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今年の流行語大賞を予想してみる。やはりコロナ一択ではないか。鬼滅の刃や半沢直樹も流行ったのだが、鬼滅の刃はネット配信で第一話をみた限りではそんなにハマらなかったし、半沢直樹はそもそも見ていない。そんなわけでどうしても思いつくのはコロナばかりになる。ソーシャルディスタンス、濃厚接触、ステイホーム、クラスター、新しい生活様式、アマビエなど。そういえば、アベノマスクなんてのもあったけど、マスク確保に右往左往したのもずっと昔のような気がする。それでもコロナは収束せずにまだ続いている。上にあげたコロナ用語の中では、ポジティブな意味でアマビエがよいのではないかと思う。固有名詞なので流行語といえるかどうか微妙だが、過去にもベッカム様のような例もある。アマビエ様に疫病退散を祈願するという意味でもぜひ推したい。これから寒くなるにつれ、感染がさらに拡大していくのが不安である。コロナ禍が始まって何か月もたつが、クラスターの起きやすいところ、起きにくいところが次第にわかってきたように思う。もちろん感染経路を追えた上でのクラスターなので実際の危険とはやや違うのかもしれないが。最初にスケープゴートにされたパチンコは予想されたほどの危険はなさそうだ。対面ではなく無言で台に向かっていることが大きいのではないか。同じように対面せずに基本無言の映画館もさほど危険ではなさそうである。病院、介護施設、保育園、歯科医、美容室でもクラスターが発生しているが、これは社会生活上必要やむを得ない部分もある。こういうところに勤務している人々の検査体制の確立が急がれよう。そしてカラオケ、声を出すライブ、観劇、大声で談笑する会食、観光バスなどの危険度は高い。感染にどの程度の脅威を感じるかは人さまざまなのだろうが、不安だという人は当面はこうしたものは避けた方がよいように思う。
2020年10月31日
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全国のあちこちでクマが出没し、住民に脅威を与えていると思うのだが、このクマの報道がなぜ少ないのか不思議でならない。駅近くの商業施設に立てこもる、子供の通学路に現れる…となったらこれは立派な事件ではないか。そしてこうしたクマ出没の問題を担当する閣僚会議の主宰が環境省というのもなんでやねん。クマは環境の問題というよりは住民の安全の問題である。クマでマスコミがあまり騒がないのは、出没しているのがマスコミの本社のある都会から遠いところばかりだからだろう。その証拠に、多摩川にアザラシがやって来た、皇居前をカルガモの親子が通っている、石神井川に矢のささった鴨が泳いでいるというように、都会に現れた動物ならニュースにならないようなものまで大ニュースにしている。マスコミなんてしょせんは都会目線である。それを最も強く感じたのは、米国に留学していたエリート高校生が侵入者に間違えられて銃で撃たれた事件が大報道された時だ。銃で撃たれるのは悲劇だが、日本国内だって、その頃、一年に何人か銃で撃たれる人がいた。山菜取りの農家の主婦が鹿と間違えらえてハンターに射殺されたというような事件だ。留学先の海外で誤想防衛で射殺された事件の方が日本国内で普通に暮らしていた人が射殺された事件よりも、大きく報道されるってなんか変ではないか。余談だが、高校生の事件の後、「アメリカの家庭から銃をなくそう」という署名運動が日本で起き、これも大きく報道された。米国人からすれば「余計なお世話」そのものではなかったのだろうか。自分が銃を持たなければ、悪人に銃で撃たれることはなくなるのだろうか。銃犯罪の悲惨さを訴えれば銃犯罪はなくなるのだろうか。そんなことはないだろう。
2020年10月29日
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秋から冬に向かう北半球ではコロナが急拡大している。特にヨーロッパでは第一波をはるかに超える大きな山がやってきており、例えばイギリスでは一日の感染者数が2万人を超えている。死者は第一波より少ないがそれでも3桁である。アメリカやロシアでも感染は深刻で、ロシアでは議員91人が感染したという。来年の夏にオリンピックをやるのだとしたら、そろそろ予選も行わねばならず、多くの国にとって参加などとても無理なのではないか。そして国内に目を転じても、一日当たりの感染者数は高止まりで収束のめどはたっていない。今でも空港で感染者が発見される例は多く、これで世界中から選手、関係者、そして観客が集まってきたらどうなるのだろうか。政府は今でもオリンピックを行うつもりで選手村に感染者が出た時に備えて「感染症対策センター」を設置する予定だという。現在の医学では感染を完全に抑えることはできず、こんな余計な費用と国民が感染する危険を冒してまでオリンピックをやらなければならないのだろうか。先の大戦で敗色濃厚となりながら、誰も降伏を言い出せなかったあの状況となんか似ている。今までの努力が無駄になるという傷を深くするだけの論理や、一生懸命やっている人々に申し訳ないという情緒的な議論。そういうのはやめにした方がよい。
2020年10月28日
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こんなメールが来た。〇〇 に登録いただいたお客様に、〇〇アカウントの情報更新をお届けします。残念ながら、〇〇 のアカウントを更新できませんでした。今回は、カードが期限切れになってるか、請求先住所が変更されたなど、さまざまな理由でカードの情報を更新できませんでした。アカウント情報の一部が誤っている故に、お客様のアカウントを維持するため〇〇アカウントの 情報を確認する必要があります。下からアカウントをログインし、情報を更新してください。〇〇のところには有名な通販サイトの名があり、このメールのサイトも本物とそっくりにつくってある。情報の更新をすることで、氏名、住所、パスワード等を全部教えることになるので、これが噂のフィッシング詐欺というものなのだろう。こうしたもののあることが聞いているが、被害がどのくらいあり、捜査はどう行われ、実際に検挙された人がいるのかどうかという情報はあまりない。朝のテレビでは有名企業の偽サイトを使った詐欺事例が紹介されていたが、これも公的な動きとしては「消費者庁が注意をよびかけている」という報道があっただけだ。よびかけるのなら消費者庁ではなく警察庁ではないか?もしかしたら巨額の被害につながる事件かもしれないのに、警察は一体何をやっているのだろうか。そもそも動いているのだろうか。コロナ禍もあり、パソコンやスマホに慣れていない人々も通販を始めている。こうした詐欺事件はますます増えていくように思う。
2020年10月27日
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フランスでイスラム教の預言者の風刺画を生徒に見せたあと、殺害された男性教員の国葬が営まれ、マクロン大統領はテロに屈することなく表現の自由を守っていく姿勢を強調したという。かの国での「国葬」がどういう位置づけかよくわからないし、風刺画なるものが具体的にどんなものだったかはわからないが、かつて大規模テロのきっかけとなったという漫画雑誌の風刺画ならちょっと首をかしげざるを得ない。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201022/k10012675031000.html人それぞれに価値観や考えが違うのは当然だし、宗教に対する考え方も人それぞれだ。別にどの宗教を信じているから偉いというわけもないし、無神論者を自任する人がそうでない人よりも知的だとか精神的に強いとかいうものでもないだろう。唯物論は古代からあったが、それでも宗教が続いてきたのは、それがやはりある種の人々、またはある種の人生の局面において必要なものだからではないのだろうか。そしてそうした信仰を持つ人々にとっては信仰上の崇拝の対象を揶揄されることは、自分自身がその根源的な部分で揶揄されたのと同じような痛みを感じることだろう。件の漫画雑誌の風刺画なるものをみたことがあるが、そもそもイスラム教になじみのないせいか権威をおちょくるおかしみも感じることができず、ひたすら下品なだけだった。教師はああいった風刺画を学校で生徒たちに、表現の自由の重要性を教育するために見せたというのだが、本屋の顧客と違い生徒たちには、教師のさしだす風刺画を「見ない自由」はなく、生徒の中には敬虔なムスリムの家庭で育った子供もいただろう。殺人やテロはいかなる場合にも肯定できるわけはないのだが、かといって、そういう風刺画を生徒たちに見せた教師の行為はそれほど称賛すべきことだったのだろうか。そのあたりがどうもよくわからない。
2020年10月26日
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10月16日、“NHKの在り方”を検討する総務省の有識者会議に、NHKが、テレビ設置届け出の義務化と未契約者の氏名を照会できる制度を要望したという。実際、NHKの受信料契約を行わない人もおり、受信料のとりはぐれが問題になっているのかもしれないが、そもそもこうしたスクランブルなしに受信料をとるという制度自体が限界なのではないのだろうか。テレビでは、NHKのほかに、無料の民放と金を払ってみるスクランブル付きの有料放送がある。後者は金を払っても見たいという人だけが視聴する。テレビを設置している人全体を対象に、決して安くはない受信料をとるものはNHKだけである。NHKの有識者会議に対する要望には反発が強いようだが、それは多くの人がNHKの番組にはそれほどの価値はないと思っているからだろう。巷間伝えられるNHK職員の高給もこれに輪をかけている。いっそ思い切ってNHKも民放と同様に民営化してはどうなのだろうか。紅白や高校野球、大河ドラマや朝ドラは高額でもスポンサーがつくだろう。地域の観光振興や歴史ある企業の創業者の一代記も、そうしたスポンサーの協力のもとにやればよい。そうした中で、どうしても民放になじまない、国会中継や緊急時の災害情報のようなものだけを税金で運営すればよいのではないか。
2020年10月25日
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韓国ドラマらしいドラマである。特にこの間視聴した「秘密」とちょっと設定が似ている。女が裏切った男に復讐をする。男はすでに罪を犯しており、その罪を隠すために次々と悪事を重ねる。そして女を助ける財閥の御曹司と男が心をよせる財閥の美女。ただ違うのは「秘密」では裏切られた本人が復讐をするのだが、「天使の罠」では裏切られた女の妹が復讐する。番組紹介では天使のような女性が復讐のために悪魔に変貌すると書いてあるが、悪魔というほどのことはない。単に男の悪事の証拠を集めるというだけであるし、とんでもない悪女の話を期待すると肩透かしだろう。また、番組のOPではヒロインが濃い化粧をして変身するような場面になっているが、これも物語とは関係ない。むしろ全体としては復讐を誓った女が財閥御曹司と結婚し、復讐のターゲットとなる男が財閥の娘と結婚して、二組の夫婦が同じ邸宅に暮らす。さらに御曹司と娘は腹違いの兄妹で、娘の実母である夫人が、娘婿を後継者とすべく策略をめぐらす…というように、企業ドラマ+ホームドラマといった色彩が強い。こういったドラマは見る人の主観にもよるのだが、「秘密」にくらべると、復讐そのものの爽快さはない。これは、復讐のターゲットとなる男が完全悪というほどではなく、男と母親との情愛、男に捨てられてもなお恨まず愛の証として子供を一人で育てる覚悟をした女性の情、男を愛する財閥令嬢も純粋に彼を尊敬し愛しているという情。ドラマを見終わるとどうもその方が印象的だ。テンポもよく、退屈はしないが、内容としては好き嫌いの分かれるドラマではないかと思う。自分としては好きなのだが、「秘密」や「キルミーヒールミー」のように二度見たいと思うほどではない。
2020年10月23日
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昨年はエリート官僚の犯罪がたてつづけに起こった。一つは暴走車両の交通事故、そしてもう一つはひきこもりの息子殺し。そして公判では二人とも無罪を主張している。方や車の欠陥、方や正当防衛。保身というよりも、本当にそう思っているのだろう。早くに免許を返納していれば防げた交通事故よりも、元次官の息子殺しの方にやりきれないものをより感じる。ああいう事件はいったいどうすれば防げたのだろうか。解決策はあったのだろうか。そして殺害された息子の側にたって考えてみる。池袋の交通事故では被害者の無念を代弁する遺族がいるのに、父親に殺された息子にはそういう人は誰もいない。母親でさえも、あんな息子しか生んでやれなくて夫に申し訳ないと証言をしていた。「あんな息子しか…」という息子の人生はなんだったのだろうか。遊牧や狩猟を業とする社会で眼鏡も普及していなければ、近眼だって障碍に入るだろう。LGBTも時代や社会によっては病気とされていたが、今そんなことをいうと「差別」だと糾弾される。それと同じように人と少し変わったところがあってうまく付き合いができないとか集団になじめないという人間は昔なら「変わり者」と言われたが、今ではなんちゃら障害という立派な病名がつく。次官の息子もおそらくはそうした障害があり、子供の頃から友人が少なく、中学に入ると壮絶ないじめにあったという。いじめられストレスの多い生活でも体だけは成熟していくので、中学ともなれば「愚母」を殴り倒せるようになる。そしてそれが快感となっていくのだが、同時に、それは最後のよりどころになるべき母との絆も切れていくことでもあった。一方、優秀で社会的地位のある父親は息子にとっての自尊心のよりどころになる。金にあかせてアニメ専門学校、大学、大学院、パン専門学校と教育を受けさせていたようだが、それが就職につながっていくことはなかった。それでも父親は息子を見捨てずに、コミケで息子のアニメイラストを売る手伝いもしていたという。事件の背景には7040問題、あるいは8050問題があり、元次官の息子は被害者ではあるが、その点では、川崎の通り魔や京アニメ放火と同根のもののように思う。さらにいえば次官の息子の場合には優秀でできすぎた父親が負担であり、劣等感の根源になったとも考えられる。どうすればこの種の事件を防げたのかはなんともいえないが、やはり雇用問題、特にロスジェネ世代の雇用問題の解決は急務だろう。あと、この元次官の事件に関していえば親は親、子は子という感覚を子育て中にも徹底しておいた方がよかったように思う。「お父さんはえらいのだからお前も勉強しなくては」といった式の子育ては、なにげに弊害が多い。いい年して親の社会的地位でマウントするなどそれだけでアウトである。
2020年10月22日
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志賀直哉は小説の神様と呼ばれているのだが、なぜ、そう呼ばれるのか不思議でならなかった。「暗夜行路」を読んだが、どこの店で何を食べたというような日常生活の描写ばかりで、内容は正直たいしたことないかと思った。そしてその印象は今回、短編集「城崎にて・小僧の神様」を読んでも変わらない。その中の一編である「流行感冒」についてはスペイン風邪流行の際の世相という意味で興味深かったのだが、そういう読み方はいわば歴史資料のような読み方で小説の興趣とは別のように思う。そして他の作品はもっと私生活の瑣事にわたるようなものが多い。情景が目に浮かぶような自然描写もなければ、はっとするような心理描写もない。心に残るような名言もない。いったいどこが「小説の神様」なのだろうか。しかしこうも思う。これだけの内容で最後まで読ませる小説を書くこと、読後感の悪くない小説を書くこと…それこそが神様の神様であるゆえんではないのだろうか。そこにはけっして変わった人間や傑出した人間がいるわけではない。どこにでもいる市井の人間がいるだけだ。善人でもなく悪人でもなく、けちくさく小心な人間達。意表をつく波乱万丈の物語を考え付くこと、鋭い感性で心に残る描写を書くことで神様というべき人もいるかもしれないけど、志賀直哉の小説のような普通の人間のなんということもない日常を描きながら、読ませるものを書くというのも「神様」であろう。自分も日常の中で様々な経験をしているはずなので、こうしたものを書いてみろと言われても、とても書けるものではない。
2020年10月21日
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あちこちでクマ出没がニュースになっている。どんぐりの凶作とか世代交代によって人間を恐れなくなったとかいろいろな原因があるが、原因はなんであれ、人間の生活圏にクマがやってきて死傷者がでていることが大問題ではないか。山菜取りで遭遇するのではなく、クマが通学路や商業施設にまで侵入しているわけである。クマよけのために音を立てるものを持てばよいという意見もあるが、無理である。人間の生活圏には幼児もいる。それともそうした子供が襲われでもすれば事態の深刻さに気付くのだろうか。ヒアリについては大報道がなされ、駆除の動きも迅速であったように思う。それに対してクマは扱いが小さいのが不思議でならない。ヒアリとクマと怖いのはさてどっち?クマとの共生とか生態系保護なんていっている方はぜひクマの出没する地域に、せめてひと月でも住んでみたらどうなのだろう。※中曽根元総理の内閣・自民党合同葬が行われた。総理在任は冷戦終結の直前であり、経済ではレーガンやサッチャーとともに新自由主義を信奉していた。そして言論界では保守派の論客がもてはやされ、彼らはよく「悪平等」という言葉を使った。今日の格差社会の淵源は中曽根あたりに始まるのかもしれない。中曽根自身は傑物であることは間違いないが、50年後、100年後にふりかえったときに、むしろ功よりも罪の方が多いと評価される政治家ではないのだろうか。
2020年10月20日
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goroキャンペーンで千葉に旅行に行ってきた。このキャンペーンには批判的だったが、自動車で移動し、普通に観光地を巡り、ホテルで会食をするだけならさほど問題ではないだろうと思った。それに実際、キャンペーンが始まっても、わいわいがやがやとバスで旅行するタイプのものはすっかり影をひそめている。この機会に前から泊まってみたか宿に泊まるのもよいだろう。客も従業員も全員マスクをつけ、大広間での会食も静かだ。ただ、問題は朝のバイキング。使い捨ての手袋と紙のトングを渡されるのだが、手袋をして料理をとるのは難しいことこのうえない。前夜の会食と違って、不特定多数の人が料理に触れるので、これはちょっと不安だ。ただバイキングをやめて、一人一人あらかじめ取り分けて容器に入れるような方式では、労力もかかり、とても対応しきれないと思う。旅行中、実はちょっとしたハプニングがあった。連れが夕食後、咳が止まらなくなり、フロントにいって体温計と風邪薬を頼んできた。急激に寒くなる今のような時期には珍しいことではないのだろうけど、フロントでは心配したのではないか。gotoなんちゃらは旅行業界、外食業界を繁盛させようという施策だが、コロナ禍が収まらない限り、接客の最前線にたつ人々は不安はいや増しているように思う。また、gotoトラベルにはクーポンがつき、使用期間は旅行日に限られている。本来は土産物店の救済が趣旨なのかもしれないが、近場の個人旅行では実際には土産よりも普通の店で使われる可能性の方が高い。そして電子クーポンの場合、客も店員もスマホの操作がよくわからず、使用期限が限られることもあって、大小様々のトラブルが起きているのではないか。帰宅途中のドラッグストアでクーポンを使ったが、店の人も忍耐強く、連れも比較的スマホに詳しかったこと、店も混んでいないこともあって、無事に使用できたが、気の短い客ならキレタかもしれないし、不案内な店員さんなら「すみませんが、ほかで使ってください」となったかもしれない。この制度を利用しながらいうのはなんだが、原資は税金であり、この施策はたまたま旅行できる人や業者に恩恵を施すだけの愚作のように思う。旅行先で会食や夜の街に繰り出したりということがなければ、感染拡大ということはないのかもしれないけど。
2020年10月19日
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毎年話題を集める調査に都道府県魅力度ランキングというのがある。今年は茨城県が最下位を脱出したといって話題になっているが、そもそも、なぜ最下位だったかもわからないし、どうでもよいではないかという気がする。観光地としての魅力をいうなら、温泉がないのがかなりのマイナスなのかもしれないけど、個人的には、霞ケ浦や筑波山、それにひたちなか海浜公園は気に入っているし、住民の平均所得ならぬ平均IQでは日本随一かもしれないつくば市の博物館群だって必見である。それにまた、なぜか茨城県には展望塔がたくさんあり、水戸のシンボルタワーや牛久大仏は展望としてはあまり見やすくないのだが、鹿島港港公園のタワー(薔薇をイメージしたそうだが毒キノコにしかみえない)や大洗マリンタワーの眺望はよい。茨城県はどこよりも、こうした展望塔が多いのだが、これも平野の多い県だからだろうか。この都道府県の魅力度というのは全国の消費者3万人を対象として「各自治体についてどの程度魅力を感じますか」と聞いたものなのだが、無作為に調査対象を選べば人口比からして大都市圏の回答者が多くなる。そして魅力というのが、旅行に行きたいという魅力であれば、「行きたくてもなかなか行けない都道府県」が上位にくるのは当然で、北海道や沖縄が魅力的なのはあたりまえではないか。行ってみたいけどなかなか行けないね、でも住むということは考えていないよ…というのが魅力度の正体ではないか。だから大都市圏をかかえる北関東の県の順位が低いのはあたりまえで、茨城県に代わって栃木県が最下位になったとしても、別に驚くことではないだろう。
2020年10月18日
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コロナはヨーロッパで再度感染拡大し、例えば、英国などは一日当たりの感染者数が万単位、死亡者数は千単位といった状況になっている。世界的にみれば全く収まっていないし、これから冬に向かう北半球でどういうことになっていくか、想像もできない。もちろん感染者数が高止まりしている日本だって無関係ではない。そんな中で、満員に近い横浜スタジアム(横浜市)のプロ野球の試合で、これまでに得た新型コロナウイルス感染症対策の検証実験を行う方針を神奈川県などが固めたという。世界の多くの国でロックダウンや会合の規制が行われている現段階で、わざわざ満員にして「実験」を行うとはいったいなんのことだろうか。政府がさすがに自粛要請しないのかと思ったら「政府が求めているイベント開催制限の緩和に向け、判断材料の一つにするのが目的」という。なんなのだろうか?これって。コロナのようなパンデミックでは一番優先させるのは国民の生命健康であり、次は経済、そして財政、最後にオリンピックではないのだろうか。それなのに、国はオリンピックを最優先して、そのためには国民を実験台にすることもなんとも思わないらしい。この満員のスタジアムで感染が抑えられたという結果がでれば、これもオリンピックのゴーサインの一つになっていくことだろう。ただ、人間には実験室のねずみとは違って、実験台になるかならないかの選択権がある。わざわざ金と時間を使って満員の球場に実験台になりに行く人ってどのくらいいるのだろうか。これって本当は、もしかしたら日本人のコロナに対する危機意識と野球選好度との関連を見る社会学の実験なのかもしれない。
2020年10月16日
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なぜ野党の支持は広がらないのか。いろいろの考えがあるだろうけど、一番大きな理由は「庶民には関係ないこと」ばかりを騒いでいるからではないか。もりかけ桜は大きな問題なのだろうが、いずれも政治を私物化して、気に入った相手に恩恵をほどこした話であり、収賄のように自らが私腹を肥やしたという話でない。そしてそうした私物化はほりかえせば過去の政権でも似たようなものがあるのだが、今回はやりすぎたというわけである。ワイドショー的には面白い話題なのだが、庶民の生活とは関係ない話で、これを追及しても支持は得られない。これが学術会議となると、さらに庶民の生活と関係ない。そもそも学術会議自体GHQの占領政策が残した存在で、それが、あまり目立たないためにシーラカンスのように残ってきただけだ。そもそも学者の英知で大衆が軍国主義に向かうのを防ぐという発想自体が選民意識むき出しで、あまり今日的ではない。マスコミは連日のように大報道をしているし、野党も批判の手を緩めないのだが、この問題、あまり長引かせると世論はむしろ学術会議廃止論の方に傾いていくように思う。学者出身の知事が総理の無教養を罵倒したり、ノーベル賞学者が「学問に対する冒とく」だと総理の任命拒否を批判しても、大衆は罵倒したり批判したりする側に鼻持ちならぬものを感じて不快に思うだけだろう。前回の選挙で検討したのは「れいわ新選組」と「NHKから国民を守る会」だった。「れいわ新選組」は非正規の問題、コンビニオーナーの問題など、庶民の側の問題を丁寧に掘り起こし、当事者を候補にたてた。「NHKから国民を守る会」の健闘は、理念よりも、NHK受信料がけっこう重荷になっていると感じている人にアピールしたのではないか。れいわもNHKも政党としては線香花火のようなものだが、瞬間的にもこうした政党が支持を得たことを、野党はよく考えた方がよい。もっとも単なる選挙互助会ではそれも無理なのかもしれないのだが。
2020年10月15日
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大阪都構想というのがあり、これについて住民投票を行うという。東京都が発足したのは昭和18年、従来の東京府を東京都とし、東京市を廃止して複数の区に分けたわけである。大阪都構想も同様に、大阪都の下に大阪市ではなく、複数の区を置き、その区は市町村に準じる自治体にするということなのだろう。大阪都になってなんかよいことがあるのだろうか。有権者の中には大阪「都」の方がかっこいいとか、大阪都になれば、東京と同格になると考える人もいるかもしれないが、そうした名称の問題はひとまずおく。核心は、大阪市の中の区が単なる行政区ではなく、市町村に準ずるような独立性のある自治体になるということだ。ちなみに東京の実態でいえば、区ごとに異なるレベルの行政サービスが提供されており、大企業が集まり財政の豊かな区は図書館も区民センターも豪華、そうでないところは貧弱という実態がある。だから大阪の住民の方も、ものすごく自己チューな選択かもしれないけど、財政力の豊かそうな区の住民は大阪都になって得をし、そうでない区の住民は損するということになる。あと、大阪都構想の中には、大阪を「副首都」にするという話もあるようだが、これは、そもそも大阪の住民の投票だけで決めるのはおかしい。副首都が必要かどうか、そしてその副首都をどこにするかは日本全体の話であり、それこそ副首都の候補は日本で二番目に人口の多い市も考えられるし、震災のおそれのすくないところという選択もある。大阪の住民だけで決める話ではないだろう。
2020年10月13日
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ふるさと納税という制度がある。地方税相当分を「ふるさと」にする自治体に寄付することで寄付控除を受け、返礼品を受け取るというものである。知人でこれを利用して食品以外にも日用品や家具など様々なものを取得している人がいて「ふるさと納税をやらないのはバカだ」という言葉もうなづける。実は自分もこの制度を利用しており、近県自治体の温泉プラス食事券などはかなりうれしい。ただ、この制度がよい制度かとなると疑問である。ほしい返礼品を探すために全国の市町村をHPで片端から探すなどということはなかなかできない。どうしてもそれ用のサイトで探す。そして返礼品も自動的に飛んでくるわけではないので、製造業者、委託業者の手を経てこちらに届くわけである。となると、例えば2万円の寄付をA市に行ったとしても、その2万円がまるまるA市の地域振興に使われるわけではなく、ネット上でふるさと納税サイトの運営を行っている業者、配送を請け負っている業者にいくぶんかはわたるわけである。返礼品を作成する業者は地元業者であり、地元経済を潤すのかもしれないけど、本来はA市の税金として公共のために使われるはずのものが、全国規模のIT業者や配送業者の利益に化けるとしたら、これでよいのだろうかという気がする。同じことをGOTOイートキャンペーンにも思う。これはどんな場合でも利用できるわけでなく、グルメサイトを利用し、そこで予約して飲食した場合にポイントとして還元される仕組みだ。そうなると飲食店はまずグルメサイトに加入しなければならないが、加入はもちろんタダではない。電子マネー支払いの体制のない飲食店ならまずその体制を整えなければならない。このキャンペーンはもともとはコロナ禍で苦境にある小規模飲食店を救うという名目だったはずなのに、実際には、GOTOイートキャンペーンにのれるのは規模の大きいところやチェーン店が多く、個人経営のレストランはかえってこういうところに客を取られて苦しくなるのではないか。そしてもちろんネット上でグルメサイトを運営している業者は大もうけをする。この時期にGOTOイートキャンペーンを行うことはコロナを拡大させるのではないかと不安に思ったが、今はそれ以上に、税金を使って余裕のある層中心に恩恵を与え、大規模飲食業者やITグルメサイトを設けさせ、個人経営小規模店をますますの苦境に追いやる愚策のように見える。
2020年10月12日
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GHQが日本にやってきて様々な改革を行ったがその目的はただ一つ。日本を再び軍国主義化させないことであった。戦争には勝ったけど、こんな相手とはもうやりたくない…米国人は心底そう思ったのだろう。まず、軍隊を解体して、戦争遂行者を糾弾することはもちろんとして、軍国主義思想や国家主義思想を唱道していた人々を追放した。公職追放である。この公職というのは、公務だけでなく、私立大学や言論機関など国民の考え方に影響を与えるようなものはすべて含まれていた。次に行ったのは公務員制度の改革である。戦前の官吏制度は身分差別とも言ってもよいくらいの格差があり大勢の雇の上に官吏がおり、その官吏の中でも少数の高等官が雇から抜擢された判任官の上に君臨していた。こうした官吏制度を廃止し、それに伴い、中央人事行政機関としての人事院を設立し、高等文官試験を廃止した。また、地方自治の確立も不十分であるとして、知事は公選制としたうえで、地方行政を総括する内務省を解体した。こうした戦後の改革のいくつかは定着し、そしていくつかは有名無実化していった。学術会議もそうした戦後の改革でできた機関である。背景には、学者の発言力を確保することによって軍国主義の復活を防ぐという狙いがあった。戦前のような軍国主義の体制がよいとは思わないし、当時唱道されたといわれる皇国思想も今から見れば噴飯ものだろう。ただこうした軍国主義復活阻止の方法としての公職追放や学術会議の創設には、大衆というものは知識人の影響のもとで動くものだという愚民思想が、どこかみえかくれしている。今日では、占領政策の落とし子のような学術会議はさほど大きな影響力をもっているわけでもない。任命拒否の問題も一般国民にとってはどうでもよいものなのではないか。
2020年10月10日
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名前は知っているけど内容はあまり知られていない。世の中にはそんな物語があるがこれもその一つだろう。時代は鎌倉時代初期、河津祐通が伊豆奥野の狩で余興の相撲に勝った帰り道で、工藤祐経の従者に殺害される。工藤祐経と河津祐通はもともとは従兄弟であったが、両者の間には所領をめぐっての争いがあり、それがこじれた結果である。河津祐通の妻は幼い兄弟の十郎、五郎を連れて、曽我祐信に嫁ぐ。やがて成長した十郎と五郎は、父親の仇の工藤祐経をつけ狙い、とうとう富士の巻狩のときに工藤佑経を討つが、十郎は死に、五郎も捕らえられて処刑される。これは史実にあり、特に五郎は逃げる中で源頼朝の寝所付近までやってきたので、当時としては大事件だったのだろう。十郎五郎の兄弟がなき親を慕いながら成長し、長じて仇を討ったものの自らも悲しい最期をとげる。そうした話は当時誰でも知っており、それをいかに悲しく語るかが重要であり、なじみの遊女とその別れの話や、母に残す形見の品の話など、死を覚悟した兄弟の涙を誘う挿話がこれでもかというほどでてくる。だから仇討といっても忠臣蔵のような物語としての起伏や爽快さはない。それに工藤祐経にしても仇としての憎々しさはなく、同族の者として、見せかけだけだが、気遣いもみせる。兄弟の貧しさや不遇も工藤祐経のせいというわけでもなく、これには別の理由がある。河津祐通の父伊東祐親である。源頼朝は最初は伊東祐親の娘のもとに通っていたが祐親は世の中を支配していた平家を恐れ、娘を引き離しただけではなく、二人の間に生まれた子供(孫)も川に沈めて殺してしまう。北条政子のもとに通うようになったのはその後のことである。頼朝が天下を取った後、伊東祐親は詰め腹を切るのだが、その祐親の孫にあたる十郎五郎の兄弟も頼朝から見れば仇の孫であり、どのみち浮かぶ瀬はなかった。おまけに兄弟の養父の曽我祐信も所領がさほどあるわけでなく、十郎五郎に分けてやるものは何もない。鎌倉時代は貴族の世から武士の世に変わった時代とされるが、その武士の中でも浮かぶものもいれば、沈むものもあった。頼朝を婿に迎えた北条氏は繁栄する一方で、恨みをかった伊東(河津)氏は衰退していった。工藤祐経だけは新時代でも重用されていたが、曽我兄弟を陰に陽に支えていたのは新体制で浮上できなかった者達であり、そのため、仇討ちの真実は頼朝暗殺を狙っていたという説まであるらしい。曽我兄弟の同腹の弟も事件後、頼朝に召され自害しているので、どうしてもそうしたことを想像する。そうだとしたら、物語の終盤で頼朝が五郎に感心して宥恕を考えたり、その死を惜しんだりしたという描写をことさらにいれたのはそうした反逆説を払しょくするためなのかもしれない。なお、物語の主な舞台は三浦半島、箱根、伊豆などであり、今に残る地名も多く、神奈川やその近辺に住む者にとっては、その面でも興味深い。
2020年10月09日
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この小説が世に出た大正8年という時期からするとスペイン風邪の猛威を背景にした短編小説である。主人公には小さな娘がおり、最初の子供を亡くしていたこともあって流行感冒に感染するのが不安でたまらない。だから人混みは極力避け、二人の女中にも厳重に注意をする。そんなときに村芝居がやってきて、女中の一人は嘘をついてその芝居を見に行ってしまう。主人公は平気で嘘をつく彼女に立腹し、暇を出すことを考えるが、思いとどまる。そのうち主人公の家にも流行感冒がやってきて、その女中だけは流行感冒にかかることもなく、働き続ける。そんな中で、主人公は次第に彼女に対する見方を変えるという話である。どうしてもスペイン風邪の流行っていた当時の状況と、今の状況を比較したくなる。この当時の予防というのは、「人込みをさける」ということくらいで、マスクはもちろんうがいや手洗いの話もでてこない。もっとも別の短編では「酒を飲んでうまいものを食っていれば流行感冒にかかっても決して死ぬことはない」という最近居酒屋の広告によくある「食べて飲んで免疫力アップ」のような言葉がでてくるが、これは魚屋が「という説を真面目に聴かした」とあるように作者は信じていない。この当時は「人込みをさける」ということが当面とりうる予防策だったのだろう。そうかといって人込みになるような行事が自粛されているわけではない。小説中には村芝居の興業があって大勢の人がでかける。どうも作者のように人込みを避け、女中にも村芝居に行くのを禁じたというのは例外的だったのだろう。人々の日常生活はほとんど変わっていなかったようにみえる。また、小説では女中が感染しなかった理由を「前にそれを済ましていた」としている。流行感冒が、インフルエンザならば、毎年のように型が変わるので前に済ましていたから罹らないということはない。ただ、当時の認識では、麻疹などと同じように一度罹れば罹らないと考えられていたのだろう。そう考えると、女中が黙って村芝居を見に行ったことも、自分は罹らないという確信があったからだという見方もできるし、女中の印象も随分と変わるのだが、はたしてどうなのだろうか。
2020年10月08日
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朝のニュースはもっぱら学術会議の任命拒否を取り上げていた。識者の中には首相による学問の自由の侵害を憂慮する声もあり、おそらくそれはそのとおりなのかもしれないが、ちょっと待てよ…とつい思う。いったい視聴者の中に学術会議がどういう役割を担っているかを知っている人がどのくらいいるのだろうか。ほとんどの人にとって、学術会議というものは「そういう機関なんてあったっけ」といった程度のものなのではないか。たしかにときおり学術会議の声明なるものが出されることもあるが、それも、それこそ「声明」であり、それにより、即何かが動くというものでもない。野党は国会で学術会議の任命拒否問題をとりあげようとてぐすねをひいているようだが、正直言って、この問題、自分のような大衆にとっては「どうでもよい問題」である。任命を拒否された先生方にしてみても、学術会議の会員になれなかったからといって、失職したり学者生命を失うわけではなく、むしろ知名度があがり、人文社会科学系の分野であれば、むしろ対マスコミ、対国民に対しては発言力が増すのではないか。もちろんこんな問題ばかりとりあげる野党にはますます失望の声が高まっていく。コロナ禍を背景にした経済不安で失職や将来不安が大きな社会問題になっている。野党が問題にすべきはどうみてもこちらであって、学術会議の任命拒否はそれにくらべればどうでもよいことだろう。
2020年10月05日
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大学では行われているオンライン授業が、小中学校ではほとんど行われていない。これは、大学の場合には学生にオンライン環境を整えることが期待できるが、小中学校の場合には全員にオンライン環境があるとは限らないということがあるのだろう。たしかに、小学生で自分用のパソコン、あるいはいつでも自分が必要とするときに使えるパソコンを持っている子供ばかりではない。しかしこのオンライン授業という手段は使いようによってはかなり有用で、対面授業にはないメリットがあるように思う。それは昔から議論になっていた問題、習熟度別授業にともなう問題にオンラインは有力な対処方法を提供するからである。誰でも小中学校の授業を思い出してみると思い当たると思うが、勉強というものは途中でつっかえると次第にわけがわからなくなる。公立中学の数学の授業になると少なからぬ子がわけがわからないまま授業を聞いていたように思う。授業についていけなくなると、学校が面白くなくなるので様々な問題行動を起こす。実は世にいう教育問題のかなりの部分はこうした授業についていけない子供に関する問題なのではないか。その対処法策として習熟度別学級というのが言われてきたが、学級を成績で分けるということは子供同士の差別感や下位の学級に入ったことでやる気を喪失するなどの問題も指摘されており、なかなかうまくいかない。こういう場合に、オンライン授業ならどうであろうか。問題を出して、解けた子と解けなかった子で、別々の授業を行う。成績の良い子は退屈なところで足踏みしなくてすむし、成績の悪い子はつっかかったところから、ときにはあと戻りして説明を聞くことができる。オンラインなので、誰がどんなクラスにいるのかは子供同士では明確にはならない。教師には負担かもしれないが、教師の数を増やしてでもこうした習熟度別の授業はやる意義があるのではないか。単なるテレビ授業ではなく、双方向性を活かしたオンライン授業なら、それは体面授業の代替ではなく、体面授業にはないメリットがある。教室で手をあげるのは内気な子には負担でも、ネット上なら質問や意見を言いやすい。パソコンのない家庭にパソコンを貸与するというのは無理でも、パソコンの家にない子供のためのパソコンをおいたスペースを図書館や公民館に儲けるなど、小中学校段階でもすべての子供がオンライン授業を受けられるような方策はないのだろうか。
2020年10月04日
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定年間際で退職金がもらえそうな人のところには、よく様々な勧誘の電話がかかってくる。なかでも多いのは不動産の購入の勧誘だ。退職後持ち家に引っ越すことを考えている人だけでなく、老後の収入源として購入した不動産の賃貸収入をあてにする人もいる。けれども賃貸用不動産というのはなかなか難しいところがある。まず、不動産は毎年劣化していき、次第に望むような家賃収入が得にくくなる。また、どうしても不動産には流行りすたりがあり、一時単身者向けの物件で多かったバストイレ洗面が同じ場所にある物件はいまでは人気がないという。あまり臆病になる必要もないが、結局はうまい話はないということである。その伝でいくと、ジャパンライフの悪徳商法というのはどうもわからない。高額の磁気ネックレスを購入して、それを人に貸して収益を得るというのだが、そんなものをわざわざ借りるという人がいるのだろうか。そんなもので金儲けができるなんて思う方がどうかしているのではないか。ところが、実際には、新規会員の払い込んだ金をもとに前の会員の配当を払っていたため、初期の入会者の中には利益を得た人もいたという。それならそうした人の中には、詐欺の片棒を担ぐというつもりはなくとも、儲けた話を吹聴していた人もいたのではないか。そして損した人のなかにはそうした話を聞いて入会した人もいたのかもしれない。おいそれと儲け話は信じないつもりでも、他人の儲けた話には人は影響を受けやすい。これからは、そうした儲けた話を聞く時も、ちょっと慎重になる必要があるのかもしれない。マンションを購入し、それを賃貸に出し、賃料収入のなかからローンを払うということをやっていた人がいて、そんな話を聞いたときにはうらやましいと思った。しかし、何年かたってからその顛末を聞くと、結局はうまくゆかず、損する結果になったそうである
2020年10月02日
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コロナの感染者数が下げ止まっているが、これは別の表現でいえば、上昇していないともいえる。ヨーロッパのいくつかの国で明確な第二波がきており、しかも、秋の到来や、経済活動の活発化を考えると、減少どころか急増してもおかしくない状況にもかかわらずである。それはやはり、「緩み」といっても、ただ単に昔に戻ったのではなく、新しい生活様式の効果があるのかもしれない。マスクはほぼ常識になっているし、販売の際のビニールシートも普通になった。たいていの施設では検温やアルコール消毒が普通になっているし、外食でのアクリル板も増えた。そしてまた、賑わいが戻ったといっても、その内容は変わった。かってはさすが高齢社会というくらいどこに行っても高齢者が目立ったのだが、最近は若い人が目立つように思う。これは若い人が増えたというよりも、高齢者が減った分だけ若い人がめにつくようになったのだろう。経済か感染拡大防止かという人がいるがそれは違う。ただ政府の施策をみると、gotoなんちゃらキャンペーン、外国への入国出国規制緩和、オリンピック開催宣言…と感染拡大防止よりもとにかく経済を回すことにまえのめりになっているように見える。特にオリンピックは「人類がコロナに打ち勝った証としての開催」から、いつのまにか「with コロナ時代の五輪」と宗旨替えしており、なんなんだと思う。ただ、多くの人は口にださなくても思っているのではないか。政府が感染拡大阻止をする気がないなら一人一人が自衛するしかない。高齢者が外出を自粛していることや、いまだに客の戻らない業種があることなどはその例ではないか。gotoなんちゃらだって、個人や家族の自動車旅行で混雑をさけるならそれ自体危険ではないし、外食も少人数で静かな会話程度ならあまり問題ないだろう。ただ密室で声をだすイベントはちょっとまずい。オリンピックももし開催時に世界的にコロナが蔓延しているような状況ならボランティアが集まらない、観客も来ないという形で国民が背を向けるだろう。いったん陽性になった人が再度感染する例があったり、インフル同様に変異しやすいウィルスであることを考えると、ワクチンや集団免疫による収束というのは考えにくい。2月から今までの状況を見ると、感染拡大を抑えながらコロナと共存していくしかないように思う。
2020年10月01日
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