メキシコ・ベリーズ・グァテマラ・ホンジュラス・エルサルバドル・コスタリカ・パナマ 31
タヒチ・パラオ・バヌアツ・パプアニューギニア・ニューカレドニア 31
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今年3月に訪れたポーランドそんときにはワルシャワはみぞれから雪に変わり…出発するときには積もっていた って記憶それが今回9月は快晴で穏やかな季節当然ながらこうも季節で景色が変わるのかと驚きつつのうれしたのしの散歩になりましたショパンの心臓が祀られている聖十字架教会からクラクフ郊外通りを世界遺産の旧市街に向かいますポーランドの国旗色のインパチェンス越えのワルシャワ大学 …国旗の赤白の場所反対か重っ!!ビルに施されている彫刻がおもしろいわワルシャワ大学の隣には18世紀に建てられたバロック様式のヴィジトキ教会第2次世界大戦の戦禍を免れ原型を保っている教会です真っ白なと表現されることが多いファサードはちょっと黄ばんでいたけれど、聖堂内は真っ白学生時代のショパンがミサでオルガン演奏をしていたことで有名です大戦中はドイツ軍に接収されていたのでこちらも戦禍を免れたラジヴィウ宮殿は現在大統領官邸として使用されています狛らいおん君も守ってるかなまだまだ進みますまた教会がありました …の前には年代物のフォルクスワーゲン聖堂もオープンしていたので入ってみましたこちらも白い聖堂が楚々としていて美しい教会でした元々は15世紀に建てられた黄味がかったクリーム色のファサードの聖アンナ教会現在建物は1770年に建てなおされたものです戦争の被害を受けたものの全壊はしなかったため聖堂内の祭壇、説教壇等は当時のままのものだそうビューティフォ(⦿_⦿)ビューテフォ!前回訪れたときには中に入れなかったので今回は絶対見てみたいと思っていたので感激ワルシャワでも屈指の華麗な教会と言われているだけあって天井もすばらしいのですよパイプオルガンも当時のものだそうで豪華絢爛オルガンコンサートが開催されていますハリネズミの置物がかわゆい王宮広場に到着ここからが旧市街にあたり1980年、例外的に世界遺産に登録されたワルシャワ歴史地区第二次世界大戦で廃陳に帰した旧市街ですから再建されたとしても世界遺産にすぐに登録とはならないそう…ですが、街の破壊を予期してスケッチ、写真などを保存それらをもとにして、レンガのひびに至るまで丹念に修復されたのこと首都再建を願ったポーランド国民の情熱がユネスコによって高く評価されたからこその登録だったそうですレンガ造りの階段状のペディメントが美しい洗礼者ヨハネ大聖堂元々は14世紀に建てられたワルシャワで最も古い教会でかつては国家的行事も多く行われてきた場所だそうでヨーロッパ初の成文国民憲法(5月3日憲法)の憲法宣言もここで執り行われたそうですこの教会も第二次世界大戦中にナチス・ドイツ軍によって破壊されてしまい、ネオ・ゴシック様式で再建されたものここはステンドグラスが本当に美しい入って左側の階段状に大きさが変わっていくという珍しいも形状のステンドグラスこの教会にはポーランド王国最後の王スタニスワフ2世アウグストも埋葬されていますカフェやレストランに囲まれている旧市街市場広場(マーケットプレイス)こんなに美しかったんだ…曇天というか時雨ていた寒い時期とは大違い黄色のカルーナ初めて見ました広場中心には左手に盾、右手に剣を持った勇ましい姿の人魚像ワルシャワの紋章にもなっている守護神お店の前にチャリンコの置物があったり馬車が走ってきたり…お店に入ると… また買い物欲発作がおきそうな…けどけど、ランチもとりたいし…せっかくなので広場で休憩ここはワインも美味しいポーランド食事を頼むとアミューズもセットされますレバとチーズのムースもパンにあうあう …これだけでもいっぱい飲めちゃうわメインはヨーロッパ来たんですもんタルタルステーキです!!!日本じゃめったにお目にかかれなくなっちゃったですもんねマスタード、オニオン、ピクルスなどなど薬味が豊富で味をいろいろ変えられて美味しかったですね~食後酒までサービスされて大満足の女子二人Bazyliszek RestauracjaUl. Rynek Starego Miasta 1/3, Warsaw 00-272, Poland水飲み場?井戸?もかわいいですおーーーっと、急がねばワルシャワ立ち寄りは帰国便の都合だったのでそろそろ向かわなきゃっε=ε=(((ノ`・ω・´)2時間前には空港に到着そっか、既にタリンでボーディングパスももらってたしバッゲージも成田までスルーだから何にもしなくて良いんだってことで、ラウンジでまったり最後の宴会やっちゃった感成田までは10時間弱のフライト疲れるとは言え帰国便は時間も短くて楽~バルト3国を南から北上しメルヘン度がどんどん増していく旧市街の散歩重くて長い歴史があるのは確かだけれどそれでもおとぎの国に迷い込んだかのような気になれる中世の街に身を置くことができて幸せでした今回は駆け足でまわり後ろ髪をひかれる気もしたのでまたゆっくりと滞在したいと思う国々でした暖かで晴天のワルシャワに立ち寄れたのもよかったな…今回も長い旅行記にお付き合いいただきありがとうございましたまた次回 …は10日後(*´∨`*) ........fin.2018年9月:バルト3国、リトアニア~ラトビア~エストニアの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
September 30, 2018
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クラクフからワルシャワへは列車でGO2時間ほど乗車する2等車はこんなですコーヒーが提供されました…けどさ、ワタクシはこっち ビールっ!ポーランドの列車は食堂車が連結されているの~今じゃ新幹線に無いから寂しいかぎり(´;ω;`)とっぷりと日が暮れたワルシャワ最後の晩餐となったディナーは熱々のスープと、ローストポーク が… しょっぱっ(:″*゜;)ショパンのミニリサイタルを聞いて… 長かった一日も終了からのチェックインだったもので既に10時越えたった一泊なのに、5つ星ってのが残念だわこんな部屋でゆっくりしたいわよね朝食も今までとは違い豪華だこともっとも食べる内容に変化のないワタクシ( ̄◇ ̄;)Westin Warsawul. aleja Jana Pawla II 21, Warsaw 00-854, Poland帰国便は午後なのでそれまでワルシャワ観光17世紀の終わりに建てられた白を基調した明るい雰囲気の聖十字架教会当時の様子と周りが変わっていないですショパン一家が通っていた教会とのことですが戦時中に半壊され再建されたバロック様式の教会ですなので、まだ新しい雰囲気です故郷のワルシャワに帰ることが出来なかったショパン遺体はパリの墓地に埋葬されましたが遺言により心臓だけは姉のルドビガによって密かに持ち出されこの教会の柱に安置されています第2次世界大戦時にショパンの心臓は持ち出され再建後の1945年10月17日の命日に戻されたそう銃弾跡が…そしてこちらにもいらっしゃるヨハネパウロ2世聖十字架教会のすぐ横にはコペルニクスの銅像地動説… 太陽の周りをまわっている地球が描かれてますショパンは生後7ヵ月の時に家族とワルシャワに移住その後20歳までワルシャワで過ごしたのですワルシャワ大学の中にショパンが最初に住んだアパートが残っているそうですそして向かい側には最後に住んだアパートがあります左側の板に1830年と銘されていますショパン生誕200年を記念して2010年にワルシャワのショパンにゆかりのある地に「ショパンのベンチ」が設置全部で15カ所あるそうで、それぞれ違う曲が再生されます氷の浮かぶ池のあるワジェンキ公園実は最終日のこの日、朝から氷点下すんごく寒かったんですヾ(。>﹏д
April 17, 2018
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17世紀初頭にワルシャワに遷都するまで1038年から1794年までポーランド王国、後のポーランド・リトアニア共和国の首都であったクラクフその歴代の王様の居城ヴァヴェル城ちなみに1794年からオーストリア帝国領となり1846年から1918年までオーストリアのクラクフ大公国であったというこちらも複雑な歴史その後、第2次世界大戦中は占領者のナチス・ドイツによりクラクフ・ゲットーが創設されユダヤ人の弾圧が激化していきます「シンドラーのリスト」で描かれたオスカー・シンドラーが経営していた工場はそのクラクフ・ゲットーのユダヤ人を労働者として雇っていたのです彼はユダヤ人を自身の工場に雇い入れることで1,200人もの命を救ったのですちなみにロケはクラクフで行われたそうです現在はこのように穏やかですが…あらま、川辺でドラゴンが火を吹いてますぜ(* ・Д・)/小高いところに建っているヴァヴェル城の敷地に入ると中庭に面して旧王宮と大聖堂が目に飛び込んできますヴァヴェル大聖堂には意匠が尽くされたジグムント礼拝堂(キンピカのところ)をはじめとする礼拝堂に眠るかつての王様達の墓等々…見どころいっぱいでしたが写真は不可でしたガーゴイルも龍だぁ龍の舌?何かの骨だったかなタデウシ・コシチュシコ将軍の騎馬像 背後から撮ってしまったヾ(。>﹏
April 16, 2018
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13世紀以来稼働していたヴィエリチカは岩塩の採掘坑コストの問題と坑内で洪水が起きる危険性があることから1996年に商業採掘は中止され、現在は観光地となっています1978年に世界遺産に最初に登録された12件のうちの1つです700年もの間掘り進められた塩抗の坑道は深さは地下327m全長は300㎞以上で迷路のようになっています迷路… えっ? ガイドさん脅かすように「僕についてこないと行方不明になっちゃうよ」って見学コースは全長の1/100の3㎞ほど地下64mの第1ステージまでエレベーターで降ります4階建てのエレベーターですみんなが壁に触るからなのか手の形に凹んでる~ って、自分もやっちゃったけど(*´罒`*)ガイドツアーは第3ステージまでですが岩塩坑は第9ステージまであり部屋の数は2000もあるんだとか(@o@ !!第2次世界大戦中には占領したドイツ軍が軍需物資の製造拠点として使用していたそう…潮を吹いているかのような壁ピッカピカの塩の道を歩いていきます坑道内には歴史上や神話上の様々なモチーフを象った彫像やここを訪れた有名人の像が並んでいます全ては坑夫たちが岩塩を彫り上げたものですコペちゃんも来てたのね…ヤノヴィツェの間ではポーランドに嫁いできたキンガ姫がポーランド王から指輪を渡されています順路標識もありますがゆるキャラのような絵標識も୧꒰*´꒳`*꒱૭✧王様でしょうか… ボレスワフ5世?忘れました鍾乳洞のようになっている場所も…7人の小人 さん?地下101mに位置する聖キンガ礼拝堂入っていきます …大聖堂みたいそれぞれ少しずつデザインの違うシャンデリアこのシャンデリアも塩!!それにしても抗夫の方々の彫刻技術って凄すぎる気がするのですが… ダレソレノ有名な作家さん作って感じこちらダヴィンチの「最後の晩餐」彫の深さが大きいので立体感半端ない!キンガ礼拝堂の奥にあるマリア像もちろんヨハネパウロ2世もいらっしゃいました塩抗内にはレストランや結婚式場お土産物屋さんもあります… かなり商業的(°∀°)外にでたときには既に暗くなっていましたクラクフへ戻り…ディナーは旧市街にあるレストラン安定のビールスタート最初ゆでたまごがのっかったお皿が届けられえ?前菜はゆでたまご?なんて思っていたら熱々のスープが注がれました ほっポーランドの伝統的なスープバルシチはビーツで鮮やかな赤ロシア料理のボルシチと同じ?と思いきや具だくさんのボルシチとは違い基本的に具なし甘くて… あまり得意な味ではなかったのが残念コロッケはメンチカツのようで美味しかったわよんメインはチキングリルコンフィのように皮がパリパリとしていて美味しかったですGosciniec pod Zamkiem Restauracjaul. Stradomska 11, Krakow 31-068, Polandバベル城の夜景を眺めホテルに戻りますで、この日はまだまだ終わらない(´^ω^`)ホテルのバーに並べてあったビール 気になる~クラクフの地ビールよと教えてもらってピルスナーから …ヲイヲイグラスも専用のものがあってうれし~こっちはクラクフから50kmくらい離れた街の地ビール だそう2本目は… 悩む~~ へへへ 仲良くなったお嬢さんと飲んでるのでまだ飲めるぜぃっとさんざん悩みIPAをチョイスガツンと濃い味はアルコール度数も8%と高かったぁ国中で飲めるこのロゴのビールも見たことのない種類がいっぱいあったけれどもう飲めな~~いビェ──・゚・(。>д
April 15, 2018
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アウシュヴィッツ・ビルケナウへ…ε”ε”ε”ε”(ノ´・・)ノあまりにも有名なアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所はナチス・ドイツが第2次世界大戦中にホロコースト(絶滅政策)と強制労働によって最大級の犠牲者を出した強制収容所クラクフからはバスで1時間ほどのオシフィエンチムにあります公園のように整備されているので晴天の新緑の時期であればもう少し明るい気分で訪れることもできたのでしょうが…今にも雨が降り出しそうな曇天(実際雨が降ってきたし…)暗く気温は5度くらいで非常に寒く、ココを訪れるにはある意味一番適した日だったかもしれません「働けば自由になる」の虚しくなるようなスローガンが掲げられたゲートから入ります整然と立ち並ぶ建物…アウシュヴィッツ第1強制収容所は当時ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム(アウシュヴィッツはドイツ語)に第2強制収容所は隣接するブジェジンカ(ドイツ語名ビルケナウ)に建設され、周辺にも同様の施設が多数建設されました1979年に世界遺産に登録されていますヒトラー率いるナチス党政権下のドイツが行ったホロコーストの象徴と言われる「アウシュヴィッツ強制収容所」ココはキッチンだったそうです占領地での労働力確保および民族浄化の施設として建設その規模を拡大させていったドイツ労働力確保の一方で、労働に適さない女性・子供・老人さらには劣等民族を処分する「絶滅収容所」として機能させてしまったのです一説には「強制収容所到着直後の選別で70~75%がなんら記録も残されないまま即刻ガス室に送り込まれた」とされているそうで正確な総数の把握は現在でもできないとのこと少なくとも130万人が連行されそのうちユダヤ人が110万人そしてユダヤ人の約90%の方々がガス室で殺された…と記載されていましたユダヤ人だけではなく、政治犯、ロマ(ジプシー)精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者等々ヨーロッパ各国から…膨大な量の髪の毛、洋服、靴等々が残されていますココで生活するための必需品を持ってきたバッグ食器等… 見るだけで涙が出てきますここはなんと… 「死の壁」銃殺場ですガス室だけではなかったのです『劣悪な住環境や食糧事情、蔓延する伝染病過酷懲罰や解放直前に数次にわたって行われた他の収容所への移送の結果、9割以上が命を落としたとされ生存者は50,000人程度だったと言われている』もう言葉がでません『すべての強制収容所は、ナチス親衛隊(SS)の全国指導者であったハインリヒ・ヒムラーによってSSの下に集約されており…』『…SSのみならず多くのドイツ企業が「人道に対する罪」を理由に連合国などによって裁かれた。』プロトタイプのガス室・・・・沈黙黙祷1941年10月収容者増を補うためブジェジンカに絶滅収容所として第2強制収容所ビルケナウが開所総面積は1.75平方km(東京ドーム約37個分)もあり300以上の施設から成る巨大なものピーク時の1944年には90,000人が収容されていた とのこと1944年5月に完成した「強制収容所内まで延びる鉄道引込み線」を監視塔から見ると…生と死を選別されたプラットフォームガス室は農家を改造したものが2棟と複合施設(クレマトリウム)が4棟の計6棟があったとされますが、証拠隠滅を計ったSSによって破壊されてしまったそうです残っている収容施設は、本当に粗末なもの残されている建物は少ないもののその広さに驚かされますプラットフォームに立ってみました…右に選別されると生、左だと死…人を乗せて戻ることのない線路…このような貨車に200人もの人が詰め込まれて運ばれ…この木の先には湖があって絶対に逃亡できないそう一度は行かなきゃいけないと思っていたアウシュヴィッツ・ビルケナウですが本当に辛かった…重い気持ちのままクラクフに戻りランチはゆでたまごがのったサラダ本当にポーランド人はゆでたまご好きポーランドの伝統料理、鳩という意味のゴウォンプキはロールキャベツ、玉ねぎの甘みがあるなめらかな挽肉が入っていて茸のソースがとても美味しかったぁ(*´μ`*)ちなみにハト肉が使われているわけじゃあないです ほっMieszczanskaul. Zwierzyniecka 29 | 31-105, Krakow 31-105, PolandInstagram 始めました(^^♪Instagram 始めました(^^♪続きはこちら 7. 世界遺産に最初に登録された12件のうちの1つ ヴィエリチカ岩塩坑2018年3月:ポーランド ワルシャワ~~トルン~ポズナン~ヴロツワフ~クラクフの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
April 14, 2018
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この日は朝からクラクフを目指してε=ε=ε=(*`>ω
April 6, 2018
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10世紀にボヘミア公ブラチスラフ1世によって建設されたヴロツワフは、ポーランド第4の都市でポーランドの中でも最も古い都市のひとつこの街もまた歴史に翻弄されてきました13世紀にモンゴル帝国からの侵略に始まりボヘミア王国、ハプスブルク帝国の支配時代プロイセン王国領を経て第2次大戦後までドイツの一部だったヴロツワフ旧市街は世界遺産に登録されていませんがこの百年記念館が世界遺産に登録されています手前にそびえている鉄柱?オブジェは何なんだろヒジョーに無機質ですが…ライプツィヒの戦いの百周年を記念する展示会のために20世紀初頭にマックス・ベルクによって建てられた直径69m、高さ42mの鉄筋コンクリート製の丸屋根構造のこのホールもかな~り無機質当時のコンクリート建築物としては最大を誇る巨大さ(⦿_⦿)現在も展示会に使われているようですが中には入れませんでしたさてと… 記念館からはちょっと離れている旧市街第2次世界大戦時には激しい戦場となって大半が破壊戦後、復元されましたが今のところ世界遺産には登録されていないんですよね雲行き怪し~~ このカラフルで愛らしい街が青空なら…って思っちゃうわよね~~~ヾ(。>﹏
April 5, 2018
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968年にミェシコ1世がポーランド王国をこの地で建国してから1039年まで首都であったポズナンはポーランド西部に位置し、ポーランド最古の都市の一つポーランド分割後はプロイセン王国に管理され1871年にはドイツ統一となりドイツ帝国となり…ポーランドは地域によって街の歴史が違い難しい(´;δ;`)朝起きると …寒々とした空だけれど晴れるかな?昨夜は遅かったので街の様子が伺い知れなかったけれど左か右の尖塔が大聖堂かな目の前は醸造所を改装して造られたモールでしたポーランドではどの街でもトラムが走っていましたがこちらの街は なかなかレトロだわポズナンの旧市街に向かいます旧市街から少し離れたところに位置する大聖堂の前には今は閉鎖されている聖マリア教会教会前に965年に礼拝堂が建てられたと記載されたプレートがありましたそしてこちらがポーランド最古の教会実際には先の大戦で教会の約55%が焼失してしまったため建物自体はほぼ新しいのですが…こうやってオリジナルに忠実に再建されていますゴシック様式のポズナン大聖堂は威風堂々左右で塔の窓の形が違っています大聖堂前にある天国への鍵と剣のモザイク建物の大きさに比べて小さな扉には聖書のレリーフ 扉が小さいのはステンドグラスが大きいからかしら?聖堂内は …新しさが一層感じられます祭壇が少しカトリックとは違うような…説教台は煌びやか~床には銅板や 文字… 読めないけど(‐∀‐;;正面ファサードにあるステンドグラスも素晴らしいものです主聖堂はシンプルですが側礼拝堂はいろいろと趣向?が凝らされていてカラフルピンクやブルー…側廊をまわり主祭壇裏手にあるキラキラの礼拝堂本当に金の礼拝堂だわ(@o@ !!鍵がかかっているので柵越しパチリ天井も全て°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°キラキラそれでも黒が効いていて何となく落ち着いてる かな大聖堂を後に旧市街に入ります何だかかわいいぞ(p・▽< q)旧市庁舎の中央の時計は仕掛時計になっていて毎日正午になると2匹の山羊が角の突き合いをするんだそうもちょっと頻繁にやってくれないかなぁ~ 待てん(・Д・`)2匹の山羊はこの街のシンボルになっているようで至るところにヤギさんモチーフ見かけます本屋さんにも!カラフルでかわいい建物が並んでいます広場奥にピンクの建物?路地の奥には鐘楼だけ?が見えてますこのピンクのイエズス会の教会のファラ教会は路地の奥に建っていて近寄っても全然全景が撮れない~~中もピンクで美しいらしいけれど時間切れで入れなかったよん(´;ω;`)去年再建?されたというロイヤルキャッスル「アレなあに?古いのかしら?」とガイドさんに聞いてみたら「まだ1年だから新しいけれど、100年後に来てくれたら立派な古い建造物になってるかもよ」とのこと そりゃそうだ広場には処刑人の銅像?なんてのもあったけれど何となく写真撮りづらく… ちょっとお茶目?なこんな像を一枚ドイツからの移住者が多かったこのポズナンドイツの少女の像(だったかな…)ポズナンを後にヴロツワフに向かいますこの日は朝早く出かけたとはいえココから180kmほどの道のりヴロツワフに着いたときはすでに14時。。。からのランチです寒いけど… ビールがんまっヌードル入りのスープはコンソメベースでほっこりお魚(種類はうかがい知れず…)はちょっとしょっぱかったかなKuznia SmakuMazowiecka 10 Street, Warsaw, Polandさて… 午後は小人の街の散歩ですInstagram 始めました(^^♪続きはこちら 4. ヴロツワフの世界遺産百年記念館 ~小人が集うヴロツワフ旧市街2018年3月:ポーランド ワルシャワ~~トルン~ポズナン~ヴロツワフ~クラクフの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
April 4, 2018
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ポーランド中北部ヴィスワ川のほとりに位置し中世からプロイセン領内にあった工業都市トルン城壁に囲まれている旧市街が1997年に世界遺産に登録されています鳥の巣だらけで重そう~ な、木鳥の巣じゃなくてヤドリギだと教えていただきましたありがとうございますモナスターゲートから入ると直ぐに15mの高さの斜塔城壁の一部になっているようです1.5mくらい頭部が傾いているんですってその昔はヴィスワ川が度々氾濫し地盤が脆弱なこの場所では様々な被害が毎年でていたそうこれだかけ傾いていますが数年前までは普通に使われていたそうですこの大きな建物は元穀物倉庫だったとかこちらも元穀物倉庫だったそうですがこれも洪水に備えて建物の上部を蔵として利用するため大きな建物になっているそう右側は同じような建物だけれど教会?裁判所?なんだったっけ(^。^;)街はとても美しく、名物のジンジャーブレッドやお土産物屋さんを覗きながら歩く観光客でいっぱい大学があるので学生も多いとかでこちらはトカゲがシンボルのクラブで、こちらが1473年に誕生したニコラウス・コペルニクス(ポーランド語ではミコワイ・コペルニク)の生家名前が表す通り、生家はコッパー(銅)を扱う商家だったそうコペルニクス自身はカトリック司祭であり知事、長官、法学者、占星術師でもあり医者でもあったという多才な方だったんですねが、もちろんコペルニクスは地動説を唱えた天文学者として知られていますこちらは現在コペルニクス博物館になっていますそのまままっすぐ歩いていくと13世紀に起工されたという聖ヨハネ大聖堂トルン最古の教会だそうでとにかく大きい( ಠωಠ)この日は日曜日のせいだか中には入れませんでした大聖堂を左折して進むと見えてくる旧シティホール広場には多くのお花屋さん …チューリップの季節のようトルンにはいろんなところにいるエンジェルちゃんシティホールにも守護神のように守ってますそして …いらっしゃいましたホール脇にコペちゃん ←ヲイヲイ略すなってね旧シティホールがある広場のまわりにはステキな建物が並んでいます聖霊教会の隣の立派なビルは郵便局聖霊教会は18世紀の建築で比較的新しい建物ブルガリアや他の東欧諸国でもよく見かける目玉を模した窓のある屋根 見っけ14世紀後半フランシスコ修道会によって創建された旧市庁舎よりも大きい聖母マリア教会…ですが建物が密集していて写真撮り辛っファサードはレンガ造りで質素にも見えますが聖堂内はさすがのすばらしさですゴシック建築の高い天井を支える整然と並ぶ柱こちらの教会は壁画がユニークでしたもちろんステンドグラスにも目を見張ります写真じゃ分かり辛いかな(´・ω・`)パイプオルガン、説教壇や数ある墓碑の装飾は当時の栄華を感じられます広場のお土産物屋さんの前に黒いドイツ騎士団と赤いポーランド騎士団の人形がいました ドイツ騎士団城がありハンザ同盟の街だったので先の大戦時ドイツに攻撃されず破壊を免れたんですよね広場にはヴァイオリン弾きの像の「元」噴水もあってかえるの口からゲーって出ていたらしい蛙さんががトルンの街を救ったとか?噴水の後ろに見えている建物は1891年創建の旧ポーランド王アーサーの別宅だそうでも…この郵便局の方が立派 かも夕陽でキンピカに輝いていますが…頭部に星が輝いている建物は星の下の館と呼ばれる商人の家だそうヴィスワ川に戻ってきました よく歩いたぁ┗(`・ω・´)┛この日はさらにポズナンまで移動午後8時過ぎのチェックイン さすがに疲れます …寝る?イエイエその前に飲む!(*/▽\*)ビュッフェでしたが、パテやシャルキュトリーが豊富でしっかり飲めるメニュ作れました~レセプションの壁画がかわいくて(◍•ᴗ•◍)♡飾られているチューリップやイラストがキュートなマグカップ う~んかわゆい朝食のビュッフェの品揃えもgood特に鯖スモークがお気に入り~(*´μ`*)Novotel Poznan Centrumpl. Wladyslawa Andersa 1, Poznan 61-894, Poland続きはこちら 3. 中世ポーランド王国の最初の首都ポズナン ~ポズナン大聖堂 ~旧市庁舎2018年3月:ポーランド ワルシャワ~~トルン~ポズナン~ヴロツワフ~クラクフの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
April 3, 2018
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2018年3月の旅はヨーロッパ春というには早いけれども少しばかり春を感じられるかしらとポーランドに行くことにが、なにやら天気がね 真冬モード!Σ(×_×;)!大寒気団襲来で氷点下の世界らしい… とほ直前の天気予報でもあまり変わらずだったものの飛行機も飛ぶしダイジョーブじゃね?こーゆーとき楽観的な性格でよかったわと思う数年前からLOTポーランドが成田→ワルシャワ直行便が運航もっとも飛行時間は11時間越えとハードですが…機内食はホットミールが2度あまり期待はしていなかったのでラウンジでガッツリ食べていたので、味見程度ですがま、普通に普通でした …毎度ですが飲めれば良いやの状態到着したとき気温は一桁だけれどプラス!!日本よりは寒いけれど、これならいける\(^o^)/ホッとしたぁ~ 直行便のうれしいところは早めにホテルにチェックインできること、まだ明るいってうれしいわホテルはワルシャワの新市街、中央駅からもシンボルのような文化科学宮殿からもすぐ近く整備されている地域ですが… 部屋から見ると東欧感漂っていますポーランドビールを早速いただきますこの時はまだ知らなかったのだけれどチェコやドイツと隣接するだけあってポーランドはビール大国その昔は子供でもお水の代わりにビール飲んでたとか…まだ明るいんだもの と、外へでてみるとどんっ と聳え立つ迫力ある外観の文化科学宮殿42階建ての高さは237m、尖塔の高さは49mも1952年、スターリンによってソビエト連邦からのポーランド人民への贈り物として建設が開始され1955年に完成した文化科学宮殿は当初ヨシフ・スターリン記念文化科学宮殿と呼ばれていましたが社会主義体制崩壊後はスターリンの名前は削除されています2000年には最上部に直径6.3 メートルの時計が4基設置され当時、世界で最も高い時計塔だったそう周辺はモダンなビルが立ち並ぶ新市街なので文化科学宮殿が突出して異彩を放ってます…スターリン時代の建物ということで一時は取り壊しも議論されたということですが「文化」と言うだけあって劇場や文化施設も多く入っているので残されたそうですここがワルシャワ中央駅の、前に大きなショッピングモールカルフールが入っていたので初日からお買い物(*´∀`*)時差ボケぼけだったけれどちょびっとチーズと野菜をつまんで 寝るぅ(*´○`*)ぐっすり眠れると朝ごはんが美味しいんだよね~ポーランドは農業国だもの、とにかく野菜もお肉もチーズもおいしいったら(*´μ`*)毎日毎日どのホテルでも数種類のチーズがあって幸♡Mercure Warszawa Centrum48/54 Zlota Street, Warsawそれにしてもサブソー道行く人達が完全防備って装いなのが気になりますが…寒い国ならではの屋内が暑いくらい暖か…みかん?がなってるし( ゚∀゚)この日はワルシャワから西に約60kmほどのところにあるジェラゾヴァ・ヴォラ村に向かいます1810年にショパンが誕生した村です当時の建物は消失してしまいましたが復元された家を含めきれいな公園になっていますなんだか空模様が… 変?!?!家はショパンの生まれた当時のままに復元されショパンが生まれた部屋、出生証明書幼少時に始めて書いた楽譜の複製などが展示されています家の裏手にいらっしゃったショパン様ハンサムよね~(´^ω^`)美しい公園として整備されているのでお天気が良ければ散歩にぴったり!なんて考えていたら見事に晴れました雨女返上かしら小川も流れ… 気持ち良いったら夏にはショパン作品の演奏が毎週日曜日に行われるそうです …さらに気持ち良さげで、池もあったで、凍ってますぜ!Σ(×_×;)!体感温度10度越えてる気がするんだけれどまだまだ氷は溶けず、雪も残ってる状態ですおやっ?リス??かなり大きいんですけど…体毛に比べてシッポとトサカ?の毛が長~~いショパンの生家公園のすぐ隣にあるレストランでランチ自家製のコンポートがいっぱい売られていました暖かいとは言えやはりビールっって気分では無く、白ワイン朝食べ過ぎ~ なもんであっさりとサラダはうれしかったけれどやはりカツレツは重かったヾ(。>﹏
April 2, 2018
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チェコとドイツのお隣だもの当然ちゃあ当然だけどポーランドのビールも奥が深いどこに行っても「見たことない!」つて呟いちゃうビール達どれを飲んでも美味しいのだけれど選ぶのに悩むって贅沢だわそんなこんなのポーランド旅行も明日が最終日旅行記は帰国後ボチボチ書きますですInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
March 16, 2018
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鳩に似ている?鳩という意味らしいポーランド伝統料理のひとつゴウォンプキはいわゆるロールキャベツお米が入っているとのことだけどしっとりなめらかな肉餡がたっぷりどこかで食べた味…ロシアのガルブツィだっ一方こちらはポーランド版ボルシチとでも言えそうなバルシチ具材を入れないのがポーランド流なのだとかクリアな真っ赤なスープはビーツの甘さがあり過ぎて好みが分かれるかな個人的には酸味が欲しーInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
March 15, 2018
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ポーランドの伝統料理ランチま、その前にワインいただきまして…ジュレックは発酵ライ麦のスープヨーグルトのような酸味のあるスープはトルコやブルガリアを思い出す味一方、水餃子のピエロギは…モッチモチの皮に包まれた餡はひき肉、チーズ、キャベツコレは完全にロシアのペリメリ寄り…だけど、皮が厚すぎてペリメリ推しかなあInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
March 14, 2018
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ポーランド西部にあるポズナン旧市街はなんともメルヘンチックでラブリーオランダのような…ドイツのような…ベルギーのような…ポーランド満喫中ですInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
March 13, 2018
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ピザだけじゃなく各地に残る斜塔ポーランドのトルンにもございました(´∀`)この地はコペルニクスの生まれたところ…彼はポーランド人だったのねInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
March 12, 2018
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直行便があるって嬉しいなってことで、ポーランドにやってまいりましたとりあえず新市街の中央駅近くのホテルにチェックインしたらばこんな光景(´⊙ω⊙`)スターリン様の遺物❓からの、スーパー寄ってビールゲットンInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
March 11, 2018
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