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梅雨が明けたらとんでもなく暑い日がやってくると覚悟してたら、なんと関東地方、昨日から涼しくて「バンザーイ!」であります。きょうなんて、湿度が60%ですよ、奥さん! 夕方になったら半袖じゃ寒いんで、長袖を着ちゃいましたわ、わたくし。木曜あたりまで、この涼しさは続くという予報、当たっててほしいもんですねぇ。 サッカーW杯が終わって以来、わたくし「燃えつき症」めいてるような…とっても空虚な日々なのだわ。はしゃぐ素材が見つからないって、つまんない。仕事? まさかね、はしゃげやしませんわ、でも、なかには笑える判例があるにはあるんですが。今回手元にあるのは車上荒らしとか偽装火災とか、詐欺っぽい悪さをしたヤツらがネタバレで賠償金を取り逃してる判例。こういうのは笑えるわね、バレるような細工なんだよなぁ。わたしみたいなド素人にもわかっちゃうくらいなんだから。しかしまぁ~、世の中いるんですね、こんなアホーがいっぱい。そんなアホ話を読みながら、なんだか気分が悪くなりだし、あぁ、きっと今朝はカフェイン抜きのコーヒーだから頭ボケボケなんだー、とか、更年期ってほんとにイヤねぇとか、ムカムカしながら仕事しておりました。そして、11時を廻ったころ「あっ、またやっちまったぃ」。はい、朝のクスリを飲み忘れてましたの。急いで飲んだはいいけども、すでに体のダルダルは全身にまわっており、さっさとお昼食べてベッドに横たわりましたよ。2時には復活したけどね。近ごろこれで2度目だ、だいぶ「アタマの加齢」が進んだようです。 なにか憂さ晴らしをしないと、だんだん沈んでいきそうだ。これは乳腺外来でケリがつくまで引きずりそう。それじゃアカンって! 今夜は笑わなきゃ、クルーゾー警部にお出ましいただいて(笑)
2006.07.31
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きょうは午前中、小山市まで出かけて講演会を聴いてきました。かれこれ14年前ころ、一度新宿で聴いたことのある内容ですが、そのお話がとても心に染みいるものだったから、また聴いてみたくなったんです。もし、このお話を聴いていなかったら、わたしははたして、息子との二人暮らしをまっとうできただろうか、それくらい影響力のある内容でした。 演者は、森山先生(わたしは敬意を表してそう呼びます)という60歳半ばの女性。このかたは、3歳のとき実父を戦死で失い、そのあと実母は駆け落ち同然に再婚…残された姉弟は、人間不信に。でも姉弟は、この二人のためにすべてをかけたといえるある女性の愛によって救われました。それからのち17歳の時に難病に襲われ15年に及ぶ車いす生活…艱難この上ないほどのご苦労をなさいながらも、人のために生きてこられました。ご自身の著書の中で そんな“病の体”より、もっとわたしを苦しめたのは“心の病”でした。 「なぜ、こんな体になってまで生きなきゃいけないの?」 「どうせ短い命なんだ、なにもできやしない」 それでも私が生きる希望と勇気を持ち続けてこられたのは、 「美しい心」「人を思いやる心」「温かい心」を持った人たちとの 出会いがあったからです。 ――――――――――――――はじめにより 抜粋 わたしはこれが書かれている本「世界に向かって母の愛を叫ぶ」を本日、直筆サイン入りでいただいて参りました、これは一生ものの宝です! おりしも昨日は、わたしのダウンタウンボーイ(元息子)の34回目の誕生日でした。いろんな想い出が頭の中を駆けめぐります。そして、息子と暮らした歳月は、わたしの人生の「熱い夏」であり、誇りにあたうすばらしい時間であったことを、あらためて確認いたしました。 14年ぶりにお目にかかった森山先生は、相変わらずユーモアタップリの口調でわたしたち聴衆を飽きさせることなく、涙を誘う情のこもったすばらしいお話をしてくださいました。先生の人生にはご苦労だらけ、にもかかわらず明るく快活に生きていらっしゃる、という点で、わたしは他人とは思えない親しみを覚えるのです。65歳になったいまも、透析を受けるお身体で全国を講演していらっしゃる、その根底には「日本のため」という尊い志があってのこと。日本が立ち直るためには? とても壮大なテーマですが、先生はこれからも惜しみない努力をなさってゆくにちがいありません。世界に向かって母の愛を叫ぶ
2006.07.28
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整形外科と内科、どちらも2カ月ぶりの受診でした。もうじき八月ともなると、梅雨はまだ明けてなくても暑さが厳しくなっていますね。きょうは晴れ間が出たので気温も高くうっとうしい中、午後出発。 整形外科では、傷の具合はどうだい?と先生がおっしゃるので「浸出液は減ってきました」と答えてからベッドに横たわって傷口を診てもらいました。先生は「だいぶちいさくなってるけど、しぶといなぁ(笑)」。わたしは前回の培養の結果が気になってるので訊いてみたら「ナントカ(覚えられない名前)が毎回出てるけど、これは皮膚に常駐してる菌で傷の周囲にいるだけだよ、内部に感染してるわけじゃないね」とのこと。ホッとしました。それから「傷口からホワホワっと人工靱帯の繊維が出てるみたいなんですけど」とわたし。診ながら先生「アタリ」。その繊維をハサミで切っていただきヒビテンで消毒して終了。このまま傷口が閉じるまで、粘るしかありませんわ、がんばります。 内科での検査データCRPは、なんと0.63、やり~! 前回(0.78)を下回るうれしい値ではありませんか。わたしはプレドニン減らしてるんで高めの数値になるだろうと予測してたんですけど、見事にハズレました。この調子ならもう少し減らせるかな? 先生曰く「データ上ではね」。わたしは今、5日に1ミリ減のペースになってますところ、もうちっと間隔を短くできるかもですね。先生「手はどうかな?」と言いながらわたしの手を取り、投薬を生物学的製剤に切り替えたほうが良いんだけどな、といつもおっしゃるんです。でもまだ足のキズはふさがってないので、このままアラバでいくしかありません。アラバがこれだけ効いてるんだから、これでいいとわたしは思ってるんですが。たしかに指の変形は相変わらず進行しており、より短くなりつつあるけども…。 最後に、きょうは乳腺外来に予約を取りに行きました。先月の乳ガン検診の結果「腫瘤あり」とのことで精検をしなければならないから(乳腺症の一種かも? 結果早く出したいね)。来週金曜の予約が取れました、乳腺外来は月~金の毎日あるんだそうです。さすがは大学病院、ありがたいことですな。じつはわたくし、昨日この通知を受け取ったとき(昼下がり)は凹みましたが、夜には復活しましたよ、デルピエロのゴール集を観てたらね、元気でたでた(笑)。精検の結果が出ない限り、思い悩んでも仕方ないものね。それに、万が一この映ってる物体がガンであるとしても、小さいものらしいし(=初期)、この状態でいま見つかったのはラッキー!と言えるではないですか、ねぇ。
2006.07.26
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グレープ・シード・オイルに注目あれ わたしはこのオイルのすばらしさにカンゲキしているんです。詳しい情報はこちらをご覧ください。グレープシードオイルは以前から使っていたものの、近くのスーパーで売ってる、もしくはふるさと直売所みたいなお店に置いてるものは決って高価なので、1瓶をちびちびと使っていました。でも、ネットショップの中には廉価で手に入る海外輸入品があるんですねぇ。1リッター瓶で7~800円ですから、これならふんだんに使える(サラダ油の値段と比較してはいけません)。ということで、我が家では、天ぷらやフライ物に使う油は、このグレープシードに変えることにしました。揚げ物は頻繁に作ってしまったらカロリーオーバーになるので気をつけていますが、たとえ少量であろうとも、油が「酸化」してたら身体によいはずありません。うちは3人家族なので、ちょこっと(たくさん食べる年頃はいないから)の揚げ物をするより総菜コーナーで調達しちゃうほうが手軽と言えば手軽…でもやはり、健康を考えたら自宅で調理すべきですよね。 我が町はぶどうを栽培してる農家が多く、ぶどうは特産品ですが、だいたいはそのままの状態で直売・出荷されています。巨峰ワインもありますけど、グレープシードオイルはほとんど見かけません。はたしてワインは地元で醸造されてるかどうか。もし地元でだったら、種はどこへ? ムダにしてはもったいないですねぇ。というか、オイルが絞れるほど大量の種を確保するには、まことにボーダイな規模でなくては不可能な話なんでしょうけど。 オイルつながりですが、ツバキ油。こちらも非常にすばらしいものであることは、歴史が物語っていますね。むかし、わたくしエメロンオイルリンス(笑)を切らし、一度ツバキ油をリンス代わりにしたことがありましたが、これはちと、ベタついて「ヤダな」でしたけど。このツバキ油も食用になるのかもしれませんが…わたしは試したことはありません。ちょとクセありそうですよね。今後の研究や開発に期待いたしましょうか。 思うに、ツバキの種は、あちこちに落ちてるでしょうから、これを集めてオイルを絞れば商品になるんだし、たとえばすぎのこ会さん、知的障害者の収入源にいかがなもんでしょう? そう簡単なコトじゃないか…。
2006.07.25
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はい、ウナギたべましたよ。 わたし、ウナギは好物ってほどではないんです、若いころは見向きもしなかったくらいで。いつから食べられるようになったかはハッキリわからないけど、国立医療センター入院の時(27歳)夕飯にでた鰻丼を食べられたことは覚えています。いまは夏はなるべく食べるようにしています、先人たちの言い伝えには逆らわないほうが得だから(笑)。 しばらく低温が続いてましたが、さすがに土用の丑の日、本日は暑かった。気温はそこそこだけど湿度が…梅雨はまだ終わりそうもなく、各地の土砂災害、はやく安全になるといいですね。わたしの体調はといいますと、良いとは言い切れなくもあり、悪いとも言えない。ようするに普段通りですかね(笑)。アラバが効いてから(ここ2年半)の体調アップダウンは、昔に比べたら問題にならないくらいの程度です。一番痛みがキツかったのは、いつだったかな…って、いつもか(笑)。一瞬たりとも痛みが消えることなく続くので、「病気を忘れることができない」ことにイラ立ちを感じてました。病気を忘れたいのに忘れることができない、これを一生背負っていくかと思うと、夢も希望もなんもなく、己の運命を呪ったくらいだっつの! あ、クールダウンします……ですから、いまこうして「病気を忘れて」過ごしている自分の姿がここにあることに感謝せずにはいられないんです。前にも書きましたけど、わたしが病気を忘れられるようになってきたのは、パソコンを始めてからです。パソコンに没頭すると痛みが遠のく、といっても病気が治ったわけではないので、PC閉じればまた痛みを感じるんですが、感じる時間帯が減っただけでも、辛さから解放されたわけなんです。 そして、身体の痛みよりもつらかった心の痛み、というものは、たとえるなら「心が牢屋に閉じこめられてる」感じでした。何を考えてもいつも堂々巡りで、地獄からはい上がれず、天国なんてない!という暗澹たる時間がけっこう長かった(7年くらいか?)です。身体の不自由よりも、心が自由を失ってしまったことのほうが苦しい。でも、この苦しみは、先日「なぜファントムか?」に書きましたように、いまはすべて解消しております。おかげさまで心は自由を取り戻し、まいにち爽快、うれひぃわぁ~!! わたしの爽快な日々に一役買ってくれてるデルピエロ。熱が冷めるどころか、どんどんのめり込んで行く、わたくし。ああ、デルピエロと過ごした日々の出番を待ち続けたドイツ大会の日々が懐かしかー! ジェリーもそうですけど、知れば知るほどこのお二方は立派な人格・美しい精神をお持ちなのであります。わたしの理想とする御方よのぉ。お慕い申し上げ奉りますぅ~、っと(笑) …あんた、いくつになったん?(自分ツッコミ)若かりしころ(22歳)
2006.07.23
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わたしが初めて観た洋画はこの作品でした、たぶん小学4年の時。我が町のヒーロー日立製作所栃木工場が自社体育館にて上映したのを、友だちと一緒に見に行きました。なんで日立の体育館で上映なのか? たぶん社員・家族への慰労サービスじゃないかな…でも、べつに社員の家族でもない一介のガキンコさえも紛れ込んで観られたってぇことは、洋画は人気がなかったからでしょうかね? あ、でも和田アキ子や美川憲一のショーも(これも日立)、わたくし紛れ込んでみた想い出ありますけども(笑) とにかく、我が町は映画をみんなが楽しめる環境ではなかったんです、そしてそれは現在も続いております(ブツクサ)。なにしろ映画館が近くにないため、エブリバディが親しめる娯楽じゃないわけですな。そんな事情を緩和するためかどうかは知らんけど、来る8月には「おおひらシネマ祭り」なるものが町民ホールにて催されます(例年通り)。「最新作を上映予定」とありますが、はたしてどんな最新作やら。たぶん邦画…。 ま、そんなことはどーでもいいんです。話が飛んじゃったので元に戻します、「ロミオとジュリエット」。オリビア・ハッシーとレナード・ホワイティングですわな。当時、テレビといえばせいぜい15インチくらいの画面でしたが、そーゆーのと比較にならないデカ画面で見たジュリエットの美しさ! コドモながらに圧倒されました、わたくし。あの役は17歳の時だったようです、オリビアは。まぁね、物語は言わずとも知れた悲恋ものですから、ここに書くのはやめますけども、舞台であるイタリア・古都ヴェローナの魅惑的な風景、西洋&中世への憧れはこのとき芽生えちゃったのかもしれませんぜ、へい。この映画に出てきた1つの情景と、ふたたび出逢ったのはその18年後、西戸山にあるグローブ座に隣接した公園にて。昼メシに餃子を食べた足で、そこいらフラついてたわたくし&元夫、迷い込んだかたちです。たぶんこの映画のワンシーンを模してつくられたのでしょう、あのガーデンは。そもそもグローブ座とは、ロンドンに16世紀末に建てられた劇場の名称で、シェイクスピアもそこの株主だったという、まさに「シェイクスピア劇場」なのです。そんなグローブ座を誰がどのようにして現代の東京にも作ったやらは知りませんが、わたしが迷い込んだそのときは、まだできたてホヤホヤの時だったらしいです。上演は江守徹主演、なにやら(忘れた)のシェイクスピア劇でした。現在もシェイクスピア劇は上演されてるようですが、このグローブ座、いつのまにやら所有権はジャニーズがお持ちのようで、彼らが演じてるらしき噂…。もしわたしがまだ新宿区民だったら、通い詰めちゃってたかもしれませんな、東山君がロミオなんか演ってたら(笑) 最近みたDVD「恋におちたシェイクスピア」は、ロミオとジュリエットを書き上げるまでのエピソードを映画化したという内容でした。これはアカデミー賞をとったそうです、わたしが映画離れをしてる間に。もうもうもーぅこの映画は中世好きなわたしの欲求を充分すぎるほど満たしてくれましたわ。もちろんグローブ座(名称は別だったけど)も出てきましたよ、劇中劇(=ロミ&ジュリ)を上演した木造劇場なんですが、新宿のグローブ座を思いださずにいられませんでした。それに、こういった円形劇場が年々進化して、あの「オペラ座」に至ったのだなと想像すると、このわたくしニンマリせずにはいられませんでしたね、おほほほ~。こんなふうにシアワセ時間を過ごしております、安上がりなヤツですなぁ(笑)ロミオとジュリエット
2006.07.21
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海と高原、どっちがスキ?というと、わたしは高原でございます。 なにしろ自慢じゃないけどカナヅチときてますんで、わたくし自ら海に行こうなんていう気持ちは毛頭起きません。むかし一度だけ元夫&息子に引っぱられて横須賀の海岸へ行ったことありましたが、そのときうかつにも水着姿で砂浜に寝ころんだまま1時間ほど寝こけてしまい、身体中まっ赤っかになっちゃって、ひりひり痛いの何のって! 翌日は我が家へなだれ込んだんですが、超特急で鉢植えのアロエをもぎとって身体中にベタベタ貼り付けまくり…アロエは焼けこげたお肌によく効きます、はい、とっても。日焼けといえば、例のテニススクールでも痛いほど焼けた経験ありますけど、テニスウエアは水着より露出度はすくない、そのぶん部分的にまだら焦げ…おまけに水ぶくれまで。でも、高原ならば照りつける太陽から身を守る避難所(ひかげ)がそこここにありますし、なんたってうざい湿気がない! 朝夕ひじょーに涼しいですし。もちろん、わたしの好きな高原は軽井沢、とは言うまでもありませんわな。恋しいわぁ、軽井沢の夏(笑)。灼熱地獄の下界を離れ、いざ軽井沢へ! 空気がちがうんだ、空気が、あの爽やかさが忘れられない。その地ではテニスの他にも、カラ松林の別荘地を散策したりとか、旧軽銀座をアイス片手にぶらぶら歩く、サイクリングにボート遊び、たのしかった想い出がいっぱい。 軽井沢での避暑と並んで、日光の戦場ヶ原から湯元までのハイキング、これがまたキモチいいんですよねぇ。日光駅からバスに乗っていろは坂を揺られながら上り、中禅寺湖に着いたら遊覧船に乗って菖蒲ガ浜で下船し、湖畔のプリンスホテルでブランチ。それから竜頭の滝でミストをかぶり(笑)、その先には戦場ヶ原、木道をトコトコあるいて男体山を拝みつつ、湿地をぬけたら森に入って深緑に癒されうっとりモードで歩け歩け! 木漏れ日がたまりませんねぇ、森は、大スキだぞーっ! 湯滝の向こうは湯の湖、そして日光湯元に到着。…とある夏、わたしたち一族郎党14人ご一行様は、ここの旅館で一泊したんですが、夏休み初日だったもんで小学生の合宿にかち合ってしまい、夜中じゅううるさいったらないのなんの、ぴーちくぱーちく、おまえら早よ寝ろーい!だっつの。 日光にはまだまだたくさんハイキングコースはございます。たとえば東照宮奥の院、ここにつながる急な上り坂も、けっこう気持ちの良いプチ・コースかも、息切れ覚悟かも(笑)。奥の院の荘厳さもステキだよ。東照宮周辺にも見どころいっぱい。日光へはこの春から新宿&日光直通の電車が登場したんですゼ、東武鉄道もやるじゃないの。この電車がむかしもあったらヨカッタのに…。
2006.07.20
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きょうのリウマチックな伝言板にひだまりちゃんが投稿してくれた内容を読んで、行政の冷淡さを目の当たりにした気分になりました。こんなに辛い状態の人に対して「1日3時間の介護」しか認めないなんて、非情!としか言いようがない。わたしの予想では最小でも5~6時間は堅いだろうと思ってたのに、たった3時間とは…。 わたしも似た経験があります。といっても、それほど深刻なことではないんですが、はじめて障害者手帳の申請に出向いたときのことです。そのころわたしは新宿に住んでいて、家から数分の所に都立障害者センターがありました。数分とは言っても、足がひどく腫れてたために歩いては行けなかったので、車いすに乗って母(上京)に押してもらって出かけました。目的の窓口をやっと見つけ、順番を待ってわたしの番。入っていったら、認定医がいきなり「あなたね、車いすに乗ってきたからって有利になるとは思わないこと」とのたまう。わたしも母も、まさかそんな言葉を最初に聞かされるなんて思いもしませんでしたよ、いくらなんでも! たしかに、わたしの乗っていた車いすはレンタル品とすぐわかるステッカーが貼ってあった、じつはこの車いすは、夫がレンタル屋から払い下げで買ってきたもの、短期の間に合わせ用にと。だからといってわたしが「装ってまで」障害者手帳の認定を得ようとしてるなど、疑われるなんて心外でした。ひじょーに腹立たしい気持ちでしたが、あとになって考えてみると、たぶんあの認定医は今までそういった輩をみてるのだろうと思います。上級を認定してもらうために「不自由を装う」人(毒物カレー事件の真須美みたいな…は極端ですけど)。それで先に予防線を張る、もし不適切な認定をしてしまったら、都から咎められるのは自分なのですから。…そんな印象を受けたのでした。 そして状態をチェックしたあとで、またもやのたまう「いまは動かなくてもクスリを飲めば痛みは軽くなるんだから動ける」。なんだよそれ、って思うでしょう? ココなんです、これがリウマチに代表される「痛みが伴う病」の理不尽さ。痛みは対象外、等級の認定には。たしかに、人によって痛みをどれだけに感じてるかの強弱は、ちがっているとは思いますし、クスリが当たれば痛みが減って動きやすい身体になれることも確か。ですが、痛くて動けず日常生活が不自由なことも事実なのです。手帳はいったん認定されると生涯使えるもの、これはあんまりありがたくない決まりかもしれない。その時々の状態にあわせて認定レベルが変わるようなら、どうでしょう。介護保険はそうですよね、わたしは適切なルールと思います。支援法はどうなんでしょうか、介護保険と同等なルールであるならば、ひだまりちゃんも救われるはずなんですが…。 ひだまりちゃんに紹介した「全国自立生活センター協議会」のことは、6年前ころ、わたしの属するパソコン同好会・遊蝶花のメンバーN君が「東京で一人暮らしをする」と言い出したことがきっかけで、知りました。自立センターが責任を持って障害者の自立を助ける、というのです。N君は若く、都会で自立したい気持ちは理解できるので、喜ばしく感じました。ただひとつ、ギモンはありましたけど。そのギモンとは、N君に1日24時間の介助をつけるという1点です。N君に「あなたは24時間必要ないでしょ?」と訊いてみたら、「(立川)自立センターの人が24時間もらっておけと言ったんだ」という返事。わたしは腹立たしい気分でした。自立を支援するのに、なぜ必要ない人に24時間も介助するのか? 本人のやるべきことを減らすハメになるんじゃないの? 介助にも程度があるってもんだ。わたしの下世話なアタマは自立センター事業所のヘルパー派遣にとって有利になる(己の懐を暖めるため)かもな、などの考えがめぐりました。これが、当たらずとも遠からじであるとしたら、福祉予算が底をつくのも必至(極論過ぎ?)。まぁ、そんなこと考えたらキリがないので、当時はそのまま忘れることにしたのです。そんなこんなで忘れていたことでしたが、ひだまりちゃんに教えてあげられる情報だということで、けさは久しぶりに「自立センター」検索しました。 夜間介助は必要ないであろうN君が24時間を認めてもらえたくらいですから、自立センターの手腕は相当のものではないでしょうか? ひだまりちゃん、勇気を持って挑戦してみてください、幸運を祈っています!
2006.07.18
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この時期、どこからともなく大量にやってまいります。 おかげさまで、6月半ばからこのかた、食卓に欠かしたことがございません。去年まではウチも栽培してたんですが、今年はもうそんな余力はないので、どこからともなく集まってくるナス&キュウリは、誠にありがたいこってすなぁ! 露地ものゆえどこのお宅も同じ時期に収穫する、しかも何株も栽培してるお宅は自分とこだけじゃ捌ききれずに、お裾分けしてくださるんですよね。そういうかたがたくさんいらっしゃるので、時には「こんなに、どうしよう?」な状態になってしまうわけなんですが。そーゆー時は、ナスの場合、麻婆ナスか、素揚げに生姜汁か、焼きナスか、といった大量のナスを使う料理でいただいております。きのうもすんげぇたくさんのナス&キュウリ(なぜかこの2品はワンセットで届く)、毎度同じような料理じゃ飽きがくるので、ゆうべはイタリアンな雰囲気にいたしました。じつは生協のカタログに載ってたレシピ「なすたっぷりのカポナータ」です。ナスたくさんと、たまねぎ、ベーコン、にんにく、トマトが主なる材料ですが、そこへまたもやいただきもののインゲン、ししとうを加え、おまけにミックスビーンズも入れました。材料をオリーブオイルで炒めてからトマトを加えてちょっと煮詰める、そして最後に塩・コショウ。先日も書きましたけど、トマトを使うと薄塩でじゅうぶん美味しく食べられます。たくさん作ったので今日のお昼も食べました、冷やしてもおいしいです。本日のお昼はレーズンパンといっしょ、これまた手づくりをいただいちゃって、感謝です! キュウリのほうは、漬け物にするのが多いデス、が、こちらも減塩しております。塩を控えてビネガーを使う、&レモンも入れる、ショウガも入れる。こうすると、わたしの大好きな浅漬けのできあがり。ウチにはヘルパーさんが6人日替わりで来てくれますんで、それぞれご自慢の浅漬けを作ってくださいます、いろんな味が愉しめます! きゅうりのQちゃん風には、カンゲキしちゃいましたわ、いったんゆでたキュウリを熱いまま熱い漬け汁(醤油と酢と香辛料らしい)にひたして密封、1日経てばQちゃんの出来上がり。 デルピエロは、はたしてQちゃんを召し上がるかどうかは存じませんが、いまごろソニアちゃん(愛妻)手づくりの家庭料理を寸暇を惜しんで味わっていることでしょう。どうやらデルピエロ所属のユベントスは、セリエAから降格処分となり、その上、勝ち点を30も減点されての厳しいスタートになるようです。ほとんどのスター選手が移籍する中、マイダーリン・デルピエロはユベントスに残ることを表明、えらいわぁ! あくまでも忠誠を尽くすその心根、わたくしホレ直しでございます。これまでチームメイトだったブッフォンもカンナバーロも移籍するでしょうから、今度はこの鉄壁野郎とデルピエロ・ゴールとの対決、楽しみじゃありませんか、ただし、日本にも放映があればですが…やっぱパラボラアンテナ必要か?
2006.07.16
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リハから帰ってまいりました。 出かけるときはもんのすごい晴天、湿度もすごくて、わたくし午前中から既にダレ気味でございました。家を出発して向かうは自治医大、我が家より北東に位置します。たんぼが見えるようになったあたりから、前方に広がる風景、なんだか怪しい雲行きで。案の定、稲光がして雨がポツポツと降り出し、病院の中へ入ったと同時に嵐のような雨風となり。ここらへんはカミナリが多いデス、以前入院してたときに経験済み。広いリハ室、ぐるりと囲まれたガラス窓ですから、そのすさまじさが目の当たりでございました。 先生はそんなことお構いなしに、わたしの足の過激マッサージに集中。きょうは最近で一番、堪えましたねぇ、すごい痛さ。左足のくるぶしあたりだけじゃなく、足裏も痛いし、膝下全部と言っていいほど浮腫んでいるようで。先生は、もみ上げるというかこすりあげるというか、停滞してる水分?を流してくださるわけです。痛いはずです。むくみをとるための時間が長くなってしまったため、きょうはリハ室1周の歩行器歩行でした。足を下げてるだけでなく、足踏みするなど刺激を加えるようにしなさいと、ご忠告いただきました。明日から心してそういたします。 ワールドカップが過ぎ去って、わたしのデルピエロ熱がさがっているかといったら、その反対ですのね(笑)。バトラー熱の時と同様に、デルピエロ追っかけに余念ナシの日々。といっても、ちゃんと仕事はしてるのよ、ええ、もちろん。ゆうべはこりゃちょっと禁デルピーせねばとおもって、映画なんかで気を紛らしてもみたんですが、ムダでした。わたくしって、どーしてこうなんざんしょね? はぁ、今さら始まったコトじゃない? はい、その通りですから(笑)。きょう見つけた記事に「彼は愚痴をこぼすことなく、監督から命じられたポジションでのプレーを黙々とこなしている。怒声や喧騒が渦巻くサッカー界で、あたかも両親からの言いつけを健気に守り続ける少年のように、黙々と自分の仕事を全うしているのである」(Web CALCIO2002 より抜粋)とありましたの、おほほほ~、なんて立派な御方かしら、ねぇ。
2006.07.14
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1年前のきょう、母が倒れました。あさ「目がまわる、目がまわる」という叫びにも似た母の声で、わたしは目が覚めたんです。急いでベッドから車いすに移り、台所のほうへ向かいました。父が介抱していました。 母は普段からめまい(メニエール病)のある人ですから、いつものように安静にしていれば直に落ち着くだろうと思っていたんですが、それは次第に意識障害へと変わってしまいました。呼びかけても、はきはき応えられないくらいに。それで救急車で病院へ搬入され、すぐさま開頭手術となりました。オペは100%成功、とはいえ、10が死亡と仮定したら、母は7くらいの状態とのことでした。意識がなかなか回復せず、毎日、暗澹たる気持ち、祈りの日々でした。幸い、妹が出産のため帰省しておりましたので、家事は妹に任せて、父は毎日病院へ通い、親戚のものたちにも助けられながら、2週間後、母は周囲の問いかけにようやく応えられるようになりました。 母は現在、夜以外は杖も使うことなく歩いています。麻痺もなく記憶もほとんど戻りました。多少めまいの後遺症と軽い言語障害・見当識障害は遺りましたが「よくぞここまで回復してくれた!」と胸をなで下ろす気持ちです。 これからの課題は、再発させない、ということ。そのために家族のできることといえば、生活全般にストレスをかけないよう気遣うこと。特に食生活は大切です、減塩に注意し、バランスの良い献立。もちろん、年が年なのでカロリー摂りすぎになってはいけませんが。母は低血圧な人でしたのに、それでも血管が切れたのだし、父は40代から血圧降下剤を飲んでる人、わたしもディオバン飲んでますし。んで、近ごろ心がけているのは、地中海スタイルです。いえ、別に毎日イタメシ食べるワケじゃございません。魚介類やトマト・オリーブ油・豆類・季節の野菜などなど、食材を地中海料理に倣って用い、我が家向けにアレンジするということなんです。母が炊事をしていたころじゃ、これはちょっとムリな提案でしたが、いまはわたしが考えたメニューでヘルパーさんが腕をふるってくれますから、可能になったわけなんです。以前は両親ともトマトスープなどに代表される「煮たトマト」なるものを好まない(=トマトは生食党の)人たちでしたが、煮物にトマトを使えば塩分は極わずかですむということを強調して吹き込んでいますので(笑)、文句を言わずに食べるようになりました。ただモンダイは、わたしのような大汗っかき、夏場は汗と一緒に塩分も体外へ出てしまうので、減塩してるうちに塩不足となり、やたらダルくなるみたいです。ここらへんの調整は、今後の問題点といえるでしょうね。水溶性ビタミン同様、塩っ気もほどほどに補給しないとね。河合勝幸のおいしくてきれいになる地中海スローフードレシピ
2006.07.12
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夏ははじまったばかりというのに、もう気分的には秋かもなぁ。だってさ、デルピエロとの別れが…ははは、えれぇおおげさ(笑)。もう次のワールドカップには出場しないし、デルピエロもジダンも。この二人がいなくなったらサッカーW杯への関心も消える、と以前の日記に書きましたが、4年後や如何に? じつはわたくし、ここで新たなるターゲットを発掘、ただしデルピエロ系ではないのだけども。もう彼ほどのおステキさに包まれたサッカー野郎など、いるはずないからね、いっそのこと別の路線に変えてみた。それはGKブッフォンとMFガットゥーゾでなのである。ブッフォンは鉄壁をどこまで極めるのかひじょーに興味深い、厳つい表情もイイ(カーンには負けるが)。ガットゥーゾはお笑いキャラといってもいい、優勝決まった時さっそくファンにパンツあげちゃって白いブリーフ姿で動き回ってたヤツ、こちらも吼えまくりで表情も豊か、たのしい御方ですわねぇ。ふたりとも28歳だから、よほどの故障でもない限り、次のW杯にもお出ましになることでしょう。ということで、わたくしのアズーリびいきはまだまだ続く、と。 ところで、ジダンのその後、気になりますなぁ。近日中に不祥事の原因となったマテラッツィの暴言について明らかにするそうですが。ジダンって、サッカーの神さまってくらいに偉大な人物なのに、純粋で素朴なイメージを感じます、わたくし。きっと余程の誹謗だったにちがいない、マテラッツィのバカやろー! イタリア代表から追放したるで(わが心の中で、な)。でもさすがにジダンを知る人は誰も彼を責めたりしないね、たしかに頭突きはいけないことだけど。それだけジダンの業績のスゴさを物語ってるのでありましょうね。ジダンのドキュメンタリー映画も15日から上映されるんだって「ジダン 神が愛した男」。うちのほうの映画館には来っこないから、DVD出るまで待とう。わたくしDVDコレクターだし(あらら、明言してもーたよ)。きょうはブッフォン&ジダン
2006.07.11
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イタリア、ついに頂点に立ちましたっ! デルピエロがダメ押しゴールを決めた準決勝のおかげで、わたくし個人的にはほぼ燃え尽きており、この決勝戦はもう、どちらが勝ってもよろしいわ、なぁんてお気楽気分で観戦しておりました。最初にジダンがPK決めたときもさほどの動揺もなく、続いてマテラッツィのゴールで1-1、このときも「ふむふむ、さすが決勝戦、おもしろーい!」なんぞ落ち着いたものでしたわ。ところがここから先が長かった。両チームとも守備が堅くシュートに持ち込めないんですよねぇ、これじゃ素人にはいまひとつおもしろみがワカランのですわ。でもジダンが「ダンスのよう」と形容される意味は、よーくわかりました、すごくしなやかな足捌きですなぁ。ラストダンスや如何に?と世界中のファンが注目する中、ジダンよ、どーしちゃったの、マテラッツィに頭突きなんて…レッドカード。NHKの宮沢ミシェルさんの解説によれば「やってはいけないことだけれど、ジダンらしいと言える。このラストゲームに無我夢中になるあまり、頭の回線がどうかしてしまったんでしょうね」(意訳by Minako)とのこと。トロフィー横をうつむいて退場するその後ろ姿が、とても悲しかったワンシーンでした。そして、延長戦も勝負がつかないままPK戦にもつれこみ、むはは~、デルピエロのシュート決まったしィ、5人がみんなゴールできたイタリアに勝利の女神が微笑んだ、と。 それにしても、勝負には勝ったチームあれば負けたチームが必ずあるわけで、イタリア勝ってうれしい反面、相手チームのナミダにはもらい泣きしそうになりましたわ。マイダーリン(ソニアちゃん許したまえ)デルピエロもカンナヴァーロもブッフォンもピルロもトッティも、満面の笑顔で、そりゃそうだよね、4年に1回しか参加できない大会、ここまでくる道のりは彼らの気を抜けない努力の賜物、うーん立派だ、よくやったねと大感動のわたくし。このメンバーでふたたび試合に挑むことはないというのは…残念でありますな。いまごろデルピエロはなにしてるかな~、祝宴かな~、こうして同じ時に同じ歓びを味わえるなんて「あぁぁシアワセーッ!」と噛みしめずにはいられない心境どぇす、はぁ~(ため息)
2006.07.10
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先週上陸した豆台風(姪・13カ月)がさきほど帰りました。 子どもの成長はまことに早いものですね、2カ月前に来たときよりますますレベルアップした豆台風、ハイハイから歩行に移行する時期で、ものすごいエネルギッシュな動きをしております。自己主張も強くなって、思うように行かないと泣く(泣きまねも含む)、じたばたする、「でゃー」とか「ぎぇー」などの大声を発する。ときたま感嘆符も言えるようになってきた、見てて笑わずにいられませんな。あれが成人するまで、妹はどんな親になってるんでしょうかねぇ、もうじき42歳になりますし、そのときはすでに60過ぎだ。でもまぁ、妹のことですから、何事にも動じずにやって退けることでしょう。 妹は昔は泣き虫で、言葉数も少ないおとなしい子どもだった(わたしとは正反対)のに、いつのころからかすんげぇ根性あるオトナになってました。わたしは、自分が実現できなかったこと(長女を理由に親が規制をかけたせいで)を、妹には二の舞をさせたくなかったので、彼女が東京で美容師のインターンをしたいと言ったとき、できる限りの協力をしてあげました。当時、わたしは浅草の寮にいたんですけど、妹と同居できるアパート(学芸大学駅前)に引っ越し、経済的に余裕もないなか、お弁当を持たせるとか、なるべく外食はしないとか工面しながら、どうにか二人で暮らしてました。妹は表参道にある有名な先生がいるという美容室に自薦(笑)で入り、このときは「他で修行する気は毛頭ない」というくらいの意気込み、そういう一本気なところは姉妹同じといえますか。美容界はみんなそうなのかどうかはわからないけど、そのお店は朝は遅めだけれども、夜は終電で帰ってくるという毎日。修行の身にとってはお客さんが帰ってからシャンプー、カット、ブローの練習。わたしも何度か偵察のために「カットモデル」を称して潜り込み、いえ、スグにバレましたけども(笑)。そこでのひとこまは、すさまじいものがございました。センパイからのお言葉は、助言どころか「憂さ晴らし」ともとれるもの、ときたまブラシが投げつけられたり罵声を浴びせられたり。それは男性の美容師さんでしたけど、相当ヒステリックな性分をおもちのようでしたわ。このかたは、後に妹の披露宴で代表挨拶をしてくれたという、まぁ妹にとっては恩師みたいな存在なんですけどね。 こういう個性的すぎるほどの変人?たちの中で揉まれたために、妹は潜在していた負けず嫌いが開花しちゃったようで、だからといって顔に現すことはないとゆうポーカーフェイスでクールなヤツになりました。ある意味、敵に回したらおっかない存在(笑)。真髄をズバッと指摘するのが得意技です、はい。 この妹が独立して一人暮らしを始めたとき、動物病院から与ったのがニャニャでした。あるとき大家さんに猫を飼ってるのがバレてしまい、実家である我が家へ連れてきたんですけど、ニャニャは妹が帰省すると、いつも一緒にベッドで寝て、至福の時を感じてるニャンコでした。そのニャニャ、先週妹が着くのを待たずに逝ってしまいました。18年間ニャニャからもらった歓びは筆舌に尽くしがたいです。いつか思い出したときに書くこともあるかも知れませんが、いまは涙が出てしまうので、これまでといたしましょう。 さてさて、今夜というか明日の朝は、いよいよサッカーの決勝戦。この大会で見事なゴールをすでに決めているデルピエロの次の目標はただひとつ、優勝あるのみです。ジダンにも有終の美を飾らせてあげたいけども、カップはイタリアがいただきますゼ! わたくしの目にはイタリア優勢、ま、世間の評も同じみたい。でも侮れないぞ、ジダンはね、乗りに乗ってるからさ。決勝進出が決まってこのかた、気が落ち着かないっての! それだから、何度も何度もデルピエロのゴールを観ちゃったじゃないの、どーしてくれるのよ。みんなも観たんさい、爽快気分が味わえるよ、ここで観られるから。(注:パソコン環境に制限あり)
2006.07.09
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だんだん暑苦しくなってきましたね。 わたしはこの夏まだエアコンつけずに汗だくになりながら過ごしております。パソコンに向かってると、モニタから放射される熱が胸元に「あせも」をつくる原因となります。そしてアタマからとめどなく流れ落ちる汗、それが襟あしにたまると痒くてたまりません。ですからタオルを頭に巻いて汗を堰きとめる、まるでバカボンパパのようなハチマキ姿。そのハチマキもずっしりと重みを感じるくらいぐしょぐしょになっちゃうんですねぇ、困ったことに。だものシャワーの時間が待ち遠しいのなんのって。だいたい2時半ころヘルパーさんが来てくれるので、暑い最中にシャワー、しばし爽快ですねぇ。 3年前までは「シーブリーズ全身薬用ローション」を使ってましたが、去年からはそのほかに「シーブリーズ デオ&ウォーター」というウォータータイプの制汗パウダーも併用しています。これを上半身にバシャバシャふりかけると、スッキリ気分になれるのですよ、とってもクール(つけすぎると寒くなるほど)でコレなしの夏なんてもうぜったいにあり得ない! 汗を抑えるだけでなく、パウダーがサラサラした肌を保ってくれる、だからわたしのあせももコレでひどくならずにすみ、夏の必携品でなのあります。 でも、もう寝るころには再び汗だく、あちこちがチクチクとまた痒くなってくる。わたしは昔、汗をかかない人だったなんて、ウソみたいな今日このごろ。これもたぶん、プレドニンの影響が大きいのだろうと…。
2006.07.07
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減らしたんで、午前中は調子ワル~。 たいていは朝ご飯のあとすぐにクスリを飲むんですけど、前の晩ステロイドを減らした翌朝は、ご飯前に飲んじゃったほうが良いかも知れないです。空腹に飲めば、早く良く効くのですねぇ、ほんと。ゴハン食べたあとじゃ、効き目が現れるまでの約3時間、時間帯で言うと8時から11時すぎまで、目はしょぼしょぼするし胸はムカムカするし、足首は痛みと腫れが出るし…で。午前中は黄金のように大事な時ですのに、きょうもムダにしてしまいましたわ。発病からほとんど午前中が不調でしたから、最近のように午前中調子よく過ごせてたことのほうが、むしろめずらしいくらいなんですけど。調子よくないんなら、横になってりゃいいものを、それももったいなくてできず、だからといって何ができるというのかね? ボケボケのアタマなら仕事はやらない方がいいし、午前中から映画(DVD)観る気も起きないし。 そういえば、先月もこんな日があって、あん時ゃたしか、サッカーW杯のHP見て時間が経つのも忘れたんだった、そう、その学習?が役に立ちまして、きょうも時間つぶしをいたしましたです。はい、デルピエロ追っかけをしてました。じつは、けさは5時半に目が覚めたので、テレビを付けたらフランスが1-0で勝ってるじゃありませんか。うっわー!わたしの熱望する決勝戦が実現しちゃうとは、なんてラッキーなことでしょか! こういう運勢(?)を利用しない手はない。以前「続・イメージの力」に書きましたけど、本当の自分に還ることが大事と。そうです、本当のわたくしというのは、こんなふうに、熱しはじめたらどんどん焼けこげちゃえるような単純なヤツなんです。突破口=ファントムで勢い付いちゃって、今度はデルピエロだってば! みなさん、呆れることなかれ&見放すことなかれ、これは一種の治療なのだから(あまりにも見え透いた言い訳か?)
2006.07.06
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やりましたね、イタリア決勝戦進出おめでとう! いやーもぉ、すんごい試合でした。手に汗にぎるとはこういうことを言うのであります。手に汗だけじゃなく、足はビンボー揺すりだし(笑)。どっちのゴールもないままこりゃPK戦にもつれ込みかと思っちゃったけどね。延長戦後半残り2分というときにグロッソのゴール、続いてロスタイムにマイダーリン(いつから?)デルピエロの余裕綽々なゴール! やってくれました! わたくしきょうはビデオ録画してたんです、ええ、予感がきましてね。といっても、わたしのことですから、3倍速にしないで録画しておったので、延長戦に入ったとたんテープがおわってしまいまして。デルピエロはウォーミングアップをしてたからゼッタイ出てくる!と、テープを最初の20分あたりまで巻き戻し、再度録画いたしました。ナゼ最初の20分を残したかというと、試合開始前にデルピエロがインタヴューに答えてるシーンがあったからですわ。「イタリアは勝つ」と明言しておりました通り、デルピエロの決定的な追加点ゴールで見事な勝利でございました。これで、彼も1つは満足できたことでしょう、ゴールのあとで観客スタンドにむけて「どんなもんだい!」とゆうパフォーマンス、ドイツ・サポーターの応援がうるさかったのも気に障ってたかもしれませんわ。あの歓声の中でもしPK戦にもつれ込んでたら、いかにイタリア連中であっても圧倒されたにちがいなく。ただねぇ、うきうきゲームを夢中で観てるときに不吉なニュース、北朝鮮がミサイル発射だと! まったくキムはどーしょもねぇヤツだな。なにやってんだい、自制を促されてたはずだろが! 気分ワル。 ま、とにかく決勝進出おめでとう、できたらフランスとの最終戦を望むわたくし、今夜の結果も気になります。画像元:Yahoo!!スポーツ
2006.07.05
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何のついでかってぇと、30年はさかのぼる話の、です。 中学では3年間ソフト部に所属し万年補欠をつらぬいたと申しました。そのあと高校へ入り、部活は何にしようかと考えたとき、我が校にはなんと硬式テニス部がありましたんです。テニスへの関心はバレーボール同様にマンガの「エースをねらえ!」に感化されて(いいえ、これはわたしだけじゃなく、世間にいっぱい居たはずですよ)。なぬっ?硬式テニス部、そりゃわたしのためにあるような部じゃないの!と意気込んでもみましたが、なにしろ1時間は優にかかる道のり、部活が終わる時刻は遅くなるだろう、うら若き乙女がまっくら夜道の家路を急ぐという図はいただけない。そんな理由から硬式テニスは後ろ髪ひかれながらもあきらめて、結局、入部先は「茶道部」でございました。 この茶道部も3年間所属。なぜ茶道か? それは当時のわたくし(フランスかぶれ)にとっては、ペンフレンド(フランス人)に日本文化を伝えるにふさわしい!と閃いたとか閃かないとか?…モチそれは建前で(笑)よくある動機さね、学校で堂々とお菓子を食べられるからに決まってるではありませんか。こんな不謹慎な心構えで入部したわたくしが、そののち部長なんぞを務めたとは、めでたいような笑えるような。こんな部長ですから、さぞかしハチャメチャかというとそうでもなく(=部員たちが立派だったから)、文化祭にはちゃんと野点を催して、お客様を和装でおもてなししたりなど、なかなか思い出深いものがありますわ。高校3年間のあとも2年ほど、茶道をたしなみましたけど、わたしにはそれを極めるまでの不動な精神はなかったみたいです。でもまぁ、侘び寂びくらいは、なんとなく。 高卒後、テニスへの夢はまだまだ捨てられず(おおげさ)、わたしは例のHitomiちゃんたちと、家の近くのテニスコートでラケットをぶんぶん振っておりました。自己流に限界を感じた我らは、ある夏休み、軽井沢のテニススクールへ参加。ここでのコーチがまたイケメンで、ほれましたね、ははは。このコーチは外見だけでなく、中身もすばらしい御方でした、ひじょうにジェントルマン、やっぱりテニスしてる人って、ちがうのね(思いこみか?)。コーチ(ってゆう響きでめまいを感ずる…)が徹底的にご指導してくださったので、たった3日のスクールでしたが、どんくさいわたくしも自己流から少しは脱却できた模様(お蝶夫人の優雅さにはほど遠いけど)。それからというもの、Hitomiちゃんとふたり、調子に乗って、あちこちのテニスコートへ行脚に出かけ、よーするに遊びほうけておりました。テニスが目的なのか、帰りがけに喫茶店でくっちゃべるのが目的なのか、これはどっこいどっこいでしょうかね(笑)。でもなんてったって最初のテニススクールでの想い出は素晴らしすぎだ、あのコーチはわたしの「永遠の憧れの人」かもしれませんわ。憧れの人には近づきすぎない、というのが良い想い出を作るポイントだね!(オバサンは語る) あわわわ~、もうこんな時間。今夜はまた早寝して準決勝に備えなきゃ! ではおやすみ。
2006.07.04
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きのうの続きになりますが そうです、30年はさかのぼるという昔の話ですんません。わたしはいつからバレーボール観戦を好きになったのか分析してみました(それほどのコトじゃないってのに)。 はじまりは、少女漫画「月刊りぼん」に連載されてた「ビバ!バレーボール」だと思われます。出井ちかえという漫画家のスポ根もので、ヒロインが苦境に負けずにがんばる姿が描かれていました。こういう漫画が出回る背景には「東洋の魔女」など呼ばれた当時の日本女子バレーがあります。そのあとも、テレビでは「サインはV」とか「アタック・ナンバーワン」とか流行りまして、わたくしのミーハーはここらへんから開花したようでございます。学校から帰ってくると、近所の同級生とバレーボールを持って野っぱらへでかけ、暗くなるまで「サインはVごっこ」などして遊んでました。これは小学校高学年のころ。 毎日バレーボールで遊んでるだけじゃもの足らず、中学に入ったらバレー部に入るんだ!と心密かに決意してたんですけど、いざ中学校へ上がってみたら、そのバレー部の練習(さすが県大会優勝校・もーのすごい特訓)を一目見てビビリまして、決意なんてもんはどこかへ吹っ飛びましたです。それで例のソフト部に入っちゃったんですけど、ハハハ。バレーボールはやるもんじゃなくて見て楽しむものという観念がそこで生まれたわけです。で、そのころ男子バレー界に日本鋼管チームの島岡健次(文字不明)という選手がおりまして、我が親友Hitomiちゃんに洗脳されて彼のファンになりました(わりと安易な動機だ)。そして、ミュンヘン・オリンピックがやってきて、「ミュンヘンへの道」とゆうアニメを毎週欠かさず見つつ、がんばれニッポン! オリンピック本番では我らの願いが届いて見事に金メダルを獲得、カンゲキしましたねぇ! と、ここまでは良かったんです、ミュンヘン・オリンピックにて外国の選手を見たが最後、わたくし非国民と相成りました。そのころから日本チームはソ連チームと対抗試合をよくやってましたので、来日したソ連チームを追っかけるファンもたくさんいた時代です。高校3年の時(だったよね?)日本でワールドカップが開催され、世界中の一流選手が猛烈な勢いで競い合う姿に、あっぷあっぷ溺れました。学校の友だちもみんな、それぞれご贔屓選手がいて、通学の電車でもバスでも休み時間も、話題といったらW杯で沸騰してました。このころニッポンの大砲といえば、田中幹保選手とか花輪選手とかおりましたわ。このW杯から、日本が永久開催国と決定しました。それだけ日本のバレーファンが熱心&マナーがよいことと、松平さんの協会への働きかけが功を奏した結果だと思われます。 高校終わって、わたくし、そこまで夢中じゃなかったはずが、ついつい代々木競技場まで「ニッポン・チャチャチャ!」に行ってしまった日にゃ…もうドロホフにぞっこんとなってしまいました。さすがに試合会場の迫力には驚きを隠せませんでしたよ、ボールをたたくバシッという音も、選手の声も、飛び散る汗も、テレビじゃゼッタイ味わえない。ドロホフの写真撮りまくって、あとで現像してみたら、まぁ、きゃっきょいー(同時通訳→カッコイイ)のなんのって! 今の時代ならオークションで生写真を売りさばいたらかなり儲かったにちがいありませんぜ。その写真、スキャンしたかったんですけど、行方不明で。わたくしのいい加減さを物語っているわな、とほほ。 ドロホフがスタメンに出なくなって、つまらなくなってきた上に、日本では川合俊一選手がエースになって、以前の緊張感あるチームじゃなくなったあたりから、わたしのバレー熱は冷めました。川合さんも最初は良かったんですけどね、初々しいころは。ほかの選手にもなんかガッツを感じられず「もういいか」、そういうわたくし自身も忙しい身の上となり観戦どころじゃなくなってしまいました。2003年12月にW杯を久方ぶりに観てみましたら、加藤陽一選手が光ってましたわ。また来年あたりW杯があるのでしょうから、そのときまでこのブログが存続してたなら、加藤君が登場すると予告しておきましょう、ハイ。
2006.07.02
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けさは3時起きでテレビの前に待機し、じーっと待ちかまえていたというのに、待ち人はスタメンにいませんでした。なんとなく思ってたとおりになっちゃって(不機嫌)。試合は前半から先取しちゃったし、とても安心した心持ちでイタリアのカテナチオを存分に楽しませていただきましたが…。いや~、奴らはスゴイ、ほんとに鉄壁だ。GKブッフォンなんてゴールの枠にアタマ強打してのセーブだっつーに即刻よみがえってるんだから、びっくらこきまくりさね。準々決勝で勝利=ベスト4入りが叶っておめでとう! ええ、勝ったのはうれしいわよ、だけど満たされないどー! とブツクサ言ってるときに、ホントに1秒くらいだけ、チラリと映った横顔が…映らないよりはうれしいけどね。ちょいと不満な雰囲気がただよってるでしょう、きょうの日記。 ん、誰? あくびしてるのは! ハイ、わたくしです、すいません。 対戦相手ウクライナは旧ソビエト連邦の一国、んで、わたくし思い出した人がおりました。それはバレーボールのドロホフ選手、背番号4、グルジア共和国出身のまじめでシャイな男前。松平康隆氏の解説ではいつも「アラン・ドロンかドロホフか」という台詞がつきものでしたっけ。ドロホフは決まってスタメンだから、わたしは毎回見逃すことなく観戦しておりました。いつの話じゃと? 訊かれたら答えないわけにはゆくめぇよ、そいつぁ30年はさかのぼるだろうね、悪いかい? そのドロホフに似た選手がウクライナにいたんですねぇ、ご近所同士のお国だろうからそっくりさんもいるんでしょうね。ですけど、わたくしは今やデルピエロだけよ!ってなもんで、よそ見をしたりしませんゼ。準決勝進出のイタリア軍団、あと2回のゲーム(準決勝&決勝戦!or3位決定戦?)が残ってるんだから、必ずまたデルピエロがゴールを決めるときがやってくるにちがいないっ!(まだまだブログネタにできる!)ってことで、わたくし今日は早寝します。追伸:きょうのニャニャは、床の上で横になって時々向きを変えるなどしています。目はたぶん見えてないと思います。耳は聞こえてる。ニャニャって呼ぶとシッポふるから。ニャニャの大好きなひとが来るまであと20時間くらいだよ、がんばっておくれよ。
2006.07.01
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