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なんか、まだ、消化しきれていないんだけど、11日のコンサートは、バンドのメンバーのコロナ陽性を受けて、11月6日に延期されていたらしい。知らずにたどり着いた私と友人の二人組。でも、4枚ほどの同じ内容の書かれた小さなパネルの前には、スタッフらしき人が4人ほど居て、同様に知らずにやってくる人たちに対応していた。まあ、コンサート会場の入りが、約束したのと違うと怒って、当日開演直前にキャンセルすることも、ファンとしては受け入れているくらいだから、今回も、「そうなんや、確かめてから来ればよかったね。ジュリー本人じゃなくて、良かった」とか、「私らみたいに近いもんやのうて、遠くから気張る人は気の毒やね」とか、そんな感じで、さっさと帰った。さっさと帰る前に、地下通路でたまたまばったり友達と出会っていて良かった。二人だったから、さっさと帰れたと思う。一人なら、彼女が来るのを待たなきゃいけなかったからね。色々あるこの3日間で、結構睡眠が不足がちで疲れていたみたいだ。さっきちょっと横になったら、熟睡していて、母親からのメールにも2回の電話にも全然気づかずに、しっかり1時間半寝ていた。母親とは、日中に帰省の時期を巡ってメールをやりとりしていたので、まあ、良かったけど。心配をかけて居るかもしれない。お寺さんのお彼岸のお参りが何と20日で、その日を空けるために、あれこれ手配して、完成した手順で、今度は、帰省を17か18かを考えていた。そしたら、母から伝え聞いた妹がメールをくれて、17は忙しいから無理ということだ。、18に帰省となると、熱帯低気圧が台風になって、新幹線が止まるなどの影響が懸念される。それで、明日まで台風の成長具合を見ようと言うところまでは妹とメールでやり取りしていた。なんだかんだで、平日をこじ開けるのには、休日の仕事量が増えるわけで。日常を国家老の妹にお願いしつつ、母のもとに通う参勤交代制度も、コロナで変則化して、大変。しかし、8月にあれほどの感染者の中でも、帰省できているので、9月のお彼岸の帰省は当然だな。本当は17に帰省しておかないと、台風が怖いと思っている。寝落ちする前のYahooニューズで、悲しいニュースを目にしていたことや、最近のストレスが強く影響したものか、寝ていて起きる直前の夢が、すごいストレスフルなものだった。なんだか、久しぶりにストーリー性のある夢の主人公で、最後は、棺の中っていう衝撃の展開。今日は、見ず知らずの来客2人(どっちも自分と同じ年配の、一人は辞め校長)でストレスだった。で、もう一つは、明日届くはずだった転送荷物が、既に2つとも届いているというヤマト便の連絡。後は、そうだな、慣れないキャッシュコーナーでの入出金の確認。これは振り込みと払い出しと。前の人の通帳が残っているという設定だった。意外と、リアリティがあるのは、気になっている振り込みがあるのと、配当金の払い出しに行けてないのと、今年から、郵便局の対面での振り込みに手数料が発生するようになったのと、あれやこれやで、自分の時間と思考力とが圧迫されているのと。イギリスの女王が亡くなって、色々と考えることがある。母の健康や日常の事とかも。働くのを止めて家に居る妹の娘(姪)のことも。そう言えば、妹も対人のストレスが原因で仕事を辞めたんだった。考えてみると、心の負担が大きいんだな。そんな中で、見た夢のリアリティに、驚いている。細部の描写が、細やかすぎて、相当神経が持っていかれている。目覚めた時、ドキドキしていた。何だろうなぁ、オダギリジョーの刑事ものなんかのみすぎかなぁ。あの人、役の上では、ロクな死に方しないことが多いからなぁ。それにして、1度の夢で2度死ぬとか、疲れる憑かれた夢だった。そうそう、こんなことなら死んだ方がましだという、苦く苦しい不始末と向き合っている人を身近に知っているから。でも、その人にも、死なずに、生きて、生き抜いてほしいと、思っているからだな。夢の中で、思いがけず事件に巻き込まれて逃げることになる私は、結構悪あがきをしていた。若い頃、時間が経つのは、楽しい時は速かったけど、最近は関係なく速い。そして、自分にできることは、容赦無く減っていく。今日、若い子に頼まれて面接練習を1時間ほどしていて、川崎重工業や、三菱重工業を受けようと言う優秀な子を、目の当たりにしていて、この子等の17歳の今と、70歳まで続く職業人生とを、思ったのだ。ウクライナ情勢も、原発への攻撃など、緊迫していて、ストレスだし。地震と天候不良は世界を覆っているし。明るい話題は、大谷くんくらいしかない、そんな63歳の秋の宵だ・・・
2022年09月13日
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もう、本当は日付変わって、今日なんだけど、9月11日、久しぶりのコンサートに行く。8月31日、夏休みの終りに、急に職場に電話がかかってきて、今から行きたいって言われて。丁度、その前の日の日記に、思いを書いてたところだったので、「ああ、いいよ。」って、答えた。「3時から、会議だから、会議が始まる前に会おう。どのくらいで来れる?」って聞いて、会議までの小一時間を、話を聞いて過ごした。私が貸した本を、借りたままだったと思い立って、来たと、彼は言った。方丈記だよね・・・そうか、もう、二十歳になっているのかなぁ。。。同級生が9月1日の日曜日に亡くなった時、3年前の夏から、少しだけ、時計が進んでいた。彼は、自分の口から、当時のことを語り、当時の思いを吐き出し、現状を語って、帰って行った。「憎悪」と、当時の環境への自分の受け止めを言葉にできていたことに、ちょっと安堵した。彼は、大学で、心理学を学んでいる。自分を整理する方法を1年ちょっと学べているのかな。進学するまでは、張り詰めすぎていて、危うかったけど。多分、大丈夫だろうと、なんとなく思えるようになっていた。あの頃のように目が泳ぐことも無かったし、感情を素直に出せるようになっていた。少し、首元が強くなっていたので、それを言ったら、鍛え始めたところだと言っていた。「また、来てよ。秋が深くなる前に、来てよ。」と、言って帰した。思いつめたような表情を見なくて済んで、良かった。実は、亡くなった彼の友人とそっくり瓜二つの少年が居て、入れ違いに入学していた。私は、その気持ちを、誰にも言っていないんだけど、訪ねて来た子は、「駅で見かけてびっくりした」と言っていたので、やっぱり似てるんだと思った。今は、しばらくコロナで休んでいるんだけど。私のチームには、4月から古い馴染みが戻ってきてチーフをしている。彼女のクラスの子が亡くなったのも、2年生の夏だった。クラス替えの無い学校なので、その学年の卒業式の日、彼女は、本来のその子の出席番号の所で、その子の名を呼んだ。そして、クラスの全員が、返事をした。もう25年近くも前のことだ。人は入れ替わり、3年毎に、記憶は更新されていくけど、痛みは心に突き刺さったままだ。あの25年前の子は、父親を震災で亡くした震災遺児だった。担任だった頃、私の同僚は若くて、死んだ子の抱えていた痛みに向き合えていなかったと後悔していた。3年前に亡くなった子は、クラスの1番できる子で、熱心だった。物静かな子だったが、仲間も居て、充実した学校生活だったはずなのに・・・私たちは、おそらくそこにあった家庭の問題を知らないままだったが、行き詰っていたのだろう。ひっそりと、家族だけの葬儀だったと記憶する。思い当たる原因があったのかもしれない。遺される側の痛みは、人ごとに、異なるものだろう。しかし、痛みを抱えたままでも、生きなければ、時計を進めなければならない。愛媛に行った子も、大阪に転居した子も、地元の大学に通っている子と同様に二十歳を過ごしている。遠いところの子ほど、早くに会いに来てケアできていたけど、今回、近くで、一番気になっていた子が来て成長した姿を見られて、ほっとしている。そう言えば、今日、日中に、すごい物語のキーワードを思いついて、これあったら、書けるんちゃうって思った。はずなのに、プロットも、登場人物まで、いくつか思い浮かんだはずなのに、肝心の「・・・・・」が、思い出せないんだよ。。。相当ボケてる???老いを感じて笑える。いや、泣ける。。。
2022年09月11日
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