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議長国の総理を完全無視して通り過ぎるG20の首脳たち。見ようによっては失礼きわまる映像なのだが、関係の悪い特定国ではなく、首脳たちすべてが無視するというのはそれなりの理由があるのだろう。英語ができないとはこういうことか?問題の下記の動画なのだが、一部の切り取りだとかいう話もあるらしい。となると無視されているという事実自体があやしくなるのだが…。https://togetter.com/li/1371129この映像やこの間のお尻の下に紙をはさんでいる画像とかは、あまりマスコミでは報道されない。官邸に忖度しているのかもしれないが、そんな忖度もなんのその…今の時代にはネットというものがある。そういえば、政治家のものまねとコントで笑いをとっていた芸人がいた。かつてはテレビにも出ていたのだが、最近ではとんと見なくなっている。笑いの世界から風刺が消え、お笑い芸人が権力に媚びるようになったらおしまいだと思うのだが。
2019年06月30日
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最近よく聞く言葉に「子供部屋おじさん」や「子供部屋おばさん」という言葉がある。おじさん、おばさんという年齢になっても親とともに暮らしている独身者をいうらしい。似たような言葉で「パラサイトシングル」というのがあるが、この言い方はパラサイト(寄生虫)よりももっと悪意に満ちているように思う。もしかしてこの言葉をひろめているのはマンションアパート業界だったりしてw。たしかに「子供部屋おじさん」は増えている。母子世帯や核家族世帯は相当な数になるが、その中身はかつてのような未成年の子と親ではなく、成人した子と老親という組み合わせの比率が高くなっている。地方から都会への大規模な人口移動があった時代はすぎ、親世代から都会で暮らしていたという人が多くなり、さらに結婚年齢の上昇や未婚化の進展で、都会で育ち、都会に就職した息子娘がそのまま親の家に住み続けるという例が増えているのだろう。昔から都会では就職しても結婚するまでは親と同居するのが珍しくなかった。住居費は高いし、特に敷金や必要最小限の家具や電気製品をそろえるとなると、新入社員にはあまりにも負担が大きい。独身寮などを備えたところもあったかもしれないが、そういうものはたいてい地方出身者限定だったように思う。そして「子供部屋おじさん」なんていう差別語はなかったが、職場での雰囲気は親元から通勤する独身者には揶揄的だったように思う。家庭を築いて一人前という当時の意識の裏返しだったのかもしれないが、同じ独身でも、親元から通っているというだけでなんか独立していないような半人前のような視線があった。まあ、当時は結婚年齢もいまよりも低かったし、そういう時期はあまり長くはなかったのだが、今ではそれが長くなったということなのだろう。けれども、「子供部屋おじさん」のいったい何が問題なのだろう。ネットでみていると「我が子を子供部屋おじさんにする親の特徴」などと、それが悪いことのように認識する人もいるようだが、高齢社会の中で高齢世帯の問題を防いでいるのが親と同居する未婚の子供たちではないか。介護が必要でなくとも、「見守り」を必要とする高齢者は多い。親の急な心身の不調ですぐに病院に連れて行ったり、あやしげな勧誘や電話があったときにストップをかけたり、こまめに戸締りや火の始末に気を配ったりと、老親と同居する子供はそれなりに役割を果たしている。経済的に自立できずに親の老後の資金をくいつぶすのは問題だが、そうではなく、ちゃんと仕事をして経済的に自立している独身者なら全く問題がないように思う。いったいなんで独身で親と同居していてはいけないのだろうか。
2019年06月29日
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ここ数年ずいぶんとお金を使わなくなっている。お金を使わない第一歩は不要不急の出費を減らすということだろう。衝動買いを避けるためにカードは使わない。お札も一万円札以上は財布に入れず、カバンの別のところに保管しておく。ほしい…と思ったものでも一晩寝るとさしてほしくもなくなることがよくある。そのほか節約方法としては…こんなのもある。本は図書館を活用する。どうせ人生で読書に費やす時間は限られているのだから、その時々のベストセラーよりも、時の篩を潜り抜けてきたものの方が読むべきものは多いし、そうしたものは本屋よりも図書館にある。運動には公的な施設を利用する。東京ならどこでも区民向けのスポーツ施設があり、高いお金でジムに入会するよりも、ずっと安く済む。着るものは店によって価格が違うので安い店を探す。東京なら三軒茶屋とか大森にそうした店があるように思う。固有名詞はあげないけど…。また、適宜、古着も活用する。古着と言っても誰かさんの着たものではなく、倉庫から流れてきたものもあるので、季節をずらして買うとお得だし、なんとなく、その服を着る季節を心待ちにするのもよい。家具についても、最近は中古品交換のための掲示板もあり、そこで需要と供給が一致すれば実質無料で必要な家具をそろえることができる。家具に限らず、最近ではずいぶん中古品の市場が発達しており、それも、ネットを使った直接の個人間の取引が増えているように思う。そのほかにも、庭がある人は庭も家庭菜園に活用したり、ふるさと納税の返礼品など実質負担なしに受け取れるものはできるだけ利用したり、庭で栽培しすぎたゴーヤーなどすこしでも余っている者は知り合い同士極力交換しあったり、いろいろなやり方があるように思う。そしてなによりも、重要なのは、節制と適度な運動による健康維持と金をかけなくとも楽しみを見つける感性なのかもしれない。
2019年06月28日
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映画「ザ・ファブル」をみた。人気漫画を豪華キャストで実写化したということで、最初からある程度のヒットは約束されていたような映画だ。凄腕の殺し屋が一年間誰も殺さずに普通に生活する…そこで起きる普通とのギャップが笑いのツボになる。そして映画を見た後は、「普通に生活すること」はなんてよいのだろう…とまあ、そんな気になる。特に屋上で七輪で秋刀魚を焼いているところなどいいなあ。血が飛び散るような場面もあって、そういうのが苦手な人にはお勧めしないのだが、それが平気ならどうぞ…といったところだろうか。DVD視聴中の韓国ドラマ「モンスター」ものこすところ3話となった。こうした勧善懲悪ドラマは悪役と主人公の力量をどの程度に設定するかで印象がかわる。他の方の感想などをよむと別の感想を持つ人もいるようなのだが、主人公の無敵ぶり(米国のトップクラス大学を首席で卒業、知力体力抜群、高所恐怖症の設定も序盤以外はでてこないなど)に比べ、悪役の方が、むしろ人間的弱さを感じさせ、こちらの方に感情移入をしてしまう。こちらの感想も全話視聴後に書くことにする。
2019年06月28日
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ほんの最初をみただけなのだが、NHKのさる番組で「会社を買う」ということを取り上げていた。どうも手が届く金額で設備を買うという話で社員ごと会社を買うようなわけではないようだ。東京近郊でチーズを作成する機械一式を買ったり、古い風呂屋を買ったりした例をとりあげていた。観光牧場に付設するような手作りチーズの店ならともかく普通の場所にそんな店があっても生活できるとも思えない。古い風呂屋もあちこちに日帰り入浴施設があるし固定客のあるところはそれなりに営業できているので、開業してもそんなに客がつきそうもない。そもそも儲かるようなものなら、誰も手放すわけがなく、儲かりそうもないから売りにだしているのだろう。まがりなりにもNHKという信用のあるテレビ局が、こうした素人起業を「新しい潮流」のように報道するのはおかしくないかな。老後は年金だけでは暮らせない、2000万円の貯金が必要だと大臣が言ったことで、国民の不安は大いに高まっただろうけど、だからといって投資で金を増やそうなんていう発想にはとてもならない。ましてや起業などとてもとてもである。最近のフランチャイズ経営者とコンビニ会社との24時間営業をめぐるトラブルは、フランチャイズ契約なるものが法の保護の枠外にある、実態は力関係の圧倒的に弱い側の不利益契約であることが明るみになったが、閾の低いフランチャイズによる起業でさえこうである。老後に不安を感じるようになった人々は、まずもって節約にはしるだろう。書籍、旅行、趣味などの不要不急の支出見直し、飲み会の回数減少、外食の自粛などはすぐに考えつく。かくして急速に景気は落ち込み、冬のような時代がやってくる?
2019年06月27日
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年金以外に貯金がいくら必要かといった議論があるが、年金といっても人によってさまざまである。国民年金の基礎年金部分だけという人もあれば、それに加えて厚生年金を受ける人もいるし、さらに職域加算分のある人もいる。また、老後の経済生活は、年金の種類だけでなく、世帯や家族によっても異なる。家族が二人だからといって生活費は二倍になるわけではないので、単身世帯は二人以上世帯に比べてどうしても割高になる。また、昨今では子供世代や孫世代の状況も厳しいので、子供や孫が老後の支えどころか、かえって支出を増やす要因になることもある。就職できない息子のために定年後起業をしたところ、残ったのは借金の山というのも悲劇である。国民年金で持ち家なし、一人暮らしという人は政治家の発言をまつまでもなく、年金だけでは生活できない。一方で年金も二階建て部分以上があり、持ち家もあるという人なら特に贅沢しなければなんとか暮らせるかもしれない。問題は貯金であるが、前者のような人に限って、やはり貯金もないという例が多いのではないか。ひきこもりやニートでなくとも、非正規雇用で持ち家なし、貯金もなしという人は、国民年金では生活できず、やはり生活保護に頼らざるをえないように思う。社会保障とはいうけれど、年金は在職中から高所得であった人ほど、年金額も多く、貯金の余裕もないような生活をしてきた人は年金額も少ない。今まで多額の掛け金を払ってきた人ほど多く貰うのは当然という意見もあるが、やはり社会保障の理念からは異質である。年金繰り下げの議論もあるが、そうなればますます恵まれた人ほど多くの年金を受け取るようになる。なぜなら寿命も健康寿命も所得と相関があり、経済的に安定している人ほどいつまでも元気で長命の傾向があるからである。
2019年06月25日
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「1984年」を読んだ。ジャンルとしては近未来SFにあたり、これにはユートピアとしての未来をえがいたものとディストピアをえがいたものとがあるが、「1984年」は後者に当たる。この世界では人々は「党」に監視され、過去も含め現実は党の意向によっていかようにも書き換えられていく。党の指導者である「ビッグブラザー」が崇拝の対象になっており、街のいたるところに巨大な彼のポスターが貼ってあるが、彼が実在の人間であるかどうかは誰も知らない。この世界は、舞台となるオセアニア(英米を中心に構成)の他に、ユーラシア(ソ連と大陸ヨーロッパで構成)、イースタシア(中国、日本などで構成)という大国があり、それぞれの国は戦争を継続している。いずれも、全体主義国家となっているのは、この小説が世に出た第二次大戦直後の状況を背景にしているのだろうか。小説世界で事実が絶えず改竄されるあたりは、昨今の公文書書換えや統計偽装を連想させるし、思考を統制するために言語が統制されたりする点は、「非正規」という語を使用しないという厚労省の動きを思わせる。言語が思考をリードする。そういえばかつての「クローズアップ現代」という番組では、ワーキングプア、無縁社会、名ばかり管理職といった印象的な言葉を世にだしたが、この番組のキャスターも交代し、番組の中味もずいぶん変わった。なんらかの権力が思考の前提となる情報や言葉を統制することは不気味だし、そうしたものが全体主義の第一歩なのだろう。
2019年06月24日
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そう思ってニュースをみているせいかもしれないが、最近50-80問題が背景にあるようなものが目につく。こうしたものはだいたい家庭内殺人、遺体放置と年金詐欺、親の死後に子供も孤独死に分けられる。たしかに川崎の事件のように外部に無差別殺傷に向かうという例は少なく、無差別殺人に関してはひきこもりが犯罪予備軍という図式はあてはまりそうもない。川崎の事件は犯人はスマホも持たない超孤絶生活をしていたが、伯父夫婦は彼にとっては「家の管理人」のようなものであり、通常のひきこもりとはちょっと違ったのかもしれない。川崎の事件も含めた無差別殺傷事件を見ると、大阪の学校乱入、秋葉原の通り魔、もっと古くは下関駅や池袋繁華街の事件など、犯人は無職や職があっても不安定なものであり、失業対策こそがもっとも有効な予防といえよう。それによく考えてみると50-80問題と言うが、つっかえ棒になってきた80がいてこその50-80問題だろう。もともと頼るべき親がおらずに、ぎりぎりの生活をしている人々もいる。そうした人々が中年期をすぎ、次第にアルバイトの仕事も少なくなり、将来に暗黒しか見えなくなった時にどうなるのだろうか。川崎の事件はこっちに近いように思う。そういう意味で、ちょっと気になったのが、80代の老人が小学校に乱入したという事件である。実害もなく、報道も少なかったが、不気味な事件のように思う。昨今は高齢者がらみの重大事故が大きく報道されているが、そのうち無敵高齢者(家族など失うものがなく、社会に無視され疎外されてきた身には大報道は望むところ、老い先長くないので死刑なども怖くない)の重大犯罪も起きてくるかもしれない。
2019年06月21日
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老後の資金が2000万不足しているという金融審議会の報告書が話題になっている。平均的な年金支給額に老夫婦世帯の平均的な生活費を勘案して出した数字なのだろうけど、経済統計については「平均」はそもそもあまり意味がない。そもそも年金にしても国民年金の単身世帯、厚生年金の単身世帯、夫婦で厚生年金と国民年金、夫婦で厚生年金と様々なパターンがある。そして所得ほどの極端な差異はないにしても、年金額にも差がある。国民年金はもともと自営業を想定したもので、家賃まで払って、それだけで暮らすのにはどうみても足りない。老後は生活保護で暮らすと覚悟して国民年金保険料を払わない人もいるという。国民年金だけで暮らすという人には、年金では老後の資金が足りないなんていまさらの話だろう。それではどういう人が衝撃を受けているのだろうか。今まで厚生年金を払ってきた人で老後はそれで暮らすつもりだったという人々である。年金にさほど頼らなくてもよい人は貯蓄も相当あるだろうし、逆に年金が頼りという人は貯蓄はない。「平均貯蓄」は意味がなく、貯蓄の棒グラフも右下がりで、貯蓄ゼロや100万以下が最も多い。年金だけでは足りないから、今から2000万円貯蓄しておけなんて聞けば怒るわけである。一説によれば、こうした報告は、貯蓄を投資に回して資産を増やすことに関心をむけさせるためだという話もある。そうだとしたらあまりにも民心を知らない。庶民にとっては投資などは余った金でやるもので、生来が不安であれば、大切な金を元本割れするかもしれない投資にまわそうなんていう勇気はない。それだけではない。今回の老後の資金が2000万円足りないということが人口に膾炙すれば人々は節約に励む。収入を増やすことよりも、支出を減らす方が簡単なので当然だろう。昨今のいやな事件の影響もあると思うけど、結婚して子供を持ちたいという人も減るだろうし、旅行、書籍、酒、自動車などの支出も控えるようになるだろう。かくして経済は冷え込み、人口減少はますます進むだろう。
2019年06月19日
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大阪で警官を襲い拳銃を強奪して逃走していた男がつかまった。最初、犯人の鮮明な画像が公開されたとき、なんとなく工作員風にも見え、大変なことになるかもしれないと思った。朴大統領狙撃事件でも日本の交番から盗まれた拳銃が使われたのだから。早期解決の背景には、画像を見てすぐに通報した家族がいたことが大きい。「もしかしたら」と思っても普通だったら逡巡する。どれほどの葛藤があったにしても、家族の通報が第二、第三の犯行を防いだといえるのではないか。もしかしたら2007年に起きた佐世保の銃乱射事件のようなことになっていたかもしれない。この犯人については、親の職業などもネット上で推測されているが、成人した子の犯罪で親を叩くのはもうそろそろやめにしたらどうなのだろうか。親は親、子は子で別人格であるということはもっと徹底してよいではないか。成人した子供の犯罪や不祥事で公職についている親が職を辞するなんていう光景は個人主義が徹底している欧米人からは非常に奇異にみえるようである。そしてもう一つ。犯人は障碍者枠で清掃の仕事をしていたというのだが。いったいどんな障害だったのだろうか。交番を襲い、拳銃を持って山中に逃げていたので、身体障碍ではないだろう。障碍者としての認定が人生の希望を奪い、幸福そうに暮らしている高校大学時代の同級生に対する嫉妬をかきたてていたのだとしたら、それもやりきれない。
2019年06月18日
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あるアンケートで題名は知っているが読んだことのない小説をあげたら、この本が上位にきたという。たしかに、本の題名は有名だけれども、読んだという話はあまりきかない。だから当の1984年にも、この本についての言及はあちこちでされたが、実際にこの本自体はベストセラーにはならなかった。これが発表されたのは1949年、実際の執筆や構想はその何年か前だろうから、40年後くらいの世界を予測した「近未来SF」というジャンルに入る小説である。徹底的に情報や個人が統制された世界ということで、全体主義国家にも似ているし、その点ではロシア革命を寓意化した動物農場の延長にあるのかもしれない。過去は絶えず書き換えられ、個人は徹底的に監視される。ただそれは平等社会ではなく、国民は党員とプロール(庶民?)とに分断され、プロールは無知で刹那的で労働以外は酒とギャンブルを楽しみにして、生涯を終える。まあ、このあたりは統計偽装や公文書書き換えが問題となり、マスコミが批判的報道を控え、ワイドショー化しつつある日本も他人事ではない。そしてもう一つ…この小説の世界では巨大戦争が進行中という設定になっている。既に英国にも核兵器が使用され、ときどきロケット弾が飛んでくる。その戦争の相手はユーラシアという大国で、これまたソ連を連想させるのだが、小説世界では黄色人種の国という設定になっている。捕虜の描写にはこうある。「トラックには緑色がかったみすぼらしい軍服を着た黄色い顔の小柄な男たちがひしめきあうようにうずくまっている。黄色人種特有のかなしげな顔がトラックの側面から覗くが、その眼にはなにもうつっていないようだった」(高橋和久訳p177早川書房)。つまりこの小説では世界規模の人種間戦争が起こり、それを背景にして高度に統制した体制が出現したということになる。第二次大戦は終局が見えてきたが、冷戦がはじまり、巨大国家中国には共産党政権が誕生した。そんな国際情勢も小説の構想の背景にあるのかもしれない。現在半分ほどを読了中だが、読み終えた時、改めて感想を書いてみるつもりだ。
2019年06月17日
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あるクラスでは二人の子がいつも成績のトップを争っていた…とする。1人はA君、もう一人はB君である。A君は勉強だけでなくスポーツも万能。男子にも女子にも人気があり、学級委員などにはいつも真っ先におされていた。これに対してB君。勉強はできるけど、友達がいないので勉強しかやることがないのではないか。休み時間は一人で本を読んでいるか、たまに級友の中に入っても、無神経なことを平気で言うし、突然、会話の流れとは外れた話題をもちだしてしらけさせたり…なんかあいつを交ぜるといやなんだよな。中学卒業後、A君もB君も同じ一番手の進学校に入り、その後も、同じ大学に行ったという。ここまではA君とB君の差はあまりない。ただその先の就職、そして社会の中ではA君とB君の人生はかなり違ったものになるのではないか。たぶん多くの人がA君のような人にもB君のような人にも出会っている。前途洋々のA君に比べ、問題はB君である。その後、B君はどうなっただろうか。おおまかにいって三つの可能性が考えられる。第一は、中学時代から自分の性格に悩んでいた彼は周囲の勧めもあり、専門職としての道を目指す。第二は、なんとか会社に入った後、必死で周囲に適応しようとする。第三は、就職はいつも面接で落とされ、次第に自信を失ってひきこもり気味になるか、消息を絶つかする。できれば第一か第二の道をいければよいのだが。何十年かぶりのクラス会で変人で変わり者だった級友がすっかり丸くなり、ビールをついでまわるなんていう光景はよくある。ただ、これだけは言える。B君のような子に「障害」というレッテルを貼り、本人や家族に絶望を植え付け、周囲から隔離することは、こうした道をとざすことになるのではないか?変わり者など昔からいたし、そんなものを誰も「障害」だなんて思っていなかった。
2019年06月16日
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女子の大学進学において理系学部が少ない理由としていろいろな分析がなされている。なかには家族がそれを望まないという説もあるようだが、にわかには信じられない。理系女子はかわいくない、縁談で敬遠される…なんてことを考えているのだとしたらいったいいつの時代の話だろう。今の大学受験生の親と言えば1970年代のうまれだろう。このくらいになると、テレビでも漫画でも男女と言う固定観念にとらわれずに、やりたいことをやるヒロインが活躍した時代だ。野球狂の詩とかベルサイユの薔薇とか…。そんな親たちが娘が理系に進学したいというと、「女の子がそんなとこに行くとお嫁の貰い手がなくなる」なんていうのだろうか。学費が高いとか、言いにくいのだが、低偏差値でヤンキーがたくさんいそうなイメージがあるとかならわからないでもないけど。娘は育てたことがないので、なんともいえないけど、男女を問わず、進学については可能であれば理系に行った方がよいと思う。というよりも、世の文系の大部分は文系が好きという理由ではなく、単に理系ができないという理由で文系を選んでいるようにみえる。理系の方が専門と就職がむずび付きやすく、特に就職にハンディがある女子については就職や職業をみすえて理系学部に行く利点がある。医師は狭き門だが、それでも、文系学部から難関資格をめざすよりもよい。弁護士や会計士は昔日のような威光はないし、公務員試験も昨今は面接重視で筆記試験を合格しても採用されないのが珍しくなくなっている。それに基本的には理系の方が頭脳的に優秀である。縁談で敬遠されるどころか、そうした優秀な男性の多い集団の中で学生生活をおくるわけだから良縁の機会はかえって多いのではないか。余計なお世話かもしれないけど。さらに、文系は理系のかわりにはならないが、理系は文系にかわることができる。理系出身で調整能力や事務処理能力にもたけ、組織の中で高いところまでいった人もいる。こうしたことは男女問わずだろうし、もし、女子受験生で文系理系どちらにすすむか迷っている人がいれば、まず、自分のやりたいことを考え、それでも迷うというのなら理系をすすめるだろうと思う。ドラゴンボールのブルマ、エヴァの赤城リツ子、ゴジラの尾頭ヒロミなどかっこいいリケ女キャラは多い。
2019年06月15日
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ニュースは見出しによってずいぶん印象は変わる。安倍総理のイラン訪問も「イラン核兵器製造せず」というイラン首脳の言葉を見出しに使うと、そうした言葉をひきだしたのは安倍総理の大変な外交成果のように見える。地球儀を俯瞰して国際平和のために活発な外交を繰り広げる日本の総理というと、かっこよいのだが、本当のところどうなのだろうか。選挙の前に総理としては外交成果がほしいというのはよくわかる。選挙と言えば、今日、街を歩いていたら野党が合同で演説を行っていた。国民民主、立憲民主、社民、共産…打倒安倍で手を組もうというのはわかるが、しかし、みたところ政党の理念としてはかなり差がある。そうしたものをかなぐりすてて、ただ票のため、政局のために合同歩調をとろうというのでは有権者はそっぽをむくのではないか。国民民主と自由党が合併して、かえって支持が落ちたのなどよい例である。
2019年06月14日
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田子の浦公園に行ってきた。すごく恥ずかしいのだが、「浦」という言葉の意味を知ったのはかなり後で、それまでは霞ケ浦の連想から浅い湖を浦というのかとも思っていた。けれども浦というのは海が陸地に入り込んだところをいい、霞ケ浦の名称もその昔、海とつながっていた時期の名残だという。田子の浦も地図でみると、たしかに海が陸地に入り込んでいる。だから田子の浦公園もなんとなくそのあたりにあるのだと思っていた。ところが実際には田子の浦はそのあたりの地名で、海が入り込んでいるところは田子の浦漁港、田子の浦公園は駿河湾に面し、伊豆の波勝崎などを望むことができる。富士山の光景も有名だが、製紙工場の煙突が目立ち、このあたりは富士山の写真にはあまり使われていないようだ。そしてまた田子の浦といえば、万葉集の富士山の歌が有名で、田子の浦公園にも、巨大な歌碑が長歌、短歌ともにできていた。関東に住んでいると富士山の見えるところはあちこちあるが、都から東国にやってくると、三保の松原や田子の浦の富士は非常に印象的なのだろう。富士山は東に向かう旅の中でようやく出会うことのできる霊峰というのが昔の都人のイメージだった。
2019年06月14日
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日本の様々な制度は基本申請主義で権利があっても申請をしなければ恩恵をうけられない。税金の還付など本当は受けられるのに、税務署での手続きが面倒などの理由でやっていない人がけっこういるのではないか。もっと深刻なのは生活保護で、日本での生活保護の捕捉率は低いという。つまり実際には生活ほどを受けられるほど困窮しているにもかかわらず、受けていない人が相当いるということだ。理由としてはいろいろ考えられるが必ずしも「生活保護を恥と考えて受けない」わけではないだろう。制度に対する無知や窓口での職員の態度におそれをなしたというような理由もあるかもしれない。生活保護については不正受給が大問題のように語られるのに、こうした不正受給の逆、権利があるのに受給していない困窮者についてはあまり議論されないのが不思議である。また、年金も複雑きわまるものとなっており、一階部分とか二階部分とかややこしい。そしてこれも所管が違うので、中には二階部分だけもらって、一階部分については請求を忘れているなんていう人もいるかもしれない。
2019年06月13日
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最近続けて起きた引きこもり関連の事件について考えている。川崎の事件と練馬の事件であるが、加害者と被害者という以上に両者のあいだには開きがあるように思う。両方とも80-50問題としてとらえられ、年齢も51歳と44歳と近いので、同じようにみえるのだが、ライフサイクルの上では、全く違うのではないか。川崎の事件の方は長期間孤絶のひきこもりを続け、その生活が今後なりたたなくなると知って絶望したあげくの「拡大自殺」であり、典型的な80-50問題が背景にある事件である。ひきこもりでなくとも、親などの年金をあてにしている人は多い。そういう人々がもう親を頼れないと思ったときにも、やはり川崎の事件同様に暴発する可能性はある。犯罪のタイプとしては、親というつっかえ棒を失い、貧窮にあえぐ老後しか見えなくなった時の自棄的犯罪という意味では初期老人型の犯罪ともいえよう。これに対し、練馬の事件の方は、川崎とは違い、親の過剰な期待と干渉の中で育ってきた人のように思う。あまり想像するのもどうかと思うが、特に母親が父親を尊敬するあまりに、父のような立派な学歴と職業を得ることを望んだのではないか。まあ、進学校に入ったのだが、際立った才能があるという子ではなく、せっせと勉強してようやくひっかかったようにもみえる。あまり伸びしろはなかったのではないか。裕福な家庭だし、金のあるままに、専門学校、大学、転入大学、大学院とおしみなく学費をだした。浪人、専門学校、大学、中退して別の大学、大学院といえばけっこういい年まで学校に行っていたのではないか。ずっと別居していて最近同居した理由はよくわからないが、遠隔地に大学があったこともあり、別居をしていて、その後も「就職活動をしている」という体裁をとっていたのではないか。別居している間は老夫婦は旅行など優雅なシルバーライフをエンジョイしていた。ところが時間はたっていく。年齢から行って望む就職が難しいと実感したとき、その怒りが勉強を強制してきた親にむかったのではないか。究極の甘えともいえるが、大昔の超進学校の生徒のひきこもり家庭内暴力事件を連想する。まあ、かなり想像も入っているのであるが実態はどうなのだろうか。川崎のケースは初期老人型という色合いがあるのに対し、練馬の家庭内暴力は後期青年、もしくは初期中年型という匂いを感じる。
2019年06月12日
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7月から韓国ドラマ「サイン」をリメイクしたドラマが日本で放映されるという。無愛想でちょっと偏屈な印象を与えるが本当はいい人の法医学者が主人公のドラマで非常に面白く、韓国で高視聴率をとったドラマだ。ドラマ全体の大筋となる事件を縦糸にその都度起きる別の事件のエピソードがからむ展開なのだが、この大筋となる事件は有力政治家の令嬢(犯人は最初に明らかにされる)がアイドル歌手を殺害するというもので、巨大な権力により証拠や証人が次々と握りつぶされていくというものである。このドラマをみたとき、日本ではこんなあからさまな権力による捜査への介入などあるわけないのでリメイクはあり得ないと思っていたのだが…そのあたり、状況が変わったのだとしたら喜ぶべきことか悲しむべきことか。韓国版で主演をした俳優は受験勉強中に友人に誘われて観た演劇で俳優を志し、ロシアに演劇留学までした演技派である。その後、ギャラが高騰しすぎて出演作が難しいというのだが、今はどうなっているのだろう。何に出ているのだろうか。日本版では大森南朋だというが、なんとなく雰囲気が似ている。
2019年06月11日
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ときどき肩のこらない娯楽小説をよみたくなる。大体そんなときのお相手は浅見光彦なのだが、今回は十津川警部にした。もちろんタイトルの「シベリア鉄道」に惹かれてである。期待したのは松本清張や浅見忠彦シリーズにあるような旅情ミステリーなのだが、それは期待したほど多くなかった。ただ、日本の商社員やCIA要員、ロシアの警察や元KGBがいりみだれて、旧ソ連の核科学者の出国をめぐってかけひきする様子は面白い。まさかこの小説のように日本の商社がソ連の核科学者の出国を図るなんてことはないのだろうけど、似たようなことは実際にあったのかもしれない。最後がきれいに終わらないのは、相手が巨大すぎたということで仕方ないし、時刻表トリックなどのしかけがないのもシベリアではかつてが違うのかもしれない。それでも冒頭の殺人事件と最後がつながっているのは物語としてさすがだと思う。ただ欲をいえば、主人公以外では日本の外交官とロシアの刑事以外のキャラがあまり活きていないのが残念なような気がする。
2019年06月10日
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この頃はニュースがないんだねえ…。NHKの夜のニュースをみながら家族がこんなことを言っていた。ちょうど「オオスナモグリ」なる絶滅したとされる甲殻類の一種が発見されたということを延々と報道していたときだ。これは、ニュースがないのではなく、ニュースにしていないだけではないのか。「オオスナモグリ」が絶滅したかどうかよりも、もっと日々の生活に重要なことはたくさんある。老後の生活に2000万円の貯金が必要だと蔵相がいったことなども本来なら「大ニュース」だろう。その後、蔵相は、老後の生活ではなく、「豊かな老後」のために必要なのだと言い直しているようだが、「豊か」などは主観的表現なので、それでは前の発言はなんなのだと思う。将来に不安があれば、皆必死に消費を控えて貯蓄に励むだろう。自動車や海外旅行どころか子供を持つという気にもならないだろうし、そうなれば国は急速に縮小していく。本来ならえっと驚くニュースなのだが、その割にはニュースとしての扱いは大きくないように思う。こんなニュースとしての扱いの大きさだけではない。ネットを含めた論調にも不思議に思う点がある。元次官が息子を殺害した報道について、元次官に同情的な意見が非常に多い。それはわかるのだが、じゃあ、殺害された息子は殺されて当然の人間だったのだろうか。真偽のほどはわからないが、息子はネット上で自身の精神障害を告白し「呪われた身体」と書いていた。これが本当なら息子は障碍者ということになり、連想はどうしても障碍者施設で起きた大量殺人事件へとむかう。あの障碍者施設の殺人事件では「殺されてよい命など一つもない」とか「障碍者の命の輝き」といったような言説が世にあふれ、少しでも反論するとナチだの危険思想だのといわれかねないいきおいだった。いったい障碍者施設で殺害された人々の命と元次官の息子の命とはどう違うのだろうか。このあたりも、親が殺害するのなら「同情に値する」のだが、他人が殺害するのはいくら批判しても批判しきれないほどの悪行となるのだろうか。それならそれはそれでわかりやすい。多くの場合、人は理屈ではなく、心のどっかで子は親の所有物であり、親は子の存在自体に対して無限の責任を負うべきものと考えているのだから。
2019年06月09日
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川崎の通り魔殺傷事件でも親子のあり方を考えさせられた。事件の直後からでてきた犯人の生い立ちに関する報道では「居候扱い」とか「差別」とかいう言葉がさかんにでてきた。そして犯人がスクールバス停留所を狙ったのも従妹が通っていた小学校であったことが底流になっていたのではないかという分析もなされている。伯父夫婦の実子である従妹は私立学校に通っていたのに自分は公立。従妹は床屋でもちゃんとカットしてもらっていたのに自分は丸刈り。こうした報道がどこまで本当かわからないし、犯行の背景に「差別」に対する怒りがあったのかどうかも犯人が死んでしまった今となっては分からない。けれども世の中には実の兄弟間でもある子は私立、ある子は公立ということはよくある。学業成績や子供の性格、それにその時期の親の所得など理由は様々だろうけど、普通はそれで差別だのなんのと思う人はいない。ところがそれが実子とそうでない子の間になると犯罪の引き金になるほどの重大な差別とみられる。現実に人情として、なんらかの理由で親族の子供を育てる場合には、実子とそうでない子との間で差がでることはあるのかもしれないが、それをいうなら、実の兄弟でも親の気に入る子とそうでない子で差があるという例もままある。ごく一部の論者かもしれないが、「差別」して育てた伯父夫婦を批判するような言説はおかしい。そしてまた、同時に感じたのは、実子でない子供を育てることの難しさと、そうして育つことが本当に本人のためになるのかという疑問である。川崎の事件でも、もし施設などで育っていたら、厳しい人生だったかもしれないけど、少なくとも孤絶ひきこもりにはならなかったであろう。「里親家庭を家と呼ばないで」という里子体験者のサイトがあり、もっともと思う部分も多いのだが、一方で、里親に対する悪意と呪詛にみちた見方には不快感も感じる。たしかに酷い里親もいるかもしれないが、善意の里親もいる。それを「空の巣症候群を埋めるペットとしての里子」とか「大家族気分を楽しむためのエキストラ」と言われてもねえ。一面の真理をついているのかもしれないけど、じっと里親をみつめる冷たい視線を感じる表現すぎる。今はなんでも施設よりも家庭環境で育つ方が子供にとって望ましいという理念のもとに、里親による養育が推進されているし、さらに進んだ形態である特別養子縁組の推進も行政の目標となっているようだ。そして不妊で悩んでいた夫婦に可愛い子供がやって来たという美談もどきの話もあふれている。世の中にはよい親子関係を築き、立派に育っている養子もあまたいることを前提にしていうのだが、実子以外の子供を育てることはプラスアルファのリスクがあることを認識すべきではないか。なにかにつけ、実子ではないからこうなのだとか、やはり実子でないから差別されているのだととられるおそれである。
2019年06月08日
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ひきこもりの定義をみていたら、コンビニなど身の回りの用事以外では家にこもっているというものがあった。たしかに最近の事件で注目されているひきこもり事例でもコンビニくらいには行っていたようなので、全く部屋や自宅から出ていなかったというわけではないのだろう。でも、そうした定義では、定年後職についていない人や自宅浪人生なども「ひきこもり」になってしまう。64歳までのひきこもりの人数なんていうものもあるが、少なくとも64歳で自分の年金や貯金で暮らしているまでもひきこもりに入れるのも変だろう。つまりひきこもりの定義を機械的にあてはめてしまうと、自宅浪人、定年退職者、専業主婦(主夫)などなんの問題もない人までも入ってしまうのではないか。そうだとしたら問題のあるひきこもりとは何だろうか。一言でいえば自立しなければならないのに、いつまでも親の扶養に入っている成人ということになる。このうち主に自宅にいるのをひきこもり、自宅にいるとはかぎらないのをニートというのではないか。いずれも問題の核心は仕事をしていないということにあり、ひきこもりの問題は長期失業の問題ではないかと思うのもそこにある。こうした問題の解決策についてはいろいろと議論があるが、BIつまりベーシックインカムの問題と関連させる議論はないのだろうか。すべての国民に対し最低限の金額を支給するという制度が実現できれば、成年後所得がない場合にはBIで最低限の生活をするということが普通になるかもしれないし、親子のもたれあいの構図もかわるかもしれない。BIについては、いわば誰でも生活保護で最低限の生活ができる制度と言うことで財源については疑問に思うのだが、まじめに検討されているということで全く不可能な政策というわけでもないだろう。
2019年06月07日
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川崎の通り魔殺傷事件でも親子のあり方を考えさせられた。事件の直後からでてきた犯人の生い立ちに関する報道では「居候扱い」とか「差別」とかいう言葉がさかんにでてきた。そして犯人がスクールバス停留所を狙ったのも従妹が通っていた小学校であったことが底流になっていたのではないかという分析もなされている。伯父夫婦の実子である従妹は私立学校に通っていたのに自分は公立。従妹は床屋でもちゃんとカットしてもらっていたのに自分は丸刈り。こうした報道がどこまで本当かわからないし、犯行の背景に「差別」に対する怒りがあったのかどうかも犯人が死んでしまった今となっては分からない。けれども世の中には実の兄弟間でもある子は私立、ある子は公立ということはよくある。学業成績や子供の性格、それにその時期の親の所得など理由は様々だろうけど、普通はそれで差別だのなんのと思う人はいない。ところがそれが実子とそうでない子の間になると犯罪の引き金になるほどの重大な差別とみられる。現実に人情として、なんらかの理由で親族の子供を育てる場合には、実子とそうでない子との間で差がでることはあるのかもしれないが、それをいうなら、実の兄弟でも親の気に入る子とそうでない子で差があるという例もままある。ごく一部の論者かもしれないが、「差別」して育てた伯父夫婦を批判するような言説はおかしい。そしてまた、同時に感じたのは、実子でない子供を育てることの難しさと、そうして育つことが本当に本人のためになるのかという疑問である。川崎の事件でも、もし施設などで育っていたら、厳しい人生だったかもしれないけど、少なくとも孤絶ひきこもりにはならなかったであろう。「里親家庭を家と呼ばないで」という里子体験者のサイトがあり、もっともと思う部分も多いのだが、一方で、里親に対する悪意と呪詛にみちた見方には不快感も感じる。たしかに酷い里親もいるかもしれないが、善意の里親もいる。それを「空の巣症候群を埋めるペットとしての里子」とか「大家族気分を楽しむためのエキストラ」と言われてもねえ。一面の真理をついているのかもしれないけど、じっと里親をみつめる冷たい視線を感じる表現すぎる。今はなんでも施設よりも家庭環境で育つ方が子供にとって望ましいという理念のもとに、里親による養育が推進されているし、さらに進んだ形態である特別養子縁組の推進も行政の目標となっているようだ。そして不妊で悩んでいた夫婦に可愛い子供がやって来たという美談もどきの話もあふれている。世の中にはよい親子関係を築き、立派に育っている養子もあまたいることを前提にしていうのだが、実子以外の子供を育てることはプラスアルファのリスクがあることを認識すべきではないか。なにかにつけ、実子ではないからこうなのだとか、やはり実子でないから差別されているのだととられるおそれである。
2019年06月06日
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高校生の頃、同級生で親が法律家という子がいた。どうでもよい雑談をしているとき、どんな話のついでか忘れたのだが、叔父かなにかで20年以上司法試験の受験勉強をしているという人がいるなんて話をしていた。そういえばかつてはそうした司法試験長期受験生という人々もいて、たまにそうした人の自殺事件などが新聞に報じられたことがあった。そうした人々は今でも世の中にいるのだろうか。弁護士でも職にあぶれたり生活苦に陥ることも珍しくなくなった時代なので、昔日の感がある。また、知り合いの知り合いくらいなのだが、大学を出た後、小説家を目指して仕事をせずに家にいるという人の話も聞いたことがある。こうした小説家志望の青年(そのうち中年)というのは、戦前の小説などにはよくでてくるのだが、今でもときどきいるのかもしれない。それとも、漫画家志望なんて言う方が当世風なのだろうか。法律家をめざすとか、小説家をめざすとかいって、大人になっても働かず、ほとんど家にこもりきりという人は昔からいた。そうしたものと「ひきこもり」とはどう違うのだろうか。昔の司法試験受験生や小説家志望のなかにも、実際には社会に適合しないだけの、今でいう引きこもりに近い人々がいたのかもしれない。
2019年06月05日
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最近、親子の関係を考えさせられる事件がたてつづけに起こっている。親に殺害された44歳無職の男の書き込み(おそらく本物だろう)を見ていたらこんなことが書いてあった。親の都合で勝手に生んだのだから最後の一秒まで子供の人生に親が責任を持つのがあたりまえ…といった趣旨である。こうした論理で彼は親がかりの生活を正当化し、そして思い通りにならない人生についても親、特に母親を呪詛しつづけていたのであろう。究極の甘えの論理だが、彼の書いた別の書き込み「肉体は健康だが18で統合失調症発病の呪われた身体」というのが本当であれば、彼の呪詛もそれなりにわかるように思う。ただ、一方で、それが本当だとしても、親は病気にするつもりで子供を産んだわけではないし、病気などままならぬことがあったとしても、そうした幸不幸おりまぜての人生を、命を子供に与えたのであろう。そもそも成人した子供と親の関係というのはどういうものなのだろうか。成人すればそれぞれ独立した人間のはずなのに、そのあたりがどうも徹底していないように思う。成人した子供に生活能力のない場合でも、親に扶養を強制するよりも、いったん生活保護受給や生活相談で対処し、そのうえで、親に経済的余裕のある場合には別途金銭を徴収するような方策はできないのだろうか。また、成人した子供の犯罪で親に謝罪をさせるような報道もどこかおかしいし、子供の不祥事で親が公職を辞するような光景も欧米から見ると奇異に見えるという。成人したら親子も別人格…こうした観念はもっと普及してもよい。それにしても、子供が経済的に依存し、親に暴力までも振るう。こんな事態になったら、親はさっさと住居を引き払い、マンションにでもひっこして、子供との関係を断つことはできなかったのだろうか。いくらかの「手切れ金」を払っても、あとはなんなりと自分で生活しろというように。
2019年06月04日
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五色の雲というものがある。臨終のときに阿弥陀如来が迎えに来るときに現れるという雲である。そんな五色の雲はもちろん見たことはないが、それに似たものに彩雲という。太陽の付近の雲が光の具合で緑や黄色やオレンジの色にそまる現象である。吉兆ともいわれるが、地震との関連を指摘する意見もある。吉凶はともかくとして、彩雲をみると幸せな気分になることは間違いない。そんな彩雲を箱根の展望台で観た。夕陽付近は厚い雲に覆われ、夕焼雲はあまり期待できそうにない。ただ、雲の薄くなっているところに現れた彩雲に目が行った。いつも不思議に思うのだが、自然の織り成す模様は関係のなさそうなところで妙に似ていることがある。層状の雲が夕陽にそまり朱色になった姿は縞瑪瑙にそっくりだといつも思うし、瑠璃は宇宙から見た地球の空の色によく似ている。そうしてみると、この彩雲はオパールの儚げな彩のようでもあり、ある種の方解石に見られる虹色模様のようでもある。たぶん映らないと思いつつスマホで写真をとってみると、あの色は取れなかったが、彩雲のあったあたりが、そこになにかあったというように、オレンジ色になっているのが不思議な感じだ。肉眼でみたときには、そのあたりの雲が五色に染まっているというように見えただけなのに、スマホの写真ではそこに丸い天体?があるように見える。ちょっと不思議な感じがするが、この彩雲、天からの応援メッセージと受け止めたい。
2019年06月03日
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報道にもいろいろな種類がある。例えば祭りがあったりすれば、その祭りを盛り上げるためだけの報道がある。こういう報道は、めでたい気分を高揚させるためのものなので情報としては大したものはない。祭りに初めて参加する〇〇ちゃんとか祭りを楽しみにしている△△さんとか…まあ、こうしたことは他人からみればどうでもよい。これに対して、その祭りの歴史とか、類似のものの紹介といったように、なんらかの情報や知識を提供する報道や、その祭りの意義や是非について検討するための材料を提供するような検証的報道というものもある。令和改元、そしてトランプ訪日と昨今の報道をみていると、どうも「盛り上げ報道」に終始していて、報道としての内容は非常に薄くなっているように思う。それにマスコミはNHKを中心にすべて右に倣えで、同じような報道しかしないのも息苦しい。これからも、秋の即位の礼、そして来年のオリンピックと、こうした盛り上げ型の報道が続くのだろうか。
2019年06月02日
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「母」を読んだ。図書館で借りたのだが、奥付を見ると1963年第一刷発行、1989年第20刷とある。そんなものだろう。ロシア革命前の革命に目覚めていく「母」を描いた社会主義リアリズム小説なのだが、社会主義が理想としての輝きを失った今ではほとんど読まれていないのではないか。すべての事が万人のためにあり、すべての人間が万ずのためにある…それは美しい理想なのだが、理想が実現しないからこそ理想であるともいえる。現実の人間は利己的でもっと醜く、それは人間と言う生物種が変わらない限り未来永劫そうである。主人公ニーロブナの息子パーシャは賢く指導力もある英雄的労働者なのだが、今の時代だったらこんな青年にはいくらでも途が開かれている。生まれながらの「階級」なんてものは、もはや人生の決定要因でもなんでもなくなっているのだから。小説に描かれているように、工場主は愛人に黄金の便器をプレゼントするほどの巨富を蓄え、労働者は過酷な労働で健康を害してゆく…そんな現実はさほど変わらないようにもみえるが、その背景は、生まれ落ちた時に親が「資本家階級」だったか「労働者階級」だったかなんてわけではない。かの社会主義思想の全盛期には本国ソ連やそうした思想に共鳴する進歩的人士達によってこの小説はずいぶんと読まれていたことだろう。その意味では、文学的感興というよりも、そうした歴史的興味で読む価値のある小説のように思う。ただ、この小説で、今日にも通じるものがあるとしたら、それは言葉の力であろう。ニーロブナは息子パーシャにより革命思想に目覚め、やがて多くの革命家達の「母」になっていく。革命の武器は何よりも言葉で、その言葉を印刷したビラを命懸けで撒くのが母の仕事である。そのビラは労働者や農民を動かし、やがてあちこちでうねりのような運動が起きていく。そのビラに書かれたものは、労働者や農民の辛い生活に寄り添うような言葉だったからこそ、そうした人々を動かすことができた。
2019年06月01日
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