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ふと子供の頃に好きだったGメン’75を思い出してしまった。物心ついた頃に白黒テレビがカラーになって、ゲゲゲの鬼太郎なんかは白黒イメージがまだ残っている。やっぱ万博の頃に色々変わったような気もする洗濯機もぐるぐる横でまわして、洗濯物をしぼっていたりってのが二層式になったり。自家用車なども周囲で増え始め、土道だったのがアスファルトに樹木希林がジュリ~~とか言ってたり。とにかくテレビっ子だったので黄金期のアニメとかもタイムリーで見てたし、海外のドラマとかも好きだった。なんだか懐かしいなぁ~なんて思えるのは、スカパー!がノンスクランブル10日間無料視聴が出来るっていうのをやっているので、懐かしの番組なども見れるのだとは言ってもさすがにバブル期あたりの肩パッドパステルカラーのスーツをばっちり着てる女の子たちがわいわいやっているのもなんだかなぁ~とか言いつつ、サスペンスだけど見てしまった(笑)あの女優さんもこんなに若かったんだなんてスカパーネタをすすめながら、写真の方は11月16日に娘と出かけた「名古屋まつり」の行列11時台の出だしは、からくり人形が乗った山車だ祇園祭や高山祭ほどじゃないけど、地元の伝統を感じさせる祭りは若い子たちにも参加して貰いたいとは言っても名古屋だから若い子たちも沢山いるとは思うけど、過疎高齢化の地方では祭りの存続も難しくなっているのが現状だからくり人形の飾られた山車が幾つも過ぎて、かなりたってから、名古屋人の好きそうな何やらキンピカとしたもんがやってきた獅子頭をか華やかな神楽屋形は、この地方の独特のものらしい。私もこうゆうのは見たことがなかったし屋形の後部には太鼓があり、トントン!ピーひゃら、ピーひゃららと小気味よくそれにしてもキンキラキンだ。屋根の両隅にはお約束のように金シャチ。そして竜とかって幾つのってんだろところで祭りといえば、バレンタインよりも経済効果が望めるというハロウィンは、今日みたいだが、目前の週末の土日がイベントなどもあり盛り上がったみたいだ旦那がハロウィンってもともとは何のお祭り?とか言うが、やはり私がハロウィンを大きく意識したのは、服部君の射殺事件であったと思う1992年10月、アメリカのルイジアナ州に留学していた当時16歳の服部剛丈君が、ハロウィンパーティの会場を間違え、隣の家へ行ってしまった間違えて私有地に入ったところを、ガンマニアでもある家人に不審者と思われ、射殺をされてしまいアメリカの銃社会の異常さが日本にも伝わった悲しい事件だ英語教師の母を持つ服部君は、アメリカにも興味を持ち、愛知県でも有数の進学校に入学後、念願でもあったアメリカ留学を果たしたのだハロウィンがどんな行事であるのかわからぬままアニメだかのコスプレで沢山の若者が、渋谷や繁華街で闊歩している映像を見るにつけ、この悲しい事件を思い出しもするウィキペディアによれば>ハロウィンとは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が>起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い>悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが>現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭>本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている>ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は夏の終わりを>意味し、冬の始まりでもあり、死者の霊が家族を訪ねてくると>信じられていた。時期を同じくして出てくる有害な精霊や魔女>から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた>かぼちゃの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を>作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して>近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある日本ではキディランドが1970年代に関連商品を販売を始め1983年には同社が販促活動として、日本初のハロウィンパレードをしたそうだしかし、このパレードはハロウィンではなく、名古屋まつり。伝統的な山車揃、神楽揃に続いて市内の子供たちが様々な創作神輿で、祭りを盛り上げていた。流石に尾張名古屋は城でもつと言うだけに名古屋城だか、金シャチをモチーフにしたモノもお城がテーマだけに、子供たちも侍に変身していたが、今年の大河の真田丸の真田幸村も。たぶん、名古屋関係ないし名古屋の東山動植物園にいるイケメンゴリラのシャバーニもリアルな感じで前回も紹介をしたけど、日本で絞りと言えばここ。名古屋市緑区の有松と鳴海。総絞りのハッピだなんてゴージャスすぎるそうそう、前回は着物美人や洋装美人のミスを紹介をしたけど、実際に明治、大正と列車など人の往来も増えて、実際に名古屋に来てみると美人が多いと評判になり、名古屋美人ともてはやされるようになったそうで、その名声は秋田美人京美人をも上回るようにもなったそうだウィキペディアによると>名古屋美人の歴史は古く、大和武尊の妃だったミヤズヒメ>まで遡る。さらに歴史は遡るが光昭天皇の妃、世襲足媛。>(中途略・歴代天皇の妃)二千年近い歴史を持つ。古代より>美人の産地であることを利用した尾張氏は、権力者だった。>皇室へ娘たちを后として送りこんでいる>名古屋美人の歴史の中でも、有名な人物はお市の方>である。絶世の美女、戦国一の美女など賞賛は尽きない>また、名古屋から少し離れるが、他にも江島生島事件の>江島や、「唐人お吉」こと斎藤きちも広義の名古屋美人>であるウィキペディアより>朝鮮通信使の金仁謙は、名古屋美人の美しい姿に>驚愕して、日東壮遊歌の中でこう綴った。「名古屋>美人と比べれば楊貴妃も色あせる」とそんな名古屋美人も、1980年代になって一部週刊誌などで、名古屋には不美人が多いと中傷する記事を載せて三大ブ〇なんて言わだしたが、これ福岡出身のタモリの名古屋いじりが原因じゃないかとネットにあった名古屋嬢や名古屋巻きも流行ったように、経済的に恵まれた名古屋圏のお嬢さんは母親とお買い物にも出かけたりと自分磨きにもお金がかけられるそうだお嫁さんにしたい女優とも言われた、竹下景子とかかとうかずこ、五十嵐めぐみ、松下由樹、松原智恵子伊藤美紀、佐藤仁美、川島なお美、山田まりあ、武田久美子第一回全日本美少女コンテストグランプリの藤谷美紀や部門賞の武井咲。森下千里、香里奈、水沢エリナなどなど若い子とかよう知りませんが、なんか美人ってイメージが確かにあります。更に女優となる布石として、NHK名古屋放送局で長らく制作していた中学生日記から女優になった人も複数います名古屋市ではありませんが愛知県出身で、戸田恵子とか岡田有希子、中野良子。女じゃないけど名古屋市出身の玉木宏や森本レオに、田山涼成も! いわば芸能人の登竜門でもあったんだろうな。そうそう尾張公のご城下名古屋は芸どころでもありましたそんな美人が多く、芸能人の排出も多い名古屋市ですが海外の姉妹友好都市からも素敵な方々が、訪れて華をそえてくれました。最初はロサンゼルスのプリンセスたち美の基準なんて時代や、お国柄でそれぞれ。インドなど前世の行いが良いと裕福な家に生まれて、ぽっちゃりとしている事こそが美徳であるそうだし、日本の平安美人も決して現代美人とは言えないだろうし。美の基準は移ろいやすい世相の鏡ここからはミスだとかそうゆうものではなくて何やら、その姉妹都市の偉い方とかなんでしょうねメキシコ!シドニー!南京!トリノ!内容の都合で、パレードの順番では紹介してませんがとにかく愛知県から天下を制する戦国大名が出た事と名古屋は美人が多いって事は伝わったでしょうか。それにしても3時間のパレードは長かった! 平成28年10月中旬に名古屋市で撮影にほんブログ村
2016年10月31日
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流石に着物美人! 卵型のお顔で優しい感じだミス中川金魚というローカルな地域(名古屋市中川区)なんだけど、愛らしいお嬢さんだ。検索すると、もうお一方おいでになるみたい今回も10月16日に出かけた名古屋まつりでのパレードの様子を、紹介させていただこうと思う観光面では最後の三英傑祭りとか、山車行列なんだけど名古屋市民のお祭り要素も高いのでパレードには、名古屋市にかかわるミスに選ばれたお嬢さんたちも。有松絞りで有名な名古屋市緑区有松町からは、ミス絞り。こちらも和風美人だしウィキペディアによれば>有松・鳴海絞りは愛知県名古屋市緑区の有松。鳴海>地域を中心に生産される絞り染めの名称。江戸時代>以降日本国内における絞り製品の大半を生産しており>国の工芸品にも指定されている名古屋市の観光大使であるキラッ都なごやメイツのお嬢さんは、現代美人というところかな。いや着物を着ても似合いそうだしあちらをむいてる方もお綺麗そうだけど、どなたかはわからないが、このゆるキャラは名古屋市の子育て家庭優待カードのマスコットで「ぴよか」というらしい超・ご当地系こちらは中日フォトメイツのお嬢さんたちで、中日写真協会の撮影会などでモデルなどもされているようだが、前身の中日ミスカメラを含めると70年位歴史があるみたいだこちらは名古屋開府400年イベントで作られたマスコットのはち丸だが人気が出て、そのまま名古屋で活動中だ国民的ドラマ水戸黄門にも出ていた照英さんは関東出身だけど、中部の地方番組のレポーターさんとして、各地に出没しているおなじみの顔だ私も中津川市苗木で、昨年末に見た事があるが放送の方は娘の引っ越しとかで見れなかったそういった中部地方でお馴染みのレポーターさんはウド鈴木さん(名古屋で見た)とか、西川きよし師匠(近所の家に来た)、ハリセンボンと。渡辺直美さんとアジアンの馬場園さんのコンビといったあたりかなあと、ぐっさん(山口智充)のシールも至る所にあるアニメみたいな逆立った髪の毛の彼は、バサラで有名な前田慶次。名古屋城のおもてなし武将隊のメンバーだ結構、ここってメンバーの入れ替えがあるので衣装で誰かを判断するしかないし。って見ても誰かわからんし・・・・(汗)様々な団体が演奏したり、踊ったりされていたがミスとか、コスプレのお姫様もいたが、この方も女優さんみたいにお綺麗だし世の中、顔立ちの整った方っているもんだなぁ~。なんかアナと雪の女王のお姉ちゃん思い出してしまったこちらはアナタイプ? 衣装もおしやれなグループだった。すぐ先の信号が赤信号で、目の前でずっと演技してくれてたし吹奏楽での一枚。かっこえ~~!なんか決まりますよ、楽器を持った様は。学生社会人など幾つもブラスバンドも更新してました名古屋では8月の暑い盛りに、ど真ん中まつり(どまつり)が開催をされ、愛知県内や全国から沢山のよさこいソーラングループが名古屋市内各所を練り歩くのだけどこういった群舞も見てて面白いし、絵にもなるやっぱ来年の夏は、またどまつりにカメラを持って出かけようかなぁ衣装は、ろうけつ染めかな?ドアラの次に、有名な名古屋のローカルマスコットは名古屋駅前にある名鉄百貨店の前に1973年から立っている巨大マネキンのナナちゃん。昭和48年生まれ、身長610センチらしく、高遠桜でも有名な信州伊那市高遠町で誕生したんだとかこの夏のリオでのパラリンピックのメダリストの方もパレードに晴れやかに参加をされていたここからは名古屋市のスポーツなどの団体で全国的な成績を収めたチームのパレードとなった最初は今年春の全国小学生ドッヂボール選手権で昨夏の大会と二連覇を果たした「サザン’97」だ名古屋市瑞穂区の小学生らが、主に平日の夜を中心に練習をしているそうだ{なんと、この女の子たちは名古屋市熱田区のダンススクール「STAR CHEER」の中学生小学生のダンスチームで、アメリカ最大のダンスイベント「ジャズフェススーパーダンスナショナルズ」の各部門での、優勝、準優勝を果たしたんだとか更に全日本軟式野球クラブチーム選抜大会と中部日本t区選抜中学軟式野球大会の二つでダブル優勝を果たしたのは、名古屋市千種区の「東山クラブ」で、OBの多くが甲子園などで活躍するような名門高校へ進学しているそうだ信号待ちをしたりで超・長すぎるパレードで全米大会で活躍したようなダンスチームの振り付けを覚えてしまったのか乱入しちゃってる野球球児。無論、指導者の方の許可は得ているようだなんだか微笑ましい光景で、周囲の観客も本人たちもクスクス、にこにこ最後に登場したのはプロチーム。ACFフットサルクラブ選手権タイ2016で2大会ぶり3度目の優勝を果たした。日本のFリーグでは9連覇中と圧倒的な強さを誇っているフィギュアスケートといい日本どころか世界で活躍するスポーツ選手を輩出する名古屋市&愛知県だというのに、ドラゴンズとグランパスの体たらくはどんなもんだろ・・・交通整理での交差点での綱はりがゆるすぎで進行方向側の視界が、かなりかけてしまった女の子のああたりなんて行列が目の前までこなきゃ見れないし。だいたいお父さん、腹出しすぎだってシャチばやし隊の皆さん。とりあえず名古屋では金シャチとかメインにしています。年齢層はバラバラ?なかなか粋なお姐さん車まで紅葉で染まってましたこのあたりは前回紹介をした三英傑のパレードに含まれてましたが、写真の枚数からもテーマを戦国にしたので。というかなぜ琉球モノが三英傑行列で?美しい琉球紅型にうっとりですね。それにしても皆さんお綺麗な方ばかりだしもちろん、エイサーもありました。赤信号だったのでかなり長く演奏も聞けました3時間近い長いパレードですが、実はまだ全部紹介しきれません。どんだけ~ジャンル関係なくとりあえずパレードしちゃいましたって大雑把な名古屋まつりの様子は次回に続きます! 平成28年10月中旬に名古屋で撮影にほんブログ村
2016年10月29日
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食欲の秋、読書の秋、芸術の秋。いやいや秋といえば行楽。楽しそうなイベントやお祭りが日本全国あちこちで開かれている。かつて馬籠では10月にはごへー祭りがあったし、子供の運動会だ文化祭だって感じで、なかなかお出かけもままならなかった地元のごへー祭りも今はなく、娘も松本から帰ってきたので松本へ行く必要もなくなり、結構身軽になったので、前々から一度出かけてみたいなぁと思ってた中部地方でも大きなまつりの一つである名古屋まつりに娘と出かけた今年の名古屋まつりの日程は10月15日(土)と翌16日(日)の二日間。土曜は東京ディズニーのキャラクターや、山本昌さんのパレードもあるけどあいにく娘が仕事があるので、日曜日に出かける事にした気合を入れて朝7時台には家を出て、午前10時位に名古屋市栄(さかえ)地区に来たけど、祭り自体の開始は11時半。こうなったらモーニングでも食べて時間でもつぶすかって感じで、パレード開始午前中にパレードは始まったが、京都の時代祭りみたいな観光化された祭りではなく、なんか名古屋市民祭って感じで、子供たちやスポーツ団とかのパレードもあり、や~~っと三英傑のパレードがやってきたのは午後2時近くだったし何せパレードは市役所前を出発し栄方面へ大津通りを南下するんだけど、それを横切る形の横(東⇔西)の大きな通りはどこも交通規制をしていないので、いちいち長時間にわたり行列が信号待ちをしているのだハイターッチ! 今時・・・くノ一も笑顔で手を振ってるし一つの行列が過ぎてから、次のが来るまでに数分はまったくなんにもやってこないので、パレード自体は3時間以上はかかってたし。もういいし他に行くわとパレード断念多し。もしくは最後の最後、三英傑だけ見る人とか(うちの娘も)なんかね、一眼レフカメラかまえているとしっかりとポーズを決めてくれるんですわそんな訳で午前中から一般のパレードをずっと見ていた(次回、紹介します)ので、肝心の三英傑祭りの頃はおなかもすいたし、へとへと気味だしおっ、やってきたのは信長隊の岐阜の濃姫です!名古屋の栄地区には「3M」と呼ばれる松坂屋、丸栄、三越のデパートがあり、そこの女店員がそれぞれ姫を演じているのです。濃姫は三越のお嬢さんのようです行列の女性陣もにこやかですなんか現代のお兄ちゃんぽい雑兵も手を振っていよいよ信長様の登場です。三英傑とは戦国次代に、天下取りとなった三武将の織田信長豊臣秀吉、徳川家康でみんな愛知県出身です今度の大河ドラマ、女城主井伊直虎でも信長活躍しそう名古屋まつりの三英傑は公募で、一般の方が演じられてますが、なかなかそれらしい方ばかりですね。どうやら名古屋市民から選ばれるみたいこの方は緑区ですお付きの武将たちも恰幅がよく、見るからに戦さ上手そうです今度は太閤秀吉です。いつもは愛嬌のあるどこか憎めない俳優さんが演じる秀吉ですがこの前見たばかりの映画「信長協奏曲」での秀吉は陰険でした~。家康っぽいしこちらの東区の方は定評通りの、人懐こい秀吉さんのようですね。品の良い感じですしお付きの方は千利休とか??伊達政宗きました~しぶうございますいよいよ大河ドラマではクライマックスを迎え大坂城入りをした真田幸村公。この方は一般という訳でもなく、前にもこのブログで複数回登場された方が信州から参戦をされました信州上田おもてなし武将隊の面々で、舞台慣れされてます他のメンバーとか入れ替えされていますが、この幸村様はず~~~と同じ方で、名刺くれたりとか話しかけてこられたりとなかなか愛想が良い武将なんですわ十勇士には女性陣もいるようでミュージシャンもいるようですねこれは出雲阿国とか??どこか異国情緒を感じる綺麗なお嬢さん今度は丸栄にお勤めの寧々がやってきましたこれやりたいから3Mに入ったなんてお嬢さんとかいるのかな?農家のおばちゃんとは思えない大政所湘南にでもいそうなイケメンなお侍さん徳川家康の孫娘の千姫は、松坂屋の方です他のデパートは、名古屋駅前に名鉄百貨店と高島屋がありますなかなか本格的な扮装をされているので見ごたえがありますいよいよパレードもクライマックス。長かった・・・トリを務めるのは大河ドラマでも陰険な狸じじぃぶりを発揮されている徳川家康公。まぁ天敵の真田幸村が主人公だから仕方がないかっこちらの恰幅の良く人格者っぽい徳川家康公は千種区出身。名古屋で生まれ、名古屋で育ち名古屋で仕事をするという50歳の節目に応募されたのだとか円満に終わると思われた行列だが、何やら斬り合いが始まっているし呆然と周りで見守る兵士たち(演技ですけどね)全国各地のおもてなし武将隊も、幾人か名古屋にやってきていたので、あちらこちらに武将もうろうろこちらは仙台からかな?戦がないときは武将も笑顔も見せもする。実の話彼らの目線の先には、地元系アイドルグループがいたんですがぁ~このお二人は災害に見舞われた熊本城のおもてなし武将隊。なかなか復旧のめどもたっていないとは思うが、頑張っていただきたいものだ 平成28年10月中旬に愛知県で撮影にほんブログ村
2016年10月28日
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このカラフルな大きな顔の上に、何やら麦わら帽子をかぶった人影が。世界的にも有名となった少年ジャンプ系の漫画「ワンピース」に登場するサウザンドサニー号をハウステンボスが再現愛知県や蒲郡市と、トヨタ自動車などが出資をした第三セクターが手がけた海洋型テーマパークの蒲郡ラグーナの経営が振るわず、ハウステンボスを再生させた旅行会社大手のHISがテコ入れを始めたのだがハウステンボスに比べ規模が小さいしどんなもんだろその一環で、この船も長崎から船出をして今では三河湾にやってきている。他にも園内では華やかなハウステンボス歌劇団のショーを入園券だけで観劇出来るそうだし、お花畑も作り冬場にはマッピングやイルミネーションも始めるそうだ今回は、件(くだん)の無料のバス旅行に当選をしたものでここでの滞在時間が1時間20分程しかなく、余分に千円を払えば入園が出来ても、ゆっくり観劇やイルミも見れないしパス。すぐお隣にある無料のお買い物エリアで時間をつぶす事にした海鮮物も欲しいがまだ旅は始まったばかりだし、痛んだらこまるなぁ~~と断念。海鮮の他にも農産物、土産、雑貨靴、衣料、お食事処などなど。うろうろしているうちに集合時間となったつぎに向かったのはバス旅行の定番。旦那の会社の組合慰安会でもよくお世話になった蒲郡のオレンジパークだ。前回の件の旅行ではいちご狩りをしたけど今回はミカン狩り。実はみかん狩りは初めてで楽しみどれ位食べれるかなぁ~売店の隅には前にもいたフクロウがいた。年配者の集まりで子供はいないので、フクロウに注目する者などいないみたいミカン狩りの前にはお食事。1800円を足せばアワビや大あさり、サザエなど海鮮を目の前で焼けるけど、私はこれで充分だ。今回はご夫婦も複数いたけど、そんな高齢男性のいるグループは、どこも海鮮にランクアップしていましたね年配女性のグループはみな基本のお料理でしたわ。いままでスーパーや温泉施設、直売所など高齢者の好きな施設主催での応募による招待旅行だけど、今回は母の日企画で本屋さんであった為か、高齢者の人数だけではバスが埋まらなかったのか30歳位の比較的若い女性グループも。初めて見ましたわいつものように1名無料招待で、同行者がいる場合には同行者代金は一人7千円台だったかな。8割位が有料の同行者連れで、おひとり様は4名位。私の横に座ったお子さんが応募してくれたという奥さんも、おしゃべり好きで愛想の良い方で良かったといった訳でお食事の後にミカン狩り。しかも軽く2杯のご飯にミニうどんって。ミカンなんて食べれないよ~~とかいいつつもさっぱりしているのでデザート扱いで、いくつも食べれます一房ずつなんて食べてられない。半分に割ってパクリッ!これ以上食べたらやばいと自重。腹八分目でいきましょうどうせタダだし、お土産のミカンもタダで貰ってるし。でもこれが自腹だったら無理しても食べているかもその後は家のドライブでも、近くへ行けば必ず立ち寄っているえびせんべいの試食ができるお店いええびせんべいの土産が買えるお店へここではセルフで無料コーヒーも飲んで一服も出来るので食後の一杯更に高速で岡崎市に移動。岡崎といえば大河でも嫌味な狸爺ぶりを発揮している徳川家康公のご城下だ。その城から八丁の距離にあたる八丁村(現・八帖町)で古くから作られていたのが八丁味噌である。味噌は家康の陣中食として使われたとも言いますしね八丁味噌の老舗「カクキュー」の創業は、三代将軍家光の頃まで遡る事が出来るそう。八丁味噌聞いた事がありますか?以前、宮崎あおいさんが主演された朝ドラの「純情きらり」で嫁がれたのが岡崎の八丁味噌蔵。このカクキューの蔵でもロケがされたそうです現在、八丁味噌はここと、すぐ隣にある「まるや八丁味噌」の二軒でしか今では作られていないそうだ。角と丸というのも面白い。味噌は「医者要らず」とも昔から言われる程の栄養のある伝統の調味料で、地域によって米味噌、麦味噌、豆味噌などがある八丁味噌はその中の豆味噌にあたり、熟成期間が2年以上と長い為にチョコレートのような色合いをしています。大豆のたんぱく質が分解される事で、アミノ酸を多く含んでおり独特な風味があり、米や麦を使用しないため甘み成分が少な渋みや濃厚な旨みが特徴です産地や品種とかかな木樽が完全に乾くと漏れたりするようになるので、内側の味噌は少しこびりついたままで次の仕込みを待ちます大正時代の木樽もありました味噌蔵の見学が終わると、いよいよ八丁味噌の試食八丁味噌の他に飲みやすいという赤だしも味噌汁でこんんゃくに味噌をかけての試食八丁味噌のソフトクリームはとっても美味しかったですよスイカに塩をかけると甘みが増すように、ほんのりした味噌味もソフトによく合います。こちらは自腹岡崎のきもかわいいゆるキャラのオカざえもん親子いつもは最初に行くのが、今回は旅の最後になったいつもの宝石屋さん。このお店からも旅行の費用の一部が支払われております。だから寄らないはずがない。今回も入り口にはコンテストなどで入賞した華やかなジュエリーが並んでおりここだけは写真撮影ができますその後には、ジュエリーを作る工程をガラス越しに見せて貰い、こちらのメインのジュエリーのセミナーをクイズ付きで聞いてから、幸運のオパール石を触って販売会場へ。笑顔のセールスレディーがずらりと立ち並ぶ販売会場には所狭しと高額のジュエリーが並んでおりへぇっ~~と、とりあえずは見物をさせてもらってから奥のお安いお土産ジュエリーを冷やかして、1階の健康食品が売られる待合所で一服。今回もクレジットカードなどは持たず、厳禁のお小遣いも家へ一人で帰れる程度を持参して無事に旅も終わりました今回のバスの運転手さん、非常にナイスでした。安全運転ですし降りるたびに一人一人にいってらっしゃい!と挨拶もされててあんな運転手さんならバス旅行も楽しくなります。更に招待旅行なのに、行く先々でタダでお土産も貰いました。このみかんは売店で600円で売ってたのと同じものですよ~無論、高価なジュエリーは買えないけど、自腹でお土産も買いました。娘に頼まれた梅味のおせんべいは540円。お味噌は田楽味噌にしました。八丁味噌は手間暇がかかっているだけにお高いですし農産物の直売所では三河の柑橘類や、かわったイチジク。糖度20以上もあるんだって。西尾市のお茶農家さんが自宅使いにするというお茶は一袋110円でした小ぶりのミカン一袋にりんごや柿もせっとになった詰め合わせは540円と、これは安いと購入したら小さなミカンを4つおまけしてくれました。お土産などで2000円程を使っただけで楽しい秋のバス旅が出来ました 平成28年10月下旬に愛知県で撮影にほんブログ村
2016年10月26日
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やはり秋は夕焼けが格段に綺麗だ。日の暮れが早いから目に付くのが多くなるのか、空気が澄んでいて発色が奇麗なのかどうかはわからないが、昨夕の夕焼けだ昨日(日曜)にドライブに出かけたいと思っていた旦那は前日の土曜日に、朝早くから農作業をせっせとしていたが午後遅くなってくると、あのジジィはきち〇いだ。もう何もかもむちゃくちゃだ。目つきも違ってるしと怒ってきて床屋へ出かけてしまった。まっ、もとから床屋には行きたかったみたいだけど。私も美容院とか行きたいと思うけど高いしなかなか行けない。ボサボサ頭=美容院に行くよりは行楽・・・人の価値観はいろいろ次から次へと兄ちゃん、あそこのアレをやってくれと目に付いた仕事を言い渡され、先にあれとこれとそれをやれって一度に言って欲しいとぼやき、案の定やればやったで、また文句を言われるのだから、姑もぷんぷんと怒ってかなり早い段階で家に逃げ戻ってきていたらしいそんな、やらなくてもいい事まで仕事にしてしまう舅の気まぐれな相手などしたくはないので、私はノータッチを決め込んでいる。舅や姑が一切やらなく(口も出さなく)なれば、考えもするが相手をしてられない。そんな訳で昨朝は旦那の運転で娘と木曽路を北上。山の上から雲が流れ落ちていた伊那路も考えたけど、松本そば祭りに出かけ損ねた事もあって、なんか気分的に松本方面へ出かけようと考えて、立ち寄った御岳山が見える道の駅「木曽福島」で様々なイベントのポスターが貼ってあって、坂下の花馬祭りも間もなくか・・・行った事ないんだよねとか見ていたら娘が今日(日曜)、塩尻で新そばが食べれたり、ヌーボーワインが飲めるグルメな祭りがあるのをポスターで見つけ話を聞いて、これは行かねばなるまい!!と出かけた先は塩尻。良かった~行き先を伊那路にしなくって塩尻の桔梗ケ原といえば、日本有数の葡萄の生産地でありワイナリーが幾つかあり、国道19号沿いにもあちこちにぶどう棚もある。とくに有名なのはナイアガラという品種だったりして、生食も出来る甘い白葡萄だその桔梗ケ原のイベント会場には、開始の午前10時前には着いたので駐車場にはすんなり入れた。地元の松本ナンバーの車が多い中で多摩とか足立なんて関東圏の来客もちらほら信州の気候や土壌は、ワイン用のブドウを栽培するのに適しており塩尻の他にも、松本や安曇野、東信、伊那谷などにもワイナリーが存在し良質なワインが生産されている。塩尻には8つのワイナリーがありその歴史は明治中期までさかのぼる事が出来るそうだ多くのブドウは寒さに弱く冬を越せなかった中で、米国産のナイアガラ(白)とコンコード(赤)が塩尻でも生産が出来それを中心に栽培面積が広がり、昭和初期には大きなワイナリーなども誘致され、シャルドネやメルローなど多くの品種も作られ始めたそうである今では桔梗下ケ原で生産され醸造されたワインの品質も向上し、国際的なコンクールでも入賞するようにもなり国内外でも評価が高まってきているそうだ。創立百年を超え前身が農学校であった塩尻志学館高校では、学生らがワインづくりをしているんだとかそういった訳で500円のオリジナルワイングラス(一度購入したら次年度以降も利用OK)とワイン1杯券セットを購入をすると、あとは1杯200円で本年度のヌーボーワインが飲めるという、塩尻ヌーボーワインピクニックという名のイベントですわっ娘の好きな林農園の五一ワインとか、初めて飲むJA塩尻市桔梗ケ原ワイナリーのものとか赤や、ロゼに白にと娘と二人で4杯程をいただきました。その上日本酒三種もあったので、量も一緒なので一升瓶だと4千円位する純米大吟醸ひやおろし(高波)も2杯普通の有料の日本酒試飲では、200円でこんなにたっぷり大吟醸は飲めないし、採算度外視、大盤振る舞いじゃないのかな♪ とご満悦な母娘の横で、ドライバーの旦那は来年は息子に運転して貰って、飲むぞ!と決意表明していましたこのワイングラスにつがれているのが、白ワインではなくて純米大吟醸ひやおろしです。美味しいお酒でした。って娘が買ってきたウィンナーなら、赤ワインでしょっ!て感じですが飲んべには関係ないです飲めないなら食い気でいくのか、旦那は塩尻を代表するB級グルメ「山賊焼き」を購入。鳥を揚げるから、とりあげる、取り上げるで、山賊焼きというネーミングになった料理です今度は、娘は100円だったからと嬉しそうに寿司を買ってきましたよ。まだ午前11時前なんですけど安さについつい惹かれた模様そう、そしてこの時期の塩尻は葡萄畑だけではなくって蕎麦畑も実りの時期で、新蕎麦シーズンも到来ですよ!ヌーボーワインを楽しむ他にも、同時開催で新そばを食べれるイベントもやってましただから200円で日本酒も飲めたんです。蕎麦といえばやはり日本酒ですから。ウィンナーではなくて蕎麦に日本酒こそ正解今の蕎麦の形でもある、そば切り発祥の地とも言われる塩尻は信州塩尻「そば切り物語り」というイベントもしており、近隣の5ケ所とゲスト1軒(北信のぼくち蕎麦)が出店をしていました前にも紹介をしましたが、市内にある長野県野菜花き試験場で10年の年月を経て開発をされた蕎麦の新品種「長野S8号」が2013年に品種登録をした「ヒスイそば」は、そばの色が緑がかって、まるで翡翠の色のようだからと命名されました出店したお店では、ヒスイそばを600円で提供をしておりもう食べ比べをするしかないです。手前は松本のそば祭りで一昨年、昨年もリピートをした信州そばアカデミーゆかり庵でして、今年も期待を裏切らない味。奥のはそれより細めの芳香庵みのる今度は何度か出かけたことがある、奥さんたちで営業をしているお馴染みの本山そばの里。あっ、そうそう一人一人で一食ずつ食べ比べではなく3人で分けて食べたので蕎麦も幾種も食べる事が出来ました。ツユはそれぞれのなのでオリジナルの味ではないですが。旦那はゆかり庵のツユが好みらしい次が信州そば打ち美蕎麦交流会かな。ゆかり庵もですがお店ではなく、蕎麦打ちの好きな地元の人たちの集まりのようですが、一般のお店となんら引けはとらない味です松本もですが塩尻もかなりの細打ちです最後のは色が赤みがかってませんか? これはヒスイ蕎麦ではなくって、伊那谷で栽培をしている高嶺ルビーという品種による赤蕎麦です。何年か前に伊那谷で食べた事があるだけですが最近流通量が少ないみたいで、なかなか手に入らないとか。500円でしたイベントでは数量限定、先着順で蕎麦がきなどの無料配布もありました。最近は蕎麦がきも食べてないなぁなんて思いつつ。あと大事な情報を。お酒のイベントですので、JR塩尻駅から無料シャトルバスがありますさて会場となった塩尻桔梗ケ原には、縄文時代から平安時代にかけても集落があった平出遺跡があり、国指定の史跡になっています近くにずっといたにもかかわらず、娘は一度も来た事がなかったそうで、そうだったっけ戦後に発掘が始まり、300棟近い竪穴住居跡も見つかり当時の生活の様子がわかるように復元もされており、かつて登呂遺跡と並び三大遺跡の一つであったんだとか遺跡でシャボン玉を飛ばすイベントもしてました。すごく寒い日で、風も強かったので勢いよくシャボン玉も東の空に向かって飛んでましたほろ酔いな母娘の要望で、ワインを飲んだばかりなのに近くの井筒ワイナリーの直売所にも立ち寄りましてここでは小さなカップで無料試飲をさせていただきました娘と二人なので、ワインも多めにつぎまして、こんな感じ旦那はブドウジュースをちびちび試飲させて貰ってましたその後にはお土産を買おうかと、娘が松本にいた時にはよく出かけていた道の駅の「今井恵みの里」へと、車を走らせて売り場には今が旬の松本のリンゴ。信州で開発された期待の三品種である上からシナノスイーツ、黄色のはシナノゴールド、濃い色の秋映のシナノ三兄弟(またはリンゴ三兄弟)うちは箱入りは手が出ないので、お得な袋売りで秋映はないけどシナノスイーツとなぜか1個だけシナノゴールドあと梨のシャムとリンゴジュースをお買い上げ。いやぁ食べて飲んでの一日でした。来年はお酒の苦手な息子の運転で行けたらいいけどにほんブログ村
2016年10月24日
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みんな違うけどわかってくれた?とは、数年前に家を建て替えたお宅の奥さんの言葉。壁紙の色などを微妙に変えたりしたらしいが、全く違いに気が付かなかった鈍感な人間である。カーテン同様にサンゲツのカタログを3冊位貰って、標準以外にお金を足して高い壁紙も使っても良いというが壁紙すら私と旦那、娘の好みは違う。旦那は洋風っぽい塗り壁みたいな壁紙がいいみたい。カタログだけではイメージもわかないので、名古屋のサンゲツのショールームにも出かけて、壁紙見本も貰ったりもした。家に入ったいわば家の顔である玄関ホールや廊下、階段などは↑旦那が好みの白い塗り壁風で、こんな感じだ和室の襖も廊下側は、壁と同じ壁紙を使って統一感をだしている先程のと微妙に違うのがわかりますか? こっちの塗りの方がちょい細かい感じで2階の寝室に使いましたけど、普通ならもう少し色がついているとか違ったアプローチの仕方があると思うのに、何しろ真っ白なのが好きな旦那なので続きましては少し横長な真っ白な塗り壁です。LDKに使ってまして横長な感じが少し和風な感じがして私も好きな壁です。汚れとかも付きにくいとか機能付きの壁紙なので、オプション料金が少しかかりましたまっ、意識して近くで凝視でもしなきゃ、どれもおんなじ壁紙だと思われても仕方がないです。とりあえずは壁紙を変えてみたかったという自己満足でしかないのかもしれません。私はもう少し色つけたかったんですが息子と娘の部屋は娘が選んだ壁紙で、若干色がついてます。シュガーピンクといいますが、この布地のようなのが娘が好きだそうですわ、落ち着いた感じに仕上がりましたいっそ塗り壁といえば、和室は壁紙ではなく聚楽という伝統的な塗り壁です。また和室の時に紹介をしますが落ち着いた色合いにしました(こうゆうのの色も施主が選べます)旦那や娘の興味とかもない舅&姑の部屋は、やっと私好みの壁紙が貼れました。少し凹凸もあってちょい和風な感じもある、少し色も付いたタイプ。これも標準タイプの壁紙ですこちらの部屋も和室に面して襖を開ければ続き部屋になるので、襖は部屋の壁紙が貼ってありました水回りには防水や汚れ防止機能など機能の付いた壁紙を選ぶ事になってたので、布っぽい凹凸のあるものを脱衣所洗面室に選んでみました。良い感じに仕上がりましたこちらは1階トイレの壁紙。はい、どれもが私の好みが露骨に出た似たようなパターンです。娘はグレーがよかったというしもう少し濃い色で冒険してもよかったが、淡いアイボリーに妙にひかれた時期でした同じ色で揃えてもよかったのにトイレの正面アクセントはこんな感じ。でもね~、天井は白いし、床は大理石調のアイボリー、ドアは木の色とすでにいろんな色が入っているのであえて変える必要はなかったかもそんな訳でこのように微妙な壁紙3種(笑) 微妙すぎる違いに最初見て失敗したなっ・・・。旦那にも娘にも不評です。しいて言うならくどくないだけマシかもしれませんが2階トイレは旦那の選んだ淡いブルーの壁紙。実際よりも薄く見えますが、トイレの壁紙と、すぐ脇の洗面台の扉のカラーが同系色なのがよかったです色がついているとはいえ、結構、薄い爽やかな色ですよねすごく小さな壁紙見本では濃い色に見えても、壁に貼ると思ったよりも薄く感じてしまうのでご注意を実をいうとこうゆう花柄とかをトイレとかに使いたかったけど家族から反対をされまして、自分の目につかない所に貼れとかまで言われましてパントリー(食品庫)や、娘と私のクローゼットに使用しました。が旦那よりも私の方が服の量が多いことから、住み始めてから私と旦那のクローゼットを好感したので、旦那の方がかわいい花柄です残りのクローゼット3つ(私の、息子、舅&姑)と、階段下や玄関ホールの収納庫2つは普通に真っ白なのにしましたがどうせ人の目につかないものなら、こっちも白地に柄物とか使ってもよかったかなそうそう天井にも壁紙を貼りますが、そこまではこだわる必要もないし仕事をやりなれた業者さんにお任せという事で。本にもあったけど壁より少し濃い色の方が収まりいいみたいです一体感出すためにか玄関ホールの天井には、壁と同じものが貼られてました。すっきりしてて綺麗ですこのように殆ど違いの判らない自己満足的な、無難すぎる壁紙でしたが、このように様々な種類の壁紙を使ってます天井と壁の空間をスッキリと見せる為に、廻り縁を施工せず「目透かし収まり」(和室の技法で、壁と天井との角に隙間を作って凹状にする)といううちの工務店さんのいつも使っている施工です壁紙を張る前には、このような施工を大工さんがしてますこういった壁紙を巻き込むような施工って、すごく手間もかかるし腕がよくないと出来ないみたいで、壁紙の職人さんもベテランでとても腕の良い方です塗り壁調の壁紙のデメリットに壁紙の合わせが難しく、柄がずれ境が目立つ危険があるとありましたが、つなぎが全くわからずにまるで1枚の壁紙が貼られているように見えます春になり暖かくなって、大工さんがもうおいでにならなくなっても様々な業者の方が現場に入られて、どんどんと家が出来上がってきました和室には山のような段ボールの箱。TOTOなのでトイレとかのものらしいですダイニングにはクリナップのキッチンセットの部材が山のようリビングにもクリナップ。こういった水回りの施工はユニットバスはかなり早い段階でしたが、残りのものはかなり後半に施工されましたこうして春を迎えて、長かった家づくりもいよいよゴールを迎える事となりました。住んでみたらもう半年近くにもなりますよ。棟上げをしてちょうど1年くらいになるのかな 平成28年春に撮影にほんブログ村
2016年10月22日
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ちょっと一息。日曜日の夜には私が東京に出かけるきっかけになった、BS放送NHKプレミアムでたまにやっているフォーク番組の放映もしていた。その前の週での坂崎&なぎらのコーナーともども、ちらっと数度は映っていましたねまっ私よりも年上の方も多いので場違いという事もなくすんなりまざってしまって・・。しまった~今年の紅白観覧応募は今日が必着だったらしいです。秋はなんだかんだで忙しいので半分は応募し忘れてしまって。すごい倍率らしいですが、これも応募しないと当たらないし今日はドラフトあるみたいですね。創価大学の投手が一番人気らしいですが、どの選手も次代のプロ野球を支える選手に育ってくれたらいいですね。日本最速の大谷選手はいつかはメジャーに行ってしまうけど、その前に1度は生で投球を見てみたいなぁ。ダルビッシュとか見ることなく海を渡ったしかつては人気のセ、実力のパといったけど、最近のスター選手はパ・リーグばかり。日本シリーズに出場するチームを決めるクライマックスシリーズの試合もパ・リーグはBS放送とかで中継があったのに、ただの一度もセ・リーグの試合が地上波やBS放送でやっていなかったのには驚きました私も最近のあまりのふがいない中日の試合とフロントのごたごたに、大島&平田がFAで他球団に移籍したらもうカープ女子になるぞ~とか冗談で言ってたのに、真っ赤な広島旋風も侮られたものだ。民放系BS局は巨人だったら中継してたって・・・いつまでも巨人、巨人って。広島の方が、今年の場合は全国の人の興味もあるように思うがBS放送のNHKでも、日本選手が出るからとか言ってメジャーリーグの試合するよりも、広島の試合をした方がいいと思うよ、実際。最近はメジャーの試合も見てないもん。興味もないし。なんて感じで広島の黒田の最後の登板も日本シリーズはありそうですねこれまでの写真は、国立東京博物館の法隆寺宝物館にずらりと並ぶ仏像の数々です。今回は博物館の最後に見てまわりました。どれもが個性的ですよね東京国立博物館は様々な時代、地域の展示物がテーマごとに陳列をされていますが、敷地の片隅にあるので下手すりゃ気が付かず、すっ飛ばしてしまうようなこの宝物館が私の一番のお気に入りですここに展示をされている仏像や、仏具などはどれもが奈良県の斑鳩の里にある、日本最古の木造寺院である法隆寺にあった宝物ばかりだ。聖徳太子の斑鳩宮に接し建立をされた斑鳩寺が、法隆寺の前身となるそうで推古女帝の御代まで遡れるそうだ当時は朝鮮半島は戦乱のさなかにあり、戦いを避けて日本へ海を渡ってきた渡来人らが多く、仏教や、思想建築、工芸など様々な文化技術が伝播した。この仏像もどこか海外を思わせる顔つきをしているし。聖徳太子の側近でも止利仏師(司馬氏)や、秦氏など渡来人が活躍そんな由緒ある大寺院でも、明治政府が行った天皇を神格化し強大な国家を作る為、海外から持ち込まれた仏教は冷遇され、廃仏毀釈によって困窮を余儀なくされ僧侶がお金に換える為に、寺の仏具を持ち出す事すらも同じく奈良の大寺院の興福寺の五重塔だって25円で売却寸前。薪にされるところだった。本当に明治政府の愚行であったと思うよ。廃仏毀釈は・・・急速な軍国化とともにそういった訳でなんとか法隆寺の存続を考え、教科書に載るような伝聖徳太子画像のとか、一流の宝物数300点を天皇家に寄贈する事で、法隆寺がいかに価値があるお寺であるかをアピールしたそうである第二次世界大戦を終えて、これらの宝物は皇室の手を離れて日本国に移管され、東京国立博物館におさまる形となったのだ。その半数以上が国宝や重要文化財に指定をされているこの金銅柄香炉も、上宮や、高句麗から渡来した慈恵という聖徳太子の師の名前が彫られているそうだこれは金銅の水注と、匙で、写真にはないが他に墨台や硯もセットになった文具であるらしいもう、どれもこれもが国宝。人ごみに紛れて正倉院展奈良で見るよりも、人が殆どいないがらんとした法隆寺宝物館でじっくり宝物と対峙するのもよいと思う特に寺院の堂の内外を飾る荘厳具(しょうごんぐ)の一 つである金銅灌頂幡は宝物を代表する名品で、見事な透彫で如来や天人雲、唐草文などを表した金銅板が飾っている当時の姿を復元するとこんな感じだ無論、法隆寺以外の仏像や仏具なども、本館などに展示されているので来館される外国人観光客なども好評だ特別展示なので、ここには写真がないが(常設展示の殆どがフラッシュ禁止による撮影OK)ちょうど、私が出かけた日から「平安の秘仏・滋賀櫟野寺の大観音とみほとけたち」展が始まったのでせっかくなので見てきた。平安時代後期の作で、重要文化財にも指定されている十一面観音坐像としては日本最大で、仏像の像高は3.12mもある秘仏があるそうで33年に1度の秘仏だそうだが、わざわざ東京までお越しになっているというのだ。更に櫟野寺が所蔵する重要文化財の平安仏が20体を一堂に集めたものだそうで、このお寺のこと知らなかったただご本尊以外の仏様の手が取れていたり、足が欠けていたりというのは、ちょい痛々しい。やっぱお金のある権力者の庇護がないと、お寺の宝物を守って、後世に残すのは難しかったのだろう息子のすまい給付金の書類を息子に書かせたが、収入の少ない世帯で、新築する建物の権利を100%持ってると30万円が国から給付されるので、旦那とか無理みたいというか、住宅ローンではなくて現金払いは受給条件が普通よりも難しいようだ。フラットだとか住まい給付金とは消費税が5%から8%に上がった時に住宅購入が減らないように、収入の少ない家庭に支給される旨で出来たものだそうだ。この先10%に上がれば更に給付金額も増えるようだが消費税8%の場合は、大むねに年収425万円以下で30万425万から4754万で20万、475万から510万で10万になるそうだが、正確には県民税の税額が基準になるそうで。やばっ、息子はあと県民税の年額2千円多いだけで10万になるところだった。年に半分の夜勤と残業で昨年は年収が多かった模様しかし、前にも書いたように満額が貰えるわけではない。家の持ち分に比例をするので、息子の場合は35分の14なので8万をちょい切るぐらいの給付金になるみたい。それでも幾らかでも戻ってくるのは有難い。次は住宅ローン控除も忘れずにドラフト1位指名終わりましたね。かつては野球王国だった岐阜県。昨年は社会人、今年は大学が日本一にも輝きましたが中津川市にある中京学院大学の吉川選手(岐阜羽島出身)が巨人の外れ一位に指名されましたね。この大学からは広島の菊池選手も輩出しています。頑張れ~♪ 平成28年9月下旬に東京国立博物館で撮影にほんブログ村
2016年10月20日
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今日の名古屋の最高気温は29度なんだって。現在の室温も23度後半だけど、どこまで上がるんだろうという季節外れの暖かな朝を迎えて、2階の寝室のカーテンを開けたら曇ってたえ~? 暖かなのに?? 星4つの高性能のペアガラスの窓なのにって思ったら、指でこすっても曇りが取れないし窓の内側に出来る一般的な結露ではなくって、家の外側窓ガラスの外に出来た逆転結露だった。そんな事もあるんだなとネットで検索をしたら、ブログでお付き合いさせて貰ってる高気密高断熱のお宅でも、昨年の初冬に起きており高断熱の窓だからこそ起きた現象みたいだ前にも説明をしたように、外壁サイディング下には防水性のシートがびっしりと貼ってあるので、家自体には影響などは無いみたいなのでひとまず安心試しに窓を開けて。外側の曇ったところを指でなぞると字が書けた。やっぱ窓の外側に出来た逆転結露なんだなぁ~などと確認。要は外気の方が水蒸気とかが大量発生してて家の中よりも暖かだったみたい。結露でなく朝霧とか、もや。露など。濡れた地面からの帰化などが窓についた現象だとか、放射冷却の為だって説明なども元が文系の人間なので理系の現象は何が何だか。今までに窓の隅っこの方に少しだけ結露が見られた、北側の☆3つの窓にも、外側からの逆転結露。他に同じ北側の2階のトイレの小さな窓も真っ白になっていた。いやぁ新しい家は、今までにはなかった自然現象まで起きるんだそうそう秋になっての室内での湿度変化。とは言ってもお天気が良い日の昼間は、家中の窓全開なので室内というよりは外気のようなものだけど、湿度が31だったしこれも温度に影響されたりするそうだし、冬の管理はどうしたらいいのだろ。旦那は湿度なんか関係ないと雨でも夜でも窓は開けたい模様。窓を閉めていると息苦しいように感じるからだそうだってそれだけに、雨が降ると吹き込んでしまう2階の北側の窓上部にも長い庇(ひさし)が欲しかったという話となって今の家の庇が短い(殆どない)理由なども、ネットで調べさせられた。様々な意見があるのですが、外観デザインの雰囲気に合わないとか、UV窓や雨漏りしないサッシ、外壁などの性能が格段に上がって、庇が必要なくなったとか庇を作る事でかえって雨漏りの心配があるから、クレームを心配してだとか、コストダウン。マッチ箱のような真四角な家が多いのもそんな理由から。少しでも安い家を提供したいって部分なども大きいみたいだ。2階にベランダを作る事で庇のかわりにする場合も多く見受けられるそうで、うちのダイニングなんかもそのタイプ庇が長かったり多いと、和風な外観になるという意見もあったがうちもそうゆうのを狙っての施工だったのかな。とにかくにわか雨の多い夏の時期でも、庇のない2階の北側の窓でもエアコンが無いので、旦那や娘や開けまくっているので、雨が降りそうな時や外出する時には、せっせと窓を閉めてまるのも私の仕事の一つだまっ、庇が長すぎても台風であおられて屋根が飛んでいってしまうなんて、実際に家の半分の屋根を伊勢湾台風でふっとばされた舅が違った意味で心配もするしそれにしても昔の家って柱もほとんどないし、壁だって皆無。これで思い瓦屋根を支えてたんだから、そりゃ家も傾く訳だ。、なんか昔の話のようだが昨年末までこの家に住んでいたんだなぁ~。しみじみさて話は少しさかのぼります。春も近づいて家づくりも佳境となってきた。予定では大工さんが入るのは桜の咲く頃、4月上旬の予定だとか。うちの家の代金の支払い方法は棟上げで1回目支払い大工さんの仕事が終わる時に2度目。引き渡しで3回目。追加工事や、その他諸々の残りの残金は、先週末の大安吉日に支払ったばかりだ。予想通りの金額だった。そりゃそうだ長かったようで短かったようにも思える家づくりも、ここが終着点だって思いもしたが、まだ息子の住まい給付金や税金の控除なんかの手続きもしなきゃいけないし、自分から率先をして動くタイプではないので、私がやいやい横から口を出さなきゃすみそうもないし貯金なんかもしそうもないので、天引きで勝手にたまる住宅財形、将来きたるべきリフォームの支払いの為にも既に貯めさせてますよ。その時に旦那とか私とか元気でいたらいいけどね~。まっ、そんな先の事はわからないしその頃の住宅事情も大きく変わっているのかもしれないがやれそうな事は、今から準備していた方が来年、息子は3回目の車検なんですわ。新車を買ってから3年、2年、2年と7年目。通勤先が遠いので次の車検を受けてしまうと、確実に10万キロを超えてしまうみたいで、旦那が10万キロを過ぎると車の部品が劣化して不都合も出てきやすいなんて言うもんだから、来年は新車を買い替えなきゃいけないと言ってまして。世の中、15万キロ、20万キロ乗ってる人もいるんだし、昔よりも劣化の進みも遅いようにも思えるんだけど他の方の新築ブログを見ていたら、ピカピカの床のはずが引き渡し後になんか表面がざらざらしてるのを、経年劣化ですって言われたそうで、引き渡し時に経年劣化?とか他の不都合そうな部分も、許容範囲みたいな事も何度も言われたみたいで、大手ハウジングメーカーで建ててもその程度なんだなと。どこで作るか、だれが建てるかって当たり外れが大きそうな建築業界工場で作られてきたパーツを現場でポンポンポンと組み立てるだけのような腕しかない人も大工さんで通っている中で、本式の和室を作れる大工さんも減ってきているんだろうな、きっと・・・ここの工務店の若い頃は大工さんだった社長さんは、儲けよりも自分の納得のいく良い家を建てる事を旨にしているので、そこに入る業者さんも、しっかりした仕事を熟せる事が重要なようだだから売ったらそれで終わりみたいな元請け業者とは違って、ちゃんと現場に社長さんが一つ一つの工程が終わるたびに顔を出して、ちゃんと仕上がってるかを確認しているので、よく姑が社長さんが現場に来てたようだよと言っていた素人(施主)が見ても気が付かないような専門的なミスなども許容範囲などと甘いことなどは言わず、納得がいくまで業者にやり直しをさせるそうだ。うちの現場でも屋根の上は土足厳禁上靴にしなきゃいけないのが、泥の靴跡があったそうで、その業者(屋根ではない)持ちの費用で、その部分の屋根瓦をふきなおさせたそうだ雨が降れば泥も消えるかもしれないが、それは契約では土足ではなく上靴にするとしたのに、約束を破った事を(今後起きないように)認識させる為にも、やり直しに踏み切ったそうだ。僕じゃないのになぁ~と姑にぼやきつつまっ、追加の代金も貰えると思われる、イケメンの瓦職人さんが再登場で仕事をしていったようだ注文をした木材が一部足らずに棟上げが遅れてしまった件でも、その足らなかった木材の代金20万円を、業者から工務店の社長さんが値引きして貰ったのも、実際に日にちがずれた事でクレーン車や、職人の手配などもやり直しとなり大変でもあったようで、今後はそのようなことが起きないようにという意味合いがあるようだけど、その20万円も最後の決算で貰う事ができたし。この20万円の存在は本当に大きいし嬉しい社長さんが怒ると職人さんがびくっ!とする位、怖いらしいです。現場監督さんもまた始まったと下を向いてしまうようでどんな第三者機関の検査員よりも、社長さんのチェックは緊張感あるようです。この工務店で仕事をさせて貰うってある種のステイタスを感じる場合すらあるんだとか。あの工務店で仕事が出来るなら、腕も確かだなってみて貰えるそうだし他でなら通る出来栄えでも、この工務店では及第点が貰えない場合もあるそうだ。そんな自分の建てる家に自信のある工務店の社長さんだから、やっぱ物言いが横柄だったり、早く作ってよ♪みたいな施主さんだったりすると、仕事も受けないみたいだ自分の納得のいく仕事をする為には、短い工期が限られた家づくりなどもできないしお金でうんぬんではなくって、「良い家」を建てて欲しいといったちゃんと、自分の建てる家の持つ価値を知っている施主さんに住んでもらいたいとの事であろう。家を作るにあたってかなりネガティブな情報もネットで見聞きしてて、手抜きのない腕の良い大工さんが建てた家に住みたいとの願いは、このようにこだわりのある工務店さんに出会うことで、叶うことが出来たその工務店でずっと仕事を受けている大工さんだけに何でもできると、仲間内でも言われるような腕の良い大工さんの仕事もそろそろ終わりに近づいて・・・細かな特注の造作なども始まって。脱衣所やフリースペースに棚などもつけて貰い、長い間、寒いところでありがとうと姑がいったら、大きな家だから同じところに長く通えて良かったとの事それに大工さんの家はうちよりも、下手すりゃ寒いところだから寒さはあまり苦にならならなかったみたいだ。高気密高断熱というあたりも効果が既にあったのかもしれないし。そんなベテラン大工さんの腕の見せ所の和室については、また回を改めて紹介ができたらと思う 平成28年初春に撮影にほんブログ村
2016年10月18日
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床ですが今はやりの無垢の天然床ではありません。私はそちらが良かったのですが、浮造りというでこぼこした仕上がりになるのとかかる費用が1.5倍は高いのを旦那が嫌って、合板ですよ。こう見ても。ツルツル、ぺたぺた、冷たい感じが旦那は好きみたいですとか言っても、下手な天然無垢床いたよりも合板の方が高機能で高かったりもしますし、床暖房対応ですしね。床やクローゼットシューズクローゼット、階段などはエーダイで揃ってますので色目や素材は統一感があります。あまり白くもなくかといって濃い色でもない明るめのトーンで選びました。最初のと同じ床なんですが光線の違いで、別物に見えちゃいますねこの床は永大産業の「フィールグレインフロア」というシリーズで木材は板目や柾目、追柾といった木取りの違いによる様々な表情が天然素材ならではの味わいがあるそうで。「3Dメイク」とは木材が本来持つ表情を、より鮮明に表現するEIDAIオリジナルの技術だそうで、ビーチの上品な木目やオークの力強い木目を、一層際立たせた透明感のあるワンランク上のフロアなんだそうです比較的、早いうちに綺麗に貼られた床は傷がつかないように養生がされていたクローゼットやドアなどの建具も同じく永大産業のもので床と同じタイプのもので揃えて、暗すぎず明るすぎないナチュラル感のある、落ち着きがある色合いでまとめた玄関は広々させたかったので、流行りのシューズクロークではなくって、やはり永大産業の大容量のシューズクローゼットを備え付けて貰ったドアロブなども傷つかないように養生中。こういった開き戸は娘や私の部屋など3つしか使わず、基本的に年寄りも使いやすいように引き戸のドアにしたトイレの中の電気がついているかどうかが見てわかるような明かり窓一階廊下から1坪の洗面所。2階への階段への引き戸のドアに脱衣所へのドアの細い窓は、換気が出来るように隙間がついているけど、全部と閉めると湿気がたまりそうで、私は廊下側を開けるようにしてる。でも家族とか閉めちゃうんだな。ドアの開けっ放しはだらしないイメージらしいテレビボードは家具屋さんで購入するか、永大産業さんのをオプションで付けて貰うか迷ったがやっぱ、ドアとかの他の建具との統一感が欲しいなぁ~と思って永大産業さんで、定価よりもかなり安く仕入れてもらえるので12万しなかったのでお得な気もした。地震とかを考えると倒れるような家具ではなく、造作したものが良いと思うし同じく分厚い永大産業さんのカタログを見て、ひとめぼれをしたのが、ダイニングの棚(デスク付き)で、2万6千円程だったし、娘の部屋とかも作って貰えば良かったかな~キッチンの床は防水性のあるものでという事で、クリナップのKTというシステムキッチンの色合いによく似たオフホワイトの床で、なかなか良い感じに仕上がったトイレや脱衣所なども防水性のあるオフホワイトの床でマーブルっぽいものでそれとオプションで永大さんのカタログを見てて、これいいかもって、ハンギングバーをクローゼットの中とかダイニングなどにも付けて貰った。もちろん付ける予定のところは壁の下地を強化して貰っており、S字フックで、ちょっとしたものをかけるのに便利だし、つけてよかった階段も永大産業さんの。こんな感じで作っているんだ~ 家が出来て、引き渡しにやってきた現場監督さんも設備&会計担当の工務店の社長の奥さんも家にきてリビングでカーテンを褒める。工務店の紹介で利用をさせて貰ったカーテン屋さんは、東レ、サンゲツなどお安く、好きなのが選べるので旦那が金色が入っているのがゴージャスで良いとか選んだカーテンを、掃き出し窓2つ、腰高窓1つあるLDKに選んだキランキランのどうかなぁ~とか思ったが、思った程くどくないし、高そうに見える。が、しっかり価格もこのラインまでって選んだので、よほど高い訳でもない。レースとも東レレースの柄もクラシカルな感じでワンランク上な感じのものをやはり人の目があるリビングなどは良いカーテンを使って予算がなければ2階の寝室などのカーテンは安めのものを使うのがコツらしい窓からの寒さを遮断するように、カーテンレールの上部は蓋がついていて、横側もカーテンで囲んでいたりする。レールもカーテンも少し高くなるけど、快適に冬を過ごす為に多少でも工夫もしておきたい2階の3室はどれもサンゲツで、遮光性があるものを選んだ寝室のカーテンはこんな感じ。昼間はあまり気にならないけど夜の蛍光灯の下では、植物の模様がグレーっぽく見えて地味な感じで、なんだか明治時代の年配女性のドレスみたいでちと失敗したかな本当は木綿のふわ~としたのが良かったけど、遮光じゃないし、シャッターも旦那がケチってつけなかったんで厚手で遮光性がカーテンの条件だった。でもレースのカーテンはかわいい水玉模様で昼間は良い仕上がりだ↑みたいなシェードのカーテンは少しお高いが、やっぱりかっこいいので、娘の部屋と2つ付けて貰った。付けて良かったしこれは娘がひとめぼれしたカーテン。この他にグリーン系のものがあったが、こちらの方がほんわか明るい感じだったのでレースのカーテンも最近のものは、様々な機能を備えていて中が見にくいミラー機能があったり、UV機能があったりとか汚れが付きにくい、防火性などなど・・・・こちらは息子の部屋のもの。見た感じは重厚感があったし夜勤があるからと、遮光性も一番あるものを選んだのに夏社内異動で夜勤が無くなった。残業も殆どなくなってしまい手取り↓ ちょっと分厚すぎたかな。名古屋にある東レやサンゲツのショールームにも行ったんだけど、なかなか思うようにはいかないものだカーテン屋さんの店員さんではなく、カーテンレールの業者さんの専門の職人さんが、レールを取り付けをしてくれるのもポイントだそうだ。手持ちのカーテンがある時はカーテンレールだけの取り付けだけでもしていただけたので娘のアパートで使っていた遮光性のあるカーテンが、まだ傷んでなかったので舅&姑の部屋で使う。箪笥を置くはずだったのをクローゼットを作って貰ったので、その扉が干渉するとカーテン屋さんに指摘され、レースカーテンレールは内側に付けて貰った前の家で使おうと思ってた新品のカーテンは、2階のフリースペースで使うように、それらには蓋のないタイプのカーテンレールだけ付けて貰ったけどね、市販のカーテンはひだが2つ折りでやっぱりオーダーカーテンの仕上がりとは程遠いオーダーカーテンは3つ折りだ。ただしかわいいのとかカジュアルな感じなのが、オーダーには少ないようにも思えたりもして。トータルで掃き出し窓5つ、腰高窓4つ小窓2つ、東リとサンゲツのオーダーカーテン+レースで合計21枚と、タチカワのカーテンレール16本の費用はしめて45万円弱だった目下、カーテンの閉め方で私は窓の右側も、左側のも同じ方向から、右、右ととめたいけど、旦那は内側からか外側からのどちらかにして欲しいと言われて。でも右、右の方が止めやすく、外しやすいのだけど秋らしい気候になって我が家も衣替え。窓を開けていた時の室内の湿度も34%となり、新たな局面を迎えた 平成27年冬から今年春に撮影にほんブログ村
2016年10月13日
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ここにきて秋らしい気候となってきた。やっぱり夏は短い秋を経て、すぐさま厳しい冬となるのだ。うちの田んぼもやっとJA(農協)が、まだゆるかったので大型コンバインは入らず稲刈り機で刈り取ってくれた稲刈りが終わっても、次の年の準備もあるので旦那は今日も田んぼへ出かけた以前は、近所のおじいさんが所有する大型コンバインで幾軒もの田んぼの稲刈りをして、乾燥や脱穀もしており思うような時期に稲刈りもしてくれたのだが、病気で亡くなり、JA(農協)は沢山の農家と契約をしているので田んぼの状況が悪いとどんどん後回しにされてもしまいやきもきしてもスグには刈りに来てくれる訳でもないその日の昼に午後からJAが刈りに来てくれると聞いて「兄ちゃんを電話で呼べ!」というが会社の仕事をほって中途で家になんて帰れないよ。舅の物差しでは会社の仕事よりも家の農業が一番大事大手の専業農家でなければ、高額な農業機械も購入など出来ないし、自分で苗まで作っての田植え、稲刈りなども到底、無理なので業者の手を借りなくてはならず、昨今のコメ離れによる米価下落で、儲けなど望む事もできない三世代同居だったりで、定年を迎えた年寄りがいてこそ兼業農家も成り立ってもきたが、今は田舎でも同居も減り長男でも一緒に住んでもいないから80代の年寄りだけで農業をするのも大変だとはいっても自分の家の田んぼだけ荒らしてしまうのも、近所の手前体裁が悪いから、腰が悪くても膝が痛くても田んぼに向かうそれが今の日本の農業の現状の一つの形ではないだろうか本日付の日本農業新聞の記事によると日本農業新聞の元記事 「農業人口が半減」2050年には農業人口が半減し、そのうち3割が85歳以上という試算を、自民党の農林水産関連のプロジェクトチームが出したそうだが、うちのあたり既に80代のみ農家が多々あるだが高齢となった舅も大病も抱えており、体も思うように動かなくなってきて、旦那の土日の休みに、あれをしろこれをしろと、その時の気分で言い出すので、旦那も閉口をしている。というのも他の人が草刈りを1回するうちにうちは3回といった感じで、やらなくてもよい事でも目が付きゃ舅の気分次第で、重要な仕事にしてしまう今日の昼にも旦那が「アホは相手が出来ん」と怒って帰ってきた。田んぼを機械でかいていたら、田んぼの中に草が生えているから刈れと舅が言ってきたそうで「どこでも草なんか生えとるわ!」と相手にしなかったみたいだけど、もう稲刈りも終え、しかもこれからかくんだし。単に見た目だけで舅は言い出したみたいだ「たいしたものだよのぉ~うち程、綺麗にしとるもんはいない♪」とか舅は昔から自慢をしていたが、死んだ舅の父親は定規で測って、たきぎを切っていた程に几帳面であったそうだ。自分の仕事はパーフェクト。人のようにだらしない事はしないといったナルシスト的な部分が舅には常にあるので、旦那を手足のように使ってみてもその仕事ぶりに満足はせずやらなくても遊んでばかるおると叱られ、やってみてもこんな汚い仕事はだちかんとまた叱られる。昨日だって旦那が耕運機で田んぼをかいていた横の土手に座ってじぃ~っと仕事ぶりを見る舅。農業歴も40年で、もう60歳も手前のいい大人が、親の監視でしかられ続けてその愚痴聞かされてもね娘が松本にいた時にはそれを、口実にうまい具合に逃げ出して息抜きも出来たけど、今ではそれも出来ないし舅は60歳になれば旦那が家で専業で農業をしてくれると思っているけど、今は65歳にならないと思うような年金ももらえないので、給与が安くても働き続けなきゃいけないので、雨の日だけが旦那の休みになりそうだ土日に雨が降ってるとゆっくりできると旦那、喜ぶ最近は私と娘で二人で出かける事も多く、近くならまだしも遠くまで運転するのも嫌だなぁ~と、3連休で後半は天気が良いし、土曜日は久しぶりに旦那の運転で遠出ドライブに出かけようと。朝早くから朝ご飯を作って、片付けをして洗濯もして干してと、バタバタしているうちに風呂掃除をし忘れて出かけて、夕刻、旦那が姑に風呂の準備をしてくれと電話したら「何やっとる!!」と怒鳴られたそうだ自活して貰ってくれるだけ良いとは思っても、玄関やトイレ和室、仏壇、洗面所や風呂掃除。共有部分なんだけど、一切姑は手を出さない。それはそれでありがたいとは思うけど1年に何度もないんだから、気持ちよくいいよとか言えないものかなぁ~。次の朝は朝で舅、ぶち切れまくり。昨日はきっと息子が家の事もせず、遊びに行っておらんかったので舅が荒れて、姑の機嫌が悪かったのかも洗濯物を干そうと通りがかったら、午前8時過ぎに舅が「よその○○はカッパ着て田んぼをしとるのに!昨日の方が今日より天気が良かった!」とどうも旦那が昨日家で農業をせず遊びに行ったのが我慢できず口汚くののしっていたので黙っておれず、「1時間も前にお父さんは雨の中を雨カッパを着て仕事(地域の作業でため池の見回り)に裏に出て行っとるわ!」と言い返しておいたが。舅にとれば地域の仕事も遊びだし身勝手だよ、自分は旦那の年には地域の仕事とかはみんな30歳そこそこの息子に丸投げで、パチンコとか出かけておいて、先週も土曜日は姑のおばの法事に旦那日曜日は舅の兄嫁の法事なのに、姑と旦那を行かせて「兄ちゃんは?」とほかの兄弟に聞かれて。そうゆうのみんな遊びなんだもん。遊んでばかりいやがって!っていっつも言うけど今までの自分はどうなんだと言いたい朝から晩までパチンコ三昧。家や地域は息子にお任せ家の農業>舅の事(ウチョウランの展示会とか連れて行かされる)>>>>地域の仕事>親戚の事>旦那の会社の仕事>>姑の事>>>家でごろごろとしている>>うちらで遊びに行くって感じで。私のケータイをスマホにするというのでも旦那の契約だから、旦那を連れて行かなきゃと、ほんの午前中の2時間連れ出しただけで旦那が遊んで家の事をしないとブチぎれてたしあぁ、今となれば仮住まいでのつかの間の別居の頃が懐かしい「おじいも体が動かないし、おまえも手伝ってもらうしかないぞ」って、20代後半の独身息子に旦那が言うが「僕はお父さんができなくなったら田んぼやらないよ」ってそりゃそうだな。うちの実家も姉の家も田んぼを貸して食べるコメだけを地代で貰っているが、旦那自身ですら舅がいなきゃ業者任せにしたいとも考えたみたいだ自分の休みを削ってまで美田を守る為に働いても、儲けなどもないし。野菜はサルやイノシシに食べられるし自民党の試算よりも早く、うちのあたりは10年後には田畑も半数が荒れ果ててしまっているだろう。それどころかNHKで人口減少に苦しむ自治体の特集(「縮小ニッポンの衝撃」9月28日放映)をしていたがあの東京都ですら、豊島区などはかつては若年層の流入といった特徴が、最近は30代や40代の流入も多くなってしかも低収入になってきているそうだ。彼らは地方で仕事がなくなってしまい、たとえ低収入であっても仕事がしたいと都会にやってきた単身者だそうで、このような低収入だと結婚すらも望めないそうである1920年の調査開始以来、昨年の調査で日本の総人口が初めて減少に転じたそうで、全国の8割の自治体に減少が見られたそうだ。ある意味で今は潮目なんだろうと思う地方は更に深刻である。島根県雲南市は深刻な財源不足に見舞われて、2005年に財政非常事態宣言を行いコストカットに着手。市内30地区で住民組織を作って行政に頼らず住民たちがやれる事を行うというものだ。地域バスも業者ではなく住民が交代で運転をする。仕事があろうがお構いなしだ山間部の過疎地域では高齢者しかおらず、その住民によるサービスを行う担い手がおらず悲鳴を上げているが、行政側は、その地域が消滅するのも仕方がないといった感じでこれが今のニッポンなんだろうね。まっ、どこの地域でも多かれ少なかれそんな感じで、うちの地域も山ほど役員あるけど、高齢者のみだと出来ないからと免除されるので一人で3つも4つも役員をいつもしているここ最近、自分の境遇(生活&雇用状態)に対する不満を弱者にぶつける事件が相次いでいるようにも思う。老人施設の若い職員が、寝たきりの老人らを突き落としたり寝たきりの知的障碍者を次々と襲ったり、今度は終末期の高齢の患者の点滴に異物を混入。これも内部犯行らしいと言われている。3Kと呼ばれるキツイ、汚い、危険(しかも給料は安い)を日本の若者が敬遠をするので、海外からの雇用で補てんしようとしている農業もだが研修生だとかなんとかで、外国人を受け入れたりで人手不足解消をしている業種も多い。保育士の雇用も厳しいと話題になっていたけど、どこもかしこも昔もこれほど雇用環境って悪かったんだろうか?朝日新聞記事。外国人看護師・介護士、難しい定着「もう疲れ果てた」グローバル化で海外の安い商品が入ってきたり、安い雇用を求めて海外に生産拠点を移したり、更にはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)なども控えているし企業も生産者も生き残るのも大変。あのシャープだって海外資本に身売りしちゃう時代だし。安くなければ売れないし、コストカットには手っ取り早く雇用でという感じで、中産階級は減って格差社会も加速中そんなニッポンで勝ち組になるべく、子供の頃から頑張って勉強をして、東大に入り皆が名前を知っているような大企業に入社しながら、過酷な勤務とパワハラ発言なども受け、でうつ病を発症し、直前には月100時間を超える残業を行い半年余りでクリスマスに、自殺をしてしまったお嬢さんは労災が認められたそうだ。国が発表をした過労死等防止対策白書によれば、過労自殺の労災が、ここ数年200件前後で推移しているとの事更に「過労死ライン」と呼ばれる月80時間を超えて残業した労働者がいる企業の割合が、昨年度は2割を超えたんだとか。実の話、娘が以前働いていた会社もかなりなブラックぶりで、一人暮らしもお金もかかるし家に戻ってきたら?と、娘の部屋を確保する為の家の建て替えでもあった。すぐに見つかった転職先に対して給与が少し減ったが、仕事関係の愚痴を聞かされなくなってほっとしたその過労死等防止対策白書に対し、ある教授が残業時間が100時間を超えたくらいで自殺するのは情けない。自分で起業した人たちは会社に寝袋を持ち込んでと発言し、炎上をしたんだとか。カリスマ創業者なども自分の若い時と重ねて若い時はもっと働けみたいな発言をする人もいるけど、会社立ちあげる状況の人と、企業の末端で働く新入社員と一緒に語るのもどうかと思う。ボロボロになるまで使い捨て的に扱われる若い社員も多いご時世だし糖尿病で透析をする患者は自己負担か、殺してしまえなどと発言したフリーアナウンサーもいたけどもいわゆる勝ち組にいる人たちは弱者の置かれた立場を理解できず、努力しない自分たちが悪いからと突き放す傾向があるように思われるが既に生まれた地域、親の階級(あえてそう言わせていただきます)などでスタートラインが違うのだし行政や政治においても恵まれた地位にいる人たちに、この疲弊した日本を救う事が果たして出来るものだろうか。疑問にも思う。末端にいる自治体職員も、年金詐取するような時代だもん。地方議員さんは領収書改ざんでの錬金術で住民よりも自分の事で精いっぱい廃墟ツアーが人気で軍艦島なども旅行コースによく入っているが、うちの周囲でも個人宅が幾軒も廃墟なままで屋根も落ちかけ住む人はおらず。中山道界隈にタイルは似合わないからサイディングにしろと命令する位なら、廃墟をなんとかしたら?と思ったものだが、壊すにしても費用が何百万もかかるので持ち主も何とかしたいと思っても躊躇し放置したまま写真ですが先日、東京へ出かけた時に2日目は大雨だったので、上野の東京国立博物館にでも行くかと。ここは常設展示品の殆どが撮影可能(フラッシュ禁止)で、SNSなどにネットアップも出来るようだったので、東洋館の石像を中心に紹介します にほんブログ村
2016年10月10日
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ここにきて、やっと秋の気配も感じるようになってきた今週。とはいっても10月も半ばになるのに私は半袖旦那は夏布団。部屋の温度は昼間は26度台、夜は23度といった感じで・・・・でも、外の空気は確実に秋ちょっと外の温度でも測ってみますね温度と湿度もわかる時計はもはや必需品。梅雨時に1つ購入したのが2つ、3つと増えて。夏の売り尽くしで除湿器が安くなってたんで買おうかと思ったら、旦那即答でいらん! って、電気代とかかる方が湿度79よりもストレスらしいはっきり言って古いオンボロ家屋で、風呂場&脱衣所はかびるし、北向きの部屋の物置部屋は床を落としたのに「湿度」という概念は、まったく欠落していました。すきまが多い古いオンボロ家屋だから、豆炭コタツだろうが、石油ファンヒーターを使おうが換気する事すらなかったし、その部屋だけ冬は結露。それが当たり前だと思ってた常に外とさしてかわらぬ温度と湿度が当たり前。冬は乾くし家の中でも息が白い。石油ファンヒーターの温度計は0度!だから高気密高断熱な新しい家では、湿度も温度も自分で管理をするものだって意識が欠けていた。むろん、各部屋には24時間換気、開放もしてますけどもだから娘のアパートにあって便利だった室内干しも、2階のフリースペースの他に、ダイニングとかじゃかっこが悪いし人目のつかない寝室に付けちゃったけど、ここってクーラーないんですわ。梅雨時に湿度も高いといのに、人の寝息でますます湿度も夜間に上昇。湿度74とか79なんて事すらそんなんで、せっかくオプションで寝室に作ってもらった収納も出来る室内干しは使うことなく、今まで娘のアパートでも使ってた移動できる室内干しをダイニングに置いて、クーラーの除湿を使って乾かしている。もし除湿の特性を事前に知ってたら寝室に室内干しなどは作らなかったと思うそれどころか8畳一間で二人が使ってる寝室には、北側にミニデスクがあり明り取りの小さな窓があるんだけど、もう3度下部の方がうっすらと結露をしてました。鉄筋のマンションとかの方が高気密なので結露をしやすいと言うように、この家もしっかりと隙間なく作っているんだと思いますだからこそ秋めいてきた外の寒さも感じず、半袖、夏布団でもおられるんだと思いますが、外との温度差も広がって他のところには一つも結露はないけど、ここだけだけに起きるという事はそれだけの条件がそろってしまっているんだろうと。2人が使う8畳の寝室で夜間の湿度が高くなり、クーラーもないので除湿が出来ない部屋からは出っ張った、作り付けの机の上の所の北側の窓で湿気がたまりやすいとかね。殆どの窓が☆4つのペアガラスなんだけど、ここやトイレとか小さな窓などは幾つかは性能が少し劣った☆3つっていうのもあるのかなこの時間(午前9時)で外は20度。室内と5度とか違ってました。早朝はもっと冷えてただろうし。中津川で予報が11度だそうだったんで、うちは山の上だしもう少し低いと考えると9度位? 外気との温度差10度で結露が起きるとなると。LDKは朝は湿度59だった(窓を開けた今は46)寝室は67だったもっと結露がひどくなったら何かしら考えなきゃいけないのかでもクーラーも除湿器ももったいない旦那だし、窓の横にあるクローゼットの中の除湿剤もすぐに水になる有様だし。今のままってどうかと思うんだけど、とりあえず寝室のドアを開けたままで寝てますが、結露は変わらずさて写真の方は、結露など一部の現在の写真をのぞいて今年のアタマ。冬場の建築中の写真です。↑の窓とかは☆4つで、先ほどの窓のある横のフリースぺース北側にあるんですけど結露はしませんびっしりと隙間なく施工された断熱材の上には、焼き石膏を原料とし,おが屑やガラス繊維、パーライトなどを混合(場合によっては発泡剤も)し、水で練ってペースト状にしたものを2枚のボード用原紙 (もしくはシート) の間に流し込んで,板状に固めた石膏ボード(プラスターボード)を貼ったこの色の違いには性能の違いもあるようで、防水性を持つとか、防火性があるとかいろいろみたいだ。使用する場所によって使い分けるみたいだ。それにしても等間隔に綺麗に釘が打たれているしちょうど、私が行った時に床暖房を設置している作業を見る事が出来てラッキー。昨今は電気の自由化とかあって電話でセールスなどもうるさいが、少し前までは屋根にソーラーを載せて、深夜電力を使ったオール電化の家が主流であった影響もあるのかガス会社は利用者を増やす為に、初期費用をサービスなども力を入れている都市部で料金が安い都市ガスも供給されている地域でも賃貸アパートなどで、多くプロパンガスが使用されているのもアパートへのガスの引き込みやキッチンや風呂のガス設備などをプロパン会社が費用を負担してくれるので、家主はお金を使わなくてすむからだと言われるがこの家も20年間にわたって、工務店さんの紹介の大きなプロパンガス会社さんと契約をする事で(中途解約は違約金が必要)、エコジョーズや浴室暖房乾燥機、LDKのガス式の床暖房の設置費用をみんなガス会社が負担してくれているしかも契約途中で設備が壊れたりした時の修理なども無料だったりするそうだこういった初期費用は、まんべんなく利用者のガス料金でまかなってくれている訳でして、でも高いという訳でもなくうちが長く使ってた、地元のガス会社の料金よりも安いしお風呂とキッチン1つでガス料金は月5千円。この地域にも営業範囲を広げたいといった会社側の思惑もあるようだ綺麗に貼られた階段などには傷がつかないように、丁寧に吸ホル養生ボードがされていた。空気中や床面のホルムアルデヒドを吸着し、施工後の健康的な住まいづくりに役立っているんだとか基材はクッション性のあるインシュレーションボードで、落下物や衝撃からもフロアーをしっかり保護し、砂噛みやキズの防止にも効果的だそうだ。しかもボードカッターで簡単に切断できるので大工さんの施工もスムーズらしいこういった新建材は、実際にそこに住む人の事の他にもそこを施工する現場の職人さんにも便宜を図ってくれているここは、たぶん2階の洗面所が出来る予定部屋のドアの枠もつけられた。徐々に細かな施工などもされて家づくりもすすんでいく。以前、工務店の社長さんが大工さんの腕の良し悪しが、家の出来の8割を左右するとおっしゃっていたけど、やはり要は大工さんらしい。家を造るのは大工さんだけではない入れ代わり立ち代わり、左官屋さんや塗装業、水道・・・・。様々な業種の職人さんが自分の作業をされるのだが、その家に入って「ここは丁寧に作っているな!」という家では、気が引き締まって自分も丁寧な仕事をするものだそう。その逆に雑で適当な施工がされている家では、この程度でいいんだと気が抜けた仕事にもなりがちなんだとかはぁ~、なるほど。トラブルを抱えた施主さんのブログを見るともはや営業さんともめ、ここでもめ、あそこでももめって次から次へと連鎖するのは現場に緊張感がなくなってしまっている証拠なのかもしれない。元受けが沢山の仕事がしたいと、注文を受けてしまい、あまりよくわからない大工や業者を入れると監督も掛け持ちだったりで目が届くなってのトラブル多発この工務店の社長さんは自分の目の届かないような仕事は受けたくないし、見知った大工さんや業者さんで儲けよりは、良い家を建てたいって意識の高さを感じられたので、ここならば手抜き工事とか無縁だろうと。一生に1度(か2度)の大きな買い物だけに、失敗は絶対に許されない安いとか、かっこいいとかの価格や外見に惑わされずに見えない所こそ、丁寧に手抜きなく作ってくれるという事こそが、家づくりには一番のポイントにも思えるこの時期は、様々な業者さんが出入りするので、小型のボックスに家のカギを入れて暗証番号で管理をしており私も教えて貰ったので、大工さんの邪魔をしないようにお休みの日曜日に、旦那と見に出かけるようになった旅先でも、キッチンの色とか見たいんでショールームを見に出かけたりして、名古屋、松本、新宿などをまわったがここは娘と出かけた関西旅行で立ち寄った神戸ハーバーランド内にあるすまいの情報館HDC神戸住まいに関する数あるメーカーさんのショールームが、みんなそろっているので、一度に効率よく見比べることも出来るここはTOTOさんのショールーム。うちのトイレやお風呂洗面所はTOTOさんを使ったTOTOさんのトイレを使うのに、こちらの方がお安いしお得ですよと工務店の社長の奥さん(会計、照明やクロス、水回りなど設備担当)がすすめてくれたのはリクシルの自動の手洗い器。姑が近所の年寄りに水が自動で出るんだと自慢してたしコスト的にも大手ハウジングメーカーや、不動産部門もあるような社員数の多い大きな工務店よりも、経営状態が悪くなければ、夫婦でやっているような小さめの工務店の方が良いと本などにもあって、親身になってくれるし自分の意見などもよく通ったり、小回りもききますよホントはエコカラットやこじゃれたタイルとかも使ったら良かったけど、キッチンセットの色すら悩む人間だからそこまで気が回らず、最後にはどうでもいいやと何もなしちょっぴり後悔。まっコストカットの好きな旦那がいるから作りたくても出来なかったかも 平成28年1~3月に撮影にほんブログ村
2016年10月07日
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この日記も、途中で下書きをしたはずなのにされてなくて消えてしまったので書き直し。NHKの音楽番組のスタジオ収録の観覧に当選して一人で出かけた東京収録は午後からなので、午前中は皇居付近をうろうろする事になりまして東京駅から皇居へてくてく。二重橋から桜田門を見学し霞が関までを紹介しましたが、その後に地下鉄を使って降りた駅は九段下。久しぶりにゼロ戦を見たいと思いやってきたのは靖国神社。第二鳥居(青銅大鳥居)は明治20年の建立で、青銅製の鳥居としては日本一大きい第一鳥居は大正10年に日本一の大鳥居として建てられ「九段の母」に、空をつくよな大鳥居とも歌われもしたが老朽化に伴い撤去され、戦後に銅鳥居として再建中門鳥居は平成18年に建て替えられたばかりの素木鳥居で埼玉県産のヒノキが用いられている。他に石製の鳥居があったそうだが、どこにあったのかいまいち覚えも。写真自体もないし「鳥居」とは、神域人間が住む俗界を区画する結界であって神域への入口を示すものである靖国神社とは九段坂の上に東面して鎮座する、日本の軍人軍属等を主な祭神として祀っている勅祭社(祭礼に際して天皇により勅使が遣わされる)で、かつての別格官幣社であり格式の高い神社である元は東京招魂社といい、創建当初は軍務官(直後に兵部省に改組)が、後に内務省が人事を所管し大日本帝国陸軍の陸軍省と海軍省が祭事を統括した。明治2年、薩摩、長州を中心とした政府軍と、徳川や会津藩を中心とした東北諸藩が激突。戊辰戦争で勝利した政府軍が官軍と称され、敗れた幕府軍は賊軍となってしまった。明治維新を偉業を後世に伝え、近代国家建設の為に命を失った「官軍」の犠牲者を慰霊顕彰しようと、明治天皇によって創建された。常燈明台は明治4年に東京招魂社に祀られた英霊の為に、また東京湾の漁船の目印に建立されたそうである(再建?)明治26年に大浜氏廣によって作られた日本初の洋風銅像は 長州藩出身で、東京招魂社の創始者である大村益次郎の姿だ西洋兵術などの才能を、桂小五郎に買われて戊辰戦争ではその手腕により新政府軍を勝利に導く。明治維新後は軍の全権を担い、軍隊の西洋化を奨め日本陸軍の礎を築いたが明治2年に、過激な攘夷派に暗殺をされてしまったそうだ戊辰戦争に始まり、西南の役(政府軍のみ、西郷隆盛は反逆者なので祀られていない)、日清戦争、日露戦争・・・度重なる戦争に出兵し、国に命を捧げた英霊を祀ってきた靖国神社であるが、現在の宮司さんは江戸幕府15代将軍、徳川慶喜のひ孫にあたる方で、芝東照宮に奉職し靖国の宮司になられたそうだが国を憂うる気持ちは同じだが、敗れて賊軍となってしまった徳川幕府軍の総大将のご子孫であるのだから皮肉なものだ2019には靖国は創立150年を迎えるそうで、週刊ポストの2016年10月14・21日号には、有力国会議員らが明治政府に逆らったというだけで、彼らも国に殉した事にはかわりがないと徳川幕府軍や、西南戦争の薩摩側の戦死者なども合祀をするように申し入れをするというのだそりゃ既に靖国に合祀されている、第二次世界大戦後の東京裁判で、敗戦の将として有罪となり死刑となったA級戦犯の人たちのように、中国や韓国からの反発はなさそうだけど、どうなる事だろう靖国神社には、戦争で亡くなった方が祀られているほかに彼らの遺品や、戦争にかかわるものも展示がされており(ロビー以外は撮影禁止、有料) 一般の参拝者も見学ができる。それらが収蔵されているのが遊就館で、入ってすぐのロビーの展示物のみ、写真撮影も出来るのだご年配の団体さんや欧米からの見学者もいたが、戦争の状況などをわかりやすくパネルで紹介しているので、それは外国語表記もされているので、欧米の方も熱心に読んではいるのだが、肝心の遺物などは日本語表記のみってのが多くて、ちょっと残念。それ信長のかもしれないよ~とかね2階の戦争にかかわる展示コーナーでは、それこそ映画やドラマで見知っていたり、教科書にも載るような古今東西の戦いにまつわる品や、有名な軍人さんのご遺品やゆかりの品などもあった。お~、これが栗林中将の絵ハガキかとか、官軍の獅子舞みたいな頭の被り物も赤が土佐、白が長州、黒が薩摩なんだとかこの前映画でやってたばかりの「日本のいちばん長い日」で役所広司が演じた阿南陸軍大臣が、自決をした時の血染の遺書や自決時の軍服とか。歴史に名を残した人たちの彼らが生きた証は、見逃せないものばかりだ後半になると歴史などに名を残る事もなく、残された家族や知人の心にのみ残された、一般の人たちのご遺品の数々軍人さんだけではない。軍の要請に基づいて戦闘に参加をした人たち。学徒動員された学生ら、医療従事者、警防団員対馬丸で海に沈んだ疎開児童たち戦争の名のもとに命を失ってしまったかけがえのない家族友、愛する人。そして死を覚悟して愛する人たちを残して行かねばならぬ若者たち。もったいないからと10年に1度しか映画館にいかない旦那が、シンゴジラを見てからまた映画「永遠のゼロ」が見たいというので借りてきて、お相伴させて貰った私が遊就館でゼロ戦を見たと自慢した(旦那は見た事がないから)影響をしたのかもしれない。ひきょうものだの臆病者だといわれた航空兵の宮部久蔵。彼の事を全く知らない孫らがおじいちゃんがどんな人であったのかを高齢になった戦友を尋ね歩き、その実像に迫るというものだネタバレだけど、生き残る事に執念を燃やした彼は、決して死になくないのではなく、生きて戦場から家族のもとに帰らなければならなかった。自分を頼りとする妻や子供を不幸にしたくはなかったのだ。しかし、そんな久蔵は生きて帰れぬ特攻機に乗る事となってしまう前回紹介をした島倉千代子はNHK紅白歌合戦に35回も出場を誇っているのだが、ただの1度も東京だよおっ母さんを歌わせてもらう事がなかった。しかもNHKの他の歌番組でも2番は歌わず、1番と3番を歌唱していたという。私も今回のブログを書くときに、はじめて2番を聞いたような気も。旦那も2番は知らなかった島倉千代子「東京だよお母っかさん 」田舎から出てきた年老いた母親を東京見物させるだけでえらい感傷的な歌い方だなぁ~。なんて思っていたけど」2番を聞いて納得。大陸からの引きあげ船が帰り着く港で帰らぬ息子を待つ二葉百合子の岸壁の母とともに、この歌が大ヒットした謎も解けた。優しかった兄さんが桜の下で待っているからこそ、老いた母親は東京へやってきたのだ靖国のやの字もないけど(九段坂はあるが)、紅白で歌えなかった昭和の大ヒット。その母に共感をするおっかさんは当時、日本中にいたはずなのに。この木は東京の桜の開花を告げる標準木島倉さんが3年前に亡くなられた時の追悼番組で、紹介をされたエピソードに硫黄島の話がある彼女のマネージャーがパッと水を飲もうとしたら、島倉さんは「あなた何やってるの。ここで水も飲めずに亡くなっていった方々がいらっしゃるのに」と叱責をされたそうだ。靖国神社の境内には海外のあちこちの戦場の石などもあった。私の母も私が、新婚旅行で海がきれいだからサイパンに行きたいと言ったら「ここあたり(実家)の若い人たちが幾人もサイパンに行って帰ることはなかった。そのような所に遊びに行くものではない」と叱られた。日露戦争において千名ほどの陸軍将兵と軍馬三百頭、武器弾薬を積んだ運輸船の常陸丸が日本海においてロシア艦隊から集中砲火をあびて撃沈した時の慰霊碑プロ野球選手の絵馬もあった。神風特別攻撃隊隊員として戦死をした名古屋軍(中日)の石丸進一投手や、沢村賞に名を残す大日本東京野球倶楽部(巨人)沢村栄治投手など69名のプロ野球選手が戦死をされているという。好きな事を自由にできる今に生きるという事は、どれだけ恵まれているのかを心したいものだ 平成28年9月に東京九段で撮影にほんブログ村
2016年10月05日
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この時期になると番組の切り替えで、地上波はどの局でも2時間、3時間と特別番組ばかりを放映し、それが興味があればよいが・・・。野球中継ももうないし、なんてため息も出る程だけどBS放送はそんな切り替えもまずなく、いつもの番組、ただし曜日や時間変更はあるのか旦那の好きな女子ボーリングのPリーグが、日曜夜10時から放映されるが、同じくお気に入りのべにこさんが山の中を温泉求めて出かける野天湯へGOが、日曜夜11時30分からの放映に変更になった。夜10時とかちょうど良いが11時半はきついなぁ~。金曜、土曜の深夜なら夜なべも出来そうだが別に色っぽい番組ではなく、健康的なべにこさんがっちりとバスタオルも巻いてるし、もう少し早い時間での放映でも良いような気もするし。なんて昨日の夜7時30分には全く見る番組もないのでいつもは、まず見ないBSの新・にっぽんのうたを見始めたら珍しいなぁ~、演歌見てるのかと旦那に言われたが新聞を見たら、旦那の好きな岩崎宏美も出てるし布施明とかド・演歌でもなさそうなのでつけたのだがダ・カーポも歌ってた。もはや高齢者向けと思われる歌番組は=演歌でもない。フォークとかだってあるまっ、手っ取り早く言えば旦那の年齢が高齢者に近づいたって事で。ダ・カーポ知ってますか?山下清のドラマの野に咲く花のように~♪とか結婚するって本当ですか?といった懐かしい歌がある。今も伸びやかな歌声だそんな昨夜の新・BSにほんのうただけど、北海道がテーマで、北海道出身の演歌歌手とかご当地ソングなども紹介されたけど、え? 女性歌手が襟裳岬?なんて思ったら、森進一の襟裳岬の他にも、襟裳岬島倉千代子の歌った別のもあったんだちなみに森進一の方の襟裳岬は、作詞は岡本おさみ作曲はフォーク歌手の吉田拓郎で、拓郎が北海道を放浪していた時の実体験にもとづいて(岡本おさみ作詞)作られたのが、落陽。みやげにもらった~♪サイコロふたつ~っての↓「落陽」吉田拓郎 私が吉田拓郎を知ったのは、子供の時に大ヒットした結婚しようよだけど、この落陽が一番好きかな北海道と聞いて思い出すのは、やっぱ松山千春だけど、それはなかった、残念。しかし大好きななかにし礼作詞による石狩挽歌とかも紹介された北原ミレイ 石狩挽歌 石狩挽歌は、なかにし礼の幼少期の実体験だそうで(作曲は浜圭介)で、北原ミレイで大ヒットをしたがその後も、多くの演歌歌手に歌い継がれているとかなんで、あの頃の歌はどれも心を打つんだろ。今の歌は20年、30年後に歌い継がれるものだろうか?朱里エイコの北国行きなんて、ほんとドラマチックでちょうどトイレで居なかった旦那に、朱里エイコのをやってたよ(別の歌手だが)と言ったらがっかりしていたし。ユーチューブで旦那に見せてやろっと↓朱里エイコ「北国行き」つ~か。エイコさんのミニスカートがすごすぎる!人の心を揺さぶる情感たっぷりというか、歌を聴いているだけで、その情景が目に浮かぶドラマ性などもあったように思われるのだが。そんな訳でもう一つの襟裳岬を歌ったお千代さんですよ。旦那が子供の時に祖父に連れられて見に行ったそうですよ。島倉千代子のコンサート『東京だよおっ母さん』島倉千代子 そこでも、きっと歌われたのが「東京だよおっ母さん」野村俊夫作曲、船村徹作曲でタイトルのように、東京を代表するご当地ソングの一つだ。え? 北海道がテーマなんだし、北海道の写真は?って北海道は子供が小さな頃、今は亡き母親や姉と一緒に行った事があるけど、当時はフィルム写真だったし家族写真ばかりで、ここでは紹介も出来そうにもないので、場違いにも北海道なのに先日出かけたばかりの東京は、皇居の写真を紹介をさせていただいたつい最近紹介をさせていただいたように、NHKの番組収録のスタジオ観覧に当選し、東京へ出かけ収録まで時間もある事だし、久しぶりに皇居付近をうろうろ見学をさせていただいたのだ ↓「台風目前にひやひや! スマホデビューにNHK!今年の9月のいろいろ。 」歌でもうたわれた二重橋は、ウィキペディアによれば>東京都千代田区千代田の皇居内にある橋の通称である>正確には皇居正門から長和殿へ向かう途上、二重橋濠に>架かる鉄橋のことで、本来の名称は正門鉄橋(せいもん>てつばし)である。って事で、この橋なのだが>戦前の書籍にも二重橋に正門石橋の写真を用いるものが>多く、一般には正門外石橋と正門内鉄橋の二つを併せて>二重橋とする総称が用いられ、「宮城正門の二橋、一は>石を畳み、二は鐵をもって造る…」と親しまれてきた。また>同様に、皇居前広場を二重橋前広場とも言った。って事で、奥の橋が二重橋だけど、どうしてそう呼ばれたのかというと>青銅製の擬宝珠の欄干の付いた木造橋で、壕が>深かったことから途中に橋桁を渡してその上に橋を>架けるという、上下二段に架けられた二重構造で>あったことから、「二重橋」と呼ばれるようになった。>現在の鉄橋は昭和39年(1964年)に架け替え>られたものといった事情があるようだ。たぶん知ってらっしゃるとは思うが念の為、天皇陛下が長らくおいでになったのは京都で、明治維新で江戸城であったところを皇居としてお住まいになっているので、皇居にも江戸城の遺構がいくつも残されているその代表格にもあたるのが、桜田門であろう。あの名高い桜田門外の変でも有名な江戸城の門であるまっ今なら「サクラダモン」とか聞くと、目の前にある警視庁を意味しちゃう事も多いかもしれないけども>江戸幕府の大老井伊直弼や老中間部あき勝らは、>勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し、また>将軍継嗣を徳川家茂に決定した。安政の大獄とは>これらの諸策に反対する者たちを弾圧した事件で>ある。弾圧されたのは尊王攘夷や一橋派の大名・>公卿・志士(活動家)らで、連座した者は100人>以上にのぼった。>安政7年3月3日に江戸城桜田門外で水戸藩からの>脱藩者17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃、>大老井伊直弼を暗殺した事件。幕末好きの私には、京都の蛤御門と、ここ桜田門は興味深い存在だ。そうそう吉田拓郎だけど「幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬」(武田鉄矢主演)で高杉晋作やってたし桜田門を出れば正面には警視庁。堀の奥には今の国を仕切っている人たちがいる国会議事堂もし井伊大老や吉田松陰らがタイムスリップしたら今の日本をどう思うんだろうか。日本のかじ取りをして貰うのなら誰?とか、思いもするこれがサクラダモン。いや警視庁。私的にはテレビ朝日の相棒で見る事が多いけど、何でもこの秋からシーズン15が始まるそうだけども鑑識の米沢さんがレギュラー外れるそうなのでかなりショックだ相棒の反町さんの冠城亘(元法務省キャリア)は続投のようだけど。その上司だった法務省の日下部彌彦事務次官がいらっしゃるのが、警視庁の向かい側に位置する法務省で、このレトロな建物は法務省旧本館である詳しい事は、↑をお読みください以前は、米沢藩の江戸藩邸があった所であるらしい名君として名高い9代藩主の上杉鷹山が、破たん寸前であった藩の財政改革の案もここで練ったとされる。ケネディ大統領が来日した時に尊敬する日本人として名前を挙げたと言われているそうだ為せば成る、為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり とは、鷹山の言葉だやっぱ幕末の志士より、鷹山に日本経済を立て直してほしいような気もするし旧司法省庁舎として建てられた旧法務省本館ですが現在も現役で、中央合同庁舎第六号館赤れんが棟として業務が行われてますが、その一部分が「法務史料展示室メッセージギャラリー」として一般公開をしているそうなので見学をさせて貰った内部は撮影禁止なのだが、平成2年まで大臣執務室であった部屋には創建当時のレンガの壁なども使われているのが印象的だった。キムタクの映画HEROでもロケで使用がされたようで、大きなパネルが飾られていたし 平成28年9月に撮影
2016年10月03日
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