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あと何時間かでやってくる2020年。気になることをざっと書いてみる。まず東京オリンピック。競技場の価格にエンブレムの盗作騒動、そしてまた招致疑惑に競技場変更問題とまるで狙ったように次々と難題が起きるオリンピックなのだが、本当に成功裏に終わるのだろうか。まあ、はじまってしまえば、メダルラッシュだの感動をありがとうだので嵐のような二週間の祝賀ムードになるのだろうけど…。次にさる皇族の方の結婚問題。これもさすがに2020年中には結論がでるのだろう。今でこそいろいろと批判や議論もあるようだが、これも、もしも、結婚ということになれば、報道は絶賛一色となるのかもしれない。さて、どうなることやら。第三に安倍政権であるが、アベ退陣はあるのかもしれないけど、自民党政権はゆるがないだろう。今年はれいわのようないわゆる「左翼ポピュリズム政党」の席捲が話題となったが、さほど続かないような気もする。今の日本で不満層の中核となりうるのはロスジェネ世代なのだが、この世代はものごころついた頃に、気の毒にも「冷戦の崩壊」を見ている。小中学生の頃に植え付けられた観念というのは強固で、この世代は案外に共産主義アレルギー、社会主義アレルギーの強い世代かもしれない。自分などは逆に小学生や中学生の頃に、社会主義はよいものだとかソ連はすばらしい国だとかいう教師がいたので、逆の観念があるのかもしれないけど。まあ、組合の強い公立中学だったから。最後におもいっきり日常生活とは離れた話題で、オリオン座のベテルギウスが超新星爆発間近かもしれないという。もともとが脈動変光星という終末期の赤色巨星なのだが、最近、不自然に光度を減じているという。来年とはいわずとも、素晴らしい天体ショーなら生きているうちにぜひ見たいものだと思う。
2019年12月31日
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今年のニュースをふりかえって思うところをまとめてみる。ニューストップに選ばれている令和改元とかラグビーワールドカップ。これはそもそも厳密な意味でニュースとはいえないのではないか。いずれも前々から決まっていたことが、行われただけのことであろう。すべて世はこともなし…である。それでは今年の世相を特徴づけたニュースとはなんだったのか。これを考えていくとどうしても犯罪事件に行きつき、そしてその特徴を見ていくと、80-50問題ともいわれる、中高年の無業者の問題にいきつくように思う。何年か前から頻発している「消えた老人問題」や年金詐欺のような事件も、こうした80-50問題と密接に関連しているのだが、今年はそうした年金詐欺にとどまらず、外に対して暴発した事件が目立ったように思う。元次官の子殺しも中年無業者が加害者ではなく被害者になった事件であるが、ひきがねは親に対する暴力と小学校を襲うという暴言だったようだ。殺された元次官の息子は事件の数日前に「俺の人生は何だったのか」と泣いたというが、そうした嘆きを共有している中年無職は多いのではないかと思う。また、池袋の交通事故を契機に「上級国民」という言葉も急速に普及し、市民権を得たように見える。中年無業者の問題の深刻さが浮き彫りになるとともに、上級国民という語に象徴されるような国民の間の分断も可視化され、認知されるようになった一年であったといえる。
2019年12月29日
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なんか既視感のある小説である。思い当たるのは吉屋信子の「紅雀」である。思慮深く内省的な孤児の少女と理解者である親友、そして意地悪な令嬢という人物配置がよく似ている。ただこうした人間関係は、これにかぎらず少女小説の定番のようなものなのかもしれず、金持ちの意地悪な令嬢なんてのがでてくる小説をあげろといえば、すぐに十くらいは思いつきそうである。こんなふうに既視感のある小説なのだが、一方でありえない設定もある。幼い孤児の少女を親切な青年が養父として育てるという物語なのだが、現実にはこれはないだろう。ただこの小説が出たのは1975年であり、幼女性愛も一般的には知られていなかったので、メルヘンとしてはこんな話もなりたったのかもしれない。それに物語の下敷きは戯曲「森は生きている」であり、親切な青年を孤児の少女を救う四月の精になぞらえているともいえる。そのほかにも、なぜ金持ちの家ではわざわざ施設から孤児をひきとって虐待したのかとか、なぜ孤児の少女は養父となった青年の家族には一度も会わなかったのかとか、普通に考えれば無理ありすぎな筋書きだし、途中で起きる殺人事件もいくらなんでも警察無能すぎのように思える。要するに、この小説は筋書きをみると、つっこみどころ満載なのだが、それをどうこういうよりも、繊細で美しい雪の描写とそれを背景にした少女の成長、そして心の変化を読み取るもののように思う。それにしても、この小説の背景になっている昭和の時代は、男性は煙草を吸うのが当たり前、女性は主婦になるのが当たり前、主人公の少女も友人も大学には行くものの将来の職業は全く考えていないようで、今から見ると全くもって昔日の感がする。
2019年12月28日
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未婚化の要因でよくいわれるのが男女のミスマッチである。具体的にはこれは女性が結婚相手に望む年収と現実とのギャップとして語られることが多い。何百万円の年収を希望しても実際にそんな要件を満たす相手は宝くじなみの確立だというように…。しかし、考えてみると、男女逆のミスマッチもあるのかもしれない。昭和時代の常識では専業主婦志向の女性というのはかなりいて、また、そうした女性を結婚相手として望む男性もいた。ところが今の時代、専業主婦志向の女性はいるのだが、そうした専業主婦を結婚相手に望む男性というのは急減しているのではないか。今日では専業主婦イコール勝ち組女性の王道にあらずというわけである。例えば、学校を出た後、ずっと家事手伝いをしているような女性との結婚はどうだろうか。昔ならそういう女性との結婚は普通だったのだが、今は「無職の女性」というだけで敬遠する男性が多いのかもしれない。だいたい今の時代ある程度能力があり、努力してきたような人なら、男女問わず仕事についているのが普通ではないか。それだけではない。依存的な生き方自体が今ではどうも嫌われるようだ。内親王の婚約内定者の方についても、世論は婚約内定者本人よりも、その母親の生き方に反発しているように見える。昭和時代なら女性が男性の経済力をあてにする生き方というのはけっこう普通だったし、容認されていたようにも思えるのだが。家事手伝いの女性に限らず、アルバイトしかしたことがなく、結婚後は専業主婦になる気まんまんという女性も結婚市場では嫌がられるのかもしれない。生活費をおんぶしてくるようなのはある意味、男にとっては地雷のようなものだし、料理の材料が何種類も市販されているような時代には料理上手や家事上手も昔ほどありがたみがない。そしてそうした依存志向の女性ほど婚活に熱心で、対象を虎視眈々と狙っている。その一方、自立ができている女性はどうかと言えば、こういう人は無理に結婚する必要は感じていないし、よほどの利点がないと結婚しないだろう。つまり奥さんの収入をアテにする男は対象外というわけである。まあ、そんなこんなで男と女はすれ違う。男は正社員があたりまえ、女は専業主婦が当たり前だった時代の方が婚姻率は高かった。おまけに、連日のように起きる親子間殺人や、発達障害児の出現率が6%なんていう報道。こうしたものも結婚し、子供を持つことを躊躇させるに十分だろう。
2019年12月27日
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IR誘致にからんでの現職議員の逮捕はIR誘致自体にも冷水をあびせるのではないか。この事件で贈賄側になったのはIR参入をもくろむ中国企業であり、IRについてはノウハウも実績もある外資系企業が入ってくるだろうことを改めて実感させた。ギャンブルにはすでに公営ギャンブルがあるが公営ギャンブルは文字通り公的機関が胴元となるギャンブルであがりの金は一応公的資金になることとなっている。これに対してカジノは民間企業が営むもので利潤は第一義的にはその企業の収益となり、公的にはせいぜいそこから税金を徴収するというだけのことだ。カジノを解禁している国の中には顧客を外国人に限定して外貨を獲得しようとするところもあるが、お人よしの日本人には外国人限定でぼったくるなんていう発想はそもそもないし、実際、顧客を外国人に限定するという議論もほとんどないようだ。…ということはなんのことはない。日本人がすった金が外資に流れるというだけのことで、そんなバカバカしいことをやろうとする政治家の真意がわかんない。これに関連してカジノには外国人観光客をよびこむ効果があるという議論がある。しかし、カジノなんかなくとも外国人観光客は激増しているし、京都などむしろ混雑が問題になっているくらいだ。また、カジノには経済効果があるという議論もある。しかし、カジノではなくIRといっているように、カジノを中心にホテル、レストラン、ショーなどがくっついている形態を想像すると消費はすべてそこだけで完結して周辺の商業施設に金が回るとも思えない。一方で、ギャンブルに伴う治安悪化というものは確実に起きるので、カジノを誘致している自治体の住民ははやく目を覚ました方がよい。最後にカジノではなくIR、総合型リゾート施設と言っているところにも注意が必要だ。総合型リゾートであれば、ギャンブルに興味のない人間も引き寄せられていく。よいレストラン、面白いショーがあれば人は集まる。そしてその中の何人かはギャンブルに入り、さらに何人かは悲劇というほどの経済的損失を被る。一見関係ないようだが今年生まれた赤ちゃんは90万人を割りこみ、過去最少になったという。こういう先細り型の社会というのは、子供や孫のいない人々が増えていくということだ。そこそこ金を持っていて、財産を残す子や孫もおらず、旅行も行き飽きているとか大儀だとかいう、そうした小金持ちがカジノの絶好のカモになるのかもしれない。
2019年12月26日
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今年から年賀状を出すのをやめる。少数の人に手書きで近況を知らせる賀状は出すつもりだが、印刷の紋切り型のものなどは資源の無駄だし、貰った方だってさしてうれしくはないだろう。よく年賀状は日本の伝統なんていうが、村社会の生活で完結していたような農村では年賀状なんていう風習が一般的だったとは思えない。年賀状の普及は都市に人口が集中し、サラリーマン世帯が主になった戦後の時代になってからであろう。ましてや郵便局員に年賀状の自爆営業押し付けなんていう話を聞くとますます年賀状に対するイメージが悪くなる。実際に金券ショップに大量の年賀状が持ち込まれるそうなので、そうした自爆営業が実際にあるのかもしれない。年賀状だけで何年も続いている人がいるが、たぶん親しく会う機会はもうないかもしれない。境遇が離れていけば共通の話題もなくなるし、引け目が会うのを妨げることだってある。それよりも、自分の生活圏の中で親しく付き合っている人こそが今の自分にとっては大切な付き合いなのだが、そうした人々とは会う機会もあるし、メールのやりとりもしているので、あえて賀状を出す必要もない。
2019年12月24日
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風土記はかつてはすべての国について編纂されていたのだが、今、残っているものは播磨、出雲、豊後、常陸しかない。このうち播磨国風土記は土地の地味や産物(自然に採れるもの)の列挙が多く、あまり面白くない。優秀な役人が作成した行政資料といった感じで、散逸した他国の風土記もこうしたものが多かったのかもしれない。これに対し、常陸国風土記は随所に美文調の箇所が見られ、物語として面白い。「まつろわぬ民」との抗争の話や、富士山に比べ山の神に愛された筑波山には頂上にもやってくる人が絶えない由来、松の木に姿を変えた美少年と美少女の物語など、編者は役人という枠を超えた相当の文人のように思われる。また、花や紅葉の時期には筑波山に上ったり、霞ケ浦に船を浮かべて遊ぶ様子もえがかれており、国司やその周辺の上流階級だけの楽しみだったのかもしれないが、今に変わらぬ楽しみが上古の時代にもあったのが興味深い。そしてこの時期の日本は国家としても形成途中で、地域によってかなり様相を異にしていた。常陸国風土記には土蜘蛛、佐伯などの「まつろわぬ民」との抗争の物語がよく出てきて、ちょうどこの地域が朝廷勢力の最前線でもあったことが伺える。これに対して播磨国風土記では半島との交流が頻繁にでてきて、古事記にも出てくる渡来神天日鉾命があちこちに足跡を残した様子を伝えている。出雲国風土記は最初に有名な国引きの話がでており、「くにこくにこ」といいながら「もそろもそろ」と引き寄せて…となかなかの名調子である。風土記の記述が考古学的、歴史学的研究成果とどう関係しているのかは知らないが、こうしたものを読んで、はるか昔、国家形成期にあった時代に思いをはせてみるのもよい。
2019年12月23日
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新幹線殺傷事件の犯人についていろいろとネット情報をみてみた。22歳の若くて健康な人間がいったいなぜ「一生刑務所にいるのが夢」というくらい現実の社会に絶望してしまったのか…そこがどうにも不可解だったからである。最近の40代、50代のひきこもりのからむ事件だったらまだわかる。40代、50代といえば、そろそろ人生の先がみえてしまう年齢だ。ゲームなどのヴァーチャル世界にもそろそろ飽きてくる、かといってずっとひきこもっていた中年のおじさんが職を探すのは容易ではないだろう。「俺の人生は何なんだ」と叫ぶのももっともである。しかし22歳というのはまだ人生のとば口ではないか。それがどうして、実社会の中で「刑務所よりもましな人生を送る」という当たり前の希望がもてなかったのだろうか。彼の人生をみていると、精神科の病歴が目に付く。幼少期に「発達障害」の疑い。小学5年生で発達障害の診断。中学二年のときに「自閉症」の診断。中学卒業後は自立支援施設で暮らし、優秀な成績で卒業したとのこと…。これだけをみると、「発達障害」が犯行の背景のようなのだが、「発達障害」というのは、軽度(高機能)まで含めれば、出現率は10%ともいわれ、しかも治療法はないという。こうした児童には、最近では、特別支援学級なるものも用意され、少子化にもかかわらず、そうした支援施設は満杯なのだという。けれども、こうした特別扱いで、はたして症状が改善するものなのだろうか。彼の場合は、逆に幼少期からの「発達障害」だの「自閉症」だのという診断が人生に絶望させ、また、親に対しても育児放棄の引き金になったようにも思える。精神科の診断が下す人生への絶望のようなものは農水省元次官の息子についてもいえる。19歳のときに「統合失調症」と診断され、「呪われた体。生んでくれと頼んだわけではない」と彼はブログに綴っていた。その後、診断名はアスペルガー症候群に変わったが、精神科の診断はこんなに簡単に変わるのだろうか。進行性の不治の病の印象の強い統合失調症と発達障害の一類型のアスペでは出現率も病状も違う。癌の誤診は大問題になるのに、精神科ではこんなに簡単に医師によって病名が変わるのも変だ。いったい精神科の診断というのはどうやっているのだろうか。これもネットで見てみたが、どうやら問診が主な手段らしい。しかし、医師とて神などではなく、偏差値の高い普通の人間に過ぎない。ある人間の性格や心理を理解するのは、親しい人間でも難しい。それが、何時間かの問診で、診断名をつけ、投薬も行う。画像や検査値など客観的な基準で診断する他の診療科と精神科は根本的に違う。絶望と偏見を生み出すだけの「疑似科学」と言ってしまうのは言い過ぎなのだろうか。もちろん精神の病でも、診断や治療の必要なものがあることはみとめるが、発達障害、アスペ、人間恐怖症、適応障害、睡眠障害など、昔はなかった病名が人口に膾炙していくのは、なんかおかしいのではないかと思う。ちなみに、ここ10年の医師の数をみると、訴訟リスクの高い産科や小児科は減っているのに精神科は1.5倍にもなっているという。
2019年12月22日
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日本はもちろん法治国家なのだが、「人を殺してはいけない」と書いてある条文はなかったように思う。ただ刑法の殺人罪の条文にはこう書いてあるだけだ。 第199条: 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。これは文章としては、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役になりたければ人を殺してもよいようによめる。ただ普通の人はそうしたものは望まないし、他の理由もあいまって、人を殺したりはしない。ところが、世の中は広いもので、「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」になりたいからという理由でわざわざ人を殺す人もいる。何年か前の通り魔事件では、「自殺は痛いのでいやだから死刑になりたい」というのが犯行動機だった。今回の新幹線通り魔殺人でも、量刑相場を計算して、無期懲役になりたいというのが犯行動機だったという。だから念願かなって無期懲役となったので被告人は法廷で万歳三唱をしたという。たぶん無期以上の判決で被告人が万歳をしたという例はあまりないのではないか。そこで被告人の人生にちょっと興味をもって調べてみた。登校拒否、親との不仲、ホームレス経験…被告人にとっては、現実の社会の方が刑務所よりも過酷だったのではないか。年末には小さな無銭飲食を行って刑務所に入ることを志願するホームレスがいるという。そうでなくとも、刑務所が最後のセーフティネットになるのではないかという予測もある。そうだとしたら、新幹線通り魔事件の犯人の動機はそうしたものの延長線上にあるのかもしれない。殺された方はたまったものではないのだが…せいぜい電車のホームでは前の方に立たないようにするくらいの用心がこれからの時代には必要なのかもしれない。
2019年12月20日
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共通テストの記述式は実施が見送られたという。採点基準が不明確、不公平といったことがいわれており、たしかに何十万もいる受験生の答案を同一の人がみるわけにもいかず、どうしても採点者による当たり外れが生まれる。ましてやその採点もアルバイトがやるとなると、とうてい受験生は納得できないだろう。入試の話など正直、当事者以外は関心がない。だからこそこんなどうみても問題おおありの話が実施直前まで進んでしまったのだろう。業者が行う模擬試験は多くの受験生が利用しているが、これは全然性格がちがう。模擬試験というものは、受験生という大きな集団の中での位置を確認するためのものであり、どのあたりを受験するかの目安に使われ、細かな点差は関係ない。記述式の答案をアルバイトが採点したって、おおまかな位置まで違うということはないだろう。ところがこれが入試となると全く違う。基本的に入試は同質の集団が一点二点を争うもので、当落線上付近に分布の山ができるのが普通である。だから今までの記述式はマークシートで足切りをした上で、大学の教員が採点していた。それでも実際の採点には不明確、不公平はあるのかもしれないが、そこは大学の先生が公平な目で見ることになっているのだから…ということで、諦めざるをえない。今度の騒ぎには、業者の利権もちらちらしているが、人生を左右するかもしれない入試の採点を業者に任せるなんていう施策をなぜ誰も止めなかったのだろうか。採点を請け負う民間業者と政治家との関係、政治家と官僚との関係、官僚と民間業者の関係などぜひ検証が必要なように思う。最後に記述式は思考力を見るもので、マークシートは知識を問うだけのもののように言う人がいるがそれは違う。思考力を問うか知識を問うかは問題の作り方であって、記述式かマークシートかは解答の仕方の問題である。
2019年12月18日
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東京からの日帰り行楽圏として三つの半島がある。房総半島、三浦半島、伊豆半島である。このうち三浦半島は一番小さく、そして近いのだが、何度行っても飽きない魅力がある。ゆるやかな丘陵の上に畑が広がっている光景をみると、それだけで三浦半島に来たんだなと思うし、海を見ながら車を走らせるのもよい。この間は逗子の披露山公園と横須賀の立石公園に行ってきた。披露山公園は三浦半島の西の付け根にあり、江ノ島と富士山の眺望が見事である。天候のせいか海がちょうど油絵で描いたような青色で、眼下には逗子市全景、向こうには鎌倉へと続く急峻な海岸があり、江ノ島の上には富士山が見える。そしてそこからしばらく南下すると今度は横須賀の立石公園がある。立石とは海の上に屹立する岩で、この岩の景観を中心として遊歩道や見晴台を整えたのが立石公園である。見る場所によって立石は表情を変え、園地入り口ではこちらを向いてすっくと立っていた石が遊歩道を歩き、見晴らしの岩からみると、背中を向けてうずくまっているように見える。
2019年12月18日
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元次官の息子殺人は知れば知るほどやりきれない事件である。エリート家庭の崩壊というだけではなく、殺害された息子もまたなんていう辛い人生だったのだろうか。発達障害を病気とか障害とみるのは個人的には疑問なのだが、人と関わり、絆を作るのが苦手という性格はたしかにある。おそらく幼児の頃から友人の輪に入りにくい、他の子と遊びたがらないなど、普通の子と違った特徴があったのだろう。そういう子供は小学校に入ると虐めの標的になりやすい。ただ小学校の頃は学力も優れていたし、友人と遊ぶこともなく勉強だけしていたら、ますます学力は向上する。虐められていても自分は勉強ができるから、頭がよいから、という逃げ場があるのでまだ安定していたのかもしれない。そして中学受験。入ったところは進学校には数えられているが、その上の国立やいわゆる御三家からは下で、彼についてみれば、学力の伸びしろはあまりなかったのではないか。そして友人のできにくい、人から好感を持たれにくい性格はそのままだったので、中学や高校でも虐めの標的になる。小学校の時と違い「勉強のできる子」というよりどころもない。虐められていることのうっ憤は、やがて家庭内暴力へと向かう。学校の中では弱虫のいじめられっ子でも、身体は成長し、母親を殴り倒せるほどになっている。エリート家庭らしく、母親は父親を尊敬し、息子もそうした空気の中で育ってきたので、学力でも周囲から遅れ始めてきた劣等感は母親をバカよばわりすることで多少薄らぐことになる。「愚母を殴り倒した快感」は忘れられず、その後も母に対する家庭内暴力は続く。キャリアの迷走は高校をでてから始まる。アニメ専門学校、私大中退、別の大学編入、大学院卒業、パン専門学校、コネ就職の挫折。見えてくるのは挫折の連続ばかりである。その一方で順調に人生を歩んでいる父親に対する尊敬とコンプレックスはどんどん膨らんでいったのではないか。これが老齢の父親に対する暴力で突如均衡が崩れ、殺人事件になった。父親も悲劇なのだが、挫折、虐め、コンプレックスしかなかったような息子の人生も悲劇である。立派な父親をもったこと、その父親が献身的に愛情をそそいだ非のうちどころのない親だったこと、かじるべき太い脛があったことが、逆に悲劇だったのではないか。友人ができず人付き合いの苦手な性格の人も少なからずいるし、能力だって人様々だ。身の丈に合わせてものごとに挑戦し、そしてそれなりの達成感を持つ。人生の喜びはそんなところにあって、もし、息子もダメ親の困窮家庭の下に生まれていたら、自分の給料でささやかなぜいたくをする楽しみくらいはもてたかもしれず、また、それで満足できたのかもしれない。
2019年12月15日
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昔々NHK人形劇「新八犬伝」を楽しみに見ていたことがある。で、その主題歌にこんな歌詞があった。めぐるめぐるまわる因果は糸車まわるまわるまわる世の中風車~まあ、記憶違いかもしれないけど、世の中は因果報応、俺には関係ないと思っていたことだって、おもわぬところで関係してくることだってある。行政官僚のトップにいた元事務次官がひきこもりの息子を殺害したニュースをみながら、こんなことを思った。息子は進学校を出た後、アニメ専門学校、さる私大の建築学部中退、べつの私大の文系学部を出た後、そこの大学院を卒業して、その後は特に就職はせずに、ひきこもり生活をしていたという。大学院重点化政策とやらで、就職を度外視して私立大学にポコポコ大学院を作った。雇用の多様化とやらで、正社員への門がどんどんと狭くなっていった。息子は、いい年で大学院を卒業しても就職は極めて難しく、ゲームに没頭していたが、さすがに40代半ばにもなると、それもむなしくなってきたことだろう。「親父は思い通りの人生だったけど、俺の人生はなんなんだ」と息子は殺害される数日前に号泣したというが、彼と同世代で同じような思いを抱いている人は多いのではないか。彼もまたロスジェネ世代である。元事務次官は教育政策や雇用政策を扱う官庁ではなかったが、次官会議の場で重要な政策の形成過程はみていたことだろう。俺の息子は不出来だが金にあかせて学歴をつければなんとかなる…なんてそのときには思っていたのかもしれない。俺は勝ち組だから、俺は能力があるから、貧困問題なんて関係ない。くやしかったら勝ち組になってみろ、稼いでからいってみろ、そんな議論が横行している。しかし、そうはいっても、世の中はつながっている。多くの人が貧困に苦しむ世の中、多くの人が不満をもっている世の中というものは、結局は自称勝ち組の人々だって不幸にするのではないか。いつまでも勝ち組だなんて思うなよ 息子娘のことはわからぬ
2019年12月12日
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少子化傾向は予想以上に進み、今年の出生数は90万人を切るという。夫婦の子供数はさほど変わらず、妊活なんていう言葉もあるくらいなのだから、出生数低下の背景はやはり未婚化なのだろう。生涯未婚率(50歳の時点で結婚したことにない者の比率)は、将来的には男29%、女19%になると予測されており、結婚はもはや「あたりまえ」のことではなくなってきている。しかも、生涯未婚率には短期間で離婚して子供もいないという人は含まれていないので、こうした生涯独身に近い人もいれると、その比率はもっと高くなる。それではなぜ未婚化は進むのだろうか。婚姻率と所得との関係を見ると、男性の場合は見事に所得とリンクしており、雇用形態でみると、正規雇用と非正規雇用の間の差異も大きい。女性にはこのような関係がみられないのは、既婚の女性で家計補助や趣味をいかした短時間の仕事をしている人が多いからだろう。ならば少子化傾向に歯止めをかけるためには、少しでも多くの人が家族を持ち、子供を育てられるだけの安心できる雇用の場をもつようにすればよい。まさに労働者を保護する労働行政の出番である。健康を損なうような過酷な勤務を規制し、超勤にはきちんと残業代が支払われ、職場を不当に解雇されることがなく、先進国として他国並みの最低賃金が保証される。もしそうしたことが実現できたら、婚姻率もきっと上がっていくだろう。ところが政府の行っている行政はまさに真逆である。労働法は民法の特別法でもあるのだが、なぜ労働法というものが必要なのだろうか。それは雇用者と被用者との間には隔絶した力の差があるので、契約自由の原則にまかせてはおけないからである。しかし、隔絶した力の差というのならコンビニのフランチャイズオーナーと本部の関係もそうだし、料理配達業者と料理輸送請負人との関係もそうだ。いずれも契約自由の原則に任されているのだが、特に後者など形だけ請負にした労働法の脱法にしか見えない。妻と交代して寝ないで24時間店を開けてろ、それがだめなら違約金何千万というのも酷い話だが、料理輸送請負人の報酬をガクッと一方的に下げるようなことがまかりとおっているのも酷い。ブラック企業はあいかわらず野放しのようだし…。普通の人が結婚して子供を産み育てるという社会ではなくなってきているのだろう。そういえば最近、妊婦を見るとわざとぶつかる人がいるという。結婚して子供がもてるほど安定した収入のある人を妬ましく思う人がそれだけ多いということなのかもしれない。
2019年12月11日
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韓国ドラマの「ネイルカンタービレ」を観終った。これは日本の大ヒットドラマ(大ヒット漫画)「のだめカンタービレ」のリメイクで、元の方は観たことがないので原作にどこまで忠実なのかはわからない。ただ、この韓国版は韓国版で十分に面白かったし、ラストもよかったと思う。「のだめ」は日本の女の子の名前なので韓国版ではソルネイルという名になっており、ネイルは「明日(来日)」と同音であり、ソルネイルはソルレバレ(はしゃぎ屋)やソルレイム(ときめき)との音の類似が随所でネタになっている。ネイルとユジン先輩との恋と音楽が物語の軸なのだが、ともに天才音楽家という共感しにくい設定がネイルの天然キャラぶりと二人とも音楽家として「弱点」(ネイルはコンクール恐怖症、ユジンは飛行機恐怖症)を抱えていることで身近なものとなっている。 ネイルの天然ぶりとともに、ユジンのオレ様キャラもこのドラマのカギなのだが、ユジン先輩を演じたチュオンは、もう他の役が考えられないくらいハマっていた。このチュオンは日本でもリメイクされた「グッドドクター」で、子供の心を持つ天才医師を演じていたが、長身と男っぽいイケメンぶりが役柄のイメージにあわず、日本でリメイクされたような小柄で童顔で俳優の方が似合う。チュオンは「グッドドクター」で演技賞を受賞したのだが、もともとのイメージや風貌とかけ離れた演技が演技者として評価されたのかもしれない。他の愛すべき音楽家の卵たちもそれぞれに個性ゆたかで、日本版の「ますみ」の名がそのまま「マ・スミン」になっていたのには笑える。ラストはその仲間たちもプロのオーケストラを結成することで、卒業後も音楽家として生きていくことができる希望が生まれるのだが、現実には音楽大学を出て音楽で生計を立てるのは本当に難しい。また、生計を立てることができても、それで有料のチケットが売れるというのはまた別問題だ。この間、区役所のホールで、さる交響楽団の無料の演奏会があったのだが、「出入り自由」なんて書いてあったせいか、子供の鳴き声やドアのあけしめの音が気になった。演奏していたのは、単なる趣味グループではなく、どうやらプロの方のようだったが、これではなんだか、演奏しているのが気の毒な気がした。
2019年12月09日
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定年退職をひかえた人のところにはよくマンション購入の勧誘電話がかかかってくるという。住むためのマンションではない。家賃収入を得るためのマンション購入の勧誘であり、中には、中目黒駅近くの学生用マンションなんていう具体的なものもある。定年後の生活費に不安を感じている人は多いし、現役時代と同じような感覚で生活したら年金だけではとてもたりない。かといって、毎月目減りしていく貯金額をみるのも不安だし、定期的な家賃収入が入ってくるのならどれだけよいか…こんなことを考える人は多いだろう。けれども、よく考えてみれば、マンションを購入して家主となり、家賃収入を得ようとするのは、新たに起業するのと同じようなものだ。そして起業には当然にリスクもある。マンション自体が老朽化していけば家賃も下げていかなければならない。店子が入らなくとも税金はかかってくる。メンテナンスの費用も負担しなければならない。また、いくら学生向けのマンションであっても、就職が決まらけれなそのまま家賃を滞納して居座る可能性もある。店子の失火や孤独死の場合はどうなるのか。そしてまた、さらによく考えてみれば、利益を上げる可能性が非常に高いものであれば、見ず知らずの他人に熱心に勧める必要なんかさらさらない。不動産業者みずからがマンションを経営すればよいというだけのことだ。知人は、様々な投資勧誘や儲け話があると、「そんなによいものならあんたがやれば」の一言で撃退していた。さる悪徳業者は顧客に高額な磁気ネックレスなるものを購入させ、そのレンタル料が年率6%にも上ると言って金を集めていたらしいが、そんなに世の中磁気ネックレスを金を払っても借りたいという需要があるのなら、わざわざオーナー募集なんかやらないで、業者自らが磁気ネックレスを購入してレンタル事業をやっているはずだろう。うまい話なんか世の中にあるわけがなく、たとえあったとしても、赤の他人にそんなものを教えるわけがない。
2019年12月07日
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大学入試における英語の民間試験導入見送りに続き、共通テストでの数学、国語での記述式試験導入も再検討されることになるという。おそらく流れからすると見送りになるのではないか。この数学、国語の記述式導入についても、民間の業者が入り込んでおり、そしてここにも、入試に関する膨大な利権の匂いがする。各大学単位ではなく、共通テストの採点業務となると、答案は玉石混合膨大な数に上り、採点はアルバイトに頼らざるを得ない。そしてこうしたアルバイトによる採点で公平性が担保できるのか、いやそれ以前に1点に鎬を削っている受験生が納得できるのか。記述式というのは、足切りの後に各大学ごとに行っており、やはり自己採点しづらい、公平性に疑問があるといった問題はあっても、まあ、その大学の先生かせいぜい大学院生が採点するのだから…と納得していたように思う。韓国では大学入試は修能試験で一斉に行われ、これがかの国らしく一大行事になっている。これはマークシート方式で、この試験で最高峰とされるソウル大学の合格者も決まる。外国の事情をそんなに知っているわけではないが、米国などでも大学入試はマークシートだという。採点のしやすさだけではなく、マークシート方式が公平だという認識があるのではないか。たしかにあてずっぽうにつけた回答がたまたま正答になる問題はあるが、その確率はすべての受験生に同じである。それにマークシートは単に知識を問うだけだという意見もあるが、単に知識を問うかどうかは設問の仕方であって、回答方式がマークシートか記述式かとは関係がない。記述式でないと本当の実力は測れないという記述式信仰はいったいどこからきたのだろうか。たしかに文章力そのものは記述式でなければわからないのかもしれないが、読解力はマークシートでも測れるものだし、そこで高得点を取るような受験生は概ね文章力もあるだろう。共通テストのように膨大な数の受験生を一律に採点しようとするのなら、その方式は結局のところマークシートしかなく、記述式は足切り後にやりたい大学だけがやればよい。大学入試で人生が決まるというのは誇張のようにも思うが、希望の大学に行けなかったから大学進学自体をあきらめたという人も知っている。英語の民間試験導入と同様、なぜ共通テストに記述式導入、それも採点を民間業者にまかせて…なんていう議論がなぜでてきたのか不思議である。この背後に民間業者の利権があるのだとしたら、利権に左右される教育行政など不要だし、文科省自体ももしかして不要なのかもしれない。
2019年12月05日
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どんなことにも立場上言ってはいけない発言というものがある。消費者担当大臣の「騙された方が悪い」発言などその最たるものだろう。確かにこうしたマルチ商法には騙された方が悪いという言葉がついてまわる。高利子のオーナー商法という、いわば欲につけこむ商法で被害を受けたわけだし、よく考えればそんな商品のレンタルが利益を生むとも思えないことくらい気が付きそうなものだ。ただ、その一方で、情に訴える勧誘、強引な勧誘で、知識にうとい高齢者層を狙ったとやり方は一概に「騙された方が悪い」ともいえない。まあ、一般人の間ではいろいろな意見がありうるのかもしれないが、しかし、消費者担当大臣だけは「騙された方が悪い」なんて言ってはいけないだろう。それはちょうど警察庁長官が窃盗被害者について「窓を開けっぱなしにして外出したのが悪い」と言っているようなものである。被害者を非難するのではなく、ドロボーを捕まえるのがあんたの仕事だろう。そんなこんなで消費者担当大臣の「騙された方が悪い」発言にはあきれるばかりなのであるが、ちょっと驚いたのはその消費者庁からジャパンライフに天下りしている役人がいるとか…。なんだ、こりゃ。最初から消費者庁による処分を免れるために役人に天下りポストを用意したとしたら、消費者庁だって存在意義を問われるのではないか。大臣の発言に戻るが、「誰それから招待された」なんていう話があったら信じる方がどうかしているという話はもっともだが、桜を見る会の招待はそうしたものとは違う。桜を見る会は一応社会に貢献した人を招待することになっており、そうした招待状を見せれば、公的機関がお墨付きを与えた信用できる会社だと思ってしまうのも無理もない。単に総理との個人的交友をひけらかしているのとはわけが違うのだから。
2019年12月04日
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今年の流行語大賞は「ワンチーム」に決まった。あの「がんばろう神戸」以来、どうも流行語大賞は無難なものがえらばれる傾向がある。実際の流行語は「ダッチロール」、「逆噴射」のような事故、それに「総括」のような犯罪から生まれるものもあるが、そうしたものはオウム用語を排除したようにまず選ばれない。それに「上級国民」などは相当普及し、しかも、定着のきざしすらあるのにこれも選外だった。個人的に気に入ったのは「埼玉県民にはそこらの草でもくわせとけ」である。実際に埼玉知事選の選挙ポスターにも使われており、流行語としての使われ方もしている。「翔んで埼玉」の映画も面白かったが、興味深いのはヒットには必ずある二番煎じが全くなかったことだ。あの映画は首都圏のこまかな地名とディスリが笑えるのだが、ならば関西バージョンでの「翔んで〇〇」、「すべって▲▲」なんて映画がありそうなのに、そんなの作るきざしもない。そして「埼玉県民にはそこらの草でもくわせとけ」の変形「〇〇県民では▲▲させとけ」というギャグもでてこなかった。そう考えると、やっぱり埼玉は非常に特殊なのだろう。
2019年12月04日
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「幻滅」に引き続き、同じ巻に収録されていた「ウジェニー・グランデ」を読んだ。これは「幻滅」と違い、これだけで完結しているのでわかりやすい。表題は「ウジェニー・グランデ」だが、主人公はむしろその父親フェリックスであり、彼の金銭への執着と娘ウジェニーの初恋への執着がこの小説のテーマとなっている。そしてここでも多くの登場人物を動かす主な原動力は金銭であり、ウジェニーの初恋の相手は父の破産故に彼女から離れ、他の求婚者は財産故に彼女の周りに集まる。しかし、彼女自身は金銭には関心がなく、初恋が敗れてからは、名ばかりの結婚をして実質的な独身生活を送る。要するにこの物語は金銭欲に振り回される人物の中で、そうした欲には関心がなく、質素で平穏な生活を愛するウジェニー、その母、忠実な女中という三人の女性を配したわけなのだが、別に金銭欲に振り回される人物を批判的に、そして三人の女性たちを聖女のように美化しているというわけでもない。むしろウジェニーは支配的な父の抑圧の下に育ち、初恋の相手も自分を裏切り貴族の令嬢を結婚したことに幻滅して、非常に無気力な生き方をしている。そして彼女が熱心に信仰している宗教すらも逃避のようでしかない。ウジェニーはいわば物語の真空地帯であり、その周辺の金銭をめぐる人物像がこの物語の読みどころであり、そう思ってみると彼女らをめぐる登場人物はかなりえげつない。まず父は彼女に与えたはずの金貨に固執するだけではなく、彼女が母親の財産を相続するとその財産まで自分のものにする。もっと酷いのは彼女と名ばかりの結婚をした男で、彼女の死後に財産が自分のところにくるような法的手段を講じた上で彼女の死を待つ始末である。実際には彼女は父の財産を相続し、名ばかりの夫も彼女よりも先に亡くなるので、結果的に彼女は大変な財産家になり、財産目当ての求婚者が相も変わらず話題になるところでこの物語は終わる。
2019年12月02日
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桜を見る会の招待状を「信用させるために」使っていた悪徳業者がいたという。社会問題となっているマルチ商法である。世間普通の人々のイメージでは「桜を見る会」も、それ相応の人が招かれているとみるだろうから、そのれっきとした招待状を受け取ったような業者なら信用してしまうのもむべなるかなである。これだけでも政権の罪は重いし、営々と貯金してきた老後の財産を騙し取られた人々の痛みを少しは想像してみればよい。欲に付け込まれたとはいえ、老後不安というのはそれだけ深刻なわけである。閑話休題厚労省が作成し使われずに回収されることになった「人生会議」のポスターにはなんと4000万円以上もの金がかかっていたという。さほど売れっ子芸人を使っているわけでもないポスターにかかる費用としては高すぎるのではないのだろうか。おまけに芸人の所属は吉本興業である。なんかこのあたりのポスター作製、そしてその費用設定の経緯も検証が必要なのではないのだろうか。吉本興業については巨額の助成金が政府からでていることや官邸との親密さも言われている。しかしこれは「笑い」を売る企業としては、大切なものを失う所業ではないのだろうか。笑いの大きな要素は風刺である。名君だろうが暗君だろうが、庶民はいつも権力者を風刺して笑いの種にしてきた。その風刺は庶民の側の大きな怒りに発展することもあれば、権力者が身を処す指針にもなってきた。風刺を通じての権力とお笑いとの緊張がなくなれば、お笑いは自然につまらぬものになっていくのではないのだろうか。
2019年12月01日
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