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一昨日のこと。あまりに天気が良いので庭へ出た。このところ自室に引き籠る日が続き、こんなのは久しぶり。雑草が目立って見えた。そこで急遽草取りを始めた。 冬も雑草はある。この時期に適した雑草が育つのだ。最初に畑の畝周辺の雑草を取った。だが爪に土が入る。そこで比較的新しい軍手に変えた。道具はギザギザの刃の稲刈り用の鎌。これは良く切れる。ついでに白菜の根や、枯れた春菊も抜く。吹き溜まりの枯葉も処理し、裏庭の一角に積み上げる。 南の畑の次は隣の庭。冬は葉が枯れて、ヨモギなどの雑草を見つけやすい。ハコベなどは簡単。イネ科の雑草も今は抜きやすい。作業中に、クリスマスローズの蕾が膨らみ、咲いているのもあることに気づいた。絞りの椿も、白の侘助椿も幾つか咲いていた。春が近くなった証拠だろう。植物は実に正直だ。 花壇、居間の前庭、東の畑と通路、裏の通路と三つ葉畑、裏の畝、コンポスト容器付近、西の通路、和室の前庭、そして玄関付近の芝生の伸びた部分。こうして草を抜きながら、家の周囲を一周した。次に玉ネギ、ブロッコリー、ユズ、梅、柿に追肥し、ブロッコリーに散水した。 ブロッコリーの葉っぱがヒヨドリにほとんど齧られている。これでは栄養が摂れないだろう。貴重なブロッコリーをもっと大きく育てるため、ビニール袋を被せてガードした。ブロッコリー数株と葉が開いた白菜も同様の手当て。 これが我が家の白菜。早生種のため元々株が小さい上、虫に食われたり、寒さで外の葉から凍って腐る。その葉を除去した姿がこれ。鍋物はもちろん、味噌汁の身、炒め物、生で刻んでキャベツ代わりにした。葉がすっかり開いた株からは蕾菜が採れるため、ヒヨドリから守ろうとした訳。 これは冬菜。私が勝手にそう呼んでる。この野菜にこの冬どれだけ助けられたことか。ほとんどは「お浸し」にしたが、貴重なビタミン源になったはず。畝には後1回分しか残っていない。 これは大根。例年冬は地中深く埋めるのだが、今年は土寄せもせずに放置した。霜で葉っぱがやられたが案外元気。ブリ大根、風呂吹き大根、大根おろしなどにした。剥いた皮も葉と一緒に刻んで浅漬けにした。つい最近薄く切って「酢漬け」にしたが、案外美味しかった。後10本ほど残っているので、当分楽しめそうだ。 昨年の11月以降、食事は全て自炊している。これまでに作ったのはカレーライス、炒飯、親子丼、鍋物、焼肉、焼き魚、煮魚、野菜炒め、お浸し、目玉焼き、海藻とコウナゴの佃煮、特製おかゆなど。また買った魚を一夜干しにもする。既製品で買うのは、カボチャコロッケと餃子。摂取カロリーはギリギリで、食品数とビタミンは足らないはず。体重と体脂肪率はほとんど変わっていない。 明日から3月。今後も何とか頑張りたい。さて散歩中に雪の南蔵王が見えた。山はまだ冬の真っ最中だ。家庭菜園の話から逸れたが、近況報告に代えたい。ではまたね。
2017.02.28
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< 樹の精> これって何? これはね、伐れらた木。昔は生きてたんだけどね。 これって何? これはね、樹の幹。穴は枝を切った時に出来たんだね、きっと。 これって何? これも樹の幹さ。この間走りに行った時に撮ったのさ。 これって何? これも同じ日に隣の市で撮った樹さ。全部葉が落ちて裸ん坊さ。 これって何? これも裸の樹。落葉樹はどれも冬は寒そうだね。 これも落葉樹なの? そうだなあ。葉っぱがないから直ぐに分かるだろ? これは並木道って言うんでしょ、お爺さん。 ああそうだ。この間病院へ行く時に撮ったんだ。 葉っぱのない樹もきれいだね。 ふふふ。わしは冬の樹が大好きだよ。 ずいぶん揃ってる樹だね。 ああ。ここはハーフマラソンや駅伝のコースでもある。 これって何の樹? 右がケヤキで、左側に並んでるのがメタセコイアかな。 メタセコイアって? 木の化石と言うくらい古い樹でね。最初に中国で発見されたはずだ。 ずいぶん大きいねえ。 ああ。アメリカには幹をくり抜き、そこを車が通れるほど大きなメタセコイアもあるようだぞ。 これには葉っぱがあるね。 いや良く見てごらん。あれはツタがからまってるだけさ。 お爺さん、この木は葉っぱがあるよ。ふふふ。裸の樹だけじゃ淋しいからなあ。 白いのって雪なの? そうだよ坊や。植木にうっすら雪が積もったのさ。 こっちの道も雪だね。 そう。お爺さんはこの道を走って家まで帰ったんだ。 雪の道は滑らないの? ああ、降ったばかりの雪は大丈夫だよ。それに量も少なかったしな。 珍しい形だね。 これは木のトンネルさ。きっとユーモアのある庭師が剪定したんだろう。 これって何? 柚子だよ坊や。神様が下さった冬のプレゼントさ。 お爺さん。今誰かが僕を呼んだよ。樹の精かなあ? ふふふ。それは「樹の精」じゃなくて、「気のせい」さ。ワッハッハ。<完>
2017.02.27
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<聖なる空間> 世の中には聖なる場所が必ずある。沖縄勤務当時は沖縄本島最大の御嶽である斎場御嶽(せいふぁうたき)、白骨が散らばる風葬墓、琉球王国第二王朝の陵墓である玉御殿(たまうどぅん)、神が立ち寄る小屋、神アシャギなど神秘的な場所を良く訪れたものだ。現在暮している街にそんな場所はないが、それでも探せば聖なる空間は見つかる。今回はそんな風景を選んでみた。 仙台城(青葉城)天守台の伊達政宗騎馬像を護る狛犬、阿形。 狛犬の背後に見えるレリーフを拡大。左は元服時の政宗立像。右は壮年時の政宗座像。 もう一方の狛犬、吽形(うんぎょう)頭部。 薬師堂(陸奥国分寺跡)山門の仁王像(左)と、奉納された草鞋(わらじ)。 奉納された幟(のぼり:左)と鐘楼(しょうろう:右) この日境内で行われるのは、護摩供と火渡り修行。 御祈祷の後、壇において焚かれる護摩木。 点火を待つ壇。 この日参詣者に渡された護符(左)と、行を見守る「伊達武将隊」の青年(右)。 本堂前で整列する修験道(山伏)たちの雄姿。 修験道の後ろ姿。 燃え上がる護摩壇。<この日の詳細については後日紹介予定。> 縁起物として売られていた仙台名物の「松川だるま」。そう、青いんです♪ 結ばれたお御籤。老若男女の願いは叶うのか? 近所のお寺のお墓の石仏。左手に持つのは蓮の花。 蓮を手に微笑み給う御仏の優しき御顔人救わんと ミッションスクール(女子高)の校舎に輝く十字架。<続く>
2017.02.26
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<北の国の逃亡者の巻> 拙者、少々お疲れモードになっているのでR。そこでかなり手間を省いて「無言の写真館」開館と相成った次第。退屈だろうがお付き合いと思ってざっと眺めていただけたら有難い。でもちょっとサービスして、物語風にアレンジしてみようかのう。 シャッターの向こうの・・・ 階段を登って・・・ 地上へと出る ふ~む怪談 いや階段だ。ずいぶん高いのう・・ 続いて今度は医師団 いや石段 うわ~っ、刑務所の塀・・ 捕まったら大変。また牢屋へと逆戻り・・ 崖から飛び降りたら間違いなく死ぬのう・・ じゃあわしはワシに乗って逃げるぞなもし・・ 着いたのは隣の町。 住み心地が良さそうじゃのうこの町は・・ ふ~む。わしもこれまでの罪を悔いてお祈りでもするかのう・・ お祈りしたお陰で気持ちが軽くなり・・ これでわしも天国へ行けるじゃろう。わはは・・ 空は青空心も軽く・・・ ニコニコにっこりねえ母さん・・ でもギザギザハートの子守歌・・ 今日は逃げて逃げて疲れたのう。あらら、犯人の顔が左上に・・ 皆の衆これが限界じゃ、もう眠くて眠くて。じゃあまた明日の。
2017.02.25
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世の中はまさに奇怪千万である。今日は最近気になったニュースを幾つか。 あのヌーボーとした風貌の金正男氏がマレーシアで暗殺された。しかも白昼堂々と、わずか2秒間の犯行だった由。事件の真相は徐々に解明されつつある。直接手を下したのは2人の女だが、北朝鮮の工作員に指示された模様。毒物の種類は分かっていないが、怪しまれないようかなり手の込んだ「細工」をしている。<最新のニュースで猛毒のVXガスが検出された由> 実行犯の女は2人とも捕まった。連絡役の北朝鮮人も逮捕された。彼は北朝鮮とインドの大学で化学を専攻し、毒物を造る能力もあった由。事件を指示した男4人は全員北朝鮮へ帰国した模様。仲間の工作員の2等書記官と高麗航空の職員は、マレーシアの北朝鮮大使館に逃げ込んだとも言われている。 事件が明らかになった時から、北朝鮮大使館の動きが怪しかった。何台かの車で病院に駆けつけ、遺体を引き渡せと要求し続けたし、事態が明らかになるにつれ「これは韓国の陰謀」とか言い出した。北の工作員が金正恩から指示されたのも間違いなさそうだ。一説によると金正男氏が今回マレーシアに向かうことをもらしたのは、彼の第3夫人とか。彼女も工作員だった由。 ミサイル発射に続く、実の兄の暗殺に世界は驚いた。今回の事件で中国の「切り札」を奪ったとの見方も強い。しかし凶暴極まりない国家は、一体どこへ向かおうとしているのか。このままでは世界から孤立するしかない。 中国は北のミサイル発射に関して、今度こそ厳しい制裁措置を取るようだ。国連決議で北への経済制裁が決まっていたのに、これまで中国は密かに北から石炭を輸入していた。北に接する中国の3つの省の経済的な理由からだ。だが北の無軌道ぶりに、相当手を焼いた。そして金正男氏の長男である金漢率(ハンソル)を、北朝鮮の新たな統治者として担ぎ出そうとする見方もある由。 金漢率はフランスのパリ政治学院卒業のエリート。若くして西洋文化に親しみ、民主的な思想の持ち主のようだ。だから中国は彼の暗殺を恐れ、オックスフォードの大学院へは行かせなかった由。その一方で南シナ海の埋め立て地に着々とミサイル基地を建設中で、今後アメリカを中心とする中国包囲網との軋轢が危ぶまれる。 韓国の混乱ぶりは相変わらずだ。ついに経済界の中心人物が逮捕された。サムスン電子の李副会長がその人。韓国第一の財閥の事実上のトップ。逮捕の理由は朴大統領の知人等への贈賄容疑。もちろん大統領の弾劾問題とも関連が深い。 今回金正男氏の暗殺を行ったのは北朝鮮の工作員と分かってからも、親北朝鮮意識の強い野党の人気が高いと言う理由が、日本人にはまるで理解出来ない。あれだけ核兵器の開発と挑発行為を繰り返す危険極まりない国と、なぜ共同歩調を取るのか。韓国は一体どこへ向かおうと言うのだろう。 アメリカでは大統領補佐官だったフリン氏が辞任した。政権発足前にロシアと経済制裁に関して情報を交換したことが憲法に違反する行為とみなされたのだ。その他高圧的な報道官なども評判が悪く、閣僚15人のうち、議会で承認されたのはまだ9人に留まっている。 トランプ大統領がマスコミを非難する常套句が「偽ニュース」だが、彼自身も先日それに近い発言をして問題になった。また在イスラエルのアメリカ大使館をエルサレムに移転することを公言して、イスラム教徒から猛反発を受けている。そこはキリスト教だけでなく、ユダヤ教やイスラム教の聖地でもあるのだ。訪問予定であるイギリス国民から、NO!の声も突き付けられている。 さて、東京都議会は豊洲市場移転問題に関して、「百条委員会」の設置を決める。元知事の石原さんはこれまで参考人としての出席を求められていたが、今度はより責任の重い証人の立場。好い加減な説明や「知らぬ存ぜぬ」は通用しないだろう。本当に出席するのかどうか不明だが、欠席するとしてもその理由が見つかるかどうか。 その都議会の構成が怪しくなって来た。何と東京都自民党も内部分裂し、ほぼ小池与党化して来た感じ。先の千代田区長選で「小池派」の強さを目の当たりにし、7月の都議会議員選挙を見越しての行動だろう。まさに百鬼夜行。議員とはなんと計算高い職業なのだろう。 時の人である小池さんが、今回東京オリンピックの地方開催種目会場の整備の一部を、都で負担する考えを示したのは良かったと思う。だが全額ではないし、今後どんな決着になるのだろう。豊洲市場問題もそうだが、何でも「政争化」して目を引く手法だけでは駄目。困っている市場関係者が一日も早く救われることが肝要と思うのだが。
2017.02.24
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よれよれではありますが、未だに走っています。時々不整脈も起きる72歳。でも手術の執刀医は今の状態であれば、ゆっくりと走った方が心臓のためになると言っています。それで死なない程度に走ってると言う訳。筋力も落ちたためそんなには走れないので、せいぜい10km内外でしょうか。ランニングをしながら写真も撮るのでますます遅くなるのですがね。でそんな中から、今日は水の風景を中心に。 11月3日。9kmコースの途中にある農業用水。まだ若干黄葉が残っています。(以下同様) 2月7日撮影。病院へ向かう途中の広瀬川。(以下同様) 2月8日撮影。病院からの帰り道。雪の広瀬川。(以下同様) 白く見えるのは川辺の雪です。不思議な感じですね。 2月15日撮影。13kmコースの名取川。(以下同様) 2月22日撮影。9kmコース途中の広瀬川。(以下同様) 晩秋から冬にかけての水辺の風景。しかも人の姿の無い写真はいかにも淋しいですね。でもランナーはどんな時期でも、どんなコースでも走りたいものなのですよね。皆さまもどうぞ風邪など引かれませんように。ではね(^^♪
2017.02.23
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2月下旬の仙台は、まだ雪がちらつく寒さなのでR。普通の年なら梅の花も咲かない。ところが今年は暖冬なのか、先日地元の気象台から梅の開花宣言が出た。おまけにTVのニュースでは、早咲きの桜も咲いたと聞いてビックリしたのでR。 場所は知っている。昨年も写真を撮りに行ったけど、あれは3月だった。それが今年は2月のこの時期なので満開の桜は拝めそうもないのでR。それでもブロガーには格好のネタ。行かない手はないのでR。で、散歩を兼ねてえっちらおっちら出かけた。ついでにあの場所へも行ってみようかとね。 途中、紅梅の樹がある駐車場へ寄ってみた。ほほう、やっぱり今年は早いねえ。いつもなら3月に入ってから数輪咲くだけなのだが、今年は30輪ほどは咲いているだろうか。日当たりが良い天辺の方はさずがに花も多いのだが、それを撮るのはデジカメでは無理。そこで下の方の枝に咲いてるのを捜して撮った。以下も同じ場所の紅梅。じっくりとご堪能あれ。 ちょっとピンボケなのも混じっているけど、なかなか可愛いですなあ紅梅ちゃん。この紅梅が我が家の近所では一番最初に咲き始める梅なんですよね。ここから次の目的地まで、また歩くのでR。 これがTVニュースで放送していた大寒桜(オオカンザクラ)。大島桜と寒桜の掛け合わせで出来た種類でR。これが咲いている場所は丘の上の高校。その崖の上に大きな木が1本、遠くからも見える。でも満開には程遠い状態。2月8日に開花したと言うからまだこんなものでしょう。因みに撮影したのは2月17日でした。 崖の上を見上げると先客がいた。当然私もそこまで行くのでR。ところが傾斜がきついので、ズルズルと滑り落ちる。そこを踏ん張って登って行く。ふ~む。去年よりかなり筋力が落ちてるなあ。 先客の中に新聞社の職員のような男がいて、生意気にも私にこう抜かすのでR。「ちゃんと撮影の許可は取ったのか?」とね。「そんなの関係ね~!!」心の中ではそう思った爺だが、塀の上から顔を出した高校の職員にこう言ったのさ。「桜を撮影させてもらって良いですか」とね。 もちろん答えはOKだった。「それ見ろ、馬~鹿!!」。爺は心の中で舌を出した。「一般の市民がこんなことで一々撮影の許可など取るかアホ~!!第一ここはキャンパスの外。地元民に愛されてこその高校じゃないか。この石頭~っ!!」とは、口には出さなかったけどね。 滑り落ちるのを必死に踏ん張りながら、撮った傑作の数々。それは冗談だが、本当はもっと良い場所があったのさ。それが「記者」のいる位置。ところが彼はその場所を譲ろうとはしないんだよなあ。「この~っ、人生の大先輩に対して失礼じゃないか」。思わずそう言いかけたのだが、そこは常識ある爺のこと。じっとこらえていたのさ。 ところがこらえ切れなかった。ズルズル~っ。爺は滑ってしまったのでR。もちろん滑ったのは「口」ではなく足の方。冗談もきついが傾斜はもっときついのでR。 ようやく何とか撮影を終え、崖を滑りながら下まで降りた爺。そこへ1人の老女がやって来た。やっぱりTVのニュースを聞いて桜を見に来たのだろう。そこで親切な爺は教えて上げたのさ。「崖はかなり滑りますよ」とね。それでも老女は塀を伝いながら登って行ったが、果たして桜の枝の下まで辿りつけたかどうか。見届けることもなくスタコラサッサと次の場所へと向かったのでR。 これはM公園の十月桜。毎年晩秋になると咲き出すのだが、昨年はさらに遅かった。きっと残暑がきつかったせいだろう。桜の仲間は一度寒さに遭わないと咲き出さない性質があるのでR。 この公園で2月に十月桜を観たのは初めて。多分もう散っただろうと思いながら立ち寄ってみたのだが、辛うじてまだ残っていた。いつも侘しい姿が一層侘しく見えるこの桜も、良く見れば愛しいものだ。 まだバリバリの現役のランナーだった頃、この公園を走ることはほとんどなかった。大抵は20kmから30km程度のコースへ遠出したものだ。時には練習で80km走ったこともある。それが筋力に衰えが来てから、足に優しいこの公園の土と芝生のコースを走るようになった。 今ではすっかり老人の走りになってしまった。いや走りと言うよりも、人が見たら歩いているとしか見えないだろう。まあ良いさ。人がどう思おうと本人は走ってる積りなんだから。苦笑いしながらそっと公園を去ったマックス爺だったのでR。 あまりにもしょぼい桜が続いたので、最後は華やかな写真を載せようと思う。これはネットから借用した「大寒桜」の満開の図。仙台でこんな風景が見られるのはまだまだ先のこと。さて今日は午後から大仕事。果たしてブログ友の皆様のところにお邪魔出来るかどうか。では皆の衆、ご機嫌よう。
2017.02.22
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<護国神社など> 病院で検査結果を聞いた後、走って帰宅します。2月初旬のことでした。家までの最短距離は、青葉城経由で山道を帰るコースですが、その代わりに傾斜がきついのですよ。でも私は鈍足ランナーなので、さほど苦になりません。 左手が仙台城(青葉城)の石垣で、中央に天守台へ上るための石段が見えます。でもこんな大きな鳥居があるのはなぜ。ちょっと不思議な気がしませんか~? その石段を上って行った突き当りの場所に、こんなものがぶら下がっていました。良く見ると小さな文字で、「青葉城鎮座 宮城県護国神社」と書いてあります。実は天守台の一角に神社があるのです。 鳥居の前方正面に見えるのが本殿です。青葉城の境内にある神社ですが、祀られているのは仙台藩の藩祖である伊達政宗公ではありません。彼が祀られているのは青葉神社なのです。 これが本殿の全景です。結構大きな神社であることが分かりますね。 さらに近づくとこんな感じです。さて、ここに祀られているのは一体どんな神様なのかな? とても小さな文字ですが、護国神社創建の由緒が書かれています。他の神社の「縁起」に相当します。 護国神社に関する説明をウキペディアから拾ってみます。一部筆者が編集しています。 国家のために殉難した人の霊(英霊)を祀るための神社。東京都と神奈川県以外の府県に存在。その府県出身者ないしは縁故のある戦死者、警察官、消防士などの公務殉職者を主祭神とする。明治時代の名称は「招魂社」で、東京招魂社は明治2年(1879年)明治天皇によって靖国神社と命名された。 昭和14年(1939年)旧内務省の省令により「護国神社」と改称。軍国主義が進み、国家神道としての姿が一層露わになって行きます。敗戦後はGHQから軍国主義施設と見做されて廃絶されることを恐れ、「護国」の名を捨てることになります。元の名称に復帰したのは、昭和27年(1952年)にサンフランシスコ講和条約が締結されて以降のことでした。 私がこの神社を覚めた目で見ていたのは、きっと戦後の平和教育を受けて育ったせいでしょうね。だから何となく抵抗があったのは事実です。 境内の一角に、このようなものが張ってありました。ある海軍大尉の遺書です。お国のために死んで行った軍人は、皆英霊として祀られたのです。当時はそのことに何の疑問もなかったことでしょう。 今年で戦後72年目を迎えます。日本は高齢化社会に入りましたが、もう戦争を知らない世代が大部分になりました。 だからこの神社に、そんな歴史があったことなど知らない人がほとんどではないでしょうか。 同じ戦死者でも、靖国神社に祀られていない人もいます。西南の役で死んだ西郷隆盛などがそうです。なぜなら彼は明治政府にとって反逆者だったからです。幕末の戊辰戦争では、東北の各藩の大部分は賊軍となりました。そのため長い間東北地方は、明治新政府に冷や飯を食わされたのです。 ところが仙台藩では戦った相手である薩摩藩の兵士を、ねんごろに葬ったのです。藩主伊達家の菩提寺の一つである瑞鳳寺に、今もその墓が残っています。その一方、秋田の佐竹藩は官軍に就いて積年の恨みを晴らしました。佐竹氏の旧領は常陸国。その土地を水戸徳川家に奪われ、遠い秋田へと追われたのです。 護国。国を守る行為。古代の人々も国を守る防人として、東北から九州へと長い旅をしました。それこそ命がけのことだったでしょう。今私たちには、自ら国を守るなどと言う気概がないのが普通。それだけ我が国が平和で豊かな証拠でしょうね。 天守台の一角にある庭園と、観光用の赤橋です。 天守台から見下ろした仙台の中心地です。 右手の小高い丘に藩祖伊達政宗は眠っています。付近の地名は霊屋(おたまや)として今も残されています。 青葉城の天守台から見た仙台市内の夜景です。ネットから借用しました。 乗り降り自由の観光バス「るーぷる仙台」です。市内の主な観光スポットを巡回しています。ランニングのついでに、少しだけ仙台のPRをさせてもらいました。<完>
2017.02.21
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<天守台の巻> 2月初旬に病院で定期検査を受けた後、家まで走って帰りました。その途中にあるのが仙台城。通称は青葉城で、仙台で「仙台城」などと呼ぶ人はほとんどおりません。昨日は隅櫓、旧大手門、本丸の石垣まで紹介しましたが、今日はその続きで天守台を紹介します。昨日も書いたように仙台城は北と東を広瀬川が流れ、東と南に深い断崖があるため、天守閣は初めから造りませんでした。 仙台城の鳥瞰図です。向かって左手が本丸。右手が二の丸。その中間の下部に三の丸があります。旧二の丸の跡地は、現在東北大学の構内となっており、旧三の丸跡には仙台市博物館があり、伊達家関係の資料が常設展示されています。本丸跡の天守台には、藩祖伊達政宗の騎馬像、観光施設の本丸会館、護国神社などがあり、観光客のための駐車スペースが用意されています。 伊達政宗公の騎馬像です。彼は今でもここから仙台市内を見下ろしています。 政宗は伊達家第十六代輝宗と正室義姫(最上氏)の嫡男として、永禄10年(1567年)山形県の米沢城で生まれました。幼少時に疱瘡にり患し、片目を失ったことから「独眼竜」の異名があります。正室は愛姫(めごひめ)で、坂上田村麻呂の末裔である田村氏の出です。 勇猛果敢な政宗は、父輝宗の死後も近隣の戦国大名と戦い続けて領土を拡張します。 政宗の領土の変遷図です。一時は東北地方の南部の大半を奪いましたが、天下統一を果たした豊臣秀吉の戦後処理によって、現在の宮城県全体と岩手県の南半分が新たな領土となりました。後に一ノ関藩、水沢藩(共に現在の岩手県南部)を分藩します。このほか長男(庶子)の秀宗は伊予宇和島藩10万石の初代藩主となります。これも家康が政宗を重視した証でしょう。 政宗は居城を宮城県北部の岩出山(現大崎市)から現在の地に移します。それに先立ち、仙台の城下を整備し、上水道を造ります。これは「四谷用水」と呼ばれ、現在も工業用水などに使用されています。政宗に従って、お寺や商人、技術者たちも、米沢 → 岩出山 → 仙台と移動して来たのです。 仙台藩の石高は62万石でしたが、政宗は領内の湿地や沼地を干拓して水田に変え、実質は100万石に相当する石高があったそうです。合わせて北上川や阿武隈川の改修を進め、内陸部に水路を造って水運を改良し、余剰米を江戸に送って藩の財政を豊かにさせました。 伊達家の家紋の一つである「三つ引き紋」。仙台市の市章はこれをアレンジしています。 騎馬像の台座に刻まれたレリーフは、臣下である支倉常長をイスパニア(現在のスペイン)やローマに遣わした際のものと思われます。政宗は当時の大国であったイスパニアとの通商によって、密かに巨利と先進文化を得ようとしていたのでしょう。残念ながら諸事情により夢は実現出来ませんでしたが、当時の大名としては気宇壮大な構想を描ける英雄でした。 英雄政宗は寛永13年(1636年)に68歳で没します。死因はガン性腹膜炎と言われています。彼の遺骸は、生前に彼自身が選んだ丘の上に丁重に葬られ、その上に桃山様式の華やかな霊廟が建てられました。霊廟の瑞宝殿は国宝に指定されましたが、残念ながら戦災により焼失し、現在の物は復元されたものです。復元に先立って発掘調査が実施され、身長や死因なども特定出来たそうです。 騎馬像のすぐ横に、「東日本大震災」の慰霊碑があります。本来は明治時代に作られた記念碑で、後ろの高い台座にありました。戦時中も供出しないで済んだのは、皇室との関係からのようです。東日本大震災時に台座から落ちて損傷したのを補修し、現在では近くで見ることが可能になりました。 天守台の一角に唱歌「荒城の月」の作詞家である土井晩翠(明治4年~昭和27年;1871~1952年)の肖像があります。彼は旧制二高、帝国大学卒業の英文学者で、母校の第二高等学校教授を勤めました。文化勲章受章者であり、仙台市の名誉市民になっています。「春高楼の花の宴・・・」。私たちの世代の人間にとっては、とても懐かしい歌ですね。<続く>
2017.02.20
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先日病院に行った際、山道を走って帰りました。その途中に仙台城(青葉城)があります。当日は積雪がありましたが、新雪なので走れるだろうと判断してのことです。今回は詳しい説明は省略し、写真を中心に紹介しますので、ご了承くださいませ。 旧二の丸の城壁(右)下方から隅櫓方面を観ています。 隅櫓です。「岩手宮城内陸地震」と「東日本大震災」で2度被害を受け、2度修復工事を行いました。仙台城で唯一復元されれている建物です。 隅櫓の全容です。この建物と二の丸との間にかつては大手門がありました。 戦災で焼失する以前の大手門です。車も通れたんですねえ。(仙台市民俗資料館所蔵) 在りし日の大手門の偉容(ネットから借用) 隅櫓の背面です。この横を通って本丸へと上ります。 本丸へ上る途中にある中門跡(右手奥も)です。震災で崩壊し、修復しました。 本丸(天守台)北面の石垣です。地震で崩落し、修復工事を行っています。 これらの石垣も数年間をかけて全て修復工事を行っています。面白みのないのはそのためです。 修復工事の概要図です。この工事中に中から築造当時の石垣と、その後に天守台を拡張した際の石垣が出て来ました。土の色が異なる部分と考えて良いでしょう。元々の地山は肌色の部分と思われます。 これが内側に埋まっていた古い石垣の見本です。天守台に展示してあります。 石垣の上部をズームしてみました。 北面の石垣を逆方向から見ています。 石垣の西面を観ています。手前側に登城のための石段があります。 天守台の復元図です。手前(東)及び左側(南)は深い崖のため堅固で、天守閣を設ける代わりに「大広間」を置きました。 これが復元された大広間の内部です。(ネットから借用) 今年は藩祖伊達政宗公の生誕450年に当たります。徳川家康も一目置いた東北の英雄は、遠くスペインやローマにまで使節を送る実力者でした。<続く>
2017.02.19
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冬の樹一本 冬の樹一本淋しいな 木の葉落として淋しいな 北風強く吹く日など 枝が寒いと泣いている 冬の樹一本淋しいな 一人ぽっちは淋しいな それでも時々空見上げ 春が来るのを待っている 冬の樹一本淋しいな 友達いないの淋しいな 子供が来ないの淋しいな 緑の葉っぱが恋しいな 冬の樹一本淋しいな それでも黙って耐えて来た 父さん母さん兄さんも 北の大地で耐えて来た お~いお~いと呼んでみる 春はまだかと呼んでみる その声聞いてお日様が 雲の中から顔出した
2017.02.18
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とんでもない事件が起きた。とんでもないニュースもあった。私の身辺でも今楽しくないことが起きている。本当はそんな事件やニュースを今日のブログに書く予定でいた。だが厭になった。私が書かなくても、テレビや新聞では大きく報道されるだろう。そしてそんなのを見ても、きっと不愉快になるだけだろう。 出来たらブログは少しでも気持ちが明るくなる方が良い。そう考え直して、昨日行った眼科と薬局で撮った写真を載せることにした。全ては「作り物」だが、陰湿なのよりはマシ。説明も不要なので、今日はただ黙って観てもらおうと思う。 いつ行っても明るくて清潔な病院です。受付の女性や検査技師の女性も若い人が多くて、気持ちの良い対応をしてくれます。花はどれも造花ですが、心が籠っているので私は大好きです。 ここからは薬局の待合室です。眼科と比べたらちょっと淋しい感じですが、いつも気持ち良く対応してくれます。 では御機嫌よう。また明日ね。今日も皆様にとって素敵な一日になりますよう~。
2017.02.17
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映画『沈黙 ~サイレンス~』を観た。「おや?」と思われるだろうが、監督はマーティン・スコセッシ。アメリカの人である。従って映画の中で話される言葉は英語。そして時々日本語が混じる。時代は江戸初期。場所は肥前長崎。ここに消息の知れない師を捜しに、2人のポルトガル司祭が密入国して来る。当時は「キリシタン禁止令」が出た後。見つかったら処刑は免れない運命だ。 原作者は遠藤周作で、昭和41年(1966年)出版。遠藤は三浦綾子、曽野綾子らと並ぶクリスチャン作家でカソリックの信者。カソリック文学研究のためフランスにも留学している。その一方で「狐狸庵」を名乗ってユーモアを解する度量があり、マスコミにも顔が売れていた。この作品は篠田正浩が出版の5年後に映画化され、大きな話題になった。 「踏み絵」の銅板 テーマは信仰と棄教。信仰を捨てない村人たちは「隠れキリシタン」となるが、追及の手は極めて厳しい。試されたのが「踏み絵」だ。中には命惜しさに「転ぶ」者も出る。つまり棄教だ。心ならずも踏み絵を踏みつつ、信仰を続ける者もいる。ポルトガル人の司祭の間でも、信仰と懺悔をどう捉えるかで意見が分かれる。 取り締まる側の頂点にいるのが幕府大目付で宗門改(しゅうもんあらため)役の井上筑後守。演じるのはイッセイ尾形。普段彼は長崎の奉行所にいるのだが、時には取り締まりの現場にも赴く。日本語で話すこともあるが、ほとんどがユーモラスな英語での会話。アメリカ映画なので仕方ないが、その軽妙さとは裏腹に彼が執行する処刑は極めて残虐なものだ。 処刑されるキリシタンと悲しむ村人たち。彼らは隠れキリシタンだ。 殉教する信者がいる一方、何度も「転ぶ」者もいる。その代表がキチジロウ。踏み絵を踏んだ後で必死になって司祭に救いを求めるが、役人と村人の双方から次第に信用されなくなる。演じるのは窪塚洋介。何年か前マンションの9階から墜落しながら、奇跡的に死ななかった男だ。彼はその時の記憶がないと言う。信仰と棄教。相反する行為を演じる姿には、鬼気迫るものがあった。 民衆がこれほど苦しんでいるのになぜ神は沈黙したままなのか。弱い人間が神を裏切り、仲間を裏切るのは罪なのか。遠藤が問いたかったのは、きっとそのことだろう。一頃彼はノーベル文学賞の候補者と言われたそうだ。だが小説の驚くべき結末が栄光の受賞を阻んだ。何と行方不明だった師は転んで日本人として生き、妻のいる身となっていたのだ。 遠藤は史実を下敷きにしながらフィクションも加えた。師を追って日本に密入国したポルトガル人司祭の一人も苦しみつつ転び、やがて江戸で日本人として妻を迎える。何十年かの日が過ぎ彼は死ぬ、その棺に収まった彼の懐にあったものとは一体・・・。 自らの弱さゆえに神を裏切るのは、宗教弾圧の時代だけとは限らない。現代人もまた然りだ。そして宗派の対立を深めて来たのも宗教の歴史、いや人間の歴史そのもの。神はなぜ沈黙して真理を示さず、弱い人間に試練を与え続けるのか。遠藤の作品は、恐らく人間にとって永遠のテーマだろう。
2017.02.16
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子供達よ元気かい 父はまあまあ元気でいる 仙台はこの冬何回か雪が降った。 まあ東北生まれの私にはちっとも珍しくはないけどね 仙台はあまり雪は降らない方だけど それでもずっと南の転勤先で生まれたお前たちにとって 仙台の冬はやはり厳しく感じるかも知れないね 思えばお前たちと色んな街に住んだね 仙台から転勤して、千葉、三鷹、東京 そしてお前たちは筑波、鳴門、沖縄 ここまではずっと一緒に暮らしたよね 松山ではお姉ちゃんは一人暮らしを始めた そこから私とお母さんは転勤で大阪へ行き お兄ちゃんは筑波で働き始め 高校生の弟だけが一人松山に残ったんだよね 家族がバラバラになって暮らした時 お母さんはいつも大変だと言っていたよ 実はお父さん自身もずいぶん大変だったのさ 仕事上の苦しみで死のうと思ったこともあったんだ どの職場でもお父さんは頑張った積りだけど あるところでは上司にどやされ あるところでは部下に裏切られた 仙台にこの家を建てて20年 その間にお前たちが一緒に住んだのは お姉ちゃんですらわずか1年 息子2人はせいぜい2か月くらいだったよね 失業中だった暗いあの時期の 息子たちよ 東京暮らしは辛いだろうね 不安定な雇用形態のお前たちは いつ首にならないとも限らない でも歯を食いしばってじっと耐えてくれ そして決して逃げようなどとは思うんじゃない お姉ちゃんはご主人の単身赴任で責任重大だね 孫のMちゃんは今年高校2年 そしてRちゃんは中学2年 きっとそれぞれ受験に向けて頑張っていることだろう きっと誰もが不安と戦っているんだろうな 実はこの父 爺ちゃんもそうだ 最近は歳を取って病気がち 眼も耳も足も心臓も少し弱って来たんだよね どうか風邪など引かないように そして出来るだけ健康に過ごしてほしい 父はそして爺ちゃんは電話もしないけど 心からそう願っているんだよ まだまだ厳しい冬だけど春はまた直ぐに来る 今は厳しい人生でもそのうち明るい日も来るさ だからどこにいても頑張って暮らしてね 父は そして爺ちゃんは 自ら買い物をし 自ら料理を作り 部屋を掃除し 洗濯物を干す でもたまにはゆっくり走ったりもしてるんだ そのうちまたみんなで会えると良いね それまでみんな元気で暮らしてね 今日の仙台の空は少し春めいて明るいよ そっちの空はどうだろうね 仙台の父 そして爺ちゃんより みんなへ
2017.02.15
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冬の夜は暗い 特に雪の日はなおさらのこと でもね 朝の来ない日はないんだよ 冬眠をする狐が二匹 いえいえこれはお稲荷さん 世の中には実に色んな人がいてね こんな風に泣いてる者もいれば ワハハと口を開けて笑うヤツもいる つまり様々だってこと こんな立派なマンションに住んでる人って 果たしてみんな幸せなんだろうか まあそう願っている訳じゃないんだけど 中にはきっとそうじゃない人もいると思うよ 沈黙する整列 きれいに刈られた植木が冬空に突っ立つ 具象は抽象へと化し やがて静寂は固定してゆく 誰にも気づかれないようにそっとそっと ベンチをひっくり返したのは誰です? 無機質な形態の反転 冬は多くの生命を奪い 川は哀しみを押し流す 静かに静かに海へ海へと 俺の夢は壊れた それもあまりにも無残にだ ああ それでは夢は死んだのか? 本当に消えて無くなったのか? 風が鋭い口笛を吹く あれはひょっとして鎮魂歌なのだろうか 樹は天に救いを求める 上へ上へと そして魂が浄められるようにと 暮しの中で撮影した何気ない写真を面白がり、こんなシュールな詩と組み合わせて見ました。まあ暇人の遊びですけど。最後まで付き合ってくれてありがとうね~!!
2017.02.14
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脳科学者の中野信子さん(横浜市大教授・医学博士)はトランプさんのことを「サイコパス」だと言う。つまり精神病質者と言う訳だ。他人のことを全く気にしない言動。女性蔑視や人種差別的な発言。自信過剰で自己中心の性格などからそう判断したのだろう。 そんなトランプさんの懐に安倍総理が飛び込んだ。しかもタイミングは最悪。アメリカの高等裁判所が、例の7か国からの入国禁止大統領令の中止の裁定を下したのだ。それにも関わらずトランプさんは戦う姿勢を見せた。一つ目は訴訟手続きの継続。そして二つ目の選択は新たな大統領令の発令だ。元々あの大統領令は政府内の調整が不十分で、拙速との意見が強かったようだ。 安倍総理の渡米前から、トランプさんは強いジャブを放っていた。在日米軍への経費負担。日米貿易の赤字。日本政府の為替操作の疑念。アメリカ車輸入への疑惑などなどだ。それらの多くは思い違いにせよ、どう対処すべきか、日本政府は悩んだことだろう。だが全ては、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の格言通りになった。結論を急いで、このたびの共同声明を再考して見たい。以下はY新聞のまとめによる。 <日米共同声明ポイント> *一部筆者が編集1)米国は核と通常戦力の双方で日本の防衛に関与する。 これは日米安保条約の重要性を再確認したのだろう。2)尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用範囲と考える。 これは先に来日したマティス防衛長官の発言の再確認でもあり、中国に対する大いなる牽制だ。 3)東シナ海及び南シナ海での力の行使や威嚇による現状変更に反対すること。 これは中国の無法な行為に対する牽制で、アメリカが今後も積極的に関わることの意思表示だ。4)沖縄の普天間基地の辺野古への移設を推進すること。 これは日米政府が十数年かけて合意したことの再確認。さらに2)3)への対応と、沖縄駐留米軍の国外への移転計画と連動していることの再確認でもあろう。 5)両国は今後経済対話を創設し、関連分野の横断的な協議を進めること。 これは日本側から渡米前に提案したが、反応はなかった。今回安倍総理が直接トランプ大統領に進言して、推進が決まった。日本側は麻生副総理、アメリカ側はペンス副大統領らが中心となる。ペンス氏は4月来日予定のようだ。これで、両国の財政、金融、経済、貿易関係に関する包括的な協議が進むだろう。 6)アジア・太平洋地域の貿易ルール作りを日米が主導すること。 これはトランプさんが嫌っていたTPPから1対1の貿易体制を広めることの確認。日本もTPP参加の12か国中8か国とは既にこの関係にあり、今後さらに協議して新たなルールを作るのだろう。7)安倍総理の招待により、トランプ大統領の年内来日を調整すること。 言うまでもなく今回の返礼。当然天皇陛下との謁見もあり、両国の関係はさらに深まるはず。 昨年の大統領選挙中に安倍総理がトランプさんと会見した時から、「朝貢外交」と批判した野党があった。今回もまたそうだった。日米関係の強化は決して軽んじられない重要事項。それは日本の近隣諸国の情勢を見たら明らかだろう。今回の訪米中に、北朝鮮は日本海に中距離ミサイルを発射した。威嚇の意味だろうが、早速日米両国はこれを非難する共同声明を出した。国連決議を無視する暴挙なので、当然のことだ。 今回2人は専用機や大統領の別荘などで親密に話を進め、時には安倍総理の世界観、政治観をトランプ氏に披露した由。新米で経験の乏しいトランプ氏はそれがかなりの参考になったと聞く。安倍総理は日本の報道陣にこう言ったそうだ。「日米の首脳の親し気な姿を見せるのは、中国や北朝鮮に対する牽制だ」と。だからこそ「朝貢外交」と言われたりゴルフへの批判も意に介さなかったのだろう。 世界は今回のこの2人をどう見たのか。恐らくあれほど不可解だったトランプ氏の、異なる一面を見て驚いたのではないか。そして安倍総理と日本の選択の意義を再認識したのではないだろうか。だが、評価はこれから。豪華客船「トランプ丸」の航海はようやく始まったばかりなのだ。
2017.02.13
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はい、頑張ってますよ私も。昨日は朝から自室の掃除、洗濯、資源ごみの取りまとめ、掃除機の掃除、風呂掃除、朝食の準備、洗濯物と布団を干す作業。それらが済むと外出でした。冬はなかなか取材が出来ず、ブログネタが乏しくなりますからね。先日病院に行った時も院内を撮ったり、帰宅ランをしながら撮影しましたもんね。さて今日は朝から資源ごみを出しに行きますよ。 安倍総理、トランプさんと上手く行ってるようで何より。まあ世の中ですから色んなことを言う人がいますが、私は本当に嬉しいんです。きっとトランプさんは今孤立無援状態。そんな中であんな気難しい人から信頼を勝ち取るなんて、これは政治家としての力量が大きい証拠ですものね。さて、まだまだ厳しい冬のさ中にある仙台ですが、たまには花の写真でも載せて、明るい気分に浸りましょうか、 仙台ではこの冬、何度か雪が降りました。そしてこの先もまだ何度か降るのでしょうね。三寒四温を繰り返しながら、北国では少しずつ春に近づいて行くのです。 妻が床の間にこんな花を飾りました。白い色のランみたいですが、名前は知りません。 こちらは玄関に。白くても彩を感じますね。うん、優雅優雅。 冬は花の乏しい我が家の庭ですが、今はこんな小さなフユシラズが咲いています。 散歩中にこんなのを見つけました。アシビの蕾でしょうか。春の準備が始まってますねえ。 梅の蕾もまだこんな状態ですよ。でもちょっぴり白い花弁が覗いています。 こちらも同じ樹です。我が家の梅が咲くのは4月に入ってから。まだまだ先ですね。 先日病院へ行った帰りに撮ったシクラメンです。外に出たままで、葉っぱには雪が。まさか外ででも凍らずに生きてるとは、ビックリポンです。健気ですね。 2月5日。我が家の裏庭で見つけたフキノトウ。いや~っ、お疲れ様~!! それならと近所の農家の畑を捜して見ました。やっぱりこっちは立派で大きいねえ。 いつも買い物に行くスーパーで見たシャコバサボテン。(以下同じ場所です) 窓際のはきれいに咲いていましたよ。光に透き通る花弁が素敵。 シャコバサボテンって、さほど高価な花ではありませんが、嫌みの無い花ですね。 どちら様も風邪など引かないようにご注意を~!!<不定期に続く>
2017.02.12
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英国下院議会はこのほどメイ首相にEUから離脱する権限を与えたそうです。元はと言えば、昨年の国民投票でEUからの離脱を国民が選択したための措置ですが、あの時も「まさか離脱派が多数になる」とは思わなかった人が多かった感じでしたね。これはトランプ大統領の誕生も一緒。「まさか」の人があれよあれよと言う間に選ばれてしまったのですから。 そのトランプさんがTPP離脱を表明し、孤立したイギリスとの2国間貿易推進を提案しました。でもその後の入国制限令に反対して、旗色が急変した感じです。トランプ大統領の渡英に反対し、エリザベス女王との謁見にも反対する意見が多勢を占めているみたい。メイ首相の今後が少々気になるところです。 小池都知事、勢いがありますね。先日の千代田区長選挙では、応援していた候補が圧勝。自民党推薦候補者の3倍以上の得票だったそうです。石原元知事、浜渦元副知事を都議会へ参考人として招致することも決定しました。両氏は「知ってることは何でも言う」と表明。ますます汚染の度合いが激しそうな豊洲市場への移転を決めた2人が、一体どんなことを証言するのか気になるところです。 7月の都議会議員選挙に向けて、小池さんは大量の候補者を立てる予定と聞いています。都政刷新のためでしょう。東京オリンピックの会場問題では、宮城県の長沼や横浜アリーナをあっさり「袖」にしました。よくよく調整もせず、「仁義」もちゃんと切らなかった印象があります。でも先日彼女が宮城県の震災復興に尽力していることを知り、少し安堵しています。自分の勢力拡大だけが願望ではないのかもね。 トランプさん、苦労してるみたいですね。例の入国禁止令も含めて、多くの国民やマスコミを敵に回した感じがします。つい最近連邦高裁は、大統領令の差し止めを命じる判決を下しました。これで制限のあった7か国からの入国も一時確保されます。ただ政府は、さらに最高裁へ上訴することになるでしょう。 先日メキシコとの国境に住む牧場主の話を聞きました。連日大勢の不法入国者が、有刺鉄線を潜って自分の敷地に侵入して来るのだそうです。中には銃を手にした麻薬密売人のグループもいて、ライフル銃が手放せないと話していました。もちろん国境の壁建設は、早急に必要な措置だとも。 中国が春節を迎える際、アメリカの大統領は祝電を打つのがこれまでの恒例だったそうです。でもトランプさんはそうせず、大統領就任祝いの返書を3週間遅れで出しただけでした。それどころか中国の舗装関連製品に300%以上、次いで肥料の硫安には500%近い関税をかけることを決定しました。 ダンピングの疑いや、中国政府からの多額の補助金を不正としたのです。経営者トランプさんの面目躍如と言った所でしょうか。 しかしツイッターによる攻撃は相変わらずです。今度は娘のイヴァンカさんが立ち上げたブランド品が、あるデパートで排除されたことに対する怒りです。大統領令に怒った市民たちが不買運動を呼びかけ、デパートも販売出来なくなったのが実態のようです。一人の父親ならいざ知らず、一国の大統領が自分の娘の商売のことに、一々口をはさむなんて論外。それにツイッター攻撃は幼稚そのものですものねえ。 さて、安倍総理は昨日夫人と共にアメリカへ行きました。トランプさんと会談をするためです。麻生副総理なども同行して、トランプさんの閣僚と会談を重ねる予定みたいです。さて、今回の「じゃじゃ馬慣らし」、一体どんな風になるのでしょうね。謂れのない攻撃を上手く交わし、トランプさんの本音や今後の対応策などが引き出せると良いのですが。 何せ日米両国は自由主義経済の盟友です。日本列島の安全、引いては東アジアの平和を確保する日米安保にも、正確な認識を持ってもらえるようにしたいですね。今回安倍総理は大統領専用機に乗って、フロリダ半島にあるトランプさんの別荘にも行き、一緒にゴルフをする予定とか。きっと世界の眼が、この2人に注目しているのではないでしょうか。私も一人の野次馬として、非常に興味を持っています。
2017.02.11
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一昨日の朝、私はこの駅で降りた。この日はバスと地下鉄を乗り継いで病院へ行く。前日装着した24時間心電図計(ホルター心電図計)を外してもらうためだった。 駅の裏側の広場は真っ白。誰一人歩いた形跡はない。普通ここへは出ずに道路に向かうのだが、私は写真を撮るためこちらの出口に出て見たのだ。道路は雪が踏み固められてツルツル状態だった。そこは大学生や高校生などがたくさん通る場所。寒さで凍った道に雪が降り、人が歩いてさらに凍り付いている。これは困った。私は病院からの帰途、走る予定でいたのだ。こんな状態で本当に走れるだろうか。 橋の上から仙台の中心街方向を眺める。下を流れるのは広瀬川だ。 ここはマンションの敷地内。前日ライオンなどの彫刻を撮った場所だ。 病院では決められた検査室の窓口に直行。「記録表」を提出するとやがて名前を呼ばれ、室内に入って心電図計を外す。検査技師の質問に答えるが、今回は何の異変も感じなかった。次回は来週の月曜日。その日に検査結果が分かるのだ。 待合室のベンチで、セーターやズボンを脱ぐ。その下は予めランニング出来る服装になっている。服と眼鏡はリュックサックに入れ、手袋をし、ランニング用の帽子を被る。 玄関の外で軽くストレッチ運動をする。前夜もまあまあ眠れたし、体調もさほど悪くはない。実は以前の検査時には、心電図計を装着したまま走って帰っていたのだ。もちろんドクターの了解を受けてのこと。彼は普段通りで良いと言うので、走った時に心電図に異常が出るか試したのだ。それは危険なようだが、そうでもない。もし異常を感じたらランニングを止めれば良いだけの話。 実際に走り出すと、道路はさほど滑らなかった。あれから1時間もしないうちに少し気温が上がり、雪の状態が変化したようだ。これで少しは安心だが、問題は山道。果たして登り坂が滑るかどうか。 前方に仙台城の隅櫓(別名艮櫓:うしとらやぐら)が見えて来る。右手の石垣は二の丸跡のもの。その先にかつては大手門があったのだが、戦災で焼失したのが残念。この隅櫓も東日本大震災で倒壊し、修復工事を行っている。仙台城(青葉城)で現存する唯一の櫓だ。 隅櫓からいよいよ登り坂が続く。これは三の丸跡(現在は仙台市博物館が建っている)へと降りる分岐点にある旧沢門跡付近の灯篭。仙台城は平山城と言っても、結構急峻な高台にあるのだ。 これは仙台城(青葉城)本丸の石垣。でも築造当時のものではない。戦前からこの周辺は亜炭(あたん;石炭のなり損ないで燃料にはなる)の採掘地が地下にあり、2回の大きな地震で崩れてしまったのだ。それで石垣の石一つ一つに番号を付けて移動し、かなりの期間をかけて修復工事を行った。石垣に全く面白みも風情もないのはそのため。実は古い石垣は、この内側に二重に埋まっている。 これは天守台からの風景。眼下には仙台市内が見える。ここは標高60mほどはあるだろう。堅固な地形のため天守閣は不要で、その代わりに大広間があった。この天守台で私は、藩祖伊達政宗の騎馬像、護国神社、土井晩翠像などを撮影した。もちろんブログネタ収集のため。 これは青葉城の南側にある橋の上。私が高校生当時は本当の吊り橋で、渡るとゆらゆら揺れたものだ。そしてここはまた自殺の名所でもあった。昔の橋は欄干が70cmほどの高さしかなかったのだ。今ではバスも通る立派な道になった。さらにこの右手の遥か奥を、地下鉄東西線が通っている。 これは欄干の隙間から見た谷底。「竜の口渓谷」と呼ばれている。深さは50mほど。黒い筋が川。昔は歩けたが、崖が崩落しやすいので、今は谷の入り口が閉鎖されている。これだけの深さがあるため、城の南側に濠は必要なかった。それに城の東側と北側には広瀬川が流れており、西側の深い森は城を護るため出入り禁止。切り捨て御免の山小屋が3軒あり、厳しい警護だった由。 これがこの先の道。私が心配していたのはこの坂だった。ここは日陰で気温が低く、冬の間は雪が融け難くて滑りやすい。でもこの日は新雪だったので足元も大丈夫。それにゆっくりなので、心臓の鼓動も安定していた。ふうふう、はあはあ。頑張れ、自分!! こうして私は無事に帰宅出来た。心配ご無用。判断は間違ってなかったようだ。途中でコンビニに立ち寄り、頑張った自分へのご褒美に「どら焼き」も買った。疲れるとどうしても甘いものが欲しくなりますからね。
2017.02.10
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節分が過ぎ、立春が過ぎても、それは暦の上だけの話。仙台は昨日も雪の朝だったし、今夜もまた雪が降ると言う予報。それでも仙台なんかはまだ雪が少ない方。私の10番目の職場があった石川県の山沿いでは一晩に60cmも雪が降り、翌朝はスコップで雪を掘りながら職場へ行ったものだ。 さて今月は病院へ行く機会が多い。不整脈の手術をした病院へは定期検査で3回行く。最初は24時間心電図計を着けに。そして翌日はその装置を外しに。そして来週はその結果を聞きに。近くの循環器内科へは薬を取りに行く。これは2か月に1度。眼科へは緑内障の目薬を取りに行くのと、視野検査の実施。そして歯科医へは定期的な歯石除去のため。 さてこのところ重苦しい話題が続いたので、今日は病院に行く途中で観た彫刻や、病院内の美術品を紹介することにしたい。一緒に楽しんでいただけたら嬉しい。 病院の近くにこんな彫刻があります。どう見てもライオンですね。 正面に廻るとこんな顔が見えます。そう。ここはこのライオンが守っているマンションの敷地内なのです。 これはイノシシの親子。念のためですが、決してライオンの餌ではありませんよ~。 こちらはお母さんのイノシシ。ブタじゃない証拠に、ちゃんと小さな牙があるでしょ? こちらのウサギさん。空中に大きくジャンプしてますねえ。もしかして逃げてるの? ギャオ~!!何なの、この鳥。不気味な顔したこんな鳥って本当にいるの~? ふふふ。彫刻の全体像はこんな形。これも立派な芸術作品なんですけどねえ。 さてここからは病院の中。検査を受ける前に、色んなものを撮影して見ました。これは七宝焼きです。色がとてもきれいですが、窯変のような感じですね。以下も同じ作家の七宝焼きが続きます。 これは割と小さな作品が3つの組み合わせです。サンゴの枝のように飛び出しています。 たくさんの顔と共に手や足も見えますね。 とても鮮やかなこの花も、七宝焼きみたいですよ。信じられませんねえ。 語り合う4人の女性たち。七宝焼きでこんな表現も出来るんですねえ。 ここからは病院内に飾られていた絵です。これは外国の古城みたいですね。 これも外国の風景みたいですね。注意していたのですが、光線が入ってしまいました。 この絵も上と同じ作者みたいですね。光が大きく入ってゴメ~ン!! これはひょっとしてヴェニスの風景でしょうか。明るい海ですねえ。 平山郁夫の日本画。北京の紫禁城を描いた左側のようです。 そしてこちらは右側。もしこれが本物だとしたら、「お宝鑑定団」物ですね。 最後は東山魁夷の名作です。たとえ本物でなくても素敵ですね。 この翌日は24時間心電図計を外しに行きましたが、終了後は雪道を走って帰りました。こんな風に、私は病院に行ってもブログネタを探しています。転んでもタダでは起きないのがマックス爺なのです。
2017.02.09
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先日一人のアメリカ人が韓国へ行った。新しく国防長官に就任したマティスさんだ。本当は最初に日本へ来たかったようだが、国会開催中のため日程の調整がつかなかったそうだ。 韓国は今、大統領が弾劾裁判の最中で大混乱。次期大統領候補のナンバーワンと言われた前国連事務総長のパンギムンさんも、候補から下りてしまった。目下最有力なのは野党第1党「共に民主党」の文党首みたい。彼はもし自分が大統領になったら、アメリカに行くより前にピョンヤンを訪問すると公言している。もちろんTHAAD(高高度防衛ミサイル)は拒否し、日韓合意も見直すらしい。 アメリカの恐れは、そんなところにもあったみたい。韓防衛相と会談したマティス氏はTHAAD配置について再確認し、もし北朝鮮が核を使用した場合は圧倒的な対応を取ることを表明した。韓国の赤化を懸念すると同時に、北朝鮮の暴発を抑止する狙いがあったのだろう。 彼は海兵隊の大将だった筋金入りの軍人。軍歴が全くないトランプさんと違って、これまで戦って一度も負けたことがない。恐れを知らないことから「狂犬」と言われているが、読書家で歴史に明るく7千冊の蔵書を有する知識人でもある。そのことから「戦う修道士」との異名もある。未だに独身を貫くのは、軍人はいつ死ぬか分からないからとの信念からとか。 来日して稲田防衛大臣や安倍総理と会談したマティス長官は、以下の確認をした。1)尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲にあること。2)日本政府による米軍基地経費負担率は、世界の見本となる内容であること。3)普天間基地の移転先は、辺野古以外にないこと。4)東アジアはアメリカの核の傘の下で守られること。トランプさんが選挙中に言っていたことは、どうやら杞憂に終わったようだ。 さてマティス長官が外遊中にアメリカに渡っていた翁長沖縄県知事だが、結局は今回もスゴスゴと帰国する羽目となった。国防省の日本部長には面会出来たものの、辺野古移転拒否が受け入れられることはなく、共和党の有力議員にも面会出来なかったようだ。本来外交や防衛は国家の重要な任務。それを県知事が動かそうと言うのが土台無理な話なのだ。そんなことより尖閣への中国公船の侵入に抗議すべきではないのか。 政府は動いた。第一は米軍横須賀基地から、岩国基地への一部移転。この再編によって、沖縄の基地負担を減らす考えだ。第二は辺野古基地沖での拡張工事の再開。辺野古基地への移転が完了したら、老朽化した普天間基地の危険性が減少し、沖縄に駐留する米軍兵士の3分の1が海外に移ることが可能になる。第三はシリアの難民留学生300人を受け入れること。これには妻子も含まれる。ささやかな数だが、これも立派な国際貢献だ。 トランプ新政権に対する中国の出方は、これまで極めて静かだ。トランプ氏に対する国民の関心や非難を、あまり刺激しないよう注意しているとしか思えない。トランプ氏の中国に対する発言は強硬。為替操作の疑い然り。対中国の巨額な貿易赤字然り。南シナ海の軍事基地化問題然り。だが、強硬な発言の多い彼の閣僚には、中国情報に精通した人物はいないと言うのが目下の評価。 さて、中国が尖閣諸島を自国領と主張している根拠は、1895年4月17日に締結された下関条約。これは日清戦争の賠償が協議されたもの。中国は尖閣が当時の台湾領で、会議以降日本の支配下に置かれたと言う。ところがつい最近新たな資料が見つかった。上の写真は1887年にイギリスのスタンフォード地図店が発行した地図。黄色い円の中が尖閣諸島だが、国境線はその左側に引かれている。 1868年にドイツのアドルフ・シュティーラーが製作した地図も国境線は尖閣諸島の左側にあり、尖閣は琉球領となっている。当時の列強国はどの島がどの国の領土か神経を使っていた。当時の台湾は蛮族の島。琉球王国は慶長14年(1609年)の侵攻によって島津藩の支配下に入ったのが歴史の真実。形は中国の柵封下にあったが、実質は日本の支配下。つまり両属だったのだが、中国はそれを知らなかったのだ。 中国の「琉球王国はかつて朝貢していたので中国領」と言う主張は幼稚。それなら現在のベトナム、フィリピン、インドネシア、シンガポール、マレイシアなども全部中国領と言うことになるが、実際はそうなってはいない。「一つの中国」であるはずの台湾ですら、未だに自立を保っている。 アメリカのティラーソン新国務長官も、このたび尖閣諸島が日米安保条約の適用範囲であることを明言した。翁長知事はこの歴史の事実を認識し、早く領土保全の重要性に気づいてほしい。安倍総理は今月10日にトランプ大統領と会談する。一緒にゴルフも楽しむようだが、総理には正々堂々と日本の立場を主張してほしいと願っている。
2017.02.08
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不器用なのでさほど運動する方ではないが、結構スポーツ観戦は好きな方だ。しばらく他のテーマが続いたため出遅れた感はあるが、私が気になったスポーツ関係のニュースを幾つか伝えたい。 横綱に昇進した稀勢の里だが、初めての土俵入りを明治神宮で奉納した。堂々たる雲竜型の土俵入りは、やはり観る人の胸を熱くするものがあった。一昨日、国技館での大相撲トーナメントでも優勝。今後の活躍を祈念したい。 一方、悲しいニュースもあった。時津風部屋の元小結、時天空(写真右)の訃報だ。彼はモンゴルの農業大学から東京農大に転学し大相撲に入門。大学も卒業した努力家だ。だが悪性リンパ腫に冒されて引退し、部屋付きの間垣親方になった。もちろん日本に帰化してのことだ。残念ながら病魔に勝てず、先月末に亡くなった由。享年37歳。相撲と日本をこよなく愛した力士の死を悼む。 北京オリンピック男子100m×4リレーで優勝したジャマイカチームだが、メンバーの1人カーター選手から禁止薬物が出た。そして同チームの金メダルははく奪され、日本チームが銀メダルに昇格する由。あのジャマイカまでもドーピング疑惑とは驚いた。ボルト選手は悲しみながら金メダルを返却したそうだが、カーター選手はスポーツ裁判所に提訴する由。 2月1日からプロ野球のキャンプが始まった。昨年優勝の日本ハムは目下アメリカでキャンプ中だが、悲しいニュースが飛び込んで来た。何と投打の中心である大谷選手が足首の怪我で調整中。この3月に日本で開催されるWBCには出場出来ない由。う~む、残念。ついでに我が東北楽天のオコエ瑠偉選手だが、右手薬指の靱帯損傷で手術のため、2か月間の治療を要する由。もっと前に手当しておかないとねえ! 早稲田大学2年生の渡辺一平選手が「東京都競泳選手権」男子200m平泳ぎで、2分6秒67の世界新記録を出して優勝した。同選手はリオの同種目では6位に終わったが、その後も記録を伸ばして今回の快挙につながった。身長は190cm。長い手足をフル回転させる泳法で、東京オリンピックの期待の星だ。 国内のボルダリング大会で、14歳の伊藤ふたば選手が優勝した。彼女は4歳の頃からこの種目に取り組んでいるとか聞いた。最近はこの装置を備えている幼稚園が増えている由。年少者は体重が軽いため、指先にかかる負荷が少なくて済むのだ。 東京オリンピックでは、このスポーツクライミングが正式種目となっている。スピードを競う種目、制覇したコースの数を競う種目、到達した高さを競う種目の合計で優勝を争うようだが、彼女も有望な候補選手になりそうだ。 女子スキージャンプ種目の高梨沙羅選手が、ワールドカップ50勝目を挙げた。49勝目から5試合ほど足踏みした後の快挙。その後はオーストラリアに転戦し、先日52勝目を挙げた。これで男女の最高勝利数に並び、後1勝で世界新記録なのだとか。まだ20歳と若手のホープ。22歳の伊藤有希選手もW杯で2勝しており、来年のピョンチャン(平昌)冬季オリンピックが楽しみになった。 頑張っているのは何も若手だけとは限らない。サッカー界のレジェンド、J2横浜FC所属の三浦知良選手は、今月の26日で満50歳。だから今季は50歳の現役選手になるのだ。もちろんフル出場するための厳しい練習を今でも欠かさない。全身全霊でプレーする姿は、きっと若手の手本になるはずだ。 また一つ嬉しいニュースが飛び込んで来た。アメリカアリゾナ州の「フェニックスオープン」で戦っていた松山英樹選手が、最終日にプレーオフでの優勝を決めた。4ホール目でのことだった。危ない場面もあったが、最後まで落ち着いたプレーはさすが。これで昨年に引き続いての連続優勝。そして全米ツアー通算4勝目(日本選手で最多)をもぎ取ったのは立派。大きな「あっぱれ!!」を上げたい。(^^♪ 最後はバレーの話。フランスの「ローザンヌ国際バレーコンクール」は若手の登竜門だが、日本の男子選手が2人入賞した。17歳の中尾太亮(写真右)さんはドイツの大学に留学中。昨年は怪我で途中棄権した由。今回はその無念を見事に晴らした。そして15歳の山元耕陽(写真左)さんは4位入賞。2人の快挙に、日本の後輩たちも大いに喜んだことだろう。
2017.02.07
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今時、こんな人も珍しいのではないか。アメリカの新大統領のトランプさんのことだ。選挙中の行動と、大統領になった後の行動が、ほとんど変わっていない。相変わらずツイッターで自分の考えを発信し、相手が異論を唱えると、さらに攻撃の度合いが激しくなる。 就任後に発令した大統領令は、果たしてどれだけに上ったのだろう。本人は早速公約を果たしたとして得意満面だが、国民やマスコミの受けは必ずしも良くない。 その典型的な例が、イスラム圏の7か国に対する入国禁止令。これには該当国だけでなく、欧米の主要国も反対した。テロリスト対策にならないばかりか、人権侵害だと声高に唱える。もちろん国内での反対も大きい。アメリカは「自由の女神」が象徴する自由主義の国。そして長い歴史の中で、世界各国から多くの移民を受け入れて来た。当の本人、トランプ氏の祖父もドイツからの移民なのだ。 司法省のイエーツ長官代行は大統領令に反対し、これを実施しないよう各州に伝えた。そのため大統領によって罷免された。彼女はオバマ時代からの閣僚だが、後任が議会で承認されるまでの「つなぎ」だったのだ。 ワシントン州の司法長官は憲法に反するとして提訴し、過日連邦地方裁判所は違法として判決を下した。ニッキー・ウイリー国連大使は、自分を任命したトランプさんに反旗を翻し、これは国連の精神に反すると主張した。またカリフォルニア大学の講演会会場では、トランプ支持派と反対派が激しく対立し、警察が出動して騒動を治めた。 それでもトランプさんは意気軒高だ。ツイッターも止める気配はない。ロイター社の調査では、アメリカ国民の49%が彼を支持し、支持しないとする意見は41%に留まっている。あれだけ世界を騒がせている人物が、国内では支持者の方が多いとは信じがたい。彼の熱心な支持者が個人的にラジオ局を開設して、応援してる由。 政府は連邦地方裁判所の判決を不服とし、早速上訴する意向のようだ。トランプ氏はまたしてもツイッターで言う。「そんなに反対なら、大学への補助金を停止しようか」とも。だが、連邦控訴裁判所は、政府の訴えを退ける決定を下した。今後は最高裁判所の手に委ねられることになりそうだ。 直ぐに頭に血が上る単純な大統領。政治的な経験が全くない大統領。思ったことを直ぐに口にし、真実を十分に知ろうとしない大統領。まさか本当に当選するとは思ってもみなかった大統領。それでも世界で一番の大国の大統領であることには違いない。それも民主的な手続きで選ばれた正式な大統領なのだ。そして現に、多くの国民から支持されているのも事実。 そんな大統領と、そしてその政治経済の方針と、これからどう付き合い、どう向き合って行けばいのかと言うのが、世界の国々の率直な気持ちだろう。まさか、そのトランプさんがテロリストや暴漢の手によって暗殺されるなんてことはないよね。だって、彼の周辺には優秀な閣僚が揃っているんだもの。きっと少しずつ真っ当な政策が実施されるんじゃないのかな。出来たら私はそんな風に信じてみたいのだが。
2017.02.06
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先日のTVでお笑い芸人の小島よしおが、沖縄の久米島を案内していた。パンツ1丁で「そんなの関係ね~!!」とか「オッパッピー!」とかふざけたことを言ってる、あの男である。もちろん服は着ていた。でもなぜ久米島へと言うと、そこが彼の故郷だからだ。彼が私立大学の名門、早稲田大学卒業であることは知っていたが、久米島出身とは知らなかった。 ブーゲンビレア 実は私の引退レースが「久米島マラソン」だった。体力、走力が落ちてもう長距離レースは無理と判断したのが70歳の時。そこで制限時間が7時間のこのマラソンを引退レースに選んだ。ひょっとして完走出来るかも知れないと考えたことと、沖縄勤務当時にエントリーしながら台風で参加しなかったリベンジの意味もあった。最初に思い立ってから23年後のこと。それも最初で最後の参加になった。 ハイビスカス レースは散々な結果に終わった。何とかゴールしたものの、制限を30分過ぎていた。大会要項に不備があり、関門の場所と時間を間違えていたのだ。そのせいで走っている途中に片づけられ、迷子になった。帰宅後便箋8枚に改善すべき事項を記し、大会本部に郵送した。翌年届いた大会要項は、私が指摘した通りに修正されていたが、時既に遅かったのだ。だが、それもまた良い思い出だ。 佐渡島 私が参加したレースで最も短い距離は8kmだった。これは四国の高速道路の開通前に記念として行ったもの。そして最も長い距離のレースは、「佐渡島一周」の206km。ほぼ海岸線に沿って自己責任で走る。給水所は4か所。それに仮眠所がある。飲み物、食べ物を入れたリュックを背負って48時間以内に走る心細いウルトラレースだ。62歳、63歳、65歳で3回出場し、いずれも完走した。 脳が興奮して眠れないままに走ると、やがて幻覚が現れる。木の枝が招いたり、木目が猿の顔になったり、工事中のポールがジャンプしたりする。また誰もいないのに話し声が聞こえたり、波の音が人間の声に聞こえたりした。幽霊を見たと言うランナーもいた。深夜の12時過ぎ、周囲は真っ暗で集落もない場所だった。疲労し過ぎて3回同じ道を行ったり戻ったりしたこともある。あれが体力の限界だった。 最高到達地点は3003mだった。「立山登山マラニック」は65kmだが、高低差が3003mある。富山市の浜黒崎が海抜0m。そこをスタートして上の写真の雄山の頂上がゴール。制限は11時間だが、後で10時間に短縮された。途中には八郎坂と言う厳しい山道がある。雨の時は、ここで20回ほどよろめき、3回ほど倒れたこともあった。崖から落ちたら死ぬか大怪我は必定。参加資格も厳しかった。 写真の池は火口湖の「みくりが池」。この周辺で私は天然記念物のライチョウを見たことがある。厳しいレースだけにゴール後の達成感は凄いものがある。また泊まった雷鳥荘からの壮大な眺めは忘れられない。 知床半島 私が走った場所で最北の地点は知床半島だ。妻と観光で行き、宇登呂から北へ向かって走った。だが前方に動物が固まっているのを見つけ、用心のために引き返した。走っている時は眼鏡を外すのが汗かきの私の流儀。見えたのは恐らくエゾシカの群れだったはず。阿寒湖周辺で走っている時は、エゾシカの大群が走る姿が見えた。また大沼公園付近で走った時は、キタキツネに出会った。 訪れた最東部は根室半島の納沙布岬だが、そこは走っていないので私が走った最東部はこの知床半島になる。ただ、国後島も歯舞諸島も、霞んで見えなかったのが残念だ。 私が走った最西端は沖縄の西表島。ここも観光で妻と訪れた。走った距離は12km程度だが、良い思い出になった。東隣の小浜島でも走った。ここは朝ドラ「ちゅらさん」の舞台になった島だ。訪れた最南端は波照間島だが、走ってないためこの西表島が私が走った最南端にもなる。なお沖縄では石垣島、宮古島、久米島、沖縄本島及び周辺の島を走っている。 私が走ったのはレースとは限らない。観光で訪れたり、仕事で出張した際もランニングシューズを持参して、出来るだけ走った。だから全47都道府県走破は、その延長線上にあると言って良い。50歳を過ぎてからはウルトラマラソンが中心となったため、フルマラソン以上のレースがほとんどだ。そしてフル以上のレースの完走は、101レースに及んだ。私のささやかな勲章だ。 20年前、仕事でオーストラリアに行った時も、ランニングシューズを持参した。首都キャンベラでは、早朝にグリフィン湖の周辺を走った。湖水に浮かぶ水鳥、樹に止まる大型のオウム、木の枝に実るサクランボ、原っぱに開いた野兎の巣、大きな杉の松ぽっくりなどが忘れられない。 メルボルンでは早朝王立植物園の周囲を走った。ヤラ川のボート、州提督邸を警備するポリスマン、路面電車、石畳道と大聖堂などが印象に残っている。そしてシドニーでは帰り道に迷子になって困った。曲がり角を一つ間違えたようだ。公園を馬に乗ってパトロールするお巡りさん、クリケットの専用球場、ヨットハーバーでのクリスマス風景などが今でも脳裏に蘇る。 こんな風にたくさんのランニングにまつわる思い出がある私は、きっと幸せ者なのだろう。レース参加は夢のまた夢になったが、これからも出来るだけ思い出話を書きたいと願っている。<完>
2017.02.05
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先日の夜、あるTV番組を観た。記憶を失った青年の身元を、何とか探し当てようとする内容だった。ある青年は言葉の特徴から、岩手辺りで暮らした形跡があると言う。だが見つかったのは九州の佐賀県。列車マニアで地名にも詳しい。ところが記憶は島根県辺りで途絶えてしまった。彼の姿を見た方の証言では、幼い頃にとても厳しい環境に育ったことが分かった。 もう一人の青年は、愛知県岡崎市周辺の景色や食べ物に強い反応を示した。だが彼の顔を見たかつての恩師は、彼が京都府の出身であることを告げた。さらにお姉さんと言う女性が現れて彼と話したが、全く記憶がないとの答だった。どちらもまだ20代の若さなのに、記憶を失うような大事件でも起きたのだろうか。 我が家の近辺では認知症の老人が何人か行方不明になっている。ある時散歩していて、「ちらし」を見せられた。奥さんが必死で手掛かりを探していたのだ。徘徊の結果行方不明になる人の話は、さほど珍しくはなくなった。それだけ認知症の人が増えているのだろう。 あるブログ友が四国八十八か所の別格本山を訪ねたとブログに書かれていた。今回訪ねたのは愛媛の三か寺。そのうち2つは知っていて、あとの1か所も大体の場所は分かった。何故なら私は松山でも勤務したことがあったのだ。また不思議な縁だが、昭和20年代の後半に父親が夜逃げした先が松山市だったのだ。 松山城 卒業した小学校は街の真ん中。そして中学校は松山城の二の丸跡にあった。その懐かしい校舎はもうない。その後、史跡公園になったのだ。そして高校入学後間もなく父はそこで死に、私達兄弟は故郷の仙台に帰って来た。父が残した財産はほとんど継母に持ち去られた。そんな苦い思い出のある街へ、その34年後に再び勤務することになるとは全く不思議な巡り合わせだ。 松山勤務当時の練習コースを思い出して見た。昼休みは職場の周辺を8kmほど走り、休日はkm5分ペースで最長30kmほど走った。山のコース、海沿いのコースなど20kmから30kmのコースが3つあった。当時は水が飲める場所が限られていたため、夏でもほとんど水を飲まなかった。良くそれで走れたものだ。それは当時制限時間が3時間36分の「愛媛マラソン」完走に向けての、良い練習になった。 雪中の灯り 私が走り始めたのは35歳の時。当時は茨城県のつくばに勤務していた。それから、徳島県の鳴門市、沖縄、愛媛県松山市、大阪、山形、石川県の山奥、そして茨城県の水戸。59歳で辞職する時まで、私はずっと走り続けてた。その距離の累計が地球2周を超えた。 記憶が朧げになって来たが、今でもそれぞれの勤務地の練習コースを思い出す。同時に厳しかった勤務のこともだ。それぞれの練習コースには、私の血と汗が沁み込んでいる。いつか再び訪れて、また走って見たいとも思うが、きっとそれは無理。あの懐かしい風景は、私の胸の中で生き続けている。<続く>
2017.02.04
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天下り問題が明らかになった責任を取り、文部科学事務次官が辞任することになった。OBと大臣官房人事課が結託して天下りの計画を立案していたと言うのだから、組織ぐるみであることは明白。おまけに追及を交わすためのシナリオを書き、天下り先の私立大学とも口裏を合わせていたと言うから悪質だ。 かつて文科省にいた後輩が言うには、天下り先となる団体設立は役人の手柄とか。省庁の統一や各種団体の整理なども、役人の悪知恵で結局は「焼け太り」になるのがこれまでの常だった。だが二流官庁と言われる文科省の中にも優秀な人は多い。後にトルコ大使になった遠山敦子さんや消費者庁長官になった板東久美子さんなどがそうだ。そして本当に偉い人は、決して威張らない。 ニュースは事務次官の辞任だけでは終わらなかった。何と文教協会が解体すると言う。この財団法人は文科省OBで持ってるような組織。「文部科学省職員録」など数種類の出版物は同省の傘下にある関係団体には不可欠の資料で、私の名前も25年間は役職者として載っていたのだ。 また同協会が発行するニュースは文科省はじめ関係団体の近況を知る重要なツールで、人事異動の内示の時期にはっとても気になる媒体だった。その協会がなくなったら、膨大な名簿やニュースは誰がどう作成するのだろう。 水戸偕楽園好文亭 さて、先日の「ブラタモリ」の舞台は水戸だった。水戸藩は江戸幕府を支える御三家の一つ。さりながら、江戸と水戸の二重生活で藩の経済は大赤字だった由。そのため佐竹氏時代の居城をそのまま利用し、藩主以下清貧に甘んじる生活だったそうだ。城下の偕楽園は町人にも開放されたが、竹林のタケノコや梅林の梅の実はいざと言う時の食料だったとの説もある。 黄門様と助さん格さん この水戸が私の最後の勤務地だった。その頃、全国的な組織改組の動きが始まり、空前の忙しさとなった。だが訓練を受けていない私の職場では、何をどうすべきか理解してる職員がほとんどいなかった。転勤族の私は直ぐに問題点が分かったが、手足がなかった。苦しみながら作業を進めて規則も見直し、道を開いたが限界があった。 水戸芸術館 俗に「水戸の三ぽい」と言われている。曰く「理屈っぽい」、「怒りっぽい」、そして「ひがみっぽい」だったか。幕末には攘夷派と開国派に分かれて藩士同士が殺し合った土地柄だ。そして我が職場は、長年にわたって組織的な訓練不足で問題点が見えず、自ら改革する意識も失っていた。私が苦しんだ原因は他にもあるが、その深い因縁については書かないでおこう。 さて、孤立無援の私は次第に眠れなくなり、定年を前に辞職することを決意した。そのままだと死ぬことは確実と感じたのだ。その直感は当たった。私は辞職することでギリギリ生きることが出来たが、全国の同業の仲間が5人ほど死んだことを知ったのは、辞職後のことだった。当時はどこでも苦しんでいたのだ。 千波湖 ここは水戸市内にある千波湖。湖の左手にある緑地が偕楽園のある丘だ。単身赴任の私は休日になると、1周3kmのこの湖の周囲を走った。そして偶然ここで1人のランナーに出逢った。何も聞かずに私と一緒に走ってくれたKさんのことを、14年経った今でも決して忘れてはいない。 実は現役中に何度か死のうとしたことがあった。沖縄では怒りっぽい関西人の上司の連日の追及に苦しみ、大阪では部下の悪質な裏切り行為に苦しんだ。それで東北人は関西人には馴染めないと痛感した。それでもこうして生き永らえられたのは、私がランナーだったため。有り難いことに、走っている時だけは心が安らいだ。<続く>
2017.02.03
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歳は取りたくないものだが、こればかりはそうも行かない。先日、とあることで愕然とした。何と「ポインセチア」が何だったか分からなくなったのだ。これまでも物の名前を忘れることはあった。俳優の名前や、花の名前などを思い出せないことが増えた。それが今回は「実態」を忘れてしまったのだ。ネットで入力し、画像検索して直ぐに分かった。そして自分の老化を深く認識させられたのだった。 話は変わるが、私はNHKの番組「ファミリー・ヒストリー」と言うのをたまに見ることがある。確か放送は土曜日の夕刻だったと思う。著名な人の家の歴史を辿る内容で、父母の先祖がどんな人物だったのかやその時代の背景を探り、現在とどんな風に繋がって行くのかを解明する過程がとても面白く感じる。まあ有名人でなくとも、どんな家にも歴史はあるのだが。 先日の未明、眠れないまま黒木メイサが出演するTV番組を観ていた。彼女がスペインに渡って、フラメンコダンスを習う内容だった。彼女の名前は知っていた。日本人らしくない名前に加え、エキゾチックな容貌で一目見たら忘れないだろう。スペイン人ダンサーの熱心な指導で、次第に様になって行くメイサ。手つき、腰つき、足のステップ、体全体の表情、そして顔。やがて彼女はフラメンコダンサーそのものに変貌して行った。 デイゴの花 起床後、気になって彼女のことをネットで調べた。何と生まれは沖縄県名護市の辺野古だった。今米軍基地の拡張問題で揺れているあの地区だ。そして父親はスペイン人の血を引いているのだとか。偶然少女時代の彼女の写真を見た東京の芸能関係の人にスカウトされ、10代の頃に東京へ出たことが分かった。なるほどエキゾチックな顔をしていた訳だ。そしてフラメンコを見事に踊ったのも、きっと血のなせる業なのだろう。 話は変わるが、これは沖縄本島の地図。どこにも地名は入ってないが、私はほとんどの市町村に行ったことがある。そして黒木メイサの故郷も、ゴルファー宮里藍の故郷も走ったことがある。12月開催の「NAHAマラソン」は9回完走し、4年かけて沖縄本島を走って一周した。私は3年間この島で勤務し、転勤で去った後も沖縄を何度か訪れて走ったものだ。 そんな訳で、島の地形や風景は大体想像出来る。恐らくランニングで走った距離は2千km。原付バイクで走ったのは、きっとその倍にはなるだろう。約30年間の転勤生活と、勤務した11の職場。それがたまたまTVに映ったりすると、当時の苦労が脳裏に蘇る。転勤生活は決して楽なものではない。その厳しさを癒してくれたのがランニングだった。因みに私は47都道府県の全てを走っている。だからどこも懐かしい思い出の地なのだ。 <1月のランとウォーク> ラン5回45km ウォーク10回27km 合計72km これまでの累計88107km。(地球2周と5分の1周相当) 今ではかつてのように長い距離を走ったり、速く走ることは出来なくなったが、歩くような速さでもゆっくり走れることは私の大いなる喜びだ。走り始めてから今年で38年目。これからも命がある限り、ランニングを楽しみたいと思っている。<続く>
2017.02.02
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このシリーズでは、私が泊まったり利用したりした宿に飾られていた美術品を紹介しています。今日の最終回は、昨年10月に行われた所属走友会の創立30周年祝賀会会場となった、仙台市近郊秋保温泉の老舗ホテルに飾られていたものです。どうぞお楽しみくださいませ~。 これは美術品ではなく廊下の絨毯なのですが、見事なものだったため撮影しました。 ファンタスティックな虹と鳥の組み合わせですね。 見事な富士山のシルエットですね。極力光線が入らぬよう、角度を調整しています。 ガラスに反射してしまいましたが、豪華な富士山です。 これはかなり幅のある富士山でした。これでも両側が切れています。 次は焼き物を集めて見ましょうか。見事な白磁ですね。 面白い形の花瓶ですね。少し平べったい感じがします。 大きな壺でした。デザインが近代的ですね。 山水の大皿です。見事な出来ですねえ。 こんな布地を繋ぎ合わせたものを何と呼ぶのでしょうね。キルティングかな? 見事な松が描かれた屏風絵です。とっても大きいんですよ。 ちぎり絵風の作品。大勢の雛人形のように見えますが。 元気に飛び跳ねる鯉。縁起物です。 静かに一人佇む桜の樹。 これはまた立派な飾り馬ですねえ。神馬でしょうか。 最後は楽器を打ち鳴らして楽しむ童子の人形です。 創設30周年記念式典後の記念撮影です。盛大で楽しい会でした。 <完>
2017.02.01
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