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国立博物館の蔦屋重三郎展に行った。大河ドラマとコラボしたような展示で耕書堂のあった日本橋付近の江戸の町を再現したような部屋や、タイムスリップ体験と称して映像装置をかぶって江戸の街並みを360度見ることのできる企画もあったりしてなかなか楽しい。もちろん当時の出版物や浮世絵も展示されている。NHKの大河ドラマはみていないのだが、当時の出版が様々な分野に及んでいたのには驚く。そもそも出版が商業として成り立つためには、文字を読むことができ、なおかつ本を買う余裕のある層が一定以上いなければならない。当時の世界を見ても、これほどの出版文化の存在していた国というのは少なかったのではないか。最近、南総里見八犬伝を読んだのだが、大衆娯楽のお手本のような面白さに夢中になった。複数の個性豊かなヒーローの勧善懲悪的な活躍は、今日の鬼滅の刃やサイボーグ009などに通じるし、約束された仲間がめぐり合うといったタイプの物語も、漫画やアニメだけでなくRPGにもよくみられる。また、日本永大蔵を読んだときには、これは今日のハウツー本や経済本ではないかと思ったし、地誌や和算の本まで出版されていたというのも驚くほかない。そのほか、博物館の展示には、狂歌の本や狂詩の本というものもある。狂歌の中には古歌をもじったものも多く、もとの歌をしらなければ面白さがわからない。さらに、狂詩も元の漢詩を知らないとわけがわからない。当時は相当多くの人々に古歌だけではなく漢詩の教養もいきわたっていたということなのだろう。そういえば、明治の頃の知識人には漢詩を作る人も多く、おそらくそうした伝統は戦前まであったのかもしれない。田中角栄が訪中の際、漢詩のようなものを作ったのも角栄くらいまでがそういう世代の最後尾だったからではないか。また、浮世絵以外にも、色鮮やかな錦絵や絵巻も展示されていて、その中には、恵比寿、大黒、福禄寿が吉原に行って遊女と遊ぶというものもあった。孔子や釈迦が吉原に行くという聖廓という落語のネタがあったというが、神様と吉原というとりあわせは落語だけではなかったのだ。聖★お兄さんのように、神様をネタにする…というのも日本大衆文化に昔からあったわけである。
2025年04月29日
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最近の研究では日本人のルーツとして従来言われてきた縄文人、弥生人の他に古墳人という集団がいたことがわかったのだという。こんな話を聞くと、昔読んだ「火の鳥~黎明編」の漫画を思い出す。それは、クマソの村がヤマタイ国に滅ぼされ、そのヤマタイ国が高天原族に滅ぼされるという物語だったかと思うが、それが縄文人の特徴を残した先住民が弥生人に駆逐され、さらにその弥生人が新参の古墳人に駆逐されていく物語のようで面白い。そして今の我々には駆逐した側の祖先もいれば、駆逐された側の祖先もいることだろう。そしてまた、駆逐というが、それは、暴力的なものだけでなく、融和や共存もあったことだろう。古事記には「まつろわぬ民」がでてくるが、そのまつろわぬ民は征伐するのではなく、「ことむけやわす」という言葉が使われている。「やわす」というのは逆らわないようにさせるという意味だろう。一方で、常陸国風土記にはまつろわぬ民である山の佐伯、野の佐伯を居住している穴に茨を敷き詰めて逃げ込めないようにした上で焼き殺したという話もあり、これが今の県名につながる茨城の由来になっているという。殺戮が全くなかったというわけでもないだろう。ネットで調べると古墳人の顔の復元像も出てくるが、彫の浅い岩石のような風貌で、今の総理を思わせる。DNA分析で、人類学的な面での日本人のルーツは次第に明らかになっていくのだろうけど、日本語の系統もいつかわかるのだろうか。縄文人のDNAが多いと言われる沖縄方言も本土方言(日本語)と同系列の言語であるし、魏志倭人伝に出てくるヒナモリという言葉は夷守であり、弥生人も日本語の祖語を使っていたようだ。そして日本語は韓国語と文法はよく似ていて、偶然にしても漢語以外の固有語で似た言葉が多い。ただ、韓国語は発音ははるかに複雑で、聞き取りに苦労する無声音が多い。異国にかかる枕詞の「ことさえぐ」は無声音を聞いた印象からきているのか…と勝手に想像する。音節に母音がくっつく簡単な日本語の発音構造は南方の島々の言語やスワヒリ語に近いようだ。日本人がスワヒリ語をカタカナ発音の要領でしゃべるとよく褒められるという。まさかスワヒリ語と近縁関係はないと思うが、ポリネシアの言語とは関係あるのかもしれない。
2025年04月28日
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つらつら思うのだが、石破総理がロスジェネ支援なんてことを言い出したのはつくづくと悪手だと思う。もちろんこれは自民党にとっての悪手という意味である。ロスジェネというのは、それまであたりまえであった就職、結婚ということを諦めざるを得なかった世代であるという。たしかにこの世代から急速に少子化が進行している。まあ、youtubeで下記のような動画をみつけたので、ご参考までに。https://www.youtube.com/watch?v=AjpdcXqPqL0ロスジェネの問題を争点化するということは、当のロスジェネ本人ではなく、その親世代の票も動かすことになる。老人票と言うが老人は別に自分の年金や医療のことだけを考えて投票するわけではない。子供がいれば子供のことを思い、孫がいれば孫のことを思って投票する。そしてロスジェネ世代の親はベビーブーム世代。票としては大きなものだろう。ただし忘れてはならないのは、ロスジェネ世代といっても全員が全員苦境にあるわけではなく、この世代も他の世代と同様に格差がある。勝ち組ロスジェネは退職金課税の論議に怒るかもしれないし、単に〇〇世代ということではなく、こういう政策、こういう主張はどういう層に訴えるのかを考える必要があるだろう。※万博についてはいろいろな人が書いているのだが、中には招待されたインフルエンサーによるものもある。そういう人は招待という形で入場し、予約の手間も行列も必要なかった人であり、招待してもらったという恩恵もあるので、批判的なことなど書くわけもない。なかにはあからさまに自分はそうした立場であることを表明した上で格差という言葉を使っている人もいる。(羨ましいですね)そうしたものを読んでいると、どうもイタリア館の展示が一番素晴らしいようだ。教科書に載っているような国宝級の彫刻や絵が展示され、自由に写真もとれるという。未来技術の展示という万博のイメージとは違うし、大阪までの高い交通費を考えるとどうなのかとも思うが、もし、関西在住だったらぜひ見に行きたいものだと思う。
2025年04月27日
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ロスジェネという言葉はよく使われるが、これは1993年から2004年に就職活動を行っていた世代をさすという。全員が大卒や専門学校に行ったわけではないにしても、かりに就職活動を行った時期を21歳だとしたら1972年から1983年に生まれた世代というわけで、先頭は53歳になる。尻尾の部分も43歳であり、続く世代も劇的に就職状況が改善されたわけでもないので、ロスジェネの後には準ロスジェネのような世代もいる。政府は就職氷河期世代への支援を強化するための初会合を開き、学び直しの支援拡充とか公務員や教員の積極的な採用、農業や建設業、物流業の就労拡大などに取り組み、こうした施策を夏にまとめる「骨太の指針」に盛り込むのだという。夏と言えば参議院選挙なのだが、それにあわせてということらしい。どんな世代もそうなのだが、その世代内には様々な人がいる。ロスジェネ世代は他の世代に比べ、就職状況が悪かったため、非正規職を転々としたりして、老後を迎えるにあたり不安を持つ層が多いという。そうだとしたら「骨太の方針」で対象とするのは、そうしたロスジェネの中でも恵まれない立場の人々なのだろう。いったいどういう「骨太の方針」がでてくるのか興味深い。場合によっては、選挙前のさらなる逆風になる可能性もないではない。YOUTUBEにも様々な政党のロスジェネに対する施策を扱った動画がでている。中にはある政党の支持者の意見としてロスジェネの自己責任を強調するものもあるが、これは「政党の支持者の意見」であって政党の意見ではない。しかも、その支持者の氏名等はでていない。もちろん支持者にもいろいろなタイプがいるし、この動画自体がフェイクというわけではないのだが、ネット情報をみるのも注意が必要である。
2025年04月25日
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この間、藤で有名な亀戸天神に行ってきた。池と太鼓橋と藤とのコラボが人気で、見ごろとあって大変な人出だった。この亀戸天神までせっかく来たので、亀戸七福神もまわってみた。この七福神巡り…というのは人気なのだが、いったいいつ頃から始まったのだろうか。七福神信仰が始まったのは室町時代、庶民の間で七福神信仰がさかんになったのは江戸時代ということらしい。ただそれと七福神巡りが定着した時期は別で、亀戸七福神は明治中頃から末にかけてのもののようだ。七福神それぞれに祠があり、中に木像があるのだが、それほど古いものにはみえなかった。亀戸天神を離れて、しばらく歩くと、亀戸の町はごく普通の住宅街で高層マンションも目立つ。そのうち、日本人は高層マンション持ち家、高層マンション賃貸、酒豪住宅持ち家、集合住宅賃貸、一戸建て持ち家、一戸建て賃貸の六通りに分かれていくのかもしれない。毘沙門天の普門院はひっそりとしていて入り口近くには伊藤左千夫の墓石がある。そこから蔵前橋通りにでて、天神橋を渡らずに横十間川にそって歩いていくと布袋尊の龍眼寺だ。布袋尊というのは七福神唯一の実在の人物で唐代の僧侶だったという。吉凶を言い当てたり、路上で寝ていると雨がその上に降るのを避けたりと不思議な力を有し、弥勒の化身ともいわれたらしい。そこら福禄寿の天祖神社はすぐ近くだ。さらに北十間川にそってしばらく歩いていくと、恵比寿大黒の香取神社に着く。名物だった亀戸大根の碑も興味深い。ここの神社の中で白い小石を拾い手水で清めて持っていくとお守りにしてくれるということもやっている。弁財天の東覚寺、寿老人の常光寺にもお参りし、蔵前橋通りをわたると亀戸水神の社がある。駅名の由来にもなっているほどなのだから、かつてはもっとにぎわった社だったのだろう。ここから亀戸水神通りが続いているが、ここも昔は参道でにぎわったのだろう。今では普通の通りなのだが。水害除けの神社として16世紀に建立されたとあり、江戸幕府以前からあったわけだ。人々の願いも時代とともに変わっていく。今では東京都区内で水害や農業用水の確保を心配する人はいない。一方で香取神社は足腰健康の神、スポーツの神ということで賑わっていた。
2025年04月24日
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聞いた話である。某国に仕事の都合で二年間ほど赴任した人がいた。その人は二年間勤務先と自宅以外はほとんどどこもいかなかったという。かの北里博士が留学中研究所と自宅の往復以外はどこも行かなかったという話があるがもちろんそれとは違う。その某国は非常に治安が悪く外国人が自由に出歩くだけで危険であり、さらにいえば見るべきものや食べるべきものもないのだという。そういう国も世界にはある。日本にやってくる観光客も増え、かつては想像もできなかったような状況なのだが、これはそれだけ日本には外国人を惹きつける文化があり、景観や歴史的建築物があり、土産に買いたくなるような品物があり、そして食べ物もおいしいということなのだろう。もちろん治安もよくなければならない。外国人観光客が多くやってくることについては、円安が進み、日本が相対的に豊かな国ではなくなったということもあるだろう。しかし、観光依存度の高い国と観光大国とは違う。途上国の中には過去の遺跡や恵まれた自然景観で観光依存度の高い国はあるが、世界一の観光大国はフランスであり、フランスを貧しい国だという人はいない。この間、花見に浅草に行ってきたが、行くたびに外国人観光客が多くなっているように見える。あのあたりで浴衣や和服で人力車に乗っているのはだいたい外国人だろう。若い人力車夫もずいぶん増えている。ワーキングホリディ―もよいのだが、外国人客の多いところで果敢に英語を身に着けるという人もこれからでてくるのではないか。
2025年04月22日
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youtubeには興味のありそうな記事を提示してくるという機能があるという。そのせいでバイアスはあると思うのだが、最近、そうした政党あるいはその支持者による動画をよくみかける。最低賃金の引上げや消費税の廃止という具体的施策を訴えるもので、こうした主張は憲法九条だのジェンダーだの夫婦別姓だのといったテーマよりもはるかに訴求力が高い。党首自らが語りかけるものもあればアニメ風のものもあるのだが、いずれも非常にわかりやすく、よくできている。ポピュリズムという言葉は否定的ニュアンスで語られることが多いのだが、民主主義とはもともとポピュリズムではないか。一票でも多くの票をとった政党が政権をとり、それが国家の政策を決めていく。賢人政治がありえないのは、利己主義のない賢人なんてものはありえないので、賢人政治になれば賢人に都合の良い政治が行われるだけのことで、それが賢人ならぬ凡人にとってありがたいものである保障なんてないからである。また、ポピュリズムという言葉をヒットラーの台頭と結びつけて批判的に語る向きもある。たしかにナチス党は比例代表制という民意を鋭敏に反映する選挙制度もあって政権をとった。しかし、ヒットラーの問題はその政策であって、ポピュリズム≒ヒットラーの台頭という議論を突き詰めていくと、民主主義そのものが問題だという議論になってしまう。あらっぽい見立てかもしれないが、このポピュリズムという言葉がでてくるのは、インテリ知識人を含む社会の上位層とそれ以下の階層との分断が進んだ時期のように思われる。新聞やテレビなどの大手メディアには社会の上位層の意見しか出てこないので、投票箱の蓋を開けた時にあっと驚く結果になっている。そうした状況はネットという水面下のメディアの普及でますます起こりやすくなっているとみる。
2025年04月21日
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里見八犬伝の次は真田太平記を読んでいる。そういえばNHKの人形劇でも新八犬伝の次は真田十勇士であったが…五七調のそれこそ血沸き肉躍るような里見八犬伝とは違い、趣がぐっと変わって現代の歴史小説である。明治期の文学者が里見八犬伝に代表されるような読本を、こういうものは目指すべき文学ではないと批判したのは間違いではなかっただろう。荒唐無稽でご都合主義的な展開や善玉悪玉にくっきりと分かれた登場人物は、今だったら大衆文学であり、文学よりは一段低いものとされている。そして狐が化けただの、狸が化けただの、あるいは10歳の少年が完全無欠の無敵少年だのというあたりは、あの心地よい講談調あっての面白さだ。源氏物語と違い南総里見八犬伝の現代語訳というのが普及しないのは、どうもこのあたりに理由があるように思う。古文というには読みやすく、現代語にすると味がなくなる。一方で、真田太平記は、現代の作品だけあって、歴史上の武将もぐっと等身大に描かれているし、超人的な鍛錬を積んだ草の者(忍者)もスーパーマン的な描き方ではない。以前、山岡壮八の「徳川家康」を読んだことがあるが、同じ時代を別の視点から描いた歴史小説として興味深い。激動する時代の中で、いかに家の血脈を残していくかに苦慮する武将は、英雄というよりも今日の組織のトップにも通じる。そういえば、かつてはビジネスマン向けの雑誌でよく経営者や組織の長を戦国武将になぞらえた特集記事があったが、最近、そういうものをあまり見ていない。まあ、雑誌そのものが廃れていったので、それも当然なのだろう。
2025年04月20日
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商店街を歩くと、活況を呈しているようなところでも、よくみるとところどころシャッターを閉めている店があることが多い。そしてまた、目立つのは飲食店、総菜屋、洋品店、携帯ショップ、ドラッグストアなどで、金物屋、雑貨屋、書店はあまりみかけない。ましてや昔ながらの喫茶店というのものはほぼ絶滅危惧種ではないか。思うに、食品や安価な衣料品、日常の消耗品は比較的買う頻度が高く、こうしたものは地域に売っていないと困るものなどだが、蒲団や大型雑貨はめったに買うものではないので、小売店というのはなりたちにくくなっているのだろう。いずれも、大型店やネット通販に押されている上に、特に書籍は販売そのものが少なくなっている。そんなわけで最近行く機会のあった二つの商店街について書いてみる。まず横浜の弘明寺の商店街である。ここもやはりシャッターを閉めた店と飲食店や総菜屋などが混在しているのだが、まだまだ元気があるようにみえる。出かけたのはちょうど桜の頃で、商店街の真ん中を横切っている大岡川の観音橋の上は花見客が集まっていた。次は墨田区の鳩の町商店街。この辺りは昔は赤線地帯だったそうだが、細い商店街にはそうした雰囲気はない。ただ、シャッターどころか普通の民家になっているところも多く、正確には元商店街と言った方がよいのかもしれない。それでも、鳩の町商店街というアーチだけは今も残っている
2025年04月18日
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ユーチューブには見る人の関心にあわせて動画が展示される機能があるという。万博の映像も批判的なものばかりだったので、そういう方向にバイアスがかかっているのかと思って検索ワードを変えてみてもやはりいろいろと問題がありそうだ。メタンガス爆発の危険性や食べ物のぼったくり価格はまだしも、トイレが故障しているとかいうのはちょっと困る。もちろん一番困るのはトイレ難民となった本人なのだが、それが周囲の衛生環境の問題になるともっと困る。肝心の展示も建物はいろいろと面白そうなものがあるので、それに興味のある人は良いのかもしれない。ただ目玉が50年前にも展示された月の石とか、実際には南極に落ちた隕石である火星の石とかというのでは、わざわざ行ってみるほどのものではないだろう。中国からは国宝級の出土品がいくつも来るという報道があったのだが、ネットで見る限りはレプリカのようだし、それよりも、中国が月の裏側からとってきたという月の砂こそが目玉なのかもしれないが、それも砂といえば砂だしね。まあ、万博は始まったばかりだし、今後も改善されていくところもあるだろう。また、面白いものがあればネットで評判が伝わっていくこともある。従って、万博の成功不成功は未確定なのだが、例のカジノの建設は早くも始まっているという。かりに万博不成功となっても、カジノだけはどうやら実現しそうだ。はっきりいって大阪のカジノは他人事なのだが、横浜にカジノができそうになったとき、選挙民は怒った。それが現職市長の惨敗という形で結果にでたのではないか。日本でもときどき海外のカジノに行って財産を失ったなんていう話があるが、大阪のカジノによって、ああいったことがもっと普通に起きるわけである。金の消える速さは他のギャンブルの比ではないし、あると思っていた親父の貯金がいつも間にカジノに消えていたという悲喜劇もあちこちで起きることだろう。でも、それも、政府の大好きな自己責任…儲けるのは外資、そのおこぼれが税収となればそれでよいというのだから。
2025年04月17日
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責任者出てこいいやいや俺は最初から反対だった他の奴らにも責任がある、空気に流されたみんなが悪い、だから誰も悪くないなんかこういう形でどうみても悪い選択がなされた場合も誰も責任を取らずに、誰も悪くないことになって、時間だけが淡々と流れてきたように思う。明らかにまずい政策決定がなされても誰も責任をとらないし、とろうともしない。こういうことは昔からあったし、これからも続いていくのだろうね。
2025年04月16日
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映画「教皇選挙」を見た。ローマ教皇の選出を描いたフィクションなのだが、過去の女性問題が暴かれたり、テロを契機に過激な発言がでたりということはあっても、札束が飛び交うようなことはなく、概ね識見によって選任されていく過程は極めてまともに見えた。こうした宗教界の最高指導者の選出なので、最後は神のお告げだとか神意をうかがうための籤とかになりそうなものなのだが、そうはならない。この映画でも教皇選出は寛容を唱える人物がその識見故によって選出される。しかしその後におもわぬ波乱がある。法王庁をめぐる諸問題に興味関心のある向きには興味深く、また、考えさせられる映画なのかもしれないが、正直、そこまでの関心がないと、まあ、お暇ならどうぞといった映画なのだろう。つまるところ、法王庁に関心のある人には面白く、そうでない人にはそれなりに…といったところだ。ただ、映画のような事態はいつかあるのかもしれないし、もしそうなったとしても、あまり驚かない。法王庁がかくも長い間、続いてきたのは、社会の変遷にあわせる柔軟性があったからで、古くは聖像や聖画などの作成を認めたのがそうである。もともとは偶像崇拝を禁止したいたのだが、布教のために認めたわけである。そして、最近では進化論を認めたことも記憶に新しい。
2025年04月15日
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大阪万博が始まり、様々な感想がネット上に飛び交っている。いろいろな評価があるが、企業規模で購入した券が相当あるので、結果的には多くの人が入場するのではないか。関西在住であり、もし、券が入手できたら、話のタネでも行ってみたい。もっとも現実には関西在住ではないので、たぶん行かないだろうけど。それにしても、今度の万博はよくわからない。大金を費やしてできた木のリングなのだが、いったい何のために建設するのだろう。後世に残すわけでもないようだし。雨よけになるのかと思ったらさっそく雨漏りのニュースがでてきた。休憩所には石がぶら下がっているが、これも意味不明だ。ただ危なそうなだけではないか。納涼のために観客にスリルを味わわせるのなら、いっそ剣のレプリカをぶら下げてはどうなのだろう。それになによりもあのミャクミャクというマスコットなのだが、妖怪にしかみえない。人間は本能的に目が三つ以上あるものには気持ち悪さを感じるという。そのせいか、電車や自動車のデザインでも三つ目玉のものはみかけない。あのミャクミャクは目玉がいくつもあり、まるで大腸に目玉がついたようなのだが…。目玉といえば、展示の目玉はアメリカが月の石だというが、過去の大阪万博の目玉を何十年もたって再び出してくるのも変な気がする。過去の大阪万博では月の石が最大の目玉であったが、その後、スミソニアン博物館などで実際に月の石を見た人は多いし、映像でもいつでもみることができる。また、このほかに、火星の石が展示されるというが、これは実際には南極で発見された隕石であり、月の石、火星の石というと、うっかり実際に火星からとってきた石と勘違いする人も、中にはいるのかもしれない…いや、いるわけがないか。これからはしょっちゅう万博のニュースが流れることだろう。実際に何がすごいのか、どんな展示が人気があるのか、報道を見るのが楽しみである。
2025年04月14日
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万博の開会式をテレビで見た。日本的で、未来的で、しょぼいという印象しかなかったオリンピックの開会式よりもよかったように思う。特に印象的だったのはラップで、それがお経のようにも声明のようにも聞こえるのが印象的だった。ラップというのは新しい音楽という印象があるのだが、言葉に節をつける、リズムに言葉を乗せるというのは音楽の原点なのかもしれない。そういえば、歌には和歌という意味と音楽の歌という意味があるが、両者はもともとは同じものだった。パリ五輪の開会式はあの「お洒落で小粋なフランス文化」なんてものはすでにないということを世界中に認知させたようなものだが、今度の大阪の開会式は伝統を尊重しつつも未来に向かう日本を印象づけてよかったのではないのだろうか。さて、万博そのものは今日から始まる。実際の評判はどうなのだろうか。今やネットで誰もが意見や感想を発表できる時代だ。もはや大本営発表だけというわけにはいかない。実際に開幕して見ると意外に話題の展示もあって、成功裡に終わるのかもしれない。気になるのは人間洗濯機だ。ネーミングは酷いのだが、入浴排泄などの介護現場に導入できれば福音になるだろう。入浴排泄の解除というのは、介護労働者にとっても重労働の原因なのだが、介護される方にも苦痛だ。排泄介助が必要になって急速に痴呆が進むという話もときおり聞くのだから。そのほかのニュースであるが…あの大新聞がコンビニ店長の労災を一面トップで取り上げて以来、youtubeではそのコンビニを扱ったものがあふれている。オールドメディアとかいうが、なんだかんだといってもオールドメディアの影響は大きい。
2025年04月13日
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近い将来に日本では身寄りのない高齢者が激増するといわれている。未婚化もその一因だろうが、結婚をしても、離別したり高齢になって死別すればやはり身寄りのない高齢者となるだろう。そしてこうしたことに対する必要な対策としては身寄りのない高齢者支援だけではない。身寄りのない高齢者はすべて困窮していたりして支援の必要な高齢者というわけではないし、それなりの資産があって最後まで健康という人もいるだろう。ただし、高齢者にはその先がある。そうなるとそれに伴う様々な問題が出てくる。孤独死の問題、引取り手のない遺体の問題、相続人のいない財産、そして空き地や空き家の問題などである。あまり想像したくない未来なのだが、路上や駅のベンチなどでは死亡している人をみるのがわりあい普通の光景になり、過疎地は雑草の生い茂る耕作放棄地や崩れた家が並び、都会でもちょっと歩くとあちこちに雑草で覆われた空き家がある。こうした空き家の中には、タンス預金や宝飾品などのお宝もあるので、空き家に入って宝さがしをする輩も少なからずいるだろう。今もそういう者はいるのかもしれないが。孤独死は一般的になり、家主にとってはリスク要因であるとともに、社会にとっては公衆衛生の問題にもなってくる。背景にあるのは無縁化なのであるが、なぜそうなるのだろうか。まず、産業構造が変わり、農業や自営業など地域に根差した産業に従事する人が減った。地域と就業が結びついていれば、地縁を中心とする強固なつながりがあったのだが、それもなくなった。次に上記の点とも関連するが、兄弟数の現象や未婚化で家族のつながりが薄くなったとともに、親族のつながり自体も希薄になってきた。農村社会であれば、その農地を中心にして血縁のつながりがあったのだが、兄弟あるいは夫婦も別々の会社に勤め、それぞれに給料をもらっていればいやでも血縁のつながりは薄くなる。また、勤務先を通じてのつながりであるが、サラリーマンは職を離れてからの時間が長くなればなるほど会社を通じてつちかった人との縁は希薄になる。定職をもたない人ではそうしたつながりさえも、最初からないという人もいるだろう。どうするという処方箋もない問題ではあるが、これから増えていくであろう相続人不在の国庫帰属財産などは、政策的として空き家の解体や空き地の有効利用を行う必要があるのではないか。
2025年04月12日
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最近話題のAIであるが、買い替えたスマホのアプリにgeminiが入っており、メッセージにもそのgeminiからメールが来たので、彼(彼女?)とのやりとりをときどき行っている。言葉を指定して短歌制作をお願いするとそれらしい歌を作ってくるし、俳句も同様である。わからないことや知りたいことについても瞬時に参考リソースとともに答えてくれ、「お役にたてたでしょうか」という人間のような言葉もある。まるできわめて頭の良い友人が傍にいるような感じであり、おまけに人間とは違い、気をつかう必要もない。また、さすがにこれはないだろうと思って、こうこうこういう筋書きの小説を2000字程度で作るように頼むと、なんと一分もかからないうちに小説をしあげてきた。試してみたのは、本部に搾取されたフランチャイズオーナーの復讐というテーマだったのだが、geminiの書いてきたのは、オーナーがフランチャイズ契約を解除し、地元に密着した個人店を作って成功するというストーリーだった。こうした成功物語が現実世界であまりきこえてこないのはどこかにそれを阻止する要因があるのだろうか。それはさておき、AIでここまでのことができるとなると、そこそこのホワイトカラーの仕事は今後AIに取られていくという予想も現実味をおびてくる。たしかに税理士の業務はAIで代替できそうである。裁判の判決もAIが行うこともありうるときいたときには、そんなバカなと思っていたが、実際にAIの実力をみるとそれもあるのかもしれない。AIの作る短歌、AIの作る小説は器用にできているのだが、心に響くかと言えばそうではない。やはりそこにはまだ限界がある。ただその壁も徐々に破られていくのかもしれない。短歌や小説で試してみたのだが、数学の証明問題もAIでできるのだろうか。入試レベルにとどまらす、遠い将来、あるいは遠くない将来に数学の未解決問題をAIが証明するということもあるのだろうか。geminiに聞いてみると、大学入試レベルなら対応可能であるが、数学の未解決問題となると、過去の蓄積だけではできない、ただそれでも、なんらかのヒントを提供することはあるかもしれないという答えであった。今でも音声でのAIとの会話を楽しんでいる人がいるし、そのうち生まれた時からAIがあり、AIを友人として育っていく子供もでてくるのかもしれない。AIは相手の知的レベルにあわせての応答をするので、知能の発達の進んだ子供には自然に天才教育を行う結果となり、知的な巨人は今よりも生まれやすくなるのかもしれない。一方で、多くの子供たちにとっては、現実の人間とのつながりを経験する機会は減るので、それは社会の在り方にも影響を与えるだろう。いずれにしても、人間の文明というのも大きな転換点にあるのかもしれない。
2025年04月11日
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韓国ドラマはアマプラで見ているのだが、最近、こんなことがあった。「損をするのは嫌だから」の第一回をみたのだが、小学校の運動会の場面で日本語であった。韓国ドラマでは、冒頭を外国のシーンとするものがよくある。全編外国が舞台というのは見たことがないが、重要な場面に主人公が外国に行く話はあり、それを興味を引くために冒頭にもってくるのかもしれない。それにしても、日本の小学校の運動会の場面が韓国人の異国情緒を刺激するのだろうか。そう思ってみていると、主人公が家に帰り、母親と日本語で話しているのを見て…なんだろう、これはと思ったら、全編日本語吹き替えであった。特にこのドラマが日本で大評判というわけでもないのに、なぜ、これだけ全編吹き替えになっているのか不思議である。今のところは「トップスターユベク」を視聴中である。1980年代の生活そのままの暮らしをしている離島に、トップスターが滞在するというコメディで、ユベクは現代ではユベキ(iをつけるのは愛称形)で流配(配流と同じ)記にかけたのだろう。現代のソウルの暮らしと1980年代そのままの島の暮らしの対照も面白さの要素になっていて、カセットテープなどもいかにも古臭い小道具として使われている。日本では1980年代といえばバブルで、そんなに遅れた時代という印象はないのだが、韓国はちょうどその頃に中進国から先進国にかけあがっていった。それにしても、現代のソウルのトップスターの暮らしは、今の自分の生活よりもはるかに未来的だ。日本でも、こんな暮らしをしている人がいるのだろうか。特に面白いと思ったのは、ユベクが話し相手にしている猫型のAIである。昨日の日記にも書いたのだが、スマホのメッセージにgeminiというAI?からのメッセージが届き、質問をおくるとなんでもすぐに返事がくるので驚いている。それも会話のような形でかえってくるのである。すごく博識で頭がよく、面白みのない人のような印象であるが内容は完ぺきであるし、短歌なども作成する。これはこちらからの言葉を文字で打ち込まなければならないのであるが、音声で対応しているものもあり、散歩中にAIと会話しているという人の話をラジオで聞いた。音声で話しかけると、音声で帰ってくるAIがあれば、これで孤独を解消するというのも一般的になっていくのかもしれない。トップスターと島の娘、そして幼馴染との三角関係や島に唯一いる女医さんと学校教師との恋の行方など、面白いドラマであり、視聴を完了したら感想を書いてみる。
2025年04月10日
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ニュースサイトをみていたら自称〇〇〇〇容疑者とあったので驚いた。〇〇は有名芸能人の名である。そしてその中身をみると、〇〇〇〇と言っているが身元を確認するものがないので、自称としたが、顔立ちから本人と思われる…とギャグみたいな話である。事件としては全く大した事なさそうだし、もっと穏便にできなかったのだろうか。それにしても自称というのはたいてい自称画家とか自称小説家とかいったように、本人の願望と自己認識がまじりあって主張するものだと思っていた。ところが最近の自称をみると、自称無職なんていうものまであり、こういうのはわざわざ自称だなんて書かなくてよいように思う。自称という言葉の使い方もいつのまにか変わってきているのだろう。※最近スマホを買い替えたのだが、そこにGeminiというアプリが入っている。いわゆる人工知能なのだろうけどどうも使い方がわからない。ところがメッセージにGeminiから来たので、ためしにこういう言葉を入れて短歌を作るとどうなるかと聞いてみたところ、数秒でそれらしい短歌が送られてきた。やや若い人の感じの歌だったので、高齢者の歌だとどうなるかと再度聞いたら、やはり数秒後に返事があった。ちなみに、問いは「風光る」と「桜」を使った歌であり、Geminiからの返事は下記のとおりであった。(若者バージョン)風光る桜並木を駆け抜けり…略(高齢者バージョン)風光る古木の桜見守りて…略なんとも信じられない時代になったものである。数日前、ラジオのトークを聞いていたら散歩しながらAIと音声で会話しているという話があった。声も好みで変えられるようになっており、かっこうの話し相手になるのだという。これからはAIで孤独を解消するという人もでてくるのだろう。しかし、AIは脳だけでなく、そのうち身体もほしがるようになるのではないか。SF的なのだが、こんな空想もしてしまう。
2025年04月09日
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今朝の〇〇新聞を見て驚いた。コンビニの雇われ店長の労災事件について、フランチャイズ名もあげて報道をしてあったからだ。こうした事件はフランチャイズ本部がマスコミの大口のスポンサーであることもあって、報道されないものだと思っていた。しかも、本件は休みがとれずに、うつ病を発症したというもので、労災と言っても現場事故のようなわかりやすいものでもない。こうしたものは、ネット情報でしか流れないものかと思っていたのだが、マスコミの中にも姿勢を変えるところがでてきたのだろうか。そういえば何年か前にはこんな事件もあった。あるフランチャイズのコンビニでアルバイトが集まらず24時間営業を続けられなくなったことがあった。すると本部に千万単位の違約金を払わなければならない。しかたなく、オーナー夫婦は交代で24時間営業を続けざるを得ないのだが、夫人の方は癌闘病中だという。コンビニのフランチャイズ加入の際にはこうした違約金条項は入っていて、オーナーはそれも承知していたといえるのだろうけど、アルバイトの応募状況など変化しうる。この事件もずいぶんと酷い話だと思ったものなのだが、マスコミの報道は少なかったと記憶する。さて、このコンビニ店長の労災事件でも、フランチャイズ本部は労災はオーナー側の責任といっているようである。オーナーはオーナーで24時間営業を維持するために、必死だったのであろう。これで、オーナーだけが全責任を取るとなると、フランチャイズのオーナーになることの危険性がもう一つ社会に認知されたことになる。この事件を一面トップで報じた〇〇新聞、どこまで追跡報道をするのか、できるのか見て見よう。こうした巨大企業の闇の部分は、いつまでもユーチューバーだけにまかせておく領域でもないと思うし、スポンサーに対する配慮もまたマスコミ不信の一因になっているのだから。※※youtubeで検索すると、こうした問題を扱った映像はいくらでもでてくる。
2025年04月08日
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対馬から本土の病院に行くドクターヘリが墜落し、患者の方と付き添い、そして医師が亡くなったという。何年か前に五島列島に行く機会があったのだが、過疎地であり、しかも、離島となると廃屋ばかりがめだつし、そう遠くないうちに無人島同然になっていくのではないかと思った。そうした離島は高齢化もすすんでいるので、医療の需要も多い。そういうときのために、週に何度か本土の病院までヘリコプターが飛ぶという話を聞いた。そうしたコストは相当にものがあると思うのだが、患者本人が負担するというわけではないだろう。医療保険なり他の公費なりで支払うことになると思うのだが、そうまでして高齢者が離島に住む理由というのはあるのだろうか。住み慣れた土地に暮らしたいとか、自宅にいつまでもいたいという願いはわかるし、それがけしからんとはいえない。しかし、そのために病院に行くためのヘリをとばしてくれ、あるいは地域によっては屋根の雪かき、家の前の道の雪かきができないので、誰かが何とかしてくれ…そういう要望は高齢化とともに増えていく。今後、日本の人口はますます減少していく。しかし、それは、均等に人口が減っているわけではない。過疎地では人口が急減し、一部の核都市や都心では人口が増えている。つまり、人口は集中しながら減少しているというわけである。一方でドクターヘリだとか、雪かきの問題だとか、あるいは買い物難民だとかの問題が指摘されているが、便宜のために少しでも都会的なところに居住するという動きは確実にある。過疎地住民についても、ドクターヘリをとばすよりも、そうした住み替えや集住を促進する方が合理的なように思う。
2025年04月07日
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大阪万博の開幕が4月13日とせまってきた。それなのに、大阪万博で何を展示するのかというニュースがあまりきこえてこない。過去の月の石とか愛知万博のマンモスとかはずいぶんと喧伝されていたのにである。ただ、中国からは国宝級のものが来るというし、実際に行ってみると案外と目を見張るものなのかもしれない。今日では、ネットがあるので実際の来場者を通じて評判は瞬時に伝わる。さて、どういうものなのか、13日以降のネットが楽しみである。貴重な花見の期間…昨日は愛宕山に行ってきた。愛宕山には隣接してNHK放送博物館があり、この前庭の桜が見事で、なかなかの穴場ではないかと思う。愛宕神社には有名な出世の階段だけでなく、頂上の池、なで石なども有名で、付近に高層の建物が多くかつてのような眺望はないのだが、一度は行く価値があるように思う。浅草寺などに比べると外国人の姿は少ないように思えたが、ビジネスなどで日本を訪問する外国人が隙間時間に訪れるにもよいところだと思う。参拝後はNHK放送博物館に行ってみた。今の大河ドラマや連続テレビ小説の展示だけでなく、過去のニュース映像や番組のパネルもある。ただ、昔はテレビ放送のテープも高価であったそうで、人気番組の映像もほとんど残っていないという。それでも、昭和のテレビ普及期の茶の間を再現した映像では、当時の人気番組「ジェスチャー」の映像が流れていた。今みるとなんでああいうものが人気だったのかよくわからない。人形劇のパネルの展示では、最近、南総里見八犬伝を読んだばかりなので、つい「新・八犬伝」に目が行く。人形が文楽人形風であまり子供にこびていないのがよい。その後の三国志や三銃士の人形劇も大人の鑑賞にもたえるものだったように思う。今はNHKの連続人形劇というのはないようだが、これも少子化と関係あるのだろうか。なお、新・八犬伝は八犬伝の二次創作としてもよくできていた。この人形劇をなにかの拍子で見て、あまりにも面白かったので南総里見八犬伝を読み始めたくらいなのだから。この新・八犬伝の脚本は名作SFドラマ「タイムトラベラー」と同じ人が書いたものだ。タイムトラベラーも面白かったので、原作も読んでみたのだが、ドラマの方がはるかに面白く、脚本でも大変な才能がある人がいるものだと思った。その脚本家も検索してみたが、50歳代でとうに亡くなっていた。
2025年04月06日
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最近、ポリコレの悪い例として実写版白雪姫が叩かれているようだ。お姫様がそもそも「白くない」に始まって、王子様が盗賊になっているとか、原作では眠ったままのお姫様が戦うお姫様になっているとか…要するに原作のイメージがぶちこわしということが批判されているようである。たしかに原作のままの実写化を望む人は多いだろう。けれども原作どおりの実写を作れば作ったで、それはそれで現代に合わないという批判が起きそうである。なんというかこれは、子供向けの古典を現代に映像化する場合の共通の問題のように思う。かっては王子様の救いを待っているだけのお姫様というのは普通だったのだが、今だったらどうかという意見も当然にあるだろう。一つの考え方としては、こういうものはこういうものとしてあってもよいのだが、それは様々なヒロイン像のワンノブゼムであればよいのではないか。原作どおりの白雪姫でもよいし、原作を大きく改変した白雪姫でもそういうものだと思ってみればよいという考え方である。要は映画として面白く完成度が高ければよいのであって、ポリコレのために原作を改変したのがけしからんという批判は的外れというものだ。もっとも、肝心の白雪姫の映画は見ていないので、これ以上はなんともいいようもない。また、映画の中にはポリコレのためのポリコレのようなものもあり、これは悪い見本だろう。「ディビッドコパフィールド」を読んだとき、映像化作品をみたくなり、検索してみたら主役はインド系、恩人の紳士はアジア人、才色兼備のその娘は黒人という配役だった。原作の世界を視覚でも楽しみたいというのにこれでは残念としかいいようがない。そしてまた、原作の中で好感度の高いキャラをことさらにアジア人や黒人にしているのも、逆の意味で差別を感じる。
2025年04月05日
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世の中には届きやすい声と届きにくい声とがある。敗軍の将兵を語らず…という言葉があるように成功者の声は大きいが失敗者の声は小さい。諦めなければ夢はかなうという言葉は夢がかなったからこそいえる言葉で実際は諦めなくてもかなわない夢の方が多い。だいたい万人に可能なこと、誰でもできることなどはあまり価値はない。人間というものは、どの程度意識しているかは別にして、自分はこんなに優秀なんだということは大きな声でいいたくなるし、その逆のことはあまり人には語りたがらないものだ。例えば、女性は差別されている、貧困層は進学で不利になる、地方出身は受験競争で不利である…こうしたことは声高に語られ、多くの人が事実だと思っているし、実際、真実の一面をついているのかもしれない。ただこうしたことを声高に語っている人をよくよくみてみると、そのほとんどは自分はこんな不利を克服してここまでやってこれたのだという体験談である。社会的に声の届きにくい位置にいるのならともかく、声の届く位置にいるはずの人の中で、例えば俺は貧困家庭出身なのだがここまで来たという声は大きく、富裕な恵まれた家庭出身でここまで来たという声はほとんどきこえてこない。よいとか悪いとかではなく、そういうものであろう。世の中に貧乏自慢をする成功者は多いものだが、それは一種の能力自慢と思った方がよい。このように世の中には大きな声と小さな声とがあるものなのだが、こと選挙となると声の大小にかかわらず一票は一票である。そこで思うのは米国の話だ。大統領選挙の前、米国のマスコミは差別を克服した優秀な黒人(アジア系)女性のハリス候補を好意的にとりあげていた。女性差別、黒人差別は米国の大問題で、今でも彼ら彼女らは深刻な差別にさらされている。差別を克服した彼女は希望の星で多くの人は彼女を支持するはずだと報道をみるかぎり思われた。しかし、そうは思わない声の小さな人々もいた。不遇な立場にある白人男性を中心とした層であり、差別を理由にはできない人々であった。もちろんトランプが弱者の味方とも思えないが、外国人により治安を脅かされている、職を奪われているという感じている人々にとっては、きれいごとばかりいうリベラルよりは、よほど自分たちの味方に見えたのだろう。アメリカはかつての日本人が思っていたような豊かな国ではない。とてつもない金持ちもいれば膨大な貧困層もいる社会だ。米国の平均寿命は男性73.2歳、女性79.1歳であるが、所得階層によって大きな差があるのだという。
2025年04月03日
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一瞬、エイプリルフールの嘘ニュースかと思ったのだが、2025年度から三人以上の子供を持つ家庭では大学授業料が無償になるという。これこそ愚策中の愚策のように思う。まず、そもそも三人以上の子供を持つ家庭というのはどういう家庭なのだろうか。余裕のない家庭では三人もの子供は持てないだろうし、おそらくは高所得か無計画に子供をもった家庭のどちらかだろう。そして前者の方が多い。こうした施策による支援が必要なのだろうか。次に、少子化対策としての意味もあまりないだろう。子育てには大学進学以前にも様々なハードルがある。結婚、出産のハードルは別にしても、保育園、子供用品等々次々と金がかかる。子育ては余裕の金と時間がなければとてもできないものである。大学進学までも考えて、三人目だと無償になるので、じゃあ三人目の子供をもとうかと考える人はたぶんいない。また、これは私立高校も含めた高校無償化にもいえることなのだが、結局のところ淘汰さるべき私立大学の支援延命策なのではとも思う。実質全入になっている高校とは違い、私立大学にこうした延命策が必要なのだろうか。優秀な人材が経済的理由で高等教育を受けられないという場合の支援なら、別途方策を考えればよいのであるが、低レベルの大学まで支援する理由というのがよくわからない。最後に、こうした支援が支援を受ける本人のためになるかという点でも疑問である。就職率、所得などあらゆる統計は高校、大学という区分で分けているのであるが、大学の中でレベルごとに分けた統計というものはないし、作りようもない。しかし、所得が資本主義社会においての能力の反映であるということに鑑みれば、レベルの低い大学の卒業生の就職率や所得というものは、中堅以上の高校を出て就職した場合よりも低いのではないのだろうか。そして無駄に四年生大学を出たという意識だけはあったりすれば自ら就職の門戸を狭めたりもする。社会一般を考えても、インフラの補修修理など、今後必要となる職種は多い、待遇改善ともリンクしてなのだが、こうした分野の人材育成とその養成機関こそが、淘汰さるべき大学の延命よりも必要であろう。多くの人々が切実に望む施策や公的支援で、財源がないという理由で行われないものは数多い。そうした中で三人以上の子供を持つ家庭の大学無償化という政策はなぜ今行われるのか不思議でならない。
2025年04月02日
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ここ何年かはお花見によく神田川に行っている。今年は開花後、天気がよくないのが残念なのだが、訪れた時には雨は降ったりやんだりでなんとか桜を楽しむことができた。大塚から都電に乗り、面影橋で下りる。そして早稲田方向に歩いていくのだが、川沿いの桜並木は目黒川ほど混んではいないように思う。ここのところ工事で遊歩道が行き止まりになっていたのだが、今回はずっと細川庭園まで歩くことができた。これは肥後藩の下屋敷を公演にしたもので、池を中心にした回遊式庭園となっている。もう少し歩けば江戸川公園の桜も見事なのだが、そこまではいかなかった。出発地点の面影橋であるが、いわくありげな名のわりには住宅街のどこにでもあるようなコンクリート製の橋で擬宝珠のある太鼓橋を期待すると拍子抜けする。ただ、桜の季節には花見の絶好のスポットになるので、写真を撮っている人は多い。この面影橋に関する局は検索すると二つ出てきており、一つはNSPの「面影橋」、もう一つは歌手の小金沢くんで有名な小金沢昇司の「面影橋から」だ。両方ともすごくよい曲なのだが、純粋に名曲というのであれば「面影橋」の方かもしれない。ただ、これは、不倫の心の揺れを歌った曲で、内容は面影橋でなくても、例えばマディソン橋でもよいように思う。むしろ「面影橋から」の方は桜の季節の橋、そして周囲の坂の多い街でひっそりと暮らす男女が浮かんできて、臨場感という意味ではよい曲だろう。NSP「面影橋」面影橋:NSP - YouTube小金沢昇司「面影橋から」https://www.youtube.com/watch?v=e-QwiFT4Ars&pp=0gcJCfcAhR29_xXO
2025年04月02日
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かなり昔のことなのだが、難関国立大学の理系学生に金融機関からの就職案内が来ているという話をきいたことがあった。ものづくりではなく、金融商品の構築などで数理的思考にたけたよい頭をつかおうということなのだろう。そのせいか、クレジット、金融、携帯などの様々な分野で魅力的な商品が開発され、これにうまいセールストークがくわわると、ついついのせられる人も多い。もちろんこうしたものはかしこく使えばwinwinで全部だめというわけではないが、中には損をしているという人もいるだろう。大企業はマスコミのスポンサー企業でもあるので、そうした話はマスコミには絶対に出ないものなのだが、今日ではyoutubeがある。ここに「ずんだもんの末路シリーズ」があり、こうした仕組みを利用して損をしたという例がわかりやすく紹介されている。もちろんかしこく利用するという人もいるのだが、なかにはまさに「世の中の仕組みは頭の良い人が悪い人を食いものにしている」見本みたいな例もあるわけである。さらに、このシリーズには、Fラン大学やフランチャイズ店をとりあげたものもある。もちろん人それぞれでFランに行ってよかったという人やフランチャイズで店をもって正解だったという人もいるのかもしれないが、そうでない例もきっとある。ただ、こうした大学や大手フランチャイズも政界に影響を及ぼし、マスコミの有力なスポンサーでもあるのだから、マスコミ情報だけだと、こうしたマイナス面はあまり世に知られない。youtubeなどのネット情報で知るのみである。だいたい世の中には大きな声と小さな、あるいは聞こえてこない声があるように思う。ぶっちゃけ、私や俺はこんなに優秀なんだといった話は大きい声で語られるし、そうした人はたいてい影響力の強い地位についている。その一方、しくじった話は本人は語りたがらないし、そうした人は声の届きにくい場所にいるので、その声は世の中には届かない。そうしたマスコミには乗らない事実を知るという意味でもネットは面白い。もちろん情報リテラシーは必要なのであるが。
2025年04月01日
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