殿上人日記
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気が付けば5月になり、ゴールデンウィークも終わり、私も誕生日を迎えて1つ年を取りって感じですが、相変わらず仮住まいのアパートに住み、ブログ更新も4月上旬桜です一応は今回が桜の特集最後。でも娘と二人でのドライブで出かけたのは一番最初にあたりますが桜の古木が沢山あるのでも有名な、信州飯田の市街地の桜の数々を一挙ご紹介長野市(北信)、松本市(中信)、上田市(東信)に次ぐ長野県4位の人口を持つ飯田市は南信州の中心で古くは城下町で栄え、リニア中央新幹線の長野県駅が設置されるのでも有名です飯田藩は一時期は天領にもなり、小笠原家、脇坂家が治めた時期もあるが、その多くは堀家が城主を務めた城下町であり、今に残る伝統芸能の多さから南信州の小京都となっている宝暦4年に上棟された赤門は、全体がベニカラで赤く塗られている為に、その名がつき飯田城唯一の遺構であるそうだかつて飯田城二の丸のあった飯田市美術博物館の庭に咲く「長姫の江戸彼岸桜(安富桜)」は、樹齢450年程胸高周囲6メートル、樹高20メートル。長野県の天然記念物に指定もされている詳しくは↑をご覧ください。で長姫って誰?とか調べたら、飯田城を長姫城ともいってたそうだしお次に紹介をするのが、かつての飯田城桜丸御殿内にあったという「桜丸の夫婦桜」 なぜ夫婦桜であるのかと言うと↑このような珍しい桜であるからだしっかり一本の木になっている。飯田に桜が多いのは脇坂家の御城主のおかげなのか桜の開花が早めの桜なので、いつもは桜の終わり掛けになってしまうのだが、今年の春は満開の桜が見れた飯田城付近からてくてくと、城下町を次の桜を求めてお散歩中文明開化後に建てられた西洋風というか、和洋折衷なレトロな建物もあちらこちらに飯田市追手小学校は国の登録有形文化財に登録されている昭和4年建立の現役の校舎を使用しているようだこちらも戦前の建物で、昭和13年にに建てられた木造2階建の洋風建築の下伊那教育会館で、国の登録有形文化財に登録されているまた飯田市街地のお花見に戻る。前にもこのブログで紹介をした事もあるが、どのお寺の桜も個性的だこの「黄梅院の枝垂れ桜」は、古い割に花つきも良く色鮮やかなピンクの花びらは、まるで南信州の春を彩る花桃のようだ↑詳しくは、こちらをご覧下さいこのお寺は武田信玄の長女、黄梅院姫(北条氏政の正室)の菩提を弔う為に建てられたと伝えられているとか。華やかな花が姫の心を慰めている事だろう一度見たら忘れられないのが「正永寺の枝垂れ桜」脇坂氏が飯田城主時代に、弥陀の四十八願にちなんで四十八寺堂に植えた桜の一つだそうだ 天保3年と明治35年の本堂の火災を経ても、なおけなげに花をつけているそして「専照寺の枝垂れ桜」。ちょい早かったかな↑このような由来の桜で石仏さんの天蓋にあたるような桜だこちらは仁治元(1240)年に清秀法印が植えたと伝えられている飯田でもっとも古いとされる桜桜って花の命は短くてみたいに儚げなイメージのある花だけど、樹の方はかなり長生き。頑張っている飯田の古木シリーズの最後は千代蔵桜。今までの中で一番若い桜だとかいっても樹齢は200年だけども飯田市街地の有名な大宮通りの林檎並木に続く通りには、染井吉野を中心に彼岸桜や誓願桜、御衣黄など約150本の桜並木が大宮神社まで続いている市民の皆さんには格好のお花見スポットドライバーの皆さんはわき見運転はくれぐれもご注意中津川同様に、飯田も和菓子が有名な街なので、そこかしこに和菓子屋さんもあってお花見の名所では和菓子も購入できるので、娘と二人半分こしながらの食べ歩き花より団子という訳でもないが、この時期限定の桜のお菓子なんかもあれば、ついつい食べたくなるというものだまだまだ先になるかもしれないが、リニアが出来たら是非、飯田のお花見に出かけられるのも楽しいかもこうして3回にわたって今年の春は、娘と出かけた飯田&伊那路お花見旅だったなんだかんだで5月になっえ、いよいよごん月中には新居に入れます。パチパチパチ~。住宅ローンとか引っ越しの準備などで、またドタバタやっています 平成28年4月上旬に信州飯田で撮影にほんブログ村
2016年05月10日
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