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楽天ブログに切り替えてから5年半。今日でちょうど2千回目の公開になった。搭載率は97.4%。マラソンで遠出する日以外は、ほぼ毎日のように4千文字から5千文字のブログを書いている。ちょっとした作家気分だ。1日平均の来訪は119件。写真もない文章だけのブログなのに、これだけの方が訪ねて来られることに感謝している。 コメントは特に期待はしていない。もちろんあればあったで嬉しいのだが、私の場合友を求めるためではなく、自分の想いを発表するのが目的。だから「読み逃げ」でも大いに歓迎。私自身も他のブログへのコメントは少なく、そっと覗くことがほとんどであることをお断りしておきたい。 長文のブログは誤魔化しが利かない。そして内容が面白くなければ、やがて来訪者は減る。ブログは「読んでもらってなんぼ」の世界だが、ネタ切れはブロガー共通の悩みだろう。私の場合、文章を書くのはボケ防止でもある。前に書いたことは極力避け、どんなテーマをどう構成するか、毎回神経を使う。そして一旦公開した後でも、表現がおかしかったり、変換ミスなどを発見したら何度でも直す。それが文章に対する私なりの拘りだ。 ネット上で日記を書き出してから11年。「さるさる日記」から始まり、「ジオシティ」→「さるさる日記」→「楽天ブログ」と変化した。昔の日記に比べ「ブログ」はかなり便利で、色んな機能を持っている。だが楽天のシステムが変なのか、折角書いた文章やコメントが突然消えることがある。2時間以上かかって書いた長文が、あっと言う間に消えるのは悲しい。それでも気を取り直して再び書き直す。 「壁紙」はその時の気分で時々変えるが、私は「自然」な方が好きだ。酔っ払って替え、後で「しまった!」と思うことがたまにある。明日から12月。クリスマスが近づけば、それに相応しい壁紙を選ぶのが楽しみだ。そして最近は「クチコミテーマ」を選ぶことにしている。これで検索して訪れる人のためだ。 一方私が良く訪れるブログは、楽しいもの、勉強になるもの、人柄を感じるものが中心。そしてテーマは、旅、写真、園芸、ランニング、評論、読書などが多い。それらのブログは自分の刺激になり、明日への活力にも繋がる。この場を借りて御礼申し上げたい。 昨夜はNHKの番組で宋休さんの映像を観た。彼は僧侶で、笠間焼の陶芸家でもある。scotchケンさんのブログを通じてhimawariさんのブログを知り、彼女のブログから宋休さんのブログに行き着いた。ブログから感じた彼の生き方はやはり本物。その信念が顔にも表れていた。himawariさんも少しだけ映った。ブログを通じてのこんな出会いもたまにはあるのだ。たかがブログ、されどブログ。大げさかも知れないが、私はこれからもブログに命をかける積りだ。
2012.11.30
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6月に収穫した玉ネギが残り4個になった。100個獲れたので、これまでの5カ月間で96個使った訳だ。我が家は野菜好きだが、それにしても良く食べたものだ。収穫した玉ネギは、家の裏で「陰干し」にする。その後で物置に入れるのだが、中には干し方が足らずにカビが生えるものがある。そう言うのを早く見つけて処理しないと、他のものまで腐るので要注意だ。 畑の白菜は小さなものから使う。これから寒くなると、白菜も影響を受けて凍ってしまう。大きなものは葉がビッシリ詰まっているため春まで持つが、小さいのは徐々に枯れてしまう。勿体ないから、小さいのから順番に獲って食べる。漬けもの、味噌汁の具、煮物、鍋ものなど、白菜は冬の野菜として重宝で、とても助かっている。 一方、大根は太くて立派なものから抜いて食べる。理由はその方が美味しいからだ。おでん、風呂吹き大根、大根おろし、煮物などなど。お正月には千切りにしてお雑煮に入れるのが仙台地方の昔ながらの風習。葉っぱも無駄にせず、油で炒めると美味しい。残った大根も徐々に成長するため、その方が効率が良いのだ。寒気が強まり凍り出す頃になると全て抜き、畑を深く掘って土の中に埋めている。それで鮮度が保たれ、いつまでも美味しく食べられる。 先日は強い風の中を走った。27日の火曜日だ。霊屋橋を渡る頃には、空から冷たいものが落ち出した。初雪だった。雪はさほどでもなく、間もなく止んだ。だが私の意識は別な方に行っていた。どうも足の感覚がおかしいのだ。いつもなら何ともないシューズの底が堅く感じる。シューズがすり減ったのは間違いないが、足の裏にも異常が発生したのだろうか。 帰宅後シューズを点検。これまで散歩用にしていたシューズは「農作業用」に格下げし、練習用に履いていた1足は「散歩用」に格下げする。その方が距離が短いため、足への負担が少なくなるからだ。新しいシューズを練習用に下ろし、中に入れる医療用インソールを交換する。これで練習用の2足は、同じメーカーの同じ規格のものになった。風呂上がりには、足底の「タコ」を削った。これも痛みの原因になるからだ。 自分の洗濯ものは自分で片付ける。肌着もランニング用のシャツやパンツは、洗濯したものをタンスの引き出しの一番後ろに入れて置く。つまり一番前から引き出せば、古いものから順番に使うことになる。この「法則」が上手く行かないのがセーター。セーターは畳んで重ねているが、肌着と違って順番には行かない。家で着るか外出かでも違うし、色やデザインの好みがあるからだ。それに穴が開いてるのもあるしね。 私が一番「順番」を意識するのは畑かも知れない。狭い我が家の畑を効率良く使うためには、どの畝に何を植えるかを十分検討する必要がある。それに「連作障害」のことを考え併せて、畝の使用計画を練る。折角蒔いたスナックエンドウの種は、どうやら山鳩がほじくり出して食べたようだ。家庭菜園には時にこんな邪魔が入る。さて、来年の春は何をどんな風に植えようか。
2012.11.29
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先日の「富士山マラソン」で走れなかった人が5千人も出たらしい。原因は道路の渋滞。「河口湖マラソン」から衣替えし、出場定員を1万人増やしたまでは良かったが、会場へ向かう車の列でとうとうスタートに間に合わないランナーが続出。結局主催者は宿泊料やエントリー料を返却する破目になったようだ。このレースの売りは「日本初のリゾート・エンタメマラソン」だったようだが、走れないのではねえ。 歌姫小林幸子が今年の「紅白」に選ばれなかったようだ。まああれだけの騒動を引き起こし、歌も売れなかったのだから、選ばれなくても仕方がない。そもそもケチの付き始めが彼女の結婚。旦那の言うまま長年マネージメントをしてくれた人達を追い出した結果、訴訟まで発展した。旦那は「紅白」の豪華な衣装などをケチろうとしたんだね。その結果がこのザマでは、ちとお粗末じゃないの?。 丸飲みしたのかされたのか、太陽の党と維新の会。「第三極」を目指そうと一緒になったのは良いけど、政策が丸きり見えて来ないんだよね。名前は「日本維新の会」に落ち着き、前東京都知事の石原さんが代表になったけど、この暴走老人の暴走が止まらない。愛国の名を借りて、「核保有の研究」も始めると言い出した。さすがにこれには橋下さんも慌てて止めたようだ。 政策は今日発表するんだってね。丸きり合わなかった2つの党の政策が、果たして何を「売り」としたのか注目だ。でも、「みんなの党」とは一緒になれなかったんだよね結局。「誰をどの選挙区に出すかは両党がじゃんけんで決めたら」と橋下さんは簡単に言ってたけど、国民はビックリしたんじゃないのかなあ?私の選挙区でも「みんな」と「維新」が出るようだけど、「維新」は全く土地に馴染みのない落下傘部隊なんだよねえ。 それに比べたら昨日誕生したばかりの「日本未来の党」は、まだ爽やかじゃないの。脱原発、脱増税、脱官僚政治、活女性とこどもなどなど、いかにも女性知事の嘉田さんらしいキャッチフレーズだけど、耳触りの良い言葉だけで政治は出来ないもんね。これに「反TPP」や「生活」も一緒になるみたいなので、第三極も大同団結は出来なかったと言うわけか。それでも15も党があるよりはマシかな。 国防や憲法改正や経済復興を訴える党はあるけど、大震災からの早急な復興や、沖縄の基地問題解決を大っぴらに唱える党はいないのかなあ?「日米地位協定」の改正などはとても大事だと思うんだけどねえ。良く分からないのがTPP。どんな「縛り」があって、国民生活にどんな影響を及ぼすのかまるで分からないんだよねえ。マスコミももっと詳しく教えてくれないとね。 何年か前、大学の後輩がある宗教政党の候補者に投票してくれと頼んで来たことがあった。わざわざ他の県からだよ。しかもほとんど年賀状だけのやり取りの人。もちろんその人には入れなかったし、それ以来年賀状を出すことも止めたんだ。選挙は自分の信念に基づく重要な行為。それを他人に指示されるなんてもっての外。 そしてこれからブログも喧しくなるはず。自分がどの政党を支持しようが一向に構わないが、それを他のブログに書き込むのは止めて欲しい。中には「シナ」とか「左翼」とか平気で書く人がいるが、その神経が私には全く理解出来ない。「シナ」は戦前の呼称だし、今頃それを使うのはアナクロだろう。「右翼」や「左翼」もこれだけ自由な現代社会じゃ、もう死語だと私は思うんだけどね。それはともかく、各政党の主張をしっかり見極めたいね。
2012.11.28
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北風が吹き抜ける庭にクロッカスが咲いている。愛犬マックスのお墓に植えたフユシラズが、小さなオレンジ色の花を咲かせた。気の早いお宅ではイルミネーションを飾り出した。夜空に色とりどりの灯りが光る。後1カ月足らずでクリスマス。そして年末を迎える。 四国に住む孫からもらった手紙には、「今年はサンタさんにデジカメをお願いしてる」と書かれていた。娘に電話すると、本当にサンタの存在を信じているようだ。パパが毎年迫真の演技をするため、6年生になった今でも「サンタは本当にいるんだよ」と友達に話している由。因みに下の孫娘は「大人っぽい自転車」のプレゼントが希望とのこと。 あまりに高額のため困っている娘に私は諭した。「夢を壊すようだけど、いつまでもサンタの存在を信じて高額なプレゼントを望んだら親も困るだろうに」。そう言いつつも私はお金を送った。それから暫くたったある日、娘から電話があった。「今年は爺ちゃんサンタにしたよ」と。いつもの年はサンタが来るけど、今年は特別に爺ちゃんがサンタになってくれたと、2人の孫に話したようだ。 「爺ちゃんサンタありがとう」。電話を代わった孫達は、次々にそう言ったが、果たして実感があるのかどうか。実際にクリスマスになって、プレゼントを受け取らないと喜びは湧かないと思うのだが。私が娘に「本当のことを話せ」と言うのは、プレゼントの陰で苦労する親の存在を知らせても良い年齢になったと判断したから。そしてその人に感謝する気持ちを、孫達に持って欲しいからだった。 「お父さん、これ買って来たよ」。何やら黒い色の衣類を妻が見せた。ヒートティックの肌着らしい。「これを着るととても暖かくて、厚着をしなくても済むから」。その名前を聞いたことはある。暖かい衣料であることも知っていた。だが私には無縁だと思っていた。肉体労働者だった私は、1年を通じて上は木綿のランニングシャツ、下は木綿のパンツにアクリルの「すててこ」だった。それでないと動くと暑過ぎて汗をかくからだ。 だが仕事を辞めた今なら、冬はやはり暖かい方が良い。何せ私の部屋は、こたつが唯一の暖房なのだ。ヒートティックの肌着は確かに暖かくて快適だった。これはもう手放せない感じだ。別な日、妻がくれた券を持ってユニクロへ行った。券をコインで擦ると金額が出る。その分を減額してくれるサービスらしい。それでセーターと手袋を買った。両方とも680円。何と安い買い物だ。 何枚かのセーターは、袖が擦り切れたり、脇に穴が開いたりしていた。長く着込んだためだ。家に居るならそれでも構わないが、外出をした際にジャンパーを脱ぐとボロが出ると困るのだ。それに冬の自転車は手が冷たい。安ものの手袋ではちっとも暖かくないのだ。ハハハ。これで今年の冬は暖かく過ごせそうで嬉しい。 友の葬儀以来、妻が少し優しくなった。葬儀の模様を聞かせたからだ。特に友人夫妻が長年かけてシルクロードを旅した話が心に響いたようだ。そのせいでもないだろうが、旅行する話がまとまった。来年1月は福島県会津地方での「イチゴ狩り」。そして2月は静岡県伊豆地方の「河津桜」と国見峠からの富士山を観る。どちらも日帰りの安いバスツアーだが、それもまた楽しい。 そして定年最後の年になる来年は、残った有給休暇を全部使い切ると妻。それで私と旅行へ行くのだそうだ。「大人の休日倶楽部」でJRの切符を買い、「ゆこゆこ」の温泉宿と組み合わせれば、相当安く旅を楽しめる。妻の定年後は、念願の海外旅行へも行けるだろう。それには先ず健康が第一。夫婦が揃って健康でないと、旅行をしても楽しくないからだ。これから寒い冬に向かうけど、心も体も暖かくありたいね。
2012.11.27
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土曜日の試合でサンフレッチェ広島が勝ち、初優勝した。我がベガルタ仙台はアルビレック新潟に敗れ、これで2位が確定した。優勝こそ逃したが、2位は過去最高位。かつては何度かJ2に陥落したことを思えば、隔世の想い。そして手倉森監督の手腕には改めて驚かされる。一方ベガルタレディースは優勝を決め、来季はなでしこリーグに登場する。どこまで活躍するか期待したい。 フィギュアスケートNHK杯では、仙台出身の羽生結弦選手が優勝した。特にSPではこれまでの最高得点記録を塗り替えたほど完ぺきな出来だった。まだ若い彼は、これからもどんどん技術を伸ばすと思う。女子の2位の鈴木明子は東北福祉大学出身。遅咲きだったが頑張っているのが凄い。そして浅田真央は2年ぶりの優勝。ここまで来るには相当苦しい思いをしたのだと思う。ソチへ出場する選手6人のうち、日本人選手が4人を占めるとは凄いことだ。 東北楽天はフェルナンデス選手ら数人の外国人選手に戦力外通告をした模様。打棒を期待される「助っ人」がホームラン数本では、止むを得ない措置。ベテラン草野大輔選手の引退も淋しかった。これまで弱小チームを引っ張って来たが、若手の台頭で今季は出番が少なかったのも事実。今後は球団職員として残るのがせめてもの慰めか。 大相撲九州場所も意外だった。2場所連続優勝で横綱になった日馬富士が、意外や意外9勝6敗と惨憺たる成績に終わった。千秋楽の結びの一番でも、仕切りがおかしかった。きっと4連敗で緊張していたのだろう。心と体を鍛え直して、横綱に相応しい成績を残してほしいと願う。横綱白鵬は23回目の優勝。6年連続の年間最多勝は新記録。ここまで復活した彼に、拍手を送りたい。技能賞を受賞した関脇豪栄道の11勝4敗も立派。今後の活躍に期待したい。 昨日の「大阪マラソン」と「神戸マラソン」はテレビの放送がなかったのが残念。日曜日の9時スタートでは、看板番組が組まれている時間帯なので市民マラソンの中継は無理なのだろう。唯一走友の消息が分かったのは「佐渡島一周」に参加した銀のねこさん。彼女は悪天候の中、33時間09分で完走した由。山岳マラソンで鍛えた足腰は、最後まで衰えなかったようだ。見事な完走おめでとう、ねこちゃん。 私は最近、新しいコースを試している。冬季の風の強い日に走るコースを開拓したのだ。愛宕大橋、霊屋橋、評定河原橋、大橋を渡って青葉城を登るコースは14km。さすがに橋の上は風が強いが、交通量と信号が少なくて走り易い。橋を渡らず向山から八木山を一周するコースは12km。こちらは歩道が整備されておらず交通量が多いのが難点だが、登りの連続なのでトレーニングには向いている。 昨日は12kmのコースを走ったが、案外厳しいことに驚いた。午後は自転車で街へ出た。ランニング雑誌を買うためだ。普段は買わないのだが、1月号には付録として「ランニング日記」がついていて、練習記録を書き留めるのに役立つ。これで来年への準備はOK。スポーツとは関係ないが、昨日は私が好きな番組『ビフォー→アフター』を再放送と新規の2本とも観られたのが嬉しい。
2012.11.26
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友の葬儀に列席した旅の疲れが出たのか、土曜日の夜はぐっすりと眠った。一旦いつものように未明に起きてブログを更新した後も、二度寝。合計で9時間も眠ったのは初めてではないか。真夜中の地震も、さほど気にならなかった。起きた時は8時。既に明るくなっていた。 朝食後は新聞を読んだり、ネットでブログ友を訪ねたりして休息。おもむろにランの準備をしたのは10時半近くになってから。このところ2日ほど走ってなかったから、そろそろ走る感覚を取り戻す必要があった。気温は低そうだが、風はさほど強くなさそう。そう思ってランパンと半袖の組み合わせにした。外に出るとやはり寒い。それでも覚悟を決めて走り出す。 良く眠ったせいか、それとも2日間走るのを休んだせいか、足が軽く感じた。ほほう、これは久しぶりの感触。これならひょっとしてスピードが出るかも知れない。そう思ってそのままのスピードを維持することにした。2度に亘る不整脈手術の後、走れない日が続いた。何とかランニングを再開してから3カ月半。ようやくここまで来た。だが、この感触が果たして本物かどうか。 23kmのコースを走ることは決めていた。隣の市の山頂に向かう途中、誰かがクラクションを鳴らした。停車した車の中から笑顔を見せたのは、同じ走友会に所属するT脇さんだった。どうやら仕事の途中らしい。彼女はこのところ忙しく、練習する暇がないとこぼす。その彼女と最近良く遭う。もちろん私が走っている途中でだ。 「どこかエントリーしてる?」と彼女。「いわきサンシャインにね。いわきの復興と自分の復興を願ってさ」と私。「そうか復興か。何か目的を持たないと励みにならないものね」。そう言い残して彼女は去って行った。残念ながら走友会の忘年会は、筑波時代の悪友達との会合(滋賀県での麻雀大会)と重なり、出席出来ない。だから仲間と会えるのは来年の新年会になる。 坂を登る。いつもならここでガクガクとなる脚が、今日は何とか持っている。極力スピードを落とさずに登り切る。これも衰えた心肺機能を鍛えるためだ。筋力とスタミナ(持続力)が少し戻って来たようだ。フォームを意識しながら坂を下る。名取川の堤防の風も、それほど苦にはならなかった。結局この日は、いつもより30分ほどタイムを縮めた。復活への確かな手ごたえを感じた走りだった。 ネットで注文していたランニングシューズが先日届いた。レース用の最新モデルが25%引きで買えた。来年はレースに復帰する積り。そのためにも少し軽めのレース用シューズを履こうと思ったのだ。頼んだ時は冒険とも思えた買い物だが、こうして少しスピードが戻ると、フルマラソンやハーフマラソンでの完走も、夢ではないかも知れない。 目下、幾つかのレース出場を計画中。1月は東京の「寅さん詣り」。これは41kmのマラニック。ここでは多分3度目の「トランスヨーロッパ」を完走したSパパや雲峰師匠と再会出来るはず。2月は予定通り「いわきサンシャイン」(フル:福島)で既にエントリー済み。4月は「行田鉄剣マラソン」(ハーフ:埼玉)。5月は「仙台国際ハーフ」と「仙台鉄人会5時間走」。そして6月は「いわて銀河」の50kmの部。 全く走れなかった時のことを考えれば、まるで別世界の出来ごと。最後のレースから1年半後のレース復活なのだ。これからも当分厳しい現実と戦いながら練習を続けるが、その先には一筋の光が見え出した想いがする。やはり諦めなくて良かった。まさに「継続は力なり」だ。 一昨日の朝6時にスタートした「佐渡島一周」のゴール時間は今朝の6時。初めて11月開催になった今回は、きっと寒さと悪天候に悩んだことだろう。果たして参加した走友の結果はどうなのか心配だ。そして今日は「大阪マラソン」と「神戸マラソン」が共に朝9時のスタート。これにも多くの走友達が参加しているはず。吉報が届くのを楽しみにしていよう。そして今週の金曜日はウルトラマラソン仲間の忘年会。日に焼けた私の顔を見て、走友達は果たして何と言うだろう。
2012.11.25
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昨日の早朝、何から何まで黒づくめの服装で新幹線に乗った。幸い、最寄り駅までは雨に降られることはなかった。座席に落ち着き、『徳川家康』の第3巻を読み出す。福島は曇り空だった。一切経山、吾妻小富士はどんよりと曇っていたが、雪が積っているのは分かった。東北の山々は既に冬支度を終えたようだ。宇都宮も曇り空だったが、埼玉へ入ると雨に変わった。 大宮で降り、駅員にこれから私が向かう駅が、何線に乗れば良いかを確認した。大都会の周辺は交通の手段が複雑で、「お上りさん」には少々戸惑うことが多いのだ。快速に乗り、武蔵浦和で普通列車に乗り換えた。目的の駅で降りると雨は激しくなっていた。タクシーに乗り、斎場へ向かう。友の遺骸が安置された部屋は直ぐに分かった。気さくな雰囲気の遺影に驚く。ラフな服装でほほ笑む友。 その部屋にいたのは2人の若い人。話しかけると彼の長女と次男だった。確かに彼に似ている。長男は知ってるが、彼らとは初めての対面。お母さんと長男はまだ自宅に居る由。2人から友の死の真相を聞く。友は奥様と一緒に仙台の友人の見舞いに来、兄弟の家で食事を済ませてホテルに戻り、風呂から上がってベッドに横たわった後、急に心臓が停まったのだそうだ。 間もなく奥様と長男も見えた。奥様にお悔やみを述べる。初めてお会いしてからもう40年が経つ。奥様も突然の夫の死に、呆然とされていた。友の死に顔は安らかだった。15年ぶりに対面した彼は、すっかり白髪になっていた。若い頃に柔道をやり、山男だった頑健な彼がまだ67歳の若さで突然亡くなったことに驚く。6人兄弟の4番目で、兄弟のうち一番早い死だった由。 2人のお子さんの他に誰もいなかった部屋が徐々に賑やかになり、葬儀の準備が進む過程を見させていただいた。彼の若い頃の写真も見た。兄弟をはじめ、親戚の方が集まって来た。大学時代の仲間も来た。彼が副委員長だった時代のO委員長。その前の委員長だったS先輩。私に訃報を知らせてくれたKさんも来た。N先輩は仕事先の青森から車で駆けつけた。皆30年から40年ぶりの再会だ。 彼の住む町内の方や、旅行を通じての友人も来られた。列席者が増えて、椅子を足した。時間通り告別式が始まった。僧侶の読経に続いて遺族と列席者の焼香。その後に弔辞が読まれた。旅行仲間と言うのは、彼が第1回から参加したシルクロードの旅。20年目の今年はその最終回で、ローマに達した由。今回は旧ユーゴから終点のローマまでだったが、奥様は自転車で、彼は徒歩で同時にゴールしたのだそうだ。 弔辞の中には、彼が旅先で出会った中国の少女をリンパがんから救うために、長年高額な「丸山ワクチン」を送り続けたことや、東日本大震災の被害者を支援するため、仙台のNPOに協力していたことも紹介された。また若い頃に脳梗塞と脳出血の2度の大病を克服したことや、奥様に対する感謝を込めた彼自身が書いた文章も読み上げられた。その名文に驚いた。彼の意外な一面を観た想いだ。 告別式の後火葬にも立ち会い、御骨も拾った。こうして優しかった一人の男は、白い骨になった。彼の葬儀を通じて、彼が多くの人を愛し、多くの人から愛されたことを改めて知った。夫婦愛、親子愛、兄弟愛、そして人類への大いなる愛。彼は多くのものを与えるだけ与えて、そのまま天国へ旅立ったのだ。さよならTさん。でも私達は決してあなたを忘れないよ。ありがとうTさん。今はゆっくり眠ってくださいね。 因みに、彼が救いの手を差し伸べた中国の少女はその後全快し、現在はアメリカで活躍中とのことです。彼の見事な人生に敬意を表して合掌。
2012.11.24
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11月23日金曜日。今日は勤労感謝の日で祝日ですね。3連休ですからミニ旅行に出かけられる人も多いことでしょう。私はいつものように6時間半ほど眠り、いつものように朝早く目覚めました。これから準備をし、東京の外れにある斎場で友人の葬儀に参列します。帰宅は夕方になるでしょう。皆さまも良い一日をお過ごし下さいね。では~。 そうそう。確か今日は「佐渡島一周」のスタートの日ですね。朝6時から206kmの長~い旅が始まります。参加される走友の皆さん、頑張って下さいね。氷雨に負けず、ゴールを目指して下さ~い。吉報待ってま~す。
2012.11.23
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めっきり寒くなった。私は今、コタツに入りながらブログを書いている。寒さを防ぐためにセーターの上から「半纏」を着、手には指先を切った手袋をはめている。窓ガラスにはびっしりと結露。家の外と内側の温度差が大きいのだ。そして私の傍らには先日死んだ愛犬マックスの写真。子犬だった頃のマックス。成犬だった頃の精悍なマックス。そして老犬のマックス。14枚のマックスの写真が私を観ている。 子犬を抱く妻はまだ若く、優しそうな笑顔。私も今より若やいだ表情をしている。14年もの間一緒に過ごしたマックスは死んだが、今もこうして私の傍にいる。彼の墓にフユシラズを植えた。そのうちオレンジ色の花を咲かせるはずだ。そして彼との日課だった散歩は、今も1人で続けている。 今年も喪中葉書が届く季節になった。木枯らしが吹きつけるようになると、毎年喪中葉書が届く。昨年は30枚近く届いて驚いた。今年来たのはまだ6枚だけ。もう少し様子を観てから、年賀状を買おうと思う。年々減って行くのが淋しい年賀状だが、さて今年はどんな文面にするか。そろそろ原稿を準備する必要がある。 そんな時に訃報が届いた。大学時代の先輩が急逝したのだ。聞けば亡くなったのは、お母様の法事で仙台に帰省していた時のことらしい。最近の体調は優れなかったようだが、それにしても頑健だった彼が66歳の若さでこの世を去るとは。私達が通った大学は市内で唯一の夜学。つまり私達は勤労学生だったのだ。だから先輩と言っても歳は私よりも若い。何せ私は4年遅れて大学へ入ったのだ。 その夜学を卒業して43年。あの頃の私達は本当に貧しかった。私は既に親はおらず、わずかなボーナスも授業料として消えた。礼拝堂の地下にある食堂のかけソバが15円。天ぷらソバが25円だった。そのソバすら食べられず、空腹のまま授業を受けた日々だった。私達が所属していたのは学生自治会。それも思想的な背景のない一般学生の代表だった。 彼は2年先輩の副委員長。温和な性格だが、柔道をしてるだけに根性はあった。彼らが4年生の時に大学紛争が起きた。1年先輩の3年生からは誰も立候補せず、結局は2年生の私が委員長をせざるを得なくなった。連日連夜もみくちゃにされ、体重が51kgまで減った。大学を封鎖したのは東京から来た他大学の学生。彼らは「プロ」の闘士だったが、最後は警察官によって排除された。夜学の委員長の私も、何度かテレビに映ったようだ。 卒業後彼は東京の会社に就職し、私も転勤で東京へ出た。彼が奥様と知り合ったのはその頃だ。彼は40代の頃、脳梗塞になった。それを自己流のリハビリで克服し、あっと言う間に職場に復帰した。その後職場を変え、良く中国奥地へ旅をしたようだ。モンゴルやイスタンブールへも行ったから、きっと大陸の風土が彼の気風に合っていたのだろう。 当時の仲間5人に訃報を知らせた。うち2人には速達で告別式の場所と時間を案内した。私は告別式に出席する予定。斎場は東京都と埼玉県の境で、初めて行く場所。切符も既に手配した。先日入った「大人の休日倶楽部」のお陰で、3割引なのが助かる。朝早い新幹線で行けば、十分間に合う。そして当時の懐かしい仲間とも会えるはずだ。 昔の写真も持った。仲間に見せる積りだ。ここ数年、彼がどんな暮らしをしていたのか、東京に住む仲間から聞けると思う。若くして旅立った彼だが、今もあの温和な顔と声が、私の脳裏にはっきりと残っている。そして私達が学んだあの懐かしい夜学も、今はなくなった。合掌。そんな訳で明日は早朝に東京へ向かい、ブログの更新は夜になります。どなたも良い一日になりますよう。
2012.11.22
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北風が冷たい季節になると、走るのが辛くなる。パートの肉体労働をして時の「帰宅ラン」はまだ良かった。距離が短く、風をまともに受ける方向ではなかったからだ。雪は少ない仙台だが、冬の季節の風は相当強いものがある。着込めば良いのだろうが、汗かきの私は厚着だと大変。暑過ぎて長い距離が走れなくなってしまうからだ。 先日来6回ほど名取川に架かる太白大橋を通るコースを走った。鮭の遡上を観るためだったが、鮭の姿を確認出来たのはそのうち4回だけ。それも2匹、4匹、2匹、2匹と、いつもの年より大幅に減っていた。今年は海水温が高く、鮭が故郷の川へ戻って来れないのだ。そのうちに繁殖の機会を失ってしまうのだろう。北海道はともかく、東北での鮭の水揚げがとても少ないようだ。 先週の木曜日、私は西の方へ向かって走った。最初は12km先の温泉まで走り、共同浴場に入ってバスで帰ることを考えていた。だが、たかだか12km走ってバスで帰るのは勿体ない。そう思い直して、往復とも走ることにした。もちろんそれだと温泉には入れないのだが、練習のためなので諦めるしかない。 この日も風の強い日だった。半袖シャツとハーフタイツで走り出したものの、腕が冷たく感じる。手袋をしていたのでまだ救われたが、これで最後まで走り通せるか不安になった。比較的平坦な国道に出ず、山道を走る。太白山裏の林道だ。ここを走るのも久しぶり。きっと2年以上は走ってないはず。死んだ愛犬マックスとザル川の上流を探検したことを思い出しながら、山道を登る。 結構な勾配だ。それも時々砂利道になる。人も車もほとんど通らない淋しい道を、息を弾ませて登って行く。登山道との分岐点から梨野へ出、そこから茂庭台の団地に入る。ここを走ったのは多分9年ほど前。すっかり記憶が薄れているが、相当広い団地で戸惑った。ここも居住者の高齢化が進み、過疎になりつつあるらしい。それでもコンビニやスーパーを見つけて、ホッとした。 団地内を走ったことで結構遠回りをしたようだ。国道を真っすぐ往復すれば24kmだが、これだと30kmは越えるだろう。果たしてどこまで走れるか。寒いなりに汗はかくが、水を飲むほどではない。ようやく団地から県道へ出、国道まで下る。ここは途中から歩道がなくなる。車の通行量が多くて危険なため小さな集落を通る道を迂回。初めて通る道だ。 茂庭の中心地には入らず、国道沿いに西に向かう。相変わらず風は強いが走っているうちは寒さに耐えられる。国道286号と別れ、秋保温泉への県道を進む。ここも歩道がない割に車の多い個所。そのため目立つように、黄色いシャツを着ていた。それに手袋が赤だから運転手からも良く分かるはず。時々道路から離れて茂みに入る。寒いためにオシッコが何度も出るのだ。 温泉へは向かわずに直進。最奥部の元湯から吊橋を渡って温泉街へ。左へ曲がるとここからが帰路。湯神社と幾つかの老舗旅館を過ぎて、とあるスーパーへ入る。ここは美味しい「おはぎ」を売ってるので有名。評判を聞きつけた温泉客が、30人ほど店内にいた。買い物籠の中にはたくさんのおはぎ。アンコ、ゴマ、ずんだの3種。「ずんだ」は枝豆を潰した仙台周辺の名物だ。 私はアンコのおはぎ2個入りのパックを買った。値段は210円。これが入った袋を持って近くのビジターセンターまで走る。暖かい室内で食べようとしたのだが、平日のためか休憩室が開いてない。仕方なく風に吹かれながら、外の椅子に座って2個のおはぎを食べた。目の前の峡谷は紅葉の盛り。でもちょっと寒過ぎなのが難点。 ほど良い甘さのおはぎを食べて元気を回復し、再び走り出す。帰りは風が逆向きなので助かる。茂庭の集落を通過し、途中から国道286号の旧道に入る。寒さに耐えた4時間27分の旅。最後はヨレヨレのランだった。ジョギングシュミレーターで測ったら、距離は31km。まあ練習にはなったと思う。そのうちランニング後に温泉に入りたいと思うのだが、果たしていつになるか。≪結局この日は、2個のおはぎが昼食でした。≫
2012.11.21
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先日、妻に頼まれて買い物に行った。向かった先は山の上にある店で、買ったのは新米。わざわざその日に行くのは、「ポイント」が10倍の日だったからだ。ここ数カ月、我が家では「今すり米」と言うのを食べて来た。いわゆる白米ではなく、「○分搗き」と言うもの。最近では色の濃い玄米も食べた。ところがこれには時々籾殻が混じって食べにくい。 そこで9分搗きのを買おうとしたのだが、女店員が「標準米でも変わらないよ」と言うので、それを信じて買った。10kgの米が入ったリュックを背負っての自転車は苦しい。幸い帰りは下り坂だから良いが、往きは荷物がなくても大変な運動量。問題はその数日後だった。「お父さん、買って来た米は白米だよ。何で良くチェックしなかったの。胚芽が全然ないよ」と妻が騒いだ。 そこで女店員に言われたことを妻に話したのだが、これじゃ折角の栄養が少ないと、妻はどうにも納得が行かない表情。そう言えば確かに変だ。9分搗きの「今すり米」を頼んだのに、それが標準米と同じだと言うのは、あの店員の勉強不足なのだろうと思う。前に居た男の人ならちゃんと注文通りにしてくれたのだが。それでも採れたばかりの新米は、確かに美味いのである。 このところ、めっきり寒さが厳しくなり、風が冷たい日が増えた。冬が近いのか、各地で雪の便りが聞かれるようになった。こんな時は暖かい食事が嬉しい。先日は「風呂吹き大根」をやった。もちろん使うのは我が家で採れた大根。これが熱々のウマウマ。皮は炒めて「きんぴら」になった。これもなかなかの味だ。 別な日の夕食は鍋ものの「タラチリ」。これにも我が家の白菜と春菊が入っている。それに味の決め手は柚子。小さくて可愛いのが今年は6個しか採れなかったが、これも我が家の庭で育ったもの。苦労した分、皆最高の味。収穫の喜びを感じるのはこんな時だ。だが指には痛み。柚子の樹には棘がある。枝の剪定時や収穫時には、この棘に刺さり易いのだ。 昨日は畑の白菜をビニール紐で縛った。霜が降りるこれからは、一層白菜が美味しくなる季節だ。だが寒さに弱い春菊は、次第に枯れてしまう運命。2度目に蒔き、折角芽が出た春菊も、育つことはないだろう。また11月に入ってから蒔いた「スナックエンドウ」も、少し時期が遅過ぎたようだ。これは来春にもう一度蒔こうと思う。晩秋の我が家の庭で、今色とりどりの小菊が香っている。
2012.11.20
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強風が荒れ狂う昨日、午後は「横浜国際女子マラソン」を観た。優勝は15km地点から飛び出し、そのままゴールまで独走したケニアのチェロメイで、タイムは2時間23分06秒。これを37km地点からスパートした那須川瑞穂(ユニバーサル・エンターテインメント:32歳)が追った。 タイムは2時間26分42秒の2位で日本人1位だったが、モスクワの世界選手権代表選考基準である23分台以下は出せなかった。期待された伊藤舞(大塚製薬)はスパートが効かず、2時間27分06秒での5位に終わり、世界との差を見せつけられたレースだった。 夕方は大相撲九州場所を観た。中日のこの日は、全勝の横綱白鵬と関脇の豪栄道が共に勝ち、8連勝で早くも勝ち越しを決めた。注目の新横綱、日馬富士はこの日も勝って7勝1敗とし、両者を追っている。モンゴル出身の両横綱は、共に不知火型の土俵入り。この型は短命と言われているが果たしてどうか。白鵬は先輩横綱としての意地を見せ、久しぶりの優勝を目指して燃えていることだろう。 夜は「侍ジャパン」の強化試合を観た。対キューバ戦は昨夜が2戦目。両チームともなかなか点が取れず、0対0の息詰まる戦いが続いたが、終盤日本がようやく点を取って3対1で勝利した。わが楽天の嶋捕手の好リードが光った一戦だった。これで難敵キューバに2連勝。山本監督は面目を果たしたように見える。だが、来年の本番では、別のチームが来る可能性があると同監督。それだけ選手層が厚いのだ。 WBC参加に当たって、今回ほど日本が「すったもんだ」したことはない。WBC興業の利益は、その66%が大リーグの物になると言う規則の改正を求めたが実らなかった。それに監督の選考も二転三転した。結局現役の監督は誰も引き受けず、7年間も現場から離れている山本氏が選ばれた。選手もイチロー、ダルビッシュ、黒田、岩隈などの大リーガーは参加しない見通し。3連覇は厳しそうな侍ジャパンだが、何とか頑張って欲しいものだ。 日本の宮里藍選手が「ウイリアム&モージー・パウエル賞」を受賞した。これはアメリカ女子プロゴルフツアーで最も模範的な選手に贈られる賞とのこと。選手間の投票で決まるようなので、それだけ藍ちゃんは他の選手からもフェアな選手と認められている訳だ。その彼女、現在参加中のツアーでも優勝を争う位置にいる。頑張れ藍ちゃ~ん!! 東北高校出身の藍ちゃんだが、仙台育英も今回大きな勝利を手にした。明治神宮大会での初優勝だ。これで来年の「センバツ」は東北の出場枠が1つ増えることになる。もし「21世紀枠」でも選出されたら4校出場も夢ではない。きっと東日本大震災の被害者にも、大きな希望を与えるはずだ。 サッカーJ1の優勝争いも激しい。土曜日のゲームでは1位の広島が敗れ、2位のベガルタ仙台が引き分けとなった。これで両者の勝ち点の差はわずか1。残り試合は2つだから、最後の最後まで厳しい戦いが続くことになる。初優勝を目指して頑張れ~ベガルタ。だが3位以内は確定のため、アジアチャンピオン戦への出場も決定したのが嬉しい。 最後に、わが東北楽天だが、キャッチャーの井野と外野手の横川が巨人へトレードされ、巨人からは金刃らが楽天へ来ることが決まった。金刃は来季10勝を目指すと、力強く宣言した由。これからもチームの補強は続くだろうが、真人など戦力外通告を受けた元楽天戦士が今後どうなるのかが心配だ。ともあれプロの世界はどのスポーツも厳しいものがある。頑張れ~、選手達!!いや~っ、スポーツって本当に良いですね♪
2012.11.19
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いや~っ、参りましたねえ、今日の楽天ブログのメンテナンス。いつものように4時半ごろ目が覚めて、いざブログに取り掛かろうとしたら、何と何といきなり「メンテ中」の表示。これですっかり調子が狂ってしまいました。まあブログの「ネタ」も限られてるんで、たまにお休みするのも良いかとは思うのですが。 仕方なく楽天以外のブログを覗いたり(私は30近くのブログやHPをチェックしています)、ニュースを見たりしてました。その後は読書。『徳川家康』の第1巻も早いもので、280ページくらいまで進んでいます。6時過ぎに布団を上げて、朝の散歩へ出かけようとすると、「今日はベランダの掃除をしてね」と妻。ダ○キンから借りてるモップを返す前に、掃除するのだとか。 いつもながら日時や方法まで決めての妻の注文には、怒りがムラムラとこみ上げて来ます。散歩は3kmのコースを、いつもの逆回りで。気温はさほど低くないものの、風が強く吹き荒れています。紅葉した木々が目立ち、中にはすっかり落葉したものも。帰宅してガレージと玄関の掃き掃除。ガレージには強風で飛ばされた枯葉が集まっています。 さて朝食と思ったら、今朝はパンみたい。私は朝食はご飯の方が腹持ちがして良いんですよね。おまけに今日は町内会の草刈りの日。ところが時間がかかると妻。今日が最終の草刈り日なのは知ってると思うんだけどねえ。自分が出ないからあまり気にしてないんだね、きっと。何とかギリギリ間に合わせ、軍手と鎌を持っていつものバス停前へ。 作業に出て来たのは5人だけ。役員の2人は「芋煮」の準備で集会所へ行ったみたい。今年最終のお掃除の今日は、味噌味と醤油味の芋煮とお握りを無料で振るまうのが我が町内会の恒例なんですよ。会長さんが見回りに来られたけれど、草はあまり茂ってないので30分で終了し帰宅。汗をかいたついでに、ベランダの掃除に取り掛かります。 バケツ2個にお風呂の残り湯を入れ、その片方には洗剤の溶液も。雑巾代わりのタオルは2枚。それに業者から借りてるモップ。結局ほうきとデッキブラシは不要でした。先ず濡れ雑巾で壁のカビを拭き、その後床を拭いて行きます。何度かタオルを濯いだものの、最後は泥だらけで再使用が出来ないほどの汚れ。結局2枚のタオルは捨てることに。仕上げは業者のモップでしたけど、濡れタオル以上の効果はなかったですね。 後片付けをし、汗びしょのシャツも着替えました。急な作業で体調がおかしくなったようです。9時40分過ぎにメンテが終了したようで、ようやくブログを書いていると階下から妻の呼ぶ声。買い物袋が重いので、台所へ運んで欲しいみたい。やれやれ。これもいつものことで想定内ではあるけど、何とかなりませんかねえ。 さて、狂ったのは私の調子だけでなく、腕時計もそうみたい。画面が時々点滅したり、消えたりしたりしていたので、てっきり電池が切れかかっているんだろうと思っていたら、日付が突然1月1日に。これはおかしいと駅前の量販店に行って見てもらったら、電池は切れておらず、ひょっとしたら時計本体の故障かも知れないとのこと。 困るんだよねえ。前のも2年半ほどでベルトが切れるし、買い替えた今度も1年半もしないで故障じゃどうしようもないよ。精密なことで定評のあるメイドインジャパンも、これじゃあねえ??ランナーはストップウオッチ機能を多用するので、この時計がないと困るんだよ。バイオリズムも、夫婦関係も、そして時計も、こんな風に調子が狂うと困ります。長い人生、たまにはこんなこともあるんだろうけどね。
2012.11.18
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女優の森光子さんが亡くなった。舞台『放浪記』でのでんぐり返しが評判でロングランを続けたが、年齢が年齢だけに最後は生彩がなかった。今年の6月にパーキンソン病で入院したとも、認知症だったとも言われているが大女優だったことだけは間違いない。亨年92歳の大往生に合掌。 政治評論家の三宅久之さんが亡くなった。亨年82歳。テレビの名物番組で口角泡を飛ばし、熱く政治を語った硬骨漢だった。重度の糖尿病で声が良く出なくなったことを理由に、今年引退した。一旦は体調が回復して病院から退院したが、間もなく息を引き取ったようだ。合掌。 さて、私の体調も少しおかしい。夜半に動悸を感じることがあるが、「脈」を採ると正常に動いている感じ。家で血圧を測ると、とんでもない数字が出ることがある。だが、これも少し間を置いて測り直すと正常。目の調子が良くない。物が二重に見えることはこれまでも良くあった。暫く鳴りを潜めていたこの症状が、最近また出るようになった。どれもこれも老化の為せる業だろう。それでも読書が出来るのがありがたい。 『新平家物語』全16巻の読了後に、「お口直し」として読んでいた村上春樹の小説は読むのを止めた。『風の歌を聴け』はマチスの絵を観るようで、確かに新鮮だった。だが続いて『1973年のピンボール』を読み始めたら、『風・・』の2番煎じみたいでどうにも良くない。パラパラとめくって次に『カンガルー日和』を手に取った。何だか長新太の漫画チックな絵を観ているようで、読むのを止めた。 しからばと、『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み出した。だが、これもいけない。彼も100kmレースを1回くらい走ったことがあるみたいだが、こちらはウルトラを含め、フル以上の距離のレースを100回近く走っているランナー。走ることの感動は誰よりも知っている積り。その感動が本から伝わって来ないのだ。彼の文章が拙いのではなく、きっと私の感受性が問題なのだろうが。 何年か前、私のブログに村上春樹の本を読めと熱心に書き込んだ人がいた。私はそのころ歴史や考古学の専門書を読んでいた。自分が何を読むかを人に決められては困る。閉口した私はこう返事した。「確かにその水は美味しいのでしょう。でも馬は水を飲んだばかりなのです」と。人が薦めるものを断るのは勇気が要るが、「残された時間」はその人によって違うのだ。 私はその後、歴史小説を読み始めた。専門書の難解な文体に飽きたこともあったが、歴史小説の面白さに気づいたのも大きい。何せ歴史の面白さと同時に、小説の面白さも味わえるのだから。小説を読むことで歴史の真実を知ったことも多い。特に幕末維新関係の小説は、どれだけ私の知見を深めてくれたか。 ブログ友のしぃさんが大量の歴史小説を贈ってくれたのは、今年の春ごろだった。彼女は蔵書が増え過ぎて、手放すことを決意されたのだ。それから私は未知の世界に踏み込むことになった。室町幕府成立の背景を描く『私本太平記』全8巻と、平安時代の終焉と鎌倉時代の幕開けを描く『新平家物語』全16巻の大著に挑戦したのだ。そして吉川英治の文学にすっかり魅了された。 4日ほど前から山岡荘八著『徳川家康』を読み始めた。全26巻の大著だ。だが、読み出して直ぐに圧倒された。想像外の面白さなのだ。戦国時代の人間がどう戦い、どう生きたのか。ちっぽけな私小説の世界とはスケールがまるで違う。きっとこれまで知らなかった世界が見えることだろう。 この壮大な小説をしぃさんが読んだのは、まだ10代だった由。何と凄い精神力。彼女は当時放送されていた同名の大河ドラマに惹かれてこの本を読み始めたようだが、普通10代の娘さんが読む本ではないだろう。その後大評判となった『徳川家康』は、当時経営者が読むべき本として推奨されたほど。それを70代間近になった私が読むと言う奇偶。 やはり私にとって大事なのは、歴史を通じて人間が歩んで来た道を知ること。歴史とは何か、人間とは何かを追求することだ。歴史の真実と、それを築いて来た人間の実態を知ることが私のライフワーク。残された時間内に何を読むかは人様々。だが私の場合は既に結論が出ている。
2012.11.17
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四国に住む孫から手紙が届いた。1通は私達夫婦あてのもので、もう1通は先日死んだ愛犬あてのもの。彼女には内緒で、ちょっと紹介しよう。なお、この手紙は私の部屋のマックスの写真の前に供えてある。≪ じいちゃん、ばあちゃんへ ≫ お元気ですか。まみはかぜ1つひかず元気です。 まみは2学期の学級委員になりました。小学校生活最後のリーダーを勤めることができてうれしいです。 他に委員会の仕事もピアノも歌も勉強もがんばっています。 ここで今年クリスマスにサンタさんからもらおうと思っているプレゼントをしょうかいします。 な・な・なんとデジカメです。大人っぽいのでほしいなあと思いました。PS マックス君のことすごく悲しいです。天国のマックス君に手紙を書いたのでかざってあげてください。よろしくおねがいします。 byまみ≪ 天国のマックス君へ ≫ 今、マックス君は天国で何をしていますか? 幸せにくらしていますか? まみはまだ2、3回しかマックス君に会ってません。 お墓参りもできなくてごめんね。次仙台に行った時には絶対花束を持ってお墓参りするからね。 まみは今学級委員なんだよ。マックス君を心配させないように何でもがんばるよ。 まみはマックス君よりももっともっと長生きしてマックス君の分まで長く生きるよ! マックス君大好きだよ☆ いつまでも幸せにくらしてね! まみ
2012.11.16
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「本心すら見せません」。連日のしつこい「ぶらさがり取材」に対して、そう答えていた野田総理がとうとう衆議院の解散を口にした。あれよあれよという間に日程が決まり、12月4日(火)告示、12月16日(日)投票だそうである。投票日は話題の東京都知事選と一緒だから、まさにてんやわんや。一体どんなことになるのだろう。党首討論で追求した自民党の安倍総裁も、きっと想定外だったと思う。 つい最近、世界でも政治の大きな動きがあった。アメリカではバラク・オバマが接戦の末、大統領に再選された。今後はますます自国の景気浮揚策を講じる必要に迫られるだろう。そして気になるアジア政策に変化があるかどうか。財政ひっ迫で、海外基地の縮小が、ひょっとして論議されるかも知れない。 あの中国でも大きな変化があった。共産党大会で次期の総書記に周近平が選出されたのだ。彼はまだ59歳と言う若さ。これまでにない若返り策で、中国はどう変化するのだろう。同時に江沢民と胡錦涛両氏の引退も決まった由。これからは「院政」を完全に排除するようだ。経済発展や国際交流に翳りの出た中国は、今後どんな対応を取るのか注目だ。 国内でも幾つかの変化があった。政治資金管理法違反で裁判が続いていた小沢氏に、控訴審で無罪判決が出たこと。これは同法の限界から来るもので、同氏の潔白が証明されたものではない。前東京都知事の石原氏が率いる「太陽の党」も発足した。これに名古屋の河村市長が率いる「減税日本」が、急遽合流することも決まった。今後第三極の成立を目指して、政党の合同の動きが活発化するだろう。 今回ほど連日マスコミが政局のことを取り上げたことは、過去になかったのではないか。あれほど人気の的だった民主党の実力がさしたるものでなかったことは既に明らかになった。マニュフェストは破たんし、かつての自民党同様、総理が約1年ごとに交代した3年間だった。だが、責任の全てが民主党にあると、私は考えていない。 新しいもの、目先が変わったものにすぐ飛びつく国民にも責任の一端があると思うのだ。つまり人気だけが先行して実態がない政党や政治家が増え過ぎ、国民もそれを判断する力を失ったことが政治の混乱を産んだように思う。それに未曽有の災害も生じた。 政治や民主主義は上から与えられるものではなく、国民自らが育てるもの。年末の選挙に私達が期待するものは何か。それをしっかりと見極めて選択したい。
2012.11.15
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愛犬マックスが死んでから10日経つ。彼と過ごした14年は、散歩の日々でもあった。朝と夕方の2度、私は彼と散歩をするのが日課だった。彼の老化に気づいたのは死の3か月ほど前。散歩の時に体が撚れて来たのがきっかけだった。真っすぐ歩けないマックスだが、必死に歩こうとする姿が哀れだった。歩くのがゆっくりになり、そして距離も短くなった。 散歩の途中、突然「カクっ」と来ることがあった。逞しかった太股の筋肉が殺げて、痩せてしまったのだ。玄関への緩い階段も登れなくなり、死の1週間前にはついに立つことも出来なくなった。排泄は彼を抱えて庭でさせた。朝夕2回の散歩の時間になると、どうしたら良いか悩んだ。そして朝だけ1人で散歩することにした。彼のいない散歩は初めてなので、とても不思議な気持ちだった。 マックスが死に、庭の一角に埋葬した後も、たった1人での散歩を続けている。14年間のマックスとの散歩は、知らず知らずのうちに私を健康にしてくれていたのだと思う。運動のせいで、体重が少し減った。私は今年2回の手術をした。年齢は70近くになり、100kmのレースを走るのはもう無理かも知れない。長年のランニングで足がかなり傷んでいるからだ。 だが、ゆっくりとならまだ走れるし、歩くことも十分に可能。町内のお年寄りが最近亡くなったが、病気になったきっかけは太って歩けなくなったことだった。足が弱れば家にいて動かなくなる。それがさらに肥満を引き起こし、病気の原因になる。だから人間にとって歩くことは健康に繋がると、この時私は確信したのだ。 日曜日に博物館へ行った。特別展「江戸の旅」を観るためだ。江戸の旅なら「歩き」が中心のはず。そう思って会場まで歩いて行った。片道4km近くある。それに山越えの道だから結構な運動量だ。青葉城の裏手の竜の口峡谷は、今がまさに紅葉のまっ盛りだった。急な下り坂を経て、博物館の裏門から入る。料金は900円だが、シニアのカードを示せば半額だ。 特別展は想像したものとは異なり、案外な内容だった。「たどる道、えがかれる風景」の副題が示す通り絵が中心だったのだ。それもなぜか富士山の絵が多かった。道中に使った道具、富士山の頂上の絵、朝鮮通信使の絵、幕末の伊勢参り(お陰詣り)などが興味を引いた程度。でも450円で少しは勉強になったのだから、これで良しとすべきだろう。帰路ももちろん歩いて帰った。ただし、雨宿りをしながらだったが。
2012.11.14
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先週の土曜日、「映画を観に行こう」と言うと、「私は買い物に行く」と妻。デパートの商品券で自分のものを買ったり、孫の服を探したいようだ。それなら、と1人で行くことにした。妻はまだ働いているが、私は今年の5月にパートの仕事を辞めた。それ以来1人で映画を観る機会が増えた。小遣いは多少減るが、その分自由で良い。 観たのは『のぼうの城』。ちょっとした話題作で、埼玉県にある忍(おし)城の攻防を巡る実話のようだ。忍と書いて「おし」と読むことを知ったのは、司馬遼太郎の歴史小説。幕末の関東で、官軍と戦った唯一の藩として上げられていたのが忍藩だった。「へえ~っ、忍藩ねえ。変わった名前だけど一体どこにあるんだろう?」。それが忍との出会いだった。 時は戦国時代。天下統一を狙う秀吉は、小田原の北条氏を攻める。この北条氏は鎌倉幕府の執権だった北条氏の末裔ではなく、伊勢(三重県)出身の豪族のようだ。この時、石田三成は上野(群馬)の館林城と武蔵の忍城を落とすよう、秀吉から命令される。館林城は簡単に落ちたものの、この忍城はなかなか落ちなかった。城内には武士と農民3千人が立て篭もり、その士気が極めて高かったせいだ。 城の守りを指揮するのが「のぼう様」と呼ばれる城代成田長親。「のぼう」とは何か?その前に「でく」をつけると直ぐに分かる。つまり長親は領民をはじめ、家臣からさえ「でくのぼう」と見られていたのだ。その役立たずが、こんな非常事態になって本領を発揮する。手を焼いた三成は、城を水攻めにしようと、長い堤を作って利根川の水を城の周囲に流し入れる。 絶体絶命の忍城を救うために長親が採った意外な行動とは何か。ここが長親役を演じた狂言方和泉流能楽師野村萬斎の真骨頂だ。彼の顔はNHKの連続ドラマ『あぐり』で知っていたが、久しぶりの登場だ。忍城を守る武将役が佐藤浩一と山口智充。彼らの演技も見応えがあった。結局この城は落ちなかった。「忍の浮城」と後世まで伝わる所以だ。だが、小田原城が落城したことで、この城も涙を飲んで開城することになる。 さて、戦いの中で三成が陣取った場所がユニーク。「丸墓山」と呼ばれた古墳なのだ。スクリーンに巨大な円墳が出て来た時は、自分の目を疑ったものだ。後で調べてみたら直径105m、標高18.9m。6世紀後半に造営された我が国最大の円墳とのこと。なるほど巨大な訳だ。さらに地図で調べたら、あの金象嵌の文字が刻まれた国宝の鉄剣が出土した稲荷山古墳も近くにあることが分かった。 つまり映画のロケ地となったかつての戦場は、「埼玉県」の名の興りである「さきたま古墳群」のある地でもあったのだ。かなりの数の古墳が戦前の干拓で破壊されたが、今も9基の古墳が残っているようだ。古墳と忍城の近くには博物館や資料館もある。また「古代ハス」の池もあるみたい。そしてここ行田市では「鉄剣マラソン」が4月に開催される。もちろん古墳の周辺がコース。 考古学ファンとして、またランニングをこよなく愛するランナーとして、一度は訪れてみたい行田。走りながら幾つもの古墳を観られるなんて最高。そして戦国時代と幕末の戊辰戦争の2度の戦いで不屈の精神を見せた忍城の勇姿も、併せて観たいものだ。たかが1本の映画だが鋭い観察力を働かせれば、歴史を学べることもあると今回感じた。
2012.11.13
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昨夜はぐっすり眠った。それほど疲れていたのだろう。何せ朝からかなり運動をしたのだ。先ず朝の散歩、次に資源ごみを集積場まで運ぶ。朝食後は春先から外に出していた植木鉢を室内に取り込んだ。大きなゴムの樹は玄関の中だけど、その他は全て2階まで運ぶ。それが植木鉢から根っこが出てるもの、底に土がべったり付いたもの、植木鉢が汚れたものなどを処理しながらだから大変。 階段を上り下りしているうちに、膝まで痛くなって来た。俺も「やわ」になったもんだ。結局運んだ植木鉢は、ゴムの木2、トラノオ1、クンシラン1、シンビジウム2、オリヅルラン2、ゼラニューム1、カポック1、シャコバサボテン3、シクラメン2、ハイビスカス1、ノボタン1、アロエ2、マユハケオモト1、名前を知らないラン2。合計22鉢。結構な作業量だった。 庭や玄関先に残した植木鉢は4つ。ライムペチュニア、ベコニア、葉ボタン、そしてパンジーとヴィオラの寄せ植え。前の2つはそのうち寒さで枯れてしまうだろうが、後の2つは春先まで大丈夫。そして今、庭で咲いてる花はセージ、シュウメイギク、ツワブキ、セイヨウギク、ノコンギク、大文字草、5色の小菊くらい。モミジ、ドウダン、シャラなどの葉がかなり紅葉(黄葉)して来た。寒さも日増しに募り、仙台はもう晩秋に近い。 大根がかなり大きく、かつ太って来た。もう何本か抜いて料理に使っているが、水分が多くてなかなか美味しい。知人にも3本ほど差し上げた。白菜は1株だけ採った。ヨトウムシが食い荒らしたものだ。虫を退治して白菜を割ると、中はしっかりして大丈夫。一旦外に干すと甘味が増える。こちらも結構美味しかった。 暖かい今年は春菊の葉が摘んでも摘んでも出て来るのが嬉しい。5回も収穫出来たのは初めてだ。妻がキヌサヤが欲しいと言う。もう種を蒔く余地はないし、蒔いてもこれから発芽するかどうか。それでも何とか試してみようと思う。芽が出た3個の貧弱なジャガイモを遊び半分で植えたのが9月末だが、先日掘ったら新ジャガイモが6個採れた。数は少ないけどそのまま腐るよりはよほどマシ。 昨年は120個の甘柿を干し柿にした。甘味も乏しく、小さくて堅くて種が多かった。それでも干し柿になると美味しく、夢中になって食べたものだ。それが今年は大異変。枝に残った実はわずかに10個。それがとても大きく、立派に実った。食べてビックリ。何と売り物になるくらい甘く変身していた。おまけに1個に6つほど入っていた種がない。ようやく本来の甘柿に変わったみたいだが、それにしても不思議な話。 マックスのお墓作りと合わせて、先日来庭を整備した。ボケと斑入りアオキを移植し、アジサイなどを剪定。プラスチック製の不要な植木鉢もこの際に処分したら、何だかとてもすっきりし、妻に喜ばれた。植木鉢の取り込み後、走りに行った。11kmのコースプラス2km。名取川を遡上する鮭を観るためだ。これまでの4回は、わずかだが全て鮭の姿を確認していた。 ところがこの日は1匹も見えない。仕方なくザル川に沿って帰って来ると、川の中で作業中の人がいる。周囲には「名取川漁協 採捕作業中」の旗も。何かと思って近づくと、年に1度の生態検査。エビ、モクズガニ、ハヤなどに混じって、ブラックバスの幼魚もいた。誰かが放流したのではなく、上流の堤から流れ落ちた1年魚とのこと。午後からは往復7kmを歩いて博物館へ。良く運動した日曜日だった。
2012.11.12
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7月の初めから読んでいた『新平家物語』をようやく読み終えた。全16巻の吉川英治の代表作だ。4カ月間で16冊だから、月平均4冊のペース。これだけの長編を読むのは初めてだったが、登場する多彩な人物に魅了されて、まったく退屈することがなかった。その直前には同氏の『私本太平記』全8巻も読んでおり、これで平安末期から室町時代の初期まで、日本史の裏舞台を垣間見たことになる。 『新平家物語』の登場人物は多彩。平清盛とその一族、木曽義仲、源義経、源頼朝などが次々に興り、そして死んで行く。彼らの背後で常に政略を画策していた法王後白河院もその1人。作者が拵えた架空の人物もいた。町医者の阿部麻鳥。商人の朱鼻の伴ト。奥州の金売り吉次などがそうだ。小説は青年清盛が京の市場をうろつく場面から始まり、麻鳥夫妻が吉野山で花見をし、過去を振り返る場面で終わる。 滔々たる歴史の流れに浮かんでは消える何人もの人々。小説を書き終えた作者は、「主人公はそれらの人ではなく、歴史の流れそのもの」だと言う。なるほど、歴史の流れが主人公なら良く分かる。盛者必衰、諸行無常の世界だ。それにしてもこれだけの長い小説を、良く書けたと思う。新聞への連載は7年以上にも及び、その間体調を崩して休載した時もあったらしい。 登場人物に対する作者の目は実に厳しく、そして優しい。良くこれだけの愛情と観察を持って人間を捉えられるものだ。吉川英治の人物の大きさがとても良く分かる作品だった。次は山岡荘八の代表作『徳川家康』全26巻に挑戦する予定。きっと読了までには1年を要すると覚悟を決めている。ここ3年ほど私は歴史小説ばかり読み続けて来た。小説からも歴史を学べると信じてのことだが、いよいよその集大成かも知れない。 その前に今は一旦小休止して村上春樹の『風の歌を聴け』を読んでいる。ノーベル賞候補作家の小説で「お口直し」をする訳だ。現代が対象だし、文体がこれまで読んだものとは丸きり違うので、とても新鮮。まるでマチスの絵を観るような感じだ。彼の小説は古本5冊と新刊書1冊が座右にあるが、多分1カ月ほどで読み終えると思う。その後がいよいよ『徳川家康』の出番。心して臨みたいと思う。≪この文章は本日2度目。最初に2時間以上かかって書いたものが、最後の最後に一瞬で消滅。気を取り直して再び書いたものの、内容は全く違ってしまいました。う~む残念。何とかなりませんかねえ楽天ブログ!!≫
2012.11.11
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ペット斎場は遠かった。あの周辺に行ったのは、S学園短大が移転した頃だから約40年ぶりか。M清掃工場はずいぶん大きな工場で、煙突も巨大だったが煙は上がっておらず、本当にそこで良いのか不安だった。楽天2軍の練習場も隣にあった。人に尋ねながらようやくペット斎場を見つけた。領収書を渡してマックスの遺骨が入った紙袋を受け取る。 あの重たかったマックスが、まるでクッキーのような軽さの骨になってしまった。触れるとカサカサ音がする。それをリュックに入れ、今度は国道4号線のバイパス沿いに帰って来た。マックスは最後の親孝行をした。25kgほどあった体重が、死んだ後測ったら19kg台。それで火葬料金が5千円近く安くなった。最後は食べ物を食べられず、水も飲めなくなったマックスだった。 時々雨がぱらついた。干した布団が心配だったが仕方がない。このところ私の体調はあまり良くなかった。マックスが寝たきりになって以来寝不足で疲労し、少し熱もあった。それでも必死な思いが40kmの自転車の旅を無事終わらせてくれた。帰宅すると妻が布団を入れていた。先ず動物センター宛ての「抹消届」を書き、ポストに投函。これで全ての手続きが終わった。 妻と一緒にマックスの遺骨を庭の片隅に作ったお墓に埋葬する。リード、首輪、1枚の煎餅も一緒に入れ、土を被せる。そしてその上に少し赤っぽい色の石を置く。傍らには前日ムラサキシキブ、白菊、ノコンギクを植えてある。2人で合掌し、墓石を撫でる。来年の春になったらお墓の周囲にたくさんの花を植えようと思う。こうしていつでも彼を感じていられるのは嬉しい。 大量に余ったマックスの餌は、トムの家に上げた。マックスと同じラブラドルだが、クリーム色で体がでかい。餌の食べ方が半端じゃないとトムのママがこぼしていた。15kg入りの大袋と、残った7kgほどの袋を届けると、パパもママもとても喜んでいた。まだトムが幼犬だったころ、マックスまでおやつをもらったことが何度かあった。今回はそのお礼だ。餌のお礼に新米1kgが入った紙袋をもらった。ママの故郷で獲れたものらしい。 夕方、近所のTさんが花束を持ってやって来た。高齢の雑種シンバの飼い主だ。彼はつい先日脱走して行方不明になる事件を起こしたばかり。今回マックスが死んだことを伝えると、親切にもペット斎場まで車で送ると言ってくれたのを断り、自転車で旅をした。紫のスイトピーとカスミソウの花束をお墓に供えるTさん。 畑から大根を1本抜き、お礼に差し上げた。これで私が為すべきことは全て終えた。ようやく安心したので、きっと今夜からはぐっすり眠れるはず。お前も安らかに眠ってねマックス。
2012.11.10
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先月の末、町内で2人のお年寄りが亡くなった。そのうちの1人は同じ班の方で、同じ路地に住むKさんのご主人。年齢は82歳だった。私達がここに家を建てて引っ越して来てから15年になるので、当時は今の私より若かった訳だ。それから8年くらいして歩けなくなり、入院してから7年。ついに帰らぬ人となってしまった。元気な頃の姿を思い浮かべ、焼香して来た。 同じ走友会の仲間だったM子さんが暫く休会するとブログにあった。ブログも止めてしまう由。ご主人は北海道へ転勤され、つい先日お母様を亡くされ、残されたお父様の介護をされているご様子。最後のブログには「これまでの考え方を変える」とあった。私は暫く体調が悪く、ずっと走友会の行事をサボっていた。彼女のブログを通じて走友達の活動を知り、彼女の近況と暮らしぶりを感じていた。 知り合いの方がブログを止めるのはとても淋しい。特に「本音」を語っていた彼女のブログは、私にとってはとても身近で貴重な存在だった。レースの結果などより、彼女の生き方の一端を窺い知ることが出来たからだ。でも走友会を休会し、ブログを止めることを選択したのは彼女自身。いつかまた彼女と再会出来る日を楽しみに待っていよう。それまで元気でいてね、M子さん。 来年2月の「東京マラソン」に続き、3月の「京都マラソン」も抽選漏れになった。これで抽選のある有名マラソンは9連敗。と言うか、1度も当選したことのない私だ。スポンサーが主催するレースへも出ず、ただただ愚直に申し込むだけなので当たらないのだろう。くじ運も悪いが、当選するための努力もしてないので当然の結果とは言え、何だか淋しい。 この秋最大の哀しみが愛犬の死。今週の月曜日の未明、これまで聞いたことのない鳴き声に起こされ、息を引き取るまでの6時間、ずっと彼の傍に付き添っていた。14年余の間、私の一番の相棒だったマックス。朝夕の散歩は私の日課。雨の時も、風の時も、そして雪の降る寒い日でも、毎日私と彼は散歩を続けた。だから今、1人で歩くのはとても淋しい。どこもが彼との散歩道だった。 あれからマックスの遺品を連日片づけた。彼の臭いが染み付いた毛布やバスタオル、最後に彼の体を拭いたタオルなど。彼が座っていたガレージのべニア板や木製の桟も処分した。ただ、犬小屋は大きくて処分出来ず、場所を移動して肥料や植木鉢の収容場所にした。餌や飲み水用の食器は捨てずに、植木鉢への水やりように使おうと思う。 犬小屋の跡を整備し、彼のお墓を準備した。周囲には白菊とムラサキシキブとノコンギクを植えた。昨日、彼はペット斎場で火葬された。今日は彼の遺骨を引き取りに行く。往復40kmの自転車の旅は彼との思い出を蘇らせ、かつ良いトレーニングになるはず。首輪とリードも遺骨と一緒に埋葬し、その上に形の良い石を載せる予定。彼は今静かに私を見つめている。それはもう永遠に吠えることのない写真なのだが。
2012.11.09
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いささか旧聞になるものもあるが、私が気になったニュースについて書きたい。その1つが橋下大阪市長に関する週刊誌の記事。こともあろうに彼を「ハシシタ」と呼び、出自を暴いた。東北には部落問題がないが、関西の人なら出身地を聞けば察知するかも知れない。最も人権を擁護すべき立場にあるマスコミが、こともあろうに興味を引こうとしてルールを犯す。 著者のあまりの非常識さを疑うが、出版社も出版社。これは公開すべき内容ではないと、何故判断が出来なかったのだろうか。まさに最近のマスコミが劣化している証拠。報道に携わる者としての倫理観がまるきり欠如しているのだ。マスコミの劣化を象徴するニュースがもう一つあった。尼崎での大量殺人事件の犯人とされる女性の顔写真が違っていた件だ。 某新聞社をはじめ、ニュースの配給元である通信社、それに天下の公共機関NHKまでが、写真を取り違えていたのには驚いた。私達国民の大部分は、「あんな優しそうな女性が犯人か」と感じていたのではないか。写真の本人が驚いて、「あれは私です」と届けて誤信に気づいたと言うお粗末ぶり。掲載に際しては関係者に確認したとは言うが、その確認作業が結果的には甘かったのだろう。 今回のことで、犯人とされた女性の苦しみはどれほどのものだったか。彼女の心中を察するに余りある。昨日真犯人の顔写真を初めて見たが、間違えられた方とは似ても似つかぬ醜い老女だった。あれで取り違えるとは摩訶不思議。自分達の誤った取材がどんな結果を引き起こすか報道各社は十分反省し、責任感と倫理観を一層認識してほしい。 田中文科大臣の暴走にも驚いた。長年大学設置審議会で審査した3つの大学の認可を、大臣個人の意見で取り消したのだ。大学側は審議会の指導に沿って、各種の改善を実施し認可の直前まで来た。施設についても教員の採用計画も、さらには学生募集まで進んでいる段階。ここまで来ている事態の逆転は通常考えられない。 3大学側の怒りはもっともだ。裁判になれば勝てるが、それでは遅過ぎる。あまりの反応に驚いた田中大臣は、審査基準を見直すなどと言い出した。それなら3大学だけでなく今回審査を受けた全ての大学が対象じゃないとおかしい。ついには国会の場で追及され、二転三転の結果前言を取り消し、改めて認可することに落ち着いたようだ。原因は権力をかさに着る彼女個人の資質だが、まさに政治の劣化、政治家の劣化を物語る今回の騒動。ここまで来たら早く国民の審判を受けざるを得ないだろう。 「万里の長城冒険ツアー」の暴挙にも驚いた。現地の調査もせず、中国人のガイドが誰で、どんなレベルの人かも全く把握してなかったツーリストは、以前に北海道トムラウシ山の遭難で8名の犠牲者を出した同じ会社。顧客の生命を預かるツーリストが、安全より利益を優先させるとこのような凄惨な結果を招くことを「証明」したのが残念だ。 現地の通信手段は携帯電話だけだが、事故現場は電波が届かない地点だった由。若い中国人ガイドは、急変する気象情報を知る手段を持っていたのだろうか。参加者は登山の経験が豊富と聞くが、危険な山岳地帯の割には余りにも装備が粗末。結果的には参加者4名中3名が死亡したのだから、このツアー自体がお粗末だった訳だ。職業倫理の欠如は目を覆うばかり。困ったことでは済まされない。
2012.11.08
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絶好のビュースポットである大沼から、再び山道へ入った。今度は杉の植林地。鬱蒼たる杉林がどこまでも続く。薄暗くて寒い道だが、あの苔むした岩ではないため歩き易い。杉は真っすぐに伸びているが、間伐した木や枝はその下に倒れたまま朽ち果てている。荒れた風景に心までが寒くなる。かつては間伐材を薪や割り箸などに利用した時代があったのだろうが、今は経費的な問題などから、そこまで手をかけないのだろう。 突然道が湿っぽくなった。豊富な湧水が幾筋も流れ出している。中でも悠水量が多い地点には、小さな施設が備わっていた。那須塩原市の上水道の水源にしているとか。少し過ぎた地点でも湧水。「飲んでみようか。きっと美味しいよ」と妻。「止めとけ」と私はそれを制した。確かに美味しい水だと思う。しかし、今その冷たい水を飲んだら、たちまちトイレに行きたくなるだろう。後どれくらい歩くか分からないのに、男は何とかなるが苦しむのは女の方なのだ。 40分ほど歩くと標高710mの「須巻富士」との分岐点に出た。頂上には川崎大師の分社があるようだが、見遠しは悪い由。登らずに先を急ぐ。広葉樹林の道には降り積もった枯葉。ふかふかの絨毯のようでとても気持ちが良い。「小太郎ヶ淵」で休憩。ここは箒(ほうき)川の支流が大岩を巡って流れ下っている素晴らしい景観の地。休憩所で団子を食べる人やトイレに行く人、黄葉を写真に撮る人など様々だ。 別な支流では小さな吊り橋を渡った。名前は「仙人岩吊り橋」だが、特段そんな雰囲気はない。徐々に標高が下がり、林も明るくなった。間もなくビジターセンターの建て物が眼下に見え出す。やれやれ。休憩を入れて5時間余の山歩きも、とうとうゴールに達した。きれいな道で結論から言えば、泥除けのスパッツも不要なほどだった。Mガイドの指導で、締めのストレッチ体操。 靴を履き替え、荷物を整理して暖かいバスの車中へ入る。そこから入浴する塩原温泉のホテルまでは10分ほどで到着。先ずホールで係員から入浴可能な場所の説明があった。私は妻と別れて川向うの別館に行った。地下の温泉で温い露天風呂に入り、次に熱い内湯。急いで着替えて本館に戻り、大浴場とサウナと水風呂に入った。1時間の制限の中で5つの違った風呂に入り、ウイスキーの水割りも買って大満足。 ところが再びバスに乗ってビックリ。こんな山の中で渋滞が始まっていたのだ。週末の関東の観光地はこんなものなのだろうか。結局渋滞は那須の御用邸付近まで続き、楽しみにしていたお土産が買えなくなった。代わりに東北道のSAでトイレ休憩と買い物。それでも仙台へは当初の予定時間通りに着いた。 必死になって自転車のペダルを漕ぐ。私達を待っていた愛犬は、喜んで残り物の卵焼きとパンを食べた。あのわずか1日半後にマックスは死んだ。考えてみれば彼にとっては、あれが最後のご馳走だったのだ。最後まで良く頑張って留守番をしてくれたマックスありがとう。今は安らかに眠ってね。<完>
2012.11.07
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いきなり石段を登り始める。その先にあったのは湯の神を祀る小さな神社。名前は「新湯」だが、きっと古くから地元民の信仰を集めて来たのだろう。傍らの覆堂の中には石幢(いしどう)と呼ばれる石の塔があった。神社から降りて登山道へ入る。先ほど見上げた蒸気が噴出している場所の真上に出た。物凄い硫黄臭。「毒ガス注意」の立て看板がある。 その先へ行くと同じような場所がもう一か所。今度は「爆裂火口」と「毒ガス注意」の立て看板。ここはまさに「那須火山帯」の中心地なのだろう。そこからは深い森の中で、いよいよ本格的な登りとなる。モミ、サワラ、ヒノキ、アスナロなどが鬱蒼と茂った森は、とても清々しい。苔むした岩を踏みしめて一歩一歩頂上へ向かう。さほど登山客は多くはないようだが、道は案外歩き易い。 最初は山岳ガイドの近くにいたのだが、暫くして離れた。彼は特定の女性とおしゃべりをするのに夢中で、後に続く他の参加者のことにまで気が回らない感じ。幾ら他のツアーで知り合いだったとしても、全体に注意が行かない様じゃガイドとしては失格。落ち葉の種類もトランシーバーで添乗員に聞いていたので、明らかな勉強不足だ。 最初の短い休憩時に、お握りを食べた。弁当を食べようとしたが、寒さと手袋のせいでなかなかふたが開けられなかったためだ。半分は残して直ぐに出発。高さにして500mほど登ったところが新湯富士の頂上。ここで休憩になった。三角点は別な場所にあり、そこが標高1184mとか。周囲は樹木に隠れ、視界が全く開けていない。強い風に乗って、冷たいものが降りかかる。細かい時雨だ。 登り始めのころ、振り返ると後の山頂が白く光っていた。霧氷らしい。相当冷えているのだろう。ここ新湯富士は、あの前黒山(1678m)の「寄生火山」なのだとか。木の根っこが出っ張り、大岩がごろごろしたここが、とても火山には見えない。苦労して弁当のふたを取る。気温は5度ほど。風が吹いて体感温度が下がっているためか、手がかじかんでいる。 冷たい弁当に冷たいお茶。それでも食べ物を補充すれば、新たなエネルギー源になる。下りは大変だった。苔むした岩がとても滑り易いのだ。このコースでのツアーは、今回の私達が初めてらしい。下見はしたようだが、初級Aにしては結構厳しく感じた。登りよりも下りの方が危ないし、怪我をし易い。泥んこ状態の場所はないが、これだけ苔が生えているのは、湿気が多いのだろう。 それにしても下りが長い。バスで高い地点まで上がったため、登りより下り坂が多いのだ。やっとの思いで大沼へ下りる。ここは木道が広くて歩き易い。振り返ると先ほど登った新湯富士が黄葉の間にくっきりと映えて見えた。なるほど名前の通り可愛い富士山だ。宮城県の薬莱山に良く似ている。あれはまさしく火山。きっと秋だけでなく、春や夏でも素晴らしい景観が見られるはず。もう一か所でも、この可愛い富士山を仰ぎ見た。<続く>
2012.11.06
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我が家の大事な家族だったマックス(ラブラドルレトリバー、黒、オス)が今朝天国に旅立ちました。この世に生を受けてから14歳1カ月と19日の寿命。そのほとんどを私達は彼と一緒に暮らして来ました。未明2時19分ごろ鳴き声が玄関から聞こえ、それからずっと彼の傍についていたのですが、残念ながら8時22分に天国へ旅立って行きました。 先週の月曜日の夕方から歩けなくなり、翌日から寝たきりの生活でした。この間2度体温が低下し、ダメかと諦めたのですが、その都度彼は復活しました。きっと三途の川を得意の犬かきで泳ぎ、私達のところに戻ってくれたのでしょう。若い頃から私と一緒に走り、心臓が強かったために今日まで病気もせずに暮らして来ました。 でもさすがのマックスも寿命には勝てませんでした。これまでも十分に頑張って来たのですから、もうこれ以上頑張らなくても良いよね。そのうち天国で、また一緒に遊びたいと思っています。それまで待っててね、マックス。長い間本当に良く付き合ってくれた彼に、心から「ありがとう」と言って上げたいです。 申し訳ありませんが、今日のブログはこれだけにし、彼を偲んで一日静かに暮らしたいと思っています。そんなわけで、皆さまのところへもお邪魔出来ませんが、どうぞお許しください。この場をお借りして、日頃のご愛読を感謝します。皆さまもどうぞ良い一日をお過ごしくださいね。では。
2012.11.05
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先週は愛犬の介護をしながら鎌倉での旅の話を書いていた。先ず早朝にブログを仕上げ、それが済んで明るくなってからマックスの様子を観に行った。今回のハイキングの話は、多分2、3回で終わるはず。今朝は最初にマックスの様子を見て来た。昨夜帰宅した時に比べると、少しだけ元気を取り戻した感じだ。死と闘っている愛犬を思いながら、今週も文章を書くことになると思う。 「登山初級A 名湯塩原温泉に入浴 塩原自然研究路・富士山縦走登山」。そのタイトルを旅行会社のパンフレットで見つけたのは、1カ月以上前のことだ。塩原温泉は初めてだし、「自然研究路」とは一体何だろう。それに「富士山」の名前に惹かれる。もちろん日本一のあの山ではなく、栃木県の塩原温泉付近の標高1184mの小山で、「ふじやま」と呼ぶようだ。 11月3日は全国的な天気の特異日だが、その頃の山がどんな寒さなのか全く見当がつかなかった。前日添乗員からの最終案内では、日が出さえすれば気温は10度ほどまで上がると言うが、寒気団の影響で、前日東北の高い山には初雪が降った。福島県の奥会津から近い塩原も結構寒いのではないかと心配した私は、出来る範囲での対策を練ることにした。 当日の朝、愛犬を日当たりが良い芝生へ移動。この朝マックスが食べたのは竹輪2本とクリームパン2個。妻が軟らかく手を加えたドッグフードは見向きもしない。今は彼が食べられるものを食べさせるのが一番。少しだけど水も飲んだ。「お父さんとお母さんはこれから出かけるけど、お前も頑張れよ」。頭を撫で、頬擦りをすると、愛犬も2人の様子で自分が留守番だと分かったようだ。 私達の集合場所は、市内の最終地点。最寄りのICから東北道に入り、一路栃木へ向かう。担当の添乗員はKさん。山岳ガイドは地元で待っている由。今日のコースと天候について、かなり詳細な説明があった。関東平野は晴れだが、山岳地帯には寒気が迫っているため、しぐれる可能性がある由。若いのに山の知識は豊富なようだ。以前の登山でも一緒だった記憶がある。地味だが信頼が置ける感じの若者だ。 福島県南部では曇り空に変わった。バスのフロントガラスに細かい水滴。やはり上空には時雨の原因になる寒気があるのだろう。那須塩原ICから一般道へ降り、いよいよ塩原温泉郷へと向かう。途中皇室の旧別荘地を通過。この辺りはまだなだらかな高原だが、山道へ入ると次第に黄葉した木々が増え出す。趣のある岩山と箒川(ほうきがわ)の清溂な流れ。その美しい景色だけでも、ツアーに参加した価値があると言うもの。 塩原温泉ビジターセンター前の駐車場で一旦下車し、Mガイドの指導で入念なストレッチ体操をする。ほとんどが中高年のツアーなので、安全を期するためにも登山前には欠かせない「儀式」なのだ。トイレと荷物の準備を終え、バスは登山口のある新湯に向かう。塩原温泉郷と言うだけあって、ここには11の温泉地が分散しているのだが、新湯はその最奥部みたい。 バスから降りると、早速強烈な硫黄の臭いが私達を迎えてくれた。見上げると目の前の岩山から激しい蒸気が立ち昇っている。どうやら硫黄臭はそこから風に乗って流れて来るようだ。その上部を登山客が横切っている。「へえっ、あんなところに登山道があるの?」と思ったら、そこが「塩原自然研究路」の一部。日本で一番早く認定された自然研究路なのだとか。いよいよ登山の始まりだ。<続く>
2012.11.04
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このところ急に寒くなった。どうやら日本の上空に寒気団が押し寄せて来たようだ。蔵王連峰には初雪が降ったそうだ。少し熱っぽい。コタツも出さずに頑張っていたので、ひょっとしたら風邪を引いたのかも知れない。ようやく布団を冬用のに替え、セーターを出した。昨夜は念のために風邪薬を飲み、早めに眠った。それが良かったのか、熱は下がったみたいだ。 さて、今日はバスツアーで栃木県の富士山(ふじやま)に登山する予定。1100m余の標高でさほど高山ではないが、やはり地上とは寒さが違うはず。こんな時期の登山は初めてなので、少しだけ服装が心配。「あり合わせ」のものを着込んで行く積りだが、今回はどんな山行になるか。下山後は塩原温泉で入浴の予定。きっと温泉の熱い湯が凍えた体を温めてくれるだろう。 さて、心配なのは山の天気だけでなく、愛犬の様子。老衰で立てなくなり、とうとう寝たきり状態になった。平均寿命を過ぎて、人間の年齢に直せば83歳くらい。犬にしてはかなりの高齢なのだ。今週の火曜日以来2度体温が低下し、衰弱した。今は少し元気を取り戻しているが、後どれくらい持ってくれるか。長い間私に付き合ってくれた無二の相棒だけに、最後まで頑張って欲しいと願っている。 そんなわけで、帰宅は夜遅くになります。今日はブログ友の皆さまの所へお邪魔する時間がありません。どうぞお許しくださいね。コメントへの返事も少し遅くなりそうです。では、行って来ま~す。
2012.11.03
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≪ 長谷寺から鎌倉の大仏へ ≫ 長谷寺は入口から超近代的な寺だった。寺の歴史は古く、天平8年(736年)に大和の長谷寺の開祖である徳道を招来して開山したようだ。となれば、当時は真言宗だったのだろう。鎌倉幕府が滅んだ後は康永元年(1342年)に足利尊氏が伽藍と諸仏を修復するなど、時の権力者の庇護を受けた。慶長12年(1607年)には、徳川家康が寺院を修復。浄土宗となったのはそれ以降のことだ。 パンフレットも日本語で書かれたものの他に、外国人向けのものが別に用意されていた。きっと花の寺として訪れる観光客も多く、潤沢な資金を持っているのだろう。良く整備された境内が気持ち良い。本尊は十一面観音菩薩。楠の巨木で作られた像高9mもの観音は、金色に光り輝いていた。散策路は割愛し、見晴らし台から相模湾を見下ろす。 冷やかしで弁天窟に入ると、真っ暗な岩窟の中に弁財天と十六童子が刻まれている。寺伝によれば諸国を修行中の弘法大使がここで参籠したようだが、果たしてそれほどの古さがあるかどうか。宝物館を観る時間がなく山門を出、最後の鎌倉大仏へと向かう。もう夕方が近いと言うのに大変な人混み。行き交う車に注意しながら道を急ぐ。 大仏がある高徳院は浄土宗の寺。そして鎌倉大仏の名で親しまれている阿弥陀如来座像は、本来大仏殿の中に鎮座していたもの。それが露座となったのは、2度に亘り大風によって破壊されたためだ。明応7年(1498年)の明応地震による津波で破壊されたとの説もあるが、文明18年(1486年)には既に露座だったとの記録が残されている。 鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は 美男におわす夏木立かな 歌人与謝野晶子によってそう詠まれた大仏は建長年間に造立された国宝で銅製。大仏の中は空洞で入ることも出来、背中には明り取りの窓がある。この地は鎌倉時代大仏(おさらぎ)と呼ばれ、北条氏の中に「大仏流」(おさらぎりゅう)と呼ばれる一族もいる。またこよなく鎌倉を愛した文士大仏次郎のペンネームもここから来ている。 彼は鶴岡八幡宮の後背地が開発されようとした時、多くの文化人と共に立ち上がり開発の手から鎌倉を守った。昭和39年のことだ。それがきっかけで昭和41年に「古都保存法」が制定される。相変わらずの人波の中を、長谷駅までの道を急ぐ。江ノ電で戻り、鎌倉駅の周辺で買い物。お土産に買ったのは、鎌倉焼き、鳩サブレ、そして蒲鉾。蒲鉾で有名なのは小田原だけでないようだ。 横須賀線は座れてラッキーだった。東京駅では一旦外へ出、ライトアップされた新駅舎を観た。7月の時はまだ工事中だったのが、今は見事に創設当初の姿を取り戻している。駅で買った「グルメ弁当」とガイド料を次男に渡す。朝から一日ありがとうね。次は東京の近代的な場所を案内してもらう予定。 東北新幹線の中でワンカップを傾けながらの夕食。そして食後は「新平家物語」の第15巻を読了。残るは最終巻だけになった。帰宅すると、愛犬が大人しく留守番をしてくれていた。餌も全て食べたようで一安心。早速彼と夜の散歩に出かける。こうして慌ただしい秋の一日がようやく終わった。<完>
2012.11.02
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≪ 極楽寺界隈 ≫ かなりの観光客が「長谷駅」で降り、ゆったりする車内。小さなトンネルを出たところが「極楽寺駅」。駅の直ぐ前に貧弱な寺が見えた。多分あそこのはず。次男はまだ行ったことがないと言う。駅を出てその付近まで行くと、やはりその寺に間違いなかった。寂れた寺だ。頭を下げて小さな門を潜る。受付もないので無料なのだろう。 宝物館のようなものはあったが、ひっそりとした雰囲気。おまけに「境内では撮影も写生も禁止」の張り紙。観光とは程遠い雰囲気に戸惑う。数ある鎌倉の寺の中には、こんな寂れた寺もあるのだ。円覚寺や建長寺を見て来た目には奇異に映るが、きっと寺にも運、不運があるのだろう。この地はかつて「地獄谷」と呼ばれていたらしい。当時は多くの死骸が捨てられ、浮浪者が住んでいたためだ。 そこに極楽寺を建てたのは鎌倉幕府「連署」の要職にあった北条重時。正元元年(1259年)のことらしい。以後、重時の子孫は「極楽寺流」と呼ばれることになる。第6代執権の長時や第13代執権の基時らがそうだ。長時は父の遺志を継いで伽藍を整備した。忍性が住職のころは7つの伽藍と49の塔頭(支寺)を持つほど栄えたようだ。 だが火災と再興を何度も繰り返し、江戸の後期にはすっかり荒廃した由。さらに関東大震災で本堂が倒壊。どこまでも不運な寺だったのだろう。淋しい境内を出て、東に向かう。曲がりくねった坂道を登り、やがて下る。鎌倉七切通しの一つ「極楽寺切通し」だ。右手の丘の上にある成就院もアジサイの名所で、境内から相模湾が見えると次男。 鎌倉の街は京都などに比べればとても狭い。前は海だし、後三方は小高い山に囲まれている。武士だけの幕府を開くにはそれだけの土地があれば十分で、却って防備には好都合だったのだろう。だが、山がちの鎌倉へ入府するためには、どうしても幾つかの谷を切り開く必要があった。それが今になって独特の風情をもたらす「切通し」だった訳だ。 次男が「力餅屋」の角から曲がれと言う。「おかしいな。長谷寺への道はまだ先だが」と思ったら、どうやらそこが近道らしい。坂を登ると正面に大きな木が見える。樹齢350年のタブノキがあるのが御霊神社。祀られているのは関東平氏の一族鎌倉権五郎。源義朝に従って奥州後三年の役に参陣した際、左目を射抜かれ顔を踏ませて矢を抜いた勇猛な武将だったようだ。その頃はまだ源氏も平家も一緒になって戦っていたのだ。 小さな神社の前に、これまた小さくて可愛い踏切。さっき乗った江ノ電がその前を通っているのだ。折しも真っ暗なトンネルを抜けて電車がやって来た。軌道の傍のアジサイが咲く頃が、絶好の撮影シーズンなのだと次男。彼も中古の一眼レフを構えている。なるほどねえ。こんな所が絶好の撮影ポイントになるのか。それにしても鎌倉は何と親しみやすい街だ。裏道をさらに進むと、長谷寺の裏口に出た。<続く>≪ 10月のラン&ウォーク ≫ ウォーク:113km ラン:249km(15回) 月間合計:362km 年間累計:2154km うちラン:912km これまでの累計:80、299km
2012.11.01
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