全25件 (25件中 1-25件目)
1
かつては社会問題に鋭く切り込み「ワーキングプア」、「ネットカフェ難民」、「名ばかり管理職」などの用語を普及させた「クローズアップ現代」であるが、最近ではすっかり様相を変えたように思われる。これもどっかに忖度しているのではないかと思ってしまう。この間、この番組では「ギフテッド」と呼ばれる優秀児童が学校になじめないという問題を扱っていたが正直よくわからなかった。たしかに優秀な子が変わり者扱いされ、学校になじめないという例は昔からなかったわけではないが、じゃあ、優秀児がすべてそうかといえばもちろんそういうことはない。今の指導的立場についている方々、そしてまたノーベル賞受賞者も含め知的分野で業績を上げている方々のほとんどはクラスで一目も二目も置かれ、学校生活も充実したものだったのではないか。学校になじめない優秀児というのは、優秀児の中ではむしろ例外のように思う。そしてまた、学校になじめない子供や登校拒否になる子供というのもいたが、それは勉強ができすぎて退屈している子供よりも、逆に勉強についていけない子供が多かったし、成績に問題のない子供であっても、どっか自己中心的だったり、社会的訓練のできていない子、要するに人に対してこういうことは言ってはいけないとかやってはいけないという暗黙知が身についていない場合がほとんどだったように思う。だから、優秀児童≒ギフテッド≒学校になじめず問題がある≒対策が必要という番組の作り方は、なにか誘導的な感じがする。授業がつまらないという点についても、今では情報があふれているので、その気になれば高度な学問的な成果にもアクセスできる。大学の図書館や公開講座を年齢を問わずに地域住民に開放するだけでも、そうした優秀児の需要には十分に対処できるのではないか。さらに言ってしまえば優秀の定義をIQ〇〇以上としているのもどうなのだろうか。国語の成績と算数の成績が相関があるように知能指数と各学科の成績も相関があるがそれだけのことではないか。個別にみると機転が利く部分があるが通常人と変わらないIQ130という人も知っている。その人は小学校時代からIQはよいのだからと周囲から叱咤激励されていたが、最後まで成績の急上昇はなかったし、今でも平凡に幸福に生きている。IQの数字がよいから特別なギフテッド、ギフテッドだから学校にはなじめない…という妙な感違いをする人もでてきそうである。いずれにしても、かっては鋭く時代に切り込んでいたこの番組も、今回ばかりはなんだかな〜という印象である。
2019年08月30日
コメント(2)
ネットではずいぶん前から知られていたのだが、大手新聞やテレビではなかなか報じなかった事実がある。それは「主要国に比べても日本の賃金は低下している」という事実。いいかえれば「日本は貧しい国になっている」、いやもっとありていにいえば「衰退している」という事実である。誰しも見たい現実もあれば見たくない現実もある。こうしたことは「見たくない現実」であり、為政者にとっては「見せたくない現実」であるので、マスコミは報じなかったのであろう。それがついに東京新聞は一面トップでこれを報じた。見出しは「日本、続く賃金低迷」として、主要国時間当たりの賃金の推移のグラフも掲載されていてわかりやすい。韓国、英国、米国、フランス、ドイツが上昇をしているのに、日本だけが97年比でマイナス8.2%である。ただ、賃金低下のメカニズムの図はけっこうつっこみたくなる。少子高齢化と人口減少を背景として、高齢者増加、国内消費減少、定年退職増加を第一段階の要因、非正規社員増加、企業の賃金抑制、研修教育費削減、賃金が抑制されている介護士の増加を第二段階の要因として、賃金低下を説明している。しかし人口高齢化は日本だけの要因ではなく、グラフに挙げているような主要国では皆共通している。未婚率上昇を要因とする人口減少と国内消費の減少は賃金低下の要因というよりも、むしろ賃金増加の結果でもあるのではないか。また「賃金が抑制されている介護士」というように、介護士の低賃金を自然現象かなにかのようにみているのもおかしい。それにしても、もう日本は豊かな国でもないのに、アフリカ開発会議とやらで、中国をけん制するという理由で金をまくのはおかしい。それなら子供食堂に寄付すればよいのに…と思う。
2019年08月29日
コメント(44)
昔、こんな投書を読んだことがある。さる高齢者の意見であるが敬老の日の前後になると「元気なお年寄り」を紹介する番組ばかりが放映されるのでいやになるという。だからこうした番組が集中する時期がすぎるとほっとするのだとも…。自分もこんな年齢に近づいたせいかこうした気持ちがわからないでもない。誰しも元気でいたいのは事実だが、人それぞれに体質も健康状態も異なる。節制とか鍛錬とかでなんとかなる部分もあれば、いかんともしがたい面もある。そしてそんないかんともしがたい不調をかかえる高齢者にとって、「こんな元気な高齢者がいます」という番組はどううつるのだろうか。まあ、うまい例えも思い浮かばないが、健康上の理由で水泳のできない人が水泳を楽しむ人々を紹介した番組をみた気分、あるいは大学進学のかなわない人がキャンパスライフの素晴らしさをたたえる番組をみた気分。そんなのに近いのではないか。元気な高齢者の番組を見て勇気づけられ前向きな気分になる人々というのは、決して同世代の高齢者ではなく、これから高齢期を迎える人々、もっといってしまえば高齢期などはるか先と思っている人々ではないか。たぶん同じようなことはパラスポーツにもいえる。パラスポーツが最近非常に超人化してきて、一般の障碍者とはずいぶんかけ離れたものになっているように思う。障害を持つ人がそれを克服して高度な競技に挑戦する姿は感動的なのかもしれないが、それで感動し、勇気をもらうのは、同じような障害を持つ人々ではなく、健常者なのではないか。障害をもっているあの人だってあんなに頑張っている、自分にもまだまだやれることがあるはずだ…というように。
2019年08月27日
コメント(4)
選挙で投票する場合、党で選ぶか人で選ぶかという議論が常にある。基本はケースバイケースなのだが、国政選挙は党、首長選挙は人の比重が相対的に高いのではないかと思う。埼玉県民には選挙にでも行かせておけ…の埼玉知事選であるが、接戦を制したのは野党が推す候補であった。でも、この方の経歴等を見れば見るほど、自民党が推してもおかしくない候補のようにみえる。たまたま担いでくれたのが野党であり、もしかして当選できそうだから乗ったというだけではないか。推薦する党を抜きにして候補者だけをみた場合、方や優秀そうな経歴で政策通でもありそうなのだが写真をみればエリート臭がなく人柄もよさそうで好感がもてる、方やスポーツライターという行政や政策に無縁そうな経歴でそのスポーツ云々というわりには白髪でくたびれた感じ…まあ、勝敗を分けたのはそんなところのような気がする。これで中央政界の風向きがどうこうということはありそうにない。その知事選当日、埼玉を旅したのだが、行田市の古代蓮をみたあとは、久喜市の鷲宮神社そして最後は手賀沼で夕陽をみてきた。手賀沼は全国の湖沼の中で汚染度NO1ということなのだが、夕陽の美しさは変わらない。空一面が橙色に染まる中、縞瑪瑙のように層をなした雲の中に、赤い熟柿のように夕陽が沈んでいく。明日もどうか平穏でよい一日でありますように…。
2019年08月26日
コメント(4)
行田市古代蓮の里に行ってきた。蓮は終わっているかとおもったら、それでもところどころ咲いておりかろうじて見ごろに間に合ったという感じである。古代蓮会館の建物では蓮に関する展示もあり、それによって仕入れた知識なのだが、蓮の花の寿命はわずか三日間であり、見ごろとなる二日目の花は午前中は開くのだが、午後には閉じてしまうのだという。そのせいなのだろう。着いた時にはお昼を過ぎていたが、開いている花で絵で見るような整った花はなく、ほとんどが散りかけのようであった。ピンクに閉じた花こそが午前中には綺麗に開いていたのだろう。ただその短い寿命の蓮の花であるが、一斉に開くわけではなく、個々の花によって時期が異なる。それで池全体としては長く見ごろが続く。蓮の花というと仏画のイメージもあって、やや異国的な感じがするが、日本にも昔からあった花で、古代蓮も日本に有史以前からあった種だという。ただそうだとすると、梅、桜、藤などに比べて、蓮を詠んだ歌が少ないのが不思議な気がする。この古代蓮の里には展望塔もあり、空気が澄んだ日には関東平野をとりまく山までが見える。今の季節はそこまでの展望はないのだが、大変な行列ができている。それもそのはず、ちょうど田んぼアートを見ることができるのだ。新元号にちなんだものと、ラグビーのワールドカップにちなんだものがそれぞれ別方向からみることができるのだが、ラグビーの方は選手三人の似顔絵を並べたもので相当の力作だ。ただ肖像権の関係があるのか、例年売っている田んぼアートの絵葉書は今年はないという。
2019年08月26日
コメント(5)
世の中のニュースには「へえ、こういう珍しいこともあるのか」と思わせるものと、「いやいや、これはニュースになっていないだけで本当はもっとあるのではないか」と思わせるものとがある。人によって感想は違うかもしれないが、愛媛県警が窃盗容疑で女子大生を誤認逮捕したというニュースは後者である。この事件は誤認逮捕後、女子大生側が抗議しているのでニュースになり報道もされている。けれども、誤認逮捕被害というものは通常の場合、被害者にとっては一刻も早く忘れたい、そしてできれば誰にも知られたくないものであろう。その上、告発の相手は国家権力そのものの警察である。普通、誤認逮捕で酷い目にあっても、穏便にすませてしまう場合がけっこうあるように思う。ちょっと驚いたのは、愛媛県警の警察互助会が「見舞金50万円」を支払ったということである。この事実は被害者側ではなく、警察関係から外に漏れているようだ。「50万円も渡した」のだから世論の風向きが変わるとでも思っているのだろうか。なにか根拠不明確な小金で口封じをしようとするようないやらしさを感じる。そのうち三人並んで頭をペコリのお馴染みの場面がでてくるのかもしれないけど、組織と言っても他人の過ちで謝罪するのは基本的に気楽なものである。国家公安委員長は誤認逮捕に大変な怒りというが、おいおい、自分の部下ではないかとツッコミを入れたくなる。誤認逮捕、特に若者が被害者になる誤認逮捕は、これからの長い人生を狂わせてしまうかもしれない怖さがある。かの遠隔操作事件で神奈川の大学生が誤認逮捕され、せっかく入った大学を退学になったうえ、少年事件としての処分も下った。彼はその後、復学できたのだろうか。復学したとしても、大学生活はかなり辛いものになったのではないか…と余計な想像をする。愛媛県警の事件についても徹底的に検証を行い、その結果を公開すべきではないか?こういう事件は誰でも被害者になりうるものなのだから。
2019年08月24日
コメント(6)
関西在住の人から聞いた話である。その人は無料と言うこともあって高校野球の時期にはよく外野席で観戦をしていた。真夏の時期なので観戦者の中には気分のわるくなる人もいるわけなのだが、救急車は直接に呼ばず、かならずスタッフを通じてよぶように注意があるという。おそらく救急車のお世話になる人がいたとしても他の観客に目立たぬように誘導されるのだろうか。実際に救急車の来ているところも見たことがあるという。真夏の甲子園。選手はともかく、観戦者は屈強なひとばかりではない。涼しいところから孫の応援にやってきた老人だっているだろう。けっこう熱中症になる人もいると思うのだが、そうしたものはあまり報道されない。本当は今年の甲子園、熱中症何人なんていう記事があってもおかしくないのだが。これにかぎらずだが、世の中には存在しても報道されないことってけっこうあるように思う。
2019年08月23日
コメント(6)
北海道だけでなく全国的に広く人気の羊焼き肉のジンギスカンであるが、この名称がモンゴル人の間で問題になっているという。ジンギスカンはモンゴルの象徴的英雄の名であり、料理の名に使うのは不愉快なのだという。ジンギスカンは歴史上の人物であり、羊肉、モンゴル、ジンギスカンという連想以外では、この料理と関係ない。しかも料理法は日本で考案されたものである。だから、ジンギスカンを食べながら歴史上の英雄のジンギスカンを連想する人もまずいない。だからどうでもよいといえばどうでもよいのだが、現実問題として、昔は遠い国だったモンゴルも今では人の行き来はさかんになっている。昔はものめずらしかった羊肉も今ではずいぶん定着しているのだから、あえて訪日する外国人が不快になるようなジンギスカンなんていう大仰な名でよばなくともよいのではないか。北海道焼きでもよいし、屯田焼きでもよい。そういえば、昔は蒙古という語もよくみかけたが、今ではモンゴルと言う仮名表記が普通になっている。いうまでもなく、蒙古は無知蒙昧とか啓蒙という語を見ても分かるように極めて悪い意味の字だ。モンゴルとの交流がさかんになるにつれ、自然に蒙の字もさけるようになったのだろう。中国ではどんな字をあてているのだろうか。遠い国には法国、英国、徳国などよい字をあてているのに、まさか隣国を蒙昧よばわりはしていないだろうと思う。追記外国に不快感を与える食べ物の名としては熊本名物の朝鮮飴がある。日本語の「ちょうせん」は差別語として受け取られており、しかも、朝鮮征伐の際の軍用という由来なのだから、ますます説明に困る。
2019年08月22日
コメント(6)
京都アニメーション放火殺人の被害者と相模原障碍者施設殺人事件の被害者の匿名の扱いの差異が気になる。後者についての報道で男性〇〇歳、女性△△歳という表現が見られたが、前者については見られない。そして前者については匿名であることが批判的に報じられ、後者については「遺族のプライバシー」を理由に匿名が当然視される。そして前者については生きた証として匿名が問題視されるのに、後者については生きた証という言葉は見られない。こうした差異の背景はなんなのだろうか。また、京都アニメーション放火殺人の被害者についてはアニメ界では著名な人物が被害者に含まれているから実名報道すべきだという意見もある。それでは著名な被害者は実名、そうでない被害者は匿名ということになる。その著名かどうかの基準はなんなのだろうか。エンドロールに名前はでれば「公人」というのだろうか。個人的には犯罪の被害者や事故の被災者は被害者本人や遺族が望まなければ原則匿名、ただし、政財界の大物など一定の影響力を行使するような人間については「公人」として実名にするくらいのことでよいように思う。死者の身元を報道の受け手である世人が知ったところで、それは必ずしも「死者を悼む」とか「犯罪に対する怒りを共有化する」なんていうことばかりでなく、下世話な興味もあるのだから。報道についてはもう一つ、あおり運転と暴行事件の容疑者についての大報道も気になる。あおり運転が原因で夫婦二人がなくなったという事件(事故だとは思えない)が衝撃を与えたので、あおり運転についての関心が高くなっていることが背景にはあるのだろうけど、これは結果としてはあおり運転プラス暴行事件である。容疑者が悪い奴ということには異論はないが、事件の内容に比べて連日の大報道ぶりが異様なように思う。資産家であり高級車を乗り回していたという容疑者の暮らしぶりが世人の好奇心を煽っているという面はないのだろうか。これは暴行を受けた人も傷害を負ったというわけではなく、それほどの重罪にはならない事件のように思う。
2019年08月21日
コメント(6)
歴史というのは特定の人間によってではなく無名の多くの人々によって作られていくのではないか。歴史上の人物は川に浮かぶ木の葉のようなもので、その川の流れはその時代の多くの人々の作る歴史の潮流といったものである。どんな時代にもその時代を生きた普通の人々がいて、そうした普通の人々の暮らしや想いに想像力を働かせることも歴史の見方として重要であろう。「この世界の片隅に」は戦中から戦後にかけての、ちょっとぼおっとした女性の目で歴史の流れを描いたものである。時代の雰囲気などがよく描けていて、この時代を生きた人々はこうだったのかなあ…と思わせる。実写ならこれだけの映像はCGでも難しいし、人気俳優や女優の風貌などはどうしてもこぎれいな現代風になってしまうだろう。ただ、それでも、アニメには描けないものがある。それはその時代の空気である。子供の頃にはハエや蚊がそこらを飛んでいるのは普通だったし、ごみの匂いやトイレの匂いなど様々な匂いが生活の中に普通にあった。主人公が被曝してしばらくたった広島の街を歩く場面があるが、真夏に万単位の死者がでたからには、まだまだ死者の匂いは強烈にあったのではないか。主人公もそうなのだが、周囲の人々も時代の流れとともに淡々と生きてゆく。空襲や核爆弾の惨禍の後でも、進駐軍に対する反感のようなものは一切ない。進駐軍の残飯をごちそうとしていただき、チョコレートを貰って喜んでいたくらいなのだから。大切なものは日々の暮らし。そんなものなのかもしれない。そういえば戦争中でも戦争の終結を求める民衆のデモや暴動が起きたという話はきかないし、進駐軍(占領軍)がやって来た時も、進駐軍に対する反抗行為があったという話もきかない。そして占領期に日本独立を求めるデモというのもなかったようだし、平和条約発効で主権が回復したときもそれで喜んだという話もきかない。歴史は大勢の無名の人々によってつくられるとはいっても、その人々は受け身でいることの方が多かったようである。だからだろうか。変にものがわかって戦争や軍隊に批判的な主人公をすえるよりも、ぼおっとした平凡な女性を主人公にした方がリアリティがある。
2019年08月19日
コメント(16)
最近の二世政治家はどうも学歴とか試験とかそういったものにコンプレックスやルサンチマンをもっているのかもしれない。ここ20年くらいの改革の方向をみてると、世の秀才どもが殺到するような試験とか学歴の有名無実化に励んでいるように思えてならないから。まず公務員については「人物本位の採用」という名目で今まで以上に面接が重視されるようになった。そのため、面接の倍率は2倍以上になり、公務員試験は筆記試験で合格しても採用されるかどうかわからない試験になった。だから理論的には一種で採用されたAさんよりも一種は面接で落ちて二種で採用されたBさんの方が一種の筆記の成績は良いなんてことも、今ではありうるのではないか。司法試験も合格者を増やすことによって、合格しても食えるかどうかわからない資格になった。昔はよくハンディを負っている人が苦学して合格したということが社会面のニュースになったものだが、今ではそういうニュースはきかない。これはそうした事実がなくなったというよりも、資格そのものの性質が変わり、ハンディを負った人が合格しても人生逆転とはいかなくなっただけであろう。仕事がなく生活できない弁護士がいても誰も驚かない時代である。そして国立大学も授業料高騰(それはかなり前からなのだが)に加え、昨今では面接試験導入の議論が絶えないようである。昔々のことだが従兄弟が国立大学に合格して伯父が有頂天になっていたことがある。国費により教育を受け、公平な試験で選抜されることは国立大学の誇りの根底なのではないか…と思う。ルサンチマンを持つ政治家連中は試験や学歴を有名無実化するだけでは満足しないらしい。次の目標は国民のおしなべての低学力化である。高校の国語の授業に契約書の読み方を取り入れる反面、詩や小説を選択科目にするという。契約書も含めて法文をすいすいと正確に読みこなす人は、別に高校時代からそんな文章を読んで慣れていたわけではない。小説も含めた読書全般に慣れていて、その日本語力がすそ野になっているからこそ、ややこしい法文も読めるのである。国語の勉強として駐車場の契約文などを読ませたら国語嫌いを量産するだけだろう。そのうち数学の授業も複素数や三角関数も選択になって、利息計算だけができればよいとかいうことになるのだろうか。そうなったら数学という教科に抱くリスペクトのようなものも失われ、頂上も含めた全体のレベルも低下していくだけであろう。低学力で外国の情報にもうとく、ただ「日本スゴイ」と思っているだけのような、そんなバカな国民を量産したいのだろうか。
2019年08月18日
コメント(7)
韓国で合計特殊出生率が急減し、今年は0.9を下回るという。日本でもこの数字は1.4くらいなので、これと比べても韓国ではいかに低いかがわかる。世界的に見ても、韓国以外に出生率ぼ低い国は香港、台湾1.13、プエルトリコ1.10であり、プエルトリコを別にすればいずれも東アジアの国である。東アジアといえば儒教文化圏に分類されるが、韓国では特に儒教の影響が強いという。こうした文化的風土と低出生率は連動しているのだろうか。しかし儒教といえば祖先崇拝と共に子孫への血の継承を重視する。子孫を絶やせば死後の祀りをする人はいなくなるので、それは親や祖先に対する最大の親不孝とされる。だから儒教文化圏では、子供、特に男児を生むのが至上命題であるので、むしろ出生率は高くあるべきだろう。それなのに出生率が異様に低いのはなぜなのだろうか。儒教は祖先崇拝だけでなく、男尊女卑という価値観がある。男尊女卑とは男が自動的に女よりも偉いということではなく、男は女よりも、学歴、知力、体力、身長、家柄、財産とすべてに上であるべきだという価値観も含む。だから結婚となると、結婚相手には自分よりも上の能力だけではなく、妻子を悠々と扶養できる収入や財産も要件となる。そしてもちろん生まれてくる子供も立派に育てなければならないので教育費も潤沢にかける必要がある。「わたしの好きなダメ男。ふたりで稼げばなんとかなるわ。子供を作って楽しく暮らしましょう」といったラテン?ののりは儒教文化圏では考えにくいように思う。さらに言えば儒教文化圏では学問や教育を重視する。だから学歴社会になりやすいし、その学歴、試験という階梯を登れば道は開けるので、意外に高い地位につく女性も多い。ただこうした学歴をみにつけた女性は伴侶には高いレベルを求めるので、どうしても結婚が遅くなりがちであるし、そうした女性にはじかれていった男もまた結婚しにくくなっていく。というわけで、韓国の極端に低い合計特殊出生率をかってに解釈してみたが、地球規模ではまだまだ人口爆発が続いており、低出生率は人類全体という面では好都合なのかもしれない。
2019年08月17日
コメント(2)
先の大戦に想をえたフィクションであり、もし、数学の天才が巨大戦艦の建造を阻止できたら…という物語である。戦争はいわゆる武人タイプの軍人に脚光が当たりがちであるが、実際には近代戦になるほど、戦争をささえる技術の水準がものをいう。飛躍的に科学技術が発展するのは戦時であり、主人公のような高度な頭脳もずいぶんと戦争に投入されていたことであろう。ただ、聞くところによると、そうした人々はあまり戦場にはゆかなかったし、学徒出陣の際にも温存されていたという。日本の戦後復興が急速だったことも、そうした技術系人材が残っていたことと無関係ではないだろう。そしてまた、一定水準以上の知識をもっている人は米国との戦争で勝てるなどということは思わなかった。それなのに戦争に進んでいった背景には軍隊の予算獲得競争の中で高度な武器、映画では巨大戦艦を持つ要求が強まり、そしてそうした武器を作れば使いたくなる。国民生活は苦しいにも関わらず、高価な武器を建造する当時の政府は、高価な武器を外国から購入する今の政府と同じではないか…。(以下ネタバレ)巨大戦艦建造の案は二転三転し、最後は巨大戦艦は「日本の依り代」として作るべきだということになるのだが、その趣旨が戦争に負ける前に沈むのがこの戦艦の使命であるという解釈は、映画としては面白いがいくらなんでも後講釈にすぎるだろう。なぜ戦争に進んでいったのかという検証の答えはまだ出ていないように思う。主人公が言うように嘘をつかない数字で考えていれば、決して判断を誤ることはなかったのに。
2019年08月16日
コメント(30)
厚労省の調査によると,1996年から2010年にかけて、医師総数は22.1万人から28.0万人と1.3倍に増加している。これを精神科医に限ると、9千5百人から2010年の1万4千人と1.5倍に増加しており、精神科は医師の中でも増加率が大きい分野だといえる。昔から優秀な人で医師を志す人は多かったが、単に成績が良いからという理由で医学部を目指す人が増えれば、必然、「血をみるのが大嫌いな」医学部生の比率も高くなる。そういう医師は精神科志向が高いのではないか。その上、偏見かもしれないが、精神科医療に昔あったような暗いイメージはだいぶ影をひそめているし、論客としてスター的な地位を得ている精神科医の存在もイメージアップに貢献している。卵と鶏のようなものなのかもしれないが、医師が増えれば患者も増える。精神疾患で治療を受ける人も増加傾向だという。病気の範疇は時代とともに変わる。自覚症状のない高血圧や糖尿、緑内障などは今では「病気」とされ、治療を受けるようになっている。これと同じように精神科の領域でも昔は病気とされていなかったものが、新たに病気と認識されるようになっているように思う。アスペルガー症候群だの発達障害だのという言葉は昔は聞いたこともないし、強迫神経症やうつ病についても、こんなに数多くはいなかった。医療はそもそも何のためにあるのだろうか。医師の生活のためではなく、患者やその周囲の人々がよりよい人生をおくるためにあるのではないか。少なくともそう思えばこそ、人々は医療機関の門をたたく。たしかに自覚症状のない高血圧や糖尿、緑内障は、早期に治療をするからこそ重篤な症状を予防でき、それが平均寿命や健康寿命の伸長につながっている。これに対して精神科での診断や治療はどうなのだろうか。幻覚や妄想に支配され、自身のみならず、周囲にも危害を加えるおそれのあるような古典的な精神疾患については、患者本人や周囲の幸福のために、なんらかの隔離や治療が必要だというのは分かるのだが、発達障害だの脅迫神経症だのアスペだのの診断がそんなに本人のよりよい人生につながっているとも思えない。もっと言ってしまえば人生を潰しているようなケースもあると感じるのは自分だけだろうか。知人の子息に強迫神経症という診断を受けた人がいる。就職に失敗して、求職中にでた症状だという。素人考えかもしれないが、こうした症状は別に不安の根源があって、それが、別のところに強迫症状となってでてくる場合がほとんどなのではないか。就職活動中の不安感や焦燥は体験したことがあるのでよくわかる。うつ病も同様に親族との死別、経済的な困窮、健康悪化など外的な要因があって、それが「うつ症状」という形ででてくるもので、それは病気と言うよりもうれしければ興奮し悲しければ沈み込むという人間の心の反応のように思う。こういうものは精神科医の治療や投薬よりも、外部の根源の除去や改善、それが不可能なら、伝統宗教による法話(新興宗教には危険も多いので)や座禅などの方が効果があるように思う。
2019年08月15日
コメント(4)
「大地の子」を読んだ。今では中国孤児の問題がマスコミに登場することはあまりないが、一頃は残留孤児の肉親捜しや再会の感動物語がさかんに報道されていた。その頃は、とにかく生き残って再会できてよかった、くらいの感想しかもたなかった。そしてその一方で、「こんなにものがあふれている素晴らしい祖国に帰ってきて来られてよかった」というある孤児の言葉に違和感を感じ、育ての親や、場合によっては配偶者を置いたまま日本に永住する孤児に身勝手なものを感じたりもした。今にして思えば、想像力の欠如した感想だった。一口に孤児というが、その境遇は様々で、慈しみ深い養父母に育てられた人もいれば労働力として酷使されただけの人もいた。教育を受けた人もいれば字も読めないまま大人になった人もいた。孤児の間に横の連絡がなく、孤児の会のようなものができなかったのも、そうした境遇の違いが大きすぎることがあったのかもしれない。ネタバレになるが、「大地の子」の主人公は日本人出自ゆえの苦難はあるが、養父母にも教育の機会にも恵まれて育つ。再開した父も情愛深く、帰国を願うだけでなく、日中両国語が使える主人公のための就職の算段までする。実際には孤児たちの日本での生活は多くは厳しく、教育を受けて専門的な仕事をしていた人も帰国後は相応しい職がないという報道をみたことがある。そしてまた、フィクションというものの「大地の子」の主人公は高等教育まで受けていたが、実際に孤児の中にそこまでの教育を受けた人がいた場合、すんなりと永住帰国ができたのだろうか。ソ連では高等教育を受けた人が国籍離脱した場合には教育費の返還を求めていたという話をきいたことがある。主人公の境遇と対照的に不幸な孤児も登場し、実際にはこうした例がずっと多かったのだろう。そうした労働力として酷使され、教育を受ける機会もなかった孤児の中には、日本人だということを知らなかったり、あるいは貧しい境遇故に名乗り出るのを躊躇していた人もいたことだろう。そうした孤児だちも、今では70歳代半ば以上になっている。ある孤児は「貧しそうな服では親戚が会いに来てくれない」と言っていたが、実際に貧しい服しかないので、親戚に会うつもりもないと思っていた孤児もいたことだろう。
2019年08月14日
コメント(2)
事件で話題になった京都アニメーションの作品の一つである「けいおん!」を見た。第1話と第2話で、女子高に入った少女が軽音楽部に入り、ギターを購入する顛末が描かれている。会話などに笑える個所はあるが、等身大の主人公のゆったりとした生活を描いたもので、特に大きな事件が起きるとかいうわけでもない。社会現象になるほどヒットしたアニメだというが何がそんなによいのだろうか。原作は四コマ漫画であるが、このアニメの作画がなければ、面白さは半減したのではないか。主人公たち四人はいずれもかわいらしく、ボーイッシュ、おっとり、活発と性格もかきわけられている。そしてその主人公たちがうごきまわる校舎や街の情景が非常に丁寧に、そして現実の世界以上に詩的に描かれている。夕陽の照らす廊下や校舎上の空。自分の高校時代にもこんな情景はあったのかもしれないし、今よりもずっと感受性豊かであったあの頃にはこんなふうに見えていたのかもしれない。幸せな高校生たちのゆるゆるまったりした終わりなき日常の物語をみながら、自身の高校時代を追憶する。主なファン層は同世代の女子高生ではなく、上の世代の男性が多いようで、主人公たちの絵もちょっと男性好みに描かれているようなのだが、それも女性がみても抵抗はない程度のものだ。ただ思うのだが、こうしたものを観ている20代以上の人達というのはどうなのだろうか。仕事や家庭に忙しい人々は中学や高校時代の想い出にひたる時間はあまりない。最近の事件…どうしても、そっちの方へ目がいってしまうが、元次官による殺人事件の被害者はアニメヲタだったようだし、今度の放火殺人犯もアニメとの接点があった。そして両者とも実人生では家庭もなく職もなく、友人もいない。それだけでなく、いじめを受けていたり、孤立していたりして中学や高校の楽しい想い出というものもあまりなさそうだ。それが、こうした少女たちのきらきらした青春風景の物語を好んでいたとしたら、ちょっと悲しい。もちろんこう書いたからといってアニメファンには索漠たる人生を送っている人が多いなんてことをいうつもりはさらさらない。
2019年08月13日
コメント(0)
最近よく若者の〇〇離れと言う言葉を聞く。食関連だけで、酒離れ、外食離れ、調味料離れ、お茶離れ、梅干離れ、ガム離れ、刺身にワサビ、おでんに辛子離れ…とこんなにある。これにスキー離れ、旅行離れ、映画離れ、風俗離れ、恋愛離れとなるといったい若い人って何をやっているのだろうかと思う。こうした離れの要因にはいくつかのものが考えられる。一つは若年層が減ったことによるもので若者の嗜好は変わらないもの。たしかに海外旅行など昔よりも安く行けるようになっているのに、若者が減っているというのにはこの要因があるのかもしれない。こうしたものは、全体の数字をみながら若者と他の年齢層を比較しないとなんともいえないのかもしれない。二つは若者に限らず全年齢層で起きているが、過去の生活習慣に縛られない若者層で顕著というものがある。「テレビ離れ、ラジオ離れ、新聞離れ、雑誌離れ」などはこれで、こうしたものは全体に需要が減っているだけなのではないか。車離れや腕時計離れも、小さい頃から都会に育った人の比率が高い若者世代では車の必要性は感じないだろうし、腕時計もスマホを持っていれば必要とも思えない。三つは時代による趣味嗜好の変化である。食生活は貧しかった時代、情報機器が普及していなかった時代に好まれたものが時代と共にみむきもされなくなることはよくある。過去にはきっと若者の浪曲離れ、切り干し大根離れなんてのもあったことだろう。梅干し離れ、お茶離れなどはそういうものだろう。そして四つは時代による生き方の変化だろう。古い戸籍をみると、けっこう庶子が記載されているものがある。妾などは金持ちの甲斐性道楽であり、貧しい女性が這い上がる手段であり、社会的に認知されていた時代もあったのだ。結婚離れも独身という生き方が社会的に認知されてきたということなのかもしれない。今では独身の中年男性を「変な人」とみる人はいないだろう。最後は若者に金が回らないことが背景にある変化である。これが実は一番問題なのかもしれない。金がないので「映画離れ」、「外食離れ」、「スキー離れ」というように。こういうのは若者の〇〇離れではなく、金の若者離れというべきなのかもしれない。
2019年08月10日
コメント(24)
帰省シーズンということで東京駅は大きなカバンをもった人々でにぎわっている。お土産店も列ができているのだが、いつも不思議に思うのだが、東京みやげとしてよくみかけるアレだ。そもそもアレは駅にしか売っているのをみたことがないし、世論調査で確認はできていないが、東京の人で食べたことがあるという人はあまりいないのではないか。それに大々的にみかけるようになったのは、ここ10年ほどなのであまり伝統もなさそうである。それなのに東京〇〇〇というように、東京を冠したお土産がアレしかないという不思議…。まあ、東京の伝統的なお菓子といえば△△おこしや◇◇焼きもあるが、もともとは庶民のものだったので、いまいち豪華さにかける。◇◇焼きときたら、よくいえば庶民的で素朴な菓子なので、わざわざお土産だといってわたすと違和感がある。そんなわけで東京〇〇〇が人気となったのかもしれない。よく考えてみると、有名なお土産というのは地元の人はあまり食べないのかもしれない。仙台銘菓萩の月を仙台の人がしょっちゅう食べているというわけでもなさそうだし、博多美人とかいうカステラの菓子ももっぱら売れているのは土産としてではないか。この両者とも・配りやすい・軽い・日持ちがする・価格がリーズナブルという特徴があり、職場などへのばら撒き土産に最適である。この伝でいえば、鳩サブレはちょっと大きすぎて割れやすいし、ういろうは最近のものは小分けになっているのはありがたいが重いのが難点だ。信玄餅は高いし、重いのだが、職場でこれを配る人が心から感謝する。赤福は配るなどは考えずに家に持って帰って家族で楽しみに食べれば良い。そしてカーリング娘のもぐもぐで有名になったあのお菓子…あれはまだ売れているのだろうか。北海道土産はやっぱり白い恋人が大変な傑作のように思う。職場に撒いても良いし、家で食べてもよい。あと、レーズンサンドがあるが、これは高価で美味しいので単なるつきあいでばら撒くのはもったいない。
2019年08月09日
コメント(8)
こんな話をきいたことがある。戦前、特別高等警察に勤務していた人が、戦争が終わったとたんどんな復讐をされるかと戦々恐々としていた。ところがいっこうにそんな気配もないのでようやく安心したという。これに限らず、戦争で苦労をしたはずの人々がその復讐を戦後行ったという話はあまりきかない。特別高等警察の弾圧だけでなく、戦前の徴兵や徴用、大陸開拓という名で送り出した棄民政策などで、誰かが責任を取ったという話もないし、そうした責任者で戦後も高い地位にとどまりつづけた人もいる。公職追放にしても、平和条約発効までにほとんど解除されているし、そもそも公職違法それ自体が占領政策によるもので、日本人の間から自発的にわきあがったものではなかった。慰安婦とか徴用と言うと、それ自体、「反日」のキーワードのように扱われている。しかし、よく考えてみると日本人にも慰安婦はいたし、日本人の徴用もあった。韓国の独立記念館に行くと日本人憲兵による拷問を再現した蝋人形があると言うが、これだって憲兵の拷問は日本人にも行われていた。ねちっこくねちっこく日本の旧悪を追及する半島の人々に比べて日本人はおとなしい。これは同民族内のことだから仕方がないと思っているのか、慰安婦だったこと、特高に狙われるような「非国民」だったことをいまだに恥じて秘すべきことと思っているのか、持って生まれた穏やかで温和な国民性の故なのか…。また、8月15日がやってくる。そして今日は8月9日…長崎と満州が地獄と化した日だ。
2019年08月09日
コメント(10)
昨日、著名な政治家の結婚のニュースをNHKがニュース速報で流したという。いくら政治家であっても結婚は私事のはずで、ワイドショーならともかく総合ニュースでだいたいてきに扱うものではないように想う。NHKを批判する政党が議席を獲得したといって話題になっているが、受信料の強制も含め、NHKを批判する風潮は高まっている。他の枠のニュースはそうでもないようなのだが、最もメインとなる9時のニュースが芸能ネタやスポーツネタにかたよりすぎているのも大いに問題のように思う。この間の参議院選挙にしても、選挙のニュースは驚くほど少なかった。公正中立と言うのはわからんでもないが、争点となりそうなものについて情報を提供することも、報道の大きな役割であろう。テレビと並んで、世論に影響を与えるのは、新聞や雑誌などの活字媒体であるが、最近の雑誌の高齢者シフトも目に付く。それだけ読者層も高齢化しているということなのだろうけど、これでは前からあった老人向けの雑誌などは存廃の危機になっているのではないか。それとも高齢者層というパイ自体が膨張しているのでこれはこれでかまわないのだろうか。そして週刊誌といえば、もう一つ、めったやたらに特定の私人をバッシングする報道があるのも気になる。さる皇族の婚約内定者とされる某さんなのだが、そもそも法律事務所勤務というのはそんなに酷い職業なのだろうか。もちろん弁護士志願で法律事務所でアルバイトをするという人は昔からいたのだが、だからといって法律事務所では弁護士以外みなアルバイトというわけでもないだろう。れっきとした大手法律事務所で語学専門職として勤務しているというのなら、それはそれで立派な職業ではないか。それに、収入だって他のサラリーマンとそんなに変わらないのではないか。さらに週刊誌ではさる女性皇族についても「高等遊民」という言い方をしていたが、これも失礼だろう。公務といっても、皇族自らが手を挙げてやるというものではない。どうなっているのかは知らないが、声がかからなければ、自分からやるというわけにもいかないし、そもそも「公務」の範囲自体不明確だ。職業についてだって、自分で何かやると言ってできる立場でもない。もちろん一般人のような就活の苦労はないが、かといって、〇〇で働きたいといったって、それが自由にできるというわけでもないのだから。
2019年08月08日
コメント(4)
国家が興隆するときは若者から豊かになり、衰退するときは若者から貧しくなる。そういえば高度成長期は、若者の海や山のレジャーがニュースの定番であったし、海外旅行も若者が中心で「そんな旅行はまず親を行かせてから自分が行くべきだ」という評論家の苦言があったくらいだ。今とは隔世の感がある。今、30代や40代の非正規雇用や低所得者の比率が高く問題視する意見もあるが、そうした人々の多くに、豊かな時代を生き、そこそこの持ち家と資産を残した親世代がいる。子供部屋おじさんという未婚で親と同居する30代や40代の男性が増えているというが、そうした人々も親がある程度広い持ち家をもっているからこそ同居できるのではないか。子供部屋おじさんはやがて子供部屋おじいさんになり、金のかからない娯楽をみつけて楽しく平和に暮らすのかもしれない。もしそうであるならば、非正規雇用者や低所得者の相当数は不満層というよりも、それなりに現状に満足している層、だから投票に行かないか、行っても与党支持…という可能性もある。とにかく現状よりも悪くなっては困るのである。国家は興隆し衰退する。ただし、衰退局面であったとしても、マクロでみれば、一世代くらいはなんとかなるものなのだろう。
2019年08月06日
コメント(8)
さる方のブログに某新聞にのったコラムが引用されていた。著者はかなり著名な方で自公政権に批判的な立場から、今回の選挙について「…憲法改悪の野望には待ったがかかった…いのちを護るためには、いまの憲法を大事にする運動をさらに広げるしかない。…」と結んでいる。なんだろうか。この不快感。そういえば昔は〇〇運動というものがよくあった。新生活運動、小さな親切運動、交通安全運動などなど。いずれも行政などが上から旗をふって、国民を一定の方向に導くという色彩が強かった。交通安全運動は今でもあるようだが、これは「交通安全」という異論のだしようがない目標についてのものであって、他の運動とは色彩が違う。そこまで考えてみてわかった。「今の憲法を大事にする運動をさらに広げる」ってあんた何様なんだ?大衆は憲法の素晴らしさをわかってないので啓もうしてやるというのだろうか。言葉が人々に伝わるには、人々の間に燃料があって、それに火矢のように言葉がつきささるということだ。燃料とは、生活の不満、それはオレの給料親父の年金より安いってどういうことよでもよいし、今の暮らしでやっとなのに消費税増税とはあり得ないとかでもよい。これに対して、「今の憲法を大事にする」というのは生活実感とは距離のある価値観とか理想とかそういう領域のもので、「今の憲法を大事にする運動」というものはどうしても上から目線になる。そしてそういう上から目線では決して支持は広がらない。
2019年08月05日
コメント(10)
猛暑のニュースをみていると、よくアナウンサーが「外での運動を避けるようにしましょう」なんて言っているのを聞く。でも、そうなると来年の今頃やるオリンピックや高校野球はどうなるのだろう。不思議だ。もうひとつ気になることがある。京都アニメーション放火殺人の容疑者については全力で治療が行われているという。その医療費はいったいどこからでるのか。本人が生活保護をうけているのなら国とさいたま市ということになる。生活保護ではなく、医療保険に入っている場合はどうなのだろうか。自傷行為の場合には保険の対象にならないという。自殺の意図があれば間違いなく自傷行為だが、自分だけは助かるつもりであったのなら…。生活保護を受けず医療保険も入っていないとなると、医療費は病院の負担になる。放火殺人事件は極端な例だが、最近、救急搬送される中には医療保険に入っておらず、結局病院が医療費を負担するようなケースがあってかなり病院の経営を圧迫しているのだという話もきく。
2019年08月04日
コメント(0)
京アニ放火殺人犯はいまだに治療中で聴取の時期は分からない状況だという。けれども、家宅捜索等で様々な証拠がでてきたとこにより、おぼろげながら動機のようなものは推測できる。犯人はやはり京アニの作品を見ていたらしい。犯行直前の行動はアニメ作品の聖地巡礼だったのかもしれない。アニメ原作の作品応募も出していたようだ。京アニの作品は女子中高生のきらきらした青春の日常を描いたものが多い。そんな青春とは無縁で高校進学もかなわなかった犯人はそんなアニメを見ることで、かなわなかった青春の幸福を少しでも間接体験したいと思ったのだろうか。いつから犯人がそんなアニメを見ていたのかはわからない。けれども時間は過ぎていく。気が付いたら40歳を超え、職場もない生活保護受給の身の上で、そこから脱却する目途もない。一方で、自分が憧れる世界を作っているクリエイター達は自分と同世代かそれよりも下の世代だ。アニメ世界の主人公たちはきらきたした青春を生きているのと同様、クリエイター達もまぶしいような生活をしているに違いない。瀟洒なマンションに住み、家族や友人に囲まれて面白おかしくすごしてやがる。このおんぼろアパートで鬱屈している俺とはなんという違い…。羨望は嫉妬になり、嫉妬は憎しみになる。そういうふうに勝手に想像していくと、今回の放火殺人も結局のところ、過去の無差別殺人とあまり変わらないように見えてくる。
2019年08月02日
コメント(8)
韓国ドラマ「被告人」を見終わった。熱血検事から被告人、死刑囚、脱獄…と韓国ドラマらしいジェットコースター的展開で高視聴率を記録したドラマだという。たしかに後半になるほど面白くなる。刑務所もの、脱獄もの、法廷ものといったジャンルにまたがるドラマで、前半やられっぱなしの主人公が後半にスカッと復讐するという定石も踏まえている。それにしても韓国ドラマは復讐物が多いような気がするがこれって国民性なのだろうか。そういえば日本の刑事ドラマにあるような定番シーン、復讐しようとする被害者の親族に刑事が「やめろ、そんなことは死んだ〇〇ちゃんも望んでいないんだから…」と言って復讐を思いとどまらせる場面は韓国ドラマでは見たことない。復讐不完全燃焼物語「さまよう刃」が韓国でリメイクされているようなのだが、これもどういう作りになっているのか気になるところだ。日本では7月に韓国ドラマのリメイク作品がいくつかスタートしたがいずれも低評価という。このうち「サイン」は韓国ドラマで観たが、法医学界を舞台にしたミステリーでよくできていると思った。ただ、本筋が有力政治家の娘の殺人事件で、そのため警察上層部が捜査を妨害するというものであったので、これが荒唐無稽にみえてうけなかったというのなら、むしろよいことなのかもしれない。「被告人」でも悪役は御曹司でそのため検察や警察の上層部から捜査に圧力がかかる。現実にこうしたことがあるかどうかはわからないが、ドラマではとにかく多い。
2019年08月01日
コメント(2)
全25件 (25件中 1-25件目)
1


![]()