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離れて暮らしている大学生の長男が、突然帰省した。いや、帰省というとちょっとニュアンスが違う。1時間ばかりの「滞在」だ。実は彼は2人の友人とともにドライブ旅行の途中で、ウチに立ち寄ったというわけだ。まあ本来ならその友人たちにも食事など出して歓待したいところではあったが、なにぶん今日は月末の土曜日ということで店も忙しく、お茶とお菓子で簡単にもてなした。聞けば彼らは2日前に出発して、京都や大阪を廻ったあと伊勢神宮に足を延ばし、これから帰っていこうかというところで、ここに立ち寄ったそうだ。行先はまったく決めずに、まったくの「行き当たりばったり」の旅である。私達からするとなんとも羨ましいことだが、これも若さの特権、若いうちはこんな方がいい。道中気を付けるように諭しつつも、充分楽しんでいけと言って送り出した。ムスコたちの姿を見て思い出したことがあった。私が大学時代、ひとつ上の先輩に自分のクルマ(ワゴン車)を持っている人がいたのだが、その人は昼夜を問わず誰彼となく誘い出しては、そのクルマに乗せてよくあちこち出掛けていた。なんせ強引な人だったので、その人にいきなり引っ張り出されてお誘いを受けて、あちこち連れ回される連れて行ってもらうことに多少の戸惑いもあったが、今思えばいろいろと得難い体験をさせてもらった、ともいえるかもしれない。なによりあの時期の、自由に満ちていた時間を目一杯有意義に使うことが出来てたんだと、今では思える。なんか今のムスコたちも、昔の私たちと似たようなことやってんだなあ。
2015年02月28日
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まだまだ寒々とした日が続いている。周りでは「早く暖かくならないかな~」という声もよく聞かれる。ただ私自身は、特にそこまで春を待ち焦がれているわけでもない。確かに北風にあおられるのは辛いが、この地方のレベルの寒さそのものは嫌いではない。逆に暖かくなってくると生じてくる、様々な不具合を考えると、そちらの方が憂鬱だったりする。私の仕事上のことで言うと、商品の管理の問題がある。ウチの店の取扱商品の中には、生酒などの“要冷蔵”商品も多くあるし、それ以外の日本酒についても、商品の特性に応じて冷蔵保存した方がいいものもある。こういった商品は、店内で管理する分には常に冷蔵庫に入っているので、とりあえず問題はない。しかし気温が上がってくると、冷蔵庫から出すや否や、ビンの表面が水滴で覆われてくる。これが厄介で仕方ない。お客さんが持ち帰るにしてもびしょびしょの状態だし、遠方に発送する場合だと、一旦常温に馴染ませて水滴をきれいにふき取ってから箱に入れなければいけない(生酒などはクール便を使うからその必要はないが)。しかしもっと困るのは進物の場合、特にお客さんがそのまま持ち帰る場合だ。ビンを箱に入れるなり紙に包むなりしなければいけないが、当然ながら水滴が付いていると上手く包めないし、ラベルを損なってしまう恐れもある。だから特に夏場のお中元時期のお持ち帰りには、あえて生酒を避けるようにすることもある。こういったひとつひとつが、仕事とはいえとても面倒で仕方ないのだ。それを考えると、いっそのことずっと寒いままでいいのにな、などと思ってしまう。
2015年02月19日
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今年の正月には、初詣をした。.....などと書くと、「何だ、当たり前じゃないか」と言われそうだが、実は私にとって、初詣というのは10数年ぶりのことなのである。初詣どころか、あらゆる神社仏閣に参拝する、という行為自体が皆無だったのである。なぜ参拝しなかったのか、それはごく単純に言えば、いかにも「神頼み」という“他力本願的”な考えに陥りたくなかったということがある。もちろんそれだけではない。私の家系は浄土真宗に帰依しており、親族の葬儀はすべて仏式で執り行っている。その一方で、クリスマスは普通にイベントとして商売に取り込んでいるし、ウチがメインに取り扱っている日本酒は、昔から神社と関係が深い。要はいわゆる「八百万の神」状態なわけだが、どの宗教をとってもその下地を自分の中でしっかりと咀嚼できてない以上、どれかひとつに特化することはできない。そんな状態で「初詣」=「神道」をことさらイベント化することに対して、今までちょっとした抵抗感があったのだ。まあ、青臭い話ではあるのだけれど(笑)ところが先日、インターネットでちょっとした記事を読んで、今までの自分の宗教観が根底から覆されるような気がした。「クリスマスと正月が同居する日本」に世界の宗教家が注目! 寛容の精神に見る、宗教の本質とは現役の(?)僧侶の方が語ったものだが、ごくごくかいつまんで言えば、日本人の伝統的な宗教観は「Believe in something」ではなく「Respect for others」であり、それは、世界史的に宗教観の違いが多くの争いを引き起こしてきたのとは対照的に、一種の“寛容性”だということができ、世界に対して発信しうるものである、ということだ。もっともこのお説には一部反論もあったりするが、総論としては賛成したい。というか、今までこと宗教に対してガチガチだった私の頭を、多少なりともほぐしてもらった、という意味においては非常に有意義だったと感じる。もっと軽く考えりゃいいんだ、という気になった。そんなこんなで今年の正月には、初詣をした。頼みごとをしたのではない。昨年1年間を恙なく過ごせたことに対するお礼をするとともに、今年1年間をいかに過ごしていくかという“決意表明”的なことをしたまでだ。
2015年02月03日
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