メキシコ・ベリーズ・グァテマラ・ホンジュラス・エルサルバドル・コスタリカ・パナマ 31
タヒチ・パラオ・バヌアツ・パプアニューギニア・ニューカレドニア 31
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首都タシケント1966年の大地震で壊滅状態になったもののその爪痕を見ることは無く近代的な街に復興していますタシケントは「石の町」を意味なんですって広い道幅の道路には自家用車、バスや路面電車が縦横無尽に走り中央アジアで唯一地下鉄が走っている大都市です人々も服装も今まで訪れた街とは全然違い伝統的な服を着ている人は皆無でヨーロッパ的イスラム伝統的な模様のホテルはクラシックな佇まいこの旅行で初めて朝食にたまご焼いてくれた~ うれしっコーヒーはここでもネスレのインスタントでったけどね…この日は帰国日でしたが、帰国便が夜10時なのでそれまでタシケント観光 ~の前に、ホテル前を散歩真ん前にアムール・ティムール広場がありティムールの騎馬像がありました …後ろ姿ですんまそん正面から撮ると逆光になるもんで というのは言い訳でめんどくさくなったのだつた…そうそう500スム札に描かれているのはこのティームルの騎馬像ですちなみに200スム札にはサマルカンドのシェルドル・メドレセのトラライオンホテル隣の建物の屋根に …コウノトリコウノトリはちょいちょい見かけるモチーフの一つ家族の象徴なんです よね戦後シベリアから移送された抑留者79名の日本人墓地日本人を埋葬した祖父の代からイスラム教の家族によって守られており墓標と記念碑がある緑濃い閑静な墓地はきれいに掃除されていましたあまりに明るい青空の元ながら、思いをはせると涙が出てきました西洋オダマキや西洋アジサイっぽい花々オオデマリ …あやめかな平和であることって幸せですよね 1907年に建てられたロシア公使の私邸を博物館にしたウズベキスタン工芸博物館 …まるで宮殿1937年に開館した博物館には4000点以上の収蔵品があるそうですが建物自体がすばらしい伝統建築の工芸品のよう展示されている木彫りのものは折り畳み式のコーラン書見台イチャン・カラでも売られていたけれどもとても精巧な造りまるで霊廟かモスクのような天井にも …溜息だわ~これがウズベキスタンの伝統的な刺繍、スザニ天然草木染色の絹糸でザクロやブドウの柄が若い女性の手で一針一針刺されますざくろやブドウは、子宝に恵まれるとか宝物が増えると言われ縁起が良いんですよね 地域によって白地だったり黒地だったりするらしいのですがブハラが白地だったかな…わざと完成をさせず、母から娘へ代々伝えられるそうですブルーの陶磁器も多く展示されていましたが …気になったのは左側の絵皿ウズベキスタンの美女とはこんな顔 と言われるお顔なんですって眉毛が濃くて繋がっているのが良いそう …わざわざ描くそうよ中庭には気持ちの良さそうなチャイハナもこんなとこでお茶したいわね~ ランチはおしゃれなレストランでして… 初めて生ビールラグメンにはお野菜たっぷりで彩もよく サラダもフェタチーズとディルが効いていてとても美味もう最終日だから生野菜も解禁しちゃったわよようやく食べることができたウズベキスタンの国民食プロフサフランで味付けされたピラフちょっと脂っぽい料理ですが、ホロホロのビーフもたっぷり個人的にはひらべったく見えている馬肉が美味しかったわハシュト・イマームにある1541年に建築された10世紀の聖人のカファリ・シャーシ廟霊廟内外にお墓があるのですが、周りが公園のようになっていて花々も咲いていて華やかで長閑な場所です同じくハシュト・イマームにある1531年に建てられた珍しい1階建てのバラク・ハーン・メドレセ中は お土産屋さんになっていました向かいにあった図書館には世界最古のコーランと言われる7世紀のオスマン・クラーンが展示されていましたが 写真不可羊皮紙で作られているオスマン・クラーンは広げると1mくらいある大きなものでした ちなみにこれ、サマルカンドのビビハニム・モスクの巨大書見台に置かれていたものバラク・ハーン・メドレセの向かいにあるハシュト・イマーム・モスク …には入れませんでしたサマルカンドをまわってきてからタシケントのメドレセやモスクを観ると…「消化試合感」漂っちゃって… さら~っと流しちゃったチョルスバザールを眺めチョルス駅から地下鉄乗ったのけど、構内も社内もぜ~~~んんぶ 写真不可厳しいわね~ レトロな地下鉄素敵だったわよ1991年8月31日にソビエト連邦から独立したウズベキスタンそれを記念して造られたムスタキーリク広場(独立広場)ココにもコウノトリ が アクロバットしてはる奥に見えているウズベキスタンしか載っていない地球儀のオブジェソ連時代「赤の広場」と呼ばれていたころにはレーニン像だったそう…「タシケントの母」と呼ばれる像の前にはチューリップが咲き乱れ、気持ちの良い公園になっていました第二次大戦後、日本人抑留者の強制労働によって建てられ1947年に完成したナヴォイ・オペラ・バレエ劇場側面にプレートがあり「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ—名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」と書かれています1966年の大地震でも壊れなかったんですよね …さすがきれいな新車もたくさん走っていましたがこんなレトロなソ連製車も現役最後の晩餐でいただいた赤ワインは 始めてウズベキスタン産辛口のものでした おいちきのこのスープとスパイシーなひき肉のケバブで全行程終了っ空港に向かうときに車窓から見つけたウズベキスタン国旗青と緑の美しいウズベキスタンそのものの色合い…8時間かからない直行便で無事帰国いたしましたシルクロード上にあるウズベキスタンはアジアでもなくヨーロッパでもなくまさしく文化の交差点両方の融合だけではなく歴史に翻弄されながらもそこから独自に文化圏を築いてきたものがそこかしこに残っている興味深い国でした年々美しく整備された観光国になっていくのでしょうが何時までも素朴で平和で、優しく人懐っこい笑顔が溢れるサマルカンドブルーが輝く国であって欲しいと思いますまた行く機会があるかどうかは不明だけれど、大好きな国になりました今回も旅行記にお付き合いいただきありがとうございました ...fin.2017年4月:ウズベキスタン、蒼穹の世界遺産の古都の旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 9, 2017
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サマルカンド隋一の聖地、11世紀から20世紀にかけて建てられたティムールの関係者の霊廟がズラ~ッと並んでいるシャーヒ・ズィンダ廟群 …「死者の街」って感じかしら1435年にウルグ・ベクが建てたというダルワザ・ハナから入ると「天国への階段」と呼ばれる階段がありますこの階段の段数を数えながら上り、行きと帰りで同じ数だったなら正直者(=天国へ行ける)なんですって相変わらずそそっかしいので、行きに数え忘れたので帰りに数えたところでしょーがない… いいもん建設当時40あった霊廟とモスクですが、現存は14のみそれでも青・緑・紺の色が洪水のようにあるれている一直線の風景は…圧巻としか言いようがない光景正直どれが誰の廟なのか、全然不明です ごめんなさいまし青色を基調とした色合いのタイルで装飾され廟は青空に映えますあまりにきれいで写真を選べなかったのでダラダラダラ~ と載せてしまいます中にも入れる廟も複数あったのですがこれまたどれがどれなんだか 奥のドームはシーリーン・ビカ・アカ廟手前は八角形の霊廟は誰のものかは不明だそうこのドームもステキよね …もう好きしかないわ見ているうちにだんだん「顔」に見えてくる…ちょっとひょうきんな顔クサム・イブン・アッバース廟ではお祈りをしていたので天井の装飾だけ パチッとしてきました一番きれいだったシーリーン・ビカ・アカ廟ティムールの妹姪の廟だったかしら…中は案外明るくてギャップがありますもうお腹いっぱいサマルカンドブルーを堪能しましたわ最後に、…格子越しのブルー木の色にホッとしました2つのドームを持つコシュ・グンバズ廟はウルグ・ベクに天文学を教えたカズィ・ザデ・ルミの廟とされていますが墓室からはティムールの乳母ウルジョイオイームとされる骨が発掘されたのですってたっぷりとサマルカンドブルーに浸ったシャーヒ・ズィンダ廟群でした1399年に建てられた中央アジア最大のビビハニム・モスク完成が1404年というので突貫工事ですな…なものだから…レンガが崩れ落ちてくるなんて危険なこともあったらしく礼拝をする信者もいなくなり… 寂れてしまったらしい19世紀末には地震でミナレットが崩壊… 廃墟一直線現在は修復作業が進められており鮮やかな青いドーム等が復元されています中庭巨大な大理石のラウヒ(コーラン書見台)が置かれています元々は中にあったらしいですが地震のときに建物ごと崩れるのを防ぐために外に持ち出したそうです …重っ書見台の周りを3周すると願いがかなうそうですよダッシュで3回周ったのに… 願い事するのを忘れたわ おバカ正面から見るとアーチが巨大でドームが見えないけれど側面から見ると おお、ドームがこんな低いところにちょっと変わった設計なような気がするんですが… 中は修復されておらず、ほぼ廃墟 で、色も残ってないのが残念ビビハニムは「第一婦人」という意味ガイドさんが教えてくれたのですがインドから凱旋帰国するティムールを驚かそうとティムールのお妃は超巨大なモスクを建て始めたものの完成しなさそうな状況に困ってしまったのだそうそんなとき下心のあった建築家が「キスしてくれたら間に合わせてあげるよ」なんて言っちゃったのねお妃は困っちゃったけど、バレないか… と思ったのか頬なら あああ、言っちゃったけれどもキスの後がアザとなって残ってしまい消えなくなり遠征から帰って来たティムールにバレちゃったとか今までのこの系の話と同様、建築家は死刑妃もミナレットから突き落とされてしまった… それでビビハニム(第一婦人)モスクって言うのかしらまあ他にも伝承はあって妃は殺されずに一生黒いベールで顔を隠して蟄居とか、建築家は空を飛んで逃げたとか …眉唾もの敷地内には他に2つの建物があって入れなかったけれど修復されたドームはビューティフォゆっくりと周ったサマルカンド17:30発のウズベキスタン鉄道 アフラシャブ号で首都タシケントに向かいます駅は大きく立派でステンドグラスまで入ってますただ… ビール飲むとこなかったぁ思ったよりも全然きれいな列車が入線ですタシケントまではノンストップで2時間10分2等車だったけれどシートも3列でまるでグリーン車のようにゆったりお茶とチョコレートケーキもでたよ …食べなかったけど車窓から雪山と緑豊かな畑を眺めつつあっという間にタシケント着男性アテンダントの大き目制帽がソ連時代の名残かなディナーでワインをお願いしたらば …やっぱり甘いなぁ~飲みなおすかとホテルのバーで …そうそう、ホテルにバーがあったのワインはやっぱり甘く、甘~と言いながらも完飲するあたり 続きはこちら 7. 首都タシケント ~ウズベキスタン工芸博物館 ~バラク・ハーン・メドレセ ~ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場 ~帰国2017年4月:ウズベキスタン、蒼穹の世界遺産の古都の旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 8, 2017
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ウズベキスタンを訪れたいっと考える人ならおそらく誰もが「サマルカンド・ブルー」を目指しているんじゃないかな …そんな「青の都」ググってみると、他にも「イスラム世界の宝石」とか「東方の真珠」とかね、とにかく美しいのだっオシモンゴル軍の攻撃で破壊されましたがティムールによって復興2001年に文化交差点として世界遺産に登録されています「支配者の墓」という意味のグリ・エミル廟はティムール、息子のシャー・ルフ、孫のウルグ・ベクティムール一族が眠っている… まんまというか、まさしくな名前の霊廟です1996年に修復されたのでサマルカンドブルーの丸屋根が輝いているわ実は前日ライトアップされたグリ・エミル廟を訪れていまして…まったく印象は違うけれど、どっちも甲乙つけがたく美しいiPhoneで夜景は暴挙ですが… 幻想的ですあまりの日差しの強さも… 写真が撮りにくいですグリ・エミル廟の丸屋根の装飾が美しすぎて …溜息上部にムカリナスが施されたミナレットも美しいしもちろんブルーとグリーンのタイルもグリ・エミル廟は元々ティムールがトルコ遠征中に死亡した孫のムハンマド・スルタンを葬るために1404年に建設したのですがティムール自身も翌年に死亡してしまいこの廟に葬られることになったのですティムールは生まれ故郷のシャフリサーブスに葬られることを希望していたんですけれどもね…豪華絢爛としか形容できない金の装飾と植物やアラビア文字がモチーフの模様で埋め尽くされていまして…修復の際には3kgもの金が使われたとか… 墓石は全部で8つ中央の黒緑色のオニキスで作られた墓石がティムールのもの…実際の亡骸は地下に葬られています1941年にソ連の学術チームの調査によってティムールの足が不自由であったこと、孫のウルグ・ベグは……断首されて亡くなったことが確認されたそうですこの学術チームが発掘した際、ティムールの棺の裏には『私がこの墓から出た時には大きな災いが起こるだろう』という書かれていたそうで実際に墓が開けられたほんの数分後にドイツがソ連に攻撃を開始したんですってそれ以来、ティムールの墓の蓋は溶接されて二度と開けられていないそうですサマルカンドの象徴というよりもレギスタン広場シルクロードの象徴とも言えるレギスタン広場左からウルグ・ベク・メドレセ、ティラカリ・メドレセシェルドル・メドレセがコの字形に並んでいます14世紀のティムールの時代に大きな屋根つきのバザールが造られ現在のような姿になったのは、17世紀になってからということです正面にティラカリ・メドレセから歩くことに1660年に建設されたティラカリ・メドレセ当時はサマルカンドの他のモスクがほとんど破壊されていたためメドレセ(神学校)だけれどメインモスクとして使われていたそうティラカリとは「金箔を施された」という意味で中庭を入り左手の青いドームの下にある礼拝所は…その名前の通り… キンピカ金箔で覆っているだけじゃなくて金箔を使って美しい模様が描かれているのよでもって、この天井丸いドームのように見えますが、実は平面遠近法を用いて丸く見えるようにしているんですって建設時に5kg、修復するときには3kgもの金が使われたという内部はミフラーブや壁も星・植物・アラビア文字がモチーフになった模様で飾られ …目がチカチカするほどタンポポの綿毛を吹くおばちゃま …微笑ましいわ1420年にティムールの孫ウルグ・ベクによって建設されレギスタン広場では最も古いウルグ・ベク・メドレセへアーチの両側に建っているミナレットの片方が傾いているのは重すぎるんだとか… そうやって他も見みると結構な確率で傾いているミナレットや建物あります入り口のアーチの装飾 …きれいだわ~天文学者でもあったウルグ・ベクは自ら教壇に立ってイスラム教の教義や作法、天文学・数学・哲学なども教えていたそう中庭正面にある中にはウルグ・ベグの像もありましたが博物館のようになっていて… これと言って何もないところです1636年にウルグ・ベク・メドラサを模して建てられたというシェルドル・メドレセシェルドルは「ライオン」の意味でして…ライオン描かれていいるんですよ …トラじゃねだけどねシカを追いかけるライオンと人面太陽が描かれています これは偶像崇拝を否定するイスラム教義に反していますが支配者が権力を誇示するためだったとか… ミナレットやタイルの素晴らしさはもちろんココも引けを取らない美しさメドレセの入り口のアーチは高さがありますが建物としての役割はなく、一種の飾りなのでしょうか…裏はこんな なんです中庭にはたくさんのお土産屋さんが並んでいるのですがこのメドレセには珍しく伝統楽器を扱っているところもやっぱりサマルカンドブルーのドームとミナレットはビューティフォワンダフォ 興奮冷めやらぬ中… ビールじゃなくてランチ大都市になってきたせいか洗練されてきた感じもっとも食材は変わらず… ポテトとキャロットフルウズベキスタンはお米もよく食べるそうでこの日も添えられていました続きはこちら 6. 世界遺産サマルカンド ~シャーヒ・ズィンダ廟群 ~ビビハニム・モスク ~タシケントへ2017年4月:ウズベキスタン、蒼穹の世界遺産の古都の旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 7, 2017
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ブハラで泊まっていたホテルの部屋から見える風景なんですが… 実に整然とした街並みなんですウズベキスタンってもっと田舎っぽいイメージだったのそれが見事にひっくり返されましたどこもかしこもゴミ一つ落ちていなくてとっても清潔オリンピックでも誘致するのかしらん って思うほど昨日街が完成しましたっ くらいピッカピカなのよそんな新市街然とした中に旧市街があるわけで昨日訪れたカラーン・モスクとミナレットが ほらっスタジアム …ウズベキスタンではサッカーが人気らしいですこの日は朝からバスで4時間 …この旅唯一のバスでの長距離移動世界の支配者ティムールの生誕地シャフリサーブスへシャフリサーブスは標高約622mに位置し周りにはかなり高い山々が …ヒマラヤみたい14世紀にトルキスタンを席巻したティムールの生まれ故郷2000年に15世紀のティムール朝時代に建築された建物の現存する地区がシャフリサーブス歴史地区として世界遺産に登録されていますプチっと解説、ティムールさんとは… 知らなかったんですもん1336年4月8日に生まれ、1405年2月18日に没したモンゴル=テュルク系軍事指導者でありティムール朝の建国者中世アジアを代表する軍事的天才と言われかつてのモンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した英雄です建設事業が好きでいっぱい建てています緑豊かな中庭に「瞑想の家」と呼ばれるドルティロヴァウト建築群が佇んでいます1435年にウルグ・ベクが父シャー・ルフを偲ぶために建設したコク・グンバズ・モスク(青色のドームを持つモスク)近世に修復されたフレスコ画で彩られている内部の壁面はとても明るくて …ちょっと軽い印象なぜか椰子に見えちゃうんですけど… 椰子なのモスクに向き合い並ぶ2つの霊廟グンバズィ・サイーダン廟はウルグベクが子孫のために建てたもので4つの墓石が並んでいましたシャムスッディン・クラル廟はティムールの父とその指導者が葬られています しかし明るいわね …お墓だけど向かいにあるドルサオダット建築群へドルサオダットは「権力の霊廟」という意味らしいですティムールが22歳で戦死した長男ジャハンギールのために建てた尖がりドームのジャハンギール廟 …廃墟感漂々他にもティムールの次男が眠るウマル・シェイヒ廟もあるあったそうですがほとんど崩壊していて確認できません狭い階段を降りていくとティムールが葬られる予定だった棺も置いてありますがもちろん葬られていません …ティムールはサマルカンドに眠っています廃墟感は否めないけれど遺跡然としていてこれはこれでありでしたこの街もやっぱり新興住宅街みたいに …キレイ過ぎる感じ昼間は25度くらいになるのでランチのビールがうまっと、定番の肉じゃが… もう何度目だかティムールが残した最も壮大な建物と言われる夏の宮殿アク・サライ宮殿(跡)1380年に着工し、完成まで20年を要したとか…ってことは、ティムールの死後も続いていたんです色が全然残ってないんだな… なんて思っていたら実はこっちは裏側でしたアク・サライは「白い宮殿」と言う意味ですが実際は青と金色のタイルで装飾されていて白かった訳ではないみたい白は高貴なイメージがあったのかしらねこっちが表側完成時のには両側の塔は高さ50mもあり宮殿は屋上で繋がっているアーチ状だったらしいですしかもっ 屋上にはハーレムの美女専用プールがあったんですってよココはシンガポールかいっ現在宮殿のアーチ部分完全に崩壊2つの塔も崩れて38mの高さになっています塔の左側には「スルタンはアラーの影である」右側には「スルタンは影である」と書かれているそうです本当は同じ文言のはずだったのに…右の塔の文で「アラー」の文字が抜けていることに激怒したティムールは職人を門の上から投げ落としたという …またしても恐ろしい伝承アク・サライ宮殿の前に建つ威風堂々のティムール像シャフリサーブスの見どころはこの3か所…サマルカンドまで3時間、ノンストップでバス移動4%の薄目のビールだけど、乾いた喉に染み渡るわ~ビールの種類がいろいろあってムスリムの国だとは思えないくらい香ばしくてスパイシーなケバブにはぴったり でした呑めれば良いのか …良いのだ ぷふぁっ続きはこちら 5. 青の都と称される世界遺産サマルカンド ~グリ・エミル廟 ~レギスタン広場 ~ティラカリ・メドレセ ~ウルグ・ベク・メドレセ ~シェルドル・メドレセ2017年4月:ウズベキスタン、蒼穹の世界遺産の古都の旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 6, 2017
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20世紀の初頭までブハラ・ハーン国の首都だった「修道院」を意味するブハラ13世紀のモンゴル帝国の来襲でほぼ壊滅しましたが16世紀のシャイバニ朝の時代に復興旧市街は2000年にユネスコ世界文化遺産に登録されています892年から943年にかけて建てられたイスマイール・サマニ廟はイスマイールが父のために建立したとされる中央アジアに現存する最古のイスラム建築物、モンゴル帝国の襲来時には砂の中に埋もれていたため破壊を免れたらしい です日干しレンガで造られた外装の意匠が特徴的…四隅には太い円柱、10m四方の正方形の上に内径8mのドームが載せられた形状1,000年以上前の建物とは思えないモダンともいえる建物複数入り口がありますがどれが正面入り口なのかは不明なんですってレンガの凹凸だけでこんなに複雑な陰影が出せるって…丸と四角の幾何学模様はゾロアスター教のものだそう9世紀末に中央アジアに成立したサマーン朝の王族の廟それ故サマーン朝の名君イスマイール・サマニの名前がつけられていますが実際にイスマイールが眠っているかどうかも不明だそうですまるで小さな宝石箱のような美しさ…にこやかに笑ってくれる愛想のよいおばちゃま達 好きだわ~お茶を飲むおじさん達も良い味出してるわよねあらっここにも民族衣装の女性にわかウズベクのnanaっす w/友 双子コーデって訳じゃないんだけど…池の向こうには城壁も見えてますちょっと残念な… ミッキー達もいたよ 怖っアルク城は歴代ブハラ・ハーンの居城だったそうですアルクは「城」の意味なので城城モンゴル軍によって破壊され立てこもった市民が虐殺され…その後も再三破壊され、その度に再建し… を繰り返したものの1920年のソビエト赤軍による爆撃でほぼ全壊再建された城壁の美しいこと…ちなみにこの広場はかつては公開処刑場だったらしくハーンの圧政に抵抗する市民たちの首を切り落としていた場所…やっぱり血なま臭い話多いです1514年のシャイバニ朝時代に建築されたブハラで最大のカラーン・モスクカラーンは「大きい」の意味で約1万人もの信者が同時に礼拝できるそうです確かに …広い礼拝所 青天井だけどね回廊の天井は208本の柱で支えられ288個の丸屋根で覆われているそうです …見えないけど唯一ともいえる屋内のミフラーブには美しいモザイク ミフラーブから先に見えているのは向かいにあるミル・アラブ・メドレセのドームきれいな「青」が施されているモスクの入り口左側にあるのが…ブハラのシンボル、1127年にカラハーン朝のアルスラン・ハーンによって建てられたカラーン・ミナレット高さ46m、土台部分は10mも地下に埋められているそうですこのミナレットはほぼ茶色… 高層の部分だけ青いかな日干しレンガの積み方だけで14層もの帯状の模様が付けられていて手の込んだ凝った造り …入場は不可 ちっブハラを徹底的に破壊したチンギス・ハーンもカラーン・ミナレットだけは壊さずに残したんですガイドさん曰く…『チンギス・ハーンがカラーン・ミナレットを見上げたときに帽子を落としてしまいました。腰を屈めて帽子を拾ったチンギス・ハーンは言いました。「この塔は私に頭を下げさせた偉大な塔なので、壊さないように」と』こんなステキなエピソードが残されている一方18~19世紀には罪人を塔から投げ落とす死刑場でもあったのだからオドロオドロシイカラーン・モスクの真正面に位置しているのは1536年にウバイドゥラ・ハーンによって建てられたミル・アラブ・メドレセ青と白のモザイクタイルからなる植物文様と文字文様を組み合わせた模様は典型的な末期ティムール様式の装飾だそう天井は渋色ですな中庭を取り囲むような二階建ての建物は現役の神学校なので入れません道路の交差点をドーム型の屋根で覆ったバザール、タキタキは「丸屋根」の意味だそう…これ書くまでバザールのことだと思ってた、調べて良かった ほっ5つのタキがあったそうですが、現在では宝石のタキ・ザルガロン帽子のタキ・テルパクフルシャン両替のタキ・サラファンの3つだけ残っていますそのタキ・ザルガロンのコウノトリの形のハサミ等を扱う刃物屋さんブハラと言ったら刃物だそうで、その中でもコウノトリのハサミはブハラにしか職人がいない伝統的なハサミなんですってティムールの孫のウルグ・ベクが1418年に建設した中央アジアで現存する最古のウルグベク・メドレセウズベキスタンの各地にウルグ・ベクの名前が冠された建物はあるそうですが、ブハラでは唯一のウルグ・ベクゆかりの建物です修復が行われないのか、中は結構ボロかったけど…5人も入ればいっぱいになりそうな小さな教室が残っていましたランチはとりあえずビール しっかしさあ、まったく同じ銘柄なのに瓶が違うって… かなりアバウトだな1622年にブハラ・ハーン国の大臣ナディール・ディヴァンベギによって建てられたナディール・ティヴァンベキ・メドレセ入り口には二羽の鳳凰が白い鹿 …馬のようにも豚のようにも見えんことないを掴んでドヤ顔の太陽に向かって飛んでいる絵が描かれています偶像崇拝を否定するイスラム教義に反していますよねキャラバン・サライ(隊商宿)として建てる予定だったので動物を描いても ってことだったのに完成してから「実はこれはメドレセだったのよ~ん」って宣言しちゃったんだから確信犯というか詐欺っぽい話ですナディール・ティヴァンベキ・メドレセの前には神学者像があり馬のシッポを撫でると金持ちになって右足の靴を撫でると健康になるんですって …モチロン シッポ派ブハラのオアシス、1620年に作られたリャヒハウズ ハウズは「池」の意味です周りにはチャイハナ(茶店やレストラン)があり長閑な憩いの場って感じでしたねリャヒハウズに面して建っていたモスクを外から眺めてブハラ終了っブハラのホテルにはバーがありまして…ありがたやありがたやのビールタイムアルコール度数が11.5%と目を疑うような高さだけれど案外あっさりしていてうまかったのよん …効率よく酔えるとも言えるナディール・ティヴァンベキ・メドレセで民族舞踊とファッションショーという不思議な組み合わせウズベク人は東洋っぽい顔だったりロマっぽかったりインド系だったり…なんだけど、こういうときに出ている人ってほぼほぼ西洋っぽいお顔立ちなんだよね…を見ながらのディナーはこんな感じ ええ、また餃子 好きだねぇ続きはこちら 4. ティムールの生まれ故郷で世界遺産のシャフリサーブス ~ドルティロヴァウト建築群 ~ドルサオダット建築群 ~アク・サライ宮殿跡2017年4月:ウズベキスタン、蒼穹の世界遺産の古都の旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 5, 2017
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16世紀初頭から20世紀初頭まで存在したヒヴァ・ハン国の首都であったヒヴァはこの後訪れたブハラと並ぶ中央アジアの宗教都市でペルシャ時代からカラクム砂漠への出入り口として繁栄した聖都そんなヒヴァの世界遺産イチャン・カラえっと… イチャン・カラとは「カラ」=都城の「イチャン」=中ってことで城壁の外側はディチャン・カラと呼ばれていますかつては11の門が街を守っていたと言われるイチャン・カラオタ・ダルヴァア門(西門)から入りますなんだかポッテリした造り10世紀には建設が始まったとされる特徴的な丸みを帯びたレンガの城壁に守られている世界遺産に登録されたイチャン・カラ(1991年)現在の城壁は17世紀に造られたもので高さは10mもあるそうイチャン・カラ地区は18世紀から19世紀にかけて建設された20のモスクとメドレセ(神学校)、6基のミナレット250以上の古い民家が密集しています …現在も住んでいるのよちなみに… ヒヴァ・ハン国の時代にはイチャン・カラには宮殿、モスク、メドレセの関係者が住みディチャン・カラには職人や農民が住んでいたそうそして、そのまま現在に至るってことらしいですオタ・ダルヴァア門から入ってすぐに見えるのが未完のミナレット、カルタ・ミナル1852年に着工したものの建設を命じたハーン(王様)が戦死してしまい高さ26mで中断したとか直径が14mあるので90mほどの高さを目指していたと推測されているそうですしっかし、青のタイルが美しくて迫力ありますムハンマド・アミン・ハーンによって1852年に完成したムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ現在はホテルになっていて… おお、泊まってみたいと、思っていたら …実は元刑務所だったとか 複雑製陶が街の主産業なもんだからま、当然のことながらタイルがあるだろうな…タイル好きとしてはまたコレクション増やしてしまうかも…なんて期待予想していたのだけれど売られていたのは2~3か所のみでしかも …雑っな感じで、お持ち帰りはゼロでした毛皮のお帽子はかわいいけど、もちろん購入しませんでしたわよ10世紀に建設され18世紀末に再建された金曜モスク(ジュマモスク)中庭のある屋内に212本の柱が並んでいます3mほどの間隔で並ぶ柱は古代ホレズム王国時代のものから10〜11世紀、12〜17世紀のものも現存しているそうそれぞれの時代毎に素材もレリーフが違っています柱の下は細くなっているのが特長だそうですよ右は …ブッダの姿って説明でしたが …見えるような見えんようなイチャン・カラの人達はこんな姿でのんびりと寛いでいました17世紀に建てられたハーンの居城、クフナ・アルククフナ・アルクは「古い宮殿」という意味で後に建てられたタシュ・ハウリ宮殿と区別ためこのように呼ばれているんですって要塞で囲まれているクフナ・アルクは執務室や、夏用と冬用のモスク、ハーレム、武器庫、造幣所等々青いタイルの壁と赤茶の天井… 印象的そうそう… 左がオリジナル、ラピスラズリの青トルコ石青の緑は複製(右)の色と全然違うんです配合は伝承されなかったんですね2本の高い柱のあるテラスは謁見室奥の部屋へと通じる扉が3つあり身分に応じて …もちろん真ん中が一番高い身分の人用ですこちらも青の洪水ですが王座の間は白壁 でした展望台がありまして 有料だけどやっぱり上らんわけにはいかないわよ ね(トップ写真)砂色の中に青が映えて …ウズベキスタンに来たなあ気分に浸れますけど 反対側は意外に地味だったこと発見それにしてもこの城壁の造りって中世そのもの…昨日夕日を見るために訪れたレストランでランチこれもウズベキスタン料理のマンティニラ、たまご、肉の水餃子です …ちゅるっとしていて美味ヨーグルトソースで食べるのがウズベキスタン流なのかな前菜も揚げ餃子と餃子三昧… でさ、スープはラグマンという薄っすらトマト味のうどんスープでもってもちろんパンもでるしで やっぱりトリプル炭水化物イチャン・カラで一番高いミナレットを持つイスラム・ホジャ・メドレセヒヴァ最後のハーンの大臣だったイスラム・ホジャが1910年に建てたものでヒヴァでは一番新しい建物 だそう ミナレットの高さは44.5mで上ることもできますイチャン・カラで一番大きな青いドームを持つパフラヴァン・マフムド廟なんですが… 近寄り過ぎて撮れてなかった パフラヴァン・マフムドはレスリングの人 英雄だったみたい… そんなパフラヴァン・マフムドの墓がある廟ですがその他にもお墓がいっぱい 親族お墓もゴージャスだけれど…何てったって天井好きっ なんで ゴージャスな天井に釘付け上ばっかり見てると 危険お祈りをしている人の邪魔にならないようにこっそりパチリそれぞれ違うインテリアの部屋がいくつもありますタイルの美しいこと 溜息…もちろん天井も溜息二乗これはタシュ・ハウリ宮殿への門タシュ・ハウリは「石の庭」の意味で、1830年から1838年にクフナ・アルクに匹敵するものとして建てられた宮殿中庭に面して執務室、謁見室や儀式場があるだけではなく宴会・接待場、163部屋もあるハーレム等も並んでいます4人の正妻と40人の妾がいたらしいハーンこちら側にハーンの執務室、4人の正妻の部屋があって・・・って、全員同居かよ中庭を挟んでこっち側がハーレム… オイオイ側室も同居って… しかも40人ハーンの執務室の天井は赤や黄色のカラフルな幾何学模様裏にはベッドルーム …意外に質素 プチ驚きハーンの部屋の隣がお妃さまNO1様NO2様NO3様NO4様のお部屋が続くわけですが部屋自体は大差なく… けど天井が全部違うのなかなかユニーク… 王様はお妃さまの名前が出てこずとも天井見れば言い間違いすることもなさそうだから便利だったのかもこれでヒヴァの街とはお別れ…ヒヴァ王朝の夏用宮殿「トザポーグ・パレス」でディナーホッコリとした豆と麦のスープとけっこうスパイシーなケバブのクレープ巻き 美味しかったけれど安定の炭水化物フルディナー後にウルゲンチに戻り午後10時くらいのフライト次の都市ブハラまで1時間弱のフライトバスだと8時間以上かかる距離だもの、これはポイント高いとこだったわ続きはこちら 3. 世界遺産ブハラ ~イスマイール・サマニ廟 ~カラーン・モスク ~ミル・アラブ・メドレセ ~ナディール・ティヴァンベキ・メドレセ2017年4月:ウズベキスタン、蒼穹の世界遺産の古都の旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 4, 2017
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今回の旅行は未訪の地、中央アジアカザフスタン、キルギス、タジキスタントルクメニスタン、ウズベキスタンの5か国がいわゆる中央アジアって呼ばれるエリアアフガニスタンや新疆ウイグル自治区もそうらしいけど…その中のウズベキスタンに行ってまいりました冬を除く季節にはウズベキスタン航空が直行便を成田から飛ばしていますちなみに… ウズベキスタン航空って…機内でのカメラ使用が不可なの富士山もくっきりハッキリ見えたしウズベキスタン近くになると雪山や畑のモザイクがとてもきれいに見えたのに撮れないって …切ない16:35着予定だったのだけれども成田での遅延が響いて到着は1時間以上遅れ…この日は国内線で更にウルゲンチまで飛ぶ予定だったのに到着した時点で国内線離陸予定時間というアカン状態しかも… タシケント空港は国際線から国内線が車で10分はかかるという位置関係 はあけど… なぜか国内線待っててくれたのもっとも機長さんが機内アナウンスで「日本のお客様の到着が遅れたので、当機は遅れての離陸となりました…」ってバラされちゃったけど…その瞬間、先に搭乗していたほぼ全員に振り返られ ちっ って顔された …切なウルゲンチまで1時間半くらいのフライトその後バスで45分のヒヴァまで移動したのでしっかり深夜着となってしまった第1日目2日目から観光開始ですヒヴァからバスで2時間ほどの距離にあるカラカル・パクスタンはウズベキスタン内にある自治共和国カラカルパクスタンは「黒い帽子を被る民族の国」という意味なんですって …ウズベク人も黒い帽子被ってたけどアムダリア川流域に栄えた古代ホレズム王国の遺跡群紀元前1世紀か紀元後5世紀にシャー・ウシ朝が築いたとされるトプラク・カラ …カラはお城の意味だそうです日干しレンガ造りの城壁に囲まれたトプラク・カラ中には3つの楼閣があったそうその1つに登ると市民の住居区跡の仕切りが広がっていますゾロアスター教(拝火教)を信仰していた古代ホレズム王国そのための火を祀る場所も作っていたのね …壁に開いている4つの穴のことですゾロアスター教は火を聖なるものとしていたため火葬も土葬もせず風葬だったんですって乾季が始まったばかりだというのに干割れした地面ラクダ草がかろうじて生きている …やっぱり砂漠日干しレンガと砂漠と砂が同化してますそんな砂色の砂漠なもんだからタマリスクの花のピンク色がことのほかきれいに見えちゃうトプラク・カラ移動し、6~7世紀からの遺跡で3つの城跡の山が並ぶアヤズ・カラへこの遺跡はかなり砂漠の中に建っていて砂まみれになりながら20分ほど上ります です途中、とかげちゃんに遭遇でもちょっとお退き …追い越して先へ進みます見たこともない「ブロッコリーお化け」みたいな植物があったりして楽しいぞが、しかし…高くのびちゃって、ブロッコリーが開いたら怖いぞひーっ ようやく到着向こうの方に見えているユルタ(ゲル)んところから歩いてきたんだよぉ 暑っ 喉乾っ ビール欲しっ上ってみたものの …こんな外輪が残されているだけで火口のようにガランドウなとこでした …プチがっかりでっかい砂漠 に見えるちょっとだけ広大な砂漠気分を味わい下山な、大層なもんでもないがユルタのところに戻ったら …ラクダいた …お尻がかわゆい乗れるらくだらしいけれど、ご遠慮申し上げましたユルタでランチ予定だったのでフライングで中に入り…フライングでビールっってお願いしたら …温かった …ちっお初のウズベキスタン・ビールだったのに 残念右は、ヒヴァに戻ってスーパーでゲットした 冷え冷えビールやっぱり暑いときには冷えたビールじゃなきゃねぇ白い花咲いてる …杏子なのかなぁヒヴァに戻って一息ついたら夕暮れのイチャン・カラ(城壁内の街)に出かけます目的は… そう、夕陽雲が多目ではあったけれど古都に沈む幻想的な夕陽でしたディナーはイチャン・カラの中のレストランでウズベキスタン料理… ウズベキスタン料理は中国にも似ているしトルコ。ギリシャや東欧にも似ているし…もちろんロシアの影響もある「どこかで食べたことある味」ま、やたらとジャガイモ&ニンジン攻撃でしたが…この日はランチがディムラマ(肉じゃが)ディナーもちょっと味は違うけど肉じゃがそれと大きなパンとディルの入ったサワークリームが必ず出てくるのよこの後、ちょこちょこアップしま~す 長かった第1日と砂漠の2日目終了です…続きはこちら 2. アムダリヤ川下流のオアシス、ヒヴァ ~世界遺産イチャン・カラ2017年4月:ウズベキスタン、蒼穹の世界遺産の古都の旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 3, 2017
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青の世界だったウズベキスタンから帰国しました…現地のwifiがイマイチだったので画像アップは断念後ほど旅行記にて詳細をば… ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
April 25, 2017
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