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この日記は政治ネタをたまに扱うことがあっても、特定の主張をするつもりはない。ただ現状について感想をのべるだけだ。選挙が終わった。そして様々な新聞が選挙についての事後報道をしているが、面白かったのは7月27日付の朝日新聞の記事だ。れいわ旋風についての記事であるが、「彼だけ勇気づけてくれた」という見出しの下に生活苦の中で1万円を寄付した50代男性の話などが紹介されている。はたして2議席と言う結果を「旋風」とさわぐほどのものなのか、そしてこの1万円寄付の男性のような人がハズレ値なのか広い裾野の頂上なのか、それはなんともいえない。ただ、れいわに投票したかなりの部分が無党派からというのも興味深い。以前にも書いたが選挙民はおおむね四つのクラスターに分類できる。知識層・政権に賛同的なA層、非知識層・政権に賛同あるいは強い不満はないB層、知識層・政権に批判的なC層、非知識層・政権に不満のマグマ層であるD層である。知識層とか非知識層というと反発する人もいるかもしれないが、これは決してIQの高低ではなく、日頃の政治への関心度といってもよい。イメージとしてざっくりと書くと大企業の経営者や管理職、現状に満足している専門職とかはA層、教員とか労組幹部とかで様々な情報に接した上で政権に批判的な人々はC層、政治にはさほど関心はなくテレビを主な情報源にしている人々はB層、生活に苦しさをかかえ政治に関心に持つ余裕もないし選挙にもあまり行かない人々はD層といったところだろうか。そして一人一票の民主主義政体下では選挙の帰趨を決めるのはB層とD層である。このB層とD層は境界が固定的ではなく、不満の矛先の向けようによっては親政権にもなりうる。あのコイズミ選挙の直前であるが、たまたま会社の用事で乗ったタクシーで運転手さんの言った言葉が忘れられない。「郵便局のやつらはいいおもいをしている。こっちも人間だから他人の庭に蔵がたっちゃうとおもしろくないんだよね」と。D層にもなりうる人々をB層にむける戦略は、これまでもあったが、本格的にD層が動いた選挙と言うのは今まではなかった。れいわ新選組の登場は、もしかしてD層が動くきざしなのだろうか。そう思うと興味深い。そういえば、既成政党でD層をターゲットにした政党は今までになかった。蛇足:ティッシュを配る30代男性のすぐそばで某政党のおじいちゃんが「憲法9条をまもりぬく」という看板をかかげ「ニッポンを戦争のできる国にしてはならないのです~」と演説をしている光景をみたが、あんなのはC層だけをみているわけで、それでは党勢が拡大しない、あるいは高齢化とともに衰退する一方だというのがよく分かった。
2019年07月31日
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京都アニメーション放火殺人の犯人とされる青葉容疑者の足取りが分ってきた。アニメの聖地を辿っており、あの風貌とあいまってやはりアニメおたくだったようだ。ただ、彼の家庭的にも経済的にも恵まれなかった成育歴を思うとアニメおたくと思うのには違和感がある。偏見かもしれないのだが、アニメおたくといえば、たっぷり保護される環境で育った運動嫌いの友人の少ない子というイメージだからだ。まあ、これは偏見かも、いやおそらく偏見だろう。京都アニメーションの作品は女子高生の「終わりなき日常生活」を描いたものが多く、そうした作品を当の女子高生ではなく、ずっと大人の男性が視聴している。だから女子高生のキャラはみなかわいらしく、微妙に男性の目を意識した作画になっている。そんなかわいい女の子たちが放課後ティータイムなどの時間をゆるゆるとすごし、「チョココルネは頭から食べるの?」「チョココルネってどっちが頭なの?」といった会話をする。高校進学すらかなわなかった放火殺人犯からすれば、等身大どころかあまりにまぶしい青春のような感じもする。でも、逆に境遇が辛かったからこそ、ああいったきらきらした青春の日常を描くアニメにひかれたのかもしれない。されど、時間は過ぎていく。若い頃はきっと夢もあったのだろうし、アニメのキャラや物語の投稿を行い、いつかはと思った日もあったかもしれない。しかし、実際には年齢とともに、境遇は悪くなっていく。ふと気がつくと、若さも夢も失った自分がいる。それが彼の場合、41歳という年令だったのではないか。一方、殺人事件の被害者であるが、元農林水産省次官の息子も、44歳になって、「おれの人生はなんだったんだ」と老齢の親に暴力をふるっていたという。ソーシャルゲームの世界では英雄でも、現実には40代の無職の男で将来もおそらくない。このあたり、境遇も成育歴も異なるが、放火殺人の犯人とも共通するものがあるように思う。昔から42歳は男の厄年という。それは、肉体も衰え始め、夢を見続けられなくなった自分自身に気づき、立ちすくむ年齢だからなのかもしれない。
2019年07月30日
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北朝鮮から「飛翔体」が飛んできた時、ゴルフをしていた総理は「安全保障に影響を与える事態ではない」と述べたという。そうなると、あのJアラートとかなぜか田舎でだけ行われていた「だんご虫ポーズ」の避難訓練って何だったのだろう。そういえば、北朝鮮ミサイルと少子高齢化を並べて「国難」だといって衆議院選挙まで行ったっけ…。いつのまにかミサイルは飛翔体と名を変え、安全なものになったらしい。どうも不思議な話なのだが、これについての解説はほとんどない。閑話休題ニュースには二種類ある。今までも存在したものが注目されて取り上げられるようになったものと実際に今までなかったものが取り上げられているものである。高齢者の運転による交通事故などはおそらく前者でたしかに高齢化を反映して増えていたものが、池袋の衝撃的な事故を契機にニュースにされるようになったのだろう。それではまたもでてきた議員のパワハラはどっちなのだろうか。議員と秘書と言う閉鎖的な主従関係の中で、こうしたパワハラはしばしばあり、それが「勇気ある告発」で週刊誌だねになるのか、それともやはり珍しいことなのか。渦中の石崎徹議員のパワハラ音声がネット上に公開されているが、なんか既視感がある。まあ、ここまではなかなか言わないけど、どこの職場にもいる職位をかさにきて学歴を誇示する「いやな奴」という印象である。パワハラといえば豊田真由子議員があまりにも有名なのであるが、こちらの音声(豊田真由子 音声で検索するといくつもでてくる)の方がずっと非日常的(歌やあかちゃん言葉のバージョンもある)で迫力ある。それはさておき、経歴だけの印象であるが、石崎議員と豊田議員は共通点が多い。どちらもエリート官僚出身で、二世出身ではない。つまり学歴、試験、偏差値などで人を序列づける思考法に慣れている。そしてその一方、使用人のいる家庭などは想像もできなかったので一対一の主従関係には慣れていない。かくして自分に一対一でつく秘書は、ずっと下にみてしまうのだ。このあたり、全くその通りではないのかもしれないけど、おおむねは当たっているのではないかと思う。
2019年07月27日
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最近のテレビニュースはどこの局も「お笑い芸人の闇営業問題」ばかりをやっている。ふつうは参議院選挙が終わったばかりなんだし、もっと政治ネタをとりあげるべきなのではないか。こういうのはどうみてもワイドショーで主に扱う話であり、そういう意味でも普通のニュースとワイドショーの境界が薄れてきている。で、この「お笑い芸人の闇営業問題」であるが、反社会的グループの会合にお笑い芸人が出席したというのが問題の核心らしい。これだけでは何が問題なのかいまいちわからない。お笑い芸人が反社会的グループの一員であるとか、あるいは反社会的グループの活動に協力したというのなら大問題であろう。例えば詐欺を行った会社の宣伝に芸能人が使われたような場合である。ところがどうもそうではなく反社会的グループの忘年会にお笑い芸人が参加したということらしい。忘年会にただ参加したとなると交友に近いものになるが、金を貰っていたのならお笑い芸人が「芸」を売ったという話になる。そうなると、その「芸」を売った相手が反社会的グループだということを知っていたかどうかが問題なのだが、振込詐欺グループが「振込詐欺会社」なんていう看板をかかげているはずはないので、はっきりとは知っていなかった可能性もある。そもそもそんなに外形的にも真っ黒なら、それが堂々と忘年会をやるなど法治国家ではありえない。また、事務所を通した営業ならよいが闇だから問題だという話もある。けれども、芸人の営業に事務所をとおすかとおさないかは、事務所と芸人の関係であり、社会にとっては関係のないことではないか。事務所をとおしてやったというのなら、単に芸人個人の問題ではなく、吉本興業全体の問題になるというだけである。この問題では、芸人の給料が安すぎて、お声のかかるところに行かないと生活できないという意見もある。まあ、こういうのは「芸人の労働」をどう考えるかで、芸人の報酬をコンビニ労働者などと同じ基準で考えてよいかどうかは正直わからない。聞くところによれば、某劇団で上演される舞台の群衆役は研究生として給料どころか逆に金を払って舞台に上っているという。経済活動と言う目でみれば、舞台は群衆役がなくてはなりたたず、群衆役も経済に貢献しているのだが、得るものはゼロ以下のマイナスである。そうしたものも世の中にはある。吉本興業の問題についてマスコミにでている話で一番驚いたのはこうしたお笑い団体が国から100億以上の補助金をもらっているということである。伝統芸能や芸術分野ならまだわかるが…下々のお笑いに国からの巨額補助だなんて。笑いにはいろいろな要素があるが、大きな要素は権力に対する「風刺」である。国からの補助金、そして官邸との交友で、お笑いの大切な部分が失われていくように思われる。そういえば、政治家の真似をして笑いをとっていたグループ、あれけっこう面白くて見ていたのだが、最近さっぱりテレビで見られなくなった。残念である。
2019年07月26日
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今回の選挙を評してれいわ新選組とN国党の躍進ということがいわれる。選挙期間中は全く無視していたのに終わったとたんにこの持ち上げようはなんだ…と思う。だいたい1議席や2議席とったのが「躍進」というほどのものなのだろうか。特にれいわの2議席については「重い障害のある人が国会に行く意義」という議論は別にして、実際にどのくらい活動できるか未知数のところもある。れいわもN国も次の参議院選挙のときには消える可能性だっておおいにある。ただ、こうした評価というものは往々にして願望とないまぜになる。そして躍進という取り上げ方はN国よりもれいわにより目立っているようにみえる。れいわ新選組を「躍進」とみたい願望の背景には何があるのだろうか。それは既成政党に対する不信、もっと厳しい言葉でいえば絶望である。昨日の日記で今の対立は左右ではなく上下だと書いた。この上下というと反発を買いそうなのだが、これは別に確固たる線があるわけではなく、知識層目線か大衆目線かといったことである。そしてこれと政権への賛同と批判(不満)の軸で選挙民を四つに分類すると、大衆目線・批判(不満)のところが空白のブルーオーシャンになっている。憲法9条、非核、反原発、LGBT、環境などのテーマは知識層目線のものではっきりいえば「うすっきれいなテーマ」にしかみえない。そうした中で、まあこういっちゃなんだが三流芸能人出身でホームレス炊き出しなどの活動もやっている政治家があらわれたら、まさに大衆目線・不満層のカリスマになるわけである。だって既存の政党は政権政党かそれにすりより貧乏人に上から金を撒くような政策を「成果」としたいコバンザメ政党、そしてまた、選挙に当選すること、政権を取っていい目をみることしか念頭になく、集票のために「リベラルのふり」をするくらいの烏合の衆政党、上から目線でうすっきれいな9条だの平和しかいわないようなサヨク、で、たまに風にのって何かやってくれそうだという期待を集める新政党…とこんなのしかないのだから。絶望、絶望で、政治への関心など薄れていくばかりである。いや、これは本音で、この日記でも本当に政治をテーマにするのはこれにてやめようと思う。
2019年07月25日
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最近よくポピュリズムと言う言葉を聞く。大衆迎合主義という意味で多くの場合、否定的ニュアンスで使用されているようだ。しかし、民主主義というものは、もともとポピュリズムなのではないか。ポピュリズムを批判している貴方は大衆ではないのだとしたら一体なにもの?ポピュリズムを批判している人は、どうも大衆と言う言葉に「バカな奴ら」という意味を込めているように思う。大昔の失言政治家の毛ばり発言と同じ感覚である。うまいことばかり言う野党に投票する人は毛ばりに釣られる魚と同じで知能が低いといった趣旨の発言である。けれども、うまいことばかりをいう野党にしても、大衆がそれを望んでいるという意思を表明できるのが民主主義の真骨頂ではないか。代表民主主義は選挙民が直接個々の政策を決定するわけではない。選挙で示された民意を基に、政権党が方向を決め、官僚が政策化していく。それが民意に沿わないものであれば次の選挙で負けるだけだ。その意味ではかの失言政治家が批判した野党、そしてそれに投票した「毛ばりでつられる魚」もそれなりの役割を果たしたと言える。今ではあまり言われないが、岸信介総理も憲法改正だけを悲願にしていたわけではない。「貧困追放」も政策の大きな柱にしていた。貧困を放置していれば日本が赤化するという脅威もあった時代であり、戦後の飢餓の記憶もなまなましい時代であった。その後も、政権党は変わらなかったが、その政権党の下で、労働者のための政策、福祉のための政策が着々と進み、一億総中流というほどの格差の少ない社会を作った。大衆は一枚岩ではない。批判を承知で分ければ、知識層と大衆(別に知識層との間に確固たる境界があるわけではないが)という軸、それに政権批判的、賛同的という軸を置くと、選挙民は四つの層にわけられる。知識層・賛同のA層、知識層・批判のC層、大衆・賛同のB層、大衆・批判(不満)のD層である。選挙でB層をターゲットにしてもポピュリズム批判が起きないのに、D層が動くとポピュリズムという声があがるのはなぜなのだろうか。それはともかく今までのサヨクとよばれる政治勢力はあまりにもD層に無頓着だったように思う。中年のジャンパーを着た男性がティッシュを配っている横で、「ニッ本を戦争のできる国にしてはならないのです~」と某政党の議員が9条擁護の熱弁をふるっていた光景は忘れられない。9条擁護、非核、反戦平和、女性、環境、LGBT差別反対もけっこうなのだが、ブラック企業、ワーキングプア、フリーター漂流、コンビニ奴隷などの問題になぜむきあわないのだろう。少なくとも一瞥しただけではそう見えない。今回の選挙では、ようやく正面から格差や貧困に向き合う政治勢力がでてきたかもしれず、それがかすかな希望のようにもみえる。新聞やテレビはみごとに黙殺し、過去の「新党ブーム」の扱いとは全く違っていたが、それでも今では大衆にはネットと言う手段がある。こうした政治勢力が拡大していくのか、触媒のように既存の政治勢力を変えていくのか、それとも閃光でおわるのか。それはわからない。そしてこれに対してポピュリズムという批判はかならずでてくるだろうし、ますます大きくなるかもしれないが、批判としては的はずれだろう。なぜなら民主主義とはそういうものなのだから。
2019年07月23日
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新元号になってから異常な事件が次々に起こっている。川崎市の通り魔殺人にはじまり、それに触発された元次官の息子殺し。そして拳銃強奪事件の次は犯罪史上最大規模の犠牲者を出した放火殺人。川崎の事件は米大統領来日中であり、今回の放火殺人は外国にも知られたアニメ会社のクリエイターが犠牲になった。いずれも、海外でも報道され、日本が犯罪頻発社会であるような印象を与えているのではないか。無差別殺人自体は昔から散発的に起きているものであるが、それにしても、三か月の間に二回も起きたとなると気味が悪い。そういえば拳銃強奪事件だって、逮捕が遅れていたら、やはり殺傷事件に発展したかもしれない。自分が犯罪を犯すことを想像したとしても、多くの人はそんなことは想像にとどめ、実際に犯罪の実行などはやらない。犯罪によって失うものが多いからだ。職業、金、友人、家族、世間の評価など…。ところが中にはそうしたものが全くない人もい。職業がなく、金もなく、家族や友人などのつながりのある人もいない、いても関係が極めて希薄という場合である。何も失うものがない故に、犯罪による制裁も怖くない人と言う意味で、そういうのを「無敵の人」という。「無敵の人」が犯罪へのハードルが低いだろうことはおそらく事実だろうし、それを偏見だというのは単なる言葉狩りにしかすぎないように思う。無敵の人の荒涼たる人生を想像すると暗澹とした思いにもなるが、こうした「無敵の人」による犯罪は今後も増えていくのだろうか。
2019年07月22日
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京アニ放火殺人の容疑者は現在重篤な状態にあり治療を受けているという。医師が治療をする場合というのは、通常は患者の回復を願う家族がいる。そしてそうした回復を願う家族らは回復した後の患者の人生がよいものであることも同時に願う。回復しても一生重篤な後遺症をおうのも不憫だという心情である。彼の場合にも回復を願う人と言うのはいるだろうけど、それは捜査を受け、裁判と言う手続きにのせるためだろう。そしてまた、彼の回復後の人生がよいものであるようにと願っている人は…はたしているのだろうか。つまり医師は必死に容疑者の治療にあたっているのだろうけど、それは捜査、裁判という手続きにのせるための治療であって、通常の家族らの必死の願いをせおっての治療とはずいぶんと違う。医師も、もしかしたら複雑な心境ではないのだろうか。そしてまた事件の真相といってみたところで、いまのところ共犯や組織犯罪の可能性は少なそうだし、京アニを狙った理由は気になるが、それもかの「チロの恨み」程度の動機しか語られないかもしれない。精神を病んでいる人のようだし。それは彼が生来特殊な人間だというよりも、職もなく、人ともつながりもないような生活が長い年月続けば、かなりの人がそうなるのかもしれないけど。はたして治療の結果、捜査や裁判に耐えられるようになるまで回復するのか、それとも治療のかいなくなくなるのか。はたまた第三の可能性だってある。治療してある程度回復するが、捜査や裁判にはとても耐えられないという状況が続く場合である。そうなればいつまでも税金で治療をしなければならない。被害者の遺族はそれこそ複雑な心境になろう。
2019年07月21日
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出演者は皆芸達者、映像もよい、ストーリー展開もスリリング…と映画の出来はとてもよい。主役以外はよく見る俳優というのはいないのだが、舞台等でそれなりに実績を積んでいる人々らしい。ただ見終わった後は重苦しい。官邸の意向で捜査が握りつぶされ、役人のスキャンダルがねつ造され、一般人も監視の対象になっていく。そして不確かな情報がネット世論を通じて拡散していく。手足となるのは雇われて書き込みを行うネット民だ。こうしたことがどこまで本当でどこまで嘘かはわからない。ただ映画では終始「官邸」は出てこずに、内閣情報室長の威圧的な姿が映るだけだ。そこがかえって気味が悪い。この国の民主主義は形だけでよい…という言葉が最後にでてくるが、それが為政者の本音なのだろうか。映画のタイトルは新聞記者であり、主人公もまた新聞記者なのだが、新聞記者もまた「権力と戦う英雄」というわけではない。やはり上からの指示によって記事がにぎりつぶされたり、誤報にされたりということがある。映画には、官庁の元局長と野党女性議員との犯罪でもない交友が、スキャンダルとして新聞に報道され、しかもその記事が全国のすべての版で同一の位置に掲載されているというエピソードもでてくる。新聞とて、つねに「権力と戦う」のではなく、ときには権力の手先にもなるということだ。小さな映画館での上映だったが観客は7割か8割方埋まっていた。「華氏119」に比べると政権批判はずっとひかえめなのだが、それでも主演を引き受ける俳優を探すのは難しく、大きな映画館では上映をしていないのだという。
2019年07月20日
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選挙まであとわずかなのに、テレビでは選挙関係の話題が少ないように思う。無党派層は寝ていればよい…なんてことを言った政権政党の政治家がいたが、まさか選挙ムードをもりあげるなという忖度があるわけでもないだろう。それにしてもさる解散したアイドルグループの元メンバーをテレビにだすなという事務所側の圧力があったとかなかったとかという話は、NHKの総合ニュースで延々とやる話なのだろうか。良い悪いは別にしてこういう話は昔からあったし、かのアイドルグループの元メンバーにしてもさほど傑出した歌唱力や演技力があるというわけでもないし、どうみても選挙前の今の時期にあれほどの時間をとっての報道は不自然だとしか思えない。そしてまた、昨日起きた放火殺人事件。これは文句なしに大ニュースなのだが、容疑者の氏名や背景がなんで報道されないのだろうか。これも忖度?あれも忖度?いけないいけない…どうも最近マスコミのニュース報道を見る目が疑り深くなりすぎている。
2019年07月19日
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韓国ドラマ「トッケビ」と「被告人」を併行してみていたのだが、最近は「被告人」に集中している。「トッケビ」がつまらないということではなく、「被告人」の方の展開が非常にスリリングで先がきになるからだ。「トッケビ」の美しい映像やストーリーも気に入っているので、こちらはこちらで「被告人」の視聴後にみるつもりなのだが。「被告人」は熱血検事が目が覚めたら妻子殺しの被告人になっていたというところから物語が始まる。もちろんこれでは荒唐無稽に過ぎるのだが、なんらかの理由で記憶を失った検事が徐々に記憶をとりもどしていくという展開になっている。本当に彼は犯人なのだろうか。記憶をなくした理由はなんなのだろうか。行方不明の娘はどうなっているのか。そしてまた、検事が妻子殺しの事件の起きる前から追っている人物がいる。双子の兄を殺害し、兄になりすましている大企業会長である。この俳優は「ファントム」でも悪役をやったのだが、今回は悪役とはいえ、一人二役の実質ダブル主演である。温厚な紳士の貌と凶暴なサイコパスの演じ分けが迫力ある。「トッケビ」は韓国の土俗的なトッケビや死神のイメージが背景にあり、ストーリーそのものよりも映像や音楽の美しさが生命なので、リメイクは意味がないように思えるが、この「被告人」の方はストーリー展開が生命なのでリメイク向きではないのだろうか。
2019年07月18日
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選挙が近いということで新聞等には選挙に関する情勢報道の記事も多く掲載されている。こういうものはどのくらい当たるのだろうか。興味深い。選挙報道といえばヒラリー対トランプの米大統領選挙を思いだす。予想は圧倒的にヒラリー有利で、日本の総理も選挙期間中にわざわざヒラリーと面会したくらいだ。ところが結果はさにあらず。マスコミも好意的に報道し、セレブなどの有名人の応援も多かったヒラリーが負け、マスコミがボロクソにこきおろしていたトランプが勝利した。得票数はかわらなかったものの、トランプが勝った州は日本人にはあまりなじみのない名称のところが多かったように思う。要するに産業や経済の中心ではなかったようなところでトランプは強かったのだろう。マスコミの報道もセレブの応援も選挙に強力な効果を発揮できなかったという意味で、この間の米国大統領選挙は画期的ともいえる。さて、日本ではどうだろうか。マスコミの予想どおりの結果だったら日本でのマスコミの影響力は健在、予想をくつがえす結果だったら米国の大統領選で起きたような現象が日本でも起き、マスコミの影響も限定的になったとみるべきなのだろうか。
2019年07月16日
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学生ローンで金を借りる学生が急増しているという。背景には親世代の苦しさがあり、少ない仕送りを補填するためには借金に頼らざるを得ないというわけである。もちろん借りた金というものは返さなければならず、それもまた負担となっていく。これをもって学生への給付型奨学金を充実しろとかいう議論がでてきそうなのだが、ちょっとまてよとも思う。今では日本の大学の数は700もある。そんなに大学生が増えていけば、中には分数の四則計算もできない者もいるという。分数の四則計算ができないというのはさすがに例外であっても、因数分解や二次方程式などの中学程度の基礎的学力すらも足りない者はかなりいるのではないか。そうなると大学教育などはいったい何のためにあるのだろうか。一頃、4年間のモラトリアムという議論があり、それはそれで一理ある気もしたのだが、借金をこさえてアルバイトにおわれてというのでは、モラトリアムの意味すらもない。そしてまた、冷静に考えてみると、大学に行ったために失うものもある。18歳から20代前半という人生で最も吸収力に富む時間と、その時間を他の事に使う可能性である。苦しく、また、危険もあるのだが、ワーキングホリディで外国に行けば相当程度の外国語を身に着けることができるだろう。専門学校で手に職をつければ、より手堅い就職ができるかもしれない。公務員の職種でも高卒の方が入りやすい職種もあり、そうした形で入ってから自力で大卒資格を得る途もある。大卒は恵まれているように見えても、それは上から下までをいっしょくたにみるからであって、正直、一定レベル以下の大学を出たとしても、それほどの利点があるとも思えない。むしろ大卒故に高卒資格の職種から排除されることもあるし、中小企業では逆に大卒故に敬遠するところもあるかもしれない。直接の知り合いではないのだが、某私大を出た後、民間企業に勤めたのだが、短期間で退職し、その後はひきこもっているという人の話も聞く。民間企業では「新卒切り」といって形だけ新人を採用しながら、極端な叱責を繰り返すなどして短期間で退職においやるところもあるというが、そうした企業にあたったのだろうか。そういう例をきくと、なにがなんでも大学に行くばかりがすべてではないという気がしてくる。
2019年07月13日
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日本の人口減少がとまらない。こうした人口の増減は有史以来繰り返されてきたもので、増加傾向にしろ減少傾向にしろ永久に続くことはない。最近でこそ少子化が議論になっているが、日本では明治以降昭和40年代頃まではむしろ人口の過剰が問題になっており、その過剰な人口を食わせるために大陸への開拓移民を国策として行ったし、それが戦後は南米への移民政策となったことは周知のところだ。そんな時代はそう遠い昔のことではないし、そうした時代を思えば人口が減るのは僥倖なのかもしれない。それにもし「日本人」がいなくなったとしても、近隣から多くの人々がやってきて定住するだろうし、現に定住外国人人口は増えている。従って少子高齢化と人口減少自体はさほど問題とも思えないが、その背景には興味がある。日本の少子化はだいたい三段階にかけて起きているのではないかと思う。第一段階は戦後豊かになっていくなかでの出生数の減少である。先進国共通にみられる現象で、乳幼児死亡率が低下し、一方で高等教育が普及していけば、少なく生んで充実した教育を与えようということになる。第二段階は女性の社会進出が進み、経済的になんとか自立できる人が増えれば結婚も人生の選択の一つになる。「オールドミス」といった結婚しない女性を差別するような言葉が死語になっていったのもこの頃だ。女性の晩婚化が進み、出生数はさらに減った。第三段階が女性だけでなく男性でも非正規雇用で勤務する人が多くなり、結婚についての二つのあたりまえが消えていった時代である。それは・結婚すれば男性が妻子を扶養するのがあたりまえ、・子供が生まれればまともに育つのはあたりまえということである。前者については、女性の寄生虫根性という見方もあるが、出産によって何が起こるかわからない女性にとっては、十分な経済力のない相手との結婚は不安要因でしかない。そうした結婚相手として選択できる男性が減れば、経済力ある女性はふさわしい相手を求めて、経済力のない女性は人生の一発逆転をかけて、結婚相手探しに必死になる。「婚活」や「妊活」という言葉が生まれたのは時代の趨勢だろう。しかし、一方で、子供が生まれても、自分と同じように就職で苦労するとなれば、子供を持つことに二の足を踏む人も増える。昨今の親子をめぐる不幸な事件は、子供が無職や不安定雇用になる危険はエリート家庭も例外ではないことを知らしめた。子供を持つことに不安を感じるような社会であれば結婚したいと思う人も減る。最近の少子化は夫婦間の子供が減っているのではなく、婚姻率そのものが減っているのが大きな要因である。将来の生涯未婚率は4分の1ともいわれ、未婚もまた普通の生き方になっていく。社会を本当に意味で変えていくのは少子高齢化ではなく、この未婚化という現象ではないのだろうか。人類にとって前人未到の領域である。
2019年07月12日
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ハンセン病家族訴訟で国が控訴を断念したという。某新聞が国の控訴の方針を報道した後なので、選挙対策だけでなく、某新聞に誤報をさせることも目的だったのかもしれない。たしかにハンセン病患者の隔離によって親と引き離された子供も被害者だろう。ただ、家族といえば、そうした「親と引き離された子供」だけではない。患者の親もいれば兄弟もいる。当時はハンセン病は伝染病として最も恐れられていた。それは今でこそ笑い話のようなのだが、さる行政機関に勤めていた人から、ハンセン病患者からの申請書類は手袋をつけて怖々扱ったということも聞いたことがある。そんなに大昔の話ではない。家族の中にも隔離を望んだ人がいたのではないか。それは今でも、精神疾患などで入院している患者が家族の拒否で退院できないということと似たような状況が、ハンセン病患者についてもあったのかもしれない。報道ではどうしても、患者である親と引き離された子供の体験などに焦点をあてるのだが、そうした家族ばかりではない。患者の隔離にはすべてではないが手をかしていた家族もいたのではないか。ハンセン氏病患者の隔離がなぜこれほど長引いたのだろうか。もし、当時は存命で元気だったであろう患者の親や兄弟がもっと声をあげていれば状況は違ったのではないか。こんなことも考える。
2019年07月10日
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最近、人生百年時代という言葉をよく聞く。平均寿命が延びたのは事実だが、人生百年というのはいくらなんでもおおげさだろう。やはり90代で寿命の壁があって、喪中欠礼通知をみても、100歳以上で亡くなったという通知はあまりない。そしてまた、一方では、比較的若い年令でも志望もあるので、「人生百年時代」なんてのは、上の方がいいだしたのを、マスコミが広めているだけではないか。人生70年はもはや古来希なりとはいえないが、人生100年は今でもやはりまれである。街は選挙戦たけなわで普通に歩いていても演説にぶつかる。成長とか景気回復とか日本の競争力とかいう言葉がそんな中でよく聞こえてくる。こういうのを聞くと、ついつい、それでウチラの暮らしはどうなるの?と訊き返したくなる。いくら株価が上がったと言ったって、株をもっていなければ関係のない話だし。同じように「美しい日本」とか「世界の真ん中で輝く日本w」とか言っても、じゃあ、その中で自分の暮らしはどうなんだと思う。具体的にどんな社会がよいのか、どんな世の中がよいのか、その中で自分や家族はどう暮らしていきたいのか…そのあたりのイメージが重要だろう。
2019年07月09日
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韓国ドラマ「トッケビ」を見始めた。トッケビとは「鬼」と訳されることが多いし、実際に韓国の絵本でもトッケビを頭に角がある日本の鬼そっくりの姿でえがいたものもある。けれども土俗的概念の常として、ところ変われば内容も変わるで、時には人に福を授けることもあるなど強面ばかりではない面もあり、日本の鬼ともかなり違うようだ。そしてこのドラマの「トッケビ」は高麗時代の無念の死をとげた将軍がトッケビとなってこの世をさすらうという設定になっている。現代人の姿で現代社会にまぎれて生活するわけで、こうなるとハリウッド映画で天使や悪魔が人間社会にまじっているというのがあるが、そうしたものに近いのかもしれない。このトッケビと死神とが、ひょんなことから一つ屋根の下に住むことになるが、この死神もまた、もともとは人間だったという設定らしい。このようなファンタジー作品は一歩間違えると単なるばかばかしい話になるのだが、トッケビと死神がそれらしくみえることと、画像や音楽が極めて美しいことで良質のドラマに仕上がっている。韓国ドラマのリメイクはずいぶん多くなったが、こうしたドラマはリメイクしてもあまり意味がないのかなと思っていたら、日本のドラマにも神と仏のイケメン?同居生活をテーマにしたドラマがあった。こちらの方も韓国でもリメイクはとても無理だろう。
2019年07月08日
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ハロウィーンやバレンタインなど舶来のお祭りも風物詩として定着しているが、日本古来の七夕も健在で街のあちこちでは願い事を一杯にぶらさげた七夕飾りをみかける。七夕だからといって、何を売るというわけでもないのだが、なんとなくお祭り気分をもりあげようということなのだろう。全国的には仙台の七夕祭りが有名だが、仙台以外にも全国大小の様々の街で七夕祭りが行われているのではないか。そんな街のひとつである平塚の七夕祭りにいってきた。商店街にそって趣向をこらした飾りが続き、道の両側には露店が並んで大変な賑わいだ。去年来た時にはちょうど住民グループの舞踊や楽器演奏のパレードがあったのだが、今年は時間が合わなかったせいか、見ることはできなかったが、それでも、お祭り気分は大いにもりあがっていた。昔を思い出すと七夕というとどうしても子供の行事という印象が強い。家庭ごとに子供が中心になって折り紙で飾りをつくったり、短冊に願い事を書いたりしたものだし、駄菓子屋では子供向けに七夕飾りのちょうちんなどを売っていた。少子化時代の今では七夕も家庭の行事と言うよりは商店街の行事になりつつあるのかもしれない。
2019年07月07日
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お気に入りに登録している天地はるなさんが「あさきゆめみし」について書かれていたので、最後にこんなコメントを書いてみた。宇治十帖についての感想である。宇治十帖は本編とは違ってどことなく現代ドラマのような趣があります。三角関係、出生の秘密、記憶喪失…。脇役なのですが、最後に浮舟に想いをよせる少将がすごくよいです。道心がありながら現世への責任感故に出家はできない、亡き妻を忘れずに供養を続ける、浮舟を見初めるが無理だとわかるとせめて友人として生涯の面倒はみたいと考える。身勝手な男ばかりの中で誠実な男性のように思えます。源氏物語本編も傑作なのだが、宇治十帖もそれに劣らないように思う。何よりも古さを感じさせず、その分、通俗的で、本編の古典的美意識の世界とは異なる。これをもし現代風に書き直すとしたら尼となり老境を前にした浮舟が法友として生活の支援も行ってくれた少将に対して述懐の手紙を書くという構成にするのだろうか。私の生ももう長くはありませんので、若き日のことなどをつつみかくさず申し上げます。どうかこの手紙はお読みになった後は焼き捨ててください…といったように。考えてみたら宇治十帖にでてくる人間は本編よりも醜く描かれている。妻を亡くした寂しさから女房に子を産ませたがすぐに母子を捨てた八宮も勝手なら、出自の分からぬゆえの寂しさを頼りない境遇にある大君で埋めようとし、その大君を失った後、姿の似た浮舟を大君の代わりにしようとする薫も勝手だ。その薫とはりあって浮舟を奪う匂宮ももちろんだろう。光源氏という理想像が消えてから、人間の醜い現実が浮き彫りになった世界が宇治十帖であり、そして浮舟の入水と出家も道心というよりも逃避のようにみえる。それゆえに、最後にでてくる誠実そうな少将がちょっと救いのようにもみえてくるのだ。まったくの脇役だが、かなり印象的な脇役のように思う。そしてもう一つ源氏物語には気になる脇役がいる。源氏物語の最高の「勝ち組ヒロイン」といえば明石の上だろう。源氏物語自体が中流貴族出身で絶世の美女と言うほどでもない(よきかたちならねど)明石の上が光源氏に見初められ、その後も手習いなどの研鑽を怠らずに、最後は中宮の母として宮中に入る成功物語とも読める。作者も属し、読者層の多くがそうであっただろう中流貴族の女性たちが喜びそうな話である。そしてもう一人、大変な勝ち組女性の脇役がいる。光源氏の従者である惟光の娘の五節の内侍。舞姫に選ばれるほどの美貌と内侍が務まるほどの才気があり、そしてのちに太政大臣になる夕霧の側室として多くの子供をもうける。その子供たちについては正妻の雲居雁の子供たちよりも皆少しずつ姿もよく優秀だとある。才色兼備で宮中でさっそうと活躍し、立派な男との間によい子を多くもうける。この五節の内侍もまた中流貴族の娘である。
2019年07月05日
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若い頃であるがクレーマーに対する部署にいたことがある。ほとんどはまともなクレームであったが、中には変な人もいた。今日ではきっとなんちゃらなんちゃらという「病名」が付くのかもしれないが、様々なところにクレームを申し立て、訴訟も何件もかかえていた。実際には裁判所はそうした「訴訟マニア」という人がけっこう出入りしているらしい。実際の暴力をふるうことはさすがになかったが、それでも声を荒らげることもあり、気味が悪かった。老人とか小柄な人ならまだしも元気溢れる偉丈夫で、暴力をふるったらとてもじゃないが逃げる自信はない。当時は土曜日は半日で、誰もいない事務室で一人で対応したこともあった。そのときつくづく思ったのだが、みんな逃げ足の速いこと速いこと…。上司も含めて、せめて事務室にいるだけでもよかったのに、「じゃあ、頼むよ」という感じでさっさと帰ってしまう。さる市で生活保護担当のケースワーカーが暴力的な受給者に「支配されて」死体遺棄の共犯となったという事件があったという。二人一組で対応することになっていたのだが、件のケースワーカーは変わらないのに、同行する人はその都度変わったという。皆、逃げていたのだろう。「そんなに重大な事態になっているとは思わなかった」という職場の人の話もあるようだが、特定の職員一人に問題ケースを押し付け、後は保身に必死という感じがする。生活保護受給者の多くは暴力や犯罪とは無縁だし、「不正受給」といっても子供のアルバイト所得の申告漏れのようなものがほとんどだという。ただ数は少ないが中には暴力的な人物、犯罪予備軍のような人物もいる。実際、知り合いの市職員から、「いきなり畳の上に包丁をつきたてて脅す人がいた」という話も聞いたことがある。丸腰の市職員にそういう人と対峙するのは無理だし、組織の中の人間として上司をとびこえて単独で警察に相談するというのもやりにくいだろう。なんかシステムとして警察と連携をとるような方法は考えられないのだろうか。単独で、暴力的な「生活保護受給者」に対峙し、どういう経緯か不明だが、死体遺棄に関与することになったのって、一種の公務災害のようにもみえる。
2019年07月03日
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韓国ドラマ「モンスター」を視終わった。波乱万丈の展開、多彩な登場人物であきさせないが、さて、全体をみるとつっこみどころも多い。波乱万丈のエピソードをつなげたような感じで、最後の方の企業ドラマはちょっとだれ気味だ。しかしまあまあ楽しめる娯楽作品といったところだろう。財閥企業を舞台にした復讐劇であるが、こうした復讐劇は、主人公と怨敵との力関係でテイストが違ってくる。このドラマでは三話目くらいで盲目のホームレスになった主人公が、手術で視力を回復し、米国に留学して首席で卒業といったように比較的序盤のうちに力をつけるので、虐められた主人公が最後に大逆転といった爽快感はあまりない。むしろ怨敵は悪い奴なのだが、犯罪グループに拉致されたり、詐病とはいえ精神病院に入院したり、不正選挙で逮捕されたりと結構酷い目に遭っており、その分憎たらしさが減殺される。まあ、往生際の悪さはピカ一で、日本ではあまりこうしたキャラはいないのかもしれない。演じる俳優は、大河ドラマ「商道」で優れた頭脳をもちながらも、道を踏み外し、最後は自殺する人物を演じたのが印象的だったが、本作では最初から道をはずれ、同じ笑いでも、様々な表情を込めるような非常な芸達者で韓国でも大御所的な人らしい。韓国ドラマらしくラブラインは男二人、女二人の四角関係になるのだが、今回は主人公や本命ヒロインよりもセカンドの方がよい。まあ、このあたりは好みもあるのだろうけど、女性のセカンドヒロインは、ド派手でわがままな令嬢で、どうみても脇役だったのが、いつのまにかヒロインに匹敵するような魅力を放っている。復讐譚ということで、野心や復讐にぎらぎらした人物ばかりの中で、純粋に主人公に恋し、父を慕う令嬢は清涼剤になっているからだろう。
2019年07月02日
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