全29件 (29件中 1-29件目)
1
円堂です。今回旅行中、「声、演技、舞台」などを意識していました。今後に役立つかな、という気づきがありましたので、メールでお知らせしたいと思います。目的意識があるとやはりぼーっと見過ごす率は減り、色々と気付くことが増えますね。今回特に感銘を受けたのが、中国雑伎団の公演です。出し物が凄いのは有る意味想像通りだったのですが、補助をする役の人達の「見せる動き」の意識をとても感じ、そこに感動しました。例えば演者に次々と椅子を渡していく役の人でも、その動作の一つ一つがきびきびとしていて、多少の決めポーズ的な動きなどもあり「補助も含めての出し物」という感じがしました。逆にまだあまり舞台に慣れていないような補助役の人もいたのですが、そういった人はまだまだ見せるための動きになっていない、という比較もできました。(動きの大きさ、動きのメリハリ、恥ずかしさがあるかや 思い切り具合、などによる違うのかな、という印象でした。)また、テーマパークにあるアトラクションなどでのキャストの前口上。これも人前で演じる、楽しませるという意識があり、かつ練習・経験を積んでいる人とそうでないであろう人の違いをひしひしと感じました。単純に、前者の人に当たると受け手であるこちらは楽しいし心地良かったです。そして、練習や経験の成果か、楽しませる意識はありつつも落ち着いているというのを感じました。逆に後者は、「これぐらいでいいだろ」的なだらっと感を感じました。多少残念な感じを受け、酷い時には不快感さえ感じさせてしまう時もあるのだな、ということがよく分かりました。以上です。読んで頂いてありがとうございました。
2009年01月28日
昨日、幽霊を見た。こんな出だしはよいそうだ。は?だまして悪い。最近ミュージカル公演のため脚本の勉強をしているのですが大事なことの中に出だしでしっかりインパクトを付けないといけない、だから良い出だし、としてありえないような場面をもってくるなどして興味を惹き付けることが重要だというので今回、ちょっとやってみました。文章を書く技術、脚色する技術は歌を、上手く聞かせるテクニックとしても非常に応用出来るものがあって面白い。特に面白かったのは脚色とは既に起きている事柄を事実として定着させるために無駄を退き誇張する必要があるっていう点。本当は本当、ではなくて相手に真実だと思われるために必要なやり方、技術というもんがあるそうだ。今回はだまして悪かったですがもしあなたが今日のタイトル、幽霊を見た と言う部分でどきどきわくわくしたり、惹き付けられ次を読んでみたいと思った としたらそれは論理的なマジック、つまり手品を見た、そして楽しんだと思ってください。歌が上手くなる、こういうことには上手く聞こえるテクニックなども本当に重要なんだな。私が教える歌の歌い方、というのは単に発声練習とかそんなボイトレじゃなくていかに相手に、どう届けるか、という技術。こんなやり方をさらに増やしているのでまーたうちの会員たちの歌のレベルがあがっちゃうかな?なことないか(笑)脱力発声練習
2009年01月24日
私は基本的に病気しません、てか病気で仕事を休みません。人に音楽を教える仕事して講師時代から数えて15年以上になりますが具合悪くて休んだことって2.3回じゃないかな。これにはちょっとしたおまじないで十分です。普段、自分に都合の良い思い込みなど激しく批判している私ですが実は時々やってます。それは病気かな?、体調悪いな、やべ風邪っぽいとかなって明日の仕事の前に「いーや認めないね、俺は自分の体調がわるいなんて 決して認めないね」というだけです。もちろん正しい療法や時には休養も大事。でも私のような仕事の場合、代わりの人がいないので休めない。指導、レコーディング、撮影など、他の人にお願いって出来ない部分が大きかったりするので「絶対明日の仕事は休めない!」っていう時私は、病気の存在を、認めない(笑)かなりなんとかなります。しかしそうはいいながら事前に万全のことはする。一番はあたたかくして早めに寝るってことでしょうか。認めないと言いつつ万全を期す。ある意味矛盾しています。しかしこれが大事でもあるわけ。認めないねって言って、遅くまで酒カッ食らっていたらより症状が重くなる。認めないね、という言葉は言い換えると「負けないね」俺はお前(病気)なんかに負けないね。でもなめてるわけじゃない、必死に勝とうとするからできることはしておく。病気で休みがちな人、というのはどこかで舐めてるというか、負けちゃってもしょうがないだって病気なんだしだから悪いのは私じゃないっぽいこといいます。負けても言い訳すれば済むというか済むと思っているだけなんでしょうけど。なんとかする、絶対負けない、そういう気力。病は気から。やっぱ、人間 「気持ちいっこ」 じゃないでしょうか。脱力発声練習
2009年01月24日
歌を習ってうまくなる人は上手くならない人と意外で決定的に違う面があるのだ、ということに今更にして気がついた。一生懸命頑張る、練習をする、しない、もともとの音楽的経験やセンス、才能そういったものも大事ではあるけれど違う。以前からなにか大事なものがあるとうすうす感じていたけれどそれがなんなのか、ようやくわかった。上手くなる人は増やす、ならない人は減らす。投資と同じ。同じ練習方法にしても上手くなる人は一つのキッカケをどんどん増やして応用してと発展出来るけれど上手くならない人は自分勝手に、またはやりやすいように内容を変えたり3回やるところを1回にしたりもしくはやってはいけないことを頑張りたくて付け加えたりなど元々持っている効果を減らしてしまう。何故だろう。それは一見、何も関係がないように思われるだろうが歌が上手くなるにのも大切なのは結局、「奉仕の精神」多くの人は少ない努力で多くの結果を望む、だから失うものは損と考える。損は少ない方がいい。レッスン費も安く、交通費も移動時間も負担はとにかく少なく少なく。自分がやらなければいけないこともとにかく少なく少なく。逆にやりたいことは止められてもやってしまう。奉仕の精神。人を喜ばせるために無償で行う。だからこれが出来る人だけが拍手をもらえる。独りよがりな遊びしかしたくない人には決して出来ない。多くの人は宝くじを買えば自分が当ると思い、歌えば喜ばれる、なにかをすれば成功するはずだと勝手に思う。ではなく成功する人は「どうすればいいか」を考えられる。出来ない、だからあきらめる、そして文句を言う、ではなく何度失敗しても、この次にどうすればいいかを考えればやるほどレベルは上がる。結局はあきらめる人とあきらめない人の違い、なのかな。依存心、依頼心も誰かにやって欲しいという甘えと同様、自分では出来ないとあきらめているからなのかも知れない。あきらめているか、いないか。独りよがりの遊びと、奉仕の精神。与えよ、さらば与えられん、とかいう言葉があるけど結構、真実だと思う。脱力発声練習
2009年01月24日
寿です。>先生舞台の下見、レッスン、ありがとうございました。>参加されたみなさんお疲れ様でした。今回は、午前中は舞台の下見、午後はレッスンでDVD作成のための撮影をしました。初めて見る会場は、最初、思っていたより小さく感じました。実際に、音楽や照明の中、舞台や客席でいろいろやっているうちに、自分の足りなさ、小ささを感じました。すると会場が大きく感じられて、緊張してきました。今、この経験ができてよかったです。どうもありがとうございます。ピンマイクをつけてひとりづつ声を出したとき、相手に届けるように言われましたが、くぐもった声のまま、うまくできませんでした。レッスン会場に移動してから、発表会と自分たちが目指す舞台の違いについてお話がありました。どちらも一所懸命やるのだけれど、発表会は自分視点での「ここまでやった」、他方は、お客さん視点で満足してもらえるものを実現しようとする。舞台で声を出したとき、自分視点だったと思いました。自分は、ちゃんと声を出そうとしようとするまでで、相手に届ける、届くということのイメージがあいまいでした。何をしたら、相手に何が届くのか。何を届けたいから、どうするのか。先生は撮影にあたり、ものすごく入念な準備をされていました。それでも満足のいくものを撮るのは簡単ではありませんでした。お客さん視点で臨むというのは半端や妥協はだめなんだと感じました。技の撮影をやらせていただいたとき、バランスが悪くて使えない映像をとってしまい、再撮影になりました。申し訳ありません。その映像が何を届けるためのものか、この映像でよいのか、はじめに先生に確認しなかったのが失敗と思いました。さらに、普段から捨て目である、合気道のDVDの映像などを見ているはずなのに自分の中に残っていないとご指摘いただきました。普段から「見せる」意識で見ることを心がけます。今回、感じたのは、関心をもつことの大切さです。円堂さんは、自分がやる場合を考えて、先生のビデオ操作をみて、自分でできるようにしたそうです。また、撮影を進める中で、ひとりひとりの行動ひとつがよくも悪しくも全体に影響することを知りました。自分のやるべきこと、人がやっていること、周りの状況、全てヒトゴトではない、ひとつらなりのことでした。なにかの役にたつとか、相手になにかを届けるとか、相手や周りに関心をもたなければ始まらないです。最後、鍵を預かっていたのに、すっかり忘れてヒトゴトになっていました。関心をもつ。関わるときは責任をもつ。これを意識していきます。脱力発声練習
2009年01月20日
上手くならない人、というのは基本的に 変化しない人。今のままでいたい人、変わるのが怖い人、なんでもいいけど変化に希望を持てない人と言えるかも。でこういう人の共通点は言われたことをしない。してる、という人もいる、だけどこういう人はいつの間にか自分のやりやすい、またはやりたい方法に変えてしまっている。それを我流と呼ぶ。言われたことをしない。それは従うことができない。自分が俺が、私が、こういうくっだらない自己主張をする人の「個性」「らしさ」とは単なるクセでしかない。でそのくせはつい出るし、やりやすいし気持ちいいしだから変えたくもないのでつまりはわたしらしさ中毒って感じで、それはいいでしょうけどようは、何も変わらずにただ年をとる、と。さてHOVにおいての最大の問題は何かと言うとメニューが多すぎることだと思う。合気や空手、柔道の基本の型、呼吸法、発声法、体操にしたってもんの凄いバージョン数があるわけで。で一つにしぼるとしたら何が残るか。その答えは人見とまなが持っているかも知れない。最近彼女たちに会うたびしているほぐしがあります。一回2.3分だと思うけど以前より、背中がものすごくきれいになった。背中の歪み、脊髄のねじれも見ただけで、以前と違い、かんなりまっすぐになっているのがわかる。なので腰の調子もすこぶるいいらしい。だがこの動作は一人だとちょっとやりにくい。これをなんとか自分1人で出来るように形にしたいなと。わかる人に言うならば、7つのストレッチのうちの4番の応用なんですけどね。でもな、どんだけいいもの、簡単に出来るもの作っても言われたことをやらない人には効果は出るわけ、ないんですよね。脱力発声練習
2009年01月20日
今までいろんな会員さんがいました。その中で私が本気で怒る人というのは滅多にいません。私からするとこの人は怒る価値があると思わなければ怒らない。怒るというのはある意味ケンカです。かかってこいや!と言ってるのと同じです。そして普通のケンカと違うのは嫌いな人には怒らない。怒る価値が無い人には決して怒らない。私が怒る瞬間というのは 竿頭進歩その人が今のその人の世界の限界に立った時、『百尺竿頭一歩を進めよ』と言う意味で怒る。つまりは、飛べ と。自分の知らない世界に飛び出したい、その意識と覚悟がある人ででもその一歩が怖くて踏み出せないとき背中の一押しとして怒る。だからその場にまだ立っていない、立とうという気がない時には決して怒ることはしません。今のままじゃにっちもさっちもいかんな、このままじゃダメなんだ、そう思えた人だけが飛ぶ資格を持った、と言えるでしょう。そうは言っても飛ぶのは怖い、どうなるかもわからん、落ちて死ぬかも知れん、しかし、でも後に道はない、飛びたい、飛ぶしか無い、でも怖い、その時私は飛べ、と大声で怒鳴る。それでも無理矢理背中を押すことは出来ない、大事なのは自分の足でジャンプすることですから。どれほど私が追い込んだとしても、私が背中を突いて押してしまったらそれは、飛んだことにはならなくなってしまう。さらに言えばその人が飛んだ時に、全責任を取れる覚悟が私に無い時も、怒れない。飛んだ、そしてどうなったか、そのことを全て請け負う気持ちが無ければ決して出来ない。だから結局こういうのは、互いの信頼関係であり広くには愛情の一つだと言えるでしょう。愛することをしない人は愛されない。してもらいたいだけの人は、愛されることは無い。金も時間も使わない、努力も練習もせず得たいだけの人は奪う。でもどれほど泥棒が上手くなっても、歓迎されることはあり得ない。ましてや、拍手されることなどあり得ないのです。脱力発声練習
2009年01月20日
失敗を繰り返す人というのはどこかで甘い。自分に甘い。一つには、とても安易に回答を自分で作ってしまう、というのがある。このくらいでいいよね、こんなものだろう、大体こんな感じで十分でしょ、みたいな。私は人に怒られるのもイヤだし投資が失敗するのもいやだからさらには基本的にビビリなもんですから必要ならメモるし、準備の資料も作るし段取りも怠らない。それが、どういうわけか、こんなもんでしょ、大丈夫だよ、なんとなくと考える人がまれにいてで、そういう人は言われたこともしない、できない、でお前いるだけ邪魔、ってなる。こういう人は結局何度も同じこと繰り返す。甘えているからだ。職がない、といいつつ求人を見て給料が安いとか場所が遠いとか制作やりたいので営業はイヤだとか、余裕あるよね~、という人も多い。必死になったらなりふり構わず売り込むだろうよ。専門学校の講師のころ、学生に仕事まわした時もそうだけど「あに、てめー贅沢言ってんだよ」というようなことをのうのうと言う人がいた、それも結構いた。「TV-CMの音楽の仕事ください、30秒と15秒作ればいいんでしょ?」って、あのなぁ(笑)同じ失敗を繰り返す、いつまでも結局変わらない、というのはつまりはなにかあったとき、責任を取れない。悪いのは、相手であり会社であり、世間であり、とにかく、自分に責任はない、と考える人。また責任取らない人は、誤摩化す。ずるいからもう何も頼めない。認知行動療法を取り入れた演技では共働作業と共感がとても重要で一緒に仕事を分担し、ともに喜びを感じる、という設定で各自がそれぞれの適切さ、をまなぶ。絶対に正しい人もいないように絶対に悪い人もいない。しかし、適切かどうか、というのはあって撮影する際の「はい、本番!」ってなってるのに俺関係ねー、とべらべら私語してたりするのは適切ではない。依存心も問題だけれども、相手を尊重しないというのもかなり問題。自分さえ良ければいい、と思っているわけではなかったとしても自分にしか関心がない、相手のことに全く興味がない、というのは随所で適切さに欠ける。相手を固く緊張させたり不愉快にする人というのはどこかで、相手の価値を下げよう下げようとしてしまう。モテたい人は、自分の価値をあげようあげようとするけれどモテる人は、相手の価値を上げることができる、だからモテる。私がこれまでなんとか10年、アルバイトもせずに自分の教室だけでやってこれたのは生徒の価値をあげることを必死でやってきたからだと自分では思ってます。自分に甘い人は相手に自分の価値をあげてもらうことを考えるか無意識でも相手の価値を下げることを考えるけれどそれじゃあ、幸運の女神にはモテない。私はつい先日、多くの会員が見ている中でまた「信じられないくらい運がよい」ことを体験した。自分の運の強さにまじで鳥肌たった。運がよい人には風が吹く。これは本当。そのためには、まず必死で取り組むこと。なりふりかまわず、それにどっぷり浸かって泥かぶって転げ回ること。自分に甘く余裕ぶっこいて文句たらたら言う奴に運命の女神は、けっこう厳しいと思うよね。脱力発声練習
2009年01月20日
まず最初に。夢は買うものだ。多くの人が誰かにプレゼントしてもらうことを文字とおり夢見ている。あほうだ。夢は買うもの。つまり誰でも買える。もらいたい人は叶えてもらえないこともあるけれど買えるものだとすれば、必要な金額自分が用意し支払えば、手に入るのだと言う希望になる。夢は買うもの。それもなるべく前払い、せめて現金、ツケは効かない。だいぶ以前出していたメルマガでボイストレーニングに対するあなたの希望を教えてください、と尋ねたところ圧倒的に多かったのが「とにかく安く」これには呆然とした。もちろん安い方がいいけれど値段と効果は比例する。私は良いものが欲しいなら高価でも買うが無駄は嫌い。だから高価だろうが安価だろうが実は値段よりも使い方も大きなポイントではないだろうか。ミュージカル用にすでに50万以上は使っている。これも投資。無駄になるか夢を変えるかはまだわからない。金かけた分、どうやって取り戻すか本気で取り組まないとただ、無駄に使っただけで終わるでしょう。その辺も、ただのお遊びの学芸会なのか、楽しみたいだけの「消費」なのか生産性のある創造、つまり クリエイティブなのかが別れるとこじゃないのかな。物事に成功する人で依存心、依頼心は限りなく少ない。成功とは創造で生産であり奉仕。してもらいたいだけの人が成功するわけがない。成功とは必要で的確な支払いがあってこそ訪れる。夢と成功は、買える。ただしどこで売っているか、が難しいのだけれども。脱力発声練習
2009年01月20日
人生は舞台人生はあなたが主役の映画誰でも一つは自分の人生で名作が書けるそんなセリフがあるけれど嘘だ。絶対、嘘だね。本当の舞台に上がってみると全然想像と違う。一度でも舞台に上がったことがある人ならわかると思う。毎日が舞台、自分が主役、それはありだと思うけれど本当の舞台に上がったことがない人は絶対わからないことがある。実際に経験してみないとわからないことがある。今の会員はそれを経験し始めて学びをしている。実際に舞台に上がり、そこから見える景色を見、本当に商品として使う映像の撮影を体験してただ居間で視聴者として見ている限り絶対見えない、カメラの奥、内側を今見始めている。学芸会や発表会しか出来ない、やりたくない人には決して見ることがない、内側。テレビでいくらまじまじと出演者を見ても出演する側が見ている カメラ そのスタジオの空気などは絶対感じ取ることは出来ない。それは自分の顔を決して見ることは出来ないのと同じ。鏡は逆だし映像は、必ず機材や特に、撮影した人のフィルターが必ず入る。自分の素顔、一番さらしているはずの、一生さらけだしつづけるはずの自分の顔を自分で見ることは決して出来ない。本当の舞台に立つというのはそんな感じ。自分でああだこうだ、と考え創り上げたものではなく決して自分では省みることの出来ない 素顔を大勢の人の前にさらけだす。怖い、普通に当たり前に怖い。怖くないという方がおかしい。まれに怖くないという人がいる。これが自己偏愛でありナルシスト。極端に都合の良い考え方と見方しか出来ない人たち。これはもう、論外。こういう人は、たった10秒の撮影に何時間もかかる苦労を頭ではわかっても、理解出来ない。いやになる。しかしいやになるじゃないんだよ、そういうものだし成功はその先にしかない。その現実を目の前にした時、ナルちゃんは逃げる。逃げればいい、合ってないんだから。視聴者でありリスナーであればいい。私たちは今、出演者になるための体験、経験を積み重ねようとしている。そのためには、やりたい、やりたくない なんて関係ない。実際、今、私が中心に撮影されているが私はこれが一番、苦手でイヤだ。実を言えば大嫌いである。私は基本的にスタッフの方が性に合っているので写真を撮られることすらほんとは嫌い。しかし、私が率先してバカズラさらしてカメラに向かって話しかけなければいけない、あとに続く会員のために。私自身が主役になる。その過程を見て、今度は会員が主役になる。そうして全員が出演者になるために必要なこと。それを今皆必死で行っている。うちは本当にバカの集まりだ。別にミュージカルで成功しなくたって誰も文句は言わない。学芸会だって別にいいはず、なのになんでここまで時間使って金かけて、やるんだろう?人生という舞台を言葉だけでなく本当の舞台にしたいから、か?つまりは 真剣に生きる ということなのか。今は見学も新規参加も断って、ただただ現会員のトレーニング。この先に一体何があるんだろう。不思議なことに、不安は全くない。やらなきゃいけないことがありすぎるだけなのかも知れないが。脱力発声練習
2009年01月20日
人見です。>先生ホールの下見および、レッスンありがとうございました。>みなさんお疲れ様でした。ホールでは、先生から何でもいいから話せと言われたのに何にも言えませんでした。妙に構えて、かっこつけてしまいました。また、身体を固め全く胸郭が緩められず、首を詰めてしまって発声が出来ませんでした。もっと自分の身体を緩められるようにそして、自分をさらけ出せるようにしていく必要があります。他の方は響きがある声が出ていたり、役になって台詞を言っていたり...役についてもしっかりイメージされているのだと感じました。見習いたいと思います。今回、照明を当てて頂きましたが、あまりにもまぶしくて驚きました。全く周りが見えない...こういった状況で客席に向かうこともあるんだと思います。向かっていく気持ちが大切だと思いました。DVDの撮影では、まず、先生が詳細な絵コンテを用意されていてここまで準備する必要があるんだと感じました。そして、それでも「舐めていた」とおっしゃった先生私たちに対して「舐めてる」というのは当然だと感じました。ここまでの準備を必要だということすら気づいていませんでした。参考にしたいと思います。撮影では、目線や台詞にカメラワーク...色んなことを気にする必要があるのだと思いました。カメラの前に座って話す・動く見てるときには一瞬のことなのに映像を作るときは色んなことを気にして時間をかけないと普通に撮れない。ちょっとでも目線が泳いだら髪の毛をかきあげたらそれだけで不自然な映像になってしまいます。先日のホームのイベントで、間奏の時に時間をもてあましたのを思い出しました。ミュージカルでもそういった事をする必要が出てくると思います。今回の経験をいかしてイメージしていきます。また、撮影中に周りの人の動きも映されている人に影響を与えるということに気づいていませんでした。一緒に作品を作るという意識が足りていなかったんだと思います。申し訳ありません。次回、そういったことが無いようにします。今回、2度手間な作業があったり、他の人の作業をフォローできなかった部分がありました。他の人の作業状況を把握する。他の人の担当作業の方法も把握する。(見て覚える)といった事を心がけて、次回はもっとスムーズに出来るようにしていきたいと思います。脱力発声練習
2009年01月19日
こんばんは。Reiです。1/17のグリーンスタジオ経験、レッスン有難うございました。参加された皆様、お疲れ様でした。有難うございました。今回初めて実際に使う舞台を見学しました。以前サークルで行ったミュージカルでは、グリーンスタジオよりも広い会場を経験している筈なのに「パワーがない」とご指摘を受けました。客席が舞台より近い印象でしたが、最初見た時に「想像していたより狭い」と感じたにも関わらず、そうなってしまったのはなぜだったのだろうと考えました。後で先生から「自分視点になっている」と注意を受けたことと合わせて考えると私は「喉に負担のかからない発声をする」という自分のことばかり気になってしまい、客席の一番後ろまで届かせるという視点が足りていなかったのだと思いました。それが先生の言う「気持ちが吹っ切れていない」ということなのかなと思いました。円堂さんの発声は拡がりがあって、聞いていてもいっぱいいっぱいな印象を全然受けませんでした。私は大きい声を出そうとすると、喉がいっぱいいっぱいになってしまい喉を楽にしようとすると弱い声になってしまう、と段々悪循環に陥ってしまい余計に「吹っ切れて」声を出すことが出来なくなってしまいました。これには発声できる体が出来ていないということも、もちろんあると思いますがそれ以外にも自分の発声の仕方のどこが問題なのかを、一から洗い直していきます。脱力発声練習市川文化会館ではDVD製作に携わりましたが、ほんの数分の映像を撮るのもとても容易ではないと痛感しました。実際にカメラに向かってしゃべる先生が、いかにしゃべることに専念出来るようにするかということを、その場にいる全員が常に考えながら、行動しなければいけないのだと感じました。今回私は、自分から頭を回転させて動かなければいけない場面がいくつもありましたが、結局指示されてからでないと動けませんでした。「こうした方がいいのかな」と何となく思っていても、上手く行動に出すことが出来ず、ここでも「吹っ切れなかった」ことが現れてしまっていたと思います。また、4人でツボを押す映像を撮る時や、先生から何か言われて返事をし損ねてしまったりと、緊張感を保てず素に戻ってしまうことが度々あると今回痛感しました。今まで自分が「集中力が足りない」と思ったことはなかったのですが今回のレッスンで「ダラけている時と普通にしている時は映像だと同じに見える」という話を伺い、私は今までただ普通の状態で長くいたことはあっても緊張感を保って長くいたことは、あまりなかったと思いました。常日頃の生活の中から、もっと緊張感を保つというのを意識していきます。
2009年01月19日
まなです。>先生舞台下見およびレッスン、ありがとうございました。>みなさんお疲れ様でした。今回は、午前中に舞台の下見を前回見たときよりも、舞台を広い状態に設置してもらっていたはずなのに、大きさが同じくらいに思えました。先生が、1回目と2回目だと印象が違うといってましたが、やはり、最初に見たときのほうが大きく感じたのかもしれません。今回、照明の確認があったので、照明があたったときと照明がないときとの違いに驚きました。事前にどんなに練習しても、照明が当たって、音響もかなり大きくなるんだというのは、練習ではないですし、たとえ舞台を借りて練習しても、本番はさらにお客さんが入る。...本当に、もっともっとレベルを上げること、そして、今回見た舞台で演じるんだということをイメージしながら、練習をしていかないといけない、舞台をなめていたと痛感しました。ピンマイクをつけて、なにかしゃべってといわれたときに、なにか、台詞らしいことを言わなきゃと思ってしまい、全然、しゃべれませんでした。気持ちの中に、とりつくろう、かっこつける気持ちがあったのだと思います。この前、先生にさらけ出すことの大切さを教わったばかりなのに、また、戻ってしまってました。もっと、さらけ出せるようにしていきます。発表会と私達が目指している舞台の違いの話を伺って、発表会は、自分視点でどれだけ出来たか...を考えればいいけど、目指す舞台は、お客さんの視線で満足できるものを作ろうとしていることが違うというような話を伺って、私が、楽しいと思うものと思わないものの違いパッといわれたようで、すごい、納得しました。レッスンでは、DVDの撮影を行いました。今回、改めて映像にしてしまうと、実際に見ていると違ってしまうのだと驚きました。実際に見たときに感じる、立体感とか気持ちが全然映らない。先生が以前、「すごい大変な思いをしてやって、やっと見ている人には普通に見える」とおっしゃっていましたが、その感覚を実感しました。みんな、初めての経験で何をどうやったらいいか手探りだったのですが、ちょっと、自分にやれそうなところがあっても、カメラの操作が不安だから...などと思ってしまい、わかる人に回してしまったりしてしまいました。他の人が担当と決まっていても、担当以外がやってしまったほうが早いこともあったので、自分の担当じゃないからと言うのではなく、ちゃんと、他の人が何をやっているかも含め、見ていて、自分がやるべきことを的確に判断して、やっていけるようにしていきます。脱力発声練習
2009年01月19日
自分が直接出たり撮ったりするわけではないけど、流れを意識して常に先を予測して次の事態、次の事態に備えておく。これは実は結構高度で、しかしその分他の場面にも役立つことではないかと感じました。今度自分がそういう立場になる機会があったら、集中して取り組んでみたいと思います。撮影面に関して言うと、「3,2,1,キュー」といったカウントの大事さや、のりしろの大事さ、繋がりの大事さ、そして編集の時のためのシーンやテイク数を画面に出しておく必要性を強く感じました。また、監督の欲しい画面と撮影者の撮る画面がずれるということも起こりうるのだと分かりました。これは後から出演した時に先生が「あなた達は細かく指示すればきちんとやってくれるのだね」ということを仰いましたが、それと原因は同じなのだろうなと思いました。きっと、監督(先生)と視点の高さが違うので、監督の意図を自然に汲み取るレベルにまでまだ達することができていないのだと思います。また、映像制作には大勢のスタッフが関わるのでなるべく少ないテイクで成功させようという出演者の緊張、出演者が集中できるように余計なことをしなかったり、出演者に気持ちよく演じてもらえるようにというスタッフの気遣いなどを今回の撮影を通じて想像することができました。出演面で言うと、体調が優れないために床に転がれず、また深くしゃがむことができず、樹之下さんのリアルな演技に比べるとまだまだだな、と感じました。こういう面でも体調管理は本当に影響してきますね。また、普段捨て目を使いすぎているというお話もありました。なるべくふと見過ごしてしまうような所でも、演技という目的に添って意識的に見ていくようにします。進行面でいうと、基本的には先生が進めていかれ、私は漏れているシーンがないか、撮影時間は足りるか、テープは足りるか、などアシスタント的な役割を務めました。役割を与えられるということはとても名誉でありがたいことです。が、同時にプレッシャーもかかります。今回は何とか自分の役割を過不足なく務めたいと思い、久しぶりに人の目を気にする意識なく100%仕事に集中して取り組みました。時間も長く、集中し続けるのは大変ですが、心地よい充実感もとてもありました。また、「皆で作り上げる」という感じが、ある種ミュージカルのためのトレーニングにもなるのかな、と思いました。それからこれは普段のレッスンでも同じですが、返事やレスポンスなどをポン!と返す、簡単なようでいて中々難しいですね。この間の人見さんの、先生の手刀に対してチョキで返すような、あんな返しが(行動でも言葉でも)できるようになりたいので、ポン!というレスポンスを意識していきます。学芸会的な自己満足になってはいけない、舐めてはいけないという思いはもちろんあるのですが、元々映像制作に憧れていた時期もあったので、今回の経験は初めて実際の作品としての映像作りに参加できて、私としてはとても嬉しく楽しかったです。「これは良いよ!」と自信を持って人に紹介できるようなDVDとなるように、自分にできることは惜しみなく力を出していきたいと思いました。17日は、グリーンスタジオ、DVD撮影、共にとても良い経験ができました。先生、本当にありがとうございました。今後もチャンスを与えていただけたらそのチャンスを活かすことでお礼とできるように、またそのためにも自分にできる協力はどんどんしていきたいと思います。■事前、事後のこと17日の数日前から体調を崩してしまいましたが、何とか参加できるように体調を戻せて良かったです。崩しかけで止めるにはまだ思い込みの力が足りませんでしたが、今後はまず体調管理の徹底、そして気合いで体調維持できる気力を身につけていきたいと思います。先生にお話する機会がありましたが、奉仕することに対して無意識の拒絶があったのかもしれません。ですがこれまでにそういったお話を先生から伺っていたおかげで、今回もそうかもしれないと思い、全力で回復に努めました。逆説的ですが、抵抗があるということは自分が変化する方向に動いているということでもあると思うので、抵抗に負けずに進んでいきたいと思います。また、17日の確認事項の取りまとめを任されていたのですがまとめきれず取り散らかったままの情報を出すことになってしまいました。帰り道に先生から教えて頂いたように、質問と確認を適切にできるように、それから自分の書いたものを客観的に推敲できるようにしていきます。取りまとめに関して言うと、体調が悪く挫折しそうになる中気合いで(とっちらかっていましたが)まとめて、しかしその内容にダメ出しされ、メールでも厳しいお言葉を頂きかなりへこんでいましたが、自分がダメと指摘されている所はよく納得できるので、きつかったですが、正面から受け止めることができました。(MLでReiさんから言って頂いた一言には気持ち的にかなり救われました。 Reiさん、ありがとうございました。)今回先生からメールで叱咤激励されなければ、そういうつもりはありませんでしたが、もしかしたら、当日に休んでしまっていた可能性もあるのかもしれません。でも出ることによって得るものはとても大きかったですし、思ったより役に立つこともできたと思います。また、帰り道の最中に先生とお話させて頂いていて変わることはできる、より良くなることはできる、そのための方法(身につけるべきもの)がある、良い結果を望むなら先にそのためのものを身につける必要があるといったことを学ばせて頂きました。「望む自分に変わることはできる」これを実感を持って感じることができたのも大きな収穫でした。HOVについて、先生について、改めて、最終的に良くなるように、ダメな所はきちんとダメと言って頂けるのはとてもありがたいことだと思いました。またそれは同時に、隠れている良い所を出せるようにしてくれることにも繋がると感じています。良い指導者と良い仲間と良い経験をしてより良い自分になっていく。ミュージカルとの関わりに悩んだり、HOVを辞めようか悩んだりしたことも何度かありましたが、中途半端に投げ出さずに良かったと思っています。これからも、ミュージカル成功に向け、全力で向かっていきます!長文になってしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。脱力発声練習
2009年01月19日
先生、昨日のグリーンスタジオ下見とレッスン(DVD撮影)ありがとうございました。参加された皆さん、本当にお疲れ様でした。17日は、午前中のグリーンスタジオ下見と、午後のDVD撮影とを皆で行いました。まず午前のグリーンスタジオですが、私はステージから客席を見たり客席の色々な場所からステージを見たりといったことが初めてだったのですが、とても参考になることばかりでした。先生、参加の機会を頂きありがとうございました。最初にステージに入った時、思っていたより全体が狭いと感じました。(多分これは、心が遠視、想像力不足といった私の癖が出て、舐めてかかってしまいそうに なっていたのかもしれません)ですがその後、会員で色々タスクをこなしている中で、この座席一つ一つに人がいたら、と考えながら客席方向を見たり、また逆に座席から他の会員の人達を見て、「こんな風に見られるんだな」と考えたりしている内にじわじわと怖さを実感してきました。そしてその後、先生が色々音響の確認をされている中で如何に声が聞き取りずらいか、音楽の中でも通る声を出すことが如何に大変か、なども実感し、甘く見て中途半端なら、舐めていたら、ぜっっっっっっったいに勝てない!!と強く感じました。この実感を得れたことが、一番大きな収穫だったと思います。他にも、ピンスポットが当たった状態では目がくらみそうになってしまうこと、その状態でもやはり客席に対する意識だけは残るであろうこと、ピンマイクの使い方、その他確認事項諸々の確認結果などを、知識・体験として知ることができたのはとても意味のあることだったと思います。また、直前に先生から、「緊張してテキパキとやることをやらないとあっという間に時間が過ぎる」という注意を受けましたが、本当に時間はあっという間に過ぎるというのを、この間のホームのイベントでも実感したはずでしたが、改めて思い知りました。ステージ幅の確認、足音の確認などでは、自然に人見さんに全体指示を出して頂く形になり必要な確認をスッとできたのではないかと思います。人見さん、ありがとうございました。後のプチ反省会でも意見が出てきましたが、一人一人順番に確認する時には後がつかえないようにという意識を持って臨むことも大事だ、ということが再認識できたのも収穫の一つではないかと思います。後半は先生の指示の元、音楽がかかった中で、一列で走ってステージに入場したり、ステージ上で踊ったり声を出したり、歌声を出したり、マイクの種類による音の入り具合の確認をしたりしました。ピンマイクの確認では、声を張り上げずに普通の声で、と先生からの注意がありましたが、最初はつい声を張り上げてしまっているように聞こえる方が多かったので、本番をピンマイクでやることになったら適度な声の大きさを練習する必要があると感じました。ステージ上でばらけて自由に動いたり声を出したりする時には、最初は遠慮がちに動いたり声を出したりしていましたが、せっかくの機会に遠慮していて後悔したらもったいないと思い、恥ずかしさを捨てて動いたり声を出したりしました。最初よりは大分声が出て動きも大きくなったと思いますが、それでも、まだまだ、とご指摘を受けたので、本当に自分の全ての力を出して全てをさらけ出すつもりで声出し、動き(主に声出し)をしました。ここで一つ自分の中で新たな発見というか、全部を出し切る!という新しい感覚を体験することができました。体調が万全ではなかったこともあり途中少し息を整えるための時間などもありましたが、声を出している間はその時の100%を出し切りました。これは本当に貴重な経験ができたと思っています。全てを出し切る感覚、日常ではなかなか経験できるものではありませんし、これからの私自身に良い影響を与えてくれるだろうという直観があります。ラテン調の曲に合わせてステップを踏む、ということも行いました。これは本番の舞台に比べたら比較にならないほど短い時間ですが、それでも「楽しく見えるように」という意識で動き続けたところ、汗はダラダラで息は上がって、本当に疲れました。舞台を通して演じる、特に出ずっぱりのソの場合には、本当に体力を付けておくことが必要だと痛感しました。きちんと演じ通すということもそうですが、何かハプニングが起きた時に疲れ果てて余裕がなくなっていたら、機転を利かせて対応することも難しそうだと感じました。最後にステージに向かって声を出した時、響く声だと言って頂きました。(二回目は褒められたことを意識してしまい力が入ってしまいました。 この、褒められると意識してしまうのも早めに直さないと舞台に影響してしまう と思いました。)先生から(半分冗談で?)体調的にお腹に力が入らないことが良い結果に繋がったのではないか、と仰っていただきました。またレッスン会場への移動中にも少しお話をさせて頂き、その時に、先生も腰を痛めた時に腰に負担をかけない声の出し方をマスターしたというお話を伺いました。体調管理はこれからの緊急かつ重大な課題ですが、どんな時にもそこに成長の種を見つけ、自分の目的に近づいていく、そんな態度で常に自分に力を付けていくことは可能なのだ、そうなろう、と思いました。またこれまで、自主練習の成果があまりレッスンに出てこなかったのですが、ようやくそれがお腹に力が入らないというきっかけで出てきたという面もあるのかもしれません。諦めずに続けることは大切ですね。前半の各自の確認の時に白いシーツの確認を忘れていて、最後先生が用意してくださっていた予備時間で何とか確認することができました。先生、最後の確認の時間を設けてくださってありがとうございました。後半に入ってすぐに確認を忘れたことに気が付きましたが、慌てて確認しようとせずタイミングを待ったのが良い結果になりました。(先生の会員を使った確認の邪魔にならなかった、白シーツの確認はできた)確認を忘れていたことは自分のミスで、これは良くないことです。ただ、この出来事から、ミスした時も慌てて挽回しようとするのでなく流れを途切れさせない方法を考え対処することも大事なのだということを学べました。まとめると、次のようなことを感じ、学びました。・舞台を舐めないこと・前もって色々想像・準備しておきできる対策・練習はどんどん自発的にやっていくこと・びびらず挑みかかるつもりでいくこと (お客さんが入ったら本当に緊張するはず。のまれてびびったらすぐに頭が真っ白になる)・客席に届けるんだ!という意識を持つ(先生からまだ足りないとご指摘を受けました)・見られている、どう見えているか、という意識を持つ・時間はすぐに経つ。事前にやることを整理・計画してテキパキとやることをやる・ミスを挽回しようと焦らず、流れを読み対処するグリーンスタジオの確認が終わると、15分前に買い出しに抜けた樹之下さんとコンビニで合流してからレッスン会場に移動しました。会場についてから皆でおにぎりを食べましたが、おにぎりが予定数より足りないという事態が起きました。この出来事から、指示の正確な入力の大事さを勉強させて頂きました。(本番になってから意識していては遅いので、この段階で実例をもってこのことを 勉強できたのは結果的にはとても良かったと思います。)また、その出来事がきっかけとなり、発表会と我々が目指す舞台との違い、というお話を伺うことができました。 発表会は目標地点が低く「これぐらいでいいんじゃない」となる。喜んでもらえる舞台は 目標地点に向けて自らを学習・変化させていく。そして、自分の中で完結した努力ではなく 人に喜んでもらえる方向の努力は、次へ次へと繋がっていく。お話の内容がすっと心に入ってきました。次へと繋がるような努力をしていきたい、と素直に思えました。この日は普段のレッスンとは違い、DVDの撮影を行いました。私は全体進行の補助を任され、また、カメラの扱いに比較的慣れていることから先生が出演されている場面での撮影を担当しました。撮影を通して、実際に撮影を行うというのは見えない所でこんなに色々と大変なことがあるんだなー、と感じました。それから、作品の時間数に対する撮影時間の長さ。今回で言えば一時間の作品に対して撮影時間は約8時間。更にコンテ等の事前準備、編集の時間を合わせれば、作品時間と制作時間は本当に凄い比率だと思います。一つの作品にかかる労力の膨大さ。これをリアルに実感できたのはとても大きかったと思います。(映像以外、例えば水道から水が出ること等への類推もできるようになると思います。)これからは、映画やドラマなど、どんなにつまらないと感じた作品でも、最低限、その労力には敬意を払おうと思いました。照明等のセッティングやカンペ出し一つとってもあんなに大変だとは思いませんでした。特にカンペはゆらゆらすると出演者の人の集中にダイレクトに影響してしまうのだと初めて分かりました。(周囲の人の動きも同じく影響していました。)また、事前の段取りや準備は絶対に怠らない、体に緊張の証が表出してくるぐらい緊張して臨む先生ですら「舐めていた」と仰っていたのがとても印象的でした。(同時に、この段階で自分で「舐めていた」とシビアに判断できるのも 中々できることではない、とも感じました。)また、撮影は団体競技のような側面があり、機材移動時のコード持ちなど、何かをしようとしている時にさっと補助できるような気の廻し方ができることが必要なのだと分かりました。当日にも言う機会を頂きましたが、私達は人数が少ない分大変ですが、その分、気付いた人がどんどんやってしまえるのは利点にもなると思います。(プロの現場ではきっと役割が一人一人かっちり決まっていて能率的なのだと 思いますが、我々は逆に皆の意識と反応速度が高まれば機動力のある動きが できるようになるのではないかと思います。)私はたまたま明確な役割が与えられていたので、ある種ラクだった面があると思います。与えられた自分の仕事に集中すればよかったので。待ち時間が長い中で、集中力を維持し散発的に訪れる自発的な補助が必要な事態にさっと対応するのは中々大変なことなのではないかと感じました。脱力発声練習
2009年01月19日
樹之下です。 先生、昨日のグリーンスタジオでの確認、DVDの撮影協力をさせて頂きありがとうございました! 参加された皆さん、お疲れ様でした。 グリーンスタジオでは、実際に舞台に立たせて頂きました。思っていたより舞台が広く感じました。 舞台から客席を見た時、お客さんが満席でいて、こちらを注目することをちょっと想像したら、動きが止まってしまったり、セリフを間違えたりするミスは本当にできないなと実感しました。 舞台の上で声出したりをさせて頂きましたが、「なんでもいいからしゃっべて」と言われてもすぐにパッと思い浮かばず惑ったりしてました。 誰も客席にいるわけでもないのに、ああいう場所で立ってなにかをするというのはけっこう緊張しました。 前々から言われてましたお客さんに、ケンカを売る度胸と覚悟がいかに必要なのかが伺えました。 DVDの撮影では、トントン拍子で早くいくだろうと思ってましたが実はそう簡単にはいかず、難しいものなんだなと感じました。 セリフの言い方、実際の動き、目線だったりと先生のやってらっしゃる姿を見させて頂き、テレビで見たことある番組撮影の裏側を想像してやはり大変なんだなと実感しました。 何度も取り直しているのを見ていて、ちょっとしたことがミスに繋がりますしすごく緊迫した感じの空気があって、人に見せる作品づくりというのはこんなにも大変なんだなというのも感じました。 自分がいかに状況を把握して、臨機応変に動けることの大事さそのためにも自分に余裕があり、当たり前のことを当たり前に遂行できること、今回携わってまた実感したのと同時に勉強になりました。 貴重なお時間と体験をさせて頂きありがとうございました!脱力発声練習
2009年01月18日
寿です。1月武道系レッスンの感想です。>先生レッスン、ミーティング、ありがとうございました。>参加されたみなさんお疲れ様でした。両手をとっての投げのとき、自分の出来なさを誤魔化しているといわれ、一時はずされました。自分では普通に投げられているつもりでしたが、振り返ってみると、自分から流れにのる、流れをつくる、そういう意識、関わりが希薄でした。以前ご指摘いただいた「おまかせ」だったと思います。今回、はじめて柔道の試合をしました。これは「おまかせ」ではいられない世界です。勝ちたいならば、自分で流れを作らなければならないと実感しました。技をかけようとしても全然練習どおりにはいきません。相手と自分と、それぞれの動きの中でどう関わっていくのかそのとき、そのとき、自分で決めていることがわかりました。これはなにも試合のときだけではなく、「おまかせ」も、自分で決めていることなんだと思いました。レッスンの冒頭で、気持ちのふたつの方向、前向き(積極的)と後向き(消極的)についてお話がありました。自分は後ろ向きとご指摘いただきました。方向を変えるために、まず自分が、今、どちらを選んでいるかを自覚するようにします。脱力発声練習
2009年01月14日
まなです。>先生レッスン、ありがとうございました。>みなさんお疲れ様でした。先生に、体をほぐしていただく機会がありました。ありがとうございました。ほぐしていただいて、体が軽かったので、いつもと同じ動作をしていても、体が軽く、いつもより動いて、不思議でした。この感覚が、当たり前になるようにしていきます。先生から私は言い訳が多いと指摘をされました。自分自身でも、口に出してから、これって言い訳だな…と思うことが多いです。HOVに入る前は、気づいてもいなかったのですが、私自身の会話の癖が、言い訳をするためにテンプレートになっていると思います。ただ、癖を直そうとしていましたが、先生から、気持ちがネガティブの方になっていて、それを、レッスンで先生が一生懸命にひっくり返して、ポジティブにしても、次の時にはネガティブ側に戻っているのが私だと言われました。他の会員は、自分自身でひっくり返そうと言う気持ちがあったり、すでにポジティブ側になっている。という話を聞いて、気持ちの面から直さないと直らないんだと気づきました。ありがとうございました。膝行をみんなでリズムに合わせて行ったとき、我慢が足りないと指摘されました。先生がいうリズムを、自分でもしっかりリズムを作って…と思ってやっていたのですが、体が動きたいタイミングと違っていて、わけがわからなくなっていました。先生に、今ので合っているといわれたときは、リズムというよりも、先生の声に一回一回をあわせているだけ…という状態でした。自分でリズムを…の前にしっかりあわせるということを意識していきます。相手を順番に投げているときに、自分の番でいいのかどうかを確認して、流れを止めてしまいました。違っても、出て行ってしまえば、流れがつながったし、違ったからと止まっても、気持ちがあって、止まったので、流れが悪くならずにすんだと思います。もっと、流れを意識して自分自身でも作れるようにしていきます。柔道の試合を行ったのですが、練習のときとは違う、緊迫した感じ、普段とは全然違う雰囲気になりました。特に、押さえ込みになるとお互いに必死で、この感覚を、他のときでもしっかり持ちたいなと思いました。相手を崩したいからと、行った事が、自分自身を不安定にして、技につながらなかったり、思ったより、相手を崩せなかったりと、自分のイメージ通りになかなかなりませんでした。ホームのイベントでも、イメージ力のなさを感じまいしたが、もっともっと、自分が何ができるかなどを、しっかり、理解した具体的なイメージができるように、今の自分自身と相手とをしっかり観察していきます。脱力発声練習
2009年01月12日
人見です。先生>レッスンありがとうございました。みなさん>レッスンお疲れ様でした。最初に先生より、会員のレッスンの受け取り方についての話がありました。ポジティブに受け取るか、ネガティブに受け取るかネガティブな受け取り方の人は、先生がいくら改善方法を示しても「でも...」と言ってしまって受け取れない。そういった事を、裏返った畳をひっくり返すといった表現でして下さいました。ますは畳がすべて表の状態する。そして、そこがゴールではなく、そこからはじめて教えが受け取れる。スタート地点なのだと言う事を教わりました。常に畳が全て表の状態で、先生の言葉を受け取れるようにしていこうと思います。今回、先生にほぐして頂く機会がありました。ありがとうございます。ほぐして頂いたあとは、肩・背中に滞りがなにも無く、いつもどおり、正座をしてもまったく背筋の感覚が違い驚きました。こういった良い状態を保っていけるようにしていきます。合気道の基本的な技を行う際に、「ちゃんと技がかかる事」を目標に行いました。相手をほぐすと言って遅くなる。「高度な言い訳」との指摘がありました。そういった目標で技をかけると、かける時も受ける時も真剣になり、より技の細かい部分について受け取る物が多い気がしました。そしてお互いに張り詰めた空気の中で、士気があがっているように感じました。レッスンではじめて柔道の試合をしました。みなさん真剣で張り詰めた空気になんだか圧倒されました。実際に自分が試合を行ってみると、練習とは全く違い、想定していた技への流れが全く通じない。試合の中で、組み手ではこう着状態なので、大腰をしようかと考えたのですが、その際に、後ろを向けたら隙ができる。など、今まで考えたことのない事を考えました。目標をもって、戦略を考え、戦略の穴も考えて...そういった事を瞬時に考える必要があるのだと思いました。そして、それはイベントを行うときにもつながる考え方ですよね。そういった事を考えて、柔道をレッスンに取り入れる。先生の発想力には本当に驚くばかりです。柔道の試合の際に、試合をしていない人は声を出して応援するということをしましたが、どういった声をかけてよいかわからず、あまり声が出ませんでした。場を盛り上げるという事も、ミュージカルを行う上で必要な力です。今回の事を踏まえて、場を盛り上げるということを考えていきます。脱力発声練習
2009年01月12日
こんばんは、円堂です。レッスン感想を最後まで書きましたので提出いたします。提出が遅くなり申し訳ありませんでした。----先生、レッスンありがとうございました。参加された皆さん、お疲れ様でした。■やったこと一教表裏(座り)三教表裏(立ち)タイミングを合わせて膝行両手を取られてからの投げ(受け身補助的な形)上記の立ち技前回り受け身一巡、色々な襟取りの形からツボを押して頂く合気上げ柔道技練習(大外、大腰)柔道の試合2009年最初のレッスン、最後に先生が仰られたように、良いスタートが切れたのではないかと思います。最初に精神的態度の話をして頂きました。前向き(PMA)と後ろ向き(NMA)。前者はネガティブな時に自分でひっくり返せる、会員もそうなる必要がある、せめてひっくり返したいという気持ちを持っていないとミュージカル出演は厳しいとのことでした。私は気持ちはある、と言って頂きました。更に進めて自分でひっくり返せるようになっていきます。…と書いていたのですが、熱を出してしまいました。せっかく良いスタートだったのに、何をしているのか、という思いです。風邪を跳ね返せるぐらいに気持ちを強く持つように変えていきます。その後休みながらも「土曜日までには完治させる!」という気持ちを持っていたところ、二日目で何とか熱が引きました。まず気持ちをしっかり持つ、そしてそもそも体調を崩さないようにします。レッスンですが、「流れを途切れさせない」こと、リズム・テンポが大事なのだと改めて教わりました。流れを途切れさせないためには自分の番が来る前から、最初どうで今どうなっているのだから自分の番の時はどうなる、どうなったら交代か、など前もって色々考えている必要があると感じました。これはごく短いスパンですが、イベントの準備にも通じるものがあると思いました。今回またツボ押しをしていただきました。年末年始とツボ押しとストレッチを続けてきたのですが、また固くなってしまっていたようです。(その分先生にして頂いたツボ押しの効果は今回も凄かったです。)前回じっくりほぐして頂いた時、絶対に持続させる、と決意したのですが、まだまだ甘かったです。自分でやる時にツボ押しが緩くなってしまっているのだと思います。しっかりとツボを押して柔軟な体に変えていきます。両手を取られてからの投げ(抜刀阻止されてからの投げ、受け身の補助的な投げ)を皆で順に行いました。大きく投げるようにということでしたが、先生から「気持ちが見える」と言われた時の動きを見ていると、確かに動きの半径というか、ダイナミックさが違って見えました。私も大きく、ということを意識して行いました。「気持ちは見える」と言っていただけたので、気持ちを表に現せているという面は自分ではとても良かったと思います。あとは、一つのことを意識すると別のことが戻ってしまう点を意識して修正していきたいと思います。(後ろ足が残ってしまっていたこと等)今回は柔道の試合を行い、私はもう一人の男性会員である樹之下さんと対戦しました。樹之下さんの方が足技にキレがあり、試合前の掛かり稽古の時に1勝2敗と負け越していたので本番では勝ちたい!と思い攻めていこうと思っていたのですが、崩しが力まかせになってしまい有効な攻めができませんでした。足技で崩していきたかったのですが、自分も不安定になってしまい返し技で倒されるのが怖く、効かない足技を繰り返すことしかできませんでした。タイミングが良くないのと、思い切りが足りないのが原因の一つではないかと思います。他の方の試合の時に声を出し応援しましたが、思い切ったかけ声を出すことが思った以上に難しいことが分かりました。かけ声を出す、ということをこれまで生きてきてほとんどしたことがなかったのですが、何か恥ずかしさのようなものを感じていたからしてこなかったような気がします。ここでも「さらけ出す」ということが問われている気がしました。試合のかけ声も出せないでは舞台に立つことは到底無理だと思います。もっともっと、自分をさらけ出すことに慣れていきます。脱力発声練習
2009年01月12日
樹之下です。先生、昨日の武道系レッスン、ご指導ありがとうございました! 参加された皆さん、お疲れ様でした! ■ご指導頂いた内容 ・そんきょの姿勢で体を上下に揺らす脱力 ・座り一教、表・裏(相手をしっかり制し、ほぐすことを意識) ・立ちの姿勢から三教 ・しっ行(先生の1、2のカウントに合わせて、リズム良く前進) ・立ちの姿勢から前回り受身 ・座りと立ちの姿勢から、相手の手を掴んでの前回り受身 掴まれた時の相手の転がし方 ・大外刈りでの発声練習、大腰と体落としの復習 ・先生のツボ押し ・柔道の試合 ■やってみて思ったこと ・一教では、相手をほぐすという、しっかりした目的意識を 念頭に行いました。裏では、動きにぎこちなさがあり 頭で動きをイメージしていても、転換するときにどうしても まだ引っ張ってしまう感じがあります。 ・三教を初めて教わりました。先生からのポイントで相手の4本指を もち、もう片方の手で相手の手首を外側に極めて、長い棒をイメージし 大きく振り上げるように(また振り下げるように)相手を導く。 とてもわかりやすく教えて頂きました。やっていて楽しさを感じました。 ・前回り受身では、下が畳で躊躇なく回れるのと、多分このおかげか わかりませんが体の柔軟さが戻って、次の日の体の調子が良いことが あります。 (前にも畳で思い切り回れた次の日が調子良かったので) ・柔道の試合は、すごく良かったです。みんなの真剣さと気迫を感じました。 男同士、円堂さんと組みましたがパワーがものすごく強いので 自分もそれに合わせて力一杯行こうと思いましたが、前に先生とまなさんに 思い切り足をぶつけてしまったことがあったので、ちょっと自分は冷静になって 円堂さんの出方を伺いつつ、隙をついてカウンターを狙うような形で挑みました。 結果は引き分けでしたが、軍配は円堂さんに挙がる結果だったと思います。 円堂さんは果敢に攻めて足数も多く、上半身でもしっかり崩そうとしてきて いましたので、道着を着ていたら負けていたと思います。 先生から畳の裏・表の例え話でも、ありましたが自分の根底にあるネガティブさを自分の力で少しでもポジティブにひっくり返していけるように、今年一年どれだけ内面を変えていくことができるか、大事な年でテーマでもあると思います。 貴重なお時間ありがとうございました!脱力発声練習
2009年01月12日
まなです。6日は、ありがとうございました。最初に、体をほぐしていただいたのですが、自分のまっすぐ、と思って立っている状態がまっすぐじゃないと指摘をいただき、短時間で、かなりまっすぐにしていただきました。先生は、何をやれば直せるのかというのがすぐにわかって、一見、動かしたところと関係ないと思えるところまで軽くなるので不思議です。ずっと、体の不調があるのが当たり前の状態が普通だったので、ほぐしてもらった後の、軽さがとても不思議でした。この状態を、忘れずに保てるようにしていきます。ミュージカルで使う予定の舞台を見せていただきましたが、実際の舞台を見て、必要なレベルのイメージが低すぎたことを実感しました。空間が広く、かなり響きがあるので、思ったより大きな声でなくても、聞こえたので、安心したのですが、響くと滑舌が悪く聞こえてしまうこと、響きがあるので、音楽をかけてしまうと、そちらの音にもとても響が出てしまうので、舞台上の相手の声も、聞き取りにくくなってしまいました。思っていた以上に、声が出ないといけないですし、レベルを上げないといけないと実感しました。また、舞台の床がとても硬く、ここで、堂々と受身が取れるようになるには、かなりレベルが必要だと思います。顔に、かなり濃くいろいろと変なメイクをしたのですが、カメラを通すと、大して目立たなかったり、人見さんとの見え方の違いを感じました。舞台用のメイクを考えるときは、自分の目だけで見るだけではだめだと感じました。カメラで写しながら自分を見ていたときに、首やデコルテを意識して…と言われたときに、少しの時間で、ずいぶん見え方が変わりました。ちゃんとイメージをすることの大切さを感じました。直前にほぐしていただいていたので、変化がとても早かったのだと思います。スクリーンテストで、質問を考えていると、姿勢や声の意識がなくなってしまっていました。二つのことを同時にすることの大切さと、姿勢を意識しなくても保てたり、普段から芯のある声で話せていれば、質問への比重が多くても大丈夫だったので、姿勢と声の意識をもっともっと、当たり前な状態にできるまでしていきます。映像を見ることで先生が質問している声と、自分の声とでは質が違うと感じました。たぶん、映像を見たら録音方法が別?と感じるぐらいの差があります。なのに、わざとらしさは私たちのほうがありました。最後、気持ちが思い切れた後のスクリーンテストの前に、先生から「笑っちゃってもいい」と言われて、素直に、笑うタイミングがある質問だったら笑えそうだと思えました。その前に、同じ事を言われても絶対に無理だと思っていたと思うので、何が違うのかな?と思ったのですが、それまで、スクリーンテストと言われて、気づかない間に、自分の中で枠を作ってしまっていて、そのイメージに近づけなきゃ、まとめなきゃと思っていて、無意識にやっていまい、思い切れていなかったのが、そこでやっと自分のイメージが必要ないと、頭ではなく中の方までスッと思えたんだと思います。自分の殻を壊すとか、言葉で言うのは簡単ですが、本当に壊れるというかんたん、その割りに、壊してみると何を守っていたんだ?という感じになれました。本当に、すっごい変化を感じる一日でした。ありがとうございました!脱力発声練習
2009年01月09日
人見です。先日は時間をとって下さり、ありがとうございました。ほぐしの時間を多くとっていただき、背中を中心に重みや滞りが何もないというような状況になり驚きました。私の身体を見て、即座に的確なアプローチをしていく先生は本当にすごいです。1時間半の中で、首から背中、骨盤にかけて非常にさまざまなほぐしをして頂きました。5番のストレッチは、やり方によって腰に効いたり、首に効いたり、肩に効いたり漠然とやっていてはだめですね。目的意識を持って自宅で行っていきます。ありがとうございました。その後、実際にホールに入らせて頂き、まず、思った以上にステージが広く感じました。座席に行ってステージを見てみましたが、動きが小さいと座席からはなにもわからない。ステージを大きく使っていこうと思います。ホールはとても響きますが、そのために、カツゼツがはっきりしないと全くわからないということにも気づきました。先生が声を出していましたが、明瞭さが全く違いました。ホールに響いて、とても心地よい空間が出来ていました。最後に、ホールに音楽を流して頂いた時に、客席に聞こえるだけの伴奏の音を聞いて自分の声では全く足りないことを感じました。今の出し方では、たとえマイクを通しても足りないと思います。ホールに入っただけで、いろいろ思ってみなかったことに気づかされました。実際にミュージカルの準備をしていったらもっと想定外のことがあるのだと思います。それに対処できるような力をつけたいです。ベルホールでの変顔メイクは、派手にメイクしたつもりでも、意外にカメラに写すとそうでもなく、私とまなさんですら同じようなことをしても効果の出方が違うという発見がありました。今後の舞台メイクでも課題になっていくことだと思うのでみんなの骨格の特徴など考えていきます。変顔メイクで色々な課題を提示されましたが、自分じゃないと思うと通常よりも大胆になれました。こういった効果を考えてレッスンを作っていく先生の発想力に驚きました。問題点・目的がはっきりしているからなのだと思います。こういった考え方を参考にしていきます。スクリーンテストで、実際に撮った映像を見て、質問している先生の声は普通に出しているだけなのに心地よい響きがあり、しっかり音が映像に入っています。先生自身は映像にいないのですが、とても存在感がありました。私やまなさんだと、普段友達などと話しているような声で、映像がなければ雑音にしかならないと思います。また、自分の映像を見て自然に話そうと思ってやっているのに、見てみるととても気取っていて気持ち悪くなっていました。また、質問の回答についても世界が狭い、相手がいないことを指摘されました。自分の世界が回答に全て出てしまうのだなと感じました。最後に開き直ることが出来た時、不思議と声が出やすい感じがしました。かかって来い!という余裕や挑む気持ちがあった気がします。気持ちって大切だと感じました。引き出して下さってありがとうございます。この感覚を忘れないようにしていきます。脱力発声練習
2009年01月08日
さきほどちょっと調べものをしていてたまたま見つけた「残り97%の脳の使い方」苫米地 英人 (著) という書籍の宣伝文に目が止まり会員の皆さんにも紹介したのですがこちらでもも紹介したく、引用します。ーーーーーーーーーーーーーアインシュタインは、いいました。「今、あなたがこのレベルに達してきた思考だけでは、 次のレベルに上がることはできない」「今、自分が対面している問題には、 その問題に対面したときの自分のレベルでは 乗り越えることはできない」つまり、今までとはまったく違う考え方をしなければ、今以上の人生を送ることはできないのです!ーーーーーーーーーーーーー私はミュージカルをする! と決めてから最新の音楽ソフトの使い方や画像編集ソフトを覚え結構な金額使って必要なモノを買いまくり現在は脚本に関する勉強をしています。やったことがないことをやるのだから覚える、勉強する、これを当たり前だと思う。知らない、から最初理解出来なくてもこれまでの常識と違ってもただひたすら受け入れる。さんざんいったけど私は器用で物覚えが速く習った先生に必ず驚かれますが習うときは、判断しない、これを当然だと思っているから。私が私が、を「おれおれ」と、よく批判してますけどいらないんです、最初に自分の個性なんて、常識や価値観なんて。出来ない人間が判断すれば、出来ない方に偏るに決まってる。同じことを繰り返すのは考え方が同じだから。私がなにかやろうとしてどんどんレベルを上げられるのは自分で判断しない、をある時期まで貫けるからだと思う。変わりたい変わりたい、という人はそれだけ変わらないから、変わりたいと言う。私はすぐ変わってしまう。その分、わからない時はゲロ吐くくらい悩むけど。意味がわからなくてめまいがする、だから新しい世界に足を踏み入れられる。そういう私から見て、まるで本質が変わらない人は変わりたくないようにしか見えないのですね。これまでのまま、今のままに必死にしがみついている、こわがってばかりで。だから、何十年でも変わらない。変わるということは今の自分を捨てること。脱力発声練習
2009年01月04日
さんたく というお正月番組をご存知か。さんま、キムタクの2大スターが毎年お正月番組として恒例に放送しているのですが今年もあった。いや去年は正直、あれ?今年やる気ねーな的でしたが今年はおもろかった。さて前々から思ってましたがキムタクはなにをやっても画になるよねーって。なんでだろう。役者さんたちも基本的になにをやっても画になる。以前専門学校や事務所のモデルコースで確かに見てくれのスタイルは美しい若い女の子たちにたくさん指導したけれど汚い、実に汚い。仕草や雰囲気、そういうのは又別だ。綺麗に見せたい意識があるほど汚くなるのは不思議。ただ今の会員は安心してよろし。あの脱力のツボ、これとキムタクの画になる美しさは同じなので。いってーだろけど効くぜ(笑)押せ、とにかく押せ。ただし悲鳴あげるほどきつく押すのだよ。脱力発声練習
2009年01月04日
先日会員だけで行った特養ホームでのイベントの前説がムービーで残っている。それと比較するためにある舞台劇での前説と比較してみた。当然プロの役者さんたちはうまい(当たり前)では何が違うのだろうと言えば、雰囲気作りが違う。素人には雰囲気がない。しかし私は雰囲気が作れる。ライブで歌う、そこに当然雰囲気作りは含まれるから。歌でも結局は、上手い下手の違いとして歌唱力と言われてしまうがこの雰囲気作りのよしあし、という要素はでかい。で、その時大事なのは背中。も少し言うと首の綺麗さ。背中、これはつまりバックボーン、屋台骨。これがしっかりしていずに、素人は見た目だけ、つまり全面だけしか意識が出来ていないから、嘘くさい、または安っぽい。見えない所が大事。それはその場だけ、ではなく普段の練習、意識が大事にも繋がる。そう、見えない所、土台や屋台骨、こういうところが出来ているかしっかりしているか、そこが大事なんだ。
2009年01月03日
昨年末、テレビガイドを買って「うわー、なんだこれ? 年末年始に見たい番組、ひとっつもねーや」と、とても残念な感じ。大晦日は娘の学校のマーチングバンドが紅白に出るというので友達の顔を必死に探しながら結局まったくわからない(苦笑)という感じで大晦日の夜を過ごしてたわけですが紅白もだんだん飽きて来た。かといって見たい番組は他にはないので一人残ったリビングでチャンネルをコロコロ変えるもつっまんねー。(ちなみに桜庭の試合もなんだかって感じでした)で9時半頃かな、「そういやハッスルってわけのわからん、 プロレスなのか演劇なのか、ただ話題はよく聞くし 金髪ぶた野郎のあの人も出るって言うし 見てみるか」とチャンネルを合わせたのですがいっやー、なにあのやな感じ。別にプロレスファンではないので思い切り安っぽくふざけているのは、ま、いいんです。ドクター中松とか出て来て昭和の仮面ライダー風なド素人な演技とかも、別にいいんです。ただ、奏葉の芝居は見ててなんかものすご不快。あの人のことはスキでもきらいでもないってかどうでもいいくらいにしか思ってないのですがなんだろ、素人が下手な芝居をなんか一生懸命やってるあのわざとらしいのに自分ではカッコつけてる風な感じがとても気分悪かった。下手なら下手でもいいのに、なんていうかあの変に真面目に一生懸命ちゃんとやろうとしてるのが妙に鼻につく。で、ふと今のうちの会員も、ああなりかねないってかみな真面目に取り組んでる分、なるよなーって思えてそれもあって9月にやることを延期した。なので9月にやらなくなったのは、奏葉のせいです。だから私を恨まないように・・・下手でもいい。我々はプロじゃないんだし。ただ同じ下手でも映画「どついたるねん」の元ボクサー、赤井英和の演技は許せるし共鳴も出来るのに奏葉の芝居はまったく、許せない。メールしたろか(笑)この違いは何だとつらつら考えるに素人でも、演技力が不足でも、歌の場合、歌唱力が不足でも自分が残ってるのと残ってないのの違いで演じよう、って気があるほど、むかつくような。下手がなんか一生懸命やってんじゃねーよ、みたいな。黒澤明監督は素人をかなり使う傾向が強かったそうですがそれでも結構いい味を出させる。それはプロが演出しているかじゃないのかな。プロが「こうしてください、ああしてください」をただ言われた通りやれれば素人だろうが、プロのいいなりなのでいい演技になるかも知れない。それを、素人が素人の判断でやると気持ち悪いのかな。素人根性が強い人間と経験のない素人でもプロっぽくなれる人間 には違いがあっていってみれば、いじられるのがきらいといじられるのがスキ。先日私が制作を受注したHPの業者に提出したサンプル画像。向こうのデザイナー曰く、このサンプルのままでも十分行けると思いますが試しにちょっと手を入れてみました、といわれたその作品の方が全然レベルが高い。文字の位置を少し修正しただけなんだけど「文字がばらけているとユーザーの目の動きを 負担させてしまうので グルーピングしました」となったその作品は、私が出した状態より格段に見やすくなっていた。ほんの少しのことでもやはりプロは違う。プロなりの知識、経験のあるほんのわずかなアドバイスでもやはりそこには裏打ちされた実績、という根拠があるのでいい。単純によくなる。歌を教えていて私が「そこの歌い方、変。せめてこう歌ったら?」とアドバイスして以前から書いているプロ並みの子などは「あ、なっるほど~」と単純に受け入れるが「いや僕はこうやりたいんです」「でもそれ聞いてておかしいよ、次の進行にあってないし ベースとぶつかってるから汚く聞こえる」とか言ってもこれが僕のやり方、私の個性、と主張する方もいる。別に本人がそれでよければいい、しかしやはり他の人に聞かせても評価は得られない。ライブなどで歌ってそこのスタッフから同じこと言われました、なんてよくあることですがそりゃ、音楽知ってる人間なら同じように思うでしょう、ふつー、ってつまり、経験のある人間の誰もが思う普通、を僕が私が、と自分の薄っぺらい経験やただの思いつき、つまりは安っぽいプライドに捕らわれていると下手は下手、変は変 でしかない。自分はこれでいいと思う、その時何故そう思うか?これがとても重要。ただなんとなく、これが素人。こういうものでしょう、という時なぜ、そういうものなのか、これを明快に出来ないなら疑わなければならない、のにそこで思考を止めるからこれでいいよね、と安易に解決してしまう。奏葉の芝居がイタ過ぎるのはだれも演出しなかったからだろう。もしくはこうやってください、に自分勝手に思いを込めたとかなんとか、つまりは余計なことしたんじゃないだろうか。それを本人は 一生懸命、がんばる と思うかも知れないがはたから見てたらりきんでいる、無駄な力入れて悪い意味で頑張っている、と見えることもあるかも知れない。頭だけで創り上げた自分なりの演技はやるほどに薄っぺらく、気持ちの悪いものになる。言われた通りする、とは言われたこと以外はしない、ということでもある。もちろん自分なりに創意工夫は大事だろう、だがその時演出者と十分な打ち合わせと擦り合わせがあってはじめて成立する。こうだからこうする、その時その決断の根拠と論理はなにか?そう問われても多くの場合、ない。なぜならそこまで考えるのは面倒だから。なんとなく考えて、いい感じだと自分で勝手に決めつけて思考を停止してそれで実際やってみたら、結果ぐちゃぐちゃ。思っていたのと全然違う、ってことになる。その時、全然足りていなかった、と気づくのが本番ではもう遅い、っていうかそれだとやらなきゃよかったじゃん、のレベルにしかならない。本番終わって後悔するくらいならやらない方がいい。無意味だし。奏葉の芝居はイタ過ぎた。そこに多くの重要なことが含まれていたという意味で感謝を表しよう。ま、視聴率相当低かったそうだけどそりゃね、そうでしょう。私もすぐチャンネル変えた口なので。
2009年01月03日
人は錯覚する。この錯覚の呪縛から逃れられる人と逃れられない人、というのがいる。例えば以前このブログに書いたプロ以上に上手くなったレッスン生、彼はライブの直前、「ヤバいヤバい、こんなんじゃ絶対やばい、 もっと練習しないと」と思い実際練習して、ライブ後ものすごく上手くなっていた。この、本番を前にしてやばい、と思えるのはその人の能力だ。本番直前でも「大丈夫だよ、ま、なんとかなるさ」といって実際には大失敗する人が圧倒的。例えば確率、というのがある。コインを投げて表か裏か。数投げれば平均としてほぼ均等に表の数も一致する、誰もがそう思っている。が実際投げて、毎回ごとに表だったら次は裏、とはならず10回続けて表 ということもじゅうぶんある。がしかし多くの人はたとえば3回表が続くと次も表なんじゃないかと予測してしまう。たしかに50回投げて連続して表になることもある、だがそれと3回こうだったら次もなんとなくそうなるだろう、というのは意味が違う。多分こうなるんじゃない、今までこうだったから、我々は経験から学ぶ、しかしコインを10000回投げればほぼ、表と裏の数は平均することを知りながらもたかだか3.4回表が続くと、次も表になるような気がしてしまう。これこそが錯覚。ついこう思う、なんと無くそうじゃないかとしか考えない、こう見えるからこう、これだとライブを直前に控えても「やばいやばい」には決してならずに大丈夫なんじゃない? で思考が止まる。先日会員だけでホームのイベントをした。以前も会員だけで行った時に参加した二人はその失敗から学ぶことをせず、だから今回も失敗した。他の人たちもイベント後のレッスンで緊張感の足りなさ、危機感のなさを十分感じたはずだが残念ながらそれが活きているとは思えない、それはコインを投げて10回表立ったら、(平均的確率から言えば)次こそ裏になるかも、と思わず10回同じだから、11回目も12回目も同じなんじゃないかと安易なその場だけの、見た目で思考するからだ。つい、なんとなく、それ以上は考えない。言われなくても自分で出来る(考え動く)人は自分で考えるからあれ、おかしいぞ、と思えるし言われたことしかやらない人はどこかでま、大丈夫っしょ、と思考を停止する。さらに言われたことすらやらない人は誰かがなんとかしてくれる、という依存を断ち切れない。だからなおのこと都合の良いことを言ってくれる人の言葉が耳に嬉しい。オカルト信者が頭が悪いのは偶然や錯覚を疑わないどころかそれこそが私が求めていた真実だ、と感情の満足を満たそうとすることにあるだろう。こういう人はどんなイベントでも自ら望んで 学芸会にしてしまう。
2009年01月01日
人間、どんなときが幸せか?それは期待に胸を弾ませているときだ。しかしそれが一番危険だと思っている。S J グールドはかつてこんなこと言った。「人々が判断の基準を学ばずに 希望を追うことだけを学んだ時 心理的操作が一番されやすい」例えばうちの教室でミュージカルをやることになった。認知行動療法を伴ったオリジナルの演技論を加え皆、演じることの楽しさや開放感を味わい人前で唄う緊張を楽しみ始めている。ミュージカルをやるんだ!その期待が胸いっぱいに広がるのはいい、しかし期待だけ、しか存在しない時、人は一番危険だ。思いたい事実、そうあって欲しい願望、こういった都合の良い判断基準が冷静な思考を奪い、どんどん自分がこう思う(こう思いたい)が自分の願望から、あたかもそれが事実のように思えて来てしまう。単純な例で言えば迷信。何故人は科学的根拠や理論、データ抜きで○○は△△である、などと結論を出し又それに固執するか。そうあって欲しいからだ。こうであって欲しい、その気持ちが自分の求めたい答えに近い情報を敏感に察知するようになりその反対の情報には目をつぶり始めてどんどん、自分のこうあってほしい答えのみをデータとして蓄積することでこれは客観的事実であると思える根拠を自分の手で作り出してしまう。ミュージカルをやりたい、そのために出来ることたとえば衣装を着る、化粧をするなどはある意味すぐできる、がダンスや芝居、また稽古、演出上必要だったり事務的なことなどしなければならないこと、は決して簡単に出来るようにはならない。本人たちにいくら悪気がなくてもしたいこと、と すべきこと の判断基準がこうであって欲しいばかりに着目しできることばかりにエネルギーを使うことであたかも、それでいいのだ、という根拠を創り上げてしまう。これは同時にしなくてはいけないこと、は 今すぐでなくていいあとにしよう、から結局やらない、という見たくない事実に目をつぶる形となってしまう。迷信を信じている人は、決して迷信を信じているとは思っていない。それが事実だと思っている。具合が悪くても自然療法とか、特殊な薬などで直す、現在の医学では治療しない、といって命を落とす例は過去あまりにあるが関係者は一様に悪いことをしている自覚はないどころか正しいことをしているとしか思えない。そしてその時、おそろしいことに人は快感を覚えている。カルト信者の強い結束力と同様に自分の信念をつら抜いているとき人は強い。一歩見方を変えれば都合のいい思い込み、迷信を信じているだけなのだがその軌道修正をするのは難しい。自分が演じる、踊る、歌う、それは楽しいだろうがそれを見た相手はどう思うか。離見の見とはその戒めであるはずだがかくのごとく難しいのは人には迷信を信じることが楽しい、という厄介な習性があるからだろう。
2009年01月01日
全29件 (29件中 1-29件目)
1

![]()
![]()