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前回紹介した清内路峠を越えて、リニアの駅設置も予定されている南信州の小京都、飯田市までは車で一時間程とさほど遠くないので、年に何度か出かけたりもする飯田は信州でも指折りの桜の名所で、毎年のように春になるとお花見ドライブに出かけるのだが、今年は一人暮らしの松本から、家に戻ってきたばかりの娘と毎週末ごと、三週にわたってのお花見となった今回ご紹介するのは2回目。4月9日の良く晴れた日目的の中川村の大草城址へ向けて、お花見をしながらどんどん北上する予定て、まず最初に訪れたのが飯田市街の南外れ、旧山本中学校杵原校舎の校庭の桜だ 満開に咲く桜の下には白無垢の花嫁さん! それを祝うように見上げると、小気味よくまっすぐな線を空に描く飛行機雲昭和24年に山本中学校として建築され、昭和60年に中学校の統合により廃校となったが、地元住民によって整備がおこなわれ、吉永小百合さん主演の映画「母べえ」などのロケ地としても使用されている国土の歴史的景観に寄与しているものとして、全国では初めて新制の中学校校舎として国の登録有形文化財にも指定をされた歴史ある校舎だその校舎の真ん前にある枝垂れ桜は樹齢80年程であるそうだけど、やっぱ桜は学校の校庭にもぴったりだし子供たちの声も途絶えた山間の廃校だけど、桜の時期だけ沢山の人が訪れ、賑やかな一時を迎え桜もまた晴れやかだ 新しい校舎であっても、信州では木造の校舎なども見受けられるが長野県で一番古い校舎となると、長野県の県宝にも指定もされている飯田市の旧座光寺麻績学校校舎で、明治6年に建てられは、全国的にも例が無い一階を歌舞伎の舞台として造られているのが特徴だ明治初期、飯田の行政区は筑摩県で、永山盛輝権令は大変に教育熱心な人で学校建設をすすめており、明治政府も学制を発布し、学校建設の機運が高まっていました更に当時の田舎は娯楽が少なく、歌舞伎や人形浄瑠璃が人気があり、座光寺でも歌舞伎舞台を造る事が村人の願いでもありましたが、天竜川の治水対策の費用が負担となって村の支出について意見が割れている有様で、学校と舞台の両方を建てる事は出来ないので、舞台としても使える学校を造る事になったそのすぐ脇には麻績の里舞台桜は、半八重紅彼岸枝垂れ桜で樹齢は350年。樹高12メートル、目周り4メートルの圧巻の桜だこの八重桜は雄しべが花びらになりますが、八重のなり方が不完全で、花により花びらの 数が5~10枚と違う突然変異の桜で全国でここにしか咲かないんだとか満開を迎えた桜は、一陣の風が吹くとぱぁ~と花弁が空を舞い信州の澄切った空は綺麗な青色ををしており、薄紅色の桜の花が良く似合う。やっぱ曇りの日より格段に良いお花見日和だ見上げる桜と言えば、空一面を桜の枝がおおってまるで仏の上に翳される「天蓋(てんがい)」のようだからと名づけられたのが増泉寺の天蓋桜だ天蓋のように小さな寺の庭内を包み込む、見事な樹形の枝垂れ桜の樹齢は約300年で、樹高は18メートルで幹周4メートルだ増泉寺は飯田市内の伝馬町の専照寺の末寺で、慶長年間に創建をされたが、正徳5(1715)年に現在の場所に移転その時に桜が植えられたと考えられている今回紹介をした飯田の桜は、ついつい春になると見に出かけたくなる飯田を代表する桜の数々で、今年はどこも良い具合満開の花見となった桜というと五輪の染井吉野の花のイメージがあるけど、ホント様々な種類があるので、花のカタチも様々だ。この花、開きかけみたいなのがかわいらしい更にフルーツ大国信州だけに、飯田周辺は果樹の花も咲き乱れピンクの桃の花の、向こうの樹高の高い白いのは梨の花?こちらは飯田から北上して、中川村の大草城近くで中央アルプス(木曽山脈)が綺麗だったので車を停めて伊那谷は中央アルプスと南アルプスに挟まれていて、そのどちらか場合には二つともみられて贅沢だけど、中津川や恵那辺りでも中央アルプスや御嶽、恵那山などが眺められたりもするリンゴののった橋の下に流れるのは天竜川。天下の奇祭「御柱祭り」で賑わった諏訪湖を起点にして流路延長は213キロ(日本全国9位)で流域は急峻な地形である為、古くから「暴れ川」「暴れ天竜」ととも呼ばれている今日も木曽川辺りの新緑が綺麗だなぁ~~と、ドライブをしてきたが伊那谷でも新緑が目立つようになってきており、花粉症もない私はこの時期のドライブは大好きだ。車の窓も開け、お気に入りの音楽なども流したりもして娘が松本からいなくなって3ケ月程になるが、変わらず信州方面はお気に入りのドライブコースなので、5月に入り安曇野の田んぼに水がはられて、水鏡のように北アルプスが映り込むようになったら家族で出かけてみたいなぁとかまとめの文章を書いたりもしたけど、まだ文字数制限があるのでその日(4月9日)のお花見ドライブでラストを飾ったのが駒ヶ根の馬見塚公園午後遅くになってきてお天気もイマイチになってきたが、それでも遠くに中央アルプス、千畳敷なども見れた対岸にまわり反対側を見たら、こちらは良い天気? 南アルプスの白い山などもハッキリ見れるし。娘などは飯田方面の桜に大草城址などとまわるうちに疲れて、車の助手席でお昼寝タイムやっぱ、どんなに素敵なところでも一度見たら、二度三度と重ねるうちに感動も薄れもして、娘のようにもういいかぁ~なんて気持ちにもあるが、私の場合は桜は飽きないなぁ。信州でも古い名のある桜と違い、街路樹や公園などの桜は普通に染井吉野桜の他にもツツも咲いている事だったりする。ところで家の進行具合ですが大工さんの仕事も4月上旬に終わり、今はクロス張りとか、本格的な和室の仕上げとかにはいっています。塗り壁ですので左官屋さんも入るそうですだったら、リビングとか廊下も塗り壁にして貰えばよかったかなぁ壁紙選びでも娘や旦那とは、ことごとく好みが違う事が違う事が判明しました。娘は布地系(私は苦手)で旦那は輝くばかりの白い石目調(洋風)の壁紙が好きで珪藻土みたいな素朴な塗り壁とか到底無理だった。トイレも任せるとかいったのにお風呂同様に、ああだこうだと横から口を挟まれて私の好みのフェミニンなものなど悪趣味だ、見たくないとまで言われ却下され自分の思うような内装にもならず、なんかやる気も半減し当初からエコカラット使う気満々だったのも面倒になって、壁紙のまんまであとは外溝工事をするかって所で、敷地内の溝にはU字溝を入れて直して貰うからかまうなと旦那や姑も言っていたのに、石屋だった舅が自分で勝手にいじって石入れて、石つんで・・・あの、そこの溝の古い石の撤去料金だけで10万越えるそうですし余計、業者さんの仕事増やしてるし。玄関先にも山に転がってた石を置きたいからと勝手に持ってきて置いて、庭に使う石とは違うからと言われ。舅なりに庭を自分でこうしたいああしたいと考えて行動に移しているんだとは思うんだけど、それが現代の新築の庭に相応しいものとは程遠そうなものだし下手に昔やってたから、造園業者の仕事にもケチでもつけそうで心配だ。1つ気に入らない事があると全てが気に入らなくなるのが世の常なのか、その時は納得したはずなのに「俺は井戸を埋めるのも気に入らなかった」とか、ぐちぐち言い出すし。家の前の門柱もそんなもんは何も役に立たんどころか邪魔だとダメ出しで、折角の造園プランも書き直してもらう事に外溝費用が250万もかかるとか舅が知ったら卒倒しそう。何せ家の坪単価を「10万か?(いつの時代??)」って聞いてきたくらいだから。溝の他にもカーポートや駐車場のコンクリートに洗濯物干し用にもにわか雨用のカーポートも別に作ってもらうし口出してお金出さないなだけならまだしも、手まで出して欲しくはないのになぁ~。舅が完全に手を出せないようなお庭が無事に出来ますように。そんなんで、なんだかんだで入居は外溝工事も延びそうなので入居時期は6月にずり込みそうです家の外でもそうだから新居でも舅があれこれ持ち込み、勝手し放題ですんごく心配です。壁に釘打ち込んだり、家の中に鉢植え持ち込んで水やりしてこぼしたり。完全に自分が大将。支配下の家気分ですからほとほと旦那も姑も手を焼いてます。言う事聞かないもん 平成28年4月9日に南信州伊那谷で撮影 通勤中の娘の車を借りてネットをしにきましたが、限られた時間 しか取れませんので今回は日記の更新のみしか出来ず、皆さんの ブログにお邪魔する事は出来ませんでした。数日内には再び車を 借りて、書き込みにいかせていただきます。申し訳ありませんにほんブログ村
2016年04月22日
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長らく東海テレビの男性アナウンサーが中山道の美濃路を西から東へ旅する、地方情報番組スイッチ!内のコーナーも木曽路に入り、遂に岐阜県最後の宿場「馬籠」に到着した恵那市のあたりから見てたけど、うちも映っていたし(汗)落合の石畳では、高井アナウンサーが古人に思いをはせて涙するシーンも印象的だったが、地元中津川で忘れてはいけないもう一つの道が、古代における五畿七道のうち「東山道(とうさんどう)」である>元々は、中国で用いられていた行政区分「道」に倣った>物である。日本における「道」の成立については大化改新>以前より存在したとする見方もあるが、五畿七道の原型は>天武天皇の時代に成立したと言われている。当初は全国を>都(難波宮、平城宮、平安宮)周辺を畿内五国、それ以外の>地域をそれぞれ七道に区分した。ウィキペディアより転載木曽谷を北上する中山道と違い、東山道は中津川から険しい神坂(みさか)峠を越えて伊那谷へと入るルートをとっており>その険しい道程から東山道第一の難所として知られ、荒ぶる>神の坐す峠として「神の御坂」と呼ばれた>神坂峠は急峻で距離も長かったため、峠を越えられずに>途中で死亡する者や、盗賊が出ては旅人を襲ったとの>記録が、いろいろな古典に書かれている。後に、東山道>(中山道)は神坂峠を避けて、木曾谷を通るようになったため>神坂峠を越える者は減少した。>平安時代初期に、伝教大師最澄はこの峠のあまりにもの>急峻さに驚き、旅人のために峠を挟んで両側に広済院と>広拯院という「お救い小屋(仮設避難所)」を設けた。 ウィキペディアより転載このようにして古代より人の往来があった東山道沿いには日本書紀では日本武尊が登場し、古今和歌集や、源氏物語今昔物語集にも登場する歌枕にもなった「帚木」は恵那山の向こう側、園原(阿智村)という里にあるというが少し歩かなきゃいけないので一度も見た事はない。その近く南信州を代表する一本桜の「駒つなぎの桜」もあるのだけど忙しい時期でもあり、車も混むんだろうなぁ~といった憶測から行った事が無かったが、今年こそはと娘と出かけてみたこの近くには月川の花桃の里もあり春は大変な賑わいになるのだが、花桃は昼神温泉辺りまでで、まだ園原では咲いてはいなかったのと、例年に比べ早い桜の開花の為かお花見客もさほどおらず(平日、金曜日。娘は三連休)駐車場の心配もいらずそこからゆるい坂道をてくてく1キロ弱。目当ての駒つなぎの桜も満開じゃないですか? 写真とかでのイメージは田んぼの向こうでもっと遠くにあるのかと思ったら、意外に至近距離!本来であればもっと遅い開花ので、手前の田んぼにも田植えの準備で水をはり、それが水鏡のようになり美しいと言う話だが水も無し。夜のライトアップも見事のようだ フォトコン 2016年3月号【雑誌】【2500円以上送料無料】↑こんな感じか。雑誌の表紙を飾るような日本でも名を知れた桜については、看板の文章をお読みください↓かの日本史でも沖田総司と並んで、美少年と言われもした源義経ゆかりの桜なのかって、樹齢はせいぜい400年から500年らしいしどうやら、ひこばえであるらしい。ウィキペディアによれば>蘖(ひこばえ)とは、樹木の切り株や根元から生えてくる>若芽のこと。太い幹に対して、孫(ひこ)に見立てて>「ひこばえ(孫生え)」という。春から夏にかけて多く>見られるが、俳句では春の季語となっている。つい最近、テレビで昼間に再放送をしてたサスペンス枠で浅見光彦シリーズの「還らざる道 故郷への道に消えた老人?死者から届いた白木の壺!?半世紀に及ぶ贖罪の念・木曽檜盗伐に潜む巨悪親子二代に及ぶ不審な殺人連鎖」を見たばかりでそこでも「ひこばえ」が出てきました。中津川北部の裏木曽上矢作の木地師のもとに生まれた老人が孫娘に、木や森の命を次代に繋いでいく、ひこばえの事を語るシーンがありましたよさて念願の阿智村の駒つなぎの桜も見れた事だし、比較的道沿いにあるので、よく見る事が出来る桜の方も・・・・こちらは現代の木曽路から伊那谷に抜けるルートである清内路(せいないじ)。以前は清内路村であったが昨今の合併で阿智村に併合された。峠道は明治時代に作られたそうであるが>清内路峠区間に並行する中央自動車道中津川IC~>園原IC間に存在する恵那山トンネルは危険物積載車両が>通行禁止の上、通過に際し特別料金が加算されている。>このため、飯田市民・阿智村民・南木曽町民はもとより>同区間を利用しない物流トラック等が迂回路としており>交通量は多めである。 ウィキペディアより転載といった感じで、山道の割に交通量が多く、新しくトンネル作ったり、道幅の拡張工事も行われる地域の重要な道であり恵那山トンネル通行料金を払いたくない我が家も飯田市とか伊那谷に行くのには、この道ばかりだそんな山間の峠の集落にひっそりと咲くのが、黒船桜である↑詳しくはこんな感じ。黒船に直接は関係ないが、その時期に植えられたという話。ネーミングセンスが良いしこちらも満開。今年の春は飯田方面へ娘と三週に渡って3回お花見に出かけたが、どこも良い見頃だったし、のんびりと出来たのが良かった全国に知られた名のある桜も、沢山のお花見客を迎える桜もひっそりと山里に咲き地元の人が見上げる桜も、母親に手を惹かれた子供が指さす街の桜も、どの桜もみんな美しい花に優劣などつけれはしない このたびの熊本地方で発生をした大地震により、被災を された多くの皆様に心よりのお見舞いを申し上げます。 平成28年4月15日に南信州で撮影にほんブログ村
2016年04月19日
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桜も南から北へ、低地から高地へといった地域差や、種類などもあって早く咲くものもあれば遅くになってと、ある程度ずれるものだけど、なんだか今年の春は一度に咲いたのではないかと思うような花盛り4月中旬が見頃と思っていた信州の高遠桜も今年は3日に開花し、もう満開を迎えているそうで、早い桜から遅い桜と4月はお花見を満喫するつもりだったのに、なんだか当てが外れてしまって、もうお花見終了間近?それでも田んぼの準備に余念がない旦那は週末は自宅で農作業にいそしむ中、今までは平日休みだった娘が、転職をした事で週末がお休みになったので、母娘でお花見ドライブ2週連続で出かけた先は高遠桜を代表にして全国から、この季節には花見客がどっと押し掛ける信州は、伊那路私流にいえばお花見街道。早くは飯田市街に始まり、松川や飯島、駒ケ根、伊那と北上しその最後を飾るのは南木曽につながる清内路の黒船桜や駒つなぎの桜って感じだけど、家から近いのに歩かなきゃいけないし、駐車場も心配だからと駒つなぎの桜は一度も見た事が無いと言う現実。今年こそはと毎年思ひはするのだがそんな訳で、本来ならば観た順に飯田市街地の桜から紹介をしなきゃいけないところだけど次にいつネット出来るか保証が出来ないので先に紹介をしたい桜から。前回の名古屋城のつなぎにもなるし、やっぱ桜と城でいきますねこのブログでも以前にも紹介をした事もあるので、覚えのある方もいるかもしれないけど南アルプスの麓、天竜川を見下ろす中川村にある「大草城址公園」には江戸彼岸桜、染井吉野、枝垂れ桜など約500本が咲く花の名所として近隣住民に親しまれている天下第一の桜として名高い、高遠城址の桜とまではいかないかもしれないけど、遠くには中央アルプスの白き峰々を眺める風光明媚な大草城址は、交通渋滞の心配などいらないし入場料も必要が無い更に言うなら高遠城址は、固有種の高遠桜といっても樹が古く見上げる様な感じで、花にどうも勢いみたいなものが感じられないけどここ大草城址はありきたりの桜かもしれないけど、花の樹の年数がいい具合で、すんごく綺麗に花が咲いて、とても綺麗だしいたるところ人だらけな高遠城址とは違って地域住民を中心に程良い人出。週末の晴天に満開とあって、駐車場に交通整理の人も動員してたけど。まぁこんな感じでまったりとお花見を楽しめます。やっぱ時にブランドも良いけど、自分だけのお気に入りのノーブランド。穴場的なお花見場所を見つけてのんびりするのも良いものでとは言っても、うちのあたりの田舎の桜と違い伊那谷を代表にして、信州の桜にこだわるのがアルプスの山々がバックにあるというだけでなんか数倍位は価値が上がるような気もしてまっ、山里に桜もやっぱり言いか。昔は大寺院宮殿などもあって栄えた都が、今は里に戻った奈良の飛鳥とか、桜がすんごく似合うような最近、中日新聞に紹介されていた桜の記事だが日本の桜は様々な種類があるというのに、昨今は生育が早く一度にパッと咲き華やかな染井吉野がもてはやされて他の在来種が無くなりつつあるいつか日本人は日本古来の桜をイギリスに見に行く必要があるかもしれないなんでも20世紀に入ったヨーロッパは日本ブームで陶器や浮世絵の様な美術品の他にも、桜も日本から持ち帰られ、かの地で春には花を咲かせているらしい英国のコリングウッド・イングラム(1880~1981)は3度日本へ渡り様々なの桜を持ち帰り、日本の桜とヨーロッパ原産の桜を交配させて多くの新種を作ったそうだ 「中日新聞(東京新聞)の記事」そういった意味からも染井吉野ばかりのありきたりな桜の名所と違って様々な桜が植えられている点からも大草城址公園に好感が持てる。まだつぼみの状態の桜も何本もあったしそして、この城跡のチャームポイントが何と言ってもこれ。7番だか5番。体力を要せずだれでも楽しめるマレットゴルフはお年寄りに人気で、信州のあちこちマレットゴルフ場があり、良く紹介していた信州松本空港脇にもあったけど、ここにも見慣れた旗が流石に桜の季節は花見客が多いのか、プレーをしているお年寄りはいなかったお城の形状が、見上げても桜、目の前も桜、下にも桜って感じで様々な角度からお花見できるのも良いのかもしれないそうそう肝心の大草城のいわれなどは、写真をご覧下さいジビエ系のお土産なども売ってましたし、試食などもしていました高齢者の他にも子供たちも楽しめるように遊具もありました何より、やっぱ中央アルプスの絶景がおすすめです。大渋滞がお嫌いな方、賑やかなお花見がお好きではない方。大自然にも恵まれた中川村の大草城址公園いかがですか? 高遠城址から車で30分位かな?<おまけ>こちらの花桃の花が咲く飯田市街地にあるお城はお菓子の里、飯田城といいまして飯田インター近くに鎮座しています飯田の銘菓「赤飯饅頭」も売られていて店員さんが試食を下さいました。娘はあんこが嫌いなので赤飯饅頭は好物だセルフで飲めるコーヒー券も貰ったので、もはや手ぶらで帰れな~いいつもの赤飯饅頭など、幾つかバラで和菓子をお土産に購入飯田城のスグ横にある「麺づくり蒼空、飯田店」でお昼を食べるここは南箕輪村に本店がある人気ラーメン屋さんで、そっちは何度か利用をした事があるが飯田に支店を出したんだそんな訳で今週も旦那は関東地方への出張なので、私の車も使えるのでネット出来ます。でも出張時は早朝の電車に乗る旦那を駅に送っていくので早起きがツライ、今朝も5時前でそんな日は朝が余裕があるので、朝ご飯のおかずが多くなりどうしたの? 今朝はゴージャスと娘にも言われもしてにほんブログ村
2016年04月11日
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新築中の我が家の和室です。嘘です!ご無沙汰しておりました。日本列島を桜前線も北上中。私もお花見気分に浸りやってきたのは名古屋城、本丸御殿!まっ、ここが目的という訳でなくってすぐ近くにあるサンゲツの名古屋ショールームへ煮詰まった壁紙のサンプルを見に出かけたついでにお天気が悪い中名古屋城へ出かけたわけでして。熊本城本丸御殿も新しくなり話題になったけど名古屋城でも現在、本格的に本丸御殿を工期を3期10年をかけて復元中でして総事業費約150億円という大事業焼失前の御殿と同等の歴史的文化的価値を有する建物を再現する為、原則として旧来の材料や工法による旧状再現を図りつつ現代の技術や生産事情、活用方法や維持管理も考慮して取り組んでいるそうだかつての名古屋城の本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作とも言われ国宝にも指定をされていたそうで、二条城の二の丸御殿と並び武家風書院造の双璧と言われてたとか狩野貞信や狩野探幽などの日本画史上最大の画派「狩野派」の 絵師らにより、部屋ごとに異なる題材での床の間絵や襖絵などが描かれ豪華絢爛に彩られていたそうだが、取り外す事ができた襖絵などは、焼失を免れたそうだといっても、これらの襖絵は復刻版であって本物は、どこかにしまってあるんだと思うし天守閣で一部を展示、本物も見る事も出来る現在は、既に工事が終わった第1期の玄関と表書院が公開されているけど、第2期の対面所下御膳所なども今年6月には公開予定だそうでそれはそれで楽しみだたぶん、この先が6月からの公開場所になるんだろうな それにしてもゴージャス、流石に金のしゃちほこのせて、吉宗の天敵、徳川宗春の尾張徳川家の城だけある。更に将軍の上洛に伴う上洛殿が増築され本丸御殿の格式が最も高まった寛永期の復元だとか織田信長の誕生の城とされる那古野(なごや)城の跡周辺に徳川家康が九男の義直のために天下普請によって築城したとされる天下の名城である名古屋城(別名を金鯱城、金城)であるが徳川慶勝は明治新政府に対して、名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出のだが、ドイツ公使ブラントと大日本帝国陸軍第四局長代理の中村工兵大佐の訴えにより、山縣有朋が名古屋城と姫路城の保存を決定、名古屋城天守は本丸御殿とともに残され国宝(旧国宝)にも指定をされた太平洋戦争時の戦局悪化により空襲から金鯱を守る為に地上へ下ろし、障壁画なども疎開をさせたのだが昭和20年5月14日の名古屋空襲により、本丸御殿大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱等が焼夷弾の直撃を受けて焼失してしまった僅かに残された尾張藩時代の建物は、本丸辰巳隅櫓と本丸未申隅櫓、本丸南二之門、旧二之丸東鉄門二之門(現在本丸東二之門跡に移築)、二之丸西鉄門二之門御深井丸戌亥隅櫓で、重要文化財に指定をされている本丸御殿は前述のように本格的な復元工事を行っているのだが、天守は戦後の名古屋市制70周年記念事業として鉄骨鉄筋コンクリート構造によって復元再建大天守は5層7階で、エレベータが設置されており、車椅子でも5階まで上がる事が出来るバリアフリー構造となっている城内は江戸の町が再現され、お宝も展示されているそんな名古屋城天守も老朽化に加え耐震性に問題があり約29億円で耐震改修するか、本丸御殿同様に本格的な木造での復元なども検討がされている私としては、カタチだけのなんちゃって天守よりも木造での城郭の方がいいけど、巨額な再建費用などの問題もあるんだろうなぁ~そんな、この春は何かと話題の多い名古屋城ですが桜も満開。お花見のお客さんもいっぱい。ここでも海外のお客さんも目立ちますが、あのなんちゃって見せるのは体裁悪いです私的には折角、日本に来たら松本城、彦根城、姫路城あたりの桜でも見に行って欲しいところ。近場なら名鉄電車で犬山城もおススメだけど、まぁ城に桜は似つかわしいのは確かだし名古屋城内も桜だらけお天気がイマイチながら、お花見やってきた皆さんも楽しげだ満開の花にカメラを向けるお嬢さん花より団子な方の為にグルメな企画もあるようだ洋傘片手の武将と足軽。かぶきものの前田慶次のようだこちらは雨の中でも働く加藤清正公。天下普請とはきこえもいいが、西軍の武将らの力を削ぐ為に家康が城を作らせた訳で石垣は諸大名の分担によって築かれ、最も高度な技術を要した天守台石垣は、普請助役の加藤清正が築いたんだとか清正は尾張国愛知郡中村(名古屋)で刀鍛冶の子として生まれ、母親が羽柴秀吉の生母である大政所の従姉妹(もしくは遠縁の親戚)であったことから秀吉に小姓として仕え名を挙げたんだとか藤堂高虎や黒田孝高と並んで築城の名手として知られ熊本城、名護屋城、蔚山倭城、江戸城など数々の城の築城に携わったそうだそれにしても久しぶりのネットだけど、前にも言ったように仮住まいは駐車スペースが3台しかなくって旦那(もしくは私の車を、交互に旦那が通勤で運転)息子、娘の車で娘と私が共同に使っていたのだけどハイ、1月下旬に有給を残して家に戻り、3月にはプー太郎になった娘ですが、離職票が届いたら失業保険が切れる頃までに、のんびり転職先を探すとかいいつつも転職にスマホが無きゃと格安スマホを買って、履歴書なんぞも買いこんで、写真屋で写真も撮って、就活のカバンとシャツ(靴やスーツは持っていたの)も買いそれなりに頑張ろうかなって気持ちだけはあったようでして、ハイ、再就職がトントントンと決まり3月下旬から地元企業に働きに出ており、その通勤に車を使うので私の車(もともと娘と共同だったが)が無くなりました今週は旦那が出張でおらず、私の車を駐車場に置けこのように車で外出も出来ますが、普段は車の無い生活で、どうしても用事のある時は娘を会社に送って夕方まで使わせて貰い、夕刻に迎えに行く感じですちょうど3月上旬に新卒学生と既卒Uターン、Iターン向けの合同企業説明会がありまして、様子見に行ってみるかって娘が出かけたら、ちょうど前にやっていた職種の求人のある企業に出会って、次の週には仕事が決まってましたまだ前の会社から離職票も届いていなかった位なのに冗談じゃなく、地元に女性の正社員枠は皆無ですので給与は少しは減るものの、スグに仕事が見つかったのもこの時期に帰ってこれた運みたいなものも感じます4月1日には年下の新卒の子にまじって入社式にも参加させて貰いました娘のお弁当なんかも作ってたりします。今日は息子が夜勤なので夕刻早くに帰って、夕ご飯(朝ご飯?)を早めに食べさなきゃいけないし、なんかドタバタ度更にアップやっと壁紙も決まって、今度は和室の襖に塗り壁で最後にカーテンでって感じだけど、外溝とか最後に大物も控えており、家づくりも佳境だ。また名古屋のショールームにカーテンを見に行くかそれに娘といく気満々で買った温泉クーポンの載った雑誌を堂々の大人買いしたものの、車も無くなって思うように出かけられないし。でも恵那峡の温泉では満開の桜の下の花見露天。枝には鶯がやってきてたにほんブログ村
2016年04月07日
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