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統一地方選挙も終わり、選挙ムードも一段落してきた。いつもこの時期になると、とかく投票率のことがよく話題に上る。まあ、わが町も投票率が決して高いとは、お世辞にも言えないのだが。先日ある知人と話している時に、投票率が悪いのはだれの責任か、という話になった。いろんな意見があるかとは思うが、私は「学校教育」に責任の一端があると思っている。二十歳になったからいきなり「選挙権があります」、「投票に行きなさい」と言われても、たいていの人は戸惑うんじゃないかな。戸惑う、というよりも、議会が身近に感じられない、だから興味が湧かない、だから行かない、そんなところではないだろうか?それを補完すべきは、高校での教育現場だと思う。一応今は「現代社会」という社会科のいちジャンルで議会制民主主義について学んではいるが、この机上の学習だけでは、どうしたって理解するのは困難だ。ひとつの案として、地元の市町村議会を傍聴する、という手がある。もっともただ傍聴するだけでは、ワケが分からずに「退屈だった」で終わってしまう恐れがある。ということで、高校生の傍聴仕様で、特別バージョンの議会を開くというのはどうだろう?たとえば高校生の代表者に、社会に対する彼らなりの要望を述べてもらい、それに対して議員相互でディスカッションする。それをみんなで傍聴するのだ。ただここで重要なのは、最初に要望を提案する役回りだが、あまり優等生タイプではいけない。ごく平均的な子に登場してもらい、「彼女とデートするときに、いい場所がなかなか無い」とか、「歩きタバコしてる人が多くて困る」とか、「学校に行く時に乗るバスの本数が少な過ぎ」とか、彼らの身近で起こりうることについて、どしどし提案してもらう。もちろんこれら全部、行政にかかわる諸問題なのだから、議員には本気で議論してもらいたい。その様子を目の当たりにした時、市町村議会が自分たちの暮らしとどのように関わっているのか、彼らは身をもって体験ことになると思う。そしてそのディスカッションの中で、良い意見を言ってくれた人に将来的に投票しよう、という気持ちになったら、それもいいだろう。誰が本当に自分たちのことを考えてくれてるのかどうか、という点では、若者の嗅覚というのは侮れないものだから。ともかく一番大事なことは、地方議会がいかに自分たちの身近な生活と密接に関わっているか、ということを身をもって体験してもらうことだと思う。そして市町村議会でそれが成功すれば、子供たちがその視野を県政、国政に広げていくのは、さほど難しいことじゃないのではないだろうか?
2015年04月28日
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私と花粉症との付き合いは、今年でかれこれ23年目となった。もうすっかりベテランの域である。そんな私の、今年の状況だが、例年に比べて比較的ラクである。昨夏が冷夏で、杉の生育が良くなかったせいもあるのかもしれない。いずれにしてもウレシイことだ。ただよく分からないのが、普段ずっと調子が良くても、不意にどうにもならないくらい調子が最悪な日があることだ。それはだいたい週に1回くらい、天気などには関係なくやって来る。そんな日はもう鼻の中のダムが決壊したかの如く、鼻水垂れ流し状態である。ところがそれが翌日になると、ケロッと治ってたりするから、ますますよく分からない。花粉の特性なのか、あるいは私の体が気まぐれになってきているのか....。
2015年04月23日
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自民党が「酒の安売り」の規制を盛り込んだ、酒税法改正案を議員立法で提出するという。報道によれば、安売りによって疲弊した「町の酒屋」を救うため、という目的らしい。そのニュースを聞いて、一瞬わが耳を疑った。10年くらい前ならともかく、何をいまさらそんなこと言ってんの!? って感じだ。確かに酒の安売りは、一般消費者には分からないかもしれないが、かなり異常なのは確かだ。特に缶ビールなど、スーパーあたりで売られてる価格なんてのは、私達一般酒販店が問屋から仕入れるよりもはるかに安いくらいだから。ただ、今これを多少是正したところで、今までスーパーで買ってたお客さんが今後、一般酒販店で買うようになるかといえば、もちろんそんなことはない。’90~’00年代に酒販免許の緩和が進み、量販店などにどんどん免許が下りるようになって、一般酒販店はどんどん疲弊して、数も減って、消費者の選択肢の中から消えてしまっている。今頃「町の酒屋を守る」などというお題目が出て来ること自体、筋違いもはなはだしい。そもそも本当に「町の酒屋を守る」ということなら、その要請の出どころはどこなのか?普通に考えれば酒屋の組合だろうが、小売酒販組合には今やそのような力はない。となるとどこか他のところからの要請があったとしか思えない。考えてみると、この法案が通って得をするのは誰だろう?それはもう、安売り渦中にある大手量販店を置いて他に無い。安売りなんていうのは恐ろしいもので、一旦値段を下げるとそれを元に戻すのは至難の業だ。しかも同業他社がお互いしのぎを削る中では、おいそれと引くことはできない。要するに典型的な“消耗戦”なのである。どの業者も価格を、採算の取れるある程度のところまで戻したいと思っているだろうが、同業他社の動向や消費者の目を気にすると、なかなか思うようにはならない。そこでこのような法律にかこつければ、大手を振って価格を上げられる、という寸法だ。そう、どう考えてもこれは、大手量販店保護を目的にした法律改正だとしか考えられない。それを「街の酒屋を守るため」などと言われているのは、完全にダシにされてるとしか思えない。まったく舐められたものだ。あえて言うと私自身、この法改正についてはまったく他人事として受け取っている。価格面以外であえて“選ばれる理由”が備わってないと、街の酒屋は生き残っていけないし、その“選ばれる理由”を模索するためにこちとら必死なのだ。安売りなんぞしてる場合ではない。
2015年04月20日
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先日、とある酒蔵の「蔵開き」に出掛けた。「蔵開き」とは、「蔵解放」とか「蔵まつり」などと呼ばれることもあるが、要は一般ユーザー向けのイベントで、普段なかなか入れない蔵の中に入れてもらったり、秘蔵の酒を販売したり、振る舞い酒をしたりするものだ。こういうところでは近所のお酒好きの方々や、日本酒ファンの方々で賑わう光景が見られる。私もよく一人でふらりと出かけては、そこで出くわした見知らぬ方といつの間にか仲良くなって、酒が紡ぐ縁で盛り上がるというのがお決まりのスタイルになっている。さて先日出掛けた蔵開きでも、そういうシチュエーションになった。ほとんどが地元の人だったが、他愛もない話で盛り上がっている中、やや異質な空気があった。私の近くに座っていたある男性が、いかにもマニアックな話を展開しているのだ。やれどこそこの蔵は方向性が見えないとか、どこそこの蔵は地元では評判悪いとか、アンタは評論家ですか.....(-_-;)一応皆さん、「ほー、そーですか」的に適当に相槌打っていたものの、明らかに周りの人たちも困惑しているのが見て取れる。話を聞いていると、日本酒好きが昂じてあちこちの蔵を訪ね歩いているという。飲んだ酒の数も、おそらく私なんかよりもはるかに多そうだ。そう、いわゆる“酒マニア”だ。こういう手合いの“酒マニア”、ウチの店にも時折出没する。彼らに共通する要素としては、「飲んだ酒の数、訪問した蔵の数、とにかく“数”を自慢のネタにする」「飲んだ酒の評価の基準は、“旨い、不味い”とか、“好き、嫌い”ではなく“良い、悪い”」「細かい酒質データとか、原料米や酵母の出自など細かいことにこだわる」「造り手へのリスペクトが感じられない」といったところが挙げられる。いや、別にそういう人がいたっていいのだ。ある意味そういう人たちも、今日の日本酒ブームを支えてくれてるわけだし。ただねえ、そういう話題はマニアばかりが集まる酒の会のような場で話すにふさわしく、一般の方がほとんどを占める蔵開きのような場では、明らかに場違いだ。ここはとにかく理屈抜きで盛り上がって、酒を楽しむ場なのだ。評論家などいらない。
2015年04月15日
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このところ、真ん中のムスメのクルマの運転の練習に付き合っている。彼女は昨年の暮れに免許を取得しているのだが、本人が運転にさほど執着していないことや、私自身がバタバタしていたこともあって、その間まったくクルマに乗ってなかった。本人曰く、「このままペーパードライバーになってもおかしくない」状態だった。それは絶対避けた方がいい、ということで、彼女の背中を押して、運転に駆り出したのだ。ただやっぱり3か月半のブランクはそれなりに大きく、最初にクルマを動かした時の印象は、正直言って自動車学校の第2段階修了程度だ(笑)。とても公道など走れない。ということで、近所の運動公園の駐車場でしばし練習することにした。ここはそれなりに広いうえに、平日なら他のクルマが全く無いから、安心して乗り回せるのだ。かくして私の献身的な(?)指導の甲斐あって、平易な道なら公道も走れるくらいに上達した。ところでムスメの指導をしていて感じたのは、自動車学校というところではあまり実践的なことを教えていないのではないか、ということだった。もっともそう言っただけだと誤解を招くかもしれないし、そもそも通ってる数日間で運転を完璧にマスターできるわけないのだから、ある程度は仕方ない。ただそれを割り引いても、何かが足りないと思うのであった。ひとつ例を挙げると、「バック」。ムスメのバックはてんでなっていないのである。具体的に言うと、曲がる方向とハンドルを切る方向が、頭の中で結びついていないと思われる。一体自動車学校で何を習ったのだ、と嫌みを言うと、バックはあまりやってないという。そしてバックを習った時のことを聞いてみると、その時の教官が言うには、「ハンドルをこちらに切れば、前タイヤがこういう向きになるので、クルマはこっちへ曲がる」ということらしい。初心者に対してタイヤの向き云々を持ち出すと、かえって混乱するのではないだろうか?私はムスメにこう教えた。「ハンドルを右に切ったら、車体そのものが“く”の字のように真ん中から折れ曲がると想像しろ。その状態で前に進めば右に曲がるし、バックしても右に曲がるんだから。」そうしたらちゃんとできるようになった。また、「車庫入れ」なども案外軽く扱われているようだ。自動車学校に通った方ならよくご存知かと思うが、車庫入れの練習スペースには、壁に見立てて何十本の棒がすだれのように垂れ下がっている。で、教習の際には、「奥から〇本目の棒が視界に入ってきたらハンドルを切り始めて....」というような教え方をしているそうだ。まったく現実に即していない、自動車学校内だけの論理としか言いようがない。そしていまだに「車庫入れ」と同等に扱われている「縦列駐車」、これなんかどうなんだろう?昔と違って今は路駐が出来ないだけに、縦列駐車する機会もかなり少ないのではないかと思う。必要不可欠、というよりはむしろ、免許取得後の高等技術、という位置付けでいいのではないか?まあ百歩譲って必要あるとしても、「車庫入れ」に比べたら優先順位はかなり低いと思う。まあ何はともあれ、一日も早く一人前のドライバーになってくれることを願って止まない。
2015年04月10日
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