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明日、新元号が発表されるという。新元号についての予想はいろいろとなされているが、以下のような要件があるらしい。すなわち…SHTMの頭文字は使わない。漢字二文字だが小学校で習う画数の少ない漢字とする。よい意味であるが、熟語として常用されているものや、人名や企業名にあるものは避ける。これにすでに使った元号は避ける、最近使った文字は避けるという要件もあり、おのずと限定されてくるように思う。しきりに予想にでてくる安という字はかえって使わないのではないか。光、栄、開などは使われそうだが、案外、過去に元号に使われたことのない文字が出てくるかもしれない。祝賀ムード一色の改元もおそらく史上初めてだろうが、これだけネットの普及した時代の改元ももちろん初めてである。たぶん新元号で一番警戒しているのは「口さがないネット民」のけちではないか。過去の元号と同じ文字を使えば、この文字を使った元号の時にはこんなことがあった、あんなことがあったという意見が必ず出てくる。数日前に某紙で予測した「光安」もコウアンという音が元寇のあった弘安の役に通じる。前例のない文字と音ならそうした意見は出ないだろう。それにしても新元号についてはちょっと騒ぎすぎではないか。自身を顧みても、昭和の頃は元号で考えていたが、平成になってからは西暦で考えている。元号があってもよいが、新元号になれば、もっと多くの人が西暦オンリーになるのではないか。公文書は元号表記であっても、国民に知らせる文書には西暦表記が要求されるだろうし、それが普通になっていく。新元号はどうでもよくない?なんでこんなに騒ぐのだろうね。こんなふうに思っている人も実はけっこういるのではないか。
2019年03月31日
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人間の思考には大きく言語思考と数量思考がある。それぞれに長短があるのだろうが、正確さと言う点では数量思考の方に軍配があがるだろう。別の言い方をすれば言語思考の場合、すぐに人は騙される。失念といえば聞きよい物忘れ…というのは古典的川柳だが、先の大戦でも敗戦を終戦、占領軍を進駐軍、敗退を転進、全滅を玉砕と言っていたのは記憶に新しい。さて、目についたこのニュース、これも一種の言いかえではないのだろうか。中高年の引きこもり数61万人超えというニュースである。https://my.plaza.rakuten.co.jp/diary/write/この中高年の引きこもりの定義は40歳から64歳でほとんど家から出ない人ということらしいが、その61万人の実態を見ると「男女比だと、その4分3は男性。理由は人間関係がうまくいかなかった、病気などに加えて最も多かったのが退職」だという。なんのことはない。61万人のうちのかなりの部分は失職して家にいる人たちと言うことになる。日本の統計では直近何週間かに求職活動を行わないと失業者にはカウントされないが、「引きこもり」と分類される人々のかなりの部分は就職をあきらめた長期失業者なのではないか。こうした人々を「引きこもり」と呼ぶと、メンタルや生き方も含め、本人の問題と聞こえるし、「長期失業者」と呼べば雇用の問題になってくる。実際には61万人の内実は両方あるのだろうけど、「引きこもり」と「長期失業者」では印象がずいぶん違う。そしてこのニュースでは、「親と同居する未婚者の増加と強く連動」という専門家の指摘を紹介しているが、これも「長期失業者」ととらえれば当たり前のことだろう。失業状態では結婚は難しいし、生活費も工面できないため、親と同居せざるを得ないだろう。親と同居していることも、未婚であることも、長期失業の原因ではなく、結果である。
2019年03月29日
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千鳥ヶ淵の桜を見に行った。最初は靖国神社の標本木をみて、靖国通りから千鳥ヶ淵緑道に入る。平日でよかった。週末なら人が多く、ベンチに座るどころか立ち止まるのも難しいくらいかもしれない。満開といえば満開なのだが、正確には満開直前だろうか。風の中でも花は散ることもない。このところ寒い日が続いているので今年の桜は意外に長持ちかもしれない。満開を迎えた桜はやがて花吹雪になる。花吹雪の千鳥ヶ淵も行ったことがあるが、お堀一面が花筏になり、大抵報道写真になるのもこの頃だ。そしてもちろん大変な人出。大勢で観る桜もよいが、今回は緑道の中のベンチに腰掛けることもできたし、ゆっくりと桜を鑑賞できた。そしてここでも耳についたのは外国語だ。四声で音を区別する言葉はその構造上、ささやき声が難しいのかもしれない。なんかぼそぼそとしゃべる日本語を圧倒しているように思う。桜の風情は日本人にしかわからない…なんて言っていたのは今は昔。今や桜の美も人類共通の財産なのだろう。
2019年03月29日
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「失われた時を求めて~囚われの女」を読んだ。この巻以降は作者の死後発表されたもので、原稿も弟子が整理したのだという。そのせいか随所に「死んだ」とうわさされた人物が同じサロンに出席しているなどの矛盾があるし、はなはだしきはタイプ原稿が空欄ということで作中の地名などが空白のままになっている個所もある。ただどうしたわけか、この巻は小説的には俄然面白くなっている。今までは主人公はいわば語り手であり、そして内容も社交界の会話を延々と描写した部分が多い。それはそれで面白いのだが、当時の話題となっている政治家や芸術家に関するものが多く、注釈なしではよくわからない。そして主人公の「私」も影が薄い。父は政府高官という裕福な家庭の出身であるらしい。文学青年というだけで特に仕事をしているわけではない。ただ、才能もあり頭もよいという評価を社交界で得ており、自分の原稿が没になってもさして落ち込んでいるというわけではない。優雅な高等遊民という感じである。ところがこの巻から主人公が動き出し、リゾート地で知り合った女性とパリで同棲を始める。同棲した女性を重荷に感じる心理と嫉妬をかきたてられ恋情が再燃する心理とが「私」の側からこれでもかこれでもかと描き出される。恋人からみれば、身勝手極まる男なのだが、意識するせざるを問わず、男性の恋情には程度の差はあっても、こうした身勝手な部分はあるのではないか。同棲にまで至った女はすでに征服された「囚われの女」であり、退屈で重荷に感じるだけというような…。一方で女性の場合は「囚われの女」となってから恋情が本格化してゆく。「私」が同棲している恋人を夢実現の障壁と考え、彼女との別れを決意したとき、恋人は突然姿を消す。いったい何故消えたのか、彼女は今後どうなるのかというのが次巻以降の小説の興味になってゆく。こうしたストーリーとしての興味をかきたてるつくりも、今までの巻にはなかったものだ。さて、次の巻を読むのが楽しみである。
2019年03月28日
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映画「翔んで埼玉」は埼玉をディスっているとされているが、実は埼玉よりももっとディスっているところがある。それはへき地である「秘境グンマ―」と「納豆しかとれない茨城」である。埼玉のさらに奥にある「茨城」という話は原作の漫画にもでてくるのだが、「秘境グンマ―」って?実は2年ほど前にコミケに行ったとき、この「秘境グンマ―」の漫画が置いてあったのだが、今この秘境グンマ―で画像検索すると、なんだこりゃ…という画像が次々とでてくる。映画の中に秘境グンマ―の空にプテラノドンが飛んでいる場面があったが、元ネタはネット上にあったのかもしれない。さらに検索していくと、北関東三県については裏関東なんていう言い方もでてくる。表に対しての裏…なのだが、この響きはなにやら差別的だ。そういえば、かつて普通に言われていた裏日本と言う言葉も最近では聞かない。グンマ―の空のプテラノドンだけではない。映画「翔んで埼玉」には様々な見る人が見ればわかる小ネタがちりばめられている。東京でも住む場所で格付けをする映画の最初の場面で、警備だから狛江か町田というのも、なるほどである。小田急線は路線を宅地化しながら西方に伸びていったので、成城学園をすぎるととたんに畑が目につくようになる。すぐに玉川を渡ると、延々と神奈川県が続き、町田になるとなぜか東京。つまり狛江とか町田は言われてみると「なんちゃって東京」で、そこが面白い。浦和と大宮の喧嘩を与野が仲裁というのも三地域の位置を知っていると笑えるし、埼玉はせんべい、饅頭、ネギとでてくるのに、千葉は海とピーナツ(実際に食べるのは千葉でも中国産)、神奈川はシュウマイだけというのもなんだかなあ、でもおかしい。さすがに映画館にもう一度行く気はしないが、DVDになったら小ネタもチェックしてみたいと思う。
2019年03月27日
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名古屋で起きた夫婦殺人事件は大方の想像どおり息子の犯行のようだ。そしてやはり想像どおりの無職。名古屋市の港区がどんなところか知らないが、やはりけっこう地価の高いところではないだろうか。そしてニュース映像でみるかぎりなかなかの豪邸。裕福な家庭で大切に育てられた子供がどっかで挫折して家にいて…と考えるとやりきれない。ご夫婦も気の毒なのだが、世の中の誰ともつながりをもてない中で、唯一自分との絆をもっている両親を殺害した37歳の男の心の荒涼を思っても暗澹たる気分になる。新聞販売店の人に「両親は世界一周旅行に行っている」って。まあ、とっさの長期不在のいいわけにしても、あんまり頭がよさそうじゃない。大量の消臭剤をまいて、電気は夜もつけっぱなしにしていたって。電気をつけっぱなしにしていたのは殺害死体との「同居」が恐ろしかったのだろう。高度成長時代に育ち、ひたすらがんばってきた親世代の下で大切に育てられた三代目世代…。なんというか、同じように金を稼ぐ能力のない人間でも金持ち育ちと貧乏育ちは違う。後者なら生きていくためなら肉体労働もいとわないが、前者はそういうことはできない。なまじ親に経済力があるので、いつまでもいつまでも親に依存する。なんか昨今こういう形の親族間殺人事件がけっこう起きている。もちろん一方では、幼児虐待や遺棄もけっこう多くて、子供の数が増えているのに児童養護施設は満杯だともいう。
2019年03月25日
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韓国ドラマブームの火付け役となった「冬のソナタ」であるが、正直言ってこの頃は全くブームにのれなかった。だって、いくらなんでもありえないだろう、そんな話。たしかに映像は綺麗なのだが、美男美女の恋路に、難病、出生の疑惑、交通事故、記憶喪失と様々な障害がおそいかかるという話で、いまどき少女漫画でもこういうのはボツだろう。そんな韓国ドラマだが、はまるきっかけとなったのは「魔王」である。これもありえないストーリーなのだが、そのありえない話に説得力をもたせるのは演技力と映像の、音楽のよさ。いつのまにか波乱万丈の展開にはまっている。その後に見た「復活」「カインとアベル」「福寿草」もその路線である。ところが、最近見て、よいと思った韓国ドラマはそういう要素は少ない。「未生」や「グッドドクター」もそうだし、今見ている「記憶」もそうである。、「記憶」は、若年性アルツハイマーを患う弁護士の話で、この病気自体は希少かもしれないが、老年のアルツハイマーはかなりの人がかかる病気で、その分、記憶喪失よりもリアリティがある。そのせいか、「未生」や「グッドドクター」と同様に、これも日本でリメイクされている。「記憶」も最初の数話をみたところだが、これもお薦めのドラマである。今まで見た韓国ドラマでお薦めのものをここでまとめてみると…お金の化身 ありえない話だが、波乱万丈の展開の復讐ドラマとギャグがほどよくミックスされている。話数も長すぎず。蒋英実 実在の科学者を主人公にした史劇。日本の大河ドラマでもこんなのがあればいいのに…と正直思う。実際に伊能忠敬は地元がかなり推しているようだが。魔王 日本でもリメイクされたが、これは原作の方がよいと思う。韓国ドラマにはまる契機になったもの
2019年03月24日
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前から見たいと思っていた映画「翔んで埼玉」をようやく見た。大ヒット中の映画で、会場にはこの手の映画には興味なさそうな高齢者も多いのだが、ヒットする映画というのは得てしてこういうもので、最初は若い層で人気になっても次第に他の年齢層にも波及していくのだろう。それとも、この原作漫画が掲載されたのは何十年も前なので、その頃のファンも足を運んでいるのかもしれない。予想どおりに面白い映画だった。原作は短期間で未完に終わった漫画なので原作にしばられないのが、かえって実写映画として成功した理由なのかもしれない。埼玉ディスリとかいうが、むしろ映画全体の流れは埼玉礼賛ではないか…。見どころがないとか、名所がないとかいうが、埼玉は観光に行くところではない。住むところだ。そして持ち家率でみると、東京45.8%に比べ、埼玉は66.1%、ライバル千葉は66.3%である。また、高齢化率でみると、東京22.7%に比べ埼玉24.82%、千葉は25.86%である。まあ、想像をたくましくすれば、差別語っぽくて嫌な言葉なのだが「パラサイトシングル」は東京や古くから宅地開発が進んだ神奈川に多く、同世代でも自立している人は埼玉に家を持つのではないか。また、一方、こんなことも思う。差別され、通行手形を要求される人々。これは日本ではギャグなのだが、中国などでは現実ではないか。農村から都市への流入は制限されているという。そうだとすると、埼玉と千葉の人々が東京都庁におしよせるクライマックスシーンは、なにやらジレジョーヌのような階級闘争にもみえてくる。東京都とそれと手をむすんだハイソな神奈川対埼玉・千葉等。でもまあ、このあたりは深く考えずにギャグとして笑っていればよいのだろう。映画の最後にでてくる埼玉の歌もよいが、劇中にでてくる「なぜか埼玉」の歌がよい。耳についてすっかり「耳が埼玉」になってはまってしまった。ひらがな四文字の件名ならどこでもよいようなのだが、やはり平野が多く、先祖代々というのではなく勤務と住宅の都合で「なぜか住んでいる」人の多い埼玉でないとこの歌は似合わない。
2019年03月22日
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サリン事件から24年になる。報道では思いだしたように「事件を風化させるな」と言うが、こうしたものは過去の事件として風化していっていいし、実際そうなっている。犯罪にはいつの世にもあるようなものと、その時代に特異なものとがある。サリン事件をはじめとする一連のオウム事件は後者ではないのだろうか。オウム事件で最大の謎は実行犯の心理である。「生きる意味」や「人生の目的」を求めて彷徨っていた若者が教祖の強烈なオーラにひきよせられていった。強烈な憎悪も含め、精神的なエネルギーは人を惹きつけるものであり、教祖はその境遇故に、不条理な運命に対する強い怒りをもっていたのではないか…あくまでも推測であるが。これに対して実行犯は、あまりそうした逆境を感じさせる人は少ない。別の言い方をすれば、もし必死に努力して。必死に逆境を克服して頑張ってきたような人ならああいうものにひっかからなかったのではないか。いうなればああいう宗教自体が一種のぜいたく病である。平成7年はバブル崩壊後とはいえ、まだまだ豊かな時代であった。そんな豊かな時代のあだ花として咲いた毒花がオウム真理教だったのではないか。事件は風化してよい。けれども、被害者は現にまだ大勢いる。後遺症をかかえた人々も加齢とともに新たな障害がでてきたりしているかもしれない。
2019年03月21日
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元号はもともと中国で始まったもので、皇帝は人のみならず、時間までも支配するという感覚が根底にあるという。皇帝の権威と元号はその意味で切り離せないものである。日本も大君が天皇と呼称するようになり、中国皇帝と同格となれば当然元号が必要になる。日本で最初の元号は大化であり、これは大化の改新で蘇我氏の専横をしりぞけ、天皇に権力が集中したことと無関係ではないだろう。その後、日本の歴史で実際の権力者は移ろっていったが、元号の制定は一貫して天皇が行っていた。中世の歴史で天皇に一度だけ政治権力が戻ったことがあった。建武の中興である。この建武という元号は新の王莽から権力を取り戻した後漢の光武帝が付けた元号で、簒奪者から権力をとりもどし、その政体が永続することをねがった後醍醐天皇の願望が背景にある。ところが建武の新政は周知のとおり短命に終わった。一世一元になったのは明治以降で近代化を急ぐ明治政府は天皇を国家の求心力にしようとした。教育勅語や国家神道の形成とともに、一世一元も天皇と元号とのつながりをより密接にするという意味でその一助となったのだろう。元号を日本の伝統という人は多いが、一世一元は明治以降のもので、江戸時代までは凶事があると元号をくるくると変えていた。明和の元号が「迷惑」に通じるからと8年で終わったのも有名だ。それでも、元号は天皇が決めたということと、中国古典からとるという原則はかわらなかった。ところが、平成の次の元号は「出典を日本古典からとる」とか「有識者の意見を諮る」とかいった今までにないことが行われている。こうなるとどこまでが伝統なのかわからない。そもそも元号って必要なのだろうか。官公庁は法により元号を使うにしても、一般では元号離れが急速に進むような気がする。
2019年03月19日
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オリンピック誘致の贈賄疑惑で竹田会長が辞任したという。贈賄には多額の金がいる。それに印象だが、竹田氏はワンマンといった雰囲気ではないし、その高貴なご出自故にトップにおかれただけの人物のようにもみえる。仮に贈賄があったとしても、竹田会長が一人でやったとはどうしても思えない。国会では統計疑惑が議論されているのだが、統計がどういうふうにゆがめられたかの報道があまりないのは不思議だ。全数調査のはずが実際には調査されていなかったところがあるということであれば、それは単なる怠慢によるものなのか、なんらかの結果を操作する意図があったのか否かが問題になるのだが。アポ電強盗の事件も大きく報道されているが、高齢者世帯が増え、そして低金利などが背景だろうが、タンス預金も珍しくない時代なら、強盗を考えつく輩がいてもおかしくない。事前に電話で財産状況をききだしたのが新手口といえば新手口だが、一日中誰とも話をせず、話す機会に飢えている高齢者も多い。ついつい話にのっていろいろしゃべったとしても不思議ではない。そして芸能人の麻薬疑惑。こういう事件はいつも思うのだが報道のしすぎではないか。もちろん犯罪にはちがいないのだが、「被害者なき犯罪」であり、一度こうした事件をおこしても復帰している芸能人もいる。ワイドショーならともかく総合ニュースで大きく扱うようなことではないと思う。
2019年03月18日
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公開しているときから気になっていた映画である。それがビデオになったと知り、さっそく見てみた。なるほど、産業革命後、19世紀のヨーロッパの雰囲気がよくでている。そこで若きマルクスは終生の友エンゲルスと出会い、共産党宣言を書き上げてゆく…というストーリー。マルクスを美化しているわけではなく、戦闘的で、偏屈で、ちょっと金に汚い学者として描き、エンゲルスは、そのマルクスの才能を誰よりも評価する友人として描かれている。そしてラストの何分かはその後の世界史の様々な映像がでてきて、二人の思想が後世にあたえた影響の大きさを実感させる。でも、結論からいえば、映画館でみるほどの映画ではなかったように思う。それほどドラマがあるわけでもないし、マルクスの思想の背景やその中身がさして描かれているというわけでもない。もちろんこの映画がマルクス主義の宣伝になっているというわけでもない。まあ、宣伝だったらさぞかしつまらない映画になったのだろうけど。感想その1偉大な思想の生まれる背景には必ず多くの競争者がいる。マルクスの同時代人で、今でも名前の残っている思想家が何人もおり、社会の転換期にはそうした多くの思想家がでるものなのだろう。感想その2マルクスもそうなのだが、そうした思想家が生活できたのが不思議である。一生貧窮に苦しんだというが、かといってマルクスは労働者というわけではない。共産党宣言にしても、資本論にしても、今もしこういう本がでたら「飯のタネ」になっただろうか。ましてや出版市場のせまかった時代である。まさか貴族の妻の実家や工場主のエンゲルスの父親の援助を受けていたとは思えないし。感想その3産業革命後の労働者の悲惨と今の貧困とどこが違うのだろうか?持たざる者の意味が親の土地や工場ではなく、本人の能力に変わっただけのようにも思う。
2019年03月15日
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韓国ドラマ「グッドドクター」を視終わった。韓国で製作され、その後、ハリウッド、次いで日本でもリメイクされ、支持を得たドラマである。小児科病棟を舞台にサヴァン症候群(自閉症の一種?)の医師の成長をえがいたもので、小児の病気や家族の絆など泣かせどころも多く、そうした涙と感動の物語としてはよくできている。ドラマ宣伝に「大人のための童話」とあったが、たしかに童話なんだと思う。つまり主要人物は基本的には善人、そして基本的にはハッピーエンド。はらはらどきどきもなく、ほんわかとした気分で安心してみていられるドラマなのだが、自然と主人公の医師に感情移入していく。主役のチュウォン君ももちろんよい(製パン王キムタックで主人公のライバルを好演)が、チュサンウクがとにかくかっこよい。この間みた「華麗なる誘惑」ではヒロインの相手役をやっており、これも知的な役柄であったが、医師の役がこんなに似合うとは思わなかった。さらに「華麗なる誘惑」で悪役の新聞社社長を演じた俳優と政治家の未亡人を演じた俳優がほぼ同じような役柄ででてきたのも面白い。主人公のように医師としては天才的だが他の面では子供という人は本当にいるのだろうか。よく専門分野では秀でていても社交性ゼロとかそういう人はいても、ここまで極端なのはさすがにいないだろう。ただ人間の能力はでこぼこがどうしてもあり、同じ知的分野でも一分野に優れているが他はどうもという例も往々にしてあるので、一概には評価できないのかもしれない。
2019年03月13日
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英語の職業にはoccupationとvocationがあると習ったことがある。前者は社会で占める地位であり、後者は天職というニュアンスが強いという。なるほど前者の語源は占めるという意味のようだし、後者は「呼ぶ」つまり天から呼ばれたというのが語源なのだろう。職業生活は長くなると、職業については前者の意味よりも後者の意味を考えることが多い。天職といってもそんなに御大層なものではなく、生まれ持った能力や性格にあった身の丈にあった仕事という意味である。職業生活で思い通りにゆかないと悩んでいた時期と言うのは、もしかして身の丈以上のものを望んでいたのかもしれず、その「身の丈」は自分自身よりも他人の方が正確に評価していたというだけのことなのだろう。そして時間がたち、気の付いたら今の仕事に生きがいをもってとりくんできた自分がいる。会社の評価では出世コースではないのだが、「人の行く裏に道あり花の山」である。そしてもしかしたら自分もvocationに出会ったのかもしれないと思う。就職した当初はいわば「不本意就職」であり、職場がいやでたまらなかった。けれども、そうしたいやな職場はある意味、得難い人生修養の場でもあった。でこぼこ石も転がるうちには丸くなる。丸くなったかどうかはわからないが、時間がたつにつれて、よい出会いに恵まれることも多くなっていったような気がする。三月は出会いと別れの季節である。望んだような学校、望んだような職場に行けなくて落ち込んでいるという人もいるかもしれない。でも、学校だって、職場だって、世間の評価だけがすべてではない。自分にあっているかどうかということが何よりも重要であろう。世の中には望んでも進学できない人や就職のできない人もいる。学校に行けること、就職のできたことをなによりの機会と考え、できるだけの成長を目指して飛躍してほしいものである。
2019年03月11日
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去年のニュースで大きくとりあげられたものの一つに「大学入試の不正」がある。官僚の収賄?としての裏口入学に端を発し、医科大学が入試で女子や多浪受験生を不利に扱っていたことが問題視されたわけである。これについてどうにも不思議なのは、「大学入試の不正」が医学部以外に拡散する気配のないことである。女子や多浪以外にも、親の年収や補助金、卒業生の血縁など、入試の公平を左右しそうなものは他にもある。医学部以外にもそうしたもので合否を左右しているところは他にもありそうな気がする。ただ大学入試一般の公平性となると、スポーツ推薦や帰国子女優遇なども議論になりかねず、パンドラの箱をあけてしまうことにもなりかねない。そこで、問題を「医学部入試」だけにとどめているのだろうか。医学部については過去にも「裏口入学詐欺事件」などがあった。他学部ではそうした事件がないのは、医学部は将来の職業に直結し、しかも、切実に子弟を医学部に入れたいと望む層が一定数いるからだろう。このあたりどうもよくわからない。そもそも入試など通過点であってゴールではない。ところてん式に卒業できる大学学部ならいざ知らず、医学部には国家試験という関門がある。医学部で国家試験不合格を重ねる人がいるというが、こういうのはある意味、Fラン卒業よりも悲惨という気がする。そして、もしも、国家試験に合格したとしても、それも通過点である。医療ドラマの世界のように医師がしょっちゅう難手術を行っているわけではないが、医師は楽な仕事ではない。急患の少ないとされる眼科や皮膚科でも重大な疾患はあり、自分ひとりで高度な判断をせまられる場合もある。医師が高い報酬と尊敬を得ているのはそうした職業としての高度さのゆえだろう。もし自分だったら…医学部の裏口を持ち掛けられても絶対に拒否すると思う。(まあ、現実にはそんな可能性は皆無であったが)ゴールでもない通過点で不正を行ったとしても、その先の人生を考えれば決して幸福に結びつくわけがないからである。入試が公正さを失ったとき、それは不合格の受験生にとって不幸なだけでなく、合格した受験生にとっても不幸なのではないか。特に医学部の場合は…。
2019年03月10日
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法諺にあったかと思うが「法は家庭に入らず」というのがある。家庭はもっとも私的な空間であり、そこでの出来事については、むやみに行政や権力が介入すべきではないという点はほとんどの人が同意するのではないか。児童虐待防止に関して、親の子供に対する「体罰」を禁止する法案が検討されているが、これは「法は家庭に入らず」に反するのではないか。「体罰」を禁止するといっても、年齢が小さいと叩かないと分からないという場合もある。子供が危険なことをした場合、どんな親だって叩くのではないか。大きくなっても勉強をしないとき、手伝いを拒否したときににも叩くことがあるかもしれない。そもそも子供の時に一度も親に叩かれたことがない、親になって一度も子供を叩いたことがない人なんているのだろうか。現実に実効性がなく、そのくせ、ひっかけようと思えばほとんどの人をひっかけることができる刑罰法規…そういうのを「悪法」とよぶのではないか。もちろん、親は自由に体罰を行ってもよいということではなく、怪我を負わせたような場合は傷害罪になるし、それは、現行法でも十分に対処できる。そしてそういう対処が現実にはできなかったとしたら、それは「児童虐待を禁じる法律」がなかったせいではなく、こうした犯罪を見逃す体制の方に問題があったのだろう。虐待については傾向がある。母親の連れ子と継父との間で起こりやすく、この場合、母親も妻としての地位を守るために虐待を黙認することが多い。母が再婚した場合、昔なら祖父母が子供をひきとって育てるという例が多かったのだが、今の祖父母にはそういう余裕もないのかもしれない。そうだとすると、現在、三親等のおじおばだけに認められている親族里親(里親手当がでる)の制度を祖父母が再婚した娘の実子をひきとる場合にも認めることで児童虐待はかなり減るのではないか。それともそういう施策は、無責任な両親のために税金を使う制度なので世の中の共感を得にくいのだろうか。それならばせめて児童養護施設で、そうした事情の子供を受け入れるようにしてはどうなのだろう。実母とは別れても、継父の虐待に怯えるよりはマシだと思うのだが。「法は家庭に入らず」には二つの意味がある。そうした法はつくるべきではないという意味と、もう一つは作ったところで実効は期待できないという意味である。
2019年03月08日
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最近、河津桜をよくみかける。ソメイヨシノよりも早い時期に咲き、しかも色鮮やかで花期も少し長い。ただ、この品種は古くからあったものではなく、昭和30年代に発見された自然交配で生まれた種だということである。見ごろになると、本場の河津も大変な混雑なのだが、神奈川県松田町の松田山の河津桜もここ数年人気が出ている。富士山の眺望も楽しめるというのも人気の一因なのだろう。こうした新種の桜が出るあたり、植物の進化は人間よりもよほど早いのかもしれない。考えてみればソメイヨシノも出現は江戸時代ということで、大昔からあった品種ではないと聞く。古歌で桜とでてくるとソメイヨシノを想像するのだが、実際は別のものだったのだろう。源氏物語では紫上の美を樺桜に喩えている表現があるが、この樺桜というのも謎である。イメージとしては清純さと華やかさを兼ね備えたソメイヨシノのような桜がぴったりなのだが(夜桜は朧月夜の君)。この間の日曜日、さほど混まない河津桜の名所と言うことで三浦半島に行ってきた。京急の三浦海岸駅から歩いても行けるし、近くのホテルのレストラン等を利用するのならそこから歩いてもよい。線路沿いの桜がメインなのだが、少し歩くと小松が池という池があり、その池に映る桜もよい。梅に河津桜、しばらくすると桃、そして花見本番の季節を迎え、それが終わると芝桜…と花の見ごろをおいかける日々が続きそうである。
2019年03月07日
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最近、統計がいろいろと話題になっているのだが、最近、総務省統計局で修正エンゲル係数という数値をだしているという。検索すればでてくるのだが、これによると最近の「エンゲル係数」の上昇はなかったことになるようだ。いや、従来のエンゲル係数はたしかに上昇しているのだが、修正エンゲル係数、つまり総所得の中の消費の占める割合でとると上昇はみられない…というわけである。https://buzzap.jp/news/20190304-fixed-engels-coefficient/新指標をだすのはよいが、「修正エンゲル係数」というネーミングはまぎらわしいし、誘導的である。これでは今までのエンゲル係数は時代遅れで実態にあわない、エンゲル係数が上昇したからって貧しくなったのではありませんよと言う世論誘導にも見える。昨今の統計偽装と同根ではないか。経済統計指標のイロハとして数値は富裕層にひっぱられるとう点がある。平均を考えればわかるがとんでもなく大きい数字があれば全体の平均はかなりそれにひっぱられる。平均貯蓄がときおりニュースになるが、これも平均は全体を反映しておらず、実際に一番数が多いのは貯蓄ゼロ世帯であるというのは有名な話。この修正エンゲル係数も総所得となればそれだけ富裕層に数値がひっぱられ、食費の占める割合が減るのは当然の話だ。収入が年収一億の人がいたって、消費を年収100万の人の100倍するわけではないのだから。また、エンゲル係数の上昇は、食費に金をかけるようになったという人がいるが、本当なのだろうか。たしかに単独世帯や共稼ぎ世帯の増加で外食や持ち帰り用惣菜に頼る人は増えたかもしれないが、グルメブームは今や昔のはなしだし、こじゃれた店が閉店しサンドイッチ店が後にできるといった光景も身近には多いように思うのだが。
2019年03月05日
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東京マラソンを見に行った。といってもたまたま都心に用事があったので、沿道から見たというだけなのだが。朝から冷たい雨が降っており、去年に比べてあまり人が出ていないような気がする。先頭集団が過ぎ、市民ランナーばかりなのでこんなものなのかもしれないが、ここで走っているのは市民ランナーといっても相当のレベルの人ばかりなので真剣そのものだ。外国人ランナーも目に付く。この中には、あちこちのマラソン大会にでるレベルのスーパー市民ランナーと言うのもいるのだろう。さて、2時間ほど時間をあけて再び沿道に戻るとさっきとはだいぶ感じが違っている。タイムのずっと遅い人達で歩いているという人も多い。そしてコスプレもさっきよりもずっと多い。走ることによる自己表現が目的と言う人達なのかもしれない。ただし、雨のせいか期待ほどコスプレは多くない。考えてみると、この一年あまりそういうネタになりそうなものはなかったせいもあるかもしれない。フナッシーのような話題になったゆるキャラもない。富士山の世界遺産登録のあった年には富士山のかぶりものをしたランナーが何人もいたのだが、そういう話題もない。要するにコスプレねたになるようなものが、今回はみあたらないのだ。また、規制が厳しくなったというのもあるのかもしれない。宗教的テーマがダメと言うことでかっては話題になった十字架をかついだキリストも出なくなった。コスプレでは定番ともいうべき月光仮面や水戸黄門、それに走るサラリーマンなどもどっかで出ていたのだろうけど、直接は見ることができなかった。
2019年03月04日
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日本でもリメイクされて評判の「グッドドクター」のオリジナル版をみはじめた。主人公はサヴァン症候群の小児科医という設定。小児科だからそりゃ様々なドラマが起きる。その中で主人公は障害を抱え、どうやって成長していくのか…ということで今後の展開の気になるところである。ところで、多くの場合、リメイク版はオリジナルほどの評判にはならないのであるが、グッドドクターは日本版も評価は高かったという。医療については卓越した知識を持ちながら、他の面では子供のようにピュアという設定の主人公はたしかに童顔でどことなく中性的な感じの日本版の方が似合っているように思う。韓国版では、背の高い男っぽいイケメン俳優なので、演技力は相当あるにしても、やはりちょっと無理があるように思う。なにやらわけありげな主人公の生い立ちなど、しだいに目の離せない展開になっている。
2019年03月02日
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表記のようなふざけたタイトルの本を読んだ。まあ、数時間もあれば読める本だし、タイトルのとおり三億円事件の真犯人の告白という形をとった本である。売り方としてはかなりあざとい手法なのだが、こういう本はきっとそこそこに売れているのだろう。で、読んだ印象なのであるが、これは違うのではないか…と思った。犯行実行に至る心理などはかなり臨場感をもって書かれているのだが、想像でもこれくらいは書ける。それよりも、犯行に至る真犯人たる主人公の境遇や人間関係にあまり「生活感」が感じられない。「私」は大学生でアパートに暮らし、車を保有している。ただ大学には熱心に通っていたわけではなく、すぐに中退してしまう。でも…と思う。時代は昭和43年。この頃にはまだ大学進学率は低く大学生は一応恵まれた層といえただろう。ただその大学生ですら、車をもっているのは稀有だったのではないか。いったい「私」はどれだけ恵まれているのだろう。そして「私」と高校まで一緒だった親友で、定職がなく米軍基地などでアルバイトをしている警官の息子がでてくる。大学で知り合った女性は「私」をさしおいて親友と親しくなる。いくら打算のない女性でも高校を出て定職の無い若者と付き合うのだろうか?これもありそうにない。もう一つ。高校まで一緒だった親友はどうやら東京在住のようなのだが、「私」はなぜかアパート暮らしで、これも変。それに大学を辞めてからは生計をどうしていたかも定かではない。なんだかなあ…やはり創作なんではないかなと思ったのだが、ただ、本当の真犯人の告白である可能性だって全くゼロではない。関係者に迷惑がかからないように人間関係はぼかしにぼかすだろうし、一方では自分がなしとげた「凄いこと」を言いたくてたまらない気持ちもあるだろう。老境を迎えて後世に記録として残したいという気持ちもわかるような気がする。友人に借りて一気に読んだのだが、まあ、お金も時間もありあまっているのなら買うのもいいかもしれない。他にも読んだ人がいたら聞いてみたい。本当にこの人真犯人だと思う?
2019年03月01日
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