み。 12月23日(日) 天皇誕生日。妻が不在のため街に出かけて映画鑑賞。午前中はミュージカルの『レ・ミゼラブル』を観、午後からは3Dの『フランケンウイニー』の2本立て。この合間に讃岐うどんを食べる。さすがに2本の映画を観た後は目が疲れた。夕方、妻帰宅。 12月24日(月) 振り替え休日。洗濯もの取り込み。クリスマスイブなのに、我が家はいつもと変わらない夕食でケーキも無し(景気悪い?)。スーザン・ボイルやケルティック・ウーマンなどの美しい歌声を3時間ほど聴き、心が清められた。 12月25日(火) 寒気が厳しいため大根を全て抜いて畑に埋める。例年より数は少なく、大小合わせて10本ほど。中には凍結を繰り返して腐っていたものもあった。対処が遅かったようで残念。白菜を1個採り、8つ切りにして玄関前に干す。切り落とした大根の葉はガレージに干す。2階の窓ガラスを全て拭き、ベランダとガレージ周辺の枯葉を掃く。灯油容器2個を運び、ヒーターに灯油を補充。 12月26日(水) 洗濯ものを干す。午前中は妻の買い物の手伝い。午後は生協配達品の受け取りと洗濯ものの取り込み。夕方は妻と近所の温泉へ。26日は「フロの日」でいつもの半額。入浴後同じ建物内の魚料理店で忘年会。当初予定していた焼き肉の食い放題は止め、ヘルシーな和食膳にした。 12月27日(木) 強風が吹き荒れた一日。腰痛がますます酷くなって来た。終日読書。 12月28日(金) 洗濯ものを干す。2階のトイレの窓、1階の全てのガラス窓と網戸の拭き掃除。1階の全ての扉、洗面所の鏡などを拭く。2階洋間の植木鉢を妻のアトリエなどに移動(東京の次男が年末に帰省するため)。灯油補充。洗濯もの取り込み。次男の帰省もあり、お正月用のビールと日本酒を買いに行く。 夕方近所のTさんが挨拶に来た。今月死んだ雑種シンバが忘れられず、動物センターから雑種の子犬を引き取った由。名前はヘバ。青森の言葉で「では」の意味で、可愛い犬だった。 夜、ソーラーなどの工事をしてくれた会社の方が子供2人を連れて訪問。妻が空調機の説明を聴いている間に、子供2人が家の中を探検。アパート暮らしなので広い家が珍しいみたい。「マックスはいないの」と聞くので、死んだことを教え、懐中電灯を点けて彼のお墓を案内した。子犬と子供。今日は可愛い訪問者が来てくれて嬉しいね。
2012.12.29
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ゴジラ松井がついに引退を決めたようだ。膝の調子は悪く、メジャーから声が掛からなかった松井は、練習のために使うグラウンドの予約を取ってないことが分かっていた。もし来シーズンも現役で行くなら1人でも練習を続ける必要があるが、グラウンドがなければ練習は出来ない。淋しいことだが、スポーツ選手にはいつか引退の日が来る。今はゆっくり休んで傷だらけの体を治してほしい。お疲れ様松井。本当に良く頑張ったね。そして長い間、夢をありがとう。 自民党の第2次安倍内閣が発足した。任証式で安倍総理に辞令を手渡す野田さんの顔がなんだかとっても淋しそうに見えた。新閣僚の顔ぶれはなかなか重厚で、民主党政権時代に比べると安心して見ていられる布陣だ。総裁選で争った石原氏を環境相に取り込んだのは、父親である「暴走老人」の攻撃を和らげるためとの見方がある。その石原環境相は「セレモニーは不要」として、大臣の事務引き継ぎを拒んだそうだ。 あれほど選挙運動時には強硬な姿を見せていた安倍総理だが、いざ政権がスタートしたら案外大人しい。何でも来年の参議院選までは経済対策、景気対策一本で行くらしい。まあそれも悪くはないが、大震災からの復興は急いで欲しい。それに原発も無原則に停止することは無さそうだ。経済界は自民党への期待が強いだろうが、国民生活を優先的に考えて欲しい。 恐れていたことが起こりそうだ。日本未来の党の分裂騒動だ。「戦略なき理想家」と「理想なき戦略家」が一緒になるのは到底無理と思っていたが、やっぱりなあ。嘉田さんの言によれば「成田離婚」だそうだ。議員数の多い小澤グループは「生活の党」として政党助成金を取り、嘉田グループは「未来」の名を取るとか。 西と東の代表の意見が時々食い違う「日本維新の会」は大丈夫なんだろうか。こちらもそのうち仲違いしなければ良いのだが。一方衆議院選に惨敗した民主党は、新代表に海江田さんを選出した。顔は分かるが名前がなかなか出て来ないほどの地味な印象で、これから民主党はどんな方向に進むのだろう。参議院は輿石さんが実権を握っており、海江田さんがまたまた小澤氏に近づくことを恐れる。 中国は安倍総理に祝電を打たなかったようだ。しばらく鳴りを潜めるかと思っていた尖閣周辺での示威行為も一向に減る様子はない。安倍内閣も当分は中国の出方を見ているのだろうが、果たしてどんな外交を行うのか注目だ。話は変わるが、どの報道機関も今回の沖縄の選挙結果を書かないのが不思議。あれほど基地反対の声が強い沖縄だが、ここでも自民党が圧勝し、民主党は1議席も取れなかった。 民主党が沖縄で惨敗した理由は明白だが、自民党の圧勝は多分沖縄経済界の強い要請の結果ではないか。米軍基地反対、オスプレー配属反対は熱心に取り上げても、何故マスコミはそのことを報じないのだろう。沖縄の負担軽減を切に祈るが、沖縄が国防上の最重要地点であることに変わりはない。新政府の今後の対応に注目したい。
2012.12.28
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≪ 博物館、美術館、コンサート編 ≫4月『ヴェネツィア展』 宮城県美術館 中世期の地中海交通の要衝であったヴェネツィア(ベニス)に伝わる絵画や工芸品、歴史資料などが中心の展示。湿地を水上都市に作り変えた大規模の土木工事にも驚く。5月『神々への祈り』 東北歴史博物館 東北各地の神社仏閣に古くから伝わる仏像や神像などを展示。これは東日本大震災からの復興を願っての特別企画。間近で観た古い仏像などを通じて、古代からの東北人の心の願いを感じた。6月『北斎漫画展』 仙台文学館 葛飾北斎は得意の富士山や役者絵だけでなく、幽霊など森羅万象を描いた奇特な画家であり版画家だった。『北斎漫画』は彼の傑作で、数万点の事物が描かれた厖大な画集。6月『アンドリュー・ワイエス展』 宮城県美術館 アンドリュー・ワイエスは、アメリカの東海岸にある田舎の風景を好んで描いた画家。特定の大きな建物と作業場を繰り返し習作した。ほとんどモノトーンの画面は、水墨画を思わせる独特の世界だ。7月『インカ帝国展』 仙台市博物館 ペルーの山岳地帯にある空中都市マチュピチュ遺跡は誰でも知っているだろう。6カ国にもまたがる広大な地域を支配していたインカにはジャングル、砂漠、山岳地方の多様な文化があり、各地を結ぶインカ道を飛脚が走っていた。マチュピチュとワイナピチュの模型もあり、現地を訪れた気分になった。9月『ツタンカーメン展』 東京上野の森美術館 古代エジプトの青年王ツタンカーメンはわずか18歳で死亡した悲劇の主。妻アンケセナーメンとの間に生まれた2人の子女のミイラや祖母の木棺、彼自身が用いた儀仗や王座などを初め、貴重な遺物がたくさん展示され、その豪華さに目を奪われた。文化の精度が素晴らしい。6月『男声合唱団パリンカ公演』 仙台市青年文化会館 パリンカは仙台市を本拠とし、合唱コンクールで金賞を受賞したこともある本格的な男声合唱団。合唱を聴いたのは実に46年ぶりだったが、ハーモニーの美しさと音楽の素晴らしさに酔った。≪ ブログ編 ≫ 私の趣味はランニング、家庭菜園、歴史研究、東北楽天の応援、美術鑑賞、読書など多彩だ。だが、それらを紹介できるのがブログの強み。連日4千から5千文字の文章を書き続けるのは大変な作業だが、その苦しみも楽しみの一つ。どんなテーマをどんな風に表現するかも修行のうち。2回の入院記を書くなど、1年間良く頑張ったと思う。 日課としてほぼ毎日のように30ほどのブログを訪れているが、得意じゃない分野も自分には刺激となり、視野を広めてくれるのが有難い。ただしほとんどが「読み逃げ」で滅多にコメントは書かないが、併せて御礼とお詫びを申し上げたい。また、つまらない我がブログへも、毎日たくさんの方が訪ねて来られていることに、心から感謝申し上げる。 気がかりなのは何人かの方のブログが更新されていないこと。何が起きたかは不明だが、いずれまた復帰されることを祈りたい。ネット上で日記を公開してから来年で12年目。これからも何とか健康で書き続けたいものだ。1年を振り返るこのシリーズは今日が最終回。明日からは年末風景を描きたいと思う。
2012.12.27
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≪ 健康とランニング編 ≫ 今、外は猛烈な北風が吹いている。今朝の最低気温は零下4度になるみたい。まるで2回の不整脈手術を受け、さらに足底筋膜炎に苦しんだ今年の私を象徴するような厳しさだ。だが、私はその絶望から這い上がって来た。再び走れるようになったとは奇跡。まさに意志さえあれば、必ず道は開けることを教えてもらった1年でもあった。 月 歩いた距離 走った回数 走った距離 月間合計 備 考 1月 98 16 154 252 2月 111 2 15 126 1回目の手術 3月 150 1 4 173 4月 137 7 57 194 2回目の手術 5月 210 2 12 222 不調で辞職 6月 130 0 0 130 足底筋膜炎 7月 110 0 0 110 足底筋膜炎 8月 100 19 221 321 ランニング再開 9月 83 13 200 28310月 113 15 249 362 地球2周走破達成11月 112 14 258 370 愛犬マックス死去12月 66 10 157 223 25日現在ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー年間計 1420 99 1327 2747 (距離はkm) 1月はまだ手術前で、いつものように帰宅ランが多かった。2月は手術前のラン。3月は手術後1カ月を過ぎてからのラン。4月は手術前のラン。5月は手術後1カ月を過ぎてからのランで、体調不良のため仕事を辞めた。6月と7月は足底筋膜炎の症状が出たため、ランニングを完全に休止。7月までに走った合計はわずか242kmのみ。これは元気な時なら1か月分の距離に過ぎない。 ランニングの再開は8月から。これは所属している宮城UMC(ウルトラマラソンクラブ)の恒例行事である「薬莱山とお足マラニック」(距離55km)に参加したかったためだが、走るのは無理なためマウンテンバイクで参加。自転車ではあったが、真夏の暑さの中を良く110km往復できたと我ながら感心。この時、走友kazuさんは私の姿を観て復活を確信したそうだ。 約半年間ほとんど走らなかったために、走るための筋肉がすっかり落ちていた。これを取り戻すのが大変なのだ。おまけに目、肩、腰、足、膝などに老化現象が起きているからなおさらのこと。幾ら走ってもスピードが出ず、まるで自分の脚でないような感覚だった。走るのと同時に青竹踏みなど11種類の強化トレーニングも行った。徐々にその効果が出て来て、少しずつ距離を延ばすことが出来た。 10月には走り出してから34年目にして、地球2周走破を達成した。8万150kmだ。1周目は24年かかったのが、2周目はわずかに10年1カ月で達成。これは参加レースがウルトラマラソン中心に変わったため、走行距離が延びたのだろう。一時は歩きでも痛みが出ていたことを思うと、良くここまで復活したと思う。仕事も辞めたため、自由に時間が使えることも大きかった。 1年4カ月もの間封印していたレースへ、来年早々に復帰する予定。6月までの4つのレースを、既にエントリー済みだ。まだ往年のスピードは戻っていないが、それでも走れることが嬉しいし、冒険に挑戦出来るのが嬉しい。それにしても健康が大事。来年も健康で走り続けたいと願っている。ランニングに感謝。そして大勢の走友達に感謝だ。来年もよろしくね~!!
2012.12.26
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≪ 読書編 ≫ 今年もたくさんの本を読んだ。いや、たくさんの本と出会ったと言った方が適切かも知れない。その大部分は古本屋で買った歴史小説だ。自分で選んだのだから必然の出会いかも知れないが、たまたまその本が並んでいたのだから、やはり偶然なのだろう。埼玉のブログ友しぃさんからは、大量の歴史小説を送っていただいた。それもほとんどが大作。それまで自分では読む気がしなかった大作とも格闘した年だった。 歴史小説ばかり読むのは偏っているかも知れないが、私はそれで良いと思っている。歴史小説には、歴史の真実(主に日本史だが)が隠れているし、謎を解く鍵が潜んでいる。そして、作家の歴史観や登場人物に関する「想い」も分かる。私に残された時間があとどれくらいあるかは分からないが、出来る限りこれからも歴史小説を中心に読み続ける積りだ。以下、今年読んだ本を列記する。≪司馬遼太郎の著書≫ 『花神』全3巻 村医から倒幕の総司令官となった村田蔵六、のちの大村益次郎の半生。 『最後の将軍』 第15代将軍徳川慶喜の苦悩 『馬上少年過ぐ』 東北の英雄 伊達政宗の生涯 ほか6編 『故郷忘じがたく候』 朝鮮から拉致されて薩摩焼の祖となった家の話 ほか2編 『ある運命について』 短編集 『街道をゆく3』 陸奥のみち ほか2編 『街道をゆく5』 モンゴル紀行 『街道をゆく41』 北のまほろば≪吉村昭の著書≫ 『関東大震災』 大震災の発生に絡んで、在日朝鮮人や社会主義者が虐殺された実態 『破船』 荒天の時に明りを灯して船を難破させる犯罪の末路は 『海の祭礼』 日本に憧れた幕末のアメリカ人ラナルド・マクドナルドの話 『ニコライ遭難』 明治天皇表敬のために来日したロシアの皇太子ニコライが暴漢に襲撃された話 『高熱隧道』 昭和15年黒部第3発電所完成までの壮大な工事内容≪蓮池薫の著書≫ 『半島へふたたび』 北朝鮮に拉致されていた蓮池さんが、初めて韓国へ渡った時の紀行文≪大城立裕の著書≫ 『小説 琉球処分』上下 琉球王朝が明治新政府によって日本に組み込まれた際の動揺≪井上靖の著書≫ 『天平の甍』 遣唐使と鑑真の来日に伴う想像を絶する苦労話≪吉川英治の著書≫ 『私本太平記』全8巻 鎌倉幕府の滅亡と建武の中興、室町幕府が出来るまでの過程:しぃさん寄贈 『新平家物語』全16巻 平清盛の青年時代から、悲劇の天才源義経の最後まで:しぃさん寄贈≪村上春樹の著書≫ 『風の歌を聴け』 マチスの絵のような不思議な感覚の小説≪山岡荘八の著書≫ 『徳川家康』全26巻のうち12巻まで(12月25日現在):しぃさん寄贈 今年読んだ本は今日現在で56冊。ほぼ週1冊のペースだ。読書家から見れば少ないが、これでも私にしては良く頑張った方だ。2回の不整脈手術での入院中も読書は続けていたし、体調不良や酷暑の中でも本を読んだ。また大作を読むのはなかなか厳しかったが、それ以上に得られたものは多く、楽しい作業だった。来年も出来る限り出会いを大切にし、本に親しみたいと願っている。
2012.12.25
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≪ 映画編 ≫ 妻は泊りがけで温泉に行っていて不在だし、前日には年賀状を書き終えていた昨日、私は映画を観に行った。まだ9時過ぎなのにチケット売り場には長蛇の列。これには焦った。私が観たい映画が始まるのは9時20分。子供連れが多いところを見ると、冬休みのアニメでも始まったのだろう。ようやく順番が来て、私は2枚のチケットを買った。午前中は『レ・ミゼラブル』。そして午後は『フランケンウイニー』の2本立てだ。 『レ・ミゼラブル』がフランスのヴィクトル・ユーゴー原作の小説であることや、パンを盗んだジャンバルジャンが19年間も牢獄に繋がれていたことは知っていた。だが、それ以外のことはほとんど知らなかった。ところが映画が始まって直ぐ、私はびっくりした。何とこの映画はミュージカルだったのだ。時代はフランス革命の当時。多くの囚人が巨大な船を引っ張る場面から映画は始まる。 後で調べたら、ずいぶん前からこの有名な小説はミュージカルになっていた。そして、イギリスの小母さんが歌ったあの歌が出て来たのにも驚いた。そう。当時47歳のスーザン・ボイルがコンテストで歌った「夢やぶれて」。あれが何度も出て来た。そうか、あの歌はこのミュージカルの歌だったのか。時代を感じさせるフランスの風景はさすがだったし、エンディングも感動的だった。 『フランケンウイニー』は一風変わったアニメ。3Dなのにカラーではなく、アニメなのに可愛くはない。醜悪な表情の子供や大人がたくさん登場する。そして嵐の夜に主人公の子供がとった奇想天外な行動とは。その後も子供達が行う「禁じられた遊び」。その結果出現したのは何か。これまでのディズニー作品とは全く異なるアニメに戸惑った。製作者は一体何を狙ったのだろう。この日の2本を含め今年は19本の映画を観た。以下に作品を列記する。 (アニメ系) 5月の『ももへの手紙』は、他愛もないアニメだが、意外に楽しめた。 7月の『グスコーブドリの伝記』は宮沢賢治の童話をアニメ化したもので、文学性を感じた作品。12月の『フランケン・ウイニー』は上記で紹介済み。 (洋画系) 6月の『幸せのキセキ』は間違って動物園を買う話。同じく6月の『スノーホワイト』は童話白雪姫をアレンジしたもの。8月の『The Grey 凍える太陽』はアラスカに不時着陸した乗客の話。12月の『レ・ミゼラブル』は歴史性を感じて良かったし、歌も楽しめた。帰宅後「夢やぶれて」を、ユーチューブで何度も聴いた。 (科学、ドキュメント系) 2月の『日本列島いきものたちの物語』は、文字通り日本列島で生きる生物たちの姿を描いたもの。同じく2月の『はやぶさ 遥かなる帰還』は、小惑星「いとかわ」から帰還したロケット「はやぶさ」を扱った純粋な科学映画。3月の『お帰り はやぶさ』も同じテーマだが、こちらは恋愛ドラマ仕立て。「大震災支援」のため無料で観覧できた。 (スリラー、冒険系) 4月の『ポテチ』は伊坂幸太郎原作のため、仙台の街並みが良く映画に出て来る。Kスタや東北楽天もどきの球団も登場。ふとしたはずみで犯人が入れ替わる話。9月の『Brave Hearts海猿』は海上保安庁の隊員が活躍する話。今回は海中に沈んだ機体から遭難者を救出する。 (しんみり系) 1月の『ALWAYS三丁目の夕日』は、同名の漫画を映画化したもの。昭和30年代から40年代の懐かしい風景が満載。4月の『わが母の記』は、作家井上靖の実母の話。樹木稀林が認知症が進む老母を熱演。9月の『あなたへ』は死ぬ行く妻が夫に遺した手紙の話。スリラー仕立ての最後が凄い。60代の夫役を80代の高倉健が熱演。脇役の大滝秀治がこの映画の撮影後亡くなっている。亨年87歳。合掌。 (歴史系) 9月の『天地明察』は、我が国の暦を作り変えた安田算哲の実話。噂の岡田准一が宮崎葵とラブラブの夫婦役を演じる。11月の『のぼうの城』は、石田三成の水攻めに遭った忍城の城代「のぼう様」が採った起死回生の一策の話。画面には三成が陣地を築いた本物の丸墓山古墳が登場する。 (歌舞伎系) 10月の『籠釣瓶花街酔醒』(はねつるべさとのえいざめ)は、同名の歌舞伎をそのまま撮影した作品で、「シネマ歌舞伎」シリーズの1作。中村勘三郎、勘九郎親子が出たが、主役の勘三郎がこの後57歳の若さで亡くなった。初めて観た歌舞伎が勘三郎の遺作になったのは、たとえ偶然でも運命を感じさせられた。合掌。いや~っ、映画って本当に良いですね♪
2012.12.24
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≪ 暮らし編 ≫ 日々の暮らしの中で、今年は大きな出来事が2つあった。そのうちの1つが愛犬の死だ。我家の愛犬マックスは黒のラブラドール。14年前に当時家に居た長女と妻が、福島の山奥にあるブリーダーを訪ねて譲ってもらったもの。本当は1カ月間は母犬と暮らした方が良いらしいが、まだ完全に1カ月にならないうちに我が家にやって来た。 マックスは子犬の時から良く走り、変なものを食べた。小石、タンポポの綿毛、腐った堆肥などがそれ。軟式テニスのボールを飲み込んで手術を受けたこともあった。川で泳いだり探検もしたし、山にも登った。私と一緒に11kmのコースを走ったりもした。朝夕2回の散歩は私の日課だったため、寝言にも彼の名前が出ると、妻は笑っていた。 彼と離れて暮らした単身赴任の時は淋しかった。200km超級のウルトラマラソンで寝ないで走る時は彼の名前を呼びながら走った。だが14年間共に過ごした彼も、老化には勝てなかった。足腰が弱り、死の1週間前には歩けなくなった。火葬したペット斎場へ遺骨を引き取りに行き、庭の片隅に墓を作った。今私の部屋には子犬から老犬までのマックスの写真14枚が私をじっと見つめている。 暮らしの大きな変化のもう1つはソーラーシステムとオール電化の導入だ。工事は3月末に行い、4月から新エネルギーに切り替わった。それまでのガスは供給をストップしてもらった。ガス管は来ているが栓をしたまま。2011年度のガス代は53609円。月平均で4467円(夫婦の2人暮らし)だったのが、2012度は0円だから分かり易い。 水道料金は昨年度が42052円で月平均が3504円。今年度は8カ月で26459円で月平均は3307円。風呂がガスから夜間電力で沸かす方式に変わったため、効率の点から大量の残り湯を捨てることを懸念した妻が給湯量を減らし、しかも残り湯を洗濯に使うなどの節約をしたため、却って水道代が減る結果となった。まあ大変な根性だ。 問題の電気料金だが、昨年度が70499円で月平均が5875円。これに対して今年度は9カ月分で36664円のプラス。月平均4073円のプラス。もちろんプラスは売電の分だから、差額は結構大きい。売電額は季節によって日照時間や強さが異なるが、目下の月平均は9749円。冬季はかなり減ると予測している。日照時間だけでなく、パネルに雪が載ったり、霜が降りると発電出来ないためだ。 ガス、水道、電気料金の合計つまりエネルギー全体の費用でみると、昨年度が166160円で月平均が13847円。今年度は9カ月分でプラス170752円。月平均だと18972円のプラスになっている。これから冬季なので平均のプラス額は減るだろうが、それでも年間で20万円以上のプラスになると思う。単純計算では10年で200万円だから、13年ほどで十分に元が取れることになる。 元々妻の節約意識は高かったが、今ではそれがさらに徹底し、洗濯も掃除も暖房も、夜間電力料金の時間帯にフル回転させている。それ以外の時間は極力灯油のファンヒーターを使用する。ただし電気こたつは居間と私の部屋で使っている。蓄電装置をつければソーラーで発電した電気を直接使えるようだが、装置は80万円もするため断念。ともあれ我が家の「エネルギー革命」は一応成功したようだ。
2012.12.23
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≪ 東北楽天編 ≫ 今シーズンKスタで応援したのはわずか5回に留まった。結果は2勝1敗2分け。先発投手は下柳、ヒメネス、ダックワース、そして辛島が2回。結局大好きな田中マー君の姿は1度も見ずに終わった。チームは借金なしの4位。もう少しでクライマックスシリーズに出られる所まで行ったが、残念ながら挑戦は叶わなかった。 久米島でのキャンプは雨が多かったようだ。紅白試合は良くやったようだが、オープン戦は一番少なかったのではないか。それでも練習はかなりして、選手達は自信を持ってペナントレースに臨んだようだ。それにしてはスタートダッシュが出来なかった。エース田中も出だしから背筋痛で苦しみ、その後も調子を取り戻すのに時間を要した。 借金は最大9つだったか。でも良くそこから盛り返したと思う。つい最近知ったのだが、星野監督はキャンプを終えた時点で、今年は勝てないと思ったそうだ。その理由は打てないこと。特に外国人の助っ人が力を発揮出来なかったのが大きい。年間のホームラン数はわずか52本。もちろん12球団で最低に終わった。 私がKスタへ行けなかったのは、2度の不整脈手術で体調があまり良くなかったためだ。それでもテレビの実況放送がある日は必ず観たし、ラジオの放送があれば必ず聴いた。そしてテレビもラジオもない日はパソコンで、試合経過を確かめていた。やはり成績が上位にいないと燃えない。クライマックス進出のチャンスがある時は必死に応援したが、それを逃してからは諦めた。 シーズン後、選手やコーチ陣に大きな動きがあった。戦力外通告を受けた選手。引退した選手。トレードに出された選手など、多くの選手がKスタを去った。長い間東北楽天を支えてくれた選手達には心から感謝したい。また1軍2軍を問わず、大幅なコーチの入れ替えがあった。これも来季の躍進を目指す球団と監督の強い意志だろう。 外国人助っ人の補強が決まったようだ。NYヤンキースのジョーンズ外野手はメジャー通算434本ホームランを打っている強打者。そして同じヤンキースのマギー内野手は61本を打っている。この2人と来季の契約が出来た由。合わせて日本一広くてホームランが出にくかった外野を少し狭め、ラッキーゾーンを作るそうだ。ふ~ん、これは楽しみ。 キャッチャーの嶋選手が、日本プロ野球選手会の会長に就任し、WBCの代表には田中マー君、松井(稼)、聖澤の3人が選ばれた。新装なったKスタで、来季は思う存分暴れ回って欲しい。私も体調を取り戻したので、今年よりは多くKスタで応援出来そうだ。頑張れイヌワシ戦士達。東北の復興は君らの双肩にかかっている。
2012.12.22
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≪ 登山、ハイキング、小旅行編 ≫ 5月にバスツアーで「弘前城の桜」(青森県)を観に行った。ソメイヨシノはかなり散っていたものの、八重桜は満開。痛む足を引きずりながら広い城内や、司馬遼太郎が『北のまほろば』で紹介した酒屋などを訪れた。帰宅後下手な俳句を30句ほど作る。 6月にはバスツアーで「鳥海山桑の木湿原」(秋田県)へのハイキング。鳥海山の麓には幾つかの湿原があり、眺めは良かったもののシューズは泥だらけになった。昼食に出たソバが秀逸。映画『釣りきち三平』のロケ地になった法体の滝が圧巻だった。6月末、宮城蔵王のホテルに一泊し、翌日は山形県上山市でサクランボ狩り。数種類のサクランボを鱈腹食べたら、ピンクのオシッコが出た。(ウソ!) 7月には東京に住む息子達と東京見物。最初に行ったのが渥美清の「寅さんシリーズ」で有名な柴又の帝釈天。ここは大勢の観光客で賑わっていた。完成したばかりのスカイツリーも大賑わい。直下から眺めるツリーは迫力があった。日本橋付近で昼食を摂り、日銀の古い建物を観る。そこから芝増上寺、東京タワーなどを見学。お婆さんの原宿と呼ばれる巣鴨のとげ抜き地蔵にお参りし、最後は柳沢吉保の庭園である六義園を拝観した。 9月は南蔵王(宮城県)を縦走。杉ヶ峰(1745m)周辺は登山道がきれいだったが、最高峰の屏風岳(1817m)周辺では猛烈な風とガスで視界は閉ざされたまま。戦後米軍機が墜落した不忘山(御前岳:1705m)も激しい風雨だった。そこから白石スキー場までの下り道は1歩の落差が大きい上に滑り易い粘土の道に苦しんだ。下山後は鎌先温泉に入浴。 10月は東京の次男と待ち合わせして鎌倉(神奈川県)を探訪した。北鎌倉で降りて円覚寺、建長寺を歩く。歴史的な雰囲気が残る谷間の円覚寺に対して、建長寺の境内は明るく広々としていた。源氏の守り神である鶴岡八幡宮では舞殿で結婚式の最中。大風で倒れたイチョウの古木の株が残っていた。鎌倉幕府の置かれた雪が谷から、頼朝の墓にお参り。 昼食後は鎌倉名物「江ノ電」に乗ってまず極楽寺へ。ここは寺が建つ前は死骸が捨てられた場所だったとか。切り通しを通って御霊神社を経由して長谷寺へ。境内が良く整備された裕福な寺で、展望台からは相模湾が見えた。胎内潜りの弁天像も拝観。最後は鎌倉の大仏へ。元々あった大仏殿が大風で吹き飛び、露座のままの大仏の背中には明かり採りの窓もあるようだ。まだまだ鎌倉の見どころは多そうで、いずれまた訪れたいもの。 11月栃木県塩原温泉にある新湯富士(1184m)を縦走。登山口の爆裂火口からの強烈な硫黄臭に先ず圧倒され、周囲の山には霧氷が見られた。登りは良かったものの下り道は岩に生えた苔が滑り易くて大変。大沼から新湯富士の可愛らしい姿を仰ぐ。途中の渓流や下山後の塩原温泉入浴も最高だった。これらの旅と登山は全て妻と一緒。 12月には滋賀県で筑波勤務時代の悪友達と3年ぶりの麻雀大会。このついでに京都の山科にある天智天皇陵に御参りし、滋賀の三井寺(園城寺)を訪れた。三井寺は天皇の孫にあたる大友与多王の建立だった。琵琶湖疏水も見たし、翌日は大津市から国道1号線を通って京都駅まで19kmを走った。これで私の旅は終わったが、妻は週末山形の温泉へ一泊旅行する予定。今年はJRの「大人の休日倶楽部」へも入会。さて来年はどこへ行こうか。
2012.12.21
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≪ 園芸・家庭菜園編 ≫ 後10日余りになった2012年を振り返ってみよう。第1回は園芸と家庭菜園編。この1年でかかった費用は8001円。内訳は4月野菜の苗と種3249円、6月花530円、8月肥料と種336円、柵1290円、9月除虫剤798円、10月玉ネギの苗600円、11月花と種1198円である。1年間楽しんで8千円なら安いと思うがどうだろう。 春は連休前に畝を起こし、肥料、堆肥、石灰を撒いた。植えたのはトマト、ミニトマト、ナス、カラーピーマン、ゴーヤ。種を蒔いたのはキュウリとモロッコインゲン。面白半分にもらったジャガイモの種イモも植えてみた。収穫が思わしくなかったのはキュウリ。蔓の先端を切らなかったために脇芽が伸びなかったのが原因だ。カラーピーマンもさほど獲れなかった。これは苗が近過ぎたためだろう。 一方、夏の高温でトマトとミニトマトは大豊作。一時は雨が多くて茎が腐りかけたが、その後の晴天で何とか病気を免れた。モロッコインゲンも大豊作で、今も冷凍にしたのが残っているほど。ゴーヤは3本のうち1本が虫に食われた。残り2本は成長が良く、大量の実を結んだ。今年は定番のゴーヤチャンプルーだけでなく、ブログ友よっちゃんさんに教わったレシピで佃煮も作った。これが美味しくてご飯も焼酎も進んだ。来年はもっと佃煮を作ろうと思う。 冬越しをした玉ネギは6月に収穫。これは植えた苗100本全てが成功し、100個の立派な玉ネギになり12月初めまで持った。ジャガイモは9月に収穫し、同じく12月初めまで重宝した。ナスはベイナスが上手に出来た。来年は長ナスを作って欲しいと妻のリクエスト。春に植えた植木鉢のベコニア3種とライムペチュニアが12月まで持ち、郵便受け辺りの彩となった。 冬野菜は8月半ばから順次種を蒔いた。最初は大根と白菜。白菜は大量の肥料を前もって梳き込み、化学肥料を追肥した。最初はかなり虫に食われ、慌てて殺虫剤を噴霧。この苦労が実って、初めて大きな白菜が出来た。移植した間引き菜も結構大きな株になった。大根は例年より少なめだったが、これも成功のうちだろう。ただし成長にバラツキがあったのが残念。 晩秋まで高温が続いたため、シュンギクは6回ほど脇芽を摘めた。こんなことは初めてだった。カブとチヂミ菜は不作。これは種が不良のせい。昨年大量に収穫出来た梅、柿、柚子も不作。今年は「裏年」だったのだろう。来年のために剪定を終え、堆肥を施してある。収穫した梅で梅干しを作った。これが大成功で美味しい梅干しになった。 今収穫した大根の一部を茹でて輪切りにし、「へそ大根」を作っている。これは寒風に曝したものでビタミンが豊富になる。初めての試みだが、多分上手く出来たはず。白菜は8つ切りにして干した後、漬けものにする。これがまた新鮮で美味い。白菜や大根はその他いろんな料理に貴重だが、仙台ではお雑煮に欠かせないのが大根なのだ。 さて冬の庭に咲くのはサザンカなどわずかに数種だけ。椿はまだ堅い蕾のまま。咲き終えた小菊やシュウメイギクなどの枯れ枝は全て切った。郵便受け周辺で葉ボタン、ヴィオラとパンジーの2鉢が元気。その他の植木鉢は全て室内に取り込み、春を待っている。その中でシクラメンとシャコバサボテンが咲き、そのうちにシンビジウムも咲いてくれるはず。来年も元気で、園芸と家庭菜園を楽しみたいものだ。
2012.12.20
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気になっていた北朝鮮のミサイルだが、やはりあれは人工衛星だったようだ。ただし軌道には乗っているものの不安定で、後数年で落下する恐れがあるらしい。恐らくは何の機能を果たすことも出来ずに終わるのではないか。 暫く前に佐渡島に流れ着いた北朝鮮の船。あの6人の男の遺骸を調べたら、死因は全て鳥インフルエンザだったそうだ。罹患を恐れる人々が船に押し込めて漂流させた訳だ。中には全裸の人もいたようで、死者と病人を一緒に乗せたと思われる由。 その北朝鮮でマラリアによる死者が急増してる由。2011年の罹患者は1万6千人とか。マラリアは熱帯に棲む蚊が媒介する病気だが、なぜそんな蚊がいるのか不思議。患者の大量発生は公衆衛生が後廻しになってるためで、マラリアは国境を越えて韓国にも伝染してる由。まあ困った国だねえ、あの国は。 冬の味覚トラフグの白子(精巣)は珍味として知られている。これを大量に生産するため、別の種であるクサフグを代理親にし、オスだけを産む特別なトラフグを作ることに成功した由。成功したのは東京海洋大学や長崎県総合水産試験場など。安心して美味しいものを食べられる日本の技術は凄い。 アメリカのイエローストーン国立公園は四国の半分ほどの広さがあるようだ。ヘラジカが増え過ぎて困った公園局の研究者が、オオカミの導入を思いついた由。この結果1万2千頭いたヘラジカは3分の1になり森林の食害も減ったが、この原因が必ずしもオオカミのためとは断定できない由。それにしても自然のバランスは微妙で、特段オオカミが増えた訳でもないそうだ。 中年の憂鬱は人間だけとは限らないみたい。京都大学などが外国の飼育施設の協力を得てオランウータンやチンパンジーの生態を調査した結果、30歳ぐらいが最も幸福度が低いことが分かった由。ボーっとして元気に遊ぼうとしないのは憂鬱な心情が優っているためで、彼らの30歳は人間だと45歳に相当するとのこと。やっぱり霊長類には共通する部分があるんだねえ。 さて、後数日で地球が滅びると聞いたら、あなたはどうしますか?精度の高い天文観測を行っていた古代マヤ文明の暦が、実は2012年12月21日から23日で終わっているのです。この危機をテーマにした映画「2012」が3年前に製作されるなど話題になっています。ところがこの問題を特集した雑誌の巻末に次号の予告があるみたいです。地球が滅びてしまうのに、次号が出版出来るのかねえ? ロシアでは囚人の間に不安が広がったり、市民が生活必需品を買い占める騒ぎになってるそうです。そして中国では、なんと鉄製の現代版「ノアの方舟」まで売られているとか。福島第一原発の事故の際は、放射能汚染を防ぐために大量の塩が買い占められた中国。今回は普通の革靴まで、脱出用の必需品として売られているとか。私はランニングシューズがあるから良いけど、さてどこへ逃げるかな?
2012.12.19
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滋賀、京都の旅から帰宅してみると、近所の犬が死んでいた。雑種のシンバで17歳。この付近の最長老だったシンバは昨年の夏あたりからかなり弱っていたのだが、とうとう命が尽きてしまった。妻は薔薇の花束をTさん宅に届けた。子供のいないTさん夫婦にとっては、子供のような存在だった。これで我が家のマックスを含め、路地の犬はみな死んでしまった。 滋賀、京都の旅日記を書いている間に胃の検診を受けた。これは市が行うもので、ある年齢以上の国保加入者は無料なのが有難い。胃のレントゲン写真を撮ったのは8年ぶりくらいだろうか。特に自覚症状はないのだが、来年からは定期的に受けようと思っている。2か月に1度の循環器内科は異常なしだった。いつもの薬を2カ月分もらって帰宅。次回は念のために血液検査を受けることになった。 またこの間に大きなニュースが飛び込んで来た。北朝鮮のミサイル発射がその1つ。でも軌道に乗って地球の周囲を飛んでるなら人工衛星ではないのか。殺人事件の容疑者が自殺したことにも驚いた。9人も人が死んでいるのに、むざむざと容疑者を自殺させた警察の責任は重い。中国機が尖閣の上空を飛び、領空侵犯したのも許せない。艦船から飛行機へとエスカレートする中国は確信犯だ。 アメリカでは青年が銃による大量殺人を犯した。またかと思う銃社会の凶悪事件。そろそろ銃を規制する動きが本格化してもおかしくないと日本人なら考えるのだが。そして最大のニュースは衆議院議員選挙結果。民主党と日本未来の党のあまりの惨敗ぶりに驚く。結局民主党には経験も人材もなかったことが暴露した訳だ。未来の党は嘉田さんの読みが甘すぎ。小澤氏の思惑に乗ったのは、政治家としてのセンスを疑われても仕方がない。 一方、自民党と日本維新の会は圧勝だった。その原因については敢えて触れないが、小選挙区制の弊害が目立つ。史上最低の投票率に加え、死に票率56%は落胆した人が相当多かったことを物語る。総選挙の都度、これだけの振幅があるのはやはり異常と言うべきだろう。政権が変わるたびに国政の一貫性が失われることを私は憂える。それに1票の格差もますます広がっているのも問題。同日の東京都知事選は暴走老人の後を継いだ猪瀬氏が圧勝。それでも改革が本当に出来るのだろうか。 ともあれ国民と都民の審判は下った。今後の国政と都政に注目したい。国の経済政策や外交はどう変化するのだろう。良きにつけ悪しきにつけ、これまでより明確になるのは確か。大震災の復興も何とか円滑に進めて欲しい。このところ国民不在の政治劇が続いたが、政治家は本来の政治活動を行って欲しいと願うばかり。そして明るい年の瀬と、希望に溢れた新年を迎えたいものだ。
2012.12.18
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≪ 五条大橋 ≫ 国道1号線を西に向かう。途中で山科川を越えた。この小さな川を天智天皇の遺骸を乗せた舟が下り、下流の土地に埋葬したとの言い伝えもあるようだ。その地が「天王」と言うらしい。確かに幾つかの墓を持つ天皇もいるが、これは地名に無理やり話を合わせただけのよう。信号で止まる。そこから左折すれば宇治。ひょっとしてブログ友ケイサンのお家はそっちの方向だろうかと想像。 道は右に急旋回。東山丘陵とでも言うのだろうか。結構急こう配の道を必死に登る。道が狭い所で歩道が途切れた。良く見ると歩行者用の道が山の方へ入って行く。そのまま山越えでも困るなあと思ったら、また国道沿いに戻る。「花山洞」と言う歩行者専用トンネルもあった。この上には花山院の陵墓でもあるのだろうか。 多分ここは「東山三十六峰マウンテンマラソン」のコースのはず。京都府では「福知山マラソン」は走ったことがあるが、福井県小浜市から京都市の出町柳まで走る「鯖街道」と、この「東山三十六峰」は残念ながら走れなかった。そんなことを思いながら山を越えた。偶然にもこの日が「東山三十六峰」の当日だったことを後日知った。 丘陵をどんどん下って行くと右手に見渡す限りの墓の山。ここが大谷本廟で16.4km地点。西本願寺のマイクロバスが門徒を乗せて地下の駐車場に入って行く。その後には車の列。急な坂を下ると交差点。そこから真っすぐ五条大橋へ向かった。旧東海道の終点は三条大橋のようだが、国道1号線はさらに大阪に向かう。その昔、弁慶が大暴れした五条大橋を無事通過して一安心。 烏丸通りの手前の小路を左折。「不明門通り」は信号が全く無いため走り易い。東本願寺前で烏丸通と合流。周辺には仏具店や門徒が泊るホテルが多い。さらに直進すると京都駅の近くに「銀閣」と言う名のホテルを発見。ほほう、まだ残っていたか。確か48年前に泊った時は小さな旅館だったのが、今は近代的な建物に変わっている。 11時35分、無事京都駅に到着。走り出してからちょうど3時間だった。大阪勤務の時は、まだ建築中だった京都駅が堂々たるビルに変わっている。身障者用トイレで着替えると、リュックもすっかり軽くなった。お土産に銘菓「雲龍」を、昼食用に奈良の柿の葉寿司とビールを購入。新幹線はトンネルを抜けたらもう滋賀県。昔から石灰岩を採掘していた伊吹山付近の山が、ほとんど形を失っていた。 名古屋でのぞみに乗り換える。さすがに速く、旅行のメモを記しているうちに新横浜に着いた。途中久しぶりに浜名湖を見た。富士山には「笠雲」がかかっていた。東北新幹線では、福島の白河から雪。さすがは東北、寒さが違う。この日仙台の最高気温も1度まで達しなかった由。琵琶湖畔のホテル前で撮った記念写真が届いたのは6日後。そこには老いた仲間達の眠そうな顔が写っていた。<完>
2012.12.17
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≪ 奇跡の東海道、逢坂山 ≫ 琵琶湖畔に同志社大学の艇庫があった。自衛隊の駐屯地も、近江神宮の公園も見えた。国道161号線のバイパスの表示を見つけたが、そちらへは曲がらなかった。行かなくて正解。もし行けば、何の変哲もない道路だったと思う。前日乗った京阪の浜大津駅が見えた。道路はそこから曲がって京都に向かい、全く迷うことがなかった。 ここは大津市上栄町。瓦屋根のどっしりした家が道路の両側に並んで、いかにも旧街道の趣が残っている。坂を登って行くと右手の山上に神社が見えた。思わず麓の標識を見ると「関蝉丸神社」とある。蝉丸は琵琶の名手で、皇子とも乞食とも言われた謎の人物。小倉百人一首にも彼の歌がある。 これやこの往くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関 ここは名高い逢坂の関があった場所。南北朝時代以降は前日訪れた園城寺(三井寺)の支配下にあって通行税を取っていたようだ。また五位以上の身分の者は畿内から出ることを禁じられていた。つまりここから先は畿内なのだ。ここを初めて通ったのは中学校の修学旅行の時。バスガールが和歌を教えてくれた。どうも清少納言の歌のようだ。 夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ 間もなく国道1号線と合流。物凄い交通量だが、なんとか左端の歩道に渡れた。これで3つの旧街道が合流したことになる。東海道、中山道、北陸道だ。京都方面からの風が強い。それも冷たい風。京阪の駅を過ぎると山際に「車石」の標識を発見。この坂は古来難所で、牛車の往来を助けるために轍(わだち)を刻んだ平らな石を敷き詰めてあった由。へえ~っと思ったが、現物がどんな石かは分からない。 ところが翌日滋賀のOさんのブログを読んでビックリ。何と私が走った数時間後、彼もこの道を走っていたのだ。京都市内である忘年会へ参加するためだ。彼が滋賀から京都へ3つのルートで時々走ることもブログで知ってはいたが、まさか同じ日に同じルートを走るとは。こんな奇跡は滅多にないだろう。彼のブログには何と「車石」の写真も載っていたのだ。 奇跡と言えば前日もそうだ。最初に訪れたのが京都山科の天智天皇陵。そして次が滋賀の三井寺。この寺が天智天皇の孫である大友与多王が創立したことを私は知らなかったのだ。今回の旅はきっと何かの縁で結ばれていたのだろう。山科駅前の細い道が、旧東海道だったことも後日知った。 東海道新幹線はトンネルの中だが、この狭い谷間を国道1号線、名神高速道、京阪電鉄が交錯しながら通っている。ここは昔も今も交通の要衝。関が設けられたのも当然だろう。山際にへばり着くように小さな寂れた寺があった。「近江そろばん」を商った旧家も狭い道端にあった。相変わらず風は冷たく、手がかじかむ。 坂を下り切ると大きな建物。さらに直進しようとすると、ガードマンが停めた。その先は歩道がなく、車が多いので地下道を行けとのこと。お礼を言って長い地下道を通り、反対側に出た。確かにその先で複数の道路が合流している。ここが心配していた「山科ランプ」のようだ。掃除をしていた人に1号線への行き方を尋ねた。道伝いに左に行けば合流する由。 やれやれこれで一安心と坂を下る。最初にぶつかった道を右折して進む。だが、どこにも国道1号線の標識がない。そのうちに「三条通り」の標識が見え出した。んんん?ここは昨日通った道。このまま進めば京都の三条通りへ出てしまう。困ったなあと思っていたら「義士祭り」の旗。どうやら山科駅前通りの交差点のようだ。思い切って左折し、再び国道1号線を目指す。ロスは1kmほどと思ったが、後日地図を見たら、ほとんど距離は同じだった。<続く>
2012.12.16
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≪ 本当の戦い ≫ 麻雀大会に集まって来たのは仙台の私、茨城のTさん、F田さん、埼玉のK君、三重のF森さん、岡山のHさんの6人。私以外は全員国立大卒で中には大学院を出た人もいる。筑波勤務時代はそんな優秀な仲間と出世を争ったのだ。そしてNさんは麻雀はしないものの、「大会」がある度に参加してくれる奇特な後輩で、今日も歩いて比叡山に登った由。 今回の不参加は千葉のK間さん。彼はビール好きが高じて痛風になった由。そして東京のK村さんは奥様を亡くされてから体調を崩した由。若い頃は徹夜マージャンも辞さなかった悪友も、皆それぞれに歳を取り、中には淋しい老後を送っている人もいるのだ。埼玉のK君に来年4月に「行田市鉄剣マラソン」に出ると言うと、自分の家に泊ったらと言ってくれた。稲荷山古墳も良く知ってるらしい。これは楽しみだ。 ホテルの風呂は本物の温泉とか。早速皆で入りに行くと、琵琶湖が見渡せた。良いねえ、琵琶湖を眺めながらの温泉とは。これから本格的に酒を飲み、麻雀が始まったらもう風呂に入る暇は無いだろう。ゆったりとした気持ちで温泉に浸かれて良かった。それにしても腹が出た人が多いのは、皆運動不足なのだろう。 5時過ぎから麻雀を半荘。数年に1度なので、勝負する感覚を忘れてしまっている。最初は良かったが、一度振り込んだら負け出した。7時からビールを飲みながらの夕食。きれいに作られた料理は、質量とも悪くはない。酔っ払ったせいか、ご飯を3杯お代わりして呆れられた。夕食後再び麻雀を開始。結局私は夜中の1時過ぎまで泥酔状態で、ついに一度も勝てなかった。レ・ミゼラブル。 翌朝は6時半に起床。睡眠時間は5時間ほど。夜中にトイレに起きた時に水を飲んだが、口の中はカラカラ状態。飲み過ぎて脱水症状みたいだ。そんな状態で風呂に行く。飲み過ぎに寝不足の状態では危険なのでサウナには入らず、湯船にゆったりと浸かる。朝食も心の籠ったものだった。部屋に戻って清算。ホテルと麻雀代で2万円近く。それに往復の新幹線を入れると5万円ほど。5万円もかけてわざわざ遠くから麻雀をしに来る馬鹿はいないが、私達は数少ない馬鹿な仲間なのだ。 トイレを済ませて、着替える。上は長袖のTシャツで、下はロングタイツ。今日はここ大津市下阪本から京都駅までの19kmを走るのだ。荷物は全部リュックに詰めた。重さは4kgほどか。「結構重そうだね。それで本当に走るの?」と仲間達。「勿論だよ。そのために滋賀まで来たんだもの」。答える代わりに心でつぶやく。 湖で魚を釣ってる人がいる。私は外へ出て体操をし、少しテラスを走ってみた。思ったほど寒くはないが風はある。皆はホテルのマイクロバスで駅へ向かうようだ。ホテルの前で記念撮影。来年の幹事は優勝した茨城のTさん。どうやら皆の意見で9月頃東京で開催するようだ。写真を撮り終えると、私は仲間に手を振って走り出した。 飲み過ぎに加えて寝不足。それにまだ酔いが残っている感じ。だが血圧降下剤と不整脈の薬は飲んだ。後は日頃の訓練で鍛えた体を信じるだけだ。湖畔の国道161号線は寒く、道路の水溜りが凍っている。気温は4度ほどだが、風があるため体感温度は氷点下。果たしてこんな状態で京都駅まで無事辿り着けるだろうか。でもそれが今回の旅の最大の使命。本当の戦いはこれからなのだ。気合を入れ、寒風に向かう。<続く>
2012.12.15
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≪ 三井寺と琵琶湖の風景 ≫ 鐘の音が聞こえる。有名な「三井の晩鐘」を、お布施の代わりに観光客にも撞かせてくれるのだ。鐘楼は重要文化財。木々の間に三重塔が見えた。元は奈良県比蘇寺にあった室町初期のもので、徳川家康が寄進した由。その右にはこれも室町初期の一切経蔵が静かな佇まいを見せている。ほとんど誰もいない広い境内を観音堂に向かって歩く。 別所の微妙寺を観ながら坂を下り、毘沙門堂を見上げつつ石段を登ると高台。入口に観月舞台があり、正面に西国十四番札所の観音堂があった。ここに微妙寺の本尊である十一面観音菩薩が安置されていた。像高82cmの小さな像で「見事な」短足に驚く。これらもすべて重要文化財だ。観音堂の脇から山に登ると琵琶湖と大津市内が見渡せた。天智天皇が近江宮を置いた古代を偲ぶ。 長い石段を下り、水観寺を経て総門から境内を出た。滞在したのは1時間半ほどだが、まだ観てない個所が多かった。それほど境内は広かった。この三井寺(園城寺)と比叡山延暦寺が争っていたことは、『新平家物語』にも何度か出て来た。共に天台宗で皇室の尊崇も篤かったが、三井寺は後に天台寺門宗総本山となり、豊臣、徳川の庇護を受けて再興されたようだ。 京阪三井寺駅から穴太(あのう)までの切符を買った。だがそこまで行かずに次の皇子山駅で降りた。隣のJR大津京駅で乗り替えた方がホテルに近いからだ。この周辺には「びわこ毎日マラソン」で有名な皇子山陸上競技場や、近江宮の旧蹟がある。次の唐崎駅で下車。ここから電話するとホテルのマイクロバスが迎えに来るらしいが、小さな構内には電話がない。オーノー! 仕方なく歩いて行くと、ホテルのマイクロバスが後から追い越した。手を上げたら停まって乗せてくれた。これはラッキー。フロントで予約した友の名を告げると、既に到着している由。2階の部屋に幹事のF君がいた。筑波勤務時代の後輩である彼は、転勤先の部下と結婚して津市内に住んでいるが3年ぶりの再会だった。 近況を話しつつ、早速缶ビールを開ける。窓の外は琵琶湖。その対岸には秀麗な山。きっと近江富士の愛称を持つ三上山だろう。この琵琶湖は古代から交通の要衝で、継体天皇の妃は琵琶湖の水運を握っていた古代豪族の息長(おきなが)氏。また平家を討った源義経は堅田党と呼ばれる湖賊の助けを借りている。かつての仲間が次々に到着し、ビールから日本酒に変わった。まだ日は高いのだが大丈夫かなあ自分。<続く>
2012.12.14
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≪ 琵琶湖疏水と三井寺 ≫ 三井寺駅で降りると目の前に店。近江牛の牛丼1600円、ビーフカレー1200円の看板あり。一旦は行き過ぎたものの空腹には勝てずに引き返す。店に入るとそこは精肉の部で、食堂の入口は別だった。牛丼は美味いだろうが1600円は高過ぎ。ビーフカレーを注文し、小じゃれた座席でかなり待った。出された野菜サラダもビーフカレーも全て上等。やはり家のものとは一味違う。 腹を満たして表へ出ると道路の脇に深い濠。ひょっとして琵琶湖疏水かと思い通行人に尋ねると、やはりそうだった。川なら山から湖に向かうのだが、ここでは水が山に向かって逆流している。徐々に濠が深くなるはずと思いながら、疎水に沿って歩く。それにしても立派な構築物だ。とても明治のものとは思えない。疏水は深さを増し、とうとうトンネルの中に消えて行った。三井寺の境内の下を通っているのだろうか。 後日調べたら、この第一疏水は明治18年(1885年)に着工し、明治23年(1890年)に完成している。琵琶湖と京都の蹴上との距離は12kmあるが、高低差はわずか4mだからかなりの精度が求められる。ところが疏水の設計と工事を担当した田邊朔郎は大学を卒業したばかりだったと言う。疏水は京都の岡崎で観たことがあるが、琵琶湖側で観たのは初めてだった。 幕末の「禁門の変」で、京都は街の大半が焼失した。また都が東京に移転したため人口が減り、産業が衰えた。疏水はそれを救うために考えたものらしい。水道用水、工業用水、工業用の動力、水力発電、灌漑、水運と幅広く利用されたが、工事は全て人力だった。当時の写真を見たが、苦労の跡が偲ばれた。疏水は先刻訪れた天智天皇陵付近の裏を通っているようだ。 道は山にぶつかった。左手に行けば観音堂があるようだが、どうも様子がおかしい。通りかかった若夫婦に聞くと、三井寺の正門はここからかなり離れている由。観音堂とは逆方向に歩くと、寺の境内が見えて来た。なるほど相当の広さだが、何故駅付近に案内図がないのか不思議。仁王門の横にある受付で入場料を支払う。500円とはちょっと高い。 最初に見たのが「弁慶の引摺り鐘」。奈良時代の梵鐘で重要文化財。擦った跡があることから弁慶が引きずったとの伝説になったようだ。国宝の金堂には天智天皇の持仏だった弥勒仏が安置されているが秘仏の由。現在の金堂は秀吉の正室北政所が再興したものとか。堂々たる風格の建物だが、その裏手に小さな堂宇があった。 名称は閼伽井屋(あかいや)。慶長年間の造立で重要文化財だ。龍の彫刻は左甚五郎作の由。ここからは霊泉が湧き出ているようで、耳を澄ませると中からブクブク音が聞こえた。寺の別名「三井」は元々「御井」(みい)で、正式名は長良山園城寺。「荘園城邑」を資金源にして建立したのが寺名の興りとか。寺伝によれば天智、天武、持統の3天皇がこの御井で産湯を浸かったと言うが、それはおかしい。 何故ならこの寺は天智天皇の孫である大友与多王が天武天皇の許可を得て建立したもの。天智天皇がこの大津に都を定めたのは40歳を過ぎてからのことだし、時代が全く合わない。それに父舒明天皇の都は飛鳥岡本宮。当然天智、天武の兄弟はそこで生まれたと考えられるからだ。寺社の由来や縁起には結構「眉つば」が多いのだ。<続く>
2012.12.13
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≪ 天智天皇陵 ≫ 長い参道の両側には手入れが行き届いた樹木。中には紅葉した樹もあった。人影は少ないが、何人かの人が写真を撮ったり散歩したりしていた。正面に御陵が見え出す。陵墓の前にはこんもりと茂ったツバキのような樹木。そして墓陵の周囲はヒノキだろうか。樹木に隠れて墳墓の形は分からないが、石垣が八角形に組まれているようだ。 天智天皇は藤原鎌足と共に蘇我入鹿を討ち、大化の改新を起こした中大兄その人。長らく皇太子を務め、朝鮮の白村江の戦いで唐と新羅の連合軍に敗れた彼は、667年に大津近江宮に遷都し、翌年ようやく第38代天皇に即位したようだ。大津への遷都は外敵から逃れるためで、大宰府付近には水城を築き、九州から瀬戸内にかけて朝鮮式の山城を築いた。百済の王族などたくさんの人々が朝鮮半島から戦乱を避けて逃げて来たのもこの時だ。 彼の死に関しては幾つかの説があるようだ。大津で崩御したと言う説。暗殺されたとの説。そして不思議なのが山科へ馬で出かけたきり帰らなかったと言う説。姿はなく、沓(くつ)だけが残っていたそうだ。その「沓」を埋めたのがこの陵で、暗殺説が生じたのはそのためらしい。だが姿がなかったのは仙人は姿を消して昇天すると言う道教の神仙説に拠るとの考えもある由。 天智天皇陵は考古学的には「山科御陵野古墳」と呼ばれるそうだ。形は上円下方墳とされているが上部は円ではなく八角形らしい。石垣が八角形に見えたのもそのせいだろう。下方部は2段で、最下層の奥は元々の岩盤のようだ。天智天皇の死後、彼の子である大友皇子と実弟の大海人皇子が皇位を巡って戦う。いわゆる壬申の乱だが、勝利した大海人皇子は天武天皇となって奈良藤原宮に遷都する。 天智と天武は実に不思議な兄弟だ。天智は額田王を弟から奪い、その代わりに娘や孫を天武の妻として何人も差し出している。天武は「天皇」の称号を用い、国号を「日本」とした最初の人。そして「日本書紀」と「古事記」の編纂を始めた人でもあった。だが彼の年齢がどの史書にも記されておらず、古代史の謎を深める元になった。天智系統の皇位はようやく桓武天皇になって継承される。 陵墓の横手から「琵琶湖疏水」へ行けるようだが時間がない。静かな参道を再び引き返す。入口に日時計のレリーフがあった。これは変だ。天智天皇が設置したのは確か漏刻(水時計)のはず。山科駅へは戻らず、三条通りを上って地下鉄の御陵駅へ向かった。京阪電鉄三井寺駅までの切符を買い、地下2階のホームに降りる。 地下鉄は京阪との乗り入れのようだ。山科から地上へ出る。電車の中から逢坂山の狭い谷間を見る。トンネルが結構多い。国道1号線も脇を通っているはず。明日はその1号線を大津から京都に向けて走る予定だが、結構勾配がきつそうだ。それに道路が交錯してる感じ。苦戦するだろうが覚悟は決まった。浜大津で石山坂本線に乗り換え。三井寺駅は1つ目の駅だが、もう空腹の限界だった。<続く>
2012.12.12
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≪ 山科の道 ≫ 朝の5時半。支度を終えて家を出ようとした時、妻がお茶を淹れてくれた。熱過ぎて飲み難いお茶を一口だけ飲む。自転車のキーを開けようとしたが暗くて番号が見えない。玄関まで担いで上げ、何とかチェーンを外した。手は既にかじかんでいるが温める時間はない。懐中電灯を自転車につけ、ペダルを踏み出す。寒くて暗い道。凍結してないだけまだマシか。冬の朝は注意深さが必要だ。 途中コンビニで新聞、お握り、サンドウイッチ、お茶を購入。最寄駅の駐輪場に自転車を置き、電車で仙台駅へ向かう。乗ったのは6時25分発の東北新幹線はやぶさ2号だが、早朝なのに指定席はたちまち塞がった。隣席は巨漢の男が座り、圧迫感を感じながらの朝食となった。新聞を読み終えるのに宇都宮までかかった。さすがに関東平野は明るくて暖かそうな光が溢れていた。 そこからは読書。『徳川家康』の第7巻を読む。東京からはひかり505号に乗り継ぐ。東海道新幹線に乗るのはいつ以来だろう。多分10年くらいは乗ってないはず。読書しながら景色に注意していたが、分かったのは静岡くらいだった。名古屋を過ぎると鈴鹿山脈が見えた。あの山の向こうにブログ友のよっちゃんさんが住んでいる。岐阜羽島駅周辺にはまだ田圃が残っていた。へえ~っ。 養老山脈も関ヶ原もあっと言う間に通過。滋賀県に入った途端、冬空に変わった。真っ暗な雪雲の下で道路が濡れている。雨が降ったようだが、傘は持って来なかった。久しぶりの米原停車が懐かしい。11時13分、定刻通り京都へ着いた。昔は東海道本線と呼んでいた「びわこ線」で1つ先の山科へ戻る。 山科駅前では「義士祭り」の旗が風にたなびいていた。12月14日の赤穂浪士の討ち入りの日が近い。ここ山科は討ち入り前の大石内蔵助が一時身を潜めた土地だ。駅前の通りを京都方面に向かって歩く。ネットで地図は確認していたが少し不安。路傍に「左五条道、右三条道」の石標。どうやらここは古い街道のようだ。広い道にぶつかって右折。今度は道路に「三条通り」の標識。真っすぐ進めば、きっと山越えで京都の三条通りに出るのだろう。 右手に公園の入口のような緑道があり、どこか雰囲気が違う。きっとここが「天智天皇陵」のはず。そう直感して周囲を見ると、やはり案内板があった。本日1番目の目的地だった。<続く>
2012.12.11
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≪ 想定外の出来ごと ≫ 滋賀へ旅立つ前夜、大きな地震が起きた。最大の震度は5弱。私が住む仙台市内は震度4だったようだ。1分間ほどの揺れだったが、それでもその強さと長さに驚いた。これも昨年の3月に起きた「東日本大震災」の余震の一つとか。3年間は大きな余震があることは知っていたが、あの大震災の再来を感じた揺れだった。 宮城県ではこれと全く性質が異なる30年周期の「宮城県冲地震」が90%以上もの確率で起こるとされている。こちらも前回は大きな被害が出ている。だからいつも冷や冷やなのだ。心配だった東北新幹線が再び動き出したニュースも聞いた。これなら明日は何とか旅行出来そうだ。そう思ったが、もう一つ気がかりなことがあった。滋賀へ泊った翌日に走る比叡山のことだ。 下阪本にあるホテルから走るルートは大体分かった。問題はそこから京都へ下りる方法。ネットで地図を調べると、比叡山山頂から京都駅まで行くバスがあることが分かった。ついでにバス会社の時刻表を調べてビックリ。なんとそのバスは前の週、つまり12月の第1日曜日で運行が休止していたのだ。きっと路面が凍結し易いからだろう。東北では標高700mくらいの山など、冬でもバスは走るのだが。 慌ててケーブルカーとロープウエイの時刻表を調べた。ガ~ン。何とそれも定期バスと同様に、運行は1週間前の日曜日までだった。こちらは凍結ではなく、冬季はわざわざ山上まで登る観光客が少ないためだろう。これは困った。比叡山まで走って登れても、その先が降りられないのでは。それで急遽思いついたのが、浜大津から京都の山科を経由して京都駅まで走ることだった。 早速「ジョギングシュミレーター」でルートと距離を確認。距離は19kmほどだと分かった。それならリュックを背負っても走れるだろう。問題は道路。浜大津の分岐点と山科付近が特に複雑なようだ。そこを過ぎたら、京都市内は何とか分かるはず。一応目ぼしい地点や、走り出してからの距離はメモに記した。後の心配は体調だが、悪友達も歳を取ったので多分徹夜マージャンにはならないはずだ。 今回の旅の目的は、筑波勤務時代の悪友との麻雀大会。その間に奥様や父親を亡くした友がいて、2年間開催されなかった。だから今回は3年ぶりの再会なのだ。果たして誰が来るのかも分からない。そんな遠くまで麻雀に出かける人は少ないだろうが、私達はその数少ない「変わり者」なのだ。第1の目的は麻雀だが、第2の目的が滋賀を走ることだった。 私は9年前に全都道府県を走り終えている。ところが滋賀県だけには不満があった。三重県の「伊賀上野忍者道マラソン」の途中で、滋賀の山中を9km走っただけ。「偶然滋賀県に迷い込んだ」との想いが私にはあった。今回はようやくそれを払拭することが出来るチャンスなのだ。 そして3つ目の目的が歴史探訪。折角京都と滋賀へ行くのだから、短い時間の中でもどこか歴史的な所を見学できれば嬉しい。わずか1泊の今回の旅行には、こんな盛りだくさんの想いが詰まっていたのだ。<続く>
2012.12.10
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京都、滋賀の旅から無事帰宅しました。滋賀では琵琶湖の畔で夜中まで悪友達と酒を飲みながら麻雀。今日は大津市東阪本から京都駅まで約20kmを1人で走りました。いやはや寒かったですよ~。道路は一部凍ってましたからねえ。でも3時間ほどで山越えラン終了。良い思い出を作ることが出来ました。今回の旅の模様は、明日から書きたいと思っています。留守中、どうもお世話になり、ありがとうございました。
2012.12.09
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いや~っ、昨夜の地震には驚きましたねえ。昨年の「東日本大震災」の余震みたいですが、久しぶりに大きな地震でした。さて、間もなく滋賀へ旅立ちます。新幹線が正常に動いていると良いのですが。帰宅は明日の夜になります。皆さまもお元気で過ごされますよう。ではね~!!
2012.12.08
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昨日の仙台は強風が吹き荒れた。最大瞬間風速は25mを越えていたようだ。そんな中で私は庭仕事をしていた。剪定した柚子の枝を細かく切って袋に詰める。これは棘に刺されないための用心だが、やはり刺さった。次に庭と畑の雑草を抜く。既に種を持った雑草は区分して柚子と一緒に袋に詰め、そうでない雑草は裏庭に積み上げる。 次いでコンポスト容器の始末。腐敗が進んだ生ごみの臭いが凄い。土と混ざってはいるが、ドロドロの腐敗物だ。それをスコップで掘り、雑草や苗の残骸の上に被せる。気持ちの悪い虫が繁殖したりして、結構厄介な仕事だ。それが終わるとコンポスト容器を元通りに地中に埋め、堆肥の上に乾いた土を被せる。こうすると少しは悪臭を防げ、来年の夏ごろには山全体が立派な堆肥に変わる。 次に柿、梅、柚子、牡丹の根元に発酵鶏糞を施肥。これで来年はたくさんの実をつけ、美しい花を咲かせてくれると良いのだが。まとまったゴミを所定の収集場所まで運ぶ。午後からは資源ゴミを古新聞、雑誌類、雑紙、段ボールに区分し、結束。これは日曜日に出すのだが、私は土曜日の早朝に旅行するため、前もって準備しておくのだ。 話は変わるが、ここ2、3日の間に私は3つレースを申し込んだ。1つ目は1月末の「寅さん詣り」(東京都)。これはエコジャーニークラブの主催で、江戸川の堤防を往復し、寅さんで有名な柴又の帝釈天にお参りするマラニック。距離は41kmとなっているが、参加した人の話だと45kmはあるらしい。エントリー料金は2千円でレース後は温泉に入れ、マラニックの途中では「お神酒」が出るとか。 2つ目は4月初めの「行田市鉄剣マラソン」(埼玉県)。種目はハーフで、料金は3千円。ハーフマラソンを走るのは10年ぶり。距離が短いために制限時間が厳しく、私には辛いレースになるはずだ。前日の古墳見学が楽しみの一つ。何しろ有名な鉄剣が出土した稲荷山古墳や、映画「のぼうの城」に出た、丸墓山古墳周辺がマラソンコースなのだ。それに桜が咲き残っていたら、もっと嬉しいね。 3つ目が6月の「いわて銀河」(岩手県)。これが実は大冒険。申し込んだのは1年9カ月ぶりの100kmなのだ。今年2度の不整脈手術を受けた私にとって、50kmなら何とかなりそうだが、厳しい峠越えの100kmは苦労するのが目に見えている。だが、行ける所まで行ければ良いと考え直したのだ。 今月中に申し込むとレース後2千円がキャリーバックされる、お財布に優しいアーリーエントリーシステムに目が眩んだ訳でもないが、半年先の体調を予想するのは到底不可能。3月には術後1年目の検診もあるが、ここは「エイ、ヤー!」と思い切るしかない。それにしても良くここまで回復したものだ。一時はフルマラソンさえ危ぶまれた体調が、再び100kmを走ろうと言う気持ちになったのだから。 明日は早朝に家を出る。筑波勤務時代の悪友達との麻雀大会が琵琶湖畔であるのだ。東海道新幹線に乗るのは確か十数年ぶりのはず。そして悪友との再会は3年ぶりのこと。その間に奥様が亡くなった人もいれば、大震災もあった。果たして悪友達は、あれからどれだけ老化が進んだか。そしてこの機会に私はある冒険を予定している。生憎滋賀は、この週末雪になるようだ。果たして冒険は成功するだろうか。 ≪そんな訳で、明日のブログはお休みする予定です。皆様、どうぞ悪しからず~。≫
2012.12.07
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垣根のサザンカが咲き出した。そしてベコニアとライムペチュニアが枯れ出した。仙台にも初雪が降り、初霜も降りた。これから急速に寒さが増すだろう。愛犬が死んでから早や1カ月。彼の墓を取り囲むアジサイの葉も落ちて、すっかり庭は淋しくなった。柿、梅、柚子は枝の剪定を済ませ、冬の間に肥料を施す予定。 少し前のこと、愛媛県久万高原町の遺跡で、縄文時代の犬の骨が発掘されたと聞いた。確か5500年ほど前の、日本最古のもののようだ。旧柳谷村の洞窟からは、これまで「縄文のビーナス」と呼ばれる婦人像が刻まれた石や、マグロの骨も出土していた。恐らく犬は人類と最も古くから付き合った動物のはず。狩りの手助けをするし、凶暴な動物から人間を守って来たのだと思う。 これも不確かな情報だが、人類最古の文明が発見されたと先日聞いた。場所はブルガリアで、やはり5500年ほど前の住居跡が発掘された由。住居跡は石造りで、住民は500人規模。どうやら塩を生産していたようだ。500人と言えば青森の三内丸山遺跡も同様。同時に500人が住むのは、当時なら大都会。だが、この続報を全く聴かないが、一体どうなったのだろう。 ペルーのナスカに山形大学の研究拠点が出来たことが新聞に載った。有名な「ナスカの地上絵」を研究するためだ。同大学による研究は2004年の人工衛星による画像分析が初めで、06年にはこれまでに知られてない100以上の地上絵を発見した由。スタッフは現地の方を含めて10名。私も勤務したことがあるだけに、「何故山形大学が?」と驚いたのだが、坂井正人教授がアンデス考古学の専門家とのこと。ナスカはペルーでも最古の文明であり、今後の謎の解明に期待したい。 「ニンバドン・ラバラッコラム」は1500万年前のオーストラリアにいた動物だが、現在のコアラの7倍の体重があったことが発掘された骨から推定されるそうだ。樹上で生活する最大級の哺乳類動物は木に登ることで天敵を避け、食べ物を得たと考えられる由。ゴンドワナ大陸に繋がる古い大地には、まだ知られない謎の動物がたくさんいるようだ。 それに比べれば人間の歴史は浅く、ヒトの知性は6千年前をピークに下降気味であることを、スタンフォード大学のクラブトリー教授が雑誌に発表した。彼の研究によれば、狩猟生活をしていた頃は一瞬の判断が命取りになるため知性や感情が安定した人が生き残りやすく、その結果人類の知性は高まった。知性形成には2千~5千の遺伝子が関係しているが、生活が安定すると知性も衰え出すようだ。う~む。 最近の犬は精神病に罹り易いとの研究がある。日本でもこの20年間で増えているそうだ。特に室内犬にその傾向が強い由。犬の大脳皮質のコントロールは、人間よりも弱いのがその理由。大災害で飼い主を失った犬達などは、このために苦しんでいるのだろう。やはり犬は人間の傍にあって初めて犬らしい生活を送れるのだと思う。彼らの従順な性格が哀れだし、一層愛しさに繋がるのだろう。
2012.12.06
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私は第2次世界大戦のさ中に生まれた。だから、物が乏しい戦後の少年時代の記憶が、今でも強烈に残っている。そのせいだろうが、食べ物には全くと言って良いほど煩くない。昼食にはいつも麺類を作っているが、その汁は何日か使う。味噌ラーメンの残り汁に味噌汁の残り汁を足し、余ったカレーや煮物なども入れれば、立派な1食。味が薄まれば、出汁醤油を足す。 衣類にもそれほど煩くはない。加齢臭が染みついた肌着も擦り切れるまで身に着けるし、靴下だってヨレヨレになるまで穿いている。私は楽なジャージが好きだが、尻の裏側には大きな「継ぎ当て」がミシンで縫ってある。滑って転んだ時に、その部分が薄くなったためだ。脇に穴が開き、袖が擦り切れたセーターもまだ捨てずに使う。そんな服装で、平気で街へ買い物にも出かける。 子供のころからの貧乏性が、いつの間にか私の身に着いてしまったのだろう。そんなことは全く気にならないが、3歳年下の妻は違う。先ず魚の食べ方が下手だ。釜にはたくさんのご飯粒を残すし、鍋には余った味噌汁。私には食べ物を粗末にするのがとても考えられないが、妻は物の有難さが分からない世代なのだろう。 それでも男女の経済観念は違うようだ。私はしょっちゅう妻に怒られ、その違いに逡巡する。私にとっては重要なことが、彼女にはきっと「大いなる無駄遣い」と見えるのだろう。ブログなどはその最たるもので、「お父さんは自分の趣味しか考えない」となるのだ。私に言わせれば、良い趣味の存在は生き甲斐につながり、老後を豊かにすると思うのだが。 今朝も結構忙しい。昨夜は遅くまで読書していたため、朝一番でのブログは書けなかったが、3kmほど散歩した後、玄関とガレージの掃き掃除をした。朝食後は洗濯ものを2階に運び、妻の蛍光スタンドの修理とゴミを入れる容器の修繕。暖簾を画鋲で止め、ゴミを出す。それらは全て妻の「注文」。 これから布団を干し、午後は生協の配達品の受け取りと洗濯ものの取り込みと始末。その合間に植木を剪定し、郵便局へも出かける。さらにはランニングの練習もしたいし、ネットの契約について確認したいこともある。今は「サンデー毎日」の私だが、それなりに結構忙しく、自分のしたいことと、妻の要望を叶えること。そのバランスを取るのに苦労する。 「俺も亭主関白なら楽なんだけどなあ」とつぶやきながらも、戦中生まれの男はじっと我慢。「人間辛抱だ」。初代若乃花のテレビコマーシャルだが、今では知ってる人も少ないだろう。徳川家康は言う。「人生は重き荷を負うて長き坂を行くが如し」。修行の道はまだまだ険しそうだ。
2012.12.05
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12月4日火曜日。今日は衆議院議員選挙公示の日。今月16日の投票日まで、いよいよ激しい戦いが始まることになる。3年間続いた民主党への評価が下される今回の選挙。主な争点は原発への対応、TPPへの対応、景気回復への対応、税の在り方などのようだが、本当にそれだけなのだろうか。 確かに原発事故は不幸な出来事だった。マグニチュード9と言う、世界で4番目に大きい地震が襲ったのだから。でも、日本はスリーマイル島の原発事故の教訓を生かさなかった。全電源喪失への対応が全くと言うほど考慮されてなかったのだ。私はあれが民主党の責任とはとても思えない。原発を推進した党は、一体どの党だったのだろう。 地震国日本には活断層も多い。だが、その活断層の存在が分かったのは、比較的新しい時期。多くの原発施設が作られた頃はまだ知られてなかったはず。そうは言っても、原発の場合は使用済みの核燃料の始末が大変なのが事実。それらのことが疎かにされていたように思う。原発の安全神話に関しては、時の政府と共に学界やマスコミの責任も大きいのではないか。 TPPに加盟すれば、経済だけでなく色んなことにも規制が及ぶようだが、日本が生き延びるためにどうあるべきか良く考える必要がある。TPPがなくても、一国ずつ互恵関係を重ねれば済むかも知れないが、加盟に関して検討するくらいは良いと思う。問題点が何かを知らずに大騒ぎしても仕方がないからだ。そして、国民が今の暮らしをどう思っているかが大事。有り余る物資と訣別するくらいの覚悟があるのかどうか。 景気浮揚も何とかして欲しい。と言うより、若者の仕事を何とか増やして欲しい。今や正業に就けない若者がかなりの数に達していると聞く。年金もそうだが、将来に望みのない若者は結婚が出来ない。結婚が出来なければ、当然生まれて来る子供の数は減り、年金制度を支えられなくなる。老人ばかりが目立つようでは日本の再生はとても無理だ。 震災からの復興もスピードが遅い。未曽有の災害のため、地元の業者も資材も手一杯。復興関係予算をそれ以外に使うことへの非難が強かったが、あれは民自公3党の合意で行ったもの。そして日頃の予算不足に悩む官庁ならどこも考えること。今回の笹子トンネルの事故でも分かるように、予算不足で補修工事が追い着かないのが現状なのだ。 国民はマスコミの扇動に乗ってはいけない。じっくりと各政党の主張を聞き、本当に国民の生活に役立つ候補者を選んで欲しいと思う。今の政治は「人気取り」ばかり。政党をそうさせたのも、マスコミと国民の責任だと思う。甘いことばかりでなく、将来のために、時には苦しみを分かち合うことも必要だと思う。 選挙対策での集散離合が目立つ政党。選挙に勝つためだけに、どの党が有利か右往左往する候補者。それらに国民のことを思う気持ちがどれだけあるのだろう。政治や民主主義は育てることが大切だし、じっと耐えることも時には必要だと思う。ともあれ選挙期間はわずか12日間しかない。国民は16日にどんな審判を下すか、じっと見守りたいと思う。
2012.12.04
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わずか1日のんびりしていただけで体重が1kg増えた。まったく恐ろしいものだ。体調が悪くてとても走れないと感じた土曜日だったが、日曜日には何とか回復。それでいつものように走りに行った。気温は低いが、風がないためさほど寒くは感じない。それでも手袋は2重にする。安もので風が通るし、冬は手の先から冷えるのだ。 18kmの山のコースを2時間15分かかって帰宅。これでもかなり速くなった方。ランニングを再開した頃は2時間50分近くかかっていたのだ。途中、太白大橋の上で同じ走友会のIさんに遭った。腰が不調のため走れず、今は歩いていると彼。自分もそうだが、歳を取ればどこかに故障が出るのが普通ではあるが。 昼食を済ませ、「福岡国際マラソン」を観る。ところがコマーシャルが多過ぎて、肝心のレースがさっぱり映らない。いくら放送がコマーシャルで成り立っているとは言え、これじゃ本末転倒。さっぱり面白くないのだよねえ。公務員ランナーの川内選手は30km手前で失速して6位。無職ランナーとして一頃話題になった藤原選手も35km過ぎで痙攣し、4位に留まった。 39歳の「皇帝」ゲブレシラシエは32km地点で走るのを止め、初マラソンのマサシは38km過ぎで歩道に座り込んだ。激戦を制したのは国内一般参加のギタウ。ケニアから広島の世羅高校に留学し、同校の全国駅伝優勝に貢献した彼は、祖国に妻と子を残したままだそうだ。記録は2時間06分58秒。だが、これではケニア代表になるのは無理で、さらに記録を縮めたいと話していた由。 恐るべき24歳の若者。だが、これが世界の現実だ。2位で日本人1位になったのは旭化成の堀端選手。ギタウには1分26秒の差をつけられ、即世界陸上選手権の代表内定とは行かなかったが、大器の片鱗は見せたと思う。監督の指示で時計を外しており、30km過ぎで「揺さぶる」のが早過ぎたのかも知れない。 夜は大河ドラマ『平清盛』を観ず、『徳川家康』を読む。今回の『清盛』にはほとんど魅力を感じないのだ。あの時代の面白さは吉川英治の『新平家物語』の方が、人間の描写も歴史認識もずっと勝っていると感じた。それを再びテレビで観られないのが残念だ。 3年ほど前、私は宮城谷昌光の中国歴史小説に夢中になっていた。多分、主な作品は読み尽したはずだ。だが、『風は山河より』などは読まずに残していた。その頃は日本の戦国時代の小説などを読む積りは全くなかった。その主人公菅沼定盈の名前が『徳川家康』の第4巻に突然出現。何と彼は家康の部下だったのだ。 夜9時からは『王女の男』を観た。これは韓国の歴史ドラマだが、歴史ドラマらしさは少なく、ほとんどが男女の恋の話。残り2回で放送終了だが、「粗筋」を読んだのでもう観ない積り。それよりも朝の連続ドラマ『純と愛』が面白い。現実にはあり得ないストーリーの連続だが、その奇抜さに惹かれる。果たしてあのホテルと主人公達は、これからどうなるのだろう。
2012.12.03
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昨日の朝。いつも通りブログを仕上げたものの、体調が良くない。私には珍しく二日酔いのようだ。普段は薄い焼酎の水割りを1杯だけ夕食時に飲む。それが前日の宮城UMCの忘年会では、ビールをジョッキで4杯ほどと焼酎のお湯割りを4杯飲んだ。それほど楽しかったのだと思う。わずかそれだけの量で二日酔いとは情けないが、私の体はアルコールを分解する能力が劣るのだろう。 ウルトラマラソン仲間には、アルコールに強い人が多い。きっと肝臓をはじめ内臓が強いのだろう。それもウルトラマラソンには大切な要素。死んだ親父は強かったのに、息子の私が何故こんなに弱いのか不思議だ。体調を心配した妻が「今日一日静養したら」と言う。先日友人の葬儀に列席して以来、ずいぶん優しくなった妻。それは葬儀の模様だけではなく、大学時代の先輩達の現況も彼女に教えたからだ。 実は妻も学生委員会の仲間だった。だから誰がどんな体調だったと聞いて、皆そんな年齢になったことを実感したのだと思う。そして「2人で忘年会をしようか」とも言い出した。近所の温泉に美味しい米沢牛の店がある。その「食べ放題」が良いらしい。妻は普段焼き肉などは食べないが、よほど美味しいと評判なのだろう。「じゃあ、ついでに温泉へ入ろうか」と私。それが何日か前のことだった。 自室でコタツに入って新聞を読み、パソコンを開く。お茶を飲み、コーヒーも飲んだ。甘いお菓子を食べてのんびり過ごしているうちに、徐々に体調が戻って来た。妻はパン作りに挑戦しているようだ。昼は麺類を自分で作り、午後も外出せず読書に没頭。山岡荘八の『徳川家康』も第4巻まで読み進んだ。本を贈ってくれたしぃさんや、かつて同じ本を読んだと言うkazuさんの言うとおり、確かにどんどん読める。それほど話の展開が面白いのだ。 妻が階下から呼んだ。走友会の仲間で、かつて一緒に警備員をしていたSさんからの電話だった。話は来年出るレースのことだったが、私が会社を辞めた後、彼も体調を崩して退社した由。それも新しく配属された現場で苛めに遭い、ストレスが高じた結果らしい。ようやく体調が戻り、つい最近大阪マラソンを走ったと彼。私もその後の体調を教えた。 やはりあの会社は辞めて正解。それが2人の結論だった。上司の顔色を窺いながら働き、気に食わない新人はみんなでいびり出す。きっと業界の不況もあって、そんな現場が多いのだと思う。特にその会社しか知らない連中にとって、比較的豊かな現役生活を過ごして来た私達みたいな存在のパートは、きっと異質に感じたのだと思う。お互いにその後の様子が気になっていたのだが、久しぶりに元気な声が聞け安心した。 妻のパンも完成した。前回より粉を少な目にしたら成功した由。香ばしいパンの香りが台所に満ち溢れている。夕食に付きものの晩酌もこの日はお休み。前日酷使した内臓を休ませるのも長持ちの秘訣だろう。何もしなかった土曜日。散歩も体操もせずに静養に努めたが、読書だけは進んだ。そんな日もたまには良い。寒く厳しかったが、心は穏やかな師走の一日だった。
2012.12.02
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昨日、雪虫が飛んでるのを観た。これは雪になるかもと思ったら、今朝は案の定の雪。今日から12月だもの、雪が降ってもおかしくはない。それにしても昨夜は良く飲んだ。ウルトラマラソン仲間である宮城UMCの忘年会。3150円の会費で、ずいぶん酔っ払ったものだ。 11月の最終日である昨日は、新しいシューズを試した。レース用に買ったものだが、果たして履いた感じがどうか、実際に走ってみないと分からない。18kmのコースにするか、それとも23kmにするか迷ったが、結局は長い方を選んだ。月末はその月の走った距離を総計する日。少しでも長い方が良いだろう。 心配は現実のものになった。わずか10km走っただけで、シューズの紐が3回ほどけた。シューズが高い割に、紐が「ちゃち」だと感じてはいたが、やっぱりなあ。最後は2度結びし、ほどけなくなった。18km過ぎには左足に痛み。どうやら肉刺(まめ)が出来たようだ。このシューズはいつもより5mm大きい26.5cm。その5mmの差が、中に入れた医療用インソールとの「ずれ」につながったのだろう。 走った感じは悪くないので、今後どう補正するか。来年からのレース復帰に向けて、準備することがまだまだありそうだ。結局11月はこの日の23kmを加えて258km。ウォークの112kmを併せれば370km。まあまあ良く頑張った方だろう。夕刻、十分な寒さ対策をして、バスで街へ向かった。忘年会の会場に着いたのは、集合時間の30分前。私が一番乗りだった。 三々五々集まって来た走友が私に手を差し出す。そしてしっかりと握手。宮城UMCの仲間に会うのは、8月の「薬莱山とお足マラニック」以来。体調が十分でなかった私はまだ走れず、110kmをマウンテンバイクで往復したのだが、あの時も無事帰宅出来たのか、心配してくれた友もいたのだ。M仙人には来年2月の「いわきサンシャイン」参加時の便乗をお願いした。これで前日宿泊しなくても良くなった。 「佐渡島一周」(208km)を走破したO川さんは納得の行くタイムではなかったようで、またリベンジするそうだ。今回も見事完走したK藤さんは、富山のテラさんに「よろしく」と言付かって来た由。偶然席が隣だったそうだ。へえ~っ、これは嬉しい。たまにそんなことがあるからウルトラマラソンは面白いのだ。 古川5人組も新幹線でやって来た。T田さん、kazuさん、M根さんの3人は「大阪マラソン」ではお揃いの法被で走ったようだし、「川の道」520kmを制覇したK彦さんやC一さんは、相変わらず練習十分の真っ黒な顔だった。A山さんからは2か月ほど入院していた話を聞いたが、来年は外国のレースに出るそうだ。 「伊南川ウルトラ」100kmを完走したK村さんは私に泣いて謝った。「Aちゃんは不整脈に負けてる」とかつて私に言ったことを悔いてるようだ。何故そんなことを言ったのか、それは彼女も同じ病で悩んでいたからとのこと。それからも彼女は何度も泣いた。私達の年齢になれば、多かれ少なかれ老化や体調の不調と戦っている。それは強いランナーも同じ。いつかは力が衰える時が来る。 パナップさんも握手してくれた。私のブログを読んで、体調を心配してくれていたのだ。だから会員でもないのにわざわざ参加してくれたのだろう。仲間のこの一年の話を聞くにつれ、同じ苦労を共にしているウルトラ仲間の有難さをしみじみと感じる。名前の知らない若い人もいた。中にはまだ5kmしか走れない人も。だから先輩達の強烈な話が、相当刺激になったと思う。 大いに飲み、人の話に茶々も入れた。それでも仲間達は、私が元気になった証拠と笑って許してくれた。今年は1度もレースに出られなかったが、来年こそはいよいよレース復帰だ。それに体調さえ許せば、50kmや60kmほどのウルトラなら走れるかも知れない。そんなことを思いながら、千鳥足で何とか帰宅した私だった。友よ、こんな私だけど来年もよろしくね!!≪11月のラン&ウォーク≫ ラン回数:14回 ラン距離:258km ウォーク:112km 月間合計:370km 年間合計:2524km うちラン:1170km これまでの累計:80、669km
2012.12.01
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