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トランプ大統領は5月22日、ハーバード大学に対し、留学生受け入れに必要な認可を取り消したという。これにより、在校中の留学生も大学にいられなくなるわけで影響は大きいだろう。ここで、不思議なのは大学の自治との関係である。大統領一人の権限で、大学の留学生の帰趨を左右するということができるというのは不思議な気がする。ましてやハーバード大学は国の機関ではなく、私立大学である。そこで気になるのはハーバード大学の留学生の内訳である。ネットで見ると、中国が21%、カナダ11%、インド9%となっていて、中国からが圧倒的に多い。なんとなく同じ英語圏からの留学生が多いのかと思っていたので中国21%というのは意外である。ちなみに日本は2%でメキシコやシンガポールと同率となっている。かつての米ソ対立になぞらえ、米中対立の時代ということをいう人がいる。しかし、米ソの冷戦期ではソ連人の留学など非常に限られていたであろうし、亡命者以外にソ連人が米国人になることなどなかった。大量の留学生が米国にやってきていて、おそらくそのうちの何割かは米国に定住するであろうことだけ考えても、かつての米ソと米中の関係は違う。中国人は、こういってはなんなのだが、米国人の多くを占める白人や黒人からすれば異人種で、キャンパスでも目立つだろう。そしてまた、おそらく定説なのだろうけど、白人に比べて中国人の平均IQは高いらしい。平均と上位層の水準はイコールではないのだが、米国第一の名門といわれるハーバード大学で中国人が闊歩し、優秀な成績を収めていることは想像にかたくない。彼らのうちの何割かは本国に戻って本国の科学技術の発展に貢献するであろうし、何割かは米国に残り、場合によっては米国籍を取得して指導的な立場についていく。そういうものに脅威を感じる米国人もいるのかもしれないし、もしそうした感覚があっても、ダイバーシティに反する暴論であって、上品なマスコミには載ることはないだろう。トランプ支持の発言がマスコミにでてこないように。
2025年05月30日
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どこのあたりかは忘れたのだが、橋をわたったところに〇〇のコンビニがあり二つのレジにそれぞれ同年輩の男女がたっていた。コンビニのフランチャイズでは夫婦や家族での加入が推奨されているというし、これもそうなのだろうかと思っていたら、隣に空き地があり同じようなコンビニの建物が建設中であった。しかも同じ〇〇のコンビニだったので奇異な感じがした。大きな通りにコンビニが向かい合わせにあるのは都会ではよくみかける光景なのだが、通りのまったく同じ側に同じコンビニとなると、売り上げが半減するのはめに見えている。そう思ってみると、レジにいるオーナー夫婦と思しき二人がなにやら気の毒に見えてきた。マスコミにとってはコンビニも大きな広告スポンサーなのだが、ネット上にはコンビニのフランチャイズについてのいろいろな話がある。マスコミはネットメディアの問題点ばかりを指摘するのであるが、マスコミにとりあげない部分をとりあげるという意味でネットの影響も大きいだろう。ただし、その真偽は別(これはマスコミも同様なのかもしれないが)であり、受け手のリテラシーも必要とされる。ところで、コンビニオーナーと言うと、もともと土地や建物を所有していて、それを改装するのかと思っていたのだが、そういうものばかりではなく、一定の資金があればオーナーとなれる途もあるのだという。あるコンビニにはそうしたオーナー募集の広告があり、150万からでもできるようなことが書いてあった。就職が決まらなかった子供のために親が開業するとか、失職したから開業するとかそうした例も世の中にはあるのかもしれない。商売の経験がなくとも、懇切丁寧な指導であなたの一国一城の主…という甘い世界ではないのだが。まあ、甘い世界などどこにもないのだと思った方がよいといえばそれまでだろうけど。※ネットの影響と言えば、政党の中にもネットで攻勢をかけているところとそうでもないところとの差が大きいようだ。ネットで浮動票に積極的に訴えているところと固定票の上に胡坐をかいているところ…その差が次の選挙では出るのではないのだろうか。
2025年05月29日
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アニメ「葬送のフリーレン」はエルフ族という一種の妖精の少女を主人公にしたファンタジーアニメなのだが、その中に「我ら滅びゆく種族、生殖の仕方などとっくに忘れてしまった」という言葉がでてくる。妖精族ならぬ実在の生物でも絶滅危惧種のパンダは雄と雌を一緒にしても、全く反応をみせず、人工授精以外では繁殖できないのだという。不謹慎かもしれないけど、人間ももしかしたら、そのフェイズに入ったのかもしれない。最近の調査では、特にミドル・シニア世代の未婚率は年々上昇し、いまや男性の約3割、女性の約2割が生涯未婚となる時代だという。この生涯未婚というのは50歳時点での未婚者の比率で、それ以上の年齢のラス婚というのは、元気な長寿者が増えるとともに、増えていくのかもしれないけど、これは出産とは関係しないので、ここでは除く。また、生涯未婚の他に、短期間で離婚した人もふくめれば実質的な生涯未婚というもはもっと多いだろう。ここまで未婚率が増えると、未婚という生き方も不幸と考える人もいなくなり、そのせいか婚期をあせっているという話も聞かなくなっている。農家の嫁不足なんていう言葉を聞かないのは農村自体がめちゃめちゃ高齢化して限界集落化しているところも多く嫁どころではないのだろう。また、これもよいとか悪いとかは別にして、外国人花嫁というのもあまりきかない。バブルの頃には全国紙の広告欄に〇〇人花嫁紹介しますといった広告が掲載されていたのを記憶している。円安の影響もあるのかもしれないが、何が何でも結婚したいという男性が減ったことが背景にあるのかもしれない。それが収入減を背景にして減ったのか、もっと別の要因のあるのかは知らんけど…。民間の結婚情報サービスは盛況のようなのだが、これもいつまで続くのだろうか。最近のネット情報では男の婚活離れがあるという。もともと高収入の男は婚活市場に出てこないし、そうでない場合に、女性から年収などで露骨に篩にかけられるのは気分の良いものではないだろう。おまけに食事は男性の方が奢るという慣例になっているとならば、何を好き好んで…である。ある説によると恋愛強者の比率というのは昔も今も変わらず、そういう人は昔も今も結婚しているのだが、そうではない人々については昔は結婚が強制された社会であったものが、今はそうでもなくなっていることが未婚化の背景だという説もある。たしかに独身者を見ていると、独身を不幸と思っている様子もなければ、結婚をしなければと焦っている様子もない。
2025年05月27日
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アニメ「葬送のフリーレン」はエルフ族という一種の妖精の少女を主人公にしたファンタジーアニメなのだが、その中に「我ら滅びゆく種族、生殖の仕方などとっくに忘れてしまった」という言葉がでてくる。妖精族ならぬ実在の生物でも絶滅危惧種のパンダは雄と雌を一緒にしても、全く反応をみせず、人工授精以外では繁殖できないのだという。不謹慎かもしれないけど、人間ももしかしたら、そのフェイズに入ったのかもしれない。最近の調査では、特にミドル・シニア世代の未婚率は年々上昇し、いまや男性の約3割、女性の約2割が生涯未婚となる時代だという。この生涯未婚というのは50歳時点での未婚者の比率で、それ以上の年齢のラス婚というのは、元気な長寿者が増えるとともに、増えていくのかもしれないけど、これは出産とは関係しないので、ここでは除く。また、生涯未婚の他に、短期間で離婚した人もふくめれば実質的な生涯未婚というもはもっと多いだろう。ここまで未婚率が増えると、未婚という生き方も不幸と考える人もいなくなり、そのせいか婚期をあせっているという話も聞かなくなっている。農家の嫁不足なんていう言葉を聞かないのは農村自体がめちゃめちゃ高齢化して限界集落化しているところも多く嫁どころではないのだろう。また、これもよいとか悪いとかは別にして、外国人花嫁というのもあまりきかない。バブルの頃には全国紙の広告欄に〇〇人花嫁紹介しますといった広告が掲載されていたのを記憶している。円安の影響もあるのかもしれないが、何が何でも結婚したいという男性が減ったことが背景にあるのかもしれない。それが収入減を背景にして減ったのか、もっと別の要因のあるのかは知らんけど…。民間の結婚情報サービスは盛況のようなのだが、これもいつまで続くのだろうか。最近のネット情報では男の婚活離れがあるという。もともと高収入の男は婚活市場に出てこないし、そうでない場合に、女性から年収などで露骨に篩にかけられるのは気分の良いものではないだろう。おまけに食事は男性の方が奢るという慣例になっているとならば、何を好き好んで…である。ある説によると恋愛強者の比率というのは昔も今も変わらず、そういう人は昔も今も結婚しているのだが、そうではない人々については昔は結婚が強制された社会であったものが、今はそうでもなくなっていることが未婚化の背景だという説もある。たしかに独身者を見ていると、独身を不幸と思っている様子もなければ、結婚をしなければと焦っている様子もない。
2025年05月27日
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真田太平記第七巻と第八巻を読んだ。天下分け目とも言われた関ヶ原の戦いとその戦後処理、その中で九度山に蟄居することになった真田父子を描いた巻である。関ヶ原の戦いは、両軍とも豊臣家の御為ということを旗印にしており、そのため豊臣恩顧の大名の多くが東軍に与していた。石田三成は西軍の総大将ではなく、形式的には総大将は毛利輝元であり、形の上では徳川対毛利となる。しかし、その毛利は、祭り上げられただけで、結局はまともに戦っていない。そして島津も戦場にはいたものの、戦わずして撤退している。戦略という以前に西軍は最初からばらばらで、勝敗は最初から決まっていたようなものだろう。西軍で一番奮戦したのは、唯一、徳川秀忠を足止めにした真田父子だけだったのかもしれない。そしてその奮戦故に戦後は九度山に押し込められ、大阪の陣で起死回生を図るしかなくなってしまったのは皮肉だ。真田十勇士の物語の原型は江戸時代からあったようなのだが、人口に膾炙したのは明治期に少年向きの物語ができてからのようである。近代日本は江戸幕府を倒して成立したため、しばらくは徳川家康には悪役というイメージがあった。このため、家康を狙う真田の勇士たちの物語は人気を博したのだろう。本書でも、いわゆる忍術はでてこないが、真田の忍者である草の者の活躍が描かれている。多くの大名は情報収集や暗殺を任務とする集団を武士とは別に抱えていただろうけど、実際の歴史ではこうした集団はどの程度活躍していたのだろうか。
2025年05月26日
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よく訪問するサイトを開いたときのこと、広告のページがいきなりでてきた。スキップのつもりで間違ったところを押したのかもしれないが、いきなり警報音がなりだし、日本語で「あなたのパソコンはロックされました」と言って、画面に電話番号があらわれた。あわててで電源を長押しして切ったのたが、こういうときにあわてて電話すると、金を請求されることになるのだろう。本当に油断もすきもない。パソコンのメールの方は、毎日毎日詐欺メールが圧倒的に多い。通販サイトを名乗ったり、クレジット会s田を名乗ったり、はては税務署や警察を名乗るものまである。考えてみれば、通販サイトは本物なら宛名があるわけだし、自動的に引き落とされるクレジットカードも、こちらから本人確認したうえで使用状況を把握することになっていて、向こうから使用状況をしらせるということはない。スマホのメッセージにも一時期宅配会社を名乗って荷物が届いているというのが何通も来たことがあったし、ほとんど使わない固定電話にも電力会社を名乗る電話があり、様子が変なので、録音していると言ったらあわててきった。ネットや電話を使った詐欺はさほどの危険はないし、たまに引っかかればもうけは大きい。つまらないネットの落書きのような脅迫はすぐに逮捕されるのに、こうしたものが野放しのようにみえるのは不思議でならない。
2025年05月25日
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人は大昔から動物や植物を様々に交配させて自分の望む種を作ってきた。家畜とか栽培植物といったものがそれにあたる。食料のためというのは非常に分かりやすいのだが、それ以外の用途で改良された生物もある。花卉のような観賞用の植物もその一例であろう。そして鑑賞用という食用に比べるとさほど切実な用途ではなくとも、文明がすすみ、余裕ができると、そのための改良にも膨大なエネルギーをそそぐ。この間、神代植物公園に行ってきたのだが、薔薇がちょうど見ごろで薔薇園からこぼれるばかりに様々の薔薇が咲いていた。そしてその一つひとつに名前がついている。これは新品種ができるたびに、そうした品種を作り出した人が記念として命名をしたのだろう。花の美しさを追求するための品種改良の努力の精華に圧倒される。薔薇の中にはケネディとかドゴールとか政治家にちなんだ名前まであって、どういうイメージをもってこういう名をつけたのかも興味深い。ちなみにケネディは凛とした白薔薇、ドゴールは気品ある黄薔薇である。もっとも、こうした名は単に時の政治家におもねっただけのものなのかもしれないけど。青い薔薇というのは存在しえないものの象徴のようにいわれていたのだが、最近の技術では青い薔薇もできるのだという。植物公園にはさすがに青い薔薇はなかったが、青に近い紫の薔薇はある。薔薇の品種改良は開花期にも及んでおり、晩秋でも咲く品種があるのだが、やはり本来の時期は今頃で、神代植物公園はいろいろな季節に来ているのだが、これほどの薔薇園を見たのは初めてのような気がする。
2025年05月23日
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千葉でリビングで音楽の音がうるさいと注意された男が母と妹を人質にしてたてこもったというニュースがあった。包丁を振り回しただけでなく、灯油も撒いていたというので、単純な親子喧嘩という域ではないだろう。そしてまた殺人事件の半数は親族間で起きているというし、家族が警察を呼ぶほどに身の危険を感じても不思議ではない。犯人の男についての詳細な情報はないが、32歳で無職のようだし、ひきこもりではないにしても、それに近いようなものだろう。親は普段から息子の素行に恐怖を感じていたかもしれず、犯人を長期間隔離してほしいと思っているのかもしれない。昔の常識では32歳というのは、家庭を持って仕事でも責任を持つ立場にいるのが普通の年齢だ。しかし、最近はこういう大人子供のようなヒトによる犯罪が多い。いつかも、60歳の男がアニメを見るのを邪魔されたと両親を殺害した事件があったが、今日ではその年齢を聞いてもあまり違和感を感じない。それにしても、本当に、子育てが難しい時代になったものだと思う。そしてまた、こうしたことも、少子化の一因になっているのかもしれない。いっそのこと親子絶縁という制度を創設した方がよいのかもしれないが、そうした義絶とか勘当といったもの自体家制度を前提にしており、今日では現実的ではないだろう。ただ、親が無職の子供の暴力に危険を感じて引っ越したような場合には、DVによる住民票の閲覧拒否の制度の対象を広げ、子供から逃げ出せるような途を作ってはどうなのだろうか。また、生活に困窮した子供が生活保護を申請した場合に、親に十分な資力がある場合には、今日では生活保護受給は難しく、国民感情でも認めがたいのかもしれないが、これも、いったん生活保護を支給した上で、相当額を親から徴収するという仕組みはできないものかと思う。もし、そういう仕組みになっていれば、滋賀のタワマン夫婦も別居した息子に殺傷されなくてすんだし、東大前駅構内切り付け男も生坂村で生活保護を受給して暮らすことができただろう。
2025年05月22日
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世代と言っても、その中に含まれる人は様々で、必ずしもひとくくりにはできないものなのだが、それでも多く見られる考え方や価値観の特徴というものがある。現在、第二次ベビーブーム世代を中心とするロスジェネ世代は大きな層をなしており、政治や社会の動向を語るうえでもこの世代に対する考察が重要となるであろう。この世代といっても幅があるのだが、とりあえず1975年生まれでみてみる。生まれた頃は石油ショック後の不況期であったが、その後は、石油ショックは克服され、バブルという繁栄の絶頂に向って社会は上り坂になっていく。そしてバブル景気の時期は11歳から16歳である。思春期の最も価値観や人生観に影響を及ぼす時期をバブルで迎えたわけである。この頃には、世界経済の中で日本一人勝ちともいわれ、ジャパンアズナンバー1という書籍がベストセラーにもなった。世界的な名画を日本の社長が買ったとか、アメリカの有名な場所を日本企業が買ったということがニュースとなり、その突出ぶりにジャパンバッシングというものまであった。必ずしもロスジェネ世代ということではないのかもしれないが、この時代の記憶が印象に残っている層には、日本すごいといった議論が受け入れられやすいように見える。また、この時期にはもう一つ大きな出来事があった。冷戦の崩壊である。その冷戦の崩壊は同時に社会主義の敗北でもあった。自分などは小学校でも中学校でも、ソ連などの社会主義国は、民族や人種の差別もなく、福祉も充実し、労働者が主人公の国であると習ったものなのだが…。ロスジェネ世代の人々は逆に社会主義≒悪であり、社会主義の理想とする平等というものにもうさんくささを感じている人が多いのかもしれない。あの派遣村騒動のときも、自己責任論がわりと受け入れられていったのも、どこかで結果の平等≒社会主義的≒悪という図式があったのだろうか。ここの日記では政治的テーマについては書かないことにしているが、これからますます大きな集団であるロスジェネ世代の票が重要になるであろうし、彼らを気遣うベビーブーム世代の票も大きい。そして影響を及ぼすのは新聞や雑誌、オピニオンリーダー達ではなく、youtube のようなネット情報の影響も大きい。見ていると本当にいろいろな意見があってあきない。中には、この綺麗な服はバカな人には見えない、いや綺麗な服にみえる奴はバカだ…と言っているものまであってそれはそれは面白い。https://getnews.jp/archives/3481324/ikedanobuo_iq
2025年05月21日
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日本の人口は減少しつつあるのだが、均一に減少しているというわけではない。一部地域に集中しつつも、もともと減少傾向にあるところはますます減少しているというのが骨体であろう。この週末に東北地方を旅行したのだが、街によっては目抜き通りのところでさえ、歯の抜けたように空き地となっているところがある。残った家も、いくつかは空き家かそれに近い状態なのではないのか。これが同じ人口減少傾向でも地方中核都市なら駐車場が目立つのだが、単なる原っぱになっているのは駐車場の需要さえもないのだろう。2020年から2024年の人口の増減を市町村別にみると、増えている方はつくば市、流山市、印西市など首都圏の市が6%以上の増加となっているが、10%以上減少している市も20ほどあり、いずれも人口3万人以下の市である。東京にいると人口減少というものは実感しにくく、せいぜい空き家が目立っているというくらいなのだが、少し離れると、やはり国全体が静かに縮んでいるのを実感する。増えているのは空き家や空き地だけではなく、どこにいっても子供の数が少なく、道行く人は老人が目立つ。なにしろスーパーでも子供向きの衣類やおもちゃよりも、高齢者用の介護用品の方が目立つ時代だ。閑話休題東北旅行であるが塔のへつりに行ってきた。これは福島県南会津郡下郷町の河食地形の奇岩群で国の天然記念物になっている。地層の中の柔らかい部分だけが浸食を受けたためにできた地形なのだが、穏やかな川面をみているとこれほどの浸食がにわかに信じられないくらいだ。それだけにこの地形ができるには長い年月がかかっているということなのだろう。橋を渡って、奇岩の下に立つことはできるが、鎖のあるところはわずかでその先は柵がない。雨で岩が湿っていたり、すべりやすい靴を履いていたりして、滑ってしまったらあっという間に川に落ちそうである。検索してみると、今のところ転落事故は起きていないようなのだが、ここも国際観光地化して元気のよい外国人も来るようになると、ずんずんと先の細い岩場まで歩いていく人もでるかもしれない。そのくらいスリル満点の観光地で、この岩場からさらに階段を上がると、天然の岩室があり、そこには虚空蔵菩薩を祀ってある。
2025年05月20日
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世の中の命題には三種類あると思う。一つめは客観的に真理あるいは解答が決まっているもの二つめは社会的合意によって解答が決まるもの三つめは各人に任せるしかないものこれはなんとなく、人間が求めるという真善美に対応しているようにも見えるし、自然科学、社会科学、人文科学に対応しているようにも見える。一つめの自然科学的テーマはしかるべき専門家の検討に任せるしかないのだが、金とか負担の不均衡とかの問題がからんでくると、二つめの社会的合意の問題になる。二つめの社会的合意の問題となるものは死刑制度の存廃などが典型であると思うのだが、これとても、少数のawokeつまり意識高い系の人々が大多数の世論に反しても廃止にむけて進めるべきだと考える人もいる。それでは三つめはなんであろう。各人の人生観、価値観、宗教観に深くかかわってくる問題である。いま議論になっているものでは、不妊治療などは、この三つめの命題の典型ではないか。代理出産、非配偶者間人工授精、体外受精などである。おそらく既に子供のいる人は不妊の悩みなどはわからない。不妊であっても、自分の実子をもつことにこだわらない人は、それでも自分の実子をもちたいという人の悩みはわからない。だからしょせんはそういうものについては、社会的合意などは無理なものなのかもしれない。それでも、体外受精など、それが一般的になってくれば、当初あったような議論はなくなり、普通のものとして受け入れられるようになる。そういうものであろう。体外受精など新しい不妊治療は「神の領域を侵す」などといって反対する人がたいていでてくるものだ。たしかに不妊治療は神の領域である。それは人間の手で行ってはならぬという意味ではなく、神の問題と同様に各人の宗教観、価値観に任せるべき領域で、みだりに押さえつけてはならないという意味である。もちろんその場合、代理出産など夫婦以外の第三者を巻き込む場合には、その人の意思が尊重されなければならないことはもちろんであるのだが。
2025年05月17日
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京都ではオーバーツーリズムの問題ということが言われているという。ただ、それは京都に限らず日本のあちこちで似たようなことが起きているのかもしれない。最近鎌倉に行ってきた。駅をでると、やはり外国人観光客が多い。ただ、浅草のように浴衣のレンタルとか人力車があるわけではないのは、インバウンド需要の前からも相当に混雑していたせいなのだろうか。飲食店の値段をみると、どこも非常に高く、昼食でも三千円以上のメニューが並ぶ。数千円のインバウンド丼というものも探せばあるのかもしれない。次に、江ノ電に乗ってみて驚いた。とにかく混んでいる。地方の小さな私鉄はどこも存続が危ぶまれているのにこれほど混んでいるのはここくらいではないか。やはり外国人が多いが、見た目の国籍は多様だ。欧米人、アジア人両方とも目につき、中には東南アジアと思われる人々もいた。昭和世代は東南アジアというと途上国のようなイメージがあるのだが、タイはいまや中進国というレベルに達していて海外旅行を楽しむ層も増えているらしい。中国人と思われる人々は一般に日本人よりも声が大きいようなのだが、中国語の四声は声がある程度大きくないと区別しにくいせいなのかもしれない。中国語がいつかは英語と並ぶ世界語になる日がくるのだろうか。長谷で下りて長谷観音を参拝することにする。鎌倉と言えば大仏という思い込みがあり、大仏は何度も見たのだが、長谷観音はもしかしたら小学校の遠足以来のような気がする。行ってみると、長谷寺自体が一つの山のようになっており、十分に見ようとするとそれだけで半日はかかりそうだ。仏像としても見事な長谷観音は間近に拝むことができるし、庭園も見どころが多い。そして、非常に歩きでのある散策路を登って相模湾の景色を一望する。最後は寺の中のカフェで相模湾の景色をみながら昼食をとった。あの駅前の3000円や4000円のランチを見た後だったので、千円ちょっとカレーセットが非常にリーズナブルでおいしく感じられた。鎌倉も観光でくるにはよいのだが、これだけ観光地として人気が出ると、住民は大変なのかもしれない。特に鎌倉は観光都市といっても、観光以外の業務についている人も多いというし、閑静な高級住宅地というイメージもあるのだから。
2025年05月16日
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はじめて親ガチャという言葉を聞いた時なんともいえない嫌な感じがした。なぜいやだったのかというのは当初はわからなかったが、どうやらこの言葉に含まれる他責志向というものに嫌悪を感じたのだと思う。親ガチャという言葉を好んで使う人には共通点がある。子供ではなく十分に成長した大人であること。そもそも子供はこんな言葉をあまり使わない。つぎに親ガチャに当たったというよりも外れたという文脈で使われることが多いこと。健康に生まれて無事に大人になっただけで、親には感謝すべきなのだと思うのだが、「親ガチャ」という言葉を使う人はもっと金持ちの親だったらとか、もっと社会的地位のある親だったらとか考えるらしい。自分の思い通りにならない人生を親のせいにするのは一種の他責志向だろう。他責志向だけでなく、依存心の強い人も増えたようだ。事件の加害者ではなく被害者なのだが、かの農水省次官の息子は「親は最期の一分一秒まで子供に責任を持つべきだ」と言っていたというが、ひきこもりやニートの中にはこういう精神構造の人もいるらしい。「産んでくれと頼んだわけではない」と言うが頼んで産まれてくる人などこの世にいない。平塚の両親殺害50歳ニート(事件の続報なし)は親に対する強い恨みがあったというし、駅構内切り付け男43歳は子供の頃に親に試験の成績が悪いと怒られたのが犯行の動機だという。その一方では、貧困や低所得といった問題については、自己責任論が声高に言われている。ロスジェネの問題にしても、年越し派遣村騒動などで、社会問題として可視化されたかと思ったら、「甘えるな」の自己責任論や本人のスキルの問題とされて見えなくなっていったように思う。ロスジェネがいよいよ50歳を過ぎて生活保護に大挙なだれこみそうになって、いまさらながらにロスジェネ対策などといっているが、too lateというものだろう。
2025年05月14日
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世の中の大きな変化というものは深く静かに潜行するという説がある。そうだとしたら、今という時代も急速に人々の価値観や考え方が変わりつつあり、未婚化だとか少子化だというのは、その波頭の部分にすぎないのかもしれない。例えば、昭和の時代には次のようなことがよく言われた。・老後は子や孫に囲まれて暮らすのが一番幸せであり、年老いた親を一人暮らしさせるのは親不孝であるし、ましてや親を老人ホームに送るなどとんでもないことである。(今は子供の負担で親を施設に送るのは非常な親孝行)・盛大なお葬式や立派なお墓は幸福な人生の集大成であり、反対に寂しいお葬式や墓のないのは不幸なことである。(家族葬は普通のことだし、直葬も樹木葬も増えている)・妻を働かせている男は甲斐性のない男であり、結婚する際には、男は妻には仕事を辞めるように要求した。(今時いるのですか、そういう人)・女は高学歴だと結婚市場では男に敬遠されるとして娘の進学に反対した。・女の就職は結婚までの腰掛であり、収入が高く社会的地位の高い男に扶養されるのが幸福とされた。(これは今でもいるのかも) まあ、全部が全部そうだったというわけではないのだが、昭和の時代(30年代以降)はこういう考え方がけっこう多数派だったのではないか。上記のいくつかは令和でも多少は遺っているのかもしれないが、今では時代錯誤となったものもある。 こうしてみると、妻の扶養手当や社会保険などでの優遇はいずれ見直されていくのが趨勢であろうし、最近は婚活市場で花嫁修業という名目の無職女性が敬遠されるというのもありそうな話である。してみると、稼げる女性はより稼ぐ男性しか相手にしないので結婚難、稼げない女性は男性に敬遠されて結婚難、かくて未婚化はすすむということなのだろう。それに高齢者の介護も、昔はさほど介護期間が長くなかったということもあるのだろうけど、家庭内介護が普通で、日本的家族制度は「含み資産」なんて言った政治家もいた。今はそんな期待もできず、介護業界は人手が足りずに「ネパールに熱視線」だという。まあ、円安がさらにすすめば、そのうち「アフリカに熱視線」になるのかもしれない。
2025年05月12日
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近くのスーパーに行ったら米の棚がすっかり空っぽになっていた。米不足や米高値の情報がますます買い占めを煽っているのだろうか。平成六年の時のような米凶作があるわけでもないし、どうも原因がよくわからない。ネットで調べると、・業者間取引が増えた、・農水省の試算や受給管理が甘かった、・業務用確保で需要が大衆ブランドに集中したとあるが、いずれも分かったようなわからないような原因だ。そしてなぜ今なのだの説明にはならない。米の作付け面積は昭和44年をピークに減少しているという。今頃は水をたたえた水田があちこちにみられる季節なのだが、棄農地や太陽光パネルが目立っている。農業人口も減少している上、高齢化が著しい。2020年で農業人口の半分が65歳以上で、2023年になると7割が65歳以上であるという。平均年齢は68.7歳である。若い農家は花卉や果実などの新しい取り組みを行っている場合が多いとも考えられ、米農家に限るとさらに高齢化しているのではないか。いずれは国内での米生産が激減していくので、昨今の米不足はいずれ起きることが早く起きているだけなのかもしれない。それにそもそも主食が米だなんて誰が決めたのだろうか。単独世帯では、三食とも米以外というところもけっこう多いように思う。そしてまた、単独世帯や二人では、自宅で米を炊かないという家も多いのではないか。日本人の多くが普通に毎日米を食べるようになったのはそう古くからではない。江戸時代の農民で畑作の盛んなところでは芋などを常食にしていたところだってあっただろう。世界を見渡してみても、欧州で炭水化物をジャガイモでとっている国は多いのだが、ジャガイモも移入されたのは新大陸発見後である。米が日本の主食というのも万古不変ではない。
2025年05月11日
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東大前駅構内の切り付け事件もよくわからない事件だ。逮捕された男は動機について、「親から教育虐待を受け、世間の親に度が過ぎると子供が犯罪を犯すことを示したかった」と供述しているという。43歳の見るからに健康そうな丸々と太った大人が、犯行動機が親の教育虐待と言っているのは異様だとしか思えない。教育虐待というが、親が子供に勉強しろなんていうのは全く普通のことで、それも子供のためを思えばこそだろう。43歳といえば、職業を持って自立し、自分の家庭を持っている人も多いのだが、この犯人のように、いまだに親ガ~と言っている人もいる。この格差も相当なものだ。この犯人の背景は徐々に明らかになってくると思うのだが、数年前に空き家バンクで長野県に移住をしたという。どうやら不登校だったようで、いったいどうやって生活をしていたのだろうか。家はほとんどゴミ屋敷で、最初は畑仕事もしていたようなのだが、最近では農作業の形跡もないという。想像をたくましくしてしまえば、親はひきこもりの子供の自立のために、移住までの世話をし、その後は、金銭的な援助をしていたのではないか。家の前の膨大な段ボールは通販で様々なものを買っていた名残だろう。親にしてみれば、高齢になっていくとともに、体力的にも引きこもり息子との関係は逆転していく。親に対する暴力も始まっていたかもしれない。せめてもの策として、子供と別に暮らすようにしたのだが、子供(といっても中年のおっさんなのだが)にしてみれば、親に見捨てられたような気がする。大きな事件を起こして親に復讐してやろうというつもりもあったのかもしれない。なぜか続報もないのだが、滋賀のタワマンで老夫婦が別居したひきこもり息子に殺害された事件と似たような事件なのかもしれない。引きこもりの子供がいる家庭で、親が年老いて行く。その中で一つの解決策として子供との別居を選ぶ。しかし、それでも、子供は親を恨んで追いかけてくる…。生まれた時にはこの世の宝とも思い、可愛くてたまらなかった我が子がこんなふうになってしまうなんて…まさにこの世の悲劇としか思えない。
2025年05月09日
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40代以降のミドルシニアを対象にした婚活アプリ「ラス恋」の登録者数がこの半年間で10倍に増えたという。昭和の初めの頃には予測できなかった変化がある。それは平均寿命の伸長で昭和20年代くらいまでは男性の平均寿命が60歳代ときけば驚く人もいるだろう。平均寿命がのびただけではなく、昔なら老人という年齢でもまだまだ元気という人は今日では多い。そしてその一方で未婚率が上昇し、離婚も増えている。そしてまた、高齢になれば死別という人も増える。未婚やバツ1あるいはボツ(死没)1で本人はまだまだ元気で、よい縁があればと思う人がいても不思議ではない。もしかしたら通常の婚活市場で機会を逸したまま年を重ねた女性も、このラス婚市場ではよい縁に出会うのかもしれない。ただ、登録者数が増えているというのは婚活アプリの登録者数であって、結婚相談所ではない。この婚活アプリの登録者はすべて結婚を目的としているわけではなく、適当な相手を望んでいるという場合もけっこうあるのではないか。双方ともに高齢者という場合であれば、通常の茶飲み友達という関係で十分で、結婚という形式をとる必要はあまりない。双方ともに孤独ということ以外に特に問題がなければそれで十分のように思う。婚活以外の適当な友人紹介アプリというのもそのうちでてくるのかもしれない。ただ、経済的な困難があれば、結婚にはメリットもある。一人口なら食えなくても二人口なら食えるという言葉もある。まあ、三人口になれば破滅ということもあるのだが、ラス婚ではそういうこともない。双方の年金が不十分でも二人で一世帯になれば、光熱費や家賃、自炊の食材も節約できるので、暮らして行ける場合もあるだろう。そしてまた、一方は健康に不安を持つ年齢で財産を残す子供もいない、一方は収入も財産も乏しいが、比較的若く家事も介護もできる年齢という場合には、双方ともにWINWINで、高齢化や少子化に伴う空き家問題、介護問題、貧困老人問題などの解決、あるいは少なくとも問題の軽減という効果はある。ラス婚という生き方も今後は普通になっていくのだろうか。
2025年05月08日
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「真田太平記」の関ヶ原合戦の前夜までを読んでいる。日本史の特徴だと思うのだが、内乱があっても、その背景に民族や宗教、あるいは理念の対立のある場合というのはほとんどない。源平の戦いでも、南北朝の内乱でも。多くのプレイヤーは情勢を見て、有利だと思う方にさっと靡いていく。もちろん戊辰戦争だって尊王と反・尊王なんていう対立ではない。勝てば官軍、朝敵回り持ち。日本史はいつもそうである。関ヶ原の戦いも同様なのではないか。西軍の理念としては、豊臣家への忠誠があるにしても、その豊臣家自体が成り上がりで、秀頼の出生については、当時でも疑念を持つ人はかなりいたはずである。に短期間での成り上がりだし、それよりも由緒ある家はいくらでもあった。それよりも、天下泰平は皆が望み、どちらにつけばより安定するかくらいは考えただろうけど。物語では豊臣政権内部に文治派と武断派の対立があり、石田三成に対する武断派の反感があったというようになる。たしかに、好き嫌いという人間関係も、全くなかったわけではないにしても、それはそんなに大きな要素だったとも思えない。それよりも、各大名それぞれに領地があり、家の存続という目標があり、そのためにどちらが勝馬かをみきわめるのに必死だったのだろう。真田家では兄が東軍に、父と弟が西軍につくわけだが、これも親族間の争いの悲劇というよりも、どちらに転んでも家が存続するようにしたというわけで、決して悪い選択ではない。こうした同族の間で敵味方に別れるという形は、保元の乱や平治の乱でも見られる。争いの根底にある者が民族や宗教と言ったものではないために、どちらが勝っても勝ち馬に乗った方が生き残るわけなのだから。
2025年05月07日
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「悪魔がお前の名前を呼ぶとき」を見終わった。時々分かりにくいところがあったので。もう一度見直すかもしれないけど、結構好きなんだよね、こういう話。藤子・F・フジオの短編にあるような人生やり直し系のファンタジーで、最近は韓国ドラマもどろどろの復讐劇よりも、こういうファンタジー系が多くなっているようだ。尾羽打ち枯らした無名の老音楽家が悪魔と契約をして若さ、富、名声を手に入れるが、魂の回収の期限が迫ってきて…という話なのだが、魂が回収されるといっても、別に死ぬわけではないし、悪魔も次第にいい奴に見えてくる。よく考えると、先の読めない展開というよりも、ゆきあたりばったりのストーリーのようなのだが、俳優の演技が上手くて、だから面白い。悪魔の契約で若返った音楽家は次々と名曲を発表するのだが、実はそれは他人が発想した発表前の曲であった。約束が違うと怒る音楽家に対し悪魔は平然として言う。契約の中にお前を天才にするという項目はなかったし、そんなことは不可能だ…と。人生はちょっとしたことで変わる、あの時ああしていれば、と考えている人は多い。あの試験に合格していればとか、あの時の恋路にあいつが邪魔をしなければといった過去の後悔で、現在の状況に対する不満を紛らわしているような例もみかける。しかし、人間の性格や能力が同じであれば、たとえ、若返ってやり直したとしても、結局は同じようなことをやっているのではないか。人生やり直しても、スポーツ選手や芸能人になれないのはもちろん、能力が不足している限りできないことはできないものである。自分だって、今までやってきたことに満足しているわけではないが、じゃあ、時間を巻き戻してもう一度上手くやってみろと言われても、たぶん同じようなことしかできないと思う。まあ、転生なんてものがあるのだとしたら、次の生でこそはハイスペックに生まれたいものである。
2025年05月05日
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オールドメディアという言葉を最近よく聞くが、オールドメディアの反対はニューメディアではなく、ネットだろう。オールドメディアとネットを比較すれば、やはりオールドメディアにしかとれない情報というものはあるので、その役割は消えるものではない。ただ、ものによっては、オールドメディアよりもネットの方が信用できるというものもある。万博の評判などその最たるものだろう。招待を受けた人々が列に並ぶこともなく観覧して発信する情報がオールドメディアであれば、市井の人が列に並び会場を歩き、見て聞いた上での素直な感想がネット情報である。そんなわけでネットの万博の感想をあちこちと閲覧している。それだけのために関西に行くという気はしないけど、関西に行く機会があれば万博も見て見たいとは思う。※関西と言えば大阪で起きた自動車を使用した小学生の殺人未遂事件もよくわからない。容疑者の父親の話はよくでてくるのに、大学や勤務先の話がほとんどないからだ。容疑者は最近になって突然仕事をやめたということなのだが、実際のところはどうなのだろうか。親子の関係も非常に希薄なようにみえるし、もしかしたら親にはそう言っていたというだけで。実際はかなりの期間無職だったのではないのだろうか。逆に、親の話のようにきちんとした資格を持ち、病院勤めをしていたのであれば、なにか精神疾患をかかえて辞めたということも考えられる。どうもよくわからない事件だ。※※川崎のストーカー事件もよくわからない。ストーカー被害を訴えていた女性が失踪したら普通は事件だろう。どうみても警察の怠慢であり、また、あの三人並んでペコリとなるのか。それはどうでもよいのだが、ストーカー容疑者の家、つまり遺体の発見された家は瀟洒な一戸建てで容疑者が建てた家とは思えない。どうしようもない息子に手を焼き、親はサ高住にでも逃げ出したのだろうか。とにかく少子化を推進するような事件ばかりが次から次へと起きるものだ。
2025年05月03日
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「保身の経済学」を読んだ。最後の提言を言ってしまうと、「さしB」つまり・最低賃金を上げる、・消費税の撤廃、・BIの導入である。なんかこれってれいわ新選組の主張に似ている。いまどき、社会主義か資本主義かの議論をやる人もいないし、左翼だの右翼だのというレッテルはあまり意味をなさなくなっているのだろう。そこにいたるまでの解説はここに要約しないし、その能力もないと思うが、本書中で一番もっともだと思ったのは今の少子化対策は全く効果のないという箇所である。それはそうだろう。子育て支援策のほとんどは既に子供のいる夫婦についての教育費支援や児童手当、そして育児と仕事との両立のための政策であり、恩恵を受ける者はすでに結婚をしているカップル、特に夫婦ともに安定した就労に着きそれなりの所得を持つパワーカップルである。まさか本書で言うように、そうしたカップルの多い官僚が自分たちのためにそういう政策を導入しているというのはにわかには信じがたいのだが、今の少子化政策がまったく効果ないものだというのはそのとおりだ。あと、本書には著者の大学でのゼミの話も掲載されてあったのだが、文章だけ読むと吉本興業の訓練のようなことをやっているようにも読める。面接のための訓練には有効なのかもしれないけど、これが大学の授業と言ってもねえ。こちらの読解力不足なのかもしれないが、大学を量産して高等教育機関としての補助金を撒いているのも税金の無駄遣いだろう。
2025年05月02日
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この間、前橋に行く機会があったのだが、街の中心部でも空き地や駐車場が目につき、県庁都市でもこうした状況なのかと驚いた。そういえば熊谷でも似た印象を受けており、地方の核都市のあちこちで人口減という現象は起きているのだろう。日本は人口減少局面に入ったのだが、均一に人口が減っているわけではない。限界集落は消滅し、過疎地は限界集落化し、中核都市以下は衰退していくのだが、核都市といってもよいところは逆に人口が集中する。それは、東京周辺でも同様で、バブルの頃は垂涎の的だったような住宅地でも、今はさほど老朽化してそうもに瀟洒な戸建てが空き家になり、バスの本数は減り、スーパーも撤退しているというところがある。そして都区内をみても、戸建て空き家の目立ところがある一方、マンション新設で小学校が足りなくなって学校が新設されているところもある。核都市への人口集中と、戸建てからマンションへの住み替えという流れはこれからも続くことだろう。そしてマンションといっても、若者も婚姻数も減っているので、新生活を始めるカップルばかりではない。むしろ戸建てを処分して住み替えたという人の方が多いように思う。子供の頃とはずいぶんに街の風景も変わった。東京都下の新興住宅地に育ったので、周囲は同年輩の家族ばかりで、路地には蝋石で地面に線を引いて遊んでいる子供が蝟集しているのが普通だった。子供はどこにいてもいて、子供の声は街のBGMのようなものだったけど、老人を見かけるのは本当にまれだった。親世代は兄弟が多くてしかもその兄弟のほとんどが大人になったという世代だったので、親はたいてい田舎で他の兄弟と暮らしていた。老人は田舎にいるもの…と思っている子供も多かったのではないか。小学校になると、毎月のように転校生がやってきて、クラスの数も増えていった。目の前にあった田んぼが造成されて何棟もの住宅が建ち始めた光景はよく覚えている。工事中の砂利山は子供のかっこうの遊び場であった。中学生になる頃には、田畑はずっと少なくなり、かつてはクラスの半分ほどを占めていた農家の子供たちはいくつものアパートを有する資産家の令嬢令息となった。この頃になっても一戸建て志向は強かったので、住宅地はどんどん郊外に延び、ひな壇のような宅地造成の光景は見慣れたものだった。就職してからも、千葉に土地を買っただの茨城に家を建てただのと自慢している人がいたし、庭付き一戸建ては住宅双六の上りなんて言う言葉もあったくらいだ。そんな時代を思い出すと変われば変わるものだと思う。
2025年05月01日
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