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生活の発見誌2月号に岩木先生の神経質の特徴についての興味深い説明があった。これによると神経質者には旺盛な生の欲望がある。また、強い自己内省力がある。生の欲望には、向上欲と自己保存欲がある。自己内省力には、強い反省心と強い自己観察力がある。神経質者が不安を起こす状況から回避しようとするのは、この自己保存欲による。自己保存欲は、変化に対して不安を覚えたり、変化を嫌がったりする傾向でもありますから、たとえいまは苦痛な状態であっても、自己保存欲のために、現状維持の方を選ぶ神経質者もいます。また面倒なことや努力を必要とすることに対して、人一倍苦痛を感じるので、それらの行動をできるだけ避けたがる傾向があります。この関係を私なりに整理してみました。生の欲望は、生存や安全の欲求、社会的所属の欲求、向上発展の欲求、楽しみたいという要求 、自由を求める欲求など多方面にわたっています。神経質者における生の欲望が強いというのは、これらの欲望の範囲が広いという事になります。その中の高次欲求として向上発展の欲求があるのだと思います。この要求は下位の欲求が充足されて初めて、生まれてくるものだと言われています。この欲求の充足のためには、目の前に立ちはだかる大きな障害を乗り越える必要があります。その障害を常に乗り越える事はとてもしんどいことです。そもそも能力的に無理な場合もあります。そういう努力を維持することは苦痛ですから、挑戦することを諦めて現状維持に甘んじてしまうことが多々起こってきます。森田理論ではそのような態度を気分本位と言っています。気分本位な生活態度は、逃避したときは一瞬だけ楽になりますが、その後後悔や自己否定で苦しむことになります。だから常に生の欲望を忘れて生活をしてはならないということです。ここで言われている自己保存欲は、この気分本位な生活態度のことを言われているのではないでしょうか。気分本位な感情がわき起こってきたときは、生の欲望を改めて見つめ直すことが必要なのだと思います。次に、神経質者の特徴として、自己内省力を上げられておられます。森田先生は自己内省力が強い人ほど立派な人間であると言われています。普段から自己の行動や思考を振り返って反省することは必要なことです。自己内省力のない人の行動は無鉄砲で自己中心的で始末に負えません。しかし、それが行き過ぎてしまうのは問題です。自己否定に陥ったり、いつまでも行動することに躊躇するばかりではまずいことです。ここでの問題は、生の欲望と自己内省力のバランスが崩れているということだと思います。自己内省力が強すぎると、強烈な不安、恐怖、違和感、不快な感情が襲ってきます。神経症に陥る人は、それを取り去ることばかりに注意や意識を向けて、かえって症状を深めてしまいます。この問題を解消するためには、不安や恐怖が発生するのは、その裏に欲望が存在しているからだという認識を持つことです。不安や恐怖の発生は、強い欲望を暗示しているのです。ここでとるべき態度は、自分の欲望を認識し、生の欲望の発揮に注意や意識を向けることです。そして、不安や恐怖を車のブレーキのように制御機能として活用していくのです。欲望と自己内省力のバランスがとれてくれば欲望が暴走することはなくなります。つまり不安や恐怖を邪魔者として排除するのではなく、大いに活用する必要があるのです。
2018.02.28
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水谷啓二先生は、時間は目に見えないが、その価値を大事にしなければならないと言われている。水谷先生が駆け出しの新聞記者であった頃、先輩の老記者から「話は5分で片付けよ。重要な用件があって自宅を訪問したときでも30分以上長居をするな」と教えられたが、これは一般社会人にとっても大事な心がけである。人々から迷惑がられているようでは何をやっても成功するはずはなく、社会人として落第である。それから、森田先生は著作の読者などで、便箋に細字でぎっしりと10枚くらいも手紙を書き、 10円切手1枚封入して「大至急お返事をいただきたい」などと言ってくる人がある。こういう人は、人の時間と労力を、何と思っているのであろうか。ひどいのになると、 20円切手を貼るべきところを、 10円しか貼ってなく、こちらが不足分を払わされることがある。こんなに非常識であるからこそ、神経質にもなるわけであって、他人の時間や労力を正しく評価できるようになれば、神経症も治るはずである。(生活の発見誌 2018年2月号 13ページより引用)時間は有限である。自分のことならともかく、貴重な他人の時間を自分勝手に奪うようなことをしてはならない。便箋に細字で10枚も自分の症状のことを長々と書いて、返信を催促するのは自己中心的である。普通は相手のことを思いやって、控えめにするのが人情である。 森田理論に、 「物の性を尽くす」と言うのがある。これは、自分、他人、物、お金、時間等をその持っている存在価値をとことんまで工夫して活かし尽くすということである。森田理論を学習し、ものそのものになりきって行動・実践すれば実現できる。時間について言えば、 1時間の時間を、2時間にも3時間にも有効に活かし工夫して使うようになれば、神経症は治る。森田理論で、 「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」という言葉がある。同じ仕事を続けていると、疲労が蓄積してくる。さらに飽きがくる。それを解消するには、別の仕事に手をつけるとよいということだ。そうすれば、新たな刺激が加わり、結果的に時間を何倍にも活かして有効に使うことができる。会議や学習会などでは、普通の人は携帯電話の電源を切るか、マナーモードにしている。ところが、時々携帯電話の着信音が鳴る人がいる。うっかり切り忘れているのなら仕方がない。でもなかには、すぐに切るのではなくて、その場で会話を始める人がいる。こういう人は会議や学習会の時間をどう考えているのだろうか。自分のことを優先して考えているような気がする。そのような考え方をする人は、 他方で「私の趣味はギャンブルです」などと公言される。一度に使う資金は5万円にも及ぶことがあるという。もったいないという気は起こらないようだ。時間の使い方に無頓着な人は、お金にも無頓着になるようだ。森田先生は1000円のお金を、5000円にも10000円にも活かして使う工夫をしなければならないと言われている。そういう人は自分、他人、身の回りの物などについても、その潜在能力を極限まで活かし尽くそうという考えは毛頭ないのではないか。家で時間を持て余していると言われるので、家庭菜園でも始めたらどうですかというと、 「土いじりのような手が汚れるようなことはやるつもりはない」などと言われる。森田理論の知識は豊富になっても、行動や実践が森田的になっていかないので、ますます神経症の泥沼に入っていくのではないかと思う。
2018.02.27
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生活の発見誌の2月号に水谷啓二先生が、 「目的」と「手段」について説明されている。・自分だけの幸せを願う人は、社会に対して寄与することがないばかりでなく、貸借関係で言えば、社会に対して債務を背負っていいることになりますから、幸せになれるはずがないのであります。私どもは、人間同士のつながりによって生きていることをこの際はっきり認め、人々のおかげをこおむるだけでなく、こちらからも人々のために尽くし、社会のために寄与するように努力したいものであります。そこに生きがいもあれば、発展の道もあるのです。・よく世の中には「悟りの境地」に憧れたり、あるいは「神経症全治の境地」を憧れ、そのためにいろいろの修行したり、治療法をあさりまくったりして、自分の職業や学業までも犠牲にする人があります。それは本当の「目的」を見失った結果であります。仮に「悟り」を開いたとしても、失業者になり、社会のために少しでも役にたたなかったとしたならば、それが何なりましょうか。・私どもは「目的」をはっきり掴むことが大切で、 「手段」を「目的」と思いちがいてはなりません。金を貯めることを生涯の目的としている人がいますが、これなども「目的」と「手段」を取り違えたものです。なぜなら、元来、お金は生活を営み、あるいは事業を運営するための「手段」なのですから。この記事に対する私の感想を投稿してみます。神経症で苦しんでいるときは、不安や恐怖を目の敵にして、なんとか取り去ろうと格闘しています。その方向に向かってしまうと、不安や恐怖がとれないどころか、精神交互作用によって神経症として固着してしまいます。その状態はアリ地獄の底に落ちてしまったようで、自分では何が何だか分からなくなっている状態です。この状態に落ち込んでいる人は、森田理論の中の「欲望と不安」の単元の学習をする必要があります。本来、不安や恐怖が発生するということは、その裏に、それに見合う欲望があるのです。欲望と不安は、コインの裏と表の関係にあります。ですから、不安や恐怖がわき起こった場合、そのことばかりに注意や意識を集中してはいけないのです。欲望のほうに注意や意識を向けて、果たして自分の欲望はなんだろうかと考えてみることが必要です。欲望が認識できれば、次に手をつける事は、不安はそのままにしておいて、生の欲望の発揮に進んでいくことです。その際、不安は生の欲望が暴走しないように制御してくれるようになっているのです。車で言えば欲望はアクセルです。不安はブレーキです。周囲の状況に合わせて、アクセルやブレーキを適切に使いこなしながら、目的地に向かって進んでいくという生活態度が大切になります。神経症に陥る人は、手段の自己目的化がひき起こされています。生の欲望の発揮が蚊帳の外になっています。ここが問題です。そして、注意や意識が不安のほうにばかり向けられています。この状態は人間本来の生き方ではありません。サーカスの綱渡りで言うと、長い物干し竿のようなもので、バランスをとっています。視線は、目的地に置いて注意深くバランスを取りながら前進をしてゆきます。森田理論ではこのことを精神拮抗作用といいます。人間には欲望が発生すると、それを制御する精神活動が対になって沸き起こるという現象のことをいいます。そういう元々備わっている精神活動のバランスを破壊するようなことをすると神経症に陥ってしまうのです
2018.02.26
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昨日に引き続き、 「農のある人生」 (中公新書)から投稿してみたい。塩見直紀さんが、 「半農半X 」という生き方を京都の綾部市で実践されている。「半農半X」とは何なのか。塩見さんによると、自分たちが食べられる分だけの農業に携わりながら、自分の好きなこと、個性を生かした仕事に就いて生計を立て、社会に役立っていくライフスタイルのことだ。このうち、半農とは日々の半分あるいは1年の半分を農業に費やすことではなく、小さな農業で家族が食べるだけの食べ物を作り、必要最小限のものを得て生きる小さな暮らしを意味する。家庭菜園でもベランダ農園でもよいから、農に関わり、汗を流す自給自足的生活を送ることが入り口となる。一方の半Xは、自分の天職(ミッション)を遂行して社会に役立てること。しかし、最初からそうなる事は難しいので、まずは自分が好きな事自分の能力や特技、個性などを活かし、最終的に社会に役立つことを目指す。大好きなことに夢中になっているうちに誰かの為になっている、社会の問題につながっているというストーリーは多いだろう。理想は、農とXのバランスがとれている暮らし方だ。Xが忙しすぎては農がおろそかになるし、農が忙しいとXが滞る。そもそも、忙しいと家族と過ごす時間がなくなるが、家族の団欒のない半農半Xはありえないという。塩見さんのライフスタイルはおおむね次のようなものだ。朝は午前3時に起床し、 6時まで読書や思索、書物などをして過ごす。午前6時になると、朝食作りにかかり、家族と一緒に食卓を囲む。7時半になると、仕事に行く妻と学校に行く娘を見送る。8時ごろから田んぼや畑で農作業に勤しむ。その後、昼食をはさんでポストスクールや著作の執筆など自分の仕事をする。ポストスクールと言うのは、自分が探して見つけた素敵な言葉をはがきに書き、 洒落た言葉を読みたい読者に送るビジネスだ。娘が学校から帰ってくる午後3時からは、家族の時間だ。家族を大切にすることは、 「半農半X 」という生き方の「いろはのい」だと塩見さんは言う。午後6時になると、家族揃っての夕食。 8時には娘と一緒に床につき、絵本の読み聞かせをして眠る。「半農半X 」の生き方では、自分たちの食べるものは自分たちでまかなうというのが基本である。塩見さんは2006年から、 1,000本プロジェクトと名付けた取り組みを始めた。1株の稲が育つと、お茶碗で軽く1杯分の米が実る。 1日3食食べるとして、 1人1,000本の米作りをすれば、 1年分の米を自給することができるという考えだ。田んぼに抵抗がある人でも、このサイズならやれそうだと思えるでしょう。より多くのお米を作ろうというつもりはなく、収量は気にしません。ここで、思索しながら自然や仲間と触れ合ってもらうのが大切です。イベントの乗りで稲刈りを楽しむのもいいですが、草取りの時間も大切にしてもらいたい。にぎわいだけではなく静けさも必要ではないでしょうか。塩見さんの生活は、とても魅力があるが奥さんが外で働いていいるので成り立っているのかもしれない。この生活でポイントになるのは「半X」である。塩見さんに刺激を受けて、半農半Xの生活をしている人がいる。半農半ヘルパー、半農半陶芸、半農半歌手、半農半NPO活動、半農半デザイナー、半農半著作などの人たちである。半農半歌手は、歌手の加藤登紀子さんの娘さんのYaeさんである。千葉県の鴨川自然王国で自然の中で子供を育てながら、半農の生活を送っている。そして親譲りの美声で歌手活動も続けられている。この人たちの生活を見ていると、人間が生きるという原点を見失っていないということである。 「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」という川柳があるが、生活を忘れて金儲けに明け暮れる生活に意味があるのだろうかと考えさせられる。
2018.02.25
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「なぞなぞ問答」作りは、連想ゲームのようでとても面白い。面白い「なぞなぞ問答」を紹介しよう。症状を克服した人とかけてなんと解くロウソクと解くその心は我が身を削って人を照らす集談会で初めて体験発表をする人とかけてなんと解く幽霊と解くその心は不安で足が地につかないオリンピックとかけてなんと解くダイエットと解くその心は無理な目標を目指すと失敗するオリンピックとかけてなんと解くゲームセンターの子供と解きますその心はどちらもメダルが欲しいです利尻昆布とかけてなんと解く京都の祇園祭と解くその心はどちらもダシ(山車)がでますハリケーンとかけてなんと解く血液型と解くその心はO型(大型)もあります熱中症とかけてなんと解く小学生の朝顔育てと解くその心はどちらも水が欠かせません線香花火とかけてなんと解く恋愛と解きますその心はやけどをすることもあります花火大会とかけてなんと解くイベント後の一段落と解きますその心はどちらも打ち上げで盛り上がります
2018.02.24
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瀧井宏臣氏の「農のある人生」 (中公新書)に面白いことが書いてある。宮崎県綾町の1坪菜園運動だ。この運動は50年前に始まった。農家だけではなく、町民、みんなが自分たちで野菜を作り、食べるという非常にシンプルな運動だ。春と秋に町役場が種を無料で配布している。たい肥を入れた土作りをし、農薬や化学肥料は使わない無農薬の美味しい野菜作りをしている。1坪菜園で栽培された余剰作物は、青空市、日曜日の朝市、町外にも出荷されている。その結果、綾町は有機農業の町としてその名を全国に知られるようになった。しかし、この運動は、国の政策と真っ向からぶつかった。国の政策は、経営の規模を拡大して国際的な競争力のある農業を目指している。大型施設・機械や大量の農薬や肥料を使う。そういうところに補助金をばらまいている。アメリカ型の大規模農業は生産効率の向上を至上目的としているので、問題ばかりを作り出している。品目を絞って大量生産するという国の方針では、農家は自分たちが食べる野菜も作らずに特定の作物を出荷する。そのために、野菜の移動販売車が農家を巡回している。そんな農業を国が先頭に立って押し進めていいのだろうか。リコーを3兆円企業にけん引した最高顧問の浜田広さんは、 「国民皆農」を提案されている。日本の自給率は40% 、特に穀物の自給率は28%しかない。しかも、米が入っての数字であって、小麦やとうもろこし、大豆などは一ケタです。ほとんどを輸入に依存している。日本は極めて危ない状態にある。いちど世界的な穀物不足が起こったら、どうなるか。おそらく食糧危機になると思います。このままいけば、日本の農業は崩壊するかもしれない。こうした強い危機感を背景に、浜田さんは2001年、 NPO法人「 市村自然塾」を創設された。もし政府が、今の農業政策を改めて、できるだけ多くの国民が、綾町のように、自分たちが食べる穀物や野菜は自分たちで自給自足をする政策に転換したらどうだろう。そのためのできるだけの援助を国が先頭に立って進めるのである。そうすれば世界中でいくら食糧難になっても困る事はなくなる。また食糧難になったときに、生産国からべらぼうな高い食料を買わされることも少なくなる。その他に、次のようなメリットが生まれてくる。・新鮮で美味しく、安全な食べ物が食べられる。・自ら作物をつくり育てる充実感や喜びを得られる。・農作業に携わることで健康になり、ストレスを解消できる。・日本の農業を支え、食料自給率を上げることにつながる。・残り少ない日本の自然や景観、文化を守っていく一助になる。・農業を通じて、地域の再生や活性化のきっかけとなる。森田理論では、自分達が出来る事やしなければならないことを他人に依存することはよくないという。いくらお金があるからといって、安易に買って済ますことは、人間本来の生き方とは程遠い。そういう生活に馴染んでしまえば、欲望が欲望を生んで、欲望の暴走が始まる。車で言えば、坂道でスピードが出た状態である。このとき、もしブレーキが壊れていれば大惨事につながる。制御機能を失った暴走する人間に、人類の未来を託す事は出来ない。人類の歴史は、欲望が渦巻く戦争の歴史を積み重ねてきた。今こそ、全人類が森田理論でいう欲望とその制御機能である不安の調和に心を寄せる時ではないだろうか。
2018.02.24
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今日は自助グループに参加して森田理論学習をする場合の適正人員について考えてみたい。生活の発見会の会員が6,000名を超えたのは1993年である。その時が最大であった。バブルの崩壊が始まったのが1990年であるから、それまでの勢いでその後3年間は拡大を続けたのである。バブル期は社会的には株価が高騰し、毎年大幅なベースアップが行われていた。経済的には恵まれていたが、神経症を抱える人達は多かった。一般的に生活に余裕があると、精神的な悩みを抱える人が多いようである。私の参加していた。集談会では、常時30名を超えていた。次第に満足できる集談会活動ができなくなり、 3つに分割して根分けを行った。その結果、どの集談会も時間的にゆとりができてきて、自己紹介や体験交流の密度が濃くなった。しかし、その後は失われた10年とも20年とも言われる時代を迎えた。この時は、生きることに精一杯で、心の問題で悩むことよりも、食べていくことにエネルギーを投入せざるを得なくなった。うっかりするとリストラに遭うような時代になったのである。集談会は、急激に参加者が減少してきた。私の集談会では、 1つだけは10名から15名の参加者があったが、根分けをした他の2つの集談会では参加者が5名以内にまで落ち込んだ。根分けをした集談会は、なかなか元へ戻すのが抵抗があり難しかった。運営がが困難になって再統合したのは、根分けから10年も経ってからであった。その時は、 2つの集談会では、名前だけはあったが、実質崩壊していた。私は集談会は、 15名程度が適正人員ではないかと考えている。15名ぐらいな参加者だと、自己紹介にたっぷりと時間がかけられる。それ以上多くなると、時間の関係で、自己紹介はあっけなくなる。症状の話、普段の生活の話など、肝心な部分が抜け落ちてしまう。相手の状況が把握できないと、その人に対する対応方法がわからない。体験交流などにつなげていくきっかけがつかめないのである。15名ぐらいだと、お互いに相手のことがよくわかり、親密な交流ができる。でも今では反対に、多くの集談会では、参加者が少ないという問題を抱えている。参加者が少ないと、集談会の幹事や世話人が限られてくる。集談会では傾聴、共感と受容は大切になるが、人材不足のため対応しきれなくなる。特定の人に役割が集中してしまうので、運営する人がしんどくなる。また森田理論学習も、学習の要点を元にして学習していると、表面的なものに終始してしまう。体験交流も深まりがなくなってしまう。弊害が多くなり、ますます参加者の減少に拍車をかける。この問題に対して次のような提案をしたい。そういうところの幹事や世話人の人は、他の人数の多い集談会に時々参加してみることが必要だ。あるいは宿泊を伴う支部研修会などに参加して、多くの仲間と知り合いになることも大切だ。そこで知り合った人脈が支えになる。また新たなエネルギーが湧いてきて、集談会で活用できるようになる。そういうところに参加すると、 運営の方法や森田理論のヒントをもらうことができる。次に、集談会同士でネットの掲示板を通じて、 運営や学習の方法などの情報を共有することも大切である。これは各地の支部でそういう交流の場を作っておくことが大切だ。そして他の集談会での成功事例は、自分のところでも取り入れるようにするのである。他の集談会では独自の学習ツール・テキストを作っている場合もあるので、それらを利用させてもらうことも有効である。人数の少ないところは、井の中の蛙となって、他の集談会とは孤立しているというのが1番まずいやり方である。でも余剰金がないので、他の集談会の人や講師を呼ぶことができないという話もよく聞く。そういう時は、スカイプを利用すればよいのである。Wi-Fi環境とパソコンがあればすぐできる。スマートフォンでもできる。時間を決めて、他の集談会のベテラン会員の人に 、テーマを決めて、たとえ1時間でも参加してもらえれば、集談会の内容がガラリと変わる。体験談を話してもらうのもよいし、講話をしてもらうのもよいし、体験交流だけに参加してもらうのもよい。先輩会員は、できるだけみんなの役に立ちたいと思っているので、応援してくれる人はいるはずである。自分でわからなければ、各地の支部委員の人に相談してみればよい。そのためにも、集談会を超えた人とつながりをつけておくことは大切だ。あとは、マンネリにならないように新しいことを取り入れたり、喫茶店や居酒屋での交流を増やしたり、とにかく自分たちが楽しいという集談会にする必要があると思う。
2018.02.23
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森田先生は敬語の使い方に警鐘を鳴らされている。たとえば、 「私のお祖父さん」ではありません。 「私の祖父」 「貴方のお祖父さん」です。近頃は小学校の先生までが、 「私のお父さん、 兄さん」という風に言うから、この言葉遣いの教育が普及するものと思われます。本当に不思議な社会現象です。「大学の先生が、神経を切って上げようと言いました」は、 「神経を切ってやろうとおっしゃった」というべきです。豊島園の池に、 「金魚を可愛がって上げてください」とあるが、 「金魚可愛がってやってください」が正しい。「赤ちゃんをお世話して上げてください」は、 「赤ちゃんを世話しておやりなさい」が正しい。母は娘に対して、 「して上げる」とか言うのは、子供言葉であって、決して成人の正しい言葉ではない。(森田全集第5巻 692ページより引用)以後4ページにわたって、言葉の使い方について持論を展開されている。敬語や言葉の使い方が神経症を治すこととどういう関係があるのだろうか。神経症に陥った時は、関心や興味、注意や意識が内向化している。森田先生のところに入院して、修養を続けていくうちに、徐々に外向きに変化してくる。そのうち、あれもこれも気になってくるようになる。そして尻軽に行動できるようになる。森田理論で言うところの、 「無所住心」の生活態度が身に付いてくるようになる。これは神経症が治る事から見ると、小学校卒業程度の段階であるといわれる。第1段階目の神経症が治るということが達成できるのである。この段階では、いろんなことによく気がついて、関心が興味、気づきや発見がどんどん増えてくる。例えば、集談会が始まると、ほとんどの人は携帯電話をマナーモードに切り替える。そうしないと途中で呼び出し音が鳴ってみんなに迷惑をかけるからである。しかし症状で苦しんでいるときは、そんなことにまでは気が回らない。心の健康セミナーやコンサートなどに行くと、あらかじめ司会者の方から携帯電話の呼び出し音については注意喚起がある。集談会ではそういうアナウンスはないので、そういう心配りができる人とできない人に別れるのである。森田の修養が進んでくると、そういう心配りが自然にできるようになる。敬語や言葉遣いについては、無意識に間違って使っている場合が多い。森田先生が指摘をして初めて、そうなのかなと気がつく。注意の向けどころか外向きになっている人は、それにヒントを得て、以後自分の敬語や言葉遣いについて意識をして注意するようになるということではなかろうか。森田先生の発言をきっかけにして、敬語や言葉遣いについても関心が出てきて気にするようになると言う事だと思う。修養の進んでいない人は、そんな細かいことをいちいち取り上げるようなことがない。あるいは、いいこと聞いた。これを書きつけて注意するようにしよう、と思うのではなかろうか。
2018.02.22
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岡田尊司氏はアウシュビッツの強制収容所から生還したピーター・フランクルを分析されている。強制収容所にいたフランクルは何をよりどころとして生き抜いたのか1つは、心の中で常に愛する存在と会話をしたことである。凍てつくような雪の中で何時間も立たされ、ひどい目に遭っている最中でも、妻ならこう言ってくれるだろうと思い浮かべ、心の中に妻の声を聞くことで、現実に追い詰められることから逃れることができたのである。もう一つは、手掛けていた書籍を完成させたいという、将来の希望を失わなかったことである。強制収容所を出たら、精神科医に復帰して、やりかけ中の書籍を出版することを考えていた。そして解放されたフランクルは、過酷な体験の最終的な回復は、自らが味わった運命に肯定的な意味を見出すとともに、その体験を生き延びた者として多くの人に伝えるという使命を自覚することにあると言っている。フランクルはまさに自らが味わった過酷な運命に、「 意味」と「使命」を見出すことで、果てしない悲しみを乗り越えようとしたのだ。実際フランクルは、自らが体験した過酷な体験を受け入れただけではなく、自分の人生の中でこのような過酷な体験ができたことを「感謝」しているのである。感謝の気持ちを抱くことができる人は、出口の見えない長く続く困難な日々の中にあっても、希望や意味を見出し、ささやかな喜びを支えに生き抜いていくことができる。感謝の気持ちが持てない人は、自分ができないこと、自分に与えられないこと、自分に不利な状況を、自分に対する攻撃、敵意、束縛と受け止めてしまいやすい。自分を否定するものとして捉えてしまうのだ。限りある生命体である自分ということ自体が腹立たしく、不満なのである。永遠に生き続けて、どんなことも成し遂げられ、どんなものも手に入れられる自分こそが、理想の自分なのである。感謝の気持ちを失ってしまった人は、不利な事にばかり目が向かい、不満ばかりを感じて、自分を余計生きづらくしてしまう。不幸せな生き方の人は、ささいな不満さえも耐え難いと感じ、周囲に責任を転嫁し、攻撃を加えようとする。そのことでいっそう不幸の悪循環を生んでしまう。感謝の気持ちを持てる人は、不幸な出来事を決して自分を否定するものとは受け取らない。そうした困難や不愉快なことさえも、こうして与えられていることには何か意味があり、それは1つの恵みなのだと考えるのである。 (「生きづらさ」を超える哲学 岡田尊司 PHP新書 236ページから247ページ要旨引用)生活の発見会では、「努力即幸福」ということが言われる。集談会の全国展開に尽力された長谷川洋三氏は、 「感謝即幸福」と言われている。神経症に陥り、いうにいわれない苦痛を体験してきた神経質者が、乗り越える過程で、この神経症の体験は、私の人生の中でとてもよい経験であったと感謝できるようになる。乗り越える過程で森田理論にも出会うことができた。これが人生について洞察を深めるきっかけになった。多くの優れた仲間と知り合うこともできた。もし神経症に陥ることがなかったならば、神経質者の生き方などを考える機会はなかっただろう。さらに神経質性格者としてこの世に生を与えてくれた両親に感謝する。人間としてこの世に存在できたことに感謝する。自分に関わりあってくれた人にも感謝する。感謝の気持ちを持てるようになった人は、 「かくあるべし」から下目線で現実を見ることはしなくなる。どのような過酷で理不尽な現実、現状、事実であっても、現実に起こった事は何か大きな意味があり、それは自分にとって大きな恵みだと考えることができるようになるのである。神経症を克服した段階では、自分や他人、身の回りに起こる理不尽な出来事に対して、批判や否定をしなくなり、感謝の気持ちが自然に湧き起こってくるようになるのだ。
2018.02.21
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森田先生は、 「凡人主義」ということを唱えておられた。その凡人の修養されて偉くなったのが偉人である。どうも目標は平凡が良い。平凡は円満完全であり、奇抜欠陥でない。これが私の精神病学から得た知識であります。芸術家でも、森鴎外などは凡人の偉大なものかと思う。医学の研究も・軍医総監の事務も・文学・哲学にも精通した。素直であり・奇抜でなく、絶えざるを努力家であった。(森田全集第5巻 544ページより引用)水谷啓二先生も、次のように述べられている。「神経質者は、風雲に乗じて成功をとげるタイプではありません。平凡を軽視しないで毎日の仕事に精を出す。そうゆう生活が20年から30年と積み重ねられると、非常に非凡な成果を生む」私はこの言葉に何度励まされたかわかりません。これなら私でもできるという気持ちを持てたからです。これは走ることで言えば、短距離走よりは長距離走にあたると思われます。私たちは、 100メートルを12 、 3秒で走る能力はありません。しかし、長距離で完走を目指す事は練習次第で可能になるのではないでしょうか。野球で言えばホームランはほとんど打たないが、バットコントロールが優れている選手のことだと思われます。ヒットや犠打しか打てない選手は、ホームランバッターから比べると大変地味です。しかし、安打を積み重ねて、 3割を超える打率を残し、それを何年も継続しているとなると話は別です。イチロー選手がそうではないでしょうか。イチロー選手は、ホームランバッターではありませんが、先日のテレビ番組を見ていると、過去最も優れた野球選手の第1位に選ばれていました。野村克也元監督は、長嶋選手と比べて、長嶋選手がひまわりなら自分は月見草であると言われていました。長島選手のように、他人から注目を浴びて賞賛されることが少なかったと言われています。しかし、 三冠王を獲得した実績等を見ると、決して長島選手に引けをとるものではありません。野村監督は、目立つパフォーマンスはなかったかもしれませんが、玄人好みのするいぶし銀の活躍だったのではないでしょうか。私たち神経質者は、細かいことが大変気になる。その気になったことを確実にキャッチして、行動に結びつけることができたら、大きな成果をあげることができるのではないでしょうか。それを1年、2年、 5年、 10年と続けることができるのは、神経質性格の執着心を活かした素晴らしい生き方だと思います。細かいことを宝物のように扱い、それを実践行動に結びつけていく。それを何年も継続していく。これこそが神経質性格を活かして、味わい深い人生にしていく秘訣ではないでしょうか。その方向以外に、神経質性格を大きく花開かせることは難しいのではないでしょうか。私は「凡事徹底」を座右の銘にしています。この道より我を活かす道なし、この道を行くという心境です。
2018.02.20
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1月26日に早起きについて投稿したが、さらに深めてみたい。その日朝早くから取り組むべき課題はないと、なかなか早起きはできない。例えば、今日の仕事があれば、否が応でも早起きができる。あるいは、今日はゴルフがある、旅行に行く、魚釣りに行くなどという予定があれば、神経が高ぶっており、自然に早起きできる。森田先生は、何か気がかりになることがあればすぐに飛び起きることができる、と言われる。朝寝ている時にも、池の鯉のはねるかすかな音にも、 、昨日を入れた鯉はどうであろうか、机の上の一輪挿しが目に留まっては、昨日、外へサボテンの鉢を置き忘れていたとか、いうことを思い出して、些細な事でも、それが床を蹴って起きるという衝動になるのです。そういう気がかりなことや、予定や課題がないとどうしても人間は楽な方や快の気分に流されやすい。誰でも最初は、嫌なことや新しいことに挑戦することは億劫になる。今の状況にある程度満足しておれば、そのままの状態を継続したいという気持ちが強くなる。こういうのを気分本位というのである。理論学習で学んだように気分本位の行動はまずい。飛び起きるきっかけがなくて、気分本位な行動をとってしまうと、あとで後悔することが多い。時間を無為に消費してしまって、何ともいえないみじめな気持ちになる。神経質性格を持った人は、そんな自分を否定するというおまけまでついてくる。どうして自分はだらしのない人間なのだろうと自分を責める。朝寝をしたいという気分本位の行動が、思想の矛盾を生み出すのである。森田先生は、朝寝をしたいということと、それを否定したいという気持ちが悪循環していると言われている。流れが悪いのである。自分はいつも朝寝をするという現実とそれを「かくあるべし」で否定して、自分を責めたり、何とか改善につなげたいと思っているのである。こういう思考を繰り返していると、神経症は強くなるばかりで、改善できることはない。この場合は、朝寝をしたいということと生の欲望の発揮が相関関係にないと事態は好転しない。朝寝をしたいという気持ちを否定しないで認める。それよりももっと大事な事は、次の日の朝1番にやること決めておくことである。朝寝は普通、次の日の仕事が休みの土曜日や日曜日に起こりやすい。だから、土曜日や日曜日に普段からやるべき事をメモ用紙にメモしておくのである。あるいは、スマホのメモ欄に打ち込んでおく。できるだけストックをためておく。予定が課題があれば、それが頭に浮かんでくるので、すぐに起きられるようになるのである。このことは、ほかにも応用できる。例えば、最初から勉強の好きな人はあまりいない。勉強しなければならないと、自分をかくあるべしで追いたければ、ますます勉強することが嫌になる。これでは、勉強が好きになるところか、神経症に陥ってしまう。ところが、自分が将来なりたい目標や職業がある。そのためには、資格がいる。そのためには専門学校や大学にいかなければならない。そういう夢や目標を持っていたとすれば、勉強することはしんどいことではあるが、頑張ろうという意欲が湧いてくるのである。ここで大事な事は勉強するのは嫌だと言う気持ちと対比させるのは、生の欲望の発揮である。自分の欲望をしっかりと持てる人は、味わい深い人生を歩むことができるのである。
2018.02.19
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「島田紳助100の言葉」という本がある。この中に、アホになると、 0.5秒早く動けるという話がある。ノートルダム聖心女子大学の保江邦夫先生は、物理で脳を解明しています。何も考えず、アホになれば、人は0.5秒早く動けるのです。ランプがついたらボタンを押すという反射の競争をすると、真剣にボタンを見つめてしまう人間は、アホになった人間に100%負けるそうです。昔の武道で言うところの「無になる」ということなのです。無とは、わかりやすく言うとアホになると言うことです。イチローは三振しないのは、どんな球にも体がついていくのです。ストレート狙いで変化球が来ても、体を泳がせながらバットの芯に当てるのです。アホになっているからこそ、人より0.5秒早く動くことができる。だから、少しくらいスイングするのが遅くても大丈夫なのです。それはつまり、球をギリギリまで見分けられるということです。初めてスキューバーダイビングをすると、ドキドキして酸素をたくさん吸ってしまい、ボンベの減りが早くなります。アホになれば、ボンベなしでも明らかに長く潜れます。無になるのは、アホになることです。しかし、何も考えないのは無理というものです。晩メシを何にしようかとぼんやり考えて風呂に入る。そう、湯船の中にいるような感じです。無にはなれなくても、アホにはなれます。ゆっくり聞こえ、ゆっくり見えます。これは大変面白い話です。森田理論で考えてみましょう。この中に、ボタンを押すという反射の実験で、真剣にボタンを見つめてしまう人はアホになった人に100%負けてしまうという話があります。真剣にボタンを見つめてしまう人は、意識や注意がボタンにばかり向いている人です。一見すると、注意が一点に集中している人のほうが、勝つように思われますが、実際は違うということです。島田紳助さんがアホになった人と言うのは、変化に素早く対応できる人だと思われます。そういう人はボタンだけではなく、自分の周囲の変化にもすぐに対応できる人です。森田理論で言う「無所住心」の態度です。神経が全体的にピリピリハラハラと緊張しているので、どんな状況が目の前に現れても、素早く変化に対応できるのです。真剣にボタンばかりを見つめている人は、神経がピリピリしている人から比べると、精神活動が停滞して、遅れ気味の人です。そういう人は、脳細胞からの指示命令の速度が多少遅れるという事ではないでしょうか。走っている人は、足の回転が速いだけではなく、手も盛んに前後に動いています。足の回転だけを早くして、手の動きは休ませるというわけにはいきません。これと同じようなことが、精神活動にも起きているのです。神経症の蟻地獄に落ち込んでいる人が回復する過程では、精神活動が外向きになって、周りのものすべてに注意が行き渡るようになります。一点に注意や意識を集中するよりも、周囲にも注意を広げるほうがよいのです。次に、自動車の運転のような動作は、 いちいち考えながら確認し、手足を動かしているのではありません。その場の状況に応じて、無意識に適切で間違いのない動作を繰り返しています。ここでもし仮に前頭葉がしゃしゃり出てきて、 「今の動作はこれで間違いないのだろうか」などと意識するようになると、かえって混乱が生じてきます。だからここでは五感や運動野の脳の働きに全幅の信頼を置くことがとても大切です。それらを信頼して無条件に任せてしまうのです。なかなか難しいのですが、その方法はあります。確認行為をする人は、それがよくないことだと言う事は皆判っています。でも不安や不快感がいつまでも残ってしまい、目的を忘れて、不安や不快感と格闘するようになるのです。こういう人は、脳神経の部署で言えば、理性や判断を重視する前頭葉にしか価値を置いていないのです。五感や運動野などにもバランスよく存在価値を評価してあげることが大切だと思います。実際には頭でっかちにならず、五感や運動野のバランスを整えるということに尽きると思われます。
2018.02.18
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今年のサラリーマン川柳から私が良かったものをピックアップしてみました。先を読め 先を読むより 空気読め後でやる 妻の顔見て すぐにやる 守ろうと 誓った嫁から 身を守るたたきあげ 育てた女子が 今上司席がない 会社も家も 電車にも新人は メモを取らずに 写メを撮る結婚線 あまりの薄さに ペンで書く物忘れ 防ぐサプリを 飲み忘れ最近私が作った川柳も載せておきます。抗がん剤 飲んでないのに 髪がない発見誌 自分の背いを 軽く超え勝つために 今を貫く 羽生選手書痙の字 味わいあると 誉められる風邪上がり しゃがれた歌に 味が出る
2018.02.17
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森田理論は、減点法ではなく、加点法で自分の生活を評価していくものだと思う。減点法では、理想や完璧を念頭に置いて、それに達していないことをマイナスに評価していく。加点法では、以前はできなかったことが少しでも改善できているとプラスに評価していく。減点法の立場に立っていると、傍から見てずいぶんよくなっていると思われるのに、足りない部分に注意や意識が向いているので、いつまでたっても神経症が治ったように思えない。そういう自分を自己否定するので、生きることは針のむしろに座っているようなものである。反対に、加点法の立場に立っている人は、以前と比べて改善できていることを素直に喜ぶ。そして一歩上を目指して努力しているので、ますます修養ができてくる。自分を評価できるようになるし、生きていることを心の底から満喫できる。例えば対人恐怖症の私の場合を見てみたい。対人恐怖症で苦しんでいるときは、親友はもちろんのこと、友達と呼べるような人がほとんどいなかった。今は、森田理論学習を続けてきた生活の発見会の中に、貴重な人間関係を築くことができた。尊敬できる先輩も持つことができた。年賀状の中でも、発見会の中に占める人の割合が非常に多い。その他、趣味の活動を通じて、利害関係に関係のない和気あいあいとした人間関係を築くことができた。それ以外にも、現在の仕事を通じての友人関係もできた。同窓会、OB会の関係、個人的なカラオケ仲間もできた。今では、人間関係の幅を広げて深めることなしに、人生の面白みは味わえないのではないかと思えるようになった。仕事の面では、すべての面で改善できた訳ではない。しかし細かい仕事を丁寧にこなすという実践によって、仕事に追われるのではなく、仕事を追っていけるようになった。その結果、会社や上司から高い評価してもらえるという経験ができた。その結果管理職も経験することができた。ただし、昔携わっていた訪問営業の仕事ができるかといえば、全く自信はない。好奇心がますます旺盛になり、自分の周りのものすべてに興味や関心が持てるようになった。そして症状で苦しんでいたときと比べると、フットワークよく尻軽に行動できるようになった。注意や意識はかなり外向きに変わってきた。生活の発見会の会員として、会の維持と発展のために、会員を継続することができた。会員でいることは、自分のためだけでなく、人のために役立つ行動だと思う。集談会にもほとんど休むことなく参加している。そして集談会が活性化するように積極的に関わるようにしている。そのほか、オンライン学習のインストラクターとして4回参加することができた。支部研修会は1回欠席しただけで、あとは毎年すべて参加してきた。22回も毎年参加できたことは感慨深いものがある。森田理論の学習の関係では、「森田理論の全体像」を理論化することができた。それを、3冊のテキストに纏め上げて配布することができた。またこのブログで、森田理論の魅力を一般の人に紹介することができた。ざっと挙げただけでも、症状で苦しんでいたときと比べて、このような変化があった。それなのに、まだ対人恐怖症が完全に治っていないというのは、贅沢ではないだろうか。そういう捉え方は、 「かくあるべし」的思考から抜け出ていない状態だと思う。私は以前と比べて改善できてきたことを素直に喜びたい。対人恐怖症は治ったかと問われれば、あるにはあるが問題にならなくなったと答えたい。そしてさらに森田の達人を目指して森田理論を研究していきたいと思う今日この頃です。
2018.02.17
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テレビのインタビューで「あなたのの嬉しさの基準はなんですか」と聞かれて、イチロー選手は次のように話している。自分以外の人が作る状況によって、自分が幸せに感じられる、嬉しく感じられるとは思わないんですよね。自分が何かをやることによって、自分が幸せを感じるならば、わかるんですけれどね。単にそういった状況を見て、 「 ああ、自分は幸せだな」という風には思わないですね。(イチローの思考 児玉光雄 36ページより引用)同じく、 「もっとパワーがあればと思ったことはありませんか」という質問に次のように答えている。パワーは要らないと思います。それより大事なのは、自分の「型」を持っていないといけないということです。(同書 52ページより引用)ジョージ・ シスラーの年間257本の安打記録を破った後の記者インタビューで、 「その秘訣はなんですか」と聞かれての発言。結局は細かいこと積み重ねることでしか、頂上には行けない。それ以外には方法はないということですね。(同書 82ページより引用)以上3つのイチロー選手の言葉は、森田理論学習を続けている私たちにとっても参考になる。まず第一の言葉。症状で苦しい時は、その苦しさを和らげるために、回避行動をとる。アルコール、ギャンブル、グルメ三昧、趣味三昧、買い物三昧などである。これらはカンフル剤のように効いて、瞬間的には苦しみから逃れることができる。それはそれでよいのかもしれない。しかし、真の意味で葛藤や苦悩を解消してくれるものではない。イチロー選手は、人から与えられるものによって、喜びを感じるものは本物ではないと言われている。自分が問題や課題に対して、失敗や成功を繰り返しながら、取り組むことによって、人生の充実感を味わえると言われている。森田でいう「生の欲望の発揮」の中で自然に沸き起こってくる喜びが本物であると言われている。次の話は、イチロー選手はホームランバッターではない。そういう人がパワーをつけてホームランバッターを目指しても仕方がない。自分のことをよく分析して、自分の持っている能力や特徴を磨いていった方がよいということだ。私たちは森田先生が7つに分類された性格の中で、神経質性格に該当している。神経質性格は、他の性格特徴を持つ人と比べて、きわめて有能な特徴を持っている。感受性が鋭く、小さなことでよく気がつく。自己内省力が強い。分析力が鋭い。粘り強い。強い生の欲望を持っている。などなどである。それらの点に注目して、磨きあげていくことがより重要である。3番目の話は、偉大な成功のための、手っ取り早い秘策はないということである。自分の置かれた現状を受け入れて、そこから視線をちょっと上に向けて、努力精進していく以外に方法はない。地味な努力を日々続けていくことしか秘策はない。自分の立ち位置を、雲の上に置いて、理想や目標からかけ離れた自分を否定していては何も始まらないということである。どんなに幼稚な自分であっても、現実の自分に寄り添って少しずつ成長していくことが大切である。
2018.02.16
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森田正馬全集の第5巻は、昭和4年12月から昭和12年4月までの形外会の記録である。形外会は森田先生を囲んでの座談会の記録のようなものである。この記録は、出席した会員が速記したものの中から、森田先生が取捨選択し、月刊誌「神経質」に掲載されていた。森田先生の代表的な著者は、 「神経質の本態と療法」 (大正11年)、「神経衰弱及び強迫観念の根治法」 (大正15年)です。昭和に入ってからの森田先生の円熟した思想を知るには、この形外会の記録が一番よいと思われる。森田先生自身も、形外会の記録は、ところどころ会心の作であり、ひとりで悦に行っていることがあると言われている。森田先生の自宅での入院療法は、大正8年4月から始まり、退院した人は370人ばかりいた。その人たちを中心として、森田先生に対する謝恩の意味と、森田先生からさらに指導を受けたいという気持ちから、森田先生をお招きして、会員が集まるという会員自身の会という性格を持って始められた。それだけ森田先生は、人を惹きつけて止まない強いオーラを持っておられた方なのだ。会の名称については、森田先生の雅号を採って形外会と称することに決めた。森田先生は、みんながなるべく面白い中に効能があるようにしていきたい。話の内容は臨機応変であり、日常生活、社会生活、人生問題、政治問題などにも及んでいる。会員の話や質問に答えて、的確に森田理論に基づいて自説を展開されている。その他、会がマンネリ化しないためにハイキング、旅行、講演会、演劇なども頻繁に行われていた。一人一芸に取り組むだけでも神経症は克服できるとも言われている。また会合は、だいたい昼の3時ごろから行い、夕食をはさんで、夜の9時頃まで行われていた。今の集談会でいう、レクリエーションや懇親会のようなものも重視されていたのである。東京及び近郊の人は100人足らずであり、地方からの参加者は泊まりがけで参加されていたのである。昭和7年1月から、森田先生の家が広くなったこともあり、会員の範囲を拡大して、雑誌「神経質」の読者も参加できるようになった。参加者は最大70名、80名にも及ぶようになった。さて、森田全集第5巻は、森田正馬生誕100周年事業の一環として、白揚社から出版された。5巻には形外会の66回分が収録されている。 774ページの本である。この本には分厚い表紙が付いている。そのためこの本は、普段鞄の中に入れて、随時読むということは困難である。私は、思い切って3分冊に切り分けた。 1冊目は232ページまで。 2冊目は406ページまで。 3冊目は774ページまでとした。分冊にすることで、いつでも読めるようにした。もうすでに20回以上は読んでいると思う。今回もまた読み返してみた。読むたびに発見がある。一日で読めるページ数は、大体30ページくらいである。だいたい1ヶ月かかってやっと読み終える。今回は森田理論をいかにして、日常生活に応用するかという視点で読んでみた。すでに何回も読んでいるので、あちこちにマーカーで印がたくさんついている。読むときには、心の琴線に触れたところに付箋をつけていく。読み終えると、その部分を抜き出していく。そして自分の考えを付け加えていくのである。これがブログの原稿となって投稿しているのである。森田全集第5巻は、私の大切なバイブルとして、死ぬまで読み続けていきたいと思っているのである。
2018.02.15
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対人恐怖症の人は自己肯定感が持てないという人が多い。元メンタルヘルス岡本記念財団の理事長の岡本常男氏は「自分に克つ生き方」のなかで次のように語られていた。自分に10の短所があるならば、逆に10の長所があると考えなさい。症状に悩んでいるときは、短所にばかり注意が向いている。ここで大事なことは、短所はそのままにしておいて、長所に光を当てて、長所で勝負していくという態度の養成である。これを意識化するためによい方法がある。自分の長所や強みを紙に書いて机の前に貼り付けておくことである。そして、「自分は何をやってもダメだ」という気持ちになったときにそれを眺めてみることだ。自分を両面観で客観的な立場からバランスよく眺めることができると思うのです。まずは神経質性格についてだ。・神経質性格を磨けば光り輝く長所に変化する。・鋭い感受性を持っている。そのため芸術、芸能を楽しむことができる。・好奇心旺盛である。興味や関心のあることに興味津々である。・ライバルには負けたくないという強い闘争心を持っている。・ ミスや失敗した原因を詳細に分析することができる。・夢や希望に向かって粘り強く努力することができる。 ・人の気持ちを思いやる繊細な面を持っている。・細かいことによく気がつき、事前に対策を講じるので大病をしたり破産者になることが少ない。その他、自分で気のついた長所や強みについても書き留めておくことだ。・一人一芸、川柳やユーモア小話で人を愉快にさせることができる。・部屋の片付けや掃除をこまめにしている。・料理が得意である。魚の3枚おろしやそば打ちができる。・愚痴を言って周りの人を不愉快にさせることが少ない。・お世話になった人には必ずお返しをしている。・生活習慣病の結果はおおむね良好である。健康体である。・学習することが好きで、本はよく読む習慣がある。・書道や絵を描くことが好きである。物を書くことが得意である。・ TV番組で役に立つものをハードディスクに保存している。・動画投稿やCDの作成などができる。・ 日記や家計簿を10年以上つけており、予算管理も行っている。・人の話をよく聞き、人の役に立つボランティア活動を行っている。・困った人の相談にのることができる。・家庭菜園や花を育てることが好きである。・カラオケが得意である。趣味が豊富である。その方面の友達がたくさんいる。・水泳や自転車、ジョギングを継続している。スポーツマンである。・将来困らない程度の、蓄えを作ることができた。・車の運転技術が上手である。・森田理論に詳しく、森田理論の応用力を身につけている。・家のローンを完済した。・田舎に田畑を所有している。これは各自それぞれ考えて書いてもらうための参考材料として書いてみたものです。これらを参考にして、少なくとも10個以上は見つけてもらいたいと思う。できれば30個ぐらい。小さな長所や強みを見つけ出して、大きなスポットライトを当ててあげることが大切です。これらを眺めていると、自分もまんざら捨てたものではないと、一方的にネガティブ思考に陥ることを防げることができるのではないでしょうか。
2018.02.14
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形外会で川上氏が、次のような意見を述べられた。森田先生のお話ですが、 「いろいろと気をもんでハラハラしているときに、仕事がよくできる」と言われましたが、それは神経質ならば、よいでしょうが、一般の人は、仕事に注意を集中して、他のことを考えない時に、最もよくできるという人がある。それも本当であって一概に言う事は出来ないと思うんですが。これに応えて森田先生曰く。我々の心の最もよく働くときは、 「無所住心」といって、心が四方に働いて、昆虫の触覚が、ピリピリしている時のように、ハラハラしている時である。撃剣や、ピンポンのようなものは、間髪をいれない心の働きを要するもので、そのときによく、この心境がわかる。必ず注意が、 1つのところに集中してはいけないのである。静かに小刀細工をする時でさえも、心が固まっていては、何かにつけて、じきに指に怪我をするものである。このような心境は、やはり、精神を統一集中する方法とかにつき、一度迷い苦しんで、しかるのちに、悟った上でないと机上論では決してわからぬ事であります。(森田全集第5巻 328ページより引用)ここはとても間違いやすいところだ。一般的に考えると一つのことに注意を集中している時の方が、もっともよくできると考えやすい。集中しなければいけない時に、雑念が入ってきては、うまくできるはずはないと頭の中で考える。確かにアルトサックスの演奏をしていると、 「次は難しい部分だ。うまくいくだろうか」などという雑念が頭に浮かんでくると、間違いやすいのは確かである。そういった雑念が全くない状態で、無意識に手先が動いているときが最も安心できる状態である。その時は前頭葉の働きが休んでおり、記憶として蓄えられた手の動きがよどみなく自動演奏をしているようなものだ。無意識の頭の活動である。そのようなことが要求されるときに、意識が少しでも活動すれば、演奏はうまく進行しないのである。そういう意味では川上さんの発言はもっともなことである。でもちょっと待ってもらいたい。森田先生はどうしてことさら「無所住心」の話を持ち出しておられるのだろうか。それは仕事がはかどるときは、神経が緊張状態にあって、四方八方に気が張っていなければならないということを言われているのだと思う。神経が1つのことだけに集中していると、見逃してはならない基本的なことを見落とすことが多くて、出来上がった仕事や作品を見るとあまりにも不完全なものが多いということを言われていると思う。森田先生は、集中するということについては、私たちが一般的に考えていることとは異なる。一つのことだけに注意が集中している状態は、ダメだと言われているのである。また、たとえ精神を統一し、集中したいと思っても、実際には雑念だらけであるのが普通である。それを邪魔になるからといって片っ端から否定するということは、 現実を否定していることである。雑念や連想が次から次えと生まれては消え、消えては生まれるという現実を否定してはならない。そういう状況をあるがままに受け入れて、目の前のことに一心不乱に取り組んでいると、関心や興味、疑問が湧き起こったときに一瞬集中状態が出現してくるのである。それが通り過ぎると集中状態は無くなり、また雑念が湧き起こるという状態になる。そして後で振り返ってみて初めて、あの時は目の前のことに集中していたと気がつくのである。しかしそれにヒントを得て、ものそのものになりきれば集中できるのかといえば、もはや集中することはできない。次に森田先生は、ハラハラというのは、あれもしなければならない、これもしたい、という欲望の高まることであって、これがために自分の異常に対して、ひとつひとつこだわっていられなくなり、そこに欲望と恐怖との調和ができて、神経質の症状がよくなるのであると述べられている。神経症に陥っている人は、自分の気になる症状一点に注意と意識を集中している。そういう時は精神は症状一点のみに緊張状態にあり、それ以外は全く弛緩しているのである。神経症を克服してくると、症状一点のみに注意や意識が集中しなくなる。自己内省一辺倒が解消される。意識や注意は外向きになり、自分の周囲の人や物に拡散してくるのである。
2018.02.13
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先日、老人ホームの慰問に行って入所している人たちと話をした。「最近の楽しみはなんですか」「なにもない。テレビを見ても面白くないし、毎日目が覚めると、今日は何をしようかと考える。もういつお迎えがきてもいいんだ」という人がいた。話ができる人は、まだよい方で、全く話に乗って来ない人も多い。毎日暇を持て余し、特に何もすることがない。退屈だ、退屈だと言って無為に時を過ごしているような人がいるのだ。人生の最終章にあたり、何かやり切れないものを感じた。人間は最後にはこんな状態になるのだろうか。先日テレビを見ていると、前日まで元気で野良仕事をしていた人が、その日畑で、心不全を起こして亡くなったという。この人は亡くなる前日まで、会話もしっかりしており、体もよく動いていた。突然死というのも恐ろしい気がするが、退屈だと言って毎日無為の人生を送るよりはよいかもしれない。そういえば、日野原先生が105歳で亡くなられた。それまで医師の仕事を続けておられ、大往生であったという。私はこの人たちのように、死の間際まで、認知症ならず、自分の足で動くことができる体でいたいと思う。でも、年をとってどうなるかはわからない。だから、認知症にならないように普段から脳を鍛える。脳細胞が廃用性萎縮を起こさないように常に頭を使って刺激を与える。たとえばこのブログへの投稿は、脳活性化という面ではとてもよいと感じている。また、毎日続けているスクワットや階段のぼりを続けて、体力維持に努めたい。日常茶飯事を丁寧にこなしていくという森田的な生活を継続していくことがカギになると思う。また、好奇心を発揮していろんな興味のあることや関心のあることに手を出す習慣がついてきたので、これを継続して行きたいと思う。それに加えて、夢や希望を持って生活することが大切なのではないかと思う。夢や希望は漠然としたものでは、やる気や意欲が湧いてこない。そこで、私が考えたのは、人生を仮に90年とした場合、残りの人生を何期かに分ける方法である。私の場合は、現在60代後半なので、残り人生を4期に分けることを思いついた。1期をおおむね5年と設定した。それぞれの期で何か夢や目標を設定するやり方である。第1期は、とりあえずこのブログを最低でもあと5年は続ける。一人一芸をさらに広げて、老人ホームの慰問活動を続ける。慰問仲間とカラオケ仲間との交流を継続して楽しむ。集談会活動は継続する。仕事は70歳で定年を迎える。第2期は、ブログの投稿原稿を整理して、本にまとめる。森田で何らかの貢献をする。田舎で本格的に自給生活に入る。果樹や花や加工食品、ニワトリやヤギなどを飼い、そば打ち、ピザつくりなどを楽しむ。その生活の中で、幅広い人脈を広げる。第3期、第4期はまだ設定していない。そのうち大まかな目標を設定してゆきたい。もし運よく90歳を超えて、長生きができていれば、それから先は1年1年の目標設定をして、取り組んでみたい。こんなことを考えていると、これから先の人生も楽しく過ごすことができるのではないかと思うようになった。私は50代ぐらいまでは、神経症で暗くつらい人生であったが、森田のおかげでそれ以降は見違えるほど変化してきたのである。森田先生には感謝しかない。
2018.02.12
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老人ホームの慰問活動の仲間にガンになっている人がいる。ガンが脳に転移して、もう手の施しようがないという状態だそうだ。抗がん剤の副作用か、電話で話してもろれつが回らないこともある。しかし、不思議なことに、そういう状態にもかかわらず、近くの老人ホームの慰問活動には参加されている。その人の得意な芸はたくさんある。ひょっとこ踊り、高知のしば天踊り、浪曲奇術などである。その他、懇親会などがあると、数多くの余興を披露される。そういえば、脳にガン細胞が移転したと聞いてから、もう5年以上にもなる。よくぞ生きながらえたものだ。そして我々に勇気を与え続けてくださっている。これは奇跡に近いようなことではないだろうか。私は老人ホームの慰問という目標を持って、毎日そのことを気にかけておられることが生き長らえる原因となっているのではないかと思っている。生の欲望に向かって日々努力している人は、難病にも効果を発揮しているのである。生きがい療法の伊丹仁朗先生は、吉本新喜劇を見る前と見た後で血液を採取して調べると、ほとんどの人がガンを退治してくれるナチュラルキラー細胞が増えているということを発表されている。また、ガン患者を引き連れてヨーロッパ最高峰のモンブランに登頂されたことがある。登頂に参加された人は、ガンが再発した人も含めていまだに多くの人が健在であるという。イギリスの医学雑誌に掲載された、乳がんの患者の10年後の生存率を見てみると、闘争心で対応した人80% 、冷静に受容した人33% 、絶望を持った人20%という結果が出ています。闘争心を持って闘病した人は、他の人と比べて大幅に生存率が高いのが特徴です。課題や目標を持って生きるということは、ガンなどの難病疾患に対してプラスの効果をもたらすと言われている。そういえばアウシュヴィッツから奇跡の生還を果たしたフランクルは、瀕死の状態の中でも、やり残された仕事と最愛の家族に会いたいという強い希望を持って耐えぬいたことが生きる力になったと言われている。収監先でも周りの人に、夢や希望を持って生き抜くことの大切さを説かれていた。集談会などで、 「あなたの夢や目標はなんですか」と聞いても、症状と格闘している人は返答できないことがある。夢や目標は急に持てるものではないかもしれない。日々の日常生活を森田的に真剣に取り組むことによって、弾みがついて夢や目標につながってくるのではないかと考えている。私も考えてみれば、森田理論で言われている「ものそのものになりきる」という実践の中から、目標や課題が見えてきたような気がする。目標や課題があると「努力即幸福」という方向に向かう。それこそが身体と精神が健康で、生きがいを持った人生につながるのではないかと考える。
2018.02.11
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せっかく集談会に参加しても、1回だけで来なくなってしまう人が後を絶たない。これはいかに様子見で来ている人が多いかということである。これはある程度やむを得ないことだと思う。しかし、中には神経症を克服するために、森田理論が合っているのではないかと思われる人もいる。そういう人も、来くなってしまうとしたら、幹事や世話人、ベテラン会員の責任は大きいと思わざるを得ない。どういう態度で、新しく来た人に対応したらよいのだろうか。まず、初めて参加した人には、 「よく来られましたね。集談会はなんでお知りになりましたか」と話しかける。そして、集談会が始まる前に、自分のところの 「集談会へのご案内」を渡して読んでもらう。集談会が始まると、「生活の発見」誌という月刊の機関紙があることを伝え、その中にある「発見会の活動指針」を読み上げる。続いて、各人の自己紹介が始まる。顔見知りの人ばかりの時は、 1カ月の生活を反省して問題点や課題、耳よりな話や嬉しかった実践などを話している。 1人でも初参加の人がおられれば、それは中止して、自分が神経症のどん底であえいでいた時の話をする。初めて参加した人は、どんな話をしていいのかわからない人もいるので、なるべく最後に発表項目のリストを渡してそれに沿って自己紹介をしてもらう。集談会の中では少人数に分かれて体験交流があるが、ここでは自分の症状について思う存分喋ってもらう。我々は聞きっぱなしである。基本的には聞かれない限りは、森田的なアドバイスはしない。それよりは集談会、生活の発見会の活動内容、心の健康セミナー、オンライン学習会、全国の森田療法施設、生活の発見会の協力医などの話をする。ここでの目的は、集談会というところは、自分にとって「心の安全基地」になるのではないかと感じてもらうことである。これは集談会に定着している人が、一枚岩になって取り組む必要がある。そんな状態で2回、 3回と続けて参加してくれる人は、集談会に定着する可能性が強くなってくる。3回目が過ぎた頃から、生活の発見会に入会すると森田の理論学習を進める上で最大の学習ツールとなる「生活の発見」誌が毎月送られてくること伝える。そして入会案内書を渡す。その他、発見会のホームページやこのブログについても説明する。そして、森田理論の本を読むこと勧める。まだ1冊も読んでいなければ、例えば、高良武久先生の「森田療法のすすめ」 、北西憲二先生の「実践森田療法」などはどうかと勧める。また、生活の発見会が出している 「新版森田理論学習の要点」を買って読んでもらう。それを補足するテキストとして、私の作った「これで納得、実践森田理論学習」の基礎編のテキストを渡す。それから、毎月実践課題を挙げていただき、その結果を次月の集談会で発表するようにしてもらう。その繰り返しで、 1年位を基礎編の学習と自分の立てた実践課題に取り組んでもらう。可能であれば、日記指導を希望する人がおられれば、対応してあげる。森田理論は約3年で十分理解できるし、一旦自分のものにすれば、一生の宝物になることを説明する。1年目の締めくくりとして、体験発表をしてもらう。体験発表のわからない人には、 「まとめの仕方」(2017年2月号の生活の発見誌)の項目を用意しているので、それに沿ってまとめてもらう。ここまでくれば、 2年目からは「森田理論全体像」を中心とした、応用編の学習に進んでもらう。そして3年目からは、今まで学んだ森田理論の中から、自分の取り組むべき課題を2つぐらい選んでいただく。あとは、それに基づいた実践を集談会で発表して、みんなに刺激を与えるとともに、みんなからアドバイスをいただきながらさらに深化させる。こういう方向で、集談会に定着している人が、一枚岩になって、 3年未満の参加者に対して、暖かく見守っていくという共通認識を持っておくことが何よりも大切である。絶対にこの通りにする必要はないが、多くの人に森田学習が継続できるように支援したいものである。
2018.02.10
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集談会に参加する人の中には、戸締まりが気になる、ガスの元栓を締めたか気になる人がいる。普通の人は目や音、触覚で確かめて安全だとわかれば、次の行動に移る。たまに、その時に何かほかのことを考えていると、 「果たしてどうだったのか」と気になることがある。その時は、引き返してもう一回確認するということはある。しかしそれは許容範囲だと思う。確認恐怖の人は、その不安が不快になって、気が済むまで確認行為を続ける。そのために会社や学校に遅刻するようになる。社会生活に支障をきたすようになる。不快感を取り去ることが目的であるので、そのうち確認行為そのものは蚊帳の外になっている。本来確認行為は、五感を使って認知したものが、自己信頼感となって終結する。この場合、人間の思考の中枢と言われている前頭葉にその情報が伝えられることはない。しかし確認行為を繰り返す人は、確認行為が前頭葉に伝えられる。前頭葉は様々な問題や課題、すぐに結論の出ない問題について、さまざまな視点から検討をしている。この機能は人間だけに発達しているもので、動物にはほとんど見られない。優れた機能ではあるが、反面厄介な問題もある。取り越し苦労などしないで、直感的に、これだと思ったようなことは、その情報を前頭葉を経由しないで直接手足に指示命令した方がスムーズに事が運ぶ。情報を前頭葉に伝えることによって、練習では難なくできていたようなことが、金縛りに遭ったような状態になって、思わぬところで苦杯を舐めるということが起きてくることになる。レーシングカーやオートバイの競争、フィギアスケートや野球選手の動作、オーケストラの楽器の演奏などは、それまでに練習で培った動作の手順が大脳の運動野に記憶されている。アルトサックスのプロの人に聞くと、コンサートの前には1日10時間くらい練習するという。すると、楽譜がなくても自然に指が正確に動いてくれるようになる。実際本番では暗譜の状態で演奏している。楽譜がある場合でも、曲の流れを掴むだけである。練習不足の状態で、楽譜を見ながら演奏すると観客を感動させるような演奏はできない。しかし猛練習を積んで、これならほぼ完璧に演奏できると思っても、それは虫がよすぎる。コンサート会場の雰囲気、観客の状態の微妙なことが気になって、ふと前頭葉がちょっかいを出すことがある。「本当にうまくいくのか。演奏を間違って恥をかくのではないか。演奏仲間に迷惑をかけるのではないか」などの感情がわき起こってくるのである。前頭葉がそれらの不安に対して検討を始めるととんでもないことが起きる。できれば演奏中は前頭葉はゆっくり休んでおいてもらいたいのだ。練習ではほぼ完全に出来るまで、時間をかけて体に覚えこませている。仮に練習で完璧にこなせない場合は、その分前頭葉がしゃしゃり出て、お節介をする。演奏者はそのプレッシャーと戦わなければならない。本来は演奏に向けられるべき意識や注意が不安や恐怖のほうに向けられているのである。無意識の状態で手が自然に動いているという状態をつくりあげることが大切なのだ。そのために、プロの人はどういう風にしているのか。前頭葉がしゃしゃり出てこないために猛練習を重ねて自分を落ち着かせている。そうまでしても、人間の場合は必ず、ちょっと隙があれば前頭葉がしゃしゃり出てくる。イチロー選手、羽生結弦選手を見ていると、本番前にはルーティーンと呼ばれる同じ動作を繰り返している。これは、前頭葉がしゃしゃり出てこないために、自分の決めた本番前の手順を黙々と踏むことで、大脳の運動野からダイレクトに指示命令を届けようとしているのだ。確認恐怖症の人は、何か自分の好きな楽器をを見つけて取り組んでみると良いと思う。最初は前頭葉が盛んに働く。ところが、 1つの曲に取り組んでいると、そのうち手の動かし方を体が覚えてしまう。つまり前頭葉がお休みしてしまう。大脳の運動野から直接指示命令が伝えられているのである。観衆の前で演奏してみる。そこで前頭葉が働いてくると、ほぼ思ったようには演奏はできない。そこでは、いかに前頭葉を休ませて、大脳の運動野からダイレクトに手足に指示命令を伝えられるかどうかが成否のカギを握る。そういうことが体でわかれば、確認行為で前頭葉が働きすぎというのは、まずいことだと体感できる。これは観衆の前でやるプレゼンテーションや芸能、競技などでも言えることである。確認恐怖の人は、そういう体験が不足しているのかもしれない。確認恐怖は頭の中でそのメカニズムがわかったからといって、必ずしも克服できるとは限らないと思うのである。それは森田理論を理解した人が、必ずしも神経症克服できるとは限らないということと同じことだ。
2018.02.09
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元巨人のピッチャーの江川卓さんの話です。1番バッターの役割は非常に重要です。まず、トップバッターはチームで最初に打席に立つ選手ですから、そのチームの「触覚」にならなければいけません。相手のピッチャーの調子はいつもと比べてどうなのか、変化球は切れているか、ストレートの伸びはどうかと、いろいろな点を分析しなければチームの作戦は立てられませんし、狙い球も絞ることができません。そのためにも、トップバッターはなるべく相手ピッチャーに球数を投げさせなくてはいけません。もう一つ重要なのは、ヒットでも四球でもデッドボールでも、とにかく塁に出て相手バッテリーにプレッシャーを与えることです。例えば、トップバッターがボテボテの内野安打で出塁。次の打者はショートが盗塁のベースカバーに入ったところを見計らったように三遊間に運び・ ・ ・といった展開になると、ピッチャーはだんだんと頭に血が上ってきて、冷静な判断がつきにくくなるものです。反対に、最初の打席からホームランを狙ってくる1番打者は気が楽でした。年間ホームランするが5本であろうと、 20本であろうと、貢献度はそれほど変わらないと思います。なぜなら、先頭打者ホームランは、ピッチャーにはほとんどダメージを与えないからです。15年位前、ある球団ではホームランを打った方が年俸が上がるという査定システムになっていました。そのために1番バッターでも最初からホームランを狙ってくる選手がいました。(マウンドの心理学 江川卓 廣済堂文庫 163ページより引用)この話を聞いて私の感想を述べてみます。野球の選手は、選手ごとに持ち味が大きく違います。例えば、ボールを遠くに飛ばす力を持っている人。ミートする能力が優れているひと。ピッチャーの癖を盗み、盗塁の上手な人。守備の上手な人。地肩が強く球を遠くまで投げることができる人。ブルペンで仲間を鼓舞できる人。プロ野球の選手で、それらのすべてが超一流という選手はなかなかいない。また、その必要もない。それらのどれか1つでも超一流という選手はプロ野球の世界で生き残っていける。どうにも使いどころのない選手は、どれもが平均的で、そうかといって、他の優れた選手と比べるとちょっと見劣りがする選手だそうだ。そういう平均的レベルの選手は山のように存在する。プロ野球の球団にスカウトされるような選手は、もともと平均的な野球センスを持っている人以外は、ドラフトで指名されることはない。入団してから、他の選手より優れた部分を見つけ出して、鍛えて超一流に高めていかなければならない。そうすることで、プロ野球という熾烈な競争社会の中で生き残っていけるのである。それでは神経質性格を持っている人の場合はどうだろうか。森田先生は人間の性格を7種類に分類されている。その中の1つに神経質性格というものがある。神経質性格は他の性格者にはない優れた特徴があると言われている。・細かいことによく気がつく。感受性が豊かである。・真面目で責任感が強い。・ 1度夢や目標を持った場合、粘り強くコツコツと頑張ることができる。・好奇心が広く、しかも強い。様々なことに興味や関心を抱く。・ミスや失敗があると、その原因を分析して、次の成功に結びつけることができる。その半面、性格が裏目に出ると、次のような傾向がある。・小さいことにこだわると、神経症に発展する。・人の思惑が気になり、対人接触を避けるようになる。・不可能なことにいつまでもとらわれて無毛なエネルギーを投入する。・その時の気分によって行動してしまう。・理想主義、観念主義に陥って、現実が見えなくなってしまう。・その結果、現実否定、自己否定、他人否定に落ち込みやすい。これらは森田理論学習の中の「神経質の性格特徴」で学習したことである。私たちは神経質性格の優れた面と見劣りがする面を過不足なく認識しなければならない。次には、優れた面に焦点を当てて、そこにみがきをかけて、さらに高めていかなければならない。神経質性格を活かしていくだけで、社会の中で存在感を示すことができる。そうすれば、神経質性格こそ神様から自分に与えられた最高の宝物であると認識できるようになる。神経質性格の活かし方については、これまでも度々投稿してきた。神経質性格で、今現在アリ地獄の底にいる人はどうすればよいのか。普段の生活の中で、「こうしたらいいな」と気づいたことを忘れないようにメモしていくことである。それが実行できるかどうかはこの際放っておく。とにかくストックを増やすということに取り組んでみてほしい。ストックがあれば、自然に手が出てくるようになる。できるようになったからといって、完璧にこなすようにしようと思ってはならない。常に60%くらいを意識して取り組んでみたらいよい。余裕がある人ならば、俳句や川柳、ユーモア小話などのネタもメモするようにしたらどうだろうか。これらに取り組むことによって、神経症の症状は急速に力を失ってくる。そして、自己内省一辺倒だった自分の頭の中に余裕が出てきて、自分以外の事にも興味や関心が生まれてくるのである。
2018.02.08
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先日の集談会で自分が受け入れられないがどうしたらよいでしょうかという質問があった。とっさの質問で上手に返答することができなかった。それが気になって後でいろいろと考えてみた。もう少し自分のどんなところが受け入れられないのかを聞いてみた方がよかったかもしれない。自分の容姿、神経質性格、親との関係、自分の生活環境、境遇、自分の弱点、ミスや失敗、他人からの理不尽な対応による自己否定などが考えられる。全部が受け入れられないのだろうか。それとも一部分が受け入れられないということなのだろうか。私の場合で考えてみると、森田の学習を始める前は自分の存在自体からして嫌だった。森田を学習して30年以上になるが、その点は少し変わってきた。私は人と比べて、自分の容姿は劣っていると思っている。神経質性格については、以前はダメな性格だと思っていたが、正確にはプラス面とマイナス面があって、一概には言えないと思うようになった。今では神経質のプラスの面を活かしていくことに力を入れている。親との関係では、父親が厳しく愛着障害を引きづっている。そのため以前は父親を憎んでいた。今は神経質性格という宝物を与えてくれたのが父親であると思うようになった。感謝できるようになった。境遇や環境については、欲を言えばキリがない。今の境遇を受け入れて、その中で運命を切り開いていくしか方法がないと思うようになった。ミスや失敗をすると、他人から軽蔑されるのではないかという気持ちは今でも続いている。私は周りの人すべての人からチヤホヤされたいという気持ちが強い。叱責や批判、無視をされると身の置き所がなくなる。こうしてみると受け入れられる部分もあるし、受け入れられない部分もあるようだ。受け入れなれない部分は、「かくあるべし」という考え方が強いことから発生していると思う。自分という1人の人間の中に、現実で苦しんでいる自分と完全や完璧主義、理想主義を持った自分が同居しているのである。周りのものを意のままにコントロールしたいという気持ちも強い。そして、「かくあるべし」という考え方が主導権を持って、けなげにも現実の世界で頑張っている自分を否定しているのである。森田理論では、 「かくあるべし」という考え方を止めて、現実の世界で四苦八苦している自分に寄り添うようにするとよいと言われている。上から下目線で自分の存在ややることなすことをいつも批判していると辛いし苦しい。これが自分で自分を受け入れられない原因だと思う。反対に、 現実、現状の世界にしっかりと足をついて、一歩一歩階段を上っているような生活になると、自己否定をすることがなくなるので、とても楽な生き方になる。この状態はどんなに未熟で不完全であっても、自分を否定しないで、そんな自分を受け入れている状態である。森田理論学習を続けている人は、その関係はよく理解されていることと思う。しかし実感としてはなかなかその様にはなっていないということだと思う。またすべての面で自分を受け入れられるようになりたいという性急さがあるのかもしれない。でも具体的に細かく見ていくと、以前と比べると、 ある程度は自分を受け入れる部分が増えてきているのではないでしょうか。これは森田理論を学習して少しは成果が出ているのだと思う。そういう点が評価できるようになって、改善できたことを喜ぶことができるようになることが大切なのではないでしょうか。一つでもその足がかりがつかめれば、前途は明るいのではないでしょうか。自分を受け入れるというのは、今すぐに一挙に自分のすべてを受け入れるという事ではなく、自分を受け入れる部分が次第に増えてくるということだと思います。ここで大切なことは、最初は「かくあるべし」の立場に重きを置いている自分の割合がほとんどだと思うのです。それが修養が進み現実や事実の立場に立てる割合が増えてくる。そしていつかその割合が逆転するときが来る。「かくあるべし」という自分が主導権を持っている状態が、現実や事実という立場に立つ自分が主導権を持つように変わってくる。その割合が51%を超えてくるようになると、どんなに問題だらけの自分であっても、自分を受け入れられるように変わっていくと思うのです。最初は51%と49%でもいいのです。ここで肝心なことは、自分の立ち位置が事実本位優位に変わってくることが大切です。そして、現実や事実の世界から、今一歩視線を上にあげて 、努力精進するという態度になれば、ますます自分を受け入れることができるのではないでしょうか。この時点では、「かくあるべし」が自分を否定したりいじめていても、「そうはいってもなあ!いつも理想どうりにはいかないよ。現実を踏まえて生活することが大事だよ」というように変わっていくのではないでしょうか。そうなれば思想の矛盾が徐々に解消されてきますので、結果として少しずつですが自分を受けいることができるようになるのだと思います。
2018.02.07
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形外会で鈴木さんが話されていることです。前には、親たちが、小声で話していても、私のことを噂しているのではないかと思ったが、退院してから、そんな感じは全くなかった。退院後、流感にかかって、 1週間ばかり、親戚で床についたが、その間、今のケヤキの深緑の美しさに見とれて、退屈するようなこともなかった。以前には、こんなものを見て美しいとか、思えるような事は全くなかったのであります。学校で、英語を読まされてひっかかると皆が笑う。今までは侮辱を感じたが、退院後は、そんな時、一緒になって笑うようになった。続いて、水谷氏は次のような話をされている。以前は、負けず嫌いで、相手の向こうを張りたいという気持ちが強かった。学校などで、あまり親しくない友達などが歩いてくると「あいつが」と、心の中で、軽蔑して、わざと肩をいからして歩く。相手が多勢で、心細く感じた時は、特にそれがはなはだしくなる。また道で、ごろつきなどに会えば、道をよけないで、かえって敵視の態度をとるという風であった。それが、退院後は、まったくそのような反抗気分がなくなり、人に会釈もできるようになり、青年倶楽部へ行って、打ちとけるようになった。学校でも、孤独感がなくなり、近頃は、クラス雑誌のメンバーに加わり、いろいろと世話をやいています。人に対する親しみが、大変ましたようであります。(森田全集第5巻 353ページより引用)私も桜の満開の頃、集談会に参加して、 「見事な桜にしばらく見とれた」と話したところ、私の信頼している先輩から 「あなたの症状はだいぶよくなっている」と言われたことがあった。自分ではそんな事はないと思っていたが、今考えてみると、頭の中が自分のことで100%占められていたものが、少し緩んできつつあったのかもしれない。森田に関わっていたおかげで、自己内省一辺倒から、外向きに変わってきたのであると思う。特に集談会の中で図書係を経験させてもらい、役割を果たすのに精一杯に取り組んでいたことが懐かしい。その時は、頭の中は症状のことから離れて、外向きになっていた。森田学習に役立つ本はなんだろうかと、いろんな本を読んで、案内文章を作ったりしていた。毎月何冊売れるかが楽しみだった。図書係は役得で、いろんな本をタダで読めることが特典だった。そのうち、副代表幹事や代表幹事を拝命された。今度は集談会をどうしたら活性化するのか、どうしたらもっと人が来てくれるのか。多くの人の協力を仰いで、いろんなイベントを企画したりしていた。野外学習会や一泊学習会は毎年企画していた。テニスやスキーなどの企画も盛りだくさんであった。おかげで、 1つの集談会では収容しきれないくらい多くの人が参加してくれた。私が症状にかまけて苦しんでばかりいた状態から回復できたのは、集談会で世話活動に専念したからである。その中で集談会でも、集談会以外でも心の拠り所となる貴重な多くの人たちと知り合うことができた。今では私の貴重な財産となっている。そんな活動は、仕事の面でも大きな変化を見せた。神経質性格を生かして、細かい仕事を馬鹿にしないで丁寧にやっていくという方法で会社の中で大きな評価を受けるようになった。ただ、人の思惑が気になって、生きづらいと言う気持ちは、その時は解消してはいなかった。その頃は、症状はそのままにして、実践・行動力をつけるという学習が主力であった。後で振り返ってみると、思想の矛盾の解消についてはほとんど手付かずであった。でも、順序を踏むという面から見れば、それでよかったのかもしれない。そのうち、森田理論の要点が改訂されて、思想の矛盾の打破について大きく取り上げられるようになった。私はそれに加えて、試行錯誤の末に「森田理論の全体像」を作り上げた。そして「かくあるべし」を少なくして事実本位・物事本位の生活態度の養成に力を入れて取り組むようになった。そして今や「かくあるべし」ではなく、事実や現実に軸足を置いた生活ができるようになったのではないかと感じている。私は森田理論学習によって、確固たる人生の指針を持つことができた。これが森田先生は私たちに伝えたかった究極の考え方ではないのかと感じるようになった。今では、人を避けるのではなく、気心の合う多くの人たちとの交流がとても楽しみになった。今では、人生の楽しみはいろんな人とワイワイガヤガヤと楽しく過ごすことではないのか、と思うようになった。もし、対人恐怖症を乗り越えることができなかったら、未だに孤立して1人で寂しく過ごしていたに違いない。
2018.02.06
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先日テレビを見ていると、日常生活のヒントを紹介していた。例えば、硬いステーキなどの肉を柔らかくする方法。これは、マイタケをみじん切りにしてステーキにふりかけてラップに包んでしばらく置いてから焼くと柔らかくなる。早速我が家で実験をしてみた。硬くて安価な肉を買ってきた。確かに硬くて噛み切れないという事はなかった。マイタケのみじん切りはそれを使ってソースを作った。続いて、風呂の湯垢取りである。鏡や石鹸などを入れた入れ物、座椅子などの湯垢である。これには研磨材入りの歯磨き粉買ってくる。サランラップにそれをつけて、グルグル円を描くように擦るとすぐにとれる。実際に実験をしてみると、なるほど、すぐにきれいになる。歳をとると内臓が下に下がって、腹回りが出てくる。一般的には、内臓脂肪と言われているが、内臓が重力によって下に下がってくるのも原因だそうだ。これには仰向けになって、ヘソのあたりに丸めたタオルを置く。足の親指は輪ゴムで留めておく。足の踵は開き気味にする。両腕は頭の上で組んでおく。これで5分ぐらいじっとしておく。これは、まだ効果のほどは確かめられてはいない。しばらく続けてみたいと思う。今現在、気になっていることは、トイレの水をためるタンクの中に黒いカビが発生していることである。定期的に水を止めて、タンクの中をブラシでこすっているが、しばらくするとすぐに黒いカビが発生している。多分、生活の知恵として、黒いカビが発生しないような方法を知っている人がおられると思う。妙案があったら是非教えてほしいものである。さて、私はこのテレビ番組を見て、本屋に行って生活の知恵を集めた本はないだろうか探してみた。すると、 「おばあちゃんの知恵袋」 「一生使えるおばあちゃんの知恵」という本があった。「おばあちゃんの知恵袋」 (おばあちゃんの生活の知恵研究会 成美堂出版)という本の中から、これはぜひ応用していくみたいと思うことが何点かあった。・畳は長年使っていると黄ばんでくる。これは、まずホコリを払い、酢だけを含ませて固く絞った雑巾で拭く。そして最後に抹茶を溶いた水で拭くことで、畳に青みが戻るという。・畳の上に、テーブルなどの家具を長いこと置いておくと、重みでどうしても畳に凹みがついてしまう。これはあて布をしてから、スチームアイロンで蒸気をあてれば次第に凹みが消えてくるという。・蒸れやすい革靴やブーツなどは、夏になると臭いが気になる。そんな時は10円玉を入れておく。 10円玉の銅イオンの働きでニオイの元のバクテリアの繁殖が抑えられる。・パスタや野菜などのゆで汁は、熱々のうちに雑草にかけると除草剤の代わりになる。・切り花を長く持たせるコツは、漂白剤を1滴垂らし、 2 、 3%の砂糖水を作り花瓶の中に入れる。漂白剤が菌の繁殖を防ぎ、砂糖が花の栄養になるから、切り花が長持ちをする。・うっかりビールを冷やし忘れたときは、飲み物の容器に濡れタオルを巻き付けて冷蔵庫に入れるとよい。・ハサミはしばらく使うと切れ味が落ちてくる。それを防ぐには2枚重ねたアルミホイルをハサミで切る。アルミホイルには研磨作用があり、切れ味が回復してくる。・うどんやパスタを茹でるとき、ふきこぼれを防止するには、お湯に少量のサラダ油を垂らしておくといい。・卵を茹でるとき、卵の丸みを帯びた部分に針で小さな穴を開けておくと、中の二酸化炭素が抜けて、 卵のカラが剥きやすくなる。・えびの天ぷらなどを挙げるとき、衣の小麦粉の中に軽く小さじ1杯のベーキングパウダーを入れる。これだけで、衣から出る炭酸ガスが余分な水分を蒸発させて、サクッとした口あたりに仕上がる。その他にもたくさんあるが、これぐらいにしておきたい。これらのことは、自分でも実際に試してみたいという気になる。こういうところから、行動が外向きになり、弾みがついて自分でも工夫することができるようになり、森田的な生活に移行できるとしめたものだ。みなさんもぜひ研究をしてみてほしい。
2018.02.05
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親鸞さんの研究をされている山崎龍明さんのお話です。今、私達は大変な時代に生きています。しかし、人間が生きていくのに、大変ではない時代など、あったでしょうか。いつの時代であっても、人間は厳しい現実の中で右往左往しながら生きてきました。「シャバ(娑婆) 」という語があります。もともとはインドの言葉で、中国では、 「忍土」 (あらゆる苦しみに耐え忍ぶところ)とか、 「雑会」 (実に様々な人がうごめいているところ)とも訳されています。つまり、何一つとして、私の自由になるものはない、ということでしょうか。お金も、社会的な地位も、他人も、いや、自分自身さえ自分の思い通りにならない、というのはこの娑婆という言葉の示すことのようです。すべてのものを、自分の自由にしたい。努力次第で、それはできるはずだ、と私たちは考えがちです。「努力すれば報われる」という考えは、ある意味でまっとうな、素晴らしく前向きな姿勢であるといえます。それを否定するつもりはありません。しかし、報われるとは、どういうことでしょうか。努力した結果がそのまま現れるということでしょうか。とすると、いや、なかなかそのようにはいかないぞ、という思いが私の脳裏をかすめます。仏教には「精進」という語があります。精進とは努力そのものに意味を求めるもの。つまり、結果を前提としない、ということです。ここでは、結果が出なくても、その努力は無駄だった、と落ち込むことではありません。結果がでても、でなくても、そのことに満足する世界には安らぎがあります。今乱世とか悪世と言われる時代の中で、ますます人間が歪んだものとなり、お金、モノだけが人間を支配するものとなってしまいました。この中から、環境破壊、戦争の正当化、民族差別、人間格差、 自死者の激増といった時代が生まれ、修復は不可能といわれる時代となってしまいました。(親鸞!感動の人生学 山崎龍明 中経出版 2ページより引用)森田理論との関係では、 「不安常住」「努力即幸福」について語られていると思います。これらについて私の感想を述べてみたいと思います。まず「不安常住」ですが、森田では欲望がある限り、常に不安はつきまといます。神経症に陥ると、その不安は嫌なものですから、すっきりと取り除いて楽になろうとします。しかしその結果、精神交互作用によって不安はどんどん増悪してきます。本来は、欲望が暴走しないように、不安が発生しているわけですから、そのことを十分に認識する必要があります。ここで大切な事は、不安を活用して、慎重に生の欲望の発揮に邁進していくことが大切なのです。神経症に陥ってしまうと、不安や恐怖にばかり関わりあって、本来の欲望は蚊帳の外になってしまいます。不安が大きければ欲望も大きい。不安の数が多ければ、欲望の数も多い。ということを忘れてはなりません。不安と欲望の調和を図るという生活態度が大事になってきます。次に「努力即幸福」ですが、私たち人間は努力して、成功し結果が伴わなければ無意味だと考えがちです。森田理論では、ものそのものになりきって、一心不乱に取り組んでみるということを大切にしています。そうすることで、関心や興味が高まってきます。気づきや発見、アイディア等が生まれ、やる気や意欲が高まってきます。そして活動はどんどん広がってきます。そこでは失敗したか成功しかは二の次のことです。成功すれば喜び、失敗すればその原因を追求して、次の成功を目指して頑張ればよいだけのことです。つまり、後で振り返ってみると、なんとか成功しようと努力していたプロセスそのものが生きがいとなっていたということです。努力精進しない人に、本当の意味で人生の醍醐味は味わえないのではないでしょうか。
2018.02.04
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親鸞の研究をされている山崎龍明さんのお話です。生きるという事は、そんなに簡単にはいきません。まさに、山あり谷あり、禍福はあざなえる縄のごとしです。親鸞さんは、人間が生きていく世界を「難度海」 (なんどかい 渡りきることが極めて難しい大きな海)といいました。自己をどこまでも信じ、自己の能力、力量をたのみとして、人生設計をたて、その道をひたすら生きる。なんとたくましい、立派な生き方でしょう。このような人をずいぶんとみてきました。でも、そのような生き方には、どこか「力み」があります。大切なところで大事なことを見失うような、おごりと危うさを感じます。「自力を捨てる」と言う事は、自分を捨てることではありません。自我を捨てるということです。自力のはからい(とらわれ)を捨てるということです。いや、自我中心に生きている、その誤りに気づくことであるといってもいいでしょう。そこには何の「力み」も「気負い」もなく、他を認める開かれた世界があります。「自力をすてる」ことは、 「仏の真理」に気づくことでもありました。それは、学歴、知識、社会的地位、金銭、他人を人生の拠り所とはしない、ということなのです。(親鸞!感動の人生学 山崎龍明 中経出版 174ページより引用)森田理論に通じるところがありますので、私の感想を書いてみます。親鸞さんは「自力の思想」ではなく、「他力の思想」であると言われます。自力の思想は、人間の生き方や処世術を学問・書物や世の中の常識などから学んでいきます。それらを統合して人生観や処世術を確立した人のことを言うのではないかと思います。努力精進して確固たる人生観や現在の地位を確立したわけですから、立派なことだと思います。高学歴を持ち、社会的地位を獲得し、お金を儲けて物質的豊かな生活を築いた人たちです。しかし、そういう人たちの中には、欲望が暴走し、制御不能に陥っている人もおられます。自己中心的で、 自分の利益のことばかり考えて、他人を自分の意のままに支配しているような人です。自力の思想の人は、そういうおごりや危うい面があるわけです。どうしてそのようなことになるかと言うと、自分の考えていることや行動は間違いないという過信があるからです。森田理論で言うと、 「かくあるべし」思想で世の中のことに立ち向かっているわけです。親鸞さんが言われている「他力の思想」は、 「自力の思想」のおごりや危うさを指摘されているのだと思います。自分の立ち位置が思想や完全・完璧の状態の側にあるのはまずいいと言われているのです。「他力の思想」は、森田理論で言うと、 「かくあるべし」思考を少なくして、できるだけ事実本位・物事本位の生活態度に改めていくことだと思います。山崎さんは「自力をすてる」ことは、 「仏の真理」に気づくことであると言われています。これは私たちの場合で言うと、森田理論の学習をして、症状を克服し、神経質者としての人生観を確立するという事ではないかと思います。森田先生は、 「教育の弊は、人をして実際を離れていたずらに抽象的ならしむるにあり」と言われています。この言葉は、森田全集第5巻の最初に掲げてある言葉です。森田先生は、神経症に陥って苦しんでいる人は、思想の矛盾を抱えている人であると言われています。つまり、 「かくあるべし」でがんじがらめになって、金縛りにあっているようなものです。ここに焦点を当てて、学習・実践に取り組まないと、いつまでも生きづらさは解消できないものと思われます。
2018.02.03
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最近はバイキング料理というのがあちこちにあります。別府の杉乃井ホテルに行くと、夕食も朝食もバイキング料理です。夕食は滅多に食べられないフォアグラ料理などもあって、しかも食べ放題です。旅行などで行くと朝からバイキングで種類も量も多く、食べ過ぎになっている人が多いように思います。先日近くであるバイキング料理専門店に行きました。そこは大人1人1,500円と格安です。そのせいか大繁盛していました。しかし寿司とカニ料理は別料金です。 プラス 500円でした。またもしアルコールを飲めばそれも別料金になります。私は60歳を過ぎているので、免許証を提示すれば、シニア料金で入店できました。料理は何種類ものピザやパスタ、うどんやラーメン、やきそば、各種チャーハン、いろんな種類のカレーやお好み焼き、たこ焼きなどがありました。スープはトムヤンクン、卵スープ、中華スープ、味噌汁など何種類もありました。マーボー豆腐、回鍋肉などの中華料理も豊富に取り揃えてあります肉料理も唐揚げをはじめ、サイコロステーキ、焼き鳥など至れり尽くせりです。魚料理は刺身を始め、焼き魚などもふんだんにあります。天ぷらは一通り揃っていました。おでんもありました。野菜サラダは色とりどりいろんなものが揃っていました。デザートの果物も所狭しと並んでいます。ぜんざいやケーキ、コーヒー、紅茶、烏龍茶、ジュース類も何種類もあります。どれも好きなだけ腹一杯食べていいわけです。多くの人は取りざらにひとつの種類の料理をたくさん盛り付けて机の上に運んでいます。私はあまり多くは食べられないので、ひとくちずつ多くの種類を取り分けることにしました。食い意地を張らずに、腹八分目で押さえるという方針で臨んでいました。もちろん種類が多いので、寿司やカニは最初から注文していません。ビールなどのアルコールを飲むと腹が張るので注文していません。うどんやラーメンなどの麺類はそれだけで腹がいっぱいになるので注文しません。また唐揚げや天ぷらのような揚げ物は、体があまり受け付けないのでとりません。まずピザを一切れ、パスタを少々、豆腐料理を少し、焼き魚を1切れ、お好み焼きを1切れ、チャーハンを少し、野菜の煮物を少しだけ皿に盛りました。それを平らげると、次はビーフカレーを茶碗に3分の1ほど入れて、それに青豆を入れて食べました。その次にぜんざいを茶碗に少しだけとって食べました。あとは食後のデザートとして果物の盛り合わせとケーキを食べました。飲み物はコーヒーでした。ここまでで、腹八分目になりました。時間は1時間半と指定されていましたが、 1時間位でした。家で食べる場合は、こんなに色とりどりの料理を目で見て楽しみ、 味わうということがありません。たまには気分転換でよいものです。ただし食べ放題だからといって食い意地を張るというのはどうかと思います。育ちざかりの子供の場合はともかく、大人になった人は食べ過ぎないことが大切だと思います。私がそこへ行った日は、朝はニンジン・リンゴジュース1杯。夜は蕎麦だけにしました。アルコールは抜きました。1日内でカロリーの調整をとろうと考えていたのです。森田で学習しているようにバランスという事は常に意識しないといけないと思います。何事も過ぎたるは及ばざるがごとしです。生活習慣病の数値の気になる人は、食べ物にの量には気を配ったほうがよいと思います。また普段から間食はできるだけ控える。食べたいという欲望が起こってきても、普段の食事をきちんととっていれば、衝動的にお菓子などを口にすることは避けたいものです。
2018.02.02
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ピョンチャンは どんなリスかと 孫が聞くドモル人 カラオケ行けば 高得点おめでたや 森田生まれて 100年目集談会 今年の目標 皆勤賞懇親会 皆勤祝いで タダになり好奇心 神経質の 宝物神経症 野球のある日は つい忘れ発見会 発明展と 誤解され集談会 懇親会には 遅刻せず
2018.02.01
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元プロ野球選手の江川卓さんの話です。キャッチャーには大きく分けて、次の2つのタイプに分けることができると思います。1 、ピッチャーの良さを引き出して相手を打ちとるタイプ2 、相手の弱点を徹底的に突いて打ちとるタイプ1の代表的なキャッチャーは元西武ライオンズの伊藤勤選手を挙げておられます。西武に在籍していた頃の松坂選手は、ストレートとスライダーを中心に投球を組み立てていました。本人が1番プライドを持っていたのは、 Max 156キロの速球です。ところが、伊藤選手と組む前はスライダーの比率が多く、思うような成績は残せませんでした。キャッチャーが伊藤選手に変わると、配球がストレート中心に変わってきました。それだけではなく、伊藤選手は松坂選手を乗せるのがうまいし、気持ちよく投げさせることもできました。それで、獅子奮迅の活躍につながっていったのです。2の代表的なキャッチャーとして、元ヤクルトの古田敦也捕手を挙げておられます。古田選手は対戦するバッターの弱点を徹底的に研究して、弱点を突いていくというサインを出します。「頼むから俺の構えたところに投げてくれ」という捕手主導型のリードします。師匠が野村克也監督ですから、その影響を受けているのでしょう。コントロールが良くて、指示されたところにきちんと投げられれば打ちとる確率が高くなります。ところが、ピッチャーがその要求にきちんと答えることができないと痛打されることが多くなります。下手をするとそういうピッチャーは1軍では通用しないという烙印を押されてしまいます。ただ、その後古田捕手はピンポイントの要求を変化させました。例えば、 1995年のオリックスとの日本シリーズでイチローとの対戦がありました。古田捕手は、高めのストレートを効果的に使ってイチローを封じました。その時高めのストレートは外角が効果的と言われながら、実際は真ん中のあたりにきていました。これでいいのです。もし古田捕手が外角高めのピンポイントを要求したら、ピッチャーは萎縮して球を置きにきたでしょう。それがプレッシャーとなって高低のコントロールミスが続出していたかもしれません。 (マウンドの心理学 江川卓 廣済堂文庫 159ページより引用)この話は、集談会で先輩会員が初心者に森田理論を説明する時にも参考になると思います。神経質性格の人が、神経症を克服し、さらに神経質性格を活かした人生観を獲得するにはどうすればよいのか。まず、集談会に参加して、森田理論を始めたことを評価して温かく迎えてあげることが必要です。最初のうちは、傾聴、受容、共感を前面に打ち出した対応が必要です。集談会は居心地のいい場所だ、続けて参加してみたいという「心の完全基地」を作ってあげることが必要です。その段階を過ぎると、ただ参加するだけではなく、何らかの役割を分担して担ってもらうことも必要です。これがキャッチャーの1の役割に当たるものだと思います。相手のやっていることがみんなの役に立っているということを評価してあげることが大切です。相手の存在を認めてあげることにつながります。この段階では、性急に森田理論を詰め込まなくてもよい時期です。次の段階になると、本格的に森田理論学習に取り組んでいくことになります。まずは基礎的な学習です。神経症の成り立ち、神経質性格の特徴、感情の法則、行動の法則、認識の誤りなどの学習です。基礎的な学習が終わった後は、自分を振り返って体験発表をすることが大切です。基礎的な学習が終わった後は、応用編の学習に入ります。これは私が提唱している、「森田理論の全体像」の理解から始めるとよいと思います。ここでは主に4つの大きな柱の深耕とその関連性について学習していきます。生の欲望の発揮、欲望と不安の関係・不安との格闘、 「かくあるべし」の発生と苦悩の始まり、事実本位・物事本位の生活態度の養成です。その後、神経症が治るとはどういうことか、森田理論のキーワードの学習などに取り組みます。これらのステップを踏んでいくと、いよいよ離陸の時を迎えます。森田理論を実際に仕事や日常生活にどんどん応用していくのです。その際これはと思うもの1つか2つに特化して実践することが有効です。たとえば、「ものそのものになりきる」「物の姓を尽くす」「一人一芸を磨く」などです。そして自分の体験を、新たに森田理論学習を始めた人に伝えていく役割も担うとよいでしょう。最初は相手に寄り添い、相手の存在を認めてあげる。信頼関係ができれば、適切に森田理論の理解につながるように導いてあげることが重要だと思います。
2018.02.01
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