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商家に婿入りした夫は家のために働き詰めに働いて最後は結核で瀕死の状態になる。一方で妻は遊蕩にふけり、浮気を繰り返す。五弁の椿は、父を失った後、母親とその浮気相手に復讐を繰り返す娘を倒叙法で描いた小説である。最初、そして二番目の復讐を果たすあたりまでは物語はやや単調であるが、事件を追及する町方与力がでてくるあたりから物語は面白くなる。新潮文庫版では当時の江戸の地図も掲載されており、物語を今の地名と照らし合わせて読むのもよい。ただ、どうにもわからないのは、復讐の動機である。たしかに実の母親が浮気を繰り返していて、自分の父親もまたそうした浮気相手の一人であると知った時の衝撃は大きいだろう。母親を憎むかもしれないが、浮気相手の男たち、たとえそれが不品行で社会に害をなす人物であったとしても殺意までは抱くだろうか。復讐というよりも、「母の血の流れている自分も死ななければならない」という思い込みがあって、そのために連続殺人を犯し、お裁きを受けて死ぬという、いわば拡大自殺のようなものがその理由なのではないのだろうか。世の中には御定法で罰することのできない罪がある。それが事実であったとしても、母の浮気相手の男たちは、それほどの罪を犯したのだろうか。淫蕩な母親にまきこまれただけのようにも思う。女性の社会的な未成熟や悩みをかかえている心の隙…そういうものにつけこんで深い関係になったという男であれば、たしかに御定法で罰することのできない罪といえるのだろうけど。そしてそういうものなら江戸時代に限らず今の時代にもある。嬰児殺しや児童虐待殺人で罪に問われる女性は多いが、一方でそうした女性を騙し、出産前に逃げ出した父親たちが罪に問われることはない。
2020年08月31日
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昭和28年ころ、「街のサンドイッチマン」という唄が流行った。終戦直後の飢餓と窮乏の時代を経て、朝鮮戦争の勃発と特需景気。多くの人々の生活はようやく安定し、繁華街は賑わいを取り戻し、そこにはそうした店に客を呼び込むためのサンドイッチマンも出現していたことだろう。そんなサンドイッチマンの立場で人生の哀歓を歌った曲は、この時代の多くの人々にうけたのだろう。ところで、このサンドイッチマンには実際のモデルがいるという。ある軍の将官の息子で、大学卒業後終戦までさる会社に勤めていたが、父親が戦犯となったあおりで退職し、その後は職を転々として、この頃にはサンドイッチマンをやっていたという。戦争で人生が変わった人はたくさんいる。戦闘で死んだり怪我をした人や空襲の犠牲者だけでなく、戦後の、公職追放、農地改革、行政機関や軍の解体、財閥解体などで、これまで上流の生活をしていた人々が叩き落された。斜陽族というわけである。そうした人の中にはその後の復興の中で波に乗れた人もいただろうが、そうでない人もいた。終戦まで高度な軍事技術者として戦闘機や兵器の研究開発を行っていた人の中には、しかるべき場所をみつけ、戦後の復興に貢献した人もいただろうが、地上の星になりそこなった人もいたことだろう。高等文官試験合格を蹴って財閥統括会社に入社した秀才も同様で、別のところで才覚を発揮できた人もいればそうでない人もいただろう。活躍した人の人生はテレビや書籍で知ることができるが、その裏にはわずかな運不運の差で不本意な人生を生きた人も、きっといたはずだ。あの戦争の大変さに比べれば、今のコロナ禍なんてなんということもないのかもしれない。
2020年08月30日
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今日の総理会見はいろいろと憶測をよんでいるが、やはり辞任表明の可能性が高いように思う。単に健康に問題ないということを示すだけなら通常の勤務を続ければよいだけで、それさえやれば健康不安説などは雲散霧消する。逆に、こういうことはわざわざ言うとかえって憶測をよぶ。 コロナ感染に対して新たな対策を表明するということも可能性としてはあるのかもしれないが、いまさら総理が会見をして表明するような施策があるとも思えない。検査拡充は自治体レベルでも行っており、こういうものに国が横やりをいれないでほしいと願うばかりだ。 オリンピックの決意表明、これも今更の話である。むしろ最近では感染終息後の五輪ではなく、感染さなかでの感染予防しながらの五輪を検討する動きもあり、これこそ開催の是非を含めた国民的議論が必要ではないかと思う。経済効果というのはわかるのだが、世界各国から選手、関係者、観客が集まるとなれば、空港の検査がおいつくとも思えない。そしてまた検査にはどうしても見逃しがある。ウィルスは第二波ではやや弱毒になったようにも見えるが、なにしろウィルスなので、この先、どんな変異がでてくるのかわからない。オリンピックを契機に世界中からウィルスが持ち込まれるのは危険だし、そんなことはないという人もいるかもしれないが、強毒性のウィルスが感染爆発したら経済効果どころではない。IOCへの補償云々という議論もあるが、ウィルスの世界的拡大は日本のせいではないし、IOCとて日本国民に感染拡大を受け入れろと言う権限まではないはずだ。 健康であることの表明、新たな感染対策、オリンピックの決意…そのいずれでもないとすると、どうしても辞任しか思い浮かばない。
2020年08月28日
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日帰り入浴をしようと思い、ホテルを探したことがあった。やっと見つけたホテルは異様にしょぼく会議室もまるで普通の事務室のようであった。実は間違えて裏口から入ったのであって、表に回ると堂々たるホテルであった。ホテルは顧客に対し心地よい空間を演出する場であってバックヤードの方は普通のオフィスと変わらないのは当然と言えば当然である。こうしたホテルを舞台にすれば面白い物語ができるだろう。人間の表と裏。やってくるさまざまな人間とそれへの対処。リゾート地にあるホテルを舞台にしたドラマ「ホテルキング」でもそうした問題が描かれている。顧客のメモを誤って捨てたりといったハプニング、たまにやってくるわがままな顧客、食中毒騒ぎ、顧客のセクハラ、有名人の結婚式など。日本の人気漫画にもそうした題材のものがあったと思うしドラマ化もされていたと思う。「ホテルキング」の主人公も有能なホテル支配人で、いっそそうした有能ぶりでホテルに生起する問題を解決する…という方に重点を置いたドラマにしてもよかったのではないか。日本の漫画「HOTEL」を改めて読んでみたくなった。ドラマ「ホテルキング」ではホテルをめぐる権力闘争と主人公の出生の秘密がテーマになっている。現実的にみれば、権力闘争のために食中毒やイベント中の事故を意図的に起こしたり、主な登場人物は業務よりも自分の恋愛に夢中だったりと、これでは一流ホテルどころかとんでもないホテルとなるのだが、まあ、そこはドラマということで。荒唐無稽のところは多々あるのだが、それでもジェットコースター的な物語展開でみせるのはやはり韓国ドラマなのだろう。このドラマのように憎んでいた敵が実の親だったという展開は韓国ドラマにはよくあるのだが、大体は「血は水よりも濃い」で最後は和解するというのが定番になっている。それなのに「ホテルキング」では父子の間の和解らしい和解はなかったというのが新味なのかもしれない。韓国ドラマ好きには一応勧めるし、自分も最後まで楽しく見たのだが、そうでない方にはあまりお勧めしない。
2020年08月27日
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その昔、数奇な運命というような場合の「数奇」という言葉を初めてみたとき不思議な感じがした。珍しい運命というのであれば、それは数少ないということなので数希としなければおかしい。なぜ数奇なのだろうか。調べてみると数という語には数字で表す数の他に運命という意味があることを知った。そういえば命数なんていう言葉もあって、この数もやはり運命という意味だろう。それではなぜ数が運命、いや運命が数なのだろうか。そういえば、占いなどでも数をベースにしたものが多い。姓名判断など文字通り名前を構成する文字の画数の吉凶で占うし、生年月日を構成する数を計算して「運命数」なるものを割り出す占いもある。最も古い占いである筮竹占いも筮竹を分けた時の偶数か奇数かで占うのでこれも数に関係あるといえばいえる。「数の女王」(川添愛)という本を読んでいる。数が人や妖精の運命を支配している世界を舞台にした物語である。「最初に数があった」というように数の持つ様々な法則は案外昔から知られており、そこに人々は人智を超越したものの意思をみていたのかもしれない。この本に出てくる数をめぐる不思議な法則については読了後に紹介するとして、古来聖数と言われている数にもそれなりの意味があるのかもしれない。日本ではおそらく8が聖数なのだろう。日本神話にも8という数が頻繁に出てくる。ぱっとみで沢山あるという印象を与える数が8なので、多くのというくらいの意味で8という数が出てくるというくらいにしか思わなかったが、おそらくもっと深い意味があるのだろう。
2020年08月26日
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コロナの感染が急増していて明らかに第二波の状況を呈しているのに、総理の会見がないのはやはり異常だろう。これでは「逃げてる」という印象を与えても仕方ないし、それがまた、国民の不安を増幅させている。それに加え、安倍総理の健康不安説もまた再燃している。検査入院がそのきっかけなのだが、どうしても以前の政権ぶん投げを想像してしまう。ぶん投げでもなんでも、国難の際にとうてい総理がつとまるような人ではないならば、さっさとやめていただくのが、国民のためにも総理のためにもなるというものだろう。さて、そのコロナ第二波であるが、新規感染者をみるとピークアウトしたように見える。ただそれはグラフの山の形をみれば誰でもいえることであり、このまま順調に減少していくのか、減少しきれないうちに第三波など次の山がくるのかどうかは誰にもわからない。減少したようでも、それはお盆期間の検査数の少なさや猛暑での外出機会の減少によるものかもしれない。素人ならともかく政府関係の専門家がピークアウトに言及するのは軽率のようにも見えるし、そのピークをわざわざ7月末といっているのもgotoキャンペーンを行った官邸に忖度しているようにみえてしまう。それに不安はまだある。せっかく第二波がピークを超えたとしても、またぞろ政府がgotoイートだのgotoライブだのと、おかしな施策をやればもとのもくあみになるのではないか。感染終息のためには経済なんかどうでもよいといっているのではない。むしろ逆で感染が終息のきざしをみせてこそ、人々は安心して出歩き金もつかうのではないか。経済は一人一人の行動の集積であり、政治家や財界人の頭の中で動いているわけではない。政府がいくら音頭をとろうが金を撒こうが生命や健康が不安とならば多くの人が不要不急の外食や旅行をひかえるだろう。この頃、町で食事の出前をみることが多くなった。食事自体の需要は減っていない。隣のテーブルとの距離やしきりなど感染の不安さえなければ個人や家族、少人数での会食の需要は戻ってくるだろう。gotoイートもそうした感染の不安のない外食機会を増やすのであればけっこうだと思う。ただし、ライブの方は密集した中でいっせいに声をあげ、もりあがるという文化で、マスクをしようが、フェイスシールドをつけようがやはり感染拡大の危険はある。完全にコロナが終息するまでgotoライブはやめた方がよい。
2020年08月24日
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韓国ドラマで「愛の不時着」、「梨泰院クラス」が人気だという。この二作については、韓ドラファンの多い周囲でも見たという話も聞かないし、ブームといっても、実はさほどの実態はないのかもしれない。ただ、この二作品はおいても、韓国ドラマは総じて面白いように思う。時代劇、現代劇ともに見ているのだが、まずストーリー展開が波乱に富み飽きさせない。歴史を扱ってもあまり史実には拘泥せず、そのため歴史捏造といわれそうなのだが、歴史をなぞるだけではどうしても冗長になってしまう。現代劇もまた、記憶喪失、出生の秘密、難病、交通事故、財閥出身や孤児院育ちという極端な設定が多いのだが、これも一度入ると、ジェットコースター的なストーリー展開から目が離せなくなる。ばかばかしいといえばかばかしい、荒唐無稽といえば荒唐無稽なのだが、それをそうみせないのは俳優の演技力だ。韓流ドラマには主役わき役を問わず、演技のうまい俳優が多い。韓流スターの経歴をみると演劇学科が多いのに驚く。かのソウル大芸術学部にも演劇学科があるくらいで、そんなに世の中の需要があるのかとも思うが、演技の技能を磨くことは、営業、接客等にも役立つという位置づけがされているのだろうか。人気者のスターやアイドルが主役をやり、それを芸達者な脇役が支えるというのではない。主役からして演技力があるので、ありえないような設定でも説得力がでる。歌手が歌を聴かせるように俳優は演技を見せる。ありえないストーリーを真実らしく見せるのも俳優の技量である。「韓国ドラマ」というと食わず嫌いもいるかもしれないが、ぜひ一度見てみればよいと思う。
2020年08月21日
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作者の自伝的小説だそうである。それにしてはこのマノンという女性がよくわからない。貧しい主人公と暮らしながら、経済的に不如意になってくると、他の金持ちのパトロンを見つけるのだが、それでいて主人公を裏切っているというつもりはない。あるときは自身は金持ちに囲われ贅沢に暮らしながら、主人公の無聊をなぐさめるために美少女を彼のもとによこしたりもする。彼女の中では、金持ちに囲われているということは、その経済的な恩恵を主人公にももたらすということで、主人公に対する愛情となんら矛盾なく両立している。彼女にも言い分はあるだろう。彼女にしてみれば物質的な贅沢は手放せない。恋人としては主人公は申し分ない。若くて容姿端麗な貴族で知性も雅量も備えている。問題は勘当中の身で金がないということだけだ。両方を手に入れて何が悪い。金持ちのパトロンは多少騙すことになるのかもしれないが、自分のような美しい女が相手をするだけでいいじゃないの。そしてまた時代背景も考えなければならない。身分差の激しい時代で、「身分違い」なんていう言葉がまだ生きていた。平民の娘が豊かに暮らすにはパトロンをみつけるしかなかったのではないか。主人公はマノンと一緒にいたいがために不品行を重ね、金も失い、零落していく。まさに恋こそは人生の地雷であるということを地で行く物語だが、最後までマノンの内面は描かれない。あれほど享楽的で贅沢なくしてくらせなかったマノンがなぜ最後は新大陸での逃避行を選んだのだろうか。それもやはり彼女ならではの愛の形なのだろう。フランスにいた頃のパトロンはあくまでも彼女を囲うことだけを考えていたが、最後に彼女に恋する植民地の首長の甥は彼女との結婚を願っていた。別人との結婚だけは恋と両立しない。そこで恋人とともに当時は未開であったアメリカの地を行くわけだが、享楽と贅沢になれた彼女の身体はそれに耐えられず、恋は悲劇で終わったわけである。
2020年08月20日
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2016年、イベント会場の木製オブジェの中で遊んでいた幼稚園の男児が、焼死した事件があった。オブジェの中の白熱電球の熱でおがくずが発火したわけである。一緒にいた父親の目の前で幼児が死亡したという事件なのでよく覚えている。この事件について、当時学生だった二人が重過失致死傷罪災に問われ、その初公判が本日あったという。あたりまえだが、空き地で若者が勝手にオブジェを作ったったというのとはわけが違う。それなりに信用のある団体が行ったイベントで、〇〇大学の建築学科の学生が作ったオブジェだというのだから、父親も安心して子供を中で遊ばせたのだろう。これについては当然、指導教官がいたはずで責任を問われるとしたらその教官なのではないのだろうか。刑事責任を問われた学生はその後4年間も被疑者被告人の立場になっており、初公判では無罪を主張しているという。報道で見る限りは無職というわけでもなさそうだが、就職活動などはかなり大変だったであろう。判決によっては職を失う可能性だってあるかもしれない。ちなみに問題の大学の偏差値をみると、おがくずの中に白熱電球を入れると火がつくとは思わなかったという主張は本当かもしれない。よい悪いは別にしてだが、国会は議員のため、病院は医者のため、大学は教授のためにあるという言葉があるらしい。とうてい高度な専門職には向かないのに、親から大金をとり、しまいには刑事被告人にしてしまった大学っていったい何だったのだろうか。この二人にとって。
2020年08月19日
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4~6月期の国内総生産は戦後最悪の落ち込みとなったという。これについて、経済再生担当相は「4、5月に緊急事態宣言で人為的に経済を止めていた影響」を指摘し、新聞によっては「緊急事態宣言の打撃浮き彫り」という見出しをつけているところもあるが、それは違うだろう。火災で被害を受けたとして、それは消防車がやってきて家を水浸しにしたせいだというのだろうか。火災の被害は炎によるもので、消防車は逆にその被害をより少なくした…そう考えるのが普通だろう。そうであれば、4~6月期の国内総生産の落ち込みはコロナの感染拡大によるもので、緊急事態宣言は直接には関係ないということになる。仮定の話をしても仕方がないが、緊急事態宣言を行わずに、感染が急拡大し続ければ国内総生産の落ち込みはもっと酷くなっていたかもしれない。甚大な被害のあっただろう他の国、例えばイタリアやスペイン、それに米国などの経済の落ち込みはどの程度なのだろうか。いうまでもなき緊急事態宣言には法的な強制力はなく、そして経済を動かすのは最終的には個々の人間の判断である。人々が感染を恐れ、行動を自粛する限りは、政府が緊急事態宣言をだそうがだすまいが、個人消費は上向かないのではないか。gotoキャンペーンにもかかわらず、旅行需要がさほど増えなかったのも、バスツアーや航空機、大浴場などで感染するのが怖いという人が多かったからだろう。あのキャンペーンこそ、感染抑止を妨げただけでなく、「お上不信」もまねいた愚策である。コロナについては経済活動維持と感染拡大抑止を二者択一のように言う人がいるがそれは違う。感染拡大を抑えてこそ経済は回る。だからこそ、今の日本よりもずっと感染者数の少ないNZや韓国などは、感染拡大の兆しがあると検査を徹底し、感染者を隔離し、拡大を防ごうとしている。
2020年08月18日
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最近の感染者数をみるとピークが見えたようにもみえるが、お盆期間で検査数が少ないためかもしれず、楽観はできない。そしてやはりこの期間、人が移動しているはずなので、しばらくして感染者数が急増なんていうことにならなければよいのだが。医療機関が少ないところで医療がひっ迫すれば、それ自体の問題もさることながら、別の病気で通院や検査が必要な人がそれができなくなる。そしてそれは高齢化のすすんだ地域では大変な問題となる。コロナの感染拡大は国難ともいうべき状況であり、それにもかかわらず、国会も閉会中、審査も開かれず、総理の記者会見も行われていない。感染拡大の第二波ともいうべき状況が始まった時点で、わざわざ人の移動を促進するような政策を行ったことも含めて、日本のコロナ対応は、世界的にみてかなり異様なのではないか。単なるパフォーマンスとしかみえない虹色のステッカーの東京都や、なぜか市販のうがい薬の宣伝を知事が記者会見で行った大阪府の方が、国よりもまだなにかやっているように見えるだけマシである。あくまでも国も比べてなのだが。そしてこんな状況でも、「ほかに受け皿がないから」自民党政権は安泰で、自民党内でも「ほかによい人がいないから」現政権が安泰であるというのは、不思議なことだとしか思えない。
2020年08月16日
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写真をみると、今年に入ってからの写真が異様に少なくなっている。それもそうだろう。コロナが問題になってから旅行に行く機会も写真をとる機会も激減しているのだから。そこで、過去の写真を見ながら旅の想い出を書いてみる。そんなわけで3年前に行った8月の野付半島について。北海道の地図をみると道東に羽のような形の小さな半島が見える。それが砂嘴により形成された野付半島なのだが、他と違うのはこの半島はすごい速さで形を変えつつあるということだろう。もし早送りで地形をみたら、波の上に羽がただよっているようにみえるのかもしれない。半分水没しつつある林がある。水没して白骨ように枯れ木が並んだだけの元の林もある。そしてその枯れ木すら10年前に行った人によると、前はもっと沢山あったということである。こうして水没しつつあるところもある反面、海のなかから新しい陸地ができつつあるのもわかる。何十年、なん百年したらここも林になり、さらに同じくらいの時がすぎたら、再び水没するのかもしれない。半島の先端には遊歩道があり、海の上を歩くように続いている。ハマナスの実やすぐそこに見える国後島。北の海の半島で過ごしたひと時をとどめた写真。
2020年08月14日
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コロナがまるで巨大な怪物のように祭りやイベントを次々と消してゆく。徳島の阿波踊りも中止となり、そのためそれを稼ぎ時としている旅館の中には廃業を考えているところもあるという。春には千葉県のチューリップの名所で花が抜かれ、茨木ひたちなか海浜公園のネモフィラは立ち入り禁止となり、埼玉県羊山公園の芝桜も閉鎖された。これから秋になるとヒガンバナの名所、コキアの名所が、例年ならにぎわうのだが、そこも閉鎖されるのだろうか。人が大勢集まり、美しいものを見ればどうしても会話が始まるだろう。大勢の人が至近距離で会話し、飛沫が飛べば感染の可能性は皆無ではない。ましてや観光地でよくやるように団子だのソフトアイスだのを手にもっていれば、それは、結局のところ大人数の会食と変わらない。秋のイベントや祭りも中止となり、花の名所なども次々と封鎖されていきそうな気がする。そして冬になれば通常ならイルミが始まるのだがこれもどうなのだろうか。実はイルミが好きで冬に入るとあちこちのイルミを見に行くのを楽しみにしている。有料のところもあるが、無料でもみごたえのあるところが多いのがうれしい。いくらなんでもこの頃までには感染が収まり、心行くまでイルミを楽しめるようになっているとよいのだが。イルミの中で一番印象的なものをしいてあげるとすれば霞ケ浦公園のイルミである。湖の上に蓮の花や帆船が浮かび、そして筑波山がみえる。このあたりでは富士山におとらず筑波山が地域の山として親しまれているのがうれしい。東の筑波、西の富士という言葉があるように、高い建物などがなかった昔には江戸の町からも東西の独立峰がよく見えていたのだろうけど。
2020年08月13日
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青森県に帰省した人の玄関先に帰省を非難するビラが置かれていたといって話題になっている。これについての報道は、ビラを置いた人を批判するものがほとんどなのだが、「なんでこの時期に東京から来るのですか…さっさと帰ってください…」というのはおそらく地域の多くの人が思っていることではないのだろうか。いや、自分がもしその立場だったら絶対に同じように思うに違いないのだから。男性はPCR検査を受けたということなのだが、そんなことは帰省先の近所の人は知らない。もしPCR検査を受けたとしても、その後、感染していないという保証はない。地域では医療資源も限られているし、もし自分や家族が感染して、受け入れる病院もないなんてことになったらどうなるのだろう。帰省先の近所の人の不安や不満ももっともなように思う。ビラの実物も放映されていたが、文章も字も全く普通で、おそらくこれを書いた人も「普通の人」だろう。全国放送までされて、しかも報道は非難一色ともいっていい状況なので、書いた人は震えているかもしれない。そういえば周囲にも今年は帰省を辞めたという人が多い。遠まわしで近所の目もあるからとかなんとか言われた人もいるのではないだろうか。…とここまで書いてコロナには病気そのものの怖さ以外に別の怖さもあるのではないかと思った。親族が帰省すればすぐに近所に知られる。東京ナンバーの車が駐車してあったとか老夫婦の家からにぎやかな笑い声が聞こえたとか。そしてその後感染していればそれも知られる。保健所の車が来ていれば、その噂はすぐに広まる。その後、どんなことになるかも十分にわかる。感染してから帰省した女子大生などがどれほど叩かれたか、岩手県の感染者一号がどうなったか。感染自体よりも、感染を持ち込んだことによる有形無形のバッシングが何よりも恐ろしい。また、自分が感染すれば職場や学校には報告せざるを得ないが、その後、普通に職場や学校で仲間として受け入れてもらえるかという不安もある。いったん回復しても再び陽性に転じた例も報告されているし、無気力や倦怠感のような後遺症についての論文もあるという。もとの場所に復帰しても、いつ陽性になるかわからない人間として周囲は避けるのではないか、後遺症の懸念が配転や場合によっては退職勧奨につながるのではないか。病気そのものもさることながら、いろいろと注目されている病気だけに社会的なバッシングや疎外にたいする不安も、また大きい。そしてそれがまた、現実の死亡率以上の怖さをよんでいるのだともいえる。
2020年08月12日
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有名であるが読む気になれない本というのがある。これも長いことそんな本のうちの一冊だった。そもそも作品よりも作者が有名なのがうさんくさい。本の宣伝にはたいてい「ご存じの美人作家」とあるけど、作品を評価するのに美人かどうかはどうでもよい。そういえば、日本にも昔「美人女子大生作家」というのがいて、飲料水のテレビCMに出ていたけどあの人は何を書いていたのだろうか。そうはいっても人生は限りあり、生涯で読むことができる本はかぎりある。有名な本なら一度はぜひ読んでおこう。そう思って読んだのだが、やはり面白い。知的でちょっと斜に構えた主人公の心の動きが、散文詩のようなきらきらした文体で描かれている。作者は「失われた時を求めて」が好きで、ペンネームもその登場人物からとったというが、サガンという人物がいたかどうかは記憶にないし、検索してもわからない。ただ南仏のリゾート地の雰囲気は「失われた時を求めて」に通じるものがある。それにこの文体。どうしてもある記憶に結び付く。実は高校生の頃、同人誌を作ったことがあって、そこに非常に上手い小説を書く子がいた。「悲しみよこんにちわ」と同じように、海辺の別荘を舞台にしたものだったが、それ以上に、一人称の文体がよく似ていた。もしかしたら「悲しみよこんにちわ」を愛読していたのかもしれない。
2020年08月10日
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政府は感染防止よりも経済という旗色をますます鮮明にしてきている。gotoキャンペーンも取り下げるつもりもないようであるし、お盆帰省についても国レベルでは特段の自粛の呼びかけをしないようだ。いちおう三密を避け大声を出さないようにとか、感染防止策を講ずるようにとか言っているようだが、この感染症に万全の予防対策などない。だからこそ、多くの国では強制力を使ったロックダウンや外出制限を行っている。日本の場合はそういう制限はできないのだから、移動の自粛しかないだろう。gotoキャンペーンがこのところの感染拡大にどの程度寄与しているのかは不明だが、キャンペーンが開始されて以降、一日当たりの感染者数はうなぎのぼりで、ピークも見えない状況である。ここでますます疑問になる。経済と感染防止は本当に二者択一なのだろうか。そしてまた倒産失業による死亡者数とコロナによる死亡者数は比較できるようなものなのだろうか。言えることはただ一つ。「経済優先」に舵をきっている政府は国民のコロナ感染が多少増えてもやむを得ないと思っている。ならば感染がいやな国民は自分で自分を守るしかない。ありていに言えば政府のキャンペーンにはのらない、政府の言うことを信じるなということだ。大衆は笛に合わせて踊り、金を撒けばよい。俺たち上級国民は別荘でテレワークさ。もちろん人混みは避けてね。
2020年08月09日
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終戦直後「斜陽族」という言葉がはやった。終戦を境に没落した高級軍人、地主、華族、公職追放者などをまとめて斜陽に喩えてよんだものである。今まで羽振りのよかった人々、羨望の的だった人々が没落していくのをみて、半ば同情、半ば快哉という感情がこの「斜陽族」という言葉にはこめられている。低いところよりも高いところから落ちた方がより痛い、多く持つものほど失う時の苦痛は大きい…というわけである。コロナ禍については当初の期待を裏切って長引き、終息の目途もみえない。人は誰しもとりかえしのつかない人生の時間を生きている。コロナ禍でダメになる職種、それも花形職種であればあるほど、そこに暮らす人々にとっては絶望しかなくなるのではないか。芸能分野などはそうしたコロナ禍「斜陽族」の最たるものではないか。コンスタントにテレビ出演の機会があり、映像媒体の収入のある人はよいかもしれないが、それでも、新規のドラマ収録や映画出演は少なくなりそうである。そしてそこまでには至らず、ライブとか舞台を活動の拠点にしている人はもっと苦しい。最近、さる有名な俳優が自殺をしたといって話題になっているのだが、芸能人としての将来不安があったように思えてならない。芸能分野だけではない。プロスポーツ界も映像配信で顧客を得ることのできるレベルならよいが、地元のファンの入場料が主な収入というところは厳しいだろう。それ以外でも、国際線パイロットやスチュワーデスも仕事がなく待機状態であり、「国際社会を舞台に颯爽と活躍するような」イメージの職種も影が薄い。こうした「コロナ斜陽族」の出現が、今後の学生の進路選択、さらにいえば子供たちの夢にも、少なからぬ影響を与えていくに違いない。
2020年08月08日
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あのNHKの100分で名著の番組を観なければ読むこともなかっただろう。昭和43年に初版というが、あの時代にはこんな本が売れたのだろうか。「アサヒジャーナル」や「世界」が学生の間で売れ、生意気な高校生がわかったようなわからないような議論をしていた時代だから、あの頃の空気なら、こんな本を読み、その中の一説でも紹介すればさぞ気分がよかったかもしれない。もしも生意気な高校生だったらの話だが。よく見ると作者の博識は相当なものなのだが、主に引用されているのは「古事記」と「遠野物語」であり、巻末に膨大な参考文献一覧があるわけでもない。地域社会の共同幻想は民話であり、民族の共同幻想は神話であり、この二つをベースにして幻想としての国家の成立を説いたものなのだが、正直、今の時代にこうした本を読む必要があるのだろうか。この本が世に出た昭和43年という時代は戦争の記憶がいまよりもずっと濃く、そして社会はようやく豊かで落ち着いてきた頃だ。多くの人があの戦争はなんだったのかと考え、そういう戦争に駆り立てていった大日本帝国とはなんだったのだろうかと考え始めた頃だった。そんな時代に国家は共同幻想であると説き、古事記の神話の中に古代国家の原初的な形を当てはめた本書は、その時代の人々が読みたいものを提供したように思う。神話や天皇神格化を下敷きにしたものではなく、そうしたものから自由で納得できる国家生成の仮説を多くの人が望んでいたのだから。昭和23年に発表された「騎馬民族説」が考古学や歴史学に何の造詣もない一般人に人気を博したのも同じ文脈だろう。吉本隆明の名は知っていたが、東京工業大学を卒業後、町工場へ勤め、労働組合運動で職場を追われた後、昭和24年に東京工業大学大学院特別研究生の試験に合格したということはテレビ番組で初めて知った。終戦を境に多くの人が没落した。吉本隆明と同じように学校に通い、同じように職場を追われた人の中にはそのまま不遇の人生を送った人もいたのではないか。吉本隆明も、もしかしたらそういう人々を身近にみていて、他人事とは思っていなかったかもしれない。それが国家というものに対する不信感につながっていったように思えてならない。
2020年08月07日
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3月に延期になった東京五輪の観戦チケットがまだ払い戻されていないという。人間なんて数か月先の予定はたっても、1年先の予定などたたないのが普通だ。しかもコロナの感染の状況によっては再延期あるいは中止の可能性もあるという。そうであれば、多くの人が払い戻しを希望するのではないか。特に、開会式などの高額のチケットを買った人はなおさらだ。だから当然、希望者にはとっくに払い戻しの手続きが始まっていたと思っていた。もし、自分が買っていたとしたらちょっと不安だろう。そうした不安や不満の声が、日本国内だけでなく、海外の購入者からも上がってきているという。おとなしい日本人と違って、外国人は黙っていない。チケット払い戻しがまたまた問題にならなければよいのだが。当たりくじが貧乏くじではしゃれにならない。競技場のデザインに始まり、エンブレム、招致疑惑、マラソン会場の変更、そしてコロナによる延期…とオリンピックにはとことんケチがついている。ゴールが開催にせよ、中止にせよ、とにかくこれからはごたごたのないようにしたいものである。
2020年08月06日
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検査をやっていても感染を抑えられない国もあるが、韓国や台湾など一応感染を抑え込んでいるところは確実に検査を行っている。検査と隔離、そして厳格な出入国管理しかコロナを抑え込めないのかもしれない。夏祭りどころか秋の祭りも次々と中止になり、園遊会や国体のような行事も延期されている。withコロナの長丁場だというが、afterコロナを目指すのをあきらめた日本では、このままずっとこういう「新しい生活様式」が続くのだろうか。このところ、新規感染者1000人以上が続いているが、お盆過ぎが正直恐ろしい。多くの人が帰省し、孫を祖父母に見せ、和気あいあいと郷里で楽しい時を過ごす。高齢の祖父母は当然地域の医療機関を受診することもあれば、シュートスティやディサービスといった施設を利用することもあるだろう。都会から来た子供や孫から老人に、老人から医療機関や介護施設の職員や他の利用者へ…と感染する例が相当あると思うし、クラスターも発生するだろう。そうなれば1000人が2000人、2000人が4000人になるなんてあっという間だ。こういうのってほとんど人災ではないのだろうか。そろそろ感づいていると思うが、コロナ対策は、経済か感染防止かの二者択一ではない。感染防止ができないと結局は経済も回らない。よく、持病のある老人以外は気にしなくてもよいとか、ピンピンコロリでよいではないかという言説もあるが、それはしょせん他人事だから言えること。外食したり、旅行をしたりできるうちに、コロリといきたい人はいない。gotoキャンペーンは経済を回すのに必要だが、息子夫婦には帰省しないように行ってある…という議論が通用しない。毎日何千人も感染者が出るような状況では、外食、旅行、理美容、ライブなどに行くのを控える人が多いので、経済も回らないが、その一方で、なまじ店が開いており、政府も旅行キャンペーンなどをやるので、やはりウィルスをまき散らす人もおり、感染の方も終息しない。まさにあぶはち取らずという状況である。秋風が吹くころ、地方のあちこちで、医療崩壊、介護崩壊なんてことにならなければよいのだが。
2020年08月05日
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国木田独歩は一時期渋谷村に住んでいた。渋谷村は武蔵野の一角であり、その武蔵野の美を綴った随筆「武蔵野」は今にいたるまで読み継がれている。古来日本文学には自然景観や四季の移り変わりを描いてきた伝統があるが、それには一定の型があって、森林なら白砂清松の松林か、紅葉林に集中していたように思う。ところが「武蔵野」に描かれているのは雑木林であり、花のない晩秋の光景である。そして作者は窓から外の景色を眺めているのではなく、自分で気の向くままに歩き回って自分にとっての興趣ある風景を探し求める。作者が引用するのはツルゲーネフであり、古歌でもなければ漢詩でもない。「小春」では、作者は、ワーズワースの詩を手にして大分県は佐伯の野山を散策しているが、伝統的な花鳥風月を離れ、もっと素のままの自然の風景の感興を書いてみたいという思いがあったのかもしれない。伝統的なものから離れるためには西洋文学はよい手本であろう。小説あるいは随筆を読む場合の興味は二種類ある。一つは、そこに描かれている普遍的な人間や人生の機微をみることと、もう一つはそこに描かれている異なる国や時代に思いをはせること。「武蔵野」や岩波文庫版にともに収録されているいくつかの短編には後者の興味もある。都市化される前の武蔵野の様子や、維新後の急速な近代化の波にのれなかった人々の哀歓など。
2020年08月04日
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米国の暴動は一向に収まる気配がなく、先月中旬以降、治安維持部隊と暴動参加者との間で衝突が繰り返されているという。政権支持を固めるために対立を煽る手法は指導者の常とう手段で、米国大統領は、国内ではデモ支持者と保守層との対立を煽り、国外では中国との対立をことさらに煽っているようにみえる。https://news.yahoo.co.jp/byline/inosehijiri/20200728-00190464/そしてまたコロナも猖獗をきわめ、最近では、一日の新規感染者は7万人を超えているという。コロナには未知の部分が非常に多い。ヨーロッパでは沈静化しつつあるのに、なぜ米国では依然として猛威をふるっているのかは謎であるし、日本の第二波も本当の原因やこれからの状況は、専門家も含めて、誰にもわからない。だからこそ不安なので、こうした不安は決して根拠のないものとは思えない。米国で、コロナ禍にあわせて、デモや暴動が頻発し、社会が溶解しつつあるようにみえるのは、格差社会の病弊が疫病や社会不安を契機に噴出しているからだろう。デモの背景は人種差別というが、実際のところ、米国の貧しい白人にとって「白人であること」の特権っていかほどのものなのだろうか。皆無であろう。富裕層が優遇される一方で多くの人が貧困に苦しむような社会は脆弱だということを、米国で今起きていることはまさに実証しているようにみえる。米国と言えばもう一つ、話題がある。開催を危ぶまれてきたNBAが開幕した。そのため、広大な敷地に選手や関係者、娯楽も含めて彼らの生活に必要なもの一切を提供できる施設と人員を隔離し、毎日検査して徹底的に感染を防いでいるという。ポーの名作「赤死病の仮面」は、王族貴族と召使が伝染病から逃れるために隔離生活をする話であるが、富裕層支配層がコロナ禍を免れるために一つの区域で隔離生活をするなどという事態がいずれはでてくるかもしれない。そうなると完全に物語の世界である。
2020年08月03日
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数日前のある新聞に編集委員名で日本におけるPCR検査の少なさに疑問を呈する記事が掲載されていた。テレビでもさる識者が日本の検査件数の少なさに疑問を述べていた。やれやれ、これではマスコミはネットと何ら変わらない。疑問の表明なら誰でも書けるし、検査を受けたいのになかなか検査をしてもらえなかったなんていう体験もネット上にいくらでもころがっている。マスコミにはできてネット民にはできないこと、それは担当省庁や政治家への取材ではないか。なぜそれをしないのだろうか。総理の「目詰まり」という理由は意味不明であるが、専門家会議が検査の少ない理由として述べた、帰国者・接触者相談センター機能を担っていた保健所の業務過多、入院先を確保するための仕組みが十分機能していない地域もあったことなども、「言い訳」ではあっても理由にはなっていない。日本の保健所の機能というのは国際的にみてそんなに最低レベルだというのだろうか。毎日刻々と感染者数は増えているのだが、そのうち「検査体制がおいつかない」という理由で、感染者数は打ち止めになるかもしれないが、それではアフリカの奥の途上国と同様である。もう一つ。8月になり、まもなくお盆の帰省シーズンが始まる。すでに交通機関の予約をすませた人も多いだろう。そういう中で、昨日、お盆の移動制限について、「次回」の新型コロナ対策分科会で専門家の意見を聴取すると西村大臣が発言したという記事をみてびっくりした。それでは、GOTOキャンペーンとのつながりはどうなるのだろう。疑問を呈することも追及することもせず、大臣の発言をそのまま記事にするのもマスコミの劣化の証左だろう。お盆には、全国津々浦々で、可愛い孫を祖父母に見せて抱っこさせ、墓参をし、食事をするということが行われる。高齢の祖父母の多くは、医療機関も受診しているし、デイサービスやショートステイにお世話になることもあるだろう。やがて夏は過ぎ、涼しい秋がやってくる。日本列島は冷涼な気候に覆われる。そしてウィルスの大好きな冬がやってくる。そのときになっても、保健所の検査の「目詰まり」のせいで感染者数は2000人くらいで止まったまま、総理は「人類がコロナに打ち勝った証として五輪は絶対にやる」と叫び、マスコミはあいかわらず「検査数が少ないのはなぜでしょうね」なんていう報道を垂れ流すのだろうか?
2020年08月02日
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「キルミーヒールミー」、「疑惑」でチソン&ファンジョンウムのドラマにすっかりはまって双方ともに3回くらい視聴した後、なかなかハマれるドラマがみつからなかった。「セレブの誕生」はいよいよ佳境に入ったところまで見たが、その後、なんと配信が停止され、強制的にリタイヤ。「黄金の我が人生」は男主人公の昭和顔と女主人公の能面顔で、どうしてもビジュアル的に感情移入できず、金持ちのお嬢さんが嫉妬から主人公に意地悪をし、かえって墜落するというあたりで、これもリタイヤ。男主人公の俳優は日本でも人気のパクシフなのだが、この人は現代劇よりも時代劇の方が似合っていると個人的には思う。これに比べると「優しい男」は「疑惑」と驚くほど序盤の展開が似ている。まず、主人公が恋人の罪をかぶって服役する。正義感に燃えていると思っていた恋人はその後、社会的栄華をめざし裏切る。主人公は、裏切った恋人に復讐をするため、財閥企業の御曹司(令嬢)に接近し、やがて恋仲になる。違うのは「疑惑」では恋人の代わりに服役するのが女性だが、「優しい男」は男性であるということくらいか。しかし、その後の展開は、「優しい男」では、交通事故、難病、記憶喪失といった韓ドラテイストで、個人的な好みでは「疑惑」のように、じわじわと追い詰め復讐していくタイプの話の方が好みである。もっとも「優しい男」も最後は息もつかせぬ展開で3話分くらいを一気に視聴したし、全体に流れる詩情や風景の美しさなど「疑惑」よりもこちらがよいという人も多いだろう。ただ、難をいえば、男主人公のビジュアルがどうみても「疑惑」のチソンに比べて見劣りがするのと、裏切った恋人と財閥令嬢が、両方とも目鼻立ちのくっきりした気の強そうな美人で、このあたりは別のタイプにした方がよかったように思う。このドラマは、繰り返して視聴するつもりなので、再度の視聴が終わったところでもう一度感想を書いてみるつもりだ。
2020年08月01日
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