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いよいよ今年も残すところわずかとなった。昨日は息子も自分の部屋を掃除機で掃除してたみたいだし娘の仕事も今日が最後で、明日から家族みんな休みなんで朝起きるのを1時間、遅くしようかな♪ という訳で、例年よりとりわけ1年が短く感じられた2016年の行楽を、総決算としてご紹介します最初の写真は、11月に旦那の勤続40年記念で夫婦で出かけた鹿児島旅行での薩摩富士開聞岳。こちらが桜島熊本地震の九州ふっこう割で一人当たり15000円が安くなりました。この旅行については年明けにもご紹介したいと思います今年は1月末に大学入学から10年近く家を離れていた娘が春には会社の家賃手当もなくなり家も新築するので家に戻ってきており、離職記念(ぷー太郎)で私と旅行これは2月に出かけた関西旅行。改修で真っ白になった姫路城、見事でした次の日には大阪で300メートルもあるというあべのハルカス最上階展望台から、有料で屋上のヘリポートへとのぼれたんで夕刻で大阪湾の淡い夕焼けが綺麗でした奈良では2泊。日本酒の手軽な立ち飲み屋も発見し喜ぶぷー太郎の娘との旅行は、昨年も利用が出来た宿泊料の半額相当を、政府からの交付金で支払ってくれるという地方創生交付金事業「ふるさと割」を利用したもので以前、一度だけ泊まった事のあるレトロな奈良ホテルも半額で泊まれるならと・・・。以前は素泊まりだったが今回は名物の茶粥も、このようなレストランで食べれたあと一泊は日本旅館だちょうど冬の「奈良大和路キャンペーン」で、鹿寄せもしていたので見学。ホルンの音色で一直線に鹿たちがやってきた最終日は京都の伏見稲荷。娘が大学時代に行った時には真夏でへばって一番てっぺんまで行けずに断念をしたので、冬なら行けるだろうとリベンジ本当に充実した3泊4日の真冬の関西旅行だったけどブログでは紹介できなかった。鹿児島に続き紹介出来たらなぁ1月末には先程のふるさと割を利用した、大阪府&JTBの「ふるさと割おおさか魅力満喫キャンペーン」で、こちらは宿泊代どころか、旅行代金自体が半額になってしまうという大盤振る舞い新幹線+ホテル代+JSJ大阪パスポート代が半額。ハリーポッターエリアに行きたがってたぷー太郎になったばかりの娘と出かけた6月には3月には就職先も決まり社会人のに戻った娘と滋賀旅行。なんでそんな話が出たか覚えていないが快速電車で長浜に行って大津の琵琶湖ホテルに泊まって映画も見て、次の日は近江八幡と彦根城という感じの旅行だった続けて7月後半には祇園祭後祭。昨年は姉と出かけたが今年の夏は娘と。ちょうどスマホのポケモンGO!の配信直後だったんで娘はそればかりで。丸山公園とかかなりやってましたね~。その印象ばかり残ってます。なんか娘とのお泊旅行は今年は関西方面ばかり出かけてたようなそしてNHKのフォーク番組観覧が当たったので、急きょ出かけた東京旅行。姉のところのお姑さんが具合が悪くなり、私だけとなって、東京駅周辺や東京国立博物館をウロウロしたのはこのブログでも紹介できた久しぶりにゼロ戦が見たくなっての靖国神社遊就館で五十二型。シン・ゴジラを見たことから旦那が永遠のゼロを借りてきたきたのが、きっかけだとは思うけど10月には浜松エアーパークで飛行展示のものを。日本にゼロ戦の現存機体は12機あるそうで、旦那は隼が見たいとか言うが、残骸とタイヤしかない模様。アメリカとかに行けば見えるらしいがそして今年最後のゼロ戦は、11月に出かけた鹿児島旅行まずは知覧で、海底から引き揚げられたままの形での展示知覧特攻平和館は内部撮影禁止の為、外から窓ガラス越しに更に鹿屋基地資料館で。12機しかない現存機のうち4機を今年の後半に見た訳で、鹿児島旅行については年明けに紹介する予定だ国内外を含めて、久々の飛行機の旅なのに雲海だし地上の大パノラマを期待したのになぁ帰りは初めてのプロペラ機。しかも飛行場を歩いて乗るだなんて、ドキドキ娘が常滑のイオンモールに行きたいというので、日帰りドライブで春に出かけた際に。娘はイオンモールで私と旦那はセントレアでの飛行機見物こちらは名古屋に出かけた時に、ついでに小牧の県営名古屋空港に立ち寄って、着陸する飛行機を真下から眺められる近くの公園へ。今は小型機ばかりだけどセントレアが出来る前は、ここをジャンボ機が飛んたこの前、紹介したばかりの10月に出かけた浜名湖近くの鍾乳洞は静岡県。ここから日帰りで出かけた近場ドライブ先程の常滑イオンモールのお出かけでは、午前中には近くの半田市をうろついた。黒壁が粋な街にはミツカンの工場もあり鯉のぼりも。国盛もミツカンにゆかりのある酒蔵で娘と試飲させて貰ったその後には土管の道などが楽しい常滑のお散歩。ここは招き猫など焼き物でも有名だいつもの高級宝石店も必ず立ち寄る、ご招待バス旅行では蒲郡のミカン狩りや岡崎の八丁味噌蔵を見学春先には愛知県で、手軽に世界一周の旅が出来るというテーマパークのリトルワールドで、今回も旦那が運転手なので娘と私の二人でフランスワインの見比べや、ドイツの地ビールなど。JAF会員の割引で格安で見学ができた更にJAF会員のサービスデーで格安で行けたのが愛知県で明治時代に手軽にタイムスリップが出来る明治村へ。教会のステンドグラスの光で人も虹色今回は私が運転しているので、娘のみ電気ブランをつまみのチョコレート付きで横でちびちび飲んでいたので、くやしいし土産に1本購入した更に名古屋市で手軽に南極気分や、雷体験もできて竜巻なんかも見れてしまう市立科学館へ娘と出かけた鳥インフルエンザが心配な名古屋の東山動植物園は桜のシーズンに出かけて、イケメンゴリラの人気者シャバーニの流し目ゲット名古屋と言えばアサヒビールの工場見学へ娘と出かけたのはオープン戦の観戦料金は安いので、ナゴヤドームに出かけるついで。この時は日ハム相手だったかなこちらは山本昌ファンの甥と二人で引退試合に出かけて一番前の席だったので間近に昌さんも見れて、甥も感激前から行きたかった秋の名古屋まつり。信長、秀吉、家康の三英傑は一般の人の応募で。なかなかの貫禄だよく名古屋の栄はイベントをやっていて、この時はゆるキャラがいっぱい。どうも伊勢志摩サミットをやった三重県のゆるキャラが大集合?黄金に輝く、名古屋城の復元したばかりの本丸御殿。まだ本丸御殿の工事は続いている。コンクリートの天守閣を補修か木造再建かというの、どうなるのか気になる比類なき現存、国宝天守の松本城。娘の引っ越しの荷物も片付け、明日の引き渡しを待つだけとなった最後の夜には娘と市内のホテルに泊まって松本城にお別れ松本はこじゃれたバーなども多いので有名だが、娘が前から行きたがっていた手軽な価格の立ち飲みの一杯酒場で飲んでラーメン屋に寄って・・・寒い夜だったなんて離れたはずの松本も、スイカを食べに行ったりとかたまに顔を出す。秋の塩尻で新ワインと新そば祭は楽しかった~伊那谷にも今年も桜を見に出かけた。前から見たかった義経ゆかりの駒つなぎの桜もいい感じそして秋には陣馬形山から伊那谷を見下ろす。正面は木曽駒、中央アルプス無論、近場ドライブは隣県の愛知や信州ばかりではなく岐阜県内もお出かけする。特に車で2時間ほどの飛騨の高山は年に1度は必ずスターバックスが出来ていたし。そして必ず寄るのが有料で試飲が出来る酒蔵。娘、いそいそとこちらは下呂方面から美濃太田方面に抜ける途中の国道41号、飛水峡。このルートもよく出かける車で1時間で行ける下呂温泉。春に幾冊も購入した地元情報誌で無料で入れる入浴券が、ここ下呂に2つあったし3回位出かけたかな。途中の道の駅かしもでモーニングを食べるのも楽しみだったその無料入浴券は車で30分の恵那峡でも使えたのでここも桜の頃に何度か出かけた何度か出かけたというと車で1時間ちょっとの土岐にあるアウトレットも。元旦の初売りに娘と行こうかと思ったが本気な人たちが朝早くから殺到するみたいなのでうちはあきらめた。ドトールの福袋とか興味があるけどなぁ~こちらは大正村。娘との近場ドライブも行きつくした感もあって、こんなマニアックな山間の観光地にまで足を延ばした。来年、どうしようかなぁ~。行ってないのはひるがの高原とか谷汲山くらい。あと関ケ原か毎年出かける飯高観音と岩村醸造の蔵開き。息子が運転手をしてくれる場合が多く、三人ともども飲める数少ないイベントだ高山に行く途中で、初めて出かけたのが下呂市萩原町の天領酒造の蔵開き。くじも引けて美味しいグルメも安く食べる事が出来るし、来年も参戦してみたい毎年恒例といえば中津川の菓子まつり。娘はこっちに戻ってきて初参戦。栗きんとんなど和菓子などが2割安く購入が出来、遠方からもたくさんの人が地元の馬籠では紅葉の頃に地味にライトアップをしていて・・・こうしてまとめてみると、ふるさと割&ふっこう割でお安く旅先はいつも娘と飲んで、ゼロ戦と城。そんな感じの旅だ1年間、お付き合いいただきましてありがとうございました 平成28年に日本各地で撮影にほんブログ村
2016年12月30日
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いよいよ今年も残すところ一週間となった。なんだかんだで何をしようがしまいが1年は過ぎてしまって新たな1年を迎えるのだが、今年を象徴した出来事といえばやっぱり新築の家に住めた事一生に何度もあるものでもないし、忘れられない1年となった。LDK10畳のリビング(手前)と同じ位のダイニングキッチン(奥)がこんな感じで斜めに接合しているタイプであるので、視覚的に奥行きも出来て広く見えるそうだそんなダイニングのテーブルで食事中にも、テレビを見たいテレビっ子の家族なのであるが、作り付けのテレビボードは大きいけれど、肝心のテレビは32型8年位前のかな。音声もいまいちクリアでもないし4Kも最近は安くなってきたので、せっかくだし大きなものに買い換えました。ダイニングテーブルから見るとこんな感じで、大きな画面になったので離れていてもテレビも見えます。音も前のよりキレイに聞こえますし私が座わっているリビングのコタツからは、前のテレビはこんな感じ。4Kテレビというものも実際の放送は有料のサービスなどで限定的に見えるだけで、先々、一般化してもアンテナも新しく変えてチューナーを買わなきゃ見れないそうだけど、実際に店頭で2Kとかより、4K相当の画像が映るテレビはかなり綺麗旦那はパナソニック好きなのでビエラのDX750シリーズの55型テレビ。高画質エンジン「ヘキサクロマドライブ」搭載で暗いシーンから明るいシーンまで、映像本来の色を忠実に自然な彩りに表現し、4K解像度によりその場にいるような臨場感とか奥行きすらも感じるとか。大手家電チェーンでのボーナス商戦で税込みでも16万台半ばでした 「ビエラDX750シリーズ公式HP」最大出力30Wの高出力アンプと大容量になったスピーカーにより力強い音を実現した「ダイナミックサウンドシステム」とか、本来のスピーカーだけでもデジタル放送の5.1chサラウンドを、立体的な音と出来る「バーチャル3DサラウンドIII」も搭載して、音もいいしやっぱテレビは音も重要ですしうちには各部屋に5台テレビがあるけど、最後に買ったのはもう数年以上も前なので、テレビも随分と進化したのには驚く無線ランなどでネットにつなぐ事で、有料や、無料での各種のビジュアルサービスが出来る。あっ、手前のモップはテレビの購入時にサービスで貰いましたブラウザのアプリもあるので、テレビでネット検索もできてこのブログも、55型のでっかい画面で見る事も出来たしお気に入り登録ですぐ表示もできるが、文字を打ち込むリモコン操作が面倒かな。PCと無線でつないでモニター扱いになればいいが娘はスマホのユーチューブを立ち上げて、そちらに連動(私のPCも出来た)させテレビでユーチューブ鑑賞。アーティストのプロモーションビデオとか画質も音も綺麗なので、娘が朝からユーチューブの音楽つけるので旦那、朝はニュースが見たい!と騒いでいるし。もっと早くテレビを変えてたら良かったのにねとは、新機能に喜ぶ娘壊れた訳でもない、ダイニングから見るのには小さかった以前の32型テレビ(奥)は、娘の部屋で使う事になって娘の部屋で使っていた10年前に居間用に買った26型のテレビ(手前)は電源も切れたりするようになっていたのでリサイクルに出す事にしたまだ液晶テレビも出始めだった10年前、パナソニックが好きな旦那はプラズマにするか液晶にするか悩んで選んだ、この26型液晶テレビは、今度のテレビと同様に当時16万円位したものだ今なら同様の大きさなら4万円位で買えるかな。随分とテレビも大型化し価格も安くなった。液晶テレビと言えど初期なので横から見るとかなり分厚い。アナログ時代には近くで見ると、画像が汚かったがデジタル放送になって綺麗になった液晶テレビの価格もほんの2、3年でみるみる安くなり7年位前には32型も10万円を切っていたし、テレビの厚みもこうみると少しは減ったそして今度の55型を横から見るとこんな感じ。壁にかける人もいたりするしね。そうそう最近のテレビは録画機能も搭載をして外付けHDDを購入すればいいいのだが、やっぱ大画面ならば、レンタルで借りてきた映画のDVDも見たいテレビを購入したついでに、前から欲しかったDVDも購入をした。テレビとの同時購入で5000円引きの特典あったのが有難い。夏前から狙っていた型落ちの機種だが、ブルーレイで1TB&2チューナーあれば、うちは十分だ。テレビとこれで合計で税込み21万だった。新たにそこのカードも作ったんで(値引き条件)入会ポイントとかも別に貰えるようだ今までリビングで使っていたのは500GBで、1チューナーなのでDVDを鑑賞中に肝心な時に録画予約が始まりますって感じで鑑賞が出来なくなってしまうので、家族から不満が続出やっぱリビングは家族でDVDとかも見たいし、家族で見たい番組も夜に録画したいので1チューナーは無理だそこでリビングにあった1チューナーのDVDはテレビ共々娘の部屋にお引越し。数年前にコカコーラの懸賞で当たって今まで娘が使っていたのは番組表などデータを読み込むのに深夜でも、定期的にウィ~~ンと音をたてて不評だったんで息子にやるらしいが私の寝室には旦那の好きなパナソニックで、ブルーレイの2チューナーのDVD(上の)で、ドラマとかは録画してから後で暇な時に見るので、日常的にかなり活用している。と古いカセットテープとDVDの兼用した録画機も壊れてもないんで、そのまんま置いてある(下) 披露宴とかまだカセットテープだしDVDにしなきゃと思って、早10年そんな訳で、1チューナーの今までのリビングのDVDを娘の部屋に持っていく前に、これからも見たいと思う番組などはDVDにダビングしとかなきゃいけないし。今までそうゆう事とかしたことないし。なにせカセットテープもそのまんまとりあえずおまけに貰ったとかで、昔から家に転がっていた新品のDVD3パックを開封してセットしてみたら、あらら10枚組のはアナログ専用なんで反応せず。先ほどのカセットからDVDにダビングするのにはいいかも。左下の5枚組はブルーレイ用だったので、これには使えない(他ではok) で使えたのは5枚のみ対応するDVDーRを購入して、せっせとダビングをするけどかなり簡単。しかも高速なので時間も数分位しかかからないしこんな事なら、容量が一杯で泣く泣く消去したあのドラマとかもダビングをしておけばよかったこちらは1度見ればいいやつ。娘もお正月休みに自分の部屋のDVDを見たりするんで、引っ越しはそれからになるようだしそれまでにせっせと見なきゃ。昼間の再放送ミステリー率多しこのあたりは今秋のスカパー!10日間無料デーで撮りためたものばかりで、アニメや音楽番組は娘のだから娘の部屋でも見るのでほったらかしでいい。あっ映画1個まじっているからこれは見て消去しておかなきゃこんな感じで家が新しくなった事で、以前はリビング兼ダイニング(兼客間)だったLDKも、新しくなったのでテレビも新しくしなきゃいけなくなったけど、たとえ家が新しく変わろうが、今まで通り変わらぬ事も。業者さんはカレンダーをくれたりするし。相田みつを・・・重い言葉だ超低金利な時代、ボーナス時期のキャンペーン時に合わせ定期預金とかをして、せめて景品を貰うとか。↑は最近のお気に入りのムーミングッズがかわいい岐阜信用金庫だが50万以上という高いハードルなので、巻きエプロンの他にもキッチングッズも貰ったお皿セット(トートバックも選べる)は、十六銀行で30万以上だ旅行ポーチは、JAひがしみのので20万以上で貰える冬のボーナスだけで、それだけ定期が出来る訳ではないので普段の給料とかは普通預金に置いておいて、ボーナス時期に金利アップや、景品を貰えるキャンペーンなど良いところで定期を作っている。ちょリス(貯金をするリス)のポーチはどんぐりのジッパーという芸の細かさがナイス食品が多い郵便局ではオリジナルのポッキーと焼きそばUFO前にはSKE48とかだったし若い人とか意識してる? 年寄りには菓子やカップラーメンは魅力がないので、今回はパス!でも年賀状を買ってきたのでそちらの細々とした粗品は貰ったなんでも来年になるとはがきが62円になるそうだけどなぜ60円じゃないんだろ。懸賞とかで50円のはがき切手に2円切手を貼って使っているけど、12円切手を作ってくれないと、10円と2円切手の2枚を貼らなきゃいけないと面倒だ今年は遅くまで喪中はがきが届いていたので年賀はがきの印刷もやっとした所だが、例年に比べて喪中はがきが多く他にも舅や姑の兄弟もなくなっているので、他の兄弟にも年賀状はおくらないそうだ。暖かだったり寒かったりでお年寄りには酷な年だったかもテレビボードの周囲には、電話やスピーカーとかも置くのでコンセントを沢山欲しかったけど、そんなにいらんでしょと業者に言われ、2ケ所5口の差し込み口しか作らなかったがやっぱ足りないじゃん。近くのコンセントから延長コードを使うが、家族からはジャマ!とか言われてしまった。実際に通り道にこれはないなそうそう最後に。旦那サンタさんに貰った時計です 平成28年の年の暮れににほんブログ村
2016年12月26日
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おっちゃんも少年時代に戻って、ワクワクするような空間が目の前に広がっていた。おばちゃんもやっぱりワクワクしたのは、航空自衛隊浜松基地のお隣にあるエアーパーク。航空自衛隊浜松広報館の展示格納庫だ1999年にオープンをした航空自衛隊初のテーマパークで航空自衛隊で活躍していた航空機やパイロットの携行品など装備品の展示を通し航空自衛隊の任務や活動、航空機のメカニズムを紹介しているしかも自衛隊の広報活動の趣旨からなので、大人も子供も無料!かつて、2位じゃダメなんですか?という事業仕分けによって一時期、有料化もされたそうだが来場者数がガクッと減ったのでこのままでは広報の意味がないからと、再び無料に戻ったそうだ10月に旦那の運転で、娘と一緒に浜松までやってきたのは新東名サービスエリアや鍾乳洞、浜松餃子が目的ではなくてここで展示されている、日本海軍の零式艦上戦闘機。またの名をゼロ戦(れい戦)をはるばる見にやってきたのだ何故、ゼロを見たくなったかというと夏の終わりに旦那とシンゴジラを見た事で(娘は君の名は)→旦那がレンタルで永遠のゼロを借りてきて→私がNHKの番組収録までの時間に、久々に靖国でゼロ戦を見ていたらちょうど旦那が電話をよこしたので自慢したら→旦那もゼロ戦を実際に見たくなったって訳です子供が小さな時に一度、家族出来た事はあるけどもさほど、ゼロ戦は意識していなかったかもしれないしかも、ここのゼロ戦は日本で唯一、飛行展示をしている(吊り下げられているだけ)ので、下から横から眺められるグアム島のジャングルで昭和38年に発見されて米軍が返還輸送し三菱重工で修復、復元された零戦52型だそうだ。搭乗員は尾崎伸也大尉で6月17日零戦12機の指揮官としてグアムへ着任7月19日グアム島の上空で敵艦戦を迎撃し、激しい空中戦を展開。尾崎大尉は敵2機を撃墜したが被弾しアガナ付近のジャングルに不時着をした。すぐに地上部隊が大尉を救出したのだが野戦病院で亡くなられた富士重工のT-1A練習機は、T-6練習機の後継機として配備された国産ジェット練習機で、主に13飛行教育団においてジェット練習機として使用されていたなんて感じで格納庫に様々な機体が並んでいるのはやっぱ壮観だ。しかもフライトスーツやヘルメットを着用して見学ができて、写真を撮ればコスプレ気分どことなく愛嬌のあるフォルムのこの機体は、三菱重工のMU-2救難捜索機で、民間型をベースに様々な装備を搭載し救難捜索機として使用されたノースアメリカンのT-6練習機はアメリアの映画などで塗装などで似せて、ゼロ戦の飛行シーンに使われたりしていたそうだ前から見るとこんな感じ。上空のゼロと比べていかがですか? 航空自衛隊には飛行教育を主に使用。また捜索救助用としても活用されたどことなくアートな重なり三菱重工のT-2高等練習機のブルーインパルス仕様。やっぱりかっこいいですね。小牧基地において1971年7月20日に飛行、11月19日にはアメリカでの超音速飛行試験でマッハ1.09を記録し、日本航空史上初の超音速飛行を成し遂げたデ・ハビランドDH.100バンパイアは英国のデ・ハビランド社が開発し世界各国で使用されたジェット戦闘機だそうですがなんとなくアナログなSFぽいフォルムをしているようなロッキードのマッハ2を飛ぶ超音速ジェット戦闘機のF-104J戦闘機は、G型を基に日本での要撃任務用途にあわせて、火器管制装置などを改良したものだそうで三菱重工がライセンス生産をしていたらしいさすがに無料の人気施設だけに、かなりの人たちが見学に来ていた。やっぱ若い男子率が高めかもT-3練習機。ウィキペディアによれば>航空自衛隊のレシプロエンジン単発の初等練習機>パイロットが最初に訓練するために乗る事を目的と>した機体。富士重工業が製造した。30年間近く>パイロット育成に使用され、2007年(平成19)>4月23日に退役した手前のは米国のシコルスキーによる救難ヘリコプターH-19で、海難救助にも使用されたらしい。奥のは米国ボーイング・バートルの救難ヘリコプターV-107最初はF1戦闘機の代替と言う事から「次期支援戦闘機(FS-X)」と言われたF2は実機が完成して後はXF-2A・XF-2Bと言われるようになったそうだ。これは試作機1号機みたいだ。三菱重工政府専用機の座席は座る事が出来、気分は要人航空祭の花形、ブルーインパルスコーナー 敬礼っ!こうゆうの見ててもワクワクしちゃいますね、やっぱ展示はますますメカニックになっていきまして・・・大型スクリーンによる映像コーナーもありまして、飛行機も空をガンガンと飛ぶ映像化と思ったら、何やらスポ根にも似た病気まで絡めたミニドラマ。あぁ先が読めすぎるし・・・汗あぁ~やっぱりなという、お決まりのラストシーンなんぞを見て、実機見てた方が良かったな・・・と。なんと次の週は浜松での航空祭だったみたいで、ブルーインパルスも飛んだみたいだしネットなどを検索すると、当日の抜けるような青空に飛ぶブルーインパルスが描くハートマーク。見たかったなぁ一眼レフ持参でとは言っても娘はそうゆう硬派なイベントは嫌いなので逆に敬遠されてしまったと思う。今回だってゼロを見に来た訳だが、娘の方はこの後に出かけた大きな浜松のイオンがお楽しみって事で娘が行きたがっている中部各地の大型ショッピングモールを連れまわされている。目下、テレビでよく取り上げられている名古屋近郊の長久手にオープンしたばかりの、イオンモールに行きたいばかりで、そこは長久手古戦場の跡地らしい。一度個人的にお隣の古戦場公園は行ったことがある織田信雄&徳川家康軍と羽柴秀吉軍が激突した小牧・長久手の戦いは壮絶な戦いとなり、池田恒興や蘭丸の弟の森長可といった名だたる武将が戦死し、首塚や血の池公園などというおどろおどろしい遺蹟もある次の大河の井伊直虎が育てた井伊直政も長久手の戦いで>直政は初めて赤備えを率いて武功を挙げ、一躍天下に>名を知られるようになる。また小柄な体つきで顔立ちも>少年のようであったというが、赤備えを纏って兜には>鬼の角のような立物をあしらい、長槍で敵を蹴散らして>いく勇猛果敢な姿は「井伊の赤鬼」と称され、諸大名>から恐れられた ウィキペディアより転載米国のカーチス・ライトのC-46D輸送機は当初は民間の旅客機として開発されたのだが、第二次世界大戦では軍用輸送機として採用されたそうだが、どこかレトロな感じだパイアセッキ・ヘリコプター(後のボーイング・バートル)のH-21はその形から、空飛ぶバナナと呼ばれていたそうだシン・ゴジラを見た事から今年の後半の行楽は、えらく硬派な行き先ばかりになってしまった。そうそう今日は日本初飛行の日であるそうだ。明治43年12月19日に東京・代々木錬兵場(代々木公園)で徳川好敏工兵大尉が日本初飛行に成功。飛行時間は4分、最高高度は70m、距離は3000mだったそうだ 平成28年10月8日に静岡県浜松市で撮影にほんブログ村
2016年12月19日
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寒い日が続いていますね。さて鹿児島の旅日記はどこに行ったの?と言われそうですが、今日の日記に関係するニュースを知ったので、ぜひこの機会に掲載ておきたいネタだと思いまして先に紹介します。今秋の10月8日に出かけた地底世界ですうちのあたりは、名古屋の局が制作した地方番組を見ているんですが、近場行楽などは東海三県の愛知岐阜、三重。それに南信州や静岡県西部あたりがプラスされるんですけど、最近の話題は新東名です既に通行出来ていた区間から豊田東JCT~浜松いなさJCTが延長されて、今春に開通をしたというので、新たに出来たサービスエリアの特集を、地方番組でよく取り上げるので行ってみたいな新東名って事で、最初にやってきたのは東海三県で最大規模となる「NEOPASA岡崎」上下線それぞれにコンセプトを設定し、同じ商業施設でありながら行きと帰りで趣が全く異なる、2つのコンセプトを共存させた初めてのサービスエリアなんだとか。オカザえもんももちろんいた。上り線の岡崎宿側から入ったお土産の他に手軽なグルメも楽しめるので、娘が買ってきたのは全国チェーンの「包宝PAOPAO」の肉まんで私は京都祇園の人気店が経営しているという「きっちんににぎ」の稲荷ずし娘が一口くれたんで、朝からもぐもぐ。稲荷はいらない模様旦那にも一口やろうと思ったが携帯にも出ないし、なんでも外で涼んでいたらしい出来たばかりの新東名の区間なので、カーナビにものってないし。山の中を走る実際、周囲は愛知県三河地方の山の中で風光明媚とは言えない景色だ次に立ち寄ったのは「長篠・設楽原の戦い」をコンセプトに本陣に見立てた建物外観に加え、歴史的観光資源を活かした火縄銃の展示や馬防柵を再現した「長篠設楽原PA」である上り線は、武田軍の赤備えである朱塗りを配色した外観で武田軍の本陣を彷彿させ、反対側の下り線は、物見櫓やのぼり旗・馬防柵を再現するなど長篠・設楽原の戦いにおける織田・徳川連合軍に見立てているんだとかそう、ここは歴史上において名高い「長篠・設楽原の戦い」の跡地に隣接しているのだ。長篠PA下り(織田PA)の駐車場から織田信長の陣跡だった茶臼山(旗のあるあたり)にも行けちゃうそうだが、帰りは暗くなってたので下りは寄らなかった。残念こちらの山は陣跡ではない。この山の地底には最初の写真の鍾乳洞があるのだ。2憶5千万年の時間が育んだ東海地方最大の鍾乳洞の「竜ヶ岩洞」だその全長1kmのうちの400mが見学コースだそうで無数の鍾乳石や落差30mの「黄金の滝」など見どころも多い。以前にも1度来たことがあるが、娘はまだだったので、ついでに立ち寄ったもはや、このあたりは来年の大河ドラマである「女城主直虎」一色という感じ。知ってました? 井伊直虎。井伊と言えば大老の井伊直弼や、井伊の赤備え、ゆるキャラのひこにゃん位なものでしたが世界のトヨタの豊田佐吉(湖西市)や、世界のホンダの本田宗一郎(浜松市)、スズキ、一条工務店、ヤマハ発動機、河合楽器の創業者も、浜名湖周辺で生まれたそうだが、戦国時代において何せお隣の三河出の徳川家康が天下を取って家康が浜松城主だったんで、浜松生まれの徳川秀忠公そして井伊直虎。いまやひこにゃんが一番有名な彦根の城主であった井伊家は、ここ浜名湖の北東に位置をした遠江井伊谷が発祥だったそうだなんて事など全く知らず、浜松と言えばスズキだヤマハだってレベルの家族なんで、妙に直虎ののぼり旗があるなぁ~って現地で初めて知った訳で、それをもし先に知ってたらやれ直虎の墓のある寺だ、井伊家の井戸だとまわったのにある意味で娘とか旦那、ラッキー。お寺<<鍾乳洞だろうしそれに今回のメインの観光地は全く別にあり、ジャンルも全く別。そこだけじゃなんだしと立ち寄った鍾乳洞な訳でそのメインの観光については次回、紹介をします鍾乳洞はこんなものにも見えますよって事で、ワニらしい附近一帯は、秩父中古生層という古い岩石(石灰岩)で形成をされており、大正時代には夕暮にコウモリが飛び出してくる洞窟の存在は知られており、地元の子供たちの探険遊びの場でもあったそうだその小さな洞窟の一番奥に幅50cm 高さ10cmの小さな窓があって、そこから吹き出してくる風などから、その先にも空洞が続いているのではないかと、昭和56年6月より地主の戸田貞雄さんの理解を得た二人の洞窟愛好家が、一輪車に粘土を積んでは運び出し、手掘りでの拡張作業を始めた数々の難所を突破し、様々な発見で洞内地図はどんどんとその距離を伸ばし、同年12月に調査隊は落差30メートルの「黄金の大滝」発見したそうだが、その滝、撮影禁止となっていたんで写真がない。見たい人は現地行って見て下さい約2年半の歳月をかけて調査と共に開発も進められ、昭和58年秋には一般公開となった。更にその後の調査により、総延長が1000mにも及ぶ大鍾乳洞であることが判ったそうだやっぱ鍾乳洞は楽しい。直虎の寺だか井戸見るよりもこっちの方が楽しかったかな。とは言ってもせっかく大河のゆかりの地に行きながら、その関連の寺社仏閣何一つ行かなかったとは! 何かやらかしちゃった感も半端ないしそんな気持ちに、もしかしたら浸っているのではないかと思うのがNHK。かつての婚約者の息子を立派な後継者に育てあげた女城主の井伊直虎。実は男じゃなかったのか?という資料が最近になって発見されたんだってニュースになっている「直虎は男だった!? 京都で新史料」中日新聞記事大河にでもならなきゃ一部のコアなファン以外には、誰それ?レベルだった井伊直虎だが、江戸時代前期の「雑秘説写記」という文書に、直虎とされてきた女性のいとこに「井伊次郎」という男性が存在しており、彼こそ直虎ではないかって話だそうで岩村城の女城主のおつやの方、立花誾千代、寿桂尼に甲斐姫吉岡妙林尼のように領国を采配し、戦う女たちも実際にいたけども、いくら戦国時代に女だからとなめられてはいけないとは言えど次郎とか直虎とか勇ましい名前を付けるか?とか思ってはいたけど真相はいかに?男女逆転疑惑と言えば、上杉謙信も妻子もおらず、来日をしていた宣教師が上杉景勝の叔母と書いていたとか、男もおよばぬ大力無双と、瞽女の歌があったりとかするそうだ流石に女とはいかないが、細面のイケメンの俳優さんとか起用をしますよねもともとマイナーな直虎は戦国武将のゲームで人気なので若い世代に大河を見てもらいたいから選ばれたなんて事もネットなどに書かれてるし。そんな訳で綺麗な柴咲さんが演じる勇ましい名前の直虎が、どのように語られているのかその生涯を簡単にネットの「ウィキペディア」で見てみます>遠江井伊谷城主(国人)の井伊直盛の娘として誕生。>母は新野親矩の妹(祐椿尼)。生年は定かではないが>天文5年(1536年)前後に誕生したのではないかと>推測される。幼名は不明。父・直盛に男子がいなかった>ため、直盛の従兄弟にあたる井伊直親を婿養子に迎える>予定であった>ところが、天文13年(1544年)に今川氏与力の小野道高>(政直)の讒言により、直親の父・直満がその弟の直義と>共に今川義元への謀反の疑いをかけられて自害させられ>直親も井伊家の領地から脱出、信濃に逃亡した。井伊家では>直親の命を守るため所在も生死も秘密となっていた>許嫁であった直虎は龍潭寺で出家し、次郎法師(次郎と>法師は井伊氏の2つの惣領名を繋ぎ合わせたもの)という>出家名を名乗った。直親はのちの弘治元年(1555年)に>今川氏に復帰するが、信濃にいる間に奥山親朝の娘を正室に>迎えていたため、直虎は婚期を逸すことになったとされる>その後、井伊氏には不運が続き、永禄3年(1560年)の>桶狭間の戦いにおいて父・直盛が戦死し、その跡を継いだ>直親は永禄5年(1562年)に小野道好(道高の子)の讒言に>よって今川氏真に殺された。直虎ら一族に累が及びかけた>ところを母・祐椿尼の兄で伯父にあたる新野親矩の擁護に>救われた>永禄6年(1563年)、曽祖父の井伊直平が今川氏真の命令で>天野氏の犬居城攻めの最中に急死したため、永禄7年(1564年)>には井伊氏は今川氏に従い、引間城を攻めて新野親矩や重臣の>中野直由らが討死し、家中を支えていた者たちも失った>そのため、龍潭寺の住職の南渓瑞聞により、幼年であった>直親の子・虎松(後の井伊直政)は鳳来寺に移された>以上のような経緯を経て、永禄8年(1565年)、次郎法師は>還俗して、直虎と名を変えて井伊氏の当主となった。「直虎」は>仮名であって、本当の名前ではない。『井伊家伝記』によると>「次郎法師は女こそあれ井伊家惣領に生候間」とあり直親の死去>により、この次郎法師しか後継者がいなかった>具体的には直盛の未亡人と龍潭寺の南溪和尚が相談の上、女性>地頭を誕生させた。 なお、この時代の「地頭」は鎌倉時代の意味>ではなく領主の意味として使用されている。 (中途・略)>小野道好の専横は続き、永禄11年(1568年)には居城・井伊谷>城を奪われてしまうが、小野の専横に反旗を翻した井伊谷三人衆>(近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久)に三河国の徳川家康が加担し>家康の力により実権を回復した>元亀元年(1570年)には家康に嘆願し、道好の直親への讒言を>咎め処刑する。しかし、元亀3年(1572年)秋、信濃から武田氏が>侵攻し、居城・井伊谷城は武田家臣・山県昌景に明け渡し、井平城の>井伊直成も仏坂の戦いで敗死すると徳川氏の浜松城に逃れた。その後>武田氏と対した徳川・織田連合軍は三方ヶ原の戦いや野田城の戦い>まで敗戦を重ねたが、武田勢は当主・武田信玄が病に倒れたため>元亀4年(1573年)4月にようやく撤退し、直虎は三度井伊谷城を>奪還した>その間、直虎は許嫁の直親の遺児・虎松(直政)を養子として>育て、天正3年(1575年)、直政が15歳の時に徳川氏に出仕させ>その際に直政は300石を与えられる(『井伊家伝記』)。天正10年>(1582年)8月26日、死去。家督は直政が継いだ。墓は井伊家の>菩提寺である龍潭寺に、直親の隣にある以上、「ウィキぺディア」より転載をさせていただきました。まっもともとが直政みたいに派手に活躍した人でもないので、資料もさほどないのかもしれません。所説だっていろいろあるだろうしそれを大河ドラマでどう演出するのかも楽しみです。江とかもかなりフィクションでしたしね。そこらじゅうの重要場面に突如現れ、ホントかよ~?と思いましたもんこうもりも飼育されてました。こんな近くで見るのは初めてかも洞内に飛んでるのも見ましたといった訳でお昼も近くになったので、浜松と言えば浜松餃子~。浜松の事を殆ど知らず(4回は遊びに来た事もあるが)現地入りをしたので、急きょコンビニで買ったガイドブックで浜松餃子特集のページを見て一番でかい写真の(笑)というか、一番近そうだったんで駐車場もあるし、やってきたお店は「浜太郎」。やっぱり人気店だけに30分位は待ったかな。地元っぽいファミリーなども利用していました待っているうちに(椅子あり)注文を取っていたので席に着いたらすぐに餃子もやってきて、この定食で780円はお得だと思うし、美味しいと旦那も娘も喜んでた。また浜松行ったらここ食べに行きたいな先ほどヤマハ発動機(オートバイとか)の創業者は浜名湖周辺の出身だと書いたけど、じゃヤマハは?と調べたら、こちらは山葉寅楠といい紀州藩の天文係の息子だそうで、長崎に出て英国人のもとで時計の修繕法を学び、浜松尋常小学校のオルガンの修理を手がけたことから、日本で初めてオルガン製造をしたんだとかてな訳で周囲は真っ暗です。午後のメインの観光先は、次回紹介します。最後に立ち寄ったのは新東名の「NEOPASA浜松」娘が富士にいた時によく利用した「天神屋」のおでん静岡おでんもB級グルメでは欠かせない存在だ。その特徴は鶏ガラ(か牛すじ)のでだしを取った醤油つゆを使用し、だし粉と呼ばれるイワシの削り節や、鰹節青海苔をかけて食べるもの。黒はんぺんも有名だしあと全国チェーンの「ハースブラウン」の、このSAでの看板メニューと思われる「プレミアムメロンパン」をぱくっ 平成28年10月8日に静岡県で撮影にほんブログ村
2016年12月15日
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昨夜はまるで台風のような強い風が吹いており、その音で起こされ、カーテンを開けて外を覗いたら西の空低くに鮮やかなまん丸の月が輝いていました。満月? さてさてお写真の方はいつもの松本城。娘が松本を離れて間もなく1年になりますが以前の蔵出しの写真ではありません。撮りたてホヤホヤの先週末、日曜日の松本城です。その日(11日)の朝など今シーズン一番の寒さじゃないかと思う程で、木曽の道もマイナス表示。マイナス4度というのも。道の彼方には中央アルプス、木曽駒やっとこさ着いた松本では、とりあえずあったまろうかと娘がよく行ってた、駅前の本屋さんでモーニングサービスコーヒー代にサービスでヨーグルトとパンが付いてくるという、うちの方とおんなじスタイルださて、今回のドライブの運転手はいつものように旦那さんで助手席に私、娘は後部座席といういつものメンバー。息子は仕事だったんでご飯食べさせ、洗濯をして午前8時前には家を出たけど、松本に着いたのは10時をまわってた。2時間半はかかりそうだ今回のドライブの目的は、塩尻に住んでいる舅の義妹さん(今は亡き舅の弟の妻)から、リンゴを貰っているのでそのお返しに、うちで作った米をもって言って欲しいと姑に頼まれたので更にはお正月には欠かせないアレや、この時期に販売をされる山形村の名産品のコレ、舅がお正月に飾りたいソレなんかを買い出しにやってきたのだ。アレやコレやソレについては最後に報告しますのでお楽しみに普通であればお正月の買い出しと言えば、海辺の海鮮系市場とかなんだけど、うちの場合は松本だと言うのも、長く娘がいた影響だと思うけど、塩尻の義叔母が存命中は今後も通う事になりそう。旦那は北アルプスも楽しみにしていたが雲に隠れて見れずがっかりしていたでもでもお天気は晴れていて風も冷たく。ブルブルブル~駅前の本屋でショッピング目当ての娘と別れ、2時間後に集合って事で、時間つぶしに旦那と松本城を見にやって来た時間になるまで、あてもなく松本の町をうろつく予定あちこちで水が湧き出ているのを、旦那うらやましがる東日本大震災が起きた年の6月、松本を震源にした長野県中部地震では犠牲者も。住宅24軒が半壊し数千軒に被害も出たが、ここにあったレンガの国の登録有形文化財に指定もされていた旧山崎歯科医院も損壊が激しく建物の一部を残し、新しく建て直された娘も震源地の近くで、通勤の為に車を運転していて、どおん!と突き上げるような感じだったんだとか。なんて事を思い出しつつ路地などを歩いてやってきたのは四柱神社。昨年、ここで娘が参拝を終えてぐるっと振り返ったら、真後ろにオレンジのロケでやってきてた山崎賢人さんと土屋太鳳さんがいて、びっくりしたって神社だ。この映画、最近になってやっとレンタルで見る事が出来た結構、松本市は映画のロケもあるし、サスペンスドラマの犯人とかの出身地とかで動機を探ろうと刑事がやってくるパターンが多い気もする(あと静岡、山梨あたり)交通の便が良くロケがしやすい田舎なんだろうな~四柱神社の境内には、このような神社もあり参拝する人の姿もなくこちらは戦争で亡くなられた方をお祀りしている招魂殿である本土の最前線であった鹿児島帰りの身であれば、とても素通りなどは出来ない四柱神社の目の前には、庶民情緒を感じるナワテ通りがあり映画オレンジでも出てきた、ふるさとでたい焼きを買い食いこの橋とかも必ずと言っていい程、映画とかで出てくる岳で、小栗旬が演じた主人公の三歩が道に迷いまくって女鳥羽川の橋に何度も戻ってしまうシーンとか思い出すそして、こちらは江戸末期から明治の大火で、商人たちが火事にも強いようにと、なまこ造りの土蔵の建物を建てたという、今となれば風情ある中町この看板も好きで、いつもカメラをむけてしまうここって車も少なくって(一方通行で通行可)、電柱とかもないのが良いなあ。なぜだか小布施の和菓子屋などが複数、支店を出しているし松本の湧水で一番有名な源智の井戸は、当時の城主であった小笠原家の家臣である河辺与三佐衛門源智(かわべよざえもんげんち)の持ち井戸だったので、その名がつけられたんだとかそろそろ駅の方に向かおうかな・・・と、路地をてくてく松本と言えばサイトウキネンフィスティバル松本でも有名だが昨年から「セイジ・オザワ松本フィスティバル」という名称にかわったそうだ。その主会場の1つであるまつもと市民芸術館ウィキペディアより>社伝によれば、諏訪明神の夢をたびたび見ていた信濃守護>小笠原貞宗が戦勝に感謝し、暦応2年(1339年)に諏訪明神>(建御名方命)を祀って創建したのに始まる。当初は宮村宮>(宮村大明神)と称していた>応永9年(1402年)には小笠原長基が北野天満宮(天神)を>勧請した(中略)江戸時代も歴代領主の崇敬を受け、松本>城下の南半分の商人町の総氏神ともなった境内に残雪? てっ、訳で松本市街を後にしたのですが、ここでの駐車はいつも駅前の商業施設アリオ専用の立体駐車場を利用しています。ここ1時間ならだれでも無料で、アリオで買い物をすると金額により無料駐車時間がのびるので、帰り際にアリオで日本酒とか日用品買って利用しています松本市街を離れてやってきたのは、娘のお気に入りの南松本のラーメン屋「月の兎影(つきのとかげ)」で寒いとね、やっぱラーメンが良いみたいですわ。娘も旦那も最初のはきくらげが好きな娘の食べたラーメンでこれは、旦那が食べた具だくさんの味噌ラーメン私は月替わりラーメンで、私の好きなアサリの入った豆乳の潮ラーメン。って訳で午後からは買い出しタイム花屋や、道の駅、懐かしい山形村のアイシティのツルヤなどを寄って家に戻りました今回の買い出しのメインはこの時期に販売される、山形村の名産品である長いも。道の駅今井で一袋1000円5袋購入一袋300円台のリンゴ数袋とともに、姑からの注文だけど近所の人にも頼まれたみたいだこちらは舅に頼まれた葉ボタンの寄せ植え2つで2千円もしないと、舅が安いと喜ぶ。こうゆうのってうちのあたりはそう売っていなくって。松本フラワーセンターという大型店だけど、菊を買ってきてくれとか季節になると舅から頼まれるそして旦那はお正月用にと日本酒を購入。うちの方でも地酒とかあるけど、松本でよく飲まれている池田町の「大雪渓」を旦那気に入りまして、向こうに行かないと買えないので行くたびに購入。いろいろ受賞したりと意欲的な酒蔵のようだそして諏訪の「真澄」 前の古い家で土産に買ってきた時に玄関先で手が滑り一升瓶を割ってしまった私にとっては忘れられない酒だ。思い出しても悔しい・・・・ツルヤでは巨峰のオリジナルジャムも購入した。土産物屋よりもお手頃価格だ道の駅今井では、ちょうど総菜品に半額シールをつけまくっていたので、私がリンゴ選んでいるうちに娘がカゴにいそいそと入れていた。お蕎麦のお寿司は前にも美味しかったので、娘は茶そばのしか選んでなかったんで、もう一つ買えよ~と普通のも購入し、家に戻っての夕飯となった夏の松本波田のスイカに、冬の山形村の長いも。そして秋の新そばと塩尻のヌーボーワイン祭りという訳で、娘がいようがいまいが、今後も松本に出かける機会はありそうだ 平成28年12月11日に信州松本で撮影にほんブログ村
2016年12月14日
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大概が一生に一度ある位の新築において、建築用語は無縁ある人が殆どであると思う。普通なら大壁かもしれないがうちは真壁だからとか言われても、何のこっちゃって話だ大壁は柱が隠れている壁で、現在の建物は殆どがこれだが昔ながらの住宅のように柱などが見えている壁が、真壁だ全部の収納の扉を開けて、いちいち中を確認していた地元自治体からやってきた固定資産税の調査員の方が一番、時間をかけて熱心に見ていたのがうちの和室であった。壁の材質は? 柱の寸法は、床の間の寸法はなどなどと・・・・家の建て替えをする上で仏間を作る必要があるので和室は必須であった昨今の仏壇のない若い人たちの新築の家でも、和室は小さな子供を遊ばせるのに、旦那がごろんとしたいしお客さんが泊まるのになどと、作られる場合が多いがその殆どは、和室とは名ばかりの大壁の洋室に、畳(琉球畳が多い)を敷いただけのものばかりである費用も掛かる真壁の本格的な和室を作る人も少なくなり左官屋さんや、畳職人さん、和室が作れる大工さんらの腕を磨く場も少なくなり、技の継承もむつかしくなっているそうである。本格的な和室を作る予定のある施主はちゃんと職人さんが揃えれるのかを見極めて、業者も選ぶ必要がある何せ、本格的な和室はクロスなどで全てが隠れてしまう大壁とは違って、大工仕事が見えて1ミリの狂いさえも生じてはいけないのだから、ある意味で大工さんの腕の見せ所でもある。なんて偉そうな事を言いながらうちもコストの安い和風なやつをメインのリビングにくっつけ普段は開けて、二間続きで使えばいいかと思ってたが大黒柱がない!と騒いだ昔気質の舅もいるし、そんな適当な和室で済むはずがないとは薄々は感じてもいた巨人ファンの設計士さんはメインのリビングではなく普段は独立をした客間として、何かあったら舅&姑の部屋と二間続きにできるように、和室をセッティング普段は琉球畳の今時の和室も作るが、田舎の工務店なので今でも、たまには本格的な和室の施工も頼まれるみたいで地元の東濃檜の他に、木曽檜の官材もストックされておりそれをうちでも使ってくれるというそうで。前にも紹介をしましたが、木曽檜の民間の植林をした木材ではなくって木曽檜の官材は、国有林の年数の経った良質の天然檜で名古屋城本丸御殿にも大量に使われているので、値段も跳ね上がって品薄になっているんだとか。ここにあるのは以前に一度にたくさん買ったので、まだ安かったそうだその貴重な木曽檜の官材を、和室の長押に使用するそうだこちらは和室の床柱に使われるもので、どれでも好きなものを選んでいいと言われても何が何だか。6畳という狭い和室でもあるのであまり太いのもかっこ悪そうだし黒っぽいエンジュと、赤褐色の一位というのは旦那は黒嫌いだからと一位となった上棟をしたばかりで柱しかない頃の和室。壁に隠れる事もない上質な柱なので傷や汚れがついてはいけないという事で、ずっと保護材がまかれていたこの和室の柱は地元の東濃檜である。木曽檜には負けるが日本有数のブランド檜であるのには間違いがない。何せ伊勢神宮の内宮は木曽檜が使われるが、下宮は東濃檜であるそうだし、それに準ずる位置づけ? 伊勢神宮のは式年遷宮用の御用林があるみたいだがウィキペディアによれば>東濃ひのきとは、岐阜県東濃地方の東部地域裏木曽を>中心に産出されるヒノキの銘木である。この地域は檜の>生育域の北限に近く、以下のような特徴がある>年輪幅が2~3ミリ>均一でほぼ真円である>材質はピンクで艶がある>節が小さい。又は殆ど無い>香りが高いやっぱ、高級木材と言われるだけある良い材質だほんのりピンクだし、節とかないし、香りも良い地元だからこそ、こんな木材も手に入りやすいのかもしれない前にこのあたりの写真を載せたら、ブログにお邪魔させていただいている信州の大工さんが、懐かしいってコメントを頂いた。クロス貼りではなく塗り壁をする為の穴の開いた石膏ラスボードを久しぶりに見たそうで↑左官工事で仕上げる日本の伝統的な塗り壁は、継ぎ目がない一体の壁面を仕上げられ、防火性や断熱性に優れ、調湿性もあるそうです。調湿性は室内に湿気が多い時は素材が湿気を吸収し、乾燥時にはこれを放出するので結露防止や、適度な湿度の維持に効果があるとされ、日本の気候や風土に適しているんだとか最近は自然素材を大事にしたいという若い施主が珪藻土を使ったり、かっこいいからと漆喰の塗り壁をする場合もあるそうだが、これは「聚楽壁」といって、お茶室などにも使われる伝統的な工法だ。秀吉が聚楽第を作った時近くの土を使って塗ったのが、名の由来であるのだとかやっぱ湿気のある蒸し暑い日本には、日本ならではの素材や工法って存在するのかもしれないし、寝室とか塗り壁も良かったかも・・・なんて、思ってもしまう位だ。あとは予算の関係とかもあるんだろうけど・・・平成の世の家なので、エアコン用のコンセントなども上部の壁には設けてあるが。その下の長いのが例の木曽檜の官材を使ったという長押(なげし)だ。古くから日本の木造建築の構造は柱梁桁(はしらはりけた)構法が基本で、これは柱や梁を組み合わせて骨組を作って、梁と垂直に桁を渡し建物を自立させる構法であるしかし桁は柱の頂部をつなぐだけなので強度がないので、柱の頂部に凹型の溝を彫って、そこに貫(横材)を落とし込む頭貫(かしらぬき)という技法が考えられた。更に柱をしっかりと立てておくために、柱の両側から横材を当てて釘で留めたのが長押の始まりだったのだが、柱の中間部に貫を通し柱どうしをしっかり緊結する貫構法が出来、長押がなくても建物の強度は保たれるようになったその為、長押はだんだん薄くなるが、見た目は幅広となって和室の空間を引き締める装飾的な存在となり、部屋の格式を決定するものとしても重視されていたそうだ。確かに長押のない和室なんて・・・・。あっ、本格的な和室だといっても近代的なペアガラスの入ったサッシは入ってます和室の雰囲気を壊さないように、カーテンとかではなくって障子も入っています。ちなみに障子は平安時代には生まれて>日本家屋独特のほの暗さの文化や陰翳の美を演出するもの>として、日本の建築文化の象徴的な存在であった。近年は>適用範囲の広い意匠性と適度な透光性のほか、ガラス戸との>組合せによる断熱効果、紫外線の軽減効果、紙による調湿>効果といった優れた性能が評価され、洋室においても>カーテンの代替として障子が用いられる ウィキペディアより阿斯波良能、志邪志岐夜邇、須賀多々美 伊夜佐夜斯岐弖和賀布多理泥斯(葦原の しけしき小屋に 菅畳 いやさや敷きて わが二人寝し)とは古事記にある神武天皇の御製である古くはベッド代わりに寝所に敷いただけの畳も、お茶室の登場で部屋一面にに敷き詰められるようになった。偶然畳屋さんが入った時に家に行ってたので、頭を下げる事が出来た。旦那、工務店さんに何か気になる事はありますか?と聞かれ、新畳なのに硬くないと言って恥をかくと言うのも昨今の一般で使われている畳は、コストダウンもあって、畳床に発泡ポリエチレンなどの新建材が使われており踏み心地が硬いのだ。ところが、うちの和室は藁床が使われた本物の畳だから、弾力があるのでふわっと優しい踏み心地だし畳はフローリングと違って保温効果があって、調湿性も持ち防音性も優れているのだとか。和室の敷居は襖が滑りやすいように竹滑りの施工。竹には油分があるので使えば使うほど滑りもよくなり、襖も長持ちするんだとか実家から肉筆の掛け軸も持ってきているし、半間程の床の間もしつらえました。舅の今は亡き弟の妻がよく買っていたからとトップアートの掛け軸を新築祝いにくれたのだけど、それを床の間に飾ってないのは何故?と後から電話で言われたし。モノを貰うというのも気を使うものだ前の家の床の間には、海外の土産に貰ったとかいうバッファローの角が飾ってあって、それが嫌で捨ててしまったのけど、大きな信楽焼の狸の置物を置く訳にもいかないし。何かしらしぶい花台でも買ってきて上に花でも飾ればいいとは思うが、殺風景なままそうそう床柱の一位の木だけど、和歌の世界ではアララギまたはオンコとも言い、衣冠束帯に身を固めた時に威儀を整えるために持つ笏(しゃく)をこの木で作ったからだと言われています。また仁徳天皇が笏をこの木で作った時に官位1位を与えられたからとも天井もクロスとかではなく、ちゃんと竿縁天井で仕上げられ照明も木製のものにした。ちなみに竿縁が床の間と直角に取り付けられた天井は床刺しと言って、不吉とされておりこの和室のように床の間と平行にするんだとか。これは畳も同様で床の間の前の畳は平行(横長)に敷なければならない襖絵は花とか色々なデザインがあったが山に囲まれ、山のある生活なので、やっぱ山って事で。鹿児島旅行の日記の前に家の建て替えの内覧がまだ少しだけど残ってましたので、こちらを先に紹介しますにほんブログ村
2016年12月07日
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昨日の日記の続きです。これで近場の紅葉ドライブネタも終わりますので、いよいよ次回からは2泊3日の鹿児島旅行レンタカー旅の日記になりますのでお楽しみに前回の旅では木曽路を北上し、権兵衛峠の落葉松や信州大学農学部のユリノキ並木の紅葉を見て、娘が行きたがってたカフェでお茶して、かんてんぱぱで試食試飲の流れでしたが・・・伊那路を少し南下し、何度かここでも紹介をした宮田村のマルス信州蒸留所に立ち寄りましたNHKの朝ドラでやっていたマッサンのモデルである竹鶴政孝の当時の会社の上司、岩井喜一郎が竹鶴から提出された竹鶴ノートを元にしたウィスキーだそうです今日の試飲のウィスキーは長野県限定販売の「信州」を水割りしたものこのつややかな琥珀色がなかなか良い。最近はうちの晩酌はウィスキーのロックだ他にもマルメロのお酒とかの試飲も出来たが手軽な価格で有料試飲も出来たので、ツインアルプスを一杯。名の由来は中央アルプスと南アルプスが見えるからって事でこちらはちゃんとグラスでくれたが、先ほどの信州の方が私は好みかも宮田村は中央アルプスの木曽駒ケ岳や千畳敷に気軽にロープウェイで登れる駒ヶ根高原のすぐ川向うにあるこんな日に千畳敷に登りたいものだが、ケチな娘がロープウェイ代が高いとかぶつぶつ言うので、もう30年位前に2回行っただけだ。松本にいた時も近いのに黒部ダムも一度も行けなかったこちらは伊那谷を挟んでの南アルプスの峰々。こんな良い天気の日に伊那谷へ出かけた訳は、権兵衛峠の落葉松の紅葉もあるが、もう一つの目的地がメインだまだ50年近い寿命のある娘に比べたら、こちらはその半分もあるかどうかもわからない。だというのに娘からえ?お母さん行ったことないの? 〇〇ってイイところだったよ~などと人が行ったことがないのをいい事に、何度も娘が自慢をするのがウザいので、娘が先に行った所は私も行くようにしている。過去には娘が高校での修学旅行で行った沖縄も、旦那の勤続30周年の旅行で夫婦で出かけたし近場の信州でもそうゆう、娘がやったらに良い所だったと言うので、前に旦那と二人で出かけた時はカーナビもなくって、道を間違えてしまい気が付いたら何故だか大鹿村に着いていた。まっ、それはそれでいいけども娘が自慢を始め数年目にして、リベンジの意味もこめての思い立ってのドライブだ。それにしても田舎にすごい良い道が出来てるし。駒ヶ根市から中川村方面に行く伊南バイパスというらしくって知らずに旧道を走ってて、旦那が走りたかったと残念がってるし三州街道を外れて、天竜川を渡ればそこは中川村だ。娘が大好きな穴場のお花見ができる大草城もある、天竜川を臨むのどかな村なんだけどたぶん、このあたりで真っすぐ行くのを右折してしまいなんだかんだで大鹿村に行っちゃったのかな小さく道案内の手書きの看板が要所要所にあるし。よけ合うのもドキドキするような細い山道をすすむと・・・・ぐんぐんと標高も上がって、アルプスなど周囲の山々もよく見える中央アルプスと、南アルプスの両方が見えるのでこれがどっち側だか。南?駐車場らしき空き地に車を置いて、ここから少し歩くこの山の重なりは・・・南アルプス。山も随分と近くに見えるじゃ、こちらの遠い逆光気味なのが中央アルプスかな?この前の恵那峡の遊覧船と同じで、山を見るのも朝と夕方では太陽の位置で逆光になってしまうので、気をつける必要もある娘が伊那にいる時にアルプスが一番、綺麗だと思ったのは近くの山のかなたに頭をちょこんと出した南アルプスが西日を浴びてピンク色に輝く夕刻だった山の上の紅葉は少し早いようで、落葉がすすんでいたそれにしても、その日は寒かった。風も冷たいし娘なんぞはタイツをはいていたがスカートだったんで寒い寒いとだいたいが信州に行くとわかっているんだから、そのあたりは考える必要がある。とは言っても伊那谷の気候はうちのあたりとさほど変わりもないが到着~~。娘が大学時代にお友達らとハイキングに来たという陣馬形山の山頂。あの山道を娘の同級生は初心者マークをつけて新車で登ってきたそうだが勇気があるというか。私にはとっても運転をする気持ちなど出ないような道だった。きっとドキドキしながら運転したんだろうな~。初心者マークの新車で。。。乗ってる方もところが娘曰くかすんでいる・・・・。はいそれは私も感じております。娘の当時の写真も残されたスマホの画面を見ると、確かに以前に娘が出かけたときは、くっきりハッキリ娘に言わせたら、このような光景で喜んでいてはいけないレベルだそうだ。くっそ~リベンジ失敗地元民ではないんだから、晴れている日に行ける位の天候情報では、かすんでいるかどうかなどは現地まで来ないとわからないしこうして、今後も「まるで鳥瞰図みたいにくっきり美しい伊那谷の全容が見えたよ」という娘の自慢は続く事だろうそうゆう好条件の天候も恵まれた娘の自慢、あと1つあるんですわ。安曇野で田んぼに水がはられて北アルプスがくっきりと映りこんでいるというのも私と出かけてもこんなもんじゃなかった。私の見たのには足元にも及ばない!と言い切るんですけど。どんだけ条件が良かった日なのだろう。うらやましい正面の山は真っ茶色だけど、やっぱり落葉松の山なのだろうか・・・せっかく望遠レンズも持ってきたので、南アルプスの山などを撮ってみるいいも~ん。伊那谷はいまいちだったかもしれないが山は見れたから。ところで南アルプスは通称で、本当は赤石山脈と言い、中央アルプスは木曽山脈。北アルプスは飛騨山脈が本来の名前これは中央アルプスの千畳敷? とがったのが宝剣岳かな一応は、山の名前がわかるプレートがあった特に書くこともなくなったし・・・そうだ新語・流行語の話題でも。神ってるっていう野球の言葉だけど、昨年のトリプルスリーといい、なんだかいまいちやっぱり、良い意味合いのものを大賞にしたいという気持ちもあるんだろうとは思うけど、私的には今年はゲスでしょうね。次から次へとよくもこれだけ、出てき(バレ)たもんだWeblio辞書によれば、ゲス不倫とは>品位に欠ける、下劣な不倫行為を指す語。ゲス不倫の>語は、夫である国会議員が、出産で緊急入院中の妻が>いるにもかかわらず不倫に及んだという報道から生まれた。 ・・・って、そっちか~い!まっ、いろんな人が次から次へと出てきたから何がなんだか。ただ人によっては許した奥さんが大したものだとか言われたり、不倫した側も女性の方が余計に叩かれたりとか、なんだか日本ってやっぱり男社会? やってる事は同じでゲスなのに、女は芸の肥やしって甘やかすから。そういった変な物差しが通用する芸能界なんだか嫌だ。ほされるのでも ゲス<薬物<<<大物や事務所に逆らった。って感じだし本名なのに芸名として使えなくなった、のんちゃんも負けずに頑張ってほしいし、ラスボスの幸子さんもヒットを飛ばして、紅白に復活をして欲しいものだそんな訳で寒いし、かすんでいていまいちだったのかさっさと、旦那も娘も既に下山を始めているしところで陣馬形山は標高1445メートルあり、戦国時代には武田ののろし台もあったとも言われる。その名の由来は検索ができませんでしたが、駒ヶ岳とかはヤマトタケルが東国征伐に向かっていた時に、村の西の高い山から白馬が舞い降た為に名づけられたそうだし何か由来はあるとは思う更に伊那谷を南下して、おトイレ休憩に立ち寄ったアピタには、諏訪大社みたいに御柱がたっていたこうして木曽路から伊那路へと、旦那の運転で楽しい秋のドライブ。そのラストは飯田でお買い物清内路を使って、夕刻には家に着いたのだ。オシマイ 平成28年11月5日に信州伊那谷で撮影にほんブログ村
2016年12月02日
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いよいよ今年も残すところ、僅かひと月だけとなってしまった。本当に1年は早い。というか新築の家に入居してもう半年にもなるのか。家を建てようと思いついて1年9ケ月、話が決まってから怒涛の月日でもあったが、今となっては懐かしいあれ? 鹿児島の旅行日記は?と言われそうだが11月の紅葉ドライブが残ってますので、先にそちらをという事で11月5日に、旦那の運転で娘と出かけたドライブ先はまずは南木曽の桃介橋をくぐりまして国道19号を北上、ついつい通るたびに写真を撮ってしまう雑木林と植林の境。まだこのあたりは紅葉には早いようです娘は子供の頃に、木曽のようなところに住みたいとか言ってたが、今では名古屋とか都会に住むのが憧れという現実大桑あたりまで来ると、正面に中央アルプスも見れるポイントがある。今は真っ白な山の峰も11月アタマには雪も全くない紅葉も少しは色鮮やかになってきたような気もするが娘が伊那や松本にいる時に頻繁に、随分と行き来した道だが、冬の頃にはこのあたりは雪がよく降っていたような気もする山の紅葉なのでお寺のような真っ赤なものもなく黄土色とか茶色が主流だが、どこか優しい紅葉だ上松町のドライブインでトイレ休憩。駐車場からは浦島太郎が玉手箱を開けてお爺さんになった場所だとも言われる寝覚ノ床道向こうに見える中央アルプスの手前には、国道沿いに何やら華やかなのぼり旗がパタパタとそう、ここは御嶽海の故郷で、地元の人たちは一丸になって応援をしている木曽福島も過ぎて、木曽義仲が育ったという日義付近。ここで木曽路とはお別れだセブンイレブンのある交差点を右折して、権兵衛峠へ向かう脇道に入ると、途端に周囲の紅葉は最高潮だ凍結や積雪時には気を使った道路のループをぐるっと一周紅葉には少し早い時期とも思えたドライブの目的の1つはこの権兵衛峠の落葉松。標高も高いこともあって紅葉する時期が下界よりも早いのだ山一面の落葉松の紅葉。最初に見た時には圧倒された日の光を浴びて写真よりも色鮮やかで、ホントに綺麗だ山頂の方はもう落葉してしまって、ボウズになってしまってた権兵衛峠の標高は1522メートルあるそうだが、伊那のお米に木曽の木製品と古くから物流に使われていた道だ旦那が運転し走行中の助手席から窓を開けての撮影だが結構、ぶれずに綺麗に撮れた。ウィキペディアによれば>長野県でも根づきやすく成長が速いことから戦後大規模な>植林が行われ造林面積の約50%がカラマツ林となった材は>硬く丈夫であるが、>螺旋状に繊維が育つため乾燥後に割れや狂いが出やすく>板材としては使いにくい材料であるが、現在は構造用>合板やLVLに加工され、木造建築で幅広く用いられている>電柱、枕木、橋梁などの土木素材として使われる他建築財>船舶材、バルブ原木の材料としても用いられている>冬期は通行止となる既存の権兵衛峠(経ヶ岳林道)に替わり>伊那と木曽とを結ぶことになる。権兵衛峠では通行止がたび>たび発生し、落石なども発生していた。道幅が狭く車のすれ>違いも難しかったため、実用的な道路とはいえなかったが>トンネルの完成で有料自動車道並の高規格道路となった。という訳で中央アルプスを貫く権兵衛トンネル4467メートルを超えると、山ばかりの木曽と違い開放感が溢れた伊那谷の風景だこの下り坂が大好き。谷のかなたには南アルプスの主峰も見え隠れをしているちょい、寄り道をして信州大学農学部の伊那キャンパスの中を通る道に進むと落葉松祭(大学祭)をやっていた。やっぱ落葉松は信州に欠かせない存在のようだとは言ってもキャンパスの名物の紅葉は、落葉松ではなくってユリノキなのだけど。初夏にはまるでチューリップのような白いかわいい花を咲かせる>別名にハンテンボク(半纏木; 葉の形が半纏に似ることから)>レンゲボク(蓮華木; 花が蓮の花を思わせることから)、チュー>リップツリー(同じく花がチューリップを思わせることから。>種小名と同じ発想)などとも呼ぶ。ウィkペディアよりモクレンの仲間らしい。この並木の紅葉も好きなんだよね娘が松本にいた頃から、向こうの地方情報誌などで知って前から行きたいと言っていた、伊那の「カフェタイズ」はよく通る道の脇にありながら、全く気が付かなかった広い店内は次々と老若男女の来客があり、帰る頃には一杯になっていたセルフサービスになっていて注文などは奥のカウンターで行ったが、テーブルまで商品を運んできてくれる。ランチなども充実しているようで、後半はランチのお客さんみたいセルフで、小さなお皿やスプーンやフォークも持ってこれたのでクリームたっぷりのワッフルを小皿に分けて、三人で食べたそして伊那谷行ったら寄らないわけがないのが、伊那食品かんてんぱぱの直売所だここも恵那銀の森みたいに綺麗にされているので、どの季節に出かけても散策なども楽しめる直売ショップでは寒天の試食や、韃靼そば茶の試飲をさせていただき駐車場の紅葉もよい感じ。他の観光客もカメラ・・・いや高齢者の方たちが二つ折りの携帯電話を紅葉に向けていたここの高山植物の庭園もなかなか楽しいのだが、さすがにこの時期には見るべきものはないようだこのような落葉も、なんだか晩秋の風情を感じもする時間はかからないが、迫りくる山と木曽川しかない木曽路と違って伊那谷は開放感があるので、お天気の良い日には旦那はドライブをしたがるとは言っても高速道路では車窓も楽しめないので、やはり下道。南木曽から清内路を通り伊那谷に入って、飯田から北上し、伊那から権兵衛峠を越えて木曽路で帰るのが普通だけど、今回は気分を変えての逆ルート多少はかすんではいるが、山の向こうに南アルプスの稜線もはっきり見えて、ドライブはまだまだ続く。いよいよ旅のハイライトは前から行きたかったト場所という訳で後半に続く 平成28年11月5日に木曽、伊那で撮影にほんブログ村
2016年12月01日
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