メキシコ・ベリーズ・グァテマラ・ホンジュラス・エルサルバドル・コスタリカ・パナマ 31
タヒチ・パラオ・バヌアツ・パプアニューギニア・ニューカレドニア 31
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この日は最終日スロベニアの首都リュブリャナからクロアチアの首都ザグレブまではバスで3時間弱ザグレブからドーハ経由で帰国予定ですザグレブ旧市街にはかつてカプトルとグラデツという2つの街がありライバル関係だったそうですが17~19世紀に統合したそうですジオラマの一段高くなっている部分が旧市街カプトルは聖母被昇天大聖堂周辺で模型だと奥の部分モンゴル帝国バトゥのハンガリー王国侵攻によってロマネスク様式で建てられた大聖堂は破壊され避難したハンガリー王ベーラ4世が西側に造った街がグラデツで聖マルコ教会周辺になります(模型の手前部分)そのザグレブ大聖堂 現在も絶賛修復中だわこの日日曜日だったので午前中はミサが行われていて入場できなかったので、午後に再度行くことにして…旧市街にはオーストリア・ハンガリー帝国時代の西欧風のデコラティブで柔らかな建物が多い一方新市街には社会主義時代の厳つくて味気ない建物が並んでいます大聖堂前の広場から西に向かって歩いていくことに…城壁が残っていますお城っぽいデザインのマンホールあれ?この辺りお城あったっけか?壁はオスマントルコからの攻撃から守るために造れらたものでドゥブロヴニクの城壁と同じ時期のものだそうですお城の方は… グラデツ(ザグレブ)の紋章でしたドラツ広場では青空マーケットが毎日開催されていて大賑わい!こういう場所ってテンション上がるぅ野菜やフルーツだけじゃなく木製のオモチャやオーナメントいくつかにブロックが分かれていてこのエリアは花市場 わお季節感のなくなるコスモス咲いてるっ透明ガラスに裏側から絵を描いたもので明るい色彩で素朴な図案の多いナイーブアート ザグレブにはナイーブアート美術館もあるほど伝統のある画法だそう街角にあったたまごちゃん …こんな絵柄だそうですもちろんこれはガラスじゃないですが…素朴であたたかな絵です上の街グラデツへ1731年の大火で焼け落ちた城壁と木製だった東門(石の門)1760年に石造りで再建し、現在に至っています火事の際聖母マリアのイコンだけが無傷で残ったため今でも石の門のマリア像にはロウソクや花を捧げて祈る人々が絶えずにいらっしゃいます1355年創業のクロアチアで2番目に古い薬局んん?ドゥブロヴニクには世界で3番目とかあった?ちなみに世界一古い薬局はフィレンツェの1221年創業サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局です13世紀に建てられたゴシック様式のカトリック教会は聖マルコ教会赤・青・白のタイル屋根が印象的で屋根にある二つの紋章は左が「クロアチア・スラヴォニア・ダルマチア王国」右が「グラデツ(ザグレブ)」を表しています童話の中の教会みたいですが実はココ政治の中心地でもあ教会の両脇には右側に国会議事堂があり左側に首相官邸があるのですが警備員とかなっしんぐです …ゼロって良いの?かわゆいタクシー?通っていきます…聖マルコ教会の正面からのびる通りにナイーブアート美術館がありましたこのクラシックカーはいつも駐車しているのかいろんな方のブログでも見かけました1632年にイエズス会によって建築された白い簡素なファサードの聖カタリーナ教会は現在はカトリック教会となっています・・・の左手を見たらば失恋博物館?!?!?Museum of Broken Relationshipsとはまた不穏な…ザグレブの旧市街にはこんなかわいい街灯が200以上あるのですが、これらすべて手動市の職員が夕暮れに一つ一つガス灯を点けていき夜明け前に消灯していくそうです13世紀に建てられた高さ30mのロトゥルシュチャク塔は正午になると大砲で時間を知らせてくれる …けっこ大きい音らしいけど 気が付かなかったぁ~展望台からは街を一望できる絶景スポット上ってないけど…だってここは上の街と下の街の境界線なので塔に昇らなくても一望できちゃいます聖母被昇天大聖堂方面はこんな感じ下の街まではケーブルカーもあるけれどオーストリア・ハンガリー帝国時代の軍人でクロアチアの英雄ヨシップ・イェラチッチ提督の名前がついたイェラチッチ広場までゆっくり歩いて降りていきますランチはこんなに一杯並んでいるレストランからココっ!ってチョイスするの難しいわ~というのも、目星をつけておいたレストランは伺ったときすでに満席!! 観光シーズンね乾燥していて暑くなってきていたのでビールが美味いのなんのって!!暑いんだけど…ザグレブ名物料理と聞いてラザニア~シェアしたいというと、きちんと2つに分けて焼いてくださるというステキなお店でしたレストランの前の道に突如現れたパレードなんのパレードだったのかな…わんこも暑っいね~さてガソリンエネルギーチャージ完了!午前中に入れなかった13~18世紀にかけた建てられた高さ105mの2つの尖塔が空に伸びているネオゴシック様式のザグレブ大聖堂(聖母被昇天大聖堂)へ現在の大聖堂は1880年の大地震後1906年に建設されたものですが1216年に完成したロマネスク様式の大聖堂が歴史の起源大聖堂に入ってすぐ右側の壁面一面にはスラブ語圏最古とされるグラゴール文字が刻まれていますキリル文字の原型になったとされる文字だそうですバロック様式の説教壇自然光とキャンドルのみが灯りの聖堂内厳かな雰囲気の中スタンドグラスからの光がカラフルで美しい1855年に設置されたオルガンは6068のパイプを持つそうです正面の祭壇にあるのはキリスト像でも絵でもなくザグレブの大司教であったアロイジエ・ステピナッツ大司教を象った人形が横たわるガラスケースが安置されています第二次世界大戦後に戦争犯罪人の烙印を押され軟禁生活の中死去その後クロアチア新政府によって名誉が回復された大司教は殉職者として人々の信仰を集めているのです外観は修復中で残念なものもありましたが聖堂内はさすがに大聖堂、荘厳な雰囲気で風格がありましたそろそろザグレブにもお暇いたします…ザグレブ空港は新しくてとってもモダンカタール航空のカウンターはがら空きだったのにドーハ便は満席 orz しょうがないわね~で、ドーハでゆっくりしようとラウンジに向かったらまさかのラマダン!早っ!!で、ターミナル内も全て禁酒しょうがないことと分かりつつも、太陽が昇っている時間でも食事は用意されるのならアルコールも置いておいて~食事が美味しいだけに辛かったわそんなこんなのクロアチア旅行無事に成田に着陸いたしました旧ユーゴスラビア構成国の7か国のうち未訪のメジャー?なクロアチア、スロベニアをメインにボスニアヘルツェゴビナとモンテネグロも含めて行きたくて決行した目まぐるしい旅行でしたがやっぱり行って良かったあ!!複雑な歴史を持ちながらも美しい街並み、美しい自然柔らかな微笑みを持つ人達の暮らす国々どの都市もそれぞれの表情があって本当に素晴らしかったこの国々もどんどんと発展していき変わっていくんだろうな…その「今」を「今」見ることができて感動でしたまたいつか訪れてみたいなと切に思った次第です今回も長い旅行記にお付き合いいただきありがとうございました ....fin.2018年5月:セルビア~ボスニアヘルツェゴビナ~クロアチア~モンテネグロ~スロベニアの旅トップに戻るInstagram 始めました(^^♪国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
June 21, 2018
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オーストリア、イタリアの国境近くユリアン・アルプスに位置する氷河湖ブレッド湖の~んびりと魚釣りしているおにーさんの、向こう岸の丘の上にはブレッド城おとぎ話の世界に迷い込んだみたいな幻想的なエメラルドグリーンの湖の上にぽつんと浮かぶ小島はスロベニア唯一の島だとか…プレトナ・ボートと呼ばれる手漕ぎボートで渡ります環境への配慮からモーターボートは禁止されていて渡し舟屋さんが代々船頭さんを受け継いでいるそうですブレッド島には15世紀に建てられた聖マリア教会がポツンと建っているのですが、そこまでは99段の階段!!鐘楼の高さは52m鐘楼は趣があるけれど聖堂はけっこ質素でそっけない感じ中は白くて明る~い祭壇前に上からロープが下がってるんですが…望みが叶う鐘がありまして…このロープを引っ張って鐘が三回鳴らせれば叶うとかそのため鳴らす人の行列がズラ~~っとあってひっきりなしに鐘が鳴るから …うるさいよとブチブチ言いつつも鳴らしてしまった強欲なヤツです鐘楼にも上りましたよ…って、さっき鳴らした鐘がある方じゃなく外にあった高い方だけど…せっかく上ったけれど網が張り巡らされていて写真的には面白くない景色でした島は10分もあれば一周できる本当に小島ブレッド城がきれいに見えてますブレッド湖は氷河湖なので、深いところは神秘的なミルクがかったブルーグリーン往復同じ船なので船頭さんも同じ人にお世話になります一日何往復するんでしょうね…岸辺の水はとってもクリアシャクナゲとマロニエ(トチノキ)が咲いてましたブレッド湖から約100mの高さの断崖の上に建つブレッド城スロベニア最古のお城の一つだそうで11世紀にドイツ王ヘンリック2世がブリクセン司教に譲渡したブレッド城は絶賛修復中 でしたなにかイベントが行われていたようで中世の姿の人々が… 雰囲気あるわ~お城はライラックが満開!ここまで登ってきた理由はコレっ!!展望テラスからさっきまでいたブレッド湖小さくポツンと浮いているブレッド島ユリアン・アルプス …は見えてる?見えない?16世紀の礼拝堂やには壁画が残り…古き良き時代に想いを馳せ…修復が終了しているフレスコ画は美しさが蘇っていました博物館やワインセラーもあって賑わっていました下界?に降りてランチはスロベニア料理!パブのようなインテリアで雰囲気ありますとなれば、やっぱりコレ ビール んまっスロベニア料理のグヤーシュはオーストリアやチェコでも良く食べられるシチュのような煮込み料理ちょっと塩味が強すぎだったかなぁ~Gostilna Pri PlanincuGrajska cesta 8, Bled 4260, Sloveniaブレッド湖のさらに奥の秘境ボーヒン湖スロベニアの最高峰のトリグラフ山は標高2,864m3峰ある頂上の一番高いヤツ… 見えん1778年にトリグラフ山に初登頂した登山家達を記念して200年後の1978年に建てられたモニュメント彼らが見ている方向にトリグラフ山が見える ハズなの湖畔にはポツンと洗礼者ヨハネ教会が建っていてそれだけで絵葉書のように絵になる風景だわ教会の外壁にはうっすらと壁画が残っています中には入れなかったのですがこじんまり…ブレッド湖の約3倍の大きさがあるボーヒン湖はブレッド湖と同じくエメラルドグリーンの水を湛えお魚もいっぱい泳いでいましたカヌーをする人も…のどかな田舎の街には 似合う大きなわんこ達!!いるわよいるわよ あっちにもこっちにもと、喜んでしまうわんこ好き黄藤だっ!!りっぱな大きな藤でしたこんな風景を眺めながらリュブリャナに戻りますスロベニアワインをゲットしてついでに… シードルもゲットして部屋飲みです続きはこちら 11. 首都ザグレブ旧市街 ~聖マルコ教会 ~聖母被昇天大聖堂 ~帰国2018年5月:セルビア~ボスニアヘルツェゴビナ~クロアチア~モンテネグロ~スロベニアの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
June 20, 2018
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最後に訪れたスロベニアももちろん旧ユーゴスラビア構成国ですが街の雰囲気が全然違うのです EU加盟国で通貨もユーロですし…社会主義的な建物も見当たらずとてもオーストリアっぽいというのも…14世紀以降ローマ帝国に編入されたため、チェコと同様に西方文化とカトリック教会の影響を強く受けたためなのです15世紀にはハプスブルク家(オーストリア公国、後のオーストリア・ハンガリー帝国領)の所領となり第一次世界大戦後セルビア・クロアチア・スロベニア王国(1929年にユーゴスラビア王国に改称)に加わったんですねその際にスロベニアの一部地域ではオーストリアとの経済的文化的な結びつきが強かったため住民投票が行われオーストリアに帰属を決めた地域が存在するそうです1945年、社会主義体制となったユーゴスラビアの構成国スロベニア人民共和国となり1991年6月にユーゴスラビアとの連邦解消とスロベニアの独立を宣言しました独立にあたっては10日間という非常に短期間の戦争を経てスロベニアは完全独立を果たしましたリュブリャニツァ川を見下ろす丘(標高は366m)の上には12世紀に建てられたリュブリャナ城が街で一番高い地点展望台になっていてフニクラ(ケーブルカー)で上れますスロベニアのちょうど中心に位置する首都リュブリャナ1時間走ればユリアン・アルプスを望むブレッド湖2時間あればアドリア海を望む海辺の街にアクセスできちゃう小さな国の首都リュブリャナも小ぢんまりとした可愛らしい街なので、徒歩で観光することができます古い街並みのなかにある… なぜか真新しいネズミの泉バロック様式のファサードと地元の建築家ヨジェ・プレチニックが手掛けた20世紀の建物が並んでいます…こんな南国仕様のペインティングもありましたが…ライオンブリッジ… 違ったドラゴンブリッジドラゴンはリュブリャナの守り神入口出口だけではなく欄干や欄干にある灯のベースにも鎮座してますマンホールにもお城とドラゴン!リュブリャニツァ川に架かっているプレチニックの代表作である三本橋車道1本と歩道2本が緩やかなアールを描いています市庁舎前広場市庁舎では結婚式が行われていたようで…かなり妙齢のお二方…お幸せに~緑のドームと2つの塔が特徴的な聖ニコラス大聖堂外観はあまり立派には見えない(すんまそん)ですが…扉がめちゃくちゃ重厚ですバロック様式の教会の聖堂内の美しさはさすが大聖堂1701年から1706年にかけてイエズス会の建築家アンドレア・ポッツォによって建てられていますフレスコ画はイタリア人画家のジュリオ・クアーリョにより描かれているそうです …豪華ぁ~しばらく座ってボーっとしておりました…ちょっと疲れちゃったしね三本橋に隣接するプレシェーレン広場フランツェ・プレシェーレンは「スロベニア最高の詩人」と称される詩人でスロベニア国歌の作詞者でもあるそう…の銅像が建っていますあと、めちゃくちゃきれいなピンク色のフランシスコ会教会も建っていて、写真撮ったと思ったけれど …なかったです…代わりに?きれいに活けられていたピンクの芍薬ざっと一周したリュブリャナですが…実はこの街わんこパラダイス!!それもおっきい子が多くてちょっとお惚け顔の子もいるけどこんな顔を見ちゃったらついつい笑顔になるわんモンテネグロのコトルはにゃんこパラダイスだったけれどここは圧倒的にわんこ天国街中にはわんちゃん専用の水飲み場も整備されていますこの日は旧市街でディナーワインセラーのような造りのとても良い雰囲気のお店いただいたスープとポークはいたって普通でしたけどねInstagram 始めました(^^♪続きはこちら 10. おとぎの国に迷い込む?「アルプスの瞳」ブレッド湖 ~ブレッド城 ~ボーヒン湖2018年5月:セルビア~ボスニアヘルツェゴビナ~クロアチア~モンテネグロ~スロベニアの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
June 19, 2018
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クロアチアに別れを告げて…また戻るけど国境を越えてスロベニアに向かいます雨の降る中出発して山を上ると雲の上!アドリア海に戻ってきましたずいぶんと迂回しきゃならないルートこれはランチで食べたスロベニアの伝統的なソーセージ、クランスカ・クロバサ厚めの皮をバリっと破ると脂がドバー系でしたプチ苦手スロベニアに入るともう何と言うか…ヨーロッパ!しかもココはオーストリア?ってくらい旧ユーゴスラビアの構成国の中ではいち早くEUに加盟、通貨もユーロなのでヨーロッパと同じに感じるのも納得今度こそアドリア海に(@^^)/~~~10000もの鍾乳洞があるというスロベニアその中で最長の総延長は27kmというヨーロッパ最大にして世界でも3番目に大きいポストイナ鍾乳洞一つの鍾乳洞にこれほど多くの種類の鍾乳石が見られるのは稀有とのことですが、それだけではなく100種類以上の珍しい生物の棲家でもあるそうで…こんなんもいるらしいホライモリという目のない両生類アリウム咲いてました…ピウカ川の地下水流によって200万年もの時をかけて徐々に形成されたポストイナ鍾乳洞現在、鍾乳洞の最大深度は115m 深っ13世紀頃から鍾乳洞の存在は知られていたそうですが大部分は1818年に当時皇太子であったフェルディナント1世の訪問に備え準備をしていた際に発見されました現在の観光コースは約5kmそのうち3.7kmはトロッコが走ってます ブレブレやんっで、このトロッコってシートベルトもなくそして、長っ ベルもなく走りだしました鍾乳洞内は8度に設定されているそうでその中をスピード出して走るトロッコけっこう寒いです ぶるっすぐに茶色や白の鍾乳石や石筍が並んでいるのが見えますがトロッコが速いので全然写真が撮れないぃぃぃ(ノ◇≦。)上から地面に向かって成長するのが鍾乳石地面から上に向かって成長するのが石筍鍾乳石と石筍が繋がると石柱と呼ばれます1mm成長するには10年から30年がかかると言われる鍾乳石気の遠くなるような時間よねグレートマウンテンの名前の通り地下に山があったりロシアンブリッジなんて言う名の橋を渡ったり…ロシア橋の由来は第一次世界大戦時にロシア捕虜によって建設されたからだそう地下にあっても吹き抜けになっているかのように見上げても見えないほど高い天井があったりと地下に広がる広大な街のようです巨大なアイスクリームが溶けてトロトロ~ みたいな?「スパゲティ」と呼ばれる美しい細く繊細な氷柱のような形状の鍾乳管も…落ちてきたら… 痛っ!!ナイナイこれもアイス୧꒰*´꒳`*꒱૭✧ ミルク濃い目かな同じ場所に乳白色と茶色の鍾乳石があるのって不思議な光景シンボルとも言えるブリリアント鍾乳石見えてきた… ココでそろそろ終点です鍾乳石の中でももっとも白く表面がキラキラ輝いて見えるので「ポストイナ鍾乳洞のダイヤモンド」と呼ばれています一方通行で見学できるので帰りのトロッコ乗り場は降りたところとは違いますびゅ~んと戻ります …速くて早いわ外にでると暑っ!からのスロベニアビール お初よポストイナからホテルのある首都リュブリャナまではバスで1時間ほどの距離ちょこっとリュブリャナにもホテルは立ち寄ったのですがその話はまた後程久しぶりにというより初めてキレイなホテルバーもあって早速ビールいただきましたわんディナーも朝食もビュッフェでしたが今回の旅で一番良かったなぁもっともディナーはチーズとワインがあれば満足しちゃうし朝もチーズとたまごとヨーグルトがあればOKなヤツですがRadisson Blu PlazaBratislavska cesta 8, Ljubljana 1000, SloveniaInstagram 始めました(^^♪続きはこちら 9. 首都リュブリャナはわんこパラダイスだった…2018年5月:セルビア~ボスニアヘルツェゴビナ~クロアチア~モンテネグロ~スロベニアの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
June 18, 2018
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この日は朝からプリトヴィツェに向かいますっ海とはお別れ高台から眺めるアドリア海は島が点在していて海岸線も入り組んでいて複雑途中立ち寄ったSAで買ったコーヒーが美味しかったぁイタリア文化圏だと思うのだけどホテルのコーヒーがどのホテルも美味しくなかったんだよね… ついでに買ったピーナッツのおやつも美味しかったこと追筆ひと眠りしているうちに国立公園はもう目の前…の前にランチちょっとおとぼけ熊さんのいるビストロですいただいたのは白ワインだったのだけれど見たことないビールがあったので飲んでいる人に瓶をお借りしました(՞ةڼ◔)メインは鱒料理 う~ん正直微妙ま、朝ごはんもたっぷりサンドイッチ食べたからここはパスしても良いか~ で、パスッBistro Vila VelebitaRudanovac 12 a, Korenica 53230, Croatiaお外でごはん食べてたわんこも眉間に皺寄せてたわ( ゜Д゜;)大小16のエメラルドグリーンの湖と92の滝が織りなすプリトヴィツェ湖群国立公園は1979年に世界遺産に登録されていますユーゴスラビアからの分離独立戦争での影響もあり危機遺産リストに載りましたがディリストされていますディナル・アルプス山脈から流れてくる水が標高636mから503mまで約8kmにわたって流れる中で形成されたプリトヴィツェ湖群は上流の湖群と下流の湖群に分かれています青空に新緑の森の中にある公園に入ってすぐに真っ白な滝がブルーグリーンの湖に流れ込む絶景が見えてきますこの辺りの地質がドロマイト(白雲岩)と石灰岩のカルストであることがこの特徴的な景観が生まれる素因となっているとのこと湖畔には遊歩道が整備されていてわんこも歩けます向こう岸にある木道を歩く人が見えますが豆粒のようにちっちゃぁ~いスケール感伝わるかしら~湖水はは紺碧だったり、ブルーグリーンだったり…もっと乳白色だったりとミネラルや有機物の量あるいは日照の角度などによって刻一刻と変わっていくのを見ていると飽きません高山植物もいろいろ… 名前はわかんないけどコケ類、藻類、バクテリアなどの光合成によってできた石灰質堆積物(石灰華)や枯葉や植物片等が年1cmの割合で積み上がっていくのだとか…そのお陰でこの色になるんでしょうけど、透明度もすごい!お魚さん(ニジマス?)も泳いでいますここは国立公園なので捕獲の心配がないのだとか…だけど一旦川の流れにのって公園外にでちゃうと釣られて食べられちゃう?!足のすぐ下が急流 …でしてというか既に滝じゃん虹出てます良くこんなところに遊歩道作ったわよねマイナスイオンの宝庫だけど下見たら ヒーッ ってなっちゃった一番大きな滝はその名も「大滝」(78m)下流のプリトヴィツェ川が流れ込んでできた大滝で湖群の最下流にある湖からコラナ川に流れ出していますこんな木道が整備されているので快適に歩けますプリトヴィツェらしいあやとりのような滝もあ~ やっぱりこの色が一番好きかもちょっと曇ってきた… 降るかなこれで下の湖群散策はお終い歩いて戻るの? じゃあないですよ渡し船があるので楽ちんです …が降ってきた!もう慣れっこになってきたけれどスコールの如くあっさりと突然降ってきて止むときもめっさ突然なんだよね…上の湖群を散策し始めると眩しー毎日、サングラスと帽子、雨対策の傘とカッパ+ 防寒対策までっていう重装備(´^`;)パオーンの象さんに癒されてまだまだ続く滝 …そろそろ飽きてきた(。>д
June 17, 2018
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飛び地のドゥブロヴニクからスプリトへ向かうにはいったんボスニアヘルツェゴビナに入り10kmほど海岸線を走るのは往路と同じ行程ボスニアヘルツェゴビナに入ったところでSAに入ると やった!フレッシュオレンジジュース売ってましたクロアチア南部のダルマチア地方にある半島に位置するスプリトの歴史は古く295年-305年にディオクレティアヌス宮殿を造営されたことが都市の起源あ~ 雨降ってきたぁしかも… 寒っここは銀の門(東門)ローマ皇帝ディオクレティアヌスは305年に政治から引退するにあたり故郷の近くに隠居用の宮殿を建てるよう命じ故郷ディオクレア(サロナ近郊)にほど近い海辺のココを建設の地に選んだのですローマの軍事要塞のような宮殿は堅牢な構造をしていて宮殿南側は海に面し、170mから200mの長さの城壁(高さは15~20m)で囲まれていますディオクレティアヌスは予定通りに引退し自発的に自ら職を退いた最初のローマ皇帝となったそう現在の宮殿跡は後から入植してきた人々によって勝手に住みつかれ、散々荒らされ造りかえられ現在も人が住んでいるため地下部分だけ公開されていますディオクレティアヌス宮殿のあるスプリトの歴史的建造物群として1979年世界遺産に登録されていますこの方がディオクレティアヌス皇帝宮殿地下部分は石造半円筒ヴォールトの建築宮殿跡からでると直ぐに見えるのが聖ドムニウス大聖堂 美しいけれどこの時は雨けど、この1時間後には信じられないくらい晴れたの(トップ写真) ってことで、この辺りは後ほど雨の降る中、わんこにプルプルされつつ路地をぬけ…壁画があったり水は出てなかったけれど水飲み場が完備されていたり…金の門(北門)をでると1929年に建てられたグルグール・ニンスキ司教像10世紀に宗教会議でスラブ語の使用を禁止されたもののその撤回を求め尽力したため「クロアチア語の父」と呼ばれるグルグール司教様の左足の親指を触ると幸せになる・・・とかペディキュアが施された親指がピッカピカなでなでしちゃった強欲女ヾ(・ω・*)雨も止まないので先にランチにしよう!とと、ワイン飲んでたら晴れてきた?!?!?こちらのお店はシーフードが有名なのでダルマチア地方の伝統料理をいただくことにこの日はお魚はスズキ?だったかなそこに野菜とハーブを加えてトマトベースのスープでコトコトと煮込んだブロデットパレンタ?イタリアのポレンタよりちょっと固めのコーンミールを茹でたものが添えられていましたシーフードの出汁がしっかりでている濃厚な煮込みおいし~Trattoria BajamontBajamontijeva 3, Split 21000, Croatia外にでたらメチャ晴れてるやんっ!大聖堂に戻るとさっきとは全然違っていてびっくり当初ディオクレティアヌス帝自身の霊廟として建てられ埋葬もされたロマネスク様式の聖ドムニウス大聖堂ん?なぜディオクレティアヌス聖堂じゃないんだろ…実は彼はローマ皇帝時代にキリスト教徒の迫害を行いキリスト教徒から最も憎まれるローマ皇帝だったそうその後キリスト教が公認され霊廟は壊され大聖堂に改装されたとき彼の石棺を撤去し(捨てちゃったの?)代わりに彼の迫害により殉教したドムニウス司教の棺と祭壇がおかれ、守護聖人になったのだとかそのため聖ドムニウス大聖堂と名づけられたそうですディオクレティアヌスがエジプトから持ち帰ったスフィンクスは オリジナルよ~せっかくだからと高さ60mの鐘楼上っちゃいます○○と煙と言いますからね …階段 怖っ鐘楼からの景色はビューティフォ200段近くあったと思うけど上ってよかったぁ季節によってはクルーズ船が何隻も寄港していて大混雑になるそうですが、この日はガッラ~ンだけど、地上は人人人の大混雑 プラスのクルーズ客でこれ以上混んでいたら…せっかくなので聖堂内にも入場(別料金なんだけど)1214年に造られたオーク材のドアドームにフレスコ画はなく無地…もしかして消えちゃった?ロマネスク、ゴシック、バロック等ミクスチャーの様式で造られた聖堂は…金色に光り輝くゴージャスな主祭壇正面から見ても背面から見ても超豪華だけじゃなく側面にある祭壇もすばらしい聖堂前にある小さな建物はジュピター神殿草木モチーフのレリーフがきれい中は洗礼室になっていますレリーフが …なんだかお茶目?鉄の門(西門)から城壁外に出ます元々は海だった南側はプロムナードになっています城壁もこんなにお化粧されちゃって…中を覗くと、こんなにおしゃれなレストラン歴史的というか世界遺産の建物なのに良いのかなぁ暑くもなってきたので、テラス席に陣取って…ビール!! んまっ今回の旅で出会ったレモンビール、これもおいし~スプリトからバスで30分も走るとトロギール水道橋が残ってましたクロアチア本土とチオヴォ島の間の中洲のような小さな島にあるトロギール1997年に古都トロギールとして世界遺産に登録されています橋を渡ったところにある旧市街へのゲートには守護聖人がいらっしゃいますトロギールも城壁に囲われている(た)街ですが現在では途切れていて一周は囲われていませんあら、わんこも入る??聖ロヴロ大聖堂の鐘楼は高さ47m… 一日2回の鐘楼上りはさすがに断念しました13世紀初頭に建築が開始され17世紀に完成しましたそのため… ここもですが様々な建築様式で建てられていますこの正門のレリーフが豪華で印象的飛び出したライオンの上にはアダムとイブガーゴイルもユニーク教会の前の舞台では男性がアカペラで歌うクラパというクロアチアのフォークロア歌ってくれました カフェがありましたがあまり人はおらず…わんこいた~ 迷惑そうな顔されちゃった… ごめんね扉が開いていた修道院を覗き…あれ、もう城壁外に押し出されましたカフェやお土産物屋さんチーズ屋さんなどが並ぶプロムナードこの日はここトロギールに宿泊海辺のホテルで… ドゥブロヴニクと比べると高級ホテル\(^o^)/比較の問題ですけどね( ̄◇ ̄;)ディナーには塩サバあったぁ 朝はレバパテ&チーズサンドイッチ作れたし…それだけで文句言いますまい(´^ω^`)海岸までお散歩~Hotel MedenaHrvatskih zrtava 185, Donji Seget 21218, CroatiaInstagram 始めました(^^♪続きはこちら 7. マイナスイオンの洪水!世界遺産プリトヴィツェ湖群国立公園2018年5月:セルビア~ボスニアヘルツェゴビナ~クロアチア~モンテネグロ~スロベニアの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
June 16, 2018
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この日はドゥブロヴニクから足をのばして隣国のモンテネグロへ …「黒い山」の意味ですユーゴスラビアからの分離独立運動によって周辺諸国が紛争に巻き込まれる中、モンテネグロはユーゴスラビアに留まりセルビア・モンテネグロを構成する2つの共和国の一つでしたが2006年6月3日に独立を宣言したところあっさり承認byセルビアセルビアももう疲れちゃったのでしょうか…それともこんなに小さな国は別にいらないか… なんて思ったのでしょうか、無血独立でしたドゥブロヴニクからは1時間ほど走ると国境ここもあまり待つことなく通過できましたアドリア海沿いの風光明媚な景色は美しく世界遺産もありのモンテネグロ実はヨーロッパのお金持ち、特にロシア人に人気の観光地入り組んだ海辺を走るのですが途中フェリーというか渡し舟でショートカット対岸までは10分ほどなのですが陸路だと40分以上かかるとか…そこからは「黒い山」ならぬ「緑の山」越え …峠越えですモンテネグロビール …気が付いたんだけどこのデザインどっかで見たそ、実はモンテネグロでもクロアチアでもほぼ一緒それぞれ国が独立してビール会社も別会社になったのかなタイサンボクがきれいに咲いてました~憲法上はツェティニェが首都ですが事実上の首都ポドゴリツァ「ゴリツァ(小さな丘)のふもと」の意味だそうで眼下に広がるイトスギの生えるゼタ平原に位置します首都ですが… ちっちゃな地方都市の様でして…あまり観光スポットは無い模様(でも来ちゃった)ニコラ王の夏の離宮だった公園ニコラ1世は1921年に80歳で没したモンテネグロ国王で詩人でもあったそう… 現在こちらは博物館になってます平日の昼前なのに学生と思しき若者が公園にはたくさんいて、東洋人が珍しいのかクスクスクスクス 笑われていた気がするわ小さな正教会もあり小さいけれどきれいなイコノスタシスがありましたこの方がニコラ王?ではなく、有名な詩人だとか…国旗が大きくはためいています官公庁の建物でしょうか…メインストリートには…まだお昼には早い時間ですが…すでにみんな飲んで食べての… アメ横状態一説によるとモンテネグロの人は働かないので有名なんだとかそして徒歩数分で行き着いた共和国広場これにて首都観光終了っ!モンテネグロ産のワインVRANACなかなか美味しいワイン~アドリア海南部のリアス式海岸の一部でもっとも陸側に入り込んだ部分にあるコトル湾コトル湾の静かな場所に位置している城壁はヴェネツィア共和国によって築城されたものでヴェネツィアの影響を受けた建物が城壁内に残されています山頂まではりめぐらされている総延長4.5kmの城壁「コトルの自然と文化歴史地域」として1979年にユネスコの世界遺産に登録されています1555年に造られた海の門(西門)城壁にヴェネチア共和国のシンボルである有翼のライオンのレリーフがありましたちょっと変顔かしら?ゲートを入ったところには1602年に建てられたという時計塔路地に入っていきます…宮殿…と言っても裕福な貴族の家にはそれぞれ凝った意匠のレリーフが残されていますこちらは17世紀のプリマ宮殿レリーフだけではなくアイアンワークスもすばらしい1166年に建てられたローマンカトリックの聖トリファン大聖堂は旧市街にある教会の中で最大鐘楼は高さも形も左右で違っていますキリスト教徒の迫害に乗じて殺されたコトルの守護神トリファンを祀っています塔以外の部分は創建当時の姿だそうですが聖堂内は1979年の地震で破壊されたものの修復されています …の、年が2016年??にゃんこは我関せずコトルはにゃんこパラダイスごめんね、寝ているところを起こしちゃった?広場の真ん中で堂々と寝れるって度胸あるわ~近づいてきてくれる子もいるけど、ほぼ無視されちゃったもちろん…わんこもかわいいアピールしてきますスヴェタ・ニコラ広場にあるセルビア正教会の聖ルカ教会1195年に建てられたロマネスク様式の小さな石造りの教会は古ぼけているけれど雰囲気がありますこちらは地震にも耐えた堅牢な教会だったらしくイコノスタシスも華美ではないけれど年代を感じます聖ルカ教会の向かいに建っている聖ニコラ教会もセルビア正教の教会1909年に建てられた新しい教会なので大きくて立派ですが威厳や荘厳さは欠ける かな18世紀に建てられたフランシスコ会修道院サンタクララここはピンク色の大理石で柔らかなイメージさてさて… わん&にゃんと戯れ教会も堪能し だけじゃないコトルなんだかかわいいブティックが多いのですギャラリーも点在するので本当に飽きない郵便ポストはあまり街になじんでないわね~楽しいコトルに後ろ髪をひかれつつボトルブラッシュに見送られまた国境越えですっこの日もドゥブロヴニクに戻り宿泊国境越えもありディナーはホテルでサクッと…レバがあってプチうれしかったわAdriaticMasarykov Put 5, Dubrovnik 20000, CroatiaInstagram 始めました(^^♪続きはこちら 6. ディオクレティアヌス宮殿のある世界遺産スプリト ~世界遺産の古都トロギール2018年5月:セルビア~ボスニアヘルツェゴビナ~クロアチア~モンテネグロ~スロベニアの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
June 15, 2018
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この日はモスタルからクロアチアのドゥブロヴニクへこれがなかなか大変でして…ボスニアヘルツェゴビナからクロアチアへ国境越えするもののボスニアヘルツェゴビナ唯一の海岸線にある街ネウムが回廊状態で分断しているのでまたボスニアヘルツェゴビナに入国10kmほど走りまた出入国しなきゃならない飛び地のドゥブロヴニク今まで内陸にいたので海に向かうのうれしっ!途中、オルチャ渓谷に迷い込んだ?ってくらいトスカーナっぽい風景が広がり風土も文化もイタリア寄りになってきた のかな?フルーツや蜂蜜が売られていたけれどココはすでにクロアチアなので通貨も違い… 断念あ、ボスニアヘルツェゴビナは独自通貨もあったけれどユーロが普通に普及しているので便利でした海見えてきた… となるとトスカーナっていうよりヴェネツィア感でてくる…このあたりの入り江はとても入り組んでいて高速道路もないので本当に時間がかかりますここには唯一橋が架かっていてショートカットドゥブロヴニクの市街に入っていきます2度の国境越えで時間が読めなかったものの非常にスムーズに越えられたのでランチには余裕~「ワインと街」とかカメラ遊びできちゃった海の街ならでは… ってことでツナペーストとムール貝のリゾットムール貝がね… ちびっこだったわ中世から海洋貿易で得た財力によって発展してきたクロアチアの南端の街ドゥブロヴニクそっれにしても海がきれいドゥブロヴニクのイタリア語名ラグーサは当時のラテン語名ラグシウムに由来するものです中世のラグーサ共和国はジェノヴァ、ヴェネツィアと共に5大海洋共和国に数えられる力を持っていたところまだヴェネチアの影響下にあった1272年にドゥブロヴニクは自治権を得て独自の法制度を整えていったのです15世紀から16世紀にかけてはとくに発展し薬局の開業や上下水道が整えられたんです上下水道が江戸時代にあったってことよね(⦿_⦿)この海辺の城壁内にも水飲み場が何ヶ所も…1814年にオーストリア・ハンガリー帝国が占領しハプスブルク領ダルマチア王国の一部になりましたが、第一次世界大戦後にユーゴスラビア王国の一部となり名称もラグーサからドゥブロヴニク変わりました城壁を上から見てみよう!とケーブルカーでスルジ山頂へって、これは日本ではロープウェイって言うかも1944年10月にチトー率いるパルチザンが侵攻しユーゴスラビア社会主義連邦共和国の1構成国となったわけですが、まだまだ続く歴史と変遷左側に見えているのはロクルム島1970年代に世界遺産に登録されていたドゥブロヴニク旧市街戦争による惨事から避けるため非武装化が行われましたが1991年のクロアチア独立宣言後、ユーゴスラビア人民軍に残っていたセルビア・モンテネグロ勢力によって7ヶ月間包囲(ドゥブロヴニク包囲)され攻撃されてしまい世界遺産「ドゥブロヴニク旧市街」は破壊されてしまったのです当時モンテネグロの政権はドゥブロヴニクがクロアチアに残ることは歴史的にモンテネグロの一部であると主張し、容認出来ないと宣言しかしながらドゥブロヴニクで多数を占めるのはクロアチア人であるためドゥブロヴニクは住民投票を行い、94%がクロアチアに留まることを支持したため最終的にはクロアチアの一部となった歴史 長いです…紛争終結後は砲撃による旧市街の損害はユネスコのガイドラインに忠実に元来の姿に復旧が進み現在でも世界遺産に登録されています城壁外にも要塞があり、ロヴリエナッツ要塞37mの高さの崖の上にありますスルジ山(@^^)/~~~巨大な十字架が見えますが、そこから写真撮ってたの~大行列でしたがケーブルカーに何とか乗れました降りてきたところは港になっていて個人所有のボートや観光船がいっぱいジブリ映画の「魔女の宅急便」や「紅の豚」のモデル…様々な土地の寄せ集めではないかと言われているのであくまでモデルの一つということらしいですが…モデルになったとも言われているドゥブロヴニク14~15世紀に造られた旧市街地を囲む堅牢な城壁は幅が3~6m、高さは25mにも及ぶもの城壁には4つの門があり、現在も旧市街への入り口となっていますピレ門から入ります門の左手に見える砦は城壁最高地点のミンチェッタ要塞旧市街のメインストリート、プラツァ通り敷き詰められた大理石がツルツルしていて真ん中が高くなっていて水捌けが良くなってますそれにしてもすごい人人人…世界で3番目に古いという薬局があるフランチェスコ会修道院城壁内はけっこうな勾配があって北側を見れば… 凄い坂道というか階段あっという間にプラリア通りは終点ルジャ広場にもオノフリオの小噴水があります聖ヴラホ教会聖ヴラホはピレ門にも飾られる守護聖人中はピカピカでしたねルジャ広場にはゴシックとルネサンス建築様式が融合しているスポンザ宮殿(現在はクロアチア独立戦争記念館)の、鐘楼には鐘をつく小人さんルジャ広場から見えるカトリックのドブロヴニク大聖堂は(別名、聖母被昇天大聖堂)英国のリチャード王が1192年に創建したそうですが1667年の大地震で全壊17世紀にバロック様式で再建されたものです中は真っ白で大理石がふんだんに使われていて豪華かなり新しめですが… さてさて… 歩くよ~城壁ウォークは一周約1時間とのこと反時計回りに歩くのがルールです城壁はかなり高低差があるので先にしんどい方上りが続く北側から周れるプロチェ門の近くから…段々視界が高くなる=階段しんど~いけど、最高地点のミンチェッタ要塞からは絶景!上って良かったぁ ま、筋肉痛必至ですがココからは南方向で下りかと 思いきや…上りやんかぁฅ(๑*д*๑)ฅ城壁には何ヶ所かカフェもあって…考えることはみんな一緒だよねってことで、ビール休憩五臓六腑に染み渡るってのはこのことね生き返ったわ\(^o^)/ごはんください…って一生懸命だったわんここっち振り向いてくれたっ きゃっわいいっ港の見えるところまで戻ってきて城壁ウォークは終了路地をそぞろ歩き…いかにも海外!って感じのスィーツのお店バロック式の階段の先には聖イグナティウス教会ちょっと早いけれどディナーですシーフードが食べたいとレストランを探して…サックサクのイカのフリットとヴィネガーの酸味がキリッとしたタコサラダクロアチアワインを合わせて最高!・・・来たわね、にゃんこ でも待っててもあげないわよぉ我関せずと寝てる子もいましたが…KameniceGunduliceva Poljana 8, Dubrovnik 20000, Croatiaあ、あんなところに わんっ!Instagram 始めました(^^♪続きはこちら 5. 首都ポドゴリッツァ ~世界遺産の城壁都市コトル2018年5月:セルビア~ボスニアヘルツェゴビナ~クロアチア~モンテネグロ~スロベニアの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
June 14, 2018
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サラエボからネレトヴァ川に沿って標高2000m級のディナル・アルプスを越えて古都モスタルに向かいます途中こんな新緑と清流と雪の残る山……心洗われるような景色の中ヤギ丸焼きちう??(>_﹏
June 13, 2018
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さすがに疲れ果てた初日…時差ボケすることもなく爆睡起きたらすでに明るかったわ(@_@;)なんだかモダ~ンな建物があるかと思えばアウシュビッツの煙突?みたいなプチっとオドロオドロシイ煙突もあり…後から聞いたら、昔ここにあったレンガ工場の煙突が残ってるだけだとのこと ほっサクッと朝食を食べて早速サラエボの街中へディナール・アルプスに囲まれたサラエボ渓谷に位置しミリャツカ川周辺に広がっているサラエボ市街冬は1984年に冬季オリンピックが開催されたほど寒く5月は初夏の如く暑い典型的な盆地気候ですサラエボは宗教的な多様性で知られていてイスラム教、セルビア正教、カトリック、ユダヤ教が何世紀にもわたって共存してきたところなのでぐるりと見廻すといろいろな教会、モスクが見えます複数の民族と宗教が共存していたとは言えこの辺りの事情と歴史にはやはり重いものがありますボスニアヘルツェゴビナがユーゴスラビアからの独立時人口の上では最多のボシュニャク人 え?ボシュニャク人?ボシュニャク人とは15世紀から19世紀にかけてオスマン帝国支配下でイスラム教に改宗した南スラブ人の末裔のことですボシュニャク人を中心とした国家をつくろうとしたもののセルビア人勢力は相容れずボスニアヘルツェゴビナへの参加を拒否しスルプスカ共和国(セルビア人共和国)を樹立セルビアの勢力を維持したいユーゴスラビアはもちろんセルビア人勢力を支援しいわゆるサラエボ包囲が起こったんです建物も様々で旧市庁舎はイスラム様式建築ヨーロッパにいるのを忘れそうちなみにサラエボ包囲は現代の戦争の中で最も長期にわたる都市包囲で1992年4月5日から1996年2月29日まで続いたんです旧市庁舎前を流れる川がミリャツカ川う~ん、決して清流とは言えない色近年のユーゴスラビアからの分離独立時における紛争は記憶に新しいところですが…現在進行形の問題も抱えていてシリア人難民キャンプもありましたそして…ココはその昔、100年以上前の1914年にオーストリア帝位継承者の暗殺事件から第一次世界大戦のきっかけになったというサラエボ事件の現場オーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が1914年6月28日にボスニア出身のボスニア系セルビア人民族主義者ガヴリロ・プリンツィプによってラティンスキー橋(ラテン橋)側(写真だと対岸側)で暗殺されたサラエボ事件で、なんでこれが第一次世界大戦のきっかけになったの?かは良くわからないですが…橋を渡り街の中心部に向かって歩きます遺跡?の向こうに見えているモスクがあるところはオスマントルコ時代の中東の雰囲気をもつバシチャルシァモダンな建物と遺跡のハーモニーがエキゾチックっていうか、気持ち良いお日和でこのテラスでビール飲みたくなるわこちら側はカトリックのところ…うまく分別共存してるわけですね旧市街の西側はヨーロッパ風の建築が並ぶ街になっていますオスマントルコが衰退し20世紀初頭にはヨーロッパから撤退その後オーストリアの影響が大きい建築物が建てられ戦後の共産主義時代の無機質で殺風景な建築群も残っておりその後の紛争で破壊された後に建てられたモダンな建物もあり…けっこ何でもありのサラエボですセルビア正教会の生神女誕生大聖堂は聖母マリアの誕生を記念する大聖堂1863年から1868年にかけて建設された聖堂は3つのバシリカと十字架を備えた5つのドームを有していますこちらは1884年から1889年にかけてゴシック建築で建てられたカトリックのイエスの聖心大聖堂あら、聖堂内の写真がナイ…さてさてまた歴史に戻り…サラエボ包囲の結果、12000人以上が殺害され50000人以上が負傷したものと推測されておりその85%は軍人ではない市民であったとか…またセルビア人勢力の占領下となった地域では主にボシュニャク人の非セルビア人の市民が殺害されたり強制的に追放されるという民族浄化 …え?ナチス再来??が行われたそうですが、当時報道されていたかしら?知らないことばかりのボスニアヘルツェゴビナ紛争でしたここが東(オスマントルコ帝国)と西(オーストリア・ハンガリー帝国)の文化の交差地点本当街の雰囲気がガラリと変わります東側に入ると露店やお土産物屋さんが雑然と並び中東のスークにでも迷い込んだ感じザクロジュース おいしそキャラバンサライのような造りの建物は1542年から1543年にかけて建設されたガジ・フスレヴ=ベグ・バザール長さ109mにわたってアクセサリーやブティックなど50を超える店舗が並んでいます1531年に建てられたオスマン建築のガジ・フスレヴ・ベイ・ジャミーヤ・モスク紛争で損傷したものの、最近再建されたとのこと白とブルーを基調にしているモスクですが水場だけはウッディバシチャルシァの中心にあるセビリ(水飲み場)ジモティ方は普通に飲んでいましたが… さすがにねトルコ語でバシ=主要な、チャルシァ=市場の意味だそうでそのまんま市場です食器や装飾品、衣服などを並べた店が多くて…アクセサリーがめちゃくちゃかわいくて安くて… 買い物熱に憑りつかれたぁ~ ケバブの香りに誘われて…ランチはケバブほうれん草と挽肉、酸味のあるチーズが入ったボスニア風パイのブレク…この時すでにビールがなくなっていたぞケバブは普通かなぁ~それよりやはり感じるのはトルコ~ギリシャ~バルカン半島~ブルガリアって料理似てるよねInstagram 始めました(^^♪続きはこちら 3. 世界遺産の古都モスタル ~再建されたスタリモスト2018年5月:セルビア~ボスニアヘルツェゴビナ~クロアチア~モンテネグロ~スロベニアの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
June 12, 2018
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絵葉書のような…って言うフレーズ聞きますが…本当にあったんだねInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 20, 2018
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世界で2番目に大きい…らしいInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 19, 2018
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16個ものエメラルドグリーンの湖群と大小様々な滝…マイナスイオンもいっぱいですInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 18, 2018
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晴れ、曇り、雨が1日のうちにクルクル目まぐるしクロアチアスプリットのディオクレティアヌス宮殿の青空も1時間前には土砂降りだったんです…手荷物増えるわ(*´Д`*)Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 17, 2018
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クロアチアからモンテネグロへ…この辺りEUに加盟していてもシェンゲン協定には入っていないし、そもそもEUに加盟していなかったり…ってことで、毎回国境越えるのには時間かかりますで、モンテネグロの首都ポドゴリッツァここさ、EUに加盟してないけどEUの旗掲げられているし通貨もユーロ… 摩訶不思議古都コトルはクロアチアのドブロブニクのミニチュア版のようだけれど湾のドンつきにあるので雰囲気は全く異なるところInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 16, 2018
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街から見ても…山から見ても…城壁から見ても…こんな美しい場所があるのかと思うほど内戦のダメージ修復中の旧市街平和ってかけがえない…Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 15, 2018
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サラエボ事件の舞台ラティンスキー橋は小さな橋でした↓ここから第一次大戦が始まったとはね…一方↑は古都モスタル旧市街のムスリムとキリスト教の架け橋スタリモスト、内戦時に爆撃で完全崩落したものの現在は修復されています…を、眺めながらいただくワインは平和なひと時Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
May 14, 2018
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