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フェイスブックをしてる人ならお分かりだと思うが、画面右の方によく「知り合いですか?」という見出しとともに、数名の写真と名前が掲載される。これは、私と共通の知人がいるとか、出身地や出身校が同じとかいう要素を抽出して、フェイスブックが勝手に教えてくれる機能なのである。まあおせっかいといえばおせっかいな機能ではあるが、実際にもこれのおかげで、何十年と音信の無かった元同級生とつながったりとか、そういうメリットもある。だからいつもそれなりにチェックはしている。毎回見ていると、私の知ってる人と知らない人とが、だいたい半々かな、というところだ。もちろん私の知らない人といっても、私の知人の友達のように何らかの関係がある人ばかりだが。ところが以前からここにたまに出て来る人で、どういう関係があるのか全く分からない人がいる。その人は女子大生で、私の長男と同じ大学に在学し、学年も一緒だ。ただ長男とは学部や所属サークルは全く違うので、お互い知り合いとも思えない。いや、それ以前に、私と長男とはフェイスブックではつながっていないので、もし仮に長男の知り合いだとしても、私の画面に表示されるわけがないと思う。でもまったく関係が無いにもかかわらず、私の画面に結構頻繁に出て来るのは不思議でしかない。長男にはまだ聞くことが出来てないが、いざとなるとちょっと聞きづらいかもしれない。M・Sさん、あなたは一体誰?
2015年05月25日
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先日行われた大阪市住民投票について、思うところはいろいろあるのだが、その是非そのものについては、勉強不足ということもあるので、あえてコメントは差し控えたい。ただひとつ思うことは、ある意味橋下氏の信任投票的なモノになってなかっただろうか、ということだ。橋下氏の政治手法は典型的なトップダウン。先ず結論ありきで提示して、反対する勢力に対しては徹底的に論破する。少なからず軋轢も起きるが、物事が決まるスピードは圧倒的に速い。もちろんこれには当然好き嫌いもあろう。ここまでやらないと、いつまで経っても変わっていかないじゃないか、という人もいれば、もうちょっといろんな意見を聞く耳を持たないと、という人もいるだろう。今まで橋下氏が実行してきた諸々の政策、これらについてもあくまで論理的に考えれば、是々非々で結論付けられるところを、「橋下氏がやった」というだけで、頭ごなしに反発してしまう、ということはないだろうか?と、ここまで書いて、大阪市民でもない私が何をエラそうなこと言っているのだ、と思われる方もいるかもしれない。何のことはない、私が単にトップダウン型の政治家が嫌いなだけなのだ。だから大阪市民の中にも、私と同じ感覚の方が少なからずいるに違いない、と思ったわけだ。もちろんこれだけ多数の人が暮らしていれば、それだけ多数の意見があるわけで、それを最大公約数的にまとめるというのは、どだい無理なことなのかもしれない。それだけに“カリスマ”待望論のようなことも出て来るのかもしれないが、それでもやはり、「議論を尽くす」ことをないがしろにしてはいけないと思う。橋下氏も決して議論をないがしろにするつもりはないとは思う。ただ彼は元・弁護士で、当然ながら弁も立つ。そんな人相手に議論を吹っかけても、論破できる見込みは極めて少ない。そのあたりを十分認識していればいいと思うのだが、現実はどうなのだろう?もちろん私の住んでる地域は大阪ではないので、橋下氏に関する情報は全国メディアを経由するものだけだから、一定のバイアスが掛かっていることを織り込まなければいけない。ただそれを割り引いても、「調整型」のリーダーを望む私には、到底相容れない人だ。もしも私と同じ感覚の人が大阪市内に居て、大阪都構想の中身をロクに吟味せず、単に橋下氏が嫌いだからといって反対票を投じていたとすると、それは大阪にとっても不幸なことだと思う。橋下氏に対する好き嫌いだけで、大阪の行く末が決まってしまうなんて、ありえない話だ。何が言いたいのか分からない、支離滅裂な話になってしまったが、いまひとつ言えることは、投票結果が非常に拮抗したことが救いだった、ということだ。それだけ今の大阪の現状に対する不満が大きいということの表れだろうから。おそらく次期大阪市長に就任する人とて、この結果は無視できないだろうから、必然的に大阪の二重行政にメスを入れる必要に迫られるだろう。それだけでも今回の住民投票を行った意義はあったと言えるかもしれない。
2015年05月19日
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私の周りに、鬱で悩んだことのある人が少なからずいる。でも私自身はそういうのとは無縁だろう、と思っていた。ところがそうでもないようだ。先日、あることがキッカケで、ちょっとした自己嫌悪に陥ってしまった。いつもなら翌日になるとケロッと忘れてしまうのだが、この時は違った。そのことを皮切りに、私の中のネガティブな部分が次から次へと顔を出し、それは「もう止めよう」と思う私の意識とは裏腹に、どんどん増殖し、もはや歯止めが利かなくなってしまうのだった。半月ぐらい、そんな鬱々とした気分が続いただろうか。いつどんなキッカケで元に戻ったのか、今ではよく思い出せないのだが、あれは一種の「鬱」体験のようなものだったんだろうか?どんな人にも「鬱」は起こりうる.....いつか聞いたそういう言葉が、今の私には他人事には聞こえなくなってきた。
2015年05月16日
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知人がリサイクルトナーの事業をしている関係もあって、ウチの店&自宅のプリンターでは、いずれもリサイクル物のインクカートリッジを使用している。純正インクを使わない理由、それはただ単に“高い”から。よく言われていることとして最近では、値崩れ傾向にあるプリンタ本体の薄利を補うために、メーカーはインクの方で潤沢な利益を出そうとしているようである。まあそれも分からないでもないが、ユーザーとしてもそうそうカネを掛けるわけにはいかない。というわけで、ウチではここのところずっとリサイクル物で賄っている。もっともインクのリサイクル物もピンからキリまであるようで、ヘンなところのを掴まされると、プリンタ自体にも悪影響を及ぼしかねない、ということを聞いたことがあるが、私が今お願いしている業者は、そのあたりはまずまず無難に使えているから、特に問題はない。ただ困るのが、プリンターの調子がおかしい時だ。プリンターの調子がおかしくなれば、必然的にメーカーサポートに問い合わせることになる。しかしサポートの窓口の担当者と話している中では、必ずと言っていいほどこう聞かれる。「インクは純正のものをお使いですかぁ~?」最初のうちはごまかしていたものの、向こうもいろいろな技(話術)を持っているので、最終的にはリサイクルトナーの使用を認めざるを得なくなる。それを確認するや否や、電話の向こうではまるで鬼の首を取ったかのように、「お客様の場合はそれが原因と思われますので.....」と、完全にリサイクルトナーを悪者にしてしまうのだった。確かにリサイクルトナーの不良がプリンタの不良を引き起こす場合があるのかもしれない。しかし端からそう決めつけることによって、本来あるプリンタ自体の不良がマスキングされてしまうという可能性も無いではない。プリンタのユーザーの何割がリサイクルトナーを使用しているのかよく分からないが、相当に普及していると思われるものについて、端から否定してかかるのもいかがなものか、と思わないでもない。さもなくば純正インクの価格をもうちょっと下げて頂けないだろうか。
2015年05月07日
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