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田舎のお寺の住職さんから伺った話です。昔TVドラマに「北の国から」というのがありました。純という息子が中学を卒業して、東京に出て定時制高校に学びながら働くことになりました。いよいよ東京へ出発する日、父親の五郎は東京へ向かうトラックの運転手に純を乗せてもらうようにお願いしました。無愛想でぶっきらぼうの運転手に、五郎はペコペコして頭を下げ、純のこと頼みます。やがてトラックは出発し、助手席に乗った純は両耳にイヤホンをして音楽を聴いていました。しばらくしたら純の付けていたイヤホンのコードが引っ張られます。運転手が話しかけているのに聞こえないのでひっこぬかれたのです。驚いた純に運転手は車のダッシュボードに置いてある封筒をアゴで指し示します。純は「なんですか」と聞くと、運転手は言いました。「金だ。いらんと言うのに親父が置いていった。その金見てみな。ピン札に泥が付いている。お前の親父の手に付いていた泥だろう。俺は受け取れん。お前の宝にしろ。一生とっとけ」純が恐る恐る封筒を手にして、中を見ると1万円のピン札が2枚、その縁には確かに泥がついている。その時、純はお札の泥を指でなぞって泣き出してしまいます。この話は「北の国から」の脚本家である倉本聰さんが、 ガッツ石松さんから聞いた実話をもとに作られたそうです。ガッツ石松さんはとても貧しい家で育ったそうです。彼はお母さんの事をいつも誇りにしていました。お母さんはいつもガッツ石松さんに言っていたそうです。「お前はバカだし、私も貧乏で何もしてやれない。ただお前を信じてやれる事は出来る」ガッツ石松さんは中学を卒業して、ボクサーを志して東京に出ましたその東京に旅立つ朝、彼はお母さんが働いている工事現場に行きました。当時お母さんは家族6人を食べさせるために、早朝より男たちに混じって、 日給240円の道路工事の仕事をしていました。「かあちゃん、じゃ行ってくるから」と言うと、お母さんはツルハシの手を止めて、ポケットからくしゃくしゃになった泥のついた1,000円札を出して持たせてくれました。ガッツさんはとても感動したそうです。以後、ガッツ石松さんの人生の支えは、その1,000円札になったそうです。どんなに貧しくても、決してその1,000円は使ってはいけないと思ったそうです。その1,000円札にはお母さんのありったけの愛情が込められているからです。ガッツ石松さんは、つらい時、悲しい時、いつもその1000札を取り出してながめていたそうです。この話は、涙が出るほど感動的な話です。それは、生きるのに不器用で、最低限の生活をしているにもかかわらず、自己中心を前面に出すのではなく、利他の気持ちを失うことなく日々懸命に生きているからではないでしょうか。昨今の公文書偽造の官僚たちの生き方と比べてなんと崇高な生き方でしょうか。我々は、必要なものは全て買い揃え、食べたいものはいつでも腹いっぱいに食べるという飽食三昧の生活をしています。一般的に考えると、自分が豊かであればあるほど、人に対する思いやりも出てくるのではないかと思われます。ところが、事実は違うということです。生命を維持するために、日々懸命に働かなければならない人ほど、人に対する思いやりも深くなるのではないかと思われます。物質的に豊かであればあるほど、利他の心が忘れ去られて、ますます自己中心の考え方に突き進んでしまうのです。巨大な国際企業がなりふり構わず、世界制覇を狙って利益を荒稼ぎしているようなものです。私は森田理論を学習して、自分の生活を豊かにすることは生の欲望の発揮であり、それはそれで尊いことだと学びました。ところが、欲望というのは、どんな欲望であっても際限なしに追い求めては、必ずその弊害がやってくるのだと思います。森田理論では、欲望は不安によって制御してバランスをとらなくてはならないといいます。これは車のアクセルとブレーキの関係にあたります。バランスや調和を意識した生き方こそ我々の目指すところではないでしょうか。そういう意味では物質的豊かさを際限なく追い求めるという生き方は、どこかで歯止めをかける必要があります
2018.04.30
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今年はよく病気になる。もともと痛風があり、平成25年3月から毎日薬を飲んでいる。それに加えて、今年の2月7日インフルエンザにかかり、治療を開始した。今年のインフルエンザは、熱はなかった。喉の痛みもない。悪寒もない。痰や鼻水もない。ただ、咳が止まらない。それも10日ぐらいで小康状態になった。このまま回復すると思っていたが、 10日ぐらい前から再び咳が出始めた。昼間も夜もひっきりなしに出る。体力を消耗し、体が痛くなり、だるくなった。そこで、かかりつけの病院に行った。そこのお婆さんの医師は、簡単に現在の症状を聞いてきた。レントゲンや触診をすることもなく、すぐに薬を出した。そして、咳止め、気管を広げる薬など6種類の薬を処方された。 5日分である。私としては、咳が出る原因を知りたかった。最悪の場合、 肺がん、肺結核、肺炎、気管支炎などが頭をよぎった。案の定、処方された薬は全く効き目がなく、咳はますますひどくなった。これはダメだと思って、呼吸器内科に病院を変えた。そこの先生は、時間をかけて病状について詳しく質問された。その後のどや内臓などの触診をされた。またレントゲンもとられた。検査の結果は特に重大な病気ではないと言われた。レントゲン写真を見るときれいな肺に見えた。これらから判断すると、気管支炎が咳が出る原因ではないかといわれた。そこで、気管を広げる吸入剤と炎症を抑える吸入剤を処方された。家に帰って説明された通りに使用した。すると、あれほどひっきりなしに出ていた咳が5分の1ぐらいにまで減ってきた。薬が自分の症状に合っていたのである。今回は2つの病院に行って診察を受けました。最初の病院の医師は、病気の原因を追求しようという気持ちは持ち合わせていなかった。表面上の症状で病気を判定して薬を処方するというやり方だ。病気の患者には触りたくもないし、長く接触すると自分に病気が移っては困るといううな感じだった。咳といえば、無難な薬を出して様子を見ようという考えだ。ダメなら別の薬に変えるのだ。私は咳が出る原因がわからなくて、疑心暗鬼になっていたのである。ひょっとすると重大な病気にかかっているのではないか、突然死するのではないかと、大変不安であった。その患者の気持ちに寄り添うことがなく、ただ単に咳止めの薬を処方するだけでは市販の薬局と変わりないのではないか。幸いにも私は呼吸器内科に病院を変えた。そこでは、最初から咳が出る原因をできるだけ究明しようと対応してくださった。聞いてみると、咳が出る原因は5つぐらいの原因があるという。検査や触診によって、ある程度原因は特定できる。原因がわかれば、適切な治療法につながる。こういう医師を我々は見つけなくてはならないのだ。森田理論でも事実を無視して、先入観や思い込みで対策を立てては、全く方向違いの努力をすることになる。できるだけ事実を観察し、事実に基づいた行動を心がける必要があると改めて感じた。
2018.04.29
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大原健士郎先生が次のような話をされている。ある小学校の女性の先生が悩みを持ってやってきた。先生の悩みというのは、自分は教師としては子供達全員を平等に可愛がられねばならない、 「かくあるべし」という思想なんです。教師としては皆を平等に可愛がられなければならない。しかし、どうしてもそうはできない。意地悪する子供もいるし、鼻を垂らしている子もいるし、憎たらしい子の顔を見るのは嫌で嫌でしょうがない。叩いてやりたくもなる。かくあるという事実があるわけです。自分はその矛盾に悩んでいる。私、子供皆平等に愛したいと思うけどできない。教師失格ではないかということで神経症で悩んでいるわけです。森田先生は、それは当たり前だ、皆が好ましい人ばかりではない。嫌であっても嫌だなぁと思いながらも、嫌な顔をするのは、子供である。嫌だなぁと思いながらもニコニコ顔で大人の付き合いをしなさい。というようなアプローチをするわけです。自分はあるがままに受け入れてやるべきことをやれ、どうにもならない事実はどうにもならないと認めなさいと言われているのです。私なんかも非常に激しい性格ですから、友達も、先輩にしても、あの野郎早く死んじまえばいいなと思うのが、私何人もいるわけです。皆さんにもきっといると思うんですが、神経症にはそういう人が多いです。しかし、それをあの野郎早く死んでしまえ、と言っては非常に角が立つわけですね。その人の前でもニコニコしながら「おはようございます。今日はいいお天気ですね」と言うと、向こうは向こうで相手の心中は分かりませんから、 「あいつ、いい男だな」ときっと思ってくれているだろうと思います。そういうのも大人の付き合いだというわけです。(生活の発見誌2018年4月号9ページより引用)この話は、どんなに相手のことを嫌いで憎んでいても一向にかまわないということだ。嫌いであるとか、虫がつかないとか、憎らしいとか、腹が立つとかいう感情は自然現象であって、どうすることもできない。その感情をあってはならないと、拒否、無視、否定、抑圧しようとすると、思想の矛盾に陥り、神経症になる。感情の法則1にあるように、いったん沸き上がった感情は、山を駆け上っていく。我々の出来ることは、その感情を味わうことだけである。手出し無用である。その感情の影響を受けて、相手のことを無視したり、腹を立てて喧嘩を売ったりする人が後を絶たない。そういう対応をしている人をみると、大の大人のすることだろうかと思ってしまう。子供の対応に見えてしまう。でもうっかりすると自分自身でもそういう対応をしていることがある。たしかに全部が全部沸き起こってきた感情と行動を切り離す事は難しい。しかしそのような方向に舵を切っていく事は大切だと思う。私は、そのような時、俳優や女優を思い出すようにしている。私生活でどんなに問題を抱えていても、いったん撮影や舞台に上がると、苦しい感情は封印して、楽しい演技をしている。私たちもその人たちに学んで、とりあえず 10のうち1つや2つは感情と行動を切り離す演技を身につけたいものだ。
2018.04.28
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他人の思惑が気になって仕方がないという人は「愛着障害」を起こしている可能性がある。「愛着障害」を起こしたままで対人関係を維持することはとても困難である。しかし「愛着障害」はその後修復が可能であるという。共感的で安定した、支えとなってくれる第三者とのあいだで愛着を育み、愛着の傷を修復し、最終的なゴールとして母親との関係も安定したものにしていくというのが現実的である。まずは、母親から適度に距離をとって、中立的だが、思いやりを持った存在との関係において、自分の中の不安定な愛着を克服していく。信頼でき、関心や価値観をある程度共有し、何でも話すことができる存在に安全基地を見出し、受け止められることで、この作業を進めていくのだ。集談会の仲間であってもいいし、パートナーであってもいいし、師であってもいいが、思いやりとともに、いつも変わらない安定性をある程度備えていることが必要になる。医師やカウンセラーのような専門家についても、同じことが言える。親から適度に距離を取るためにも、また、自分で自分の問題に取り組み、それを乗り越えていくためにも、そうした存在の支えが不可欠だ。安全基地によってバックアップされるからこそ、人は新たな可能性に挑戦してみようと思えるし、課題を克服し、自立を成し遂げることもできる。安全基地となって支えてくれるパートナーに出会えた人は幸運だと言える。ただ、せっかく良いパートナーに出会っても、それを安定した関係に育んでいくことができなければ、散々相手の愛情や献身を無駄遣いしただけで最後は、ギクシャクした関係となって終わるということにもなりかねない。愛情は相互的なものだということを忘れず、自分だけが一方的に甘えるのではなく、自分も相手の安全基地になるように努力することが大切だ。それによって、いっそう相手はあなたの安全基地となってくれるからだ。愛着が不安定な人では、つい甘えが出て依存しすぎたり、感情的になりやすいのだ。特に自分の弱点を指摘されたりすると、自分を責めていると受け取ってしまい関係自体がギクシャクすることにもつながる。(母という病 岡田尊司 ポプラ新書 283頁より引用)私の場合は、集談会の中で安全基地となる人を何人も見つけてきた。そういう人は、自分の悩みやグチをよく聞いてくれる。傾聴、受容と共感の気持ちを持った暖かい人ばかりであった。例外もあったが、基本的には否定や非難されることはほとんどない。困った時は親身になって相談に乗ってくれた。そういう後ろ盾があれば、心の中にゆとりが生まれてくる。困った時は、集談会で知り合った仲間に相談してみようという気持ちになった。それが会社での人間関係の中に生きてくるのである。安全基地となる人は1人ではない。 3人ぐらいはいたほうがよい。そういう人は体験交流や懇親会、集談会を離れた支部の1泊学習会などで発見できた。井の中の蛙状態ではなかなか心の安全基地の見つけることができないのではないかと思う。思い切って、懇親会、 1泊学習会、支部の1泊研修会などに積極的に参加することが大切であると思う。
2018.04.27
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存在価値について考えてみたい。その前に存在価値以外の価値についてみてみよう。 「貨幣価値」というのは、物の価格を他の物や以前と比べて、お金の価値が上がったか下がったかを比較している。 例えばマンションを買って、10年後にそのマンションの販売価値が上がっていれば貨幣価値は上昇している。値下がりしていれば、貨幣価値は下落しているとみる。 「歴史的価値」というのは、今日の文明や文化の発達を考えるにあたって、見逃すことのできない遺産や出来事である。象徴的な遺産や出来事をいう。 「なんでも鑑定団」でいう「希少価値」というものは、極めて珍しいもので、欲しい人がたくさんいるものである。それらは高値で取引されるものである。 「経済的価値」というものは、利潤を沢山生むことができるものである。例えばIPS細胞などは今後の経済的価値は高まるであろう。あるいは、ガソリンを使わない電気自動車なども経済的価値が高まるかもしれない。 「利用価値」があるというのは、そのものが使い勝手がよい、人間の役に立つということである。 「潜在価値」というのは、その中に他では代替できない貴重なものがある。秘めた力があるということである。潜在能力といってもよい価値である。今は顕在化していないがいずれ役に立つに違いない価値の事です。 こうしてみると価値の特徴が浮かび上がってくる。 まず、価値というものは、その物だけを見ていては判断できない。つまり2つを相対的に比較してみた結果、はじめて価値があるとかないとか判定しているのである。比較した結果、優れたところがある。値打ちがある。役に立つ。使い物になる。利点がある。珍しいものである。価格が高いものを価値が高いと言っているのである。そうでないものは、相対的に価値がないと言っているのだ。価値がないものは見向きもされなくなる。 2番目の特徴としては、時代と状況によって価値は高くなったり、低くなったりするものである。一定で永遠に普遍的な価値というものはあり得ない。例えば野球ではホームランの数や盗塁数、打点等は減ることはない。ところが打率は打てなくなってくると低下してくる。反対にヒットを量産するようになると打率がアップしてくる。物の価値は打率のようなものである。このように価値は変化流動性があるのである。 その点をふまえて、「人間の存在価値」を見てみよう。生きとし生けるものはすべて存在価値がある。特に、私たち神経質者は他の性格には見られない優れた特徴がある。主だったものをあげてみよう。よく気がつく。感受性が豊かである。好奇心がいっぱいである。生の欲望が旺盛である。真面目でよく努力する。粘り強い。責任感が強い。自己内省力があり人に迷惑をかけない。分析力がある。堅実で計画的。しっかりとした人生観を持っている。森田理論学習の「神経質の性格特徴」でしっかりとそれらを自覚することが大切である。大事なことは、それらを自覚して磨きをかける以外に自分を活かす道なし。そのように覚悟を決めることだ。それが神経質性格を持って生まれた我々の進むべき道である。 次に、それらを実際の生活の場面に当てはめて活用していくことが大切である。いいなと思っても活用していかないと絵にかいた餅である。そうしないと、感受性の鋭さ、生の欲望の強さ、自己内省がマイナスに作用して、自己嫌悪、自己否定、他人攻撃に陥ってしまう。そして神経症で苦しむようになってしまう。2歩前進1歩後退の連続であってもかまわない。楽しみ、便利さばかりを追い求めて、面倒なこと、努力して苦労することを放棄する道に進むことは避けなければならない。人の役に立たない人。消費一辺倒で、精神的、経済的に他人に依存してばかりの人は、「人間としての存在価値」がどんどん下がり、みじめで、人からも見向きもされないようになると思われる。
2018.04.26
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道元禅師は座禅をするときの注意点について次のように述べています。 精神を訓練して度胸をつけよう。健康になろう。特別な問題を取り上げて思索しよう。智恵をつけよう。無念無想の状態になろう。無念無想の状態になろう。精神統一をはかろう。瞑想して特殊な心境になろう。こういう目的や思惑を持って座禅をしてはならない。 悟りを求めて座禅をすると打算になるといわれています。 つまり永遠に悟りには到達することができない。 この点、森田も同じです。症状をとろうとして行動・実践していると、症状はまったくなくならない。注意や意識がますます症状に向いてくる。つまり症状を強化してしまう。かえって症状が泥沼化してくるといわれています。ですから、行動は、症状のことは横において、行動そのものに一心不乱になることが大切だといいます。つまり「ものそのものになる」瞬間をたくさん作ることです。 でも現実問題として座禅をしていると、次から次へと雑念が浮かぶようにできています。雑念は自然現象ですからどうしようもないものです。これについてはどう考えたらよいのでしょうか。 道元禅師は、当然無念無想という事はあり得ない。次々に雑念が浮かぶのは仕方がない。雑念を思わないようにする。雑念を考えないようにするという事ではない。雑念は、そのままの状態にしておく。思い浮かんだことにとらわれないようにする。雑念は浮かぶがままにしておく。この態度が大切であるといわれています。これがポイントでといわれています。 普通は気になることに注意や意識を集中してしまいます。つまりこだわってしまいます。その結果自然な感情の変化流転は妨げられてしまいます。それが不安や不快感だったらどうでしょうか。取り除いたりはからったりしてスッキリとしようとします。流すことを忘れて、一つのことにこだわってしまいます。注意と感覚が相互に作用してどんどん増悪してしまいます。そして神経症に陥ってしまうのです。 道元禅師は、一つの雑念にこだわらず、次々に湧き起ってくる雑念にそのまま乗っかっていく態度の養成を求めているのだと思います。瞬間的に次々に湧き起こる雑念に対し、次々にこだわれば、現実には何にもこだわっていない状態となります。これは私たちが日常いつも経験している事です。たとえば飛行機にのる。新幹線にのる。高速エレベーターにのる。これを意識化すれば恐ろしくて居ても立っても居られない状態になります。そうならないのは高速移動の状態を自然に疑いもなく受け入れている。ものそのものになりきって一体化しているから混乱に陥らないのです。森田でいえば、「かくあるべし」的思考から離れて、自然を受け入れて自然に服従した生き方になっているのです。こだわりのない生き方は葛藤や苦悩が無くなるのでとても自然な生き方となります。この生き方を勧めているのだと思います。
2018.04.25
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作家の三島由紀夫は、東大を出て大蔵省に入るほどの優秀な人であった。しかし、晩年楯の会を結成し、若衆組を思わせる愛国集団での同性愛的な関係に傾倒し、ついには自衛隊への乱入と自決という事件を起こしている。常人には考えられない生涯であった。その一端は幼少期からのいびつな育てられ方あったように思われる。彼の祖父は、原敬内閣の懐刀などと言われ、福島県知事から樺太庁長官を務めた人物だった。エネルギッシュな活動家であった。その後疑獄事件にからみ失脚している。祖母は士族の出身で、気位と虚栄心に満ちていた。絶えずヒステリーを起こしていた。そんな母親を罵倒する父親とのあいだで、夫婦喧嘩が絶えなかった。そのうち祖父は、家に帰らなくなったので、実質祖母が家長の役割を果たしていた。三島由紀夫の父親は一人っ子だった。父と母の険悪な関係の中で、いつも他人の顔色を伺い、自分の意志を持たない人間に育っていった。母親に依存して、自分の意見を述べるようなことはなかった。そして父親の活動的でエネルギッシュな面は全く持ち合わせていない。無気力、無関心、無感動、無作法な人となりであった。ただ学力は優秀であり、東大から、農商務省に入った。しかし、その働きぶりは無気力そのもので、人望にも欠けていた。三島由紀夫の母親は、開成中学の校長先生の娘であった。そんな夫婦が姑と一つ屋根の下で暮らしていた。その頃、三島家ではすべてが姑の指図によって回っていた。夫婦の問題もすべて祖母の指図によっていた。祖母は、三島由紀夫が生まれると、母親から子供を取り上げ、自分で育てようとした。母親は3時間おきに母乳を与えるときだけ、面会を許された。これはイスラエルのキブツの子育てを連想させる。キブツでは子供は母親から引き離されて、保育士がまとめて育てていた。しかし母子関係を遮断されて育てられた子供はその後重篤な精神障害を発症している。偉大な作家三島由紀夫も同様だったのである。祖母は孫の遊び相手にまで口を出して、男の子は危ないと言って、年上の女の子だけと遊ばせた。のちに、男性的なものに強く固執することになる三島は、幼少期はまるで女の子のように育てられた。情けないことに、こうした事態に母親はもちろん、父親も祖母に対して何も言えなかった。また祖母に逆らって、妻や子どもを守るという精神的な強さはもともとなかったのだ。三島由紀夫は母親に甘えそこなった。その反動として成人してからもその空白を埋めるかのように母親べったりの親子関係であったという。身近な父親と同一化することにも失敗している。その後、東大法学部から大蔵省に入省している。夜は徹夜をしてまで小説を書いていたため、健康が危ぶまれた。父親は日本一の作家になるという条件付きで、勤めを辞めることに同意した。大蔵省に在籍したのは9ヶ月である。三島由紀夫は、生まれてすぐに母親から切り離されて成育している。愛着が形成されるという生まれてから1年6ヶ月間の部分が欠落しているのである。また、父親が家を取り仕切っている自分の母親に全く頭が上がらず、父親として、わが子に接することができなかったと言うことが、三島由紀夫という歪な人間を作り上げたと断言せざるを得ない。子供の成長にとっては、まずは母親が愛情を持って愛着の形成していく。父親はその母親をサポートしながら、しつけや外に向かって活動力をつけるなどの役割を十分に果たすことが、子どもの生育にとっては不可欠であると考える。(父という病 岡田尊司 ポプラ社 89ページから94ページ要旨引用)
2018.04.24
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何かにつけて子供の前で母親が父親を否定することは極力避けた方がよいようだ。あるいは子供の前で父親が母親を軽蔑したり、非難し罵倒することも避けたほうがよい。例えば父親がイライラして大きな声を上げたとする。それに対して母親は、子供の前で、あわれっぽく涙ぐみながら、 「お父さんみたいな人は大嫌い。あんな人と暮らすくらいなら、お母さんは、もう死にたい」と言ったとしよう。子供は、父親が母親を苦しめていることに対して、激しい怒りと敵意を抱くだろう。父親を尊敬する気持ちが萎えて、父親なんかいらないと思うかもしれない。しかし、同じ状況でも、賢明で成熟した母親は、全く別の言い方をする。「お父さんは、いつもは優しい人なんだけれども、仕事で疲れていて、イライラしてたのよ。もっと優しくしてあげましょうね」こうした母親の反応は、子供が父親に憎しみや敵意を向けることを防ぎ、父親に対する尊敬や思いやりを守るだけではない。母親に対する信頼や、ひいては他者全般、世界全般に対する信頼を守ることになるのである。それだけではない。相手の気持ちを思いやる母親の受け止め方は、子供に表面的な反応だけではなく、その背後にある状況を考慮して物事を理解するという態度を身につけさせるだろう。それこそが真の共感性を、親の愛情を育む力を育てることになる。そして最終的には愛するものを守り、わが子を守ることになる。子どもの前で、父親を否定するような言い方をすることは極力避けた方がよい。むずかしいことだが、不幸にして離婚に至ったという場合にも心すべきだろう。子どもの中に作られる父親像を傷つける事は、父親との葛藤を深めるだけではなく、その子の将来の他者との関係、その子が将来持つことになる子供との関わりに影響したり、女の子の場合には、夫との関係を困難にしたりする危険があるということを肝に命じておきたい。(父という病 岡田尊司 ポプラ社 298ページより引用)現在アメリカでは3人1人が離婚しているという。日本でも10人1人は離婚していると言われている。しかし、実態はさらに深刻である。同じ屋根の下に住んでいても家庭内別居状態の人はそれ以上に多いものと思われる。どなたも自分の身の回りの人で離婚、あるいは家庭内別居している人が何人もおられることと思う。本人同士がにらみ合い、没交渉で気まずい思いをしているだけなら、それでよいのではないかと思う人もおられるかもしれないが、問題は子供に与える精神的な悪影響の方である。夫婦のやりとりを見て、子供は人間関係のあり方を学習していく。普通はいつも対立を繰り返し、夫婦喧嘩をしていても、決して相手の人格を否定するような言動はしない。夫婦が支配被支配の関係にはない。お互いが自分の主張をとことん相手にぶつけていく。そしてゆず譲ったり譲られたりしながら、なんとか妥協点を見つけ出していく。表面的にはいつも波風が立っているが、根本的なところではお互いに相手を信頼しあっているのである。そういう父親や母親を見て育った子供は、自己主張ができるようになり、また対立関係に陥った時、相手を否定するのではなく、妥協点を見つけて調和を目指すことができるようになる。根本的なところで相手を信頼することができず、相手を自分のコントロール下に置こうとしている夫婦関係では、将来子供に与える悪影響は計り知れない。森田理論学習では、 「かくあるべし」で他人を自分の意のままにコントロールしようとしてはならないという。これは手始めに夫婦の人間関係から始める必要がある。事実をよく見極めて、事実に基づいて妥協点を見つけ出していくというところから出発していく必要があるのである。
2018.04.24
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男の子は、父親をモデルとすることが多いため、父親というモデルの不在が、その後の男性や父親としての行動を困難にし、恋愛や子育てといった営みに支障を生じやすい事は容易に理解できる。では、女の子の場合はどうなのだろうか。女の子は、通常は母親をモデルとすることが多く、母親や母親との関係に問題がなければ、父親の不在はあまり影響しないのだろうか。どうやらその答えも否のようだ。スウェーデンで行われた研究の結果は驚くべきものだった。女性とパートナーや夫、息子との関係は、その女性の母親との関係よりも父親との関係がどうであったのかにに影響されていた。父親が児童期から青年期において、娘に程良い支えや励ましを与えている場合には、娘もまたパートナーや息子に対して、程良い世話や関わりをしやすいのだ。しかし、不幸にして父親が無関心だったり暴力的だったり、過干渉で支配的だったりすると、娘も極端でバランスの悪い関わりをしやすい。良好な人間関係作りを困難にする。過度に尽くすかと思うと、その一方で支配したり、見放したりと言う落差が大きくなりがちだ。また父親の不在は夫に対しても子供に対しても過度に理想化した存在を求めがちになる。それが裏切られると強い失望や怒りを生み、誰よりも求めているはずの安定した家庭を手に入れにくくする。(父という病 岡田尊司 ポプラ社 199ページより引用)父親の不在は男の子の場合、モデルがいないため同一化に支障をきたす。この発達過程を経験していないと、大人になったときに、困難でいばらの道を歩まざるを得なくなる。岡田氏は、それは男性の場合だけではなく、女性にも当てはまるといわれている。生まれて1歳6か月までに母親とのかかわり合いの中で愛着の形成が欠かせない。その後は父親と子供の適切なかかわり合いが、その後の人生を大きく左右することを忘れてはならない。私たちは、両親と子の関わり方が、子供のその後の人生に大きな影響を与えていることを学習して、認識する必要があると思う。家庭教育、学校教育、社会教育の中で、子供の発達心理学、森田理論学習などは必須科目に指定してもよいぐらいに思っている。人生の中でなるべく早く学習しなければならない必須科目なのである。
2018.04.23
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子供が社会に適応し、自立していくためには、身近に存在する親を参考にしている。特に男の子の場合は、父親を自分のモデルとして、師として、その1挙手1投足を、関心や価値観を、意識的無意識的に取り組んでいく。この事を心理学では同一化という。子供の発達過程では4歳の頃から始まるという。母子密着の次の段階である。子供は父親を自分の同一化する身近な存在として見ているのである。喋り方や感情的な反応の仕方、行動や考え方まで貪欲にコピーして取り込んでいくのである。実際子供は父親のしている事を真似ようとする。父親が車を洗い始めたら、自分も洗いたがる。父親がノコギリを挽くと、自分もノコギリを使いたがる。父親が美味そうにビールを飲んでいると、子供も牛乳を美味しそうに飲むように真似る。父親は子供の要求を十分に受け止め、満足してやることが、外に向かおうとする意欲を、現実的な力にすることができる。こうして母子密着の状態から離れ、社会という現実の仕組みの中に入っていくことができる。この同一化のプロセスは、まさにコピー・プロセスであり、良いところも悪いところも関係ない。同一化が起きると、父親の良い特徴だけではなく、悪い特徴も取りこまれ、似た特性を示すようになる。もともとその子が持っているものを越えて同一化の影響は及ぶとされている。(父と言う病 岡田尊司 ポプラ社 113ページより引用)この同一化を正常に切り抜けて成長していくということが、その後の子供の人生に多大な影響を与える。子供は父親をモデルにして、社会への適用の仕方、困難の乗り越え方、人付き合い、欲望の制御、交渉の仕方、職業選択、能力の高め方などを自然に身につけていく。そして自立した人間に成長していく。問題は、父親がその役割を果たしていない場合である。離婚や病気、ネグレクト、仕事の関係などで子どもと関わりを持てない場合である。こうなると、母子密着状態が続いてしまう。あるいは母親が父親の役割を果たすことになる。母親が父親の役割を肩代わりしようとすると、過度なしわ寄せがおきやすい。私の父親はアルコール中毒で肝臓を悪くして52歳で亡くなった。亡くなる前は30代後半から昼間っから酒を飲むような生活をしており、 1日中酔っぱらっていた。母親や祖父たちといつも言い争いをしていた。私はその影響からか、オヤジのような人間にはなりたくないといつも思っていた。つまり私の父親は、私にとって同一化の対象にはならなかったのである。その代役もいなかった。1人の人間の発達過程から見ると、身近なモデルはなかったために、社会性、職業選択、技術の習得、人間関係、挑戦性、意欲などが全く身に付かなかった。そのおかげで、社会の荒波の中で適応することがとても困難となった。他人は恐怖以外の何物でもなかったのである。注意や意識は内向化し、本来外に向かうエネルギーは、自分を傷つける道具となった。対人恐怖症となったのも、父親という模範となるべき存在を欠いていたことが、私の1番の原因ではないかと考えている。今では神経症は自分の人生を見つめ直すために大いに役立った。その原因は父親から受け継いだと思って感謝している。だがもし父親が自分の果たすべき役割を多少なりとも認識していてくれたならば、もう少し違った人生を歩んでいたかもしれないと思う。
2018.04.22
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父親の子育ての重要な役割は、子供にストップをかけることだ。それが、子供自身の中に、自己をコントロールする力として取り込まれていく。ストップをかけ、掟を守らせる存在としての父親は、子供がスムーズに社会に出ていく上に置いて重要な役割である。父親が子供のやりたいことをする権利を早くから認めてもいいと考える家庭と、あまり早く認めない方がよいと考える家庭で比べると、後者の父親の子供の方が、成績も良く、よく努力する傾向が見られ、また、非行に走ったり、性的な放縦に陥ったりするリスクも少なかった。一方、母親がどう考えているかは、あまり関係なかったという。この研究は、父親が子供にやりたい放題を許すのではなく、子供の行動に一定の制限をかけてコントロールすることが、子供の成長には望ましい影響を与えることを示している。そうしたブレーキをかける役割として、父親が一定の役割を果たしていると考えられる。父親が不在だったり、いても、抑止機能が働いていない場合には、子供が行動のコントロールを失い、無軌道で放縦な生活に陥ったり、学習面でも成果は出ない一因となると思われる。甘いだけの父親では、ダメなのだ。一方、別の研究では、父親に対して、子供が親近感を持ち、父親から受容されていると感じている子供の方が、自己肯定感が高く、身体的な不調が少なかった。父親が押さえつけるだけではなく、子供を受容することも、子供の安定には必要なのだろう。制限と受容のバランスは、父親が子どもに関わる上で、大事なポイントだと言えるだろう。(父という病 岡田尊司 ポプラ社 85頁より引用)現代の父親が子どもにどういうふうに関わっているのか。子供を過保護に育てている。過干渉ぎみに育てている。子供にかかわらず放任状態で育てている。このどちらかに偏っている場合が多いのではないだろうか。それでは思春期を迎え、成人を迎えた頃に大きな問題となって表面化してくる。子育ての場合、特に重要な事はバランスであると思われる。時にはバランスが崩れてもよいが、いつかバランスを取り戻すことは必須である。そのためには母親と話し合い、あるいは他の夫婦の子供の育て方を参考にしたり、子育ての本を読んだり、子育ての自助組織に参加して学んでいくことが大切だと思う。その際岡田尊司氏の著作は欠かせない。その時は大変だと思うが、後でその効果がじわじわとでてくるのではないだろうか。反対にそのことを怠っていると、とんでもないしっぺ返しを食らうことになる可能性が高まる。
2018.04.21
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常識で考えると、子供が小さい頃、父親が友達感覚で触れ合う事は、とてもよいことのように思われる。岡田尊司氏は、献身的な父親が必ずしも良い子育てができるわけではないと言われる。小さい頃から受容的に接しすぎ、子供にブレーキをかけるということをしていないと、子供は誇大な万能感を持ったまま大きくなってしまう。少なくとも4歳から5歳頃、父親の厳しい面を味わっていないと、後から歯止めをかけることは難しい。特に思春期になってしまってからでは手遅れになるといわれている。遅くできた子供だったり、養子の関係で遠慮があったりすると、本人に対する態度が腰が引けたものとなり、甘くなりがちだ。誰しも子供に嫌われたりすることを好まない。どうしても子供を甘やかされてしまうのが一般的である。特に核家族では問題点が隠れてしまう。しかし、子供を育てるということは、父親としては、父親の役割をきちんと果たすことが大切である。普通父親は仕事が忙しくて、母親のように四六時中子供のそばにいてやる事は難しい。それを理由にして、子育てのすべてを母親に任せてしまうのは大きな問題である。そうなると子供は依存的になって、母子密着状態になりやい。内向的で、行動力が鈍くなる。神経症の温床を作っているようなものだ。父親は、時には早く帰って子供と接する。また土曜日や日曜日などは意識して子供と過ごすようにする。その際、基本的には子供を暖かく見守りながらも、わがまま放題を許さないで、適度に制御することが大切なのである。バランスの問題である。欲望の暴走を適度に制御していると、子供が成長したときに大いに役に立つのである。そうした役割を父親が果たさないと、思春期以降、子ども自身、自分の様々な欲望を制御できなくなり、反社会的な行動をとるようになる。例えば本能的欲望を制御できないと大きな問題になる。そのうち社会から排除されて、生きていくことが難しくなっていく場合も出てくる。こういう役割は、母親ではなく主として父親が果たすべき役割なのである。また母親が父親に対して支配的な家庭では、父親が尊敬される存在と言うよりも、 一段低く扱われる。このような傾向のある家庭も子供に悪影響を与える。子供は母親の言葉や態度から、父親は尊敬に値しない存在だと思ってしまうようになる。特に男の子供がそのように思うようになると、アイデンティティの確立ができなくなってしまう。それは父親という身近な手本がないために、同一化という目標が持てないのである。一人前の男性として自立していくための、必要な教育の機会が持てなくなってしまうのだ。対人関係、社会関係、冒険心、チャレンジ精神、困難を乗り越えていく気力などを、父親から学ぶことができなくなってしまう。そのような状態で社会に放り出された場合、予期不安ばかりで適応不安を起こしてしまう。右往左往して戸惑うばかりで、社会に溶け込めないで、生きづらさを抱えやすくなってしまう。今までは、子供の教育やしつけについては、その大部分を母親に任せている家庭は多いと思う。岡田氏の本を読んでいると、それは論外であるということがよく分かる。子供を持とうとしている親は、まずは先人の子育てのコツを学習するべきであると考える。そのためには、岡田尊司氏の著作は大変参考になる。(父と言う病 岡田尊司 ポプラ社 84ページより引用)
2018.04.20
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森友問題や加計問題では、安倍総理大臣の言い訳が目立つ。森友問題では国有地の大幅値引きに総理の意向が反映されたのではないか。加計問題では獣医学部新設に対して、安倍総理の親友であるとされる加計氏に総理の意向が働いたのではないか。最初から加計ありきではなかったのか。その証拠に、同時に申請をした京都産業大学に対してはまったく相手にされることはなかった。これらは総理大臣の莫大な権力を利用した越権行為ではないのか。国民には、安倍総理は、言葉巧みにいかに説明しようとも、事実を隠蔽しようとしているのが見え見えである。ともあれ事実が白日のものに晒されれば、安倍内閣の存続はないわけだから、安倍総理も防戦一辺倒だ。ここを乗り切れば、なんとか政権維持ができると必死になっている。かわいそうなのは証人喚問に呼ばれた元国税庁長官の佐川氏である。刑事訴追をたてにして事実の隠ぺいを図った。事実を捻じ曲げることほど苦しいことはないようだ。総理大臣や内閣府に責任が及ばないように証言したが、かえってその証言が疑惑を増悪させている。小泉元総理大臣は、安倍総理大臣がいかに説明をしようとも言い訳に見える。安倍総理の三選は難しいと発言している。いろいろと証拠が上がっているにもかかわらず、事実を捻じ曲げて国民を説得しようとしているのだから、その説明にはあちこちにほころびが露呈する。森田理論学習では事実こそが真実である。事実をねじ曲げようとすればするほど、次から次へと嘘をつかなければならなくなる。それは自分をどんどん窮地へと追い込んでいく。早く目を覚まして、事実を事実のままに認めることが、長い目で見ると1番安楽なやり方である。安倍総理は権力にしがみつきたいだろうから、それだけはできないことなのであろう。私はこの問題の国会のやりとりを見ていて、次のように思う。いかにも問題が矮小化されているのではないか。安倍総理は2013年12月、 「国家戦略特区法」を成立させている。多少やり方が拙速であったにせよ、この法案に基づいて政権運営を行っているのである。それなら、例えば獣医学部新設問題について、加計学園と京都産業大学の双方から新設計画を受け付け、安倍総理大臣が絡まない状況の中で、公平に審議すれば問題はないと言えるのだろうか。私はそうは思っていない。問題は「国家戦略特区法」という法律そのものであると考えている。これは2017年3月6日にこのブログで問題提起をしている。国家戦略特区法とは、一言で言うと「特定の地区で、通常できないダイナミックな規制緩和を行い、多国籍企業が商売をしやすい環境を作ることで、国内外の投資家を呼び込む」という法律です。つまりこの法律はできるだけ日本で規制緩和を進め、外資の日本での自由な経済活動を容易にさせるための先兵となる法律なのだ。東京や大阪では、 「学校や病院の株式会社経営や、医療の自由化、混合診療解禁など総合的な規制撤廃地区を設けていく。まさに外資に日本市場を開放し、 「多国籍企業天国」を誕生させようとしているのである。この政策に対してアメリカやヨーロッパ、中国などの国際多国籍企業群は諸手を上げて歓迎している。この政策が真綿で首を締められるように、日本という巨大市場をターゲットにしているのである。その結果、犠牲になるのは、日本の国民である。無関心だと、気がついたら、とんでもないことになっていたという状況に追い込まれる。教育、医療、農業、軍需産業などが巨大な利潤獲得の道具とされてしまうのである。これらについては、命をかけて告発を続けている堤未果さんのルポを読んでほしい。例えば、「貧困大国アメリカ」という本によると、アメリカ国民が貧困層に転落する政治の仕組みがまざまざと報告されている。 「貧困大国アメリカⅡ 」では、アメリカでの教育の崩壊、社会保障制度の崩壊、医療保険制度の崩壊などが詳細に報告されている。森友問題、加計問題は、「言った、言わない」などと問題をすり替えてはならない。もっと私たち国民の生活全般を見直す契機としてとらえなくてはならないのではないだろうか。森田理論には、森田先生が生の欲望の発揮という面から戦争反対を叫んでおられたが、現代でも政治や社会問題に拡大して問題提起をしている面があるのである。
2018.04.19
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子供が行動範囲を広げていくためには、安全を確認できる存在が必要だ。その一番の安全基地となるのが、自分を生んでくれた母親なのだ。小さな子供を連れたお母さんが、街角などで友達とばったり出会って立ち話、こうした光景はよく見られる。子供はお母さんの足に隠れるように抱きつき、時々顔をずらしてお母さんの友達を見上げる。「あら、恥ずかしいのかしら」などと声をかけられると、またお母さんの足に隠れてしまう。少しするとお母さんの足から離れ、お母さんの友達を観察しているようなしぐさをする。そのうち、お母さんから離れ、その友達に興味を示して触れたりするが、 「あら、なに」と声をかけられると、再びお母さんに抱きついてしまう。よく見かけられるこのような行動は、子供にとってどのような意味を持っているのだろう。実は、この子供は別に恥ずかしくてお母さんの足に隠れているのではない。お母さんとお買い物という子供にとっては魅力的な状況のなかで、子供なりにアンテナを張り巡らせ、探索行動をしているのだ。お母さんの友達という見知らぬ人の突然の登場により危機を感じた子供は、お母さんのところへ戻ったり抱きついたりして自分の安全を確認しているのである。そこに帰れば安心だとわかれば、先ほどよりもちょっと冒険を試みる。これを繰り返すことで子供の活動の範囲は広がっていくのである。母親が子供の安全基地としての役割を果たすためには、お母さんは子供の不安を解消し、安心を与える存在であることが不可欠である。それは母親と子供の間の、心の絆を元にした安定した関係の上に成立している。安心できる安全基地があるからこそ、子供は不安や危機を覚えても、それを乗り越えて新たな行動を起こしていくことができるのである。 (発達心理学 山下富美代 ナツメ社 108ページより引用)子供の成長にあたっては、生後1年6ヶ月の間に、母親との間に愛着の形成が行われないと、その後重篤な精神障害を引き起こすと言われている。その後、行動が拡大するにつれて、父親も含めて両親が安全基地の役割を果たすことが重要になる。その後は、親は子供の身近なところにいて、好奇心を刺激したり、少し危ない遊びも経験させたりして、内に引きこもるのではなく、外に向かって探索したり、挑戦したりする体験が必要となる。これはどちらかというと父親の役割である。いずれにしても、子供を育てるという事は、核家族の夫婦が闇雲に取り組むことは問題が大きい。独りよがりになって、ポイントをつくことができなくなるからである。子供の成長と育て方については、多くの先人の知恵が蓄積されている。学問でいえば、発達心理学といわれる分野である。子育てに取り組む人は、親業などの自助グループに両親そろって参加することが必須である。そこでみんなで助け合いながら、きちんと子育ての基本を学んでいくことが必要だと思う。仕事や趣味などにうつつを抜かしてスポイルしていると、そのしわ寄せは、思春期以降に解決困難な問題として親と子に襲い掛かってくることを肝に銘じておかなくてはならない。
2018.04.18
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私が室内装飾の会社に勤めていたころの話です。お得意先より学校の舞台幕の注文をもらった。校章入りの一文字、袖幕、バック幕までついた値の張る注文であった。パソコンで注文内容を打ち込み、製造部門に回した。後日営業マンより取り付けに行ったところ、袖幕の寸法が30センチ短いという電話が入った。みんな卒業式に間に合わないで困っているという。誤った考え方、行動最初動揺した。まさかと思った。チェックも何回もしたし間違うことは考えられないと思った。粗利が少ない物件だったし、作り直すと即赤字になる。またそんな余裕もない。謝ってみたものの、そんなことで許してもらえるわけでもない。そのうち、営業マンが、「仕事に真面目に繰り組んでいるのか」等と叱責する。こんな間違いをされると自分の営業成績に影響する。足を引っ張るなという。また上司に報告して対応を決めるという。この上司は人を人とも思わない人で、とても恐ろしい。この上司のおかげで何人も退職に追い込まれたのだ。お得意先も寸法通りの商品をすぐに持ってこいという。それを聞いてますますパニックになった。下手をすると首になるかもしれないと思った。自分たちもミスをするくせに、私のミスは大げさに責めたてて、自分のミスには甘いのはどういうわけだと腹も立ってきた。FAXで送られてきた注文書を見てみた。数字が不鮮明でどちらにもとれるような状態だった。だから自分だけが悪いのではないとも思った。八方ふさがりで、次の仕事に取り掛かる気力がなくなった。こんなことがあると、また間違いがあるのではないかと神経過敏になるので、とても精神的に苦しい。またミスをするのではと思うから益々ミスを招いてしまうのだ。なにしろ時間勝負で毎日50件程度の注文をパソコンで加工して処理しているのだ。仕事は専門職で頭の回転力が必要で、誰にでもできないところがあるので、うまくいけば面白い。でもミスを恐れながら仕事をしていると、気が休まることがない。また実際にミスや失敗が発生するので苦痛そのものだ。問題点第1に、自分が間違っているのに間違った事実を認めようとしていない。FAXのせいにして得意先に責任転嫁をしている。第2に、ミスや失敗は誰にでもある。それなのに他の人はミスをしてもそんなに叱られない。それを自分だけがミスや失敗をして叱られる。どうして自分だけがこんなに責められなければいけないのか。会社には血も涙もない人間ばかりだ。理不尽だと思っている。劣等感的差別観が湧き起っている。第3に、1回重大なミスをすると、自分の存在価値はない。会社では役立たずの人間だ。会社をやめるかどうかという大問題に発展させている。さらに自分は人間として生きる資格がない等と考える。とにかく小さな問題を自分の一生を左右するような大きな問題に拡大してしまう。また自己嫌悪、自己否定の程度がひどすぎる。同僚には約300万の純損失を出した人もいる。それでもやめずに会社に残っているのをどう考えているのか。第4に、自分は常に完璧な仕事をしなければならないという「かくあるべし」が強すぎる。不完全な仕事ぶりは、他のすべてがダメだと言われているような気がする。ミスや上司や同僚の評価ばかり気にしていて抑鬱が強くなった。苦しくてしようがない。どうすればよいのか楽になる道があることに気がついた。それは自分には難しいことだが開き直ることだ。自分は完璧な人間ではない。未熟な人間である。ミスや失敗も多い。それを自覚すること。ミスをしたときは、経験上すぐに自分のミスを素直に認めて、まな板の鯉のような状態になることが一番楽な道であるということが分かっている。ミスをして苦しい時は一瞬なのだ。それは注射を打たれるときの痛みに似ている。打たれる瞬間は痛い。でもすぐに痛みは消える。その後注射を打ってよかったという安堵感が持てる。苦しみは長くても数時間なのだ。でもミスを隠したり、伝票でごまかしたり、自分のお金を使って買い戻したりするとそのつけは大きい。時には1週間も1カ月も繰り返されるようになる。逃げれば逃げるほど不安は膨らんでしまうのだ。そういうのを強迫観念というのだ。ストーカーから付きまとわれて、逃げて隙を見せると脅迫が続き、しだいに大きくなっていくのと同じことだ。最初からすべて理想通りにはゆかないけれども、5個のミスのうち1個や2個はその方向でやってみよう。普通の人は隠すとかごまかそうとしないで、欠点やミス、弱みや失敗をそのままあからさまに出すので相手は、あっけにとられて責める気も起きないのかもしれない。小さいミスから取り組んでみると案外うまくいくことが分かってきたのであった。
2018.04.17
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対人恐怖症で苦しんでいる人は、自己主張を抑え、相手の思惑に沿った生活をしている。自分を抑圧し、我慢し、耐えながらの人間関係を心掛けている。他人から拒否される。無視される。批判される。否定される。抑圧される。支配されるなどを極端に恐れている。意識や注意は内向し、専守防衛に偏っている。それにもかかわらず、他人は平気で自分の心の中に土足で入り込み、いつも自分を傷つけている。とても生きずらい。コールタールが体に張り付いているような感じがする。天気に例えれば毎日が雨降りのような状態である。うつ病ではないが、慢性的な抑うつ状態が続いている。この状態は抑うつ神経症、あるいは気分変調性障害の状態である。生きることに無力感を感じ、生きる事はむなしい、生きることは、希望が持てないと感じている。人間関係に回避的な行動ばかりをとっている。その結果、ますます孤立し、最後には投げやり、あきらめ、自暴自棄になる。やることなすこと何の意味があるのだろうかと考えるようになる。人間関係のみならず実生活の悪循環が繰り返されている。精神交互作用によって対人恐怖症という強迫神経症が固着している状態である。このような人に光を当てているのが森田である。森田療法はこういう人を対象としている。どうすればいいのか。まずは精神交互作用の打破である。とりあえず蟻地獄から抜け出して、地上に出ることが重要である。そのためには、実践課題をつくって取り組む。それが軌道にのってくれば、気づいたことをメモしてステップアップして取り組む。そうすれば、蟻地獄から割合早く脱出できる。それと並行して、強迫神経症の仲間がいる自助組織に参加する。一人で抜けだそうとするのはとてもハードルが高くなる。その手の日本最大の自助組織は生活の発見会である。会員は2000名以上である。集談会の先輩会員に自分の悩みを言葉にして吐き出す。自分の心の安全基地となれる人を探す。1年も参加していれば、そういう人が見つかる。次に仲間とともに森田関係の本を読んで神経症の成り立ちなど基礎的学習に取り組む。このような行動とれば比較的短期間のうちに、最悪の状況を脱することができる。ただし、ここで気を抜いてはダメだと思う。考え方の誤り、認知の誤りがとても強いので、気を抜いてしまうと元の木阿弥である。ここが出発点なのである。森田理論学習によって次の段階に進むことが大切である。森田先生は強迫神経症は、人生観が変わったから治るのであると言われている。難しい事のように思えるが、森田理論にしがみついていれば自然に人生観は変わっていく。何度も言うようであるが、自分ひとりでその段階に到達しようと思うのは、とても大きな壁が立ちふさがっている。森田療法に詳しい人から学んでいく方が早い。また同じような仲間と共に歩んでいく方が勇気が出てくる。そのうち良質な人間関係を構築することもできる。そのためにはせめて1年間は参加してみることだ。私たちはそのやり方で神経症を克服してきた。最初は素直になって、先輩たちの物まねから入るのが有効である。
2018.04.16
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中国の諺に「狡兎に三窟あり」というのがあるそうです。この意味は、賢い兎は3つの隠れ穴を持っているという事だそうです。これはリスクを分散して、生命の危険を防衛していることだと思われます。神経症で悩んでいる時は、頭の中の大部分が症状のことで占められています。症状を克服するという事は、その比率を下げていくことが重要になります。そしてあれもこれも気になり、いつまでも神経症だけにかかわっておられない状態になればしめたものです。そのためには、内向している精神を少しずつ外向きに変えていくことが大切です。具体的には、普段の生活をいくつかのジャンルに分類してバランスをとっていくということになります。大きく分けると、仕事、勉強、家庭生活、交友関係、地域活動、趣味や習い事、運動や健康、自己啓発などがあります。神経症で苦しんでいる人は、主として職場での人間関係で苦しんでいる人が多いと思われます。そうなりますとたちまち苦悩と葛藤で精神的に追い込まれてしまいます。生活内容が多方面に展開してくると、注意や意識が外向きになって神経症とは無縁になってきます。仕事をする第一の目標は、自分と家族の生活を維持していく為です。そのことをしっかり自覚して、まずはタイムカードを押しに行くことに専念しましょう。最初から仕事が楽しくて仕方がないという人はいません。誰でも最初は生活のために嫌々仕方なしに仕事に取り組んでいるものです。そのうち、トラブルが発生したり、あるいは弾みがついて一心不乱になることがあります。そうなると感じが高まり興味や関心が出てきます。気づきや発見も出てきます。そうすると、意欲ややる気が出てくるようになるのです。しだいに仕事が面白くなり弾みがついてくるのです。家庭でも、炊事、洗濯、掃除、家計のやりくり、近所との付き合いは必要最低限の仕事になります。そのことだけでも、一日のうちの多くの時間を費やすことになります。子供がいる家庭では、子育てに割く時間も要ります。介護の必要な家庭では、そのための時間も必要です。神経症に陥ると、それらに割く時間が極端に少なくなります。おざなりになり、他人に依存するようになると精神状態も不安定になってしまいます。逆に日常茶飯事を丁寧にこなすようになると、神経症は少なからず克服できるようになります。それは行動・実践によって精神交互作用が断ち切られるからです。地域活動には、自治会の活動、講中の活動、マンションでは管理組合の活動などがあります。私は集談会の活動はこの地域活動の一環ではないかと考えています。これらを見てみぬふりをして生活するということは褒められたものではありません。積極的にとは言わないまでも、ある程度の地域活動に参加しないと生活しづらくなってきます。いざというときに助けてもらえる人がいなくなってしまいます。少しでも活動に参加することによって、近所で知り合いが増え、円滑な人間関係を築くことができます。神経質の人は、好奇心が旺盛です。あれもやってみたい、これもやってみたいと思っている人が多いようです。その気持ちに沿って、何でも手を出してみる事は、自分の人生を豊かにしてくれるように思います。私は老人ホームの慰問活動を年間30回ぐらいは行っています。。サックスの演奏、どじょうすくい、獅子舞、浪曲奇術、腹話術などの芸を日々磨いています。それぞれの人の趣味は様々に違うと思いますが、いくつかの趣味に取り組むと生活が豊かになるようです。次に歳をとってくると、ほとんどの人はいろんな持病を抱えています。健康に暮らしていくために、食べ物、運動、やりがい、経済的な自立、認知症について、普段から手を打っていくことは、人生90年時代といわれる今日ではとても大事なことだと思います。それらを無視した生活をしていると、仮に長生きをしても、ガンなどの難病に罹りやすく、最後は寝たきりになり、脳の機能が失われることになりかねません。このように意識して生活の幅を広げることを心がけて、バランスのとれた生活をしていると、ちょつとした不安や問題があるたびに大きく落ち込むという事はなくなってくると思われます。
2018.04.15
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次郎物語を書いた下村胡人は、 「人を教育することは不可能に近い。自分が自分を教育する自己教育に始まって、自己教育に終わる」ということを言われている。これについて、私の感想を投稿してみたい。子供に対して親がきちんとした躾を行う。学校教育で人類が蓄えてきた基本的な知識を子供たちに教える。さらに社会教育で、人として生きるとはどういうことか、あるいは社会の仕組みなどを教える。また植物や動物が大きく成長するように、子供たちに対して食物を与え、運動させて、体を大きくすべく育てていく。これらは、 最初のうちは親や他人が介入して、教育することが必要である。しかし、それだけでは不十分で決して本物にはならない。最初は他者から刺激を与えてもらうことが大事であるが、ある程度の段階に進めば、後は自らの実践や体験によって自分を成長させていく必要がある。そのように弾みがついていくことが重要だ。守離破という言葉があるが、最初の段階では、親や先生や先輩たちから基礎的なことを教えてもらう。その次の段階では、その教えを実際に自分の心身を使って試してみる。最終段階では、それらを基礎としつつ、自分独自の新たな道を模索し開拓していく。森田理論学習もまさにその通りであると思う。現在の森田理論学習の実際を見ていると、全国に優秀な森田療法家がおられる。その人たちの講演を耳にする機会も「心の健康セミナー」などを通じて増えている。その他森田先生、高良先生を始めとする多くの方々が、優れた森田関係書籍を残されている。このように学習材料は豊富に用意されている。しかし、森田理論見たり聞いたりするだけで、もう全てがわかったような気になって、そこから先に進まない人もおられるようだ。知識過多の状態である。森田理論は車の両輪があって初めて効果を発揮する。1つは森田療法理論の学習と理解である。もう一つは、森田理論の生活面への活用である。この両方がバランスがとれていて、前進しているということが肝心なのだ。仮に理論の車輪ばかりを大きくすると、もう片方の小さい車輪をを起点にして、理論の車輪が空回りしてくる。これでは観念的になってますます神経症を強めてしまう。理論の車輪が小さい時は、森田理論の応用や体験の車輪も小さくてよいのだ。肝心な事は、その2つの車輪が空回りすることなく、少しずつでも前進しているということだ。そしてステップアップしてその車輪を大きく付け替えていくようにすれば、森田理論は大いに役に立つ。決して理論学習だけが先走りしてはならないのである。その方法は、一人で行なうよりは、生活の発見会などの自助組織に所属して、刺激を受けながら、お互いに助け合って進めていくことが確実な成果につながると思われる。
2018.04.14
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無量寺住職の青山俊董さんのお話です。ここに一瓶の花は生けられている。白蓮の枝がおおらかに立ち上がり、その中間に淡いピンクの百合が、ひかえめながらしっかりと焦点を絞り、その下に水仙が春の色の黄で根元には柳を添え、その全体をこでまりが伸びやかな曲線を見せながら、下からつつみうけている。白蓮の素朴なゴツゴツとした線と、こでまりの柔らかい変化に富んだ線の調和、白と淡紅と黄と緑の色の調和が、床の間の空間、果ては書院全体の空間を、さらにはそれを眺める人々の心までも、美しい春のいろどりに染めてくれる。色も姿も皆同じでは一瓶の花にならない。皆違った姿を持ち、それぞれの持ち味を充分に生かしてくれてこそ、 一瓶の花が成り立つ。しかも、それぞれの個性を十分に持っていても、互いに調和していなければ一瓶の花はほとんどなりたたない。どんな小さな枝も、葉一枚も互いに生かしあいこそすれ、競いあったり邪魔しあったりすることのないよう、きめ細かく心が配られて初めて、 一瓶の花は美しい調和のあるものとなる。(凡人の道 渓声社 228ページより引用)私は生花、フラワーアーティストといえば假屋崎省吾氏を思い浮かべる。色彩感覚と空間構成力に優れている方である。素人がいけた花をひと目見ただけで、どこにバランス上の問題があるかすぐにわかるようだ。修正された作品とその説明を聞くとなるほどと納得できる。もともとバランス感覚が優れていたのか、その後に精進して獲得されたものかよくわからないが、バランス感覚の優れた方である。こういう方は生き方に無理がかからないように感じる。森田理論学習すると、精神拮抗作用や両面観の学習をする。これは森田理論の大きな学習テーマとなっている。私たちが神経症で苦しんでいるときは、本来大事にしなければならないバランスや調和が崩れている。不安や恐怖一辺倒に偏っていたり、あるいはその反動として本能的な欲望に偏っていたりする。本来、欲望と不安はあざなえる縄のような関係にあり、どちらかに偏ることがあってはならない。バランスをとる必要があるのである。この関係は車のアクセルとブレーキに例えるとわかりやすい。アクセルを踏みこまないと車は前には進まない。アクセルを踏み込むことが一番大事である。ところが、ブレーキが壊れている車は凶器となる。危ないというより、破滅してしまう。アクセルを前面に押し出しながら、適宜ブレーキをかけてバランスを取りながら運転することが大事である。我々の生活も、生の欲望の発揮に邁進することがとても大切である。しかし、それにのめりこむことは躁鬱病の躁の状態と同じである。問題行動が多く、周囲との調和を欠く。不安を活用しながら、欲望を制御することも大切である。私はそのために意識付けとして、やじろべいや、天秤を机の前に置いている。常に両面観で物事を見たり考えたりする習慣が育ってきたように思う。森田理論を学習している人は、バランス感覚という能力をぜひとも獲得してもらいたいものだ。
2018.04.13
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「日々是好日」について、永杉喜輔さんは次のように説明している。森田正馬博士によると、 「日々是好日」とは、 「溺れる者は藁をも掴む」ということだという。私は「毎日を楽しく生きること」だと思っていた。どうもそれは違うようだ。森田博士によると、例えば、ある人が子供を亡くするまで1年間、寝食忘れて看病を尽くしたが、その時の心持ちが「日々是好日」であるという。そういえば、妻が亡くなる前、戦争中食物のない中、子供3人を育てていた時が1番幸せだったと語り合ったことがある。森田博士曰く。 「日々是好日」とは、座禅をして陶然とすることではない。日常、朝も晩も、生も死も、楽しくても苦しくても、皆それぞれが好日なのである。腹がへれば飯を食いたいということが「日々是好日」だという。あれも欲しい、これも欲しい、その心は、すなわち好日である。熱が40度以上に上った。死ぬかもしれぬと思う。それが38度に下がった。嬉しい。また上がった。しかしまた下がるだろうと勝手に思う。この勝手な希望を森田博士は「思想の矛盾」というのだが、思ったように熱が下がらないと動揺し、不安が不安を呼んでますます苦しくなるのだ。熱が上がったら上がったに任せ、下がったら下がったにに任せておけば、そのうちにうまい考えも浮かんでくる。熱があるから、体が不自由だから、金がないから好日ではないと言うのではない。あらんかぎりの力で生き抜こうとする希望、そのひらめきが「日々是好日」なのである。危ない時はびくびくハラハラしながら前へ前へと追いたてられる。生きている事実は万人共通で、それが「日々是好日」である。屁理屈を言わないで事実を事実として認めながら前進することが「日々是好日」であることを自覚すること、これが最も健康な生き方である。このなんでもないことの自覚が実は1番難しいことです。(凡人の道 永杉喜輔 渓声社 145頁より引用)「日々是好日」は、観念的に考えると、トラブルや問題がなく、楽しく愉快に過ごすことができた日を想定しやすい。しかしそういう毎日を好日とは言わないのである。またそういうことはあり得ない。仕事、家事や育児、日常茶飯事、問題や課題、目標や夢が全くない状態を想像してみるとよい。実に味気ない。好日とは、問題や課題、夢や目標に向かって果敢にチャレンジしている状態そのもののことを言うのである。森田では「努力即幸福」という。そこでは成功したか失敗したかを問題にはしていない。気が進まない中、イライラしながらなんとかしようと一心不乱に悪戦苦闘している状態そのものが、幸福な人生を送っているという事である。考えてみればそんな体験はみんな持っているのではなかろうか。つまり問題や課題、日常生活に真剣に取り組んでいる人は、「日々是好日」なのである。
2018.04.12
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デンマークで生活をされている千葉忠夫さんは次のように指摘されている。日本では高校生になっても、社会人になってもお弁当を作ってもらっている人がいます。これは過保護です。デンマークでは学校給食はありません。すると、 「お母さんがお弁当作ってあげないといけないんだろうな」と思う人は少なくないでしょう。デンマークでは、ほとんどの子供が自分で自分のお弁当を作ります。これが常識になっているのです。それは国民学校に入学する6歳の頃から教え始めているのです。もちろん、 6歳の子供が作るお弁当はサンドイッチぐらいです。親が具を用意して、子供はそれでサンドイッチを作って持っていく。2年生ぐらいになると、自分で全部用意できる子供もいます。もし、朝寝坊してお弁当作れずに学校に行った時はどうなるか。他の子供はお昼にお弁当を食べているけれど、自分は食べるものがありません。教師はその子供のお弁当をすぐに手配したり、何か食べるものをあげる事はありません。なぜなら、自分が朝寝坊したからです。自分が取った行動によって起こる結果、それは自分で責任を持たなくてはなりません。だから、すぐに手を差し伸べることはしないのです。自立心は、このようにして子供の頃から教えていかなくてはいけないという考え方があるのです。日本の常識はデンマークの非常識ということになります。今まで食べるものも着るものも、手取り足取りすべて面倒を見ていたというのに、社会人になった途端、自分の事は自分でやるようにと突き放したら、子ども同様、親も右往左往してしまうでしょう。失敗も繰り返すでしょう。立派な大人になってほしいのであれば、子供の頃から色々とやらせてみて、失敗も経験させ、自分でできることに責任と自信を持たせるとともに、達成感も持たせなくてはいけないのです。その結果、デンマークでは、国民学校を卒業する15歳から16歳の頃には自立心がある程度完成されているのです。なんでもやってもらえると思っている日本の高校生とは大きな差が出てきてしまうものです。(格差と貧困のないデンマーク 世界一幸福な国の人づくり 千葉忠夫 PHP新書720 163ページより引用)日本ではいつまでも親から自立できない人が多いように思います。それは親が自分がやってあげなければ子供は何もできないのだという気持ちが強いのだと思います。その結果、高校生、大学生なっても、食べる事は全部親任せ。掃除、洗濯もすべて親任せ。生活費のすべても親ががりになっています。アルバイトをしても、自分の友好費のためにだけ使ってしまいます。大学に通っている子供が生活費を自分で賄っているという話はほとんど聞いたことがありません。これでは将来親がいなくては子供が自分ひとりで生きていくということはできなくなります。依存体質の子供が出来上がってしまうのです。なかには仕事をしないで、親の年金や遺産をあてにして生きていこうとしている人もいます。この原因は子供の責任ではないと思います。親が子供が小さい時から、将来に備えて子供を自立させようとするきちんとした教育方針がないから起きている現象だと思います。キタキツネなどは子供が餌を自前で調達することができるようになると、むごいようですが、親が牙をむいて子供を自分たちの巣穴から追い出してしまいます。そうしないと、将来子供が自活できなくなって死んでしまうから、強気の態度に出ているのです。究極の親の愛なのです。森田では自分のしなければならないこと、自分のできることは安易に他人に依存しないで、自分で手をつけなければならないと言っています。生活のほとんどを親に依存していると、内向的、無気力、無関心、非活動的で消費一辺倒な子供たちが大量に作り出されてしまいます。日本の自立心のある子供の育て方はデンマークなどの外国から学ぶ必要があるようです。
2018.04.11
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世界的な経済大国のはずの日本が今や、格差社会、貧困率の上昇、高い自殺率、少子高齢化など、若者が将来に不安を感じる問題で溢れている。その解決のヒントを、デンマークの学校教育から見てみよう。日本では小学校6年、中学校3年である。デンマークでは、小中一貫教育を行っている。国民学校と言われている。期間は9年間である。予備として1年間延長できるようになっている。その後、高校に進む者と職業別専門学校に進むものに分かれる。約3年間である。高校に進んだものは、大学に進む人も多い。大学教育は19歳から27歳ぐらいまでである。どのコースに進んでも教育費はゼロである。学力があれば無試験で入れる。ただし卒業するときは試験がある。それに合格しないと資格は得られない。1クラスは19人である。教育内容は面白い。算数では足し算、引き算、割り算、かけ算、パーセントぐらいを学ぶ。微分や積分、三角関数などというものは日常生活には不要です。ですから、そういうことは教えていない。それらの数学を必要とする人は、将来測量士、エンジニア、建築士などです。そういう職業につきたい人が高校や大学で学べばよいという考え方です。英会話は必要なので、すべての人が卒業までには日常会話ができるようになります。教科としては国語の時間が1番多いようです。その次は算数です。デンマークでは教科ごとに教師が異なります。授業で日本と大きく異なるのは、美術と体育の時間です。美術の時間は、みんなで足並みをそろえて一定の技術を習得するといったことはなく、それぞれが表現をすることに時間を割いています。教師は質問されれば答えますが、絵の描き方を書いて指導することはなく、子供たちをただ見守ります。体育の授業では、何をやりたいかを子供たちで話し合い、好きなスポーツをします。あるグループは屋内でバスケットボールを、あるグループは野外でサッカーを楽しんだりするのです。個人競技で優劣を争い合うようなことはしていません。だから、運動が苦手な子供も、体育の時間は大好きです。国民学校を卒業する時には試験があります。一定のレベルに達しているかどうかを見るためです。高校に入るためには、試験はありませんが、一定の学力があることが求められます。教科は学校で教えますが、しつけは親の役割だと国民みんなが認識しています。デンマークはどんな仕事に就くにせよ資格が必要になります。大工さんや接客業も資格が要ります。「親は農業しているから」といっても、資格がなければ親の仕事を引き継いで農業することはできません。学校の先生になろうとすると、高校、大学で専門教育を受けて資格を得る必要があります。デンマークでは国民学校に在学している時から、将来自分がどんな仕事に向いているのかを見極めることが大切であると考えています。そのために、 14歳ぐらいになると、自分の友達の親の仕事を見にいきます。たった1日か2日ですが見学すると刺激を受けます。 15歳ぐらいになると、今度は自分がなりたい職業の職場実習に行きます。1週間から2週間程度全員が行くのです。どんな職業があるのか、収入はどれぐらいになるのか、そのための資格を得るためにはどのコースに進む必要があるのか。これらは国民学校の高学年になると、必修科目として学習する必要があるのです。そのための進路のためのガイドブックは充実したものを用意しています。子供たちはその本を見ながら、自分がなりたい職業に就くには、高等学校に進学する必要があるのか、職業別専門学校へ進学するのかといったこと調べます。例えば理学療法士になるには、高等学校を卒業して、さらに上級専門学校を卒業しなくてはいけないんだということを学ぶのです。日本でいう中学生の頃です。日本ではこういう事は全く考えられません。高校に行くにしても、 「とりあえず高校ぐらいは出ていておきなさい。その後のことはそのあとで考えればいい」という考え方です。高校では大学に入るための、数学、国語、漢文、古文、英語、日本史、世界史、地理、倫理、現代社会、物理、化学、生物、地学などの教科を無理矢理に暗記させられます。これでは途中で脱落してしまう生徒が多いのは無理からぬところです。またそれらの教科が将来大人になったときに実践的に役に立つということはほとんどありません。それなのに、様々な国の学力を比べてみた場合、日本の学力は今やデンマークの後塵を排しています。また、森田理論で言われているような対人関係のあり方、人生観などについてはまったく触れられません。とにかく、生徒同士を競争させて優劣をつけることに躍起になっています。社会に出ると、競争の中でいかに生き残っていくかという事を教え込んでいるのです。最後まで競争で勝ち残る人はごくわずかです。ほとんどの人は途中で脱落してしまうのです。自信をなくさせて、生きることは意味がないことだということを教えているようななのではないでしょうか。デンマークの教育を見ていると、国民学校を終えた時、ほとんどの人が社会的な基礎力、自立心、社会性を身につけているように思います。デンマークの子供たちは、学習することが楽しいといいます。日本の子どもたちは、テストの点数が悪いと自己嫌悪しますが、デンマークでは、テストの点が悪いと先生の教え方に問題があるというふうに受け止められています。デンマークではテストは理解の進捗を見るためであって、生徒の優劣を判定するものではないのです。時代は刻々と変化しているにもかかわらず、旧態依然とした教育を子供たちに押し付けている日本の教育制度に問題はないのでしょうか。(格差と貧困のないデンマーク 世界一幸福な国の人づくり 千葉忠夫 PHP新書720参照)
2018.04.10
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本日は「生活リズム」と「体内リズム」の関係について投稿してみたい。「生活リズム」とは、起床、食事、排泄、入浴、運動、学習、労働、社会的交流、就寝などが一日の生活の中で規則正しく行なわれていることである。昔の人は太陽が昇ると共に活動をはじめ、太陽が沈むと体を休めていました。ところが、現代人は、電球を発明し、テレビやパソコンなどの普及によって夜型に変化してきました。夜間に仕事をする人も格段に増えてきました。つまり、全体的に生活リズムが崩れてしまったのです。「体内リズム」とは、例えば体温のリズムです。体温は37度付近で保たれていることはよく知られていますが、実際には早朝に低く、夕方に高いという「体内リズム」があります。最大で約1度近く差があることはあまり知られていません。このわずか1度という温度変化は、細胞の中で起こっている化学反応に大きな影響を与えています。すなわち、細胞が活動するべき昼間には体温を高め、細胞が休むべき夜間には血流も少なくなり体温が低くなっているのです。身体にとって大切な「体内リズム」は、体温以外にも無数にあることが分かっています。私たちは、食事をすると血中のグルコースの濃度が高まります。急に血糖値が高くなるのです。この毒性を回避するため、すい臓から出るインスリンが働くことによって、グルコースの濃度を元に戻してくれています。このインスリンは、昼間に出やすく、夜間にはあまり出ません。夜中に食事をすると、グルコースが毒性を発揮して血管系等にダメージを蓄積させることになります。インスリンはすい臓で分解されていますが、本来は働くはずもなかった時間帯に働かされるので、その細胞は弱って死滅してしまいます。脳の松果体から分泌されるメラトニンというホルモンがあります。メラトニンは眠りのタイミングを作り出すホルモンです。人間が眠るためには、体温の低下とともにメラトニンの血中濃度を高める必要があります。このメラトニンは昼間は分泌量が少なく、夜間になると分泌量が増えてきます。ですから、普段は朝7時に起きて、夜12時に寝るような生活習慣の人が、急に夜の9時に寝ようとしても、メラトニンの分泌量が低いので、眠れなくなるのです。さらにメラトニンは、脳の中にある体内時計の中枢に直接働きかけて、体内時計自体をも修正する作用があるといわれています。体内リズムと生活リズムがマッチしていないと、様々な病気になってしまいます。ガン、糖尿病、動脈硬化、うつ病や躁うつ病、認知症などです。これらを防ぐには、「体内リズム」に「生活リズム」を合わせることが大切になります。「体内リズム」は、人類の進化の過程で長年かけて築き上げてきたものです。自然現象とも言うべきもので、変えることはできません。私達の出来る事は「体内リズム」に合わせて「生活リズム」を変えていくことです。森田理論では、規則正しい生活をこなして行くことを目標としています。形を整えていくと、心身ともに健康に暮らしていくことができるのだと思います。森田先生は後年リズムの研究に強い関心を持っておられました。リズムに沿った生き方というのは、森田理論につながるものがあるのです。(体内時計の不思議 明石真 光文社新書参照)
2018.04.09
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岩井寛先生の所を訪れた神経症の患者さんのお話である。職業は新聞記者である。彼の悩みは、たったひとりで取材をしなければならない時に、手が震えるという症状です。コーヒーなどを出されると、茶碗がカチカチと音を立てて鳴ってしまう。そうなると、彼はインタビューどころではない。質問事項もみんな忘れてしまい、自分が何を考えているのかもわからなくなって、茫然自失してしまうのである。つまり彼は、上手くやろうと思えば思うほど、常に気にしている震えに注意が集中し、その結果、震えの症状がますます強まる。それを彼は、自分にとってこの上ない恥、あるいは大きな劣等感にしてしまうのである。そこで彼は普段の有能さを捨て、自己中心的に自分の症状を気にかけ、症状を無きものにしようとすることに、日常生活の全力を投じてしまう。彼は新聞記者の仕事を放棄して、諏訪の田舎に引きこもると言うのである。しかし、実家に戻ったところで、就職のあてがなく、どうして食べてよいのかわからない。手っ取り早く苦痛を回避して現実逃避を考えている。(森田療法 岩井寛 講談社現代新書 134ページより引用)神経症のためにすぐに仕事を辞めてしまう人は多い。集談会でも、転職を繰り返している人もいる。外国では転職を繰り返してドンドン待遇改善を図る人もいるそうだが、日本の場合は、転職を繰り返せば繰り返すほど、待遇が悪化する例が多い。最後には、アルバイトやフリーターのような仕事しか残っていない。そうなれば給料も少なくなるし、社会保険を自前で用意しなければならなくなる。正社員ならば健康保険、厚生年金は会社と折半だから俄然有利になる。私は大学を卒業した後、出版社に就職した。対人恐怖症のため、訪問販売の仕事ができなくなり、その会社は9年で退職した。つまり症状のために自主退職したのである。退職後しばらくは、症状から解放された。しかしその後自己嫌悪、自己否定で苦しかった。田舎に帰ってみたものの、30歳を過ぎた人の仕事はなかった。また街に出てきて、なんとか次の仕事にありついた。まだ時代環境がよかったのだ。正社員であったために、社会保険は完備されていた。今だったら、派遣社員かフリーターのような仕事しかありつけなかったのかもしれない。そこでも対人神経症を抱え、会社の中で孤立して、人間関係で苦しかった。その後、この会社は経営が傾き、リストラの嵐で大変な職場であった。私は定年までいかにして生き残るかということだけを考えていた。仕事にどっぷりとつかることもなく、最低限の仕事ぶりであった。休日にはストレスの発散のために様々な趣味の世界に没頭していた。それでバランスがとれて何とかもったのかもしれない。同僚たちは、出世して管理職になることを目標にして仕事に邁進していた。ところが出世しても、業績が上がらないと、最後には退職に追い込まれた人が多かったように思う。一旦辞めていった人が、今よりも待遇のよいところに転職できた人はほとんどいなかった。それよりも生活を維持していくことに汲々としていた。森田先生は、神経症のために仕事を辞めるという事に警鐘を鳴らされている。仕事やめれば神経症の苦しみから逃れることができるように思われる。しかし、実際には暇になった時間を持て余し、自己内省で苦しむようになる。そのうち精神交互作用で神経症はどんどん強まってしまう。最後には神経症として固着する。さらに、生活費に事欠くようになる。生活上の悪循環が始まるのである。親から引き継いだ遺産、親の年金があるうちはなんとか生活はできるかもしれない。しかし、それらがあてにできなくなると、たちまち生活に困るようになる。病気にかかったり、家電製品の買い替え、家の修理、親戚の冠婚葬祭、自動車の買い替え時期になるととても困ることになる。神経症の人を見ていると、会社での人間関係にエネルギーの大半を投入してる人が多いように感じる。仕事をする本来の目的は、自分と家族の生活を支えるための生活費を得ることだ。その本来の目標を忘れると、良好な人間関係作りのために会社に行くようになる。手段の自己目的化が起きているのである。人間関係は歯車にさす潤滑油のようなものだ。たしかに、それがあると歯車は滑らかに回転していくが、それ以上のものではない。神経症で、苦しくても、そのために簡単に職業を放棄しない方がよいと思う。休職してでも、転勤をさせられてでもなんとか仕事にしがみつきながら、神経症を治すという方向に舵を切り直してほしいものである。その道もいばらの道ではあるが、仕事を辞めるよりはよいことが多い。そのノウハウは集談会に参加している人たちからいくらでも教えてもらえる。集談会という自助組織から離れないでほしい。集談会に参加している人は、あなたに寄り添い、決してあなたを見捨てることはしないのだから。
2018.04.08
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神経症から回復するにあたっては「実践課題」を作って取り組むことが多いと思います。そのうち実践課題がこなせるようになると、気のついたことをメモ用紙に書いて、積極的に行動・実践に取り組むようになります。その際、目の前のことだけではなく、仕事、家事、子育て、趣味、様々な人間関係、地域のつながり、集談会関係などに分けて、バランスのとれた取り組みを心がけるようにするとよいと思います。私たちはどうしても視野が狭くなって、行動の幅が広がっていかなくなる傾向があります。できるだけいろんな方面に視野が広がるように意識することが大切となります。この中で、私は「趣味」については、大きな見出しを作って時々見るようにしています。コンサート情報、老人ホームの慰問活動、健康情報、趣味の園芸情報、旅行情報、瀬戸内海情報、イベント情報、映画・テレビ番組・書籍情報、公共施設利用情報、株式情報、ファイナンシャルプランナー情報などに分けています。それをさらに細かく分けて、情報収集方法について一覧表にしています。それらの項目が全部で50個ぐらいあります。時間があるときにそれを見ていると、いろんな気づきやアイディアが浮かんできます。コンサート情報は、毎月の地域の音楽活動やイベントを紹介した冊子が役に立っています。これはどこの地域にも似たようなものが発行されているようです。これを見てコンサートや落語などのイベント、 植物園、一人一芸の演芸会などに行くようにしています。行く前は気持ちが乗らなかったりすることも多いのですが、行ってみると、来てよかったということがほとんどです。「イエスかノー」か迷ったときは、「イエス」を選択することを肝に銘じています。私のモットーは、 「サボりたい、楽したい」という気持ちになったときは、その気持ちはそのままにして、「尻軽に体を動かす」ということです。森田の実践をしているのです。これが習慣化されて、毎日忙しく充実した日々を過ごすことができるようになっていると思います。
2018.04.07
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岩井寛先生のお話です。入院中のある高校生が、作業時間中に自室に閉じこもったきり外へ出てこないで、看護婦が促しても一向に言うことを聞かないと言うので、岩井先生がその高校生と面接をすることにした。彼は次のように言った。「先生、僕は先生の言われたあるがままに忠実に従っているだけですよ。僕は対人恐怖症だから、他の人と一緒に卓球をやったり、 中庭で雑草を抜いたりすることが嫌なんです。だから1人のときにはきちんと仕事をやっています。看護婦さんに非難される事はありません。僕は自分の気持ちに忠実に行動しているんです。人と会って緊張するのが嫌だから、おしゃべりをしながら一緒に作業はしたくない、という気持ちは僕の本心であり、その本心をそのままに認めるのがあるがままじゃないんですか。だから僕は自分の心をあるがままに認めて、それに沿った行動をしているだけです」 (森田療法 岩田寛 159ページより引用)この高校生は、 「あるがまま」という森田のキーワードを、自分の中で自然に沸き起こってきた感情のままに行動することだと理解している。不安、恐怖、違和感、不快感などが沸き起こってくれば、逃避欲求のままに行動すればよいのだと信じて疑わないようだ。今までも予期不安があるとすぐに逃げていたのに、「あるがまま」という森田のキーワードの学習で、確信に変わったのである。でもこれは「あるがまま」の誤解である。本来「あるがまま」というのは、不安や恐怖などがわき起こったとき、それをやり繰りしたり逃げたりしないで、その不快感をそのままに受け入れるということである。自然に服従することだ。そして目の前のやるべきことに注意や意識を向けて行動・実践していくということだ。この高校生の場合、嫌な感情がわき起こると、目の前のなすべき実践を回避するというやり方である。不快感をやりくりしてすっきりしようとしているのと同じことである。このようなやり方をとっていると、例えば本能的な欲望が沸き起こってきたとき、それを我慢することができなくなる。衝動的な行動を助長してしまうことになる。例えば、お金がなくてもものが欲しくなれば盗みを犯してしまう。満員電車の中で性的な欲望が沸き起こってくれば、痴漢を働いてしまう。これは動物のやり方と同じである。少し考えただけでも、正常な人間のやり方とは思えない。森田先生から神経症が治ったかと聞かれると、森田先生の気持ちを察することなく、 「今はまだ治っていません」などと発言して、先生の心証を悪くする。自分の正直な気持ちにとらわれて、その場が気まずくなるということには、無頓着である。自分の沸き起こってきた感情に素直に反応するということは、反社会的な行動にも発展することもある。こういうやり方は感情の一面しか見ていないのだ。普通の人は、盗みや痴漢をすれば、警察に突き出されてしまうかもしれないという不安も同時で沸き起こってくるようになっている。森田先生に対しても、先生が日夜自分のために努力してくださっていることが分かれば、その心証を思いやる気持ちが当然に湧いてくるものである。人間には、ある感情がわき起こると、それに対立する反対の感情がわき起こるようになっている。森田理論では、このことを精神拮抗作用という。その中で、その時、その場に応じた適切な対応をとりながら生活をしていく必要があるのである。どちらか片方に偏ってしまうということは、他人との対立を生んで生きにくくなるばかりである。あるがままというのは、沸き起こってきた感情に対してやり繰りをしないでそのままに受け入れるという意味は確かにある。これはどんなに否定して退けたいと思っている感情であっても、その感情と格闘してはいけない。安易に逃げてもいけない。その感情を十分に味わい、持ちこたえる必要があることを言っているのである。これがあるがままの姿である。そうすれば感情の法則でいわれているように、どんなに嫌な感情でも流動変化していくようになっているのだ。この高校生の場合は、十分に味わい、その感情を持ちこたえるという態度ではない。その嫌な感情をなくして、すっきりとして楽になりたいだけのことなのである。その方法をとって、暇を持て余し、退屈で仕方がない、孤立しておもしろくないなどという気持ちについてはどう考えているのであろうか。短絡的でその場しのぎの行動は、将来につながるものは何も生まれてこない。最初は注射針を打たれる時のようなちょっとした痛みはあるけれども、その気持ちを持ったまま、目の前のことに取り組んでみることの方がよほど意味のあることだと思う。
2018.04.06
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岩井寛先生は、人間の欲望について、 2つの面から説明されている。まず、生命維持・快楽・権力・その他の欲望である。・衣食住を得て生命を維持する欲望。・病を取り去って、身体の安全を図り、精神的ストレスの避けて自己保存をしようとする欲望。安全の欲望のことである。・種族保存の欲望。・快楽を求める欲望。・他者をライバル視して勝ちたいという欲望。・他人や世界を支配したいという欲望。・夢や目標を達成したいという欲望。・長生きしたいという欲望。・痛くなく、苦しくなく、安心して死にたいと願う欲望。次に向上発展への欲望である。・人に好意を持たれたいという欲望。・他者との関わりの中で、自分が真に信頼され愛されたいと願う欲望。・自分を素直に表現し、他者を豊かに受け入れられることにより、より良いコミュニケーションを作りたいと思う欲望。・自分の資質及び性格が人に認められ、自分の持てるものを豊かに表現したいと願う欲望。・他人の幸福を願うという気持ち。・今ここに生きている現実で、より良い状態がやってくることを願い実際に行動する。・自分の中に深く内在するものを、外に向かって表出したいという人間的願望。そのうえで、岩井先生は、人間の生の欲望は必ずしも真なるもの、善なるもの、 美なるものに満たされているわけではない。その逆に、偽りなるもの、悪なるもの、醜なるものも包含されている。その両者のただなかにうち込まれているのが、人間存在の特徴であろう。つまりこれこそが「人間存在の真実」なのである。森田は、この真実を率直に認め、相反する欲望が、人間には同時に存在していることを受け入れているのである。しかし、神経質者は、人間にとってよき欲望を一方的に求め、悪しき欲望を否定し去ろうとする傾向がある。それは一見良心的に見えるが、実は、人間の欲望の真実を認めない、偏った思考にすぎない。人間誰しも初めて大勢の前でしゃべるときには、あがってしまって、その場から逃避したくなるのが普通である。また、初めて飛行機に乗って、地上を舞い立つときには、果たして地上の人となれるかどうか、心に不安を抱くのが普通である。岩井先生は、中学3年の頃、古本屋で大学生が万引きして書店のオヤジに見つけられたのを目撃した。それ以来、本屋に入って、自分が万引き常習者だと思われたらどうしようという不安が強かった。これは人に悪く思われわしないかという強迫観念なのであって、 「悪しく思われたくない」という自己中心的な欲望の現れなのである。その後、デパートに行っても、疑われることを恐れて、品定めをすることさえできなくなった。マイナスの欲望を否定し、プラスの欲望だけを追い求めようとしていた結果である。(森田療法 岩井寛 講談社現代新書 42ページより引用)
2018.04.05
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森田療法を完成したと言われている高良武久先生は神経症で苦しまれた経験を持っておられる。旧制中学の時、厳しい軍事教練が行われていた。高良先生は、 「右向け右」の号令で左を向いてしまい、殴られたことがある。それ以来憎まれ役になって「牛馬にも劣るヤツ」と罵られていた。軍事教練のたびに殴られるので、教練のある日はひどく頭痛がするようになった。村の青少年で作った「舎」というある種の結社にも、年長者の暴力的な圧迫に抵抗して、いわゆる村八分にされたこともあった。高良先生は、よくは知的、権力的な状況を嫌い、自由な雰囲気を好む性格であった。 1人静かに自分の生活に浸れる読書の時間こそ、至福の時であったという。その後高良武久先生は鹿児島の第7高等学校に進学された。旧制の高等学校は全寮制であった。破れた帽子、ほころびがマント、高下駄等で身をまとって、見るからに汚い風体のバンカラぶりであった。乱暴で野蛮なことが多く、高良武久先生は寮生活に順応することができなかった。頭重感、頭痛、不眠、対人緊張、疲労感、過敏反応症、 少年時代から鼻に持病があり、鼻づまり、かゆみは常にあった。それとともに「人生いかに生きるか」という青年期によく体験する難問にあたって苦労しておられた。校医に診てもらったところ、神経衰弱という病名を告げられた。勉強することは禁じられた。落第の不安が襲ってきたので、校医の指示に背いてやむなく勉強を始めた。最悪のコンディションだったが、やれるだけやってみよう。神経衰弱が悪化してもいい。半ばやけくそだったという。神経質症状は相変わらずであった。 1年間ぶらぶらした後に、九州帝国大学医学部に入学した。3学年になった頃から、心境の変化があった。「人間、生きている限り不安はつきものであり、不安も生活の重要な内容であって、不安に刺激されて、向上に努力するものである。不安の存在を否定することが葛藤そのものであり不安から逃げることも敗北だ」森田理論のあるがままの精神に通じる一大変化であった。その九州大学精神科に下田光造教授が赴任してきた。下田教授は森田理論を高く評価していた。その下田教授の推薦を受けて、高良武久先生は東京慈恵会医科大学精神科に移られたのである。ちなみに九州大学では後に奥さんなられた和田トミさんと知り合っておられる。和田トミさんはアメリカ留学をされた才女であり、男勝りの活躍で、後に日本女子大学教授、参議院議員になられている。高良先生は森田先生の後を受けて、森田療法の理論化に取り組まれた。昭和15年(1940年) 4月、高良興生院を開院されて、神経症の治療に当たるとともに、多くの森田療法家を育てられた。
2018.04.04
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「楽したい、人が見てなきゃサボりたい」という川柳がある。我々人間は、片方で大きな夢や希望を持って、努力精進したいという気持ちを持っている。ところが、その気持ちとは裏腹に、楽をしたい、サボりたいという気持ちも相当強い。嫌な思いをすることは避ける。苦しい事には手をつけない。努力しなければならい事はやらない。自分のエネルギーの消耗はできるだけなくしたい。親の遺産が入ったり、高額な宝くじに当たったりすると、仕事などはしないで美味しいものを腹一杯食べて、欲しいものはなんでも取り揃えて、面白い事、楽しい事ばかりをやって生活したい。生きる為に必要な日常茶飯事は、お金を出して人に依存すれば何とかなるはずだと考える。いくら森田理論学習で「生の欲望の発揮」が大切であるということが理解できても、このような安易な誘惑にすぐに流されてしまう。これは誰もが陥りやすい素直な気持ちなのではなかろうか。神経症者は、生の欲望の発揮が蚊帳の外になり、不安、恐怖、違和感、不快感を取り除くことばかりに神経をすり減らしている。森田理論学習によって、その誤りに気づき、精神交互作用を打破して、生の欲望と不安のバランスをとるようになる。それが継続できればよいのだが、次の壁が立ちふさがる。今度は人間本来の本能ともいうべき「楽したい、さぼりたい」などの気持ちとの格闘が待っているのである。安易で楽な方向に流れていってしまえば、人間本来の素晴らしい人生を謳歌することは難しい。安易で楽な怠惰な方向に流されないためにはどうしたらよいのだろうか。人間は油断をすると、すぐに安易な方向に流されてしまう存在であることをしっかりと自覚することが必要であると思う。それを打ち破るためには、尻軽に行動できるような習慣づくりをすることである。やろうかどうか迷ったときは、やる方を選択するようにしたいものだ。神経質者は納得しないと行動しないという特徴がある。すぐ動けるようになるということは、ひとつの能力である。その能力を獲得する必要がある。何度も繰り返して身に付ける必要がある。次に、目の前の事実をよく観察するという生活態度を身につけることが大切なのではないだろうか。事実がよく見えるようになってくれば、興味や関心が湧いてくる。発見や気づきがある。そうすれば、課題や問題に対して工夫やアイデアなどがを思いつくようになる。そうなれば意欲ややる気が高まってくる。創意工夫ができるようになれば、ますますやりがいが出てくる。森田理論では、感じを高める。ものそのものになりきるということだ。そうなれば楽な怠惰な方向に流されてしまうことは少なくなっていくと思う。
2018.04.03
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水谷啓二先生は、森田療法は「自覚療法」であって、 「暗示療法」ではないと言われている。暗示療法とは何か。水谷先生によると、暗示とは、相手の自主的な理性に訴える説得とは違い、無批判にこちらの観念を受け入れさせる方法である。暗示をかける時のやり方は、まず相手の信頼を得ることから始める。暗示者の自信に満ちた態度が、暗示の効果を一そう強力なものにする。例えば、学識の広さや深さを誇示して、その上更に最新の学説なども紹介し、威光暗示を与えて、相手に尊敬の感情を起こさせた上、すこぶる断定的な調子で、 「誰それの考え方は古い」などと言うと、自主的な判断力のできていない人たちは、たちまち暗示にかかり、 「そうだ」と思ってしまうのである。そして、その後は、暗示者の言うことを、何でも無条件に受け入れるようになる。森田理論学習で言うと、有名な森田療法家の講演などを聞いて、無批判にその考え方を受け入れていくようなやり方である。暗示療法でも、人格変換を起こさせることができるが、それは神経症のなくなったことを意味しない。自覚療法は、三聖病院の宇佐玄雄先生が名づけられたそうだ。自覚療法とは、自らの「生の欲望」に目覚めることであり、個性的にして自主的、発展的な人間になることである、と言われている。(生活の発見誌 2018年3月号 8ページより引用)すこし難しいので考えてみたい。森田先生のよく言われた言葉に、 「修養」と言う言葉がある。これは、自らの実践や行動によって、精神の動きや働きを体得することであると言われている。感情の法則1に、 「感情はそのままに放任すれば、その経過は山形の曲線をなし、 ひと昇りひと降りしてついに消失するものである」とある。例えば、腹が立った場合、その不快感を払拭するために、やぶれかぶれの言動をとる人が、その感情を持ちこたえて、その後どうなるかを体験してみるのである。そうすれば、 「なるほど。腹が立った時の何とも言えない不快な感情は、放任していれば次第に収まってくる」ということがわかってくる。こういう体験が積み重ねると、次第に感情の取り扱い方について自覚が深まっていく。体得なくして、理論だけの学習では自分の生活は変わっていかない。森田先生から、鉢植えの草花に水をやってくれと言われて、水をやっていると森田先生が次のように言われた。今水をやっている草花は、 1年草でもう枯れかかっている。そんな草花にも機械的に水をやっていてはダメだ。その時に、 「自分は草花を目の前にしながら、草花のほうに注意が向いていなかった。自分の意識や注意は、神経症を治すという方向にばかり向いていた。神経症が治るということは、内省的になっていた自分の注意や意識が外向きに転換して、物事本位の態度にならないといけないのだ」ということに瞬間的に気がつけば、神経症の克服につながる。このように体験を通じて、精神や意識の動き、働きが分かるようになる。それに基づいて、その後の実践や行動が大きく変わっていく。そのことを森田療法が「自覚療法」といわれる所以である。森田先生の頃の入院に療法とは違い、現代の森田理論学習では、理論学習偏重になっている。森田理論は、よく車の両輪に例えられる。この場合、理論学習によって、理論の車輪がどんどん大きくなり、行動の車輪が小さいままだと、前に進むことができなくなる。行動の車輪を起点として、その周りを理論の車輪が空回りすることになる。こういう場合は、理論の車輪は大きくなくてもよいのだ。それに見合った行動の車輪をつけて動いていると、少しずつでも前進していく。つまり学習と行動は、あざなえる縄のごとく一心同体でないとまずいということである。
2018.04.02
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森田全集第7巻の中に、森田先生が語った 「大震災時における流言飛語の心理」という話がある。315ページから342ページにわたっている。これは関東大震災直後、いかに流言飛語が民衆を右往左往させていたのか、事実の記載である。これを読むと、詳細な事実の記載は人の心を打つことがよくわかる。事実の記載と言えば、岸見勇美氏の次にあげる伝記も、圧倒的な調査に基づく事実の記載である。森田療法に関わったそれぞれの人の様々な生きざまは、我々にとって生きる勇気をもたらしてくれる。これらの本の制作に取り組まれた岸見氏の迫力に圧倒された。・森田正馬癒しの人生 春萌社 森田療法を確立された森田先生の伝記である。・高良武久森田療法完成への道 元就出版社 森田先生の後を引き継いで森田療法の理論化に生涯をささげられた高良先生の伝記である。・ ノイローゼをねじふせた男 ビジネス社 森田療法によって神経症を克服し、生活の発見会につながる啓心会を作られた水谷啓二先生の伝記である。・我らが魂の癒える場所 ビジネス社 生活の発見会の集談会を全国に定着させ、森田理論学習の普及に尽力された長谷川洋三氏の伝記である。・運命は切りひらくもの 文芸社 胃腸神経症を森田理論によって克服され、私財を投じてメンタルヘルス岡本記念財団を作られた元ニチイ副社長岡本常男氏の伝記である。その他、私が読んだ本で、事実に圧倒された本は次の4点である。・神経症の時代 、渡辺利夫 TBSブリタニカ この本は倉田百三、森田正馬、岩井寛先生のエピソードが満載である。この本は開高健賞を受賞している。事実に基づく、的確な分析力には、読む人を感動させる。・森田正馬が語る森田療法 岩田真理 白揚社 森田正馬の普段の生活のエピソードが満載である。・森田正馬評伝 野村章恒 白揚社 これほどの森田先生の伝記を詳細に書いた本はない。・キュリー夫人伝 白水社 波瀾万丈のキューリー夫人の一生を娘さんが詳細に紹介している。これらの本は、事実本位を目指す我々にとって大きな示唆を与えてくれている。気に入った本を読むことをお勧めしたい。
2018.04.01
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